代休 陶彫一辺倒の日

今日は土曜日にあった休日出勤の代休で、一日中工房に篭っていました。来週から連休が始まりますが、その前に乾燥した陶彫部品の窯入れを行おうと思っていました。先週くらいから陶彫と併行して木彫を始めましたが、今日は木彫を休んで 陶彫一辺倒にしました。陶彫は成形と彫り込み加飾が終わった後、乾燥させるため暫く放置します。そこが木彫とは違います。木彫は待ちの時間がないため、計算どおりに制作が進みます。陶彫は自然乾燥という待ちの時間が必要です。公務員との二足の草鞋生活で作品を放置しなければならないことが、昔から都合が良かったのでした。加えて陶土の土質が自分には向いていると思っています。可塑性のある素材に学生時代から親しんできて、膨らませたり、削ったりする行為が自分は好きなんだと思います。今日は朝からテーブル彫刻に接合する陶彫部品を作っていました。曲面の多い立体造形のため彫り込み加飾も曲線を多く使いました。作品の骨格はテーブルとしての構築性がありますが、表面的にはグニャグニャした作品になりそうです。極論で言えば陶彫は曲面が作れるからこそ効果的なのかもしれません。直線的な造形ならば金属でも構わないのです。金属で自由な曲面を得ようとすると鋳物でなければ出来ないのではないかと思うところです。そこへいくと陶土は容易に曲面が得られます。私の作品は焼成すると錆びた鉄のような雰囲気を纏います。鉄で作るとなると、これはどうやって作るのだろうと考えるところですが、陶土を鉄のように見せているだけなので、種明かしは簡単です。午後は錆びた鉄を装うために、陶彫に化粧掛けを施して窯に入れました。窯出しは木曜日になる予定です。

週末 もうひとつの世界へ…

ウィークディの仕事と週末の仕事、2つの世界を行き来している自分は、数十年の間にこれが習慣化して、精神的なバランスをとってきました。週末の仕事は創作活動で、公務員になる前からやっていました。キャリアとしては公務員より長いのですが、枠に嵌めることが出来ない世界なので、自己表現が確立するまで時間を要しました。海外で5年間暮らし、その期間を通じてコンセプトが醸成され自己表現が確立されていったように感じています。そうした創作の仕事とウィークディの公務員管理職の仕事はまるで異なります。職場には決められた勤務時間があり、コンプライアンスがあり、組織があります。十数年前からその運営に携わっている自分は、職場にいる間中、職員同士の歯車がスムーズに回っているかを管理し続けているのです。ウィークディの仕事は全て人のために尽くす仕事であって、自分を振り返ることはありません。その報酬として給料をいただいているわけです。週末の創作活動でウィークディの仕事から解放され、自分の内面世界に戻ってきます。私にとってもうひとつの世界は、心の平安を保つために必要なのです。しかも彫刻は素材と対話し、塑造したり、木彫をする行為があって、それらは人間の根源的な喜びに直接結びつくものではないかと感じるところがあり、ウィークディの仕事のストレス解消には最適だろうと思っています。やっと週末がやってきて、工房に篭ることの出来る幸せを感じつつ、陶土に触れ、あるいは木彫のために鑿を研ぐ生活を今日も満喫していました。そこではまた別のストレスを抱えてしまうのですが、ストレスの質が違うように思っています。一日7時間作業をやっていると体力が消耗し、心身ともに疲れきってしまうのです。これは本当に自分のための仕事であって、他者が入り込んでくる余地はありません。自分自身の喜びのため、満足のため、念願成就のために粉骨砕身していると言っても過言ではありません。明日は休日出勤の代休なので、明日も継続です。

新しい職場での休日出勤日

今月初めに瀬谷区に転勤してきて、今日が初めての休日出勤日となりました。私たちの職種は、年間何回かは組織的な休日出勤日を設けています。職場を地域に開放する目的があって、休日出勤を行っているのですが、当然横浜市内で地域差もあります。少しでも職場の雰囲気を地域に伝えられるようにしたいと私も思うところです。そんなこともあって今日の創作活動は休んでいます。昨晩、前の職場の歓送迎会があったので、今日は創作活動に気分が向かないため、休日出勤はちょうどいいかなぁと思っています。休日は横浜市の事務局からメールが届かないので、自分の仕事に専念できるメリットもあります。ただし、現在は週休2日が定着しているので、この1週間が長く感じられるのは確かです。新しい職場には次第に慣れてきていますが、やはり前の職場との微妙な違いが気になります。7割以上は前の職場と似ています。残り3割が違っていて、それがここの特徴とも言えます。これも徐々に慣れていくのかなぁと思っているところです。再任用満了まで後2年。この2年間で何が出来るのか、職員の動向を見ながら追々考えていきたいと思います。

「日本を語る 多様で一途な国」について

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)は、読み易いうえに視点がユニークなので、通勤途中やちょっとした休憩時間に、つい頁を捲って読んでしまいます。第一章は「日本を語る 多様で一途な国」について述べられています。ここでは現代日本の多様性をさまざまな事例を出して語っていますが、この中で注目したいのは日本語の文字表記の多種と、日本人がコトバを操る時の流行と感覚です。私が外国人だったなら、日本語なんて絶対に勉強しないと思っています。省略も多ければ、使い方によって意味も違ってくる言語なんて誰が好き好んで勉強するでしょうか。私たち日本人にも分からない言語が日本語にはあるのです。日本語の成り立ちについて、本文を引用いたします。「やがて万葉仮名から片仮名や平仮名がしだいに派生してくると、どのように日本語を表記するかという議論がまきおこり、そのうち紀貫之の『男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり』(『土佐日記』)という屈折した方法が出てきます。これを国文学では『仮託の方法』といい、そのようにしてだんだんできあがった日本語システムの変則的な成り立ちかたを、国語学では『日本語の重層的成立』というふうにいいます。表立った日本語は捩れながらできあがってきたというべきなのです。」日本語が以上のように多様なら、文化そのものも日本人が好きなように吸収して自分のものにしてしまう傾向があると言えます。そこで著者はこのようにも述べています。「ただ、気にいらないのは、そのような日本の多様を最近の日本がはしゃいでいるばかりで、寂しがらないところです。『おもしろい』ということと『寂しい』ということが断絶してしまっているところです。多様が一様になり、一途が拡散になっている。」という警鐘を鳴らしています。結論では「私は日本の『いろいろ』がいろいろ好きなくせに、その『いろいろ』の、キワ(際)に入ってこない日本が嫌いで、その両方です。」成程、著者の言いたいニュアンスは伝わってきます。この視点を自分も持っていたいと願う昨今です。

連盟ニュースより記事抜粋

私は日本美術家連盟(一般社団法人)の彫刻部に所属しています。そこから毎月「連盟ニュース」が郵送されてきて、記事を楽しみにしています。4月号は「ご意見番に聞く」というコーナーで、私にとってお馴染みのギャラリーせいほうの田中譲さんのインタビューが掲載されていました。東京銀座8丁目にあるギャラリーせいほうは、師匠の池田宗弘先生の個展を手伝うために、私は20代の頃初めて足を踏み入れた画廊でした。その頃、ギャラリーの母体である聖豊社では専門誌「現代彫刻」を発刊していて、私は定期購読をしていました。ギャラリーせいほうは、当時から私が憧れる画廊だったのでした。田中さんが語るギャラリーせいほうの歴史から引用いたします。「聖豊社創立者の中里豊次郎は出版社に勤めていましたが、彫刻に興味を持ち、会社を辞めて木彫家の関野聖雲に弟子入りしました。聖雲の『聖』と『豊』の字をとって聖豊の雅号をもらいました。~略~昭和50年に銀座の6丁目に彫刻を扱う専門の『ギャラリーせいほう』が開廊されました。聖豊社という名前はしばしば葬儀会社と間違われたりしましたので、平仮で『せいほう』にしたのです。」それから10年経って8丁目に移転したようですが、私が関わりを持った時は、既に8丁目にありました。次に画廊経営についてコメントしている箇所があります。「ギャラリーせいほうも野外彫刻ブームの恩恵を受けていましたが、百貨店などを通して最終消費者に売っており、木彫、ブロンズ作品、記念品、胸像・銅像などと幅広く彫刻を扱っていたから生き延び得たのかもしれません。」最後に売れない作品を作り続けている私が勇気づけられたコトバがありました。「売れる傾向の作品に影響されることなく、純粋な気持ちで作品を制作してほしいですね。特に美術品は飛ぶように売れる物ではありません。売ることを考えて作ると、どうしても下品な作品になってしまい、結果として売れない場合が多い。純粋な気持ちで作品を作るとその気持ちが伝わって、結果として見る人に感動を与え売れるのではないでしょうか。」田中さんには毎年個展を企画していただいて感謝しております。加えて私の作品はなかなか売れなくて本当に申し訳なく思っています。

「日本が思う 歌を忘れたカナリア」について

先日から「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)を読み始めています。序章は「日本が思う 歌を忘れたカナリア」という題名がついていて、冒頭に「日本で最初に唄われた童謡は『かなりや』です。大正七年(1918)に西条八十が詞を『赤い鳥』に発表し、翌年、成田為三がこれに曲をつけて同誌に楽譜をのせたのが最初でした。」という文章がありました。その童謡以外にさまざまな童謡を紐解いて、「それにしても、どの歌も『かなりや』同様にまことに哀しい風情をもっているのが気になります。」と続きます。「私は最近の日本が『歌を忘れたカナリア』になっているような気がするのです。」これはどうしたものでしょうか。「カナリアならばカナリアであること自身を知ったうえで、かつカナリアとしての多様な歌を唄い出すべきであるような気がするのです。」ここに日本独特な文化背景となった要素が隠されているのかもしれません。歌が出来た大正時代は大正デモクラシーのロマンティックでフラジャイル(壊れやすいとか傷つきやすいの意味)な風潮があったのではないかと察するところですが、著者はこんなふうに述べています。「その時代心境を哀切にのせ、作曲家たちもみごとにこれに応えて、直截に子供たちにぶつけてみせました。それゆえ、日本の童謡というものはほんとうにわずかな機会をとらえ、まるで日本社会の隙間のようなところから芽生え、互いに連鎖し、爆竹のように連打されたものだったといえます。いいかえれば、『赤い鳥』とともに、この時代にはすでに近代国家の体裁を整えおえた日本社会の激しい揺動が始まっていて、その隙間から子供たちに聞かせたい歌が聞こえてきたというぐあいだったのです。~略~理想の喪失から理想の再創へ。そしてその挫折。それならいっそ理想そのものを小さき者に託したい。そういう感情も渦まいていたようです。」次は第一章の「日本は語る」の読後のまとめをしたいと思います。

「コンポジション」について

前の職場から現在の職場に持ってきて、休憩中に読んでいる書籍があります。これを鞄に携帯していないのは、フランスの現象学者による至極難解な絵画論であるため、じっくり落ち着いて読んだ方がよいと思っているからです。読み始めてから時間も随分かかっていますが、大好きな画家カンディンスキーに纏わる論考ゆえに、決して飽きることもなく、思い出したように机の引き出しから引っ張り出しているのです。「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)は、カンディンスキーの著書「芸術における精神的なもの」を拠り所にして濃密な論理が展開していきます。「コンポジション」はどうやら全体論の佳境を迎えたらしく、本書の真髄とするものが見えてきました。フォルムについて論じている箇所を取上げます。「フォルムひとつひとつの情念こそがフォルムに正当性を与え、フォルムを生み出し、まずもってそういう産出の力を呼び起こすのである。われわれがこの情念と同一であるかぎりにおいて、われわれはそうしたフォルムを欲し、つくりあげ、フォルムとともにその異常な増殖や収縮を、その均衡や過剰さを、そのこの上ない華麗さを享受するのである。~略~そのフォルムは〈内的必然性〉によって誘発されたものであるという条件がつく。すべてのフォルムは適切であり、それ自体として根拠を与えられている。つまりフォルムの表現の源になっている情念によって。」次にコンポジションとフォルムの関わりについて引用いたします。「コンポジションとは、自らの固有の色調を作品全体へと広げて行くひとつの主要なフォルムに、あらゆるフォルムを従属させることである。」とありました。最後に絵画における大きな対位法が述べられていて、これはカンディンスキーの著作からの引用になっているようですが、ちょっと長めの文章を掲載しておきます。「個々のフォルムの柔軟性、いわゆるフォルム内部の有機的な変更、画面上でのその方向(運動)、一方では、これら個々のフォルムにおける具象性または抽象性の優位、他方では、大きなフォルム、つまりフォルム群をかたちづくる諸フォルムの配列、個々のフォルムと、画面全体というさらに大きなフォルムをつくるフォルム群との配列、また上述の各部分の協和ならびに対比の諸原理、すなわち、個々のフォルムの調和、あるフォルムの他のフォルムによる抑制、同様に個々のフォルムの転位、集中および分裂。フォルム群の、これと同じような取り扱い。おおいかくされたものと、あらわにされたものとの組み合わせ、律動的なものと非律動的なものとの同一画面での組み合わせ、純幾何学的フォルム(単純な、または複雑な)としての抽象的フォルムと、幾何学上の名称をつけることのできぬ抽象的フォルムとの組み合わせ、フォルム相互の輪郭の組み合わせ(ときには遠く、ときには弱く)の同様な処理等々ーこれらはすべて、純絵画的な対位法の可能性を形づくり、またこのような対位法に役だつと目されるところの諸要素である。」

「日本流」を読み始める

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)を読み始めました。著者の松岡正剛氏はネットにある「千夜千冊」でその名を知り、その読書歴の凄さと書籍に対する視点と解釈に魅せられてきました。私自身が難解な書籍に挑んでいる時に、「千夜千冊」を見ると同じ書籍の論考が掲載してあって、随分助けられました。ただし、氏の文章は単純な解説ではなく、独特な言い回しがあって、その面白さに圧倒されて、成程こういうことを考えている人もいるのかと思ったことが何度もありました。とりわけ難しいと思っていた哲学書などもエピソードを交えて軽妙に語られていて、しかもその概観する視点に眼から鱗が落ちることもありました。「千夜千冊」の書籍の分類も独特で、その主旨を掴めば、そうした分類は理解できるものの、初めて見た者にとっては分かり易い索引ではないと思いました。そうした氏の知識の横断的または縦断的視点を遺憾なく発揮しているのが本書ではないかと期待して購入したのでした。本書の章も「千夜千冊」と同じくらい独特な雰囲気があって、興味が湧き上がります。「日本が思う」「日本を語る」「日本で装う」「日本へ移す」「日本に祭る」「日本と遊ぶ」「日本は歌う」という具合で、どんな論考が飛び出してくるのか、楽しみでなりません。序章を捲ってみると日本で歌われている童謡が登場していました。日本の童謡は哀しい歌詞が多く、情緒にしっとり浸っている反面、突き詰めれば気分が落ち込んでしまうメロディが定番になっています。松尾流ではこの文化にどんな味付けをするのか、日本的ではなく日本流にしたところに著者の思いが籠められているような気がしています。通勤の共に最適かもしれません。

週末 AM陶彫 PM木彫の制作

今日は朝9時に工房に行きました。電気工事の業者が昨日に引き続きやってきていました。私は午前中は陶彫成形に集中していました。昨日タタラを作っておいたので、いつものようにタタラと紐作りの併用で、円形の陶彫を立ち上げました。テーブル彫刻の天板に吊り下がる陶彫部品で、円柱ではなくやや円錐気味に角度をつけて、上部は不定形にしました。これを逆さまにしてテーブルの下に設置する予定です。彫り込み加飾は曲線を誇張したものにしようと思っています。これは次に回すことにしました。昼食後、久しぶりに近隣のスポーツ施設で水泳をやってきました。昨日から木彫を開始し、長い時間にわたって鑿を振るっているので、身体を整えるためにストレッチを兼ねて泳いできたのでした。午後は木彫を再開しました。昨日より仕事が慣れていて、彫り進むのが苦ではなくなりました。彫刻にはモデリングとカーヴィングがあります。モデリングは可塑性のある素材を使って外へ膨らませる方法、逆にカーヴィングは素材を外側から内へ彫り込んでいく方法です。私の場合はその両方を同じ作品に採用していると言ってもいいと思います。陶彫は完全なモデリングかというとちょっと違和感がありますが、ただ可塑性のある陶土を使っていて、土を足したり削ったりしているので、モデリングの範疇だろうと思っています。木彫は完全なるカーヴィングです。今日は午前中はモデリングを行い、午後はカーヴィングを行なっていたわけです。まさに彫刻の真髄だなぁと感じました。私の彫刻作品ではモデリングに比べてカーヴィングの比重が軽く、木彫は必要な場合にやっているだけの技法です。でも木彫の面白みは、時折陶彫を超えてしまうことがあります。学生時代も塑造中心だったので、木彫に新鮮味を感じているのかもしれません。来週も陶彫と木彫は継続です。

週末 久しぶりの木彫制作

暖かい陽射しの中、朝から工房に行っていました。ロフト拡張工事に伴って配線工事が入り、朝9時から夕方まで業者が出入りしていました。私はテーブル彫刻に設合する陶彫部品を作り始めるため、大き目のタタラを複数枚準備していました。タタラを使った成形は明日行います。昼ごろから久しぶりに木を彫り始めました。テーブル彫刻の脚の木彫で、角材に有機的で生物的な曲面を出そうと鑿を振るいました。今までの私のテーブル彫刻の脚は、ブランクーシの「無限柱」のような幾何学的なパターンを繰り返す形態が多かったのですが、新作は自由な形態にしようと決めていました。チェンソーで彫り込みの当たりをつけ、鑿で剃り落としていきました。パターンでないものを作るのは時間がかかります。量感としての楽しみも加わりますが、常にイメージを確認しながらの作業になりました。私の場合、木彫は継続した作業ではなく、新作に必要となれば行なうものなので、技法や道具に馴染むまで時間が必要です。1本目の柱が彫りあがる夕方になって、漸く作業にリズムが出てきました。今回、テーブル彫刻の脚を3本にしたので、残り2本は後日に回すことにしました。陶彫にしろ木彫にしろ制作に入る初日が一番骨が折れるので、次回はもう少し気楽に制作できるのではないかと思っています。今日久しぶりに木彫をやってみて、木彫には木彫なりの面白さがあって、そこにどっぷり浸かれば、さまざまなイメージが出てくるだろうなぁと思っていました。私は彫り跡の切れが大好きで、それを求めるために鑿を丁寧に研がなければならないのですが、それによっていかにも木彫らしい雰囲気が出てくるのです。私は木材にはあまり拘ることがなく、彫りやすければ何でも使います。テーブルの天板は厚い合板で、陶彫部品と接合されるので、合板の上に砂マチエールを貼り付けて油絵の具を滲み込ませています。陶彫と一体感を齎せるための工夫ですが、自作の特徴にもなっています。明日は主に成形をやりますが、時間が許せば2本目の木彫に入りたいと思っています。

映画「あなたはまだ帰ってこない」雑感

常連にしている横浜のミニシアターは夜9時から上映されるレイトショーがあります。昨夜は仕事から帰って自宅で夕食をとってから、フランス映画「あなたはまだ帰ってこない」を観てきました。映画の紹介文に「第二次世界大戦時のナチス占領下のパリ。1944年、マグリット・デュラス30歳。夫のロベールは地下でレジスタンス活動をしていたため、ゲシュタポに突然連れ去られる。それが、彼の帰りを祈り、彷徨い、苦悩する、彼女にとっての愛のための人生の始まりだった…。」とありました。デュラスと聞いて、私は学生時代に場末の映画館で観たモノクロ映画「かくも長き不在」を思い出しました。「あなたはまだ帰ってこない」とは別の物語でしたが、当時私の胸が締め付けられたことを鮮明に覚えています。デュラスは作家であり、事実を日記として綴っていたことが「あなたはまだ帰ってこない」(原題は「苦悩」)の下敷きになっているようです。図録によると「『苦悩』では、ナチの収容所にいるという夫に関する情報のためなら、藁にでもすがりたい気持で奔走する妻の心の内を描いているが、そこでは常に不安な波紋が収まることはない。もしかしたら偽情報ではないか、と不安に押しつぶされながらも、自分の行動を止めることができない。」(村上香住子著)とあり、彼女には夫の帰還をただ待つという受動的な仕草はなく、情報を得るため自らゲシュタポの手先に近づき、逢瀬を繰り返す危険を冒すこともしていました。戦争が終結して捕虜が帰還していく情景を眼のあたりにして、彼女の失望と期待が交差する場面は、観ていて息が詰まりそうでした。やがて終章に瀕死の夫が友人に支えられて帰ってきますが、もう以前の夫ではなくなっていたことで、何か空虚な感情に私は支配されてしまいました。戦争による破壊や戦闘があるわけではないのに、その悲惨さを余すところなく描いた本作は、私の忘れられない映画の一つになりました。

「ある日の彫刻家」読後感

「ある日の彫刻家」(酒井忠康著 未知谷刊)を読み終えました。現代彫刻に関する論考は、私にとって刺激であり、同時に癒しでもあります。本書に取上げられている彫刻家の中には、私が直接影響を受けた作家もいて、私自身が若かった頃に出会った作品の数々を思い出し、振り返ってみる絶好の機会になりました。空間を造形することは何て面白いんだろうと気づいてから40年が経ち、現在の私は陶彫による集合彫刻を作り、毎年ギャラリーせいほうで発表の機会を与えていただいています。本書の最後の章に木彫家橋本平八を取上げている箇所があり、私は「石に就て」という木彫の作品を見た時の印象が今も残っていて、この奇妙で貴重な作家が忘れられなくなりました。39歳で夭逝した彫刻家は「純粋芸術論」という遺稿集を残していて、今回私は初めてその論考に触れたのでした。本文から引用いたします。「『芸術は精神の表現であり彫刻は精神の立体的表現である』とか『芸術は精神への橋である。精神は芸術の法則である』とか『力量の表現に巧拙はない。古人の威力は偉大である』ーといったような一種のアフォリズムはともかく、漢語調の文体でしかも独特のいいまわしの遺稿集に、なぜかわたしは引き込まれ、~略~彼の感性がしばしば虚空を打ち、かつまたそれが何かリリックな表情に変貌するところを直に目撃しているかのような錯覚にも襲われた。」と著者は綴っていました。暫く読み進むと、私に不思議な興趣を感じさせた「石に就て」という木彫の作品を「純粋芸術論」の中で取上げている部分を紹介しています。「彫刻の驚異或は彫刻の芸術的価値は、その天然の模倣でないことは勿論であるが、それと全く撰を異にし、而も天然自然の実在性を確保する性質のもの、即ち同じ石にも石であり乍ら石を解脱して、石を超越した生命を持つ石、そんな石が不可思議な魅力でもって芸術的観念に働きかけてくる。さうした石が石のうちに存在する。石の石らしさを超越した石。それは石にしてあまりに異相である場合がそれで、異相と言ふけれども不自然な形態或は石でないものに似てゐる。変貌ではなくて完璧なる石の姿をなしてゐるものである。要するに人間にとって不可思議な姿をもつ石。左様な石が稀にあるのだから妙である。」うーん、ニュアンスが分かるけれども、素材を超えた精神性に立脚した奥深い思索であろうと思いました。最後の章も含めて「ある日の彫刻家」を楽しく読ませていただきました。

密教と曼荼羅について

先日訪れた東京国立博物館で開催中の「国宝 東寺」展。圧巻だった立体曼荼羅として配置された仏像の数々。どうして釈迦の教えを広い空間を駆使して図示化したのか、その曼荼羅とは何か、仏像と仏像の間を歩きながら、それら配置の妙を自分なりに考えていました。体感する鑑賞もあれば、知識として会得する鑑賞理解もあると私は思っています。体感する鑑賞は、まずその場に行ってみなければ分からないもので、そこで感じる空気感や視界に入ってくる物質を味わうものだと思っています。触れられるものなら触ってみる、匂いを嗅ぐ、食感も含めてその場で得られる鑑賞体験は豊かな心を育みます。知識を求めるのは鑑賞体験を脳裏に刻みたい願望があるためで、体感と思索があって漸く鑑賞が成り立つと私は考えます。そこで、感銘を受けた立体曼荼羅を脳裏に刻むために、その根源となる密教を知りたいと思いました。図録から引用いたします。「空海は日本に初めて密教を紹介したが、密教とそれまでの仏教の違いについて、病人に薬の効能や分類を説くのがこれまでの仏教で、薬を処方して病気を治すのが密教であり、経典の意味を説くばかりであるのがこれまでの仏教で、経典に従って修法を行ない効験を得るのが密教であると述べている(「遍照発揮性霊集」「宮中真言院の正月の御修法の奉状」)。~略~密教とは、秘密の教えのことである。空海は、秘密には二つあって、一つは無知であるために自ら覆い隠してしまうもの、一つは奥が深くて至ることができないので、あえて説かないものと述べている(弁顕蜜二教論)。~略~密教は奥深く、文章で表わすことは困難である。かわりに図画をかりて悟らない者に開き示す。種々の仏の姿や印契は、仏の慈悲から出たもので、一目見ただけで成仏できるが、経典や注釈書では密かに略されていて、それが図像では示されている。密教の要はここにあり、伝法も受法もこれを捨ててはありえない(「御請来目録」)と述べている。」(丸山士郎著)密教は奥が深いので、図示化することで分かり易くしていると空海は言っているようです。その図示化したものが曼荼羅で、つまり仏の世界を上から見下ろした見取り図とも言えるのです。空海によれば曼荼羅は4種あると説いています。一つ目は「大曼荼羅」で、仏の姿を具体的に描いたもの。二つ目は「三昩耶曼荼羅」で、仏の姿をシンボルとして描いたもの。三つ目は「法曼荼羅」で、仏の姿を一つの文字で表わしたもの。四つ目は「羯磨曼荼羅」で、仏の姿を立体的に表わしたものです。これらは本質的には同一のもので、東寺の群立した仏像の空間は「羯磨曼荼羅」になります。密教の奥の深さは如何ばかりなものなのか、文章に著せないとはどういうものなのか、そこが知りたいと思うのですが、謎めいた宗教は謎のままであった方がいいのかなぁと思うこともあります。

上野の「国宝 東寺」展

京都にある東寺には幾度か足を運んだことがあります。東寺の講堂に安置された21体の仏像からなる立体曼荼羅が見たくて、京都では東寺を度々訪れたのでしたが、講堂の中は薄暗がりで、その雰囲気だけを味わっていました。それでも魂の篭った仏像が群立する空間に圧倒されて、自分が厄払いを受けたような気持ちになるのが不思議です。上野の東京国立博物館で「国宝 東寺」展が開催されているのを知って、どうしても立体曼荼羅を博物館の照明の中で見たくて、先日行って来ました。展覧会の副題に「空海と仏像曼荼羅」とあって、この際曼荼羅のことも学びたいと思っていました。紙面の関係で密教や曼荼羅のことは別の機会に回しますが、今回は21体のうち15体が東京にやってきているので、大きな部屋に点在して展示してある仏像のことを書いてみようと思います。まずこの部屋に入ると、スポットライトを浴びたそれぞれの仏像の立ち姿に、何とも言えない緊張した空気を感じました。仏像をぐるりと回って見ると、意外にも後姿の何気ない美しさに気づきました。一緒に行った家内は仏像が身につけているアクセサリーの華麗さに惚れ惚れしていました。この立体曼荼羅を考案し実践した空海の思いを図録から拾ってみます。「空海は自ら曼荼羅のイメージを実現するために、須弥壇という空間の中央に大きな大日如来を、その四方に中型の如来を、その五仏に向かって右に中型の金剛波羅蜜菩薩、その四方に小型の菩薩、五仏の左には中型の不動明王、その四方に不動よりもやや小さい明王を配した。そして、四天王は明王に近侍しては全体のバランスが崩れて整然としないので、須弥壇の四方に置いた。ここで問題になるのが帝釈天である。『仁王経念誦儀軌』にしたがえば、四天王と帝釈天は五体で一つのグループとなるが、講堂では四天王は須弥壇四隅に置かれたので、帝釈天は余ることになる。そこで空海は、奈良時代より帝釈天と対となることがある梵天を加え、諸尊の整然とした配置を保ったのである。」(丸山士郎著)仏像の他にも私は仮面が大好きなので、舎利信仰にまつわる八部衆面や灌頂会に用いた十二天面などに興味関心を持ちました。東寺は1200年におよぶ歴史をもった古刹です。大陸から空海が携えてきた真言密教とは何か、「曼荼羅の仏は整然と森の木のように並び、赤や青さまざまな彩色が輝いている」(「遍照発揮性霊集」「笠大夫、先妣の奉為に大曼荼羅を造り奉る願文」)という空海の言葉にどんな意味があるのか、別の機会に考えてみたいと思います。

離任式に贈られたコトバ

私の職種では、離任式はこの時期に行われる式典のひとつです。その式典の最中に若い世代の人たちから、離任する職員にお別れのコトバを贈られる場面があります。私は一般職員の頃から幾度となく別の職場へと異動(離任)をしてきましたが、若い人から贈られたコトバで、今日ほど度肝を抜かれたことはありませんでした。コトバを考える人の人選は私自身がやりました。通常は別の職員に任せるところですが、私はこの人にやって欲しいと考えていたのでした。彼女は文章では特筆できる能力を持っていて、発想が豊かです。現在、相原工房に出入りしている若いアーティストに続く世代で、彼女は造形美術に限らず、詩や随筆に才能を秘めています。離任式で贈られた文章を引用いたします。「多様な色が混ざり、マーブル模様を描いている様子は混沌としていて、最終的にどんな色になるのか想像もできません。今の私はまさにその状態です。いろいろな人に出逢っていくたびに影響を受けて、その人が持つ『色』を吸収します。初めは一色しかなかったパレットが、ゆたかな出逢いによって鮮やかな色で飾られていき、やがて溶け合うと一つの色になります。ですが私はまだその色が見えておらず、ぐるぐると回っているだけです。」この人の感受性に何かを感じないわけにはいきません。出合いを出逢いと書いていたのも彼女なりの理由があるのかなぁと思いました。私は彼女に「自分はどういう人間なのか見つけていこう」と話したらしく、その私の弁が語られていました。自己理解、これは表現者の第一歩です。彼女はまだ年齢が若すぎるので、これから知識を身につけながら感性を深めていくようにして欲しいと願うばかりです。私は彼女が一人で綴っている自己ノートを見せてもらいました。詩がそこにありました。まだ詩になれない溌溂としたコトバもそこにありました。彼女に限らず、敏感な感性の育成は周囲の人たちが行うべきだろうと思っています。恵まれた環境を用意してあげたいと思うのは私ばかりではないでしょう。

週末 テーブル彫刻の制作開始

今日から今年の個展に出品するテーブル彫刻を作り始めました。テーブルの天板は既に切断してあって、今日は天板を支える木の脚をデザインしました。脚は3本で、全て曲面にしようと思っています。下にいくほど細くなっていくように彫っていこうと思います。テーブルから上に突き出た脚は、上にいくほど細くしていこうと思っていて、テーブルを支える中間部分は太めにしようと思います。曲面はきれいな線を描かず、やや凸凹な膨らみがあって、動物の筋肉のついた脚のようなイメージです。テーブルの上下に設置する陶彫部品も曲面を多用した造形で、テーブルの上に2個、下に2個を配置します。そんな彫刻を楽しみながら作っていきたいと今日は考えました。テーブル彫刻は今までに何点か作っていて、テーブルの上に広がる世界と下に吊り下がる世界とを繋げて一体感を図るようにしています。テーブル彫刻の今までに作った一番大きなものは「発掘~根景~」で、昨年7月に東京銀座のギャラリーせいほうで発表しました。「発掘~根景~」くらいの大きさになると、テーブルの上部は見えません。下に吊り下げられる陶彫部品が中心になった立体造形です。それに比べれば、これから作るテーブル彫刻は小さくて全体が把握しやすい立体造形です。テーブル彫刻は時間があれば雛型もたくさん作りたいなぁと考えています。現在雛型は2個ありますが、工房の棚に埃まみれになって置いてあります。もし雛形展なるものが企画されたら、テーブル彫刻の雛型連作が出来たら面白いだろうなぁと考えています。二束の草鞋生活を送っているうちは、とても無理ですが、そのうち実現したい夢のひとつです。

週末 地域行事&美術館散策

横浜市瀬谷区の職場に転勤してきて最初の週末ですが、職場周辺の地域行事があって午前中は職場に出勤しました。地域住民と一緒に近隣を散策するイベントで、「安全散歩の会」と称されていました。瀬谷区には瀬谷八福神めぐりがありますが、その一部になっているお寺を出発して、また最初のお寺に戻るコースでした。散歩道の中に大きな桜があり、満開の花をつけていて見事でした。好天に恵まれ、汗ばむような陽気でしたが、1時間程度を只管歩いて来ました。午後は家内と東京上野の美術館と博物館に行って来ました。東京都美術館で開催されていたのは「モダンアート展」で、昨年度まで私がいた職場の人が同展に出品していて、毎年招待券をいただいているのです。私も同じですが、仕事をしながら創作活動をやっていくのはなかなか大変です。彼は抽象絵画を描いていて、銅箔を貼り付けた画面と強烈な青の色面が特徴的な作風です。1年間に団体展やグループ展など数回の展示機会を得ています。時間が許す限り、私は彼の平面世界の展開を見にいこうと思っています。次に向ったのは東京国立博物館平成館で開催中の「国宝 東寺」展でした。私は職場の関係で1年に1回は京都を訪れています。昨年度は偶然にも東寺に行って、講堂に設置された立体曼荼羅を見てきました。東寺講堂で見る仏像群と博物館で見る仏像群は同じものとはいえ、印象はまるで異なります。一体ずつ丁寧に照明を当たられた仏像、しかも360度周囲を回りながら見られるのは、仏像に美術的価値を見出そうとしている私には有難い展示空間です。京都で見た時はじっくり鑑賞する暇もなく、空海が齎せた密教や曼荼羅のことを考えることもできませんでした。本展には立派な図録が用意されていて、曼荼羅の理解には欠かせない存在です。私は展覧会の図録を必ず購入します。学生時代、お金がなくて図録が買えなかった反動ですが、図録はしっかり読み込んでいきます。私は滅多に音声ガイドは利用しません。解説なしのファースト・コンタクトを大切にしていて、そこで受けた印象を、後になって図録で確認していくのです。鑑賞は、眼で見た印象と図録にある論評の双方で成し遂げるものだと私は考えていて、論評を踏まえた感想はこのNOTE(ブログ)に書いていきます。「国宝 東寺」展の詳しい感想は後日改めます。帰り道に上野公園の桜並木を見てきました。よくテレビで報道される場所ですが、土曜日ということもあって大勢の人が訪れていました。マナーを守るように大きなゴミ箱が設置されていて、救急車や消防車も待機していました。春の宵、多くの外国人観光客が目につきました。

新しい職場の大きなイベント

4月1日に転勤してきて、職場の雰囲気にまだ慣れていないのに、今日は大きなイベントを迎えることになりました。このイベントで一気に職場の仲間たちと親しくなれた気がしました。私は自分の職種をNOTE(ブログ)に書いていませんが、多くの同業者がNOTE(ブログ)を読んでくれているので、イベントの雰囲気は伝わるのかなぁと思っています。イベントはどこの職場でも流れが似ています。私は大きな混乱もなく、滞りなく今日の予定をこなしましたが、周囲への気遣いの疲れが出たようです。この1週間はあっという間に過ぎたように感じています。慣れない分かなり疲れているはずですが、実際のところ疲れた感じはしないのです。ただ、何となく気分がすぐれないので、今週は残業をしないで帰ることを心がけました。自宅ではぐったりしてしまうので、これを解消するためには、この職場に一刻も早く慣れて、肩肘張らずに仕事をしたいなぁと願うばかりです。通勤途中のコンビニで見つけた生ハムを挟んだパンや酢漬けのサラダがあります。昼食に買っていきますが、こうしたちょっとした楽しみが気分を楽にしてくれます。休憩時間には読書も出来るので、自分を失うことはありません。おまけに今日のイベントが過ぎれば、益々職場を身近に感じることができるので、私は大きなストレスを抱えずに済みそうです。職員は至って前向きな人が多いのに気がついてきました。これも嬉しい限りです。あとはチームワークはどうなのか、しっかり見ていきたいと思っています。明日は職場のある地域での取り組みがあって、週末ですが午前中出勤です。午後は家内と美術館散策でもしようかと話し合っているところです。

4月RECORDは「対峙の風景」

「対峙」とは相対して聳え立つことで、両雄が睨んでいる状態をイメージして、今月のタイトルにしました。最近のRECORDでは「対」というタイトルで、相対するモノを具現化して表現したことがありましたが、似たような表現になることは否めません。同じ要素でも作品は異なると私は考えていて、コトバのニュアンスの微妙な違いが造形に表れるのではないかと思っているのです。造形的なイメージを持ち易いコトバを選ぶと、過去のテーマに似てしまうのです。「対」や「対峙」は私が取っつき易いコトバのひとつで、私にしてみれば造形のバリエーションも豊富なのです。感情的なコトバは一見良さそうで、実は造形化する時に大変苦労することがあります。大きな意味を持つコトバも避けてしまいます。何でもありのテーマでは、そもそもタイトルを決める必要があったのか疑問を抱いてしまうからです。月々のタイトルは結構時間をかけて考えています。1ヶ月分を保つために、どのくらいイメージを展開できるのか、途中で苦しくなったりしないか、さまざまな場面を想定しながらコトバを選んでいます。現在のRECORDは下書きばかりが先行していますが、何かが対峙している風景を模索しながら、鉛筆と消しゴムを使って描いたり消したりしています。この線が気に入らないとか、ここをもう少し省いてみようとか、描き進めていくと対峙する風景とはお世辞にも言えない画面になってしまったり、1時間ほど奮闘しているうちに睡魔がやってくるのです。脇の棚に絵の具が仕舞ってあるのですが、そこを横目で見ながら、今日はここまでにしようと裏面に日付を記して、卓上にRECORD用紙を積んでしまいます。最近は山積みが次第に増えています。RECORDと自分、まさに対峙している風景だなぁと思っています。

19’ 4月の制作目標

今月の制作目標を考えました。最初に19’とつけたのは過去に同じタイトルがあるかもしれず、敢えて西暦を入れたのでした。4月は職場としては多忙です。年度初めにやらなくてはならないことがたくさんあって、気持ちが落ち着きません。私は新しい職場に転勤してきましたが、前の職場との若干の違いを感じ取って戸惑っています。日々慣れてきていますが、今月は創作活動に気持ちが向くかどうか心配です。そうは言っていられない状況もあるので、制作目標だけは決めておきたいと考えました。大作「発掘~双景~」は何とか目途が立ちました。それ以外のテーブル彫刻と小品数点を今月から始めようと思っています。テーブル彫刻は2個同時に作っていて、テーブルの天板は既にカット済みです。無理をせずに2個のうちの一つを完成させていこうと思っています。曲面のある陶彫部品を配置するテーブル彫刻にしようかと考えていて、あたかも動き出すような動物的な造形がイメージにあります。4本足の架空の動物というわけです。私は有機的な形態が結構好きなので、時に植物的であったり、また動物的であったり、動きを表現する立体を作ろうと心がけている節があります。なかなか作り出せなかったテーブル彫刻は、実は私に面白みを感じさせる要素が一杯詰まっているのです。今月はテーブルの木の脚を彫ること、テ-ブルに設置する陶彫部品を作ることに集中して取り組みたいと考えています。幸い4月末から5月にかけて長い連休があります。この連休でテーブル彫刻を完成させれば、個展出品予定の作品全貌が見えてきます。陶彫制作はそんな目標を掲げてやっていきますが、一日1点ずつ作っているRECORDがかなり厳しい状況に追い込まれています。新しい職場から自宅に帰って、RECORD用紙を取り出して、何かを描き始めると睡魔に襲われて耐えられなくなるのです。これはどうしたものか、お茶を飲んだり、音楽を聴いたりして何とか下書きだけでも終わらせようと必死です。まずは下書きを描き溜めておくことが精一杯で、仕上げにはほど遠い状態です。もう少し落ち着いたら猛然と仕上げに取り掛かれるのでしょうか。甚だ心もとないRECORDですが、それでも諦めずにやっていきたいと思っています。

映画「エマの瞳」雑感

先日、常連になっている横浜のミニシアターにイタリア映画「エマの瞳」を観に行ってきました。主人公は盲目の女性エマと仕事漬けでプレイボーイのテオ。この2人の恋愛が中心になる物語ですが、境遇が対照的な2人がどうして惹かれあうようになったのか、お互いを補填しあう関係によって、生きること、愛し合うことの真実が見える映画になっているように私には感じられました。図録にこんな文章がありました。「これまでの作品にありがちな、障がい者の能力を称賛したり、彼らの境遇へ同情を向けるようなものではない。~略~わたしたちにとっては”特別な”彼らの日常を、わたしたちの恋愛という”ありがちな”日常と交差させ、わたしたちにとっても”特別”でないものにさせること。~略~身体的に盲目を病むエマと、心の盲目を病むテオ。盲目に捉われず、実質的に正常で充足した生活を送っているエマ。”見えない”心を患うテオは、エマに好意を抱きながらも、保守的な固定観念に縛られ、そこから中々脱却することができないでいる。」(ジュゼッペ・コッツォリーノ著)この文章が示す通り、お互いが不器用になってしまうほどの大恋愛を通して、それぞれが内面と向き合い、自己を問う場面もありました。とりわけテオは仕事に奔走する外見とは違い、母親や妹には距離をおく臆病な男として描かれていました。変化を受け入れるとはどういうことか、愛しいと思う感情にはさまざまなニュアンスが含まれていることを、この映画は語っていました。映画の冒頭に「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の体験場面が出てきました。これはドイツの学者が提唱したもので、暗闇の空間で、日常生活のさまざまな事柄を聴覚や臭覚など、視覚以外の感覚で体験するワークショップです。盲目のエマとテオが体験を通して出会う場面ですが、よく練られた動機づけになっていると思いました。

4年目の再任用管理職

新年度になりました。私は4年目の再任用管理職として、横浜市旭区の職場から瀬谷区の職場に転勤してきました。私は再任用満了まで残すところ2年です。この2年で何が出来るのか、自分でも甚だ心許ないのですが、この職場に骨を埋めることになるので、精一杯頑張っていきたいと思います。今日は新しい職場の私の部屋に篭っていて、ほとんど何も出来ずに一日が過ぎていきました。昼ごろ、副管理職の車で地域を回ってきました。慣れない地域なので戸惑いもありましたが、何とかやっていこうと決めました。新しい元号の発表もありました。「令和」という文字を見たときに、次世代の新鮮さを感じました。時代が変われば、空気も変わります。令和の時代は平和で穏やかな時代になってほしいと願っています。令和は万葉集から採用した文字だそうで、日本独自の文学から採用したことは、日本人として嬉しく思っています。今週は新しい職場で大きなイベントがあり、私の役職は今週が一番大変なのです。慣れているとは言え、今までと異なる環境での仕事は骨が折れます。創作活動も4月に入り、個展に出品する大作以外の作品に着手しなければならなくなってきました。それをどうやって進めていこうか、新しい職場では考えることもできず、今月の制作目標は明日になってから考えます。RECORDも手はつけられず、気持ちが落ち着くまでに今少し時間がかかりそうです。追々新しい職場にも慣れていくと思いますが、二足の草鞋生活は双方とも微妙に影響しあっているようで、今月はやや厳しい精神状態に陥りそうな気がしています。無理をせずにやっていこうと思います。

週末 3月を振り返って…

今日は3月の最終日であり、平成30年度の年度末でもあります。明日新しい元号が発表されるとあって、今日は何か特別な日のような印象を受けます。私は通常の週末を過ごしていました。工房には昨日に引き続き、中国籍の若いアーティストがやってきていました。彼女は持参したノートパソコンに向かい、自作のデザインを一所懸命やっていました。私はテーブル彫刻用の陶彫部品を作るために土練りをやっていました。夕方に2人で横浜駅に出かけ、明日から始まる新年度のための文房具を購入しました。気分を一新させようと、私は自分を鼓舞していますが、その前に今月を振り返ってみたいと思います。3月は職場にある私の部屋の残務整理を時間を割いて行いました。個人情報を裁断機にかけ、棚の書類を一掃しました。来年度人事にも力を尽くしました。人事は完璧とは言えませんが、何とか来年度はこれでいけるのではないかと推測しています。創作活動の方は「発掘~双景~」が9割程度終わりました。テーブル彫刻は来月に回すことになりましたが、一番大きな作品「発掘~双景~」の完成に向けての手応えがあるので、まずまずの評価を与えていいのかなぁと思っています。職場が新年度になっても陶彫制作は何ら変わることなく継続していくので、来月も頑張る姿勢を崩さずにやっていきます。RECORD制作は最悪の1ヶ月でした。下書きばかりが先行する状態は変わっていないばかりか、さらに下書きの山積みが増えています。新年度になって落ち着いたら、また少しずつ山積みを減らしていこうと思っています。鑑賞は展覧会は1箇所だけ行くことが出来ました。「インポッシブル・アーキテクチャー」展(埼玉県立近代美術館)でしたが、その日に日暮里にある朝倉彫塑館も訪れました。映画鑑賞は充実していました。「小さな独裁者」、「サンセット」、「エマの瞳」(いづれもシネマジャック&ベティ)、「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」(横浜シネマリン)の4本を観てきました。慌しい3月にしてはよく映画に出かけていたなぁと思っています。読書はほとんど進まず、美術評論家による「ある日の彫刻家」が鞄に入ったままです。これも来月には読破したいと思っています。

週末 3月最後の制作&映画鑑賞

3月最後の週末になりました。今日は朝から工房に中国籍の若いアーティストがやってきました。彼女は美大で助手を勤めていますが、自分の作品を作るとなると大学や自宅ではなかなか手につかず、昔から相原工房を利用しているのです。大学は春季休業になっていますが、助手たちは残務整理や新年度準備に追われていて、学生のように休めず、多忙な毎日を過ごしているようです。近々助手たちによる展覧会があるため、彼女はそこに出品する作品を制作していました。私の職場にも中国に繋がる人がいて、工房に出入りしている彼女に会ってみたいと言っていたので、そのうち紹介することになるでしょう。同じ山東省出身なので、懐かしい思いに駆られるのではないかと思います。私は焼成に失敗してやり直しを進めている陶彫部品の2個目の作品に取り掛かっていました。結局、この件があったために小さめのテーブル彫刻を作り始めることが出来ず、また来月に持ち越しになります。2度目に作っている陶彫部品は慎重に丁寧にやっていて、漸く夕方になって成形と彫り込み加飾が出来上がりました。後はじっくり乾燥させていくだけです。明日はテーブル彫刻に設置する陶彫部品のための土練りをやっていきますが、それを成形し立ち上げるのは来月の週末になります。週末2回分ほど遅れてしまいました。遅れを取り戻すために頑張っていくしか方法がありません。夕方は常連のミニシアターに映画「エマの瞳」を観に行きました。家内は演奏活動が立て込んでいるため、私一人で出かけました。主人公は施術士をしている盲目の女性エマ。エマは障害があるにも関わらず自立した生活を送っていて、なかなか障害に向き合えない若い子の面倒をみていました。そこに女たらしの広告マンが現れて、エマと関わるうちに彼の人生観に変化が生じて、やがて大人の恋愛に発展していく物語でした。イタリア映画らしく細やかな情感に溢れていました。詳しい感想は後日改めますが、感想をNOTE(ブログ)にアップするのは来月になりそうです。

箱の内部に展開する世界

箱の内部に展開する世界と言えば、アメリカの造形作家J・コーネルですが、私にもそうした世界で遊びたい欲求があります。箱に把手をつけて鞄として持ち歩けば、これは20世紀を代表する芸術家M・デュシャンの作品「トランクの中の箱」があり、自分の作品のミニチュアを作り、箱詰めした有名な作品になります。箱という小宇宙は何とも魅力的な空間を秘めていて、将来は箱の内部に展開する世界を作りたいと私も考えています。箱は広がる空間に限定を与えることで、内に向って凝縮する要素が強くなり、自らの造形主訴がより鮮明に深層化できるのではないかと考えます。外枠の箱は何の変哲もないものにして、鑑賞者の眼を内側の世界に誘導するのです。私が考える箱の内部に展開する世界は、前述したM・デュシャンの作品「トランクの中の箱」とは異なり、作品のミニチュアではありません。れっきとした作品として示すものです。箱はひとつだけではなく、連作としてイメージしています。さらに開いたり閉じたりできる蝶番を付けたいと思っています。秘めたるものという雰囲気を纏わせるために、たとえばキリスト教のイコンのように扉を開けて、そこに描かれた画像に神秘性を与えるような演出をしたいのです。箱の内部に展開する世界はその大きさにもよりますが、蔵書や版画のように個人が楽しむ要素もあります。パブリックではなく、プライベートな作品。しかも自分だけが深層に辿り着き、そこで詩的世界を味わい、自らを解放できる世界。鑑賞者に広い視野を提供するのは、何も大きな空間の中に置かれた作品ではなく、小宇宙の中にも大きな世界観が存在すると私は考えます。掌に収めて眺める作品でも、その主張する世界は、大きなイメージを髣髴とさせるものがあるはずです。私はそういう作品が作れたらいいなぁと考えていて、現在それが作れているわけではありません。自分の理想を語っただけに過ぎませんが、まずイメージ優先で、作品が生まれていくのです。箱の内部に展開する世界を、近い将来作っていきたいと思っています。

春の宵 いざ工房へ

工房のロフト拡張工事を請け負っている鉄工業者から連絡が入り、夜6時過ぎに天井の寸法を再度測りに来るというので、私は勤務時間終了後に工房に行きました。桜が咲いて春爛漫な季節ですが、夜はまだ冷えるため、今まで夜の工房に行かずにいましたが、いざ工房に行ってみると、思っていたほど寒くはなく、作業がやり易い気温になっていました。業者は30分程度ロフトに上がってメジャーを当てていました。私は彫り込み加飾を始めました。このところ昼間の仕事は残務整理ばかりで、意欲が湧かない時間を過ごしてきましたが、陶土に触れると気持ちが変わりました。身体中に元気が充満してきました。夜の工房での制作は独特な雰囲気があります。業者が帰った後、周囲は暗くなり、陶彫部品が置かれた空間だけ蛍光灯に照らされていて、まるでステージにスポットライトが当たっているような錯覚に陥ります。立体の陰影が昼間の太陽光線とは明らかに違うのです。改めて人工の光も悪くないなぁと思っています。精神的な集中が得られるのは、こうした光が要因なのかもしれません。私は週末の昼間に陶彫制作をやっているので、夜の制作は快適な季節の時にしかやっていません。おまけにウィークディの仕事が苦しい時は、夜の工房に行く意欲が出ません。彫刻は昼間の仕事で、とりわけ野外での制作は夜明けと共に始まり、日没には終了するという習慣が学生時代から身についてしまっているのです。それに比べて絵画やデザインの制作は夜の照明の中でやっている人が多く、昼夜が逆転している画家やデザイナーもいるのではないかと思っています。しかし、彫刻制作も夜の人工的な光の中で集中してやることもいいのではないかと思えることもあります。彫刻家ジャコメッティは夕方から夜更け過ぎまで制作をやっていたようで、制作時間をどの時間帯に設定するのかは人それぞれなのかなぁと考えます。今のような二足の草鞋生活がなくなったら、私はどんな時間帯を選ぶのでしょうか。春の宵もなかなか捨て難い制作時間帯ではあるなぁと思っているところです。

残務整理の日々

昨年の3月27日は職場を休んで、家内と埼玉県川越に行って花見を楽しんでいました。ついこの間のような気がしていますが、あれからもう1年過ぎたのかと改めて月日の経つ早さを実感しています。今年度はこの時期に休みが取れません。仕事の残務整理に追われているのです。私はこうした作業が苦手です。自分に褒美を与えないと身体が動かないのです。ちょっと仕事をしてはカフェオレを飲み、またちょっと仕事をしては職員とお喋りをして、勢いよく作業ができる創作活動とはまるで違う顔になっていました。明日も残務整理です。そうしているうちに現実逃避も始まっていて、どこかへ行きたくなってしまうのです。何か面白そうな美術展はあるかなぁ、映画はどんなものを上映しているのだろう、花見もしたいなぁなどと他愛のないことを考えてしまうのです。目の前にパソコンがあって、気軽にいろいろなことが情報として手に入るのも現実逃避を助長するものだなぁと思っています。勤務終了後に自宅に戻って、ぼんやりテレビを見ていたらアニメをやっていて、思わず最後まで見てしまい、おかげで昼間のストレスは解消しました。アニメは「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」。Jポップのミュージックビデオに使われていた映像だったので、緻密な背景の美しさに見惚れながら見ていました。思春期の男女の恋心をIF(もしも)という仮定を用いて紡いでいく物語で、映像作家はこんなシーンを描きたかったのかなぁと思いつつ、技巧を駆使してイメージ世界で遊んでいるように思えました。これは映画の質を問うと、厳しい批評に曝されそうですが、今日の私のように何気なく見ていると、これでもいいのかなぁと感じます。

日暮里の「朝倉彫塑館」雑感

私は個人美術館をよく訪ねています。個人美術館で一番感銘を受けたのが、香川県にあるイサム・ノグチ庭園美術館ですが、学生時代に遡ると大学の帰り道にちょっと寄り道のつもりで、友人と新宿から長野県に向かう列車に飛び乗り、車中で仮眠しながら遠路遥々安曇野穂高にある碌山美術館へ行ったことが思い出されます。前日の夕方まで大学で塑造をしていた私たちが、翌朝には荻原碌山の彫刻を鑑賞している奇跡のような瞬間を今でもよく覚えていて、2人で人体の動性や筋肉の動きを嘗め回すように見ていたのでした。あれから40年も経って、ふとその記憶が甦ったのは、先日訪ねた朝倉彫塑館で具象彫刻を見ていた時でした。故朝倉文夫は肖像彫刻でよく知られた巨匠で、私は「墓守」という作品が昔から好きでした。朝倉文夫は猫の彫刻も多く、猫好きの池田宗弘先生とは異なる表現していて、具象的な表現に徹していると感じました。彫塑館そのものも鑑賞の対象になるくらい美しい建造物で、家に囲まれた池のある庭園が見事でした。庭園に配置された巨石は建築する前に運び込まないと不可能と思われるほど迫力があり、いろいろな意味で彫刻的な雰囲気を漂わせていました。応接室も立派で、モデルになった著名な人々が訪ねてきたのかなぁと勝手に思っていました。大きな肖像彫刻が置かれたアトリエは天井が高く、室内に足場を組んで塑造していた朝倉文夫の姿が思い起こされました。彫刻家亡き後も保存され、大切に扱われてきた文化財に、羨ましさを感じる彫刻家は私一人ではないはずです。

平成30年度の締め括り

平成30年度の最終締め括りは今月の31日ですが、職場では今日をもって一旦締めることにしました。私は職員の労をねぎらい、大鍋を使って豚汁を作りました。今年度の残務整理は明日から1週間をかけて行っていきます。職場は今月31日から4月1日にかけて年度が変わっていきますが、創作活動の変わり目は7月個展の時です。二足の草鞋生活を送っている私は、仕事の変わり目が2回あるのです。職場は組織があるので、職員の異動もあります。この時季は出会いと別れがあり、また新たな出発に向けた取り組みがあります。社会人として幾度この時季を過ごしてきたのか、春爛漫の温かさには、ちょっぴり寂しさがあると感じているのは私だけでしょうか。残務整理は明日から金曜日までに行う予定でいます。その間に夜の時間帯に工房に出かけられるといいなぁと思っています。この時間帯でやや小さめのテーブル彫刻に接着する陶彫部品を作りたいと思っているのです。漸く暖かくなってきたので、夜の工房も苦ではなくなると思っています。

週末 土に親しむ習慣

朝から工房に籠って陶彫制作に明け暮れていました。昨日と今日とで1点ずつ成形を行い、合計2点の彫り込み加飾は後日に回すことにしました。午後職場にちょっとした用事があったため、彫り込み加飾は無理かなぁと思って、今日は成形のみにしたのでした。思えば学生時代に人体塑造を始めて40年以上が経っています。粘土で専門性が問われる立体を作ったのは10代の終わりでした。工業デザインを大学で学ぼうとしていた自分は、立体構成という実技課題があって、練習用に油土を使って小さなピーマンを作ったのが始まりでした。大学では彫刻を専攻することになったので、人体を作り始めましたが、それは陶彫ではなく、出来上がった塑造習作を石膏に型取りして保存する方法でした。石膏の人体は実家の物置に今も仕舞い込んでありますが、場所を取るので何とかしたいと思っているところです。彫刻とは別に、亡父が造園業を営んでいたので、私は造園施工として土に親しんでいました。学校でも土に触れ、家事手伝いでも土に触れる、つまり私にとって土は日常的に扱う素材となり、それを自己表現に結び付けることは自然の流れだったように感じています。粘土は可塑性があるので造形は容易ですが、それだけに技巧ばかりが先走ってしまう傾向があります。粘土は素材としての抵抗が他の素材に比べると少ないと思っていますが、私が辿り着いた陶彫は、最後に焼成があるため、素材としての抵抗はかなりあると思っています。焼成は神のみぞ知る人の手が及ばない領域ですが、成功させるために計算し、手間をかけることをしなければ、努力は全て無駄になります。そこが面白いところでもあります。私は陶彫という技法は大変気に入っています。土をそのまま焼いて石化させ保存する方法は、私があれこれ探していた方法でした。私は本格的に個展を開催した時から、一貫して陶彫による作品を作り続けています。今日も週末の習慣として陶土に親しんでいました。いつまで陶彫を作り続けるのか、私にも分かりません。しかしながら現在でも素材をコントロール出来ているとは言い難く、その都度発見もあるので、当分陶彫から離れられないのではないかと思っています。

週末 墓参り&陶彫制作

今日の午前中は家内と2箇所の墓参りに出かけました。相原家の菩提寺は自宅近くにあります。雨模様でしたが、墓を掃除して花を手向けてきました。私も家内も墓参りには積極的な方ではないため、最低の儀礼しかやっていません。今まで宗教にもあまり関与せずに生きてきました。先祖より現在の私たちの生活を優先してしまう傾向があります。家内の両親の墓は横浜の街中である久保山墓地にあります。ここは道路が狭く車が留められないため、私は近くのコンビニの駐車場にいて、家内だけが墓参りをしてきました。その後、家内は演奏に出かけ、私は工房に行きました。今日は寒い一日で、工房は冷え込んでいました。ストーブを焚いて過ごしました。一昨日用意しておいたタタラを使って陶彫成形を行いました。これは焼成失敗による作りなおしの作品でした。前作よりやや細めの形態にして、内側からの紐作りによる補強を多くしました。彫り込み加飾は後日に回すことにして、次の成形のためにタタラを数点用意しました。次の成形も焼成失敗による作りなおしで、失敗の原因が確かなうちに矢継ぎ早に作ろうと思っているのです。問題は乾燥具合なので、早めに作っておいて、長く乾燥させたいのです。これ以上失敗すると個展に間に合わなくなります。今後は慎重かつ手早く作っていく必要があります。陶彫制作も慣れが生じて気持ちが緩むと、このような事態になって再度気持ちを引き締めていかなくてはならないと考えます。神の悪戯か戒めか、つくづく陶彫は難しいなぁと思います。明日も継続です。