週末 テーブルを支える柱を彫る

新作のテーブル彫刻「発掘~突景~」のテーブルを支える柱を彫る作業を今日行いました。柱は3本あり、三角形のテーブルを3点で支えることになります。柱はテーブルを突き刺して上部に伸びていくようにしました。新作の「発掘~突景~」は、旧作「発掘~角景~」や「発掘~曲景~」にあるテーブル下に吊り下がる陶彫部品はなく、テーブルの上に配置する3点の陶彫部品があるだけです。柱のデザインは三角形を取り入れて、極めて単純な抽象形態にしました。ちょうど現代彫刻の父ブランクーシの作った無限柱のような按配で、三角柱が重なっていくパターンにしました。柱は塗装などの特別な処理はせず、彫り跡を残したままにしようと思っています。木材は彫ったままの方が美しいと感じているので、そのままにします。その分、彫り跡をどう残すかが課題になり、鑿の切れを見せることになるのです。私は陶彫と木彫のコンビネーションをよくやっていますが、木彫を継続的にやっているわけではありません。鋸の歯や鑿の研ぎに慣れているとは言えず、今回も四苦八苦して久しぶりの木彫に取り組みました。それでも木材の彫り跡が好きで、いつもやっている陶彫とは違う魅力があるのです。今日は一日をほとんど木彫に費やし、工房の床には彫った木屑がかなり落ちていました。作業終了時に散らかった木屑を掃除しましたが、明日も木彫は継続です。陶彫の土練りと木彫では使う筋肉が異なるようで、久しぶりの木彫に筋肉がワナワナしています。私の年齢では筋肉痛が出るのは当分先になるようで、今はダルさが残っています。夕方、家内と東京にある雑貨店にブロックサンダーを買いに出かけました。その店で扱っているメーカーのものが一番使いやすいので、車でやや遠出をしました。ブロックサンダーは明日さっそく試してみます。

2つの道筋について

今日のタイトルは私の二足の草鞋生活に関するものです。ひとつはウィークディの仕事についてのことです。新型コロナウイルス感染症予防のための緊急事態宣言が今も神奈川県に出されていますが、そろそろ宣言が解除されて、仕事が通常勤務に戻りそうな気配があり、その道筋をどう作っていくか、職場で話し合いを持ちました。そこで来週1週間を通常勤務の準備期間に当てることにしました。来週月曜日に職員を全員集めて、私から今後の流れを伝えようと思います。もちろん人と人との距離を充分に確保して、久しぶりに全員で打合せを持ちます。私たちの職種は神経質になりがちな一面もありますが、ともかく業務を再開して通常に戻さなければならない使命もあるのです。今後の年間計画の練り直しもあります。さまざまなことを精選しないと立ち行かないこともあります。1週間という準備期間はどうしても必要で、部署ごとに打合せをしなければならないのです。これは職員全員の力を結集して臨みたいと思っています。もうひとつの道筋は創作活動についてです。これもいよいよ時間との勝負になってきました。陶彫部品の窯入れはあと2回必要ですが、乾燥がどこまで進むのか心配の種はつきません。乾燥にしても焼成にしても自分の力ではどうにもならないもので、陶彫制作の辛い部分でもあります。明日からの週末はテーブル彫刻の柱の木彫に当てます。木彫は自力で何とかなるものなので、陶彫に比べると神経の使い方がまったく違います。7月個展がどうなるか、まだ分かりませんが図録のための撮影日は今月31日(日)に予定しているので、何とか完成に漕ぎ着けたいと思っています。ゴールは見えているのに、焦りばかりで気が立っています。職場は組織を動かしながら成果を上げていくものですが、創作活動は私一人が動いていくものです。どちらの道筋も切迫した状況にあり、日々緊張感があります。これを楽しめる余裕がないのが残念ですが、今は目前のものに対して頑張っていくしかないのです。

小品を1点廃棄することに…

今年作っている陶彫の小品「陶紋」は5点ありましたが、窯出しをしたところ5点のうち1点に罅割れがあり、修整不可能と判断して廃棄することにしました。廃棄を決めた1点は、彫り込み加飾を一番細密にやっていたので残念に思いました。私の彫刻作品は石や木ではなく、主な素材を陶土にしています。陶土による造形は焼成が制作工程にあるため、最終段階で全てが水泡に帰することがあり、こればかりは仕方がないことです。まさに陶彫の宿命とも言うべきもので、自己表現の優劣に関係なく作品は淘汰されていってしまいます。原因をいろいろ考えたこともありましたが、はっきり分からないことも多く、今でも宿命を受け入れていくとしか言いようがありません。ともあれ今年の「陶紋」は4点になりました。前にも廃棄した陶彫は数多くあって、工房の裏にハンマーで叩いて割った作品の欠片が積んであります。この窯は一度深夜の停電で電気が切れたはずでしたが、他の陶彫作品には影響はありませんでした。それだけでも救われた気持ちです。嘗て大きな陶彫部品が割れたときは落ち込むこともありました。30代初めの陶彫を始めた頃は、割れることは日常茶飯で、それでも精一杯手間をかけて作っていました。失敗作品を捨てるに捨てられない思いに駆られたこともありました。窯出しの日に布団をかぶって一晩悩み、翌日に失敗作品をハンマーで割る作業をしたこともありました。最近はあまり割れることがなかったので、小品を1点廃棄することは珍しいことです。今でも多少の落ち込みはあります。こればかりは慣れるものではありません。気を改めて今晩も窯入れをしています。最終制作工程で自分の手の届かないところに作品を置くのは、1点廃棄があった後ではなかなか辛いものです。炎神の悪戯とも思えるし、逆に得体の知れないものに畏怖を持つこともあります。それでも陶彫は面白いと感じていて、この素材に長年関わっているのです。

慣れてきた在宅勤務

神奈川県は緊急事態宣言が今月末まで延長される見込みです。私の職場はテレワークは出来ず、職場で扱っている個人情報も持ち出せず、在宅勤務でやれる仕事は限られています。職場には毎日数人の職員しか出勤しておらず、しかも人と人との距離をとっているため、職場でも孤立して仕事をしているケースが目立ちます。私たち管理職も交互に在宅勤務をしています。そんな具合なので他の職場の同じ専門分野の職員と連絡が取り難く、横浜市全体に関わる専門分野の仕事はなかなか進まない状況です。その分、私は在宅勤務に慣れてきました。ただし、週末とは意識が違うので、工房に出かけても落ち着かないのです。陶彫制作に焦る気持ちはあっても、思い切り制作できるのはやはり週末に限られてしまいます。在宅勤務ができる時に何をやっておこうか、職場が通常化した時に何をやっておけばいいのか、そんなことも考えながら専門分野の資料を自宅に持ち帰ってきています。資料の読み込みくらいしか出来ませんが、その意見集約は職場にある私専用のパソコンでなければ、事務局に通じていないのです。来月になって緊急事態宣言が解除された時に、職場全体をどう動かしていくのか、そのシュミレーションもしています。今の現状は私が社会人になって初めてのことばかりで、先行きの不透明感に不安が煽られますが、これは日本全国が抱えている問題なので、同じような問題を抱えている職場が数多あることが心の救いです。これが契機になって区内の近隣にある他の職場の管理職とよく話すようになりました。普段でさえ職場の中でも一人職で、最終判断を求められる立場なので、こんな機会に仲間意識が一層強くなるのは歓迎すべきことでしょう。慣れてきた在宅勤務ではポジティヴ・シンキングになれるように心がけたいと思っています。

深夜に窯を見に行く

今朝と言っても午前1時過ぎですが、停電が発生しました。我が家は小高い丘の上にあって、対面にはたくさんの戸建て住宅が見渡せますが、そこは停電をしていないようで、ところどころに明かりが灯っていました。停電は広範囲なものではなく、この一角だけかも知れず、ネットで見てもそんな情報はどこにもありませんでした。大方送電線に何かがあって、一時電気が止まったのかもしれません。私はもう就寝していましたが、家内に起こされてしまいました。家内と私で冷蔵庫はどうなっているか、パソコンはどうなっているかと言いあっているうちに、工房で窯入れしていることに私は気づき、これが一番気になりました。1時間以上停電が続いたため、私は雨が降る中、午前2時に工房へ向かいました。家を出る直前に停電は復活しましたが、念のため窯の温度を確認に行きました。私の作品は釉掛けをしておらず、焼成途中に何かあっても大きな影響はないはずだと思っていました。確認した窯は再稼働を始めていてホッとしましたが、釉掛けでもしていようものならば、全てアウトになってしまうこともあります。そこは焼き締めの強みであり、一旦窯が切れてもまた徐々に温度を上げていく過程で、何もなかったかのように陶彫は仕上がっているものです。過去にも幾度となくそんなことがありました。ただし、制作工程が切羽詰まっている時に、こういう災難は勘弁してほしいと思いました。窯入れをする度に無事焼成が終わってくれることを祈っているのはこうしたことがあるためです。震災の時もそうでした。東日本大震災の時はたまたま窯入れをしておらず、工房の棚に並べてあった小品が落ちていないか心配しましたが、それらは全て大丈夫だったことを思い返しました。今朝は自宅に戻って二度寝をしてしまいました。安心したことでよく眠れたのではないかと思っています。

「聚景」印のデザイン

私の立体作品は、陶彫による部品を組み合わせて構成する集合彫刻で、ギャラリー等で展示する際に別々に箱詰めした陶彫部品を取り出して、番号を確かめながら組み合わせていきます。工房では全体像を考えながら部品を別々に作っているのです。今まで数多くの集合彫刻を作ってきましたが、同じような部品が夥しい数になり、どの部品がどの作品を構成するのか混乱してしまうことになりかねません。そこでそんな混乱を防ぐために、陶彫部品ひとつずつにそれぞれ違う印を押し、番号をつけています。印は石材を用いていますが、彫刻作品の素材が陶なので印は和紙に捺印し、そこに番号をつけ、作品の見えない部分に貼っています。つまり新作には新しく彫る印を押しているのです。新作の「発掘~聚景~」の完成が近づき、いよいよ今年も新しい印を彫ることになりました。印も今まで相当な数を彫っていますが、私は伝統的な篆刻に拘らずに、小さな抽象絵画と思って、氏名の文字を大胆にアレンジしています。便宜上やっている作業ですが、これも隠れた創作活動で、印のもつ小宇宙を楽しみながら作っているのです。いずれ日陰の存在である印が表に出ることがあるのでしょうか。書家に言わせればルール違反のヘンな印ですが、私の楽しみのひとつと言えそうです。陶彫制作と併行して長年の間、印を作っていると自分のデザイン傾向が分かってきます。新しい空間獲得のために印も紆余曲折していますが、それでも文字のバランスだったり、彫る部分と残す部分の関わりだったり、絵画的な思考が読み取れます。毎年もっと大胆にやってみようと思っていて、文字として読めそうもないところまで構成がいってしまうこともあります。もうひとつの陶彫作品「発掘~突景~」も印を作る予定です。

週末 陶彫制作の正念場

今日は朝から工房に篭りました。大作「発掘~聚景~」では屏風と床を繋ぐ陶彫部品が残り数点になり、それらの成形をやっていました。いずれも大きな陶彫部品ではありませんが、数多く作らねばならず、切迫した焦りを感じました。途中で混合している陶土が足りなくなり、土錬機を回す手間があり、焦りがさらに増長してきました。5月31日(日)を図録用の写真撮影日に決めてあり、そこから割り出して、次の週末までに何をすべきかを考えました。その際に窯入れは何回くらい必要かを考えました。今日の夕方に小品「陶紋」5点を含めた7点の窯入れが出来ました。水曜日か木曜日にもう1回窯入れを行ないます。その窯入れは「発掘~突景~」の陶彫部品3点で、窯の温度が安定し下降し始めたら、柱の木彫をやらなければならず、まさに陶彫制作は正念場を迎えています。午後は菩提寺に家内と母の遺骨を取りに行きました。今月末は母の四十九日もあって多忙を極めた1ヶ月になっています。ついでに雑貨店に蝶番を購入しに行きました。これは「発掘~聚景~」の屏風を繋ぐ金具になるのです。窯を焚いている日は工房が使えないので、その日を職場勤務にしようと思っていますが、外会議が少しずつ増えてきて、なかなかうまく調整がつきません。頭を過ぎるのは7月に個展があるのかどうかで、結論は来月になってギャラリーせいほうから連絡が来ます。どちらにせよ撮影はやっておこうと思っています。焦りからくるものなのか胃腸の具合の悪い日があります。それでもリフォームが完了した自宅にいると、すっきりした空間が目前にあって気持ちが救われます。創作活動は精神的なものに占められていて、ひとつクリアすると心が楽になっていくのが分かります。この精神的なものは常に前向きなもので、決してネガティヴなものではありません。非日常に生きているわけですから、生活がかかっているわけではなく、自分を快い状態に保つアイテムなのだと自分に言い聞かせているのです。

週末 自宅リフォーム完成&陶彫制作

今日の午前中に自宅リフォームを担当してくれた業者がやってきて、最終チェックを行なった後、リフォームが完全に終わったことを伝えてくれました。自宅は30年前、亡父が残してくれた植木畑に建てました。因みに農道を挟んだ別の植木畑に工房があります。自宅は築30年の間、一度もリフォームをすることなく過ごしてきましたが、昨年の大型台風によって屋根や外壁に雨漏れが生じ、雨樋も壊れてしまったために、外装の大がかりな修復工事を行なったのでした。NOTE(ブログ)のアーカイブによると昨年の11月23日(土)に外壁工事が始まったという記載があります。12月27日(金)に外装工事が完了し、次の段階として内装のリフォームを計画しています。設計が始まり、システム・キッチンを選びにショールームを訪れたのが今年の2月8日(土)だったようです。実際の工事が始まったのは3月23日(月)で、それから1ヶ月半は不自由な生活を強いられました。リフォームは完成してみると、実に素晴らしい空間を創出してくれる結果になりました。箱詰めした荷物がそのままの状態になっていて、断捨離をしながら片づけをするのにまだまだ時間がかかりそうですが、私にとって生涯最期の住空間になるであろう自宅はかなり満足を与えてくれています。新型コロナウイルス感染防止のために外出自粛になっていることも、今後の荷物整理に役立つと考えるようにしました。そうでなければ、家内は演奏活動が忙しくて、ずっと自宅に篭ることが出来なかったからです。私も家内も漸くリフォームが終わったという気持ちになったところで些か疲労が出てきました。午後私は工房に行きました。疲労があっても制作工程は待ってくれず、屏風を並べ、床に陶彫部品を置いて、あとどのくらい部品が必要なのか見積もりました。さっそく繋ぎ用の陶彫部品作りに着手しました。幸い気温が高くなってきたので、陶彫部品の乾燥が早く進んで窯入れも早々に出来そうです。今月末までに新作が全て完成するかどうかヒヤヒヤしています。毎年こんな危うい綱渡りをしていますが、今までも気持ちに余裕が生まれることはなかったように思います。明日も制作は継続です。

読書癖で保つ外出自粛

職場勤務と自宅勤務を正副管理職で交互にやっている生活が続いています。先行きが見えない不安を抱える中で、こんな事態は社会人になって初めてのことですが、海外での留学を含め長い学生生活を送ってきた私は、暇人として生きた時間が多かったために現在も暇を持てあますことなく日常が送れているのではないかと思います。身分が公務員なので民間の大変さから比べれば呑気なことを言っていると受け取られるかもしれませんが、責任職としてさまざまな事態を想定していることも確かです。私の若い頃からの日常には読書が欠かせない存在です。私は決して速読ではありませんが、鞄に年中書籍を携帯し、常に栞を挟んでいて読書途中であることが日常化しているのです。私はどこでも時間があれば頁を捲っています。創作活動にはそれなりの構えが必要ですが、読書は難なくその世界に入っていける気楽さがあります。前にどこかで書きましたが、一冊の書籍の中には広いイメージ世界があって、頭が冴えている時には、活字から紡ぎ出されるイメージは鮮明で豊かです。映像等のビジュアル表現とは異なり、活字を手掛かりに自分の蓄積された記憶を総動員して、自分勝手な世界を作り上げるのが読書の醍醐味と言えるのです。日常を忘れさせてくれるひと時は、私にとって至福な時です。ただし、難解な書籍は自分の語彙に対する力量の有無や全体の意味把握、つまり理解力に対する己への挑戦があり、時には諦めの気持ちも湧いてきます。若い頃は堪え性も忍耐もなく途中で放棄してしまった書籍が多々ありました。今は若い頃に比べれば体力がなくなっているにも関わらず、知力はそこそこ身についているようで、数行読んでは立ち止まる専門書にも何とか食らいついています。そんなことで遊べる自分は、新型コロナウイルス感染症の影響で外出自粛が呼びかけられていても、読書癖で保つことができるのです。現在のNOTE(ブログ)に頻繁に読書感想が出ているのは、そんなことに関係しています。

「第4章 東京時代」について

「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第4章 東京時代」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。この章では母子が日本に到着し、父である野口米次郎が迎える場面から始まっています。「『おとうさんよ』とレオニーはイサムの顔を私に向かせようとした。しかしイサムは私を見ることなく、目をすぐに閉じた。まるで、父親というものが存在するとは考えたこともないようだった。実際、彼は私がアメリカを去ってしばらくしてから、妻が生んだ子供であった。~略~イサムは何でも動かなかったり音をたてないものは嫌いだった。何も遊ぶことがないと、障子を開けたり閉めたりし始めた。」マリー・ストープスの日本滞在日記が1909年に書かれ、こんな描写がありました。「私には、彼女(レオニー)の人生が灰色の影に覆われているように感じられました。でも彼女の小さな息子はその正反対で、まん丸い目にバラ色の頬をして、房のついた毛糸のとんがり帽をかぶり、まるでピクシーのようでした。まだ四歳だというのに、お母さんと女中の間の通訳をつとめていました。~略~なんとラフカディオ・ハーンの家に行き、奥さんやご家族の人たちにお会いしたのですよ!普段ハーンの家は聖域として外界から守られていますから、これはめったにない素晴らしい機会でした。私がお招きにあずかったのはN夫人(レオニー)の友情のおかげです。前にも言ったように、彼女はハーンの長男に英語を教えていて、心から慕われているからです。」来日した米人記者に日本の家について説明するレオニーの言葉がありました。「たいていの家は小さなサイズで、木や竹や瓦でとても軽く作られていますが、これは地震からの損害を少なくするためです。一般的に、最も経済的で実用的な家のサイズは、八部屋くらいある、二階建てのものですが、これが家に関する日本の共通規格でしょう。」最後にイサムの芸術に関しての文章を掲載しておきます。「最初からイサムの芸術的名声は、アメリカ人としての自己と日本人としての自己の狭間、つまりアイデンティティの相克の中から生まれた。~略~五歳のときのイサムの最初の彫刻の成功は、偶然ではなかった。レオニーは実際に何年もの間、最初の公の展覧会を準備していた。イサムがかろうじて14ヶ月の時、レオニーはヨネ(野口)に、イサムをアートスクールに送るという考えを書き送っている。この考えは徐々に彼女の頭のなかで固まっていき、時に並々ならぬものになった。~略~単に人と違っているのみでなく、文字通り差異の具現者であるイサムにとって、この『やり方』は二つの全く違う文化的なアイデンティティの間での生涯にわたる格闘を意味しようとしていた。」

日系彫刻家の出発点

現在、世界的な彫刻家であるイサム・ノグチに纏わる2冊の書籍を読んでいます。イサム・ノグチは氏名の由来通り日系アメリカ人です。特異な環境の中で誕生し、人種差別があった時代に育ち、やがてグローバルな世界にアーティストとしての地位を獲得する人ですが、日米を往来する中で、2つの文化を複眼で見つめる視点を有し、それが前衛としても新しい価値観を持つことになった稀有な作家とも言えます。彼の成育歴や考え方やその独創的な感覚を理解しようと、私は実際の作品を見たり、書籍に親しんできました。今読んでいる一冊は「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)で、これはイサム・ノグチ本人の伝記を著したものです。もう一冊は「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)で、イサム・ノグチの母の生涯を扱った書籍です。今のところ「石を聴く」より「レオニー・ギルモア」を優先して読んでいます。それはイサム・ノグチの出発点をより深く具体的に知りたいと私が考えたからです。アーティスト本人の目覚ましい活躍よりも、独自なアートを形成するに至った最初の契機、その過程に興味関心があるためで、それには母の生涯を扱った「レオニー・ギルモア」の内容をまず押さえるべきかなぁと思いました。イサム・ノグチが母と共に幼少時に住んだ日本の風物がどんな形であれ、アーティストに与えている影響は計り知れないものがあると私は察しています。書籍の内容から幼子イサムは大変利発な感じを受けるし、母が息子をアーティストにしたいという強い思いがあることが見受けられます。アーティストは勝手に育ってくれるものではなく、誰かが意図的に、または周囲の人からの影響で育っていくものだろうと思っています。特異な環境の中で誕生した者は、その独自性を保ちながら特異なアーティストになっていくものだと書籍を捲っているうちに感じ取れるようになりました。私が注目したのは辛い環境からの好転で、自分の宿命をプラスに変える力です。イサム・ノグチほど特異でないにしても、アートとして優れたものを作り出す力は、自分の中に何かを探り出して身につけていくものではないかと思っています。

「第3章 ロサンジェルス時代」について

「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第3章 ロサンジェルス時代」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。「将来の彫刻家イサム・ノグチが、新聞のニュースに予期せぬ初登場をしたのは、誕生後ようやく1週間になろうかという時だった。ロサンジェルスの『ヘラルド』紙のレポーターが誕生を聞きつけて、ロサンジェルス郡病院の病室で、難産の後の身体を休めているレオニーのもとへやってきた。~略~ヨネ・ノグチのベイビー、病院の誇り 作家の白人妻、夫に息子を贈る(『ロサンジェルス・ヘラルド』1904年11月27日)」一方、野口は既に日本に帰国していました。「ノグチはニューヨークの通信社の従軍記者として八月に日本へ向かった。彼の妻は彼が日本へ発ったのと同じ頃にロサンジェルスにやって来て、それ以降当地に滞在している。~略~レオニーは、ヨネには彼らしく生きてほしいと、彼が望んだ返事をよこした。しかし子供のためには、いったん結婚と子供の存在を認めてほしいこと、そしてその上で法的に離婚してほしい、そうすれば彼はどんな女性とも自由に結婚できる、と書いてきた。」その後、レオニーはカリフォルニアでテントによる我が家を建てています。レオニーはそのことについて雑誌に詳細な記事を書いていて、当時の生活ぶりがよく分かります。旧知の修道女に書いた文章を引用します。「あれから色々ありましたが、一番にお伝えしたいのは私に男の子が生まれたことです。もうすぐ1歳になります。彼は日本人の血を引く元気な赤ん坊で、父親とよく似た穏やかな黒い目をしています。この1年ほどは、この赤ん坊に手を取られていますが、夫の文学上の細々とした仕事も手伝っています。夫ノグチはまだ東京にいて、大学でアメリカ文学についての講義を持たされているようで、この冬には辞めたいと考えていたのに、そうもできない状況のようです。だから、おそらく私の方が、来春にも赤ん坊を連れて日本へ行くことになると思います。」野口からの誘いの手紙もありました。「レオニー、これは重要な手紙なんだ。じっくり考えて、答えてほしい。以前僕は君に日本に来るように言った。僕はまたそのことを考えている。君と僕たちの赤ん坊にとって、そのほうがいいと僕は思っている。なぜかって?僕は赤ん坊を育てるのを助けることができるし、彼は父なし子にならないですむ。これはとても重要だと思う。また、君にとっても日本で生計をたてるほうが簡単なはずだ。君は学校教師として働けるし、仲間としても仕事ができる。」レオニー母子を日本に駆り立てたのは、実は野口からの切望ではなく、国際結婚が齎す弊害にあったようです。「ロサンジェルスはこれまでと変わりなく明るい気候であったが、日本人移民が歓迎されなくなりつつあるという怪しい雲行きを、レオニーは感じとっていたに違いない。ロシアの熊を相手に勇敢な戦いを挑んだ『小さな黄色い男たち』への熱狂は、太平洋におけるアメリカの利権や西海岸の安全を脅かす新たな黄禍論として、日本人への漠然とした恐れに取って変わられつつあった。」1907年の「国籍離脱法」がレオニーに日本行きを促す結果になりました。その法は「国際結婚をした女性の市民権は、その夫によるものとしている。」というわけで、「新しい法案はレオニーを大変困った立場に陥らせた。ヨネ・ノグチの妻とされている彼女はもはやアメリカ市民ではないのである。」

5月RECORDは「緑」

今年のRECORDのテーマを数ある色彩から一色選んで採用しています。5月は季節感のある「緑」にしました。相原工房から眺める木々の美しさにいつも心が安らぎ、陶彫制作の休憩には青葉若葉を楽しんでいます。これは亡父の残してくれた植木畑のおかげで、植木そのものは無造作になっているので亡父が造園業を営んでいた当時に比べれば商品になりませんが、木々の緑が齎してくれる憩いに、私は時折精神的に助けられているのではないかと感じています。緑にはさまざまな色彩の幅があり、それらが混在している山々の美しさを芳醇な空気の中で感じ取れる幸福は、何事にも代えがたいと思っています。そんな緑色を今月のRECORDのテーマにしています。しかしながら先月から続いていた自宅のリフォーム工事が漸く終了したにも関わらず、RECORD制作場所であるダイニングに雑貨を散らかしているため、なかなか下書きのRECORDに彩色できず、時間ばかりが過ぎてしまっています。今までもRECORDの下書きが先行し、ダイニングテーブルに山積みされていることもありましたが、今回ばかりは大変な状況になっていて、果たしてRECORDの進行が追いつくのかどうか不安に駆られています。一日1点の制作は、辛うじて下書きだけは守っているのですが、色彩をテーマにしている今年は未だ彩色をしていないRECORDが1ヶ月以上もあって、当初の色彩に対するイメージが薄れつつあるのも事実です。リフォーム工事で家内と一緒に今まで蓄積してしまった衣類や雑貨を断捨離していましたが、その影響はRECORD制作に及び、過去の残務整理と未来への創作が気分的には相入れないものだということが分かってきました。それでも何とかRECORDを先に進めていこうと思っています。10年以上も継続しているRECORDなので、ここが頑張りどころなのかもしれません。  

週末 L字型陶彫部品の制作

今日は朝から工房に篭ってL字型陶彫部品の制作に励みました。L字型陶彫部品というのは、昨日から始めた屏風と床置きの陶彫を繋ぐ陶彫部品のことです。屏風は床から垂直に立ち上げているため床に接する陶彫部品は、屏風面(垂直)と床面(水平)を合わせ持つL字型の陶彫部品になるわけで、今回の「発掘~聚景~」では、6枚の屏風のうち3枚が床に繋がっているので、L字型陶彫部品を3点作ることになりました。昨日準備したタタラを使って、3点の成形をやってみました。過去にもL字型陶彫部品を作っていて、今回が初めてではないのですが、作品によって形態が異なり、過去の作品の応用は出来ないと思いました。その都度、形態を考えていくしかないなぁと思い、とりあえず3点の繋ぎのための陶彫部品を試みました。あれこれやっているうちにほとんど一日がかりになってしまい、これら3点の彫り込み加飾は次回にします。これは創作性の薄い部品ですが、屏風と床を繋ぐ重要なものになります。集合彫刻を作っていると、目立つ部品と目立たない部品があって、それが上手く機能をすると全体構成として成功するのだろうと私は思っています。あたかも人間の社会のようで、ウィークディは職場を管理する立場にいる自分は、これはちょっと面白いなぁと感じます。目立つ人ばかりでは組織は成り立たず、目立たないけれど重要な役どころで力を発揮する人もいて、また人と人とを上手に繋ぐ人もいます。組織の歯車がきちんと回っている時は、それぞれの持ち味を持った人が要所を締めていて、私は安心安全の上に立っていられるのです。今日作ったL字型陶彫部品は全体構成上は目立つものではありません。屏風に接合された陶彫部品を目立たせ、また床置きの陶彫部品を目立たせるための地味な繋ぎに過ぎませんが、これがなければ屏風と床の一体感は生まれないのです。 L字型陶彫部品の他に繋ぎに使う陶彫部品はまだまだ必要です。地味で重要な部品制作はまだ続きます。

週末 「聚景」屏風と床を繋ぐ陶彫制作開始

週末になりました。ゴールデンウィーク5日間でやり残した陶彫制作を今日から始めました。それは「発掘~聚景~」の屏風と床置きの陶彫を繋ぐ陶彫部品の制作で、まずは屏風から床へ接する第一の陶彫部品から始めることにしました。屏風に設置する陶彫部品は全てボルトナットで屏風に付けていきますが、屏風から床へ接する陶彫部品は基本的には床置きになります。ボルトナットで付けた作品からの繋ぎ方をどうするか、組み立てを考えながら成形をしていくのです。今日の午前中は屏風に全ての陶彫部品を設置してみて、そこから床までの長さを測り、垂直に立ち上がる陶彫部品の大きさを割り出しました。6枚の屏風のうち床に繋がる屏風は3枚あります。繋ぎの陶彫部品は3点必要です。そのために座布団大のタタラを数枚準備しました。一晩放置した後、実際の成形は明日から行います。ゴールデンウィーク5日間が終わっても、まだ陶彫制作を優先させている理由は、陶彫には乾燥に時間がかかるからで、完全に乾燥しないと窯入れができないのです。その点、テーブルの油絵の具の滴り作業やテーブルの柱にする木彫は、時間を気にしないため後回しにしてしまうのです。まず、陶彫制作で思うところは窯入れ、つまり最終工程である焼成の難しさにあると言っても過言ではありません。陶土の厚みをほぼ均一にしておくのも焼成があればこそで、陶芸の技巧的な世界からこの世界に踏み込んだわけではない私は、基本的なことで足を掬われることも結構あります。それが面白いと言えばそれまでですが、立体を空洞にする工夫が常に求められているのです。今日から始まった屏風から床へ接する陶彫部品も、人体彫塑のように無垢な粘土で作るのであれば、それほど難しい作業ではありません。垂直から水平へL字型になる陶彫部品をどう作るのか、それを空洞にするためにどんな工夫をするべきか、明日の成形はそんなことも考えながら慎重にやっていきたいと思っています。

「第2章 ニューヨークとニュージャージー時代」について

「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第2章 ニューヨークとニュージャージー時代」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。まず「第2章 ニューヨークとニュージャージー時代」では、彼女が学校を終えて日本人である野口米次郎と結婚の誓約書を交わすまでの経過を追っています。レオニーは大学時代からの親友であったキャサリン・バネルとの共同生活を始めます。教壇に立つこともあれば編集や翻訳の仕事をやっていた彼女たちは決して楽ではない生活だったようですが、キャサリンの手紙によって衣食住の詳細が分かります。その頃レオニーは詩の翻訳の新聞広告を見つけ、依頼人ヨネ・ノグチ(野口米次郎)の手伝いをすることになり、仕事上のパートナーになっていきました。野口はレオニーの翻訳を相当気に入っていたようで、縋るような気持ちでいたことが野口の手紙によって分かります。ただ、野口は別の女性に恋愛感情を持っていて、レオニーとの仲は複雑なものになっていました。「この当時のヨネの写真を見ると、なかなか彫りの深い、立派な身なりをしたハンサムな青年で、頬がこけていて、少々女性っぽい口元をしており、渡米前のどこかぼんやりとした表情はなくなって、代わりに意志の強さが顔に表れている。レオニーのほうは女学生のような雰囲気をまだ残しているのだが、6月で30歳の誕生日を迎えようとしていた。どう考えても彼女は野口の理想の女性のタイプではなかったが、まさにこの彼女の資質が彼にとっては便利なものだった。野口が8月末にニューヨークを発ったときはすでに何かが起こっていた後だったのだろう、両者は明らかに悩んでいた。」本文の中にこんな一文がありました。「ヨネ・ノグチの宣誓書(1903年11月18日)私はレオニー・ギルモアが法律上の妻であることを、ここに宣誓する。」続く本文にこんなこともありました。「ところで、そもそもこの結婚の宣誓書は法的に有効なのであろうか。端的に答えるならば、否だ。かなり昔ならば、有効だったかもしれない。ニューヨーク州は、他の州に先駆けて1849年に『慣習法による結婚』を認めた。~略~恐らくレオニーの両親も、慣習法による結婚生活を送っていたのではないだろうか。結婚の契約を証明する何らかの証拠の他に、慣習法による結婚かどうかを判断する基準は、同棲しているかどうか、周囲に結婚していると思われているかどうかという点である。」また別の女性に関する記述もありました。「エセルが再び野口の前に現れたことが、野口とレオニーの破局につながったかどうかは別として、野口のなかでこの二人の女性に対する思いは全く別のものだということは、疑いようもない。レオニーの存在は、これまで野口にこのようなロマンティックだが無意味な詩を書かせるようなインスピレーションを起させたことはなかったが、エセルにはそれができた。」結局エセルとは結ばれることがなかった野口でしたが、最後に私はこんな箇所に注目しました。「レオニーは非常に誇り高く、自立したボヘミアンであったので、5月に妊娠がはっきりしてすでに妊娠二期に入ってからも、頑固に野口に知らせようとはしなかった。一方野口のほうはというと、『人は夫や妻をまるで靴下や下着を取り替えるように取り替える』とまでは思っていなかったが、とにかく忙しくてこの問題に正面から向き合う時間がなかった。」

「第1章 生い立ち」について

「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第1章 生い立ち」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。まず「第1章 生い立ち」では生誕から大学を終えるまでの経過を追っています。「レオニー・ギルモアの出生証明書によると、彼女は1873年6月17日、ニューヨーク市マンハッタン地区で誕生している。誕生の地は、7丁目185番地の聖ブリジット広場である。母親の名前はアルビアナ、父親はアンドリュー・ギルモアであり、出生地は不明である。」続いて貧困家庭だった一家が娘にどのような教育を与えたのか、こんな箇所がありました。「1879年末には、協会(倫理文化協会。ドイツ系ユダヤ人フェリックス・アドラーによって設立。)は更に、授業料無料の労働者学校をつくることを発表した。勿論ギルモア家は、6歳半になるレオニーをこの小学校に通わせることに同意の署名をしている。この決断がレオニーのその後の運命を決定したといっても過言ではない。この時代、貧しいアイルランドからの移民で、父親はほとんど失業し、母親だけが働いているような家庭では、運がよくても退屈な公立学校に通うことができるのがせいぜいで、たいていは学校にも通えず、幼少時より針子となったり、工場に働きに出たり、女中奉公したりといったところだっただろう。だがこの労働者学校は、レオニーにそれまでは全く考えられなかったような人生の目標や目的を与えてくれた。~略~学校という場所は、『生徒に既成の知識を詰め込むところではなく、生徒が自ら努力して、本人の能力に見合う程度まで知識や真理に到達することができるよう手助けするところである。学校とは、言わば能力を解放させる体育館なのだ。』これこそが、レオニー・ギルモアの型にはまらない考え方を育てた労働者学校の教育観であり、そしてまた彼女がイサムに施した教育である。」さらに次の進学先についてこんな文章がありました。「レオニー・ギルモアは、何かと論議を呼ぶ公教育の制度から無縁で終わるように運命づけられていたようだ。彼女の前に新しい道が開かれたのは、新学年ももうすでに始まっていた時だった。ボルティモアに新しく設立されたブリンマー高校に空きがあったのである。この学校はエリートのための私立学校だが、奨学金を提供していた。」続くブリンマー大学に進学し、レオニー・ギルモアは当初、化学を専攻しましたが、政治学と歴史学に変更し、パリのソルボンヌ大学にも留学する機会を得たのでした。ブリンマー大学には留学生として津田梅子ら3人の日本人が学んでいたようです。レオニー・ギルモアは7学期を修了し、学位を取らずに大学を去っています。「大学側の記録には、『健康上の理由』で中退したことになっている。『健康上の理由』というのは便利な言葉で、レオニーの受けていた奨学金が前年で終了しているという財政上の理由から、卒業に必要な多くの試験に合格できなかったことまで含む便宜上の理由かと思われた。」今回はここまでにします。

GW⑤ 連休の制作を振り返る

ゴールデンウィーク5日目になり、今日で連休が終わります。連休中は自宅と工房の行き来だけで、ほとんどどこにも出かけず、陶彫制作一辺倒でした。敢えて言えば仏壇を購入しに家内と仏具店に出かけたくらいです。仏壇は家内の実家にあったものを既に自宅に持ってきていて、さらに私の実家にも大きな仏壇があります。私たちはそれぞれ両親が他界しているので、この際小さめの仏壇をふたつ購入して並べて置くことにしたのでした。リフォームした自宅にはふたつの仏壇を収納する場所を確保してあります。先祖に対する考え方は人それぞれですが、私たちは最低限の儀礼でやっているのかもしれないと思いつつ、今回のリフォームを契機にこうしたことも考えたのでした。さて、5日間の連休でしたが、改めて陶彫制作を振り返ってみたいと思います。初日に立てた制作目標のうち、テーブル彫刻「発掘~突景~」に設置する3点の陶彫部品の成形と彫り込み加飾は全て完了しました。後は乾燥を待って窯に入れようと思っています。小品「陶紋」5点の成形は終わりましたが、彫り込み加飾は今ひとつで、完了までは至りませんでした。屏風と床置きの大作「発掘~聚景~」は手がつけられず、屏風と床を繋ぐ陶彫部品の制作は出来ませんでした。テーブルの油絵の具の滴り作業も同じで、ついに時間が取れませんでした。長いと思っていた5日間でしたが、制作目標の6割程度しか出来なかったことは反省です。5日間を通して時間の使い方が緩かったように思います。それを踏まえて今後の制作工程を見直していこうと思っています。明日は職場に出かけ、今後の見通しを立ててくる予定です。新型コロナウイルス感染拡大の影響は、さまざまなところに出てきていて、在宅勤務になり時間が出来ても創作活動に邁進することがままならない状態です。人の心理はそんな簡単なものではないのが実感としてあります。それでも気持ちが落ち込まないのは創作活動があるが故とも思っております。

GW④ 「陶紋」の制作継続

ゴールデンウィークの4日目を迎えました。一昨日から小品「陶紋」の制作に入っていて、今日も制作を継続しました。新作の「陶紋」は5点作る予定です。そのためのタタラを準備していたので、今日は昨日に続いて4点の成形を行いました。成形した「陶紋」は全部で5点になり、次の段階としてそれぞれ成形したカタチに彫り込み加飾を施すのですが、暫し悩んでみた結果、若い頃に旅したギリシャの山間に点在する遺跡に思いを馳せることにしました。風景の中に遺跡だけがポツンと存在する光景は、実に不思議な感覚を私に齎せました。街の中ではなく樹木に覆われた自然の中に取り残されたようにあった遺跡はギリシャだけではなく、東南アジアにも見られました。木の根が遺跡を覆っていく姿は、人工の構築物が自然に還っていくように思えて、地球が傷ついた箇所を瘡蓋によって治癒していくとイメージした私は、嘗てそのテーマで詩作をしたこともありました。自然にしてみれば、人が街を作ることは痛みを伴うのではないかと私は勝手に想像したのでした。自然の治癒力によって地球が保護されているようにも感じました。それは現在の日本にも当て嵌まり、度重なる自然災害によって、思いあがりすぎた私たちの生活は戒められているのではないかと思っているのです。現在流行している新型コロナウイルスも地球規模で私たちを翻弄し、それによって私たちは何かに気づかされているとも思っています。昔から人類は自然と対峙してきました。自然の一部にウイルスが存在し、それを克服すべく私たちは戦ってきたのです。また自然との融和を求め、折り合いをつけてきました。古代文明は私たちの祖先が自然と亘り合ってきた歴史の結果遺産です。風景には人がコントロールしている部分と、そうではない部分が混在しています。自然の全てを私たちが支配することは間違っていると私は考えます。バランスをとって自然と私たちの生活が共存していくこと、それを私は彫刻に籠めたいと思うようになりました。「陶紋」は小さな作品ですが、そこに籠めようとする思いは自分の身の丈に合わないくらい大きなものです。そんなことをあれこれ考えていたら、彫り込み加飾が遅々として進まない状況になってしまいました。

GW③ 「陶紋」の新作に取り掛かる

陶彫による小品は、10数年前のギャラリーせいほうで開催した最初の個展から出品し続けています。まず最初は「球体都市」40数点を何年かに亘って展示しました。「球体都市」は既に売れた作品もあります。次に始めたのが「陶紋」で現在も続いているシリーズです。これは「陶紋」というタイトル通り、陶彫表面に施した彫り込み加飾を全面に出しているもので、基本となる形態は毎年変えています。今年は三角形を基盤にした形態を作ることにしました。三角形はテーブル彫刻に設置する陶彫部品から発想したもので、その変形として単体で成立する作品にしました。「陶紋」はサイズが小さいので撮影の際に野外で撮ることが多く、また持ち運びも楽なので様々な場所に出かけて、カメラマンに撮影をお願いしてきました。ホームページのLandscapeに「球体都市」や「陶紋」の野外撮影をした画像がアップされています。これら小品が大きく見えるのはカメラマンの技量によるところが大きいのですが、光や水や空気を感じる画像は我ながら美しいと感じます。今年作り始めた「陶紋」は上部の三角形を微妙に歪ませて、そこに箱庭的な風景を取り込む試みをやっています。小さな作品ほど大きな世界観を持ち込むのが私の流儀です。ひとつひとつの作品にイメージを凝縮させていくので、大作の集合彫刻とは違った神経の使い方をしています。今日のところはまず最初の1点を試してみました。明日も継続ですが、1点ずつ心を籠めるので遅々として進まないこともあります。彫刻は精神の産物だなぁと感じるのは大作よりも「陶紋」を作っている時で、技巧的には大作の方が辛いのは事実ですが、手が動かなくなるのは「陶紋」の方です。じっと見つめていてかなり時間が経ってしまうことも多々あります。周囲を遮断して作品のことだけを考える時間は、連休あればこそで感染症防止の外出自粛も一役買っているのかもしれません。

GW② 「突景」3点目の陶彫制作

テーブル彫刻「発掘~突景~」はテーブルの上に3点の陶彫部品を置く計画で、昨日から3点目の陶彫制作に入っています。3点目の陶彫部品は一番小さなサイズで、テーブルの真ん中に置く予定です。成形から彫り込み加飾までを7時間くらいかけて作りました。工房ではラジオを流していて、FMヨコハマから音楽と共に、DJが自宅で過ごす方法をさまざま提案していました。新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため緊急事態宣言が出されていて、ほとんどの人たちが自宅で過ごしています。こんな時だからこそ自宅で出来ることを考えてみようとDJは呼びかけていました。今年のゴールデンウィークはまさに前代未聞の民族移動のない連休になっています。工房に篭って、まるで世相に関係のないことをしているのは私だけではないかと思うところです。私には創作活動があって良かったと家内に言ったら、私がやっていることは感染症の流行があろうがなかろうが、普段から特殊なことをやっているから他者との関係性が薄いんだよと答えてくれました。そう言えば最近はゴールデンウィークにどこかに出かけた記憶はありません。陶土に面と向かって格闘していることばかりで、私は人の動静には無関心だったなぁと思っています。3点目の陶彫制作が一段落ついたところで、次の作品の準備をしました。座布団大のタタラを数枚掌で叩いて作りましたが、次は小品を作るつもりです。小品のイメージは現在作っている陶彫部品と無関係ではありません。テーブル彫刻「発掘~突景~」も同じことが言えますが、サイズでどうであれ、私はいかなる場合でも風景を作っている錯覚に囚われています。建築物が発想の土台にあるためか、陶彫は大きな建造物の雛型のようであり、または箱庭を作っているような感覚を持っています。それを「発掘~聚景~」のように屏風と床置きで見せるか、「発掘~突景~」のようにテーブルに仕立てるかの違いで、造形的主張を試みようとしていることの根は同じです。小品「陶紋」も風景を作っているのです。小品は明日から取り組みます。

GW① 連休の制作目標

今日からゴールデンウィークとして5連休になります。この5日間の制作期間をどのように使うか、見通しをもって制作に励みたいと思います。まず、乾燥に時間が必要な陶彫制作を優先させることにします。現在取り組んでいる「発掘~突景~」の3点目の陶彫制作をまず行うことにしました。次に「発掘~聚景~」の屏風と床置きの陶彫部品を繋ぐ陶彫部品の制作。これは実際に作品群を全て置いてみないと大きさや数が分かりませんが、早めに段取りを組んでやっていきたいと思います。さらに時間があれば、例年個展に発表している小品「陶紋」の新作数点を挙げておきます。これはイメージが既にあって、すぐにでも作り始められる状態です。今回は「陶紋」を5点ほどを考えていますが、小さな作品と言えども結構手間暇がかかる作業になり、大作に引けを取りません。陶彫制作はどんなサイズであれ、土練などの準備のために立て続けに制作が出来ないところがあり、テーブルに油絵の具を滴らせる作業を、陶彫制作の隙間に入れていきたいと考えています。その他にテーブルを支える柱の木彫がありますが、5連休でそんなに欲張っても出来ないかもしれません。今日はゴールデンウィーク初日にして気持ちの良い天気になりました。気温がぐんぐん上がり、夏日と言ってもいいような体感でした。私は半袖のシャツになり、多少汗が滲みました。3点目の陶彫部品のために座布団大のタタラを数枚準備しました。一日放置して明日から成形に入ります。まとまった連休は通常の週末とは違い、継続した作業が可能なので制作に弾みがつきます。「発掘~突景~」の3点の陶彫部品は彫り込み加飾まで完了するのではないかと思っています。既に2点の陶彫部品が彫り込み加飾まで完了して乾燥を待っている状態ですが、三角形を基盤とする立体造形は今までの雰囲気と異なっています。そういう意味で「発掘~突景~」の完成が楽しみになっています。明日も継続です。

例年とは異なる5月です

新型コロナウイルス感染拡大が、日常生活に影響を及ぼす状況がこのところずっと続いています。5月になっても通常の生活に戻れる気がしません。そんな中ですが、今月の創作活動について考えてみたいと思います。創作活動は幸いにも職場での困り感とは大きく異なり、緊急事態宣言が延長されても大きな変化はありません。ただ、恒例の7月個展が開催できるのかどうか心配しているところですが、発表時期がずれ込んでも制作工程に従って、粛々と作っていく私の姿勢は崩れるものではありません。制作の姿勢としては、発表ありきではなく制作ありきなので、どんな状況であろうが制作の手は止めないつもりです。今月はゴールデンウィークがあり、他県移動を含めた外出自粛が呼びかけられています。私は創作活動第一主義なので、自宅と工房の行き来しかゴールデンウィークの予定を考えていません。今月中には陶彫による新作は全て完成させる計画でいます。5月31日(日)に図録用の写真撮影を予定しているため、必ず完成させるしかないわけで、そのためにゴールデンウィークを制作一辺倒で考えている次第なのです。陶彫制作の他にRECORD制作も遅れを取り戻すべく頑張ろうと思っています。自宅のリフォームが大方完成し、RECORD制作が出来る環境が整ってきました。鑑賞は緊急事態宣言の延長によって美術館や博物館、劇場や映画館の休館が続くかもしれず、足を運んでオリジナル作品に触れる機会が今後もあるのかどうか、皆目分からない状態です。個性的な映画を扱うミニシアターは存続の危機に晒されているとも聞いております。私の好きな分野が風前の灯火であることに心が痛みます。もちろん作品を扱うギャラリーも同じです。新型コロナウイルスが一刻も早く収束してくれることを祈るばかりです。読書は創作の刺激にもなるイサム・ノグチ関連の書籍を読み漁って、今月も有意義な1ヶ月にしていきたいと思っています。

外出自粛の4月を振り返る

今日で4月が終わります。今月は新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、首都圏の外出自粛から全国的な規模による緊急事態宣言に移行した1ヶ月になりました。職場も在宅勤務が始まり、年度初めに恒例として行われていた総会も書面総会に変わり、今後の見通しがまったく立たない中で、現在も数人の職員が出勤しております。業務がストップしている状況はいつまで続くのか、職員全員が不安に駆られていることは確かです。そんな中ですが、今月の創作活動を振り返ってみたいと思います。今月は「発掘~聚景~」の陶彫部品の補充や乾燥した陶彫部品の窯入れ、さらに今月から始まったテーブル彫刻「発掘~突景~」のテーブル部分の砂マチエール施工と油絵の具による下地塗装、その上に置く陶彫部品の成形や彫り込み加飾を行いました。緊急事態宣言があって美術館や博物館、劇場や映画館が休館し、また外出自粛のため鑑賞に行けなくなったことで、週末は工房で作業するしかありませんでした。内に籠るとはこんなことを言うのだろうと思い、創作活動においてはこれもまた良しと考えて過ごしていました。今月は私事で辛いことが2つありました。ひとつは母の死去で、感染症の世相を反映して簡略した葬式しかやってあげられなかったことです。もうひとつは自宅のリフォーム工事で、リフォーム自体は住み易い環境を作ることで歓迎すべきことでしたが、そのために不自由な生活を強いられ、家内に相当なストレスがかかってしまったことです。私は職場と工房を行ったり来たりしていたのでストレスは軽く、家内に申し訳ないと思っています。母のこともリフォームのことも、そのうち心は癒えるだろうと思っていますが、大きなことが今月になって一気にくるとは思いもよりませんでした。RECORDは下書き先行が習慣化してしまっています。何とかしなければと思いつつ1ヶ月以上も日が過ぎています。読書はイサム・ノグチ関連の書籍を読んでいます。来月こそ通常の生活に戻れることを願っていますが、果たしてどうでしょうか。

昭和の日は彫刻制作一辺倒

例年ならゴールデンウィークに入り、観光地がごった返しているニュースが流れていますが、今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、全国に緊急事態宣言が出されていて、外出自粛が呼びかけられています。以前私はこの時期に栃木県益子や茨城県笠間の陶器市(陶炎祭)を見に行ったこともありましたが、近ごろは工房に立て籠もっていることが多く、緊急事態宣言がなくても遠出はしていません。ましてや自宅のリフォーム工事が最終局面を迎えている今年は自宅にいるしかない状況です。工房はそんな私に心の癒しと造形への展望を与えてくれる唯一の場所です。心の癒しとしては亡父が残してくれた植木畑に工房が建っているため、毎年春から初夏にかけて新録が美しく、それを眺めているだけで心が安らぐのです。今日は好天に恵まれて青葉若葉が風に揺れていました。気温も寒くもなく暑くもなく絶好の創作活動日和でした。私は朝から工房に篭っていました。新作のテーブル彫刻「発掘~突景~」の陶彫制作に追われていて、成形したものに彫り込み加飾を施していました。じっと陶土を見つめ、鉄の掻き出しベラで彫り込みをし、木のヘラで表面を整えていきました。私はそうしている時が一番幸せを感じている時かも知れず、それが証拠に時間はあっという間に過ぎていくのです。それは単純な作業のようでいて、全体の量感を見ながら彫り込み文様を考えていくもので、機械的な作業ではありません。これはそれほど職人的な技巧を必要としないのですが、全体とのバランスを常に確かめているので、創作的と言えばそうかもしれず、私にとっては多少の緊張を伴った楽しい作業なのです。先日窯入れした陶彫部品3点が焼きあがっていました。何度も書いている通りこの焼成という制作工程が、全工程の中で一番スリリングでエキサイティングです。窯の中は炎神が支配する高温になって、私の手が及ばないところで作品たちは変貌を遂げるのです。石化するという言葉通り、全身に硬質な鎧を纏った姿になって作品たちは帰還してきます。これがあるからこそ私は陶彫をやめられないのです。昭和の日は彫刻制作一辺倒で過ごせる幸福を満喫させていただきました。明日は今月最後の日なので職場に出かけます。

テーブル彫刻「発掘~突景~」について

現在作っているテーブル彫刻の題名を「発掘~突景~」にしました。同じ大きさのテーブル彫刻は、一昨年前に発表した「発掘~角景~」、昨年発表した「発掘~曲景~」があり、今回はそれに並ぶ3作目になります。「発掘~角景~」はテーブルの下に陶彫部品を吊り下げ、「発掘~曲景~」はテーブルの上と下に陶彫部品を設置し、今回はテーブルの上だけに陶彫部品を置く作品です。テーブルの高さは今回の「発掘~突景~」を一番低い位置に設定するつもりでいます。つもりとしたのは柱の木彫をまだ始めていないので、あくまでもイメージの中でそうしようと考えているためです。上に置く陶彫部品は3点にします。3点の大きさは大中小というバリエーションを考えていて、いずれも頂点が尖っている形態にしています。今までのテーブル彫刻も同様ですが、作品がテーブルである以上、テーブルを支える脚が必要です。脚は木の柱を彫って作品の一部にしています。木彫にも作品の世界観を投影させる必要があり、鋭角なカタチを彫り出そうと考えています。私がイメージする木彫のカタチの源泉は、若い頃に旅したルーマニアの民家にあった木の門や家を支える柱に施された文様です。日本の社寺にも龍や雲の文様が彫られた柱がありますが、私は日本の緻密な具象彫刻よりも、ざっくりとした抽象性の強いルーマニアの建築造形に惹かれてしまいます。それはルーマニアの造形を基盤とした現代彫刻の父ブランクーシにも通じていて、形態に対する憧れに近いものが私の中に存在しているのです。私はルーマニアの、というよりブランクーシの「無限の柱」の残像から逃れられないと言った方がいいのかもしれません。木彫はカーヴィングであり、モデリングの陶彫とは立体に対するアプローチが異なります。双方の表現方法を合わせてひとつの作品にまとめ上げるのが、新作のテーブル彫刻「発掘~突景~」なのです。

「レオニー・ギルモア」を読み始める

「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)を読み始めました。副題に「イサム・ノグチの母の生涯」とあって、現在読んでいる「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)に連動する書籍になります。現在の私の読書はイサム・ノグチ一色になってしまっていて、ちょうど自分の新作が佳境を迎えている最中のため、これが格好な発奮剤になるのではないかと期待をしています。本書「レオニー・ギルモア」は新しく購入したものではなく、書棚の整理をしていた時に見つけた蔵書でした。いつ購入したものか忘れてしまいましたが、関連した書籍ではイサム・ノグチ本人の著作による「エッセイ」も見つけました。これも追々読んでいく予定です。本書の前書きでこんな一文に気が留まりました。「彼女の人生の大半は、詩人である夫ヨネ・野口と、より有名な彫刻家である息子イサム・ノグチを支える役割に徹してきた感がある。~略~ニューヨークのロウアー・イーストサイドの貧しい家で生まれたにもかかわらず、エリートのシンボルであるブリンマー大学やソルボンヌ大学で教育を受け、日本人詩人ヨネ・野口と結婚しようと決心した時には内なる人種差別への葛藤と戦い、外国の地でシングル・マザーとして孤軍奮闘しながら、息子を20世紀の第一級の彫刻家へと妥協を許さない態度で導いたのである。芸術家の母というものは、その子の発達の段階において、決定的な役割を果たしているものだ。」本書はレオニー・ギルモア本人が日々の記録を得意としなかったために、親友に宛てた夥しい数の手紙の資料を基に構成されたようです。イサム・ノグチの生涯はもちろんのこと、特異な環境にあったその母にも私は興味があって、「石を聴く」共々本書を楽しんで読んでいこうと思っています。

週末 テーブル彫刻制作継続

今日も朝から工房に出かけました。自宅はリフォーム工事のクロス貼りが入っていて、家具は壁際から真ん中に移動し、収納されている荷物が外に出してあるため、足の踏み場もない混雑ぶりです。家内は荷物の断捨離をコツコツ始めていて、私は後ろ髪を引かれながら工房に行ってしまいます。整理を手伝わなければならないところを申し訳ない気持ちでいっぱいです。毎回ゴミが大量に出て、ゴミ袋が玄関に積まれています。実は新作の制作工程も余裕がないので、工房に行っても私はゆっくり休めないのです。昨日に続き、今日もテーブル彫刻の上に置く陶彫部品の成形を行っていました。陶彫部品は2点目になります。三角形を基にした造形ですが、素材が陶土のために定規で引いたような面にならないところがつらいと思っています。ただし、彫刻は工学的な計算に基づく建築や土木ではないので鋭角に見えればそれで可としています。幾何形体を芸術作品に持ち込んだのは、余分な要素を削ぎ落とした簡潔化の極みのようなもので、それが人間の視覚や触覚に与える美的秩序を示したものではないかと思うのです。幾何形体を美しいと感じるのは私だけではないはずです。高校時代にモンドリアンの絵画を見て、誰でも出来そうなこんな単純な絵画がどうして価値があるのか、その時は表層的な疑問を持ちましたが、あの単純さに辿り着くまでに画家が試行錯誤したことを考えれば、一概に単純とは言い切れないものを感じました。歴代の巨匠とは比べものになりませんが、私も人体塑造から出発して建築的な構成に造形が移行していったのは、同じ理由があってのことでした。私はまだ彫刻の概念を捨てきれないので、形態の簡潔化に留まっていますが、前時代的なオブジェを後生大事に作っているとも言えます。とにかく陶彫部品は2点立ち上がりました。今日はさらに乾燥が進んだ陶彫部品3点に仕上げと化粧掛けを施して、夕方窯に入れました。順調に進んでいるように見えますが、今後の制作工程を考えると苦しいのです。明日は久しぶりに職場に出勤します。

週末 テーブル彫刻の陶彫開始

週末になりました。在宅勤務が増えてきている昨今は週末になっても実感がありません。それでも工房に出かけると週末の雰囲気が漂います。今日は新作のテーブル彫刻に置く陶彫部品の成形を開始しました。新作のテーブル彫刻は三角形を基本にした形態を作ろうとしていて、昨年発表した「発掘~曲景~」と対比する作品にしようと思っています。鋭角な面を持つ形態を、紐作りやタタラの陶土で作るのは難しいのですが、頑張ってやってみようと思います。テーブルに設置する陶彫部品は3点あります。昨年の「発掘~曲景~」はテーブルの下にも陶彫部品を吊るしましたが、今回は上部に置くだけです。テーブルの位置を低くしようと計画していて、上から眺めるような作品にしたいのです。彫刻にとって人が眺める視点は大事なもので、標準の大人の身長に合わせて高さを決めたり、子供の視点ではどのように見えるのかも考慮して形態をデザインしています。私にとってテーブル彫刻は大変面白くて、過去にもいろいろな試みをしてきました。テーブルを刳り貫いて、造形の一体化を図ったり、床に落ちる影も考えてみたりしました。新作のテーブル彫刻は今まで試みた作品に比べれば単純な構造ですが、これは奇を衒うものではないので最初のイメージを大切にしようと決めました。テーブルに貼った砂マチエールが乾燥してきたので、油絵の具による下地塗装をしましたが、絵の具を散らせたり、滴らせたりする作業はこれからです。陶彫部品の雰囲気を見ながら色彩は決めていこうと思っています。明日はさらにもう1点陶彫部品の成形を行なうつもりです。

イサム・ノグチ 師から距離をとる

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第10章「大樹の陰から外へ」と第11章「頭像・胸像制作者」のまとめを行います。パリでブランクーシの工房で働き、その影響下にあったノグチは、やがて自分自身の目指す方向を定めていきました。「『ぼくはある種の形態学的特性を切望していた。この時期、細胞の構造に対する深い興味を増大させていき、古生物学、植物学、動物学の書物を集めた』。この初期の段階ですでにノグチは幾何的形態と有機的形態のあいだの対照に惹かれていた。この二項対立は一生のあいだ継続する。」やがて「『二次元の板の一枚を折り曲げたり、あるいは別の一枚と並置することによって、三次元と認めうるものが可能になる。これは彫刻を苦しめているすべての中間段階、石膏とブロンズを迂回する手段として、ぼくに衝撃を与えた。』」とありました。これは我が国の抽象彫刻の先駆者堀内正和の造形導入と似ていて、新しい彫刻への扉には共通したものがあると感じました。奨学金を打ち切られ、アメリカに戻ったノグチは経済的重圧もあり、またブランクーシから距離をとりたいと考えていたこともあって、方向転換を図ったのでした。「自分は抽象の預言者に『とくにふさわしい』と宣言したばかりなのに、今度は抽象を放棄し、パリ滞在以前から熟達していた技法ー肖像彫刻ーに向かう。~略~肖像のほとんど、とくに初期の作品は、モデルの実存にはいりこむノグチの力量を示す。『結局のところ、人間とは興味深いものだ』とノグチは言った。」次にノグチの交友についての記述がありました。「バックミンスター・フラーはノグチより八歳年上で、ラムリーやブランクーシのあとを継いで青年ノグチの師となった。~略~どちらの男も想像力に価値をおき、どちらも科学に魅了された。ノグチはフラーを『ぼくらの時代の詩人』と呼んだ。フラーはノグチを『科学者兼アーティスト』と呼んだ。~略~もうひとり、この当時のノグチの人生に重要な役割を果たし、肖像彫刻のモデルとなったのはモダンダンサー・振付家のマーサ・グレアムである。」こんな出会いからノグチの次へのステップが始まるのでした。

書籍の整理

昨日から在宅勤務で、自宅にある書籍の整理を行いました。自宅のリフォームでリビングの壁一面に書棚を作ってもらったために、数十年も床に積んであった大量の書籍を新しい書棚に収めました。公務員になった頃に手に入れた自分の専門分野の全集20数冊が床の奥底から出てきた時は、仕事に慣れていなかった当時のことを思い出し、懐かしさでいっぱいでした。私は祖父が宮大工、父が造園業という職人家庭に生まれ、実家にまともな書籍がなかったことで、中学校の入学祝いに母が私に百科事典の全集を買ってくれました。それが大変役立ったことも思い出し、また家内が嫁入りの時に別の百科事典を持参してきました。私の蔵書は一気に増えましたが、私の知識への渇望と読書癖はその時かなり満たされました。20代の滞欧中にもドイツ語の書籍を手に入れてきましたが、これはもう読めそうにありません。日本で購入したものでも難解なものが多いのですが、これらは何せ日本語なので、近いうちに読破をするつもりでいます。全般的に私の蔵書は創作活動の刺激になるものが多く、また最近は展覧会の図録に立派なものがあり、大変な情報量が収められているので、これも書棚に入れることにしました。図録は工房の棚にも収めてあって、合わせると大変な量になります。これも学生時代に図録が買えなかった気持ちの揺り戻しではないかと思っています。叔父2人は学者で、一人は哲学者(カント)、もう一人は考古学者(中国史)で、彼らの蔵書数に比べれば私は足元にも及びませんが、先祖代々の職人気質と彫刻家としての知識を併せ持つと自負する自分としては、学者でもないのに結構な蔵書があるのではないかと思っています。自分の学んできた知識を概観する大きな書棚を見て、自己満足に浸りつつ、まだまだ思索を深めることを止めてはいけないと思った次第です。