映画「田園の守り人たち」雑感

東京神保町にある岩波ホールを、私は今に至るまで幾度訪れたことでしょう。最近は横浜のミニシアターに通うことが多くなりましたが、岩波ホールで上映された映画は鮮やかに記憶に留めています。フランス映画「田園の守り人たち」は岩波ホールのネットで知り、最終上映時間に合わせて横浜からやってきたのでした。私はミレーの絵画のような美しい田園風景を味わいたかったのですが、これは戦闘シーンが少なくても歴然とした戦争映画で、第一次世界大戦下のフランスの田園に生きた人々の暮らしぶりと、戦争に駆り出された男たちや銃後で生活を支えた女たちのリアルな日常を描いていました。図録に物語そのものの描写があったので引用いたします。「戦場に向かう若者、農園には母が残され、妻が残され、年老いた男が残される。女たちは種を蒔き、畑を耕し、乳を搾り、家畜に餌をやる。いつ戦場から恐れている知らせがくるかもしれない不安はみじんも見せず、男たちの帰還を心待ちにしながらも感情を押し殺し、女たちはただひたすら農作業を続ける。彼女たちが感情を露わにするのは、まるで悪魔の訪れのようにやってくる突然の訃報に慟哭する時だけだ。だが、日常は続く。」(斉藤綾子著)この映画で柱となっているのは田園の守り人たる母親で、彼女の息子や娘を見る物憂げな眼差しに私は惹かれていきました。そこに絡んでくるのは雇われた若い女で、最終的に田園から離れられない母とは別の生き方を彼女はしていくことになります。図録よりその個所を引用すると、「オルタンス(母)が男は決めたしきたりや約束を守ろうとする過去に生きる女とすれば、ソランジュ(娘)が現在、そしてフランシーヌ(雇われ人)は自立を欲する未来の女性を鮮やかに描き出す。」とありました。農業器具にも時代の移り変わりを感じさせる場面があり、また人の生き方にも現代に通じるものが伺える映画でした。

TV放映「ヒロシマの画家」に感銘

先日、NHKのBS番組で放映された「ヒロシマの画家」に感銘を受けました。番組は、広島生まれの画家四國五郎の生涯を描いた内容で、第二次世界大戦の原爆投下後の広島市街の惨状を、画家の活動を通じて雄弁に語っていました。この時まで私は画家四國五郎を知りませんでした。番組に登場するガタロさんは、清掃員をしながら原爆ドームを描いている画家として、嘗てTV放映があったので、こんな人もいるのかと知りましたが、故人になった四國五郎とガタロさんは師弟関係にあったようです。第二次世界大戦が終わる頃、四國五郎はシベリアに拘留されていたため、原爆の広島投下に出会っていません。日本に引き揚げてきた時に故郷の惨状を知り、とりわけ彼にとって実弟の死が衝撃だったようで、その面影をいつまでも大切にしていたのでした。画家は原爆投下を直接知らなかったため、ヒロシマを語り継ぐのには葛藤があったと紹介されていましたが、それでも大戦前の広島の在りし日の風景を絵画化し、大戦後のヒロシマを象徴として描いて見せました。番組内で私の心を揺さぶった1点の絵画があります。死んだ母が横たわる背後で呆然としている子どもを描いた絵画です。広島の美術館に収納されている絵画で、アメリカの研究者が訪れていました。アメリカでは著名な人たちが画家四國五郎の絵画に込められた思いを研究対象にしていて、核兵器が齎す人類への圧迫と警鐘を、アメリカの大学の講義等で扱っていることが分かりました。広島や長崎に原爆が投下されて早74年、核の脅威を私たちは永遠に忘れてはならないと痛感いたします。

雲蝶作「道元禅師猛虎調伏」について

新潟県魚沼市には名匠石川雲蝶の残した数多くの木彫や絵画があって、僅か2日間の旅行とは言え、私は大変な刺激をもらいました。石川雲蝶は、自分とは異なる表現方法をもつ彫刻家ですが、その常軌を逸した作品群は、私に弛まぬ創作意欲と震える魂の在処を齎せてくれました。その中でも西福寺開山堂の天井を彩る「道元禅師猛虎調伏」は圧巻でした。西福寺開山堂の解説にはこんな一文がありました。「本堂の左手に連立された開山堂は、江戸時代末期1857年(安政四年)に二十三世・蟠谷大龍大和尚によって建立された。開山堂の向拝ならびに堂内には、幕末の名匠と謳われる石川雲蝶作の彫刻・絵画・漆喰鏝絵の数々が施されていて、その作品群が日光東照宮にも劣らない素晴らしいものであることから、いつからか『越後日光開山堂』と呼ばれるようになった。」開山堂の内装全体に広がる浮き彫りは、その一つひとつの具象表現に鬼気迫る力があります。ついそこに見入ってしまい、複数の物語がそこに彫りこまれているのに気づきます。それぞれの場面をじっくり見ていくと、欄間には遠近法を取り入れた彫刻があったり、また若い女性が幽霊となって登場している場面もあって、その表現の多様性に驚かされます。天井全体のテーマは「道元禅師猛虎調伏」で道元禅師の行為が描かれていました。解説書からその箇所を拾います。「この物語は『道元禅師が天童山への行脚の途中、山中で虎に襲われるまさにその時、手にした拄杖を投げつけ座禅に入られた。すると拄杖がみるみると龍に姿を変え、禅師の御身を守った。』という場面である。」そのドラマチックな場面を、ハリウッドのスペクタクル映画でも観ているように錯覚し、迫ってくる圧倒的なパワーを感受しつつ、仏の教えに導かれてしまうのでした。他の多くの仏教美術に見られるような静かに冥想する雰囲気はなく、アクティヴな捉えとしての宗教感がそこにあったように思いました。全ての量感が絶え間なく動いて、祈る者や鑑賞する者の周りをぐるぐる回っているように感じられました。鑿の彫り跡をよく見ていくと、迷いのない立体表現にため息が出ました。また、透かし彫りの上に岩絵の具で彩色されていて、その生々しさも手伝って、一層劇画風に見えたのかもしれませんが、旺盛な創作意欲が私にも何らか力を与えてくれるようにも思えました。私も陶彫制作を頑張るぞと改めて決意し、西福寺開山堂を出ました。こんな芸術的な意欲を高める作品との遭遇があったことを幸運に思います。「越後のミケランジェロ」は本家イタリアのミケランジェロより、私にとってさらに身近な存在でした。彫工石川雲蝶は、酒や博打に明け暮れた破天荒な生き方もしましたが、豪快な仕事も残してくれたのが幸いでした。

彫工石川雲蝶の人物像

先日、夏季休暇を取って訪れた新潟県魚沼市。そこで目にした「越後のミケランジェロ」と称される江戸時代の彫工石川雲蝶の傑作の数々に、私は心を奪われました。とりわけ永林寺と西福寺開山堂に残されている木彫の超絶技巧とその迫力には、ただただ感服するばかりでした。石川雲蝶とはどんな人物だったのか、酒と博打に関するエピソードが残されている一方、職人気質の塊だった仕事ぶりに私も気持ちが奮い立ちました。永林寺で購入した書籍に次の文章がありました。「爾来、十三年間永林寺に留まった安兵衛(雲蝶)は、酒と博打にその大半を費やしたが、一たび筆を採り、ノミと刀を手にすると寝食を忘れて仕事に打ち込んだ。江戸で一度、越後三条でも一度結婚していたが、魚沼ではついぞ妻子の話を口にした事がない。弁成和尚も、ことさら身の上のことは触れなかった。また、安兵衛は弟子を育てることに執着がない。二人の男が、安兵衛のもとに弟子入りらしい真似事をした時期もあるにはあったが、安兵衛はただの一度も情を示したことはなかった。世事世情の絡みや仕来りに、安兵衛は殆んど冷淡と思える身勝手さを通し続けた。春風に流れる雲のように、江戸から越後へ漂い、自からの運命さえも意識することなく、狂気に動かされて彫り続けた作品が、根小屋の永林寺にこの男の生涯を今も物語っている。」(鹿毛直歩著)これは幸福な人生だったのか、彫工として由緒ある寺での仕事を与えられ、現在も市の指定文化財として大切に保存されている作品群を見ていると、羨ましさを感じるのは私だけでしょうか。永林寺では雲蝶の彫った天女が有名ですが、空を舞う姿(飛天)で表されていて、妖麗な素肌を顕して楽器を奏でていました。また天女の背中が見られるのも妙に生々しい印象がありました。天女に近い表現として迦陵頻伽が彫られていて、これは上半身には翼があり、下半身は鳥の姿でした。迦陵頻伽は極楽浄土を表す想像上の生物とされ、雲蝶が単なる彫工の達人でなく、仏教美術を熟知していたことが分かります。雲蝶の作品については西福寺開山堂に残された木彫を中心に、改めて稿を起こそうと思います。

週末 酷暑の工房

毎年この時期、空調のない工房は大変な暑さの中での作業を強いられます。大学生の頃から私は彫刻科のアトリエにおいて、厳しい環境の中で制作をしてきました。素材によっては野外だったり、工場のような広い空間だったりして、これは仕方がないようなところもあって、数十年の間に過酷な条件に身体が慣れてきたと言ってもよいと思います。身体が丈夫な者が彫刻家として生き残れるのかなぁと思ってしまうのですが、確かに周囲を見渡しても師匠や先輩諸氏は屈強な人が多いかもしれません。私は自分ではそんなに頑丈な人間ではないと思っていますが、30代から40代にかけて借りていた作業場でも、現在と似たような環境であったことを鑑みると、病気もせずにやってこられたことは、丈夫な自分に産んでくれた親のおかげなのだろうと思うようになりました。慣れのせいか酷暑の中での作業は結構進みます。額に汗して陶土と格闘していると、再びやってきた例年の感じに妙な安心が得られるのです。ただし、作業が一段落した後の疲労度が昔と違います。これは加齢のせいなのか、昔のように根性論で語れないものがあって、ちょっぴり寂しくなります。とくに工房から自宅に帰ってから疲労が顕著に出てしまいます。胃腸の具合が悪くなったりすると、少し前まではそうではなかったなぁと思っています。体力維持のために昼ごろは近隣のスポーツ施設に行って水泳をしてきました。水泳をすると身体がどのくらい疲れているのかが分かります。自分の意識と体調はやや異なるのが不思議なところです。今日はそれほど疲れた感じはなかったのですが、水泳の後で工房に篭って、精一杯彫り込み加飾やタタラを掌で叩いて数点準備したのが身体に応えたみたいです。工房には最近若いスタッフが来ています。今日は女子が2人いました。若返りがあって今は10代の子たちがいますが、私は彼女たちの熱中症を心配していました。私は数十年こんな環境で制作をしていますが、彼女たちは普段は空調の効いたところで制作していると思われるからで、工房の暑さは相当身体に応えているのではないかと察しています。夕方それぞれの家の近くまで車で送っていきました。

週末 宿泊研修から帰って工房へ

昨日から私の職種である市公務員管理職は、市外のホテルで宿泊しながら研修を積んでいました。昨日は「Society5.0」と題して、ICTがこれからの世代にどのように関わってくるのか、私たちはそれにどう対処すべきか、横浜国大教授による講演を聞きました。その後、小グループに分かれて現状の課題を話し合うワークショップを行いました。夜は懇親を深める会が催され、毎年のことながら今回も密度の濃い研修だったなぁと感じております。ホテルで朝食を済ませた後、自宅に戻ってきました。ちょうど気温が高くなっていた昼頃に工房に出かけました。先週末にタタラを準備していましたが、高温のため少し硬くなっていて、それでも何とか成形することが出来ました。彫り込み加飾をするために水を含ませた布を巻いてビニールをかけました。明日には表面が軟らかくなっていることを期待しています。陶彫成形には夏の温度を考える必要がありそうです。空調のない工房の暑さは半端なものではありません。2時間程度作業をしたらシャツは汗でびっしょりになりました。もう少し作業を続けたいと思っていたのですが、身体がまだ暑さに慣れていないため、早めに作業を切り上げました。夕方は職場のある地域に出かけて、祭礼の挨拶をしてきました。明日の作業をどのくらい続けられるか、明日は若いスタッフたちが来るので相談しながらやっていきたいと思います。

8月の制作目標

今月、職場では休庁期間を設定し、夏季休暇を取り易い状況を作っています。私も例外ではなく、今月は旅行も創作活動も共に邁進させていきたいと願っています。まず陶彫制作ですが、全体の計画として屏風の形式を採用します。そこに半立体の陶彫部品を接合していきますが、屏風の前にも陶彫部品が迫り出してきて、作品は床置きになっていきます。今回のイメージは屏風と床を使い、蒲鉾状の陶彫部品が長く連結していくものです。先月発表した「発掘~双景~」で指摘された動的な生命体をさらに発展させて、廃墟に陶彫が蛇のように蔓延る世界です。あまり情緒に流れすぎないように基本となる造形をきちんと踏まえた構築物を作ろうとしています。今月は屏風になる厚板を準備して、全体構想をまとめます。これはまとまった時間がないと捉えが難しいので、休庁期間をこれに当てます。石川雲蝶の複雑に絡まった天井浮き彫りとは表現が異なりますが、あのパワーに少しでも近づけたいと憧れているのです。陶彫部品は全体の要になるものを作ってみようと思っています。やや小さめのテーブル彫刻も準備します。これは今月はまだ手を出しません。陶紋もまだこれからです。RECORDは、自ら決めた通り今月も一日1点ずつ作っていきますが、過去の下書きの仕上げを併行して続けます。何とか下書きの山積みを解消したいと願っていて、これは夜の食卓で頑張るしかありません。鑑賞は美術館や博物館に積極的に足を運ぼうと思っています。観たい映画もあるので、これは大いに楽しもうと思います。夏季休暇での旅行は、ありきたりですが関西に行く予定です。家内の希望は姫路城、私は相変わらず関西方面の美術館です。往復の東海道新幹線の乗車券を手に入れました。読書は何を読もうか思案中で、書棚に未読の書籍が並んでいます。難解な哲学書もありますが、気分としては緩い書籍に手がいきそうです。今月も暑さに負けないように適度に頑張っていこうと思っています。

長梅雨だった7月を振り返る

今日は8月1日ですが、昨日まで旅行に出ていた関係で、7月の振り返りが出来ていません。今日振り返りを行い、8月の制作目標を明日立てることにしました。今年は長梅雨で夏を待ち焦がれていました。7月の終盤にやっと梅雨明けした途端に、昨年のような蒸し暑い夏がやってきました。体調を悪くした人も多いのではないかと察するところです。7月は恒例になった東京銀座のギャラリーせいほうでの個展がありました。個展は自分にとって1年間のターニングポイントになっていて、ここから来年に向けた創作活動が始まっていくのです。1年間の成果の集大成とも言えます。個展が終わるとちょっと気持ちが解放されて、展覧会に足を運んだり、夏季休暇を取って旅行しようという余裕が生まれます。7月の美術展では「ウィーン・モダン」展(国立新美術館)、「加守田章二の陶芸」展(菊池寛美記念 智美術館)、「メスキータ展」(東京駅ステーションギャラリー)、その他では新潟県魚沼市を旅行し、永林寺や西福寺開山堂、穴地十二大明神、龍谷寺で見た石川雲蝶の木彫りの数々、越後妻有「大地の芸術祭」で常設展示されている清津峡渓谷トンネルを鑑賞してきました。映画では「クリムト」(シネマジャック&ベティ)を観ました。個展があって多忙だった割には、鑑賞は充実していたように思います。とりわけ越後のミケランジェロと呼ばれる石川雲蝶の造形美には圧倒されました。鑿一本で彫り出した超絶技巧は、一見に値すると思っています。幕末の地方に凄い彫刻家がいたこと、彼が生涯をかけた作品を寺院が大切に扱っていることが誇らしく思えました。RECORDは食卓に山積みされた過去の下書きの仕上げ作業に、7月は熱中していました。まだまだ追いつきませんが、今月で遅れを取り戻す予定です。公務員管理職の仕事が軽減している今、RECORDを頑張ろうと思っています。読書は西欧関係を論じた書籍を読み終えました。まとめを次々にNOTE(ブログ)にアップしていきます。私にとって強烈な7月が終わりました。モチベーションはそのままで8月を過ごしたいと願っています。

夏季休暇② 「大地の芸術祭」の里を訪ねて

昨日から新潟県に来ています。昨日は石川雲蝶の巨大な欄間を幾つか見て度肝を抜かされ、また十日町に立ち寄って博物館に所蔵された縄文土器を見てきました。今日は現代アートに触れる旅をしようと決めていました。ここで3年に一度開催される越後妻有トリエンナーレに関しては2009年8月5日のNOTE(ブログ)に掲載があります。私は10年前にここに来ていて、「大地の芸術祭」の里をいろいろな展示作品を見ながら堪能していたのでした。今はトリエンナーレ期間でもなく、常設展示があるだけでしたが、トンネルに水を張った場面がポスターになっている箇所が知りたくて、この作品を目標に車を走らせました。その前に10年前にはなかった森の学校「キョロロ」に立ち寄りました。錆鉄の構築物が現代彫刻のようでいて、外観はかなり気に入りました。夏休みなので子供向けに昆虫の展示がありました。目標にしていた例のトンネルは清津峡渓谷にありました。制作者は中国人建築家のマ・ヤンソン氏。全長750mのトンネルは渓谷に沿って掘られ、途中に三か所の見晴所が設けられていました。見晴所から見る渓谷の美は素晴らしく、最後にあったパノラマステーションに「大地の芸術祭」のポスターになった水を張った見晴所がありました。水深は浅くて歩くことが可能で、トンネルの先端に行くと渓谷を背景に自分のシルエットが映し出され、所謂インスタ映えのする画像が撮影できます。水が鏡面になっているため、幻想的な世界が現れてきます。風景がアートによってさらに楽しめるものになっているのを大変心地よく感じました。トンネルには鏡面仕立てのトイレがありました。私はここを使わせてもらいましたが、不思議な感覚になりました。「大地の芸術祭」が行われている越後妻有は、まるで箱庭のような田園の美しい風景が広がっていて、ここに野外作品を展示すれば、風景との対話は面白いものになるだろうなぁと思った次第です。夕方、越後湯沢から上越新幹線に乗って東京まで帰ってきました。夏季休暇の2日間は充実していました。あっという間に過ぎてしまい、次の夏季休暇3日間に期待をしているところです。

夏季休暇① 越後のミケランジェロを訪ねて

5日間ある夏季休暇の2日を取得して、上越新幹線で新潟県魚沼市に家内とやってきました。目的は彫り物師石川雲蝶が残した木彫りの数々や水墨画を見て回ること。石川雲蝶の名を知ったのはテレビ番組だったように記憶していますが、西福寺開山堂の天井一面に施された彫刻「道元禅師猛虎調伏の図」をテレビ画面で見て、ただならぬ気配を感じていました。自分なりに石川雲蝶を調べていくうちに、ひとたび鑿を握れば「彫りの鬼」と化したという雲蝶が、越後のミケランジェロと称される由縁もわかった気がして、どうしても実物が見たくなったのでした。新幹線の越後湯沢駅からレンタカーを借りて、関越道を走り、堀ノ内ICで降りました。そこから数分で曹洞宗の名刹である永林寺に到着、さっそく天女が彫られた欄間が私たちを迎えてくれました。1855年から13年という歳月をかけて、永林寺に保存される作品を数々を制作した雲蝶でしたが、その時の逸話も有名で、博打好きな雲蝶が弁成和尚と賭けをしたようで「雲蝶が勝ったら金銭を支払い、弁成和尚が勝ったら永林寺の本堂一杯に力作を手間暇惜しまず制作する」というものでした。この勝負は和尚が勝って、後世に残る作品の数々が生まれたのでした。次に向ったのはこれも曹洞宗の名刹である西福寺で、ここの開山堂には「越後日光」と呼ばれている天井彫刻「道元禅師猛虎調伏の図」がありました。これには私は心底圧倒されて、暫し形容する言葉を失いました。この作品を保存するために開山堂の外観をさらに木造建築が覆っていたのでした。西福寺を最初に見た時は二重構造の何とも不思議な寺の作りだなぁと思っていて、その理由が分かりました。西福寺には雲蝶による襖絵「孔雀遊戯の図」が残されていました。木彫だけでなく、絵画にも力量をもっていた石川雲蝶。さらに次の場所へ私たちは出向いたのでしたが、穴地十二大明神を見つけることが出来ずに、住所のある周囲を車でぐるぐる回っていました。え?あの小さな神社がそうなの?と近づくと勝手に扉を開けて中に入るよう指示がありました。確かにそこにも雲蝶の浮き彫りがありました。ひょっとして未完成と思わしき作品があって、それはそれで興味が湧きました。最後に向ったのは龍谷寺で、ここの観音堂はインドグプタ王朝様式が取り入れられた独特な雰囲気の寺院でした。そこには獏や麒麟などが緻密に彫られた完成度の高い雲蝶の欄間がありました。これら石川雲蝶の数々の作品に関する考察や感想は別稿を起こそうと思っています。宿泊場所である越後湯沢に帰る途中に十日町市博物館に立ち寄りました。10年前に一度来たことのある博物館で、縄文土器のコレクションが有名なのです。もう一度縄文土器が見たくなってやってきたのですが、もう間もなくしたら新館が完成するらしく、そのせいか展示会場はやや狭くなっていました。それでも目指す土器を見つけて嬉しくなりました。

彫刻家飯田善國によるピカソ評

7月27日付の朝日新聞「折々のことば」欄に、彫刻家飯田善國によるピカソ評が掲載されていて、目に留まりました。「十歳で どんな大人より上手に 描けた 子供の ように描けるまで一生 かかった 飯田善國」とありました。まずこのコトバに惹かれてしまいました。鷲田清一氏の解説が続きます。「ピカソが生涯をつうじて追い求めたのは文明の〈外〉に出ること、すなわち『名を与えられる以前の事物の記憶』であり、『憧れながら文明人がもう二度と手に入れることのできない』荒々しい野生的な生命力だったと、彫刻家・詩人は言う。ピカソは安住と眠りと怠惰を嫌ったが、それは『同じ所にじっとしていられない』から。思えばこれこそ子供の真骨頂。『ピカソ』から。」とありましたが、ピカソについての詩人飯田善國のコトバは言い得て妙なところがあって、私の心を捉えてしまいました。ピカソはあらゆるものから子供のように解放されたいと願っていたのでしょう。ピカソは芸術家に成るべくして成ったと思っています。「安住と眠りと怠惰を嫌った」ピカソが生涯を通じて創作活動に励んだことはよく知られています。生きて呼吸をするように創作活動をしたのでしょうか。ピカソは目に見えたもの全てに創作を入れたくなって、食卓に並んだ魚さえも作品にしています。彫刻家で詩人だった飯田善國は、ご自身の立体造形ではステンレスを使ったモビールがありますが、それよりも私は詩人西脇順三郎のコトバに帯状のラインで結んだ平面作品に興味を覚えたことを思い出しました。彼の評論も秀逸で、「見えない彫刻」(飯田善國著 小沢書店)は学生時代の私の愛読書でした。ピカソを筆頭に現代美術の潮流をその書籍より学び、その中でも飯田善國が実際に滞在したウィーンの美術家の話は貪るように読んでいて、私もその後ウィーンに滞在することになったのでした。既に故人になってしまった飯田善國には生前一度もお会いしたことがありませんでした。因みに「見えない彫刻」には画家オスカー・ココシュカへの会見記があって、今も私の脳裏に刻まれています。時代が移って私ならフンデルトワッサー会見記が書けそうですが、そんな依頼があるはずもなく、昔のNOTE(ブログ)に書いた記憶があるくらいです。

週末 土練りから始めよう

朝から工房に篭りました。私は陶土を単身では使わず、計量器にそれぞれの陶土を乗せ、割合を決めて混合しています。前作の混合陶土はかなり余っていたのですが、時間を置いたため、やや硬くなってしまったので、もう一度余った陶土も含めて練り直しをすることにしました。新しく混ぜ合わせる陶土と残った陶土は2回目の土練りで土錬機に一緒に入れることにしました。土錬機に陶土を通すのは通常では最低3回行い、その間多少水分を補給しながら、混合状態の様子をみていきます。これは成形をやり易くするために、細心の注意を払っていく工程のひとつです。今回は気温が高い中で陶土を保管したため、乾燥しないように気を使ったつもりでしたが、結局3回ではなく4回目の土練りをして良好な状態に陶土を戻しました。新作の陶彫部品も基本的には今まで通り、タタラと紐作りを併行して成形する方法をとります。土錬機から出てきた陶土を最後に手で菊練りをして、小分けにしてビニール袋に包むか、タタラに引き伸ばしてそのまま成形するか、その日の作業時間を見ながら判断します。今日は土練りの時間を長く取ったため、タタラにしたのは2つだけ、成形をするには少し時間を置いた方がよいと判断しました。いよいよ横浜も梅雨明けした模様で、空調のない工房は大変な暑さに見舞われました。額から汗が流れ、シャツは汗でびっしょりになりました。こうした蒸し暑い中で、今まで20年以上も制作を続けてきました。工房がなかった時代も、借りた施設で私は暑さや寒さと戦ってきました。最近は熱中症を心配して水分補給はこまめにやっています。工事用扇風機もロフトから下ろしてきました。今日の工房には若い世代のスタッフが2人来ていました。工房スタッフも若返り、10代の女子がやってきています。美術系の大学はまだ夏休みに入っておらず、課題提出日が迫っているようで、彼女たちは炎暑の中で真剣に課題制作に取り組んでいました。夕方4時に私たち全員が体力の限界になり、私は車で彼女たちをそれぞれの家の前まで送っていきました。工房に来るときは電車を使ってきても、帰りは身も心もボロボロになっていて、汗と絵の具だらけになった彼女たちを電車で帰すわけにはいかず、車で送っているのです。

週末 新しい作品へ向けて

個展終了から早くも1週間が経ちました。間を開けずに新作を作り始めるのが私の流儀です。ちょっと休みたい気分になりますが、休息を入れるのは新作を作り始めてからと決めているのです。実際、新作の陶彫部品のひとつが出来ています。私の場合、制作に苦しんでいる最中に次作のイメージが天から降ってきます。自分を追い詰めているにもかかわらず、これは現実逃避なのかなぁとも思っているのですが、次作のぼんやりとしたカタチが見えてきます。それは根の陶彫部品の連結したものが縦横無尽に網のように走っているイメージでした。床から壁に立ち上がり、血管のようにところどころが太くなっている動的な世界でした。先週までギャラリーに展示してあった「発掘~双景~」に植物的または動物的な生命を感じ取っていただいた鑑賞者も多く、その感想に勇気づけられて、生命体の発展形とも言える次作が朧気なものから次第にカタチを現してきたのでした。壁なら角度のある屏風にしようと思っています。まだ雑駁なイメージですが、制作を進めていくうちに具体的なイメージが次第に決まっていくのです。私にはそういう思索と技法とが行ったり来たりする傾向があります。今日は工房で考える時間が多く、なかなか制作に手が出せない状態でしたが、明日から迷いなく進めていける気がしています。既に作ってあるひとつの陶彫部品は、どこかに組み込んでいこうと思っています。夕方は職場のある地域で祭礼があり、来賓として出席して来ました。昨日から台風が心配されていましたが、何とか盛大な祭礼が出来て喜ばしく思っています。実際は明日から新作を開始します。

G・クリムトからE・シーレまで

国立新美術館で開催中の「ウィーン・モダン」展には、「クリムト、シーレ 世紀末への道」という副題がつけられています。オーストリアの首都であるウィーンの都市としての変遷を展覧会前半で取り上げていて、後半は専ら世紀末から20世紀初頭に興ったウィーン分離派やウィーン工房の作品が中心になっていました。図録には「1897年、グスタフ・クリムトに率いられた若い画家たちのグループは『時代にはその芸術を、芸術には自由を』という理念の下に、オーストリア造形芸術家協会を結成した。いわゆるウィーン分離派である。」とありました。クリムトの分離派以降の作品はよく知られていますが、私が注目したのは素描を含む初期作品で、古典的な寓意画を描いていたクリムトは「アレゴリー:新連作」あたりからクリムトらしさが出てきたように感じました。時を同じくして登場したウィーン工房は、図録によると「1903年、工芸美術学校出身の芸術家たちを主要メンバーとして、ウィーン工房が設立された。彼らは[アーツ・アンド・クラフツ運動に代表される]英国のやり方を手本にしながら、趣味が良く上品な日用品の生産を目指した。創設されるや否や、ウィーン工房はユニークで印象的なウィーン・スタイルを発展させ、国際的なセンセーションを巻き起こしたのだった。」とありました。機能性と美観を兼ね備えた日用品やポスター等に、私は改めて感銘を受けました。展覧会場に多くの日用品が並ぶ光景は、日常生活の中に新しい美意識が入り込んだ事例が示されていました。さて、次に控えていたのはエゴン・シーレの絵画やデッサンでした。ウィーンを総括する中でシーレを見ると、明らかにシーレの特異な世界観は、現代に近いものとして認識出来ました。次世代の、つまり表現主義的な作風の上に彷徨う悲劇性は、今日まで続いている芸術家のテーマとも言えます。度々彼のテーマとなっている死とエロスも、芸術家本人の自己告発を視覚化する試みであって、それは現代に通じるものだろうと感じました。シーレは28歳で夭折した画家でしたが、短い人生の中で強烈で斬新な足跡を残したためにオーストリア美術史に刻まれる芸術家になったのでした。

六本木の「ウィーン・モダン」展

今年は日本とオーストリア交流150周年にあたる記念すべき年で、とりわけクリムトを初めとする大掛かりな美術展が開かれています。私は先月、東京都美術館で開催されていた「クリムト展」に行ったばかりだったのですが、先日は六本木の国立新美術館で開催されていた「ウィーン・モダン」展にも足を運びました。「ウィーン・モダン」展は18世紀の啓蒙主義時代からビーダーマイアーの時代への変遷をたどる総括的な歴史を垣間見せる展示がありました。そうした時代を経て、ウィーンの外壁が取り壊され、そこに大通り(リンク)が完備され、近代都市へ生まれ変わるウィーンの姿が映し出されていました。「クリムト、シーレ 世紀末への道」と本展の副題にありましたが、ウィーンはいきなり近代化が行われたわけではなく、時代的必然があって、皇帝文化から市民文化へ社会が進んでいく過程で新しい価値観が芽生えていったように思います。それでも図録にある通り「都市の開発は50年以上におよび、第一次世界大戦が勃発する直前になっても完成していなかった。~略~建築家が目指したのは、歴史的な形式だったのである。~略~歴史主義建築の仰々しい発展性とその限界とを、一度に、これほどわかりやすく白日の下にさらけ出してみせた場所は、ほかにはないだろう。そればかりかリンク通りは、オットー・ヴァーグナーやアドルフ・ロースに代表される機能主義的な新しい建築の基礎をつくりだし、歴史主義の束縛からの開放をもたらすことにもなった。」とあるのはどういうことなのでしょうか。懐古趣味的な建築に対するアンチテーゼとして、新しい美観が登場したということでしょうか。若い頃に5年間をウィーンに暮らした自分には、疑似古典主義の建造物とシャープな近代的建造物が共存するウィーンの街は、それだけ刺激的で楽しい場所でした。時代が変わっても建築や美術工芸や音楽は、新旧どちらにしてもあらゆるものが西欧的な捉えであって、東洋からきた自分にはそれら全てが異国情緒に思えたものでした。美術作品については稿を改めます。

恩師からの手紙より抄

個展を見に来られた人の中で、文筆業をやっていらっしゃる方がいます。彼は書籍を何冊か出版されていますが、私にとっては恩師とも思える人です。時間が合えば貴重なお話を伺えるのですが、今回は私がいない時間に来廊されたようで、芳名帳に名前がありました。数日後にお手紙をいただいて感謝に耐えません。ご高齢にも関わらず横浜から東京銀座まで足を運んでいただいて恐縮しておりますが、先生の思考の冴えは相変わらずで、心より驚嘆いたしております。昨年はゴーギャンの大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」に託けて、私の作品を論じてくれました。今年は図録に掲載した「重層空間」の考え方を私の作品に投影して、お言葉を頂きました。「貴君の提示された『重層』という意識は、結果でしょうか、それとも過程でしょうか。後者の方に思え、その視点でみると、今回の作品はしっかりと大地に根を張った大樹のイメージが浮かんできます。『発掘』はその原点を求めて努力する真摯な姿勢の瞬時の自己認識でしょうか。人間とは…、何処から…、と言った宿命的な命題に迫る重い活動。ゴーギャンがタヒチに求めたノアノアの精神にも通じるような取り組みと受けとめました。これに気づくと、作品を形作る硬質な物体が、親しみ易い柔軟性を帯びてきました。静的なものの中に動的な暖かさが開花するようでした。つまり、重層柔構造の世界がみごとに構築されていると思いました。老妄虚言にて御容赦。」凄いお言葉を頂いて、暫し呆然としましたが、多大な励ましと感じて、力が湧いてきました。とりわけ私は「作品を形作る硬質な物体が、親しみ易い柔軟性を帯びてきました。静的なものの中に動的な暖かさが開花するようでした。」というくだりが大好きで、この一文を他にも使わせていただこうと思っています。

東京駅の「メスキータ展」

サミュエル・イェスルン・デ・メスキータは20世紀初頭に活躍したオランダの画家・版画家・デザイナーで、ユダヤ人だったためにナチスドイツの強制収容所で家族諸共処刑されています。彼がオランダの美術学校で教壇に立っていた折、在籍していた生徒に騙し絵で有名になったM・C・エッシャーがいました。メスキータとの師弟関係はずっと続き、メスキータが処刑された時に、残された遺作をいち早く保管したのは他ならぬエッシャーだったようです。日本で初めてとなる「メスキータ展」は東京駅ステーションギャラリーで開催されました。私は初めてメスキータの作品群に触れて、木版画のモノクロが齎す力強い印象に圧倒されました。会場は多くの鑑賞者で混みあっていて、遅ればせながらメスキータの作品が確実に日本人の心を捉えていた様子を見ることができました。数ある作品群の中で、私は人物を彫った木版画に興味を持ちました。量感に線彫りでハッチングをつけた人物像は、彫塑的であり、その輪郭の単純化にプリミティヴな力を感じました。さらに私が学生時代から大好きだった表現主義を髣髴とさせる雰囲気を持っていて、こんな芸術家が埋もれていたことに改めてショックを感じました。図録から文章を拾います。「浮世絵のメスキータへの影響は、輪郭線による簡潔な表現に最もよく表れていると思われるが、多くの作品では陰影がなく、この点も浮世絵の表現と共通するものがある。言うまでもなく、日本美術では西欧美術と異なり、伝統的に影を描くということをほとんどしてこなかった。メスキータの木版画の装飾的な性格は、アール・デコからモダン・デザインへと到る、20世紀前半の装飾美術をめぐる状況と無縁ではない。メスキータの作品の装飾性とは、決して飾り立てる性質のものではなく、むしろ細部を単純化して幾何学的形態に還元する過程で生み出される装飾性であり、それは20世紀のデザインの潮流に準じたものでもある。」(冨田章著)ここで弟子であるエッシャーの語った言葉を引用いたします。「彼の作品はひと握りの人々にしか評価されず、広く理解されないところがある。メスキータは常に我が道を行き、頑固で率直だった。他の人々からの影響はあまり受けなかったが、自分では強い影響を若い人たち、とくに学生たちに与えていた。学生たちが猿真似をしたときーそれはよく起きたことなのだがーメスキータはしばしば不機嫌になった。とはいえ彼の影響を受けた学生たちの大半は、遅かれ早かれ、その影響から抜け出した。というわけで彼はひとつの流派を作らなかったし、そのことによって、メスキータの孤独で強烈なパーソナリテイはさらに魅力的なものになっていく。」

虎ノ門の「加守田章二の陶芸」展

昨日で終了してしまった展覧会の感想をここで記すのは、かなり気が引けますが、陶芸家加守田章二はあちらこちらで展覧会をやっているので、作品を目にする機会の多い陶芸家ではないかと思います。そんなことを踏まえて、敢えて感想を述べさせていただきます。展覧会場は東京虎ノ門にある菊池寛美記念 智美術館で、陶芸を専門に扱っている美術館らしく、小さな陶器には見やすい展示台があって、じっくり鑑賞することが出来ました。加守田章二は49歳で亡くなった夭折の陶芸家です。私は栃木県益子でその作品に触れ、衝撃を受けました。それは曲線彫文が施された壺や皿で、還元や炭化焼成で焼き締められていました。加守田は、窯の中の酸素を少なくして高温焼成し、冷却時も還元状態にして土を締める方法によって、陶土そのものの表情を提示する、野性味に溢れた作品を作っています。そこに曲線彫文があるだけで、単なる器だけでなく、加守田ワールドはいろいろな世界が想起されるオブジェになっていました。図録にこんな一文がありました。「『曲線彫文』の文様を生み出すにあたり、加守田が何に想を得たのかについては諸説あり、遠野で目にした鳥居の木目に想を得ているという昌子夫人の証言の他、遠野に吹く風が砂上につくる風紋や仏教美術からの影響なども指摘される。」さらに加守田本人のメモが図録に掲載されていて、私はこれも記憶に留めることにしました。「私は陶器が大好きです しかし私の仕事は陶器の本道から完全にはずれています 私の仕事は陶器を作るのではなく 陶器を利用しているのです 私の作品は外見は陶器の形をしていますが中身は別のものです これが私の仕事の方向であり 又私の陶芸個人作家観です」陶芸家加守田章二の作品は、器というより陶彫に近いものを私は感じ取っています。展覧会のタイトルに「野蛮と洗練」とありましたが、縄文土器の風情を保ちながら、モダンで近未来的な造形を感じるのは私だけではないと思います。若くして亡くなったことが惜しまれる陶芸家でした。

週末 個展終了して美術館巡りへ

昨日、ギャラリーせいほうでの私の個展が終了しました。反省はいろいろありますが、ともあれホッとしたことは事実です。個展開催中は自分が会場にいなくても気がかりでなりませんでした。やはり終わってみると一抹の寂しさはあるものの、今後の創作活動に向けて歩き出さなければならないと感じています。既に陶彫部品はひとつ出来ていて、全体のイメージは固まっています。早速新作を作り始めるところを、今日はちょっと立ち止まって、東京の美術館巡りを行いました。家内は演奏活動があるため、今日は私一人で東京を回りました。朝9時に自宅を出て、最初に向ったのは東京六本木にある国立新美術館でした。同館で開催中の「ウィーン・モダン」展を見てきました。副題は「クリムト、シーレ世紀末への道」となっていました。今年は日本とオーストリア国交150周年に当たる年で、この企画展の他に東京都美術館で「クリムト展」もありました。ウィーンは嘗て自分が暮らした街でもあるので、思い入れも人一倍強く、また懐かしくもありました。自分が学んだウィーン美術アカデミーの新校舎や記念ホールの設計計画がO・ヴァーグナーによって立ち上がっていたことが分かり、それが実現していたら、あの旧態依然とした校舎ではなく、鉄鋼を使ったモダンな環境に生まれ変わっていたのに、ちょっと残念だったなぁと思ったりしていました。詳しい感想は後日改めます。次に向ったのは虎ノ門にある菊池寛美記念 智美術館で開催されていた「加守田章二の陶芸」展でした。展覧会のタイトルは「野蛮と洗練」とあって、まさに加守田章二の世界は、灰釉による造形に曲線彫文がつけられた野蛮と洗練が融合したものでした。私は栃木県益子でその作品に初めて接し、感銘を受けた記憶があります。陶芸家加守田章二は49歳の若さで夭折した作家ということも益子で知りました。この展覧会の詳しい感想も後日に回します。最後に訪れたのが東京駅にあるステーションギャラリーで、ここは旧駅舎の赤レンガが剥き出しになった風情のある美術館です。ここで開催されていたのは「メスキータ展」で、私にとって画家メスキータは初めて知った芸術家でした。オランダ生まれのメスキータの弟子には騙し絵のエッシャーがいました。ユダヤ系オランダ人のメスキータの一家がドイツナチスによって強制収容所に送られ、そこで殺害されるという衝撃の事実がありました。当時、多くの作品はエッシャーによって保護された経緯があり、今私たちがメスキータの作品が見られるのは弟子のエッシャーのおかげとも言えます。この展覧会も詳しい感想を後日に回します。今日は3つの展覧会を巡りました。自宅に帰ってから、家内と参議院選挙の投票所に出かけました。今日は新作を考える上で、重要な示唆をいただいた展覧会を見て来ました。個展の後だったので、身体の疲労が取れていなくて辛い面もありましたが、心は充実していました。

週末 個展最終日&搬出

14回目の個展の最終日を迎えました。朝11時にギャラリーせいほうにいると、懐かしい人たちが訪ねてきて、とてもいい時間を持つことができました。毎年のことではありますが、個展というのは旧交を温める絶好の機会だなぁとつくづく思います。何年も私の個展に来ていただいている方が、私の作品の経過観察をしていただいていて、自分でも気づかない創作の変化を指摘してくれました。同じテーマ、同じ素材でシリーズとして作っていると、確かに時間と共に作品が変貌していくのかもしれません。それでも私の作品には大きな変化はありません。ひとつの手法をじっくり煮詰めていくのが大好きという理由が私にはあります。作品が小手先にならないのは、陶彫という難解な技法によって満足できない結果にいつも悩まされているためです。なかなか巧緻になれない己の不器用さもあるでしょう。それがわかっているからこそ手法を変えられないとも言えます。意外に自分は頑固だなぁと思うところですが、幸い自分は20歳の頃に夢見たことに対して軸足を変えずに実現している自負はあります。夢を諦める言い訳が私には存在しません。今回の個展によって齎されたものは継続による指針です。もう来年の個展に向けて新作を作り始めているところです。来年の海の日からの個展開催は、ちょうどオリンピック・パラリンピックが開会を迎える時期に当たると、ギャラリーの田中さんに言われました。オリパライヤーの銀座には人が溢れているのでしょうか。来年は15回目の個展開催、公務員管理職としては再任用満了を迎える年でもあります。自分の足元をしっかり見据えて頑張っていきたいと思っています。夕方の搬出作業は、図録撮影や搬入の時のメンバーがギャラリーに集まってきてくれました。手際よく木箱に陶彫部品を収めて、僅か1時間程度で搬出作業は終了しました。ギャラリーの床に掃除機をかけて照明を落としました。飛ぶ鳥跡を濁さず。作品を積んだトラックは一路横浜の相原工房に向いました。手伝ってくれたスタッフの面々にレストランで夕食を驕り、無事に14回個展を閉じることが出来ました。

令和元年度の大鍋コミュニケーション

4月から新しい職場に転勤してきて、最初の大鍋コミュニケーションを行いました。仕事がひと段落して、来週7月22日から8月27日までは職員が夏季休暇を取りやすい環境を職場では作っています。職場の閉庁日を8月8日から15日までのお盆の時期に設定していますが、仕事に支障が出なければ、来週から休むことも可能です。職員はそれぞれ専門分野の研修会等があって、実質的には休める雰囲気ではありませんが、私としては下半期の多忙時期に備えて、充分身体を休めて欲しいと願っています。大鍋コミュニケーションは、私が前の職場で幾度もやっていた重要な職場経営ツールで、鍋を囲んで仲良くなるには絶好の方法なのです。ほとんどの職員は普段は専門職なので他者との協働は少なく、もちろん協働するイベントはありますが、基本は一人で行う職種です。それら職員を繋ぐもの、お互いが休憩を取り易くするもの、それがコミュニケーションです。意思疎通ができていれば、お互いの仕事をカバーしあうことができるし、心地よい職場空間をも獲得できると私は思っています。職場環境を整える方法は管理職によってそれぞれ違います。お互いが夏季休暇を取りやすい環境とは、制度的な環境もありますが、人と人との関係性も無視できないものがあると私は考えています。そこで私が考えたのが大鍋コミュニケーションなのです。昨晩は食材を購入するため近隣のスーパーマーケットに出かけました。職場のために手間暇かける、自分の得意とするところを職場で生かす、そんな思いで朝から鍋を作っていました。幸い職員はよく食べてくれて、私としては幸せに包まれました。自己満足なのかもしれませんが、それでも私は大鍋コミュニケーションを続けていきます。

気分が高揚するとき

自分にとって気分が高揚するときはどんな場面だろう。そんな思いを綴ってみたくなりました。現在は東京銀座のギャラリーせいほうで私の個展が開催されていますが、14年前は初めて個展が出来る喜びに包まれて、気分が高揚したことを思い出しました。ギャラリーせいほうは、学生時代から憧れていた画廊だったので誇らしくもありました。2回目の個展から高揚はなくなりました。寧ろ厳しい自分の状況に恥かしい思いをしながら年月が過ぎ、今日を迎えております。不満があるから来年こそ頑張ろうと持ち越すうちに14回目を数えてしまったのが実感です。創作活動で気分が高揚する瞬間は、作品がイメージ通りのカタチになってきた時です。もう少しで完成すると感じた時に気分は上がります。陶彫部品がきちんと焼成できた時も気分は上々です。陶彫作品は図録用撮影日を迎えて、そこで一度組み立てます。そこから心情的には現行作品が自分の中で終わってしまい、個展会場では欠点ばかりに目がいくのが辛いところでもあります。RECORDも色彩とカタチが巧く組み合わされて納得できた時に、ちょっぴりいい気分になります。RECORDは日々新しい作品を作っているので、じっくり鑑賞することもなくケースに仕舞ってしまい、振り返る余裕がありません。RECORDはホームページにアップされた時に複雑な心境になります。気分が高揚する一番の時は鑑賞です。自宅から美術館や映画館に出かける時は、足取りも軽く気持ちは浮かれています。他人の作った作品は心底楽しむことができるし、学びと同時に格好の気分転換でもあるのです。

「衣食住の形」について②

昨日に続いて、通勤中に読んでいる「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)の第三部「衣食住の形」の後半のまとめを行います。この単元では食文化と住まいの形について取上げます。まず食文化では典型的なパスタを例に取ります。「ヨーロッパの汁物はだいたい、よく掻き回す。パスタの場合は十分に掻き回さないとパスタ同士がくっついてしまう。そしてそれを食べるときはスパゲティならフォークにくるくると巻きとって食べる。この『回す』作法は日本料理でやったら嫌がられる。『回す』というしぐさと『食べる』ことのあいだに距離がある文化と距離のない文化の差である。~略~ねじりドーナッツ、ひねりパスタなどから、マヨネーズの混ぜ方にまで及んだが、実はヨーロッパでは穀物生産とその加工でも『回す』ことが重要なのである。麦を刈り取るときは大鎌を腰にあてて回転させて刈る。直系2メートルから3メートルの円状の面積の麦が鎌の1回転で刈り取られる。」食文化はここまでにして、住まいの形に進みます。「ロータリー方式の都市は、本来、領主が城館がロータリーの中にあって、そこから放射線状に街路が出ていて、領主が城の天主へ上がれば、領内の動静が一挙に見渡せる構造だったが、円形の刑務所があって、中央広場にあたるところに望楼があって、ぐるりに円形に配置された部屋を見渡すようになっているものもある。劇場とは別の発想だが、管理のための円形構造なのである。~略~そもそも人が集まって形成した形が円形競技場であれ、円形劇場であれ、円いと同時に階段式で、立体的だったのである。広場がそもそも階段だった。ギリシャの場合には日本と同じく土地が狭く、人が集まる広場でも水平面を大きく取ることが難しかったという事情はあるだろう。しかしそれでも、擂り鉢状の広場に人々が集まって議論をかわすのが、ギリシャの、そしてヨーロッパの民主主義の形だったのである。」私はヨーロッパに住み、20代の頃に憧れた異文化は、螺旋形や渦巻きとともに脳裏に刷り込まれたのではないかと振り返っています。最後にまとめとなる文章を引用いたします。「衣食住の形をもってヨーロッパの形を求めると、頭上に渦を巻くかつら、食卓に重ねられるねじりパンや螺旋形の栓抜き、そしてベッドのコイルスプリングから始まってヨーロッパの家屋の構造を決定する螺旋階段まで、終始一貫して螺旋という形が存在するといえる。直線より曲線、ロココや世紀末の唐草模様、それが集約されて天へ昇る螺旋の形になるのである。」

「衣食住の形」について①

通勤中に読んでいる「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)の第三部「衣食住の形」の前半のまとめを行います。テーマが衣食住のためか、本書の中では一番ボリュームのある単元なので2回に分けます。冒頭の文章から引用していきます。「人間という動物は単に食べて寝るだけのものではなく、政治、法律、軍事などにおいて特有の形を形成しながら発展してきたものだというなら、制度や発想法の形を考えなければならないともいえるのである。しかし、それはまた、何らかの形で衣食住にあらわれているのだという考えもあり、住まいにしても着るものにしても、自然条件に対する保護の装置としてだけではなく、敵から体や財産を守る軍事的な機能を持った装置としての意味も無視できないともいえるのである。」勿論政治面だけではなく、時代の世相や流行にも衣食住が反映されることもあります。次に衣装に関する文章で、気に留まった箇所を書き出します。「一概にヨーロッパ人といっても色々だが、おおむね金髪でも栗色でもやわらかく細い髪が軽くウエーヴをしている人が多い。そのウエーヴを鏝で強調してくるくると巻いて顔の両面にたらす形が19世紀中頃にフランスで流行したが、日本の平安時代の宮廷の女房たちが長い黒髪をまっすぐに伸ばして床に垂れるくらいにしていたものと比べると、ヨーロッパ女性の髪型は昔から巻き髪で、螺旋形にするか、でなければ、三つ編みにして、それを頭の周りに巻くことが多かった。」これは髪型に関する文章ですが、衣装に関する製造工程に触れた文章にも興味を持ちました。「糸つむぎをするのに、つむぎ竿に羊毛をからげ、そこから引き出した糸を紡錘を回しながら、巻き取ってゆくという作業、そのプロセスの一部、あるいはそのあとのプロセスとしてつむぎ車を使うこと、そしてその車の形状、それらは別にどうということもなく、羊毛と木綿の違いもさして影響せず、かなりな地方で同じようにおこなわれ、どこでも女性の仕事とされてきたことはその通りなのだが、それを絵にしてみると、羊毛をぐるぐるとからげて、螺旋形にしたものを片手に持ち、もう一方の手で紡錘をくるくると回しているヨーロッパの農家の女たちの姿は確かに『ヨーロッパの形』をあらわしているように思われる。」後半は食文化と住まいの形を扱います。

2019’個展オープニング

ついに14回目の個展のオープニングを迎えました。午前11時にギャラリーせいほうを開ける予定でしたが、私は10時40分に到着し、先日より鍵を借り受けているため、社員が出勤するより早く会場を開けました。11時前にはカメラマン2人が来廊して、ホームページ用や礼状用の撮影をしていきました。11時を回ると旧知の鎌倉彫の彫り師さんや横浜の管理職仲間や行政職の人など、さまざまな人が東京銀座まで足を運んでくれました。親戚もやってきました。中国語の堪能な学生が、来廊した四川からの観光客の通訳をしてくれました。中国人観光客が多い中で、たまたま知り合いに日系中国人がいてくれたことがラッキーでした。懐かしい人たちや現在の仕事仲間がこんな遠方まで来ていただけたことに感謝申し上げます。美術評論家の瀧悌三氏ともお話しすることが出来ました。瀧氏にしてもギャラリーの田中さんにしても、毎年のことなのでお互い気安くなっていて、軽い会話が出来ることを私は幸せに感じています。個展は芸術作品のセールスであるのと同時に、私にしてみれば疎遠になっている人たちと旧交を温めることが出来る絶好の機会でもあるのです。個展は私にとって自分自身の芸術的成果を確かめる場であり、人との繋がりを再確認する場でもあります。これがなければなかなかお会いすることができない人たちがいるのも確かです。個展発表まで辿り着くのは困難を極めることもありますが、いざ個展が始まってみると、やってよかったと思えるのです。数年前からオープニングパーティは止めていますが、東京銀座の帰路に家内とレストランに立ち寄って、ささやかな個展開催のお祝いをしました。次に私が会場に行けるのは土曜日になります。明日から金曜日までは公務員管理職になって職場に出勤いたします。非日常空間から日常生活に戻るのですが、多面的な二足の草鞋生活を私は余裕を持って楽しめるようになりました。

週末 個展搬入日

いよいよ14回目の個展のために作品を搬入する日がやってきました。朝9時半に運送用トラックが工房にやってきました。運送業者は2名、こちらのスタッフは後輩の彫刻家や学生2人、そこに家内と私を加えて5名で対処することにしました。梱包された作品の積み込みが終わって、積載したトラックが横浜の工房を出たのが10時半でした。そのトラックを追って、私の車に5人が乗って東京銀座に向いました。ギャラリーせいほうに到着したのは12時近くになっていました。梱包用木箱から陶彫部品を取り出し、木箱を運送業者に預かってもらうことにしました。これは以前からやっていただいているもので、懇意にしている運送業者だから便宜を計らってもらっているのです。運送業者が帰ったところで、スタッフを連れてレストランに行きました。これも定番になっているもので、老舗の銀座ライオンでランチをしています。銀座ライオンは創業120周年で、洋風で古めかしい室内が私は好きなのです。ギャラリーでの組み立ては1時過ぎに行ないました。大作「発掘~双景~」とやや小さめの「発掘~曲景~」は後輩の彫刻家と私が中心になって行ないました。女性3名は小品「陶紋」を置く台座を組み立ててくれました。最後は照明を考えながら決め、床に掃除機をかけて設置完了となりました。終了時間は3時でした。今年は例年より早く終わり、私はホッと胸を撫で下ろしました。個展は今までの結果を問うもので、展示が終われば、私の中ではもう過ぎ去った作品になってしまうのです。作品ひとつひとつは創作活動の通過点に過ぎず、満足のいかないところも目につきます。毎年のことですが、今回も気に入ったものが出来ず、それが課題となって次へ持ち越しになるのです。自分の作品を目の前に置いて、鑑賞していただいている人たちと会うのは、なかなか苦しいのですが、それでも現時点の自分自身を見てもらえる幸福を感じざるを得ません。私にはまだまだ伸びしろがあると言いたいのですが、言い訳をせず、さまざまな感想を受け入れていこうと思っています。明日はついにオープニングを迎えます。

週末 図録持参でギャラリーへ

週末になりました。明日が個展搬入日になります。明日ギャラリーせいほうは休館日ですが、搬入のために会場を開けます。そのために鍵を借り受けに東京銀座まで足を運びました。先日出来上がった図録も何冊か持っていきました。明日の搬入で梱包作品とともに図録は大量に届ける予定です。昨年も搬入前日にギャラリーせいほうに行って、田中さんと打ち合わせをしていました。あれから1年経ったのかと思うと、時間の経つ早さを感じます。今回は14回目の個展になり、思い返せば14年の間にいろいろなことがありました。何より東京銀座が少しずつ変貌していて、新しい店舗やビルが建ったり、一時は大変な賑わいを見せていた中国人観光客の姿が、やや落ち着いてきた印象を持ちました。老舗が並ぶ銀座には瀟洒で独特な雰囲気がありますが、それが変わっていくのを残念と思うのは私だけでしょうか。ギャラリーせいほうも彫刻を扱う画廊としては老舗だろうと思っています。私の学生時代、憧れていた彫刻家の面々がここで個展をやっていて、私はここから発刊されている「現代彫刻」を定期購読をしていたのですから、ギャラリーせいほうを老舗と呼ばないわけにはいきません。その頃、個展搬入を手伝っていた池田宗弘先生から先日手紙を頂きました。粘土を扱う彫刻家は腰を痛める人が多いから気をつけるようにという内容でした。池田先生は師匠というより親父のような存在で、私も先生の健康を心配しているところでした。さて、工房に帰ってきて、明日の準備をしました。陶彫部品の接合に使うボルトナットは初めから黒く塗装されたものを使っていますが、ワッシャーが地金だったので、それを黒い塗料で塗ることにしました。搬入に必要な電動工具やドライバー、接着剤などを工具箱に入れました。図録や芳名帳、外看板のポスターなども用意しました。これで何とかなるかなぁと思いつつ、明日手伝ってくれる若いスタッフに集合時間の連絡をしました。搬入がうまくいくことを祈りたい気分です。

鑑賞が与えてくれるもの

創作活動は技術と思索が基盤にあります。技術はイメージしたものに対し、素材を選び、その巧みな技を取得し、自分が思うようなイメージを具現化することです。技術ばかりに走ると、小手先の造形になってしまい、鑑賞する人の心に響いてくることはありません。数多くの展覧会に足を運ぶと、そうした作品を目にすることがあります。逆に技術が覚束なく、それでもイメージに近づけようと奮闘している作品に、作家の魂を感じることもあります。そんな作品に出合うと見に来てよかったと感じるのは私だけではないと思います。思索は、そもそも自分は何をしたいのか、造形という媒体を使って何を表現しようとしているのかを、自問自答する契機になるものです。思索は視覚表現だけに限らず、他の表現分野でも根底に流れるコンセプトであったり、哲学であったりして、創作そのものの問いかけを発する基本的な考え方でもあります。そうした創作活動を展開する上で、さまざまな芸術作品を鑑賞することは、思索を深める良い機会にもなります。たとえば美術の展覧会を取り上げると、展覧会場で私は作家の背景やらキャリアには囚われず、まず作品を見て、素直に感じ取ろうとしています。私は解説が流れる音声ガイドは借りません。作品に対する自問自答を妨げると思っているからです。おぉ、いいなぁと感じられればそれで満足なのです。鑑賞には訓練が必要だとも私は考えます。私が評価したのはどうしてなのか、何が良かったのか、私は自分自身でその答えを探り当てていきます。それが出来るか否かは、鑑賞する場を多く経験しなければ考えをまとめることが出来ないと私は思っています。作家の背景や時代考察などの解説は、鑑賞した後の裏付けとして図録によって確認していきます。NOTE(ブログ)には、展覧会に行った時の新鮮な思い、つまりファーストコンタクトに対する感想をまずアップし、次の機会に図録を読み込んで自らの考えとともに知り得た情報をアップしています。鑑賞が与えてくれるもの、それは自分にとって多くの学びであり、楽しみでもあるのです。

夏を満喫したい気分

来週から始まる個展の準備が整い、案内状の発送も終わり、図録も完成しました。私にとって7月個展が、創作活動では1年間のけじめをつける絶好の時なのです。もう次の制作は始まっていますが、ひとまず心穏やかに過ごせるのが個展が終わった後かなぁとも思っています。同時に夏を満喫したい気分になります。今月と来月は公務員管理職として研修会が組まれていたりして、職場には通常の出勤になりますが、学生時代に染み付いた夏休みというコトバが頭を過り、どこかへ出かけたくなるのは私だけではないはずです。私たちは夏季休暇として5日間の休みが取れます。さらに年休を使えば休暇を増やすことも可能です。家内の演奏日程と調整をして、今月から来月にかけてどこかで夏季休暇を取りたいと思っています。少し前までは夏休みというと読書をするイメージでした。ここ数年は夏休みだから集中して本を読もうという習慣が薄れています。読みたい書籍は山ほどありますが、哲学等の難解な書籍にはなかなか手が出せません。私の行動は、夏の定番である海や山には向かいません。以前はシュノーケリングや登山もやっていましたが、仲間も高齢化したため、誘われることもなくなりました。現在の自分にとってどういう休暇を過ごすのがベストなのか、仕事と遊びのオンとオフを切り替える大切さと、自分にとっての心地よい休暇をイメージしながら、今夏を満喫したいと思っています。

14冊目の図録が届いた日

個展の案内状は遅くても2週間前までに郵送しなければならないので、印刷を急ぎましたが、図録は個展会場で配布するため、個展開催までに出来上がっていれば基本的には大丈夫です。ただし、私の職場では職員に予め図録を配ってしまうので、早めに届いてくれたら有難いと思っていました。私の二足の草鞋生活を職員に示すことで、仕事一辺倒の職員が、多少なりとも余暇を楽しめる環境を作ってほしいと願って、こんなことをしているのです。今回の図録は14冊目になり、出来るだけ演出を控えたリアルな画像で撮影してもらいました。室内風景の写真は、ロフトが出来て新しく昇降機がついたので、そこに作品を置いて撮影しました。大きな作品の部分カットの画像は、作品の説明的要素よりも、画面の構成や角度の意外性などに注目して選んだものです。新しい試みとしては野外工房の床面を水で濡らして撮影したことです。水に映る作品が面白みを与えてくれるのではないかと思いました。小品5点は作品そのものに水をかけています。陶も石と同じく素材に水をかけると雰囲気が変わって美しく映えるように感じます。撮影日が梅雨時であることを逆手にとって、水を有効に使った演出で、季節感のある図録にまとめることを念頭に入れていました。私は蓄積を楽しむ傾向があるので、14冊という図録の積み重ねが自己満足を助長してしまい、つい笑みが出てしまいます。ただし、創作活動の蓄積は満足を生むものではありません。今度こそ満足いくものを作ろうと思っても、どこか足りない気がしています。創作活動はそれでいいのではないかと考えますが、撮影も自分でやったらいつまでたっても満足出来ないものになってしまうと思っています。カメラマンにお願いして、彼らの感覚で撮ってもらい、他者のセンスで図録にまとめてもらうくらいがちょうどいいと思っています。図録が誇りに思えるのはカメラマン任せで作っているおかげなのです。

7月RECORDは「螺旋の風景」

通勤中に読んでいる「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)に影響されて、今月のRECORDは「螺旋の風景」というテーマにしてみました。螺旋や渦巻きは私の大好きなカタチで、RECORDにも度々登場しています。今月は設定を変えて螺旋や渦巻きばかりを毎日描いてみようと思っていて、飽きないようにあの手この手を考えているところです。螺旋や渦巻きはまとまりやすいカタチです。中心に向かっていくカタチは安定を与えてくれるからです。中心が失われると心理的な不安要素が出てきます。敢えて不安を掻き立てることを狙いとする芸術作品も多くあり、むしろその方が深遠な世界が覗けるとも考えられます。螺旋は上昇するカタチで、中世の絵画でテーマになっているバベルの塔もそのひとつです。「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」に出てくるさまざまな螺旋形態を自作の中に取り込んで作品化できるといいなぁと思っています。動物が成長していく過程で、骨や筋肉などに捻りが見受けられます。人間は螺旋を描きながら成長すると学生時代の彫塑実習で教わりました。植物も同様で、よく観察すると茎や葉に捻りが見られます。まっすぐ天に向かって伸びていく植物もありますが、捻ったカタチが美しいと感じるのは私だけでしょうか。RECORDは陶彫制作のスケジュールが厳しくなったり、個展の準備が立て込んだりすると、忽ち影響を受けてしまいます。一日1点ずつポストカード大の平面作品を仕上げていく作業は、実は大変辛いものであり、その日の気持ちの持ち方や体調によっても左右されます。それを10年以上もやってきましたが、意地でも継続していこうとする意志が芽生え、RECORDは私のライフワークになっています。旅行にもRECORD用紙を携帯しています。