Archives for posts tagged ‘留学’

6月RECORDは「まざる」

6月のRECORDのテーマを考えたときに、多くの同質なモノの中に異質なモノが混ざるイメージがありました。それは人種であったり、障害の有無であったり、さらに目に見えぬ複雑な状況も考えられます。起源から遡って純粋を守っている […]

カフカ「城」読後感

「城」(カフカ著 前田敬作訳 新潮社)をやっと読み終えました。NOTE(ブログ)のアーカイブを見ると、7月15日から読み始めているのですが、8月と9月の2ヶ月間読書をしなかったので、中断したまま鞄に携帯していました。今に […]

週末 グローバルな会話

昨日に続き、朝から工房で陶彫の制作をしていました。今日も気持ちのいい秋晴れでした。今日は工房によく出入りしている若いスタッフが2人来ました。一人は東京芸大の大学院生で、工房で修了制作をやっています。もう一人は中国籍の子で […]

週末 若いアーティストの帰国

工房に頻繁に出入りしている若いスタッフは、既にアーティストといっていいくらいの存在感があります。彼女は大学院で先端芸術を専攻しています。昨年はインドネシアに留学していましたが、この夏も1ヶ月間ジョグジャカルタに滞在し、大 […]

インドネシア旅行から帰って…

今朝、羽田空港に到着しました。実質4日間に及ぶインドネシア旅行が終わってしまいました。始まると即刻終わるという気分は、何と不思議なものでしょう。唯一の心名残りがあるとすれば、工房に頻繁に来ている若いスタッフが現在ジョグジ […]

週末 休日出勤&「表層」彩色

今日の午前中は職場関係の地域会合があって出勤しました。来賓挨拶を仰せつかって、これが早めに終わり、横浜駅まで車を飛ばしました。昨日から「発掘~表層~」の彩色作業が始まり、油絵の具の溶剤が足りなくなっていたので、横浜駅にあ […]

週末 留学の思い出に耽る

工房によくやってくる若手スタッフで、先日海外留学から帰国した子が久しぶりに顔を見せました。彼女は再び相原工房での制作を始める予定ですが、留学先で得た体験が今後どう作品に影響してくるのか楽しみです。私も留学経験がありますが […]

週末 留学生の一時帰国

今日は朝から工房に行って、昨日準備した垂木で直方体の箱を13箱作りました。床置きの陶彫部品を梱包するための箱です。今日はいつものように2人の若いスタッフがやってきました。中国籍のアーティストはつい最近グループ展をやったば […]

旅立ちに向けて

最近工房によく出入りしている若いアーティストが2人います。時にはスタッフとして私の作品を手伝ってくれますが、通常は創作活動をやっています。一人は中国籍の子で都内の美大に副手として勤務しています。もう一人は大学院先端芸術表 […]

「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」読後感

「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)を読み終えました。遅々として進まなかった書籍を、仕事の合間を縫って畳み込むように読んでしまいました。本書の最後に美術評論家酒井忠康氏による解題があ […]

彫刻家としての羨望と共感

「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)を職場の休憩時間に読んでいて、自分の学生時代に教壇に立っていられた保田春彦先生になかなか近づけなかった理由が自分なりに分かってきました。御父上であ […]

若かりし頃の貧乏旅行

「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)を読んでいると保田先生が若かりし頃にフランスのパリから各地を経てスペインに赴く旅日記がありました。手持ちの金銭が少なく、食事や宿泊費用を切り詰めて […]

留学したばかりの頃…

「小さい自己中心的の主観で軽々と批判し去ることは十分謹んで、兎に角すばらしいものがワンサとあるのだから、それにかぶりついて行く事が一番大事だと思ふ。」(保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965 武蔵野美術大学出版局 […]

「保田龍門・春彦 往復書簡」読み始める

随分前に武蔵野美術大学出版局より購入しておいた「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」をやっと読み始めました。以前のNOTE(ブログ)に、携帯できない大きな書籍は職場に持ち込んで仕事の合間に読むという主旨のこと […]

週末 梱包完了&おわらの夕べ

今日は工房に篭って梱包の最終作業に追われました。木箱に入らない陶彫部品が1点あり、垂木で直方体の骨組みを作り、そこに収めました。来週は工房の片付けと接合部品の確認を行います。やっと梱包が完了しました。運送業者の手配も行い […]

京都の「高橋秀」展

2泊3日の関西出張の2日目です。仕事の合間に平安神宮の近くにある京都市美術館で開催されている「高橋秀 気への形象」展を見てきました。高橋秀氏は早くから安井賞画家として出発し、長きに渡ってイタリアに在住していた画家で、私も […]

「言語都市・ベルリン」を読み始める

「言語都市・ベルリン」(和田博文・真銅正宏・西村将洋・宮内淳子・和田佳子共著 藤原書店)を読み始めました。副題に1861ー1945とあるので、本書は第二次世界大戦を終えるまでのドイツ帝国の首都ベルリンの変遷と、そこに関わ […]

横浜の「下村観山展」

今日は朝から工房に篭って制作三昧でした。少しずつ調子も上がり、休庁期間の残り2日間を有効に過ごしたいと思っています。夕方まで作業を精一杯行い、その後は家内と車で地元の横浜美術館に出かけました。現在「下村観山展」を開催して […]

見えるモノだけが彫刻か?

若い頃に読んだ「見えない彫刻」(飯田善国著 小沢書店)の中で、ブランクーシの彫刻に触れて「彼が創造した鳥たちの影像は空間に永遠の静止を姿態で完結しながら、その放物線はやみがたい無限運動の彼方を示す。また、彼が故郷に建てた […]

ウィーンからの懐かしいメール

1980年から85年となれば、今を遡ること30年前になります。オーストリアの首都ウィーンは地下鉄の交通網がシュタットバーン(市街電車)に取って代わろうとしていました。そんな頃に自分は市街から遠い10区に住んでいました。最 […]

ドイツ在住の旧友来たる

自分は20代の頃、オーストリアの首都ウィーンに住んでいました。同地の国立美術アカデミーに通って、最初は版画科に、次に塑造科に移ってレリーフを学んでいました。今思えば素晴らしい環境に身を置いていたことに幸せを感じますが、当 […]

追悼 中島修 様

オーストリア在住の石彫家中島修さんが4月4日に急逝しました。自分にとって中島さんはウィーン時代の師匠でした。もうひとりの師匠池田宗弘先生と中島さんは学校で共に彫刻を学びあった仲間で、この2人の巨大な先輩がいてくれたおかげ […]

風貌と嗜好について

思索というコトバをNOTE(ブログ)で良く使っていますが、自分はどちらかというと理屈を考えるより、根拠のないことを思っている方が好きで、些細なことに思いを馳せます。そのひとつに人の風貌はその人の嗜好も左右していると思うこ […]

身の丈を知る

昨日、NOTE(ブログ)で自然の流れに逆らわずに生きることを自分の信条にしていると書きました。自分の周囲の人々の状況を鑑みて、無理が祟って不幸を招く結果があるから、そうした考えが頭を過っているのです。自然に生きることは何 […]

散策から学ぶこと

先日ドイツから届いた電子メール。それで思い出したことが数々あります。ドイツに住んでいる先輩も当時が懐かしいと言っていますが、自分も同感です。先輩夫妻が来る前から自分は単身でオーストリアにいて、慣れない一人暮らしをしていま […]

「現在の芸術と未来の芸術」について

「現在の芸術と未来の芸術」「構成派研究」(村山知義著 本の泉社)という2冊セットの書籍が自宅の書棚にあります。本書「現在の芸術と未来の芸術」は、今年の夏に見た「村山知義展」で購入したものではなく前から自宅にあったものです […]

チェルノブイリ原発事故を思う

昨日アップしたNOTE(ブログ)にチェルノブイリ原発事故に触れた箇所がありました。昨年の福島原発の事故と相俟ってチェルノブイリのことが自分の頭を一気に駆け巡ってしまい、昨日のNOTE(ブログ)は長い文章になってしまいまし […]

工房で黙祷を捧げた日

昨年の今日は未曾有の東日本大震災に襲われ、一瞬にして私たちの意識が変わってしまいました。昨年は金曜日だったため自分は職場にいました。幸い横浜は被害は少なかったものの、テレビの報道を見るにつけ、やりきれない気持ちでいっぱい […]

イメージ源泉の蓄積

昨日のNOTE(ブログ)に西欧の古都に思いを馳せる文章をアップしました。公務員と彫刻家の二束の草鞋生活を定年まで送ろうとしている今の自分にとって憧れは募るばかりです。しかしながら実際にヨーロッパに旅立ってしまうと、そこで […]

西欧の古都に思いを馳せる

最近テレビのBS番組で、海外の街の様子を紹介する番組が数多くあります。自分も1980年から85年までの5年間をドイツ・オーストリアで過ごしているので、西欧の古都には特別な思いがあります。煉瓦や石で構築された街は、狭い路地 […]

「クレーの日記」再読開始

このところ書店で新しい書物を買うことはせず、自宅の書棚に眠っている数々の書物を取り出して再読することにしています。その中にはもう既に書店で売られていないものもあって、今となっては貴重な本があるかもしれません。今日から読み […]