「予備的な諸考察」第9節~第11節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もあります。今回は「予備的な諸考察」の全11節のうち第9節~第11節のまとめを行います。第9節の冒頭で「論理学のどの事項にもある二面性は、われわれの最初の諸解説ですでに明らかなとおり、客観的と主観的のこの両面を同等に扱うことを意味してはいない。」とありました。これは実証的諸学について言っているわけで「実証的な諸科学はもっぱら理論の段階で、すなわち、ひたすら認識の分野を主題にする方向で形成される理論の段階で成果を挙げている。」と説明がありました。第10節ではそうした中での心理学のことが述べられていました。「実証的な諸学が、唯一のテーマである純粋な客観という理念を満足させるために、諸事象を経験し思惟する作用に伴うたんに主観的な事柄に属するものとは一切絶縁するとしても、やはりそれら諸学自身の圏内で〈諸主観についての独特な実証科学〉が登場する。それが人間と動物についての科学、すなわち〈人間と動物における心理的な事柄、主観的な特徴を主題にする心理学〉である。」第11節ではさらにabcという小題がつけられていて、aでは客観的・理論的な思惟の形成物を目標とする論理学について考察されていました。「すでに最初の論理学が知識と学問について独自の詳察をした際にも主に、客観的で理論的な諸形態に拘泥しすぎて、最初もその後も長らく、そのテーマを完全に意識して明確に〈純粋な判断と認識の形成物に限定すること〉に考え及ばなかったが、実はこれらのことこそやはり論理学研究本来の分野であった。」bでは洞察についての主観的反省が述べられていました。「洞察して獲得された《真実》《帰結》《無矛盾な事柄》は判断の形成物そのものについての特性および述語として、客観の側に現れるのであるから、意味の純粋論理学によって扱われる形式的な諸理論のテーマだ、ということである。」cはその結論です。「論理学がその発達過程全体をとおして最近まで(すなわち超越論的哲学の諸動機が論理学にラジカルな影響を与えていなかった間)、その重要な主題の領野を理論の分野に、つまり多様な判断の形成物と認識の形成物の分野に、もたねばならなかった理由と、外面的には非常に目立つ〈主観の思惟行為の主題化〉がそれにもかかわらず、まったく二次的な性格しかもたなかった理由を理解するであろう。」本論に入る前段階としての「予備的な諸考察」はここまでにいたします。次回から本論に入ります。

週末 梱包完了して安堵感

私の彫刻作品が陶彫という技法を使っているために、個展の搬入搬出や保存に結構気遣ってきました。焼き物は割れ易いということがあって、木割で補強した丈夫な木箱にエアキャップで包んだ陶彫部品をひとつずつ収めているのです。陶彫である以上、梱包に時間がかかるのは仕方がないと思っています。例年この時期は梱包に明け暮れています。今日やっと梱包が完了しました。昼過ぎに搬入業者が荷物の状態を見に来ました。昨年よりやや少なめの木箱の量を見て、来週搬入のトラックの大きさや作業員のことなどを見積もっていました。毎年お願いしている業者なので、私は安心して任せられるのです。梱包材で包んだ板材や木箱に収めた陶彫部品の他に、電動工具や接着剤などを準備して工具箱に入れて、それも持って行きます。後はどのくらいスタッフが集められるのか、私の方でそれぞれに連絡をしなければなりません。実はこの梱包作業が完了して、私は漸く安堵感を持ちました。それでも毎年やっている個展というイベントは、開催までに何があるのか分からず、慣れというものは存在しません。毎年のように何かしら問題が生じることあるのですが、もともと非日常空間を作るための苦労なので、内心は楽しくて面白くて、つい夢中になってしまうのです。人は生活を豊かにする媒体に痺れてしまうものなのかもしれません。これに生活がかかっていると思うと世知辛くなってしまうのです。もちろんギャラリー関係者は生活がかかっているものですが、私にとっては自分の思索を具現化し、理想の空間を創出するための手段なので、生活とは関係ないところに立っていられるのです。私が建てた工房も非日常です。そこに通ってくる美大受験生も大きな捉えの中では特殊な世界で生きていると思っています。今日は朝から毎週来ている高校生がいました。蒸し暑い工房の中でデッサンに励んでいました。彼女を代車で送りながら、ディーラーに立ち寄り、車検の済んだ光岡ビュートを取ってきました。来週はビュートに5人乗って東京銀座に向かいます。

週末 個展開催と感染拡大の狭間で…

週末になりました。新型コロナウイルス感染拡大が再び東京で増加しています。野球場にも観客が入れるようになり、急減した消費を喚起する「Go Toキャンペーン」のトラベル事業を今月22日から開始すると、政府が言っていました。経済活動を回していかないと、日本全体に多大な影響を及ぼしかねないという判断なのでしょうが、感染を恐れているのは私だけではないはずです。そんな中で東京銀座で私の個展開催があります。美術館や画廊は通常通りの日程を取り戻し始めましたが、果たして鑑賞者がどのくらい来てくれるのでしょうか。個展開催と感染拡大の狭間で、私は心底悩んでいます。それでも今日は平静を保ちつつ、梱包用木箱の追加製作に明け暮れました。梱包用木箱の製作には慣れてきました。板材が足りなくなって、建材店に車を飛ばしました。夕方には追加の梱包用木箱が出来上がり、明日は残りの陶彫部品の梱包をしていきます。おそらくこれで全部が収まるのではないかと見積もっていますが、果たしてどうでしょうか。今年ほど搬入準備をしていこうとする気持ちに迷いが生まれているのは初めてです。準備が整ったとしても、その先の個展開催に関して、どのように考えたらよいのか分からないのです。そんなことに気を回さず粛々と準備をしておけば良いとは思いますが…。個展は展示が中心なので、コンサートや演劇とは違い、飛沫の影響は少ないと思っています。ただ場所が銀座の真ん中というのが、厳しいかなぁと思っています。

イサム・ノグチ 彫刻と舞台装置

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第22章「アンへの手紙」と第23章「ノグチとマーサ・グレアム、情熱的なコラボレーター」のまとめを行います。第22章では前章から続いているアン・クラークとの情熱的な愛がさらに加速していく過程を描いています。「結婚がノグチのテーマになり、アンを呼びもどすための策をたえず考え、自分はアンが双子の面倒を見るのを手伝えると言って説き伏せようとした。」また、作品制作では「1944年から45年にかけてのノグチの彫刻のいくつか、たとえば官能的な《ヌードル》や《タイム・ロック》はアンに対するノグチの愛情を反映しているようにみえる。」アンは南米チリにいて「アンは、ふたりでともに人生をつくりあげていくことのむずかしさを認めていた。それは『計画と労働と犠牲』を要求するだろう。」と考えていたようです。そんな折、ノグチに成功を齎せた表現活動がありました。第23章で描かれているマーサ・グレアムとの協働です。「アン宛の手紙では舞台をデザインするのは金を稼ぐためだと言ってはいたが、彫刻として機能し、ダンサーの動きの一部となる舞台装置の制作に夢中になっていたのは明らかだ。~略~舞台装置は主として着色した木製のオブジェで構成され、1944年に制作を開始したバイモルフィックな穴の開いたスラブ彫刻にきわめてよく似ている。これらのオブジェは明らかにミロやイヴ・タンギーのシュルレアリスム絵画、そしてミロに想を得たゴーキーの一部の作品に見られるフリーフォームから着想を得ていた。」舞踏家グレアムとの関係に触れた文章を引用します。「30年以上にわたるノグチとグレアムのコラボレーションは、ほかに類のない創造の対話だった。アーティストとして、そして人間として、ふたりはおたがいを理解し、尊敬し、深く愛し合った。情熱的なコラボレーターではあったが、愛人関係はなかった。~略~京都で訪れた庭園や寺院に対するノグチの愛は、ノグチによるダンスの舞台装置の切り詰めたフォルムを性格づけた。日本の遊歩式庭園とノグチの舞台装置のどちらにとっても重要な要素は、空間を通過する肉体による経験である。」

歯の治療&車検

職場から年休をいただいて、自分の用事を済ませてきました。ひとつは歯の治療です。身体を酷使するとぼんやりと左上の奥歯が痛くなっていました。治療済の歯だったので、これはどうしたものだろうと思いました。とりわけ週末の創作活動の後は、ウィークディ以上に歯が痛みました。新型コロナウイルス感染拡大の影響で歯科医院に行くのが憚れましたが、そんなことも言っていられないので、万全の対策をして行ってきました。歯の噛み合わせが悪いのかもしれないため、そこの部分に治療を施し、暫く様子を見ることにしました。ついでに歯のメンテナンスもしてもらいました。歯のレントゲンを見ると、私は差し歯等の治療した歯がいっぱいあって、決して歯が丈夫とは言えないのですが、その都度治療に行って何とか現状を保っている状態です。歯は大事にしたいなぁと実感しました。今日は車検もあって、愛用している車をディーラーに預けてきました。私が乗っている光岡自動車は他社製のベースカーというものに光岡製の車体を乗せているので、車検はベースカーである日産で行っています。私はメカニックには疎くて、性能は一般的な普通レベルで充分なのですが、外観には気を使います。美術を専門とするためなのか、私にとってスタイルが大事なのです。とりわけクラシカルな雰囲気が好きで、前にPTクルーザーから光岡ビュートに乗り換えました。因みにビュートは2台目になります。洒落っ気たっぷりな車ですが、彫刻の板材を運ぶときは不便さを感じます。洗車を怠るとちょっと気恥ずかしくもなります。目立つ外観なので奇麗にしておかなければならないかなぁと思っているこの頃です。

7月RECORDは「朱」

今年のRECORDは色彩をテーマにしています。一日1点ずつポストカード大の平面作品をRECORD(記録)と称して作っていますが、一日で作品が完成せず、下書きだけで終わってしまう日が多くあります。下書きには色彩がありませんので、下書きばかり先行している現状は危機的状況です。それでも今月のRECORDが既に始まっていて、今月は「朱」に決めています。4月のRECORDで「紅」を取り上げましたが、赤系列の色彩としては2度目です。今回も日本の色彩用語の中から色彩を選んでいます。西洋の色相環とは異なり、日本には情緒のある微妙な色彩があって楽しいなぁと思っています。若い頃の自分は色彩表現が苦手で、デザイン分野に進学することを諦めました。色彩が楽しいと感じたのは、20代後半に滞欧生活があったからと言えます。ヨーロッパの人たちの色彩に対する感覚は、なかなか優れていて、色彩の取り合わせが大胆かつ繊細だなぁと思いました。ヨーロッパは1年間を通じて鬱陶しい曇り空の日が多く、建物もグレートーンでしたが、その中で目に染みるような鮮やかな色彩があると、単調な風景の中でハッと驚くような刺激をもらいました。たとえばそれはファッションであったり、グラフックデザインであったりしましたが、それは原色ではなく何か少量が混色している色彩で、その取り合わせによって色彩が輝くような効果を齎しているのです。日本の味わいある色彩に触れたのもヨーロッパでの経験で、海外の人の眼を通して日本には素晴らしい色彩文化があると再認識をしました。「朱」はそうした色彩のひとつです。他の色彩と組み合わせることによって朱色が強調されるようなRECORDを目指します。

「予備的な諸考察」第5節~第8節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もありました。今回は「予備的な諸考察」の全11節のうち第5節~第8節のまとめを行います。この書籍は少しずつしか噛砕くことが出来ず、そのつど抽出した文章を載せて留めることが私に出来るまとめとしての限界ですが、諸学問に内在する論理学の在り方をさまざまな論考で述べていて、聞き慣れない語句に戸惑うこともあります。まずアプリオリですが、先天性の概念とでも訳すのでしょうか。「原理的な学問論としての論理学は《純粋で》《アプリオリな》各種の一般論を明示しようとする。~略~この論理学は既存のいわゆる諸学、すなわち学という名で諸事実になった文化の諸形態を経験的に追跡して、それらについて経験的な諸類型を抽出しようとするのではない。そうでなく、論理学にとっては範例的な批判の出発点を与えるだけの事実性とのあらゆる結びつきから解放されて、純粋に理論的な関心のあらゆる働きの中で漠然と念頭に浮かぶ、いろいろな目的理念を完全に明確にしようとするのである。」論理学の形成的性格に関する文章で、偶然的なアプリオリという概念が登場します。「主観性一般が、非常に多様な諸内容の中で引き続きわれわれが明証的に獲得する本質形式で考えうるのは、われわれが自分自身の具体的な主観性を直観によって開示し、そしてその主観性の現実を具体的な主観性一般の諸可能性へ自由に転換することによって、われわれの眼差しを、その際に観取される不変的要素へ、すなわち本質必然的な要素へ向けることによってのみである。」また「論理学が抜群の規範的機能をもつことは自明である。~略~論理学は規範的になり、実践的になる。見方を適宜変更すれば、論理学は規範的ー技術論的な学問に転換されうる。」とありました。また論理学の二面性について、こんな文章も拾っておきます。「どの場合にも問題になるのは理性の諸能作であり、しかも〔一方では〕能作する諸活動と各習性であり、そして他方では、それらの活動と習性によって能作〔つまり作成〕される不変の諸成果という、この二重の意味での理性の諸能作である。」今日はここまでにします。

「予備的な諸考察」第1節~第4節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もありました。今回は「予備的な諸考察」の全11節のうち第1節~第4節のまとめを行います。まとめと言っても重厚な考察を簡単にまとめることが出来ず、気になった文章を抽出することでまとめに変えたいと思っています。まず冒頭でロゴスをいくつかの語義の中から論述という語で表すことにしたという文章がありました。「ロゴスがもつ論述という意味によれば、われわれは主に、主張する思惟作用へ、通常の語義での判断する思惟作用へ、というよりはむしろ思想としての諸判断へ導かれるであろう。」次の節ではイデア性が登場します。このイデア性の特徴として「言語はいわゆる精神世界の、あるいは文化世界のいろいろな対象の客観性を保持しているのであって、たんに物理的な自然のそれを保持しているのではない。」さらに「論理学者にとって言語は当面まずそのイデア性の面だけが、つまり〈現実の実在化や可能な実在化とは対照的な、同一の文法上の語〉や〈同一の文法的な文および文の連関〉だけが問題になる、ということである。」第4節では意味指示機能をなしうる思惟作用のことをこのように論述されていました。「この最も一般的な《思惟作用》の範囲を本質的に限定する問題、つまり範例的な諸直観から本質を一般化してえられる本質類を明示すべき範囲限定の問題、しかもこの《思惟作用》のすべての特殊形態にとって類的に諸表現が形成され、そしてそれらに対してそれぞれ特殊な思惟作用が意味付与するであろうということが、洞察しうるような範囲限定の問題である。」今日はここまでにしますが、通常の生活では聞き慣れない語彙が頻繁に出てくる本書は、内容には入り込むまでに時間を要します。そもそもこれはどういうことかという基本に立ち返って考えてみる必要があるわけで、そこを困難と感じるか否かで、本書に対する取り組む姿勢が変わってくると思っています。

週末 工房スタッフの若返り

昨晩、案内状の宛名印刷をしていました。案内状が届かない人にはホームページの扉にある画像を利用して欲しいと伝えましたが、表の画像には開催時間が載っていませんでした。AM11:00~PM6:30です。因みに開催期間のうち連休があります。海の日、スポーツの日、週末である土曜日が3連休になりますが、この3日間は私がギャラリーにおります。案内状の裏には「ご来廊の際にはマスク着用をお願いいたします。」という文面を載せました。開館した美術館の多くは入場制限がありますが、ギャラリーは来廊者が少ないため、自由にお越しになれます。加えてギャラリーせいほうは広い面積があって、ソーシャル・ディスタンスは充分に取れます。ぜひ、お越しいただければと思っています。今日は朝から工房に篭りました。昨日に続いて梱包作業の追い込みをやっていました。追加購入した木材で木箱を作るべく準備をしていました。今日は工房に若い世代のスタッフが2人来ていました。一人は美大受験を考えてデッサンをしている子で、毎週必ずやってきます。静物デッサンのガラスの質感を出すため、かなり苦労をしていました。デッサンは伸び悩む時があり、思うように上手くいかないことがあります。それは私のような実材を使う彫刻表現でも同じです。創作活動は木箱作りのような定番の作業とは違い、自分の感覚との鬩ぎ合いです。それは苦しくて面白いので、つい魅力に取り憑かれてしまうのです。もう一人は詩やエッセイを書いている文学少女です。彼女も何時間も座ってノートに書き続けられる性格です。前にもNOTE(ブログ)に書きましたが、最近は10代の高校生たちが工房にやってきています。工房スタッフの若返りと言ってもよいと思います。通い始めた工房スタッフには昔から共通する特徴があります。比較的孤独に強く、あまり社交を好まない人たちで、人と群れることが苦手です。見た目は地味な子たちですが、自分の表現内容を深めることが大好きで、興味関心のあることには人一倍食らいつきがいいようです。ある意味ではオタクなのかもしれません。工房という空間が自分の内面に向かうことに相応しい場所なので、毎回通ってきているのでしょう。私も彼女たちがいると社会的促進があって仕事が進むので歓迎しています。

週末 案内状の宛名印刷

週末になりました。個展開催まで残すところ2週間になり、朝から工房に篭って陶彫部品を木箱に詰める作業をやっていました。梱包は既に作ってあった10箱が詰め終わり、これからさらに10箱程度を用意しなければならないかなぁと思います。今回は屏風を使った新作なので、例年より陶彫部品が小振りで、木箱も少なくて済むのではないかと感じています。さすがに今日は創作活動は出来ずに、朝から夕方まで木割が補強として入った木箱作りと、その詰め込みに費やしました。こうした作品保存のための仕事は大切です。とくに私の場合は集合彫刻なので、分解して保存しなければならず、そのために結構時間をかけています。どの木箱にどの陶彫部品が入っているのか、外側に明示しておくのです。搬入搬出は複数の人たちによって行なわれるので、誰でも分かるようにしておく必要があります。創作活動に比べれば退屈な作業ですが、こればかりは仕方ありません。夜になって自宅で個展の案内状の宛名印刷をしました。先日、ギャラリーせいほうに案内状を1000枚届けに行ってきました。ギャラリーから案内状を送る人と、私や家内が個人的に送る人がいて、私たちの手許には500枚あります。宛名印刷も一晩では終わらず、明日の夜も宛名印刷を行なう予定です。料金別納郵便として来週の月曜日には郵便局から出します。案内状が届かない人のためにホームページの扉に案内状の画像を載せています。そこで日程や時間を確認していただければ幸いです。このところ新型コロナウイルス感染が首都圏で増えています。以前のような緊急事態宣言はないと思いますが、果たして個展に足を運んでいただける方が何人いるでしょうか。私も個展開催中のギャラリー待機では、マスクをして完全防備で臨むつもりです。

イサム・ノグチ 収容所から自由へ

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第20章「ポストン」と第21章「マクドゥガル・アレー」のまとめを行います。日系人であったノグチはポストンにある収容所に志願して入りました。「ノグチには第五区第七号A室が割りあてられた。独身者用の区域だったが、他の独身者とは異なり、角部屋の一室をひとりだけで使えた。ノグチはレクリエーション&アートセンター建設のための日干し煉瓦づくり監督を任された。だが、ノグチのポストン・プロジェクトはほとんど実現されなかった。~略~ノグチはコリアーに、自分のプロジェクトのための材料の不足、技能をもつ人材の不足、いまだに立ち退き者のための新聞がないという事実を知らせ、文句を言ってすまないと謝った。」収容所内の管理局との間に窮屈さを感じ、またノグチを取りまく環境は良いとは言えず、ノグチは出所要請を出しました。「軍はようやく1942年11月2日にノグチのポストン出所を許可した。」次の章では1949年までノグチが暮らした街角マクドゥガル・アレーでの制作について書いてありました。「自由になって最初の夏、ノグチは石を彫った。『収容所から出てきたあと、最初の作品は《レダ》だった』。官能的で柔らかな曲線を描くアラバスターの《レダ》は、形態の着想をアルプに得ている。~略~1943年から44年にかけてノグチはバイオモルフィックなマグネサイトの彫刻シリーズを制作し、内側に明かりをともした。」この頃、ノグチはロベルト・マッタの妻アン・マッタ・クラークとロマンスがあったようです。「ノグチとアンの友人たちの何人もが、アンはノグチがほんとうに愛した数少ない女性のひとりだと証言する。~略~友人たちはアンがノグチの孤高に惹かれ、その献身に感謝はしていても愛していなかったと言う。」

イサム・ノグチ 戦時体制に向かう

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第18章「ニューヨーク、1936-39年」と第19章「カリフォルニア」のまとめを行います。時代背景として大戦に向かいつつあるアメリカで、ノグチは同じ境遇の芸術家と親しくなりました。「メキシコから帰国後、ノグチはアーシル・ゴーキーと頻繁に会った。ゴーキーとは1932年にある画廊ではじめて会った、と語っている。~略~どちらも自分が亡命者のように感じていたからだ。どちらもが差別を経験し、どちらもがひとつの異文化に深い愛着を抱いていた。」ノグチは1936年にロックフェラー・センター内にあるAP通信社ビルに設置するレリーフ公募に応募しました。「ノグチによる重さ10トンのAP通信社レリーフには、近代ジャーナリズムのツールーカメラ、電話、ワイヤフォト〔有線電送写真〕、テレタイプ、メモ帳と鉛筆ーを手にする筋骨たくましい記者五名が描かれている。そのスーパーマンのような肉体は、多くの失業した男性が家族を養えず自信を喪失していた大恐慌時代のパブリックアートの多くにみられるヒーロー的な男性の典型である。」APのニュースによると「一日に16時間ー強力な研磨機を手にー二度に分けて仕事をしたために、ノグチの両手はタコができて固くなり、仕事が完了したときに拳を握ることもできない有様だった。」と書かれていました。第19章では真珠湾攻撃のことが書かれています。「ノグチは、日本が奇襲攻撃で真珠湾の戦艦を爆撃したとと告げるアプトン・クローズの声を聞いた。自伝のなかで、ノグチは『パールハーバーはまったくの衝撃であり、すべてのアート活動を背景に押しやった。』と語っている。」ノグチが日系であることで不安に駆られ、いづれ収容所に入るなら、その場所を自ら選択した様子が伺えました。「三月末、西海岸を離れずにいたら収容されるかもしれないという不安から、ノグチは車をロサンジェルスに残し、飛行機でサンフランシスコから東へ、まずニューヨーク、そしてワシントンに飛んだ。~略~ワシントンでノグチは、インディアン問題局の局長で思いやり深く理想主義的なジョン・コリアーと会う。~略~ノグチはコリアーの熱意に伝染し、みずからポストン入所を志願した。」

15回目の個展開催の7月

7月になりました。新型コロナウイルス感染の影響で、個展があるのか心配していましたが、無事に開催できることになり、今月は15回目の個展を開きます。NOTE(ブログ)のアーカイブを見ると、7月1日は個展の話題がよく謳われています。私にとってはこれは誇りなのです。今年のようにコロナ禍の影響だけでなく、自分が病気もせず、また事故もなく、元気に創作活動をやることが出来た証なので、個展開催は正真正銘の誇りと私は感じているのです。最近は陶彫と闘った週末の夜は、身体が動かず、腰や腕が悲鳴を上げているのではないかと感じることが屡々あります。夜になると今までもこんなに辛かったかなぁと思うこともあり、一昔前とは明らかに体調が変化していることにショックを受けます。ウィークディになれば元気に職場に出かけていくので、疲労は溜め込んでいないと思うところですが、加齢には勝てないのかもしれません。さて、今月は個展搬入までは梱包に明け暮れますが、その後は最新作品に没頭しようと考えています。最新作品の陶彫部品の数は例年になく多い予定なので、早くもペースアップをしていかなくてはなりません。焦らず休まず、地道な制作姿勢を貫く所存でいます。問題なのはRECORDです。今月でどのくらい遅れを取り戻せるでしょうか。一日1点のペースを挽回すべく今月も頑張っていこうと思っています。鑑賞はどのくらい出来るか、コロナ禍の中で自己防衛をしつつ、美術館での気分の高揚を味わいたいと思っています。読書は難解な書籍に引き続き挑みます。こうしてNOTE(ブログ)を綴っていると、私には気楽な要素が少ないと感じます。娯楽が研鑽に近いものと考えているのが私の特徴なのかもしれず、生真面目な性格の反映であろうと思います。適度に休憩を入れながら今月もやっていこうと思います。

コロナ禍の6月を振り返る

職場が少しずつ正常を取り戻していく中で、やはりコロナ禍の影響はまだ残っています。今月は職場関連の会議が漸く可能になり、外会議も増えてきました。人と人とが顔を合わせて話し合う大切さを改めて感じた1ヶ月になりました。今月の週末は専ら梱包作業ばかりだったと記憶していましたが、母の残した遺産相続に関する書類収集もあって、家内と行政機関に出かける機会もありました。個展出品用に新作の修整をする場面もありました。修整はまだまだ必要で、陶彫部品を箱詰めする際にもやっていこうと思っています。今月は久しぶりに美術の展覧会に出かけました。東京の板橋区立美術館で開催していた「深井隆ー物語の庭ー」展では、やはり実際に作品に接すると、木彫という素材感が直接伝わってきて、快い気分になりました。美術館には足を運んだものの、まだ映画館や劇場には行けないなぁと思っています。創作活動では最新作品の陶彫部品を作り始めました。現在2点が乾燥を待っている状態です。一番困難を感じているのはRECORDです。RECORDの遅れはコロナ禍の影響ではありません。自宅のリフォーム工事があって、ダイニングが使えなかったことが影響をしているのです。葉書サイズの小さな平面作品くらいどこでも制作出来ると思っていたことが、制作場所として食卓を使っていた日常が失われてしまったことで、かなりの遅れを取り戻せていない状況を作ってしまいました。下書きはあるにしても、下書きを描いた日にどうしてこんな世界を創造したのか、当初のイメージが思い出せないのです。ここで制作を止めてしまいたくはないので、何とか頑張っていこうと思っています。読書は彫刻家イサム・ノグチ関連の書籍に加えて、現象学者フッサールの論理学に纏わる難解な書籍を読み始めました。今や読書は私にとって課題解決のための大いなる仕事です。来月もロダンの如き考える人でありたいと思っています。

2020年図録の色校正確認

新型コロナウイルス感染の影響で、今年の個展が危ぶまれましたが、何とか例年通りに開催が決まって、私はホッとしているところです。週末は来月19日の搬入日に合わせて、梱包作業に追われています。同時に過日、図録用の写真撮影をしましたが、今日色校正用の原稿が出来上がり、カメラマンが自宅にやってきました。図録は今回で15冊目になります。15年間ずっと同じサイズ、同じ頁数で図録を作ってきました。東京銀座のギャラリーせいほうも、毎年同じ時期に個展を企画していただいているので、ギャラリー年間計画の中で定番になっている感じがいたします。もし、今年東京オリンピック・パラリンピックが開催されていれば、個展がオリパラ開祭式に被ってしまい、どうなっていたのでしょうか。世情とは関係なく、いつも通りというのが私は好きなので、オリパラが延期になった今はこれで良しと思っています。図録は我ながら良い出来栄えではないかと思いました。例年に比べても遜色はありません。新作は屏風の色彩に今までとは異なる感覚を取り入れました。それが工房周囲の樹木の緑色と相俟って心地よい雰囲気を醸し出していると感じました。撮影は野外と室内で行なったので、空間の感じが違っていて、どちらも気に入りました。案内状は1500枚の印刷が終わっています。1000枚はギャラリーせいほうに持参していくつもりです。個展に向けて気持ちを高めていきたいと思っています。

週末 梱包作業に追われる②

昨日に続いて今日も朝から工房に篭り、梱包用木箱作りを行ないました。7箱作ったところで木材が足りなくなりました。昨日建材店に行って木材の追加注文をしてきたので、今日の午後3時過ぎにベニア板材を取りに行ってきました。木箱作りはすっかり慣れてきました。とりあえず20箱を作ろうと思っています。今日は建材店に行くまでに多少時間が空いたので、最新作品の彫り込み加飾をやっていました。2点目の陶彫部品は高さ50cmあって、これが一段目になります。さらに上に陶彫部品を積み上げていく予定です。最新作品は直方体に矩形模様を彫り込んだものを数多く作っていく計画でいます。今日は朝のうち雨が降っていましたが、午後になって曇りに変わりました。工房には毎週来ている美大受験生がデッサンを描きに来ていました。昼過ぎに染めのアーティストが工房に顔を出しました。工房に置いてあった染め粉や道具を取りに来たようで、作業台の下やロフトにあった道具を車に運んでいました。静岡で仕事があるとのことで、自分の技能で仕事が出来るのは幸せなことではないでしょうか。昨日来た文学系の子もそうですが、最近の工房スタッフは若返りが見られています。10代の子たちがやって来るようになるとは、俄かに信じ難いなぁと思います。これから自己表現活動を行なう子たちは、まさにスタートラインに立ったばかりで、真摯に自己発展を求める道と横道に逸れる迷いが生じて、決して安定した状態ではないはずです。ただし、工房という空間環境が迷いを遮断するものではないかと察していますが、どうでしょうか。私は創作活動にしても、今のような梱包作業にしても、コツコツ地道にやることで物事を達成してきました。彼女たちも同じかもしれません。私はまた来週末も梱包作業に追われているはずです。

週末 梱包作業に追われる①

週末になりました。朝から工房に篭って梱包用の木箱作りに精を出しました。昨年から木割を補強材として取り入れた木箱作りをやっていて、昨年の作り方を思い出しながら数点の木箱を作りました。工房の床に置いてある陶彫部品の数をざっと見積もると、20箱くらいは必要かなぁと思いました。ベニヤ板も木割も足りないことが分かって、今日は建材店に行ってそれらを補充してこなければなりませんでした。梱包用の木箱作りは創作活動ではありませんが、自分にとって退屈な仕事ではありません。祖父が大工、その先代も大工をやっていたおかげなのか、私はこうした仕事が苦にならず、寧ろ楽しんで出来ることを幸いに感じています。梅雨の鬱陶しい季節ですが、工房にいる間中、梱包作業に追われていました。今日は工房に若いスタッフが顔を出していました。毎週来ている美大を受験する高校生ではなく、同じ高校生でも文学をやっていきたいと考えている子で、彼女は詩や随想を書き溜めています。高校時代は私も詩人に憧れていた時期がありました。私の実家には文学的な環境が整っていなかったために、文学全集などは一冊もなく、詩に触れたのは高校の教科書を通してでしたが、授業の中で扱った詩の世界に惹かれてしまったのでした。私はコトバを操ることを途中で諦めて、美術の専門家になるべく人生の舵を切ったのでしたが、彫刻家になっても詩的な世界観がなければ創作活動は出来ないと今でも思っています。一緒に昼食をした時に、彼女のノートを見せてもらって、その初々しい感性に溢れたコトバに接しました。現在はネット社会であり、疑似体験が容易に出来ることが利点でもあり、また難しい点でもあることが分かりましたが、いずれにしても自分が感じたことを、コトバを通して表出できることは素晴らしいと思いました。この世界を継続して欲しいと願ってやみません。夕方、彼女を車で送りながら建材店に材料の買出しに行ってきました。ベニヤ板材の切断数が多いことと店が閉まる間近だったことで、ベニア板材の引き取りは明日になってしまいましたが、梱包作業は明日も継続する予定です。

イサム・ノグチ 社会的彫刻と壁画運動

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第16章「社会的目的をもつアート」と第17章「メキシコ」のまとめを行います。1933年に連邦政府によるアートプロジェクトの最初のひとつである芸術計画公共事業(PWAP)は始動したけれども、ノグチの作品は認められず、名簿から外される辛い仕打ちを受けました。そんな中で社会的な意味をもつ話題作「死」が作られました。「ノグチが『ニューヨーク・タイムズ』に語ったところによれば『人間に対する人間の非人間性』に対する抗議だった《死》の輝く身体は、炎の熱を避けようとするかのように脚を曲げ、死の苦しみに身をよじっている。ドラマにさらに切迫性をあたえるために、ノグチは像を本物のロープで金属の絞首台から吊るし、それによって鑑賞者をもこの犯罪の加担者とする。」また舞踏家マーサ・グレアムの舞台装置を手がけ、新たな空間を創出しています。「グレアムと仕事をすることでノグチは空間を彫刻し、装置をダンサーの動きの一部にできた。『マーサの場合、魔法のようなその小道具の使い方は驚異的だった。マーサは小道具を自分自身の身体の延長として使った』。『彫刻だったのはロープではない。ロープが創造した空間、それが彫刻だ』」。次の章ではメキシコに旅立ったノグチが、プロパガンダ的な壁画運動に参加したことが書かれていました。「ノグチは1935年最後の2ヵ月間に壁画レリーフの仕事をし、1936年はじめに完成させた。8ヶ月間のメキシコ滞在は最近のニューヨークでの怒りと欲求不満を鎮めてくれた。」また壁画運動の旗手ディエゴ・リベラの妻フリーダ・カーロとの情事もあったようです。「カーロは当時28歳、その美しさの絶頂にあり、ふたりはすぐに情事を始めた。官能的な唇とつながった二本の眉の下の突き刺すような視線、カーロはありきたりの美女よりもはるかに強くノグチを魅了した。」メキシコでは刺激的な日々を過ごしていたようです。

イサム・ノグチ 肖像から空間へ

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第14章「孤独な旅人、社交界の花形」と第15章「空間の彫刻に向かって」のまとめを行います。日本からアメリカに戻ったノグチは、世界的な恐慌を迎えて景気が悪くなる中で、前から取り組んできて家計を助ける唯一の手段である肖像彫刻をやっていました。注文は減っていたけれども、社交界との交流があって、ノグチは何とか著名人の肖像を作り続けていたのでした。そうした中で半抽象的なフォルムへ転回する試みが見られ、美術関係者からこんなコメントが寄せられていました。「リーヴィは、日米の血を引くことが『ノグチの作品を特徴づけるある種の両義的態度』に貢献しているのかと問いかけた。『ノグチはつねに抽象と具象、事実と意味の関連づけのあいだでうまく平衡をとろうとする一方で、はっきりいえば東洋的目的と西洋的目的の厳格な解釈を遂行する』」。次の章はノグチの求める世界がさらにモニュメンタルになっていく過程を描いていて、私には興味があるところです。「写実にあらずして人間的に意味のある彫刻、抽象的であると同時に社会的意義のある彫刻…アイデアは絶望の中で、夜、星を探しているときに生まれてきた」というノグチの言葉の通り、早くもこの時代に巨大なアースワークを模索していて、こんな文章もありました。「このモニュメントを『西部大草原のまんなか』あるいはオクラホマのどこかに建設したらどうかと提案した。『だが、ぼくはちょっと時代の先をいきすぎていた』たしかにそのとおりだった。40年後、アースワークは彫刻の分野における新たな展開としてもっともエキサイティングなものとなる。」そんな一方でノグチには母レオニーの死去という運命が降りかかります。「12月17日、ニューヨークに到着し、母親が肺炎を発症し、12月12日に人手不足で患者過剰のベルヴュー病院に入院したことを知った。2週間後、レオニーは59歳で息を引きとる。母を失うことはノグチにとって胸を張り裂かれる出来事だった。ひとつには母親の愛情をよりどころにしていたこともあって、自分が母をないがしろにしてきた、ある意味で捨て去ったのだと感じたにちがいない。」先日まで読んでいた母の伝記とは違うニュアンスが読み取れて、私には興味深く感じました。

自己研鑽としての読書

私は常に書籍を鞄に携帯しています。通勤途中で読むものは、比較的容易な内容のものにして、どこを開いても気軽に入っていける書籍がいいと思っています。書籍を選ぶ際に、私は癒しの時間として気軽に読める書籍と、自己研鑽として扱う書籍の2種類のものがあると思っています。現在、イサム・ノグチ関連の書籍を読んでいますが、これは国際的彫刻家が自己表現を広げていく上で、どんな空間解釈を獲得するに至ったのか、私にとっては自己研鑽に匹敵する要素もありますが、伝記の中に頻繁に出てくるエピソードには癒される面もあり、2種類の両方が存在している書籍ではないかと思っています。もうひとつは職場に置いていて、時間を決めて読んでいる論理学に関する書籍で、これには癒しの効果はありません。自分の思考を深化させるものと私は認識して、この重厚な哲学的論考に挑んでいるのです。まさに自己研鑽としての読書です。これはさらさら読めるものではなく、単元ごと、または頁ごとに行きつ戻りつしながら、論考の意図するものを把握しようとしています。こうした書籍を読破すると、私の中で部分的に印象に残るところがあり、時よりその論考が頭をもたげてくるのです。今まで読んだもので、それは人間関係の心理的な綾であったり、死生観であったり、モノの存在に纏わる基本的な考え方であったりしています。そもそも事実学ではないところが、芸術を生涯の友にしている自分にとっては必要と考えていて、自己表現を深めるべきものだろうと思っています。

「序論」について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)を先日から読み始めています。本書は本論に入る前に「序論」があります。ここでは本書を執筆するに至った動機が述べられていますが、これについて到底私は簡単にまとめることが出来ず、その都度気になった文章を拾い上げることにしました。まず、学問とは何かについてです。「新しい意味での学問はプラトンによる論理学の基礎づけによって初めて成立するのであり、そしてその論理学とは、《真の》知識と《真の》学問の本質的な諸要求を究明し、そうすることによって学問の諸規範を明示する場であった。」諸科学の隆盛が論理学との相互関係を逆転させてしまっていることを憂いたフッサールは、こんなことも書いています。「論理学は、学問の純粋な本質的諸規範をそれらすべての本質形態について考察することによって、諸学を原理的に指導し、諸学が自ら真の方法を形成して、その進路のすべての段階で自らその責務を果たしうるようにすべきであるのに、今や論理学は論理学自身の学の理想と問題提起においても、事実学に、とりわけ人々が驚嘆する自然科学に導かれることに甘んじている。」また本書の目的として「真の学問の理念を学問の規範である論理学へ歴史的に回帰させることによって喚起させる一つの道」と述べています。論理学自身はどうかと言えば「この論理学の課題自身も、学問一般の真の意味を明らかにして、それを明確に理論的に開明することでなければならない。」としています。これについては「形式論理学本来の意味の志向的開明」であるとして「この開明は歴史的な経験が概観的にわれわれに提供してくれる理論的な形成物〔=概念や判断〕から、すなわち形式論理学の伝統的な客観的内容を組成している事物から出発して、それらの形成物を〈意味形成物として成立させた論理学者たちの生き生きとした志向〉の中へ引き戻すのである。」本書は第一篇「形式論理学の基本的概念の三層構造」と第二篇の「主観的ー論理学的な事柄」で成り立っています。加えて第二篇では「主観の側にかかわる意味の諸問題はすべて、自然な人間の主観性の諸問題すなわち心理学的な諸問題ではなく、超越論的な主観性の諸問題、しかも(私が導入した)超越論的現象学の意味での諸問題だ」と述べられています。うーん、頭を論理学とは何たるものかに切り替えていかないと、これは容易に読破できないかなぁと思いつつ、本書を閉じました。今日はここまでです。

イサム・ノグチ 中国と日本への旅

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第12章「自然に理由を見つけるために」と第13章「大地との固い抱擁」のまとめを行います。本書は2ヶ月読書を控えていて、久しぶりに戻ってきたのでした。というのはイサム・ノグチの母の伝記「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)を先に読んでいたためです。芸術家が誕生する契機とはどんなものか、母の生涯を通して私はその背景を探りたかったのでした。そこを踏まえてノグチの東洋への旅をまとめてみたいと思います。第12章の舞台は中国です。奨学金を得て、ノグチはまず中国の北京に滞在しています。「北京で過ごした日々、ノグチはできるかぎりすべての中国美術をむさぼるように吸収した。15世紀の寺院『天壇』に魅了された。ノグチによれば、そのフォルムは宇宙と地球の関係観念を表現した宇宙論を意味する。広大な寺院群のなかでノグチにもっとも強い印象をあたえたのは、円と正方形を組み合わせた段状の木造建築だった。」後年、ノグチの制作した公共的な彫刻作品に、円と正方形が象徴的な意味をもって登場してくるのは、この時期の影響かもしれません。次の第13章では日本への旅が綴られています。父野口米次郎との確執で微妙な関係だったにも関わらず、ノグチは京都を訪れています。「ノグチは京都で暮らした4、5ヶ月を『大いなる内省と沈黙の時期』と呼ぶ。『なにか原始の素材でアイデンティティを求めながら』『大地との固い抱擁』を楽しんだ時期だった。」この時期は陶芸に親しんでいたようです。「子ども時代に母から手ほどきをうけた仏教庭園の再発見は、彫刻のとりくみについて新たな考え方を促した。ひとつの彫刻が自己規定されたオブジェである必要はなかった。それは空間や庭園でもあるうるし、大地もまたアートの素材たりえた。」ここには重要な空間解釈があって、共感と共に私の心を打ちます。「日本に対するノグチの感情は曖昧なままにとどまった。わが目で見た外国人排斥と軍国主義はノグチにとって嫌悪の的ではあったが、それでも日本文化に対する情熱は消えなかった。」

週末 木箱の作り方を思い出す

梱包用木箱は東京銀座での個展が始まった当初から、陶彫部品を収めるために作っていますが、昨年から美術品運送業者の指導を受けて、木割を合板の補強として使った木箱を製作しています。昨年作った木箱の余り材料があったので、作り方を思い出しながら、今日から実際に木箱を作り始めました。今回個展に展示する陶彫部品も数が多く、幾つくらい木箱が必要なのか見当がつきませんが、搬入までの残りの週末は全て木箱作りと収納に費やします。昨年は電動タッカーを購入して作業効率を上げたことも思い出しました。昨年の木箱は全てロフトに上げているため、それらを一時保管していた場所が空いているので、今年もそこに収納が終わった木箱を積んでいこうと思っています。幸い今年の陶彫部品は昨年に比べるとやや小さめなので、規格の木箱からはみ出る心配はなさそうです。まず余り材料で5つくらいの木箱は用意できそうですが、今年も合板や木割材を補充しなければならず、それは来週末に建材店に行こうと思っています。今月中に何とか目途が立つでしょうか。合板をどのくらい使ったのか、木割材がどのくらい必要なのか、昨年の記録が残っていたので助かりました。今日も午前中は梱包用木箱作りに充てて、午後からは最新作品の彫り込み加飾を行ないました。最新作品2点目の陶彫部品は大き目の作品なので、なかなか手間がかかります。半日しか制作できないので、思うように進みませんが、梱包だけで一日を過ごすよりは、多少なりとも創作活動に関われた方が精神的な充実が図れて満足できます。今日も先週に続き、美大受験を考える高校生がデッサンを描きに工房に来ていました。描写の調子を上げつつある彼女は、デザイン系の構成をやりたいと言っていました。このデッサンが完成すれば、平面構成をやらせようかと思っています。工房に出入りしている先輩大学生の受験の時の平面構成があるので、それを参考に平塗りを教えていこうと思っています。私は高校時代に色彩が駄目で工業デザイン進学を諦めた過去があり、平面構成に関しては複雑な心境ですが、工房に出入りしている子たちは皆んな色感があり、私よりも優れたデザイン適性を持っていると思っています。そんなことを考えながら彼女のデッサンを見ていました。

週末 柱の梱包&最新作の加飾

週末になりました。個展の搬入まで数えるくらいしか週末がない中で、出展作品の梱包を最優先していますが、つい作りかけの最新作品が気になってしまい、今日も梱包の後で、創作的な仕事を入れてしまいました。梱包は「発掘~突景~」の3本柱を1本ずつ包みました。ビニールシートにエアキャップを貼って、作品が傷まないように配慮しているのです。次の梱包は数多くある陶彫部品になるので、いよいよ木箱を用意しなければなりません。明日からの梱包は陶彫部品になります。午後からは最新作品に取り組みました。現在作っている最新作品は50センチの高さがある直方体で、幅は30センチあります。先週末に成形が終わっているので、彫り込み加飾の下書きをやっていました。この時期は梅雨とはいえ、陽が照ってくると夏本番の暑さになります。雨が降ると一転して涼しくなるため、どうも体調が思わしくなく、今日も工房で6時間ほど作業をしていましたが、身体に妙なダルさがあって、気持ちよく作業は進みませんでした。最新作品はイメージが見えているようで、曖昧なところが多く、彫り込み加飾の下書きも陶板の表面に鉄針であたりをつけてみたものの、気に入らないので全てやり直しました。彫り込み加飾は工芸的な作業ですが、実は手間も時間もかかります。彫り込み加飾は明日も継続になりました。1点ずつ陶彫部品を丁寧に作って、それを集めてひとつの世界を創出させる計画は、始めたばかりのこの段階ではまだ先が遠くて、全体図はぼんやりとした霧に覆われています。1点ずつ近視眼的に部品を作っていく作業は、精神的には楽な反面、最終的にはどんなものになるのかハッキリと見えず、多少の不安を抱えています。創作の面白さはまだこれから起こってくるもので、今は我慢を重ねていく制作工程にあります。一気呵成に出来ない集合彫刻の生真面目な歩みこそ、自分らしさが出ると私は思っていて、焦らず休まずをモットーにして頑張っていこうと思っています。

「形式論理学と超越論的論理学」を読み始める

私は久しぶりに難解な思考に網羅された専門書を読もうとしているのですが、今までもなかなかそれに手が出せず、若い頃のように途中放棄をしたくないため、これから読んでいく書籍には慎重にならざるを得ません。自分の頭脳を一定時間それに費やさないと解読が出来ないので、今の職場の立場で休憩時間が取れる時に、自分を追い込んでいくのが得策と考えることにしました。自宅でゆっくりしている時は絶対に頭に入ってこない領域のひとつだからです。職場での休憩時間は45分なので、それ以上その日は読まないこととして日々取り組んでまいります。「形式論理学と超越論的論理学」の著者であるエトムント・フッサールは現代に至る現象学の体系を創始したオーストリアの学者として知られた存在です。フッサールは最初数学者として出発しましたが、現象学を提唱にするに至って20世紀哲学の流れを作ったという情報もあります。嘗て私が読んだ「存在と時間」を著したマルティン・ハイデガーは、フッサールの弟子でした。フッサールとハイデガーは論理の齟齬から袂を分かつことになりますが、双方とも自分が興味のある論理を展開したため、今回の読書に繋がりました。本書は現象学を紐解くために傍らに置いた方がよい書籍とされているので、フッサールの思考を考える上で重要なものだろうと思います。私が本書にどのくらい食らいついていけるのか、NOTE(ブログ)では小さなまとめを掲載したいと思っています。今までも専門書のまとめを掲載してきましたが、これは読者への語り口というより、私が自らのために行っているメモと思っています。読者には迷惑なことですが、ご容赦ください。

「レオニー・ギルモア」読後感

「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)を読み終えました。世界的に有名になった彫刻家イサム・ノグチの母であり、詩人野口米次郎の妻であったレオニー・ギルモアとはどんな人物だったのか、イサム・ノグチの伝記から読み取れるレオニー・ギルモアは、常に脇役であり、運命に翻弄されるままの女性という印象を私は持っていましたが、どうもそれだけでは語れないところがあるように思えました。運命を受け入れても自立した人生観を持ち、自発的行動力が伴っていることに、私は驚きました。また、イサム・ノグチの彫刻作品に対し、息子に信頼を寄せつつ、的確な批評をしていることも特筆できます。「訳者後書き」にこんな文章がありました。「実際、レオニーの受けてきた教育を知り、彼女が人生の節目、節目に自ら決断し、行動し、人生を自らの手で作りあげてきたことを知るにつれ、わたしたちはレオニー・ギルモアが、単に献身的で犠牲的な女性であったという考えは全面的に改めなくてはならないことに気がつく。~略~また、母としてのレオニーが、イサムを芸術家にするために、いかに強い目的意識をもってあたったかを知るにつれ、彼女の意志の強さに驚かざるを得ないのである。レオニーと野口米次郎との関係はある意味、悲劇的な結末を迎えたといえるが、案外そこに悲壮感がないことも興味深い。シングルマザーとして子どもを育てるレオニーの生活は、経済的には切迫していたものの、彼女はいつも前向きで、希望と活力に溢れている。」(羽田美也子・田村七重・中地幸 著)イサム・ノグチの芸術家としての出発に欠かせない母の存在、レオニー・ギルモアを知れば知るほど、彼女の生き様を通して芸術家の母としての揺るがない意志力に、私には頷けるものがあると感じました。

板橋の「深井隆ー物語の庭ー」展

昨日、東京板橋にある板橋区立美術館で開催中の「深井隆ー物語の庭ー」展に行ってきました。板橋区立美術館は過去に数回訪れたことのある美術館で、規模は大きくないけれど美しい空間をもつ美術館です。ただし、私の住む横浜からはかなり遠くて、嘗ては公共交通機関を使ったので電車を乗り継ぐのが大変でしたが、車で行くと割とすんなりと行ける美術館だったことが分かりました。彫刻家深井隆氏は私より5歳上の木彫家で、同じ世代と言ってもいいと私は勝手に思っています。経歴を見ると、藝大のアトリエで制作していた彼の方が恵まれた環境にあったように思いましたが、樟を使い、椅子や馬を象徴的に扱っている作品は、どこかの機会で拝見したことがありました。重厚感のある木彫の椅子に翼があったり、馬の上半身が彫られていて、これは何を意味するのか考えたこともあり、ただ、これは単体として彫刻を見せるのではなく、周囲の空間を意識して詩的なイメージを掻き立てるものではないかと察していました。何しろ空間の捉えが美しく、彩色した彫刻に自然な美を見て取れるのは、作家本人のイメージや考え方がしっかりしているためだろうと思いました。私がやっている陶彫もそうですが、自分の中で技術も含めて充分実材を咀嚼しておかないと、実材ばかりが目立ってしまい、何が作りたいのか分からなくなる傾向があるのです。作家のイメージが優先して見られるのは、長年にわたって樟という素材に、作家が正面から真摯に取り組んできた証と言ってもいいと感じました。質が高く、緊張した空間に私自身も活力をもらった展覧会でした。最後に図録にあった言葉を引用いたします。「『人間の存在とは何か、これを椅子、馬、柱といった形をかりて表現したい』という言葉からも明らかなように、深井が40年以上にわたる制作の中で作り続けたのは、人間の存在である。深井が人間の存在をテーマとしながら、作品の中に人間の形が認められないということは、ある特定の時代の人物ではなく普遍的な人間の姿を追求しているからであろう。」(弘中智子著)

年休取得して亡母の用事&美術館へ

今日は職場を休んで亡母の用事を済ませてきました。母は東京都大田区蒲田に生まれています。そのため戸籍謄本を取るのに大田区役所に行く必要があり、家内と蒲田駅前にある大田区役所に自家用車で行ってきたのでした。母は大正15年生まれで、18歳まで蒲田に暮らしていました。母が生まれた時の住所は荏原郡蒲田町大字で、実家は和菓子屋を営んでいたようです。母は川崎にある高等女学校を卒業し、横浜の父の元に嫁いできました。戦前の横浜市保土ヶ谷区(旭区)は、鬱蒼とした雑木林に田畑が広がり、車は滅多に見かけず、道の舗装もない片田舎でした。相原の家は所有している田圃からコメを収穫し、それを保存して自給自足の生活をやっていました。戦後になって私が生まれた頃の相原の実家にはまだ土間があり、そこに大きなコメ蔵がありました。台所は薪で火を起こしていて、台所の裏には五右衛門風呂もありました。今でこそ懐古趣味を擽りますが、当時の私はそんな実家の構造が嫌いでした。母も都会育ちだったので私と同じような気持ちになっていたでしょう。私や妹が学生になり、母は育児から解放されるとさまざまな稽古事に手を出し、青春を取り戻そうとしていたように見えました。大田区役所では古い記録を探すのに手間がかかっていたようでした。昼ごろに書類が整い、私たちは大田区から板橋区へ向かいました。東京都をほぼ横断するように首都高速を走りぬけ、板橋区立美術館に辿り着きました。多くの美術館の展示が始まっていない中で、板橋区立美術館が現代彫刻家の個展を開催していたので、久しぶりに美術館に足を運びました。「物語の庭 深井隆」展は5月10日に閉幕していたはずがコロナ渦の影響で会期を延長していたので、詩想に溢れた木彫の大作を見ることが出来たのでした。今まで外出自粛が続いていたため、美術館という空間に改めて新鮮さを感じ、彫刻という実材を伴う立体表現を実際に見ることは、何て素晴らしいことなのだろうと思いました。空間の中に点在する彫刻の凛々しさに私の気持ちもストンと落ちて、自分もこの世界の端くれにいることに誇りを持ちました。「物語の庭 深井隆」展の詳しい感想は後日改めますが、とても快い時間を過ごせました。

「第6章 帰国」について

「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第6章 帰国」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。「レオニーとアイレスは横浜港を1920年1月25日に中国郵船会社の南京号で出港し、2月11日にサンフランシスコに到着した。」東京や神奈川で過ごした日本に別れを告げ、母子はアメリカに帰りました。イサムは先にアメリカにいて、当時を振り返ってこんな文章を書いています。「この頃母はどうにかしてアメリカに戻ってきた。サンフランシスコに着き、間もなくニューヨークに到着した。母は多色刷りの版画や真珠、そのほか細々した物など、日本の物品を専門に輸入しようと考えていた。彼女はニューヨークのイースト10丁目にアパートを借り、私はそこに一緒に住んだ。~略~この頃私はまだイサム・ギルモアという名前で通っていて、完全にアメリカ人として順応していた。私には全く日本を醸し出すものはなかった。しかし自分が彫刻家であることを意識し始めると、私は心ならずも自分の名前を変えた。自分にはおそらく名乗る権利のない名前を名乗ったのだ。母は狼狽したが、反対はしなかった。そうしてむしろ私が母を離れ、日本を苦しみの中で選ぶのを黙認したのだった。」レオニーはイサムに芸術家としての人生を歩ませるために学校を探してきました。「イサムを芸術的運命へと引き戻すための最初のステップは、彼をアートスクールに入れることだった。1924年、レオニーはイサムが興味を持ちそうなアートスクールの噂を聞いた。前年12月に開校したばかりの、レオナルド・ダ・ヴィンチ・アートスクールである。~略~1924年にイサムは尊敬すべきオノリオ・ルオトロの下で学び始めたが、すぐにルオトロの推薦で、地域の芸術家グループの会員にもなっている。イサムの初期の肖像彫刻は主として友人のものであり、ラムリー博士は義父である故エメット・スコットの胸像を注文してくれた。ニューヨークに来て以来、イサムは父親の日本人の友人二人ー舞踏家の伊藤道郎と細菌学者の野口英世ー庇護の下にあったが、両者ともに、医学の道は捨てて、芸術家になれと励ましてくれた。」イサムは1927年に奨学金を得てパリに旅立っています。その後のイサム・ノグチの活躍はよく知られていますが、レオニーとイサムは手紙のやり取りをしていて相手を気遣う様子が伺い知れます。「イサムが12月17日(1933年)ニューヨークに戻ったときには、レオニーはすでに1週間近く入院していた。実は、かなり長い間レオニーの健康はすぐれなかった。心臓に問題があったのだが、動脈硬化がそれを悪化させていた。クリスマスが近づき、過ぎてしまっても、病状は回復しなかった。そして12月31日夕方6時30分に心臓発作を起こして、亡くなった。」レオニー逝去をもって第6章はここまでにいたします。

週末 作品の梱包開始

昨日、「発掘~聚景~」の屏風裏面の塗装が完了し、塗料は一日で乾いていました。そこで今日から作品の梱包を始めることにしました。屏風になっている厚板6点は、それぞれ別々に梱包することにしました。ビニールシートにエアキャップを貼って、砂マチエールを保護するように包みました。6点もあるので思ったより時間がかかり、午前中いっぱいかかりました。砂マチエールが厚板についているため重量はかなりあって、包んだ厚板を工房の端に運ぶのに一苦労でした。これで屏風は全て梱包されて工房の作業空間から姿を消しました。来週末は陶彫部品を収納するため木箱を作らなければならないなぁと思っています。午後は最新作品に取り組みました。一日中梱包をやっていると、創作意欲が失せるので同時並行して最新作品に取り組むことにしたのでした。陶彫部品の1点目は既に成形と彫り込み加飾が終わっていて乾燥を待っている状態です。今日から作り始めた2点目は高さが50cmくらいあって、少々手間がかかります。実はこれは一段目でさらに高くしていこうと思っています。午前と午後で梱包と制作を分けてやっていますが、なかなか手強い作業になって疲労が溜まります。一日工房で過ごしているとヘトヘトになります。今日も先週に続き、美大受験を考えている高校生がデッサンを描きに工房に顔を出しました。彼女は先週より調子が良さそうで、だいぶデッサン力が戻ってきたように思いました。夕方になって完成したデッサンに満足していました。高校はまだ通常通りになっていないようで、半日で帰る日が続いていると言っていました。梅雨になり、雨が降ったり止んだりしていました。昨日もNOTE(ブログ)に書きましたが、周囲の木々は潤っていて美しいと感じますが、身体を使う作業には鬱陶しい季節になって体調がおかしくなりそうです。また来週末もこの作業の継続です。

週末 屏風裏面塗装&最新作続行

週末になりました。関東は梅雨に入り、今日は時折どしゃ降りの雨が降りました。湿気を孕んだ気候は、人には不快を与えるものですが、陶彫には絶好の季節で、とりわけ乾燥がゆっくり進むので、その段階で罅割れることが少ないのです。陶彫にとって湿気は歓迎すべきことなのです。作業する身にとっては気温がそれほど高くなくても湿気によって汗が滴り、シャツに滲みを作っていました。今年も個展が例年のように開催されることになって、出展作品の修整や梱包に弾みがつきそうです。7月19日(日)が搬入日になったため、そこまでの週末の作業を計算してみました。私は横浜市公務員との二足の草鞋生活のため、毎年のように時間はないのですが、今年も例外ではなく余裕は全くありません。工房で午前中は、「発掘~聚景~」の屏風裏面の塗装をやっていました。裏面の塗装は6点全て完了し、塗料の乾燥を待って明日から梱包を始めます。「発掘~突景~」の番号印を貼る作業もやりました。出展作品の準備として今日はここまでかなぁと思い、午後には最新作品の2点目になる陶彫部品を作るための準備をしました。背の高い直方体を作るために数枚のタタラを作りました。小分けにして菊練りした陶土を掌で叩いて、座布団大に引き伸ばします。紐作りの補強用に陶土を残しておいて、水を打ちビニールをかけて準備終了となります。毎回やっている作業ですが、結構パワーを使います。夕方は雨が降ったり止んだりしていて、ふと目をやると工房の周囲にある木々の緑が潤っていて、とても美しいと感じました。とくに紫陽花の色彩は微妙なニュアンスがあって、暫し見惚れてしまいました。自分の作品は幾星霜にも耐えてきた建造物を表現した「発掘シリーズ」ですが、周囲にある花々の可憐な美しさは、自分の求める美とは真逆にある価値を有していて、心を和ませてくれるもののひとつです。工房に来る度に色濃くなる木々の緑に、常に変化する自然の素晴らしさを感じずにはいられません。うっとうしい梅雨ですが、周囲の自然環境だけは心にゆとりを持って眺めていたいものです。