「諸原理の明証性批判から経験の明証性批判へ」第82節~第84節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第4章「論理学の諸原理の明証性批判から経験の明証性批判への回帰」に今日から入ります。これも第3章同様に題名が長いので、題名表示を多少省略をさせていただきました。今回は第82節から第84節までを読み解いていこうと思います。最初に還元という語彙が出てきます。まず冒頭に「われわれが最初になすべきことは判断から判断の基体への回帰、諸真理からそれらの関連対象への回帰でなければならない。」という問いかけがありました。「現実の判断も可能な判断もそれらはどれも、われわれがその統語の仕方を調べてみると、究極の核へ立ち帰ること、したがって〈どの判断も最後には、もはや何の統語の仕方も含まぬ複数の要素的な核からなる、一つの統語論的な構造であり、場合によっては非常に間接的な構造でもありうること〉を、アプリオリに洞察しなければならない。」また「還元とは、われわれが純粋に思念と追跡して、究極的な或るものの思念内容に到達すること、すなわち何よりもまず、思念された判断の対象について、思念された絶対的な論題の対象へ到達することであり、そしてさらに、さまざまな段階の判断が構築される基盤となる究極の諸判断の場合には、意味の範疇的な根本的諸変化へ、すなわち絶対的な或るものへ、意味としての絶対的な諸特性、諸関係などへ回帰することである。」とありました。次に諸真理の類似した還元についてです。「判断が究極的な意味をもつ究極的な判断へ還元されるのに対応して、真理も高次の段階の真理から最低段階の真理へ、すなわち諸事象とそれらの各領野に直接関係する真理へ還元される。換言すれば、そこでは各基体が指導的な役割を果たしているのであるから、それぞれの対象領野に含まれている個々の対象と関係する真理へ還元されるーちなみに個々の諸対象とは、それら自身の内に判断の統語を少しも含まず、しかもそれら自身の経験可能な現存在についてはあらゆる判断作用に先だって存在するものである。」次に明証性の階層についての論考です。「種々の判断とそれらの判断意味の階層には種々の明証性の階層が随伴しており、本来最初の各真理と明証性は、個物のそれらでなければならない。〈明証性の、しかも実際に最も根源的な明証性、すなわちその各基体と各事態を根源的にまったく直接把握する明証性という形式で、主観的に形成される各判断〉はアプリオリに個物判断でなければならない。」今回はここまでにします。

「理想化する諸前提と構成的批判」第78節~第81節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第3章「論理学が用いる理想化する諸前提と、それら諸前提についての構成的批判」は題名が長いので、題名表示を多少省略をさせていただきました。今回は第78節から第81節までを読み解いていこうと思います。初めに真理自体と誤謬自体の諸前提に関わることが出てきました。「実証性の立場に立つ論理学者と論理学にとっては、科学者各自を彼の専門分野で暗黙に導いている基本的な確信が、すなわち真理自体と誤謬自体の確信が、いつもすでに伏在している。われわれにとっては多くの判断がその正当性を決定されぬままの状態にあり、およそ可能な諸判断の大部分が実際には決して決定されえないままであるが、しかしそれら判断自体は可能である。」次に真理の前提の明証性についての記述がありました。「実践生活を可能にする認識可能な諸真理の諸領域のほかに、諸科学の無限な認識の諸分野をも所有しているのである。それら諸科学の可能性は〈それらの各分野が真に存在しており、しかもそれら諸分野にとって理論的な各真理自体が、探究されて徐々に現実化されるさまざまな認識の道によって現実化される真理として成立しているのだ〉という、この確実性に完全に依拠しているのである。」また「要するにわれわれがこれまでに行なった明証性批判の諸断片からすでに明白になったのは、明証性とは何よりもまず、素朴に行使される《隠れた方法》であり、したがって〔対象〕自身を所有する様態での意識としての明証性の中で、われわれはいったい何を実際にそのもの自身として所有しているのか、しかもどのような諸地平と一緒にそれを所有しているのか、ということを知るためには、明証性の能作が究明されねばならない。」という論考もありました。最後の節では今後の諸問題が掲げられて、第3章「論理学が用いる理想化する諸前提と、それら諸前提についての構成的批判」を終えていました。次回から第4章に入ります。

天皇誕生日は陶彫制作一辺倒

今日は第126代天皇徳仁の誕生日です。現在即位されている天皇は61歳になります。私のほうが少々年上ですが、世代としては自分と同じと思っていて、天皇のお人柄に親近感を覚えます。2月に勤務を要しない日が増えたことは、今月が激務になることを考えれば歓迎ですが、3月末をもって私は現職から解放されるため、関係はなくなります。それでも今はまだ現職でいるので、今日はホッとして休日を過ごしました。今日は天気の良い一日で、気温も創作活動にはちょうど良く、陶彫制作一辺倒で過ごしました。先週末に陶土を掌で叩いて、大きめなタタラを数枚用意していました。ビニールで包んで乾燥を防いでいましたが、硬さはちょうどいい状態になっていて、成形がやり易くなりました。タタラは2日間くらい置くのがいいのかと思いました。公務員との二足の草鞋生活をやっている間は、その時間差を作るのが難しいのですが、4月以降はいい状態で成形が出来るだろうと期待しています。成形は陶土を立体にしていくので一番彫刻的な作業です。楽しくてあっという間に数時間が過ぎていきました。今日やっかいだったのは私の花粉症が始まったことでした。朝起きるとくしゃみの連続で、工房に行ってもくしゃみが止まりませんでした。コロナ渦の影響で工房の窓を開け放しておくと、花粉が入ってきて眼や鼻を襲います。コロナ渦か花粉症か、究極の選択に一時は作業どころではなくなっていました。気温上昇と乾燥で喉も渇きました。真冬とは違う状況に身体が追いつかず、彫り込み加飾をもう少しやりたいところで、花粉症に耐え切れず工房を後にしました。工房は亡父が残した植木畑の真ん中にあるため、花粉がキツイのかもしれません。また次の週末で頑張りたいと思います。

19’RECORD10月~12月をHPアップ

2019年に制作した最後のRECORD3ヶ月分をホームページにアップしました。2019年は「~の風景」というタイトルでRECORDを制作していました。10月は「分離の風景」、11月は「拡散の風景」、12月は「円環の風景」でした。陶彫部品を集合させて表現している私の彫刻にも通じるタイトルで、彫刻でも私は「~の風景」の如く心象の風景を作ろうとしています。風景の創造は私の世界観全般に言えるテーマで、彫刻で作っている架空都市も、嘗て見た遺跡から多くのイメージをいただいているのです。RECORDはもっと気軽に作れる媒体なので、イメージの多様化をいろいろ試していて、バリエーションも数多くあります。それに添えるコトバは視覚表現よりも世界が狭くなってしまうのが私の特徴かもしれませんが、コトバはいつになっても慣れません。普段からコトバのトレーニングをしていないために、必要に迫られて急遽作った感じが否めないなぁと思っています。私の場合はイメージは画像として現れてきて、コトバは後追いになってしまうのです。これは10代後半から本格的に美術の専門の道を歩み始めたことで、美術に関してはトレーニングを頻繁に繰り返してきました。つまり造形とコトバとの間には経験の差があって、コトバに困難を感じてしまうのは、こんなところにあるのだろうと思っています。今回アップしたRECORD3ヶ月分を見ていただけるのなら、左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉が出てきますので、その中のRECORDをクリックしていただけるとRECORD3ヶ月分に辿りつけるかと思います。ご高覧いただけると幸いです。

週末 立体を作っている実感

今日は朝から工房に篭って陶彫成形を行いました。大きなタタラを立ち上げ、紐状にした陶土で補強しながら立体にしていきます。今年の新作は陶彫部品それぞれを直方体にしていくのが基本形態です。重さで歪まないように木片のブロックで抑えながら裏側を紐状の陶土で補っていきます。今日は立体を作っている実感がありました。彫刻家としての満足感がありましたが、陶彫は通常の塑造と異なり、裏側を空洞にするため、常に陶土の厚みを気にしています。焼成で割れないようにするための造作ですが、それでも罅割れが生じることもあります。陶芸のように轆轤を使えば皹割れを少なくすることもできるのでしょうが、陶彫で矩形を作る場合は基本としてタタラを用います。嘗て人体塑造を作っていた時は、土の厚みなど気にすることはありませんでした。陶彫独特の造形方法があることを知り、それ以来厚みに拘り続けているのです。陶彫制作を始めた頃は陶土を薄い板にしていましたが、彫り込み加飾が楽しくなってから陶土は厚めに設定しています。彫り込む部分を計算に入れているのです。今日は陶彫成形を1点作り上げ、途中まで彫り込み加飾を施していました。夕方になって大きなタタラを数枚用意しました。明後日が天皇誕生日で勤務を要しない日なので、ここでまた陶彫成形が出来ると思いました。明後日、さらに陶彫成形を1点加えます。彫り込み加飾はその時まとめて行おうと決めました。今日は気温が上昇し、上着を脱ぎたくなるような陽気になりました。いつものように美大受験生が鉛筆デッサンをやりにきていました。デッサンが上達し、描くことが楽しくなってきたようで、彼女は溌溂と作業をしていました。夕方、車で彼女を送ってから帰宅しました。明後日、また頑張ります。

週末 土練り&彫り込み加飾

やっと週末になりました。今週はウィークディの仕事の休憩時間を使って、論理学の書籍を読み続け、NOTE(ブログ)に読んだ箇所の引用文章を毎晩掲載していました。よく読み込むと難解と思われるところも意外に内容を把握できるかなぁと思いましたが、ドイツ語翻訳独特な言い回しや使われている語彙が難解で、かなり辟易していました。つまり論理学とはこういうものだということを様々な角度から論じているので、場合によっては短絡的であったり、誤解が生じる場面を細かく指摘してあって、それをひとつずつ注意を払って論じていることが分かりました。ともかくこの書籍は私が現職でいるうちに、職場にある私の部屋の閉ざされた空間で、気合を入れて読み込んでいかないと途中放棄もありうると思っています。来月末までに何とか読破したいと願っています。今日は朝から工房に篭って制作三昧を決めました。土曜日はウィークディの仕事疲れがあって、身体が緩慢になり、陶土に触れていてもちょくちょく休息を取ります。こういう日は単純な力仕事がいいのではないかと思っていて、土曜日は土練りやタタラの準備、午後は陶彫成形が出来上がっている作品に彫り込み加飾を施していました。陶彫制作で創作的傾向が強いのは成形です。それは日曜日に行うのが定番になっていて、今日はその準備を行っているのです。明日になれば、もう少し身体が動くようになるので、カタチを作り出す成形は明日が相応しいと決めています。彫り込み加飾は身体の負担はそれほどでもないのですが、工芸的な作業なので粘り強く取り組まなければならず、疲労を感じている身体には少々つらい作業でもあります。それでも立体を考えるものではないし、近視眼的な捉えが出来れば何とかなるので、今日は半日かけて彫り込み加飾をやりました。今日は暖かい一日で、午後からストーブを消しました。工房の窓から見える梅が満開を迎えています。梅の花は長く保っているので、嬉しさを感じます。春が確実にやってきていると実感しています。明日も頑張ります。

「理想化する諸前提と構成的批判」第75節~第77節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第3章「論理学が用いる理想化する諸前提と、それら諸前提についての構成的批判」は題名が長いので、題名表示を多少省略をさせていただきました。今回は第75節から第77節までを読み解いていこうと思います。第75節に登場するのは分析的な矛盾律です。「純粋に客観的にみれば、単純な分析的矛盾律はイデア的な数学的《実在》と共実在についての、したがって複数の判断の判明な同時的可能性についての定理である。しかし主観的な側面には、明証性のアプリオリな構造と、その構造にさらに付随する主観的な諸能作のアプリオリな構造とがあり、そしてその構造が開明されることによって、それら能作の客観的な意味に対応する主観の側の本質的な実状が開明されるのである。」第76節に登場するのが真理論理学に関する考察です。冒頭に「われわれがこれまでに論述したのは《単純な》普遍学という、かなり狭義の分析論についてであったが、この分析論は、われわれがすでに知っているように、新しい諸教科を増やすのではなく、特殊な論理学的機能を獲得するだけであるが、しかしやがて真理の諸概念をテーマにして、それらの概念に関する諸定理を拡充すれば、無限に稔り豊かな学問である。」という一文がありました。「論理的な諸教科が、形式の本質的な諸概念を各範例からの本質一般化によって創るのと同じように、形式的真理論も真の存在と述定の真理の諸範例から創るのである。」さらに「われわれの研究が適切な出発点にしているのは真理の概念と、この概念を公理論的に解明する《論理学の諸原理》とである。われわれがここで想起するのは、〔判断される事象の〕真の存在と判断の正当性としての真理のこの両概念であり、しかも双方をさらに自己能与(すなわち広狭両義の経験)と合致とに遡って関係づける、これら両概念の起源についての分析である。」第77節では矛盾律と排中律が登場します。「矛盾律と排中律のこの二重の原理が端的に述べているのは〈どの判断も真か偽のどちらか一方だ〉ということである。真と偽が根源的にその意味と正当性を汲み取るのは明証性からではあるが、しかしどの判断も明証性というような主観的な語を含んでいない。同一の判断が時に応じて真であったり偽であったりすることもなく、その判断はいつも確実に真もしくは偽である。」今回はここまでにします。

「理想化する諸前提と構成的批判」第73節~第74節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第3章「論理学が用いる理想化する諸前提と、それら諸前提についての構成的批判」に今回から入りますが、題名が長いので、題名表示を多少省略をさせていただきました。今回は第73節から第74節を読み解いていこうと思います。最初にこんな問いかけがありました。「今回必要なことは、分析的論理学に対する批判であり、この批判を通してわれわれ自身が、一連の理想化する諸前提をはっきり意識〔問題視〕すべきである。その諸前提とは〈分析的論理学が、主題化された方法によってではなく、やはりまだ素朴に行使されていた方法によって、あたかも当然のことのように用いており、そしてわれわれがそのことに気づかずに継承してきた諸前提〉のことである。」第73節では数学的解析学が用いる理想化する諸前提が出てきます。「明らかに論理学はその形式的な一般性と法則性とによって、あらゆる種類と段階の諸判断すなわち範疇的形成物を前提しており、そしてそれら諸判断の自体存在は同一の状態で確定している。論理学は、どの思惟者どの思惟共同体に対しても自明な次のことを前提している。すなわち〈私が言ったことは私が言ったのであり、私の思惟の顕在性がいかに中断しようと、私は自分の判断の思念内容の、すなわち私の確信の同一性をつねに確信しうるのであり、しかもその同一性はいつでも自由に利用しうる持続的な所有物であることを、洞察し確信しうること〉を前提している。」また「〈形式的には一般に、あらゆる具体的に論理的な、すなわち学問的な思惟作用に含まれていて、広く一般的に理解されている方法、すなわち同一の意味を顕在化する方法〉は論理学の基本概念を形成する方法の主要部分である。」第74節では「等々」とは何かを考察する部分が出てきます。「ここでは、論理学者たちがこれまでまだ一度も取り上げなかった《等々》という基本形式を、すなわち《何度でも反復しうること》を主観的な相関項にもつ反復の《無限性》の基本形式だけでも思い起こしたい。」とあって、こうした私たちが何気なく使っている語彙のことも論理学の中で明確に論考していくのかと思いました。

「超越論的ー論理学的問題設定の諸疑問」第71節~72節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第2章「超越論的ー論理学的な問題設定の最後の諸疑問、基本概念の諸問題」は、題名が長いので、題名表示を多少省略をさせていただきました。今回は第71節から第72節を読み解いていきますが、これで第2章は終了になります。第71節では論理学の位置づけを確認している文章がありました。「(基本概念の創作は)あらゆる学問にとって、真実この語の最高の意味での基礎づけの遂行である。しかし何よりも論理学にとってそうである。論理学はあらゆる学問にとっての原理的な方法であり、そして方法一般の先験性(アプリオリ)の内部で、あらゆる学問の特殊な諸方法を包括し、しかも諸原理に基づく特殊な諸方法の形成を自覚して規制することを使命にしているのである。」第72節ではアプリオリを客観的、相関的に分けて考察していました。「主観的な諸構造は客観的なアプリオリと相関的なアプリオリを示している。~略~一つの事実判断を一つの判断形式一般へ変える形式化の一般化は、主観的な観点では必然的に本質の一般化であり、しかも事実判断の明証性を相関的な意味で形式的に一般化することである。」また著者はこのようにも述べています。「形式論のどの操作法則にもアプリオリに対応しているのが、構成する主観性についての主観的な法則性、すべての各判断者と、諸判断から新たな諸判断を形成する彼自身の主観的な種々の可能性とについての形式的な法則性である。」次の章では論理学が用いる理想化(イデア化)する諸前提についての考察が出てきます。今回はここまでにします。

「超越論的ー論理学的問題設定の諸疑問」第69節~70節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第2章「超越論的ー論理学的な問題設定の最後の諸疑問、基本概念の諸問題」に今回から入りますが、題名が長いので、題名表示を多少省略をさせていただきました。今回は第69節から第70節を読み解いていこうと思います。第69節は明証性についての論考です。明証性は至る所に登場していて、論理学を学問的に扱う上で重要な語彙であることが分かります。「(明証性においては)最前は主題化されない素朴な態度で簡単に行なった形成作用を主題にした反省が必要である。その場合に大切なことは、その形成作用の中で最初に唯一《与えられていた》形成物と一般的な諸形式(一層高次の形成物)を《明確にすること》であり、そうすることによって、それらの形成物と諸形式の対象的意味を根本的な目標にして、その意味を実現する志向性を解明することによって、この意味自身を正しい仕方で把握し、その範囲を限定して、その同一性を確保して、素朴な態度では生じうるあらゆる変動と隠蔽を防ぐことである。」第70節では構成についての根源的研究が続き、「論理学自身の根本的なテーマが混乱した状況では、いったいどのようにして学問的な論理学が可能になるというのであろう?」という発問があり、今までの研究成果を振り返る機会がありました。「(主観的な諸研究においては)研究はどれも根源的な論理学的方法の開明と批判についての基本的な諸研究を特徴にしているので、これらすべての研究は分析論の《基本的諸概念》を根源的に創作する方法の探究と呼ぶこともできる。しかもこの創作は〈それら各基本概念にとって同一で、あらゆる変動から守られている本質を、われわれに保証してくれるような明証性〉の中で行なわれるのである。」論理学を学問として体系化していこうとする本書の論理的な考察の仕方に慣れてきましたが、おそらくドイツ語訳の独特な言い回しがあって、日本語にすると難しくなってしまう嫌いがあるのではないかと察しています。ところどころドイツ語表記があり、私にとって懐かしい語彙が出てくると、そうか、この言葉はこんなふうに訳しているのかと思うことがあります。と言っても言語で読めるほど私には語彙力がないので、翻訳に頼らざるをえない自分がいます。

「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」第65節~第68節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第1章「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」の中の第65節から第68節までのまとめを行います。この第68節で第1章「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」が終了します。今回は第1章のまとめとしての展開があり、第2章へ続く流れが記されていました。まず心理学主義に関する引用です。「明証化されるべき各対象性の種類がーあるいはすべての種類までも、ヒューム哲学の場合のように心理学化される。なぜならそれらの種類は自明のとおり、意識によって構成されるのであり、したがって経験によるか、もしくは経験と絡み合った他の意識の仕方によって、それら自身の存在意味を主観性の中で、主観性のために構築されるからである。それらの種概念が《心理学化される》ということは、それら諸概念の対象的意味を、すなわち独自の本質をもつ諸対象の種概念としての意味を無視して、主観的な諸体験を、すなわち内在的で心理学的な時間性の中にある各与件を、優位に置くことである。」また純粋論理学から心理学主義の越境についても述べられていました。「批判と優勢な見解一般との意味に含まれているのは〈学問と理性批判とを区別して、学問には独自の権利をもつ独自の現存在を認め、そして理性批判はどの学問にも関係する一層高次の新たな種類の学問ではあるが、しかし他の諸学の正当な固有の存在を妨げはしない〉とする理解である。したがって何よりもまず分析的論理学について言えば、この論理学は元来〈すべての理性的認識が前提する絶対的な規範〉と認められている。」最後にこんな論考を引用して第1章を終了いたします。「学問の真実性が、論理学の諸原理によって意識された規範化に基づく真実性でありうる場合、したがってわれわれがすでに序論で主張しながら、その後あらためて実際に基礎づけねばならなかったように、論理学は他の諸学と並ぶ独自の一学科であるだけでなく同時に、あらゆる可能な学問一般としての方法の基礎でもある。」今回はここまでにします。

週末 陶彫制作&RECORD挽回②

昨日に続いて朝から工房に篭りました。今日は昨日より長く工房にいて、陶彫成形と彫り込み加飾を行いました。今月は陶彫に関する制作サイクルを回していこうと決めていて、次から次へと制作していく予定です。今朝は工房に入ったときに棚から何か落ちていないかを確認しました。というのは昨晩遅く大きな地震があり、とくに宮城県と福島県沖が震源であり、神奈川県を初めとする関東近県でも相当揺れたので、今朝は工房で破損事故が起きていないかを確認をしたのでした。昨晩は嘗ての東日本大震災を思い出すような揺れ方が気になっていました。人が命を落とすような被害がなかったのでホッとしましたが、怪我をされた方は大勢いたようです。昨晩はペースが遅れていたRECORDを挽回するため、作業を頑張っていたところでした。RECORD制作を中断し、地震に纏わるテレビやネットの情報を見ていました。工房は何でもなく平穏そのものだったので、すぐに制作に入りました。窯入れをしていなくて良かったとつくづく思いました。陶彫成形は大きめの作品を作り上げました。現在、乾燥を待っている陶彫部品が3点あります。窯に入れるにしては大きなものばかりなので、今後は小さいものも作っていこうと思います。気温は暖かく、午後からストーブを消しました。今日も美大受験生が来て鉛筆デッサンをやっていました。彼女は夢中になってデッサンをやっています。5時間通してデッサンをやっているので、さすがに疲れるらしく、帰りの車の中ではグッタリしていました。私は夜になって昨晩出来なかった分のRECORD制作をやりました。昼間は陶彫制作に精を出して、夜になってRECORD制作をやっているので、受験生ばかりではなく私もグッタリしてしまい、これは充実した一日と見なせるのではないかと思います。明日から1週間は公務員管理職の仕事が待っています。退職前の二足の草鞋生活は、極めて充実していると感じるこの頃です。

週末 陶彫制作&RECORD挽回①

週末になりました。今月の週末は陶彫制作一本に絞って作業をする予定です。朝から工房に篭り、明日の陶彫成形のためにタタラを数枚準備して、既に成形が終わった作品に彫り込み加飾を施していました。陶彫をやっていると自分の本領を発揮しているようで、気持ちが落ち着いていて迷いはありません。気温によって陶土の乾き方が多少違ってくるので、そうしたことで春を感じています。実際、今日の気温は高く4月並みの温度だろうと思いました。ストーブが午後から必要なくなりましたが、このまま暖かくなるとも思えず、午後は灯油の調達に近隣のガソリンスタンドに行きました。一応寒さ対策の準備は万端にしておくのが良いのです。今日は陶彫制作を早めに切り上げました。夕方はこのところ日々の制作に緩みが生じているRECORDの彩色をやろうと思っていたのでした。下書きが先行する私の悪癖が出て、10日分くらいが彩色もペン入れも出来ていなかったのです。2月早々に数点完成しただけで、これをなんとかしないとまずいなぁと思っていました。幸い下書きは日々やっているので、その都度のイメージは頭に留めています。このところ私は絵の具の垂らしこみに凝っていて、絵の具を画面上部からポタポタと落としています。陶彫制作でも私は仕上げに化粧掛けを施しますが、その際は化粧土を陶土の表面に勢いをつけてバシャバシャかけていますが、RECORDは勢いよくかけることはしません。上から雨垂れのように落とすのが良いのです。偶然出来上がった模様をどう効果的に生かしていくのか考えるのが楽しいのです。色彩の混ざり合いも微妙になって、濡れた絵の具同士が時にマーブリングになり、思わぬ美しさが出てきたりしています。それを壊さないようにペン入れをしていくのが、最近の私の流行です。何とか夜までRECORD制作に時間を割いて、ペースを挽回してきました。明日は朝から夕方まで工房で陶彫制作に関わります。頑張ろうと思います。

上野の「日本のたてもの」展

東京上野にある東京国立博物館表慶館で「日本のたてもの」展が開催されていて、「自然素材を活かす伝統の技と知恵」という副題がついていました。本展は日本の文化財建造物を、精密な建築模型にするとこんな感じになるのかという感慨を齎せてくれます。建築模型と言えどもその構造やら素材感が私にも伝わってきました。実際に見たことがある伝統的な建造物が、ほぼ10分の1の模型になっていることによってあらゆる角度から構造が見られました。また私自身が創作活動として架空都市を作っているため、建築模型には人一倍興味関心があるのです。図録から引用します。「我が国では古くから建築模型が製作されてきた。文化財建造物の修理事業においても、修理着手前や構造補強が必要な場合などで、実際の模型を製作して修理方法を検討することが少なくなかった。また、解体修理に伴う調査によって現状と異なるかつての姿が明らかになっても、管理や活用上復原が困難な場合に、調査で得られた知見について模型を製作することで記録保存することは有効な手段である。」(豊城浩行著)多くの建築模型の中で、私が想像で小人になってその内部に入り、暫し楽しめたのが茶屋でした。大きさも5分の1で、眼で遊ぶにはちょうど良く、喫茶の様子を思い描くことができました。「喫茶の作法は中国から禅宗とともに入ってきた。茶には覚醒作用がある。小室のなかで亭主が点前をおこない客人が茶を喫する、という作法が流行したのは中世後期の堺の町衆のなかであった。和歌ほど高級な趣味がなくとも寄合ができる、という意味で喫茶は町衆に重宝されたのであろう。織田信長が茶に傾倒したことから武士にとっては非常に重要な作法となった。茶室は、田舎家をまねた鄙びた小室を作った。茶人は競って個性的な意匠の茶室を工夫し、またそれの写しを作った。茶室は茶道の大衆化とともに現在も人気が高い。」(藤井恵介著)と図録にあり、模型とともに建築構造の面白さに惹かれました。

「建国記念の日」は陶彫制作

昨年の2月11日付のNOTE(ブログ)に建国記念の日について詳しい記述があります。建国が定かではない日本という国は、古代に妄想が広がり、私に興味関心を抱かせてくれます。ネットによると「2月11日は、日本神話の登場人物であり、古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)とあり、その即位月日を明治に入り、グレゴリオ暦に換算した日付である。」とありました。神話の時代を信じている日本人の祖先を私は愛しく思い、私自身も明確ではない国の起源に多大な魅力を感じています。私の創作活動にしても古代の不可思議な要素から引っ張ってきていることがあり、想像を逞しくすることが即ち私自身の創作の源になっているのです。そんなこともあって今日は朝から工房に篭りました。彫り込み加飾を2点行いました。もう少し制作工程を先にもっていけると思っていましたが、彫り込み加飾は意外にも時間がかかり、朝から夕方まで陶土の表面を削り取る作業を続けていました。彫り込み加飾は工芸的な作業ですが、私の集合彫刻には欠かせない要素です。古代の文様のような彫り込み加飾は、作品の雰囲気を決定していきます。彫り込み加飾は立体を際立たせる役目もあります。今月は陶彫制作一辺倒でいこうと目標を決めていますが、陶彫は手間暇がかかるのを改めて知り、気持ちの焦りも出てきました。私は3月末で公務員を退職するので、それから時間が自由になるため、今回の新作は大丈夫だろうと思いつつ、それでも今までの習慣で週末を計算してしまうのです。何十年も二足の草鞋生活を続けたことからなかなか転換ができない自分の習性なのかもしれません。今日は美大受験生が来ていました。相変わらず鉛筆デッサンを頑張っていて、私は彼女に背中を押されながら、彫り込み加飾に精を出していました。

暁斎流の「鳥獣戯画」について

先日、閉幕してしまった「河鍋暁斎の底力」展で、私が気になった数多くの下絵の中から、展覧会のポスターにもなっている作品を取り上げます。ポスターは「鳥獣戯画 猫又と狸 下絵」で、私はこれを見て忽ち河鍋暁斎の魅力に憑りつかれてしまったのでした。「鳥獣戯画」と言えば京都の高山寺に伝わる4巻からなる絵巻物で、とりわけ動物戯画が躍動感があって楽しいと私は感じています。これは鳥羽僧正覚猷の筆と伝えられていますが、確証はなく作者未詳になっています。一方、暁斎による「鳥獣戯画」は動物の風貌や動きが現代的で、含みがあるかのような表情が何かを語っているようです。最近発見された「猫又と狸」の下絵断片を修復して展示された作品は、浮かれた猫の微妙な表情が楽しいなぁと思いました。「鳥獣戯画 梟と狸の祭礼行列 下絵」も烏帽子をつけた梟の表情に、私は何かを感じてしまいます。吹き出しに台詞をつけて漫画にするか、今風アニメーションにしたいと私は勝手に想像してしまいました。一点の絵画からドラマを紡ぎ出し、それを自分の脳内で楽しむことも絵画鑑賞の醍醐味の一つかもしれません。暁斎はそうしたことに面白可笑しく対応してくれる稀な画家だと改めて認識しました。修復家より本作の修復に関する文章が図録に掲載されていました。「下絵が間違いなかったかを見比べるまでは非常に緊張するが、修復の正しさを確認するうれしい出会いの時でもある。下絵は日本ではあまり評価されていないが、1993年~94年に大英博物館で開催された暁斎展の折に『このような下絵の存在は、暁斎を理解するのに本画同様、大きな意味がある』と勇気付けられたことを、今でも忘れられない。」(大柳久栄著)ところで暁斎は発表する予定になかったさまざまな下絵が、展覧会の中心に据えられていることを果たしてどう思っているのでしょうか。あの世から止めてくれと叫んでいるかもしれません。

東京駅の「河鍋暁斎の底力」展

既に終了している展覧会の感想を述べるのは、広報という意味がなくなったために甚だ恐縮とは思いますが、私にとって大変面白い展覧会だったので、敢えて感想を言わせていただきます。東京駅にあるステーションギャラリーで開催されていた「河鍋暁斎の底力」展は、本画や版画が一切なく、素描、下絵、画稿、席画、絵手本などの弟子の手が入らない全て暁斎自身によるものばかりが展示されていて、それだけに描写や表現の力量が見られる凄い企画展でした。創作活動をやっている私にとっては画家の裏側が覗ける絶好の機会で、この人の筆力の凄さに舌を巻きました。図録を読むと暁斎曾孫の河鍋楠美氏によるこんな一文に、日本の芸術に関する認識の薄さが見られました。「(暁斎記念館が)財団法人の認可を得ようとしたところ、県の役人曰く、『下絵類が三千点あろうが、下絵類は紙屑だ。軸物が五、六本なければ認可しない』だった。」海外では下絵を譲って欲しいという古美術商が多いのに比べると、何と残念な回答でしょうか。「今夏、東京ステーションギャラリーの田中晴子氏から、『下絵、画稿類、席画、弟子のために描いた絵手本こそが、生の暁斎の力を表して』おり、『とりすました暁斎ではなく生の暁斎のすごさをわかりやすく伝える内容を目指し、着色された本画ではなく、暁斎の下絵や画稿だけでの展覧会』の企画をいただいた時、諸手を挙げて賛成した。」(河鍋楠美著)この提案によって本展が開催され、私たち鑑賞者を十分に楽しませてくれたのでした。「私は暁斎の下絵類のどういうところに惹かれたのか、原点を振り返ってみた。まずは暁斎の描写力を直に感じられる点だ。下絵は鑑賞を目的として描かれたわけではないが、筆を使い慣れた暁斎の墨線は、下絵であっても太さや勢いを巧みに使い分けていて、表現力がある。次に、描かれたモチーフが動き出しそうな生き生きとした表現が随所に見られる。人体も着衣の動きも、時にとてもドラマチックである。さらには、キャラクターとしての表情の豊かさもあるので、アニメーション的だし、実際にその動画を見たくなるほどだ。」(田中晴子著)私には個々の作品で取り上げたいものがありますが、機会を改めて代表を選んで別稿を起こしたいと思います。

19’RECORD7月~9月をHPアップ

久しぶりにホームページのRECORDを3ヶ月分アップしました。昨年10月に2019年の10月から2020年の9月分までの1年間のRECORD撮影が終わっていて、カメラマンからそのデータをいただいているのですが、私のコトバが遅くなってなかなかアップが出来ていないのです。2019年は「~の風景」というテーマでRECORDを作っていました。その時に浮かんだコトバを紙切れにメモしているのですが、保管が悪くて既になくなっているものもあります。今回アップしたコトバは、ほとんど新たに考えたものばかりでしたが、コトバも造形と同じようにトレーニングが必要だと感じるようになりました。私の場合、造形と違うのはコトバは日常を表すことが多く、私の職種や立場から湧いてくることが多いのです。非日常を表現している詩は世の中にかなりありますが、私はそこに到達できないため、つい現実世界の素描から考えるしかないのです。RECORDはほとんどが非日常的世界です。視覚される写実性からカタチや色彩を抽出して、そこに象徴性をもたせたり、抽象化へ推し進めていくのを、私は難なく行っています。本来ならそうしたことも19世紀後半から20世紀初頭で芸術的な価値の変換が成され、私たちには前衛という名のもとで新しい美意識の獲得がありました。コトバも同じように歩んできたと察しますが、詩の前衛性を私は学んでおらず、今から思えば若い頃から私は詩に接する機会が少なかったのではないかと思っています。造形は気楽に接しているくせ、コトバは難解なものとして固定観念をもってしまった私は、RECORDは日々作れていても、コトバは月1回捻りだすのに苦労しているのではないかと考えているところです。今回アップしたRECORD3ヶ月分を見ていただけるのなら、左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉が出てきますので、その中のRECORDをクリックしていただけるとRECORD3ヶ月分に辿りつけるかと思います。ご高覧いただけると幸いです。

週末 再び陶彫制作へ戻る

先月の週末はほとんど厚板材を加工して土台作りに充てていましたが、今月の週末はもう一度陶彫制作をやっていこうと思っています。新作の陶彫部品がまだ足りないことが分かって、昨日は美術館に出かける前に、工房に行って土練りとタタラを準備しました。陶彫の成形をやっていると楽しさが甦ってきます。私はずっと陶土と付き合ってきました。焼成後の陶彫の素材感のことを思いながら、当初のイメージを確認しています。今回の新作は陶彫成形を矩形にすることがほとんどで、曲面が出てきません。陶彫の面白さは曲面にあると言ってもいいくらいですが、今回は敢えて脱情緒を狙いました。生物的な動きが出せるのが、陶彫表現の特徴と言えば特徴ですが、もう一度「発掘」という意味合いに戻すために、発掘された架空都市を作ることにしたのです。自己感情のコントロールは抽象的な規定を作ることで、内面に秘めていけると思っています。もともと陶土は可塑性があり、金属や石のような硬質な素材ではないため、幾何抽象には向きません。それでも矩形に拘って作り続けています。私の技術的な不器用さもあって厳密な平面にはなりませんが、建築と違い彫刻は平面を折ったような立体に見えれば可としています。今日の午前中は陶彫成形を1点作りました。午後は彫り込み加飾を行っていました。今日はいつものように美大受験生が工房に来ていました。彼女は鉛筆デッサンをやっていますが、短時間で形が取れ、また陰影がつくようになりました。若い人の進歩は凄いものがあるなぁと思いました。ただ、美術の専門分野への道はまだ始まっていないのが現状で、今は基礎トレーニングをしているだけで、これからスタートラインに立って、紆余曲折しながら自分を見極めていくのです。先が長いなぁと思いながら、夕方に彼女の自宅近くまで車で送りました。また次回頑張ろうと思います。

週末 土練り&美術館鑑賞

新型コロナウイルス感染症の影響で緊急事態宣言が出されている中、東京の博物館や美術館に行っていいものかどうか、数日前まで迷っていましたが、展覧会の開催期間終了が迫っていることもあって、インターネットやコンビニで事前予約をして、私も家内も防備を十分にして東京に出かけてきました。私は週末になると新作に関する制作ノルマがあって、今日は早朝に工房に出かけ、混合陶土を作るための土練りやタタラを準備して、明日の陶彫成形に備えました。私はウィークディは職場に出かけ、週末は工房に出かける生活がずっと続いています。週末の創作活動は、私に職場とは別の感慨を齎せてくれますが、それが癒しになるかと言えばちょっと違っていて、自分を創作に追い込んでいく辛さを伴い、楽しめる状況ではありません。私にとって刺激とも癒しともなるのが鑑賞です。ただしコロナ渦の中で鑑賞は途切れがちになっています。私にとって鑑賞は唯一の楽しみだと今回は自覚しました。ネット予約をして昼の12時半に東京上野の東京国立博物館表慶館に飛び込みました。現在「日本のたてもの」展を開催していて、国宝や重文に指定された社寺仏閣の模型が数多く展示されています。本展は建築模型の好きな私には堪らない魅力でした。古来から現存している木造建築は日本が世界に誇る造形物で、その構造が模型で見られたことで心が湧き立ちました。詳しい感想は後日改めます。次に向かったのが東京駅でした。東京駅にある東京ステーションギャラリーは、私がよく行く美術館の一つです。ここは魅力的な企画が多く、しかも利便性が高いので今までも頻繁に利用していました。今回は「河鍋暁斎の底力」展を開催していて、しかも明日が開催期間終了になっているので、慌ててコンビニで予約を取ったのでした。本展は河鍋暁斎の本画はなく、下絵等だけで展示がされていました。暁斎の驚くほどの描写力は見ていて飽きないほどで、さすがに眼が疲れました。しかも下絵は作者の迷いや思考が垣間見れて、表現を決定するまでに苦しんだ跡が残っています。私も創作をする者の端くれとして、暁斎の悩みに共感を覚えるのです。これも詳しい感想は後日に改めますが、展覧会が終了してから感想を述べることになって申し訳ないと思っています。今日は充実した一日を過ごしました。

「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」第61節~第64節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第1章「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」の中の第61節から第64節までのまとめを行います。この節では非リアルな対象性に立ち帰ることから論考が始まっていました。「経験は、対象としての意味をもつ諸対象がわれわれに対してもつ存在の最初の設定である。このことは非リアルな諸対象にとっても明らかに完全に妥当し、それらが種概念的なものや判断のイデア性や、あるいは交響曲などのイデア性の性格をもっていても、同様である。したがって外的経験も含めてどの場合にも次のことが当てはまる。すなわち明証的な自己能与は、経験される対象の構成すなわち自己形成の過程として特徴づけられるーもちろん最初はたんに限定された構成にすぎない。なぜなら対象は顕在的な経験の多様性をも越える現存在を必要とし、それ自身の存在意味のその契機も、それ自身の構成的な解明を求めており、それが可能になるのは〈経験自身に内包されていて、そのつど開示される志向性〉によってである。」次に超越という語彙が出てくるところを引用いたします。「さまざまな対象性についての意識に対するあらゆる種類の対象性の《超越》である(そしてそれに応じて変化した仕方で、すなわち意識主観の極として理解された、そのつどの意識ー自我に適合した仕方で)。しかしそれにもかかわらずわれわれが内在的な対象と超越的な対象を区別するとすれば、それはこの最広義の超越概念の内部での区別を意味するにすぎない。」次に論理学的形成物の産出についての論考を引用します。「われわれが問題にしているのは〈リアルな心的諸過程の中に与えられている非リアルな諸対象〉であり、われわれはこれらの対象を、決して心的な諸実在についてではなく、それらイデア的諸対象についての実用的なテーマ設定の中で検討し、行為によって然るべく形成しているのである。」また幾度となく出てくる明証性について「ごく一般的に言えば、明証性とは〈場合によっては非常に複雑な段階系列として構築されて、それ自身の志向的な対象性を本来の《そのもの自身》の様態で呈示する意識の仕方〉に他ならない。」とありました。今回はここまでにします。

「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」第59節~第60節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第1章「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」の中の第59節から第60節までのまとめを行います。第59節では明証についての考察がありました。「明証とは、〔対象〕自身を与える志向的能作である。さらに正確に言えば明証とは《志向性》の、すなわち《何かについての意識》の卓越した一般的形態であり、明証的に意識された対象的なものはこの形態の中で、それ自身が把握されたもの、それ自身が見られたもの、つまり〔主観の側では〕意識的に対象自身の許に存在する、という仕方で意識されているのである。あるいは明証とは本源的な意識のことだ、と言ってもよい。」第60節では明証性ならびに対象性についての考察がありました。まず明証性を中心に論考している箇所を引用いたします。「明証性は意識生活全体に関わる総合的ー普遍的な志向性の在り方であり、これによって意識生活は一つの普遍的な目的論的構造を具備し、《理性》を重視することによって、正当性を証明し(それと同時にさらに正当性を習慣的に獲得し)そして非正当性を破棄する(そうすることでそれらの不正を獲得した所有物と認めるのを止める)一貫した傾向をもつのである。」次に対象性と明証性に関与した論考を引用いたします。「対象性の範疇と明証性の範疇は相関関係である。志向的に総合され一貫して保持される志向的統一体としての、しかも究極的には可能な《経験》の統一体としてのーさまざまな対象性の各基本的種類には《経験》の、つまり明証性の、基本的種類が属しており、さらに対象自身の完全性が向上した場合には、志向的に示される明証性のスタイルの基本的種類も属することになる。」そもそも論理学とは何かを論じる中に、さまざまな要素が含まれていて、それらをひとつずつ論じて、全体として論理学の体系を作ろうとする本書の意図は分かっているつもりでも、詳細な部分で自分の思考がついていけなくなることがあります。今日はここまでにしたいと思います。

2月RECORDは「菌の触手」

今月のRECORDのテーマを「菌の触手」に決めました。新型コロナウイルス感染症のことが私の頭から離れることがなく、緊急事態宣言が延長されたことで、職場関連の仕事に支障が出ています。遠出を含め職場外に出る出張に行っていいものかどうか、いろいろな職員が管理職の判断を待っています。政府や自治体から不急不要の外出を控えるように言われていますが、必要な出張は感染症の防備をした上で、私は出張命令を出すことにしました。そんなことが職場では日常的に行われているため、コロナ禍がいつも私を苦しめているのです。そこで2月RECORDのテーマは「菌の触手」とさせていただきました。あくまでも詩的なコトバとして考えたいテーマですが、テーマの背景にある菌について調べてみました。菌は細胞外で増えていくもので周囲に餌があれば、どこでも繁殖することができるものだそうです。それに対し、話題のウイルスは他の生物の細胞内に侵入して寄生しないと増えていかないもので、菌とウイルスが異なるものであることが分かりました。また触手とは何か、これは無脊椎動物の口の周囲にある小突起で、触覚や捕食の働きをするものであり、比喩として欲しいものを得ようと働きかける時に使うコトバです。日常生活を鑑みると「ウイルスの感染」というテーマにしたいところですが、あまりにもダイレクトで味も素っ気もないので「菌の触手」とさせていただきました。今月は負の連鎖に陥りそうなちょっとダークなテーマですが、世相に惑わされることなく、作品として成り立つようなRECORDにしていきたいと思っています。

「炻器と木彫」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第2章「芸術家と職人」について「3炻器と木彫」のまとめを行います。副題に「民衆芸術に息づいていた素材の復活と『素材の尊重』」とあり、画家ゴーギャンが炻器と木彫に興味を持ち始めたことで、その結果として民衆芸術の復興に努めることになったことが分かりました。民衆芸術と近代彫刻の融合は、私にとっても面白いテーマであり、日本の民芸運動の中に私が新しい美意識を感じるのも、これとは無縁ではないと思っています。「(ゴーギャンは)はじめに彫刻家ブイヨのもとで大理石彫刻を二点制作した後、木彫を始めた。最初に古典的な《ヴィーナスの誕生》を制作するが、続いてドガの影響で現代的主題に移り、《散歩をする婦人、小さなパリジェンヌ》のように直彫りで手仕事の跡を残すような木彫を行ったことは興味深い。そこには木の素材にふさわしい表現を模索し、『素材の真実』を尊重する姿勢の表れを見ることができるだろう。」また当時、日本の器が紹介されたヨーロッパで、陶工と彫刻家を兼ねた作家たちが試行したものとゴーギャンは異なっていたことを示す文章もありました。「彫刻家として出発し、日本の炻器に魅せられて、日本風の器を制作したり、自らの彫刻を炻器で表現したりしたのはジャン・カリエス(1855ー1894)であった。炻器のもつ素朴な力強さを自らの表現に生かそうとした点で彼は、ゴーギャンと共通していた。しかしシャプレやカリエスが炻器を通じて日本の自然主義とも手を結ぼうとしていたのに対し、ゴーギャンは、終始西洋的な芸術理念に支配されていた。この職人的芸術の価値を高めようとしながら、それは彼らのような『芸術家=職人』としての意識に基づいたものではなく、自らはあくまで『芸術家』なのであった。」ゴーギャンが炻器や木彫においても斬新で特異な作品を生み出した背景はこんなところにあったのかなぁと思いました。これで第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」は終わります。

2月 寒さが身に沁みる

2月になりました。相変わらず寒い日が続いています。最近、寒さが身に沁みるのは実際の気温だけではなく、私自身があと2ヶ月で退職を迎えることもあるからです。残された仕事はしっかり片付けておこうと思いつつ、4月以降の生活の変化がイメージできず、そうしたことにちゃんと向き合えていない自分がいます。とは言ってもまだ2ヶ月あります。創作活動は退職を迎えようが関係なく、生涯を賭けてやっていくものなので、今月も制作目標を立てて取り組んでいきたいと思います。2月は4回の週末があり、建国記念の日が11日(木)、天皇誕生日が23日(火)にあるため、合計すると10日間、創作活動の可能な日となります。美術館に鑑賞に行けるのかどうか微妙なところですが、10日間全部を通して制作を続行するなら、陶彫制作に本腰を入れようと思っています。大きな新作はまだ半分も出来ていない状況で、先月の土台作りで陶彫部品を配置する土台の雰囲気が把握できたので、土台を刳り貫いた穴に合わせた大小の陶彫部品をどんどん作っていきたいと考えています。一日1点制作をノルマとするRECORDは、下書きが先行する私の悪癖が出てきてしまったので、今月で元に戻したいと考えています。RECORDは冬場の寒さ疲れで夜は睡魔に襲われ、その時間帯に意欲が湧かないことがあると感じていますが、これは言い訳に過ぎません。どんな季節でも何とかしてきたので、心を強くもってやっていきたいと思います。読書は先月からの継続ですが、難解な論理学の専門書は、私が管理職としての立場でいるうちに読み終えたいと願っています。この書籍は自宅のゆっくりした中では太刀打ちできないと考えているからで、職場の私の部屋で、休憩時間ではあるけれどピリっとした空気の中で読んでいこうと思っています。論理学の書籍を紐解くと、私にとって読書は決して癒しではなく学習そのものだと感じます。もう一冊のゴーギャンの彫刻に関する書籍は、かなり楽しめて申し分がありません。新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言が延長される見通しですが、今月も感染予防に留意して過ごしたいと思います。

週末 1月を振り返って…

1月最終日になり、今月を振り返ってみたいと思います。今月創作活動がやれる期間として、まず正月の休庁期間が5日間ありました。その5日間を含めて週末のほとんどすべてを、新作の厚板材による土台作りに費やしてしまいました。陶彫制作では今月2日に1点、今日31日に1点作っただけです。窯入れは3回やりました。鋭角な二等辺三角形を基本とする箱型土台は10点完成し、ちょうど全体構成の半分が出来たことになります。制作工程でいうと、土台作りが進んだものの陶彫制作が遅れ気味で、来月は陶彫制作を頑張る必要があります。今日の日曜日は穏やかに晴れわたる一日になり、冬場でもこんな一日が多くあれば制作は進むのだろうと思いました。今日は美大受験生が工房に来ていました。彼女は受験までにあと1年間の猶予があります。染織専攻を希望しているため、鉛筆デッサンに弾みをつけています。彼女は色感が豊かで生真面目な性格なので、染織に向いていると私は思っていて、彼女の真っ直ぐな姿勢は私の背中を押してくれています。一日1点ずつ夜の時間帯に制作しているRECORDは、やや遅れがちで下書きが先行する私の悪い癖が出てしまいました。今月の半ばまでは毎晩1点ずつ、日々流れていく時間に追いつけていたのですが、ウィークディの仕事に疲労を感じるようになってから、その日のうちにRECORDが完成しなくなりました。早いうちに挽回したいと思っています。鑑賞は地元の美術館で開催している「トライアローグ」展(横浜美術館)に行ってきました。その他では学生が発表していた展覧会に足を運びました。中学生によるアニメーション・フェスティバル(横浜市庁舎アトリウム)、大学生による美術大学卒業制作展(多摩美術大学八王子キャンパス)に行ってきました。新型コロナウイルス感染症の影響で緊急事態宣言が出て、展覧会に行くのも慎重にならざるを得ない状況でした。前任の職員同士の結婚式にも招待されましたが、出席表を送った後で行くべきかどうすべきかを悩むこともありました。展覧会も結婚式も実際に行ってみれば良かったと思える内容でしたが、取り越し苦労は尽きません。通常に戻れば劇場や映画館にも足を運びたいと思っています。読書では相変わらず難解な論理学に関する書籍に挑んでいます。今月は建築家の楽しい写真集を読み終えて、画家ゴーギャンに関する書籍を読み始めました。来月もコロナ渦は変わらず、生活スタイルの変化も望めないだろうと思っています。

週末 1月最後の週末に…

やっと週末になりました。明日が1月最後の日になるため、週末としてはこれが最後の週末です。新作の制作状況としては、今月は厚板材を電動ノコギリやジグゾーを駆使して切断し、箱状に加工する作業に追われ、ほとんどの週末は木材加工に費やしました。新作の土台を作るのが次のステップに繋がると見通して、これをやっていました。その分、陶彫制作が滞ってしまったため、今は焦りを感じています。そこで今日は畳大のタタラを数枚準備して、明日の陶彫成形に繋げていくことにしました。併せて木材加工もやりました。ほとんど私の作品は陶彫による集合彫刻ですが、木材も用いる場合があります。今回作っている大きめな新作は木彫を行うことがなく、厚板を切断するだけの作業ですが、これから作るであろう作品は木彫を施す予定です。この木彫作品は現在やっている新作の完成の目途が立ってから作り始めようと思っています。私は厚板を加工するだけより、木彫や陶彫をやっている方が楽しくて好きなのですが、集合彫刻の場合は辛抱しなければならない作業が必ずあります。全体を通して楽しい作業と楽しくない作業が半々くらいかなぁと思っています。たとえ楽しくなくても完成すると効果抜群で、その退屈な蓄積が表現の説得力を生んでいる場合もあります。私は作業がどうであれコツコツ取り組む性格なので、一気呵成に作れない集合彫刻に向いていると自覚しています。明日は久しぶりに陶彫成形に取り組みます。陶彫成形は既に出来上がっている土台を見ながら進めます。土台には穴が刳り貫いてあって、そこに収まるサイズで作らなければならないからです。明日からの陶彫成形は全体を見ながらサイズを決めていく必要があります。明日も頑張ります。

陶彫の出発点を考える

「知的な手による生命の表現によって、まさしく陶芸を彫刻の高みに引き上げることができると同時に、陶芸の素材によって彫刻を刷新することができるというのがゴーギャンの主張であった。」これは現在読んでいる「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の中に収められていた一文で、画家ゴーギャンが表現の多様性を求め、陶で彫刻を作り始める契機となったことが書かれています。ゴーギャンは「陶製彫刻」と呼んでいたようですが、日本でも京都に拠点があった走泥社で陶芸家の前衛表現として「オブジェ焼き」と命名された作品が生み出されていたことを資料を通じて知りました。私は塑造による人体彫刻を学生時代に習作しており、その後自らの表現をどう獲得するかを悩んでいた時期がありました。欧州ウィーンの美術学校に籍を置いていたにも関わらず、そこでの空気に馴染めず、散策をしていた街角で日本の陶磁器を見て、私はハッとしたことを思い出しました。日本の炻器の簡潔な美が、それまで西洋の装飾性に辟易していた自分の目を覚まさせたのかもしれません。懐かしく新鮮な思いは、私に美術学校での制作を抽象に向かわせました。当時は陶を扱うことが出来なかったので、石膏で自らの思いを吐露しました。海外生活を引き上げる際に2か月間、西洋文化発祥の地に行ってみたくてギリシャ、トルコにむけて旅をしました。外人労働者が帰省する安価なバスに乗って、エーゲ海沿岸の遺跡を見て周るうちに、陶による集合彫刻として都市景観を造ってみたい衝動に駆られました。トルコ内地のカッパドキア奇岩群も印象に残りました。それらを陶で表すにはどうしたらよいのか、横浜の自宅から近い陶芸の里は栃木県益子と茨木県笠間であることを知り、折しも友人が笠間に移住して陶芸を始めたことを契機に、一気に陶彫への道が開かれました。それでも陶の技法習得はなかなか困難で、私は彫刻のイメージを頭に秘めたまま10年も技法習得に努めてしまいました。当然焦りはありました。私が求めた混合陶土では立体として高さを保つことが当初は難しかったので、レリーフに近いものを壁に貼り付け、屏風仕立ての「発掘~鳥瞰~」が完成しました。これが私の陶彫の出発点ですが、ゴーギャンの彫刻の刷新を知るにつけ、当時は前衛だったために、こうした表現も否定もされたであろうことが分かります。書籍を読んで、私なりに思うところがあって、こんなNOTE(ブログ)を書かせていただきました。

「彫刻と陶磁器」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第2章「芸術家と職人」について「2彫刻と陶磁器」のまとめを行います。この章では彫刻家による陶磁器装飾への協力について述べられていて、主な作家としてカリエ=ベルーズ、ダルー、オーベの3人が取り上げられていました。「第二帝政下において、シャンゼリゼ通りにあるパイヴァの館などパリ市内の有数の私邸からオペラ座内部まで、さまざまな室内装飾を手がけて名声を得たカリエ=ベルーズは、壺や燭台、置き時計などの『実用品における美』にも意識的に取り組んでいた彫刻家であった。~略~この彫刻家はまたロダンの師としても歴史に名を留めている。」次にオーベについて「彼こそ、ゴーギャンが作陶を始めるにあたり、陶器装飾について直接に多大な影響を与えた彫刻家であった。」と書かれていました。逆に陶工から芸術家に接近した陶芸家エルネスト・シャプレがいて、炻器に目を向けたことが記されていました。「シャプレは1878年の万国博覧会で日本の炻器に目覚めたあと、西洋の古炻器に目を向けた。装飾概念が日本的であるとすれば、水差やジョッキ型の器は西洋的である。」最後にゴーギャンです。「知的な手による生命の表現によって、まさしく陶芸を彫刻の高みに引き上げることができると同時に、陶芸の素材によって彫刻を刷新することができるというのがゴーギャンの主張であった。」この一文には私も思うところがあって、別稿を起こそうかと思っています。まさに私の陶彫の出発点がここにあって、日本の走泥社の主張したオブジェ焼きとともに、ゴーギャンが自ら創案した「陶製彫刻」または「彫刻するための陶器」に起源を発するものであることを改めて認識しました。ゴーギャンが日本の炻器の影響を受けていたことを物語る一文もありました。「彼は『たとえいびつではあっても幾何学の法則に従う』と言い、炻器は固有の『幾何学』にしたがうべきであることを説くのである。ここには、これを古来尊んできた日本の美学の影響があったであろう。」

疲労を感じる時…

例年この時期は疲労を感じることが多いのですが、このところちょっと辛いなぁと思っています。私が疲労を感じる時は、上顎の奥歯のあたりの神経にぼんやりした痛みがあります。歯科医院に行って診てもらっても、奥歯は治療済みでとくに問題はないと言われたので、どうも歯ではなさそうです。暫くすると痛みは消えているので、気にならないと言えば気にならないのです。朝晩の冷え込みと職場では神経を使う事案が多いので、ひょっとして外的なものと内的なもの両方で疲労が蓄積しているのかもしれません。今までは管理職という立場で次年度も仕事を継続してきました。私なりに気持ちの張りがあったと自覚していますが、今はそうではありません。あと2か月少々で仕事が終わると思うと、心のどこかに隙が出来て、それがシンドさを生んでいるのかもしれません。どうであっても最後まで仕事を全うする意思はありますが、息切れしているのも確かです。週末の創作活動は疲労を感じることがなく、制作に邁進しているので、この疲労は精神的なものであることは疑う余地はありません。私は30歳で公務員になるまで長く自由気儘な生活を送っていました。そこから35年間、公務員として創作活動との二足の草鞋生活を続けてきました。私にとっては結構大きい35年間だったのではないかと思っています。それは生活を営む経済ばかりではなく、生活のリズムもそこで培われてきました。二足の草鞋生活も疲労を伴うものでしたが、今感じている疲労とはやや違っていて、辛いと思うことはなかったように思います。今年度はコロナ渦の影響で想定外のことが多く、個々の管理職が判断する場面も多々あったと思っています。そうした通常の職場運営とは異なる判断にも疲労を感じているのかもしれません。私の職場は有能なスタッフが揃っているので、彼らにもかなり助けられてきました。それでも困難な状況が緩和しているわけではありません。今は創作活動が心の支えです。支えられるものがあるだけで私は救われているのかもしれませんが、やはり疲労を感じているのは何なのでしょうか。

「背景ー装飾芸術の復興」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第2章「芸術家と職人」について「1背景」のまとめを行います。副題に「装飾芸術の復興」とあり、19世紀の特徴として、工芸と呼ばれる装飾芸術の地位向上がありました。「1890年代のアール・ヌーヴォーへと続くこうした動きの中で、『職人』ではなく、産業化以前のように『芸術家=職人』による製品が目指され、それは小芸術と呼ばれた装飾芸術の価値を向上させるとともに、絵画、彫刻という大芸術と小芸術の間に確固として存在したヒエラルキーの揺らぎへと導いていったのである。」ゴーギャンもこうした時代背景の中で活動した芸術家であったので、装飾的彫刻である壺を制作しています。本書は『芸術家=職人』の誕生に貢献した人物としてフェリックス・ブラックモンを取り上げています。ブラックモンは版画家でありながら陶磁器の装飾を手がけた人でした。「アール・ヌーヴォーを支配していた『素材の論理』と『装飾(オルヌマン)の論理』の二重の論理の出発点にブラックモンは位置していたのである。そしてまさしく素材と装飾の原理はゴーギャンにも継承されていくのである。」アール・ヌーヴォーは私の大好きな芸術様式で、その優美な装飾が絵画や彫刻に応用され、19世紀後半を彩るものになったと理解しています。本書は次に装飾芸術の美術館開設への動きが書かれていました。「イギリスの美術館は、産業化に伴う芸術的質の低下の改善のために職人たちを教化することを旨としていた。セーヴルの陶磁器美術館は、これとは対照的に、設立の契機こそ産業化の波とは無関係であったが、19世紀の産業化社会の進展の中で高まりを見せていた民衆と生活と結びついた歴史的陶器への関心を反映して、高貴なものから民衆的なものまで、そして世界各国のあらゆるカテゴリーの遺品が集められ、19世紀中に世界有数の陶磁器コレクションが形成されたのである。」現在はさらに工芸と絵画や彫刻のボーダーがなくなっており、アートの中にはどちらとも言えない作品が数多く存在しています。私の陶彫作品も彫刻的な思考ではあるけれど、陶を素材とするもので、工芸的な技法で作られています。そうした現代に繋がる要素が培われた出発点がここにあったと思われます。