帰宅後の工房通いについて

創作活動を行う上で、公務員との二足の草鞋生活で厳しい面は、何といっても時間確保です。週末だけではイメージ通りの作品が生まれず、作業の時間をどこで確保するのか、常に考えてきました。30年もこんな生活をしていれば慣れそうなものですが、温度や湿度に左右される気候であったり、その時の気分であったり、昼間の仕事の疲労の度合いであったりして、ウィークディの夜に工房に通うのを躊躇してしまうのです。おまけに夜はRECORDの制作やNOTE(ブログ)の作成があるので、仕事から帰ってから、工房に行こうかやめようか、日々迷っています。私の二足の草鞋生活も来年3月末までで、その後は創作活動における作業の方向転換があります。それまでは出来る限り何とかウィークディの夜に工房に通っていこうと思っています。今週はよく工房に行っていました。今日も工房から帰ってきたところです。工房にいる時間はせいぜい1時間程度ですが、それでも作業は確実に進みます。蛍光灯に照らされた陶彫部品は、彫り込み加飾をするのにちょうど良い状態で、しっかり集中できます。工芸的な作業は夜の方が向いているのではないかと思うところです。現在、昼間の仕事は来年度人事を見据えた面接や書類等で悩ましい状況が続いていますが、陶彫制作に向き合っていると、たとえ1時間でも全てが忘れられ、創造の神が別世界に自分を運んでくれます。作業をすれば心地よい瞬間が訪れるのですが、工房に行くまでの心の葛藤が何とも微妙です。季節の変わり目で心身とも休息を必要としているのかなぁとか、いやこの季節だからこそ快適に制作ができるのではないかとか、自宅に帰りつく前についつい考えてしまうのです。帰宅後の工房通いは来年3月までなので、これも楽しみのひとつと考えればいいのだと自分に言い聞かせています。

「演繹的諸体系の理論と多様体論」第33~第36節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があって、その中の第3章として「演繹的諸体系の理論と多様体論」があり、今日はその第33節から第36節までのまとめを行います。「演繹的諸体系の理論と多様体論」はこの第36節をもって終了になります。相変わらず難解な文脈を繰り返し読んで、これが主訴になりそうだと思える箇所に私はラインをつけています。それだけを書き出しても意味が通らないと思いますが、自分なりの重要箇所をチェックしたいので、そうさせていただきました。まず形式数学におけるゲームについて書かれた箇所に注目しました。「人がゲームの各シンボルを、実際の思惟の諸対象や各個物や各集合や各多様体を示す記号と見なし、そしてゲームの諸規則に、それらの多様体にとっての法則の諸形式という意味を与える場合に初めて、実際の多様体論になるのである。」続いて「すなわち普遍的な多様体論は独自の自由な仕方で公理の諸形式や、総じて一般に、前提されて妥当する諸命題の諸形式によって、そのつどの多様体の形式を定義し、そのうえさらに判断の形式論の中に体系的に登場する諸命題の基本的諸形式と、それらの形式に内包されている論理学的な諸範疇の、それらすべてを自由に処理し、しかもそのことが何を意味するかを最終的に自覚していなければならない。」とありました。最後に問題提起があった箇所を書き出します。「一般にどの学問も〈偶然に寄せ集められた諸真理の多様体でなく、むしろ互いに結合され、しかも必ず統一された同一分野に関係する諸真理の多様体〉である。一つの学問の無限に継続する諸命題の全体が〈論理的ー定言的な諸概念によって、有限数の純粋な公理形式に基づいてアプリオリに構築されるのはいつであろう?一つの理論形式を確定する一群の公理形式が確定していて、分野の形式が一つの《数学的》もしくは一つの《確定》多様体であるのはいつであろう?〉もしこの条件が満たされていれば、その形式は一つの《演繹的》すなわち《理論的に説明する》学問の体系形式である。」今回はここまでにします。

「Ⅳ 日本について」のまとめ

「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)の「Ⅳ 日本について」のまとめを行います。日系アメリカ人の彫刻家であるノグチは日本との関係も深く、海外の視点で日本を論じていることが多々あります。「たとえばぼくらアメリカ人の活力と想像力、ぼくらの効率性とやる気に対する羨望。このすべてを日本人は身につけたがっていた。強くなり、よく食べ、この活力をもちたがっていた。ぼくはそれとなく言ってみた。モダンであるとはぼくらをコピーすることではなく、強さと発想とを自分自身のルーツに求め、自分自身であることを意味するのだと。」またノグチ自身についてもこんなことを語っています。「ぼくの発展の特徴はなにかと尋ねられるとすれば、それは子ども時代以来ほとんど忘れかけていた身近な自然の再発見だと思う。自然をこんな形で知ることはだれの子ども時代にもあるだろう。それでも大人として自然をふたたび知るため、自分の手を自然の泥のなかで疲れさせるためには、人は陶芸家あるいは彫刻家でなければならず、それも日本においてでなければならない。」ノグチの代表的な作品に《あかり》があります。その出会いを語った箇所がありました。「岐阜のランタンが生き残ったのはなぜか。少なくともひとつには、今日ほとんどのランタンに付与されている装飾的使用がある。しかしそのほかにも伝統と気質という理由があり、それゆえに岐阜提灯(ランタン)は尊重されているのである。このことはその品質と関係がある。すなわち薄い紙、竹ひごのほっそりした螺旋が他にならぶものなき光と優美さとに貢献する。岐阜提灯は儚いものーたとえば桜の花、たとえば生ーに対する日本人独特の嗜好に訴えかける。」これを現代彫刻として捉え、作品化したのはノグチが初めてであったわけですが、ヴェネチア・ビエンナーレでは欧米からこれをプロダクト・デザインとして解釈されてしまい、ノグチにとって不本意な結果になってしまったこともありました。しかし、ノグチは日本の伝統について斬新な発想を持ち込んだことは事実です。

「Ⅲ 劇場とダンスについて」のまとめ

「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)の「Ⅲ 劇場とダンスについて」のまとめを行います。ノグチの幅広い表現分野の中で、ノグチの空間解釈を具現化した極めて重要な方法が舞台美術でした。舞踏家マーサ・グレアムの舞台装置は、画期的で特筆に値するものでした。舞踏だけでなく演劇にもそうしたノグチの考え方が表れていました。「真空は存在しえないという単純な理由から真空が回答ではないのは明白である。劇のニュアンスすべてを明確にするほどに、論理としてはきわめて透明ななにかがそこになければならない。ある意味で、このなにかは裸の舞台よりもなおいっそう大きな空隙を創出することによって、無そのものよりもなおいっそう無でなければならない。それは空間を期待という一種の魔法で満たさなければならないのである。」舞台に対する空間解釈は無から始まるとノグチは主張していて、続くマーサ・グレアムとのコラボレーションに関するインタビューでも同じことが述べられていました。「思うに、ぼくらは感情がチャージされた空間をもつダンス・シアターを見つけなければならなかった。その空間とはもちろん彫刻だ。空間の彫刻だ。マーサはその彫刻的空間のなかを動きまわる。マーサの関心が絵画よりも空間にあったと言うのは正しい。絵画とは実体の模倣だ。彫刻は実体そのものだ。ぼくは彫刻を空間に広がり、それを満たすものと考えている。」ノグチにとって舞台美術は空間彫刻として存在していたと考えていたようで、所謂舞台背景として絵画的に描かれた舞台装置ではなかったのでした。私も学生時代、それはまだノグチの考え方を知る前だったのですが、舞台装置として彫刻が観客に提示できたらいいなぁと考えていた時期がありました。当時はアンダーグランド劇が盛り上がりを見せていた頃で、前衛劇に魅せられていた私は、演じられる心理的なドラマに象徴的な形態を加えたら、さらに深淵な表現世界が出現するのではないかと夢想していました。「Ⅲ 劇場とダンスについて」はまさにその具体が示されていて、私は感じ入ってしまいました。

映画「鬼滅の刃 無限列車編」雑感

現在、人気沸騰中のアニメ映画の劇場版を、横浜市都筑区鴨居にあるTOHOシネマへ行って観てきました。レイトショーだったにも関わらず、座席の確保が難しい状況で、この盛り上がりはいったい何なのか、自分でも不思議に思えました。観終わった後、家内が「この映画の熱量が凄いね」と感想を漏らしていて、確かに息も切らさぬ面白いストーリー展開があると私も感じました。コロナ渦の中で、クラスターが起こるのではないかという心配もありましたが、映画館側も細心な注意を払っているらしく、ともかく映画の内容に集中できました。「鬼滅の刃」が面白いというのは工房に出入りしている若いスタッフから随分前に聞いていました。私はテレビのケーブルヴィジョンで放映されていたアニメを観て、その世界観を理解していました。まずこの背景を知らなければ、映画を観ても謎の多い物語に終始してしまうだろうと思います。「鬼滅の刃」は、大正時代に家族を鬼に殺され、唯一生き残った妹も鬼にされた少年が、妹を人間に戻すべく鬼を退治する剣士になっていく物語です。主人公の人間的な成長もあって、随所に教育的な台詞も散りばめられていたり、元々人間だった鬼が死滅していく度に、主人公が優しい心遣いをしていくところが単なる残酷な鬼退治の物語と違うところだと思っています。今回、家内や私が面白いと思ったところが、映画に登場する無意識領域にある核という存在で、それを登場人物によって再現していた場面には頷かされました。私はこうした心理学的な箇所が大好きで、映画に不思議な輪郭を与えていると思っています。この映画には炎柱を担うもう一人の主人公がいて、私は炎の表現に注目していました。図録によると慶応4年の「鳥羽伏見の戦い」の錦絵を参考にしているようで、炎の描き分けが美しく、また色彩のバリエーションも見事でした。3Dと作画を織り交ぜて作った緻密な画面は、その統合作業に大変な苦労があったのかなぁと思い、スタッフたちの並々ならぬ努力が結集した映画であることは疑う余地がありません。日本が世界に誇るサブカルチャーであるアニメは、国内に質量ともに優れた作品が多く、「鬼滅の刃 無限列車編」も宮崎駿監督や新海誠監督の作品に並ぶ日本の代表作品と言えるのではないかと思った次第です。

週末 新作の窯入れ始まる

例年なら11月を目安に窯入れを開始していますが、今年はやや早く10月後半から始めることにしました。幾度となくNOTE(ブログ)に書いてきましたが、陶を素材にした造形で一番重要で、細やかな神経を使い、また何度経験しても難しく、また抜群に面白い工程が最後の焼成になります。制作工程での焼成に至るまでの過程は、土練りをして大きなタタラを作り、それを暫し固めたところで成形を行い、そこに彫り込み加飾を施し、数週間にわたって乾燥させます。さらに表面をヤスリがけし、指跡を削り取り、化粧掛けを施して、漸く窯入れに辿り着くのです。窯に入れて焼成が始まりますが、そこで失敗すると今までの制作工程が全て水泡と化し、私は心底落ち込みます。しかしながら若い頃に比べて今は打たれ強くなっているせいか、立ち直りも早くやってきてくれます。つまり窯入れは私にとって最重要な最終工程で、このために今までの作業があったと言っても過言ではありません。また窯入れは人の手が及ばない神聖な行為とも言え、窯の中の高温変化によって陶土が石化するわけですが、そこには炎神が棲んでいるようにも思えて、窯に蓋をすると手を合わせたい思いに駆られます。年の初めに窯に正月飾りを置くのも、その年の安全を炎神に祈願するものと私は思っています。確かに陶土は窯の中で別の質感になって戻ってくるので、炎神に鍛えられ、陶土は鎧を纏って火炎の旅から堂々帰還してくるように、私はイメージしています。これがあるからこそ陶彫はやめられないと思う瞬間でもあるのです。ただし、私の場合は公務員との二足の草鞋生活のために窯にずっと付き添うことができず、処理の簡単な電気窯を入れています。本来焼成の醍醐味は薪を炊く登り窯にあることは充分承知しています。窯内の場所によって陶の焼き具合が変わり、釉薬との関係で不思議な風景が陶土に現れるのです。それに比べて電気窯は均一に焼けるため、面白味に欠けるところがありますが、それでも窯内の変化に私は喜びを見出しているのです。今日は窯入れ前に小さな陶彫成形を2点行ないました。15点目と16点目の陶彫成形です。彫り込み加飾は次回に回します。今日もいつものように美大受験生が来ていました。夕方、彼女を家の近くまで車で送ってきました。

週末 益子から陶土が届いた日

週末になりました。今日はいつも通り朝から工房に籠って制作三昧の一日でした。陶土を掌で叩いて座布団大のタタラを数枚作り、明日の陶彫成形に備えました。それから彫り込み加飾を行いました。一日の制作時間としては、この彫り込み加飾にほとんど費やし、制作サイクルとしては順調に進んでいました。唯一問題なのは倉庫に貯蔵していた陶土がなくなってきたことで、例年この時期に栃木県益子から陶土を運搬してもらっています。先日、益子にある明智鉱業に電話をして、注文用のファックスを送りました。私は複数の種類の陶土を、割合を決めて土錬機で混ぜ合わせ、自分なりの陶土を作っています。それら複数の陶土を全部含めると毎年購入する陶土の全重量は800キロになります。20キロずつビニールで梱包されている陶土を40個、運送業者が運んでくるのです。時間としては午前中を指定していて、今日は11時頃に工房にやってきました。倉庫側のガレージを開けて、業者と私が陶土を工房内に運び入れました。これで1年間は陶土が事足りる状態になり、私は新作の制作に拍車をかけられるのです。陶で彫刻を作ろうと思っていた時代、ちょうど滞欧生活から日本に帰ってきた頃に、茨城県笠間に住んでいた陶芸家の友人と連れ立って、栃木県益子にある明智鉱業に行きました。当時はさまざまな産地の陶土を買ってきては、手で混ぜ合わせ、テストピースを作っていました。今では使わない釉薬も試していました。気に入った風合の陶土が出来ても陶彫部品の大きさに耐えられず罅割れが生じたり、また割合を変えてみると、イメージ通りでなかったりして、実験を何度も繰り返していました。当時の作品は立体ではなく、レリーフ状にしたものが多く、立体として立ち上げることへの不安がありました。それでも陶を素材に作品化できる喜びが私にはありました。そんな試行錯誤の中で「発掘~鳥瞰~」が生まれました。「発掘~鳥瞰~」は、まだ完全な立体ではなく、部品は全てレリーフですが、屏風に仕立てることでイメージ通りの作品ができたことが今でも思い出されます。あれから20年以上が経っても、明智鉱業から陶土を運搬してもらっているのです。夕方まで作業していて、今日のノルマを果たした私は工房を後にしました。夜になり、家内と最近話題になっているアニメ映画に話題が及び、レイトショーならまだ座席が取れるのではないかと思いたち、車で鴨居にあるTOHOシネマに出かけました。ネット予約の方法もあったのですが、コロナ渦の中の映画館の状況が知りたくて、ともかく出かけてみたのでした。果たして映画館はそれなりの混雑がありましたが、思っていたほどの状況ではなく、その社会現象にもなっているアニメ映画を観てきました。詳しい感想は後日に回しますが、帰りは深夜になりました。車でなければ帰ってこれない時間帯なのに、これだけの人が入っている映画を私は今まで知りませんでした。

「演繹的諸体系の理論と多様体論」第30~第32節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があって、その中の第3章として「演繹的諸体系の理論と多様体論」があり、今日はその第30節から第32節までのまとめを行います。前回から登場している多様体論に関しての節ですが、じっくり読み込んで、ここが著者の主訴と思える箇所に線を引き、それを書き出しています。しかしながら前後の脈絡がないため、文章として見ると難解を極めてしまっているのですが、それをご容赦願って今回も引用をさせていただきます。「私には数学をつねに内面的に導いているように思えたこの概念(確定多様体の概念)の隠れた起源は次のようなことである。ユークリッドの理想が実現されたと考えれば、諸公理の非還元的〔あるいは既約的〕な有限の体系から純粋に三段論法的な演繹によって(したがって論理的には下位段階の諸原理によって)空間幾何学の無限な体系全体が推論されて、空間のアプリオリな本質が理論的に完全に開示されるであろう。」数学者たちの研究から見えてきたことを、著者はこのように論じています。さらに多様体の本来の意味からこんなことも導き出しています。「もともと多様体とは無限な対象領野の形式理念のことであり、この領野にとっては一つの理論的説明の統一が、あるいは同じことだが一個の法則論的な学の統一があるのである。《理論的に説明可能な領野》(演繹的な学問の領野)という形式理念と《確定的な公理体系》とは同値である。」多様体論の最高の理念として「〈可能な理論形式のすべてと可能な多様体形式のすべてを、数学的な特殊例として派生し、さらにそれらを包摂するような、一つの最高の理論を求めて努力すべし〉という普遍的な課題の理念が生じることになる。」と結んでいます。

「演繹的諸体系の理論と多様体論」第28~第29節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があって、その中の第3章として「演繹的諸体系の理論と多様体論」があり、今日はその第28節から第29節までのまとめを行います。今日から第3章になり、論理的な思考でよく使われる演繹という語彙が登場しました。演繹とは普遍的前提から導き出される個別的で特殊な結論を得る論理的推論のことで、演繹法に加えて帰納法もワンセットで使用することが多いように思います。相変わらず難解な文章を繰り返し読みながら、気になった箇所を引用いたします。「今回ここで主題になるのは、可能な演繹的理論の統一すなわち《厳密な意味での理論》の統一を形成する判断の諸体系全体である。対象全体を表す概念(しかもつねに形式的な一般性で理解される概念)としてここで登場するのは、数学が明解な意味規定をしないまま《多様体》という名称で注目しているものである。」多様体論に関しては次の文章を引用しました。「多様体論の最も一般的な理念は、可能な諸理論(および諸分野)の主要な諸類型を明確に形成して、それら相互の法則的な諸関係を究明する学科だ、ということである。」この学科に関することも次に述べられていました。「ここで問題になる学科の新たな上位概念はそれゆえ一つの演繹的理論の形式あるいは一つの《演繹的体系》の形式であろう。~略~上位概念を細分して、そのような諸理論の可能な諸形式を明白に体系的に整理して提示するが、しかしこの種の多様な理論形式をもそれらより高次の形式一般性の個別形式として理論的に認識し、これら自身をーしかも最高にまさに理論形式一般の、つまり演繹的体系一般の最高の理念をー一つの体系的な理論の中で、その特殊な確定した諸形式で細分することである。」次の章ではユークリッド幾何学が登場します。「法則論的に説明する理論学、例えばーユークリッド自身が直観される世界空間の理論だと理解していたーユークリッドの幾何学が理論形式に還元されることであった。」今回はここまでにします。

図録による「小井土滿展ー鉄水墨」について

東京銀座のギャラリーせいほうでの私の個展の最中に、彫刻家小井土滿氏がひょっこり顔を出し、暫し話をする機会が持てました。小井土氏は長い間武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科の教授をされていて、数年前に同大学を退官しました。ギャラリーせいほうでも個展をされていたので、一度お会いしたいと思っていたので、丁度良い機会だったと思いました。鉄を溶接し、また鍛金をして、水墨画のようなタッチを表した小井土氏の空間造形は、空間を切る爽快さと軽さを併せもっています。私は残念なことに退官記念展を見ていなかったので、先日「脇谷徹ー素描ということ」展を見に行った時に、美術館受付で「小井土滿展ー鉄水墨」の図録を購入しました。改めて小井土ワールドに触れると、鉄水墨が生き物のように見えて、不思議な生命力を感じました。図録に作家の寄せた文章が掲載されていました。「湧いたイメージを鉄鍛造で制作すると、具体化にリアリティーが出て来る。心の具象化とも言える。それは自分の中に存在を超えたものが顕在化し、作品を見る人もそれぞれを追体験しながらこんな世界もあると実感することが出来る自分だけの楽しみや面白さがあると思う。私自身も経験したことのなかった世界に連れて行って欲しいものである。鉄鍛造で作られた作品と自分との距離の間に出来る、実空間と違うが感じ取ったものは何なのかゆっくりと味わいたい。水墨画の余白に面白さを感じる幽玄な世界の表現に繋がりうる空間である。受けるイメージの深い印象によりさらなる展開が広がり、未体験の感性を伴っている。目を瞑ってもそのやり取りを感じるのは喜びであり、作品と一体感が出て来て言葉にならない見る人の楽しみでもある。」水墨という発想は、小井土氏のご尊父が日本画家だったことがあり、家庭環境として水墨画が身近な存在であったことが挙げられます。またネパールへ仏像鋳造の研究に赴いたことも鉄水墨の発想の源になっただろうことは想像に難くありません。米彫刻家アレクサンダー・カルダーの床置きの彫刻である「スタビル」を彷彿とさせる鉄水墨ですが、そこは西欧の感覚とは異なり、小井土ワールドには東洋の神秘とも言える情緒と風のような爽快さがあって、日本人としての現代彫刻を示す独自な表現と私は捉えています。

「金属素描」についての雑感

武蔵野美術大学美術館で開催している「脇谷徹ー素描ということ」展の図録に、作者が書いたこんな文章が掲載されています。「私が『素描』という呼称にこだわる理由には、『素描』の『素』という漢字の持つ意味が大いに関係しているようだ。『素』の持つ意味からも、『素描』とは『簡単に描く』あるいは『描くことの素』といった、『単純に描くこと』あるいは『描くことの根源』といった性格を帯びているように感じるのだ。色彩を排し、単色で描く。こう記してみれば『デッサン』と同義語ではあるが、私には単に言葉の意味にとどまらず、自分の目指す方向性、言い換えれば指針をも示しているように思えるのである。つまり『表現はできる限り平易に、そしてシンプルであること』という指針であり、原点への志向なのである。」ここでは素描についての作者の理念が語られていますが、私も学生時代に師匠である池田宗弘先生から、空間に粘土で素描をするように塑造をするのだと教えられました。私自身はそれが巧くいかず、彫刻に向いていないのではないかと悩んでいた時期がありました。それでも空間に対する憧れと素材のもつ力に逆らえない私が、偶然通りかかった共通彫塑研究室で、脇谷徹氏が作った「金属素描」に眼が奪われ、鉄の素材がもつ力強さと鉄片を粘土のように貼り合わせた造形に心底驚いたのでした。「金属素描」は、素描の意味を最初に問いかけた初期の秀作であろうと私は今でも思っています。私は今でも鉄屑で人体のようなものを作っている夢を時折見ますが、20歳そこそこで出会った「金属素描」の印象が今も残っているのではないかと思うのです。それでも私は素材に鉄を選ばず、陶に拘りました。陶によって空間に造形する私は、西欧の地中海の遺跡発掘現場から構築要素をいただき、古代の人の営みを情緒ともとれる造形に心を籠めてきました。それは大きく捉えれば自分が思いを託した自己素描とも言えるのでしょうか。「金属素描」を改めて鑑賞して、何をしても巧くいかなかった自分の苦い過去を振り返り、当時の私は何をしたかったのか、現在の私は造形の方向をどんなふうに見定めているのか、自分自身と対話したような感覚を持ちました。展覧会を見て良かったと思えたひと時でした。

武蔵美の「脇谷徹ー素描ということ」展

先日、東京都小平市にある武蔵野美術大学美術館で開催している「脇谷徹ー素描ということ」展に行ってきました。彫刻家脇谷徹氏は私が彫刻を学び始めた頃、共通彫塑研究室で助手をやっていた人でした。出品作品は彫刻50点、絵画や素描150点という大がかりなもので、長く武蔵野美術大学で教壇に立っていられた氏の退官記念展も兼ねていました。私は学生時代に氏の「金属素描」という作品をたまたま見て衝撃を受けたことを思い出し、この彫刻家がどんな歩みをしてきたのか興味を持ちました。立体や平面に限らず氏は素描に対して確固たる理念をもち、只管追求してきた姿勢が感じ取れて、私自身感動を覚えました。「金属素描」については稿を改めたいと思います。共通彫塑研究室には保田春彦先生や若林奮先生がいて、氏は彼らから影響を受けていたのだろうと推察されましたが、図録に信州の「無言館」館主である窪寺誠一郎氏がこんな文を寄せていました。「脇谷徹が師と仰いでいた彫刻家の一人に、やはりストイックな信仰的形態の確立により高い評価を得た故・保田春彦氏がいるが、脇谷のもつストイシズムは保田春彦のそれとはかなりちがう。保田が長いヨーロッパ遊学から摂取した『信仰的』な匂いをもつ造形に取り組んだのにくらべ、脇谷徹はどちらかといえば純日本的、アルチザン的な制作法をえらんだ。それは彫刻家の姿勢の違いというよりも、脇谷はてんから師春彦のもつような詩情、ノスタルジイをうけつけない体質があったのだろう。保田氏が晩年手がけた亡妻シルヴイアに捧げる古代都市の建物をモチイフにした作品とも、脇谷は一定距離を保ち、師よりも何倍も自らの内的心象風景のほうを大事にしているように思える。脇谷徹には、師から学んだ静謐にして正鵠な造形理念を追いかけつつも、そこに絶対断固とした『自己』の内省をこめ、過去、現在、未来の『自己』のあるべき姿を封じこめることに専念する態度がみられるのである。」(窪寺誠一郎著)この文章にあった師弟の彫刻家の世界観を比較したところが私には面白くて、展覧会の印象を辿りながら、脇谷徹氏が求めたこと、これからも求め続けていくことを噛みしめながら、私自身もまた師弟の2人とは違う自らの世界観を問うことをしていました。

週末 RECORD撮影日

毎年この時期に1年間分のRECORDを撮影しています。ホームページにアップするためですが、一日1点ずつ制作していく小さな平面作品であるRECORDは、その条件が厳しくて、その日に完成しないことも多く、それを挽回して今までも10月の撮影に間に合わせることをやってきていました。RECORDは職場から帰った夜に食卓で制作しています。下書きを描いて彩色し、ペン等で仕上げるのが通常ですが、デザインによってはその制作方法はさまざまです。小さな作品ですが、私の性格もあって気軽に作ることができず、つい完成度を求めてしまいます。タブローとはいかないまでも、軽いスケッチのような作品は1枚もありません。どこかで発想を変えようとしているのですが、イメージそのものが表現の追及を視野に入れているので、つい重くなってしまう傾向があります。今日はいつも来ている美大受験生たちが朝9時半に工房にやって来て、それぞれの課題を始めました。朝10時に懇意にしているカメラマン2人が工房にやってきて、撮影の準備を始めました。工房としては千客万来といったところでしょうか。私も含めて蜜にならずに、それぞれの場所に分かれて作業に入りました。カメラマンの方に眼をやると、昨年の10月からのRECORDを撮影していて、あの頃はこんなことを思っていたっけ、あの1ヶ月はこうだったという思いが去来します。今年の3月からは自宅のリフォーム工事に入っていて、いつも制作している食卓が使えず、職場の休憩時間や居間を使って下書きばかりをやっていました。それが徐々に山積みになっていき、過去の作品を1点ずつ仕上げていくのに大変なパワーを使いました。先月の夜は深夜までRECORDをやっていました。今日は私は14点目の陶彫成形をやっていましたが、10年以上も毎日作っているRECORDは、彫刻に匹敵する表現手段になっていると感じます。このNOTE(ブログ)もそうですが、私は日々積み重ねていく行為が好きなんだなぁと思っています。焦らず休まずというのが私の座右の銘で、私なりの人生の歩み方なのだろうと思います。

週末 土練り&美術館散策

週末になりました。週末になると私は職場の仕事を一時忘れ、創作活動に邁進します。心が解放される瞬間がやってくるのです。今日は武蔵野美術大学美術館で開催されている「脇谷徹ー素描ということ」展に行こうと前から決めていました。武蔵野美術大学美術館は東京都小平市にあるので、横浜から車を使っても2時間くらいはかかる遠距離にありますが、同展で私がどうしても見たい作品があったため、時間を割きました。私が彫刻を学んでいた40年以上前に、脇谷徹氏は共通彫塑研究室で助手を勤めておりました。私は本学で池田宗弘先生に懇意な指導を受けながら、保田春彦先生や若林奮先生がおられた共通彫塑研究室に興味津々で、度々外から研究室内を覗いていました。そこに脇谷徹氏の作った「金属素描」があり、鉄片を塑造したその造形に心が奪われたのでした。もう一度あの作品が見たいと思う一途な気持ちから車を小平市まで走らせました。今日は家内が付き添ってくれました。家内は空間演出デザイン(当時は芸能デザイン)を学んでいるため、こうした展覧会には独自の感想を持っていて、とくに全体を俯瞰した際に発する意見には鋭い洞察があったりして、私には最良の相棒とも言えます。「この人の素描を見ていると、形態の立体的追求が激しくあって、平面だと描画材料で真っ黒になってしまう。大学では油絵を学んだようだけど、これは彫刻に向いている。彫刻でないと進む方向が迷ってしまうのではないか。」と家内が言っていました。私も然り、数多くのデッサンが展示されていましたが、どれも平面的なものはなく、ハッチングの線は全て立体としての捉えがありました。「脇谷徹ー素描ということ」展の詳しい感想は後日に改めます。今日は美術館散策があったとしても自らの創作活動を止めるわけにもいかず、朝6時に工房に出かけ、土練りとタタラを数枚準備してきました。早朝制作は時々やっていますが、ウィークディには気分的な面で、これは出来ません。制作の後のスケジュールが美術館散策となれば、創作活動への意欲が湧きあがって早い起床も苦にならないのです。 土練り&美術館散策で今日は充実した一日を過ごしました。

コロナ渦の文化イベント

私の職種では年間を通じて、いくつかのイベントが計画されています。野外で行う体育的なイベントや室内で行う文化的なイベントがその代表的なものですが、野外に比べて室内で行うイベントは、新型コロナウイルス感染症の影響が色濃く出て、開催を中止したところもあります。医療機関や保健所の助言に従えば、この文化的イベントの開催を危ぶむ声もあるのですが、職場を運営する効果を考えた時に、多少工夫してでも開催をしていこうという判断を私が行いました。美術作品の展覧会などは比較的開催可能なところですが、合唱や舞踊という身体を使ったものは神経を使わざるを得ません。実際に7月に私自身が個展を開催しているし、美術館へも鑑賞に出かけているので、今日は検温チェックとマスク着用で防備して、終日の文化イベントに臨みました。新型コロナウイルス感染症対策は孤立化を招き、私たちの職種でも少なからず影響が出ています。日本の経済政策も、感染防止をしながら経済を回すことでバランスを取っているようです。私たちの職種でも人々のメンタルな面を、こうした文化イベントでそれぞれ救援や支援をしながら、感染症との綱渡りをしている感覚があります。今年は立場上、難しい判断に度々迫られてきた私ですが、職員と合議を繰り返し、何とか辛うじて職場を運営している状況になっています。それでもやってよかったと思える文化イベントは、芸術や文化のもつ力に生きる喜びを見いだせるので、今日は思った通りの充実した一日になりました。

「Ⅱ 庭園とランドスケープについて」のまとめ

「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)の「Ⅱ 庭園とランドスケープについて」のまとめを行います。ここではノグチの代表作品である4つの庭園が登場します。それぞれの庭園に関する文章からひとつずつ引用して、ノグチの庭園に対する考え方を示したいと思います。「ぼくが力をつくしたのは、日本人を通して歴史の黎明からぼくらにまで受け継がれてきたこの石の儀式をぼくらの近代という時代とその必要性につなぐ道を見つけることだった。」(パリ・ユネスコ庭園)。「上から見おろすと、この庭はそれをとりまく花崗岩の巨大な枠のなかに収められている。ドラマは静寂のうちに情け容赦なく演じられる。~略~太陽、立方体、ピラミッドはおたがいどうし、そして庭全体の地形と関係しあわなければならなかった。」(イェール大学図書館内庭)。「岩たちは大地の一部であるかわりに力を爆発させ、庭から浮きあがっているように見える(少なくともそれが意図だった)。庭そのものは造形されている。それは人間の手でつくられ、したがってーこれは彫刻だ。同心円状に敷かれた舗石のパターンは日本庭園の熊手に引かれた筋に似ていると言われるかもしれないが、それはむしろ様式化された海の波という中国の起源にまでさかのぼる。」(チェース・マンハッタン銀行)。「デザインの基本となるのは、この場所、大地とその上の空の神聖性に対するぼくの敬意の念である。ぼくはこの場所の賛歌を立ち昇らせたかった。大地そのものが媒体となるはずだ。敷地に石で建造された五枚の曲線を描く擁壁が、この大地をいくつかの大きな弧のなかにすっぽりと入れる。擁壁は、平らな歩行可能のエリアが以前はまったく存在しなかった場所に、そのようなエリアをつくるための装置である。」(イスラエル・ローズ彫刻庭園)。ノグチにとって単体の彫刻作品より、場の空間を創出させる庭園の造形の方がしっくりきているように思えます。それは伝統的な日本庭園ではないにしても新しい空間造形のカタチだろうと思います。

「Ⅰ 彫刻について」のまとめ

「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)の「Ⅰ 彫刻について」のまとめを行います。「Ⅰ 彫刻について」は10章に分かれていますが、論文形式でありながら短く内容がまとまっていました。彫刻に関するノグチの考え方がよく分かり、当時ノグチが考えていた空間把握などが現在にまで続いている様子が散見され、興味関心を持ちました。「ぼくらの空間体験は時の断片に限定されているのであるから、成長が存在の核心となるべきだ。ぼくらはふたたび生まれる。そして自然のなかに成長があるようにアートのなかにも成長がある。」また近代の彫刻の歩みに関して、「近代の彫刻には最初からふたつの傾向があったと。ひとつはメカニスクから派生し、それに基礎をおいてそれ自体へのフォルムへ向かうもの。もうひとつは自然の概念から出発してその内的な意味を探るもの。前者は、ロシアの構成主義者による作品にみられるように過去の人文主義的な伝統とはばっさり縁を切り、非具象と機械化の極限まで達する。後者のより有機的なタイプの最良の例は、カルダーのモビールやジャン・アルプの作品のいくつかである。」と語られていました。原初的な美については、「モダンアートに親しんでいる人びとは、すぐにプリミティヴに魅了される。しかしながらアーティストによる発見の過程は、おそらくは類似したような欲求と満足とにもとづくのだろうが、アーティスト自身の創作の展開に根ざし、それに付随するものなのである。」とありました。さらに建築と彫刻の関係性についての問いかけがあり、これはノグチの時代以降も続く課題なのかもしれません。「建物はほんとうにただの物理的なシェルターなのか、あるいは一種の象徴的オブジェであるべきなのか。建築家と彫刻家は同一であるべきなのか、それとも組み合わされるべきなのか。」ノグチが後半生を通じて、庭園や遊び場のデザインを自ら率先して施工してきて、その都度思いを巡らせた思考の軌跡を辿ってみることがその答えになるだろうと私は思っています。

「形式的命題論と形式数学」第26~第27節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があって、その中の第2章として「形式的命題論と形式数学」があり、今日はその第26節から第27節までのまとめを行います。まず、形式的命題論と形式数学との統一に関して述べられた箇所で気を留めた文章を引用いたします。「人々は論理的な形成物を、この場合には実在物とは言えないにもかからわず、実在の事物と同じように扱っている。それゆえ論理学的な形成物は主観性と客観性のはざまで、曖昧に浮遊するのである。」またこんな一文もありました。「数学と論理学との関連が初めて明らかになったのは、形式数学の形成物の類似物として、しかも同じ客観的ーイデア的な見方で、形式論理学の形成物が主題化されたときであった。数学においてはこの抽象的な見方が強固な伝統になって、以前からもっぱら数学的理論化の理論的な目標を規定していたのである。」これは論理学的な形成物を代数学的に理論化する可能性を探る考察であり、さらに次の一文へと続いていました。「すなわち〈主・客両面をもつ各教科の言わば固有の意味についてのラジカルな原理的詳察〉こそが、伝統の呪縛を打破して諸教科の問題設定の統一性を内的に理解しうるためには、以前にも今後にとっても同様に必要であってー数学者たちのように理論的な技術による統一で満足したり、大多数の哲学者たちのように、原理的な洞察によって理解するのではなく、推測によって〔主・客を〕分離することで満足することではない。」そこにB・ボルツァーノの洞察が登場しますが、著者は達成度の点で今一歩評価をしていません。最後にこんな一文がありました。「形式論理学には、イデア的な諸意義の分野に還元される推論式論だけでなく、基数論、序数論、量数論および当然さらに形式的な量論一般、組合せと順列の理論なども含まれることになる。」

「形式的命題論と形式数学」第23~第25節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があって、その中の第2章として「形式的命題論と形式数学」があり、今日はその第23節から第25節までのまとめを行います。僅か数頁の内容ですが、語彙や意味が難解なため読み解くのに時間がかかり、まとめといっても要旨をまとめることは私には到底出来ず、気になった箇所を書き出すことで、まとめの代わりにしたいと思います。「論理学が形式的な事柄という概念に拘束されている間は、つまり論理学が命題論の基本的な諸形式とそれらによって構築される諸形式の中で、すべての《名辞》を無規定な可変項として扱っている間は、論理学が可能な真理について獲得しうる認識は〈無矛盾性の分析論だけに直接適合する認識〉、したがって〈少数の命題を除いて、言わばこの単純な分析論が厳格に認識を豊かにする形式的な諸理論の平凡な転用に過ぎない認識〉だけである。」次にライプニッツの普遍学が登場してきますが、それを踏まえて形式存在論の新たな問題が掲げられていました。前後の文章がないため、脈絡が掴めないところもありますが、それを承知で引用いたします。「この分野内でアプリオリに形成され考案される派生形態もすべて、この範囲に含まれるが、これらの形態は次々に繰り返される構築作用によって次々に新たな形態が生じることになる。このような派生物になるのが(有限および無限の)集合と基数のほかさらに、組み合わせ、関係、級数、結合、全体と部分などである。こうしたことからまず考えられるのは、このような数学全体を存在論(アプリオリな対象論)、ただし或るもの一般の純粋な諸様相と関係する形式的な存在論と見なしうる、ということである。」最後に形式的命題論と形式的存在論のテーマの違いを述べた箇所を引用します。「われわれはせめて〈判断することは諸対象について判断し、それらについて諸特性あるいは相対的な諸規定を陳述することだ〉ということだけは想起すべきであり、そうすれば〈形式的存在論と形式的命題論とは主題設定が明らかに異なるにもかかわらず、やはり密接に関連せざるをえず、おそらく不可分な関係にあること〉に気づかざるをえない。」

週末 13点目の陶彫成形

横浜は台風の影響から離れていたために、今日は曇り空が広がる一日でした。私は朝から工房に篭って制作三昧の一日を過ごしました。昨日タタラを数枚用意していたので、今日はそれらを使って新作の13点目になる陶彫成形を行ないました。今回の成形は今までの直方体ではなく、変形した形態を作りました。新作は大きな円形が土台にあり、円形の中心に近くなるほど陶彫部品の設置面が小さくなります。底辺の図形が正方形から台形に変わり、上に伸びるカタチは斜面のついた三角形になります。今日は通常作っている直方体ではなく、円形の中心に位置する変形の形態を作りました。今後はこうした形態を作ることが増えていくのではないかと思います。高さの調整も必要になるのですが、まだ出来ている陶彫部品が少ないため、今のところは高さの調整は考えなくて済みそうです。とにかく部分を作っているうちは気が楽で、近視眼的な視点で済みますが、陶彫部品の数が増えてくると全体を把握しなければならず、そうなると結構骨の折れる作業になっていきます。陶彫部品は労働の蓄積で、数量が満たされないうちはどうにもならないのです。今月は通常の週末しかなく、長い休日がとれないので、陶彫部品を作ることに専念しようと思っています。10月になって芸術鑑賞には適した季節になり、どこかに出かけたい思いに駆られることもありますが、とりあえず只管作ることに週末を使おうと思っています。行きたいなぁを思っている展覧会はあるのですが…。今日は美大受験生が一人工房に来ていました。彼女はデザイン科志望で平面構成をやっています。基礎的なことをコツコツ積み上げていく姿勢に好感が持てますが、彼女は無我夢中なのです。夕方、彼女を家の近くまで車で送ってきました。来週末も頑張ろうと思います。

週末 彫り込みをする文様について

週末になりました。台風14号の影響があって、昨日から終日雨が降り続いています。気温も急激に下がり、上着が必要になっています。昨日は外会議から帰る途中に日用雑貨店に立ち寄ってハンドスプレーを購入してきました。プラスチック製の安価なものですが、先日壊れてしまい、陶彫制作にはなくてはならないものだと認識しました。制作途中の陶彫部品は表面が乾かないように水を打ってビニールで覆っておきます。その水を打つためのハンドスプレーなのです。毎週末、制作途中で作業を中断することが多いので、工房にはビニールで包まれた陶彫部品が数点あります。成形だけで終わっているものや彫り込み加飾がまだ出来上がっていないものなどがあり、乾燥の具合を見て作業を進めていきます。今日の作業は彫り込み加飾2点と、明日の成形に備えて大きなタタラを数枚用意することでした。彫り込み加飾は前にも書きましたが、工芸的な作業で時間がかかります。今までの作品はひとつパターンが決まれば、全てその文様を彫り込んできましたが、新作は陶彫部品によってそれぞれ彫り込む文様を変えています。とは言ってもパターンの法則性はそのままにしておいて、デザインのバリエーションを増やしているのですが、これが手枷足枷になってなかなか厳しいものになっています。私は自分自身で法則を作って苦しんでしまうのが癖になっていて、自分で自分の展開力を試しているところがあるのです。新作は構築物としては単純な直方体が基本なので、彫り込み加飾で変化をもたせようとしています。陶土が粗いため緻密な文様は出来ませんが、それでも繰り返す文様は一定の美しさを保っています。これを造形全てを覆う飾りとしてではなく、立体に変化を齎す効果として扱っているのです。文様を施すことで立体に性格をもたせ、個性を引き出そうとしています。彫り込み加飾は、実のところ加飾ではなく、それ自体も立体の内容を雄弁に語る要素です。今日は朝9時から午後4時までの7時間を工房で過ごしました。ほとんど彫り込み加飾に費やしてしまいましたが、全て仕上がったわけではなく、今後も作業は続行です。明日は新たな陶彫成形を行なうので、彫り込み加飾はどんどん遅れをとってしまっている現状があります。昨日買っておいたハンドスプレーが活躍しました。

「イサム・ノグチ エッセイ」を読み始める

「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)を読み始めました。先日まで読んでいた「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)では、ノグチの彫刻やそれを取り巻く空間の解釈に、私自身が自作を振り返って改めて彫刻の存在意義を確認することをしていました。ノグチの主張が私の造形思考の起点になっていることが少なからずあったからです。それならばノグチ自身が実際に著した文章を読んでみたいという衝動に私が駆られたとしても不思議ではなく、まだまだ私の頭の中はイサム・ノグチ・ワールドに占領されていると言えます。「イサム・ノグチ エッセイ」にはモノクロの写真が多く掲載されています。その写真を見ているだけで、私は彫刻に対する意欲が湧きあがってきます。冒頭の文章を少し読んでみると、ひとつずつの章は短く、また独特な言い回しがあって、意味を吟味しながら読み進めていく必要を感じます。それでもノグチはかなりの文章家であることが分かり、その思索には興味津々です。ノグチの師匠であるブランクーシに関する章もあり、また庭園に関する文章も散見され、他者が書いた伝記とは違う意味合いを感じながら読んでいきたいと思います。私は彫刻とは精神の産物で、それは思索によって支えられていると常々考えています。彫刻は、平面的な絵画と違い、立体構成物として空間に存在することが思索を促す要因になっていると思っています。それは現象学にも通じ、モノが存在する本質的な捉えとはいかなるものかを考えさせる動機にもなります。イサム・ノグチの著したものに少なからずそうした内容が含まれているはずです。私自身も思考を深めながら本書に向かい合いたいと思います。

「石を聴く」読後感

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝でした。1904年に生まれ、1988年に没し世界的な名声を得た日系彫刻家イサム・ノグチは、彫刻の概念や空間の解釈に対し、私にさまざまな啓示を与えてくれた人でした。私の陶彫による集合彫刻の試行錯誤は、ノグチの示唆によって造形の方向が与えられました。本書の最後にあった箇所を紹介しながら本書を閉じたいと思います。ノグチは晩年になっても創作意欲は衰えず、また女性に対しても精力的でした。草月会館のプロジェクトに関わった建築家川村純一の妻京子とも深い縁になったことが書かれていました。また生涯で最も巨大なプロジェクト「モエレ沼公園」については「札幌市の廃棄物処分場、モエレ沼の広大な野外空間を訪れた。それは三方を豊平川の蛇行に囲まれた広い丘で、ごみが積みあげられていた。ノグチはすぐにそこが気に入り、400エーカーの空間すべてをひとつの巨大なーその全彫刻家人生で最大のー彫刻にしたいと考えた。」とありました。ノグチ亡き後、2005年に「モエレ沼公園」は完成しました。本書の最後に「この終わりがないという立場を維持しつづけたのは、ひとつにはあまりにも好奇心に満ちていたからである。~略~ノグチにとって家がないという感覚はひとつの起動力だった。『帰属への願望が私の創造の原動力となってきた』。さすらい人ノグチは、彫刻を制作することによって自分自身を大地に、自然に、世界に埋めこむ道を探し、発見した。」とありました。訳者のあとがきにも触れますが、こんな一文がありました。「東洋の美術家として石という自然が語ることに耳を傾けながらも、そこに自分自身の鑿の痕跡を残そうとしたという意味では、あくまでも西欧の彫刻家であった。」私は次に読もうと決めているのは「イサム・ノグチ エッセイ」です。本書を読み進めるにあたって、文筆活動もやっていたノグチの随想をも読んでみたいと思ったためで、私は翻訳されたノグチの書籍は全部読む計画でいます。

イサム・ノグチ 美術館建設&ビエンナーレ

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第50章「価値あるものはすべて贈り物として終わらなければならない」と第51章「京子」、第52章「始まりにも、終わりにも」のまとめを行います。この第52章をもって本書は終わりますが、ノグチの生涯と同じで最後に至るまでアートの情報が詰め込まれていました。まず日米2つの美術館建設の話題が掲載されていました。「誕生日を四国の私の避難所に庭園をつくることで祝う。それは未来への贈り物、そして私の母をかくまい、私に幼年時代の歳月をあたえてくれた国民への贈り物である。価値あるものはすべて贈り物として終わらなければならない、というのは正真正銘の真実である。」というノグチの一文があり、これは牟礼に建設した庭園美術館に関するものです。もうひとつはニューヨークのロングアイランド・シティに建設した美術館に関するもので「より静穏で拘束のない世界に運ばれていく場所として多くのニューヨーカーから愛されているイサム・ノグチ庭園美術館は、それ自体がひとつのアート作品である。」とありました。次に知名度を誇るヴェネツィア・ビエンナーレ出品に関する掲載があり、展示作品を巡って周囲の助言者とノグチの間に溝があったことが伺えました。「ディ・スヴェロはノグチに、こんなにたくさんの《あかり》を展示したらグランプリは獲れないと警告した。だがノグチは《あかり》は『商売とはまったく関係なく、ぼくが純粋の愛情からやったひとつのことだ』と言った。アメリカ人として栄誉を得ることで満足はしていても、ノグチはちょっと天の邪鬼的に自分の日本人の側を強調する展示を構成した。~略~《スライド・マントラ》創作のアイディアは、ノグチが1985年にアメリカ館で使用可能な空間を確認するためにヴェネツィアを訪れたときに生まれた。ノグチは中庭には白大理石の滑り台が必要だと考えた。~略~ビエンナーレのノグチの展示に対する反応はさまざまだった。ヨーロッパ人は作品の多様性にまごつき、《あかり》はアートではなく工芸品かデザイン・プロダクトだと考えた。」最後に「モエレ沼公園」建設の箇所がありますが、それを残して今回は終わります。

イサム・ノグチ 最晩年の代表作品

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第48章「《カルフォルニア・シナリオ》」と第49章「ベイフロント・パーク」のまとめを行います。ノグチは1988年12月30日に84歳の生涯を閉じていますが、本書にある「ベイフロント・パーク」では、その完成を見ずに亡くなっているようです。そんなことも頭に入れて今回は最晩年の代表作品を取り上げます。まず「カルフォルニア・シナリオ」は成功例です。「象徴に満ちた庭を創造するにあたって、ノグチは日本の伝統に従った。ノグチによれば《カルフォルニア・シナリオ》の六つのセクションの意図はカルフォルニアを抽象的に表現する穏やかな舞台の創造である。そこには平和があるーなにもなく静かで、禅に似ている。だが、それぞれのセクションの完璧な設定と、ひとつのセクションとが対照性(有機vs幾何、硬vs軟、暗vs明、湿vs乾)によって、あるいはさまざまな素材すべての全体的な調和によって関係することから活力が生まれてくる。ノグチはただひとつのものからなる作品より、物と物とのあいだに関係のある作品を好んだ。なぜならば、それらは『おたがいのあいだにあるエネルギーを集め、おたがいに語りあっている』からだ。」これは私が主張する場の彫刻の概念であり、集合された立体が響きあう空間をノグチが既に造形していた証でもあります。私の集合彫刻の原点もここにあります。次に書かれていた「ベイフロント・パーク」は、トラブルが続いたようです。「《カルフォルニア・シナリオ》がすんなり誕生したのとは対照的に、マイアミのベイフロント・パークの再開発では争いと欲求不満と落胆とが何年も続いた。おそらくこれはノグチのプロジェクトのなかでもっとも不首尾に終わったものであり、ノグチは完成を見ずに世を去った。」このベイフロント・パークの状況を、私は以前に映像で見たことがあります。大変大きなプロジェクトで、海岸一帯が造形されていました。現在はどうなっているのでしょうか。市民の憩いの場になっていることを願っています。

10月RECORDは「茶」

今年のRECORDは年間テーマとして色彩を取り上げ、毎月一色を選んでデザインを考案してきました。色彩は漢字一文字として和洋どちらの色彩でも可としました。10ヶ月間を振り返ってみると、私は西洋の色彩より日本の色彩を取り上げているケースが目立ちます。日本には渋めの色彩もあり、曖昧で香しい日本の情緒がよく表れているのではないかと改めて認識いたします。色彩には幅があり、また絵の具の滲みを使った表現も取り入れたこともありました。とりわけ風景描写には日本の古典絵画を参考にさせていただき、日本の絵師の卓抜とした描写力に畏れを抱きました。今月のRECORDのテーマは「茶」にしました。8月のRECORDのテーマ「苔」では、日本特有の「侘び」や「寂び」を表現しようとして江戸時代の絵画から運筆や掠れの具合などを学びましたが、こればかりは一夜漬けではどうにもならず、名画の足元にも及ばない結果になってしまいました。これは当然と言えば当然の結果ですが、懲りない私は今月も「茶」をテーマに古典から真髄を学ぼうと思っていて、無謀なチャレンジをしてしまうかもしれません。「茶」色は当然西洋の色彩にもありますが、日本の情緒を纏った色彩だなぁと常々思っています。今回は色彩だけを取り上げますが、「茶」には茶の湯の伝統があり、茶を点てる場では身分に関係なく、茶を囲んで懇親を深める機会があります。そうした機会を作った室町時代の茶人には驚くべき感性があったのかもしれません。日本の優れた文化を生み出した総合芸術としての茶道を、追々私は理解したいと思っています。「茶」という色彩に纏わるさまざまなことを考えながら、今月はRECORDを作っていきます。

週末 12点目の陶彫成形

今日は昨日に続き、陶彫制作に没頭した一日でした。座布団大のタタラはやや柔らかめで、立ち上げる時に裏から陶土を紐状にして貼り付けています。これは補強のためにやっていることで、タタラと紐作りの双方で高さ50cmになる立体を成形しているのです。立ち上げると木材のブロックを支えにして、暫く放置します。1時間ほどでやや硬くなり、加工に耐えられる強さが出てくるのです。面と面を繋ぎ合わせる時は、ヘラで何本も縦筋を入れ、そこにたっぷりドベを塗って接合します。ここにも裏から紐状の陶土で補強をすることを忘れないようにしています。この作業は可塑性のある陶土を使っているので一応モデリングと言えますが、制作工程で陶土を足したり削ったりすることはなく、削るとすれば彫り込み加飾になるので、通常のモデリングとは意味が違っています。と言うのは、最後の工程に焼成があるため、無垢で作ることができず、成形された内側は空洞にしてあります。そこが粘土による塑造とは異なるところなのです。これは陶彫の特徴ですが、立体の全体像は陶土を足したり削ったり出来ないので予めイメージしておく必要があります。今日の午前中は12点目の陶彫成形を行ないました。午後は前に作った陶彫部品の彫り込み加飾を行ないました。週末としては定番の制作ですが、作っている作品が異なっているので、前回と同じ作業にはなりません。新作は常に新鮮な造形試行があって、そこが楽しいと感じます。今日はお馴染みの美大受験生1名と文学を志すスタッフが1名、工房に顔を出しました。彼女たちは高校生で、これからの進路選択のために工房に通ってきているのです。夕方、彼女たちを自宅近くまで車で送りました。

週末 今月最初の週末に思うこと

10月の最初の週末がやってきました。昨晩は職場を早めに出させていただいて、叔母の通夜に家内と行ってきました。母の時と違い、新型コロナウイルス感染症拡大の影響がやや緩んで、通夜の参列が可能になっていました。それでも参列した人は多いとは言えず、葬儀そのものに影響が出ているのは確かです。叔母は享年88歳で、私とは幼い頃から親しい間柄でした。身近な人が亡くなると、私はつい死者を看取っている間中、自分の残りの人生を考えてしまうのです。私はいつまでこうしていられるのか、今生きていることはどういうことか、全ては夢幻に帰すかもしれない現在をどのように生きればよいのか、これは私の死生観に関わるものであり、その解答を探しつつ生涯を全うするのかなぁと感じています。それは私が創作活動をやっていることと深い関係があり、今生きていることの具現化が作品に表れているのだろうと思っています。創作活動は常に自分自身への問いかけであり、私の生きた証を示すものです。実際の魂は消えても創作に込めた魂は消えることはないと信じています。そこに私の魂が宿って生き続けているのかもしれません。そんなことを考えながら、今日は朝から工房に篭りました。朝8時から午後3時までの7時間を工房で過ごしました。午前中は土錬機を回して土練りを行い、畳大のタタラを掌で叩いて複数枚作りました。これは明日の陶彫成形のための準備です。午後は以前作っておいた陶彫部品の彫り込み加飾を行ないました。着実に制作サイクルを回しています。今日は多少気温が上がったため、汗が流れてシャツに染みを作りました。それでも真夏に比べれば、随分楽になりました。土曜日はウィークディの疲労が出ていることがあって、身体の動きは今ひとつ緩慢でした。ひと昔前と違って休憩なしに作業を続行することができず、ちょくちょく小休憩を入れました。明日は陶彫成形を頑張ります。

イサム・ノグチ 草月会館の「天国」

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第46章「人びとがいくところ」と第47章「想像の風景」のまとめを行います。表題にしたものは、今回の文章の中では一部分に過ぎないのですが、私の思いがあって選びました。第46章では初めにデトロイト中心街の噴水設計「ダッチ・ファウンテン」について書かれていました。「他のいくつかのプロジェクトと同様に、ノグチはコンペに勝つと噴水だけでなくプラザ全体のデザインもやらせてほしいと申し入れて仕事の範囲を拡大した。」次に登場するのが表題にした草月会館の「天国」で、私は数回ここを訪れています。「1974年10月13日、ノグチは丹下(建三)に宛てて、石を彫る和泉(正敏)にロビーの模型を送ったと書いている。地下の劇場上階にバルコニー席が設けられた関係で、ロビーには階段状の段差があり、空間は『ジッグラト〔階段式ピラミッド〕に似て』独特の形をしていた。ノグチの解決策は『階段状の石の丘、人びとがいくべき場所』をデザインすることだった。ノグチは草月会館で創出した空間を巨大な床の間と呼んだ。床の間は『日本家屋でもっとも神聖な場所…それは天国。そしてぼくがあそこ〔草月会館〕でつくったのは、そう、天国だ』。できあがったのはすばらしく生き生きとした白花崗岩の山で、青みがかった白花崗岩が何段にも重なり、ところどころ荒っぽく切り出した石の塊が散在する。空間全体は、上のテラスの水盤から精妙に流れ落ちる水でひとつにまとめられる。」次にノグチが取り掛かったのはニューヨーク州マウンテンヴィルの彫刻公園にある「桃太郎」という複数配置した石彫でした。第47章で注目したのはノグチの大規模な展覧会でした。「『ノグチの想像の風景』展は四室ー第一室は彫刻、第二室は舞台装置、第三室は建築プロジェクト、第四室は実現されなかった公共プロジェクトーを使って40年間にわたる仕事を俯瞰していた。~略~つねに批評家に誤解され、正しく評価されていないと感じていたノグチは、この称賛の奔流に満足したはずだ。個展が都市から都市へと巡回するにつれて、ほとんどの批評家がこの展覧会はノグチが20世紀最大の彫刻家のひとりであることの最良の証拠であると言った。」

創作意欲が増す10月に…

今日から10月が始まりました。10月は気候が良くなり、心身ともに心地よくなるため、芸術活動や芸術鑑賞が華やかに展開する季節です。私も創作意欲が増すのではないかと自分自身に期待をかけています。陶彫による集合彫刻は、新作である現在制作中の作品に全力で取り組んでいく所存です。今月は週末が4回あります。制作の手順に従えば4回の週末で4点の陶彫部品が出来上がる予定ですが、全体を見渡すと、そのペースでは間に合わなくなる可能性もあり、4点以上の陶彫部品が出来上がるといいなぁと考えています。貯蓄庫を見るとそろそろ陶土が足りなくなるかもしれず、早めに栃木県益子の明智鉱業に注文しておいた方が良いと思っています。陶土が潤沢にあるからこそ可能な創作活動なので、素材や道具には人一倍気を使います。木彫によるもうひとつの新作はいつから作ろうか考えていますが、鑿の手入れをしなければならず、砥石を新しく購入しようかなと思っています。今月木彫はまだ出来ないでしょう。RECORDは先月無理をして山積みされた下書きの解消に挑んできました。もう少しで通常のペースに戻れます。今後、RECORDは下書きを溜め込まないように頑張っていきたいと心に誓いました。鑑賞は感染症防止を心掛けて、首都圏で開催している展覧会に足を運びたいと考えています。美術鑑賞をしているとホッとする場面があります。乾いた心が潤っていくようで、芸術には人を刺激する魔力が棲んでいると感じています。読書は日系アメリカ人彫刻家の伝記とオーストリアの現象学者の著作をそのまま継続して読んでいきます。今月も先月に引き続き元気にやっていこうと思います。

秋風吹いた9月の振り返り

9月の最終日になりました。いつまで酷暑が続くのかと思われていた季節も、朝晩は涼しく秋風が立つ陽気になりました。工房での滞在時間も長くなり、創作活動が充実する時期で、まさに芸術の秋が到来したと言えます。今月を振り返ると、4回あった週末は4回とも着実に新作の制作を進めてきました。陶彫部品は今月だけで大小5点の成形と彫り込み加飾が終わっています。今月から新作の土台になる厚板材の切断を始めました。今後はそれを見ながら陶彫成形をやっていこうと思っています。RECORDの制作も追い込みを続けてきて、下書きが先行していた状況が少し改善してきました。一日1点制作を目標に掲げてきたRECORDですが、今月ほど頑張った1ヶ月はなかったように思います。思えば自宅のリフォーム工事が始まった3月頃から、下書きの山積みが大きくなってきて、この状態に心が折れそうになったこともありました。諦めなければ何とかなるものだなぁと思いました。鑑賞は美術館へ出かける機会が多くもてました。「バンクシー展」(横浜アソビル)、「近代日本画の華」展(大倉集古館)、「和巧絶佳」展(パナソニック汐留美術館)、「池田宗弘展」(東村山市立中央公民館)の合計4回の展覧会に足を運びました。感染症対策が図られている美術館ばかりで、検温をしてマスクを着用して作品を見て回りました。映画館にも行きたいのですが、まだ躊躇していて今一歩足を踏み出せないのです。職場では野外イベントをやりました。例年なら何のこともなく決行していたものですが、今年は密を作らないような配慮をして、思い切って実行したのでした。感染症を常に意識しながら、通常の活動に励むことが習慣化してきたように思えますが、これはいつまで続くのか、先行きのゴールが見えない不確定さの中で、それでも創作活動を絶やさずにやっていこうと考えています。読書では日系彫刻家イサム・ノグチの伝記を丁寧に読んでいます。ノグチの考え方に共感し、自らの造形思索に取り込める要素が散見されるので、私にとっては貴重な一冊なのです。フッサールの論理学研究は、凝り固まってしまう頭脳をぐるぐる巡らし、難解な箇所を読み解くことに私は楽しみを見出し始めています。易しいものばかり読んでいては駄目だと自分に言い聞かせ、自己研鑽を積むことで何か得るものがあると私は信じているのです。読書は来月も継続していきます。