今月最後の週末に…

今日が今月最後の週末になりました。工房に朝から篭って23点目になる陶彫成形を行ないました。22点目と23点目はまだ彫り込み加飾が出来ず、午後は乾燥した陶彫部品2点の仕上げと化粧掛けを施して窯に入れました。このところ窯入れは毎週末にやっていて、焼成が終わった作品は既に11点あります。結局、新作の土台作りは来月に持ち越しになりました。気温が下がり、空気が乾燥し始めると、陶土を触り続けている掌がガサガサになります。毎年冬になるとハンドクリームが欠かせなくなります。今日は大型のストーブを出してきました。朝から来ていた美大受験生が寒いと言うので、彼女が使っている作業台の近くにストーブを置きました。工房は断熱材装備の内壁がないため、気温は外と変わりません。これからこのストーブが頼りですが、工房全体の大きな空間を暖めることは、このストーブでは到底不可能で、悴んだ手を温めるくらいしか出来ません。しかも毎年若いスタッフの傍にストーブを置くので、離れたところで作業している私にはストーブの恩恵がありません。ただし、私は力仕事なので身体が寒く感じることはないのです。陶彫制作はまだまだ続きますが、冬本番になるこの季節はなかなか厳しいものがあって大変です。それを見通して今月の週末は陶彫制作を頑張りました。今月はウィークディの夜にも工房に通いました。気候がちょうど良い時はできるだけ制作工程を進めておくべきで、凍てつくような寒さの中では制作は思うように進みません。そういう意味で今月の週末にどのくらいの制作が出来たかは、今後のスケジュールに影響が出てきます。今月の週末の制作状況はまずまずだったかなぁと思っていますが、果たしてどうだったでしょうか。今日も夕方になって美大受験生を車で送ってきました。明日からまた1週間が始まり、私には公務が待っています。また来週末頑張ろうと思います。

週末 陶彫制作&亡母の遺産相続

昨日、亡母の遺産を管理している税理士が自宅にやってきました。生前の母は家賃収入があり、それを母が入所していた介護施設の経費に使っていました。父が亡くなる前に、両親が揃って公正人役場に出向き、それぞれ公正証書(遺言)を作成しました。これは遺産を巡る兄弟間の争いごとを解消するための法的手段で、それを根拠として亡母の遺産相続を始めました。詳しいことはここには書けませんが、そうしたことに私は時間を割く必要があり、これは私が公務員管理職としての現職であるうちに終わらせたいと思っているのです。退職後は心置きなく創作活動を楽しみたいと願う私の気持ちがそうさせていると言えます。遺産相続の件はひとまず置いて、今日は工房に朝から篭りました。工房に出かけると、私は遺産相続のことや公務員管理職としての仕事のことも全て忘れて創作活動一本に気持ちが変わります。心が浄化すると言った方がいいのでしょうか、それとも現実逃避なのでしょうか、そのどちらでもあると思いますが、創作活動というものが私を救っていることは確かです。土曜日に行なう陶彫制作の内容は、土練りやタタラの準備で、明日の成形に備えて行なうものです。定番化した内容ですが、それでも私は陶土に触れていると心がワクワクしてくるのが不思議です。私は定番化した内容をただ只管遂行しているだけではなく、作品が徐々に出来上がっていく過程で、完成イメージの醸成も行なっています。陶彫部品が具体的に出来上がっていくと、これらをどのように構成していくのか、最初の大まかなイメージから一歩進めて、それぞれの陶彫部品の配置や土台の造形まで考えながら、頭を巡らせていきます。私はエスキースを書かない代わりに頭の中で何度もイメージの更新を行なっているのです。それでも当初のイメージから大きく逸れることはありません。新作のイメージが次第に具現化されるにしたがって私の心は高揚してきます。もう少し時間があればと思いつつ、身体が疲労を溜め込んでいるため、夕方になると頑張りがきかなくなってしまいます。また明日考えることにします。明日は23点目の成形に入ります。

「ル・コルビュジエ」について

「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の「20世紀のパルテノン神殿」と「20世紀建築の本流に背を向けたル・コルビュジエの謎」についてのまとめを行います。章の最初にル・コルビュジエが設計した「ロンシャンの教会」が登場します。私自身はこの「ロンシャンの教会」に行ったことがなく、写真でしか知らないため、著者が訪ねた時の感想によって建築物の内外を想像するしかないのですが、この建築物によって20世紀のモダニズム建築と一線を引いたル・コルビュジエの謎にも触れていました。「(「ロンシャンの教会」を通して)後期のル・コルビュジエが大地に還って行った証拠にして成果にちがいないが、20世紀ならではのやり方で大地に還ったことも忘れてはならない。~略~丘の上に青空高く掲げられた大地の一片ーギリシャのパルテノンの光景を思い出さずにはおけない。」次に20世紀の建築事情を書いた部分を引用します。「1920年代に芽を吹いた初期モダニズムは、ピューリズムにせよバウハウスにせよ、幾何学的造型を追いかけ、20世紀という科学の時代、技術の時代にふさわしい抽象性を建築においても獲得しようとした。」ル・コルビュジエはこうした抽象性の追求に限界を感じたのではないかと著者は洞察をしています。ル・コルビュジエが革新的な建築家としてデビューした時は、バウハウスと同じ純化した箱型デザインを行っていましたが、その後作風を一転させたのは自分本来の道を模索した結果ではないのか、彼に建築を目覚めさせたパルテノン神殿に立ち戻ろう、その結果として「ロンシャンの教会」が生まれたと言ってもいいと思います。「20世紀はたしかに科学の時代、インターナショナルな時代かもしれないが、しかし人間は特定の大地に生れ、固有の文化にはぐくまれて育つしかない。気づいた時にはそのように自分の内側ができてしまっている。時代は抽象的でインターナショナルだが、人間は個別の存在でしかない。」21世紀になった現在もさまざまな景観を持つ建築物が建ち始めています。日本にも日本的な特徴を全面に出そうとする動きがあるようで、まるで現代彫刻と思えるような建築物も存在しています。

「懐かしさ」について

「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の冒頭の章に「懐かしさ」という感情をもって、建築や造形美術における関係性を謳っている内容がありました。古い建造物の保存活動に携わる人々の行動に、建築の専門家が当惑を覚えるところがあるようで、「懐かしさ」とは何かと改めて問いかけている箇所がありました。「『懐かしさ』なんて何にも生産的でない。でも、人間しか持っていない感情なので、逆にえらく人間的だと思ったのである。」著者はA・ブルトンが提唱したシュールレアリスムについても「懐かしさ」を感じていて、既視意識が当時の革命的な絵画にも「懐かしさ」を齎せているのではないかと察しています。「パスカルが宇宙の果てについて論じた、”知らない世界を本当に想像することができる”か、という問題がある。われわれは未知とか未来とか言ってるものを想像するが、実はそれは既知の延長で想像しているだけで、本当に知らない世界は想像できないはず。なぜなら、想像するにも手がかりがない。」なるほど、前衛と言えども自分の発想からしか創造できないので、自身の経験からこれだというものを捻りだすことになるわけです。それならば「懐かしさ」をもっと肯定的に捉えてもいいのかもしれないと思いました。私の作品にも「懐かしさ」はあります。私は古代の出土品を現代的にアレンジしているので、見た人が懐かしいと感じてくださることも多々ありました。著者である藤森氏の建築にも懐かしい雰囲気があって、それが快さを醸し出しているように感じています。「人間は人間であることを確認するのに外の景色を使っているという仮説がある。人間は、自分が自分であることをもっと高度な方法で確認していると思っている。しかし、私は、目に見えるもの、外的なものでしか確認できない、と気づいた。人間のアイデンティティは、建築や町並みに依拠しており、その建築や町並みの質を問わない。建築か町並みか、大きくは自然の風景によって人間は人間たりえる。自分は自分たりえる。」

「建築とは何か 藤森照信の言葉」を読み始める

「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)を読み始めました。建築史家であり、自らも建築家としてさまざまな建造物を設計している藤森照信氏の言葉を集めた書籍を、私は楽しみながら読んでいこうと思います。私が藤森氏の建築を最初に見たのはテレビに映し出された「高過庵」でした。ツリーハウス?と思いましたが、生木を使うことに建築家は興味がなく、全て人工物であることで、建築というモノつくりの楽しさを感じました。2本の細工なしの木材が建ち、その上に茶室があり、その空中に存在する住居の意外さが面白いと思いました。親戚の住む東京の郊外に、たまたま屋根にニラが生えている不思議な住宅を見つけ、それが尊敬する故赤瀬川源平氏の自宅で、しかも設計したのが藤森氏と知って、さらに驚きました。「ニラハウス」は、外見を何回か拝見しただけですが、建築家とはモダンな高層建築をやる人という私の概念が崩れ、自分の創作活動を刺激する素材が使われていることにも注目していました。私の興味関心を決定的なものにしたのは「浜松市立秋野不矩美術館」を見に行った時でした。当館の外見は土と板塀で砦のように見え、内部は漆喰と黒く焼いた梁があって、おおよそ日本画家の美術館らしかぬ雰囲気を漂わせていました。これはインド風景を得意とした秋野不矩ワールドに合わせた設計で、裸足で入館し、寝転がって鑑賞するのも独特なスタイルでした。この空間は何とも心地よく、建築素材が自分の好みに合っていて、私自身の創作意欲が擽られました。木材を焼いて展示する発想は私にもあります。私の作品の中にも陶彫と組み合わせて焼いた木材を使っています。それは陶と木材を火炎に共通させることで作品の一体化を図った試みでした。感覚的に自分に近いと私が勝手に思っている藤森氏の著作からは良い刺激をいただけるものと信じています。

コロナ禍の関西出張

私の職場では1年間に一度関西方面に泊を伴った出張があります。同じ職種の方がこれを読んでいることもあり、関西方面の出張が何を意味しているのか見当がついていると思います。例年、夏季休暇前に実施していて、しかも2泊3日の出張のところを、今年度に限って1泊2日でこの時期に実施することになりました。行く先は京都府と奈良県です。心配なのは新型コロナウイルス感染症が拡大していて、横浜から出かけていくことに躊躇していたのですが、マスクや消毒液持参で防備を万全にして行くことにしました。昨日までの三連休は個人として、私は他の都道府県に出かけることはありませんでしたが、今日は仕事で京都泊になり、感染症の心配をよそに京都の紅葉を満喫できることになりました。この時期の京都は年間を通したトップシーズンにあたります。嵐山にある天龍寺塔頭の宝厳院は、特筆できるほど紅葉が素晴らしく、一時仕事を忘れました。さらに夜になって出かけた東寺のライトアップも幻想的でした。私は個人的に講堂にある立体曼荼羅が大好きで、東寺を訪れた際は必ず立ち寄っていますが、照明に照らされた仏像の数々は密厳浄土の世界を十分堪能させてくれました。東寺境内にあった大木も全て紅葉していて、照明を受けて浮かび上がる風景は、まさに極楽浄土とはこんな場所なのかと思わせるほど素晴らしいものでした。私たちの出張で秋のシーズンが使われることはまずないと思っています。コロナ渦の中の不幸中の幸いと思える幸運にちょっと高揚した気分になりました。

三連休最終日は加飾&窯入れ

三連休最終日です。天候が良く紅葉も見ごろを迎えている時に、どこにも出かけず工房に篭っていますが、新型コロナウイルス感染が広がっている昨今は、紅葉狩りを控えた方が良いと思っています。結局3日間とも工房に長くいて制作に明け暮れました。これはこれで幸せなことで、心が解放されつつ、精一杯頑張った創作活動に満足を覚えました。3日間も工房に篭っていると、制作に集中力が増してきます。それは例年の休庁期間等で長く制作を継続した時はいつもそうでした。次第に創作の深みに嵌っていく感覚で、気持ちが静かに落ち着いてくるのです。素材(陶土)との対話が始まるのはこんな時かもしれません。周囲の空間も時間もわからなくなるのは、心理学でいうフロー状態なのかなぁと思っています。今日も工房に顔を出した美大受験生も相当な集中力で平面構成をやっていました。フロー状態は伝染するかもしれず、夕方工房を後にする時、「今日は疲れた」と彼女はポツリと言っていました。私の作業としては午前中には彫り込み加飾を3点行い、午後には窯入れをするために仕上げと化粧掛けを施しました。窯入れは、窯の中に入れる陶彫部品を上手く組み合わせる必要があり、ちょうど大小の陶彫部品が乾燥していたので、窯内に入る大きさとしてはちょうど良いと思ったのでした。「先生は休むことがあるのですか」と美大受験生に聞かれました。確かにウィークディは公務員管理職として職場に出かけていき、週末は陶彫制作をやっているため、傍から見れば休んでいるようには見えません。東京の美術館へ行くのも鑑賞という仕事と言えばその通りで、私は一日ぼんやりと休むことがありません。でも休みは心が解放されているかどうかで疲労の回復が違ってきます。真に休息を取りたければ、それは自分の内面の問題であり、レジャーに出かけてリフレッシュするのも、全て心の在りようではないかと思っています。それはシンドい創作活動にもその要素があって、心の開放は充分しているのです。自分の生活はバランスが取れていると自覚しています。そんなことを考えていたら、忽ち三連休が過ぎていきました。

三連休 20点目の陶彫成形&加飾

三連休の中日です。今日も好天に恵まれて工房周辺の木々が美しく紅葉しています。新作の陶彫制作は20点目に入りました。既に焼成が終わっている陶彫部品も10点あります。午前中は新しい陶彫部品の成形を行い、午後は成形が終わって多少乾燥している陶彫部品に彫り込み加飾を施しました。制作サイクルは順調に回っていて、私は疲労の残る身体に鞭打ちながら制作を進めていました。昨日から新作の土台について考えていますが、三連休は陶彫制作を優先した方がいいように思えています。このペースでもう少し様子を見たいと思っているのです。明日は窯入れを考えています。土台を考えるのは来週末か、来月に回そうと思います。年末の休庁期間に土台を中心に制作を進めようと決めました。木材を彫り始めたり、切断したりすると、気持ちは陶彫制作から離れます。まだその時期ではないと思っていて、逸る気持ちを抑えることにしました。今日は美大受験生が一人工房に現れました。彼女は丁寧に平面構成をやっていました。面相筆の使い方が少しずつ上達していて、きちんと彩色が出来ていました。私も高校生の頃は工業デザインをやりたくて、受験用の平面構成をやっていました。彼女の作業を見ていると懐かしい思いに駆られました。美術系の学校はノウハウを教えてくれる半面、弊害もありますが、私のような基本の積み重ねを必要とする人は、学校で学んだことが大変重宝しています。とくに彫刻は、設備の整った工房で4年間制作出来たことが幸福なことだったと思っています。そこで師匠から学校には長く留まるなと言われ、早く独立して彫刻が続けられるような環境を手に入れろと諭されました。そこから二足の草鞋生活がスタートしましたが、今思えばこれが正解だったと感じています。当時、助手をやっている人が羨ましく見えましたが、学校に頼らない自分の生き方は、創作活動を一生続けていくには必要不可欠なものだったと思っています。そんな自分の原点は、美大受験生を今も世話しているからこそ忘れないでいられるのです。明日も制作続行です。

三連休は陶彫一辺倒?

今日から三連休が始まりました。新型コロナウイルス感染症が再び広がりを見せ、外出自粛が叫ばれています。私は相変わらず工房へ行き、陶彫制作に明け暮れていました。土練り、タタラの準備をして、成形の終わった陶彫部品に彫り込み加飾をするのが、土曜日の定番になっています。ウィークディの疲れがあって、土曜日は身体が思うように動かず、制作工程のノルマを果たすのがやっとの状態です。それでも良い気候の中で精神的には解放されて、心地よい時間を過ごしました。亡父の残してくれた植木畑の手入れをするため、親戚の職人がやってきたり、近隣に住む人が散歩の途中に工房に立ち寄ってくれたり、ちょっとした休憩時間には人とおしゃべりをする機会もありました。さて、今日から始まった三連休ですが、一応制作目標を立ててみることにしました。陶彫制作では2点の成形が可能だろうと思っていますが、そろそろ土台の木材にも手をつけていかなければならないかなぁと思っていて、時間的な余裕があれば、土台の制作に乗り出すつもりです。焼成が終わった陶彫部品も増えてきて、先日切断した数枚の木材の上に陶彫部品を置いて、全体の構成を確認する必要を感じています。新作の土台は木材を円形に配置する計画でいます。円形は鋭角を持つ二等辺三角形を組み合わせて構成しますが、ひとつひとつの三角形は厚みをつけていこうとしています。木材加工が始まれば、陶彫制作は暫く休みになるため、その前に陶彫制作は出来るだけ作っておきたいと思っているのです。この三連休はあまり欲張らずに陶彫一辺倒でいくか、あるいは土台まで手を伸ばすか、陶彫の制作状況を見ながら判断していきます。今週は毎晩工房に通っていました。気候が良くなったことと彫り込み加飾をウィークディの夜の制作に充てたことで、制作工程に弾みをつけました。夜の制作は1時間程度でしたが、それでも彫り込み加飾は先に進みました。さらに自宅に戻ってRECORDをやっていくのは時間的に厳しいと感じましたが、おかげでRECORDは日々の制作に追いついていっている状態です。明日は成形を頑張ります。

「Ⅵ インタヴュー」のまとめ&読後感

「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)の「Ⅵ インタヴュー」のまとめを行います。この章をもって本書は完結になります。日系アメリカ人彫刻家イサム・ノグチは、その生涯においてさまざまな創作的体験をどのように聞き手に語ったのか、興味深いところも散見されました。ここでは2人のインタヴュアーが登場します。一人はキャサリン・クーで、もう一人はポール・カミングスです。クー氏との対話で気になった箇所は粘土に纏わるノグチの意見があり、私自身が陶土を扱っているため、どうしても気になってしまうのです。「粘土のような媒体ではなんでもできるからだ。で、それは危険だとぼくは思う。あまりにも流動的、あまりにもたやすい。たとえばロダンにはすさまじいほどの表現の自由があったー実際にロダンは表現主義者だったーだが、もっとも彫刻的な彫刻なのだろうか?それは絵画のほうに似ている。ロダンのような自由とは、ぼくにとっては一種の反彫刻だ。石のような素材で仕事をするとき、ぼくはそれが石に見えることを望む。粘土なら、どんなものにも見せられるーそれが危険なのだ。」カミングス氏との対話では「抽象芸術を抽象芸術として制作することへの疑問ーぼくにもコンスタンティン・ブランクーシのせいでヨーロッパでそういう時期があったが、そう長くは続かなかったーそれはアメリカというぼくのバックグラウンドー〔抽象に対して〕多少懐疑的ーとなにか関係があるんじゃないかと思う。それについてピューリタン的な考え方をする傾向とも関係があるだろう。抽象をちょっと道楽だと感じるんだ。~略~ぼくにとってそれを乗りこえる唯一の方法は、アートという理由以外にアートをする理由を見つけること。ひとつの目的をもっていなければならなかった。」とありました。公園や庭の設計に携わったノグチは、人々が集う広場の考え方を彫刻表現として認めていたことがこの台詞から読み取れます。「イサム・ノグチ エッセイ」では、ノグチが空間表現を洞察に満ちた哲学的思索として捉えていることが、私には印象的でした。空間は哲学であると私も感じていて、私がこうした文章を書いているのも自分の思索のために他なりません。本書はあらゆるところに示唆に富む内容があり、創作活動を自分が展開する上で参考になる書籍だったと思っています。

「Ⅴ 師とのコラボレーターについて」のまとめ

「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)の「Ⅴ 師とのコラボレーターについて」のまとめを行います。この章では日系アメリカ人彫刻家イサム・ノグチが青年時代に師事したり、または影響を与えられた5人が登場します。コンスタンティン・ブランクーシ、バックミンスター・フラー、マーサ・グレアム、北大路魯山人、ルイス・カーンの5人ですが、頁を一番割いているのは彫刻家ブランクーシです。私もブランクーシの生活ぶりや考え方に興味があり、若かったノグチの師に対する印象が鮮明で、楽しく読むことができました。「すべてが白。その服はいつも白く、その髭はすでに白く、大理石のブロックがおかれたアトリエを白い埃がおおっていた。石膏製の巨大な円卓二台が台座の役を果たし、白いレンジがあって、ブランクーシはそれで有名なステーキを焼いた。それから二匹の白い犬がいて、ブランクーシは水盤に入れたミルクを餌にしていた。アトリエは広く、天井は高くて大きな天窓と窓があった。小さな隣室。ブランクーシはそこで眠る。壁際には《無限柱》のウッド・バージョンがいくつか並び、そばに大きな木製の葡萄搾り器と古い家の梁が数本あった。石膏製の建築学的要素、《キスの円柱》の柱頭とその部分があった。」これがノグチの記した当時のアトリエの情景で、現在はパリのポンピドー・センターに再現されています。次に仕事への姿勢が述べられた箇所がありました。「ブランクーシは全力をつくして、ぼくに退屈でやっかいな仕事の必要性をしつこく繰り返した。怒鳴ったものだ。『集中するんだ。窓の外を見るのはやめなさい!』あるいは『きみがなにをするにしても、それは楽しみや学習のためではない。きみはそれを、きみが将来にわたっておこなうなかで最高のものとしなければならない』」ブランクーシが自らの形態の純粋性を探り、やがて抽象化に至った過程がこんなところに表れているような気がしました。「ブランクーシにとって、イメージは抽象であると同時に抽象ではなかった。孤立して存在する幾何学を信じていなかった。ブランクーシがプレートを溶接して《無限柱》を製造するのに反対した理由は理解できる。それは、そのように扱われるのには十分に抽象であると同時に十分に抽象ではなかったのだ。」ブランクーシの彫刻はあまりにも理想的だったと考えられ、私には羨望しかありません。他の4人は紙面の都合で省略させていただきます。

汐留の「分離派建築会100年」展

先日、東京汐留にあるパナソニック汐留美術館で開催中の「分離派建築会100年」展に行ってきました。「分離派」という題名が気になって、本展ではどんな建築のどんなデザインが見られるのか楽しみでした。分離派の主旨としては西欧に興った分離派と同じで、本展も既成概念に囚われない姿勢がありました。1920年に東京帝国大学(現東大)建築学科を卒業した6人が「分離派建築会」を名乗り、建築による自主展示を企画したことから始まり、そのグループ展は1928年の第7回展まで続いたようです。その後も彼らは大手設計事務所や大学の教壇に立って、実際の建造物を設計したり西洋建築史翻訳等に貢献しています。本展に出品されている模型や写真、図面などは当時のモダニズム建築が示されていて、私は興味を持ちました。図録によると3つに分類された建築について述べられていました。まず「田園的なもの」として次の文章を引用いたします。「鉄やコンクリートなどの新建材が普及し始めていた当時の潮流に逆行して、民家の自然素材が称揚される。藁、茅、柿、土壁、錆壁、敷瓦、太鼓張りの和紙などは、なお『愛せずにはおられない普遍的な材料』としてすくい上げられる。」二番目に「彫刻的なもの」として「震災後の帝都復興創案展覧会に出展された分離派建築会の作品群にはロダンの影響が色濃くあらわれていたが、ヨーロッパの彫刻界ではロダンのリアリズムから抽象化への移行が急速に進んでいた。そうしたロダン以降の新しい彫刻の潮流を、分離派建築会のメンバーたちは素早くとらえていた。」とありました。三番目に「構成的なもの」として「村山知義を中心にマヴォや三科へと広がった構成主義は、前衛的な美術家たちの型破りな創作活動を繰り広げることになったが、その一方で、マルクス主義的弁証法のイデオロギーにしたがって『構成』という概念を再解釈し、建築設計のなかに取り込んでいこうとする地道で真摯な動きもあった。」(引用は全て田路貴浩著)とありました。田園的なものとしては中世、彫刻的なものとしては有機的で生命的な造形、構成的なものとしては伝統建築とモダニズムの結合という振り幅の大きい表現活動があったようで、いずれにしても人間性や芸術性を建築に取り込もうとした姿勢に私は感銘を受けました。作品の中で私は瀧澤真弓による「山の家」の模型を飽くことなく眺めていました。

19’RECORD4月~6月をHPアップ

久しぶりにホームページにRECORD3ヶ月分をアップいたしました。撮影は昨年終わっていて、カメラマンの準備は万端だったのですが、私のコトバが遅くなってしまい、漸くアップできた次第です。2019年は「~の風景」というタイトルをつけていました。4月は「対峙の風景」、5月は「叢雲の風景」、6月は「浸潤の風景」でした。当時のイメージを思い出してコトバを紡ぎ出しましたが、造形作品のイメージとコトバのイメージは全くの別物で、コトバが造形作品によって左右されることはありません。おまけに時間がたっぷりあるからと言ってコトバを絞りだせるものではなく、ひょんなところからコトバがやってきます。そこのところだけは造形作品と同じかなぁと思います。造形作品の新作イメージも現行作品の多忙を極めている時に、突如やってくることが多々あるのです。造形もコトバも普段から意識をもっているかどうか、何もしなければそれらはそのまま日常雑多な中に埋没して流れてしまうものです。その中から断片を掬い出し、表現まで昇華させていく段階を踏んでいきますが、私は造形に比べるとコトバの詰めが甘いなぁとつくづく思います。それでも恥ずかしくもなくコトバをホームページに掲載しています。今回アップしたRECORD3か月分を見ていただけるのなら、左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉が出てきますので、その中のRECORDをクリックしていただけるとRECORD3か月分に辿りつけるかと思います。ご高覧いただけると幸いです。

「マグマを宿した彫刻家」雑感

昨晩、NHK番組「日曜美術館」で取上げられた故辻晋堂の陶彫について書いてみようと思います。表題にある「マグマを宿した彫刻家」とは、大学時代に辻晋堂に師事した彫刻家外尾悦郎氏が言っていた台詞でした。眼に見えないけれど内面に秘めた師匠のマグマのような強さを感じ取り、外尾氏がスペインに行ってサグラダファミリア贖罪教会の制作に携わった場面で、周囲から理解されない状況に陥った時に、師匠の創作にかける姿勢を思い出していたそうです。40年以上に及ぶ外尾氏の制作活動は、師匠からの心の支えがあればこそ達した境地なのかもしれません。そうした国際的な力量を勝ち得た彫刻家を輩出した辻晋堂とはどんな人物だったのか、私には興味が尽きません。私も学生時代に東京銀座のギャラリーせいほうで個展をやっていた辻晋堂のことは知っていました。その頃、出品していた小さな陶彫作品は彼の晩年の作品と呼べるもので、本人曰く「粘土細工」という言い方に妙な感じが残りました。それでも当時の代表作「捨得」と「寒山」を見ると、飄々とした軽妙洒脱な作りが何とも不思議な雰囲気を漂わせていました。元々巧みな彫刻家なのだろうなぁと私は思いつつ、10年くらい前に鎌倉の美術館で見た大ぶりな陶彫作品には驚きました。「東山にて」という平面性の強い陶彫作品は壁体彫刻とでも呼べばいいのか、まるで古代人の住居を連想させるもので、陶彫の魅力を全面に押し出していました。私が学生の頃は、粘土を焼成するとこんな感じになるのかとの単純な印象しか持てませんでしたが、鎌倉の美術館での展覧会は、私が既に陶彫を始めていたので、忽ち辻ワールドに取り込まれてしまい、土でなければならないイメージ世界に思いを馳せてしまいました。私は地中海沿岸の発掘された都市を出土品のような土で表現したかったため、そこで自分なりの陶彫を展開していく方向性を掴んだと言っても過言ではありません。

週末 成形&故人陶彫家を偲ぶ

今日は朝から工房に篭り、昨日準備しておいたタタラを使って、19点目になる陶彫成形を行っていました。久しぶりに美大受験生が2人工房にやってきました。2人のうち1人は修学旅行に行ったようで長崎のカステラをお土産にいただきました。コロナ渦の影響で、本来なら台湾に修学旅行に行くはずが、九州になったと言っていました。若いスタッフが工房に来ると背中を押される感覚があって、私の制作も進みます。午後になって乾燥した陶彫部品を仕上げて化粧掛けを施そうとしましたが、窯に入れるための組み合わせがうまくいかず、今回の焼成は見送ることにしました。その分彫り込み加飾を多少でも先に進めることにしました。このところ週末は陶彫一辺倒ですが、夜になってNHK番組「日曜美術館」(再放送)を見ていたら、故人陶彫家を取上げていて、私の興味関心を一気に持っていかれました。その人の名は辻晋堂で、私のNOTE(ブログ)にも複数登場しています。「辻晋堂の彫刻」(2008年11月12日付)、「鎌倉の『辻晋堂展』」(2011年2月2日付)、「『辻晋堂展』で陶彫を考える」(2011年2月3日付)、「壁体彫刻の魅力」(2011年2月9日付)とアーカイブを数えると4回取上げています。今晩の「日曜美術館」ではサグラダ・ファミリア贖罪教会の主任彫刻家である外尾悦郎氏が出演し、大学時代の師辻晋堂について語っている場面がありました。外尾氏が学生時代、大事にしていた一本の鑿が師の心に触れたらしく、いつも見守ってくれていたという台詞は私の心も打ちました。スペインに行く前に師から「日本美術家連盟」に入るように勧められて推薦をしてくれたことも言っていました。あぁ、私と同じだと思いました。私も師池田宗弘先生の推薦を受けて「日本美術家連盟」に入ったのでした。「何かの役に立つと思うよ。」と池田先生が言ってくれましたが、私もそこで彫刻家としての自覚が芽生えました。私が辻晋堂という陶彫家を知ったのは、40年以上も前に東京銀座のギャラリーせいほうで池田先生の個展の手伝いをしていた時でした。その後、同ギャラリーの「辻晋堂展」にお邪魔しましたが、とうとう作家には会えませんでした。そんな思い出が甦ってきて、別稿でもう一度「辻晋堂の陶彫」について書いてみようかと思っています。辻ワールドに接すると、私はつい惹きこまれてしまうのです。

週末 制作サイクルについて

週末になりました。ウィークディの仕事から解放される週末ですが、工房での陶彫制作が毎回続いています。新作を作っていると言えども、制作工程は大きく変わるものではなく、土曜日が土練り、タタラを作って翌日の成形に備え、余った時間は既に成形された陶彫部品に彫り込み加飾を加えています。日曜日は土曜日に準備したタタラで新しい陶彫の成形を行います。余った時間は乾燥した陶彫部品があれば、そこから何点かを選び出し、ヤスリで仕上げ、化粧掛けを施して窯に入れます。これを制作サイクルと私は呼んでいて、毎週末になるとこれを繰り返しているわけです。窯入れは乾燥待ちがあるので、毎週出来るものではありませんが、焼成以外の制作工程ならサイクルを回していくことは可能です。今日は朝から工房に籠って、土練りとタタラ作り、午後は彫り込み加飾を行いました。変りばえのしない制作工程ですが、こうした地道な積み上げが大きな成果を生むことを私はよく知っているので、自分の気持ちをコントロールしながら制作に励んでいました。制作サイクルは陶彫の場合と木彫の場合はそれぞれ異なり、木彫が始まれば木彫としての制作サイクルを回し始めます。ただし、木彫は焼成がないため作品が乾燥するまで待つという時間的配慮が必要ありません。制作の進め方は木彫のほうが単純ですが、何時間も鑿を振るうために体力は消耗します。今月はまだ木彫に手を出さず、陶彫一本に絞って制作をやっていきます。明日は成形に入ります。

横浜の「吉村芳生」展

先日、横浜そごう美術館で開催中の「吉村芳生」展に行ってきました。「超絶技巧を超えて」という副題がつけられていた通り、鉛筆で描かれた写実画には目を見張るような驚きがありました。日常のありふれた情景を撮影し、それを明暗の調子に分解し、緻密に写し取った絵画に、通常の具象絵画とはまるで違う世界観を私は感じ取りました。大変な労働の蓄積を見取り、どうしてこのような発想になったのか、この画家についてもっと知りたいと思いました。図録に本人の心境を吐露した文が出ていました。「僕は(中略)白い紙の上にエンピツや絵具で目の前の風景、静物・人物、又はイメージである情景を描写することに限界を感じていた。それは、自分の三次元空間のデッサン力のなさ、イメージの貧困などから来たものなのかもしれないが、終いには絵を描くことが苦痛になっていた。~略~先生からは、図面を整えることをいわれ、自分の描きたい意図が上手く伝わらない。どうすればいいのだろう、と模索していた時にみた、アメリカの現代美術展に大きなショックを受けた。写真をそっくりそのまま写した作品がある、大きなキャンバスを一色で塗りつぶした作品がある。」こうした出会いが現在の行為を生み、芸術性を高めていったと私は思いましたが、新聞紙に自画像を描き込んだ「365日の自画像」を見ていると、所謂スーパーリアリズムとも一線を画する仕事ではないかと感じました。図録の解説を引用いたします。「『機械文明が人間から奪ってしまった感覚を再び自らの手に取り戻す作業』と幾度も語っているとおり、あくまで主眼にあったのは、写す”行為”そのものだった。だからこそ、新聞・金網そして写真も、『ほんものをそのまま映す』と言いつつ、どれも近づいてみるとその手作業の痕跡やムラが見て取れるような描き方がされている。~略~吉村がきわめて私的なレベルにおいて重要視した、描く”行為”そのものに対する執着は、彼にとってのじつに純粋なコンセプトとして結実していく。自己と向き合い、日々を写し取る”行為”を延々と続けていくこと。それこそが、彼が目指した自分にしかできない芸術だったからだ。」(高田紫帆著)

桃山茶陶の開花について

東京国立博物館平成館で開催中の「桃山ー天下人の100年」展は、絵画に限らず、私にとって興味が尽きないものばかりが並び、日本の伝統文化の重厚感に圧倒されてしまう展示内容でした。安土桃山時代は日本陶磁史上最も隆盛した「茶の湯」があり、「侘び」という認識が確立された時代でもあります。その中で堺の商人から天下人の茶頭にのぼりつめた千利休やその後継とされる古田織部が登場し、日本独特な「桃山茶陶」が出来上がったようです。図録によると千利休は「生来の進取の気性に加え、政治的能力にも恵まれ、織田信長、そして信長没後は羽柴(豊臣)秀吉の茶頭をつとめた。」とありました。利休の鑑識眼は、当時としては革新的で現代にも通用する美学があると私は思っていて、その具現化のために陶工長次郎に焼かせた楽茶碗は、無駄を削ぎ落した造形の極みと私は感じています。「従前の茶碗にとらわれず、手づくねと箆削りによって手になじむ形が追求され、聚楽土そのものの自然な焼き上がりを見せる赤茶碗と、黒一色の黒茶碗が生まれたのである。」次の時代を担った古田織部は、図録によると「一般に『ヘウケモノ』を好んだ人物として、『変形』『豪快』な茶陶のイメージと結びつけられることが多い」とされています。展示されていた「織部松皮菱手鉢」は当時としては前衛そのものであったように思います。解説によると「深い緑釉と、鉄絵による網干や唐草らしき複雑な文様表現が際立っている。いかにも華やかで斬新であり、力強い慶長の気風を映すような桃山茶陶の傑作である。~略~究極まで技巧を尽くしたその作風は、織部焼、ひいては和物茶陶の到達点とも見える。」とあり、自由闊達な造形表現が従来大陸から伝えられた形式を覆していく時代だったのだろうと考えられます。桃山茶陶の最後を飾る芸術家は本阿弥光悦だろうと私は思っています。マルチなアーティストとして俵屋宗達とコラボした「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」がありますが、光悦は作陶やさまざまな工芸にも優れた作品を残しています。図録によると「美を享受する立場。鑑賞体験をもとに新たな造形を創造する。仕事ではなく作ること、それ自体を楽しめる時代、個人芸術家の時代が訪れたのである。」とありました。いよいよ美の認識が現代に近づいてきたという感覚をもったのは私だけではないはずです。

複数の「洛中洛外図屏風」を比べる

東京国立博物館平成館で開催中の「桃山ー天下人の100年」展は、その出展作品の内容や展示の視点から見ると、大変大がかりであり、また興味が尽きないものばかりで、日本の伝統文化の重厚感に圧倒されてしまいます。昨日のNOTE(ブログ)では主に時代背景を書きましたが、今日は私にとって最も関心の高い「洛中洛外図屏風」について述べていきます。本展には「洛中洛外図屏風」が複数展示されていて、その魅力を余すところなく発揮していると感じました。古いものは「歴博甲本」と名付けられていて、図録には「本作は近年土佐派作とする可能性も提示されており、洛中洛外図の祖型の成立を考えるうえできわめて重要な作品」とありました。室町時代の制作です。次に「上杉家本」と名付けられているのは、同じく室町時代の若き狩野永徳によるもので、図録には「京都のランドマークが金の雲間からのぞき、墨書きされた場所の名称は235か所にのぼる。僧俗貴賤の階級も問わず、2500人近くの老若男女が描き込まれている。」とありました。私はこの作品の緻密さに魅せられてしまい、暫し鑑賞に時間を使いました。次は江戸時代の作品で、図録によれば「現存する『洛中洛外図』のなかで最大のもの」とあり、大画面全体にわたる鮮やかな色彩に眼が奪われました。次は「勝興寺本」が続き、徳川家康により造営された二条城が姿を現します。「二条城を左隻の中心に大きく配することが『洛中洛外図屏風』の定型となった。」と図録にあり、これも狩野派の画家によるものと考えられています。江戸時代に岩佐又兵衛によって描かれた「舟木家本」にも私は眼が奪われ、とりわけ画中の庶民の姿を追ってしまいました。「この屏風で画家が描きたかったのは、庶民の姿、それも後に二大悪所と呼ばれる歓楽街、遊里や歌舞伎の場に集まる人びとであり、画面に散見される風紀を乱すような人びとのさまざまな姿、浮世を楽しむ姿である。」と図録にあり、まさに当時の風俗が俯瞰される視点で描かれていたことが、楽しくもあり、また驚きでもありました。空中を飛行するものがなかった時代に、こんな鳥瞰図が描かれたこと自体に感動があり、また位置関係を隠すために金の雲で覆って、あたかも金色の都市を象徴するような工芸品にまとめ上げていることが凄いなぁと思っています。本展は「茶の湯」にも重要な作品が展示されており、さらに別稿を起こそうと思います。

上野の「桃山ー天下人の100年」展

先日、東京上野にある東京国立博物館平成館で開催中の「桃山ー天下人の100年」展に行ってきました。コロナ禍の中の展覧会で、ネット予約で入場したため大変な混雑はなく、全体をゆっくり見て回れました。展示されていた作品はどれも迫力を纏っていて、その伝統に立脚した表現力に我を忘れることが暫しありました。本稿だけで感想が収まりきれるものではなく、まず手始めに桃山とはどんな時代だったのか、これを図録から拾ってみたいと思います。展覧会の作品を古い順に見ていくと、室町時代末の天文年間から江戸時代初期の寛永年間までのおよそ100年の間に制作されています。作品はどれも織田信長や豊臣秀吉、徳川家康など日本史に名を残す戦国武将が群雄割拠した時代に制作されました。図録の文章を引用します。「この時代には、戦国時代の政治・経済の展開と歩調を合わせるように、中央集権的で力強くエネルギーに満ち、庶民階層まで視野に入れた世俗的で広がりのある文化が生まれた。この文化は、豪華絢爛な美術作品が爛漫と咲き誇る桃の花を連想させ、『桃山時代』と呼ばれた。~略~街には奇を好んだ無頼の『傾奇者』が溢れ、それを写した『かぶき踊り』も誕生している。美術の分野では新しい様式による作品が陸続と作り出され、この時代の様式を『桃山様式』と呼んでいる。~略~日本の中世絵画は、水墨画を中心に展開していった。その中心となったのは狩野派であり、室町時代後期に活躍した狩野元信、安土桃山時代の狩野永徳、江戸時代初期の狩野探幽は、いずれも各時代の様式を作っていった画家である。」(田沢裕賀著)この「桃山時代」は、日本文化史の中で独特な時代と呼んでもいいのでしょうか。当時流行した「傾奇者」(かぶきもの)とは奇を衒う前衛の美意識ではないかと私は思っていて、現代にも通じる要素をあらゆるところに感じています。現代こそ「傾奇者」で成り立っていると考えられるからです。さらに本展の展示に面白みを加えていたのは、狩野永徳の「唐獅子図屏風」と長谷川等伯の「松林図屏風」が隣り合わせにしたことで、表現の幅が象徴から具象、動と静、力強い筆致と濃淡で抑えた空気感を比較検討できたことでした。こればかりではなく、「洛中洛外図屏風」もいろいろなバージョンが複数展示されていて、その違いに興趣をそそられました。また別稿を起こします。

11月RECORDは「黄」

今年のRECORDは色彩をテーマにしてやってきています。今年は残すところあと2ヶ月で、漸く色彩のテーマを終えることが出来ます。11月に「黄」を選んだのは、まさに工房の周囲の木々が紅葉していて、窓から見る黄色の風景が美しいと感じたことがきっかけです。自然の中で黄色をイメージするのは、紅葉の木々だったり、果物だったりしますが、芸術の世界でも黄色を作品の中心に据えた画家がいます。代表としてはフィンセント・ファン・ゴッホでしょうか。その中でも「ひまわり」は有名で、花弁にさまざまな黄色が使われています。ファン・ゴッホの秋の農村の風景を描いたものも有名で、黄色を重ねていく筆致に溢れ出す表現が見て取れます。ワシリー・カンディンスキーも黄色に注目した抽象画家で、黄色が画面の中で効果的に使われていました。彫刻家若林奮も硫黄を造形の一部に使っていて、その独自な世界が印象的です。黄色はバリエーションも豊富で、私が使用しているアクリルガッシュにもさまざまな黄色がありますが、黄色は三原色のために混色して作り出すことが出来ません。黄色のイメージとしては太陽などが明るく輝いている情景が目に浮かび、生命に対してポジティヴな印象です。私自身は今までのRECORDに黄色を使うことは滅多になく、実を言うとあまり得意な色彩ではないのですが、今月は黄色を研究してみようと思っています。黄色は隣り合う色彩によって効果が変わるようで、その配色の組み合わせも考えながら、今月のRECORDを作っていきます。

週末 成形ではなく加飾優先

朝から工房に篭りました。週末となれば、新作の陶彫成形を1点追加するところですが、今週末は成形をやめて、今までの成形分の彫り込み加飾をやっていました。昨日は東京と横浜で開催中の展覧会を巡っていたので、タタラ等成形の準備が出来なかったこともありますが、彫り込み加飾が遅れ気味で、これを何とかしなければならないと考えていました。制作途中の陶彫部品は水を打ってビニールで覆っておきます。それでも時間が経てば陶彫部品の乾燥が進んでしまいます。彫り込み加飾も長く放置することが出来ず、陶土が柔らかいうちに作ることがベストです。彫り込み加飾は作業台に陶彫部品を置いて、鉄ベラで陶土を削って、木ベラで表面を成らしていきます。これはレリーフを作っているのですが、手の混んだ文様にしようと思えば、かなりの時間を使います。まさに工芸的な作業です。今日は一日のほとんどをこの作業に費やしました。彫り込み加飾は、陶土表面の高さの調整をしたり、膨らみや凹みを作ったりしていて、決して退屈なものではなく、むしろ時間を忘れるほど楽しい作業です。労働の蓄積が残っていくので、緻密になればそれなりの効果はあるのですが、立体全体を見渡して作っていくので、いつまでも近視眼的になっているわけにもいかず、やはり彫刻の一部という意識はあります。今日の夕方は乾燥した陶彫部品にヤスリをかけ、化粧掛けを施しました。工房を出る前に窯に3点の作品を入れました。新作の窯入れはこれで3回目になります。今日は新しい成形をやらなかったことが気がかりですが、今月は三連休があるので何とかなるでしょう。また来週末も頑張りたいと思います。

週末 加飾&展覧会巡り

週末になりました。朝7時に工房に出かけ、10時までの3時間、新作の彫り込み加飾をやっていました。早朝制作を遂行したのは、今日は東京と横浜の博物館や美術館へ行く予定があったためでした。いつもならNOTE(ブログ)のタイトルを「美術館巡り」と書くところを「展覧会巡り」としたのは、博物館1館と美術館2館を回ろうとしていたので、表記を変えさせていただきました。東京上野にある東京国立博物館平成館で開催している「桃山ー天下人の100年」展はネットで予約を入れていました。家内と私の2人分を予めプリントアウトして持参しました。例年なら混雑を承知で出かけていく大掛かりな企画展は、今回ばかりはゆっくり見られる状態でした。本展は、安土桃山時代を中心に据えた文化の隆盛を代表作品で網羅した重厚な展示で、作品の質量とも圧倒的な迫力を感じました。狩野永徳と長谷川等伯の代表作品の一騎打ちやら、各種屏風の比較展示など、私にとって旧知の作品が居並ぶ中で、私は今まで注目してこなかった各戦国武将が纏った鎧兜のデザインに目が奪われました。「桃山ー天下人の100年」展の詳しい感想は後日にしますが、本展では立派な図録が用意されていて、これを読むのに時間がかかりそうです。もう一度時代背景を図録で学びながら、鑑賞を深めていきたいと思います。次に向かったのは新橋で、ここにあるパナソニック汐留美術館で開催している「分離派建築会100年展」は、以前から見たいと思っていたのでした。私は20代の頃にウィーンに暮らしていて、そこでは分離派と呼ばれる芸術家集団の足跡がありました。日本にも分離派を名乗る建築家グループがあるとは知らなかったので、どんな活動をしていたのか興味津々でした。西洋建築を日本が取り入れようとしていた大正から昭和の時代に、斬新なデザインを求めていた若手建築家グループがあり、建築に彫刻的な芸術性を持ち込んだ彼らの活動を、私はもっと知りたくなりました。この展覧会の詳しい感想も後日にいたします。次に向かったのは地元の横浜で、そごう美術館で開催されている「吉村芳生展」でした。展覧会のタイトルに「超絶技巧を超えて」とあった通り、鉛筆画としてはまさに超絶技巧の賜で、度肝を抜かれるような世界が広がっていました。これも感想は後日に回します。今日は3箇所の展覧会を回りましたが、いずれも迫力満点なものばかりで、足も眼も些か疲れました。「3館を回るのは、二足の草鞋生活の間だけだよね。」と家内に念を押され、創作活動一本になれば、もう少し緩やかに作品を見て回るつもりだと答えました。今日見た作品群はどれも咀嚼にどのくらい時間がかかるのか、腰を落ち着けてじっくり考察していこうと思います。充実というより、さらに凝縮した時間を過ごしたように感じています。

版画による「若林奮」展

故人である若林奮氏は、展覧会の説明によると、鉄を中心に、銅や鉛、硫黄、木などの素材を使って、地形や植物、気象、大気の状態などへの深い自然観と、空間や時間への強い意識にもとづく思索的な作品を制作したことで知られるアーティストでした。私が人体塑造をやっていた学生時代は、共通彫塑研究室にいらして、時折校内ですれ違うこともありました。神経質そうな面持ちの方で、近づき難い雰囲気があり、到底話しかけることはできませんでした。一度講評会にお邪魔したことがありましたが、難解な説明を理解することが出来なかった記憶があります。それでも魅力的な世界観を私は感覚で捉えていて、その作品を理解しようと努めてきました。版画による「若林奮」展は、町田市立国際版画美術館で開催していて、彼が町田市出身の作家であることで、今回の展覧会が実現したようです。白黒による版画を見ていて「鑑賞者のことを考えていないなぁ。」と家内がぽつりと言ったことが印象的でした。人に媚びていないと言った方がいいのでしょうか。作品はどれも若林ワールドそのもので、強烈な個性を感じました。題名にあった「鮭の尾鰭」とは何を指しているのでしょうか。博物館で見た旧石器時代の岩盤や骨片につけられた刻線に触発されたイメージというのが「鮭の尾鰭」シリーズになったそうです。そうした説明があってそれを手掛かりにイメージの謎解きをしていくのが若林ワールドなのだと私は思っています。「BLACK COTTON」という石版画のシリーズは圧倒的な表現力で迫ってくる版画でした。作家の生家が綿屋であり、綿の塊が焼けて黒くなった状態をイメージしているのかもしれず、これも謎の多い世界でした。そこにどっしりした存在感があるのは、作家がこの世界を彫刻にする予定だったのかもしれず、鉄を使ってCOTTONを作ってみたら面白いだろうなぁと私は感じました。作品を見る人がどう見るかは関係なく、作家が感じた通り素直に表現した作品というのが「若林奮」展の印象でした。

町田の「西洋の木版画」展

先日、東京都町田市にある町田市立国際版画美術館で開催中の「西洋の木版画」展に行ってきました。私は学生時代に彫刻を専攻しながら、興味関心をもって試してきた技法が木版画でした。ドイツ表現派のざっくりとした力強く象徴的な世界が念頭にあって、私もモノクロ版画に拘ってきました。本展で改めて古い時代からの西洋の木版画に接して、版のもつ魅力をもう一度確認しました。西洋で木版画が作られるようになったのは、紙が漉かれるようになった13世紀後半から1世紀を経て、14世紀後半に漸く始まったようです。最初の題材はキリストやマリアの聖像で巡礼者向けに販売されていました。15世紀末にA・デューラーの登場にとって飛躍的に木版技術と表現が進みましたが、16世紀には細密な表現が可能な銅版画に中心が移り、木版画は民衆的な刷り物にわずかな命脈を保つばかりになったようです。18世紀にイギリスで木口木版画の技法が確立されて、銅版画のように細かな線描が可能で、しかも活字印刷と同時に刷ることができたため、専門の職人が活躍しました。また木版画が美術表現として見直されるのは1880年代末のことで、その契機になったのは日本の浮世絵版画でした。印象派の画家たちの間で、浮世絵の斬新な画面構成が流行したのはあまりにも有名で、少なからず日本が西洋近代絵画に影響を与えたのは事実です。本展で私が注目したのは近代から現代に至るアーティストによる版画表現です。私にとってお馴染みのドイツ表現派のキルヒナーや後期印象派のゴーギャン、抽象絵画のカンディンスキー、抽象彫刻のアルプなどの版画作品を見ていると、私は20代から休止している版画表現をもう一度やってみたい衝動に駆られます。とりわけ本展出品者の中で唯一の知り合いである故日和崎尊夫氏の木口木版画「KALPA」シリーズを見ていると、木版画をやっていた当時を思い出し、まだ自己表現が熟さないうちに技法を投げ出してしまった自分を恥じました。来年3月で公務員の仕事を退職する私は、彫刻の他に版画をやろうと決めています。実は木版画ではなく、その時は銅版画を試したいと思っているのです。

映画「異端の鳥」雑感

先日、川崎駅前にある映画館TOHOシネマズへ「異端の鳥」を観に行ってきました。本作を私は新聞で知りましたが、上映館が少ないため自宅近くの映画館を探して、しかも深夜の時間帯に行ってきたのでした。家内が同伴してくれましたが、「少年の心が迫害によって失われていく物語」と家内は評していて、この映画は好きになれないと言っていました。私は本作がモノクロ映像だったために、この映画が商業性を狙っていないことや、謂れのない虐待がどこからくるのかを真剣に考える契機になって、実に印象深い作品だったと思いました。図録によると「第二次大戦中、ナチスのホロコーストから逃れるために、たった一人で田舎に疎開した少年が差別と迫害に抗い、想像を絶する大自然と格闘しながら強く生き抜く姿と、異物である少年を徹底的に攻撃する”普通の人々”を赤裸々に描いた」とありました。題名を象徴するものとして、少年が身を寄せた鳥売りの男の行為が挙げられます。「戯れに、ペンキを塗った小鳥を空に放した。群れの鳥たちと合流しようとする小鳥だったが、色を塗られた鳥は群れの仲間たちにとってもはや”異質な存在”だった。小鳥は突かれ羽を捥がれ、無残な姿で地面に墜落する。」この場面を少年は自分に重ねていたのかもしれません。度重なる人間のもつ闇を体現し、自らも犯罪に染まっていく少年。でも決して弱いわけではなく、少年には逞しさが備わっていきました。司祭に少年が拾われた際には、宗教も客観性をもって描かれていました。監督インタビューでこんな語りがありました。「この物語は悪についての探求、反対に、善、共感、愛でもある。これらが存在しない場合、我々は必然的にその価値に目を向ける。『異端の鳥』で善と愛を垣間見るとき、これらの本質に感謝し、より多く求める。これは、人間が善を求めているという映画のポジティヴなメッセージである。~略~原作でも映画でも、少年は戦争を生き抜き、荒廃したヨーロッパをさまよい、両親を失った数十万人の子供たちの代表であり、ある種の象徴だ。そして、それは今世界中で軍事紛争が進行している場所どこでも同じである。」いじめや虐待や迫害は現代にも通じる負の部分で、今も黙して語らぬ人々がいることを実感しました。

文化の日に相応しい創作活動

今日は文化の日です。そもそも文化の日とは何ぞや、というのが私の疑問でしたが、調べてみると文化の日という名称は昭和の時代に始まっていることが分かりました。11月3日は、1946年(昭和21年)に日本国憲法が公布された日であり、日本国憲法が平和と文化を重視していることから、1948年(昭和23年)に公布・施行された祝日法で「文化の日」と定められたそうです。日本国憲法は、公布から半年後の1947年(昭和22年)5月3日に施行されたため、5月3日も憲法記念日として国民の祝日となっているのです。11月3日はそれ以前は明治天皇の誕生日だったこともあって、今と異なる名称がつけられていました。いずれにしても秋が深まったこの日を、文化的なことをやる一日として過ごすことに意義があると思い、私は創作活動に励むことにしました。と言っても私には陶彫制作しか選択肢がなく、18点目の陶彫成形に励んでいました。新しい陶彫成形が出来上がるたびに、まだ彫り込み加飾を後回しにしている陶彫部品が目立ち、彫り込み加飾をいつやろうか思案しています。彫り込み加飾は工芸的な作業で時間がかかるのです。今日の午後は乾燥している陶彫部品に仕上げと化粧掛けを施し、窯に入れました。今年の窯入れも先日から堰を切ったように始めていて、今も乾燥している作品を全て窯に入れてみたい欲求に駆られます。とりあえず大きな陶彫部品を3点仕上げて、窯入れの準備をしましたが、窯には2点しか入れられず、残りの1点は次回に回します。今日の作業中はずっと身体がだるく、最近疲労が溜まっているのかなぁと思いました。夕方リビングにあるマッサージ機に暫しかかっていました。このところ夜は映画館や美術館に出かけていて、鑑賞内容が消化しきれてないのかもしれません。ウィークディの仕事も神経を使うものが多く、心身とも余裕がなくなっているのでしょうか。やる気が空回りしている可能性があり、ちょっと立ち止まってみようと思います。昼間の仕事で言えば、あと5ヶ月は責任職にいるわけで、何年やっていても慣れないところがあると私は自覚しています。創作活動も自分の癖で全力投球をしてしまうため、これも慣れるものではありません。圧迫される壁を乗り越えていく日常、これが疲労の原因です。自重しないとまずいかなぁと思いつつ、焦らず休まずのペースでやっていく所存です。

11月の制作目標

今月の制作目標を考えてみました。今月は昨日の日曜日を含めると5回週末があります。加えて明日の文化の日(火)、23日の勤労感謝の日(月)が休日になっていて、創作活動が可能な日は多いのではないかと思っています。今月も先月に続いて週末は陶彫制作一本に絞っていこうかなぁと思っています。現在進めている新作にはかなりの数量の陶彫部品が必要なため、制作工程で乾燥に要する時間が必要な陶彫を先に進めていくのがベストだろうと考えます。制作サイクルで言えば、週末ごとに陶彫部品4点は最低でも作れますが、どうもそれだけでは間に合わなくなる可能性があり、ちょっと無理をしていかざるを得ません。先月からウィークディの夜も制作していますが、昼間の仕事との兼ね合いでこればかりはどうなることか分かりません。来年度人事を始めている今月は心身ともに疲れる時期だから休息も必要かもしれません。休息には鑑賞を充てていくことを考えています。美術館や映画館などに出かけて行く鑑賞行為は、制作と鑑賞が両輪としての創作活動と考えると、決して休息にならないと思いますが、一日をのんびり過ごすことがない私には、鑑賞するために東京などに足を運ぶこと自体が楽しみの一つであり、休息なのです。RECORDは下書きの山積みがなくなり、日々一日1点制作に流れを戻したことを契機に、このままこれを続けていこうと思っています。RECORDは一年1回の撮影があるため、この時期は比較的良好な流れになるのですが、夜の自宅での制作はその日の疲労度により左右されることが多く、また山積みが始まらないとは限りません。毎年この時期にRECORD制作の決意表明をしているにも関わらず、辛い結果になっているのですが、今回も懲りることなく一日1点制作の決意表明をしたいと思います。このNOTE(ブログ)も同じです。NOTE(ブログ)は自らの思考を深めるのに役立ち、また記録にもなっているので、これも継続したいと思っています。私の座右の銘は「焦らず休まず」であり、「継続は力なり」ですが、もう一度肝に銘じていきたいと思います。読書は現在も日系アメリカ人彫刻家のエッセイや現象学者が著した論理学に関する書籍に挑んでいます。これも創作活動に通じるものとして私は捉えていて、彫刻の在り方を考えていく上で必要と思っているのです。

週末 秋が深まる11月に…

今日から11月になりました。秋が深まり、朝晩は肌寒い日々が続いています。朝早くから工房に篭り、17点目の陶彫成形に挑んでいました。昼を少々回ったところで成形が終わり、彫り込み加飾は次回にすることにしました。以前作った陶彫部品で乾燥しているものがあり、窯入れのために仕上げを施しました。今日窯に入れてしまうと、電気の関係で明後日の文化の日に工房での制作が出来なくなるため、今日はそのままにして工房を後にしました。朝から陶土を扱っていると我を忘れます。土には人を素朴な状態にしてしまう不思議なパワーがあるのではないかと思います。日常の雑多な考え事は一切忘れ、もの作りの根源的な感情が沸き起こってくるのです。太古の昔から人は土を捏ねて、それを焼いて生活の道具にしてきました。私は道具ではなく、創作活動として土に寄り添ってきました。週末になると、私は原始的なパワーに取り憑かれて、非日常の世界に入っていくのだろうと思っています。夕方、家内を誘って東京町田市にある町田市立国際版画美術館に車で出かけました。そこで開催している「西洋の木版画」展と若林奮先生の版画展を見に行ったのでした。若林先生は私の学生時代、共通彫塑研究室におられましたが、本科にいた私は若林先生の指導は受けることができませんでした。それでも若林先生の世界観が知りたくて、先生の展覧会には足繁く通いました。「西洋の木版画」展では、同じく学生時代に交流していただいた木口木版画家の日和崎尊夫氏の作品が展示されていました。日和崎氏は大学の教壇に立っていられたわけではなく、ひょんなところで知り合って、何度か自宅兼工房にもお邪魔して、一緒に登山をした記憶があります。日和崎氏は50代で早世されてしまい、当時の懐かしさが込み上げてきましたが、作品を再確認してその素晴らしさに改めて敬意を表しました。「西洋の木版画」展と若林奮版画展の詳しい感想は後日改めます。昨日の映画といい、今日の展覧会といい、今週末は鑑賞が充実し、盛りだくさんの2日間でした。今月の制作目標は改めて稿を起こします。

週末 10月を振り返って…

週末になりました。今週はウィークディの夜に工房に通っていたおかげで、彫り込み加飾が進みました。いつものように今日の作業としては土練りを行い、大きなタタラを複数枚準備しました。それらを使って明日は成形を行います。制作の後、夜になって家内と映画を観に川崎市まで出かけました。チェコ・スロヴァキア・ウクライナ合作による「異端の鳥」が新聞記事で紹介され、是非観たいと思っていたのでした。この作品は、どの映画館でも上映しているものではなく、上映館が限られていたので、川崎駅前にあるTOHOシネマズに行きました。先日観に行った「鬼滅の刃 無限列車編」とは違い、「異端の鳥」は観客も少なく、しかも一日1回の上映なので、夕食後の遅い時間帯に関わらず、車で出かけました。評価が分かれる映画という新聞記事に納得できる内容で、詳しい感想は後日に改めたいと思います。今日は10月最後の日なので、今月の創作活動の振り返りをしてみたいと思います。4回の週末を全て陶彫制作に充てていたため、現在16点の陶彫部品が立ち上がっています。そのうち大小5点の焼成が終わっています。ということで窯入れは今月から開始しました。栃木県益子から陶土が800キロ届き、陶土の補充も出来ました。陶彫制作においては順序良く進んでいて、今月は充実していたと言ってよいと思います。一日1点ずつ制作しているRECORDは、18日(日)にカメラマンが来て撮影を行いました。それに間に合わせるために下書きの山積みを解消しました。RECORDは先月あたりから夢中で制作に励んでいたので、何とか日々の流れに追いつき、通常の制作サイクルに戻しました。RECORDも充実していたと言えるでしょう。鑑賞は自分にとって身近な彫刻関係の展覧会に足を運びました。「脇谷徹ー素描ということ」展(武蔵野美術大学美術館)では刺激をもらいました。彫刻を始めた頃に記憶が戻り、彫塑に悩んでいた時代から自分はどのくらい成長があったのか、私は今も自分自身のキャリアを感じることができず、自分を戒める展覧会だったと感じました。コロナ渦の中で自粛していた映画は、今月になって久しぶりに行きました。「鬼滅の刃 無限列車編」(TOHOシネマズ鴨居)で話題沸騰中のアニメ劇場版を観てきました。今日観に行った「異端の鳥」(TOHOシネマズ川崎)は、その真逆にある映画で、一般受けはしないけれども、私のとって印象に残る映画となりました。やはり映画は面白いと再認識しました。読書は日系アメリカ人彫刻家のエッセイと論理学に関する書籍を読んでいて、来月も引き続き読んでいきます。芸術の秋はまだまだ続きます。来月は今月以上に充実させたいと願っています。

帰宅後の工房通いについて

創作活動を行う上で、公務員との二足の草鞋生活で厳しい面は、何といっても時間確保です。週末だけではイメージ通りの作品が生まれず、作業の時間をどこで確保するのか、常に考えてきました。30年もこんな生活をしていれば慣れそうなものですが、温度や湿度に左右される気候であったり、その時の気分であったり、昼間の仕事の疲労の度合いであったりして、ウィークディの夜に工房に通うのを躊躇してしまうのです。おまけに夜はRECORDの制作やNOTE(ブログ)の作成があるので、仕事から帰ってから、工房に行こうかやめようか、日々迷っています。私の二足の草鞋生活も来年3月末までで、その後は創作活動における作業の方向転換があります。それまでは出来る限り何とかウィークディの夜に工房に通っていこうと思っています。今週はよく工房に行っていました。今日も工房から帰ってきたところです。工房にいる時間はせいぜい1時間程度ですが、それでも作業は確実に進みます。蛍光灯に照らされた陶彫部品は、彫り込み加飾をするのにちょうど良い状態で、しっかり集中できます。工芸的な作業は夜の方が向いているのではないかと思うところです。現在、昼間の仕事は来年度人事を見据えた面接や書類等で悩ましい状況が続いていますが、陶彫制作に向き合っていると、たとえ1時間でも全てが忘れられ、創造の神が別世界に自分を運んでくれます。作業をすれば心地よい瞬間が訪れるのですが、工房に行くまでの心の葛藤が何とも微妙です。季節の変わり目で心身とも休息を必要としているのかなぁとか、いやこの季節だからこそ快適に制作ができるのではないかとか、自宅に帰りつく前についつい考えてしまうのです。帰宅後の工房通いは来年3月までなので、これも楽しみのひとつと考えればいいのだと自分に言い聞かせています。