四連休3日目 10点目の陶彫成形

四連休3日目になりました。今日は朝から工房に篭って、いつものように制作三昧でした。昨日タタラを準備したので、今日はそれらを使って10点目の陶彫成形を行ないました。気温が涼しくなってきたので、夕方3時まで作業を続けました。昨日、東村山市立中央公民館に行って師匠にお会いし、その作品展を見て刺激をもらって帰ってきました。真鍮直付けによる具象を追及する池田宗弘先生の世界と、陶彫部品を集合させ架空都市を構築する私の世界は、まるで異なっていますが、制作姿勢に関することは池田先生に学ぶことが多く、今後も素材に真摯に向き合っていく姿勢を持ち続けていきたいと思っています。常に作品に全力投球していくことが私のやり方で、一気呵成に作れないところは師匠と同じかもしれません。制作の途中で視点を変えると、次のステージになるであろう世界がやってくるのも同じで、それ故に池田先生も私も同一素材で何十年もやっていけるところが似ているなぁと思っています。先生が人のやっていない真鍮直付けを始めたことに関連して、私の陶彫もあまり人がやっていない技法で、自らのイメージを具現化するために修得した方法なのです。私の場合は最後の工程に焼成があります。人の手が入らない領域ですが、この擬似錬金術があるために陶彫は一層面白くなります。陶彫成形も彫り込み加飾も仕上げも化粧掛けも全て焼成の成功を祈願してやっているようなものです。ということで今日の陶彫成形は10点目に入りました。10点目は中くらいの大きさで、背丈が高い部品です。今日はいつものように美大受験生が2人工房にやってきていました。普段はそれぞれ高校に通っているので、この四連休はゆっくりできて楽しそうでした。夕方、彼女たちを自宅の近くまで車で送り届けました。

四連休2日目 東村山市立中央公民館へ

四連休2日目になりました。以前から計画していたことですが、今日は家内と車で東京にある東村山市立中央公民館へ出かけました。同館の1階会場で、私の師匠である彫刻家池田宗弘先生が個展を開催していて、午後2時からギャラリートークが予定されていたため、その時間帯に合わせて横浜の自宅を出たのでした。そうは言っても私は自らの創作活動の制作工程があって、今日のノルマを果たさないわけにはいかず、早朝5時半に工房に行って土練りと数枚のタタラを作りました。午前10時までに自宅に戻り、そこから車で出かけましたが、東名高速や府中街道で渋滞に巻き込まれて、東村山市に到着したのは午後1時半になっていました。片道2時間半、横浜から見れば東村山は遠方にあり、往復で5時間も私は車を運転していたことになりました。今年は東村山市立中央公民館の開館40周年に当たるそうで、文化・芸術シンポジウムも開催されていました。コロナの感染症で亡くなったコメディアン志村けんさんが東村山を有名にしたこともあり、初めて訪れた東村山は一目で暮らしやすそうな街だなぁと感じました。池田先生は今年81歳で、背筋がピンと伸びて元気溌溂な姿が見られて、私たちは安心しました。何と言っても先生は私たちの結婚式の仲人でもあるのです。ギャラリートークでは先生の若い頃の話があって、私はいつぞや聞いた話かもしれませんでしたが、改めて興味を持ちました。当時は24時間を8時間ずつ3つに分け、アルバイト、創作活動、生活に必要な時間に決めてやっていたそうで、そんな不安定な状態を「不安定のなかの安定」という作品に昇華したこと、それがサーカス・シリーズになり、また制作中に視点を変えることで、別のシリーズに発展したことなどを話してくれました。素材についても粘土で塑造をすることから出発して、金属を使うことで実際の量感を削り、隙間を空けられたことや、一場面の風景として造形が出来たことなど、真鍮直付けよる現在の作品に至る過程が印象に残りました。会場には数十人の鑑賞者がいて、ギャラリートークは盛況でした。彫刻は大小8点、スペインのロマネスク教会の扉のレリーフを描いたデッサンが数多く壁に掛けられていて、まさに池田宗弘ワールドが広がっていました。私は久しぶりに先生の作品に接し、刺激をもらいました。今日はここまで来て良かったと思いました。

四連休初日 彫り込み加飾の一日

今日から四連休が始まりました。創作活動に邁進するつもりですが、あんなに辛かった酷暑もなくなり、朝晩は凌ぎ易くなったため身体に疲労が出ているらしく、気力が今ひとつ保てません。それでも今日は朝8時に工房に出かけました。この四連休では新作の陶彫部品をもうひとつ作ろうと考えていて、それまでに彫り込み加飾が出来ていない数点の陶彫部品を早く仕上げてしまおうと思っていたのです。彫り込み加飾は制作工程では一番時間がかかります。成形が、立体として立ち上げる彫刻的な作業とすれば、彫り込み加飾は工芸的な作業です。彫り込み加飾は、文字通り陶土の表面に彫り込みを入れて文様を浮かび上がらせる作業で、土練りや仕上げの作業からすれば、成形の次に面白い作業です。彫り込み加飾を施すことで、自らの世界観が現れてくると言っても過言ではありません。私は陶土に粗い土を使っているため、緻密な加飾は出来ませんが、それでも2ミリ程度の彫り込みは可能です。ぼそぼそした陶土をヘラで処理しながら、コツコツとした作業を進めていきます。土練りのような腕や足腰を使う作業ではなく、身体を動かさない分、彫り込み加飾は蓄積された疲労が出易くなるのではないかと思っています。今日は午後3時までの7時間を只管彫り込み加飾に費やしました。ずっと座っていたため、うーんと伸びをして工房を後にしましたが、一日中彫り込み加飾だけをやっていると精神的に辛くなると改めて思いました。工芸家の方々の集中力は凄いものだなぁと感じます。夕方は家内と買い物に出かけ、職場で使うマスクなどを大量に買ってきました。フェイス・シールドも買ってみました。家内は植物の土などを買っていましたが、毎年個展に知り合いの呉服屋さんから大きな蘭の花が届きます。個展の後、自宅に飾っていますが、もう一度花を咲かせようと家内は奮闘しているのです。一昨年頂いた蘭の花が今年は咲いたので、目下研究をしている最中です。

横浜の「バンクシー展」

横浜駅に隣接するアソビルで開催されているバンクシーの全貌を示す展覧会は「バンクシー展 天才か反逆者か」というタイトルがつけられています。路上に描かれたバンクシー作品はすぐ消されてしまうだけに、世界中のコレクターから作品を収集しなければ成り立たなかった展覧会ではないかと思います。一口で言えばバンクシーの世界は、ストリート・ギャングから派生したならず者のアートと言っても過言ではありません。現代の抱える矛盾や問題を挑発的に発信するアートは、常に物議を醸し出し、バンクシー自身も謎に包まれているアーティストという存在を示しています。展覧会に出品された作品はじっくり鑑賞するものではなく、瞬時にプロテストを理解するもので、そうしたあらゆる場面での主張がバンクシーの世界の醍醐味と言えるでしょう。図録から引用します。「メッセージを発信するなかで、彼はサルやネズミ、警官、イギリス王族の人々といったキャラクターを繰り返し使用し、ステンシル(孔版画)の技法を用いてこれらを描いていく。そもそもこの方法を使うようになったのは、すばやく制作でき、警察に見つからないようにとの理由からであった。」という解説がある通り、バンクシーは風刺の効いた一撃をアートを媒体にして行っていました。バンクシーの言葉が図録にありました。「私にとって、グラフィティとは驚きだ。これに対して、ほかのアートは間違いなくどれも一歩遅れている。グラフィティの世界以外でアート活動しているとしたら、それは低いレベルでやっているということだ。ほかのアートは得るべきものが少ないし、意味も力もあまりない。」反抗的な動きをするアーティストは、一昔前から比べれば少なくなっているように思いますが、そんななかで活躍するバンクシーは評価に値すると私は考えています。アートは社会矛盾への発信という役割が確かにありますが、敢えて言えばそれだけではありません。即興的なグラフィック・アートばかりをバンクシーは言葉に取り上げていますが、そこは議論のあるところでしょう。いずれにしても世界的に話題性のあるアーティストがどんな世界観を持っているのか、一見する必要があると思います。

虎ノ門の「近代日本画の華」展

東京港区虎ノ門にある大倉集古館へこの歳になって初めて足を踏み入れました。若い頃から美術館巡りをしているにも関わらず、大倉集古館には行かなかったのが不思議なくらいです。調べてみると大倉集古館は日本で最初の私立美術館で、その独特な東洋的外観は建築家伊東忠太によるものです。内装は空想上の動物たちのレリーフのついた柱などがあって不思議な雰囲気があります。今回の展覧会は1930年にイタリアのローマで開催された日本美術展に出品された日本画の秀作を集めたもので、見応えとしては充分ありました。目を留めた作品としては竹内栖鳳の「蹴合」があります。二羽の軍鶏が戦う闘鶏の一場面を描いたものですが、体毛が逆立ち、目で相手を威嚇している様子は迫力満点でした。「これらの羽毛は、筆の穂にたっぷりと水分を含ませ、その穂先に絵具を吸わせて、筆をねかせて引くと、色彩のグラデーションが生まれる。これは円山・四条派の伝統的な〈付け立て〉と呼ばれる技法だ。」と解説がありました。次に印象に残ったのは河合玉堂の「高嶺の雲」です。一緒に行った家内が、屏風に広がった山脈の遠近感に感動していました。「何と壮大な空間であろうか。左隻に主峰ひとつ描かず、雲海のみで画面をもたせている。それはひとえに、右隻の主峰が力強く峻厳に描かれているからである。」解説の通りで、離れて本作を見ると空間の解釈の凄さがよく分かります。その他並んだ作品はどれも緻密で、表現に深さを感じさせるものばかりで、イタリアで日本画をアピールすることに文化国家の命運をかけていたのではないかと思いました。最後にこの巨匠を取り上げないわけにはいきません。その人は日本美術展代表を務めた横山大観で、当時の写真にはローマ展会場で羽織袴を身に着けて挨拶をしている大観の様子がモノクロ写真に写されていました。横山大観は「夜桜」という大作を出品していました。「大観は日本画の良さをイタリア人に示すため、琳派の要素を強く押し出そうとしたのだろう。~略~制作にあたり、大観は上野公園の桜を写生し、何度かの大幅な書き直しを経て一気呵成に本作を仕上げたという。」確かに「夜桜」を見ると派手な表現が目につき、いかにも外国人好みに合いそうな作風になっています。それでも高水準を保っているところは、さすが大観だなぁと思いました。

汐留の「和巧絶佳」展

東京新橋にあるパナソニック汐留美術館で開催されている「和巧絶佳」展に行ってきました。「和巧絶佳」とは何か、図録から引用すると「日本の伝統文化の価値を問い直す『和』の美、手わざの極致に挑む『巧』の美、素材の美の可能性を探る『絶佳』を組み合わせた言葉」だそうです。若い世代の12人の工芸家が出品している「和巧絶佳」展は見応えがあって、その精緻な技に思わず惹き込まれました。まず工芸とはどんな分野なのか、これも図録より引用します。「工芸とは、西洋的な意味での美術という領域から除外され、その周縁に位置づけられた種々雑多な造形表現が寄せ集められて形成された、いわば”寄り合い所帯”のようなジャンルということになる。~略~工業生産の規格化と量産化が進み、素材そのものの存在感が希薄な均質化された工業製品に囲まれた環境に慣れきってしまった現代の私たちにとって、手仕事の跡や素材感をそのまま表面にとどめた工芸の存在感は比類ないものといえる。~略~脱工業化社会のなかで手仕事に取り組む工芸家は、物質の表現者として人間の物質への欲望を喚起すると同時に、その代弁者として人間の物質への欲望を問いただすという背反する二つの役割を同時に担うようになったのであり、工芸には、人間の物質への欲望が両義的に映し出されているということができるだろう。」(木田拓也著)工芸は用途のある器を作るという概念が私にはありましたが、工業化時代から脱工業化時代を経て、人には手間暇をかけた手仕事への渇望があり、作品を手元に置いて美を享受したい欲求が、優れた工芸を生み出していることを理解しました。本展でも12人が12人ともその道で追求してきた成果が表れて、どれをとっても信じ難い表現と技巧が印象に残りました。私の好みで言えば、池田晃将氏の螺鈿を駆使した漆作品に度肝を抜かれました。小さいながら建築的な要素もあり、時間を忘れて見入ってしまうほどでした。もうひとつは鉄を使用した坂井直樹氏の作品で、錆と侘が幾何的な構成の中で凛とした佇まいを示していて、白壁に映えて美しいと感じました。まだまだ他の作品を取り上げればキリがなくなるのですが、「和巧絶佳」展ほど実物を見ることに価値がある展覧会はないと言えます。デジタルでは伝えられないものがそこにありました。

美術館を巡った日

今日は用事があって職場から年休をいただきました。用事はすぐ終わってしまい、残りの時間を横浜や東京の美術館巡りに充てました。ウィークディに展覧会を見に行く機会がなかなかなかったので、今日はラッキーな一日でした。休日であると混雑が予想される話題の展覧会に行くのは今日をおいて他にないと考え、地元横浜で開催している「バンクシー展」に足を運びました。今日は家内が付き合ってくれました。美術館巡りは突如決めたことだったので、「バンクシー展」のネット予約を入場前に行い、昼の時間帯のチケットを取得して会場に飛び込みました。ウォールペインティングから画業を始めたバンクシーは、その主題が社会的な意味を持つが故に世界各地で話題になり、私も一度その世界を見てみたいと思っていたのでした。バンクシーが多面的な表現手段を持っていることに私は驚き、ストリートだけではない魅力に圧倒されました。しかも横浜駅に隣接したアソビルという複合施設での会場作りにも興味が湧きました。「バンクシー展」にはウィークディにも関わらず、多くの人が訪れていました。詳しい感想は後日に回します。アソビル内の飲食店が集まった横丁で昼食を済ませ、東京の渋谷に向かいました。ホテルオークラの別棟にある大倉集古館で開催している「近代日本画の華」はテレビで知りました。1930年にローマで開催された日本美術展から90年が経って、当時の作品を並べた今回の展覧会は、極めて精緻に描かれた力作ばかりで、その表現や技巧に目を見張りました。日本の文化を日本画を通して世界に知らしめる目的があったようで、横山大観が団長を務めていたようでした。この展覧会の詳しい感想も後日にします。その後、時間を見計らいながら新橋に向かいました。汐留にあるパナソニック汐留美術館は過去幾度となく訪れた美術館で、ここでは「和巧絶佳」と称された超絶技巧による工芸展が開催されていました。しかも出品している工芸家が皆若い世代で、今後の日本の工芸界を支えていく有能な人材と認識しました。ここには夏に横浜そごうで個展をやっていた金魚絵師も出品していて、馴染みのある作品がありました。この展覧会の詳しい感想も後日にします。今日は午後から巡り始めた展覧会でしたが、バンクシーから始まり、近代日本画の代表格ばかりが揃った展覧会や、超絶技巧による工芸展を見続けてきて、家内も私も些か疲れました。家内が一日で回る展覧会は2つまでにしたいと言っていました。職場から年休をいただいたことで、つい欲張ってしまった一日でしたが、私には充実した時間でした。

イサム・ノグチ 石壁サークル

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第44章「石壁サークル」と第45章「《自然のゆくてをさえぎる》」のまとめを行います。イサム・ノグチが残した代表的な石彫作品がどんな場所で作られたのか、四国を訪れた私が憧れを抱いた石壁サークルが登場してきました。「1969年以降、ノグチは四国に家とアトリエをつくり、一年の半分、通常は秋と春に三か月ずつをそこで過ごした。ノグチは石垣で囲んだ作業場、石壁サークルを建設。輪のなかにはしだいにノグチの彫刻が並びはじめた。そのひとつひとつが静かだが、それでもなお神秘的なエネルギーを放つ。ノグチは自分の最良の作品を手放そうとしなかったので、石壁サークルは仕事場だけでなく一種の野外美術館のようにもなった。~略~ノグチは牟礼の建物群をひとつの美術作品として形づくった。それはノグチがいつも探してきた天国ー目で見て手で触れるもののほとんどが自分自身の選択である場所ーだった。~略~何年もかけて、ノグチは牟礼にギリシャ寺院のたくましい簡素さと完璧なプロポーションを備える二棟の古い倉を加えた。」これは移築による建造物で、現在も室内工房と展示用のギャラリーになって残されています。次章では今もここに展示されている巨大な「エナジーヴォイド」が登場してきます。「石に鑿を打ちこむことで年齢に逆らい、個人的疎外感を回避できた。そのプロセスによって大地とのつながりを感じることができた。ノグチにとっては大地とのつながりが、おそらく人間との絆よりも重要であった。~略~『空』の彫刻は穏やかな一方で、非実存への扉のように見える。おそらく『無』の概念がノグチに明晰と平穏の可能性を提供したのだろう。門に似た彫刻はまた鳥居ー神道の神殿に導く門ーも連想させる。ノグチの門をくぐることは、より霊的な世界の戸口における浄めのフォルムかもしれない。事実、牟礼のノグチ美術館にある高さ12フィートの《エナジー・ヴォイド》は《天国の門》としても知られている。」この大作は嘗て東京都現代美術館で開催された大がかりな「イサム・ノグチ展」にやってきました。牟礼のイサム・ノグチ庭園美術館以外で、この作品を見たのは私は初めてだったと記憶しています。

週末 8点目と9点目の陶彫成形

新作は直方体の陶彫部品が数多く並ぶ風景を創出させる予定です。その直方体は単体もあれば3層に積み重なったものもあります。3層の陶彫部品は、上部の凹んだところに次の陶彫部品を積み重ねていく方法を取っていて、3層が重量としては限界かなぁと思っています。陶彫は焼き物である以上、窯の容量に陶彫部品の大きさが限定され、最大のモノは窯に1点しか入りません。大きな彫刻にするためには陶彫部品を集合体で見せるしか方法がなく、1年間をかけて制作工程を考えながら丹念に作っていくのです。陶彫は毎週末に部品を1点ずつ作り上げ、まとまった休みになるとプランを増やします。今日は昨日準備したタタラで、2点の陶彫部品の成形を作り上げました。2点とも3段目になる小さめの陶彫部品だったので2点同時に作れたわけです。成形した部品に施す彫り込み加飾は次の機会に回すことにしました。今日までで合計9点の陶彫部品が立ち上がっていますが、そのうち6点が彫り込み加飾が終わって、乾燥を待っている状態です。毎年窯入れは11月頃を目安にしているので、今年も寒くなってからにしようと思っています。工房周辺は草刈りを頼んだので、雑草がほとんどなくなって、畑の道が歩きやすくなりました。そうしないと大小の草で歩道が遮られてしまうのです。自宅の周辺も草刈りをしてもらいました。草刈りは亡父の従兄弟がやってくれます。亡父が存命の頃から造園をやっていたので、安心して任せられるのです。今日はお馴染みになった2人の美大受験生がデッサンや平面構成をやりに工房に来ていました。彼女たちの受験はまだ先なので充分時間を取って準備をしているのですが、毎週来ているため、少しずつ作品が上達してきました。受験というゴールがあるのはいいなぁと私は横目で見ています。夕方、彼女たちをそれぞれの自宅の近くまで車で送り届けて、今日の工房での仕事を終えました。

週末 積み重ねる作業の合間で…

週末になりました。今日は雨模様で気温も上がらず、凌ぎ易い一日になりました。朝8時に工房に出かけ、明日の成形のためにタタラを用意したり、前の陶彫成形でまだやり残している彫り込み加飾を行ないました。週末になると工房で黙々と作業をやっています。今日は午前8時から午後3時までの7時間を工房にいました。作業は単調ながら、次はこの部分を作ろうと思っていて、新作に向けた意欲は充分にありました。私の作品は一気呵成に出来るものではなく、コツコツとした積み重ねで全体のカタチが現れてきます。まだ全体構成の10分の1というところでしょうか。それでも最初の陶彫制作は新作の方向性を決めていくので、量的にまだ少なくても制作工程から見れば、重要な導入部分になります。私は小さなところで生きがいを感じることが出来る性格なので、新作に対する不安や彫刻そのものに対する意義などを問いながら、そこに孤独や虚無は感じずにいます。寧ろ自己表現が定まらなかった若い頃の方が、彫刻に対し複雑な感情を持っていたような気がしています。私が生涯を賭けて何かやったところで徒労に終わるのではないかと、その頃は感じていました。創作活動とは何か、何十年も常に私の頭を過ぎっていますが、私は先を見ず、目の前のことだけを考えて一歩ずつ進むことを選びました。私はすぐ達成出来る小さな目標を持つことにしたのです。今日はここまでやったら今日の目標達成と考えて日々過ごしています。足元だけ見て作業を積み重ねているうちに作品は出来上がってきます。それは登山に似ているように思います。私の彫刻作品は労働の蓄積です。不器用で寡黙ながら只管作る、焦らず休まず作ることが私の信条です。作品は自分自身を表していて、格好つけて洒落て作れば、それなりの作品になり、なり振り構わず追求すれば、それに応える作品になると考えます。小手先で終わらないために、今日やっている作業には意味があると言い聞かせて、地道な作業をやっていました。積み重ねる作業の合間で、自分自身の方向性を確認し、明日に繋げていきたいと思いました。夕方は修理に出した家内の邦楽器を車で引き取ってきました。ちょっとした息抜きになりました。

イサム・ノグチ 「あかり」と牟礼

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第42章「小麦そのもの」と第43章「赤い立方体、黒い太陽」のまとめを行います。いよいよノグチが晩年に差し掛かり、私が最も影響を受けた代表作品が登場してきます。1960年代半ばには彫り跡を残し、磨いた面や加工した面を織り交ぜて充実した空間を有する石彫群が生まれました。同時に和紙と竹による「あかり」が登場しました。「《あかり》は、アートは日常生活の役に立つ一部となりうるというノグチの考え方を完璧に表現する。~略~ノグチがたえずデザインをしなおしたことが、店にとっては《あかり》を売りにくくした。ノグチはランタンを非対称にすることでコピーをほとんど不可能にし、ときには竹の助材を取り去った。~略~ノグチが《あかり》に感情的に執着したのは、一説によれば子ども時代の父親の記憶と関係があるという。ノグチが月を見るまで寝ないと言い張ったとき、父親は障子の反対側に明かりをおいた。~『日本というバックグランドは、ぼくに簡素なものに対する感性をあたえた。それはぼくに、より少ないものでより多くをおこなうこと、そして自然をそのディテールすべてのなかで認識することを教えた。たとえば小麦が加工されたら、麦粒には似ていない。小麦を味わいたかったら、パンは食べない。ぼくの彫刻は小麦そのものなんだ。』」次の章ではマリーン・ミッドランド銀行の広場に設置された金属による巨大な赤い立方体に関することから始まり、やがて石彫による「黒い太陽」が登場します。「歳月を重ねるにつれて、ノグチはしだいに日本に多産する花崗岩と玄武岩を彫るというむずかしい仕事に惹かれていった。~略~和泉は讃岐岩、それから地元の庵治石から円盤の切り出しにとりかかった。一年後、四国にもどったノグチは感心した。1968年以降、和泉正敏はノグチの生活と仕事にかけがえのない存在となる。間もなくノグチも牟礼の和泉家の所有地にアトリエを構え、和泉の協力を得て、これ以降の作品のほとんどをそこで制作することになる。そのなかでも最大のひとつはシアトル美術館の《黒い太陽》である。~略~たしかに《黒い太陽》は動きに満ちる。永遠の静止を内包しているように見えてなお、光が変化するにつれて花崗岩のへこみとでっぱりのおかげで輪は転がるように見え、それが彫刻に瞬間性をあたえている。」私が複数回訪れたイサム・ノグチ庭園美術館設立の起源がここにありました。

彫刻における台座の意味

「地面が庭園の一部であるのと同じように、床を彫刻の一部である場所、あるいは平面と考えた。~略~ノグチは、日本では地面に据えられた岩は『下にある原始の塊体から突き出す突起を表現している』と言った。庭園の構成要素は、鑑賞者の想像のなかで大地の下で結合される。」という一文は、「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)の中でイサム・ノグチより提唱された彫刻の在り方に関するものです。彫刻の台座を取っ払い、彫刻が置かれた地面を表現の一部にする考え方に、私は大いなる共感を覚えました。また原始の塊体から突き出す突起を表現しているという発想も、まさに私自身の陶彫による集合彫刻に通じていて、この時代にイサム・ノグチが既に思考していた彫刻の概念に感じ入ってしまいました。彫刻にとって台座とはどんな意味を持つのでしょうか。絵画における額縁と同じで、芸術品は美術館で鑑賞するものという前時代的な概念があるために台座を用意していると言えるでしょう。私も人体を塑造している時は台座も作っていました。その頃の彫刻は生活とは切り離した表現であったのですが、彫刻が建築を初めとする環境造形に進出してから、彫刻的世界が生活の中に取り込まれていったように思っています。造園家だった亡父が造営していた庭園の考え方に彫刻が歩み寄ったと私はふと思いつき、私自身も立体概念が変わっていきました。まさにイサム・ノグチ的空間転換だったと思い返しています。私の「発掘シリーズ」は大地から突き出した造形物をイメージしていて、本書にある通り、鑑賞者の想像のなかで大地の下で結合される要素があります。ただし、現代彫刻における台座は不要なのかというと、そうではありません。台座の上の彫刻を鑑賞するための台座ではなく、台座そのものも表現の一部になっているケースもあるからです。たとえばジャコメッティの針金のような人体は台座が重要な表現になっています。台座を表現の一部にした作品は、台座まで鑑賞の対象になります。芸術品の展示方法は時代を反映していると改めて感じてしまうこの頃です。

「命題論的分析論としての形式論理学」第18~22節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があり、その中の第1章として「命題論的分析論としての形式論理学」が掲げられています。そのうちの第18~22節を読み終えました。第22節で第1章が終了しますが、難解な言い回しに何度も悩みつつ、今回も章ごとに気になった文章を書き出して、それでまとめにさせていただきます。第18節は単純な分析論の根本問題と称された章でした。「任意の諸判断がそのまま、しかも形式的にのみ一つの判断に統合されうるのはどういう場合であり、しかもどのような諸関係で可能であろうか?」という問いかけが本章ではありました。第19章では可能な真理の条件としての無矛盾性という命題があって、私には次の文章が気に留まりました。「今ここでは始めから判断はただたんに判断として考えられているのではなく、認識の努力に支配される判断として充実されるべき思念、すなわち〈判明性にのみ由来する所与という意味での対象自体ではなく、目指す《真理》そのものへの通路となる思念〉として考えられているのである。」第20章では単純な分析論における類似の諸原理について述べられていました。論理が展開する中で結論めいた部分を見つけたので、これを引用しますが、これだけ抜き出しても意味が通らないとは思います。「〈直接的な分析的帰結それ自身の直接的な分析の帰結はやはりまた、それぞれの理由の分析的な帰結だ〉ということであり、このことからは〈任意の間接性の帰結自身も、この理由の帰結だ〉ということが整合性として明らかになる。」第21節は最広義の判断の概念です。「最広義の判断の概念は、混乱、判明、明確の違いを意に介さず、これらの差異を故意に無視する概念である。」第22章は今までのまとめになった箇所がありました。「無矛盾性の形式論理学と真理の形式論理学をわれわれが分離したのは斬新なことではあるが、この分離はいまでは各用語についても広く一般に知られている。これらの用語は〔従来とは〕まったく別のことを、すなわち《認識の》具体的な《題材》を無視する形式論理学の問題設定一般と、何らかのかなり広い(もちろん明確に把握されていない)意味で論理学の側から提起された諸問題との間の区別を考えていた。」今日はここまでにします。

イサム・ノグチ 自伝と遊び場

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第40章「自伝に向かって」と第41章「形態と機能の入門書」のまとめを行います。自伝を出版することになったノグチは筆者ジョン・ベッカーとの間にトラブルに見舞われますが、その前に彫刻の空間概念に関する興味ある個所がありました。「(ローマの)アカデミー滞在中にノグチは床を台座として使う彫刻の制作を始めた。地面が庭園の一部であるのと同じように、床を彫刻の一部である場所、あるいは平面と考えた。~略~ノグチは、日本では地面に据えられた岩は『下にある原始の塊体から突き出す突起を表現している』と言った。庭園の構成要素は、鑑賞者の想像のなかで大地の下で結合される。」私自身の彫刻観とも相通じる概念がここに出てきました。話を自伝に戻します。自伝出版に関するトラブルは、ノグチが自伝に手を入れて筆者との誤解を正そうとし、また印税の分配でも揉めて、結局プリシラによって仲介されたことが分かりました。決着するまで紆余曲折あったわけです。「本は一人称で書かれ、自分が言うのではない言い方で自分が考えていないことを言われるのは不可能です。」次章「形態と機能の入門書」では、ノグチが拘った遊び場に関する記述がありました。「自伝では遊び場をつくるには子どものように考えなければならないと述べている。『ぼくは遊び場を形態と機能の入門書と考えたい。単純で神秘的、そして想像力をかきたてる。したがって教育的でもある。』」このプロジェクトは建築家ルイス・カーンとの協働であってもなかなか実現せず、ノグチを苛立たせました。「ジェイコブスは、ノグチは最近日本で《子どもの国》と呼ばれる遊び場を完成したのに、自分の祖国では遊び場設計者としては『名誉のない預言者』であると指摘した。~略~コラボレーションについてカーン自身は楽観的な見方をしていた。『私は建築の言葉では語らなかった。ノグチは彫刻の言葉では語らなかった。私たちのどちらもが建物を地形の輪郭の一部としてとらえていた。しかも独立した輪郭ではなく、絡みあい、漂ったりしている輪郭の相互作用として。そしてそれは、建築を主張するものでも、彫刻を主張するものでもないことを願っていた』。」横浜にある「子どもの国」はノグチ設計による遊び場だったことを改めて認識しました。

15回目の個展をExhibitionにアップ

今夏、開催した15回目の個展をホームページのExhibitionにアップしました。Exhibitionでは、ギャラリーせいほうの展示空間をそのまま見ることができて、図録の撮影の時とは違った雰囲気があります。白い空間に彫刻を配置し、照明を当てると立体感が映えて我ながら美しいと感じます。Exhibitionの説明文に「命の蘇生」という月並みなコトバを使ってしまいました。本心を言えば、造形思考はそんなに短絡的ではないのですが、文章を簡単にまとめなければならず、都合のいい言い回しができなかったのが正直なところです。このExhibitionのいいところは過去の展覧会が全部見渡せられるところです。私自身はあの時はこんな思いで作っていたなぁとか、この年はこんな大きな事件事故があったなぁということが頭を過ります。東日本大震災、新型コロナウイルス感染症、母の死去など作品に影響を及ぼすことが多々あったことも事実です。造形思考を深化させたいと願っていても、表現の振り幅が大きくなり、あれもこれも欲張ってしまっていることも、作者にしか分からないことですが、確かにあります。連作にしようと始めた作品が、その後の展開が続かず休止していることも、その逆に自分の意向に反して連作になってしまっている作品もあって、私の造形計画と実施にはムラがあることも認めざるを得ません。Exhibitionを通して、いろいろなことが思い出されますが、15回も毎年継続してきたことだけは自分を褒めてもよいかなぁと思っているところです。

週末 7点目の陶彫成形

今日も蒸し暑い一日でしたが、九州に近づく台風10号の影響か、突如大雨が降ったり、また日差しが戻ったりして安定しない一日でした。家内の親戚がいる奄美大島では大変なことになっているようで、被害を最小限に食い止められることを願って止みません。横浜は台風から遠い位置にあるため、危機管理的にはそれほど緊急を要してはいませんが、万が一にも備える必要を感じます。日本は自然災害から逃れられない運命にあり、昨年関東を襲った大型台風によって、自宅の雨樋が壊れ、部屋のあちらこちらで雨漏りが発生したことを思い出しました。自宅のリフォーム工事を始めたのは、自然災害が起因になっていると言えます。現在、台風が近づく地域の心配を我が事のように感じられるのは、そんな理由によるものです。さて、今日の工房での作業は9時過ぎに始めました。美大受験生が2人来ていて、デッサンや平面構成をやっていました。彼女たちも毎週やってくるようになりました。ウィークディはそれぞれ高校に通っているので、週末は疲れているだろうに、作品を作るパワーを失わないのは立派なものです。私は昨日準備しておいたタタラを使って、7点目の陶彫成形に挑みました。今日作った陶彫部品は、新作の中では中くらいの大きさになるものですが、高さは60センチくらいあって、積み木のように陶彫による直方体を積んでいくうちの2段目に当たる部品です。積み木のように積んでいく陶彫部品はボルトナットで留めることはしませんが、下の陶彫部品の上部に凹んだ部分を作り、そこに嵌めていくようにしています。それこそ地震等自然災害で彫刻が転倒しないように配慮しているのです。彫り込み加飾は今日のところは出来ませんでした。涼しくなればウィークディの仕事帰りに工房に立ち寄って、彫り込み加飾をやっていきたいと思っています。秋風が早く吹いてほしいと願っています。

週末 9月最初の週末に…

週末になりました。9月最初の週末になっても工房内の気温は相変わらずで、蒸し暑い環境の中で制作を余儀なくされています。今日は暑さを避けて朝7時に工房に出かけ、制作を開始しました。朝7時から夕方3時までの8時間を作業に費やしました。その間、朝食と昼食にそれぞれ30分程度、自宅に戻ってきました。9月から凌ぎ易くなることを想定して、制作工程を組んでみましたが、なかなか思惑通りにはいかず、身体に負担を強いて、夜はぐったりしてしまいました。制作内容としては、先週作った陶彫成形の彫り込み加飾が終わっていないため、新しい土練りをする前にまず彫り込み加飾を行ないました。続いて土錬機を回して土練りを行い、明日の陶彫成形のために座布団大のタタラを数枚用意しました。土練りやタタラ作りはほとんど肉体労働で、汗が噴き出てきました。このところ毎回そんな作業なので、大分慣れてきていますが、若い頃に比べると地力が多少衰えている気がします。まだ作業場を他に借りて作業をやっていた頃は、汗でびっしょりになったシャツを何枚も替えつつ、余力を残してその日の作業を終えていましたが、最近は休憩を取ることが頻繁になり、ノルマの作業を終えるとぐったりして動けなくなります。休憩は扇風機の前を陣取って、暫し目を瞑ってじっとしています。昔もそうだったのか記憶にないのですが、疲労の具合が違うような気がしてなりません。夜になって多少体調が回復したので、自宅の食卓でRECORDの追い込み制作を行いました。深夜0時までRECORDをやっていました。今日は充分成果を上げた一日でした。明日は陶彫成形を頑張ります。

9月RECORDは「紫」

このところ蒸し暑い工房には長く留まれず、その代わり空調の効いた自宅の食卓をアトリエの代用にして、RECORDの制作に時間を割いています。下書きばかりが先行するRECORDですが、だいぶ解消してきました。RECORD制作が厳しかったのは、春に自宅のリフォーム施工を行なっていたため、暫く食卓が使えず、そうかといってリビングでは気持ちが落ち着かず、結局毎晩下書きだけをやっている生活が続いてしまったことが原因でした。今年は色彩をテーマにしていることがあって、その都度下書きから色彩のイメージを思い出しながら、RECORDの追い込み制作をやっていました。今月は「紫」でいこうと決めました。紫にもさまざまなバリエーションがあり、とりわけ私は日本の染めの美しさに惹かれています。本紫の染めは紫根染と言われていて、高貴な印象があります。事実、僧侶の紫袈裟は最高位を示すものです。紫の布上に文様が鮮やかに映えているイメージなどを取上げて、今月のRECORDにしたいと思っています。紫色は青色と赤色の中間色になり、菫(すみれ)色に近く、面白いのは醤油の別名になっているところです。醤油を「むらさき」と言うといかにも美味しそうな印象をもつのは私だけでしょうか。今月は高貴な色彩に相応しいデザインを考えていきたいと思います。

9月の制作目標

今月は4回の週末があり、そのうち1回は4連休になります。陶彫制作においては、土曜日に土練りをして座布団大のタタラを数枚用意し、日曜日に成形や彫り込み加飾を行うのが定番になっています。その制作工程のうち一番時間がかかるのが彫り込み加飾で、週末だけではやり終えないこともあります。涼しくなればウィークディの仕事帰りに工房に立ち寄って、たとえ1時間でも彫り込み加飾をやろうと思っています。ただし、現状の蒸し暑い工房ではなかなか意欲が湧きません。ともかく4回の週末で4点の陶彫部品が作れるはずで、そこは計画的にやっていこうと思っています。4連休では新作の土台を作ろうと思っていて、木材は既に購入してあります。厚板材による土台は円形になり、その中に陶彫部品を配置していきます。私は2009年に「構築~起源~」という木彫だけの作品を発表しています。それは土台に穴を刳り貫いて、そこから木彫した柱が何本も立ち上がる作品になりました。さまざまなカタチをもつ柱が群を成してニョキニョキ生えてくるイメージがありましたが、今回の新作では木彫の柱ではなく、直方体の陶彫部品が群を成すイメージがあって、架空都市を見下ろしているような印象になるだろうと思っています。4点の陶彫制作と土台の制作開始を今月の目標にします。もうひとつ考えているのはRECORDの下書き解消です。RECORDの年間撮影を例年9月末から10月初めに行っているので、それに間に合わせようと今月は頑張るつもりです。あれもこれも欲張っていますが、涼しくなることを想定して、制作目標を立てている次第です。

茅ヶ崎の「國領經郎展」

既に閉幕している展覧会の感想を取り上げるのは恐縮ですが、横浜生まれの國領經郎の画業を自分なりに振り返ってみたいので、詳しい感想を掲載させていただきました。広漠とした砂丘に人物の群像が描かれた絵画が、私の知る國領經郎の世界です。描かれた人物像に生々しさはなく、西洋の古典画法を彷彿とさせる象徴的で様式的な美の世界がそこにあります。國領經郎の世界を眺めていると、イタリアのルネサンス絵画を見ているような錯覚に陥るのは何故なのか、國領經郎はこの大きなスケールで何を求めていたのか、何を表現したかったのか、図録にあった解説からヒントを得ることにしました。「両親との思春期の死別、不穏な時局下の僻遠無縁の地への単身赴任、そして不条理な戦争と兵役という一連の体験によって色を濃くしていった孤独感は、國領の脳裡に消しがたく伏在しつづける。この体験からおよそ20年を経て、國領を砂丘・海浜の空間、砂の主題に逢着せしめることとなった。むしろ、そこにいたるまで、20年の歳月を要したというべきだろう。~略~心の奥に内在するイメージ(心象)が造形に先行するのであれば、そこに現実のモデルの肉体を持ち込むと逆に不自然になり絵にならないのだという。あらかじめ想定されているイメージにふさわしい人物の輪郭、『しなやかな線』といい『理想の線』とも述べる線で象られた人物は、イメージの主要な構成要素であると同時に、背景にある海岸線や砂丘のかたち、雲や草花などの他の要素に呼応し、またはそれらと相補して画面全体の造形に奉仕するものでなければならないだろう。~略~國領は、ボッティチェッリのヴィナスに、性と聖、この二項が絶妙に均衡した、メランコリーとコケティッシュな羞恥をまとう肉体を認めている。」(柏木智雄著)國領經郎の世界には、やはりボッティチェッリを代表とする西洋の古典が入っていて、描かれた人物像にはニーチェが「悲劇の誕生」で象徴したアポロン的理性があるように思えます。人物は時に情念を醸し出しますが、國領經郎の世界の乾いた感性は、我々が知る情念や情動とは別の雰囲気を纏っているように私には感じられました。

9月はいつ涼しくなるのか?

9月になりました。今日はやや涼しくて凌ぎやすい一日になりました。今日は「防災の日」でもあり、今を遡る97年前に関東大震災があり、それが起因となって「防災の日」が設定されたようです。職場でもコロナ渦の中で防災訓練を行いました。災害はいつやってくるのか分からないので、備えは十分にしておこうという意図で防災訓練を決行しました。先月までは暑い日が続き、新型コロナウイルス感染症だけでなく、熱中症にも気をつけて過ごしていました。今月はいつ涼しくなるのか、創作活動に弾みをつけたい私としては秋が待ち遠しいのです。今月は涼しくなると仮定して、今後の制作目標を考えたいと思います。今月は「敬老の日」と「秋分の日」が合わさった4連休が予定されています。週末を全部創作活動に使うとすると休日が10日あり、新作の土台である厚板材の切断が出来るのではないかと思っています。土台の完成は無理かもしれませんが、大まかな構想は描けると期待しています。陶彫部品もどのくらい作れるのか、見通しをもった計算をしておこうと思います。具体的な制作目標は改めて稿を起こします。RECORDは下書きの山積みが少なくなってきました。RECORD制作に勢いが出てきているので、この調子で頑張りたいと思います。鑑賞はどのくらい展覧会に行けるのでしょうか。映画館に行くのはまだちょっと抵抗があります。読書は先月から継続して、日系彫刻家の伝記とオーストリアの現象学者の書籍に挑んでいきます。

酷暑の8月を振り返る

8月の最終日になりました。今年は梅雨の長雨から一転して気温が上昇する酷暑となり、今月は35度を超える日が続きました。8月は例年夏季休暇を取得して旅行に出るのが私の定番でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響で遠方への旅行は控えて、日帰りで首都圏だけを周遊することにしたので、なかなか気分転換が図れない8月だったなぁと振り返っています。週末は工房に行って新作に挑みましたが、空調のない工房に長く留まれず、予定の半分くらいしか制作が進みませんでした。その分自宅でRECORD制作に励み、下書きの山積みはだいぶ減少してきました。まず、新作陶彫の成果としては6点の成形が終わり、そのうち4点が彫り込み加飾を終えて乾燥を待っているところです。涼しくなれば陶彫制作に拍車をかけたいと思っています。RECORDは山積み解消とまではいかないにしても、自分なりに頑張ってきました。私は生真面目な性格上、どんな作品に対しても気楽に描けないタイプで、RECORDも1点1点に思いを寄せて、しっかり描き込んでしまうのです。日々の制作が重く感じるのは、私自身のせいです。鑑賞は「スーパークローン文化財展」(そごう美術館)、「きたれ、バウハウス」展(東京ステーションギャラリー)、「深堀隆介展」(そごう8階)、「國領經郎展」(茅ヶ崎美術館)、その他として「江戸東京たてもの園」内の「前川國男邸」、フランク・ロイド・ライト設計による「自由学園明日館」(池袋)に行ってきました。1ヶ月の鑑賞としては多いのではないかと思っています。読書では「石を聴く」と「形式論理学と超越論的論理学」を交互に読んでいて、彫刻家イサム・ノグチと現象学者エトムント・フッサールが、現在の私の関心を惹く2人の偉人になっています。これは継続して読んでいくつもりです。

週末 6点目の陶彫成形&礼状宛名印刷

8月最後の日曜日になり、朝から工房に篭りました。猛暑は変わらず汗が滴り落ちる一日でしたが、昨日陶彫成形の準備をしていたので、6点目の成形を行いました。6点目の成形は小さめで、大きな陶彫部品の三段目になる予定です。これはボルトナットで留めることなく、直方体の陶彫部品を積み木のように重ねていくので三段目が限界かなぁと思っています。午後になっても作業をしていましたが、今日は彫り込み加飾はせず、次回に回すことにしました。陶彫成形は面白い制作工程なので、つい夢中になってしまうのですが、工房内の室温のことを考えると無理をしない範囲で作業を打ち切るのが良いと判断しました。というのは今日も美大受験生が2人来ていて、それぞれデッサンや平面構成をやっていたので、彼女たちの健康にも気遣いしました。彼女たちは中国に繋がる高校生たちで、私がいないところでは中国語でやり取りをしています。私がいると何気なく日本語に切り替えます。外国語の切り替えが自然でスムーズに出来ることに私は驚いてしまうのですが、20代の頃に私が喋っていたドイツ語より遥に流暢に言葉を扱うので、10代の子たちの頭の柔軟性に感心してしまいます。2人とも日本でずっと生きていくようで、美大にも日本人として一般受験をする構えでいます。二国間に文化を持つこの子たちは、デザイン業界できっと活躍の場があるのではないかと私は思っています。夕方、2人を車でそれぞれの自宅近くまで送り届けてきました。夜になって、個展に来ていただいた方々にお礼状を送ることにしました。芳名帳を見ると住所が分からない人たちばかりで、結局私が案内状を送った人たちに限られてしまいました。このNOTE(ブログ)をご覧になられている方で、お礼状が届かなかった方には申し訳なく思います。改めてここで個展に来ていただいた方々に感謝を申し上げます。新型コロナウイルス感染拡大が続く中で、わざわざ東京銀座にいらっしゃっていただいて有難うございました。

週末 陶彫成形準備&茅ヶ崎散策

やっと週末になりました。8月最後の週末は相変わらず気温が高く、工房にずっと篭るのは辛いかなぁと思いました。そこで朝7時に工房に行き、明日の陶彫成形のためにタタラを数枚用意し、2時間程度で工房を後にしました。タタラは陶土を掌で叩いて座布団大の大きさまで伸ばすのです。それをビニールで覆って明日に備えるのですが、一日置くとちょうどいい硬さになります。2時間のタタラつくりはほとんど肉体労働で、忽ち汗が噴き出てきました。今日の作業はここまでにして、午前10時頃に家内と車で自宅を出ました。まず向かったのは東神奈川の邦楽器店で、家内の楽器を修理に出すのに付き合ったのでした。その後は東名高速から圏央道を走り、茅ヶ崎に向かいました。途中で昼食を済ませ、茅ヶ崎海岸の近くにある茅ヶ崎市美術館に到着しました。この美術館で開催中の「國領經郎展」は、砂浜や砂丘を描いた画家の代表作品を網羅している情報を知って、ぜひ見に行こうと決めていました。本来なら既に終わっている企画展でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響で会期が延長されていたのが幸いでした。画家國領經郎の世界は私も知っていましたが、まとまった作品を見たことがなかったので、今回は改めてじっくり作品を拝見させていただきました。これは生誕100年記念となる回顧展で、國領經郎は既に他界されている作家ですが、横浜に生まれた人でもあり、横浜美術館に所蔵作品があって、私にも馴染みはありました。詳しい感想は後日にしたいと思っていますが、明日で展覧会が閉じてしまうので、感想を述べるのは展覧会閉幕後になることをお許し願えればと思います。美術館で鑑賞した後、車でササンビーチがある海岸を望みながらドライブを楽しみました。今夏、海を見るのは初めてでした。現在も遊泳は禁止されていますが、多くの人が海岸にいました。ほんのちょっぴり夏気分を味わって帰宅しました。

「命題論的分析論としての形式論理学」第16~17節について

昨日に引き続き「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があり、その中の第1章として「命題論的分析論としての形式論理学」が掲げられています。そのうちの第16~17節について、何とか読み砕いていますが、毎回のこととは言え、難解な文章とその意味合いに立ち往生してしまい、これをどうまとめてよいやら分からず、今回も気になった箇所の引用で済ませます。命題論に関する諸区別について、区別に該当する明証の違いを考察していて、一つの判断が各主観ごとに異なる仕方で与えられていても、同じ判断として明証的な所与であることが述べられていました。「混乱した思念が《判明になる》ことで初めて《実際に判断され》、そして先ほどはただたんに予想されていたにすぎないあの判断が実際に、しかもそれ自身が与えられているのだ、と言う。~略~意味の側面では、表示される諸形象すなわち諸判断自身が、表示する諸志向が継続して充実される《明証》の中で、したがってそれと同時に根源的な能動性の中で形成される本来の諸判断として成立することもあり、もしくは受動的な読書の場合のように、判断が空虚に表示されることもありうる。」次に判明性と明確性について述べられていました。「ここでは二種類の明証性が区別され、その一つは判断自身がまさに判断として与えられる場合の明証性であり、この場合の判断は判明な判断であり、実際に正確に判断して得られる判断だとされる。二番目は、判断者が自分自身の判断を《通して》希求する事項そのものが与えられる場合の明証性であり、このような判断者こそー論理学がつねに想定しているー認識の希求者である。」次の章では論理学そのものを論じている箇所があったので、引用いたします。「そもそも論理学全体がアプリオリ(先天的概念)な学問であるのと同様、単純な分析論も実際の諸判断を、すなわち或るとき、或る場所で実際に下された諸判断を問題にするのではなく、アプリオリな諸可能性を、すなわち該当するすべての現実を分かりやすい意味で包摂する諸可能性を問題にするのである。」

「命題論的分析論としての形式論理学」第14~15節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もありました。本論として初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があり、第一篇はAとBに分かれ、Aは第一章から第三章、Bは第四章と第五章から成り立っています。ここでは第一章「命題論的分析論としての形式論理学」の第14~15節についてまとめを行います。ここでは形式論理学の次の段階としての整合性(無矛盾性の論理学)について書かれていました。形式論理学の中で判断をどう扱うか、何度か読み返しても私にはまとめることができず、注目した箇所の引用でご勘弁願います。「判断の整合性についての類的な諸真理として、例えば適応する形式の各前提判断の中に、特定の形式の諸判断が(《分析的に》)包摂されていることについての真理として保有していることは、洞察されうる。同様に、別の推論の諸形式は分析的な反対帰結、分析的な《矛盾》の本質的諸法則の価値を有してはいるが、しかしこれらは実は《推論》の諸形式ではなく、いわば《排除》の諸形式である。~略~すなわち伝統的な形式論理学は純粋な《無矛盾性の論理学》ではないということと、この純粋性を明示して、論理学の問題設定と理論において最も重要な内的な区分がなされるべきだ、ということである。」そこで第14節の最後に「的確に理解された単純な分析論の基本的諸概念に妥当性の基本的諸概念として(規範概念として)含まれるのは分析的な整合性と矛盾だけであり、それに反して既述のとおり、真理と誤謬はその諸様相も含めてここには登場しない。」とありました。第15節では、前節を受けて次のようにまとめています。「もともと区別されるべきこの両概念が、論理学ではわざわざ形式化される本質法則的な連関によって初めて、単なる分析論が形式的な真理の論理学に転換すること」としていました。今回はここまでにします。

イサム・ノグチ 巨大なプロジェクト

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第38章「ノグチと仕事をする」と第39章「浮遊する岩たち、祈りの翼」のまとめを行います。1960年代に入ると、ノグチに大きな仕事が入ってきます。「この(バイネッケ)図書館にノグチは白大理石のサンクンガーデン(半地下庭園)を提案した。植物のかわりに三体の大理石の形態ー輪、ピラミッド、頂点のひとつを支点にしてバランスをとる立方体ーを配置する。庭は世界から切り離されて知性に訴えかけるように感じられ、したがって図書館という立地にはぴったりだった。」イサムにはオーエンズという制作協力者がいて、イサムの気難しい性格にも耐えて仕事をしています。「イサムは馬のように強く、ロバのように頑固で、十歳児の活力をもつ。見つかるかぎりで最高のビジネスマンだ。ぼくが会ったなかで最良の政治屋であり、途方もなく優れた彫刻家だ」とオーエンズは称賛もしていました。次に私が大好きな作品であるチェース・マンハッタン銀行のサンクンガーデンにイサムは取り組みます。「七つの岩のいくつかは京都近くの宇治川と鴨川の川底から運ばれた。何世紀にもわたって水の流れに寝食されてできた複雑なひびのために、岩たちは中国の学者が瞑想を促すために書斎においた賢者の石のように見える。ノグチはチェースの庭園を『ぼくの龍安寺』と呼んだ。あの禅寺の庭のようにチェースの岩たちは島に見える。」さらに次のプロジェクトは、興行主であったビリー・ローズの依頼で、「エルサレムに建設中の新しい国立博物館わきに彫刻庭園をつくることについてノグチに接触してきた。」とありました。そこでノグチはこんなことを言っています。「『ほんとうにどこにも帰属せず、未来永劫途切れることなく国を追われている人としてのユダヤ人にはいつも惹かれてきた。アーティストとはそんなふうに感じるものなのだ』1965年に完成したとき、ビリー・ローズ彫刻庭園はノグチがもっとも誇りに思う成果のひとつとなった。~略~擁壁に内包される大地は『大きな翼』あるいは『大きな船の舳先のよう』になるだろうと書いている。道や通路はなく『砂利と樹木の自由なエリアだけ』。彫刻自体の配置が空間を規定する。ここでもまた、ノグチは『静謐と観照』のための場所をつくりたがった。~略~ノグチは、庭園は彫刻をおくために意図されているが、たとえその彫刻が加えられなくても意味をもち、イスラエル人だけではなくすべての人に帰属すると書いた。」

イサム・ノグチ 様式の変遷とプリシラ

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第36章「変化したヴィジョン」と第37章「プリシラ」のまとめを行います。1958年に米国に戻ったノグチは新たな表現方法を模索しました。「アルミニウムを折り、穴を開けることでノグチは奥行き感と量感を創出した。この方法は、1940年代のスラブ彫刻、そして折り紙と多くの共通点をもつ。それはまるで、禅寺の庭で半ば地面に埋められ、重力に縛りつけられた岩とは正反対の様式の探求を、ノグチが選んだかのようだった。」また一方で大理石を彫る仕事にも取組み、「変化したヴィジョンに、ぼくはいかにすばやく適応することか。これは触覚的価値の完全に感情的な領域だった。」と自ら語っています。「アルミ彫刻で軽さを探求したことをきっかけとして、ノグチはバルサ材でも仕事をした。~略~バルサ材彫刻最大の《犠牲者》は戦争で破壊された人間の姿をあらわす。ノグチはこの作品について『悲劇は重さの緊張、絡み合う四肢によって暗示される』と書いた。」この時期ノグチは重要なパートナーと出会っていました。「歳月が経つにつれてノグチとプリシラは深い友情を育んでいった。忠誠と相互理解という意味では一種の結婚ともいえる協力関係だった。もっともどちらも実際の結婚は望まなかった。~略~大きな活力、臨機応変の才、組織能力で、プリシラはノグチにとって計り知れない助けとなった。」プリシラの支援を得て、ノグチには大きな仕事が舞い込んできます。「『テキサス彫刻』という名で知られるようになるこのプロジェクトには、ノグチが大きな手間をかけて運び出した灰緑色の花崗岩から彫られた大型の作品二点が含まれる。ノグチはこの二対を一種の門、そして『エネルギー(金はエネルギーだ)の象徴』とみなした。抽象ではあるが、人体を連想させる。二体はプリミティヴなトーテムのように銀行の煉瓦敷きの前庭を見張る。」さらにノグチの活躍は続いていきます。

回遊(遊歩)式庭園について

「ノグチと佐野藤右衛門の最大の闘いは低木をめぐるものだった。佐野は伝統的な『見え隠れ』の考え方に従った。遊歩式庭園の一部は隠され、それから来園者が移動すると姿をあらわす。佐野は庭園の石のいくつかが隠れるような形で低木を配置した。『ぼくの彫刻になにをするんだ』とノグチは視界をさえぎる低木の一本を蹴飛ばしながら怒鳴った。」この一文は「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)より、ユネスコ庭園を造った時の彫刻家イサム・ノグチと日本からやってきた造園家佐野藤右衛門の葛藤を描いています。彫刻と造園、この2つの分野には鑑賞に対する相違があると私も感じています。私の亡父は造園業を営んでいて、数々の庭園を造っていました。私の学生時代は亡父の手伝いに費やされ、造園の考え方を叩きこまれましたが、学校で学んでいた彫刻との圧倒的な違いは、その見え方にありました。彫刻は、西洋の考え方を体現する立体造形で、形態そのものを明快に見せる芸術です。日本庭園には、その代表として回遊(遊歩)式庭園があり、それは歩きながら見え方が変わる風情を楽しむもので、樹木に隠れた池や石などを視点を変えながら味わうのです。それは彫刻と言うより絵画的な要素も含む空間演出ではないかと思うところですが、そこでは全体の構築性はそれほど重要ではなく、寧ろ俄かに差し込む光や影といった刹那を楽しむ要素もあるのです。回遊(遊歩)式庭園は、室町時代の禅寺により造園され、江戸時代には大名に好まれたようで、日本各地に点在しています。私が訪れた回遊(遊歩)式庭園は、兼六園(金沢)、栗林公園(香川)、足立美術館(島根)の他、京都には桂離宮、金閣寺(鹿苑寺)、慈照寺、天龍寺、西芳寺、二条城などがあって、どれも回遊する楽しさを満喫しました。パリのユネスコ庭園にも行きましたが、残念なことがひとつありました。日本庭園は定期的に手入れをしないとその美しさを保てないのです。見え隠れする造形は、それを維持するために放置できない宿命があり、それが証拠に足立美術館の庭園には日常的に職人が入っています。完成された美は、いつまでも完成されない施工によって完璧な美が保たれているのです。

週末 5点目の陶彫成形

今日は酷暑から解放されて凌ぎ易い一日になりました。久しぶりに朝から午後まで工房で過ごし、新作の5点目になる陶彫成形を行ないました。陶彫の制作工程の中で、成形こそが唯一立体を作り上げる工程で、彫刻的に言えば一番面白い作業です。現在作っている新作は単なる直方体に過ぎませんが、それでも立体が立ち上がることに喜びを感じます。新作は今までの作品に比べると、禁欲的な箱型が多く、形態の自由度が少ないと感じます。曲面を排除しているせいで、最近見に行った「きたれ、バウハウス」展のバウハウス・デザインに似た傾向の造形になっているなぁと思います。ただし、あくまでも私が作っているのは彫刻であって日用品ではありません。バウハウスのように日常生活に簡潔なデザインを取り入れて、当時の時代を先取りした様式を私が試しているわけではありません。他の素材ではなく最終コントロールが難しい焼成が必要になる陶土を使って幾何的な直方体を作るのは、素材有効性を無視した困難な道を行くようなものですが、そこに創作物としての緊張度が増すように私は考えているのです。今日も陶土で平らな面を立ち上げ、出来るだけ歪まないような手作業を施しました。今日は酷暑ではなかったのですが、精神的な働きのせいで汗が流れてシャツをびっしょりにしました。今日は久しぶりに10代のスタッフが3人、工房に顔を出しました。2人が美大受験生、1人は文学系の高校生で、それぞれの課題を黙々とやっていました。工房に関わりのある子たちは、昔からおしゃべりではなく、工房で過ごす数時間を自己を見つめて何かしらの表現をしています。現在出入りしている子たちも例外ではありません。そんな私は若いスタッフに気分的に助けられています。暗黙で私の背中を押してくれているように感じるからです。自己表現は実のところ大変なエネルギーを必要としています。満足も得られますが、地道な努力ばかりで、成果を得るのには時間もかかります。それでも美術が好きで彼女たちは集まってくると言っても過言ではありません。また来週末に頑張る予定です。

週末 土練り&RECORD制作

週末になりました。今週から職場での仕事が始まっていて、漸く1週間が経った気分で、今週は長く感じました。職場では職種に関係する論文を書かなければならず、締め切りの金曜日にやっと間に合わせたことが、今週を振り返ると苦しかったなぁと思っています。このNOTE(ブログ)のように思いついたまま気楽に書けるといいのですが、仕事となるとそういうわけにはいきません。序論から本論に繋がるところはどうだったのだろう、まとめとしての考察は月並みなものになってしまったなぁと、自分の役職としての浅はかな思考に嫌悪感さえ覚えます。やっと週末になり、創作活動に頭を切り替えて、新作の陶彫に取り組みました。新作は5点目の陶彫制作に入ることになり、今日はその土練りを行ないました。土練りと明日の成形のためのタタラ作りは、慣れているとはいえ、単純な肉体労働で骨が折れます。炎暑はちょっと落ち着いた感じがありますが、それでも午前中だけで汗が滴り、自宅から持参した水分はカラになりました。午後1時まで頑張って工房にいましたが、今日の最低ラインのノルマを達したところで工房を後にしました。まだまだ夏の暑さは半端ないなぁと感じています。午後は自宅で少々休んでからRECORDの追い込み制作に精を出しました。このところ休日は午前中に陶彫制作を工房でやって、午後からは自宅でRECORD制作をやっています。アクリルガッシュは色別に分けないで大きな箱にバラバラにして入れていますが、足りない色彩が出てきたり、面相筆の機能が落ちたりしていて、毎日やっているといろいろなところに支障が出てきます。RECORDに使う厚紙ボードもうっかりしていると足りなくなります。塵も積もればの諺通り、毎日の実践習慣は大したものだなぁと思わざるを得ません。明日は工房で陶彫成形に励みます。