上野の「国宝 鳥獣戯画のすべて」展

緊急事態宣言が東京に出された時は、上野の東京国立博物館で開催中だった「国宝 鳥獣戯画のすべて」展が中止になり、私は同展を諦めかけていました。今月になって同展が延長されることになり、しかもコンビニに走ってやっとの思いで予約券を手に入れたのでした。展覧会をこんな思いで心待ちにすることは今までなかったことでした。同展はやはり多くの鑑賞者が訪れていましたが、混雑して見られないことはなく、遊歩道に乗って鑑賞する工夫も一興でした。鳥獣戯画の一部分は前にも見たことがあり、修復が終わった甲巻を味わった記憶があります。今回は有名な甲巻に加えて趣の異なる乙巻、丙巻、丁巻が展示され、全長44メートルに達する絵巻物全てが見られる貴重な機会と言えました。新たな発見は断簡と模本で、抜けた画面を掛軸に仕立て直したものが断簡、断簡となる前の順序や失われた画面を確認できるものが模本で、私にとって初めて見るものばかりでした。同展には立派な図録が用意されていて、図録による解説も大変参考になりました。まず甲巻でこんな文章がありました。「全体的な傾向としては、前半は動物を観念的に描いているような印象を受けるのに対し、後半は実際の観察にもとづく描写という感じを受けます。」次に乙巻は前半を日本動物編、後半を異国動物・霊獣編と分けていて「『異国動物・霊獣編』は日本にいない動物なので、絵師は何らかの手本や粉本を参考にして描いたはずです。知らない動物の形態を間違って描かないよう、先行図様に忠実に、なぞるかのように引いた結果が、こうした線の違いに表われていると考えられます。」とありました。丙巻では表裏にあった人物戯画と動物戯画の話に私は注目しました。「近年行われた解体修理の際、もともと紙の表裏に描かれていたものを、紙を薄く剝いでつなぎ合わせたのが現在の形だということが明らかになりました。」丁巻は人物中心で「甲巻、丙巻動物戯画で動物たちの行動は人間が行う儀式や遊戯の『見立て』でしたが、丁巻ではそれを再び人間の姿に戻すという二重のパロディを描くことで、きわめて諧謔的な画面を作っているわけです。」とありました。(解説は全て土屋貴裕著)私は自身の好みで言えば人物より動物の戯画化が面白くて、とりわけ軽妙洒脱な蛙の表現に惹かれてしまいます。日本人は平安時代より可愛いキャラクターが好きで、今も隆盛を極めるご当地キャラクターの原点がここにあったのではないかと思いました。京都の高山時に伝わる鳥獣戯画ですが、明恵上人坐像や明恵上人が可愛がっていた子犬の木像もあり、しかも明恵上人が著した夢の記録もあって、高山寺ゆかりのものに不思議な現代性を感じてしまったのは私だけでしょうか。

牟礼の地に思いを馳せて…

東京都美術館で開催されている「イサム・ノグチ 発見の道」展。この表現の多様性に富む芸術家が歩いた「発見の道」を辿る本展は、彼の最終的な到達点はどこにあるのか、私は薄々到達点を感じながら展覧会場を見て回っていました。その到達点は香川県牟礼にあるイサムノグチ庭園美術館にあることが分かっていたからです。私は過去に二度、イサムノグチ庭園美術館を訪れ、石壁サークルに足を踏み入れています。その時の何ともいえない解放感と空間に対する高揚感は決して忘れられるものではなく、自分の創作活動が暗礁に乗り上げてしまった時に、度々石壁サークルを思い出しています。本展企画に関わったと思われる学芸員の文章が図録にありました。「四季それぞれの味わいのなか、天候によって環境の印象は大きく変わる。雨の日は空間全体の静寂がより一層深まるようで、その風情は格別である。石の彫刻も、光の変化にあわせ、驚くほどの変貌をみせる。地面には象牙色の粒子の揃った砂利が撒かれており、天気の良い日はその穏やかな反射する光が心地よい。~略~瀬戸内の気候は穏やかで、夏の野外での制作こそ難儀だったが、千変万化する自然の要素は制作に無限のニュアンスを付け加えてくれるようで、自然と同化する感覚を与えてくれる環境は桃源郷に等しいものに思えた。彫刻の本質とは、空間の認識であると考えていたノグチにとって、自然と照応しあいながら調和する可能性を秘めた環境こそ、長年求めていたものであった。牟礼は『約束の地』のような場所だったのである。~略~自然との対話の要諦は、自分に向かう意識ではなく、世界へと眼を向けつつ、己が消えていくことにある。ノグチは強烈な自我の持ち主であり、そのことへの自負もあった。だがときにそれが創造への足枷になることも理解していた。牟礼の空間を自然との対話に相応しいー自らが消えてしまうことのできるー自立した器にすることが何よりも重要だったのだ。素晴らしい条件は揃っている。しかし自然が自然のままであるうちは何も始まらない。ノグチにとって環境を整えることは制作と同義である。自然と交わり、新しい命を育むための母胎というべき作品=アトリエをノグチはつくりあげた。」(中原淳行著)そこで作り上げた石彫の数々は素材を生かした表現を探り、石材の割れ肌をそのままにした作品が並んでいます。しかも石壁サークルに存在する全ての作品がひとつの宇宙を形成していて、お互いが響き合う関係は、不思議な境地に私を導いてくれます。牟礼の地に思いを馳せる時、私には創造行為の活力が沸いてくるのを感じるのです。

上野の「イサム・ノグチ 発見の道」展

先々週、家内と東京上野にある東京都美術館で開催中の「イサム・ノグチ 発見の道」展に行って来ました。私は彫刻家イサム・ノグチに関する書籍はほとんど読み漁り、日本にある作品もよく見ています。言わば旧知の作品ばかりが展示されているのかなぁと思っていたら、海外からも作品が来日していて、大変見応えのある展覧会になっていました。本展で目を見張ったのは展示の演出で、入口に数多くの「あかり」を集中して吊るしてあったのには驚きました。立体の配置にも気が配られていて、照明の効果も抜群でした。空間造形にはそうした張り詰めた空気感が重要で、広い室内のところどころに置かれた立体同士が心地よい緊張感を醸し出していました。何度見てもノグチ・ワールドには学ぶべき要素があると感じました。センスの良い図録を手に入れ、隅々まで読んで、展覧会の感動を新たにしました。「22歳のイサムが出会ったときのブランクーシはすでに晩年で、癇癪もちの頑固なオヤジになっていた。イサムは『窓の外を見るな』『もっと集中しろ』と怒鳴られながら、ときどきアフリカ音楽のレコードを聴かされたり、チベットの聖人ミラレバの話をされたりした。イサムはこの厭世的で、ちょっぴり聖者めいたおやじが好きで、1949年にも会っている。しかしながらイサムの彫刻はブランクーシとはまったく異なっていた。ブランクーシは外から内に向かったのだが、イサムは内から外に向かったのだ。外発を好まず、できるかぎり石の内発力を見いだそうとした。そのことはイサムに『空間』を近寄せた。」(松岡正剛著)また世界的建築家が寄せた文章にこんな内容がありました。「『見切りをつけるのが難しい』。しばしば耳にしたイサムさんの言葉だ。『石はいじりすぎると死んでしまう…素材も自然も殺さぬように…』。そう言いながら、牟礼のアトリエで、クイーンズの庭園で、ご自身の作品を愛しむように撫でられていた。イサムさんの作品にはいわゆる作家の刻印がなされていないことが少なくないという。依頼を受けたものではない場合は、作品を手放さずに手元に置いて、気になれば手を加え、またしばらくして気が付いたら手を加え、といつまでも創作の手を止めないからだ。」(安藤忠雄著)そうした完成かどうかの境界を逸した作品が牟礼の庭園美術館に数多く置かれています。ひとつの石にも粗肌のまま残された部分と手の入った部分があって、そこには未完の美が宿っていると私は感受しました。石材を石の素材あるがままの状態にして置くこと、それはもはや西洋の彫刻概念ではなく、日本の庭園に近づいているように思えます。本展を眺めていると気持ちが香川県牟礼に飛んでいきそうになりました。

東京の自衛隊大規模接種センターへ…

新型コロナウイルス感染症のワクチン接種が始まり、私は65歳になっていたので、既に接種券や予診票が横浜市から送られてきていました。すぐに地元の横浜市のワクチン接種に関するネットにアクセスして、何度か予約を取ろうと試みましたが、なかなか上手くいかず、これはどうしたものだろうと思っていました。私よりも高齢の方々が優先されるのかなぁと思いつつ、横浜市で接種することは諦めて、テレビで知った東京都千代田区大手町にある自衛隊東京大規模接種センターにネットからアクセスして、予約を試みたところ、すぐに日程が決定しました。ホッと胸を撫で下ろし、家内にも予約を勧めました。家内は土曜日にワクチン接種に大手町まで出かけます。近隣の人たちにそれを話したところ、東京の大手町まで出かけることに躊躇する人が多かったのが実情です。私も家内も東京の美術館や博物館に出かけることが多く、おまけに私は銀座のギャラリーで毎年個展をやっている関係で東京が至って身近なのです。東京駅丸の内口から無料の送迎バスが出ていることを知り、これは案外楽かもしれないと思いました。今日の予約は昼12時からだったので、余裕を持って自宅を出ました。11時半に現地に到着しましたが、手続きや問診があって、30分程度早く動いて良かったと思いました。受付から流れるように案内され、建物の10階にある接種場所までスムーズに移動しました。テレビで見ていると、注射器の針が深く入っていくことに嫌な思いを持ちましたが、実際は不思議と痛くはなく、あっという間に終わりました。次の受付で2回目の接種日時を決めて、待機場所に案内されました。15分はそこで様子を見ることになるのですが、自分の待機時間が1分刻みに記録されていて、その時刻になるとアナウンスがあり、即座に建物から外に出されました。周囲を見渡すと自衛隊大規模接種センターは皇居の近くにあり、私がよく出かける国立近代美術館の傍にあることが判明しました。案内の人たちは親切で分かり易く、会場内で迷うことはありませんでした。帰路も送迎バスで東京駅まで送られてきました。横浜から東京までという距離を何とも思わなければ、大変効率的でストレスの少ない会場だったと思いました。

平塚の「川瀬巴水展」

先日閉幕した展覧会を取り上げるのは、自分の本意ではありませんが、展覧会の詳しい感想を述べたくてアップすることにしました。画家川瀬巴水のまとまった仕事を見たのは、私にとって初めてではないかと思います。川瀬巴水は1883年(明治16年)から1957年(昭和32年)まで活躍した大正・昭和期の浮世絵師、版画家です。ネットによると「川瀬巴水は、衰退した日本の浮世絵版画を復興すべく吉田博らとともに新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物として知られる。近代風景版画の第一人者であり、日本各地を旅行し旅先で写生した絵を原画とした版画作品を数多く発表、日本的な美しい風景を叙情豊かに表現し『旅情詩人』『旅の版画家』『昭和の広重』などと呼ばれる。アメリカの鑑定家ロバート・ミューラーの紹介によって欧米で広く知られ、国内よりもむしろ海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気がある。」とありました。浮世絵の版画技法を最近まで持続し、美しい風景を数多く描いた画家として私も川瀬巴水を記憶していましたが、私はどちらかというと雑誌に掲載された挿絵としての世界をよく知っていて、オリジナルの版画を見たことはありませんでした。今回の展覧会で数多くの風景版画を拝見し、その全体構成や表現の豊かさを知りました。その整いすぎた画面に巧みな技法を見取りましたが、私個人としては印象に強く残ることはありませんでした。確かに情緒豊かな風景描写は海外で人気があったのは頷けました。展覧会の閉幕前だったせいか、訪れる鑑賞者が大変多く、また理解し易い画風なために熱心に画面に見入っている人もいました。同じ美術館で開催されていた彫刻家柳原義達の精神性に圧倒されていたためか、川瀬巴水の完成度の高さに今ひとつピンとこないものを感じてしまいました。それでも日本が世界に誇る浮世絵技法を余すところなく伝承してきた川瀬巴水の世界は、多くの人に感動を与えるものであったと思っています。

週末 新作の陶彫彫り込み加飾

今日は朝から美大受験生2人が工房に来ていました。私が週末であるのを意識できるところは彼女たちが来ているかどうかだなぁと思っています。工房での作業は週末だからといって私には特別でなくなっているため、人の出入りがケジメになっています。今日は昨日の梱包作業とは打って変わり、来年に向けた新作の取り組みをやることにしました。創作活動は気分の高揚があり、一日が短く感じられます。新作はまず陶彫部品第1号を作るところから始めていて、現在はかなり大きめな陶彫成形に挑んでいます。陶彫は最終工程に焼成があるため、立体を無垢で作ることが出来ず、立体の内側は刳り貫いた空間を内包しているのです。つまりがらんどうです。そうするためにタタラを立ち上げ、内外から紐作りで補強をして立体の景観を保たせていると言えます。陶芸と違い、陶彫は無理を強いる立体であるために、乾燥の段階や焼成で罅割れが生じることもあります。古来、轆轤でひく器はつくづく割れ難い形態をしていて、理に叶った制作方法を採っています。それに比べて陶彫は土偶や埴輪に見られるように罅割れが頻繁に生じています。私の陶彫もその難しい条件を満たして成り立つ表現だろうと思っています。土偶や埴輪には表面に文様を彫り込んだものがあり、その加飾が作品の表現をいっそう高めているように感じます。私の陶彫も同じです。彫り込み加飾には立体としての構造作為はありませんが、立体の持つ方向性を決定する重要な役割があります。陶土表面を削ったり、部分的に彫り込んで、文様を浮き彫りにする作業で、これがあるために私はやや厚めにした陶土で成形をしているのです。成形が彫刻的作業であるならば、彫り込み加飾は工芸的作業です。今日は新作の彫り込み加飾にほとんど一日を費やしました。新作の文様は三角形を基調とするものに決め、彫り込みをした箇所のところどころに三角形の穴を開けました。この効果は立体に軽みを齎せ、イメージの源泉である崩れかけたカタチを表現として採り入れることになると考えました。夕方、受験生2人を家の近くまで車で送って工房を後にしました。

週末 円形土台の梱包

週末になりました。私はウィークディもずっと工房で過ごしているので、週末の気分はありませんが、一応週末には個展準備の動向を書いていくことにしました。「発掘~盤景~」の円形土台は20点のパーツから成り立っています。その一つひとつの表面に砂マチエールを施し、油絵の具を滲み込ませています。裏側は黒色の防腐剤を塗ってあります。さらに裏側には番号のついた和紙が貼ってあります。和紙には印が押してあって、これが今年の新作であることを証明しているのです。今日はまずその円形土台の梱包をやりました。梱包は工事用ビニールシートにエアキャップを貼りつけ、円形土台の表面を保護しています。砂マチエールは乾燥すれば強固になりますが、そこに絵画性もあるので、外部の衝撃に備えるためにこうした梱包が必要なのです。昼ごろになってエアキャップが足りなくなり、工房近くの日用雑貨店に行って太巻きのエアキャップを2本購入してきました。この梱包は何とか今日一日で終わらせようと夕方まで作業をしていました。円形土台の梱包が終わらなければ、陶彫部品を収納する木箱作りに進めないからです。梱包は飽きのくる作業ですが、やらなければならない作業でもあるので、今日のところは腰を入れて頑張りました。自分のへの褒美として来年の新作を始めていて、明日はこれに取り組もうと思っています。

平塚の「柳原義達展」

コロナ渦の影響で、最近は展覧会が閉幕するまで行こうかどうしようか迷っている傾向があり、また急遽思い立って展覧会に出かけるため、僅かな日程を残した状態でNOTE(ブログ)にアップすることが少なくありません。今日出かけた平塚市美術館も例外ではなく、戦後日本の彫刻を牽引した彫刻家柳原義達の大掛かりな展覧会を漸く見ることができたと実感しています。平塚市美術館では併せて「川瀬巴水展」を開催しており、こちらの方は展覧会閉幕後に詳しい感想を述べさせていただくことをお許し願えればと思っています。彫刻家柳原義達は、私が間接的に知っていた作家で、そこに弟子入りしていた石彫家中島修さんを通じて話を伺う機会があったのでした。師匠も弟子も故人となってしまった今は、真意を確かめようもありませんが、オーストリア在住の中島さんに師匠が亡くなった折にドナウ河に散骨をお願いしたエピソードがあります。それほど師弟関係が密接だったことが分かりますが、私にも他の巨匠に比べれば身近な彫刻家だった気がしています。さて、柳原ワールドに久しぶりに接して、全作品を通じて生命を謳いあげた表現に写実を超えた深い造形的思索を感じました。柳原ワールドは大きく分けて2つのシリーズがあります。人体塑像を中心とした「犬の唄」シリーズと、鴉や鳩をモティーフにした「道標」シリーズです。どちらも独特な量感把握が見られ、人間も鳥も二本の足で立つバランスを生命の証として存在を示しているように感じられました。まるで紙に描写用具で塑造しているようなデッサンにも惹きつけられました。図録の代わりとして購入した著書にこんな一文がありました。「戦後まもなく私は、私の主題となった『犬の唄』を作った。普遍戦争に敗北したフランス人の反省と同時にレジスタンスの精神は犬の姿をかりて、柔軟・抵抗という矛盾をあるときはシャンソンに、あるときは舞台に表現し、やるせない感情としてそれは市民の心をゆさぶった。画家ドガの、舞台でうたうシャンソン娘の犬の唄の絵は、同様にその心をうたっているのだろう。」次に登場してくるのが「道標」です。「主に烏をあしらっている。田舎に残っている道しるべ、それは道祖神かも知れない、火の見櫓かもしれない、お地蔵さまであってもよい、そこに烏のあのとぼけたような、たくましいような、孤独かと思えば人里にすむ、そんな烏が飛んで来て頭にとまり、次の目標に飛んでいく、あのありふれた風景を私は『道標』という主題として選んだ。烏は私かもしれない、少なくとも私の願う庶民的人間像である。」その著書に関しては別の稿を起こしたいと思います。

6月RECORDは「流転の因」

雨が降れば河川が氾濫し、豪雨ともなれば逆巻く波に家屋が呑み込まれていく場面を何度となく最近の報道で見ています。梅雨の季節になれば水害による悲惨な状況をつい考えてしまうのは私だけではないはずです。梅雨に入るのはいつ頃でしょうか。今は真夏のような暑い毎日が続いていて、工房に篭っていると熱中症が心配になります。最近はどうも気候がおかしくなっているようで、雨が降ればゲリラ豪雨になる可能性も否めません。今月のRECORDはそんな気候の変化を取り上げて作品化しようと思っています。RECORDは写実性を控えて、象徴として簡素化して作品にまとめてみようと考えていて、豪雨が齎す河川の氾濫も単純な線と面に集約していくつもりです。第二次大戦で爆撃を受けたスペインの街ゲルニカを描いたピカソの大作を見て、象徴的なカタチが、鑑賞する人間に与える衝撃によって、より鮮明で胸が抉り取られるような気分になることがありました。豪雨による被害状況も、人災と自然災害の違いはあれど、ゲルニカに匹敵するインパクトを私は感じています。6月のRECORDのテーマを「流転の因」としたのはそうした災害のことを何かしら表現したいと思ったからです。RECORDは一日1点ずつ小さな平面作品を作り上げていくもので、一日の気候変動を描くのには相応しい媒体ですが、何年も前から5日間で展開する方法を考えていて、その時その状況を描くことに距離をおいてしまい、その都度時事問題を描くことにはなりません。それでも大きく捉えれば、気分としてその時の状況に沿っているとも思っています。私はデザイン性が優先する癖があり、バランスよく綺麗にまとめてしまうので、テーマの内容をよく吟味しながら、制作を進めていきたいと思っています。

2つの新しい印を作る

石による印材に自分の名前を自ら彫り、新しい作品が完成した時に裏側に印を貼っていくのが、私が今まで続けてきた方法です。私の作品が集合彫刻で陶彫や木材で成り立っているため、その組み立てにそれぞれの部品に番号が必要であり、サインの変わりになるものも必要となるため、新作には常に新しいデザインの印を併せて作り、小さな和紙に押印し、そこに番号をつけていくのです。番号つきの印はそれぞれ部品の見えない部分に貼るので、作品の完成後も裏方としての手間はかかります。ただし、印の創作も結構面白いので、今も継続している次第です。印材はサイズに大小あり、画材店でまとめて購入しています。元来、印は書に押す落款ですが、私は様式に対する拘りはなく、寧ろ極小の抽象絵画と思っていて、自分の氏名を自由にデザインしています。時に篆刻でやってみたり、アルファベット表記でやってみたりするだけでなく、自分の氏名を崩しすぎてよく分からない世界を作ってしまうこともあります。RECORDは一日1点ずつ作っている小さな平面作品なので、一年に1回小さな印を作り、年間を通じてその印を右下に押しています。その印によって制作した年がわかるようにしているのです。大きな彫刻作品には毎回新しい印を作っていますが、「陶紋」としてシリーズ化している小作品は、どれも同じ印を用い、番号も通し番号にしています。私は嘗て教壇に立っていた頃、印刻を教材として扱っていました。私が最初に試みた印は教材研究として作ったもので、篆書を基に陽刻と陰刻を織り交ぜた氏名印を彫りました。その頃、生徒には文字は篆書のみで行うように強制していましたが、やがて自由な発想を取り入れるようになり、教壇を去る頃には印刻はカリキュラムから外してしまいました。印刻自体の発展性と学びの柔軟性に疑問を感じたからこのカリキュラムを止めてしまったのですが、私自身は自分の制作を継続していて、画材店でさまざまな石材を購入して楽しんでいました。教職の合間の休憩時間に印を彫っていると、とても良い気分転換になりました。新作の彫刻作品の裏側に印を貼るという発想の前から、私は印に親しんでいたことになります。今回は「発掘~盤景~」と「構築~視座~」の2つの印を彫っています。

新作の陶彫部品第1号

このところ現行作品の梱包を続けていますが、この単純作業だけでは飽きるので、来年に向けて新しい作品も同時に作り始めています。来年の作品も陶彫部品を組み合わせて集合彫刻として見せるもので、木材とのコラボレーションも考えています。全体のイメージはまだ明確ではありませんが、こんなことを試してみようと思っていることがあって、まず最初の陶彫部品を作ってみることにしました。現行の「発掘~盤景~」は直方体を基本にした陶彫部品を数多く作りました。モノによっては2段重ねや3段重ねがあり、重層化された空間を作っています。来年の新作も同じ方法を取りますが、形態は不定形で有機的なモノです。ただし、来年の作品の見せ場は崩壊にあります。どこまで作り上げたモノを崩していくのか、マッス(量)を部分的に取り除くことで、さらに大きな空間が獲得できないものか、今月に入って頭の中で思索を続けています。ただし、今日作り上げた陶彫成形はかなり大きなもので、窯の容量いっぱいに設定しました。成形されたモノには穴を空けていきます。この穴に意味を持たせようとしています。彫り込み加飾はこれからですが、この陶彫部品第1号には全体の方向性を決めていく重要な役割があるのです。全体の中のたかが1点、されど1点が良し悪しを決定すると言っても過言ではありません。欠落した部分があるからこそ美しい、それは意図したものでなくて偶然に美がそこに留まった状況なのかもしれません。全部を作ってしまうと退屈してしまう、そんな歴史上の美術作品を私は多く見てきました。途中で止めてしまった作品、壊れかけた作品に不思議な面白味を感じ、これは意図して作れるものではないなぁと思いを巡らせながら、自分の考えをまとめようとしています。師匠の池田宗弘先生の真鍮直付けの作品にも完璧ではない形態があり、そこに美が宿っています。それに対し池田先生の説明はありません。作り込むところと放っておくところを考えながら、斬新な空間の追求をしているのかなぁと自己解釈をしていますが、果たしてどうでしょうか。細工をするべきか、そこまで作らない状態で放置すべきか、その場の判断でやっていくしかないと思っています。ともかく今日は新作の陶彫部品第1号を試みました。

新宿の「モンドリアン展」

先日、見に行った東京新宿のSOMPO美術館で開催されていた「モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて」の詳しい感想を述べさせていただきます。展覧会は既に終わっていて、広報を兼ねてNOTE(ブログ)にアップする意図は外れてしまい、そこは御容赦願えればと思いますが、久しぶりに見たモンドリアンの世界観を伝えたくて書くことにしました。画家の本名はピーテル・コルネリス・モンドリアンでオランダ人です。父はアマチュア画家でプロテスタント系学校の校長を務めていたそうで、私は親近感を覚えました。初期の風景画からあの簡潔なスタイルの抽象絵画に発展した要素はどこにあったのか、私は眼を凝らしながら見て廻り、風景画にあった地平線や水平線がその要素と見えなくもないと思っていましたが、図録でこんな文章を発見しました。「モンドリアンの風景を通覧するとき、自然的描写、神智学的スピリチュアリズム、あるいは点描風など、描画においての様式の変化は時代時代にあれども、やはり目につくのは、強固なまでの地平ないし水平への意識であろう。」(鈴木俊晴著)やはり、そうかと思って、私が感じた単なる思いつきではない抽象化を、神智学の感化を受けて求めた純粋な絵画であることが今回の展覧会で再認識できました。オランダから仏のパリに出て、さらに渡米したモンドリアンが、自らのアトリエも絵画的構成要素に応じたものに室内を変えたこともあり、制作する環境に画家が自己表現を投影すべく拘っていたことが分かりました。「より重要なことは、モンドリアンのアトリエの内装が、気を配って工夫し適切に整えられると、もはや建築内の応用というだけではなく、一つの空間の完全な変容になり得るという事実が明らかになったことである。私的空間(アトリエはそもそもそうであるが)が公的空間として提示されるという条件のもと、私的空間は特別な、ほとんど神聖な意義を帯びるのである。このアトリエは、あたかも人が絵画の中で生活できることを立証するために存在するようである。このことで、モンドリアンは、今日までのデザイナーや建築家の中での特別な地位にいることができるのである。」(ベンノ・テンペル著)モンドリアンが求めた純粋な絵画は、全てを削ぎ落とした 完全なる抽象であり、その人工的な美は今も色褪せることがないと私は実感しました。

週末 来年の新作への第一歩

このところ7月の個展に向けて作品の梱包を始めていますが、梱包は創作活動ではないため忽ち退屈してしまい、一日の時間のうちに何か工夫を凝らさなければならないと実感しています。そこで、梱包作業と併行して来年の新作へ向けて第一歩を踏み出すことにしました。私は現行の作品が完成すると、間髪をいれずに次の作品に取り組む習慣があります。そこに休憩は入れず、休憩は新作がある程度進んだところで取るのです。作品が完成したところで休憩を取ってしまうと、次の展開に弾みがつかないし、モチベーションも下がってしまうからです。新作のイメージはまだ朧気ですが、まずは陶彫部品ひとつを作ってみて、イメージの明確化を図ります。何か作ってみないと分からないというのが私の新作に対するアプローチで、頭の中だけではなかなかまとまらないのです。紙上でエスキースを試みるのもひとつの手段ですが、私の場合は描くことに拘ってしまい、立体の捉えとしては間接的になってしまうなぁと思っています。そこで今日は土錬機を使って、いつもの混合陶土を作り、座布団大のタタラを準備するところから始めました。イメージが見えている断片的なところだけ具現化してみようと思っていて、そこから発展していけたらいいなぁと思っています。陶彫部品をブロックのように積んでいくのは「発掘~盤景~」と同じですが、形態は矩形ではありません。不定形なイメージがありますが、ブロックを積んでいくのであれば、上面は平らにしておく必要があります。2段目はかなり崩れた形態にしようと思っていますが、果たして上手くいくでしょうか。明日試しに成形をしてみようと思っています。今日は先日の撮影を手伝ってくれた2人の高校生がやってきて、美大受験用のデッサンをやっていました。若い子たちが工房に出入りするのは活気が出ていいことだと感じます。夕方になって彼女たちを車で送っていきました。

週末 梱包準備

先日、個展の図録用の写真撮影が終わり、出品する作品をいよいよ梱包していく作業に入りました。週末のNOTE(ブログ)には週末だけの内容に限らず、この1週間の制作状況も書いていこうと思っていて、撮影後の作品の補填について触れていきます。まず20点で構成する円形土台ですが、表面の砂マチエールと油絵の具が固まったので、裏面の塗装に入りました。展示には見えない部分ですが、防腐効果も含めて塗装していくのです。20点もあると時間がかかり、数日間も費やしてしまいました。「発掘~盤景~」の土台と「構築~視座~」に関しては、作業用ビニールシートにエアキャップを貼り付けて、それぞれの部品を包むようにしています。素材は木なので、エアキャップで物が当たる衝撃を抑えているのです。「発掘~盤景~」の陶彫部品は木箱を作って部品ごとに収めていきます。どのくらいの木箱が必要なのか、その都度ベニア板と垂木をカットしながら木箱を増やしていこうと思っています。毎年私は梱包には時間をかけています。作品は早々売れるものではないし、個展の後も相原工房の倉庫で保存していくため、作品を小分けにして保管がやり易いようにしているのです。ここ2,3年前の作品からロフトに上げて保管しています。リフトに乗せて中2階に上げるのですが、これにも手間がかかります。彫刻は重量があるし、場所をとるし、時間もかかるので厄介な表現方法と言わざるを得ません。画家やデザイナーに比べて彫刻家が極めて少ない理由がここにあります。それでも先日見に行った「イサム・ノグチ 発見の道」展を思い返すと、空間造形の魅力に抗うことなど出来ずに、心底惹かれてしまうのです。作品に照明が当てられ、床に陰影が落ちると、ゾクゾクするのは私だけではないはずです。空間を支配する実材の存在感があればこそ、厄介な表現方法でも受け入れてしまうのだと思っています。梱包は退屈な作業で、それでもやらなければならない作業ですが、明日から工夫をして梱包を続けたいと思います。

再開した展覧会を巡り歩いた一日

コロナ渦の中、東京都で緊急事態宣言が出され、先月までは多くの美術館が休館をしておりました。緊急事態宣言は6月も延長されていますが、美術館が漸く再開し、見たかった展覧会をチェックすることが出来ました。展示期間を延長した展覧会もあれば、期間はそのままで、再開しても僅かな日程を残すだけの展覧会もありました。そうした展覧会には早々にネットで予約を入れ、何とか閉幕までに足を運びたいと願いました。そのひとつが新宿のSOMPO美術館で開催中の「モンドリアン 純粋な絵画をもとめて」展で、家内と私が同美術館を訪れたときは、チケットは完売しておりました。それもそのはず6月1日から再開して僅か6日間だけという短期間だったので、私たちのネット予約は運が良かったと言わざるを得ません。今日は抽象絵画のパイオニアであるモンドリアンの作品に久しぶりに触れて、その簡潔な美に心地よさを感じました。モンドリアンの初期の風景画も数多く展示され、やがて1917年に結成された「デ・ステイル」の基本理念となる直線と限定された色面による構成は、初期風景画から脈々と続くものとして理解しました。詳しい感想を後日書きますが、展覧会閉幕後になってしまうことをご了承ください。その後、上野に向かった私たちは再開した東京都美術館で「イサム・ノグチ 発見の道」展を見てきました。同展は8月まで開催しているので、予約には余裕がありました。彫刻家イサム・ノグチは私のNOTE(ブログ)に頻繁に登場する芸術家で、その作品を幾度となく見てきましたが、今回の展覧会で目を見張ったのはその演出方法で、展覧会主催者の企画力が充分発揮された展示に新たな感動が甦りました。もちろん初めて見る作品もありましたが、旧知の作品が展示ひとつでこんなに変わるものかという好例を味わいました。これは空間造形のもつ大きな特徴で、置かれる場所によって印象が変わることに、同じ彫刻を作る私としては勇気をもらいました。展示された立体作品は周囲の空気を震撼させる要素があり、私が自分の立体表現を追及することの意味を改めて考えさせられました。これも詳しい感想は後日にいたします。最後に向かったのは銀座のギャラリーせいほうで、7月個展の打合せを画廊主の田中さんとやってきました。私に不安があったとすれば、先日図録用の写真撮影を行った「発掘~盤景~」がギャラリーの空間に収まるかどうかでしたが、何とかカタチを変えずに展示できるサイズであることが分かり、内心ホッとしました。今日は久しぶりに新宿、上野、銀座を回って充実した一日でしたが、結構疲れました。明日からまた工房通いが続きます。

「自己の探究2」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第4章 陶製彫刻と木彫浮彫(1889年と1890年)」の「3 自己の探究2」をまとめます。これには「原初的『自我』と哲学的グロテスク」という副題がついていて、ゴーギャンの制作した《グロテスクな頭部、ゴーギャンの肖像》の背景となるものを考察しています。「ゴーギャンの二つの拮抗する本性、インディオ的な自我と感じ易い自我とが彼を悩まし続けていることが理解されるのである。それは『文明化された自我』と『野蛮な自我』にほかならず、後者は彼が回復したいと願う『原初的な自我』でもあり、『先祖に回帰する自我』でもあった。」そうした中でグロテスク美学が登場していますが、フランスの詩人ボードレールによって、笑いを絡めた論考が展開されています。これよりボードレールの著作「笑いの本質について、および一般に造形芸術における滑稽について」からの引用になります。「笑いは悪魔的である。ゆえにこれは深く人間的である。これは人間にあって、自らの優越性の観念の帰結である。そして事実、笑いは本質的に人間的なものであるから、本質的に矛盾したものだ、すなわち、笑いは無限な偉大さの徴であると同時に無限な悲惨の徴であって、人間が頭で知っている〈絶対存在者〉との関連においてみれば無限の悲惨、動物たちとの関連においてみれば無限の偉大さということになる。この二つの無限の絶え間ない衝突からこそ、笑いが発生する。」とボードレールは述べていて、さらに「奇想天外な創造物、常識の規範からはその理由も正当化も引き出せないような存在たちが、しばしば、われわれの裡に、気違いじみた、度はずれの可笑しさを巻き起こし、これは、腹も裂け気絶せんばかりのとめどもない笑いとなって表出される。」と論じた後、「滑稽」と「グロテスク」の区別を示していました。「滑稽は芸術的見地から見れば、一個の模倣である。グロテスクは、一個の創造である。」本書はゴーギャンの作品に話題を戻し、炻器「海の怪物と水浴女」や「少年の二つの頭部のある壺」についてボードレールの論考を踏まえて考察をしていました。

「自己の探究1」について 

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第4章 陶製彫刻と木彫浮彫(1889年と1890年)」の「2 自己の探究1」をまとめます。これには「感じ易い『自我』とその過去」という副題がついていて、ゴーギャンが自らの内面を見つめ、自己表現を確立するために奮闘していく過程が描かれていました。「1889年に六点の自画像と二点の自刻像を集中して制作したということは、彼にとって当時、自らの内面の追究が大きな問題となっていたことを示している。それは芸術家としてのアイデンティティーと自らの人としての運命の考察であった。その思索は彼に、『インディオ』的なものと、『感じ易さ』という拮抗する二つの本性、すなわち彼の内的矛盾の原点を認識させた。」ゴーギャンはペルーの征服者側に母方の祖先を持っていたので、自分の中にインディオの血が流れていると信じていたようですが、インディオは被征服者側だったので、あるいは誤解があったのかもしれません。感じ易さは父方の祖先であるフランス人の性格に由来していたようです。また、宗教的なテーマでは、元牧師であったファン・ゴッホの造詣にも感化していた傾向が見られました。「信仰のために身を捧げ、捕らえられて斬首された預言者聖ヨハネに対し、音楽の創造行為によって、またトラキアの娘たちに殺された後も歌い続けたオルフェウスは、自己犠牲の芸術家像に容易に結びついた。自刻像壺において確かにゴーギャンは、自らの芸術的信条についての問いかけを行い、芸術家の運命について考察していたと考えることができ、そのとき彼は『殉教した芸術家』像の系譜に連なることを選んだのである。~略~選ばれし人のためのインディオの壺と組み合わされた殉教の芸術家を象徴する自刻像には、一方では英雄的行為を遂行する『自我』の高貴さを、他方では自らのペルー起源の貴族的意識が含意されているであろう。現実世界に生きる人間としての考察と、過去の追憶の支配する想像世界がこうして融合しているのである。」創作活動をする上で、芸術家の端くれである私も自分の生育歴や思考の方向性を考えながら、自己表現に辿り着いた経緯があります。どの芸術家もそうした自分の内面に向かっていくことが少なからずあると私も信じています。作品が説得力を持つのは、単なる思いつきのアイデアや趣向だけで解決できる問題でないと思っています。ゴーギャンのように美術史に残る作品を作り上げた芸術家であるならば尚更自ら問いかけ、悩んだ経緯を持っていると私は考えます。

次のステップに向かう6月

6月になりました。そろそろ入梅が発表されてもおかしくない季節です。6月も今まで同様、工房に勤務時間があるが如く決まった時間に通う予定です。今月やらなければならないことは個展の出品作品の修整補填で、厚板土台20点の裏側塗装と印の貼り付けの作業をまず考えていかなければなりません。印は新しく彫るため創作的に面白い作業ですが、作品の補填にしろ梱包にしろ退屈な作業ばかりなので、今月から来年に向けての新作を始めていこうと思っています。つまり6月は次のステップに向かう1ヶ月になりそうです。次のステップは、まだぼんやりしたイメージがあるだけで、発想が煮詰まってはいませんが、構築物が崩れかけているイメージが見えています。以前、長崎県にある端島(軍艦島)に行って作品のイメージを摑まえたように、廃墟となった工場でも見てくれば明確なイメージが出てくるのではないかと思います。現行作品の補填と梱包をやりながら、次へのステップを模索するのは楽しいと感じるし、またイメージが明確になればその具現化に考えを巡らせるのも気持ちを高揚させるものです。今月の目標としては来年に向けた取り組みを始めることです。今月はRECORDの充実も図りたいと考えております。先月は図録用の撮影があったため、陶彫制作のことで頭が一杯でした。下書きが山積みされているRECORDを今月は何とか解消したいと思います。工房にいる時間を多少削ってもRECORD制作に邁進いたします。一日1点ずつ小さな平面作品を作り上げているRECORDも意欲の灯を消さないように継続していく所存です。RECORDはもう15年近く続いているため、習慣化はしているものの、創作活動はどんな状況でも決して慣れるものではなく、日々取り組む度に新しい発見があります。私の色彩に対する苦手意識の改革に繋がっているとも考えていて、RECORDは自分にとって大事な媒体であることに間違いはありません。読書はゴーギャンの彫刻に関する書籍を読んでいますが、既に後半に入り、今月は新しい書籍に取り組もうと思っています。美術館等の鑑賞は今月こそ出かけていくつもりです。コロナ渦の中で感染対策をしながら、良質な美術作品に触れていきたいと思っています。

新作完成の5月を振り返る

今日で5月が終わります。今月は個展図録用の写真撮影が昨日あったために、これに間に合わせるために夢中になって制作に明け暮れた1ヶ月だったと言えます。31日間のうち工房に行かなかった日は2日だけで、29日間は朝から夕方まで工房に通っていました。3月末まで続いた校長職との二足の草鞋生活が解消されて、自由時間が確保できていたにも関わらず、どうしてこんなに余裕が持てなかったのか、自分でも解せないまま過ごしていました。ともあれ新作「発掘~盤景~」と「構築~視座~」と陶紋4点は何とかカタチになって撮影が出来ました。例年なら新しい印を彫って作品の裏側に貼り付けているのですが、それも出来ないまま撮影日を迎えたことがちょっと残念でした。先月から一日のルーティンが出来上がり、あたかも職場に勤務しているかのように工房に出かけ、時に焦りながら制作に没頭していました。私が20代の頃から夢見た創作活動一本の生活が見え始め、そうした生活に満足を覚えたことも事実で、作品完成に向かう焦りとは別に、大変実りの多い1ヶ月だったと振り返っています。今月は東京都に緊急事態宣言が出されていて、不要不急の外出を控えていたため、気楽な散策も出来ず、また多くの美術館が休館していたために鑑賞に訪れることもなく、映画館にも足を運びませんでした。もっとも前述の通り今月は制作で余裕がなかったのは確かですが、美術館や映画館に行って鑑賞することが、心に豊潤となる何かを与え、またリフレッシュするために大切な機会だということがよく分かりました。来月こそは鑑賞に出かけたいと思っています。一日1点制作をノルマとしているRECORDは、下書きが山積する悪癖が出てしまい、これも焦りを感じております。彫刻の撮影のことばかりが頭の中を巡っていたので、今月のRECORDは雑な下書きばかりが残っています。来月は何とかRECORDも頑張っていきたいと願っています。読書はゴールデンウィーク中に仏像に関する書籍を読み漁り、その後はポスト印象派の芸術家ゴーギャンの立体に関する書籍を読んでいて毎晩楽しく読書時間を過ごしています。ゴーギャンを彫刻家として見なした書籍は、なかなか面白い視点で描かれていて、博士論文としても説得力のあるものです。私が制作の要にしている陶彫は、実はゴーギャンが試作していた事実を知って、ちょっと驚きました。これは来月も継続して読んでいきます。

21’図録用の撮影日

今年の7月に個展で発表する新作の図録を作ることになり、今日がその撮影日になりました。前から決めていた日程だったものの、作品を撮影できるまで仕上げていくのは大変で、この日のために奮闘してきたと言っても過言ではありません。言うなれば作品完成のゴールがこの撮影日だったのでした。ただ今回に関しては修整が厳密には終わっておらず、撮影には影響しない箇所の修整は撮影後にやっていく予定でいます。まず20点の円形を成す土台の裏側の処理がまだで、それぞれに防腐剤を塗っていく必要があります。個展の後も作品は工房に保存していくため、こうした処理は大切なのです。陶彫部品にも罅割れがあり、接着を兼ねてパテで埋めていく必要もあります。新しい印を彫り、番号をつけて作品の裏側に貼っていく作業もこれからです。ともあれこうした裏側の作業を残したまま、今日の撮影に臨みました。工房に来てくれたスタッフは、後輩の木彫家、デザイン専攻の美大生、最近工房に出入りしている3人の高校生で、家内と私を含め7人で作品の設置を行いました。そこに長年付き合いのあるカメラマン2人がいて、合計9人での撮影会になりました。午前11時から午後3時までの間、私にとって幸いだったのは天候で、時より陽射しのある午前中に、野外工房での設置を終えて撮影が出来たことです。というのは「構築~視座~」はテーブルに刳り貫いた文様が、陽差しを受けて面白い影を落とすこともあって、その狙いのために今日は天候を気にしていました。野外での撮影はうまくいったように思います。午後は工房の室内に作品を移動して撮影をしました。毎年のことで撮影会に慣れているとはいうものの、作品の形態が毎年異なるので、その度に新しい発見があります。今日も漸く完成した作品を見て、いろいろなことを考えました。欠点も見えました。それを補うために私は毎年新作を作り続けていると言っても過言ではありません。明日から修整や梱包に入りますが、さらに来年の新作のために第一歩を踏み出すことにもなるのです。手伝ってくれたスタッフに感謝をこめて一日を終えました。午後3時にはスタッフの解散になりましたが、美大生だけが居残って、月曜日に大学に提出する課題をやっていました。深夜11時頃になって課題に見通しがつき、自宅で休んでいた私に連絡がきました。彼女を家まで車で送っていき、長い一日に幕を引きました。夕方から夜にかけて時より強い雨が降っていて、撮影に影響しなかったことが救いでした。

週末 撮影前の作品準備

週末になりました。明日が図録用の写真撮影日で、今日のうちに撮影が出来るところまで作品を完成させていく必要があります。「発掘~盤景~」は陶彫部品が出揃い、20点で円形を構成する土台が何とか終わりました。厚板材を加工して鋭角な二等辺三角形を基本とし、箱状に作り上げた土台は、上部に砂マチエールを施し、さらに油絵の具で彩色し、また絵の具を散らせて陶彫部品の素材感に調和することを求めてきました。円形土台に幾つもの穴を開けていて、そこに陶彫部品が収まる構造になります。以前作った「構築~起源~」の構造と同じで、今回は木材ではなく陶彫部品が林立する架空都市です。昨日は丸一日かけて土台の修整を行い、今日は20点の土台をどう組み合わせていくのか、全体の配置を考えながら、構成を決めていきました。今回は例年のような印に番号をふった和紙の準備が出来ていません。個展搬入前には作品の裏側に印のついた和紙を貼り付けていこうと思っていますが、撮影にはひとまず仮の番号を貼ることにしました。全体構成はその番号に関わる順番を決めることもあり、作品そのものの価値を決定する重要な要素です。朝から家内に手伝ってもらって、土台ひとつひとつを野外に出して、円形を構成してみました。主だった陶彫部品をそれぞれの穴に収めてバランスを見ました。明日の撮影がスムーズに運ぶための準備ですが、家内と私だけで設置したせいか、午後は疲労が溜まり、なかなか辛いものがありました。「構築~視座~」の組み立ても家内に手伝ってもらって、可能な範囲で試しました。漸く2点の大きな作品が見えてきました。実際には明日になって完全に設置していくのですが、ラストの窯出しも何とか間に合ってホッとしました。明日は多くの人たちの手を借りて、今年の完成作品を見ることになります。本当に今日は疲れ果てました。

「状況-ファン・ゴッホとの関わり」について

フランス人の芸術家ゴーギャンの生涯の中で、劇的とも言える一幕があり、そのドラマティックな事件がゴーギャンを美術史とは関係なく、世界的に有名にしたと言ってもよいと思っています。それはオランダ人の画家フィンセント・ファン・ゴッホとのアルルでの共同生活で、2人の芸術家のさまざまな葛藤の中で、ファン・ゴッホが自らの耳を切り落とした事件でした。彼の精神異常を予感させた事件は、少なからずゴーギャンにも影響を与えたことが「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)からも読み取れます。今日から本書の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第4章 陶製彫刻と木彫浮彫(1889年と1890年)」に入り、今回は「1 状況」をまとめます。「状況」には副題がなかったので、私が補いました。「1888年10月23日に始まったアルルでのファン・ゴッホとの共同生活は、12月23日、彼の耳切事件で幕を閉じ、ゴーギャンは3日後にパリに戻った。この劇的事件はファン・ゴッホに甚大な影響を残すことになったが、ゴーギャンにとっても激しい衝撃を与えるものであったに相違なく、パリ到着の2日後の28日、動揺の中、囚人プラドのギロチンの処刑を見物に出かけている。この時期の最初の作品は、耳がなく、あたかも切断したかのように血が流れ落ちる自らの頭部を象った壺である。1889年初頭の陶器作品はこの作品とともに始まり、その悲劇性と象徴主義はこの年の陶器と木彫に共通する特質となる。」こうした中で1889年晩夏、ゴーギャンは「オリーヴ園のキリスト」を描いているが、これはイエスに見立てた自画像で、孤独な芸術家=殉教者像の究極的な表象を生み出したようです。躊躇いながらこれをファン・ゴッホに手紙で知らせると、ファン・ゴッホはかなり憤慨していたことが、次の文章で分かります。「『あの絵には何一つ観察されたものがない。もちろん僕にとって聖書の話をそのまま描くなんてことは論外だ。僕はベルナールとゴーギャンに、思考を表すことがぼくたちの使命であって、夢を描くことは使命ではない。だから彼らが夢に流されていることを絵の中に見て驚いている、と書いて送った』と、弟テオに激しい怒りをぶつけている。」この頃のゴーギャンは失意のどん底にいたようです。そうしたことでゴーギャン自身が自らの探究を始めて、やがて「熱帯のアトリエ」へと導かれていくことになります。

「発掘~盤景~」最後の窯入れ

今月30日(日)に迫った図録用の写真撮影日。そこから逆算すると最後の陶彫部品の焼成をやらないと撮影に間に合わなくなります。残った3点の陶彫部品の乾燥具合を確かめて、昨晩窯入れを行いました。計算上ではこれで全ての陶彫部品が整います。今年は3月末で校長職を退職し、4月と5月は毎日工房で制作していたのですが、完成がギリギリになってしまいました。決して余裕があったわけではないと言うのが実感で、勤めていた頃の予想とは大分異なっていました。3月までは公務員との二足の草鞋生活をやっていたので、その後の2ヶ月間が自由になったところで大きな変化はないのかもしれません。今後はもっと時間が生まれるだろうという予想は立ちますが、果たしていかがなものでしょうか。私の彫刻作品の最大の特徴は陶彫にあります。陶彫は最終的な制作工程に焼成があり、そのために土練から成形に至るまで焼成の成功を祈願して行うものだと言っても過言ではありません。窯の温度は1200度以上に設定しているため、窯入れから窯出しをするまでに3日間を要します。窯の容量もあり、それを計算して陶彫部品が全て揃うように計画するのですが、思い通りに進まない時もあります。本来ならギリギリで間に合うように設定することは危険な賭けと言わざるを得ません。一度失敗すればアウトになるからです。陶彫こそ余裕を見て作らなければならない素材ですが、私の場合は常に危険と隣り合わせです。これは決して楽しめるものではなく、心労が重なる愚かな行為ですが、なかなか改善できないのです。来年こそは余裕をもって完成させたいものです。今日は窯の電気を確保するため、照明等のブレーカーを落としていました。自然光の中で、少しでも明かりをとるために窓辺に作業台を移動して、円形土台の彩色と側面の塗装をやっていました。いつも聴いているラジオもなく、無音の中で只管作業をしていました。あと2日準備を頑張って、図録用撮影に間に合わせたいと思っています。

「木彫」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第3章 彫刻的陶器への発展と民衆的木彫の発見(1887末~1888末)」に入り、今回は「5 木彫」をまとめます。ゴーギャンの立体作品と言えば、レリーフ状の木彫が有名で、そのテーマは南洋での楽園を扱ったものが、私の印象にあります。今回の「5 木彫」はその前段階というべき時代に着目していて、フランスのブルターニュに残る木彫を主題にしていました。彼の地でともに過ごしたエルネスト・ド・シャマイヤールとの関係で、ゴーギャンが木彫を始めた契機が描かれていました。まず、アンドレ・サルモンの文章から拾います。「夏にやって来て『そのまま留まった』芸術家〔ゴーギャン〕に、ブルターニュの昔の『彫り師たち』の芸術を伝えたのはこのかつての代訴人〔シャマイヤール〕である。~略~こうして伝統的なメチエを取得したゴーギャンが、彼に手ほどきをしてくれた者〔シャマイヤール〕に対し逆に教えを施したことは当然であった。なぜなら彼は本質的に師匠であり、一言でいえば、天才芸術家だったからである。」シャマイヤール自身も「小箪笥」や「食器棚」に自ら木彫をやっていて、またゴーギャンに弟子ベルナールとの共同制作「地上の楽園」の依頼もしています。「地上の楽園」のモティーフにはマルティニーク島の自然や風俗を持ち込んでおり、図版によるとゴーギャンらしさの現れたレリーフになっています。「《地上の楽園》にもマルティニークのモティーフが登場していたように、この作品の他にもタイトルやモティーフの中に前年滞在したマルティニークを喚起することによって、重層的なイメージを作り出していることに注目したい。ここでは、裸婦が左手に持った果物と左右のグロテスクな顔が生み出す誘惑のテーマが、タイトルとともに先に引用したところのゴーギャンがマルティニークから妻に送った手紙の一節を想起させる。すなわちそこには、土人の娘が胸の上で押し潰して呪文をかけた果物を食べたら彼女のいいなりにならなければならないという、『土地の習慣』が語られているのである。」

「グロテスク」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第3章 彫刻的陶器への発展と民衆的木彫の発見(1887末~1888末)」に入り、今回は「4 グロテスク」をまとめます。グロテスクとは何でしょうか。ネットによると、グロテスク (grotesque) とは、古代ローマを起源とする異様な人物や動植物等に曲線模様をあしらった美術様式のことで、その奇怪な表現に私は度々魅了されてきました。グロテスクという様式概念も西洋によるものですが、同じようなものは世界各地に見受けられます。ゴーギャンの彫刻を論じた本書では、幅広く世界的にグロテスクを扱うというものではなく、西洋のある時代に限って論考しているのは言うまでもありません。「ルネサンスのグロテスク装飾体系は、左右対称の唐草模様を基本とする古代の壁画装飾に、中世の怪物趣味と北方的滑稽を加味させながら発展してきたのであった。半=人間、半=動物、あるいは半=植物の混種的創造物の不可能な組み合わせ、そして渋面の強調は、グロテスク装飾を、興奮を引き起こす刺激的な装飾様式とした。」また、グロテスクの多義性にも触れた文章がありました。「近年のグロテスク美学の研究が一致して認めているように、グロテスクなるものには両面価値を構成する多義性がある。それは本質的に二重性をもち、滑稽であると同時に脅威でもあり、現実主義的であると同時に幻想的でもあり、現代的であると同時に神話的でもあり、神的であると同時に悪魔的でもあるのである。」ゴーギャンについてのこんな文章もありました。「興味深いことにゴーギャンは晩年、自らの中に潜む善悪の二元性を語りながら、持ち前の『懐疑的な』態度でカテドラルの壁龕の中にいる聖人とともにその屋根の上の樋嘴(ガルグイユ)を語り、この中世の怪物彫刻に対する関心を証している。『忘れがたい怪物たち、私の目はここに生み出された奇怪な怪物たちの体の表面の起伏を怯えずにに追う』。」本書ではゴーギャンと同時代に生きた画家ルドンにも言及していて、グロテスクと同様、怪物なるものも「実のところそれは『普段見慣れていない』ものを見ることのできる想像力をもつ芸術家のみが生み出しうるものなのであった。」

「陶器から彫刻へ」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第3章 彫刻的陶器への発展と民衆的木彫の発見(1887末~1888末)」に入り、今回は「3 陶器から彫刻へ」をまとめます。ゴーギャンの作り出した陶芸の壺に女性塑像が付加された事で、まずこんな文章がありました。「この時期、とりわけ陶器と彫刻の総合としてゴーギャンが新しく試みたのは、人像壺および小像、マスク(人面)あるいは顔全体による装飾のある壺であった。」本書に掲載された画像を見ると、彫刻された女性の顔が、もはや壺に付加されるのではなく、壺の一部をなしているように見えます。続いてこんな文章もありました。「板づくりという陶芸家の手法を用い、壺の体裁をとっているが、胸像と呼ぶにふさわしいものといえる。しかし胸像としてみれば、西洋の人体表現の前提である量塊(マッス)や量感(ヴォリューム)がなく、核心部を欠き、器の表面上で表現される、いわば『中空の彫刻』なのである。」この文章に本書のタイトルが出てきました。ゴーギャンの立体作品の特徴を示す「中空の彫刻」は、壺に付加した装飾によって表されたものでしたが、これは彫刻全体に対して新しい概念を生み出すことになりました。量塊(マッス)や量感(ヴォリューム)がない立体は、まさに20世紀の彫刻の歩みそのものと言えます。「仮想的なヴォリュームをもつ、すなわち彫刻の伝統的なヴォリュメトリックな概念から逸脱した新しい彫刻がここに生み出されていることが知られるのである。それは壺の表面上で展開する平面性、絵画的アプローチによっていた。」さらにこんな文章も引用いたします。「中空の空間を覆う表面上での表現、断片的人体表象、そしてこれらの装飾的構成は、ゴーギャンに不思議な喚起力をもつ創造物を生み出すことを可能にした。レダと白鳥のモティーフが壺の周囲を囲むように配され、各々の側面がつぎつぎと思いがけない場面を繰り広げるため、鑑者は一方向からでは作品の全体を把握できず、周囲を回って鑑賞することを促され、作品の世界に参加するように招かれる。」本書はこの後に続く論考の展開として、器の開口部のもつさまざまな意味にも触れていました。私にとって一番関心を惹いたのは、新しい彫刻の概念がその道を極めた彫刻家からではなく、絵画性の中から見いだされたことでした。西洋彫刻の歩みからすれば、これは大変大きなことと言えます。

週末 「構築~視座~」の彩色

今年の7月個展には2点の大きな作品を出品する予定です。目玉は複数の陶彫部品で構成する「発掘~盤景~」ですが、もうひとつは木彫のみで作った「構築~視座~」です。この作品はテーブル彫刻で、楕円状の卓を4本の木彫した柱で支えています。4本の柱は木彫の鑿跡をそのまま残し、一本一本が蔓のように若干捻りを入れたカタチをしています。大地に這うように構成した「発掘~盤景~」に対し、「構築~視座~」は浮揚感を出してみようと狙った形態です。楕円状の卓には曲線の文様が彫り込んであり、軽くフワっとした感じも出せたらいいなぁと思っています。今日は卓の部分に油絵の具で彩色を施しました。砂マチエールで覆った「発掘~盤景~」の円形土台にも油絵の具の彩色を予定していますが、一足早く「構築~視座~」に色彩を持ち込みました。これは絵画的な作業で、今までも旧作では多用している方法です。私は彫刻としての構造と絵画としての表面処理を併用していて、その双方を空間演出として扱っているのです。今日は朝から2人の美大受験生が来ていたため、「構築~視座~」の彩色は野外で行いました。工事用シートをコンクリートの床面に敷いて、文様を彫り込んだ卓を置きました。絵の具を丹念に塗りましたが、太陽の日差しが強い中で行った作業は、なかなか厳しいものがありました。普段から野外で制作しているなら気候に慣れているかもしれませんんが、私は屋内での制作が中心なので、直接陽射しを受けることは今までありませんでした。今日は好天に恵まれ、風も少ないことから野外制作に踏み切りましたが、野外にいるだけで結構疲れてしまいました。野外制作はこれだけにして、残りの部分は何とか屋内で出来るように工夫をしていくつもりです。図録用の撮影日まで残り7日間、来週の日曜日までは連日制作していくつもりでいます。

週末 土台の完成に向けて

公務員を退職してから週末の意識が薄れてきていますが、NOTE(ブログ)のタイトルには週末を明記して、新作の制作状況を書いていきます。まず「発掘~盤景~」は陶彫部品の制作が既に終わって、窯入れの順番を待っている状態です。小品である「陶紋」の残り2点の乾燥状態が心配ですが、撮影日ギリギリまで窯入れを待ってみようと思います。ここ数日は「発掘~盤景~」の土台を作り続けていて、木材加工と砂マチエールの施工に一日のほとんどを費やしています。土台は鋭角な二等辺三角形を20点使って構成する円形になっていて、その半分が出来上がって砂マチエールを施しました。残り半分の木材による切断や刳り貫きは終わっていて、作業としてはそれらを組み立て、月曜日には砂マチエールを施す予定でいます。円形全てが砂マチエールで覆えたら、油絵の具を滲み込ませて絵画性を追求していきます。手伝いに来ていた家内が「まるで舞台みたいだね。」と円形の土台を称していましたが、大学で舞台美術を学んだ家内からすれば自然な発想だと思いました。差し詰め円形土台が舞台なら、そこに配置される陶彫部品は、役者たちの群像なのかもしれないと私も思いました。作品を別の発想に置き換えて楽しむのはいいものだなぁと感じ、私が作る形態が抽象だからこそ、その人独自の発想が生まれるのかもしれません。職場に出勤することもなく先月と今月はほとんど工房で制作をして過ごしてきましたが、完成が図録用撮影日に間に合うかどうか心配になったことに苛立ちも覚えました。毎日制作をしていても余裕が生まれないのはどういうことか、昨年度までは学校の校長をやりながら、よくぞここまでやってこれたものだなぁと振り返っています。今年の新作は例年より手間がかかっているのではないかと、家内がポツンと呟いたことで、あぁ、そうなのかなぁとも思いました。毎年完成のハードルは少しずつ上げている意識はあるものの、現行作品の状況がよく分かっていない自分には、家内の何気ない一言で妙に納得してしまった感覚がありました。

次なる作品のイメージへ…

現在作っている新作が佳境を迎え、肉体的にも精神的にも苦しい状況の中で、私には次なる作品のイメージが降って湧いてくる癖があるようです。現行の新作は土台に砂マチエールを施し、また同時に土台を追加して制作しているため、工房の至るところに作品の一部が置いてあります。この作品が散らばった混乱状態の中で、次なる作品が見えてくるのです。現行の作品は秩序だった構成を持ち、土台に置かれる陶彫部品にやや崩れた形跡を作ってはいますが、基本的には整理された構成要素で成り立っています。次なるイメージはさらに崩壊が進んだ世界を想定して、不完全で断片的な立体を作ろうと思っているのです。新たなイメージは現行作品の中から産み落とされるものかもしれず、自分自身の中で少なからず破壊と創造を繰り返しているように感じています。イメージとは一体どういうものか、いつごろからイメージに囚われるようになったのか、私は自分自身に向かって問いかけることもあります。彫刻を学んでいる時代にはイメージによる自分の世界観をもつことはありませんでした。モデルを立たせて人体塑造を行っていた時は、空間の中に粘土でデッサンしていくように師匠に教わり、写実的に塊を捉える力を身につけていました。その時は人体をテーマにして自分の世界観を培うことも出来ましたが、私の場合は海外に出かけ、そこで自らの造形としての考え方を問い詰めていった時期がありました。外国語が分からない頃は自分を閉鎖し、他者との接触を絶っている時期もありました。海外の美術学校で実施した人体塑造に自分の資質がついていかないことも実感しました。ヨーロッパで構築された彫刻という概念は、日本で行っていた彫刻の在り方の根本を疑い、自分の生育歴を含めて、改めて空間造形という考え方に自分がぶち当たりました。私は西欧との比較によって己を知り、そこから自らの世界観を紡ぎ出したと言えます。日本から巡回してきた陶芸による展覧会、父が生業としてきた造園、自閉していた時に彷徨い歩いた西欧の旧市街とその源泉となった都市遺跡、それらが自分の中で繋がり、作品イメージが醸成されていったと自覚しています。次なる作品のイメージへ向かって一歩を踏み出したいところですが、現行作品に苦しめられている今の状況からは現実逃避にしか思えず、新たなイメージは暫し放置することにしました。

「発掘~盤景~」砂マチエール開始

新作「発掘~盤景~」の木材による土台加工がまだ完全に終わっていませんが、出来ている土台に今日から砂マチエールを施す作業を開始しました。砂マチエールは20年以上前の私のデビュー作品「発掘~鳥瞰~」からやっている表面処理です。実は陶彫が技術的に出来なかった頃には、その時のイメージを油絵で表現していましたが、その油絵にも砂マチエールを施していました。硬化剤で砂を貼り、その上から油絵の具を滲み込ませ、表面をザラつかせる効果として用いていました。その砂マチエールを施した画面と陶彫部品の組み合わせが面白いと感じたのは「発掘~鳥瞰~」からで、それから積極的に砂マチエールを使うようになり、現在では自作の特徴を成しています。砂マチエールはさまざまな画材店が扱っており、私は東京神田の「文房堂」のものを取り寄せています。理由として砂マチエール用の硬化剤が「文房堂」しか扱っていないということが分かって、東京神田の本店から大量に郵送してもらっているのです。そもそも木材を砂で覆うのはどういうことか、しかもさらに油絵の具を滲み込ませ、その上から油絵の具を振りまいて、言うなればアクションペインティングのように偶然の効果を狙っているのは、私が素材の変容を求めていることに尽きます。出来上がった作品を鑑賞した人に、これは木材だと言わなければ、素材に気づかない人もいます。陶を陶として見せる、木を木として見せる、時には木を焦がして炭化させた状態で見せることを私はやってきましたが、同時に素材の特徴を消して変容させて見せることも、イメージを具現化する上で必要な処理だと思っています。「発掘~盤景~」の砂マチエールは今日から開始して、来週には油絵の具を滲み込ませる予定です。新作が完成に向けて佳境を迎えています。

「形態と色彩の新しい概念」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第3章 彫刻的陶器への発展と民衆的木彫の発見(1887末~1888末)」に入り、今回は「2 形態と色彩の新しい概念」をまとめます。「マルティニークでの経験が絵画において印象派との断絶を促進し、装飾的様式と総合主義的傾向を固めていったように、陶器においてもブルターニュに取材した牧歌的な主題が減少してエグゾティックなモティーフが登場するとともに、装飾要素はもはや器の表面に付加されるのではなく器と一体となって、全体である種の喚起力をもつものとなった。」冒頭の文章で述べられているように、いよいよゴーギャンが印象派を超え、新たな世界を手に入れていく過程が、絵画のみならず陶器や彫刻でもあったようで、とりわけ本書は、ゴーギャンの立体作品を中心とする論考だけに私の興味は尽きません。本書は幾つかの陶器を手がかりに、ゴーギャンの歩んだ革新性の道を辿っていきます。ゴーギャンの向かう道は、器としての用途より、創作性を重んじており、肖像が彫られた壺や彫刻的な装飾を付加した器など、陶器より彫刻への移行が感じられます。その中で本書に取り上げられている「鳥と女神のいる熱帯の植物の形をした花瓶」について、著者の論じた部分を引用いたします。「装飾モチィーフとして、片面にはブルターニュの鵞鳥が一羽入念な塑像浮彫で表され白いスリップがけが施されている。その上には器の形に沿って木の枝が十字型を形成するように表されている。反対側の面には、足の部分が壺に埋まった(あるいは壺から現出するような)女性像が浮彫で表されており、そのポーズはカンボジアの仏教寺院の女神像『テヴァダ』に由来する。しかし頭部はカンボジアの女神の豪華な装飾はつけていず、マルティニークの女性に近い。~略~この独創的な花瓶はこのように、植物モティーフや動物、十字架の形、そして仏教図像を借りた『木に宿る女神』から構成されている。これらを総合するなら、そこから西洋的でも東洋的でもある聖性、そして自然の中に宿る聖なるものの意味が浮かび上がる。」