Archives for the Month of 7月, 2007

情報機器の研修会

職場で情報機器の研修会があり、同僚とともに参加してきました。仕事に必要なものであり、様々な処理が可能な情報機器ですが、だんだん技術や方法についていけなくなりました。土を練ったり、木を彫ったりすることは何の苦もなくこなせる […]

無党派層の選択

20歳で選挙権を得てから、海外生活5年間を除いて、ずっと選挙に出かけています。当時の両親は自民党支持、自分は気の向くまま適当な人に一票を投じていました。いわゆる自分はずっと無党派層。昨日の選挙も基本姿勢は同じですが、年金 […]

夏読書の楽しみ

通常勤務を要するものの労働時間が自由になった夏季休業中の楽しみは、第一に作品制作、第二に読書です。学生時代に買って既に絶版になった本の再読、加えて今夏新たに買った本が数冊。全部美術に関係するものばかりですが、普段読めない […]

「日展100年」展

東京の国立新美術館で「日展100年」という展覧会が開催されています。日本で一番長い歴史をもつ公募団体で、いわゆる官展系です。大学生の頃に上野の美術館に日展を見に行き、期待したわりにはあまり心に響く作品がなく、むしろ在野団 […]

インカ マヤ アステカ展

学校が夏休みになったようで、東京の上野公園には平日にもかかわらず、子どもたちの姿が目立ちました。国立科学博物館で開催されている「インカ マヤ アステカ展」にも老若男女いて、発掘品や映像に見入っていました。自分も理屈抜きで […]

「青騎士」よりドローネー評

R・ドローネーはフランスの画家で、カンデインスキーと同じく抽象絵画の開拓者の一人です。「青騎士」にも参加し、同誌にブッセによる評論が載せられています。「外的な自然の模倣的再現を避け、それを自然の潜在的な法則のみを再現する […]

「青騎士」を読んで

年刊誌「青騎士」は1912年ミュンヘンで出版された、という訳者の前書きから始まって、この貴重な本に様々な芸術家が評論を寄せています。1912年といえば20世紀初頭。ほとんど1世紀前に書かれたものです。第一次世界大戦で中断 […]

歯にまつわる(歯無し)話

今年も空調設備のない作業場で、長い柱を彫り始めています。このところもっぱら木彫に親しんでいます。荒彫り用に丸鑿を使っていますが、鋸が芳しくありません。見ると鋸に歯こぼれがあるのに気づきました。自分は鋸の目立てをやったこと […]

青騎士・デア ブラウエ ライター

ドイツ表現主義に興味を持ってから、当時住んでいたウィーンで資料集めをしていた時期がありました。「EXPRESSIONISMUS(エキスプレッショニスムス)」と表題にあった書物をいろいろ購入したものの原書で読む労苦に耐えら […]

「ドイツ表現主義の誕生」から

20数年前にドイツやオーストリアで生活し、表現主義の枠に括られる多くの画家や音楽家の遺産をこの目で見ておきながら、表現主義の何たるかを知らず、キルヒナーやノルデの絵画世界がもつ漠然としたイメージだけで表現主義が解っている […]

ドイツ表現主義への第一歩

20数年前に初めてヨーロッパに渡り、最初に降り立った都市が旧西ドイツのミュンヘンでした。東京〜パリ間をフライトし、パリを見ずにそこからすぐミュンヘンまで飛んでしまいました。日本の大学に通っていた当時からドイツ表現派に思い […]

「構築〜解放〜」に向けて

いよいよ明日から新作の本格的な制作に入ります。昨年は「構築〜包囲〜」。今年は昨年の作品と対になる「構築〜解放〜」。また鑿を研ぎながらモチベーションを上げていこうと考えています。木材との対話が始まると思うと嬉しくて仕方あり […]

「歩き」を取り戻す

職場へ自動車で通勤するようになって歩くことが少なくなりました。時々スポーツクラブへ行っていますが、車で乗りつけることが多いこの頃です。エンジントラブルで車を修理にだして以来、通勤も夜のスポーツクラブへも公共交通機関を使っ […]

「魔法の国の建築家」を読んで

ホルスト・ヤンセンと同じように、カール・コーラップもウィーンで初めて知った画家です。種村季弘著「断片からの世界」にコーラップに関する評論が掲載されていたので、これを契機にコーラップの絵を知った時の昔の思い出を昨日のブログ […]

カール・コーラップの世界

ウィーン幻想派画家やフンデルトワッサーほど国際的な名声を得ていないので、カール・コーラップを日本で知ることはありませんでした。20数年前にウィーンにいた頃、コーラップのタブローや版画を多くの画廊が扱っていて、ウィーン市民 […]

コラージュと箔貼り

365点の連作が160点をこえ、日々習慣化していますが、内容は展開に乏しくなっています。前日の作品を少し手を変えて今日のノルマをこなし、また翌日に繋げていく、という制作方法は好ましくありません。最近はレリーフした板材を貼 […]

軽妙洒脱な手紙から

故ドイツ文学者の重厚な評論を読んで、20数年前暮らしていたウィーンに思いを馳せている時に、やはりウィーンで知り合ったエッセイストのみやこうせいさんから軽妙洒脱な手紙が届きました。太めのペンで書かれた手紙はパソコン全盛の時 […]

「描かれた空想美術館」を読んで

昨日は何故ホルスト・ヤンセン展の回想を書いたかと言えば、今読んでいる種村季弘著「断片からの世界」にヤンセンの評論が掲載されていて、20数年前にウィーンで知った卓越した素描画家の様々な面を知ることができたからです。著書には […]

ホルスト・ヤンセン展の回想

ドイツの現代画家ホルスト・ヤンセンを知ったのは、自分がウィーンに滞在していた頃でした。当時手に入れた図録を見ると、1982年4月1日から5月2日までウィーンのアルベルテイーナ美術館でヤンセンの個展があって、そこで印象が脳 […]

「無名性の錬金術師」を読んで

昨日に引き続き、種村季弘著「断片からの世界」に収められている美術評論で、今回はE・フックスに関するものです。ウィーン幻想派画家として国際的な名声をもつフックスは、ウィーンの多く画廊で銅版画を展示していました。これはハウズ […]

「仮面の迷路歩行者」を読んで

表題は種村季弘著「断片からの世界」に収められているR・ハウズナーに関する評論です。R・ハウズナーに関しては、今年初めのブログ(07.1.19)にご本人を美術アカデミーでお見かけした時のことや絵の印象などを自分なりに書いて […]

梅雨の季節に「睡蓮」

パリでまとまった「睡蓮」の油彩画を見るまでは、モネの「睡蓮」をたいして重要な絵画遺産とは思っていませんでした。パリの美術館で観客をぐるりと取り囲んだ「睡蓮」連作を見て、目から鱗が落ちました。まさに水がめくるめく映像のよう […]

久保山墓地の思い出

横浜の古い街並みが残る中心に久保山墓地があります。久保山墓地は、明治7年に出来た共葬墓地だったようで、戊辰戦争で亡くなった長州・土佐の藩士を埋葬した官修墓地もそこにはあります。関東大震災で多くの人が亡くなり、引き取り手の […]

泳ぎを楽しむ

幼い頃から水泳を習っていたわけではなく、特に水に対する興味もなかったのですが、近くにスポーツクラブがあって、仕事を始めてからちょっとしたことが契機になって、以来ずっと水泳をやっています。マスターズ登録もしていて、気が向け […]

通勤時間に読む本

学生時代から今までの通学・通勤時間を考えると、最近やっている自動車通勤より、はるかに長い時間を電車やバスを使って移動していることに気づきました。自動車を修理に出しているので仕方なく通勤方法を電車やバスにしていますが、忘れ […]

今日は父の一周忌

昨日、義母が他界しましたが、今日は父が亡くなってちょうど丸一年、父の一周忌になります。そんな年回りで毎年のように親を失っていきます。最近は介護住宅ができて、行き届いた設備とケアがあり、家族が介護で疲れることが少なくなりま […]

義母の最期を看取る

家内の母が86年の人生を終えました。義母は奄美大島の出身で、奄美の豊かな自然のことや人とのつき合いをよく話してくれました。奄美にはもう直系の親戚もいないのですが、義母が生きているうちに自分たちも奄美に行って、話のキャッチ […]

「菊池伶司 版と言葉」を読む

先日、出張の時に購入した「菊池伶司 版と言葉」は22歳で夭折した版画家に関する評論や本人の日記を編集した冊子です。自分は1960年代に活躍し、短い一生を駆け抜けた菊池伶司という版画家を知りませんでした。近頃TVでも取り上 […]

エンジン・トラブル

夜、家内を車で迎えに行った折、坂道で急にエンジンが停止しました。何度やっても駄目でした。仕方なく携帯電話でレッカーを呼び、そのままデイーラーへ。自動車通勤をしている自分には手痛いトラブルになりましたが、他者をまきこんだり […]

シュテファン・ツヴァイクの著作

ウィーンで暮らしていた20数年前、人から勧められた文庫本を数冊手に入れました。シュテファン・ツヴァイク著「マリー・アントワネット」「ジョセフ・フーシェ」。翻訳本の中では、このノンフイクションが最高に面白く、昼夜を分かたず […]

7月 創作のリズム

7月になりました。中旬には職場が夏季休暇に入ります。そこで例年のように創作三昧の生活が待っています。夏季休暇中の限定つきの創作生活ですが、リズムを作って制作に没頭したいものです。昨年もブログに書いていますが、作品が大作の […]