週末 個展案内状が届いた日

今日は朝から工房に篭って、梱包用木箱作りに励んでいました。今日は若いスタッフが工房に来ていました。私は若い頃には詩に関心があって、その昔話を若いスタッフに聞かせていました。50年前に購入して書棚で埃を被っていた古い詩集を工房に持ってきて、若いスタッフに貸したりしていました。創作活動ではない作業をやっていると、つい気持ちが緩んでしまい、若いスタッフと話し込んでしまうこともありました。昼ごろになって久しぶりに近隣のスポーツ施設に水泳をやりに行きました。スポーツ施設から工房に帰ってきたら、懇意にしている女性カメラマンが個展の案内状を1500枚持ってきてくれました。今回の案内状の画像は「発掘~双景~」の正面を画面いっぱいに入れた構図で、素材感に溢れています。私はがっちりした構図が好きなので、かなり気に入りました。案内状1000枚は早速ギャラリーせいほうに届けなければならず、明日ギャラリーに連絡をしようと思っています。いよいよ個展が迫ってきたなぁと感じ始めています。個展も14回目になりますが、こればかりは慣れで開催できるわけではなく、毎回当然ながら新作を出品しているので、ギャラリーせいほうでどんな空間を獲得出来るのか、内心はドキドキしているのです。個展は一年1度の個人的イベントで、成功も失敗も全て私のせいになります。ここが組織を持つ職場との大きな違いです。梱包用木箱作りも含めて、新作の微調整も必要です。搬入まで頑張って間に合わせたいと思っています。

週末 梱包用木箱作りに拍車

週末になりました。今週のウィークディは仕事帰りに工房によく立ち寄り、梱包用木箱の板材補強をやっていました。創作活動でもないのに毎晩工房にやってきたのは最近では珍しいなぁと思っていました。板に木材を電動タッカーで打ちつける前に木工ボンドで貼っておくと便利なので、それをこまめにやっていたのでした。今日はそんな下準備もあったので梱包用木箱作りに拍車がかかりました。今日は9箱完成しました。明日もそのくらい出来上がるかなぁと思っていて、そろそろ陶彫部品の梱包を実際に始めていこうと思っています。エアキャップは若干足りないかもしれません。懇意にしている元梱包業者が昼ごろ顔を出してくれました。困ったことがあったらいつでも連絡をくれと言ってくれていて、本当に有難い限りです。梱包用木箱は作り始めると、どんどん進むように思えます。創作活動と異なるのは作業に気疲れがないことで、やや退屈ではあるけれども、私は木工が好きなのでそれなりに楽しんでやれているところかなぁと思っています。一応今週末と来週末くらいで梱包用木箱を作り終えたいと思っていて、来月に入ったら新作を少しでも進めたいと考えています。やはり創作活動をやっていないと心が晴れていきません。自分を追い詰めていくのは厳しい反面、何とも言えない満足が得られます。新たなイメージの具現化は私に生きる喜びを齎せてくれます。既成の作品の修整や梱包用木箱作りにはその喜びがありません。そのためにも梱包用木箱作りが急がれるところです。

「形の文化史」について

通勤中に読んでいる「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)の第一部「形の文化史」のまとめを行います。冒頭に「スクリュー、プロペラに至る渦巻きがヨーロッパの機械文明の基本で、そこからヨーロッパ文化を支配する形が形成された。」とありました。まさにギリシャ・ローマから始まる建造物を見ると円形や渦巻きを基盤とした変遷が分かります。「一般にギリシャの神殿の美は列柱の微妙なふくらみ、エンタシスにあるとされ、東大寺の柱にもその影響が見られるという。そして円柱の太さ、高さ、間隔などの比例にヨーロッパの古典的な美があるとされていたが、それにならってつくられたローマの古典様式の教会のファサードはどちらかというと単調である。その単調な円柱の列のかわりに、ベルリーニはダイナミックなひねりを柱に加え、『ソロモン柱』にした。ギリシャ・ローマの古典様式ではなく、イスラエルの古典様式と称するものをもってきたところに、彼の意気込みがあるのだろう。まっすぐな円柱がギリシャの古典美なら、キリスト教古代の美は螺旋だと言いたいのである。」また劇場や議会にも円形が登場します。「人が集まって町をつくり、市場をつくり、さらには議会を構成したとするなら、アゴラがそれであり、古代劇場であり、コロッシウムであろう。ギリシャ、ローマの古代劇場、競技場、あるいは集会場はいずれもアンフィシアター、すなわち円形の階段教室の形をとっており、円形の舞台、演説場、競技場をすり鉢形の座席が同心円状に取り巻いているのである。これは現在の欧州議会やフランスやドイツの国会も同じである。」私は若い頃、ヨーロッパで学生生活を送っていたので、確かにすり鉢形の教室が身近だったと思い返しています。さて、ヨーロッパとはどこからどこまでを言うのでしょうか。EU加盟国だけなのでしょうか。「神話や言語、文字などの文化はメソポタミアやシリア、フェニキアからヨーロッパに広まった。これとキリスト教に代表されるヘブライ文化をも現在のヨーロッパの根幹であるとするなら、広義のヨーロッパはインドからオリエントをへて、地中海の北岸へ至っているのである。」それではヨーロッパ文化とは究極何を指すのでしょうか。「ヨーロッパにいかなる文化があったのかといえば、まさに科学技術であり、ルネサンスの三大発明などすべて中国から伝わったとされるものの、それを産業に応用したのはヨーロッパだった。」論考はさらに音楽や美術、文芸などの細かい箇所に触れ、さらに文化そのもののシステムまで及んでいましたが、今日はこのくらいにしておきます。

毎晩工房で板材補強

このところ仕事から帰ってくると、1時間程度工房に足を運んでいます。創作活動ではなく梱包用木箱を作っているのです。木箱の板材に補強用の木材を木工ボンドや電動タッカーで貼り付けています。頑丈な木箱にするための手段ですが、意外に時間がかかっていて、そのために毎晩工房に通っているのです。創作活動とは違い、造形に関わる内面を見つめることはありませんが、単純作業でも骨が折れるなぁと思っています。そうは言っても私は大工仕事が嫌いではありません。祖父が宮大工だったことが影響しているのか、木工は苦もなくやっています。絵を描くより寧ろ木工の方がいいなぁと思っているくらいです。梱包用木箱から話題は離れますが、前に古材を使ってデザイン性に富んだ家具を作っている夢を見たことがあります。線路の枕木のような腐りかけた木材の再生として、魔訶不思議な形をしたテーブルと椅子を私は作っていました。夢から醒めた後、暫しぼんやりと考え込んでしまいました。実は自分はそういうことをやりたかったのではないかと思い込んでしまいました。前にキリストの磔刑像を木彫している夢を見たこともありました。木材と面と向かっていると、不思議な感覚に取り込まれることも自分にはよくあります。これは毎晩工房に通って板材の補強をしているせいかもしれません。

クリムト「ユディトⅠ」について

東京都美術館で開催されている「クリムト展」。先日からこの展覧会に纏わることをNOTE(ブログ)に書いていますが、作品に触れることが少ないなぁと思っています。今日は来日した代表作「ユディトⅠ」について書いていきます。ユディトとは誰か、旧約聖書外典の一場面に登場する若き未亡人がユディトです。彼女はアッシリア軍の包囲を解くため、軍の陣地に向かい、夜陰に乗じて司令官ホロフェルネスを誘惑して酔いつぶし、眠っている彼の首を剣で切り落としました。ユディトは目的のためにはどんな手段を厭わない女性の強さの象徴になっていますが、「ユディトⅠ」は胸元を露わにした官能的な女性として描かれていて、その表情は恍惚としています。現代ではこうしたエロチシズムは普通に罷り通っていますが、当時はどうだったのでしょうか。画面構成は金を多用した装飾性の強いもので、ウィーン分離派の代表的な作品となり、旧態依然としたウィーン画壇に対するクリムトの挑戦ともなったと言われています。図録から引用します。「絵画における金は、中世のキリスト教の宗教画において多用されたが、ルネサンス期以降は遠近法を用いて三次元空間を表現することが主流となり、長きにわたり忘れ去られていた。クリムトはこれを逆手にとり、当時は否定的に捉えられていた手法を新たな表現として打ち出したのであった。~略~エジプト美術やビザンティン美術からの影響、あるいは日本美術からの影響があった。~略~ラヴェンナの聖堂における金のモザイクの輝きが彼に決定的な影響を与え、その繊細な芸術に華麗さとゆるぎない荘厳さが加わったとしている。~略~油彩画になじみのない素材の扱いは容易でなかったようで、金箔を定着するのに時間がかかり、展覧会の出品が遅れたとも考えられている。裸体に近い姿に金をまとい、エキゾティックな文様を背に立ちあらわれるユディトは、匂い立つような官能性を放ち、見る者を圧倒する。」(小林明子著)「ユディトⅠ」は今回来日した作品の中でも、最もクリムトらしい黄金様式を示す代表作であることに違いありません。

クリムトの葛藤

「無造作な髪、伸びたひげ、よれた仕事着ー。東京都美術館で来月10日まで開催中のクリムト展を見て、何より意外だったのは、画家本人の肖像写真だ。金色を大胆にあしらった妖艶な女性像との落差にとまどった。『外見は無頓着。生涯独身でしたが、女性関係は多方面にわたったようです。』と担当の小林明子学芸員。超のつく有名画家の工房には、裕福な貴婦人や若い女性モデルが幾人も出入りした。隠し子騒動は十数件にのぼるという。」と記載があったのは6月16日付の朝日新聞「天声人語」でした。グスタフ・クリムトとはどんな人物だったのか、写真を見ると冴えない中年男性が写っていて、これがあの絢爛たる絵画を描いた作者なんだと思うと、私はちょっぴり嬉しくなりました。創作活動の上で作者は黒子でいいと私は思っていて、外見と内面は違うものと世間に知らしめたい意向が私にもあるからです。そんなクリムトにも女性関係以外でさまざまな葛藤があったことが図録にありました。「『いろいろなことに思いをめぐらすと、私がずっと恐れていたこと、すなわち脳の病気で亡くなった父、精神病院に入院した母、数年前に気が狂ってしまった姉に起きたことが自分に起こらないか心配しています。おそらくその最初の兆候が私に出始めている…』。クリムトの『肉欲』と『放蕩』そして『不節制』という一面は、彼に非摘出子をもたらしただけでなく新たな心配の種となった。」(マークス・フェリンガー著)クリムトが内心抱えていた血族に関する不安や焦燥、それがどう創作活動に影響していたのか、こればかりは作者のみが知る葛藤ですが、クリムトが生殖から死に至るまでの生命を象徴的に表現している絵画を見ると、生命の円環に関して少なからず関心を持っていた様子が伺えます。それが精神面での追い詰められた状態だったのかどうか洞察の域を出ませんが、精神のバランスを欠いたときに作者は究極の表現に達することが出来ると私は信じているところがあり、クリムトもきっとそうだったに違いないと勝手に思い込んでいるのです。今回来日していた有名な絵画「女の三世代」を見ていると、幼子、若い女性、老女が並列して描かれていて、生命の円環を西洋伝統に則った比喩によって明快に表現されていました。これを描いたときのクリムトの心情は如何ばかりか、私は暫しこの絵画の前で立ちすくんでいました。

上野の「クリムト展」

先週の金曜日、開館延長を利用して仕事帰りに東京上野の東京都美術館に「クリムト展」を見に行きました。本展は「ウィーンと日本 1900」という副題がつけられていて、クリムト没後100年、日本オーストリア友好150周年を記念しての本格的な「クリムト展」とあって、美術館は大変賑わっていました。グスタフ・クリムトは私にとって馴染み深い画家です。1980年から5年間、私はウィーンの国立美術アカデミーに在籍していて、クリムトの世界に日常から浸っていました。日本から来た客のお供をして、よくベルベデーレ宮殿にも足を運び、展示されていたクリムトの絵画を隅々まで堪能していたのでした。私自身も黄金様式と称されているクリムトの流麗で象徴的な作品が大好きだったので、積極的に観光客を案内していました。今回、日本で見たクリムトの絵画は、私にもう一度ウィーン世紀末に集った芸術家を思い起こさせるのに十分な説得力がありました。クリムトは古典絵画から画業を出発させています。図録から引用します。「クリムトは歴史画家を養成する古典的な美術教育を受け、最初は伝統的な描き方で作品を制作していた。~略~クリムトの画業初期の寓意画は、ありふれた手本にならったものだった。それでも、象徴的に表現するという寓意画への取り組みから得られた刺激は、クリムト作品のさらなる展開にとって計り知れないほど重要であった。~略~クリムトの画業における転機は、まぎれもなく1897年のウィーン分離派の設立である。~略~生命の生物学的ー身体的な起源、愛と性欲の神秘、様々な対立と争い、老いと死を迎える人間の衰退、これらすべてをクリムトは絵画の中で象徴的に扱ったのである。」(マークス・フェリンガー著)確かにクリムトのデッサンや色彩の扱い方はアカデミックな技法を使い、分離派以前は室内を飾る壁画で神話的テーマの絵を描いていたことが認められます。しかもその技能たるや非常に優れていて、若い頃に既にアカデミズムを極めたと言っても過言ではありません。ウィーン分離派は革新的だったことには違いないと私も感じますが、これは古典を完全に否定するものではなく、古典の上に新しい価値観を植えつけたものではないかと思いました。その後に登場する前衛芸術とは一線を画していて、ウィーン分離派は古典を継承しながら新しいカタチを模索していたようです。ユーゲントスティールと呼ばれた当時の形式は、今も新鮮さを保っていると私は考えています。クリムトの人間性や個々の作品に関する記述は後日改めます。

週末 梱包用木箱作り開始

今日は朝から工房に篭りました。10代の若いスタッフがやってきて、自分の課題に向き合っていました。彼女は工房に出入りするスタッフでは一番若く、将来に対してあらゆる可能性を秘めています。工房のスタッフも若返りをして、私としては楽しい限りです。今日からいよいよ梱包用の木箱作りを始めました。元梱包業者に教わった通りに頑丈な木箱を作ってみましたが、制作方法に慣れていないせいか、苦心する箇所もありました。今まで作ってきた木箱より手間がかかるのは分かっていましたが、結構大変な思いをして、初めの1個を作りました。これを20個以上作るとなると、どのくらい時間がかかるのだろうと思いを巡らせてしまいました。創作活動とは違い、制作手順に慣れればペースは早くなるのではないかと思います。先日、木材店から補強用の木材を大量に購入してきたので、木材はたっぷりありましたが、板材が無くなってしまいました。夕方になってスタッフを車で送った後、板材を購入しに日用大工センターに向いました。先日から付き合いが始まった木材店は、日曜日が定休なので仕方なく今まで利用してきた店舗に出向いたのでした。梱包にこんなに時間をかける彫刻家はいるのだろうか、車を走らせながらそんな考えが私の頭を過ぎりました。身体が動くうちは、自分一人で梱包もやっていこうとすぐに考えを改めました。私は図録用の撮影や個展の搬入・搬出以外は人を頼まず、何とか一人でやってきています。大きな彫刻作品は人の協力なしには展示すら出来ませんが、創作活動や梱包作業は自分だけでやっていこうと決めているのです。梱包作業は退屈な仕事のため1時間くらいは新しい陶彫制作に関わっていきたいと思っていて、今日も夕方の1時間は陶土に触れていました。新作に関わるだけでホッとしている自分がいます。

週末 義母の13回忌

週末になりました。前から予定していた義母の13回忌を今日行ないました。家内の母は多くの兄弟姉妹と一緒に、戦前の時代に奄美大島から本土にやってきました。兄弟姉妹の中には哲学者や考古学者や音楽家がいて、学問や芸術で身を立てた人ばかりだったので、私は家内と結婚する時に親戚を回った折、彫刻家を志望する私に親戚全員が理解を示してくれました。私は職人家庭に育っていたので、学術文化の香りのする環境に憧れを持ったこともありました。義母は13年前に86歳で他界しました。その頃、私の拙い芸術に対する思索を聞いてくれた親戚の面々も、現在は年老いて、この13回忌が最後かもしれないと思いました。義母の兄弟姉妹の中で、カント哲学者であった叔父が亡くなった時は、私にもショックがありました。叔父ともっと話がしたかった、私は未だカント哲学の裾野にも到達していない、そんな残念な思いに駆られたこともありました。学問で身を立てようとした兄弟姉妹を義母は経済的に支えていたらしく、そうした環境で家内は育ったのでした。家内は中国考古学を専攻している叔父にとくに懐いていたようで、80代後半に差し掛かった叔父を、家内はいつも気遣っていました。家内の両親の墓地は、横浜の古い地域である久保山墓地にあります。久保山の日蓮宗の寺で法要をした後、横浜中華街に場所を移して、親戚縁者で会食をしました。この機会を大切にしたいと私は思いました。私がまだ彫刻家にも公務員にもなっていない頃、夢に生きていた私に対し、理解を示してくれ、また支援をしていただいた家内の親戚の厚意を私は忘れることが出来ません。手前味噌ですが、今日は良い一日だったと思っています。

勤務終了後に上野の美術館へ…

横浜市瀬谷区の職場に転勤してきて、前職場に比べて外会議が多いなぁと感じています。出張というほど遠方に行くわけではなく、区役所の会議室を使って区内のさまざまなことについて話し合いを持っているのです。今日も午後から区役所に行きました。勤務時間終了までそこで会議を行っていて、その後は帰路につく予定でしたが、今日は金曜日なので遅くまで開館している東京の美術館を目指して、横浜から上野まで出かけていきました。東京都美術館で開催している「クリムト展」は必ず見に行こうと決めていました。私は20代の頃、ウィーンに住んでいました。当地の国立美術アカデミーに在籍していましたが、グスタフ・クリムトを中心とするウィーン世紀末芸術は、ウィーン観光の売りになっていて、多くの観光客がクリムトの世界を味わうために、ベルベデーレ宮殿併設の美術館を訪れていました。私も幾度となくクリムトの絵に接してきました。私がウィーンに滞在していた最初の頃は分離派会館(別称セセッション)が工事中で、クリムトの壁画が見られませんでしたが、帰国間近になってリニューアル工事が完成し、金色の球体(別称金のキャベツ)を頭上にのせた独特な建物を見ることが出来ました。その時に修復を終えた「ベートーヴェン・フリーズ」も観ました。いつも買い物で訪れたナッシュマルクト(市場)の傍にあった分離派会館とオットー・ワーグナーのデザインしたアパートが、ウィーンの生活の一場面として今も思い出されます。今回の展覧会では「ベートーヴェン・フリーズ」の実物大複製が展示してあったので驚きました。私はいつ頃、ウィーン世紀末の芸術家たちを知ったのか、もちろんウィーンに行く前から知っていましたが、最初の記憶が定かではありません。おそらく学生時代に愛読した「見えない彫刻」(飯田善國著 小沢書店)に掲載があったクリムト、シーレ、ココシュカに関する評論で知ったものではないかと思っています。「クリムト展」は開館時間延長日にも関わらず、入場規制が行なわれるほど混雑していました。鑑賞者は圧倒的に女性が多く、クリムトの瀟洒な雰囲気が女性に人気なのかなぁと思ったりしました。クリムトは日本美術を取り入れていて、金色を多用したり、和装の文様のような幾何的な平面構成があったりして、その絵柄は明らかに日本のそれと類似していると感じました。平面文様と写実性のある人物描写が相俟っているところがクリムトの特徴で、強いて言えばこのような象徴性が全面に出ている絵画は、日本人が好む要素が満載しているんじゃないかと思いました。詳しい感想は後日改めます。

木材の注文

工房のロフト拡張工事に来ていた元梱包業者に教えていただいた本格的な梱包用木箱。これを作るために小割80本×3の240本を、これも元梱包業者に教えていただいた木材専門店に注文に行きました。勤務中の外会議がある途中に木材店に立ち寄り、木材の切断をお願いしてきました。次の週末は梱包用木箱を作りたいので、木材は土曜日の早朝に取りに行くことにしました。大手の店舗なら開店時間が決まっているところを、個人の店は私の要望を聞いてくれるので有難いなぁと思いました。とりあえず週末に10箱作る予定ですが、作品の数を考えると10箱では足りません。20箱くらいは必要かなぁと見積もっています。ともかく週末に可能な限り木箱を作ってみようと考えています。こうした木材を注文に行ったり、道具を揃えたりするのは、創作には直接関係ないのですが、作品を保管するためには大切なことで、手間暇がかかっても仕方がないと思っています。自分の工房を使って彫刻をやっているといろいろな業者や店舗との付き合いが増えてきます。たとえば陶土を購入するなら栃木県益子の問屋さん、木材調達は前述の木材店さん、窯のメンテナンスは懇意にしている窯の業者さん、ロフト拡張工事の鉄工業者さん、もちろん彫刻制作に欠かせない多くのスタッフや撮影していただいているカメラマンやアートディレクター、その他電気工事やら植木畑の枝の刈込や草刈りなど、さまざまな職種の方々に私は支えられているなぁと感じています。木材を注文しに店に向かう途中で、ふと業者さんたちの顔が浮かびました。いろいろな助言をいただきながら仕事が進められる幸せを感じています。

14冊目の図録作成に向けて

先日、個展のための図録用の撮影を行いました。毎年多くのスタッフに手伝っていただいて、集合彫刻の組み立てやら分解、そして周囲の片づけや掃除をしています。もう14回目となると撮影は恒例行事のようになっていて、撮影する順番も決まっているのです。その日に撮影した画像を私が選び、その後はカメラマンに編集作業に入っていただきます。何故私は毎年かなり手間のかかる図録を作っているのか、これは自作が組み立てに労力を要する集合彫刻だからです。作品は分解して木箱に詰めて工房の倉庫で保管します。作品を見るためには多くのスタッフの手を借りなければ全体像を提示することが出来ません。そのため作品完成を示す画像が必要なのです。今晩は撮影に立ち会った2人のカメラマンが自宅にやってきて、撮影した多くの画像を見せてくれました。私は自ら作成した図録のレイアウトに従って画像を選びました。画像を通して、初めて私は光や影の立体的効果を知ることになり、アナログな彫刻制作とは違うデジタルな表現に改めて感動を覚えました。毎年のことなのに、自分の作品であって自分の作品ではないデジタルな不思議さに再三驚かされてしまいます。私は映像表現が好きです。映画館に足繁く通うのも、そうした映像好きな私の趣味の反映です。図録を楽しみたい気分も映像好きであるが故のものではないかと思っています。今回の図録の写真はフラットなものにして欲しいとカメラマンに要求しました。今まで光と影を強調したり、周囲の空気までを表現して欲しいと言ってきましたが、今回は真逆で、隅々までクリアな画像が欲しかったのでした。そうしたことがあるため新作の図録は、今までと趣が変わっています。14冊目の図録作成に向けて、カメラマンとの協働作業が始まると言えるのです。

京都の「若冲と祈りの美」展

先日行った京都での展覧会の詳しい感想を、昨日のNOTE(ブログ)に引き続いて述べたいと思います。毎年京都に行く度に、私は岡崎公園にある細見美術館を訪れています。細見美術館のコレクションが素晴らしいこともありますが、企画展もなかなか面白くて、つい足を運んでしまうのです。細見美術館の扉の演出も気に入っていて、奥まった所に格納された秘作を見に行く雰囲気があります。室内は照明をやや落としていて、作品の持つ静寂さを際立たせています。「若冲と祈りの美」展は美術館のコレクションである伊藤若冲の絵画と仏教美術の数々で構成されていました。私は久しぶりに若冲の世界に浸れた喜びがありました。スピード感のある墨が颯爽と冴えわたる「鶏図押絵貼屏風」六曲一双は、京都まで来た甲斐があったと私に思わせてくれました。若冲の精密な描写や流麗な色彩に、私は常々惹かれるところですが、無地にさっと描いた水墨画もその抑揚と筆さばきに驚かされています。若冲は庭で鶏を飼い、日々デッサンをしていたと資料で読んだことがあります。鶏の姿態が完全に把握できていたからこそ到達できた水墨画であろうと思いました。解説によると「背景を一切描かず、墨の濃淡とユーモラスな表情は躍動感に富んでいる。一方特に雌鶏には似通った姿も見られ、最晩年の若冲画は形式化が進んでいたこともうかがえる。」とありました。署名には八十二歳画とあり、その年齢を信じれば老いてなお凄まじい表現力を持っていたことになります。若冲は還暦以降、改元の度に一歳加算したという説もあるので、これは1・2年遡る作品である説が有力ですが、それでもこの筆の気迫は常軌を逸しているのではないかと思いました。今回のNOTE(ブログ)は若冲の作品が中心になってしまいましたが、仏教美術の作品の数々も併せて展示されていました。美術品として視点で宗教美術を見ると、祈りの対象から離れて作者が表現しようとした意図が見えてきます。そんな鑑賞もあっていいのではないかと私は思っていて、美術館に限らず寺社に行った時も手を合わせることなく、寧ろ眼で思考するようにしているのです。宗教美術には表現力に富んだ素晴らしい作品があって、心を満足させる瞬間があることを付け加えておきます。

京都の「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」展

先日、関西出張の折に京都国立博物館で開催されている「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」展を見てきました。まず時宗(じしゅう)とは何か、鎌倉時代に全国を遊行し念仏札を配り続けた一遍上人が開祖となる仏教の宗派です。一遍は浄土門系の念仏僧で、本展に出品されている「一遍聖絵」の中心的な僧として、私の頭の片隅にもありました。図録に「一遍聖絵」の記載がありましたので引用いたします。「宗祖一遍の生涯を、阿弥陀仏の光明(智慧や慈愛)を讃えた十二の名である十二光仏と、『仏説無量寿経』『正宗分』に説かれる弥陀の四十八願(十却の昔、法蔵菩薩は優れた仏国土を作り上げる為に立てた四十八種の願いを成就させ、阿弥陀仏となり『西方極楽浄土』を作り上げたこと)にちなみ、全十二巻四十八段で構成される。」(遠山元浩著)とあり、十二巻ある絵巻物にも謂れがあることを知りました。ともかく「一遍聖絵」は圧巻でした。絵師は色鮮やかな大和絵様式を基に水墨画の技法を取り入れていますが、作者とされている法眼円伊は今も謎に包まれた絵師だそうです。開祖にはどんな機会が訪れて、宗教に覚醒するのか、私が興味を感じるのはそんな場面です。図録にあった一遍の不思議な体験を拾ってみます。「目を閉じてうとうとしている所に御殿の御戸が押し開いて、白髪なる山臥の長頭巾をかけた権現が現れ、一遍の前に歩みよって言う。『融通念仏すすむる聖、いかに念仏をばあしくすすめらるるぞ。御房のすすめによりて一切衆はじめて往生すべきにあらず、阿弥陀仏の十却正覚に一切衆生の往生は南無阿弥陀仏と決定するところ也。信不信をえらばず、浄不浄をきらはずその札をくばるべし』と。後に目を開いて見ると、十二三ばかりなる童子百人ほどがやって来て、手をささげて『その念仏をうけむ』と言って札を受け取り南無阿弥陀仏と唱えていづ方ともなく去った。」(有賀祥隆著)本展の出品作は、美術的な見方も出来ますが、時宗のことを齧ってみると、かなり面白くなることが分かりました。因みに私の菩提寺も浄土宗で、法事には南無阿弥陀仏を唱えているため身近に感じた展覧会でした。

週末 新しい陶彫制作へ向けて

関西出張の疲労が多少回復してきました。今日は朝から若いスタッフが2人来て、工房でそれぞれの課題に向き合っていました。私は電動タッカーを手に入れたものの板材をまだ購入していないため、梱包用の木箱作りは来週に持ち越しになりました。そこで今日の作業では、以前からイメージしていた来年に向けての新作への第一歩を踏み出すことにしました。2020年の新作です。まず集合彫刻の最初の陶彫部品を作っていくのですが、新作と言えどもコンセプトは現在の作品の延長上にあり、それを踏まえて新たな方法を試していくのです。新作は既存の彫刻作品で定番になった根の陶彫の発展形です。基本は蒲鉾型の成形ですが、いろいろなバリエーションを考えています。そのうちのひとつを今日試してみました。何とかこれでいけそうかなぁと思っています。若い女性スタッフ2人が工房に来てくれているのも私には心の支えになっています。疲労を言い訳にして制作から逃避してしまうところを、2人がいることで、私はぐっと我慢して陶彫に向き合えるからです。2人にとっても工房は作業をやるには適した環境なので、お互いの利害関係が一致しているとも言えます。7月予定の個展用作品の梱包と新作の準備、これが今月の大きな仕事ですが、今年の作品がほぼ出来上がっているので、だいぶ気が楽になっています。新作の滑り出しもまずまずかなと思っています。

週末 梱包用木箱作り準備

昨日の夜に関西出張から帰ってきました。2泊3日の出張で疲労も溜まっているだろうと予想していましたが、思っていた通り、午前中は身体が動かず自宅でボンヤリしていました。とりあえず工房に行きましたが、先日の図録撮影をしたままの状態になっていた空間を、梱包作業が出来るように少しずつ配置を換えました。今日から個展搬入用の梱包用木箱作りと決めていました。懇意にしている業者が本格的な木箱のモデルを作っておいてくれたので、その構造を確かめました。午後になってその業者に連絡を入れ、電動釘打機を見に連れて行ってもらいました。手ごろな中古の電動タッカーがあったのでその場で購入しました。その足で業者が懇意にしている材木店にも行きました。残念ながら店は午前中で閉まっていましたが、材木店の場所は分かりました。次は私一人で出かけて、板材を購入してこようと思っています。材料や道具をどこで手に入れるのか、これは彫刻をやっている者にとっては重要なことです。今までは日曜大工センターで購入していた梱包材でしたが、専門店のほうが何かと相談に乗ってくれるのではないかと思います。例年木箱作りに時間がかかっていましたが、材料や道具類、さらに協力してくれる業者がいれば、時間短縮も可能ではないかと思いました。今日は何か作業をしたわけではなく、道具を揃えたところで終わりにしました。夕方は家内と亡き義母の法事用の品々を注文するためデパートに出かけました。関西出張の疲労を紛らわせるためにいろいろな用事を済ませながら一日を過ごしました。明日は朝から工房で作業を行ないます。

雨降りの関西出張最終日

関西に来て3日目です。今日は一昨日や昨日と打って変わって、朝から大雨に見舞われました。関西出張が今日で終わります。荷物を宅配便で横浜に送り、身軽になって夕方まで町の散策をしました。昨晩は近江牛を振舞われ、その美味しさに舌鼓を打ちました。またここは米の産地で、白米の美味しさも忘れられません。近隣県出身の職員の一人が「毬まんじゅう」なる和菓子を買って、私にもご馳走してくれました。上品な餡が入った餅ですが、周りを餅米で覆った雰囲気は栗の毬(いが)に似ているので、名付けられたようです。人里離れたところで現在も伝統的な日野椀作りをやっている工房にもお邪魔しました。伝統野菜で言えば「日野菜」があり、3分の1ほどが紅くなっている細いカブで、私たちが泊まった宿舎の朝食に漬物にして出していただいていました。そもそも農業体験を主なプログラムに組んでいた今回の関西滞在ですが、私の興味は専ら現地の食事や文化に集中してしまいました。滋賀県にいても琵琶湖を見ないで帰る今回の関西出張は、やはり観光ではなく研修の色合いが強いものだという感想を持ちました。私たちの職場以外にも横浜市には多くの同種の職場がありますが、ここは風変わりな研修をしているなぁと思いました。私は数十年この職種にいて、今回は始めて経験したものばかりでした。ここはこうした方がいいのかなというアイデアも今回の経験から出てきました。今年は私が転勤したばかりなので、昨年度練り上げた計画で進めた研修でしたが、来年度はもう少し自分のカラーを出していきたいと思っています。昨年を知らないので比較することは出来ませんが、安全安心で実り多い研修だったと言えば今回は成功だったのではないかと思っています。

近江商人の古里へ

関西出張2日目になりました。出張したメンバーには滋賀県に滞在している期間にさまざまな体験活動が組まれていましたが、私はこの日野町で案内された近江商人の記念館に興味が湧きました。近江商人は江戸等に出張販売に出かけ、各地に出店していたらしく、一人の商人が数多く経営している様は、まさに現在のチェーン店やフランチャイズの起源となったようです。酒、醤油、味噌などの醸造業の他に雑貨や質屋も兼営していたようで、多角的経営が成されていました。日野の名産では日野椀や漢方医薬の販売がありました。とりわけ「萬病感應丸」は日野を代表する薬で、小さな薬となれば荷が軽く、持ち歩きに便利で利益も大きかったために日野の近江商人は莫大な富を築いたようです。商人はその富の多くを地域社会に還元したため、日野町には16基の曳山があり、多額の寄付があったことが分かりました。「萬病感應丸」は現在も販売しているので、私は試しに小さい袋を買ってみました。日野の人たちは今でも愛用していると聞いたので、私の疲労回復に効けばいいなぁと思っています。日野町は小さい町ながら古くからの伝統伝承が受け継がれ、豊かな文化が根付いている町だなぁと思いました。駅舎も最近リニューアルされたようですが、古い情緒はそのまま残されているように思いました。この町は映画の撮影にも使われているようで、そのスポットにも案内されました。確かに時代劇や明治時代の風景が残る場所もあって、広大な土地に田畑が広がる風景は、横浜では見られなくなったなぁと思いました。今日も天候に恵まれ、青空に爽やかな風が吹いていました。

関西出張2泊3日

職場が変わっても私たちの職種は1年間に1回は2泊3日の出張があります。今の職場でも前職場と同じような時期に関西方面への出張がありました。ただし、職場によって滞在する県が違い、今の職場は滋賀県に連泊することが昨年度より決まっていたようです。初日は京都に行きました。そこで一日を過ごすことになっていて、他の職員と私は別々の行動をとることにしました。私は京都には毎年訪れているため、仕事の合間を縫って博物館や美術館に立ち寄ることにしているのです。何か不測の事態が生じれば、すぐ駆けつける状況であっても、京都に行ったら観たいと思っていた展覧会を2つ巡ってきました。ひとつは細見美術館で開催中の「若冲と祈りの美」展で、江戸時代の絵師伊藤若冲の作品に久しぶりに接することが出来ました。細見美術館は伊藤若冲のコレクションが有名で、ギャラリーショップには伊藤若冲のコーナーがあります。そこでつい伊藤若冲の評論集やら「奇想の画家」を著した辻惟雄氏の面白そうな書籍を購入してしまいました。展覧会の詳しい感想は後日改めます。次に向かったのが京都国立博物館でした。ここで開催中の「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」展で、踊念仏を唱えた一遍上人の日本各地への遍歴を絵巻物にした一遍聖絵が圧巻でした。一遍聖絵を見ていると、師匠の池田宗弘先生がスペイン巡礼路を記した作品が思い浮かびました。一遍聖絵は細密で時代の民俗も表現されていて、その中に自分も入ってしまえるような幻想が頭を過ぎりました。見終わった後、漸く現実に戻って京都駅に向いました。この展覧会も詳しい感想は後日改めます。京都は天候に恵まれ、蒸し暑い一日でした。相変わらず外国人観光客が多く目立ちました。毎年横浜からここにやってくると、まさに国際的な観光都市になった古都として、いろいろなところに外国人向けの便宜を図る工夫があって、観光立国を目指す意気込みが感じられます。お土産も日本情緒を盛り込んだ洒落たものが多くなったと感じました。横浜の職場に残って仕事をしている副管理職や事務職にお土産を購入して京都を後にしました。

6月RECORDは「浸潤の風景」

「浸潤」というのは、あまりいい意味では使われないコトバです。「肺浸潤」という病名があり、それは結核菌におかされた肺の一部の炎症が広がっていく疾患です。浸潤の単純な意味では次第にしみ込んで広がることを指しますが、それは液体に限らず、思想などの場合にも使われるコトバでもあります。水彩絵具が紙にしみ込んでいく状況を、絵画的な発想ではその効果を利用して何かを表現することは屡々あります。面白いなぁと思ったのは、5月17日にアップしたNOTE(ブログ)にある彫刻家若林奮の絵具に対する考え方です。「若林は絵具やインクを紙にしみこませ、『紙の厚さを彩色する』ことを試みる。」(江尻潔著)という発想は、明らかに画家のそれではなく、彫刻家の浸潤に関する捉えです。私自身は自作を考えると、彫刻的な要素と絵画的な要素が混在しているため、その双方に理解を示していますが、若林奮流の考え方に妙に納得してしまうことがあります。絵具を幻想化の表現として使うものではなく、あくまで実材として扱うと、浸潤という効果が平面ではなく、空間を伴う立体として立ち現れてくるように感じます。今月のRECORDに選んだテーマである「浸潤の風景」には梅雨の季節を迎える気分もあり、水に覆われた世界とそれが浸透していく状態をどう表現しようかという意思も働いています。滲ませたり、しみ込ませたり、線描写というより絵具中心の画面になりそうです。今月もRECORDを頑張っていきたいと思っています。

6月の制作目標

そろそろ梅雨入りになりそうな鬱陶しい日々ですが、昨日は曇り空の下で図録用の撮影が無事終わって良かったと安堵しています。今月の制作目標は次なる彫刻を作っていくことですが、新しいイメージは既に私の頭の中にあって、まず1点目の陶彫部品を作るところから始めたいと思っています。展示方法は屏風と床を考えていますが、今までの作品と違うところは床部分に多くの陶彫部品を置くところです。過去の屏風作品は屏風そのものに力を入れていましたが、新作は屏風から湧きだした生命体が床を這って出てくるイメージです。もう少しイメージがまとまったら、NOTE(ブログ)でお知らせします。今月は制作と同時に「発掘~双景~」と「発掘~曲景~」それに「陶紋」5点の梱包をしなければなりません。東京銀座のギャラリーせいほうでの個展が来月の海の日から開催することになっているので、その前日の搬入までには梱包を終わらせなければならず、週末を数えるとそんなに余裕がないことが分かってきました。今回から梱包の木箱は先日業者に教えていただいた頑丈なものにする予定です。今月困難を感じているのはRECORDです。雑な下書きばかりが溜まってしまって、どんな作品に仕上げたかったのか、完成イメージを忘れてしまっているRECORDもあります。当初のイメージと完成がズレてしまうこともありますが、自分の不甲斐なさ故に仕方がないと思っています。少しでもそれを解消するために頑張ろうと思います。鑑賞は先月我慢した分、今月は美術館等に出かけたいと思います。読書はヨーロッパに纏わる文化論を引き続き読んでいきます。

週末 図録用撮影日

今日は日曜日ですが、横浜では開港記念日の祝日でもありました。天気は曇りで、ときより晴れ間が覗いていました。図録用の作品撮影には暑くもなく寒くもない、作業をするのに最適な日だったと思いました。朝9時に学生2人が工房にやってきました。彼女たちには野外工房の車の轍跡を消すために、コンクリート床に水を撒いてデッキブラシで擦ってもらいました。10時に多摩美大の助手2人が来てくれました。それから後輩の彫刻家がやってきて、まず「発掘~双景~」の陶彫部品を野外に持ち出しました。10時半ごろにカメラマン2人がやって来ました。家内と私を加えると、陶彫作品の移動や組み立て人数は7人、撮影のカメラマン2人の総勢9人で、今日の撮影イベントを過ごすことになりました。撮影は野外から始まり、「発掘~双景~」と「発掘~曲景~」の2点を組立てました。組立て途中にスタッフと私の作業現場を撮影しました。これは図録の最初の頁に使うもので、毎年恒例になっているものです。次に工房室内の作業台を片隅に移動し、空間を大きく開けて、そこに野外で展示した作品を移動してきました。野外と室内、2回の分解と組み立てを繰り返すので、この時ばかりは複数のスタッフが必要なのです。「陶紋」5点は流れる水を背景に撮影をしてもらいました。私としては今日来てくれたスタッフたちに感謝したいと思います。私の作品は一人ではどうにもならない組立作業があり、運搬も一人では厳しい面があります。毎年のことですが、スタッフの支援は本当に有難いのです。撮影後の作業台等の現状復帰作業もスムーズに出来ました。私は個人的には作品が完成した安堵感が広がり、同時に何とも言えない疲労感に襲われました。これは毎年同じですが、今年は転勤があった故か、とりわけ疲労が例年より厳しいと感じています。夕方スタッフを車で送り、自宅に帰ってきたらソファに倒れるように横になり、そのまま眠ってしまいました。力仕事は若いスタッフに任せていたのに、どういうわけか私もクタクタになって身体の節々が痛くなっていました。おそらく精神的な面が疲労の大半を占めているのだろうと思っています。ともかく今日は無事撮影が終わって良かったと思っています。個展のイメージが見えてきました。

週末 6月になって…

いよいよ明日が図録撮影日になりました。今日は6月に入っての最初の週末ですが、明日の準備のために早朝6時過ぎに工房に行きました。早い時間帯に作業をもってきたのは、9時半から12時までの2時間半、職場のある地域で防災会議が組まれていて、そこに出席するために、早朝の1時間程度の作業をやったのでした。「発掘~曲景~」のテーブルに陶彫部品設置のためドリルで穴を開けました。ボルトナットを使って陶彫部品をテーブルに接着させるのです。8時に工房から帰宅して作業着から仕事用のスーツに着替え、地域の会議に出席してきました。お昼過ぎに自宅に帰った後、また作業着になり、再び工房にやってきました。午後は「発掘~双景~」の陶彫部品が窯に入っているため、窯を開けて最終部品の確認をしました。焼成は何とか成功し、これで全ての完成した陶彫部品が出揃いました。追加で焼成した陶彫部品に印と番号を貼り付けて、そこの部分だけ組み立ててみました。これで明日の撮影は何とかなりそうです。午後の作業時間は4時間でしたが、工房の床や野外の車の轍跡は、明日スタッフと共に清掃を行なう予定です。夕方、再び職場のある地域での懇親会が組まれていたため、また仕事用のスーツに着替え直して出かけました。今日は午前中と夕方に地域会合があったため、工房と職場を出たり入ったりしました。二足の草鞋生活の多忙な一面が垣間見えましたが、自分で選んだ道なので、こればかりは仕方ありません。今日はあっという間に過ぎた一日でした。今日は6月の最初の日なので本来なら今月の制作目標を考えるところですが、今日はそんな余裕がありませんでした。明日の図録用撮影が終わったら、制作目標を考えようと思っています。6月はほとんど搬入用の梱包で過ぎてしまいそうですが、次なるイメージが湧いてきているので、梱包と併行して来年の新作に取り掛かれるといいなぁと思っています。

令和になった5月を振り返って

今月1日から令和元年がスタートしました。アメリカのトランプ大統領が令和初の国賓として天皇陛下を訪ねて来られました。私は新しい職場に徐々に慣れてきましたが、外会議が多くて落ち着かない日々を送っています。落ち着かなかったのは職場だけではなく創作活動も同じでした。工房のロフト拡張工事があって、今月の制作工程がしっかり進められるのかどうか内心焦っていました。今は何とかなりそうなので安堵していますが、図録撮影日が目前に迫っているので予断は許せません。それでは今日は今月の最終日なので制作を振り返ってみようと思います。まず新作の状況ですが、「発掘~双景~」と「発掘~曲景~」と「陶紋」5点、これが個展に出す作品です。そのうち窯内にある陶彫部品が2点あるので、新作は完全に出来上がったことにはなっていない現状があります。ですが、作品を完成近くまでもってくるのに今月は無我夢中で取り組んだことは確かです。新作は撮影日に初めて組み立てるので、そこまでは心配の種が尽きないのです。それでも創作活動は頑張っていたのではないかと自分なりに評価しています。鑑賞では美術展に行った日は皆無でしたが、音楽鑑賞では叔父のコンサートに行きました。親戚に声楽家がいることは幸せなことだなぁと改めて思います。映画鑑賞は「キングダム」(TOHOシネマズららぽーと)と「グリーンブック」(シネマジャック&ベティ)を観に行きました。美術の展覧会にしても映画にしても、さらに行きたいものはあったのに、陶彫による新作に邁進してしまったのは、図録撮影を控えているためでした。今月は職場で体育的なイベントがあったり、新旧職場や自分が関わった団体の歓送迎会が複数あったり、各種総会も多く、日々慌しく過ごしていました。その分、RECORDが犠牲になってしまいました。下書きばかりが先行している現状を何とかしなければならないと毎晩思っているのですが、加齢とは思いたくない蓄積疲労と睡魔に勝てずにいます。読書では「日本流」を読み終えて「ヨーロッパの形」に移行しました。日本から西欧へ私の大好きな文化論は止め処も尽きず、まだまだ楽しめそうです。

「ヨーロッパの形」を読み始める

先日まで読んでいた「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の後は、真逆に位置する西欧の文化史に触れたくなって、「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)を読み始めました。私は1980年から5年間ヨーロッパに住んでいました。彼の地の美術アカデミーに通っていましたが、旧市街を彷徨い歩くことが好きで、学校よりも散策によってヨーロッパを体感することが、今も印象強く心に残っています。ヨーロッパの旧市街は階段が多いなぁと当時感じていて、年老いた人が杖を支えに階段を登っていく姿をよく見かけました。街の景観としては、平面的に広がる日本の農村風景より、石材で構築されたヨーロッパの立体的な風景の方に私は惹かれていて、これはないものねだりの異文化憧憬なのだろうと思っています。本書のはじめの言葉を引用いたします。「なぜ螺旋階段なのかといえば、まっすぐな梯子ではどこかに支えがなければ立たないが、螺旋階段で、それも螺旋の半径がおおきいものであれば支えがなくともそれだけで立つのである。先のほうは雲間に消えているが、ぐるぐる回っていればそのうち天につく。ネジの原理である。日本に種子島銃が渡来したとき、さっそくそれを分解して模倣しようとして、一番苦労したのがはじめて見るネジというものだったという話は有名だし、咸臨丸のころでさえ、アメリカに渡った使節たちが荒物屋でネジを買ってきたという話もある。」成程、西欧の文化史は螺旋から始まると言ってもいいかもしれません。螺旋文様は私が大好きな形のひとつです。植物の生長に限らず、人間の筋肉のつき方も螺旋になっていると、彫刻を学び始めた頃に学校で教わりました。立体は直に立っているより捻ることで構造は強くなる、そんな立体感覚を持ったのもその頃でした。今回はそんな自分の興味関心を受け止めてくれそうな書籍に出会うことが出来ました。通勤の友として楽しんで読んでいきたいと思います。

「日本流」読後感

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)を読み終えました。著者松岡正剛氏はネット上の「千夜千冊」で知りました。「千夜千冊」は、所謂書籍のナビゲーションのことで、これを眺めていると氏の幅広い教養だけでなく、内容を語る視点のユニークさに特筆すべきものがあると思います。本書「日本流」もその路線を辿っていて、日本人としての「あるある」を浮かび上がらせていましたが、我が国の文化継承に一石投じているように思われます。あとがきから引用すると「読みすすむうちに何が見えてくるかという点については、最初は多様な一対の文様を追うように進み、そこでいったん失われたものに思いをいたし、ついではしだいに日本の文化の奥に眠る『スサビの動向』を浮上させるという曲想にした。~略~主題や引用のしかたや言葉づかいについては、いろいろな輻湊関係が丹念にくみこまれている。できればデュアルでポリリズムな音楽を聞くように読んでもらえるとありがたい。」とありました。私も多様な日本流について自分なりに思いを馳せ、祖父が宮大工、父が造園業という職人家庭に育った自分だからこそ思いつくことがあるのかもしれないという考えに至りました。本書の解説から文章を拾います。「『日本流』とはあくまで『日本の流儀』のことで、その現れは多様であふれんばかりだ。『日本流』とは、歴史上と今日とに現実に存在する、多様さに対応する言葉として初めて『発明』された表現であり、新たな視点なのだ。~略~本書に通っている隠れたテーマは、その、『質』である。日本らしさが重要ならば、ただそれだけのことなのだが、実は問題は質なのだと、本書は隅々で言っている。~略~『キワ』という言葉も本書の柱である。感覚をハシやキワにもっていって、ツメてゆく感覚である。その果てに『スサビ』があり、寂しさもある。寂しさや切なさの無い遊びは『ツマらない』のだ。」(田中優子著)

「日本は歌う 間と型から流れてくる」について

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の第七章は「日本は歌う 間と型から流れてくる」について取り上げています。本書「日本流」はこれが最後の章になります。著者が最後に取り上げたのが「間」と「型」です。私たちは普段よく「間がぬけた」とか「間にあわせる」という「間」を入れた会話をしていますが、この「間」とは何か、説明が難しい感覚的な言葉に思えます。「日本の伝統芸能はその大半が『間の芸能』です。能はまさしくその典型だとは思いますが、舞踊・狂言・歌舞伎はもとより、雅楽から常盤津にいたるまで、民謡から小唄にいたるまで、いずれも『間』が勝負になっている。」さらに説明が難しいものを取り上げるとすれば「加うるに伝統芸能や伝統工芸の多くは口伝です。武芸や武道というものもたいていは体得か、口伝です。~略~ようするに秘伝や口伝という様式には、われわれが説明しようとしても説明できない何かが宿っているように思えるのにもかかわらず、それが取り出せないのです。」とありました。「そもそも『間』とか『型』というものは盗むしかないようなもので、そして、それを盗んでみないかぎりは、そこには『過去からの伝承』が生きていることは当の芸能者にもわからないのです。~略~芸がつくられていくきわみに『間』があって、その『芸の間』あるいは『間の芸』が日本の芸能そのものの到達点なんだということです。」この言い回しは日本人なら納得がいきますが、外国人には曖昧模糊としたものに映るのではないでしょうか。「秘伝や口伝。『間』とか『型』。つまりは記憶の文化。これらは日本文化を象徴しているにはちがいないにもかかわらず、また、われわれはそのことを舞台の所作や三味線の手や、文楽の頭の動きや茶碗の深みにはっきり認めているにもかかわらず、いっこうにその姿を明確にあらわさないことによってしか、われわれをゆさぶってくれないもののようです。」では何故このような文化が生まれてきたのでしょうか。「日本にはいつ地震がくるかわからないし、いつ台風や大雪がくるかわからない。日本史の大半は早魃と飢餓の歴史です。~略~しかも資源にはかなり限界がある。季節も変化する。これが不安定でなくて、何でしょう。こういう国では一事が万事です。~略~そこには二つの工夫が生まれます。ひとつは万やむをえず諦めるという観念を維持しようという立場です。これは有為転変を見つめる無常観というものになります。~略~もうひとつは講や座や組や連などといった、小さなネットワークで経済や文化を組み立てるという工夫です。~略~いずれも不安定を宿命と見ているところは同じです。」日本という国の姿、環境から考えて、こんなことが述べられていました。最後に著者が本書の最初に登場した歌について振り返っています。「私がこんなことを書きのこすのは、冒頭にも示したように、西条八十の『かなりや』が、本書の心の一端を歌ってくれているように思っていたからです。~略~日本には歌を忘れてほしくない、後ろの山に捨てるのも、月夜の海に浮かべるのもまだ早い。しかし、そのように歌うことがかえって日本に必要なものを創発させるかもしれない、そういうことでした。」

新作印のデザインと彫り

陶彫部品を組み合わせる集合彫刻には、私は新作ごとに新しい印を貼り付けています。これは多くの部品から成り立つ故の工夫ですが、陶彫部品ひとつひとつの隠れた場所に印を貼り、番号をつけておきます。その番号に従って順序良く組み立てると、集合彫刻が出来上がるというわけです。私の作品は私一人では組み立てられない代物であり、多くの協力者が必要です。スタッフがいないと何も出来ないというのは、助っ人からすれば迷惑な話ですが、大きな彫刻にはそうしたことが多々あります。彫刻家は孤高などと言っていられない事情があって、普段から同僚や後輩や教え子を大切にしていないと協力は得られないのです。陶彫部品に貼り付ける印は、毎年新しくデザインして彫っていきます。作品は分解して保存しておくので、新作の印は部品同士が混ざらないための工夫です。印は柔らかい高麗石に彫りますが、書道家ではないので、篆刻に拘ることはなく自由気儘にデザインをしています。まるで文字を変形させた抽象絵画のような塩梅です。「発掘~双景~」の印は氏名を直線的に構成し直し、ほとんど文字が読めないところまで抽象化してしまいました。「発掘~曲景~」は苗字のみアルファベットで構成したデザインにしました。和紙を小さく切って印を押し、番号を付けて貼るのを、さて、いつにしようか考えています。少なくとも図録撮影日に組み立てるので、そこまでには印を貼っておかなければなりません。今晩の工房は焼成があって使えないため、自宅で印を彫ることに精を出していました。明日は工房が使えるので、陶彫部品の修整を加えながら印貼りをしていこうかと思っています。

週末 図録撮影日前の週末

来週末の6月2日(日)が図録撮影日です。その日に工房スタッフを集めているので、何とか6月2日を新作完成のゴールにしたいところです。もちろん完成するはずと踏んでいますが、心配なことは焼成です。とくに追加して制作した2個の陶彫部品がしっかり乾燥しているのかどうか、そこだけが気がかりなのです。5月にしては30度超えの猛暑日が続いていますが、陶彫部品の乾燥には効果的です。熱中症など身体に悪影響を及ぼす猛暑ですが、私の新作には恵みの高温です。今日はその新たに作った2個の仕上げと化粧掛けを施しました。今日の窯入れは「陶紋」5点と「発掘~曲景~」の2点の合計7点でした。これは大分前に乾燥していたので、まず大丈夫だろうと思っています。水曜日に最後の2点の窯入れをしますが、これが上手くいけば新作の陶彫部品は全て揃います。これは天に祈るばかりですが、焼成の合間を縫って、夜の工房に出かけ、陶彫部品の組立てに必要な細かな仕事が残っているので、それもやらなければなりません。ひとつは陶彫部品ひとつひとつに番号を貼ることです。これは新しく印を彫り、和紙に押して番号を振り、それを陶彫部品の見えない箇所に貼り付けていくのです。罅割れがあるかどうかの確認も必要です。修整剤をつかって皹は埋めていきます。ウィークディの夜は撮影日まで休めないだろうと覚悟を決めています。月曜日と水曜日は焼成が始まるため工房は使えず、その他の日は全て夜の工房に通います。6月1日(土)は職場の地域行事があって出勤する予定なのです。そこが二足の草鞋生活の厳しいところですが、撮影日の前日にやろうとしていた仕事を今週のウィークディの夜に振り替えているのです。何故か辛さは感じません。完成に向かう意志が克っているのかなぁと思っています。こんな時に次作のイメージが降って湧いてくるのが不思議です。私の場合は感極まると新しいイメージが朧気に見えてきます。真夏のような蒸し暑い工房内で頭が朦朧としていて、それでも慎重に窯入れをしてる最中に新作イメージがやってきました。これはある意味では現実逃避なのかなぁと疑いつつ、いつもそうしてやってくるイメージを毎年具現化してきました。まだ創作活動を続けていろと芸術の神々に言われているような気になって嬉しさも込み上げてきます。次作に繋げられるように今週は頑張ろうと思っています。

週末 昇降機調整&陶彫仕上げ

やっと週末になりました。今週は職場外での会議が多かった上に、昨日は野外の体育的イベントを開催し、夜はその成功を祝って打ち上げもやっていました。先週は体調が思わしくない状態でしたが、今週になって体調は回復しつつあり、それでも疲労は相変わらずで、どこかで一日休みたいところを、この週末が図録撮影前最後の週末のため、身体に鞭打って工房にやってきたのでした。この2日間でやるべきことを考えました。今日はとりあえず乾燥した陶彫部品に仕上げや化粧掛けを施し、窯入れの準備をすることです。明日は出来上がっている陶彫部品に修整をすること、これが2日間の大きな仕事です。窯入れは週2回に分けて行なうので、今日行う仕上げや化粧掛けの個数も多くなります。今日は小品「陶紋」5点を含めて7点の仕上げを行ないました。今日も真夏を思わせる暑さで、空調のない工房内は大変な気温上昇に見舞われました。昼過ぎに暑さと疲労のためか身体が動かなくなり、自宅に戻って30分程度休むことにしました。昨日の体育的イベントでも全体で20分程度休憩を入れたので、自分自身にもそのような休憩時間を与えたのでした。午後2時過ぎにまた工房に戻って作業を続行しました。朝の時間帯では昇降機の設置業者が3人ほど来ていて、最後の調整をしていました。そのうちの一人が元梱包業者だったらしく補強材の入った正式な作り方を教えてくれました。私が例年用意している木箱では弱いと言うのです。確かにその通りで、積み上げた時に下敷きになった木箱が潰れそうになるのを防ぐために補強材入りの木箱を用意したいと思っています。図録撮影以降、また業者に連絡を取って、業者が懇意にしている材木店に連れて行ってもらい、梱包の方法を改めて聞いてこようと思っています。

職場の体育的イベント実施日

私と同じ職種の人が、このNOTE(ブログ)をよく読んでくださっているので、職場の体育的イベントとは何のことか、分かっていただいているとは思いますが、情報の拡散を恐れて、私が退職するまでは種明かしはしないつもりでいます。4月より新しい職場に異動してきても、私たちの職種の文化はどこに行っても変わるものではなく、現在の職場でも同じような文化行事が組まれていました。その体育的イベントは野外で実施するものなので、一番の心配事は熱中症でした。マスコミで報道されているような事態になっては、せっかく楽しいイベントも台無しになってしまうので、多めの休憩を取りながら、今日は炎天下のもとで決行いたしました。午後になって風が出てきたので、何とか一日のプログラムを最後まで終わらせることが出来ました。こうしたイベントを経験する度に職場が身近になります。若手職員の一人が早朝3時過ぎに出勤して、黒板アートをやっていました。専門は美術ではないのによくやるなぁと感心しましたが、黒板アート(黒板ジャック)は私の母校の学生たちが始めた「恋するムサビプロジェクト」が発端になって、全国に広まった活動です。この職場に来て、そんな取り組みがあったとは思いも寄らず、ちょっとびっくりしました。ともかく今日は何事もなく体育的イベントが終了出来て良かったと思いました。これは職員の結束が生んだ成果だと思っています。こうしたイベントは年間に何回かありますが、普段は専門職に就いている全職員が専門を超えて連携し、組織として力を発揮するもので、今日は私にとって新しい職場である現在の職場で、職員がどのくらい協力体系が作れているかを判断することも出来ました。現在の職場は昨年度まで勤務していた職場にも匹敵するほど優秀なところが目立ちました。管理職としてこれほど有難いことはありません。私にとっても実り多い一日だったと振り返っています。