週末 2月になって…

やっと週末になりました。今日から2月です。中国の武漢から発生した新型ウイルスによる肺炎が、毎日マスコミで取り上げられていて、また恒例となったインフルエンザも猛威を振るう季節になりました。私も基礎体力を心配する年齢になったのか、足がもたつく時があります。私は長く創作活動に携わっていきたいので、何か自分でも出来そうな健康維持、体力維持の方法を考えていこうと思っています。創作活動に関する今月の制作目標は機会を改めるとして、今日のことについて触れていきます。今日の午前中は工房で屏風の厚板の刳り貫き作業をやっていました。やはり土曜日は昨日までのウィークディの疲れが残っていて、作業を行う身体の動きが緩慢でした。休息を兼ねて、午後から家内を誘って東京の博物館に展覧会を見に行くことにしました。東京上野にある東京国立博物館平成館で開催中の「出雲と大和」展、同博物館東洋館で開催中の「人・神・自然」展は、あちらこちらで見かけるポスターの面白さで目を留めていました。「人・神・自然」展のポスターは、地中海からアジア・アフリカ・中南米の古代文化に由来する工芸品の仮面を画面にぐるりと配置して、それだけで私の関心は高まりました。「出雲と大和」展のポスターは、出雲を象徴する銅鐸、大和を象徴する画文帯神獣鏡を左右に配置して、神の世と人の世を比べてみるような働きかけが感じられて興味が湧きました。「出雲と大和」展にしろ「人・神・自然」展にしろ、双方とも古代文化を焦点化していて、私にとってはまさに自己表現に反映できる要素が満載でした。のんびり疲れを癒されに行った展覧会でしたが、内容は思索的で、自分の創作活動に何かを与えてくれる刺戟が詰まったものでした。展覧会を見て、疲れた身体に鞭を打たれた按配になり、明日からの創作活動に闘志が出ました。これで良かったのかどうか…ともあれ今日は充実した時間を過ごせました。今日は前述した新型ウイルスやインフルエンザのこともあって、人が多く集まる東京上野にはマスクを着用して出かけました。最近マスクが売り切れているそうですが、家内が早めに購入していたので、当面マスクは常備してあります。「出雲と大和」展と「人・神・自然」展に関しては後日改めて詳しい感想を書こうと思います。

2020年の1月を振り返って…

1月はあっという間に過ぎた感じがします。昨年暮れから続いていた休庁期間(閉庁日)があったため、陶彫制作はかなり頑張れたように思っています。新作は屏風と床を繋ぐ陶彫部品を残すのみとなり、今月の週末は朝から夕方まで制作三昧でした。床置きの陶彫部品が焼成まで完了し、屏風に接合する陶彫部品も乾燥を待って窯入れするだけになっていて、このところ調子がいいのかなぁと思っている次第です。このままいけば良かったと思えたところを、屏風の厚板の刳り貫き作業に手強さを感じています。そう易々と完成できないのが創作活動で、今回も苦労苦心が精神性という魂を呼び込むかもしれません。毎回のことなので気構えは出来ていますが、先行きの心配は尽きません。今月の鑑賞は美術館に行けず、敢えて挙げれば美大の卒業制作展に行ったくらいでした。映画鑑賞は「ゴッホとヘレーネの森」、「台湾、街かどの人形劇」(2本ともシネマジャック&ベティ)に行きました。両方ともドキュメンタリーで見応えのある映画でした。RECORDは下書きがやや溜まってきています。このNOTE(ブログ)にしろRECORDにしろ、また夜の工房通いも考えていましたが、仕事から帰ってくると、夜の時間帯は睡魔に勝てず日々の制作が滞ります。加齢のせいか気力が湧かない日もあって、これはどうしたものだろうと思う時もあります。創作は精神の産物なので心の持ちようで変わるはずです。読書は芸術民俗学の書籍を読み終えて、次はどれにしようか思案しています。自宅に関してはリニューアルが始まる予定で、ここで気分転換が図れるかもしれないと期待しています。来月も頑張りたいと思います。

「呪術としてのデザイン」読後感

「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)を読み終えました。あとがきに代わるものとして「旅の終わりにー沈黙のデザイン」という最終章がありました。そこには日本独特の宗教観やら、そこから導き出されるデザインが論じられていて、本書は最後まで私自身のツボにハマる話題に事欠きませんでした。私も若い頃に東欧で遭遇した祭りに不思議な親しみを感じていて、旧家に育った自分に馴染み深かった昔の匂いのようなものを重ねていたところがありました。その頃は本書にある時間軸や空間軸を縦横に走る論考はなく、今から思えば己の予感に頼った感覚でしかなかったなぁと振り返っているところです。「日本の宗教の特色は、底に流れるシャマニズムであるといわれている。一口にいえば巫覡の術であって、それを最もよく反映しているのは修験道である。~略~日本人が古来からうけついだ自然崇拝と外来の仏教や道教とが結びついて成り立ったもので、山野に臥して苦行の末に霊界に参入し、体得した霊力によって神霊祖霊を操ることが可能になるという信仰である。」岡倉天心は東京美術学校(現東京藝術大学)を創立した人物ですが、著書「茶の本」の中で茶を巡る哲理を説いていて、つまり創作に纏わることにも考えが及んでいます。「天心には19世紀末のヨーロッパに出会った明治期の人びとの喪失した神を芸術に探し求めた姿が読みとれるのであるが、同時にすぐれたデザインの思想をきくことができる。つまり虚の世界にあってこそ心の自由が許されて宇宙の気を感じることができるのであって、逆にいえば、あるべきデザインとは虚なる時空間の創造であるということである。」また、こんなことも述べられていました。「祭りの本義は明かりが消え、闇につつまれた世界が再び明けそめる幽玄の時空にかくされていたように、デザインもまた形なりその組み合わせがなされる以前に発想の不思議があって、それは個性的でありながら普遍性をもったデザインであり、自然の循環の理と共にあったのである。」以上で本書を閉じることにします。

20’RECORDの印

石材に自分の氏名印を彫ることは、創作活動を始めた頃から継続してやってきています。私の立体作品は陶彫部品を組み合わせる集合彫刻なので、部品ひとつひとつの隠れた場所に印を貼っています。具体的には和紙に捺印し番号を付けたものを接着しているのです。そうすることで年代別、作品別の区別がつくようにしていて、数多い陶彫部品が混乱することを避けています。長い間に自作の印がかなり増えてきたなぁと思っています。大きい印面であれば、氏名そのものをデザイン化して彫ることも可能ですが、小さい場合はイニシャルだったり、さらに抽象化したシンボル・マークだったりしています。一日1点ずつ制作しているRECORDも1点ずつ印を押して日付をスタンプしています。もう文具店で見かけないアナログな数字スタンプを10年以上も使っているのです。RECORDの印は毎年彫っていて、2020年の新作を漸く彫り終えました。印材も小さなサイズのものを使用するため、近隣の画材店で扱っていないことも多く、印材を求めて東京の大手画材店に出かけていき、まとめ買いをしてきました。以前にNOTE(ブログ)にも書きましたが、印は伝統的な篆刻もあれば、ほとんど抽象絵画のようなデザイン化されたものまで、私は幅広く作っていて、書道家が作られているような拘りが自分にはありません。印に小宇宙を感じ、それを楽しんでいるのは私だけではないと思っています。便宜上作っている印ですが、ひとつの作品として成り立つこともあるかなぁと思っています。

「フォークロアの意匠」について

「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第3章の4「フォークロアの意匠」についてのまとめを行います。本書も終盤に差し掛かり、洋の東西を問わず芸術民俗学としての事象が露見されるさまざまな場面を取り上げていて、論考が盛りだくさんになっています。祭祀空間として相撲から始まり、土俵から占星術に繋がるくだりは興味津々でした。さらにギリシャの時代にあった円形の闘技場も宗教に絡んだ意匠であり、こうした祭祀空間は洋の東西において存在し、また巡礼に関する象徴的な意味合いや、それに纏わる杖や水の解釈にも惹かれました。その中で私は蹲踞(つくばい)に関する箇所が目に留まりました。私の父が造園業を営んでいたおかげで、私は庭に蹲踞を据えた体験があるのです。「安土桃山時代にはキリスト教が伝来し、その影響が茶の作法に及んでいると思われる。~略~茶事はミサででもあろうから、織部灯篭をかくれキリシタンたちが拝んでいたであろうということも充分に察せられる。しかし蹲踞は滝の信仰のうつしである。その形式がととのうのは江戸中期だろうが、蹲踞が手水鉢を中心にして左右に湯桶石と手燈台を配した形になっているのは三山信仰を形象したもので、前石につくばって拝むのはこの御(霊)山である。」さらに水に関するこんな一文もありました。「水はかくて現世利益の効験あらたかな観音であり、死せるキリストを抱く聖母に重なる。大慈大悲のマリア観音を生む素地は水の信仰である。」また心の御柱についても触れた箇所がありました。「神と共に遊ぶことが芸能であって、相撲の横綱は仕切られた空間の中央に柱をたて神の座を定める儀礼の立役者であった。また茶の湯も一座建立して茶をすするが、茶を点てるというのは一椀の中に仏性を観ずることであって、それ故に茶は立つというのである。」巡礼に関する箇所で目に留まったのは「巡礼はある聖地への単一の聖地への巡礼型と、多くの霊場をめぐる円周型巡礼があるといわれ、熊野詣は一応前者に属し、西国三十三ヶ所めぐりや四国遍路は後者のものであろう。~略~むしろ長い苦行を重ね、さまざまな変身をとげながら、地霊の世界に降りついて、再び新しい生へと辿ることが巡礼である。」というところで、師匠の池田宗弘先生も辿ったスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラに触れた部分もありました。私はキリスト教信者ではありませんが、イエスの磔刑図は身近な存在で、嘗て磔刑像を彫っている夢を見たことがありました。それを鑑みると次の文章が気になりました。「十字(架)は樹木に吊るされたキリスト像によってキリスト教そのものの象徴となってしまった感があるが、元来はきわめて土俗の信仰の表れであって、樹木のもつ永遠不滅の生命力や精神性の象徴として用いられていた。そのすっくと立つ巨木の垂直軸は天と地をつなぎ、根は深く冥界に達して生命のよみがえりを約束する。そして幹からは樹液に養われた枝が四方に延びて大地をおおい、星の世界に及んでいる。この樹木を側面から抽象すれば十字(架)となり、上(下)から俯(仰)看すれば円環または車輪のイメージを作る。」第3章の4「フォークロアの意匠」についてのまとめを行なうつもりで、多義に亘る論考に接して私の考えも二転三転してしまいました。ついにまとまらなかったにも関わらず、この章は楽しすぎて自分の考えを散らかしたまま終わらせることになってしまいました。

映画「台湾、街かどの人形劇」雑感

昨日、横浜市中区にあるミニシアターに行って、映画「台湾、街かどの人形劇」を観てきました。台湾の布袋戯は街頭人形劇で、人形は手遣いによるものです。台湾にはその他に傀儡戯(糸繰り人形劇)や皮影戯(影絵人形劇)があるそうです。この映画の内容は伝統文化の継承やそれに伴う父子の葛藤を描いたドキュメンタリーで、時代と共に衰退の一途を辿る伝統芸能を映像による記録として後世に残す目的もあるように感じました。映画は布袋戯で人間国宝になった陳錫煌を追っていて、撮影当時88歳になった稀な技巧を持つ人形師に密着していました。彼の父は李天禄で、布袋戯をテレビで放映したり、フランス政府から勲章を受けた人物でした。台湾初の布袋戯博物館を設立した人間国宝としても存在感を示していたようです。その息子である陳錫煌は師弟関係にあった父に囚われ、決して平坦でない道を歩んできたことが独白から読み取れました。図録には「表情のない木偶(木彫りの人形)を操って、まるで本物の人間のように喜びや悲しみを繊細な動作で表現した。生(男性役)・旦(女性役)・浄(敵役もしくは豪傑)・丑(道化役)といった人形の種別を問わず、彼の手にかかると生命力が吹き込まれるのである。」とありました。実際の劇が映画の後半で流れましたが、その超絶技巧に思わず惹きこまれました。また国立伝統芸術センターで開催された布袋戯コンテストは、現代風の薄っぺらいアレンジを紹介していて、それを見た私は愕然としましたが、審査をしていた陳錫煌が「不真面目だ」と吐き捨てる場面もあり、伝統継承の難しさを実感しました。日本の人形浄瑠璃文楽は従来の型そのままに継承されていますが、庶民的な布袋戯は時代の求める新しさを取り入れていることが、文楽とは大いに異なります。現在は外国人の留学生も受け入れていますが、台湾では次第に社会のニーズに合わなくなっているのも事実です。嘗て庶民の芸能であった布袋戯は、芸術文化作品として国が保存に動き出しているようです。しっかりとした基礎を積んだ後継者が現れて、生き生きとした街頭人形劇が後世まで続くことを祈るばかりです。

週末 板材刳り貫き作業&映画鑑賞

今日も朝から工房に篭って、昨日に引き続いて板材刳り貫き作業を継続しました。昨日から取り組んでいた1点目を午前中に終え、午後から2点目に取り掛かりました。2点目は3分の1くらい刳り貫き作業が進んだところで、今日は作業終了となりました。屏風は6点あるので、来月の制作目標は刳り貫き作業完了にしたいと思っています。制作工程が遅れるのは承知の上で、これは仕方ないことと受け入れることにしました。作業は2日目に入ったので、慣れて手際もよくなってきました。昨日は作業を始めて焦りを感じたのでしたが、作業の進み具合が分かってくると、手間暇かかって大変なところはあるけれども、不安はなくなりました。朝から夕方まで木材に向き合う仕事は、私の性に合っているように思えます。今日は基礎デッサンを学ぶ高校生が工房に来ていました。彼女も私と同じ坦々と作業を進める性格で、毎週決まった時間に来てデッサンをしています。瞬時の冴えはないものの着実な積み重ねがあって、デッサンは徐々に上達してきました。地道で地味なところも私に似た教え子だなぁと思います。彼女だけではなく工房に出入りしているスタッフたちは、全員が努力家でひたむきに頑張っている人たちであることは確かです。夕方、高校生を家の近くまで車で送った後、私は常連になっている横浜市中区にあるミニシアターに映画「台湾、街かどの人形劇」を観に行きました。家内が演奏で時間がなかったため、今日は私一人で出かけました。映画「台湾、街かどの人形劇」は以前予告を見て、これは是非観てみようと思ったのでした。日本にもユネスコ無形文化遺産になった人形浄瑠璃文楽がありますが、台湾の布袋戯は庶民的な人形劇で、このような伝統芸能はどのように守られているのか、どんな人たちが継承しているのか、一度味わって見たいと思っていました。これは人間国宝・陳錫煌の10年を追った記録であるとともに、彼の父との葛藤を描いたドキュメンタリーでした。詳しい感想は後日に回しますが、彼の人形師としての芸を映像に残して次代に繋ぐ貴重なものでもあったと感じました。

週末 板材刳り貫き作業&自宅リフォーム注文

週末になりました。朝から工房に篭って新作の陶彫制作に明け暮れていました。今日から屏風になる厚板材の加工を始めました。まず鑿による彫りの前に、板材に格子窓を刳り貫く作業があります。これはなかなか手間がかかります。屏風は全部で6枚ありますが、今日は手始めに最初の1枚に取り掛かりました。一日中作業をしても今日で終わらず、刳り貫き作業は明日に持ち越しになりました。下書きをした段階で大変な作業になることは分かっていましたが、案の定今後の制作工程が心配になりました。明日も刳り貫き作業は継続ですが、あるいはウィークディの夜も作業をしないと間に合わなくなるかもしれません。電動工具を使用すると騒音が出るため、工房周辺の近所迷惑も考えて、出来るだけ夜の作業は避けたいと思っているのですが、ちょっと厳しい状況になっていきそうで、今後の工程を睨みながら頑張っていこうと思っています。新作を作る上で、今までも何回となく壁に当たりましたが、今年も手強いところに差し掛かっています。木材加工は陶彫制作の時と身体の筋肉の使うところが異なり、今日は辛い一日を過ごしましたが、これも徐々に慣れていくでしょう。夕方自宅に戻って休憩を取っていると、夜になって自宅リフォームの業者がやってきました。前回打合せをして、今回が2回目になりました。今年こそ断捨離をしながら自宅の改装工事をしようと思っているので、これも生涯一度のビッグイベントに違いありません。自宅をリフォームしたら、これが私たち夫婦の終の住まいになるのかもしれず、多少費用がかかってもやっていこうと決めているのです。昼間の作業でヘトヘトになっていたにも関わらず、業者との打合せが始まったら疲労はどこかへ飛んでいってしまいました。業者が用意した注文書に記入し捺印して、3月から始まる改装工事に向けて室内の片づけを行なう予定です。

HPに18’RECORD10月~12月をアップ

私のホームページに2018年のRECORDの10月分から12月分までの3ヶ月をアップしました。一日1点ずつ作り続けているRECORDは、文字通り毎日の記録ですが、日記と言うより創作活動をするためのイメージトレーニングになっていて、5日間で絵柄が展開していくように設定しています。公務員との二足の草鞋生活を送っている自分は、RECORD制作について充分な時間が取れず、苦肉の策として5日間を通じたデザインを考えたわけです。RECORDをホームページに載せるためにはデジタル画像にする必要があり、1年間で1回カメラマンに来ていただいて、1年間分をまとめて撮影していただいています。その1回の撮影日を毎年9月末から10月初めくらいに設定してあって、今回アップした画像は昨年の9月末に撮影したものです。ですから現在デジタル画像化されているのは2018年10月分から2019年9月分になっています。そのうちの3ヶ月くらいを折を見てアップしていくことになりますが、問題はアップの際に載せる私のコトバです。私は高校生の頃から詩人に憧れていましたが、コトバによる心象の吐露が巧くできず、視覚的(触覚的)な表現の方がマシなことが分かりました。彫刻家になったのはそんな理由もひとつありますが、それでも詩人になる夢は捨てきれず、未練がましく稚拙なコトバを添えているのです。高校生の頃に書き殴っていた自我ノートは、やがてこのNOTE(ブログ)になり、またRECORDの末端に添えるコトバになっています。今回アップした2018年の10月分から12月分までのRECORDをご覧になっていただけるのなら、私のホームページの左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉にRECORDの表示が出てきますので、そこをクリックすれば今回アップした画像を見ることが出来ます。ご高覧いただけると幸いです。

「木喰と東北・上越」について

「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅡ「木喰と東北・上越」についてのまとめを行います。文章の冒頭に「木喰行道は、大正12年(1923)、柳宗悦によって文字通り『発掘』された。」とありました。円空と木喰、この2人の僧が残した多くの仏像群を展示した企画展を見て、私は彫刻家魂が震えた覚えがあります。柳宗悦は民藝運動を起こした思想家で、「工芸」として生活の中に美を見出した人です。「木喰85歳に書いた自伝風の『四国堂 心願鏡』や27年間にわたる『納経帳』『国々御宿帳』などを発見できたときのかれ(柳宗悦)の喜びは大きかった。」木喰は郷土史などに名が残っていなくて、知人の教えで生誕地が山梨県下部町丸畑であることが分かったようです。さらに「45歳のとき、日本廻国の大願をおこし、常陸の木喰観海上人のもとで、木喰戒を継いで、『木喰行道』と名乗った。」とありました。「56歳に当たる安永2年(1773)、木喰は大山不動の近くにある伊勢原市から旅立つ。北は北海道、南は九州にいたる日本六十余州をあまねく行脚し、おびただしい仏像を刻んだ。寛政12年(1800)、83歳で郷里丸畑に帰るまでの間にかれは『日本国々山々嶽々嶋々の修行を心に掛けて、日本粗々成就に至る』と、前の『心願鏡』に書いている。」とあり、彼は凄まじい修行を経て作仏しているようです。東北や越後での作仏も詳しく解説されていて、「木喰が、円空仏に触発されたということは、確かにあったかもしれない。だがそれにしても、木喰が蝦夷に残した作品は、同地に残る円空仏とあまりに違った趣である。」とありました。さらに越後での作仏は老齢にも関わらず、多作を極めています。「86歳にあたる享和3年(1803)から、88歳の文化2年にかけて、二年余りの同地滞在の間の、信じられない旺盛な制作ぶりである。」とあり、その中で私は「奪衣婆」の解説が気に留まりました。「三途の河で亡者から衣服をはぎ取られるこの老婆の哄笑に、木喰は一見忘れ難い表現を与えている。『蓋し宗教芸術に現れた奇醜の作品として最も優れたものの一つ』と宗悦はこの作品を評しているが、グロテスクななかに、庶民のたくましいユーモアと生命力が含まれていることを見逃せない。」木喰は円空に勝るとも劣らぬ凄い人だったと言えます。

「謎多い遊行僧円空にひかれて」について

「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅡ「謎多い遊行僧円空にひかれて」についてのまとめを行います。著者の出身が岐阜で円空に縁のある土地だったために、著者は折に触れて円空の歩いた道のりを辿り、そこで出会った円空仏について感想を書き記しています。私が円空仏を知ったのはいつの頃だったか記憶にありませんが、大きな展覧会が開催されるとよく出かけて行きました。円空が生涯で彫った仏像の数に圧倒されてもいましたが、私はその独特なフォルムに魅了されてきました。著者のように北国の寺を円空仏を求めて旅したい欲求にも駆られています。本文にある寺を書き出してみると、松島の瑞巌寺、大湊の常楽寺、恐山の円通寺、佐井の長福寺、油川の浄満寺、蓬田の正法院、三厩の義経寺、平舘の福昌寺、田舎館の弁天堂、弘前の西福寺、能代の竜泉寺、門前の五社堂、立川町の見政寺という具合で、私も松島と恐山に行ったことはありますが、円空仏に注目して訪ねたことはなく、本当に羨ましい限りです。円空の生地を求める旅では、岐阜県の美濃の洞戸村・高賀神社と美並村の円空仏を訪ねています。「高賀神社には立派な円空記念館が建っていた。中で迎えてくれたのは、まず、温かな微笑をたたえたほぼ等身大の『虚空菩薩像』、これは円空中期の鑿の冴えを伝える秀作である。有名な『十一面観音・善女龍王・善財童子三尊像』はひょろりと丈の長い、すこし歪んだ奇妙なかたちで、一本の丸木を三つに割ってそのまま彫ったためという。~略~これも有名な阿吽の『狛犬像』は、高賀神社の本殿の回廊に置かれていたもので、雲気文の崩れとおぼしい、風変わりで力強い文様が胴体を覆っている。~略~この像もまた、丸木を二つ割りしたものだということが、二体を向き合わせにくっつけた写真から知られるのだが、抱き合ってキスしたようなそのくっつき具合には、楽しみながら像のいのちを木から彫りだす円空の遊戯心が感じ取れる。」本書の図版で見て私も「狛犬像」の面白さに、現代彫刻の父ブランクーシの石彫「接吻」を連想してしまいました。円空仏の表情にも私は癒しを感じています。

「変容する神仏たち」について

昨年12月から「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)を読んでいます。本書のⅡ「変容する神仏たち」についてのまとめを行います。近世宗教美術の世界を網羅した文章の冒頭に、仏教の世俗化の経緯が書かれていました。僧の堕落の実態を挙げ、精神史における仏教の衰退を意味するくだりはかなり納得がいくもので、江戸時代から明治維新に至る廃仏毀釈がどうして起こったのか、時代背景を探りながらその動機が論じられていました。「僧の堕落と幕府の宗教統制~略~僧の堕落が批判される一方で、人びとの敬愛を集める清僧、傑僧が各地にあらわれ、大衆の教化、布教に成果を挙げたことをまずあげねばならない。そうした地方の名僧の活動のなかで美術に関し特記されるのは禅画である。」白隠や仙厓が登場したのはこんな時代だったのかと改めて知ることが出来ました。その一方で「恵心僧都の説く地獄のイメージは、民衆の日常感覚に合わせてよりわかりやすく親しみやすいものに改めなければならない。と同時にかれらに恐怖を与え改心を迫るため、強烈な印象を与えるものでなくてはならない。そうした新たな要請が、地獄絵のような、宗教画というよりむしろ劇画調に誇張されたキッチュな表現を生み出した。」とありました。曽我蕭白や葛飾北斎の摩訶不思議な世界は、伝統的な仏画の定型から離れた異界としての仏世界を描いたものだったのでしょう。さらにこんな文章もありました。「数へのこだわり、あるいは数によって信仰の深さ強さを証し立てることー江戸時代の美術家が共通して持っていたのはこうした意識であった。円空や木喰の超人的な活動もその一環である。各地の寺院に残る石彫の五百羅漢像は、多く個人の発願によってつくられたものである。」五百羅漢像では京都にある石峰寺にある伊藤若冲の石像や、豆粒ほどの文字を繋げて輪郭にして阿弥陀三尊像を描いた加藤信清のことが述べられていました。世俗化され衰退したと言われる仏教において、江戸時代の人々によって現代にも通じるイメージ豊かな美術作品が創出されることになった契機が分かりやすく論じられていました。

西暦2020年について思うこと

職場の広報誌に文章を依頼されました。毎月寄稿をさせていただいているもので、新しい年の初めに西暦2020年について思うことを気儘に書かせていただきました。西暦は文字通り、西洋の暦を基盤にしているもので、イエス・キリスト生誕の翌年を元年として算出しています。それを決めたのは暦がカタチを成した時代であり、当然元年というのはその時代から遡って定めたものなので、西暦が定着するまでに微妙な食い違いもあったようです。6世紀のローマの神学者ディオニュシウスによって西暦が算出されたことはネットにありましたが、それまではローマ皇帝即位を紀元にしていたため、キリスト生誕とは無関係に暦が動いていたことになります。後に西暦525年にあたる年にこれを定めたので、元年から524年までの暦は概念上の存在だったわけです。そのため人々には西暦は長らく受け入れられず、15世紀になって漸く普及したようです。聖書によるとイエスは紀元4年頃に生まれているのではないかという説もあり、またキリスト正教圏とも食い違いがあって、ここに私はちょっとした興味を覚えました。日本へは16世紀頃に宣教師によって西暦は齎されましたが、実際には明治時代に入ってから使われ出し、日常生活に普及したのは第二次世界大戦後で、日本にとっては案外新しいものなんだなぁと思いました。日本が西欧をきちんと認めたのは確かに戦後だったので、現在あたりまえのように使われている西暦も元号に比べれば国際化と共にやってきたと言っても過言ではありません。2020年はオリンピック・パラリンピックが日本で開催される記念すべき年になります。日本で初めて開催された1964年、私はまだ小学校2年生でしたが、テレビが普及したおかげで私もテレビ観戦をして大いに盛り上がったことを記憶しています。あれから56年かぁと思いつつ、また日本でオリンピック・パラリンピックが見られるとは、当時は誰が想像していたでしょうか。2020(にーまる・にーまる)という響きはなかなか素敵で、オリンピック・パラリンピックのキャッチフレーズとしては成功していると思っています。

週末 次の10年間で何をするのか

今日は朝から工房に篭って陶彫制作に明け暮れましたが、昨日の美大卒業制作展を隅々まで見てきた疲れが取れずに、動きが緩慢になっていました。おまけに家内を駅まで送る際に、車のパンクが発覚し、ガソリンスタンドで修理をしました。昨日若いスタッフを2人連れて、東京都小平市にある美大までドライブしたので、パンクが昨日でなくてよかったと思いました。どうも昨日は歩き過ぎたようで、陶彫制作に集中できずにいて、それなら近隣のスポーツ施設に行って水泳で身体を整えて来ようと思い、1時間程度泳いできました。これは効果的だったみたいで、午後は陶彫制作が進み、窯入れまで辿り着きました。自分が60代であることを普段は意識していませんが、疲労が残っていたりするとやはり加齢もあるのかなぁと思うこともあります。公務員管理職は残すところあと1年少々あって、私の再任用満了は2021年3月末になります。二足の草鞋生活はそこで終わり、新たな生活スタイルを作らなければならないなぁと思っていたところに、今日は客人がやってきました。客人は一緒に水泳をやっている仲間で、近隣を散歩途中に時折工房に顔を出すのです。彼は大手企業に勤めていた時代に組織人間から経営コンサルタントに身分を替えて、さまざまな企業人の相談に乗ってきた人です。現在76歳ですが、早稲田大学山岳部にいたおかげなのか、脚力がありそうで年齢より若く見えます。彼は65歳から75歳までの10年間が人生のうちで最も楽しく充実していたと言っていました。企業のトップにいた重役が、組織を頼っていたばかりに退職後に意気消沈するケースも多く、人を動かし、また人に影響を与え、営業成績を伸ばす能力と、個人になったときに個性を発揮して楽しむ能力は別のものだと彼は繰り返して言っていました。へえ、そんなものか、それなら私は管理職として並みの能力しか持ち合わせないにも関わらず、彫刻家としてのもうひとつの生き方があって、肯定的に考えればなかなかいいのではないかと感じました。次の10年間で何をするのか、65歳から75歳という区切り方をしていなかった私にはそれが新鮮な配分に思えました。65歳から75歳の10年間が人生の中で最も充実して最も楽しいと言える人生を私も送りたいと思った次第です。

週末 美大の卒業制作展へ

雪交じりの雨が降る中、東京都小平市にある武蔵野美術大学に卒業制作展を見に行ってきました。工房に出入りしている若いアーティストの知り合いが、今年同大の彫刻学科を卒業するというので、私の後輩に当たるその卒業生の作品を見てこようという話になったのでした。若いアーティストの他に、工房で美大受験の勉強をしている高校生も連れて行きました。彼女たちを乗せて車で2時間かけて武蔵野美術大学に到着、彫刻の展示場所で卒業制作を出品している人に会うことができました。彼女は楠木に人物を彫り出した作品を3点出していました。その形態の捉えや彫り跡の様子から、かなり精魂傾けて作ったものであることが分かりました。命懸けで卒業制作を行うという美大生らしい気構えが感じられて好感を持ちました。私は40年前の自分の境遇と重ねてしまい、複雑な心境になりました。夢を追いかけていきたいけれど、現実の壁によって打ち砕かれる学生たちが多いことも事実です。他の大学に見られない自己表現に富んだ珠玉の4年間を過ごし、厳しい社会に出ていく美大生のやるせない気持ちを私はよく理解しています。彼女は今となってもまだ就職活動をしていない心情を明かしてくれました。当時の私は早く学校を出て社会人になり、それでも彫刻を続けていかなければ駄目だと師匠に言われて、公務員との二足の草鞋生活を選んだのでした。彼女に限らず多くの卒業生たちがさまざまな思いで卒業制作に向き合ってきたことは、絵画や彫刻、デザイン、建築の作品を見ていて感じることが出来ました。作品の中には伸びしろがある表現が目立つものがあり、このまま制作を継続できたらいいのになぁと思う作品もありました。美大の4年間が人生のピークとなることだけは止めて、目指した自己表現を将来に繋げて欲しいと願いつつ、卒業制作展を後にしました。同伴した2人のスタッフは、美大を出て生活費を他で稼ぎながら自己表現を極めようとしている子、これから美大に入って自分を見つけようとしている子で、私と関わりのあるこの子たちを応援しています。制作場所の確保という大きな環境課題を見つけられた点では、この子たちはラッキーかもしれませんが、世知辛い世の中で生きていくのは、それなりの覚悟も必要でしょう。自分が納得できる人生を送って欲しいと願ってやみません。

想像で補う都市空間

昨日、NOTE(ブログ)に書いた非存在という考え方に通じるものがありますが、その概念の中にある「あるものの欠如」という意味は、自分が陶彫による集合彫刻を作り始めた動機に重なります。学問上で矛盾が指摘された非存在の概念において、自分の作品がその具現化とは到底言えませんが、20代の頃に地中海沿岸の西欧文明発祥の遺跡群を見てきた私は、そこで歴史を経て崩壊の進んだ都市空間を感じ取り、「あるものの欠如」を見取りました。本来はこんな姿であっただろう都市が、無残にも土台や柱の一部が現存されており、それでも想像で補う巨大な都市空間を私は肌身で感じていました。時に欠如は大きな空間の獲得があるのではないか、寧ろ完成された景観は、芸術的に退屈を伴うことがあるのではないかとさえ思うほど、崩壊の姿が美しく映ることもありました。実際に都市を建設した人々やそこで暮らした人々にとっては不本意な状態になってしまった我が街が、他者に奇妙な美的感覚で語られることは虚しいことだろうと思いつつ、それでも後世の人にとっては保存の対象にしたいほど美しいものであることは間違いありません。そうした一部を見せて全体を想像させる提示方法を、私は自作に応用してきました。昨日も書きましたが、私が拘っているのは最小の物体で最大の空間を得るというものです。想像での補填によって作品を完成させる意図が私にはあって、欠如を思わせる造形を敢えてやっているのです。陶彫による古びた土の肌触りは出土品を髣髴とさせる効果があります。全てを語らない形態には、部分にこそ魂が宿るという自分の過去に感じた景観の印象が、今も頭の片隅にあるのです。私が求める最小の物体で最大の空間を得るというものは、まだ展開の途上にあって、今後はさらに物体を削っていく所存です。

非存在という考え方

あまり夢を見ない私が、ある晩に見た夢を覚えていて、夢の中では学生時代に遡って彫刻を学び始めた頃の私になっていました。人体塑造をやっていた私は、どこの部分の粘土を削り取ったらいいのか散々考えていました。もっと量感を減らして、ギリギリの状態になっても、人体のイメージが留められるようになるのには、どうしたら良いのかを考えていたのでした。朝目覚めた時、何という理知的な夢なんだと我ながら驚きました。以前も鉄屑を寄せ集めて人体を作った夢を見たことがあります。真鍮直付けの池田宗弘先生か、またはジャコメッティのような彫刻を私は作っていて、その夢も朝まで覚えていました。最小の物体で最大の空間を得るというのは、私が前から拘っている空間の在り方で、存在に関する哲学書に親しんでいるのは、その要因があればこそです。そこにモノが存在していて、それが部分的に消去されても依然として存在感を保っていることは、私の夢の中だけの現象でしょうか。そこで非存在という考え方に私は囚われました。不在ではなく非存在という言い回しが果たしてあるのかどうか、ネットで検索するとギリシャ哲学の存在論で用いられる概念のことだと掲載がありました。存在しないこと、存在しないもの、あるものの欠如、思考の対象にならないものと説明があって、アレクシウス・マイノングという人が非存在言明をしたと書かれていました。そうか、非存在にはちゃんとした概念があったのか、これを調べてみると、マイノングはウィーン大学やグラーツ大学で教壇に立っていたオーストリアの学者で、若い頃ウィーンにいた自分には案外身近な人だったことが判明しました。ただし、存在しない対象が存在することは端的にいって理解不可能で、矛盾を孕んだ論理のため、哲学者ラッセルらによって非存在言明は困難と言う烙印が押されている論理でもあったようです。学術的見解はともかく、彫刻による空間変容を考える私には、非存在と言うより、限りなく存在を削った微存在が、存在しているものを強く大きく見せる心理的な働きを起こすとしたら、夢の実現もあると言った方が相応しいのかもしれません。夢は欲望充足というフロイトの考え方に従えば、私の彫刻は消去しながら存在を増す方向にいくのかなぁとも思っています。

「モダン・デザインと詩的想像力」について

「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第3章の3「モダン・デザインと詩的想像力」についてのまとめを行います。前半ではラファエル前派とウイリアム・モリスの関係が述べられていて、後半になるとウイリアム・ブレイクやエドガー・アラン・ポオといった英国の詩人に代表される現代に継承された芸術の意味が解き明かされていました。「たしかにブレイクやポオに見られるような日常世界(の意味)の再現を芸術から排除するとき、浮上してくるのは形式の問題である。この場合想像力は単に空想や幻想といったものではなく、人間や自然をそのまま素材として扱うのではなく、それらが作りあげられている諸々の要素に分析し、新しい形にそれらを組立て、日常にはかくれて知られなかった存在の意味や魅力を現前させる構想力である。~略~ブレイクの精神的営みは、古代ケルトのドルイドやユダヤの信仰の世界にも通じ、錬金術師の呪術に似たものであった。」次に新しい芸術批評家としてオスカー・ワイルドが登場します。「彼(ワイルド)は芸術とは絵空事であり、美しい不実なものを語ることが目的であって、近代芸術は非写実的な装飾芸術でなければならないと言う。嘘をつく力の衰退とは、ギリシャ以来の古典主義的写実(模倣)の芸術の支配によって、芸術からの虚構性、装飾性が失われたことであり、いわば想像力の欠如であるというのである。」アール・ヌーヴォーが登場する素地はそんなところにあったように思います。さて次の時代を象徴するのがバウハウスです。「このバウハウスが果たした役割とは、一つには芸術における批評精神の尊重であり、それ故に優れた人材を招聘して現代芸術のあるべき姿を考えようとしたことであり、その流れの中でデザインの本質をとらえようとしたことであろう。~略~バウハウスという20世紀初頭に起こった総合芸術運動をとりまいて『イズムの時代』が進み、アール・デコ様式は1925年パリで開かれた国際装飾美術博覧会を契機にもたらされた欧米の都市芸術の象徴となった。かつて支配的だった装飾過多のアール・ヌーヴォーに代わって、古典主義的な左右相称的な構図をもち、明るい原色と簡潔な流線や直線を用いて明快さを強調し、スピードとリズム感にあふれた装飾を大衆消費生活の中に浸透させていったのである。」最後にシュール・リアリズムについて触れておきます。「第一次大戦後の世相が個人の欲求を抑圧し、創造性を失わせようとしていることに対して、シュール・リアリストらが『理性の一切の統制なしに純粋な心的自働性(アンドレ・ブルトン)』による芸術創造を企てたが、彼(ブルトン)も無意識や夢の世界の探究とその表現の試みによる人間性の回復と救済を主張した。」

映画「ゴッホとヘレーネの森」雑感

先日、横浜市中区にあるミニシアターに映画「ゴッホとヘレーネの森」を観に行ってきました。後期印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホは波乱に満ちた生涯を送ったため、特集番組や映画化されることが多く、私にとっては大変馴染みのある芸術家です。この映画はファン・ゴッホの収集家だった女性資産家が残した作品を基に、ファン・ゴッホの絵画世界を読み解いたドキュメンタリーで、私には刺激的な台詞が散りばめられた内容でした。「1890年に自ら命を絶ったファン・ゴッホ。生前は作品が評価される機会も少なく、死後は遺族がほとんどの作品を所有していたため、無名の存在に近かった。そんなファン・ゴッホの作品と出会い、個人収集家としては最大規模の300点(うち油彩は85点)を収集したのは、ある一人の女性だった。」と図録にありましたが、ヘレーネ・クレラ=ミュラーは夫と共に、その後広大な敷地にクレラー=ミュラー美術館を設立しました。また収集品をオランダ国家に寄贈したため、美術館は国立になっています。ファン・ゴッホとヘレーネは直接会ってはいませんが、ファン・ゴッホの多くの作品が守られたのは彼女がいたおかけだったと言えます。収集品の中にはデッサンが沢山含まれますが、私は高校生の頃から、木炭や鉛筆で農民を描いたファン・ゴッホのデッサンが大好きで、自分の受験勉強の励みにしていました。その後の鬼気迫る油彩にも若い頃は憧れました。常軌を逸した精神状態が、うねるような筆致と歪んだカタチに表れていて、20代の私を表現主義へと誘ったのでした。心が病まないと人の気持ちを抉るような世界を表現できないと私は今でも信じているせいか、スケールこそ違えど工房に立て籠っている私を家内が時折心配しているのです。でも、私は天才じゃないし、フロー状態になっても水泳で気晴らしをしているので、常識的な範疇にいることは確かです。映画「ゴッホとヘレーネの森」は私にいろいろな示唆を与えてくれました。面白いドキュメンタリー映画だったと思っています。

三連休 屏風制作のその先へ…

三連休最終日です。今日は成人の日で穏やかな天気になりました。数年前は大雪に見舞われ、とんでもない事態になったことを成人の日になると思い出します。その日私は工房で木彫をやっていました。積りに積もった雪を横目に、演奏に出かけた家内の帰宅を心配して二俣川駅まで迎えに行きました。車の運転が無理だったので、長靴を履いて山坂を歩いて行ったのでした。あの日に比べれば今日は天候に恵まれた素晴らしい一日だったと思っています。さて、この3日間とも私は陶彫制作に明け暮れました。一昨日は自宅リフォームの打合せ、昨日は映画鑑賞と、夕方になってさまざまな用事を済ませてきましたが、今日は陶彫制作一辺倒で朝から工房に篭りました。新作の屏風に接合する最後の陶彫部品2点の彫り込み加飾をやっていました。午後になって乾燥が進んだ陶彫部品3点に対し、ヤスリをかけて化粧掛けを施し、久しぶりに窯に入れました。これは令和2年の初窯だと思いながら、今年も焼成による事故がないように祈りました。今日の作業で屏風に接合する陶彫部品が全て終了したことになります。ほぼ予定通りですが、屏風の制作はその先を見通しておこうと考えました。次なる作業は屏風に描いた格子模様をひとつずつ彫り込んでいく作業です。完全に刳り貫いてしまう格子模様もあれば、一定の深さまで彫る模様もあります。厳密にデザインしているわけではありませんが、全体構成を見ながら追加のデザインとして決めていこうと思います。格子も微妙に波打つ場所もあるとイメージしており、それは接合する陶彫部品との関係性で決めていこうと思っています。屏風に接合する陶彫部品は、焼成が終わった部品から順次厚板に配置して、格子模様の木彫を進めていくつもりです。ドリル、ジグソー、それに何と言っても平鑿や丸鑿の点検が必要になります。まず一枚目の屏風を彫ってみて、どのくらいの時間が必要なのか確認しながら作業をしていこうと思います。明日から職場の公務が始まりますが、陶彫から木彫へ移行するため頭を冷やすのにはいい機会かもしれません。

三連休 制作&映画鑑賞

三連休の中日です。今日は工房に若いスタッフがやってきました。美大受験生である彼女は平面構成をやっていました。一所懸命に彩色している彼女に私は背中を押されて、私も陶彫制作を頑張っていました。屏風に接合する陶彫部品の最後となる2点の成形をやっていて、一瞬フロー状態にも入りました。それは時間を忘れて無我夢中になっている状態で、精神的には充実している証拠ですが、我に返った時に近隣のスポーツ施設に水泳に行って気晴らしをしてきました。自分を必要以上に追い込まないように、自分で調整してしまう癖が私にはあって、陶彫制作には長距離ランナーのような行程(工程)があるため、常に自分の精神状態を一定に保っているのです。若いスタッフも面相筆の先を何時間も見つめ続けて、只管彩色していたようで、彼女もフロー状態にあったらしく夕方にはクタクタに疲れていました。制作時の集中力を研ぎ澄ますのは、私も10代の受験勉強で身につけたものでした。スタッフを車で送り届け、今日は午後4時に工房を閉めました。自宅に戻って暫し休憩した後、家内を誘って映画のレイトショーに行くことにしました。常連にしている横浜市中区にあるミニシアターは割と混んでいて、三連休の中日なので映画を観る人も多いのかなぁと思いました。観た映画は「ゴッホとヘレーネの森」というイタリア映画でした。ヘレーネ・クレラ=ミュラーというオランダ有数の女流資産家が収集したファン・ゴッホの絵画作品。個人収集家としては最大規模の300点(うち油彩85点)を、まだファン・ゴッホが無名の存在だった頃に、いち早くその斬新な世界を見抜き、夫妻で美術館まで設立してしまったことをドキュメンタリーとしてまとめたのがこの映画の内容でした。映画の中でファン・ゴッホの研究家が解き明かすファン・ゴッホの絵画に賭けた精神的な魅力が、今日の工房での私のフロー状態に重なってしまい、その脚本が私の心に刺さってきました。単なる映画としてみれば、これは鑑賞者によっては面白味のないものであったでしょうか。私にとっては創作における魂の在り処に共感してしまう強烈な映画であったと思えています。この映画の詳しい感想は後日改めます。

三連休 制作&自宅リフォーム打合せ

年末年始の閉庁日(休庁期間)が終わり、成人の日を含む三連休がやってきました。当然私は陶彫制作に明け暮れる三連休を過ごしますが、三連休中にいろいろな予定も組まれています。まず、今日の陶彫制作ですが、屏風に接合する陶彫部品としては最後となる2点の成形を行うつもりで、タタラを数枚準備しました。当初、屏風に接合する陶彫部品は22点と勘案していましたが、結局20点で済みそうで、それを確かめるため、屏風にする厚板6枚に対し陶彫部品をどのように配置するかの下書きを行ないました。厚板には既に格子模様をベースにした下書きがあって、その上に陶彫部品を乗せて配置を決めました。陶彫部品は焼成が終わっているものから成形や彫り込み加飾が終わったばかりで乾燥が進んでいないものまであって、厳密な下書きが出来なかったのですが、それでも一応アタリをつけておきたかったのでした。この全体構成で屏風のゴールが見えました。この三連休で屏風に接合する陶彫部品を終わらせたいと考えていて、次の週末からは厚板の格子模様を彫っていく作業に入りたいと思っています。夕方には自宅のリフォームに関する業者との打合せがありました。昨年暮れに外壁工事を終えたばかりの自宅ですが、その際同じ業者に内装のリフォームをお願いしていました。築30年の自宅は断捨離を兼ねてリフォームする必要があると以前から思っていたのでしたが、なかなか決断できず、今に至ってしまいました。私がまだ定期収入のある現職でいるうちにリフォームをやってしまうのがベストと思っていて、いよいよ準備に入ることになりました。30年前に自宅を新築した時は、私はまだ公務員の一般職で、超過勤務時間が定番化した激務だったと振り返っています。当時は働き方改革などという発想はなかったのでした。それでも仕事は結構楽しかったし、いい仲間に恵まれていたので何とか乗り越えてきたのでした。今は管理職になって仕事の質が変わりましたが、退職前に自宅をリフォームしたいなぁと望んでいたので、これは自然の流れかなと思っています。リフォームの1つ目はダイニングの隣にある和室を無くしてダイニングと一体化させ、そこに大きな収納空間を作ること、2つ目はキッチンを変えること、新築した時から体面キッチンを採用していましたが、時代と共に新しいシステム・キッチンが登場し、これも収納の多いキッチンに作り変えることにしたのです。3つ目は2階のリビングにある書棚の増設です。書籍が増えてきたので一気に壁一面を作りつけの書棚にすることにしました。この3つのリフォームが今回の計画ですが、現在の自宅は収納空間が少ないので、居住空間を収納に変えることが目的なのです。ちょっと楽しみになりました。

「映像に見るヒューマニズムの変貌」について

「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第3章の2「映像に見るヒューマニズムの変貌」についてのまとめを行います。この章ではフォト・ジャーナリズムについての考察が述べられていて、報道写真が多くの人に与えた影響も窺い知ることが出来ました。私も時折、写真展に出かけることがあり、そこで切り取られた瞬間の映像化に感銘を受けることもありました。ニューヨーク近代美術館で開催された「人間家族」展は、私が生まれた年に日本にも巡回してきたらしく、人種や国境を超えて人類が一つの家族になって絆を深めていこうとする企画は、後世に語り継がれていった展覧会だったようです。その源泉ともなった技法に関して述べられた文章がありました。「ルポルタージュと呼ばれるものが、表現効果をねらうあまりに写真を単なる素材として技術的に処理してしまう傾向が強く見られたのに対して、(ドキュメンタリー・フォトは)映像の独自の表現力をより尊重しながら、事件の原因を追究し、テーマを深めていく方向を打ち出そうとしたのである。~略~写真を組み合わせたピクチュア・ストーリーは、分かり易い的確なメッセージを伝えるという利点があり、映像の事実らしさと具体性は、言語の抽象性にまして数倍の説得力をもち、国境をこえた共通の言語となり得る点が高く評価されたのである。」さらに現代に至っては事件の目撃というリアリズムに対する別の視点が設けられることになります。「フォト・ジャーナリズムは、今まで知られることなく認められることもなかったものを探り出し、それらに価値と栄光を与え、逆に奢れるものに対しては自ら善意の告発者となろうとしてきた。そしてかつては言語が負っていた役割の一部を引き受けて、更に言語が語りえなかった雄弁術を開発してきたが、その最大の原因は忠実な目撃者としての確からしさへの信頼をかちとったことであった。しかし映像言語が自立の道を模索するとき、次第にリアリズムを離れ、確からしさを裏切る。その過程をいち早く知って論じたのはモホリ=ナギであっただろう。」

「ヴィクトリア朝の映像」について

「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第3章の1「ヴィクトリア朝の映像」についてのまとめを行います。副題として「ポルノグラフィー&フォトグラフィー」とあって、近代になって性文化に関する媒体の時代変遷があり、小説や写真術が齎せた影響などが述べられています。「ポルノグラフィーは17世紀におこり、19世紀に隆盛を見る。その歴史的現象は、巨大な近代産業社会を作り上げた過程と切り離すことができない。そして何よりも小説の普及と深く結びついている筈である。特に19世紀に入って読書という私的で孤独な経験が増加するにつれて、小説という表現形態が大きく普及していくが、それは都市社会の落とし子であり、中産階級社会のニーズの証であった。そうした私的経験の可能性の増大するにつれて、性に対する意識もまた大きく変化していく。しかも資本主義社会はそうした性の意識の目覚めを圧迫し、私的な性生活を分離し隠ぺいしようとし、公的文化が健全であるべき性の重要性を過小評価しようとすればするほどポルノグラフィーはセクシュアリティの重要性を強調し、またつぶやきながら夥しい生産をつづけていくことになったのである。」現代にも通じる性文化の媒体に関する内容があって、私はその変遷に興味を持ちました。最後にポルノグラフィーとは何か、著者の考えを述べた箇所を引用いたします。「ポルノグラフィーは、いわば死と抑圧の所産である。それは永生不死を求めた煉丹術や錬金術に通底する。錬金術では死は存在物が解体して、母の胎内に帰ることだと考え、それによって新しい生命がよみがえるという死と再生の観念に貫かれている。そして仙界を探訪する男性のポルノグラフィックな解説は、子宮という仙界に死んで新生児を誕生させることであり、暗闇の世界において陽転するのは、光を暗箱にとじこめることによって映像を作りだすフォトグラフィーの考え方とも共通している。」

「延方相撲」について

「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第2章の5「延方相撲」についてのまとめを行います。副題に「鎮魂儀礼の原型」とあるように相撲もまた祭祀に纏わる芸能の一つです。相撲はよくテレビ観戦をしているので、私にとって身近なスポーツです。幼い頃から親しんできた相撲ですが、これは国際的な競技とは言えず、外人力士が増えてもそこには独特な様式があって、海外の人から見れば異国情緒に富んだスポーツだろうと思います。「相撲」というコトバの起源について触れた箇所がありました。「相撲には相舞、あるいは素舞に帰せられる舞の要素を含んでいて、肉弾相うつ格闘技としての相撲は、むしろ後世において発達したとみられている。」とある通り、当初は水神に供養するための舞が起源と言われています。また「延方相撲」の意味として「上代において鹿嶋の神・タケミカヅチと諏訪の神・タケミナカタとの間で土地をめぐって行われたこの儀式は、近世における延方で再現されたのである。『勝ち相撲』は土地争いの決着を喜んで農民たちが感謝のしるしとして鎮守の杜頭に奉納したのが始まりであったと伝えているが、その鎮守の杜とは鹿嶋吉田神社である。」という文章がありました。相撲における儀式は祭祀に基づくものであったと改めて確認した次第です。「祭りは祭祀と祭礼、つまり神祀りとなおらいの二つの時空間をもっていて、その陰陽の世界の転換によって祭りが進行する。延方相撲祭でいえば、大別して地取祭は陰の世界であり、例祭当日は陽の世界である。従ってこの祭の本義は地取祭にあることはいうまでもないが、なおらいの時空間を欠くことはできない。~略~相撲とは神の芸能である。神の意向を人間に知らせる芸能である。神とは空なる存在であり、同時に人間が想像の裡に描いた宇宙の創造者であり、また天地自然を貫く普遍的な道理そのものといってよい。上代の人びとは宇宙の中に天地を象り、陰陽二気の存在を思った。鹿嶋の神と諏訪の神は、それぞれに火(陽)と水(陰)の象徴である。彼らが出雲の岬に会したとき、相撲をとることによって国土生成の秘密をひもといてみせたのである。」

1月RECORDは「白」

昨日のNOTE(ブログ)で、今年のRECORDの方向性を書きましたが、今年の元旦から挑んでいるテーマについて述べたいと思います。今年は色彩を年間テーマに掲げてRECORDを作っています。今月は無彩色の「白」に決めました。色彩には幅があります。同じ「白」の中で微妙に変化する色合いがあって、そこに絵画性があると私は思っています。私は真っ新な白よりも暗い色彩を覆っていく白に惹かれます。白が塗られている下地に何かが隠れていくのを暗示したいのです。また何か物体が置かれることで、周囲の白が一層輝きを放つこともあると思います。白は何かを始める原点でもあります。白い紙に何かを描こうとして、なかなか描き出せない怖れを感じたこともあります。白い紙にちょっとした汚れがついていることで、妙に安心して絵が描けることもありました。白は私にとって重要なニュアンスを持つ色彩であることは間違いありません。白の解釈は今後の空間を捉える意味で良い学習課題になりそうです。RECORD用紙は白いケント厚紙ですが、何も塗られていない紙そのものを白として使おうとは思っていません。私には白はあくまでも色彩の一つで、何も塗られていないのは空白でしかないという解釈です。もちろん空白を取り入れるデザインもあっていいと思います。ただし、今月のテーマは空白ではなく白色です。白を塗って白の在り方を表現する方法を取っていこうと思っています。

20’RECORDの方向性

2020年も一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っていくRECORDを頑張っていこうと思っています。このところNOTE(ブログ)の話題は陶彫制作に偏っていますが、元旦からRECORDもやっていて、試行錯誤を繰り返していました。今までにない方向性を打ち出そうとあれこれ考えているうちに、私が一番苦手とする色彩を中心に据えたデザインを思いつきました。高校生の頃、大学受験用の色彩構成が思うようにいかず、私には色彩感覚がないという諦念があって、それならまだ形態の方がマシだと思っていました。ただ、形態も人より優れていたわけではなく、色彩に比べれば何とかなりそうだというレベルでした。これは決して謙遜で言っているのでなく、本当に美術が好きという以外は、色彩や形態に対して才能を自覚したことは一度もありません。今でも美術の専門家になろうとスタートを切った頃の、十代の鬱蒼とした気分を覚えているのです。それでも私が長い間彫刻を続けていられるのは、何十年もブレなかった姿勢によるもので、平凡な能力の上に造形の学習をコツコツと積み上げて膨らませていった結果ではないかと思います。RECORDはその最たるもので10年以上も毎日休むことなく一日1点ずつ描き貯めてきています。そのRECORDを使って今年は苦手な色彩に挑みます。年間12ヶ月のうち、それぞれ月毎に一色を選んでいきますが、色相環の定番になった色彩12色ではなく、無彩色も含めて12色を決めていきます。色彩は具体的なイメージと結びつくケースもあり、日本的色彩も選んでいこうと思っています。

閉庁日(休庁期間)の幕引き

9日間続いた閉庁日(休庁期間)が今日で終わります。私は9日間のほとんどを陶彫制作に費やしました。新作の屏風に接合する陶彫部品は18点出来ました。そのうち5点が焼成も終わっていて、今日制作した2点は彫り込み加飾がまだ充分ではありません。それでも成果としてはまずまずだったかなぁと思っています。毎年この時期は新作の完成に向けて拍車をかけていますが、のんびりと正月気分を味わう余裕はなく、日々工房に篭っていました。それは苦痛ではなく、私にとって何事にも替え難い満足を得ることになっているのです。明日から公務員としての仕事始めになります。私の職場は厳密に言えば、明後日から仕事が本格化します。明日は準備出勤で、私は終日年休扱いにしているため、準備が終わり次第退勤します。創作活動から公務員としての仕事に復帰するのもなかなか大変で、職場を管理する側としては後ろ向きには考えていられない厳しさもあります。幸い私には休みボケはありません。発想の転換はすぐ出来るように長年培ったものがあるのです。寧ろ創作活動の精神を追い詰めていく行為に比べれば、職場には組織がある分、心の持ちようが楽なところもあるのです。さて、ここで創作活動の9日間を振り返ると今年は陶彫一辺倒で、屏風になる厚板に木彫することはありませんでした。接合する陶彫部品が全部揃わなければ、厚板の作業は出来ないのです。厚板の作業は今月の週末のうちのどこかで始めようと思っています。今月の制作目標としては、屏風に接合する陶彫部品を終わらせて、早く厚板を彫り始めることです。差し詰め今月は三連休があるので、そこで一枚でも厚板の木彫を始めたいと考えます。木を切断し、また彫っていく行為は、陶彫制作とは打って変わり、身体の負担が違います。使う筋肉が異なるのです。技法もモデリングからカーヴィングへ変わり、形態へのアプローチも変えていくのです。うーん、生きている実感はそこかしこにあって、総体として人生を見れば楽しい限りです。ちょっと頑張りどころかもしれません。

新しいイメージに捉われて…

職場の閉庁日も終盤を迎えました。今日も朝から工房に出かけ、陶彫制作に明け暮れました。成形された陶彫部品に彫り込み加飾を行い、足りなくなった混合陶土のために土錬機を回し、小分けにして菊練りをしました。明日のために座布団大のタタラを数枚準備し、ビニールで覆いました。制作サイクルが着実に動いていて、しかも私の頭の中はすっかり現在進行中の新作のことで一杯でした。屏風に接合する陶彫部品を全て、閉庁日に作り終えることができないと認識し、今後はどうやっていこうか、逸る気持ちを抑えながら作業をやっていました。そんな余裕がない時に、まったく新しいイメージが頭を掠めていきました。これはその先にある来年のイメージか?と思いつつ、ちょっと手を休めることにしました。私は現行の制作が混乱したり、困窮している時に新しいイメージが天井から降りてくることを嘗て経験しています。今回は過去の作品のように改まったイメージの降臨ではなかったものの、ふと頭を過ぎる画像を捉え、それが醸成するまで待とうと思っています。それが私にしてみれば新作導入の機会なのかもしれません。新作イメージは決して全てが新しくなっているわけではなく、旧作の発展形が一般的で、今回は白い空間に黒い直方体の箱が、きちんと並んで複数体置かれている場面が見えました。それは墓石のようでもあり、動きのない箱に何かが収まっているイメージでした。箱は欠損した部分があって、その断面が板状節理のようになっていました。現行の作品は曲面を多用していますが、新作イメージは矩形ばかりで面白味のないものでした。暫し休憩をしている間、手をストーブで温めながら、私はじっとしていました。新作は当初ビジュアルとしてやってきて、コトバによる解説は後付けになり、そこに理屈は存在していないのです。思索は制作途中で深まっていき、造形理論を培っていくのではないかと思うところですが、それは私の場合だけでしょうか。新作のイメージは幾つもやってきて、暗中模索の状態が続きますが、案外最初にイメージしたものが最後まで残ったりしています。ぼんやり考えていたら時間が経つのを忘れていて、慌てて現行の陶彫制作に戻りました。今日も朝9時から夕方4時までしっかり作業をして工房を後にしました。

従兄弟会&陶彫制作

昔から正月は親戚縁者が集って宴会をやっている慣習がありましたが、私たち夫婦の叔父叔母は高齢化してどこかの家に集まることがなくなりました。そこで何年も前から従兄弟たちが集まることになったのでした。従兄弟会は毎年正月の恒例行事になりました。私の個展にも足を運んでくれる従兄弟もいて、久しぶりな感じはしませんが、1年1回は洒落たレストランで昼食をする機会があってもいいと思っています。東京の代官山に私はほとんど縁がありませんでしたが、代官山には高級そうな店が軒を並べていて、ここで味わったイタリア料理はなかなか美味しかったと思っています。従兄弟たちの職業もさまざまで大手企業から中小企業、国家公務員から私のような地方公務員までいて、話題には事欠きません。某企業で人事の話をしている人の隣で私も身に詰まされる気分になりました。海外に行った話が出ると羨ましくもなります。このところ夏季休暇で海外には行っていないので、今年こそはどこかに行けるといいなぁと思っています。こうした集まりは毎年続けて欲しいものです。今日は従兄弟会があるので、陶彫制作を休むつもりでしたが、昨日の彫り込み加飾が終わっていなかったので、朝7時半から10時まで急遽工房に篭ることになりました。陶彫制作はずっと継続していて、元旦もタタラを作り、今日も彫り込み加飾をやっていて、結局は閉庁日9日間一日も休むことをせず、新作に全面的に費やした休暇になりそうです。毎年ここまで作業をしているのでしょうか。それとも作品の質量ともゴールを少しずつ高めている結果なのでしょうか。明日から一日中制作に没頭する日が続きます。公務員の仕事が始まれば、これはきっと楽しい日々として記憶されていくのでしょう。創作活動を苦しみつつ楽しみたいと思います。

20’創作活動の再始動

「創作活動の再始動」なんて大袈裟なタイトルをつけましたが、大晦日まで連日陶彫制作に明け暮れていて、元旦だけ陶彫制作を休んで今日からまた始めたので、再始動と言っても休んでいる感じはしません。仕事の閉庁日が続いている間は継続的に創作活動に勤しんでいて、毎日のように陶土に触れています。それでも新年になり、そのけじめとして2020年の制作は今日から始めるという宣言をしたいと思います。その宣言が故に「再始動」なのです。ともあれ今年も7月に個展を開催するため、現在は個展で発表する新作を一所懸命作っています。しかし私にとって個展がゴールではなく創作活動の途中経過に過ぎません。未だゴールは私には見えません。どこに向っていくのかも考えが至らず、造形思索のキャリアを積むだけという意識が強いのかなと思っています。生涯を賭けて作り続けた後にどんな景色が見えるのか、それを見てみたい願望のようなものも実はあります。詩人の故黒田三郎の詩に「苦業」という作品があります。暗く険しい螺旋階段を只管上っていくうちに、きっと水平線が見えるはずだという内容で、ずっと私の心に残っているコトバです。今日は朝9時から夕方4時までの7時間を作業に費やしました。恒例の箱根駅伝をラジオ中継で聞きながら、成形やら彫り込み加飾をやっていました。私にとって創作活動の日常は、水平線を見るために螺旋階段を坦々と上っていくことだし、駅伝じゃないけれども私も長距離ランナーみたいなものだと認識しました。焦らず休まずブレることもなく継続していくことが自分のやり方で、今年もその流儀でやっていこうと思います。二足の草鞋生活を続けていく上でのシステマティックな日常は、無駄がない分メンタル的には救われているような気がしています。ウィークディは公務員管理職、週末は彫刻家という二兎を追う身では、余計なことを考える余地がないのです。他分野の波を被ることがないと言ってもいいと思います。家内は私の今の生活を創作充電期間と言っていました。ギャラリーで発表していたとしても、それ以上でもなく以下でもない生活。それを家内は充電と言っていますが、自分も螺旋階段を上がっている身をイメージしているので充電を自覚しているのかもしれません。2020年はこのモチベーションを維持していけそうです。