東京駅の「河鍋暁斎の底力」展

既に終了している展覧会の感想を述べるのは、広報という意味がなくなったために甚だ恐縮とは思いますが、私にとって大変面白い展覧会だったので、敢えて感想を言わせていただきます。東京駅にあるステーションギャラリーで開催されていた「河鍋暁斎の底力」展は、本画や版画が一切なく、素描、下絵、画稿、席画、絵手本などの弟子の手が入らない全て暁斎自身によるものばかりが展示されていて、それだけに描写や表現の力量が見られる凄い企画展でした。創作活動をやっている私にとっては画家の裏側が覗ける絶好の機会で、この人の筆力の凄さに舌を巻きました。図録を読むと暁斎曾孫の河鍋楠美氏によるこんな一文に、日本の芸術に関する認識の薄さが見られました。「(暁斎記念館が)財団法人の認可を得ようとしたところ、県の役人曰く、『下絵類が三千点あろうが、下絵類は紙屑だ。軸物が五、六本なければ認可しない』だった。」海外では下絵を譲って欲しいという古美術商が多いのに比べると、何と残念な回答でしょうか。「今夏、東京ステーションギャラリーの田中晴子氏から、『下絵、画稿類、席画、弟子のために描いた絵手本こそが、生の暁斎の力を表して』おり、『とりすました暁斎ではなく生の暁斎のすごさをわかりやすく伝える内容を目指し、着色された本画ではなく、暁斎の下絵や画稿だけでの展覧会』の企画をいただいた時、諸手を挙げて賛成した。」(河鍋楠美著)この提案によって本展が開催され、私たち鑑賞者を十分に楽しませてくれたのでした。「私は暁斎の下絵類のどういうところに惹かれたのか、原点を振り返ってみた。まずは暁斎の描写力を直に感じられる点だ。下絵は鑑賞を目的として描かれたわけではないが、筆を使い慣れた暁斎の墨線は、下絵であっても太さや勢いを巧みに使い分けていて、表現力がある。次に、描かれたモチーフが動き出しそうな生き生きとした表現が随所に見られる。人体も着衣の動きも、時にとてもドラマチックである。さらには、キャラクターとしての表情の豊かさもあるので、アニメーション的だし、実際にその動画を見たくなるほどだ。」(田中晴子著)私には個々の作品で取り上げたいものがありますが、機会を改めて代表を選んで別稿を起こしたいと思います。

19’RECORD7月~9月をHPアップ

久しぶりにホームページのRECORDを3ヶ月分アップしました。昨年10月に2019年の10月から2020年の9月分までの1年間のRECORD撮影が終わっていて、カメラマンからそのデータをいただいているのですが、私のコトバが遅くなってなかなかアップが出来ていないのです。2019年は「~の風景」というテーマでRECORDを作っていました。その時に浮かんだコトバを紙切れにメモしているのですが、保管が悪くて既になくなっているものもあります。今回アップしたコトバは、ほとんど新たに考えたものばかりでしたが、コトバも造形と同じようにトレーニングが必要だと感じるようになりました。私の場合、造形と違うのはコトバは日常を表すことが多く、私の職種や立場から湧いてくることが多いのです。非日常を表現している詩は世の中にかなりありますが、私はそこに到達できないため、つい現実世界の素描から考えるしかないのです。RECORDはほとんどが非日常的世界です。視覚される写実性からカタチや色彩を抽出して、そこに象徴性をもたせたり、抽象化へ推し進めていくのを、私は難なく行っています。本来ならそうしたことも19世紀後半から20世紀初頭で芸術的な価値の変換が成され、私たちには前衛という名のもとで新しい美意識の獲得がありました。コトバも同じように歩んできたと察しますが、詩の前衛性を私は学んでおらず、今から思えば若い頃から私は詩に接する機会が少なかったのではないかと思っています。造形は気楽に接しているくせ、コトバは難解なものとして固定観念をもってしまった私は、RECORDは日々作れていても、コトバは月1回捻りだすのに苦労しているのではないかと考えているところです。今回アップしたRECORD3ヶ月分を見ていただけるのなら、左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉が出てきますので、その中のRECORDをクリックしていただけるとRECORD3ヶ月分に辿りつけるかと思います。ご高覧いただけると幸いです。

週末 再び陶彫制作へ戻る

先月の週末はほとんど厚板材を加工して土台作りに充てていましたが、今月の週末はもう一度陶彫制作をやっていこうと思っています。新作の陶彫部品がまだ足りないことが分かって、昨日は美術館に出かける前に、工房に行って土練りとタタラを準備しました。陶彫の成形をやっていると楽しさが甦ってきます。私はずっと陶土と付き合ってきました。焼成後の陶彫の素材感のことを思いながら、当初のイメージを確認しています。今回の新作は陶彫成形を矩形にすることがほとんどで、曲面が出てきません。陶彫の面白さは曲面にあると言ってもいいくらいですが、今回は敢えて脱情緒を狙いました。生物的な動きが出せるのが、陶彫表現の特徴と言えば特徴ですが、もう一度「発掘」という意味合いに戻すために、発掘された架空都市を作ることにしたのです。自己感情のコントロールは抽象的な規定を作ることで、内面に秘めていけると思っています。もともと陶土は可塑性があり、金属や石のような硬質な素材ではないため、幾何抽象には向きません。それでも矩形に拘って作り続けています。私の技術的な不器用さもあって厳密な平面にはなりませんが、建築と違い彫刻は平面を折ったような立体に見えれば可としています。今日の午前中は陶彫成形を1点作りました。午後は彫り込み加飾を行っていました。今日はいつものように美大受験生が工房に来ていました。彼女は鉛筆デッサンをやっていますが、短時間で形が取れ、また陰影がつくようになりました。若い人の進歩は凄いものがあるなぁと思いました。ただ、美術の専門分野への道はまだ始まっていないのが現状で、今は基礎トレーニングをしているだけで、これからスタートラインに立って、紆余曲折しながら自分を見極めていくのです。先が長いなぁと思いながら、夕方に彼女の自宅近くまで車で送りました。また次回頑張ろうと思います。

週末 土練り&美術館鑑賞

新型コロナウイルス感染症の影響で緊急事態宣言が出されている中、東京の博物館や美術館に行っていいものかどうか、数日前まで迷っていましたが、展覧会の開催期間終了が迫っていることもあって、インターネットやコンビニで事前予約をして、私も家内も防備を十分にして東京に出かけてきました。私は週末になると新作に関する制作ノルマがあって、今日は早朝に工房に出かけ、混合陶土を作るための土練りやタタラを準備して、明日の陶彫成形に備えました。私はウィークディは職場に出かけ、週末は工房に出かける生活がずっと続いています。週末の創作活動は、私に職場とは別の感慨を齎せてくれますが、それが癒しになるかと言えばちょっと違っていて、自分を創作に追い込んでいく辛さを伴い、楽しめる状況ではありません。私にとって刺激とも癒しともなるのが鑑賞です。ただしコロナ渦の中で鑑賞は途切れがちになっています。私にとって鑑賞は唯一の楽しみだと今回は自覚しました。ネット予約をして昼の12時半に東京上野の東京国立博物館表慶館に飛び込みました。現在「日本のたてもの」展を開催していて、国宝や重文に指定された社寺仏閣の模型が数多く展示されています。本展は建築模型の好きな私には堪らない魅力でした。古来から現存している木造建築は日本が世界に誇る造形物で、その構造が模型で見られたことで心が湧き立ちました。詳しい感想は後日改めます。次に向かったのが東京駅でした。東京駅にある東京ステーションギャラリーは、私がよく行く美術館の一つです。ここは魅力的な企画が多く、しかも利便性が高いので今までも頻繁に利用していました。今回は「河鍋暁斎の底力」展を開催していて、しかも明日が開催期間終了になっているので、慌ててコンビニで予約を取ったのでした。本展は河鍋暁斎の本画はなく、下絵等だけで展示がされていました。暁斎の驚くほどの描写力は見ていて飽きないほどで、さすがに眼が疲れました。しかも下絵は作者の迷いや思考が垣間見れて、表現を決定するまでに苦しんだ跡が残っています。私も創作をする者の端くれとして、暁斎の悩みに共感を覚えるのです。これも詳しい感想は後日に改めますが、展覧会が終了してから感想を述べることになって申し訳ないと思っています。今日は充実した一日を過ごしました。

「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」第61節~第64節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第1章「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」の中の第61節から第64節までのまとめを行います。この節では非リアルな対象性に立ち帰ることから論考が始まっていました。「経験は、対象としての意味をもつ諸対象がわれわれに対してもつ存在の最初の設定である。このことは非リアルな諸対象にとっても明らかに完全に妥当し、それらが種概念的なものや判断のイデア性や、あるいは交響曲などのイデア性の性格をもっていても、同様である。したがって外的経験も含めてどの場合にも次のことが当てはまる。すなわち明証的な自己能与は、経験される対象の構成すなわち自己形成の過程として特徴づけられるーもちろん最初はたんに限定された構成にすぎない。なぜなら対象は顕在的な経験の多様性をも越える現存在を必要とし、それ自身の存在意味のその契機も、それ自身の構成的な解明を求めており、それが可能になるのは〈経験自身に内包されていて、そのつど開示される志向性〉によってである。」次に超越という語彙が出てくるところを引用いたします。「さまざまな対象性についての意識に対するあらゆる種類の対象性の《超越》である(そしてそれに応じて変化した仕方で、すなわち意識主観の極として理解された、そのつどの意識ー自我に適合した仕方で)。しかしそれにもかかわらずわれわれが内在的な対象と超越的な対象を区別するとすれば、それはこの最広義の超越概念の内部での区別を意味するにすぎない。」次に論理学的形成物の産出についての論考を引用します。「われわれが問題にしているのは〈リアルな心的諸過程の中に与えられている非リアルな諸対象〉であり、われわれはこれらの対象を、決して心的な諸実在についてではなく、それらイデア的諸対象についての実用的なテーマ設定の中で検討し、行為によって然るべく形成しているのである。」また幾度となく出てくる明証性について「ごく一般的に言えば、明証性とは〈場合によっては非常に複雑な段階系列として構築されて、それ自身の志向的な対象性を本来の《そのもの自身》の様態で呈示する意識の仕方〉に他ならない。」とありました。今回はここまでにします。

「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」第59節~第60節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第1章「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」の中の第59節から第60節までのまとめを行います。第59節では明証についての考察がありました。「明証とは、〔対象〕自身を与える志向的能作である。さらに正確に言えば明証とは《志向性》の、すなわち《何かについての意識》の卓越した一般的形態であり、明証的に意識された対象的なものはこの形態の中で、それ自身が把握されたもの、それ自身が見られたもの、つまり〔主観の側では〕意識的に対象自身の許に存在する、という仕方で意識されているのである。あるいは明証とは本源的な意識のことだ、と言ってもよい。」第60節では明証性ならびに対象性についての考察がありました。まず明証性を中心に論考している箇所を引用いたします。「明証性は意識生活全体に関わる総合的ー普遍的な志向性の在り方であり、これによって意識生活は一つの普遍的な目的論的構造を具備し、《理性》を重視することによって、正当性を証明し(それと同時にさらに正当性を習慣的に獲得し)そして非正当性を破棄する(そうすることでそれらの不正を獲得した所有物と認めるのを止める)一貫した傾向をもつのである。」次に対象性と明証性に関与した論考を引用いたします。「対象性の範疇と明証性の範疇は相関関係である。志向的に総合され一貫して保持される志向的統一体としての、しかも究極的には可能な《経験》の統一体としてのーさまざまな対象性の各基本的種類には《経験》の、つまり明証性の、基本的種類が属しており、さらに対象自身の完全性が向上した場合には、志向的に示される明証性のスタイルの基本的種類も属することになる。」そもそも論理学とは何かを論じる中に、さまざまな要素が含まれていて、それらをひとつずつ論じて、全体として論理学の体系を作ろうとする本書の意図は分かっているつもりでも、詳細な部分で自分の思考がついていけなくなることがあります。今日はここまでにしたいと思います。

2月RECORDは「菌の触手」

今月のRECORDのテーマを「菌の触手」に決めました。新型コロナウイルス感染症のことが私の頭から離れることがなく、緊急事態宣言が延長されたことで、職場関連の仕事に支障が出ています。遠出を含め職場外に出る出張に行っていいものかどうか、いろいろな職員が管理職の判断を待っています。政府や自治体から不急不要の外出を控えるように言われていますが、必要な出張は感染症の防備をした上で、私は出張命令を出すことにしました。そんなことが職場では日常的に行われているため、コロナ禍がいつも私を苦しめているのです。そこで2月RECORDのテーマは「菌の触手」とさせていただきました。あくまでも詩的なコトバとして考えたいテーマですが、テーマの背景にある菌について調べてみました。菌は細胞外で増えていくもので周囲に餌があれば、どこでも繁殖することができるものだそうです。それに対し、話題のウイルスは他の生物の細胞内に侵入して寄生しないと増えていかないもので、菌とウイルスが異なるものであることが分かりました。また触手とは何か、これは無脊椎動物の口の周囲にある小突起で、触覚や捕食の働きをするものであり、比喩として欲しいものを得ようと働きかける時に使うコトバです。日常生活を鑑みると「ウイルスの感染」というテーマにしたいところですが、あまりにもダイレクトで味も素っ気もないので「菌の触手」とさせていただきました。今月は負の連鎖に陥りそうなちょっとダークなテーマですが、世相に惑わされることなく、作品として成り立つようなRECORDにしていきたいと思っています。

「炻器と木彫」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第2章「芸術家と職人」について「3炻器と木彫」のまとめを行います。副題に「民衆芸術に息づいていた素材の復活と『素材の尊重』」とあり、画家ゴーギャンが炻器と木彫に興味を持ち始めたことで、その結果として民衆芸術の復興に努めることになったことが分かりました。民衆芸術と近代彫刻の融合は、私にとっても面白いテーマであり、日本の民芸運動の中に私が新しい美意識を感じるのも、これとは無縁ではないと思っています。「(ゴーギャンは)はじめに彫刻家ブイヨのもとで大理石彫刻を二点制作した後、木彫を始めた。最初に古典的な《ヴィーナスの誕生》を制作するが、続いてドガの影響で現代的主題に移り、《散歩をする婦人、小さなパリジェンヌ》のように直彫りで手仕事の跡を残すような木彫を行ったことは興味深い。そこには木の素材にふさわしい表現を模索し、『素材の真実』を尊重する姿勢の表れを見ることができるだろう。」また当時、日本の器が紹介されたヨーロッパで、陶工と彫刻家を兼ねた作家たちが試行したものとゴーギャンは異なっていたことを示す文章もありました。「彫刻家として出発し、日本の炻器に魅せられて、日本風の器を制作したり、自らの彫刻を炻器で表現したりしたのはジャン・カリエス(1855ー1894)であった。炻器のもつ素朴な力強さを自らの表現に生かそうとした点で彼は、ゴーギャンと共通していた。しかしシャプレやカリエスが炻器を通じて日本の自然主義とも手を結ぼうとしていたのに対し、ゴーギャンは、終始西洋的な芸術理念に支配されていた。この職人的芸術の価値を高めようとしながら、それは彼らのような『芸術家=職人』としての意識に基づいたものではなく、自らはあくまで『芸術家』なのであった。」ゴーギャンが炻器や木彫においても斬新で特異な作品を生み出した背景はこんなところにあったのかなぁと思いました。これで第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」は終わります。

2月 寒さが身に沁みる

2月になりました。相変わらず寒い日が続いています。最近、寒さが身に沁みるのは実際の気温だけではなく、私自身があと2ヶ月で退職を迎えることもあるからです。残された仕事はしっかり片付けておこうと思いつつ、4月以降の生活の変化がイメージできず、そうしたことにちゃんと向き合えていない自分がいます。とは言ってもまだ2ヶ月あります。創作活動は退職を迎えようが関係なく、生涯を賭けてやっていくものなので、今月も制作目標を立てて取り組んでいきたいと思います。2月は4回の週末があり、建国記念の日が11日(木)、天皇誕生日が23日(火)にあるため、合計すると10日間、創作活動の可能な日となります。美術館に鑑賞に行けるのかどうか微妙なところですが、10日間全部を通して制作を続行するなら、陶彫制作に本腰を入れようと思っています。大きな新作はまだ半分も出来ていない状況で、先月の土台作りで陶彫部品を配置する土台の雰囲気が把握できたので、土台を刳り貫いた穴に合わせた大小の陶彫部品をどんどん作っていきたいと考えています。一日1点制作をノルマとするRECORDは、下書きが先行する私の悪癖が出てきてしまったので、今月で元に戻したいと考えています。RECORDは冬場の寒さ疲れで夜は睡魔に襲われ、その時間帯に意欲が湧かないことがあると感じていますが、これは言い訳に過ぎません。どんな季節でも何とかしてきたので、心を強くもってやっていきたいと思います。読書は先月からの継続ですが、難解な論理学の専門書は、私が管理職としての立場でいるうちに読み終えたいと願っています。この書籍は自宅のゆっくりした中では太刀打ちできないと考えているからで、職場の私の部屋で、休憩時間ではあるけれどピリっとした空気の中で読んでいこうと思っています。論理学の書籍を紐解くと、私にとって読書は決して癒しではなく学習そのものだと感じます。もう一冊のゴーギャンの彫刻に関する書籍は、かなり楽しめて申し分がありません。新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言が延長される見通しですが、今月も感染予防に留意して過ごしたいと思います。

週末 1月を振り返って…

1月最終日になり、今月を振り返ってみたいと思います。今月創作活動がやれる期間として、まず正月の休庁期間が5日間ありました。その5日間を含めて週末のほとんどすべてを、新作の厚板材による土台作りに費やしてしまいました。陶彫制作では今月2日に1点、今日31日に1点作っただけです。窯入れは3回やりました。鋭角な二等辺三角形を基本とする箱型土台は10点完成し、ちょうど全体構成の半分が出来たことになります。制作工程でいうと、土台作りが進んだものの陶彫制作が遅れ気味で、来月は陶彫制作を頑張る必要があります。今日の日曜日は穏やかに晴れわたる一日になり、冬場でもこんな一日が多くあれば制作は進むのだろうと思いました。今日は美大受験生が工房に来ていました。彼女は受験までにあと1年間の猶予があります。染織専攻を希望しているため、鉛筆デッサンに弾みをつけています。彼女は色感が豊かで生真面目な性格なので、染織に向いていると私は思っていて、彼女の真っ直ぐな姿勢は私の背中を押してくれています。一日1点ずつ夜の時間帯に制作しているRECORDは、やや遅れがちで下書きが先行する私の悪い癖が出てしまいました。今月の半ばまでは毎晩1点ずつ、日々流れていく時間に追いつけていたのですが、ウィークディの仕事に疲労を感じるようになってから、その日のうちにRECORDが完成しなくなりました。早いうちに挽回したいと思っています。鑑賞は地元の美術館で開催している「トライアローグ」展(横浜美術館)に行ってきました。その他では学生が発表していた展覧会に足を運びました。中学生によるアニメーション・フェスティバル(横浜市庁舎アトリウム)、大学生による美術大学卒業制作展(多摩美術大学八王子キャンパス)に行ってきました。新型コロナウイルス感染症の影響で緊急事態宣言が出て、展覧会に行くのも慎重にならざるを得ない状況でした。前任の職員同士の結婚式にも招待されましたが、出席表を送った後で行くべきかどうすべきかを悩むこともありました。展覧会も結婚式も実際に行ってみれば良かったと思える内容でしたが、取り越し苦労は尽きません。通常に戻れば劇場や映画館にも足を運びたいと思っています。読書では相変わらず難解な論理学に関する書籍に挑んでいます。今月は建築家の楽しい写真集を読み終えて、画家ゴーギャンに関する書籍を読み始めました。来月もコロナ渦は変わらず、生活スタイルの変化も望めないだろうと思っています。

週末 1月最後の週末に…

やっと週末になりました。明日が1月最後の日になるため、週末としてはこれが最後の週末です。新作の制作状況としては、今月は厚板材を電動ノコギリやジグゾーを駆使して切断し、箱状に加工する作業に追われ、ほとんどの週末は木材加工に費やしました。新作の土台を作るのが次のステップに繋がると見通して、これをやっていました。その分、陶彫制作が滞ってしまったため、今は焦りを感じています。そこで今日は畳大のタタラを数枚準備して、明日の陶彫成形に繋げていくことにしました。併せて木材加工もやりました。ほとんど私の作品は陶彫による集合彫刻ですが、木材も用いる場合があります。今回作っている大きめな新作は木彫を行うことがなく、厚板を切断するだけの作業ですが、これから作るであろう作品は木彫を施す予定です。この木彫作品は現在やっている新作の完成の目途が立ってから作り始めようと思っています。私は厚板を加工するだけより、木彫や陶彫をやっている方が楽しくて好きなのですが、集合彫刻の場合は辛抱しなければならない作業が必ずあります。全体を通して楽しい作業と楽しくない作業が半々くらいかなぁと思っています。たとえ楽しくなくても完成すると効果抜群で、その退屈な蓄積が表現の説得力を生んでいる場合もあります。私は作業がどうであれコツコツ取り組む性格なので、一気呵成に作れない集合彫刻に向いていると自覚しています。明日は久しぶりに陶彫成形に取り組みます。陶彫成形は既に出来上がっている土台を見ながら進めます。土台には穴が刳り貫いてあって、そこに収まるサイズで作らなければならないからです。明日からの陶彫成形は全体を見ながらサイズを決めていく必要があります。明日も頑張ります。

陶彫の出発点を考える

「知的な手による生命の表現によって、まさしく陶芸を彫刻の高みに引き上げることができると同時に、陶芸の素材によって彫刻を刷新することができるというのがゴーギャンの主張であった。」これは現在読んでいる「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の中に収められていた一文で、画家ゴーギャンが表現の多様性を求め、陶で彫刻を作り始める契機となったことが書かれています。ゴーギャンは「陶製彫刻」と呼んでいたようですが、日本でも京都に拠点があった走泥社で陶芸家の前衛表現として「オブジェ焼き」と命名された作品が生み出されていたことを資料を通じて知りました。私は塑造による人体彫刻を学生時代に習作しており、その後自らの表現をどう獲得するかを悩んでいた時期がありました。欧州ウィーンの美術学校に籍を置いていたにも関わらず、そこでの空気に馴染めず、散策をしていた街角で日本の陶磁器を見て、私はハッとしたことを思い出しました。日本の炻器の簡潔な美が、それまで西洋の装飾性に辟易していた自分の目を覚まさせたのかもしれません。懐かしく新鮮な思いは、私に美術学校での制作を抽象に向かわせました。当時は陶を扱うことが出来なかったので、石膏で自らの思いを吐露しました。海外生活を引き上げる際に2か月間、西洋文化発祥の地に行ってみたくてギリシャ、トルコにむけて旅をしました。外人労働者が帰省する安価なバスに乗って、エーゲ海沿岸の遺跡を見て周るうちに、陶による集合彫刻として都市景観を造ってみたい衝動に駆られました。トルコ内地のカッパドキア奇岩群も印象に残りました。それらを陶で表すにはどうしたらよいのか、横浜の自宅から近い陶芸の里は栃木県益子と茨木県笠間であることを知り、折しも友人が笠間に移住して陶芸を始めたことを契機に、一気に陶彫への道が開かれました。それでも陶の技法習得はなかなか困難で、私は彫刻のイメージを頭に秘めたまま10年も技法習得に努めてしまいました。当然焦りはありました。私が求めた混合陶土では立体として高さを保つことが当初は難しかったので、レリーフに近いものを壁に貼り付け、屏風仕立ての「発掘~鳥瞰~」が完成しました。これが私の陶彫の出発点ですが、ゴーギャンの彫刻の刷新を知るにつけ、当時は前衛だったために、こうした表現も否定もされたであろうことが分かります。書籍を読んで、私なりに思うところがあって、こんなNOTE(ブログ)を書かせていただきました。

「彫刻と陶磁器」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第2章「芸術家と職人」について「2彫刻と陶磁器」のまとめを行います。この章では彫刻家による陶磁器装飾への協力について述べられていて、主な作家としてカリエ=ベルーズ、ダルー、オーベの3人が取り上げられていました。「第二帝政下において、シャンゼリゼ通りにあるパイヴァの館などパリ市内の有数の私邸からオペラ座内部まで、さまざまな室内装飾を手がけて名声を得たカリエ=ベルーズは、壺や燭台、置き時計などの『実用品における美』にも意識的に取り組んでいた彫刻家であった。~略~この彫刻家はまたロダンの師としても歴史に名を留めている。」次にオーベについて「彼こそ、ゴーギャンが作陶を始めるにあたり、陶器装飾について直接に多大な影響を与えた彫刻家であった。」と書かれていました。逆に陶工から芸術家に接近した陶芸家エルネスト・シャプレがいて、炻器に目を向けたことが記されていました。「シャプレは1878年の万国博覧会で日本の炻器に目覚めたあと、西洋の古炻器に目を向けた。装飾概念が日本的であるとすれば、水差やジョッキ型の器は西洋的である。」最後にゴーギャンです。「知的な手による生命の表現によって、まさしく陶芸を彫刻の高みに引き上げることができると同時に、陶芸の素材によって彫刻を刷新することができるというのがゴーギャンの主張であった。」この一文には私も思うところがあって、別稿を起こそうかと思っています。まさに私の陶彫の出発点がここにあって、日本の走泥社の主張したオブジェ焼きとともに、ゴーギャンが自ら創案した「陶製彫刻」または「彫刻するための陶器」に起源を発するものであることを改めて認識しました。ゴーギャンが日本の炻器の影響を受けていたことを物語る一文もありました。「彼は『たとえいびつではあっても幾何学の法則に従う』と言い、炻器は固有の『幾何学』にしたがうべきであることを説くのである。ここには、これを古来尊んできた日本の美学の影響があったであろう。」

疲労を感じる時…

例年この時期は疲労を感じることが多いのですが、このところちょっと辛いなぁと思っています。私が疲労を感じる時は、上顎の奥歯のあたりの神経にぼんやりした痛みがあります。歯科医院に行って診てもらっても、奥歯は治療済みでとくに問題はないと言われたので、どうも歯ではなさそうです。暫くすると痛みは消えているので、気にならないと言えば気にならないのです。朝晩の冷え込みと職場では神経を使う事案が多いので、ひょっとして外的なものと内的なもの両方で疲労が蓄積しているのかもしれません。今までは管理職という立場で次年度も仕事を継続してきました。私なりに気持ちの張りがあったと自覚していますが、今はそうではありません。あと2か月少々で仕事が終わると思うと、心のどこかに隙が出来て、それがシンドさを生んでいるのかもしれません。どうであっても最後まで仕事を全うする意思はありますが、息切れしているのも確かです。週末の創作活動は疲労を感じることがなく、制作に邁進しているので、この疲労は精神的なものであることは疑う余地はありません。私は30歳で公務員になるまで長く自由気儘な生活を送っていました。そこから35年間、公務員として創作活動との二足の草鞋生活を続けてきました。私にとっては結構大きい35年間だったのではないかと思っています。それは生活を営む経済ばかりではなく、生活のリズムもそこで培われてきました。二足の草鞋生活も疲労を伴うものでしたが、今感じている疲労とはやや違っていて、辛いと思うことはなかったように思います。今年度はコロナ渦の影響で想定外のことが多く、個々の管理職が判断する場面も多々あったと思っています。そうした通常の職場運営とは異なる判断にも疲労を感じているのかもしれません。私の職場は有能なスタッフが揃っているので、彼らにもかなり助けられてきました。それでも困難な状況が緩和しているわけではありません。今は創作活動が心の支えです。支えられるものがあるだけで私は救われているのかもしれませんが、やはり疲労を感じているのは何なのでしょうか。

「背景ー装飾芸術の復興」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第2章「芸術家と職人」について「1背景」のまとめを行います。副題に「装飾芸術の復興」とあり、19世紀の特徴として、工芸と呼ばれる装飾芸術の地位向上がありました。「1890年代のアール・ヌーヴォーへと続くこうした動きの中で、『職人』ではなく、産業化以前のように『芸術家=職人』による製品が目指され、それは小芸術と呼ばれた装飾芸術の価値を向上させるとともに、絵画、彫刻という大芸術と小芸術の間に確固として存在したヒエラルキーの揺らぎへと導いていったのである。」ゴーギャンもこうした時代背景の中で活動した芸術家であったので、装飾的彫刻である壺を制作しています。本書は『芸術家=職人』の誕生に貢献した人物としてフェリックス・ブラックモンを取り上げています。ブラックモンは版画家でありながら陶磁器の装飾を手がけた人でした。「アール・ヌーヴォーを支配していた『素材の論理』と『装飾(オルヌマン)の論理』の二重の論理の出発点にブラックモンは位置していたのである。そしてまさしく素材と装飾の原理はゴーギャンにも継承されていくのである。」アール・ヌーヴォーは私の大好きな芸術様式で、その優美な装飾が絵画や彫刻に応用され、19世紀後半を彩るものになったと理解しています。本書は次に装飾芸術の美術館開設への動きが書かれていました。「イギリスの美術館は、産業化に伴う芸術的質の低下の改善のために職人たちを教化することを旨としていた。セーヴルの陶磁器美術館は、これとは対照的に、設立の契機こそ産業化の波とは無関係であったが、19世紀の産業化社会の進展の中で高まりを見せていた民衆と生活と結びついた歴史的陶器への関心を反映して、高貴なものから民衆的なものまで、そして世界各国のあらゆるカテゴリーの遺品が集められ、19世紀中に世界有数の陶磁器コレクションが形成されたのである。」現在はさらに工芸と絵画や彫刻のボーダーがなくなっており、アートの中にはどちらとも言えない作品が数多く存在しています。私の陶彫作品も彫刻的な思考ではあるけれど、陶を素材とするもので、工芸的な技法で作られています。そうした現代に繋がる要素が培われた出発点がここにあったと思われます。

「絵画、彫刻の自律性の追究」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第1章「画家と彫刻家」の「3 絵画、彫刻の自律性の追究」についてのまとめを行います。ここで3人の芸術家が登場いたします。まず画家のエドガー・ドガです。「実はドガはミケランジェロと同じように、彫刻がより多くの労苦を必要とするゆえに、彫刻の方が『高貴』であると思っていたかもしれなかったし、また『彫刻が絵画を照らす灯火』であると思っていたかもしれなかった。彫刻は彼の絵画にとって重要な支柱であり、また彼において彫刻と絵画は、まさしく『連携』するべきと考えられていたのである。」ドガはバレリーナを描いた代表作で画家として盤石な芸術家になりましたが、またドガは優れた彫塑家でもあり、ドガの抜群の素描力はそんなところにあるのではないかと思います。次は彫刻家ライナー・マリア・リルケです。「正面性を排除し、彫刻を『物』として、『オブジェ』として扱うことによってリルケがここで行っていることは、その芸術としての価値は、彫刻が表現する物語的意味ではなく、その空間芸術としての価値のみに基づくという、自律性の主張であった。」現代まで続く彫刻観がここにあります。最後に本書の主役となるポール・ゴーギャンが出てきます。「彼は実際、絵画の他、陶器、木彫、版画を試みたが、それらを自らの絵画における追究のために行ったのではなかった。ここに、その絵画のために彫刻を行ったドガとの根本的な違いがある。彼はこれらの表現媒体に、各々の特性を見いだし、それを生かした表現を模索した。」本書ではゴーギャンの友人に宛てた手紙を掲載し、次のように述べています。「『自然を見て行う』のは易しいが、『形を見つけ出そうとするのはとても難しい』という言葉によって、彫刻が自然の模倣ではなく、新しい形の創造であることが示され、自然主義ではなく、すなわち視覚的イリュージョニスムを排して不可視の世界を暗示する芸術が説かれている。~略~ゴーギャンの彫刻概念とはすなわち、絵画の平面性を適用しながら三次元芸術を創造することであり、ギリシャ的イリュージョニスムの伝統から脱した彫刻の創造であった。ゴーギャンは、表面上での表現を前提とし、中核から発する力によって支えられたものではない新しい彫刻を主張した。それはまさしく『中空の彫刻』であった。」本書のタイトルとなる言葉が登場してきました。今回はここまでにします。

週末 土台作り&窯入れ

今日も昨日に続き、朝から夕方まで工房に篭りました。現在やっている新作に関する作業は厚板材を使った木材加工と陶彫制作です。一日のうち木と陶の双方の技法をやっていましたが、厚板材の切断では木屑や木の埃が舞い上がり、陶彫の仕上げや化粧掛けでは陶土の埃が舞い上がりました。埃っぽい中で行なう作業は、コロナ渦でなくでもマスクが必要でした。マスクは店で大量に売られている簡易なマスクをしていましたが、嘗てヨーロッパで石彫を手伝っていた頃は、日本から防塵マスクを取り寄せていました。左右にフィルターが分かれた形をしていて、毒ガス用マスクのようでしたが、ヨーロッパの人たちからそれはどうしたのか、どこで売っているのかを聞かれたこともありました。今もゴム製の頑丈なマスクが工房のどこかで眠っていると思います。美大の工房に行くと粉塵を吸い込む装置が備わっていて、羨ましい限りですが、個人の工房ではそうもいかず、作業台や床を掃除機で吸い取るのが関の山です。厚板材で土台作りをやっているうちに、陶彫部品はどれも乾燥が進み、ほとんどの作品を窯に入れることができると判断しました。窯の容量を考えると、窯に入れられるのは大小ひとつずつで、とりあえず今日は大きな作品を2つ、小さな作品を2つ仕上げて、化粧掛けを施しました。まず大小で組み合わせ、窯に入れました。1週間の途中で窯の出し入れを行い、週に2回の焼成を行おうと思っています。前にもNOTE(ブログ)に書きましたが、陶彫制作で一番面白いのは焼成です。焼成前と焼成後では作品の雰囲気がまるで異なります。陶土が石化して独特な空気を纏いながら私の目の前に現れます。その瞬間が私は大好きなのです。勿論絶望を味わうこともありますが、それも最近は許せるようになりました。今日は美大受験生が朝から工房に来ていました。先週の美大の卒業制作展の印象を話し合いながら、彼女は鉛筆デッサンに精を出していました。夕方、受験生を車で家まで送り届けてきました。また次回頑張ろうと思います。

週末 土台作り続行

先週末は美術館に行ったり、美大の卒業制作展に出かけてしまったので、制作工程が遅れ気味になってしまいました。週末になって制作ばかりしていると精神的に辛くなるので、先週末のような刺激も必要と思ったため、制作工程に遅れが生じるのは想定内のことです。今日は久しぶりに一日中工房に篭って制作をしていました。現在は新作の土台になる木材加工をやっています。厚板材を鋭角な二等辺三角形に切断し、それに高さをつけるため箱型にしているのです。全部でそれらを20点作るので時間がかかっています。今日は前回の続きとして電動ノコギリを使って、厚板材を8cmの帯状に切断していました。木屑や埃が舞い上がり、作業をしている周辺は煙ってしまいました。コロナ渦で部屋の換気をするのが通常になっていますが、それとは別に木の埃で窓を開け放たなければならず、冬の冷気の中で身体が悴むようでした。いつものようにストーブで手を温めながら作業をしていました。実材を扱う彫刻表現は、時として厳しい環境で制作することもあります。若い頃はまるで気にならなかった制作環境が、結構辛いと感じるようになったのは最近のことです。それでも身体を動かして実材と向かいあっていると元気が出てくるのが何とも不思議で、彫刻家気質と言うものがあれば、きっとこういうものなのかもしれません。私は集合彫刻をやっているので、少しずつ部品が出来上がっていきますが、それを確認するのも楽しみの一つです。コツコツ部品が出来上がっていくのは私の生真面目な性格に合っていると思っています。制作時間もその日の気分によって変化することはありません。ウィークディの勤務時間と同じように自分で決めてやっているのです。まさに工房に出勤している感覚です。週末だからといって寝坊することはありません。同じ時間に目が覚めて、職場に行くのか工房に行くのかの違いだけです。もちろん仕事内容はまったく異なります。職場は組織があり、工房は私一人です。明日も木材加工を一人でやっていきます。

21’RECORDの印について

一日1点ずつポストカード大の平面作品を作り続けて、かれこれ14年が経過しました。1年を365日として計算すると、現在RECORDは5000点を超える作品数になっています。RECORDは、私が毎年個展で発表している陶彫による集合彫刻に匹敵する表現媒体になっているように思えます。月毎にケースに入れて工房の棚で保管していますが、そこに乾燥剤も入れています。作品のほとんどが油性ペンとアクリルガッシュによるものですが、初期の頃は薄板を使った半立体の作品やコラージュした作品もあります。テーマとしては、年間テーマを設けて月毎に決めて5日で展開できるようにやっています。5000点もあれば似た表現が現れてしまう嫌いもあります。今のところ年代を追って整理していて、随時ホームページに掲載していますが、何か不測の事態があれば、5000点が混ざってしまう可能性もあります。そこで制作年代が分かるように画面右下にその年を表す印を押すことを思い立ちました。印は全て手作りで、その年の初めに彫っています。当初は氏名を彫っていましたが、最近はロゴマークのようなデザインになっていて、小さな抽象絵画だと私は認識しています。小さな印材は都心の大手画材店に行かないと売っていないため、以前大量に購入してきました。そろそろ2021年の新しい印を彫ろうと思います。今年になって印をまだ押していない作品が20点以上になってきたので、早めに印を彫り、まとめて押印するつもりです。陶彫による集合彫刻にも大きめな印を彫って押印しているので、印の作品数もかなり多くなっています。自由気儘に彫った印ばかりで、書道家に言わせれば素人の戯れに過ぎませんが、印という小宇宙の展覧会を開いてもいいかなぁとさえ思っています。

「概観」・「絵画と彫刻」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第1章「画家と彫刻家」の「1概観」と「2絵画と彫刻」についてのまとめを行います。本書は読み始めから興味関心が尽きず、絵画と彫刻のパラゴーネ(比較論争)には私も思うところがあり、読んでいて楽しくなってしまいました。「1概観」から引用いたします。「(20世紀の)彼らは画家であったがゆえに、彫刻の世界のさまざまな桎梏、すなわちギリシャ彫刻の確固とした伝統に由来する主題や技法上の制約や前提から自由であり、思いのままに大胆に三次元での制作を行うことができた。その結果、彼らの手から革新的な彫刻が生み出されたのである。とはいえ、彼らは決して彫刻の伝統に無頓着であったわけではない。」さらに「このような画家の、あるいは彫刻家の他方の芸術の実践、もしくは互いの関心や闘いは、パラゴーネ論争(諸芸術の優劣比較論争を意味する)が盛んであったイタリアの伝統に連なるものである。レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロを代表とする絵画と彫刻をめぐる論争は、ミケランジェロが素描を共通とした姉妹芸術であることを提唱して、幕引きが計られたのであるが、イタリアでは、17世紀のベルニーニに至るまで、絵画、彫刻、建築などさまざまな芸術を手がける芸術家が多数を占めていた。」ということがあったようです。「2絵画と彫刻」の中では、画家と彫刻家の空間把握に関することが理論家ヒルデブラントによって考察されていました。「動く視線によって得られる視覚『印象』から出発するか、直接的に視覚『表象』から入るかの違いはあるにせよ、彫刻家と画家の空間把握に対する合理的アプローチは同じであり、これがすなわち西洋の古典主義芸術の基本原理として実践されてきたものであった。」その後、ここではミケランジェロ、ロマン主義、オノレ・ドーミエに関する考察があり、「もはや絵画と彫刻のどちらが上位の芸術かという『論争』ではなく、『表現』を共通項とした両者の『連携』へと導かれていたといえるのである。」と結ばれていました。

「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」第57節~第58節について

昨日に続き、「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第1章「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」の中の第57節から第58節までのまとめを行います。この節では論理学的な心理学主義を扱っています。「根源的に産出する思惟作用について当てはまる事柄は、思惟作用の二次的な諸様相についても、例えば混乱した思いつきなどの《判明でない》思念についても当てはまる(したがってそれらと並行する理性的な意識や《心情》の諸様相にも、さらにこれらに対応する付随的な二次的諸様相にも当てはまる)。これらの混乱した思想は、混乱した思惟意識自身の中で生じ、しかも外的なものとしてではない。そうだとすれば論理学においてわれわれは、いったいどのようにして《心的諸現象》の、すなわち《内的経験の諸現象》の分野を乗り越えたことになるのであろう?」との問いかけに、論理的ー心理的な領野に非実在的に現われるものとしての論理学的形成物のイデア性を論じた小節にこんな一文がありました。「反復される同じ諸作用や似た諸作用の中で形成される複数の判断や推論などは、ただたんに同じだとか似ているというだけではなく、数的にまったく同一の判断や推論などであることは、根源的に明証であると。」さらに錯覚の可能性についても触れた箇所がありました。「《いま私はそれが思い違いだったことを確認する》という根源的な仕方で、錯覚が自覚され《解消されること》自身が一種の明証である。すなわち経験されていた事柄の非存在とか(最前は変更されなかった)経験の明証を《否定すること》についての明証である。」本書は自分がここぞと思う箇所にラインを引いていますが、そこだけを引用すると前後の文章の意味を掬い取れなくなるため、引用した箇所が意味不明で難解になる可能性があります。私の読み取りが浅くて、重要ポイントではないところに気が留まる可能性もあり、NOTE(ブログ)を読んでいただいている方々にご迷惑をおかけしていると思っています。本書に関わる文章は、私自身のメモであるため、読み飛ばしていただければ幸いです。

「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」第55節~第56節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。今日から本論の第二篇「形式論理学から超越論的論理学」に入ります。この第二篇が本書全体のタイトルになっているので、ここからが本書の主訴になるのではないかと推察いたします。その第1章「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」の中の第55節から第56節までのまとめを行います。第二篇の冒頭で「第一篇ではアリストテレスの分析論によって呈示された伝統的な形式論理学の意味を解説した。」とあって、その振り返りが書かれていましたが、それで充足したのかどうかを問う場面がありました。「われわれが分析的アプリオリという概念を、十分に広く理解した純粋な形式的分析論によって規定する場合に問題になるのは、新しい《総合的》アプリオリ、もっと適切に言えば《核をもつ》具象的なアプリオリであり、さらに詳しく言えば〈具象的ーアプリオリ的な特殊分野のすべてを一つの全体へ統合する、そのような性質の普遍的なアプリオリ〉である。」次の節では論理学的形成物についての主観的考察はどれも心理学主義だとする非難について書かれていました。「当時優勢になった経験主義は(その歴史的由来からして反プラトン主義であったが)あらゆるイデア的形成物に固有の客観性に対しては盲目であった。そのため経験主義はそれら形成物をあらゆる場面で心理学主義的に歪曲して、それらはそのつどの心的諸作用の顕在性と習慣性に起因するとしていた。そのため〈陳述命題、判断、真理、推論、論証、理論および、それらの内部で形式化されて登場する範疇的な対象性など、論理学の主題的分野を形成し、しかもそれら自身の意味からして非実在的な各種の対象性〉までも、心理学的に扱われることになる。」それに対してさまざまな考察を加えた上で「〈ただひたすら論理学固有の主題分野だけを目指して、論理学的な認識だけしか行なえないような論理学〉は一種の素朴さをいつまでも抜け出せずにいるため、論理学自身を根本的に理解して原理的に正当化する哲学的な特権が、換言すれば、最も完全な学問的特性の特権が封じ込められたままになる。しかるにこの特権を実現するためにこそ哲学が、とりわけ学問論としての哲学が現存するのである。」とありました。今日はここまでにします。

横浜の「トライアローグ」展

先日、横浜美術館で開催されている「トライアローグ」展に行ってきました。トライアローグとは三者会談の意味で、横浜美術館、愛知県美術館、富山県美術館の3館の20世紀西洋コレクションを一堂に会して展示する企画展を指しています。「この展覧会は、各館の所蔵作品を組み合わせて20世紀の西洋美術の流れを俯瞰すると同時に、各館の収集活動について振り返り、公立美術館で20世紀西洋美術のコレクションをもつ意味や、鑑賞のあり方、今後のコレクション形成について、改めて考察する機会とすることを目指している。~略~移動の制限等により、今後海外から作品を借用しての大型展が難しくなるといわれているなかで、国内にある西洋美術作品の展覧会における活用は、これまで以上に重要となるだろう。」コロナ渦の中で美術館が果たす役割等も視野に入れた試みだったことが図録から読み取れました。3館の展示作品をさらに3つの時代に分けて、作家別に展示する企画もあって、私は楽しめました。まず1900年以降について。「芸術の都パリの内外からそのシーンの動向を注視していた作家たちは、キュビズムの実験から対象の視覚的再現への懐疑を受け取りつつ、次第にそれを網膜上の経験とは別の、たとえば人間の精神や内面、音楽や色彩、形や素材そのものの表現へと作り変えていった。」(副田一穂著)これは所謂抽象絵画への発展を指しています。次に1930年以降について。「ブルトンが詩人であったことに象徴されるように、シュルレアリスムは文学の領域で胎動した運動である。しかし、夢や無意識を介して理性や固定観念の束縛から現実を解き放とうとするその理念は、もとより視覚芸術との親和性が高く、瞬く間に様々な美術分野を巻き込んで展開した。」(松永真太郎著)そして1960年以降について。「1960年代には、おおまかに分けて相反する2つの傾向が現れる。そのひとつが、大量生産・大量消費社会、マスメディアの隆盛といった時代状況を色濃く反映したネオ・ダダやポップ・アート。もうひとつが、作品の表現要素を最小限まで削ぎ落したミニマル・アートである。」(碓井麻央著)3館の学芸員がそれぞれの時代を分担して図録を執筆している上、綿密に話し合ったであろうことがよく分かる展示と解説になっていました。本展は西洋美術作品に絞っているため、切り口として私たちが中学校や高等学校で習ってきた作品が中心になり、それだけに安心して見ていられるのですが、大きな捉えで言えば美術史はさらに西洋に限らない展開もあるはずです。それらのトライアローグも今後あってもいいのではないかと思った次第です。

週末 美大の卒業制作展へ

今日も昨日に続いて展覧会に行きました。今日は工房に出入りしている美大受験生と一緒に東京都八王子市にある多摩美術大学の卒業制作展に車で出かけました。首都圏にある美術系大学の卒業制作展は3月に集中していますが、多摩美術大学は専攻を分けて1月と3月に行っているのです。私は同大彫刻科の助手と知り合いで、彼らが構内を案内してくれました。コロナ渦がなければ、私は毎年秋に開催している美大の大学祭(芸術祭)にも出かけて、若い世代の人たちの作品を堪能していました。通常の展覧会と違い、美大生の展示発表は課題もあれば可能性もあって、その双方を感じることが出来るのです。私自身の彫刻家としてのスタートと重ね合わせ、自分が必ずしも満足のいくスタートではなかったことを再確認し、自分が紆余曲折しながら進んできた道を振り返る機会にもしています。拙い表現は百も承知で、多くの学生作品を鑑賞し、私はこれからの彼らの可能性を信じようとしています。勿論現在の学生を取り巻く情報が、私の時代とは比べものにならないことは分かっています。彫刻科の発表も私たちの時代のように人体塑造ばかりが並ぶ状況ではなくなっています。私も入学した当初は、実材を扱いながら優れた表現に辿り着きたいと願っていましたが、結局4年間を通して人体一つもまともに作れない恥ずべき結果になってしまいました。表現媒体がどうであっても、何かを表現したい意思は見取ることができます。その強弱がよく現れるのが卒業制作なのです。私は当時の自分が恥ずべき結果であっても諦める事はせず、ブレることがない道を歩んできた自負はあります。そうなる学生が何人いるでしょうか。その中には優れた表現力を獲得しつつある学生もいました。彼らには当時の自分が足元にも及ばない表現力がありました。将来有望な学生が環境が整わず、その才能を曇らせてしまうことが残念でなりません。と思えば、4年間何をしてきたのか分からない学生もいました。美大の卒業制作展が面白いのは、美大生全員が己の内面に向けた闘いを強いて、その結果を可視化できるのが同展だからです。一緒に連れて行った美大受験生には良い刺激になったはずです。私も初心忘れずに長く続く道を歩んでいきたいと思った次第です。

週末 土台作り&美術館散策

週末になりました。新型コロナウイルス感染症で緊急事態宣言が出ているにも関わらず、気持ちのモチベーションを保ちたくて、今日は地元にある横浜美術館へ出かけてしまいました。早朝は工房に行き、新作の土台作りをやっていました。どこかへ出かける用事がある日も、少しの時間でも創作活動を入れると心の安定が得られます。冬は寒くてウィークディの夜に工房へ出かけることが出来ないのが残念ですが、週末には必ず工房に行っています。陶彫制作はまとまった時間がないと難しいところがあるので、早朝制作は厚板材を使った土台作りを行うことにしました。朝7時から9時までの2時間は工房にいました。制作工程の進み方は僅かですが、それでも制作に携わっている実感があるのが良いのです。工房の作業を引き上げて自宅で朝食を済ませてから、桜木町にある横浜美術館に向かいました。現在は「トライアローグ」展が開催されていて、私は事前に予約を入れていました。トライアローグとは三者会談の意味で、横浜美術館、愛知県美術館、富山県美術館の3館の20世紀西洋コレクションを一堂に会して展示する企画展のことです。これは3館の学芸員による好企画と言えるもので、それぞれの美術館が所蔵する一流品を集めれば、インパクトのある展覧会が開催できてしまう素敵な実例だろうと思いました。20世紀美術を牽引した画家や彫刻家による作品を見ていると、海外に行かずとも西洋美術を俯瞰できる喜びがありました。私個人としてはルイーズ・ニーヴェルソンの珍しい彫刻作品と対面できたことが良かったと思いました。ニーヴェルソンの作品は千葉県のDIC川村記念美術館にしかないと思っていました。「トライアローグ」展の詳しい感想は後日改めます。その後、最近新しく出来た横浜市庁舎に行きました。ここの1階アトリウムの大スクリーンで「アニメーション・フェスティバル」が行なわれていたので、鑑賞に行ったのでした。制作者はいずれも中学生で、若い才能が芽生えている様子が分かりました。アニメーションは日本が世界に誇る表現媒体で、現在も多くの作品が作られています。10代前半の若い世代が、楽しみながらアニメーションを作り始めている状況を見て、こうした動きがますます広がっていければいいのになぁと思いました。

「中空の彫刻」を読み始める

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)を読み始めました。本書は副題に「ポール・ゴーギャンの立体作品に関する研究」とあって、19世紀末に画家として生きたゴーギャンの立体作品にスポットを当てた研究論文です。テーマからして私の趣向に合う要素を孕んでいて、私は以前からゴーギャンのプリミティヴな木彫作品に注目してきました。本書は2部構成になっていて第一部は「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」、第二部は「ゴーギャンの立体作品」です。本論に入る前に、ゴーギャンの立体作品が提起する問題について書かれた序論があります。その序論から気になった箇所を3つ拾ってみます。「彼が生前に高らかに宣言した『あらゆることを敢行する権利』から生み出された大胆な立体作品群は、たしかに20世紀芸術を予告する革新性をはらんでいた。彼は人間、もしくは人体をめぐってギリシャ時代以来生み出されてきた、彫刻と呼ばれる芸術形態の概念を揺さぶり、単に三次元表現にほかならないものを生み出したのである。」2つ目は「19世紀中、絵画においては彼以前にすでに多くの革新者が生まれていた。しかし彫刻では、ロダンでさえ伝統の桎梏から完全に自由ではなかった。彫刻に新風を吹き込もうとするゴーギャンの意欲は、より大胆で奇怪なものを作り上げていったのである。」3つ目は「彼の生み出した三次元作品はアール・ヌーヴォーにつながる装飾芸術復興運動、近代彫刻芸術の自律性の獲得、あるいはプリミティヴィスムなど、19世紀末から20世紀初頭にかけての芸術上のさまざまな問題と深く関わりながら、時代を先導していったと言っても過言ではないのである。」当時は後期印象派の時代で、旧態依然とした芸術様式から新しい概念が誕生してきた時代的な潮目があり、またペルーやメキシコ、日本などの文化も紹介され、画家たちが形態的霊感源をそれらエグゾティスムに求めたという背景もあります。本書は革新的な役割を果たした画家が、立体表現によっても20世紀以降の現代彫刻に繋がる画期的な表現をしていたことに着目し、その独自性を考察したものです。私は滞欧中に「プリミティヴ・クンスト(アート)」という分厚い書籍を手に入れています。そこにゴーギャンの立体作品がかなり多く掲載されていました。原始的な生命力は私の創作も刺激しています。私が自らの創作世界に悩んでいる時は、必ずと言っていいほどプリミティヴな作品を見ることにしています。私がアフリカの仮面を集めているのもそこに関係があります。

「屋根のてっぺん」&「藤森照信建築」 読後感

「藤森照信建築」( 藤森照信著 増田彰久写真 TOTO出版)を読み終えました。書籍の最後に故美術家の赤瀬川原平氏による「屋根のてっぺん」という文章が掲載されていて、読み易い文体なのでサラリと目で追ってしまいました。「はじめて知り合ったころ、道を歩いている時は気がつかないが、人の家に上がったり、あるいは料理屋などで上がったりする時、靴を脱ぐ、その靴の踵が踏んづけてある。それもちゃんとした革靴である。それがスリッパみたいになっているのだ。たしかに靴なんてそうやって履いた方が、脱いだりするとき簡単ではあるが。でも今日は午後から学会だというような、畏まった時もその靴なのである。ええっ?それでいいの?と訊くと、何、学会に出るときは、ふだん踏んづけている踵をパッと起して履くから大丈夫、という。この場合の靴の踵の扱いは、気兼ねだろうか、節度だろうか。~略~その後建築家になってからは、この靴の踵的な物の扱いというのが随所に出てくる。節度は必要だけど、いらぬ気兼ねはする必要はないという、たとえばモルタルに色をつけて、刻んだ藁を混ぜて、いまでは難しい農家の壁を簡単に造り出してしまうというのは、靴の踵を踏んづけて、ある時立てるというような、それと同じことで、そうか、あのころからもう中味は建築家だったんだと思い返す。」また表題になっている屋根のてっぺんに纏わる箇所を引用します。「御柱というのは、神の依代で、人間の信仰の原型だと藤森はいう。太古、天の神霊にあらわれてもらうための媒体である。その神霊とのお付き合い、交通交際を考えているのだとしたら、あちこちの藤森建築はその媒体作りということになる。ひたすらてっぺんを得るために、屋根を得るために、建物を造る。床も柱も壁も、すべては屋根のてっぺんを造るためにあるのかもしれない。」軽妙洒脱な文章ですが、結構奥深いものがあるのが赤瀬川流と私は思っていて、藤森流と赤瀬川流が交わる場面に私も遭遇したかったなぁと思っています。「藤森照信建築」は美しい写真に彩られた建築集で、建造物が存在している周囲の環境を堪能しながら、藤森氏の歴史観や素材に対する考え方を著した箇所に注目してきました。私は素材に対する興味関心があって、とりわけ土に共感を覚えました。私が陶土に触れていると周囲が見えなくなってしまうのは、人間が本来有する本能的な造形感覚によるものなのかなぁと思っていて、藤森氏の著述の中にそんな箇所が出てきたので、非常に楽しくなってしまったのでした。

「植物・自然素材」について

「藤森照信建築」( 藤森照信著 増田彰久写真 TOTO出版)の「植物」と「自然素材」についてのまとめを行います。「これまで世界の有名無名の建物を見歩いてきたなかで、建物と植物の視覚的関係がうまくいっていると思ったのは、フランスの一群と日本の一群である。ともに、茅葺き屋根のてっぺんに草花が植えられていた。」とあり、屋上庭園の試みが建築史を遡って書かれていました。著者が建築した「タンポポハウス」「ニラハウス」「一本松ハウス」「ツバキ城」「養老昆虫館」「ラムネ温泉館」「ねむの木こども美術館」の写真があり、造形の面白さに刺激を受けました。「自然素材」では木材について書かれていた箇所が気になりました。「そうした個別性、不均質さを表立たせるには、手を使い、割ったり削ったり焼いたりするのが一番いい。割れや曲りや節を取りさり、より均質化したものをカンナで削ってツルツルピカピカにするのが一番よくない。人は個別で不均質で粗い表面を見ると、触覚が刺激される。実際に触らなくとも、視覚を通してザラザラした肌触りを覚えてしまう。焼杉の一部崩れはじめた炭化層を目にすると、炭が肌に付着したような気持ちになる。おそらく、過去の経験がそうさせるのだろう。」また土についてこんな文章もありました。「たしかに、土は他の自然素材とはちがう。木をはじめ自然素材の特徴は、手に応答してくれる点だが、土が一番で、完全に手に応答して凹んだり盛り上ったりしてくれる。そのせいか、土を扱っていると、手を通して意識が土の中に没入してしまい、皆、無口になり、黙々と作業を続け、もっとやりたい。」私も陶土を扱っているので、これには共感しました。著者が建築した「神長官守矢史料館」「浜松市立秋野不矩美術館」「ザ・フォーラム」「熊本県立農業大学校学生寮」「不東庵工房」「焼杉ハウス」の写真があり、どこか懐かしくて新しい不思議な感覚を齎す建造物ばかりで、心底目で楽しむことが出来ました。私は実際に外見としての「ニラハウス」を見たことがあり、「浜松市立秋野不矩美術館」にも訪れ、同館の内装もじっくり見させていただいています。機会があればその他の建造物も実際に見てみたいと思っています。個人宅は無理かもしれませんが…。

1月RECORDは「心の棲家」

2021年になり、新しいRECORDのシリーズを始めました。既に制作を開始していますが、今年も例年のように月毎にテーマを決めてやっていこうと思います。今年は何かに拘った年間の意図は設けず、敢えて言うなら月毎のタイトルに詩的なコトバをもってこようと思っています。以前RECORDで詩的なコトバを駆使する試みをやっていましたが、これはなかなか難しいテーマでした。詩的なコトバは、長くひとつの作品に取り掛かって、やがて紡ぎだす言葉であれば、どんな語彙にも心情的にマッチしてきますが、RECORDのように一日1点、しかも職場を退勤した後で、僅かな時間で作品を完成しなければならない条件では、テーマは分かりやすい具体性をもたさざるを得ません。それは詩的な世界とは違うものになってしまう可能性があります。例えばコトバで言うと「邂逅」とか「思慕」は、自分の心に問いかけ、やがてカタチに結実していくものですが、時間が取れないRECORDは、もっと即物的なテーマを設ける必要があるのです。しかも毎晩一つずつ作品を完成させていくので、時間をかけて心情を醸成させていく余裕がありません。そんな中であっても、今年は敢えて難解な詩的なコトバに挑戦してみます。今月のテーマは「心の棲家」です。ちょっと考えると何でもありのテーマですが、出来るだけ嘘偽りのない内容にしたいと理想を追ってみようと思います。私は目覚める時にふと画像が目に浮かびます。その画像にあれこれコトバを乗せていったらいいのかもしれません。常に内面に向き合うことを心掛け、小手先だけで済ませないようにしたいものです。4月には現職の公務員を退職し、多少心にゆとりが出来るのではないかと思っています。そんな期待を込めて、2021年は詩的なコトバをテーマにしました。

三連休最終日は手が悴む寒さ

三連休の最終日になりました。昨日も工房の温度は0度を指していましたが、今日も寒さとの闘いになるほど制作は厳しいものになりました。作業の内容としては厚板による土台作り、彫り込み加飾に加えて乾燥した陶彫部品をヤスリで仕上げ、化粧掛けを施して、窯に入れる工程を今日のノルマにしていました。窯入れは久しぶりでした。今日は朝から夕方まで作業を行っていましたが、少し作業をするとストーブで手を温めて、また作業に戻る繰り返しでした。夏の暑さも辛いものがありますが、冬の寒さもなかなか大変です。手が悴んで思うように動かなくなり、おまけに集中してやろうにも寒さに耐えられなくなり、作業を中断せざるを得なくなります。日本各地から見れば横浜はまだ暖かいとは思いますが、これは工房の防備のなさが原因で、室温がほとんど外と変わらないのです。今日は曇ったような空でしたが、私が思い出すのは2013年の成人の日のことです。その日、私は木彫に取り掛かり、朝から粗彫りをしていました。雪が降り始め、忽ち周囲に積もって交通が遮断されました。家内は神奈川区にある公会堂に邦楽器の演奏に出かけ、私は長靴を履き、山坂を歩いて駅まで家内を迎えにいったのでした。成人を迎えた晴れ着姿の人たちがタクシーを待っていましたが、待てど暮らせどタクシーは来ない状況でした。新成人だけではなく、私にとっても忘れられない成人の日になりました。そんなことが現在は日本海側の積雪でニュースになっていて、異常気象の恐ろしさを痛感いたします。また、新型コロナウイルス感染症が広がる中、横浜では対面の成人式が行なわれました。コロナ渦や異常気象がこんなにも私たちを苦しめたことが今まであったでしょうか。いろいろな場面で無事を祈りたい気分ですが、手が悴むのは工房の寒さだけではなく、世相的な寒さも相俟って心身ともに冷え込んでいるのではないかと思っています。どこかに楽しいことはないかなぁと思っているうちに三連休が過ぎようとしています。

三連休 土台作り&結婚披露宴へ

三連休の中日です。今日の午前中は新作の土台作りに取り掛かりました。たとえ2時間でも自宅でゆっくりするよりは工房に行って、厚板を切断する作業を選びました。切断というより穴を刳り貫く作業に終始しましたが、工房の気温は0度を指していて、電動工具を持つ指先が冷たくなりました。手をストーブで温めながら、何とか今日のノルマを達成しました。11時頃に自宅を出て、横浜のみなとみらい地区に車で向かいました。前まで勤めていた職場で若手の2人が結婚することになり、私は披露宴の招待を受けていたのでした。新朗も新婦も仕事熱心な人たちで、いつも遅くまで職場に残っていました。その頃、彼が彼女を車で家まで送ることが頻繁にあり、私はそういうことかと妙に納得してしまいました。結婚式並びに披露宴の会場はインターコンチネンタルホテルで、横浜の名所のひとつである船の先端のカタチをした現代的な高層建築の中にホテルがありました。新型コロナウイルス感染症が広がっている今、感染予防をして披露宴に臨みました。お酌はなし、乾杯は交わさず、新郎新婦を見て杯を高く上げる方式に変わっていました。当然余興はありませんでしたが、ビデオによるさまざまな趣向があって、私は楽しい時間を過ごしました。挙式が出来ない人たちがいる中で、周囲にきちんと結婚を知らせるために2人が判断をしたことを思い、真面目な2人ならそれもあるだろうと考えました。前の職場では私が管理職で在任している間に2組の結婚があり、それで今日は3組目、本当に仲が良い職場だったんだなぁと振り返りました。懐かしい人たちにも会えました。午後3時には自宅に帰ってきましたが、それから工房に行く気になれず、今日は早朝の制作が正解だったと思いました。明日は朝から夕方まで工房に篭ります。