「第3章 ロサンジェルス時代」について

「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第3章 ロサンジェルス時代」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。「将来の彫刻家イサム・ノグチが、新聞のニュースに予期せぬ初登場をしたのは、誕生後ようやく1週間になろうかという時だった。ロサンジェルスの『ヘラルド』紙のレポーターが誕生を聞きつけて、ロサンジェルス郡病院の病室で、難産の後の身体を休めているレオニーのもとへやってきた。~略~ヨネ・ノグチのベイビー、病院の誇り 作家の白人妻、夫に息子を贈る(『ロサンジェルス・ヘラルド』1904年11月27日)」一方、野口は既に日本に帰国していました。「ノグチはニューヨークの通信社の従軍記者として八月に日本へ向かった。彼の妻は彼が日本へ発ったのと同じ頃にロサンジェルスにやって来て、それ以降当地に滞在している。~略~レオニーは、ヨネには彼らしく生きてほしいと、彼が望んだ返事をよこした。しかし子供のためには、いったん結婚と子供の存在を認めてほしいこと、そしてその上で法的に離婚してほしい、そうすれば彼はどんな女性とも自由に結婚できる、と書いてきた。」その後、レオニーはカリフォルニアでテントによる我が家を建てています。レオニーはそのことについて雑誌に詳細な記事を書いていて、当時の生活ぶりがよく分かります。旧知の修道女に書いた文章を引用します。「あれから色々ありましたが、一番にお伝えしたいのは私に男の子が生まれたことです。もうすぐ1歳になります。彼は日本人の血を引く元気な赤ん坊で、父親とよく似た穏やかな黒い目をしています。この1年ほどは、この赤ん坊に手を取られていますが、夫の文学上の細々とした仕事も手伝っています。夫ノグチはまだ東京にいて、大学でアメリカ文学についての講義を持たされているようで、この冬には辞めたいと考えていたのに、そうもできない状況のようです。だから、おそらく私の方が、来春にも赤ん坊を連れて日本へ行くことになると思います。」野口からの誘いの手紙もありました。「レオニー、これは重要な手紙なんだ。じっくり考えて、答えてほしい。以前僕は君に日本に来るように言った。僕はまたそのことを考えている。君と僕たちの赤ん坊にとって、そのほうがいいと僕は思っている。なぜかって?僕は赤ん坊を育てるのを助けることができるし、彼は父なし子にならないですむ。これはとても重要だと思う。また、君にとっても日本で生計をたてるほうが簡単なはずだ。君は学校教師として働けるし、仲間としても仕事ができる。」レオニー母子を日本に駆り立てたのは、実は野口からの切望ではなく、国際結婚が齎す弊害にあったようです。「ロサンジェルスはこれまでと変わりなく明るい気候であったが、日本人移民が歓迎されなくなりつつあるという怪しい雲行きを、レオニーは感じとっていたに違いない。ロシアの熊を相手に勇敢な戦いを挑んだ『小さな黄色い男たち』への熱狂は、太平洋におけるアメリカの利権や西海岸の安全を脅かす新たな黄禍論として、日本人への漠然とした恐れに取って変わられつつあった。」1907年の「国籍離脱法」がレオニーに日本行きを促す結果になりました。その法は「国際結婚をした女性の市民権は、その夫によるものとしている。」というわけで、「新しい法案はレオニーを大変困った立場に陥らせた。ヨネ・ノグチの妻とされている彼女はもはやアメリカ市民ではないのである。」

5月RECORDは「緑」

今年のRECORDのテーマを数ある色彩から一色選んで採用しています。5月は季節感のある「緑」にしました。相原工房から眺める木々の美しさにいつも心が安らぎ、陶彫制作の休憩には青葉若葉を楽しんでいます。これは亡父の残してくれた植木畑のおかげで、植木そのものは無造作になっているので亡父が造園業を営んでいた当時に比べれば商品になりませんが、木々の緑が齎してくれる憩いに、私は時折精神的に助けられているのではないかと感じています。緑にはさまざまな色彩の幅があり、それらが混在している山々の美しさを芳醇な空気の中で感じ取れる幸福は、何事にも代えがたいと思っています。そんな緑色を今月のRECORDのテーマにしています。しかしながら先月から続いていた自宅のリフォーム工事が漸く終了したにも関わらず、RECORD制作場所であるダイニングに雑貨を散らかしているため、なかなか下書きのRECORDに彩色できず、時間ばかりが過ぎてしまっています。今までもRECORDの下書きが先行し、ダイニングテーブルに山積みされていることもありましたが、今回ばかりは大変な状況になっていて、果たしてRECORDの進行が追いつくのかどうか不安に駆られています。一日1点の制作は、辛うじて下書きだけは守っているのですが、色彩をテーマにしている今年は未だ彩色をしていないRECORDが1ヶ月以上もあって、当初の色彩に対するイメージが薄れつつあるのも事実です。リフォーム工事で家内と一緒に今まで蓄積してしまった衣類や雑貨を断捨離していましたが、その影響はRECORD制作に及び、過去の残務整理と未来への創作が気分的には相入れないものだということが分かってきました。それでも何とかRECORDを先に進めていこうと思っています。10年以上も継続しているRECORDなので、ここが頑張りどころなのかもしれません。  

週末 L字型陶彫部品の制作

今日は朝から工房に篭ってL字型陶彫部品の制作に励みました。L字型陶彫部品というのは、昨日から始めた屏風と床置きの陶彫を繋ぐ陶彫部品のことです。屏風は床から垂直に立ち上げているため床に接する陶彫部品は、屏風面(垂直)と床面(水平)を合わせ持つL字型の陶彫部品になるわけで、今回の「発掘~聚景~」では、6枚の屏風のうち3枚が床に繋がっているので、L字型陶彫部品を3点作ることになりました。昨日準備したタタラを使って、3点の成形をやってみました。過去にもL字型陶彫部品を作っていて、今回が初めてではないのですが、作品によって形態が異なり、過去の作品の応用は出来ないと思いました。その都度、形態を考えていくしかないなぁと思い、とりあえず3点の繋ぎのための陶彫部品を試みました。あれこれやっているうちにほとんど一日がかりになってしまい、これら3点の彫り込み加飾は次回にします。これは創作性の薄い部品ですが、屏風と床を繋ぐ重要なものになります。集合彫刻を作っていると、目立つ部品と目立たない部品があって、それが上手く機能をすると全体構成として成功するのだろうと私は思っています。あたかも人間の社会のようで、ウィークディは職場を管理する立場にいる自分は、これはちょっと面白いなぁと感じます。目立つ人ばかりでは組織は成り立たず、目立たないけれど重要な役どころで力を発揮する人もいて、また人と人とを上手に繋ぐ人もいます。組織の歯車がきちんと回っている時は、それぞれの持ち味を持った人が要所を締めていて、私は安心安全の上に立っていられるのです。今日作ったL字型陶彫部品は全体構成上は目立つものではありません。屏風に接合された陶彫部品を目立たせ、また床置きの陶彫部品を目立たせるための地味な繋ぎに過ぎませんが、これがなければ屏風と床の一体感は生まれないのです。 L字型陶彫部品の他に繋ぎに使う陶彫部品はまだまだ必要です。地味で重要な部品制作はまだ続きます。

週末 「聚景」屏風と床を繋ぐ陶彫制作開始

週末になりました。ゴールデンウィーク5日間でやり残した陶彫制作を今日から始めました。それは「発掘~聚景~」の屏風と床置きの陶彫を繋ぐ陶彫部品の制作で、まずは屏風から床へ接する第一の陶彫部品から始めることにしました。屏風に設置する陶彫部品は全てボルトナットで屏風に付けていきますが、屏風から床へ接する陶彫部品は基本的には床置きになります。ボルトナットで付けた作品からの繋ぎ方をどうするか、組み立てを考えながら成形をしていくのです。今日の午前中は屏風に全ての陶彫部品を設置してみて、そこから床までの長さを測り、垂直に立ち上がる陶彫部品の大きさを割り出しました。6枚の屏風のうち床に繋がる屏風は3枚あります。繋ぎの陶彫部品は3点必要です。そのために座布団大のタタラを数枚準備しました。一晩放置した後、実際の成形は明日から行います。ゴールデンウィーク5日間が終わっても、まだ陶彫制作を優先させている理由は、陶彫には乾燥に時間がかかるからで、完全に乾燥しないと窯入れができないのです。その点、テーブルの油絵の具の滴り作業やテーブルの柱にする木彫は、時間を気にしないため後回しにしてしまうのです。まず、陶彫制作で思うところは窯入れ、つまり最終工程である焼成の難しさにあると言っても過言ではありません。陶土の厚みをほぼ均一にしておくのも焼成があればこそで、陶芸の技巧的な世界からこの世界に踏み込んだわけではない私は、基本的なことで足を掬われることも結構あります。それが面白いと言えばそれまでですが、立体を空洞にする工夫が常に求められているのです。今日から始まった屏風から床へ接する陶彫部品も、人体彫塑のように無垢な粘土で作るのであれば、それほど難しい作業ではありません。垂直から水平へL字型になる陶彫部品をどう作るのか、それを空洞にするためにどんな工夫をするべきか、明日の成形はそんなことも考えながら慎重にやっていきたいと思っています。

「第2章 ニューヨークとニュージャージー時代」について

「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第2章 ニューヨークとニュージャージー時代」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。まず「第2章 ニューヨークとニュージャージー時代」では、彼女が学校を終えて日本人である野口米次郎と結婚の誓約書を交わすまでの経過を追っています。レオニーは大学時代からの親友であったキャサリン・バネルとの共同生活を始めます。教壇に立つこともあれば編集や翻訳の仕事をやっていた彼女たちは決して楽ではない生活だったようですが、キャサリンの手紙によって衣食住の詳細が分かります。その頃レオニーは詩の翻訳の新聞広告を見つけ、依頼人ヨネ・ノグチ(野口米次郎)の手伝いをすることになり、仕事上のパートナーになっていきました。野口はレオニーの翻訳を相当気に入っていたようで、縋るような気持ちでいたことが野口の手紙によって分かります。ただ、野口は別の女性に恋愛感情を持っていて、レオニーとの仲は複雑なものになっていました。「この当時のヨネの写真を見ると、なかなか彫りの深い、立派な身なりをしたハンサムな青年で、頬がこけていて、少々女性っぽい口元をしており、渡米前のどこかぼんやりとした表情はなくなって、代わりに意志の強さが顔に表れている。レオニーのほうは女学生のような雰囲気をまだ残しているのだが、6月で30歳の誕生日を迎えようとしていた。どう考えても彼女は野口の理想の女性のタイプではなかったが、まさにこの彼女の資質が彼にとっては便利なものだった。野口が8月末にニューヨークを発ったときはすでに何かが起こっていた後だったのだろう、両者は明らかに悩んでいた。」本文の中にこんな一文がありました。「ヨネ・ノグチの宣誓書(1903年11月18日)私はレオニー・ギルモアが法律上の妻であることを、ここに宣誓する。」続く本文にこんなこともありました。「ところで、そもそもこの結婚の宣誓書は法的に有効なのであろうか。端的に答えるならば、否だ。かなり昔ならば、有効だったかもしれない。ニューヨーク州は、他の州に先駆けて1849年に『慣習法による結婚』を認めた。~略~恐らくレオニーの両親も、慣習法による結婚生活を送っていたのではないだろうか。結婚の契約を証明する何らかの証拠の他に、慣習法による結婚かどうかを判断する基準は、同棲しているかどうか、周囲に結婚していると思われているかどうかという点である。」また別の女性に関する記述もありました。「エセルが再び野口の前に現れたことが、野口とレオニーの破局につながったかどうかは別として、野口のなかでこの二人の女性に対する思いは全く別のものだということは、疑いようもない。レオニーの存在は、これまで野口にこのようなロマンティックだが無意味な詩を書かせるようなインスピレーションを起させたことはなかったが、エセルにはそれができた。」結局エセルとは結ばれることがなかった野口でしたが、最後に私はこんな箇所に注目しました。「レオニーは非常に誇り高く、自立したボヘミアンであったので、5月に妊娠がはっきりしてすでに妊娠二期に入ってからも、頑固に野口に知らせようとはしなかった。一方野口のほうはというと、『人は夫や妻をまるで靴下や下着を取り替えるように取り替える』とまでは思っていなかったが、とにかく忙しくてこの問題に正面から向き合う時間がなかった。」

「第1章 生い立ち」について

「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第1章 生い立ち」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。まず「第1章 生い立ち」では生誕から大学を終えるまでの経過を追っています。「レオニー・ギルモアの出生証明書によると、彼女は1873年6月17日、ニューヨーク市マンハッタン地区で誕生している。誕生の地は、7丁目185番地の聖ブリジット広場である。母親の名前はアルビアナ、父親はアンドリュー・ギルモアであり、出生地は不明である。」続いて貧困家庭だった一家が娘にどのような教育を与えたのか、こんな箇所がありました。「1879年末には、協会(倫理文化協会。ドイツ系ユダヤ人フェリックス・アドラーによって設立。)は更に、授業料無料の労働者学校をつくることを発表した。勿論ギルモア家は、6歳半になるレオニーをこの小学校に通わせることに同意の署名をしている。この決断がレオニーのその後の運命を決定したといっても過言ではない。この時代、貧しいアイルランドからの移民で、父親はほとんど失業し、母親だけが働いているような家庭では、運がよくても退屈な公立学校に通うことができるのがせいぜいで、たいていは学校にも通えず、幼少時より針子となったり、工場に働きに出たり、女中奉公したりといったところだっただろう。だがこの労働者学校は、レオニーにそれまでは全く考えられなかったような人生の目標や目的を与えてくれた。~略~学校という場所は、『生徒に既成の知識を詰め込むところではなく、生徒が自ら努力して、本人の能力に見合う程度まで知識や真理に到達することができるよう手助けするところである。学校とは、言わば能力を解放させる体育館なのだ。』これこそが、レオニー・ギルモアの型にはまらない考え方を育てた労働者学校の教育観であり、そしてまた彼女がイサムに施した教育である。」さらに次の進学先についてこんな文章がありました。「レオニー・ギルモアは、何かと論議を呼ぶ公教育の制度から無縁で終わるように運命づけられていたようだ。彼女の前に新しい道が開かれたのは、新学年ももうすでに始まっていた時だった。ボルティモアに新しく設立されたブリンマー高校に空きがあったのである。この学校はエリートのための私立学校だが、奨学金を提供していた。」続くブリンマー大学に進学し、レオニー・ギルモアは当初、化学を専攻しましたが、政治学と歴史学に変更し、パリのソルボンヌ大学にも留学する機会を得たのでした。ブリンマー大学には留学生として津田梅子ら3人の日本人が学んでいたようです。レオニー・ギルモアは7学期を修了し、学位を取らずに大学を去っています。「大学側の記録には、『健康上の理由』で中退したことになっている。『健康上の理由』というのは便利な言葉で、レオニーの受けていた奨学金が前年で終了しているという財政上の理由から、卒業に必要な多くの試験に合格できなかったことまで含む便宜上の理由かと思われた。」今回はここまでにします。

GW⑤ 連休の制作を振り返る

ゴールデンウィーク5日目になり、今日で連休が終わります。連休中は自宅と工房の行き来だけで、ほとんどどこにも出かけず、陶彫制作一辺倒でした。敢えて言えば仏壇を購入しに家内と仏具店に出かけたくらいです。仏壇は家内の実家にあったものを既に自宅に持ってきていて、さらに私の実家にも大きな仏壇があります。私たちはそれぞれ両親が他界しているので、この際小さめの仏壇をふたつ購入して並べて置くことにしたのでした。リフォームした自宅にはふたつの仏壇を収納する場所を確保してあります。先祖に対する考え方は人それぞれですが、私たちは最低限の儀礼でやっているのかもしれないと思いつつ、今回のリフォームを契機にこうしたことも考えたのでした。さて、5日間の連休でしたが、改めて陶彫制作を振り返ってみたいと思います。初日に立てた制作目標のうち、テーブル彫刻「発掘~突景~」に設置する3点の陶彫部品の成形と彫り込み加飾は全て完了しました。後は乾燥を待って窯に入れようと思っています。小品「陶紋」5点の成形は終わりましたが、彫り込み加飾は今ひとつで、完了までは至りませんでした。屏風と床置きの大作「発掘~聚景~」は手がつけられず、屏風と床を繋ぐ陶彫部品の制作は出来ませんでした。テーブルの油絵の具の滴り作業も同じで、ついに時間が取れませんでした。長いと思っていた5日間でしたが、制作目標の6割程度しか出来なかったことは反省です。5日間を通して時間の使い方が緩かったように思います。それを踏まえて今後の制作工程を見直していこうと思っています。明日は職場に出かけ、今後の見通しを立ててくる予定です。新型コロナウイルス感染拡大の影響は、さまざまなところに出てきていて、在宅勤務になり時間が出来ても創作活動に邁進することがままならない状態です。人の心理はそんな簡単なものではないのが実感としてあります。それでも気持ちが落ち込まないのは創作活動があるが故とも思っております。

GW④ 「陶紋」の制作継続

ゴールデンウィークの4日目を迎えました。一昨日から小品「陶紋」の制作に入っていて、今日も制作を継続しました。新作の「陶紋」は5点作る予定です。そのためのタタラを準備していたので、今日は昨日に続いて4点の成形を行いました。成形した「陶紋」は全部で5点になり、次の段階としてそれぞれ成形したカタチに彫り込み加飾を施すのですが、暫し悩んでみた結果、若い頃に旅したギリシャの山間に点在する遺跡に思いを馳せることにしました。風景の中に遺跡だけがポツンと存在する光景は、実に不思議な感覚を私に齎せました。街の中ではなく樹木に覆われた自然の中に取り残されたようにあった遺跡はギリシャだけではなく、東南アジアにも見られました。木の根が遺跡を覆っていく姿は、人工の構築物が自然に還っていくように思えて、地球が傷ついた箇所を瘡蓋によって治癒していくとイメージした私は、嘗てそのテーマで詩作をしたこともありました。自然にしてみれば、人が街を作ることは痛みを伴うのではないかと私は勝手に想像したのでした。自然の治癒力によって地球が保護されているようにも感じました。それは現在の日本にも当て嵌まり、度重なる自然災害によって、思いあがりすぎた私たちの生活は戒められているのではないかと思っているのです。現在流行している新型コロナウイルスも地球規模で私たちを翻弄し、それによって私たちは何かに気づかされているとも思っています。昔から人類は自然と対峙してきました。自然の一部にウイルスが存在し、それを克服すべく私たちは戦ってきたのです。また自然との融和を求め、折り合いをつけてきました。古代文明は私たちの祖先が自然と亘り合ってきた歴史の結果遺産です。風景には人がコントロールしている部分と、そうではない部分が混在しています。自然の全てを私たちが支配することは間違っていると私は考えます。バランスをとって自然と私たちの生活が共存していくこと、それを私は彫刻に籠めたいと思うようになりました。「陶紋」は小さな作品ですが、そこに籠めようとする思いは自分の身の丈に合わないくらい大きなものです。そんなことをあれこれ考えていたら、彫り込み加飾が遅々として進まない状況になってしまいました。

GW③ 「陶紋」の新作に取り掛かる

陶彫による小品は、10数年前のギャラリーせいほうで開催した最初の個展から出品し続けています。まず最初は「球体都市」40数点を何年かに亘って展示しました。「球体都市」は既に売れた作品もあります。次に始めたのが「陶紋」で現在も続いているシリーズです。これは「陶紋」というタイトル通り、陶彫表面に施した彫り込み加飾を全面に出しているもので、基本となる形態は毎年変えています。今年は三角形を基盤にした形態を作ることにしました。三角形はテーブル彫刻に設置する陶彫部品から発想したもので、その変形として単体で成立する作品にしました。「陶紋」はサイズが小さいので撮影の際に野外で撮ることが多く、また持ち運びも楽なので様々な場所に出かけて、カメラマンに撮影をお願いしてきました。ホームページのLandscapeに「球体都市」や「陶紋」の野外撮影をした画像がアップされています。これら小品が大きく見えるのはカメラマンの技量によるところが大きいのですが、光や水や空気を感じる画像は我ながら美しいと感じます。今年作り始めた「陶紋」は上部の三角形を微妙に歪ませて、そこに箱庭的な風景を取り込む試みをやっています。小さな作品ほど大きな世界観を持ち込むのが私の流儀です。ひとつひとつの作品にイメージを凝縮させていくので、大作の集合彫刻とは違った神経の使い方をしています。今日のところはまず最初の1点を試してみました。明日も継続ですが、1点ずつ心を籠めるので遅々として進まないこともあります。彫刻は精神の産物だなぁと感じるのは大作よりも「陶紋」を作っている時で、技巧的には大作の方が辛いのは事実ですが、手が動かなくなるのは「陶紋」の方です。じっと見つめていてかなり時間が経ってしまうことも多々あります。周囲を遮断して作品のことだけを考える時間は、連休あればこそで感染症防止の外出自粛も一役買っているのかもしれません。

GW② 「突景」3点目の陶彫制作

テーブル彫刻「発掘~突景~」はテーブルの上に3点の陶彫部品を置く計画で、昨日から3点目の陶彫制作に入っています。3点目の陶彫部品は一番小さなサイズで、テーブルの真ん中に置く予定です。成形から彫り込み加飾までを7時間くらいかけて作りました。工房ではラジオを流していて、FMヨコハマから音楽と共に、DJが自宅で過ごす方法をさまざま提案していました。新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため緊急事態宣言が出されていて、ほとんどの人たちが自宅で過ごしています。こんな時だからこそ自宅で出来ることを考えてみようとDJは呼びかけていました。今年のゴールデンウィークはまさに前代未聞の民族移動のない連休になっています。工房に篭って、まるで世相に関係のないことをしているのは私だけではないかと思うところです。私には創作活動があって良かったと家内に言ったら、私がやっていることは感染症の流行があろうがなかろうが、普段から特殊なことをやっているから他者との関係性が薄いんだよと答えてくれました。そう言えば最近はゴールデンウィークにどこかに出かけた記憶はありません。陶土に面と向かって格闘していることばかりで、私は人の動静には無関心だったなぁと思っています。3点目の陶彫制作が一段落ついたところで、次の作品の準備をしました。座布団大のタタラを数枚掌で叩いて作りましたが、次は小品を作るつもりです。小品のイメージは現在作っている陶彫部品と無関係ではありません。テーブル彫刻「発掘~突景~」も同じことが言えますが、サイズでどうであれ、私はいかなる場合でも風景を作っている錯覚に囚われています。建築物が発想の土台にあるためか、陶彫は大きな建造物の雛型のようであり、または箱庭を作っているような感覚を持っています。それを「発掘~聚景~」のように屏風と床置きで見せるか、「発掘~突景~」のようにテーブルに仕立てるかの違いで、造形的主張を試みようとしていることの根は同じです。小品「陶紋」も風景を作っているのです。小品は明日から取り組みます。

GW① 連休の制作目標

今日からゴールデンウィークとして5連休になります。この5日間の制作期間をどのように使うか、見通しをもって制作に励みたいと思います。まず、乾燥に時間が必要な陶彫制作を優先させることにします。現在取り組んでいる「発掘~突景~」の3点目の陶彫制作をまず行うことにしました。次に「発掘~聚景~」の屏風と床置きの陶彫部品を繋ぐ陶彫部品の制作。これは実際に作品群を全て置いてみないと大きさや数が分かりませんが、早めに段取りを組んでやっていきたいと思います。さらに時間があれば、例年個展に発表している小品「陶紋」の新作数点を挙げておきます。これはイメージが既にあって、すぐにでも作り始められる状態です。今回は「陶紋」を5点ほどを考えていますが、小さな作品と言えども結構手間暇がかかる作業になり、大作に引けを取りません。陶彫制作はどんなサイズであれ、土練などの準備のために立て続けに制作が出来ないところがあり、テーブルに油絵の具を滴らせる作業を、陶彫制作の隙間に入れていきたいと考えています。その他にテーブルを支える柱の木彫がありますが、5連休でそんなに欲張っても出来ないかもしれません。今日はゴールデンウィーク初日にして気持ちの良い天気になりました。気温がぐんぐん上がり、夏日と言ってもいいような体感でした。私は半袖のシャツになり、多少汗が滲みました。3点目の陶彫部品のために座布団大のタタラを数枚準備しました。一日放置して明日から成形に入ります。まとまった連休は通常の週末とは違い、継続した作業が可能なので制作に弾みがつきます。「発掘~突景~」の3点の陶彫部品は彫り込み加飾まで完了するのではないかと思っています。既に2点の陶彫部品が彫り込み加飾まで完了して乾燥を待っている状態ですが、三角形を基盤とする立体造形は今までの雰囲気と異なっています。そういう意味で「発掘~突景~」の完成が楽しみになっています。明日も継続です。

例年とは異なる5月です

新型コロナウイルス感染拡大が、日常生活に影響を及ぼす状況がこのところずっと続いています。5月になっても通常の生活に戻れる気がしません。そんな中ですが、今月の創作活動について考えてみたいと思います。創作活動は幸いにも職場での困り感とは大きく異なり、緊急事態宣言が延長されても大きな変化はありません。ただ、恒例の7月個展が開催できるのかどうか心配しているところですが、発表時期がずれ込んでも制作工程に従って、粛々と作っていく私の姿勢は崩れるものではありません。制作の姿勢としては、発表ありきではなく制作ありきなので、どんな状況であろうが制作の手は止めないつもりです。今月はゴールデンウィークがあり、他県移動を含めた外出自粛が呼びかけられています。私は創作活動第一主義なので、自宅と工房の行き来しかゴールデンウィークの予定を考えていません。今月中には陶彫による新作は全て完成させる計画でいます。5月31日(日)に図録用の写真撮影を予定しているため、必ず完成させるしかないわけで、そのためにゴールデンウィークを制作一辺倒で考えている次第なのです。陶彫制作の他にRECORD制作も遅れを取り戻すべく頑張ろうと思っています。自宅のリフォームが大方完成し、RECORD制作が出来る環境が整ってきました。鑑賞は緊急事態宣言の延長によって美術館や博物館、劇場や映画館の休館が続くかもしれず、足を運んでオリジナル作品に触れる機会が今後もあるのかどうか、皆目分からない状態です。個性的な映画を扱うミニシアターは存続の危機に晒されているとも聞いております。私の好きな分野が風前の灯火であることに心が痛みます。もちろん作品を扱うギャラリーも同じです。新型コロナウイルスが一刻も早く収束してくれることを祈るばかりです。読書は創作の刺激にもなるイサム・ノグチ関連の書籍を読み漁って、今月も有意義な1ヶ月にしていきたいと思っています。

外出自粛の4月を振り返る

今日で4月が終わります。今月は新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、首都圏の外出自粛から全国的な規模による緊急事態宣言に移行した1ヶ月になりました。職場も在宅勤務が始まり、年度初めに恒例として行われていた総会も書面総会に変わり、今後の見通しがまったく立たない中で、現在も数人の職員が出勤しております。業務がストップしている状況はいつまで続くのか、職員全員が不安に駆られていることは確かです。そんな中ですが、今月の創作活動を振り返ってみたいと思います。今月は「発掘~聚景~」の陶彫部品の補充や乾燥した陶彫部品の窯入れ、さらに今月から始まったテーブル彫刻「発掘~突景~」のテーブル部分の砂マチエール施工と油絵の具による下地塗装、その上に置く陶彫部品の成形や彫り込み加飾を行いました。緊急事態宣言があって美術館や博物館、劇場や映画館が休館し、また外出自粛のため鑑賞に行けなくなったことで、週末は工房で作業するしかありませんでした。内に籠るとはこんなことを言うのだろうと思い、創作活動においてはこれもまた良しと考えて過ごしていました。今月は私事で辛いことが2つありました。ひとつは母の死去で、感染症の世相を反映して簡略した葬式しかやってあげられなかったことです。もうひとつは自宅のリフォーム工事で、リフォーム自体は住み易い環境を作ることで歓迎すべきことでしたが、そのために不自由な生活を強いられ、家内に相当なストレスがかかってしまったことです。私は職場と工房を行ったり来たりしていたのでストレスは軽く、家内に申し訳ないと思っています。母のこともリフォームのことも、そのうち心は癒えるだろうと思っていますが、大きなことが今月になって一気にくるとは思いもよりませんでした。RECORDは下書き先行が習慣化してしまっています。何とかしなければと思いつつ1ヶ月以上も日が過ぎています。読書はイサム・ノグチ関連の書籍を読んでいます。来月こそ通常の生活に戻れることを願っていますが、果たしてどうでしょうか。

昭和の日は彫刻制作一辺倒

例年ならゴールデンウィークに入り、観光地がごった返しているニュースが流れていますが、今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、全国に緊急事態宣言が出されていて、外出自粛が呼びかけられています。以前私はこの時期に栃木県益子や茨城県笠間の陶器市(陶炎祭)を見に行ったこともありましたが、近ごろは工房に立て籠もっていることが多く、緊急事態宣言がなくても遠出はしていません。ましてや自宅のリフォーム工事が最終局面を迎えている今年は自宅にいるしかない状況です。工房はそんな私に心の癒しと造形への展望を与えてくれる唯一の場所です。心の癒しとしては亡父が残してくれた植木畑に工房が建っているため、毎年春から初夏にかけて新録が美しく、それを眺めているだけで心が安らぐのです。今日は好天に恵まれて青葉若葉が風に揺れていました。気温も寒くもなく暑くもなく絶好の創作活動日和でした。私は朝から工房に篭っていました。新作のテーブル彫刻「発掘~突景~」の陶彫制作に追われていて、成形したものに彫り込み加飾を施していました。じっと陶土を見つめ、鉄の掻き出しベラで彫り込みをし、木のヘラで表面を整えていきました。私はそうしている時が一番幸せを感じている時かも知れず、それが証拠に時間はあっという間に過ぎていくのです。それは単純な作業のようでいて、全体の量感を見ながら彫り込み文様を考えていくもので、機械的な作業ではありません。これはそれほど職人的な技巧を必要としないのですが、全体とのバランスを常に確かめているので、創作的と言えばそうかもしれず、私にとっては多少の緊張を伴った楽しい作業なのです。先日窯入れした陶彫部品3点が焼きあがっていました。何度も書いている通りこの焼成という制作工程が、全工程の中で一番スリリングでエキサイティングです。窯の中は炎神が支配する高温になって、私の手が及ばないところで作品たちは変貌を遂げるのです。石化するという言葉通り、全身に硬質な鎧を纏った姿になって作品たちは帰還してきます。これがあるからこそ私は陶彫をやめられないのです。昭和の日は彫刻制作一辺倒で過ごせる幸福を満喫させていただきました。明日は今月最後の日なので職場に出かけます。

テーブル彫刻「発掘~突景~」について

現在作っているテーブル彫刻の題名を「発掘~突景~」にしました。同じ大きさのテーブル彫刻は、一昨年前に発表した「発掘~角景~」、昨年発表した「発掘~曲景~」があり、今回はそれに並ぶ3作目になります。「発掘~角景~」はテーブルの下に陶彫部品を吊り下げ、「発掘~曲景~」はテーブルの上と下に陶彫部品を設置し、今回はテーブルの上だけに陶彫部品を置く作品です。テーブルの高さは今回の「発掘~突景~」を一番低い位置に設定するつもりでいます。つもりとしたのは柱の木彫をまだ始めていないので、あくまでもイメージの中でそうしようと考えているためです。上に置く陶彫部品は3点にします。3点の大きさは大中小というバリエーションを考えていて、いずれも頂点が尖っている形態にしています。今までのテーブル彫刻も同様ですが、作品がテーブルである以上、テーブルを支える脚が必要です。脚は木の柱を彫って作品の一部にしています。木彫にも作品の世界観を投影させる必要があり、鋭角なカタチを彫り出そうと考えています。私がイメージする木彫のカタチの源泉は、若い頃に旅したルーマニアの民家にあった木の門や家を支える柱に施された文様です。日本の社寺にも龍や雲の文様が彫られた柱がありますが、私は日本の緻密な具象彫刻よりも、ざっくりとした抽象性の強いルーマニアの建築造形に惹かれてしまいます。それはルーマニアの造形を基盤とした現代彫刻の父ブランクーシにも通じていて、形態に対する憧れに近いものが私の中に存在しているのです。私はルーマニアの、というよりブランクーシの「無限の柱」の残像から逃れられないと言った方がいいのかもしれません。木彫はカーヴィングであり、モデリングの陶彫とは立体に対するアプローチが異なります。双方の表現方法を合わせてひとつの作品にまとめ上げるのが、新作のテーブル彫刻「発掘~突景~」なのです。

「レオニー・ギルモア」を読み始める

「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)を読み始めました。副題に「イサム・ノグチの母の生涯」とあって、現在読んでいる「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)に連動する書籍になります。現在の私の読書はイサム・ノグチ一色になってしまっていて、ちょうど自分の新作が佳境を迎えている最中のため、これが格好な発奮剤になるのではないかと期待をしています。本書「レオニー・ギルモア」は新しく購入したものではなく、書棚の整理をしていた時に見つけた蔵書でした。いつ購入したものか忘れてしまいましたが、関連した書籍ではイサム・ノグチ本人の著作による「エッセイ」も見つけました。これも追々読んでいく予定です。本書の前書きでこんな一文に気が留まりました。「彼女の人生の大半は、詩人である夫ヨネ・野口と、より有名な彫刻家である息子イサム・ノグチを支える役割に徹してきた感がある。~略~ニューヨークのロウアー・イーストサイドの貧しい家で生まれたにもかかわらず、エリートのシンボルであるブリンマー大学やソルボンヌ大学で教育を受け、日本人詩人ヨネ・野口と結婚しようと決心した時には内なる人種差別への葛藤と戦い、外国の地でシングル・マザーとして孤軍奮闘しながら、息子を20世紀の第一級の彫刻家へと妥協を許さない態度で導いたのである。芸術家の母というものは、その子の発達の段階において、決定的な役割を果たしているものだ。」本書はレオニー・ギルモア本人が日々の記録を得意としなかったために、親友に宛てた夥しい数の手紙の資料を基に構成されたようです。イサム・ノグチの生涯はもちろんのこと、特異な環境にあったその母にも私は興味があって、「石を聴く」共々本書を楽しんで読んでいこうと思っています。

週末 テーブル彫刻制作継続

今日も朝から工房に出かけました。自宅はリフォーム工事のクロス貼りが入っていて、家具は壁際から真ん中に移動し、収納されている荷物が外に出してあるため、足の踏み場もない混雑ぶりです。家内は荷物の断捨離をコツコツ始めていて、私は後ろ髪を引かれながら工房に行ってしまいます。整理を手伝わなければならないところを申し訳ない気持ちでいっぱいです。毎回ゴミが大量に出て、ゴミ袋が玄関に積まれています。実は新作の制作工程も余裕がないので、工房に行っても私はゆっくり休めないのです。昨日に続き、今日もテーブル彫刻の上に置く陶彫部品の成形を行っていました。陶彫部品は2点目になります。三角形を基にした造形ですが、素材が陶土のために定規で引いたような面にならないところがつらいと思っています。ただし、彫刻は工学的な計算に基づく建築や土木ではないので鋭角に見えればそれで可としています。幾何形体を芸術作品に持ち込んだのは、余分な要素を削ぎ落とした簡潔化の極みのようなもので、それが人間の視覚や触覚に与える美的秩序を示したものではないかと思うのです。幾何形体を美しいと感じるのは私だけではないはずです。高校時代にモンドリアンの絵画を見て、誰でも出来そうなこんな単純な絵画がどうして価値があるのか、その時は表層的な疑問を持ちましたが、あの単純さに辿り着くまでに画家が試行錯誤したことを考えれば、一概に単純とは言い切れないものを感じました。歴代の巨匠とは比べものになりませんが、私も人体塑造から出発して建築的な構成に造形が移行していったのは、同じ理由があってのことでした。私はまだ彫刻の概念を捨てきれないので、形態の簡潔化に留まっていますが、前時代的なオブジェを後生大事に作っているとも言えます。とにかく陶彫部品は2点立ち上がりました。今日はさらに乾燥が進んだ陶彫部品3点に仕上げと化粧掛けを施して、夕方窯に入れました。順調に進んでいるように見えますが、今後の制作工程を考えると苦しいのです。明日は久しぶりに職場に出勤します。

週末 テーブル彫刻の陶彫開始

週末になりました。在宅勤務が増えてきている昨今は週末になっても実感がありません。それでも工房に出かけると週末の雰囲気が漂います。今日は新作のテーブル彫刻に置く陶彫部品の成形を開始しました。新作のテーブル彫刻は三角形を基本にした形態を作ろうとしていて、昨年発表した「発掘~曲景~」と対比する作品にしようと思っています。鋭角な面を持つ形態を、紐作りやタタラの陶土で作るのは難しいのですが、頑張ってやってみようと思います。テーブルに設置する陶彫部品は3点あります。昨年の「発掘~曲景~」はテーブルの下にも陶彫部品を吊るしましたが、今回は上部に置くだけです。テーブルの位置を低くしようと計画していて、上から眺めるような作品にしたいのです。彫刻にとって人が眺める視点は大事なもので、標準の大人の身長に合わせて高さを決めたり、子供の視点ではどのように見えるのかも考慮して形態をデザインしています。私にとってテーブル彫刻は大変面白くて、過去にもいろいろな試みをしてきました。テーブルを刳り貫いて、造形の一体化を図ったり、床に落ちる影も考えてみたりしました。新作のテーブル彫刻は今まで試みた作品に比べれば単純な構造ですが、これは奇を衒うものではないので最初のイメージを大切にしようと決めました。テーブルに貼った砂マチエールが乾燥してきたので、油絵の具による下地塗装をしましたが、絵の具を散らせたり、滴らせたりする作業はこれからです。陶彫部品の雰囲気を見ながら色彩は決めていこうと思っています。明日はさらにもう1点陶彫部品の成形を行なうつもりです。

イサム・ノグチ 師から距離をとる

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第10章「大樹の陰から外へ」と第11章「頭像・胸像制作者」のまとめを行います。パリでブランクーシの工房で働き、その影響下にあったノグチは、やがて自分自身の目指す方向を定めていきました。「『ぼくはある種の形態学的特性を切望していた。この時期、細胞の構造に対する深い興味を増大させていき、古生物学、植物学、動物学の書物を集めた』。この初期の段階ですでにノグチは幾何的形態と有機的形態のあいだの対照に惹かれていた。この二項対立は一生のあいだ継続する。」やがて「『二次元の板の一枚を折り曲げたり、あるいは別の一枚と並置することによって、三次元と認めうるものが可能になる。これは彫刻を苦しめているすべての中間段階、石膏とブロンズを迂回する手段として、ぼくに衝撃を与えた。』」とありました。これは我が国の抽象彫刻の先駆者堀内正和の造形導入と似ていて、新しい彫刻への扉には共通したものがあると感じました。奨学金を打ち切られ、アメリカに戻ったノグチは経済的重圧もあり、またブランクーシから距離をとりたいと考えていたこともあって、方向転換を図ったのでした。「自分は抽象の預言者に『とくにふさわしい』と宣言したばかりなのに、今度は抽象を放棄し、パリ滞在以前から熟達していた技法ー肖像彫刻ーに向かう。~略~肖像のほとんど、とくに初期の作品は、モデルの実存にはいりこむノグチの力量を示す。『結局のところ、人間とは興味深いものだ』とノグチは言った。」次にノグチの交友についての記述がありました。「バックミンスター・フラーはノグチより八歳年上で、ラムリーやブランクーシのあとを継いで青年ノグチの師となった。~略~どちらの男も想像力に価値をおき、どちらも科学に魅了された。ノグチはフラーを『ぼくらの時代の詩人』と呼んだ。フラーはノグチを『科学者兼アーティスト』と呼んだ。~略~もうひとり、この当時のノグチの人生に重要な役割を果たし、肖像彫刻のモデルとなったのはモダンダンサー・振付家のマーサ・グレアムである。」こんな出会いからノグチの次へのステップが始まるのでした。

書籍の整理

昨日から在宅勤務で、自宅にある書籍の整理を行いました。自宅のリフォームでリビングの壁一面に書棚を作ってもらったために、数十年も床に積んであった大量の書籍を新しい書棚に収めました。公務員になった頃に手に入れた自分の専門分野の全集20数冊が床の奥底から出てきた時は、仕事に慣れていなかった当時のことを思い出し、懐かしさでいっぱいでした。私は祖父が宮大工、父が造園業という職人家庭に生まれ、実家にまともな書籍がなかったことで、中学校の入学祝いに母が私に百科事典の全集を買ってくれました。それが大変役立ったことも思い出し、また家内が嫁入りの時に別の百科事典を持参してきました。私の蔵書は一気に増えましたが、私の知識への渇望と読書癖はその時かなり満たされました。20代の滞欧中にもドイツ語の書籍を手に入れてきましたが、これはもう読めそうにありません。日本で購入したものでも難解なものが多いのですが、これらは何せ日本語なので、近いうちに読破をするつもりでいます。全般的に私の蔵書は創作活動の刺激になるものが多く、また最近は展覧会の図録に立派なものがあり、大変な情報量が収められているので、これも書棚に入れることにしました。図録は工房の棚にも収めてあって、合わせると大変な量になります。これも学生時代に図録が買えなかった気持ちの揺り戻しではないかと思っています。叔父2人は学者で、一人は哲学者(カント)、もう一人は考古学者(中国史)で、彼らの蔵書数に比べれば私は足元にも及びませんが、先祖代々の職人気質と彫刻家としての知識を併せ持つと自負する自分としては、学者でもないのに結構な蔵書があるのではないかと思っています。自分の学んできた知識を概観する大きな書棚を見て、自己満足に浸りつつ、まだまだ思索を深めることを止めてはいけないと思った次第です。

「アフタヌーン・インタヴューズ」読後感

「アフタヌーン・インタヴューズ」(マルセル・デュシャン カルヴィン・トムキンズ聞き手 中野勉訳 河出書房新社)を読み終えました。インタヴューを受けたマルセル・デュシャンという人はどんな人物だったのか、最後に語られている箇所に私は注目しました。「法則っていう言葉がわたしの信条に反しているんです。少なくとも、それを法則と呼ぶ必要はないと思う。まるで動かしがたいものであるみたいに。わたしにしたら、因果律という概念は、わたしにとってはたいへんうさんくさい。疑わしい性格がある。生きることを可能にする便利な形式です。それと、因果律から出てくる、ああいった宗教的概念のいっさいー神が最初にすべてをやったんだというアイデア、あれも因果律の幻影のひとつです。」物理や化学の法則を拡大解釈することについて、こんなことも言っています。「そう。ああいう法則を拡大解釈する、もっと伸縮性のあるものに変える、そういうことができれば、もっとゲームの要素が多くなる、もっと生きるに値するようになる、という発想でね。」M・デュシャン自身のアイデアについて述べた箇所にも注目しました。「わたしが思いつくモノはどれも、四次元的な外観を与えられるべきだ、というアイデアなんです。そうやって、何かしら別の側面というのが見えるようになってきて、その側面は、そのモノが持っている、何だか知らないがとにかく何かしらの重要性とか、そのモノがつくりだしてるデザインとかとは正反対だ、てなことになるかもしれない。そしたら、また別の感覚器官でもってそいつを見てやろうとするかもしれんでしょ、ね?わたしの人生はずっとそんなふうだった。~略~わたしはアートってものを信じない。アーティストってものを信じてます。」最後に本書の訳者である中野勉氏の言葉を引用いたします。「本書の随所で語られる、近代絵画における視覚中心主義(『網膜』性)の否定、それと対を成す知性主義の希求、アートにおける市場原理の席巻に対する批判、怠惰の肯定、速度偏重の拒絶、アーティストの(非)主体性の強調といった主張の数々、これらは他の談話や著作の中でもいくどとなく繰り返されているものだけれども、それを彼の実践と突き合わせてみる。すると、どうにも解消不可能な矛盾に出会ってしまう場合が多々出てくるのである。」それもこれも一切含めてマルセル・デュシャンそのものなのだろうと私は思うようにしました。

自宅のリフォームが大詰め

自分の生涯としては一大事となる自宅のリフォーム施工が大詰めを迎えています。まず1階の和室を洋室に変えて、ダイニングと一体化した空間にしました。和室の半分を収納庫にして、そこに家内の邦楽器を収める棚と、和服等を入れた桐ダンスが入る空間を確保しました。仏壇もそこに入る予定です。広くなったダイニングと収納庫を区切る扉は、格子模様の4枚引き戸にしました。これは家内のセンスで決めたものであり、和モダンに憧れる彼女にとって最高の住空間になったのではないかと思っています。古くなったシステム・キッチンも最新式のものが設置されました。新しいシステム・キッチンは既に使用しています。私たちが茨城県笠間や栃木県益子を初めとする全国の陶芸の里から集めてきた器も新しい棚に収めました。今日漸く2階の書棚拡張工事が完成しました。現在は吹き抜けの玄関にクロスを貼るための足場を組んでいて、これから2階を含めて全体のクロス貼りの施工に入ります。そのクロス貼りの最中に私は書籍を新しい書棚に収めようと思っています。書棚は天井から壁一面にあるので、上段に書籍を収めるためには室内用の脚立が必要だなぁと思っています。書籍の一冊一冊にも器と同じく私の思いが詰まっていて、学生の頃に読むことを断念してしまった難解な書籍が数多くあります。最近になって古びた頁を捲って再読に励んでいるのですが、今でも難解な語彙に悩まされている次第です。20代の頃より60代になった今の自分の思考が、多少なりとも落ち着いてきたことで、難解な書籍に自我を奮い立たせ、読破を希求している証拠なのかもしれません。そうした住宅環境を理想的に作り変えるために、退職金を投入して再任用満了の年に、私は自宅のリフォームをやろうと決意したのでした。リフォームはもうすぐ完成です。ダンボールに詰めたあらゆるものを早めに整理して、さらに断捨離を進めて、新しい住宅環境を満喫したいと願っています。

「アフタヌーン・インタヴューズ」・Ⅲについて

「アフタヌーン・インタヴューズ」(マルセル・デュシャン カルヴィン・トムキンズ聞き手 中野勉訳 河出書房新社)・Ⅲのまとめを行います。この章でインタヴューは終了していますが、その中で今回はM・デュシャンの代表作というべき2点の作品について取り上げます。1点目は「階段を下りる裸体」という絵画作品です。「運動というアイデア、階段を降りてくる女性ってアイデアは、まるで連中(キュビスト)の気に入らなかった。それに、同じころ未来主義者たちがその手のことをやっていたのを知っていたかもわからん。わたしは知りませんでしたし、未来主義者は当時、パリで展覧会をしたことはなかった。」キュビズムに関してはこんなことも言っています。「完全に静態的だった。それに、静態的であることを自慢にしていた。ひっきりなしに、いろいろ違う断面からモノを示してみせるんだが、それは運動じゃあなかった。おおよそ、対象の面をすべていっぺんに見るという、一種四次元的な発想だった。」2点目は「大ガラス」と呼ばれる作品で、日本語の題名は「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」と称されていて、本作品は移動中にガラスが割れてしまったのですが、それも作品の意図として受け入れたものが現在アメリカに残っています。「わたしにしたら、キャンヴァスと油絵具ってのはここ九世紀間で実に濫用されてきた道具だったんで、そこから逃げ出して、何か違うことを表現するチャンスを自分に与えたかった。そのとき〈ガラス〉のアイデアが出てきたわけです。」さらに「大ガラス」には着手前から制作過程に至るまでの断片的なメモ「グリーン・ボックス」があります。「飛び散りとかいうようなのはみんな、絵に描いてあるんじゃあなくて、絵画的に記述してあるんです。〈ガラス〉と本とは非常につながっている。つながっているだけじゃあなくて、おたがいのためにつくってある。~略~〈ガラス〉の部品という部品、セクションというセクションが、何のためにやってあるのかを、文学的な形式ですべて記述した説明です。~略~それは『グリーン・ボックス』というかたちを取った。〈ガラス〉のために特別にこしらえたものです。」思索された世界を視覚と文学の双方の形式によって表現した作品が「大ガラス」でした。私が魅力を感じる要素がこんなところにあるのかなぁと思った次第です。

週末 テーブル彫刻の砂マチ施工

今朝は自宅の新しくなったシステム・キッチンの食器棚に食器を収めていました。茨城県に住む陶芸家の友人の作品を初め、茨城県笠間や栃木県益子で手に入れたさまざまな器に思いを感じながら収納していました。自分が集めた日用品は奇しくも自分らしさを表現していて、どれも泥臭くモダンな雰囲気を纏っているのに気づきました。私は趣味趣向がはっきりしているんだなぁと改めて思いました。それは日用品に限ったことではなく、書籍を選んだとしても、美術館の展示や映画館の演目を選んで出かけて行くことも、全て自分らしさに裏打ちされたものだったんだと、至極当然なことに今更ながら思い至りました。暫し自宅の片づけを家内に任せて、午前中は工房に出かけました。実は職場も自宅も落ち着かない中で、唯一工房だけは安らかな気分になれる場所であり、非日常が齎す雰囲気によって溌溂とした時間を過ごせる場所でもあるのです。最近は若いスタッフが外出自粛していることがあり、工房は私一人が気儘に使える空間になっています。それは他者の目がないので気持ちが緩むこともあるのですが、安らいだ空気感はいいものだなぁとも思っています。今日は新作のテーブル彫刻のテーブル部分に砂マチエールを施す作業を行ないました。先日、「発掘~聚景~」の砂マチエール施工を多くのスタッフの手を借りて行なったばかりですが、現在進めているテーブル彫刻は「発掘~聚景~」ほど大きくないので、私一人でも充分出来る範囲なのでした。神田文房堂から大量に取り寄せた砂や硬化剤は残り僅かとなり、来年またこの技法を使うとすれば、追加注文しなければなりません。砂マチエールは乾くまで1週間はかかるので、来週末に油絵の具による塗装を予定しています。同時にテーブル彫刻に接合する陶彫部品も作らなければならず、時間は切迫しているのです。明日は職場に出かけますが、在宅勤務とのバランスを考えながら、また落ち着かないウィークディを過ごすことになりそうです。

週末 窯入れ準備&自宅書棚増設

週末になりました。在宅勤務が増えている昨今、週末になった気分がしませんが、創作活動はウィークディの仕事とはきっちり分けているので、今週末も工房に行って新作の制作工程を先に進めることにしました。陶彫部品で乾燥が進んだものが3点あって、今日は仕上げと化粧掛けを行いました。窯入れは明日の夕方行なうこととして、2時間ほどその準備に充てました。毎回NOTE(ブログ)に書いていますが、乾燥した陶彫部品を窯に入れて焼成することで漸く作品は完成するのです。この最後の工程は緊張と楽しみが同居していて、何とも言えない気分になります。焼成を成功させるために陶彫にさまざまな制限があり、そうした中で自分の意図するカタチを創造していくのです。失敗すれば今までの苦労は水泡と化してしまい、同じモノは二度と作れないのです。今日の創作活動はここまでにして、自宅のリフォーム工事が次の段階に進んだので、自宅の日用雑貨を元に戻す作業をしました。1階の和室を洋室に変える工事が終了し、さらに新しいシステム・キッチンが設置されたので、ダンボールに仕舞いこんでいた雑貨を取り出しました。これは今日で終わらず、片付けは明日も続行です。さらに2階のリビングにある作り付けの書棚の増設工事が始まることになり、材料が大量に自宅に運び込まれてきました。昨晩、リビングの床に大量に置いてあった書籍を一旦別の場所に移動しました。新しく作り付ける書棚の場所の確保のために、仕事帰りの疲れた身体に鞭打って書籍の移動をやっていました。私は電子書籍が好きではありません。アナログな書籍の頁を捲って行間を読むのが好きなのです。そのせいで書籍が増えてきてどうしようもない状態になっています。新しく作る書棚は壁一面を使います。来週月曜日から工事に入る予定ですが、長年の間、山積みされた書籍を漸く整理できるのかと思うと感慨一入です。

日常を取り戻したい

新型コロナウイルスの感染拡大が続いていて、政府は全国に緊急事態宣言を出しました。私の住む神奈川県は東京に次ぐ首都圏として以前から緊急事態宣言が出されていて、不要不急の外出を自粛しています。私の職場は在宅勤務が3分の2以上いて、閑散とした雰囲気になっていますが、例年なら今頃は新年度の仕事量に忙殺されて職員全員がクタクタになっているところです。いくら多忙であっても、例年であれば今の状況よりは健全であるし、やりがいを感じられるのではないかと思います。今は職場に来ても在宅勤務であっても何となく落ち着きません。各種総会は中止になり、ほとんどが書面総会となりました。職場でも職員が集合しての打ち合わせや研修会は出来ず、出勤した職員は分散して仕事をやっている状況です。職場はそんな流れですが、職場から帰宅すれば自宅もリフォームの施工が入っていて、ここも落ち着くことが出来ません。リフォームは自分の人生に与える褒美と思えるくらい楽しいことで、完成したら自宅が様変わりすることが嬉しいはずですが、荷物が溢れ、不自由を強いられている生活は、心に不安定を齎すものだなぁと感じています。家内はよく耐えていますが、私の唯一の逃げ場は工房なのです。工房は例年通り制作工程に従って制作をしているので、新作の違いこそあれ、気分は落ち着いています。新型コロナウイルスの感染拡大がいつ頃終息するのか見当もつきませんが、早く日常を取り戻したいという思いでいっぱいです。今まで毎日が当然の如く普通に過ぎていたことは何という幸せなことか、安心安全とはあたりまえのように存在しているのではなく、さまざまな立場の人が努力して得たものを、私たちが享受しているのです。それを改めて確認できたこの頃です。

「アフタヌーン・インタヴューズ」・Ⅱについて

「アフタヌーン・インタヴューズ」(マルセル・デュシャン カルヴィン・トムキンズ聞き手 中野勉訳 河出書房新社)・Ⅱのまとめを行います。ここではM・デュシャンの作品発想の鍵となった「コーヒー挽き」からインタヴューを始めています。「できあがってみると、客観的で具体的なコーヒー挽きをつくるんじゃあなくって、その仕掛けを記述するってことをやったわけです。歯車があって、回転ハンドルがてっぺんにあって、それから矢印を使ってどっちの方向にハンドルが回るかを示したんで、なのでこの中には、運動というアイデアがもうある。それにプラスして、ふたつの部分から機械を組み立てるというアイデア、あとになって、〈大ガラス〉の中に出てきたものの源です。」次にチャンス・オペレーション(偶然に基づく操作・制作)に話が移ります。「チャンスの任務というのは、わたしらの中の、理性的な部分を超えた、ユニークで不確定なものを表現すること。」という答弁に対し、聞き手は「あなたの頭の中でチャンスというのは、あなたの頭が及ぼしてくるコントロールを避けることを、理性的に表現したものである、と。」と解説を加えていました。それがレディメイドの基礎になっているようで、次の展開に続きます。「レディメイドの選択が、美的な歓びを受け取った結果だったことは一度もなかったという話。別の言葉でいえば、見た目が素敵だったとか、芸術的だったとか、わたしの趣味に適っていたとかいった理由で選んだんじゃあないということです。」それではM・デュシャンにとってアートとは何か、こんなことも言っています。「人がアートのことを、すごく宗教めいたレベルで喋々したりするときは、自分に対して心の中で、崇め奉るのに値するようなところなんざアートにはろくろくありゃしないんだ、と説明しようとします。麻薬ですよ。~略~アーティストが自分のアートを見るってだけじゃあ足りない。誰かがそれを観るんでなくちゃあならない。わたしは見物人に、アーティストよりも大きな重要性を与えている、と言ったってかまわない。だって見物人はただ見るだけじゃあなくて、判断を与えるんだから。」M・デュシャンが自分自身について話している箇所も引用しておきます。「わたしがデカルト的な精神の持ち主だもんだから、何であれ受け入れるのを拒否して、何もかも疑ったという、その事実のせいなんじゃあないかな。そんなだから、何もかも疑う中で、どんなでもいいが何かを産み出したいとなったら、わたしにいっさい疑いを抱かせないような何かを見つけなきゃあならなかった。」新しい芸術概念はこうして生まれたのでした。

「発掘~聚景~」のイメージ

厚板6枚で屏風を構成し、その屏風と床を使って陶彫部品を組み合わせた作品を「発掘~聚景~」と名づけることにしました。聚景は造語で「しゅうけい」と読みます。屏風には格子模様の穴を刳り貫き、その穴を避けるようにして陶彫による物体が屏風の壁を這っている状況を作りました。その陶彫の物体は壁から床に伸びていき、床には陶彫による集合体があって、そこに収斂していきます。屏風になる壁は廃墟のような荒涼とした風景にしたいと考えてザラついた砂で固めました。そんなイメージの源泉はどこにあったのか、そもそも陶彫による集合彫刻を思いついたのは、20代の頃に旅した地中海沿岸のギリシャ・ローマの遺跡の印象に起因しています。その後、アジア各地にある古代遺跡の数々を見て回り、そこに在りし日の栄華を極めた都市に思いを巡らすこともありました。「発掘~聚景~」の制作途中で母が他界し、自らの死生観を培ったことも作品に少なからず反映しているように思います。数日前のNOTE(ブログ)に書いた文章を引用します。「人間は生物的な死とは別の、たとえば魂の在り処がどこにあるのか、それが失われるとその人は外見だけを留めた存在になるのではないかと思います。死を哲学できるのは高度な知性を有する人間に限られていて、そのために他界への準備を行い、後に残された人々が死者が歩んでいくであろう死後の世界をイメージできるようになるのだと私は考えます。」こんな思いが制作中に頭を過りました。作品は魂の産物だと私は考えていて、2011年に制作した「発掘~混在~」では制作中に東日本大震災があり、作品に籠める思いが変わりました。今年の「発掘~聚景~」でも個人的には母の死や、世界的な規模になった新型コロナウイルス感染が多少なりとも影響を及ぼしています。イメージの起因はあっても1年間かけて制作しているうちにさまざまなことに遭遇し、自分の中でイメージを統括していくものだろうと思います。

「アフタヌーン・インタヴューズ」・Ⅰについて

「アフタヌーン・インタヴューズ」(マルセル・デュシャン カルヴィン・トムキンズ聞き手 中野勉訳 河出書房新社)・Ⅰのまとめを行います。現代アートに大きな影響を与えた巨人マルセル・デュシャンへのインタビューで語られているのは、突飛な発想ではなく、寧ろアートを特別視しないデュシャンの自然な考え方でした。私が興味を感じた箇所を書き抜いてみます。聞き手のC・トムキンズの「新しいアート活動がこれだけ起きているというのは、或る意味で健康なしるしなのでは?」という問いかけに、「そういう面はある、社会という観点から考えるんならね。ただ、美学の観点からすればたいへん有害だと思います。わたしの意見では、こんなに生産が活発になっては、凡庸な結果しか出てこない。あんまり繊細な作品を仕上げる時間的余裕がない。生産のペースが猛烈に速くなってしまったんで、また別の競争になるわけだ。」またこんなことも言っています。「20世紀が装飾的だとは、わたしはぜんぜん思わない。ただ、アートのつくり方において、まるで耐久性がない。アートの生産に用いられている手段がたいへん傷みやすい。粗悪な顔料を使っている。わたしらみんなそうしていた。わたし自身そうしていたんだ。だから短期間のうちに、そういう生産物は消滅するだろう。~略~その瞬間のためのアート、未来にも過去にもお構いなしのアート。わたしの思うに、それが20世紀全体の特徴だったんじゃあないか、フォーヴ以降ね。」インタビューが前後しますが、そんなアートの世界で天才は現れるのだろうか、ということにもデュシャンは意見を述べています。「締めくくりにわたしは、アートの方面では、未来の偉人というのは目に見えない、見えるべきではない、地下に潜行すべきだ、と言った。ちょっとでもツキがあれば、死んだあとに認められるかもしらんが、まるきり認められないかもしらん。地下に潜行するというのは、社会とカネの取引をしなくてもいいという意味です。そういう人は統合なんぞいさぎよしとしないはずだ。地下がどうのというのはたいへん興味深い話で、いま現在、天才アーティストってのもいるかもしらんが、まわりをカネの海に囲まれて、そのせいでダメになったり汚染されたりしてるんなら、才能は完全に溶解してゼロになってしまうからね。」こんなところが私には気になりました。

母の葬儀

今日は4月とは思えない寒い一日で、雨がどしゃ降りの時間帯がありました。午前10時から横浜市北部斎場で、我が家の菩提寺である浄性院の住職を呼んで、母の葬儀を執り行いました。本来なら親戚縁者が集まってくるところを、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、家族だけに限った6人の質素な葬儀になりました。他の葬儀を見ていると、我が家と同じくらいの人数で行なっていたので、感染症がこんなところにも影響を及ぼしていることがよく分かりました。私は職場から忌引きの休暇を今日までいただいていましたが、朝から副管理職と電話で打ち合わせをしていました。私たちの職種はテレワークというわけにはいかず、それでも職場の待機人数を減らしているとのこと、少ない人数で職場が上手く回ってくれることを望んで、人員配置を副管理職にお願いしました。副管理職は私に代わって、よく陣頭指揮を執ってくれていると思っています。母の葬儀に話を戻すと、母の遺体を家族で囲んで花を手向ける場面がありました。横たわる遺体の風貌は母そのもので、安らかに眠っている姿が印象的でしたが、それは既に母ではなく何か別の雰囲気がありました。不謹慎を承知で言うと、母はもはや母ではないと感じました。人間は生物的な死とは別の、たとえば魂の在り処がどこにあるのか、それが失われるとその人は外見だけを留めた存在になるのではないかと思います。死を哲学できるのは高度な知性を有する人間に限られていて、そのために他界への準備を行い、後に残された人々が死者が歩んでいくであろう死後の世界をイメージできるようになるのだと私は考えます。以前読んだショーペンハウワーの哲学書にそんな記述がありました。その頼りとなるのが宗教で、私はそれがどんな宗教であっても可としています。我が家の菩提寺である浄性院は浄土宗で、浄土宗なりの死後の世界観があって、住職が読経し、故人を偲んで説話をするのもそうしたイメージに私たちを導くために行なっていると考えられます。私は浄土宗のことはよく知りませんが、先祖代々慣れ親しんだ宗教文化を否定する気になれません。読経は昔から馴染みがあって快いと感じることが大切なのかなぁとも思います。私が学習したのはキリスト教ですが、どうもキリスト教文化には今ひとつ馴染めないところが、若い頃の滞欧生活で感じたところです。母の葬儀でそんなことをあれこれ考えていました。私もあと何年生きるのでしょうか。自らの死生観が具現を伴って私の心に棲みついたようです。

週末 陶彫制作&亡き母の納棺

今日は朝から工房に篭って、新作の陶彫制作に追われていました。屏風になる新作の陶彫部品の追加もあれば、昨日から始まったテーブル彫刻を先に進める工程もあって、今月も多忙な週末になっています。今日はテーブル彫刻は横に置いておいて、新作屏風の陶彫制作を行ないました。陶彫部品の中にはかなり乾燥が進んだものがあって、ヤスリをかけて仕上げをしました。その後、化粧掛けを施して窯に入れました。陶彫は最終制作工程である窯入れをしないと作品が出来上がったとは言えないのです。窯内で壊れることもあり、焼成は予断を許しません。その分、人間の手が及ばない神の領域に作品を預けることになり、こちらの緊張も高まります。窯を出す時は決まって気分が高揚します。これがあるからこそ陶彫がやめられないのです。我が作品よ、炎神に翻弄されて強力な造形物になって帰ってこいと思わず声を出してしまうのは私だけでしょうか。窯に入れてしまうと工房の他の電気は使えず、今日は午後3時に作業を終了しました。今日の午後は先日他界した母の納棺があって、家内と横浜市北部斎場に出かけました。母は綺麗に化粧を施されていました。本来なら今日が通夜になり、母と縁があった多くの弔問客で賑わうはずでしたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、ほとんどの斎場で通夜を省略しているケースが目立ちました。家内と私だけの質素な納棺になりましたが、これも仕方がないのかと思いました。明日は葬儀ですが、私たちと妹夫婦だけの式になるのです。派手好きで社交的だった母には申し訳ないと思いつつ、まさかこんなことになるとは思いもよらなかった昨今の事情です。精進おとしを和食店で2人だけで行ないましたが、店には私たちしか入っていない状態でした。