Archives for the Month of 9月, 2006

新作迷いつつ探りつつ

HPに旧作品がアップすると今作っている作品にも弾みがつきます。旧作を乗り越えられているのかどうか、迷いつつ探りつつ木材に鑿を振るっています。新作のビジョンが一回り大きくなっていると自分は信じているのですが、こればかりは完 […]

ギャラリーに「点景」アップ

HPのギャラリーに「発掘・点景」をアップしました。作品制作のイメージとしてあったのは船でした。航空母艦のようなカタチを思い浮かべながらエスキースを固めました。箱舟の上に様々な建造物を作ることで人の感情の推移を描き、それら […]

画家の墓地比べ

クリムトとシーレ。以前のブログに書いたウィーンの有名画家です。ウィーンではこの2人を知らない人はいないくらいです。クリムトは優雅な作風で知られ、ブルジョア的な雰囲気が漂っています。シーレは身の回りの人物や風景をテーマにし […]

グリーヒェンバイスル

たしか「グリーヒェンバイスル」という名の居酒屋(いや、高級レストランかな?)だったと思います。なんせ20年以上も前の記憶ですから、店の名はハッキリしていません。歴史に残るような芸術家、著名人のサインが部屋中の壁に落書きの […]

カフェ文化とファミレス文化

ウィーンのカフェのことをあれこれ思い出しながらブログを書いていたら、ふと今の自分はどうなんだろうと考えてしまいました。今は語る時間があれば、ひたすら制作をしています。作品のイメージをどう具現化するか、どう展開するかで頭は […]

カフェで文化を語る

大学で彫刻を学んでいた頃は、お洒落で手軽な「スタバ」や「ドトール」はなく、いわゆる喫茶店があって、友達と長い時間をそこで過ごしました。芸術論議は大好きで、制作もままならないうちに精神性ばかり語っている歪んだ学生でした。ウ […]

カタコンベの居酒屋

ウィーンの旧市街には、シュテファンス寺院の地下にあるような墓地があちこちにあり、埋葬された骨を片付けて、居酒屋を営んでいるところがありました。洞窟のような居酒屋は、もともとそこに何があったかを知らなければ、とても雰囲気の […]

カタコンベ(地下墓地)

ウィーンの街の中心にシュテファンス寺院があります。目抜き通りであるケルントナーとグラーベンが交差する広場にあるゴシック様式の立派な寺院で、まさにウィーンのシンボルです。そのシュテファンス寺院の地下に墓地があって、一般公開 […]

カフェ・ハベルカ

どこの街にも芸術家や作家が集まったカフェがあります。ウィーンにはカフェ・ハベルカがありました。旧市街のグラーベン通りにあるペスト記念碑の近くの路地にあったように思います。ハウズナーやフックスといったウィーン幻想派の画家が […]

オスカー・ココシュカ

クリムトやシーレに比べるとココシュカはしばらくの間理解できませんでした。油彩の厚塗りされた画面が最初はピンときませんでした。ココシュカにすごい才能を感じたのは「夢見る少年たち」のシリーズです。何気なく描かれた線、平塗りさ […]

エゴン・シーレ

クリムトの弟子とも言えるエゴン・シーレは若干28歳で病死しています。シーレの絵を見たのは渡欧前でしたが、衝撃を受けたのを覚えています。デッサンの線はシーレとわかる独特なもので、人物のポーズにしろ画面構成にしろ斬新な感覚を […]

グスタフ・クリムト

世紀末ウィーンの美術界で活躍した画家です。作品はベルベデーレ宮殿内のギャラリーにありました。ウィーンではあまりにも有名な画家で、作品を絵葉書やポスターにして街のあちこちの土産物店で売っていました。刺繍によるネクタイにもな […]

浅草・花やしきとウィーン・プラター

最新型テーマパークのアトラクションは結構好きで、そろそろ人気が落ち着いたかなと思う頃に出かけています。でも衝撃のアトラクションとは違う意味で忘れられないのが、浅草花やしきのローラーコースターです。民家すれすれを走り抜ける […]

ウィーン分離派

自分が通っていたウィーン国立美術アカデミーの裏に不思議な建物がありました。建物の頭に金属の葉で出来た球体をのせた建物で、よくアカデミーの窓から眺めていました。その建物は「セセッション」という建物でした。自分がアカデミーに […]

ウィーンの鍛冶屋

ウィーンの旧市街のうねうねと曲がった小路を行くと、建物の壁を塗り替えようとした時に現れた古い壁画をそのまま残していたり、昔の店舗を当時のまま残している所がありました。その中に鍛冶屋の仕事場がウインドウ越しに見られる路地が […]

ウィーンの古い街角で

ウィーンに住み始めて、まず驚いたのが店が閉まるのが早いことと、夕暮れから夜にかけて街を散歩する人が多いことでした。目抜き通りであるケルントナー通りにはストリートミュージシャンが現れ、アコーデオンやバイオリンを聴かせてくれ […]

ウィーンの古い映画館で

自分が住んでいた頃のウィーンには中心街をはずれたところに古い映画館があって安いチケットでマニアックな映画を観ることができました。イタリアの村の風情を描いた「木靴の樹」やギリシャの島に生きる人々を描いた「その男ゾルバ」は印 […]

ギリシャの遊牧の村

旧ユーゴスラビア旅行と前後してギリシャの内陸の村々を訪ねたことがあります。これも昔の記憶を頼りに綴りますが、地図で細かく確認していないので、今もあるのかどうか定かではありません。しかし日本のように村や町の併合がよくあるわ […]

作品の保管について

個展やグループ展に来てくださる方から、「この作品は次はどこで見られるのか」という質問を受ける時があります。「しばらく倉庫に〜」と返答せざるをえません。自分の作品はほとんどが集合体なので作品がギャラリーに搬入されると、さっ […]

9.11追悼

5年前、たまたま見ていたテレビから信じられない映像が送られてきました。ちょうどその頃、陶彫で都市をテーマにした作品を作っていたので、これはテロの被害を表現したものかとよく聞かれました。以前のブログに書いたように自分は社会 […]

残暑を避けて美術館へ

今日の午前中は作業場で木彫をやっていたのですが、あまりの暑さに途中でやめて、午後は横浜美術館へ出かけました。日本画の多様性を示すグループ展をやっていて、肩肘張らずに観ることができる展示内容でした。サブカルチャーとして漫画 […]

旧ユーゴの画家ジェネラリッチ

旧ユーゴのヘルビネ村でジェネラリッチさんという売れっ子画家にお会いして、自宅兼ギャラリーで作品を見せていただきながら、趣味の卓球のポーズをして記念写真を撮りました。もう20数年も前のことなので、ご存命かどうか今はわかりま […]

旧ユーゴのヘルビネ村

昔訪れた村の記憶が甦るとブログに書いておきたくなります。先日までルーマニアのあれこれを書いていましたが、今日は旧ユーゴスラビアのヘルビネ村のことを書きます。この村に行くにはたしかザグレブまで鉄道で行き、それからバスで麦畑 […]

ルーマニアの小さな村から

ブログの表題はNHKブックスから出版された紀行文です。みやこうせいさんが書き下ろしたものにイラストを依頼され、数点の見開きイラストを描いた思い出の本です。ルーマニアに出かけていた当時はチャウシェスク政権の共産主義国家で、 […]

ルーマニアの墓地

亡父の墓石を立てた時に、若い日々に旅したルーマニアの村々にある墓地に想いを馳せました。ルーマニアの木造りの墓地は死者のエピソードを取り上げて、具象的な絵画作品、いや浮き彫りされた厚板に彩色された作品というべき墓標があり、 […]

ルーマニアの木造りの教会

ブランクーシのことを考えていると、今制作中の木彫が「無限柱」に似てくるので少々困っています。確かに「無限柱」は美しい造形で、簡素化させた形態の極みだと思います。ルーマニアの門や家の装飾がブランクーシの発想の源と以前ブログ […]

黒部峡谷

昨日は黒部峡谷へ行ってきました。昔、両親に連れられて見た映画「黒部の太陽」ではダムやトンネル建設の壮絶さが印象に残り、機会があれば行ってみたいと思っていました。9月になってもまだ夏山の彩りがあって、トロッコ電車から見る黒 […]

風情と混乱の中で

おわら風の盆は胡弓・三味線・唄を伴奏に、若者が独特な衣装に身を包み、優美に舞うもので大変風情がありました。ところが年々増える観光客(自分もその一人ですが)で、昨日は10万人とも報道されていましたが、風情を味わう余裕があり […]

おわら風の盆

昔から伝わる郷土芸能をずっと継承していくことは並々ならぬ努力が必要だろうと思います。横浜市内でも神楽や獅子舞を大切に保存している地域がありますが、我が町内では神社はあるものの古来伝承の芸能は久しく行われていない現状で、資 […]

制作三昧の8月からステップ

今日から9月。また勤めが始まりました。今月から週末が制作の大切な時間になります。制作の勢いは無くなりますが、きちんと考えて冷静な判断が出来る季節になります。思考が深まるのもこの季節です。哲学や思弁的要素がないと作品にはな […]