コロナ渦の文化イベント

私の職種では年間を通じて、いくつかのイベントが計画されています。野外で行う体育的なイベントや室内で行う文化的なイベントがその代表的なものですが、野外に比べて室内で行うイベントは、新型コロナウイルス感染症の影響が色濃く出て、開催を中止したところもあります。医療機関や保健所の助言に従えば、この文化的イベントの開催を危ぶむ声もあるのですが、職場を運営する効果を考えた時に、多少工夫してでも開催をしていこうという判断を私が行いました。美術作品の展覧会などは比較的開催可能なところですが、合唱や舞踊という身体を使ったものは神経を使わざるを得ません。実際に7月に私自身が個展を開催しているし、美術館へも鑑賞に出かけているので、今日は検温チェックとマスク着用で防備して、終日の文化イベントに臨みました。新型コロナウイルス感染症対策は孤立化を招き、私たちの職種でも少なからず影響が出ています。日本の経済政策も、感染防止をしながら経済を回すことでバランスを取っているようです。私たちの職種でも人々のメンタルな面を、こうした文化イベントでそれぞれ救援や支援をしながら、感染症との綱渡りをしている感覚があります。今年は立場上、難しい判断に度々迫られてきた私ですが、職員と合議を繰り返し、何とか辛うじて職場を運営している状況になっています。それでもやってよかったと思える文化イベントは、芸術や文化のもつ力に生きる喜びを見いだせるので、今日は思った通りの充実した一日になりました。

「Ⅱ 庭園とランドスケープについて」のまとめ

「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)の「Ⅱ 庭園とランドスケープについて」のまとめを行います。ここではノグチの代表作品である4つの庭園が登場します。それぞれの庭園に関する文章からひとつずつ引用して、ノグチの庭園に対する考え方を示したいと思います。「ぼくが力をつくしたのは、日本人を通して歴史の黎明からぼくらにまで受け継がれてきたこの石の儀式をぼくらの近代という時代とその必要性につなぐ道を見つけることだった。」(パリ・ユネスコ庭園)。「上から見おろすと、この庭はそれをとりまく花崗岩の巨大な枠のなかに収められている。ドラマは静寂のうちに情け容赦なく演じられる。~略~太陽、立方体、ピラミッドはおたがいどうし、そして庭全体の地形と関係しあわなければならなかった。」(イェール大学図書館内庭)。「岩たちは大地の一部であるかわりに力を爆発させ、庭から浮きあがっているように見える(少なくともそれが意図だった)。庭そのものは造形されている。それは人間の手でつくられ、したがってーこれは彫刻だ。同心円状に敷かれた舗石のパターンは日本庭園の熊手に引かれた筋に似ていると言われるかもしれないが、それはむしろ様式化された海の波という中国の起源にまでさかのぼる。」(チェース・マンハッタン銀行)。「デザインの基本となるのは、この場所、大地とその上の空の神聖性に対するぼくの敬意の念である。ぼくはこの場所の賛歌を立ち昇らせたかった。大地そのものが媒体となるはずだ。敷地に石で建造された五枚の曲線を描く擁壁が、この大地をいくつかの大きな弧のなかにすっぽりと入れる。擁壁は、平らな歩行可能のエリアが以前はまったく存在しなかった場所に、そのようなエリアをつくるための装置である。」(イスラエル・ローズ彫刻庭園)。ノグチにとって単体の彫刻作品より、場の空間を創出させる庭園の造形の方がしっくりきているように思えます。それは伝統的な日本庭園ではないにしても新しい空間造形のカタチだろうと思います。

「Ⅰ 彫刻について」のまとめ

「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)の「Ⅰ 彫刻について」のまとめを行います。「Ⅰ 彫刻について」は10章に分かれていますが、論文形式でありながら短く内容がまとまっていました。彫刻に関するノグチの考え方がよく分かり、当時ノグチが考えていた空間把握などが現在にまで続いている様子が散見され、興味関心を持ちました。「ぼくらの空間体験は時の断片に限定されているのであるから、成長が存在の核心となるべきだ。ぼくらはふたたび生まれる。そして自然のなかに成長があるようにアートのなかにも成長がある。」また近代の彫刻の歩みに関して、「近代の彫刻には最初からふたつの傾向があったと。ひとつはメカニスクから派生し、それに基礎をおいてそれ自体へのフォルムへ向かうもの。もうひとつは自然の概念から出発してその内的な意味を探るもの。前者は、ロシアの構成主義者による作品にみられるように過去の人文主義的な伝統とはばっさり縁を切り、非具象と機械化の極限まで達する。後者のより有機的なタイプの最良の例は、カルダーのモビールやジャン・アルプの作品のいくつかである。」と語られていました。原初的な美については、「モダンアートに親しんでいる人びとは、すぐにプリミティヴに魅了される。しかしながらアーティストによる発見の過程は、おそらくは類似したような欲求と満足とにもとづくのだろうが、アーティスト自身の創作の展開に根ざし、それに付随するものなのである。」とありました。さらに建築と彫刻の関係性についての問いかけがあり、これはノグチの時代以降も続く課題なのかもしれません。「建物はほんとうにただの物理的なシェルターなのか、あるいは一種の象徴的オブジェであるべきなのか。建築家と彫刻家は同一であるべきなのか、それとも組み合わされるべきなのか。」ノグチが後半生を通じて、庭園や遊び場のデザインを自ら率先して施工してきて、その都度思いを巡らせた思考の軌跡を辿ってみることがその答えになるだろうと私は思っています。

「形式的命題論と形式数学」第26~第27節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があって、その中の第2章として「形式的命題論と形式数学」があり、今日はその第26節から第27節までのまとめを行います。まず、形式的命題論と形式数学との統一に関して述べられた箇所で気を留めた文章を引用いたします。「人々は論理的な形成物を、この場合には実在物とは言えないにもかからわず、実在の事物と同じように扱っている。それゆえ論理学的な形成物は主観性と客観性のはざまで、曖昧に浮遊するのである。」またこんな一文もありました。「数学と論理学との関連が初めて明らかになったのは、形式数学の形成物の類似物として、しかも同じ客観的ーイデア的な見方で、形式論理学の形成物が主題化されたときであった。数学においてはこの抽象的な見方が強固な伝統になって、以前からもっぱら数学的理論化の理論的な目標を規定していたのである。」これは論理学的な形成物を代数学的に理論化する可能性を探る考察であり、さらに次の一文へと続いていました。「すなわち〈主・客両面をもつ各教科の言わば固有の意味についてのラジカルな原理的詳察〉こそが、伝統の呪縛を打破して諸教科の問題設定の統一性を内的に理解しうるためには、以前にも今後にとっても同様に必要であってー数学者たちのように理論的な技術による統一で満足したり、大多数の哲学者たちのように、原理的な洞察によって理解するのではなく、推測によって〔主・客を〕分離することで満足することではない。」そこにB・ボルツァーノの洞察が登場しますが、著者は達成度の点で今一歩評価をしていません。最後にこんな一文がありました。「形式論理学には、イデア的な諸意義の分野に還元される推論式論だけでなく、基数論、序数論、量数論および当然さらに形式的な量論一般、組合せと順列の理論なども含まれることになる。」

「形式的命題論と形式数学」第23~第25節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があって、その中の第2章として「形式的命題論と形式数学」があり、今日はその第23節から第25節までのまとめを行います。僅か数頁の内容ですが、語彙や意味が難解なため読み解くのに時間がかかり、まとめといっても要旨をまとめることは私には到底出来ず、気になった箇所を書き出すことで、まとめの代わりにしたいと思います。「論理学が形式的な事柄という概念に拘束されている間は、つまり論理学が命題論の基本的な諸形式とそれらによって構築される諸形式の中で、すべての《名辞》を無規定な可変項として扱っている間は、論理学が可能な真理について獲得しうる認識は〈無矛盾性の分析論だけに直接適合する認識〉、したがって〈少数の命題を除いて、言わばこの単純な分析論が厳格に認識を豊かにする形式的な諸理論の平凡な転用に過ぎない認識〉だけである。」次にライプニッツの普遍学が登場してきますが、それを踏まえて形式存在論の新たな問題が掲げられていました。前後の文章がないため、脈絡が掴めないところもありますが、それを承知で引用いたします。「この分野内でアプリオリに形成され考案される派生形態もすべて、この範囲に含まれるが、これらの形態は次々に繰り返される構築作用によって次々に新たな形態が生じることになる。このような派生物になるのが(有限および無限の)集合と基数のほかさらに、組み合わせ、関係、級数、結合、全体と部分などである。こうしたことからまず考えられるのは、このような数学全体を存在論(アプリオリな対象論)、ただし或るもの一般の純粋な諸様相と関係する形式的な存在論と見なしうる、ということである。」最後に形式的命題論と形式的存在論のテーマの違いを述べた箇所を引用します。「われわれはせめて〈判断することは諸対象について判断し、それらについて諸特性あるいは相対的な諸規定を陳述することだ〉ということだけは想起すべきであり、そうすれば〈形式的存在論と形式的命題論とは主題設定が明らかに異なるにもかかわらず、やはり密接に関連せざるをえず、おそらく不可分な関係にあること〉に気づかざるをえない。」

週末 13点目の陶彫成形

横浜は台風の影響から離れていたために、今日は曇り空が広がる一日でした。私は朝から工房に篭って制作三昧の一日を過ごしました。昨日タタラを数枚用意していたので、今日はそれらを使って新作の13点目になる陶彫成形を行ないました。今回の成形は今までの直方体ではなく、変形した形態を作りました。新作は大きな円形が土台にあり、円形の中心に近くなるほど陶彫部品の設置面が小さくなります。底辺の図形が正方形から台形に変わり、上に伸びるカタチは斜面のついた三角形になります。今日は通常作っている直方体ではなく、円形の中心に位置する変形の形態を作りました。今後はこうした形態を作ることが増えていくのではないかと思います。高さの調整も必要になるのですが、まだ出来ている陶彫部品が少ないため、今のところは高さの調整は考えなくて済みそうです。とにかく部分を作っているうちは気が楽で、近視眼的な視点で済みますが、陶彫部品の数が増えてくると全体を把握しなければならず、そうなると結構骨の折れる作業になっていきます。陶彫部品は労働の蓄積で、数量が満たされないうちはどうにもならないのです。今月は通常の週末しかなく、長い休日がとれないので、陶彫部品を作ることに専念しようと思っています。10月になって芸術鑑賞には適した季節になり、どこかに出かけたい思いに駆られることもありますが、とりあえず只管作ることに週末を使おうと思っています。行きたいなぁを思っている展覧会はあるのですが…。今日は美大受験生が一人工房に来ていました。彼女はデザイン科志望で平面構成をやっています。基礎的なことをコツコツ積み上げていく姿勢に好感が持てますが、彼女は無我夢中なのです。夕方、彼女を家の近くまで車で送ってきました。来週末も頑張ろうと思います。

週末 彫り込みをする文様について

週末になりました。台風14号の影響があって、昨日から終日雨が降り続いています。気温も急激に下がり、上着が必要になっています。昨日は外会議から帰る途中に日用雑貨店に立ち寄ってハンドスプレーを購入してきました。プラスチック製の安価なものですが、先日壊れてしまい、陶彫制作にはなくてはならないものだと認識しました。制作途中の陶彫部品は表面が乾かないように水を打ってビニールで覆っておきます。その水を打つためのハンドスプレーなのです。毎週末、制作途中で作業を中断することが多いので、工房にはビニールで包まれた陶彫部品が数点あります。成形だけで終わっているものや彫り込み加飾がまだ出来上がっていないものなどがあり、乾燥の具合を見て作業を進めていきます。今日の作業は彫り込み加飾2点と、明日の成形に備えて大きなタタラを数枚用意することでした。彫り込み加飾は前にも書きましたが、工芸的な作業で時間がかかります。今までの作品はひとつパターンが決まれば、全てその文様を彫り込んできましたが、新作は陶彫部品によってそれぞれ彫り込む文様を変えています。とは言ってもパターンの法則性はそのままにしておいて、デザインのバリエーションを増やしているのですが、これが手枷足枷になってなかなか厳しいものになっています。私は自分自身で法則を作って苦しんでしまうのが癖になっていて、自分で自分の展開力を試しているところがあるのです。新作は構築物としては単純な直方体が基本なので、彫り込み加飾で変化をもたせようとしています。陶土が粗いため緻密な文様は出来ませんが、それでも繰り返す文様は一定の美しさを保っています。これを造形全てを覆う飾りとしてではなく、立体に変化を齎す効果として扱っているのです。文様を施すことで立体に性格をもたせ、個性を引き出そうとしています。彫り込み加飾は、実のところ加飾ではなく、それ自体も立体の内容を雄弁に語る要素です。今日は朝9時から午後4時までの7時間を工房で過ごしました。ほとんど彫り込み加飾に費やしてしまいましたが、全て仕上がったわけではなく、今後も作業は続行です。明日は新たな陶彫成形を行なうので、彫り込み加飾はどんどん遅れをとってしまっている現状があります。昨日買っておいたハンドスプレーが活躍しました。

「イサム・ノグチ エッセイ」を読み始める

「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)を読み始めました。先日まで読んでいた「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)では、ノグチの彫刻やそれを取り巻く空間の解釈に、私自身が自作を振り返って改めて彫刻の存在意義を確認することをしていました。ノグチの主張が私の造形思考の起点になっていることが少なからずあったからです。それならばノグチ自身が実際に著した文章を読んでみたいという衝動に私が駆られたとしても不思議ではなく、まだまだ私の頭の中はイサム・ノグチ・ワールドに占領されていると言えます。「イサム・ノグチ エッセイ」にはモノクロの写真が多く掲載されています。その写真を見ているだけで、私は彫刻に対する意欲が湧きあがってきます。冒頭の文章を少し読んでみると、ひとつずつの章は短く、また独特な言い回しがあって、意味を吟味しながら読み進めていく必要を感じます。それでもノグチはかなりの文章家であることが分かり、その思索には興味津々です。ノグチの師匠であるブランクーシに関する章もあり、また庭園に関する文章も散見され、他者が書いた伝記とは違う意味合いを感じながら読んでいきたいと思います。私は彫刻とは精神の産物で、それは思索によって支えられていると常々考えています。彫刻は、平面的な絵画と違い、立体構成物として空間に存在することが思索を促す要因になっていると思っています。それは現象学にも通じ、モノが存在する本質的な捉えとはいかなるものかを考えさせる動機にもなります。イサム・ノグチの著したものに少なからずそうした内容が含まれているはずです。私自身も思考を深めながら本書に向かい合いたいと思います。

「石を聴く」読後感

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝でした。1904年に生まれ、1988年に没し世界的な名声を得た日系彫刻家イサム・ノグチは、彫刻の概念や空間の解釈に対し、私にさまざまな啓示を与えてくれた人でした。私の陶彫による集合彫刻の試行錯誤は、ノグチの示唆によって造形の方向が与えられました。本書の最後にあった箇所を紹介しながら本書を閉じたいと思います。ノグチは晩年になっても創作意欲は衰えず、また女性に対しても精力的でした。草月会館のプロジェクトに関わった建築家川村純一の妻京子とも深い縁になったことが書かれていました。また生涯で最も巨大なプロジェクト「モエレ沼公園」については「札幌市の廃棄物処分場、モエレ沼の広大な野外空間を訪れた。それは三方を豊平川の蛇行に囲まれた広い丘で、ごみが積みあげられていた。ノグチはすぐにそこが気に入り、400エーカーの空間すべてをひとつの巨大なーその全彫刻家人生で最大のー彫刻にしたいと考えた。」とありました。ノグチ亡き後、2005年に「モエレ沼公園」は完成しました。本書の最後に「この終わりがないという立場を維持しつづけたのは、ひとつにはあまりにも好奇心に満ちていたからである。~略~ノグチにとって家がないという感覚はひとつの起動力だった。『帰属への願望が私の創造の原動力となってきた』。さすらい人ノグチは、彫刻を制作することによって自分自身を大地に、自然に、世界に埋めこむ道を探し、発見した。」とありました。訳者のあとがきにも触れますが、こんな一文がありました。「東洋の美術家として石という自然が語ることに耳を傾けながらも、そこに自分自身の鑿の痕跡を残そうとしたという意味では、あくまでも西欧の彫刻家であった。」私は次に読もうと決めているのは「イサム・ノグチ エッセイ」です。本書を読み進めるにあたって、文筆活動もやっていたノグチの随想をも読んでみたいと思ったためで、私は翻訳されたノグチの書籍は全部読む計画でいます。

イサム・ノグチ 美術館建設&ビエンナーレ

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第50章「価値あるものはすべて贈り物として終わらなければならない」と第51章「京子」、第52章「始まりにも、終わりにも」のまとめを行います。この第52章をもって本書は終わりますが、ノグチの生涯と同じで最後に至るまでアートの情報が詰め込まれていました。まず日米2つの美術館建設の話題が掲載されていました。「誕生日を四国の私の避難所に庭園をつくることで祝う。それは未来への贈り物、そして私の母をかくまい、私に幼年時代の歳月をあたえてくれた国民への贈り物である。価値あるものはすべて贈り物として終わらなければならない、というのは正真正銘の真実である。」というノグチの一文があり、これは牟礼に建設した庭園美術館に関するものです。もうひとつはニューヨークのロングアイランド・シティに建設した美術館に関するもので「より静穏で拘束のない世界に運ばれていく場所として多くのニューヨーカーから愛されているイサム・ノグチ庭園美術館は、それ自体がひとつのアート作品である。」とありました。次に知名度を誇るヴェネツィア・ビエンナーレ出品に関する掲載があり、展示作品を巡って周囲の助言者とノグチの間に溝があったことが伺えました。「ディ・スヴェロはノグチに、こんなにたくさんの《あかり》を展示したらグランプリは獲れないと警告した。だがノグチは《あかり》は『商売とはまったく関係なく、ぼくが純粋の愛情からやったひとつのことだ』と言った。アメリカ人として栄誉を得ることで満足はしていても、ノグチはちょっと天の邪鬼的に自分の日本人の側を強調する展示を構成した。~略~《スライド・マントラ》創作のアイディアは、ノグチが1985年にアメリカ館で使用可能な空間を確認するためにヴェネツィアを訪れたときに生まれた。ノグチは中庭には白大理石の滑り台が必要だと考えた。~略~ビエンナーレのノグチの展示に対する反応はさまざまだった。ヨーロッパ人は作品の多様性にまごつき、《あかり》はアートではなく工芸品かデザイン・プロダクトだと考えた。」最後に「モエレ沼公園」建設の箇所がありますが、それを残して今回は終わります。

イサム・ノグチ 最晩年の代表作品

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第48章「《カルフォルニア・シナリオ》」と第49章「ベイフロント・パーク」のまとめを行います。ノグチは1988年12月30日に84歳の生涯を閉じていますが、本書にある「ベイフロント・パーク」では、その完成を見ずに亡くなっているようです。そんなことも頭に入れて今回は最晩年の代表作品を取り上げます。まず「カルフォルニア・シナリオ」は成功例です。「象徴に満ちた庭を創造するにあたって、ノグチは日本の伝統に従った。ノグチによれば《カルフォルニア・シナリオ》の六つのセクションの意図はカルフォルニアを抽象的に表現する穏やかな舞台の創造である。そこには平和があるーなにもなく静かで、禅に似ている。だが、それぞれのセクションの完璧な設定と、ひとつのセクションとが対照性(有機vs幾何、硬vs軟、暗vs明、湿vs乾)によって、あるいはさまざまな素材すべての全体的な調和によって関係することから活力が生まれてくる。ノグチはただひとつのものからなる作品より、物と物とのあいだに関係のある作品を好んだ。なぜならば、それらは『おたがいのあいだにあるエネルギーを集め、おたがいに語りあっている』からだ。」これは私が主張する場の彫刻の概念であり、集合された立体が響きあう空間をノグチが既に造形していた証でもあります。私の集合彫刻の原点もここにあります。次に書かれていた「ベイフロント・パーク」は、トラブルが続いたようです。「《カルフォルニア・シナリオ》がすんなり誕生したのとは対照的に、マイアミのベイフロント・パークの再開発では争いと欲求不満と落胆とが何年も続いた。おそらくこれはノグチのプロジェクトのなかでもっとも不首尾に終わったものであり、ノグチは完成を見ずに世を去った。」このベイフロント・パークの状況を、私は以前に映像で見たことがあります。大変大きなプロジェクトで、海岸一帯が造形されていました。現在はどうなっているのでしょうか。市民の憩いの場になっていることを願っています。

10月RECORDは「茶」

今年のRECORDは年間テーマとして色彩を取り上げ、毎月一色を選んでデザインを考案してきました。色彩は漢字一文字として和洋どちらの色彩でも可としました。10ヶ月間を振り返ってみると、私は西洋の色彩より日本の色彩を取り上げているケースが目立ちます。日本には渋めの色彩もあり、曖昧で香しい日本の情緒がよく表れているのではないかと改めて認識いたします。色彩には幅があり、また絵の具の滲みを使った表現も取り入れたこともありました。とりわけ風景描写には日本の古典絵画を参考にさせていただき、日本の絵師の卓抜とした描写力に畏れを抱きました。今月のRECORDのテーマは「茶」にしました。8月のRECORDのテーマ「苔」では、日本特有の「侘び」や「寂び」を表現しようとして江戸時代の絵画から運筆や掠れの具合などを学びましたが、こればかりは一夜漬けではどうにもならず、名画の足元にも及ばない結果になってしまいました。これは当然と言えば当然の結果ですが、懲りない私は今月も「茶」をテーマに古典から真髄を学ぼうと思っていて、無謀なチャレンジをしてしまうかもしれません。「茶」色は当然西洋の色彩にもありますが、日本の情緒を纏った色彩だなぁと常々思っています。今回は色彩だけを取り上げますが、「茶」には茶の湯の伝統があり、茶を点てる場では身分に関係なく、茶を囲んで懇親を深める機会があります。そうした機会を作った室町時代の茶人には驚くべき感性があったのかもしれません。日本の優れた文化を生み出した総合芸術としての茶道を、追々私は理解したいと思っています。「茶」という色彩に纏わるさまざまなことを考えながら、今月はRECORDを作っていきます。

週末 12点目の陶彫成形

今日は昨日に続き、陶彫制作に没頭した一日でした。座布団大のタタラはやや柔らかめで、立ち上げる時に裏から陶土を紐状にして貼り付けています。これは補強のためにやっていることで、タタラと紐作りの双方で高さ50cmになる立体を成形しているのです。立ち上げると木材のブロックを支えにして、暫く放置します。1時間ほどでやや硬くなり、加工に耐えられる強さが出てくるのです。面と面を繋ぎ合わせる時は、ヘラで何本も縦筋を入れ、そこにたっぷりドベを塗って接合します。ここにも裏から紐状の陶土で補強をすることを忘れないようにしています。この作業は可塑性のある陶土を使っているので一応モデリングと言えますが、制作工程で陶土を足したり削ったりすることはなく、削るとすれば彫り込み加飾になるので、通常のモデリングとは意味が違っています。と言うのは、最後の工程に焼成があるため、無垢で作ることができず、成形された内側は空洞にしてあります。そこが粘土による塑造とは異なるところなのです。これは陶彫の特徴ですが、立体の全体像は陶土を足したり削ったり出来ないので予めイメージしておく必要があります。今日の午前中は12点目の陶彫成形を行ないました。午後は前に作った陶彫部品の彫り込み加飾を行ないました。週末としては定番の制作ですが、作っている作品が異なっているので、前回と同じ作業にはなりません。新作は常に新鮮な造形試行があって、そこが楽しいと感じます。今日はお馴染みの美大受験生1名と文学を志すスタッフが1名、工房に顔を出しました。彼女たちは高校生で、これからの進路選択のために工房に通ってきているのです。夕方、彼女たちを自宅近くまで車で送りました。

週末 今月最初の週末に思うこと

10月の最初の週末がやってきました。昨晩は職場を早めに出させていただいて、叔母の通夜に家内と行ってきました。母の時と違い、新型コロナウイルス感染症拡大の影響がやや緩んで、通夜の参列が可能になっていました。それでも参列した人は多いとは言えず、葬儀そのものに影響が出ているのは確かです。叔母は享年88歳で、私とは幼い頃から親しい間柄でした。身近な人が亡くなると、私はつい死者を看取っている間中、自分の残りの人生を考えてしまうのです。私はいつまでこうしていられるのか、今生きていることはどういうことか、全ては夢幻に帰すかもしれない現在をどのように生きればよいのか、これは私の死生観に関わるものであり、その解答を探しつつ生涯を全うするのかなぁと感じています。それは私が創作活動をやっていることと深い関係があり、今生きていることの具現化が作品に表れているのだろうと思っています。創作活動は常に自分自身への問いかけであり、私の生きた証を示すものです。実際の魂は消えても創作に込めた魂は消えることはないと信じています。そこに私の魂が宿って生き続けているのかもしれません。そんなことを考えながら、今日は朝から工房に篭りました。朝8時から午後3時までの7時間を工房で過ごしました。午前中は土錬機を回して土練りを行い、畳大のタタラを掌で叩いて複数枚作りました。これは明日の陶彫成形のための準備です。午後は以前作っておいた陶彫部品の彫り込み加飾を行ないました。着実に制作サイクルを回しています。今日は多少気温が上がったため、汗が流れてシャツに染みを作りました。それでも真夏に比べれば、随分楽になりました。土曜日はウィークディの疲労が出ていることがあって、身体の動きは今ひとつ緩慢でした。ひと昔前と違って休憩なしに作業を続行することができず、ちょくちょく小休憩を入れました。明日は陶彫成形を頑張ります。

イサム・ノグチ 草月会館の「天国」

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第46章「人びとがいくところ」と第47章「想像の風景」のまとめを行います。表題にしたものは、今回の文章の中では一部分に過ぎないのですが、私の思いがあって選びました。第46章では初めにデトロイト中心街の噴水設計「ダッチ・ファウンテン」について書かれていました。「他のいくつかのプロジェクトと同様に、ノグチはコンペに勝つと噴水だけでなくプラザ全体のデザインもやらせてほしいと申し入れて仕事の範囲を拡大した。」次に登場するのが表題にした草月会館の「天国」で、私は数回ここを訪れています。「1974年10月13日、ノグチは丹下(建三)に宛てて、石を彫る和泉(正敏)にロビーの模型を送ったと書いている。地下の劇場上階にバルコニー席が設けられた関係で、ロビーには階段状の段差があり、空間は『ジッグラト〔階段式ピラミッド〕に似て』独特の形をしていた。ノグチの解決策は『階段状の石の丘、人びとがいくべき場所』をデザインすることだった。ノグチは草月会館で創出した空間を巨大な床の間と呼んだ。床の間は『日本家屋でもっとも神聖な場所…それは天国。そしてぼくがあそこ〔草月会館〕でつくったのは、そう、天国だ』。できあがったのはすばらしく生き生きとした白花崗岩の山で、青みがかった白花崗岩が何段にも重なり、ところどころ荒っぽく切り出した石の塊が散在する。空間全体は、上のテラスの水盤から精妙に流れ落ちる水でひとつにまとめられる。」次にノグチが取り掛かったのはニューヨーク州マウンテンヴィルの彫刻公園にある「桃太郎」という複数配置した石彫でした。第47章で注目したのはノグチの大規模な展覧会でした。「『ノグチの想像の風景』展は四室ー第一室は彫刻、第二室は舞台装置、第三室は建築プロジェクト、第四室は実現されなかった公共プロジェクトーを使って40年間にわたる仕事を俯瞰していた。~略~つねに批評家に誤解され、正しく評価されていないと感じていたノグチは、この称賛の奔流に満足したはずだ。個展が都市から都市へと巡回するにつれて、ほとんどの批評家がこの展覧会はノグチが20世紀最大の彫刻家のひとりであることの最良の証拠であると言った。」

創作意欲が増す10月に…

今日から10月が始まりました。10月は気候が良くなり、心身ともに心地よくなるため、芸術活動や芸術鑑賞が華やかに展開する季節です。私も創作意欲が増すのではないかと自分自身に期待をかけています。陶彫による集合彫刻は、新作である現在制作中の作品に全力で取り組んでいく所存です。今月は週末が4回あります。制作の手順に従えば4回の週末で4点の陶彫部品が出来上がる予定ですが、全体を見渡すと、そのペースでは間に合わなくなる可能性もあり、4点以上の陶彫部品が出来上がるといいなぁと考えています。貯蓄庫を見るとそろそろ陶土が足りなくなるかもしれず、早めに栃木県益子の明智鉱業に注文しておいた方が良いと思っています。陶土が潤沢にあるからこそ可能な創作活動なので、素材や道具には人一倍気を使います。木彫によるもうひとつの新作はいつから作ろうか考えていますが、鑿の手入れをしなければならず、砥石を新しく購入しようかなと思っています。今月木彫はまだ出来ないでしょう。RECORDは先月無理をして山積みされた下書きの解消に挑んできました。もう少しで通常のペースに戻れます。今後、RECORDは下書きを溜め込まないように頑張っていきたいと心に誓いました。鑑賞は感染症防止を心掛けて、首都圏で開催している展覧会に足を運びたいと考えています。美術鑑賞をしているとホッとする場面があります。乾いた心が潤っていくようで、芸術には人を刺激する魔力が棲んでいると感じています。読書は日系アメリカ人彫刻家の伝記とオーストリアの現象学者の著作をそのまま継続して読んでいきます。今月も先月に引き続き元気にやっていこうと思います。

秋風吹いた9月の振り返り

9月の最終日になりました。いつまで酷暑が続くのかと思われていた季節も、朝晩は涼しく秋風が立つ陽気になりました。工房での滞在時間も長くなり、創作活動が充実する時期で、まさに芸術の秋が到来したと言えます。今月を振り返ると、4回あった週末は4回とも着実に新作の制作を進めてきました。陶彫部品は今月だけで大小5点の成形と彫り込み加飾が終わっています。今月から新作の土台になる厚板材の切断を始めました。今後はそれを見ながら陶彫成形をやっていこうと思っています。RECORDの制作も追い込みを続けてきて、下書きが先行していた状況が少し改善してきました。一日1点制作を目標に掲げてきたRECORDですが、今月ほど頑張った1ヶ月はなかったように思います。思えば自宅のリフォーム工事が始まった3月頃から、下書きの山積みが大きくなってきて、この状態に心が折れそうになったこともありました。諦めなければ何とかなるものだなぁと思いました。鑑賞は美術館へ出かける機会が多くもてました。「バンクシー展」(横浜アソビル)、「近代日本画の華」展(大倉集古館)、「和巧絶佳」展(パナソニック汐留美術館)、「池田宗弘展」(東村山市立中央公民館)の合計4回の展覧会に足を運びました。感染症対策が図られている美術館ばかりで、検温をしてマスクを着用して作品を見て回りました。映画館にも行きたいのですが、まだ躊躇していて今一歩足を踏み出せないのです。職場では野外イベントをやりました。例年なら何のこともなく決行していたものですが、今年は密を作らないような配慮をして、思い切って実行したのでした。感染症を常に意識しながら、通常の活動に励むことが習慣化してきたように思えますが、これはいつまで続くのか、先行きのゴールが見えない不確定さの中で、それでも創作活動を絶やさずにやっていこうと考えています。読書では日系彫刻家イサム・ノグチの伝記を丁寧に読んでいます。ノグチの考え方に共感し、自らの造形思索に取り込める要素が散見されるので、私にとっては貴重な一冊なのです。フッサールの論理学研究は、凝り固まってしまう頭脳をぐるぐる巡らし、難解な箇所を読み解くことに私は楽しみを見出し始めています。易しいものばかり読んでいては駄目だと自分に言い聞かせ、自己研鑽を積むことで何か得るものがあると私は信じているのです。読書は来月も継続していきます。

RECORD用紙の調達

今日は職場には行かず、桜木町周辺の会議室を使って、午前と午後それぞれ別の会議をやっていました。今日は時折予定されている外会議の一日で、職場に有事があれば私の携帯電話が鳴ることになっています。管理職は皆そうした対応をしています。今日はそれもなく心穏やかに会議や研修をやっていました。会議室に出かける折に横浜駅を通過する時は、私はよく画材店に立ち寄ります。ほとんどの場合、研修終了時の帰宅時間が多いのですが、購入していくものはいつも決まっていて、RECORDの用紙に使う白色ケントボードです。厚さ1mm、大きさはB3大で、いつも20枚をまとめて買います。それ以上買うと重くなってしまい、帰路が辛くなるので、ちょくちょく立ち寄って20枚ずつ買っていくことにしたのです。その20枚を職場に持ち込んで、印刷室に設置してある電動カッターで葉書大に切断します。仕事の合間を見つけて、ちょいとプライベートなことをやっているのですが、これを手作業で切っていくのはなかなか難しいため、電動カッターを借りているのです。私が退職するまでに、あとどのくらいRECORD用紙が準備できるのか、末永くRECORD制作をやっていくために、仕事の休憩時間を利用して少々焦りながらケントボードの切断をやっています。80歳まで毎日RECORDを作ったら、何点完成するだろうとか、その時期はどんなRECORDを作っているのだろうとか、先のことを考えると鬼に笑われますが、RECORDや彫刻に関しては至って真面目に先々の計画も考えている自分がいます。飼い猫トラ吉がいる部屋にRECORD専用の棚があって、大量の用紙が詰め込まれていますが、自分としてはまだまだ足りないと思っていて、横浜駅を通過する度に20枚のケントボードを抱えて帰るのです。RECORDを制作中の食卓の上をトラ吉は無関係に歩くので、絵の具で彩色する時はトラ吉を食卓から閉め出します。何故部屋に入れてくれないのかとトラ吉は鳴きますが、ニクキュウの押印デザインを思いつくまでは我慢してもらいます。RECORDは今夜も頑張って作ろうと思います。

RECORD、NOTE、そして睡魔

仕事から帰って夕食を済ませると、私は食卓でRECRDの制作に励みます。RECORDは一日1点ずつ作り上げていく平面作品で、大きさは葉書大です。文字通りRECORD(記録)で、その日その日の作品が出来上がっていくのです。今も食卓でRECORDを作っていましたが、このところ数ヶ月は下書きだけで事切れていました。今月はその挽回も含めて日々頑張ってきました。下書きの山積みは着実に減ってきていて、過去の作品が解消されるのはもうすぐです。絵柄は5日間で展開する方法を取っています。下書きをきちんと描き直して、アクリルガッシュで彩色し、ペンでタッチをつけて仕上げます。絵の具を滴らせたり、飛ばしたりするモダンテクニックも使います。失敗することはほとんどなく、上手くいかない箇所は上書きをして再度チャレンジをします。1点ずつ手間暇かけて彩色やペン入れをしています。今日の分と過去の下書きの仕上げを併せて行なっているため、毎晩時間がかかっています。その後、パソコンの前に座ってNOTE(ブログ)を打ち込んでいきます。RECORDには2時間、NOTE(ブログ)には1時間くらいかけてやっています。NOTE(ブログ)は思索の場であったり、展覧会等の報告を兼ねた鑑賞の文章化です。頭に思い描いたことも文章化をしなければ、私は忽ち忘れてしまいます。展覧会は図録を読んで、自分なりに作品の感想をまとめます。その作家についての知識も学びます。図録に頼らず、観た印象をそのまま書くこともあります。RECORDもNOTE(ブログ)も昼間の公務員の仕事をしてきて、その夜にやっていることなので、なかなか厳しいところもあります。何より睡魔に襲われて、思考がストップしてしまうことがあるからです。じっとしていて動きたくない時も暫しあります。RECORDのような創作活動していれば、またNOTE(ブログ)を書くためにパソコンの画面を見続ければ、睡魔はやってこないはずですが、それでもうつ伏して寝てしまうのは如何なものでしょうか。自分でやりたいからやっていることなので、いつでも止めることは自由ですが、それでも意欲が勝ることは天晴れなことではないかと自分に言い聞かせて、今晩も睡魔と闘いながらこのNOTE(ブログ)を書いています。

週末 11点目の陶彫成形

9月最後の週末です。今月は4回週末がやってきました。今日の陶彫成形を含めると今月は5点の立体を立ち上げたことになります。週末の中に四連休があって、連休中に土台のための厚板材を一部切断し、全体構成を考える機会も持ちました。土台は三角形をした厚板材10枚で円形を構成する計画でいます。単純に三角形1枚の上に3点の陶彫部品を配置すると、合計30点の陶彫部品が必要になります。30点の陶彫部品のうち、3層になる部品や2層になる部品があり、そう考えていくと50点くらいの陶彫部品を作らざるを得ません。過去の作品もそんな程度の部品を集合させて構成してきたので、とくに驚くことではありませんが、この新作も例年以上に精力的に作っていく必要があり、毎月ごとに制作目標を決めて取り掛かっていこうと思っています。土台も現在は平面として床に置いていますが、これに全て段差をつけていく計画でいます。そうするために木材加工をする時間も必要で、これも考慮しなければならず、制作工程はなかなか厳しいものになることが分かってきました。今までの作品にも言えますが、余裕を持って終わったことが一度もないので、何年制作していても私は締め切りまで右往左往する運命なのかもしれません。今日は朝9時から午後3時まで11点目の陶彫成形に没頭していました。いつものように直方体をイメージしていましたが、三角形の厚板材の上に置くことを考えた結果、やや変形した直方体を作ることにしました。今後は変形した直方体を作ることが多いと思っています。四角錘も作ることになりそうです。今後は常に三角形の土台を念頭において造形していくことになりますが、形態イメージを整理しながら進めていこうと考えています。今日はいつも来ている2人の美大受験生がいました。工房を閉めるときはいつも彼女たちを車で送って行きます。

週末 彫刻の視点を考える

週末になりました。朝から雨模様の肌寒い一日でした。急に秋がやってきた感覚があって、加えてウィークディの疲労も相俟って身体が重く、一日を通して緩慢な動きになってしまいました。朝8時から午後3時までの7時間を工房で過ごし、新作の彫り込み加飾と残っていた陶土でタタラを数枚作りました。作業は毎回やっているものばかりで、手馴れたものでしたが、既に出来上がった陶彫部品が10点になり、厚板材による土台の一部も床にあったため、全体の配置やら構成をぼんやり考えて始めました。私の彫刻は床置きなので、高さや幅や奥行きを鑑賞者側の視点になって考えていくことがあります。とくに見る人の身長によって眼の高さが異なるため、立体の見え方は人によって変化があります。架空都市の風景を俯瞰させる場合に、それぞれの陶彫部品をどのくらいの高さに設定するか、林立する直方体をどう配置するのか、成人と子どもでは多少視点が違い、それによって与えられる印象も異なってきます。たった1点で見せていく彫刻作品ならば、それほど意識しない見え方が、集合彫刻として床に複数配置して、しかも場を設定する私の作品は、さまざまな条件によって作品の様子が異なってくるのです。撮影の時、カメラマンが脚立を使って上部から撮影した画像と、床に這い蹲って撮影した画像では、同じ作品とは思えない変化があります。もうひとつは陶彫部品と陶彫部品の狭間を眼で散歩する鑑賞方法もあります。それは個展の際にある鑑賞者から指摘されたことで、私自身が気づかされました。言わば私の集合彫刻はパノラマとして床に広がっているので、そんな遊び心を擽るのかもしれません。そんなことを考えながら、一日の作業ノルマをこなしていました。明日は11点目の成形になります。

「サーカス・シリーズ」について

先日、師匠である彫刻家池田宗弘先生の真鍮直付けの作品を久しぶりに見せていただきました。東京の東村山市立中央公民館で開催していた「池田宗弘展」は、初期の頃から最近までの作品を網羅してあって、私には先生の初期の頃の作品に印象深いものがあり、何度見てもその斬新な形態に感じ入ってしまいました。「サーカス・シリーズ」として一時期を形成する作品「不安定のなかの安定」は会場前のガラスケースにありました。サーカスに興じる道化師を、真鍮直付けの技法で作った彫刻には頭部がありません。鑑賞者は彫刻に頭部があると、つい顔の表情に目がいってしまい、人体全体を見ることがその後になってしまうのです。頭部がないことで私たちはいきなり全体を見て、その独特な形態を把握することになります。「不安定のなかの安定」の最初の印象は、まさに綱渡りをする人体で、しかも量感を削り取られたギリギリの人体です。細い人体と言えばA・ジャコメッティですが、ジャコメッティがモデルを観察し、それを塑造した結果として細くなったことに対して、池田先生の人体は周囲の空間を得ようとした結果として、量感をなくしていったように思えます。彫刻に光を当てて壁に落ちた陰影で見ると、ジャコメッティの作品は針金のようですが、池田先生の作品は陰影が作品の世界を雄弁に語ります。その最たるものが「サーカス・シリーズ」で、イスを積み上げてその上で逆立ちをする道化師は、まさに陰影こそ楽しい世界を作り出していると言えます。池田先生は学生時代、当初は粘土で人体塑造をやっていたそうですが、溶接や鍛金技術を得て素材を金属に変えました。金属は形態を細くしても空間にその姿を保つことができます。それはカタチとカタチの間に隙間を作り、それ故に大きな空間を確保できたのでした。先生の空間解釈は画期的なもので、学生だった私はそれをどう考えたらよいのか分からなかったことが思い出されます。あの頃の私は塑造によってカタチを膨らませることばかりを考えていて、量感こそ全てだったのでした。そこに空洞さえ厭わぬ「サーカス・シリーズ」や内臓に穴の空いた猫の群像がやってきて、その表現力に私は圧倒されてしまったのでした。たとえ尊敬する師匠であってもその表現には追従してはいけないと、私は自分に言い聞かせて、別の道を歩むことになりました。先生に対する感受と反発、これが今の私を形成してきたのだと思います。

2020年評壇に掲載された寸評より

ビジョン企画より出版されている新報の美術評壇欄に、私の個展の寸評が掲載されました。執筆を手掛けている美術評論家瀧悌三氏は、毎年必ずギャラリーせいほうに来てくださり、メモをされていきます。今回は瀧氏にお会いできずに残念でしたが、芳名帳に瀧氏の記載がありました。どんなことを書いてくださっているのか気になるところでしたが、新報が送られてきて、寸評を読ませていただきました。「陶彫。『発掘』シリーズⅫ。古代遺跡の出土品のような黒褐色のオブジェを創出。今回は床を這うヤマタノオロチみたいな長大物体がメイン。その先端は衝立の壁面を這い登る観。生き物じみている。意外性一杯。続く中品は三角台に角ばったオブジェ3つが乗る情景彫刻。小品は箱型三角柱4体。量の点で言えば、実に精力的な仕事。架空想像の疑似世界ながら。」毎回良い評価をいただいていると私は解釈していますが、今回は陶彫部品の集合体を、神話のヤマタノオロチにイメージを被せていただき、私自身も眼から鱗が落ちました。「生き物じみている。」という批評が「発掘~聚景~」の特徴を物語っているように思います。私の中で少しずつ生命体のような有機的な形態が生まれてきているのは確かで、それは年齢とともに具体的な表出になっているように感じます。もう一方でその不可解な生命体を制御する力も働いています。中品として書いてくださった三角形を基盤とした「発掘~突景~」は、まさに幾何学による形態のコントロールです。「量の点で言えば、実に精力的な仕事。」これが私による自分自身を示す制作姿勢で、焦らず休まず作り続けてきた結果だと自負しています。そんな制作の振り返りを行いながら、寸評の内容を私なりに勝手な分析をいたしました。失礼をお許しください。

台風接近でも野外イベント実施

私の職種を知っている人であれば、ここに登場する野外イベントがどんなものであるのか、予め見当がつくと思います。本来なら5月に行うイベントでしたが、新型コロナウイルス感染症の影響で、今月になって実施したのでした。野外イベントは密になるものを避けて、縮小したプログラムになりました。それでも一年に1回のイベントをどうしてもやりたいと私は思っていたのです。イベントは観客を入れず、私たち関係者だけで実施しました。しかも台風が接近している中で、一か八かの実施になりましたが、僅かに小雨程度で最初から最後まで滞りなく実施できたことは幸運としか言いようがありません。正直に言えば、今日は実施を強行した感が残りますが、それでも結果として実施して良かったと思います。感染症の影響で昨今は、さまざまな活動がICTを使ったものに変わろうとしています。これからの社会でリモートで仕事ができることは私も賛成ですが、感染防止が図れれば今までのような対面で何かを行うことも十分に意義があると思っています。今日の野外イベントはまさに対面の活動でした。私が創作している彫刻もデジタルな表現では全て賄いきれないものがあります。アナログとデジタルがあって、その双方の力を借りて表現していくものだと私は思っています。アナログにはアナログでなければ出来ない世界があり、眼の前で実際に起こっていることの空気を感じるのはリアルな世界があればこそです。今日の野外イベントも私の作る彫刻も、実際の空間を感じ取れるのは対面でしかありません。ひとり一人が感染症予防に努め、密を作らないように心がけて、対面としての活動が今後も出来ることを願ってやみません。

四連休最終日 新作の土台考案

今日で四連休が終わります。この時期に4日間連続の休暇があったことは、創作活動を進める上で有効だったと思っています。四連休は4日間ともずっと制作をやっていました。2日目に東京の東村山市立中央公民館に出かけましたが、その日も早朝から制作をやっていてノルマを果たしました。今日は朝9時から夕方4時までの7時間を工房で過ごしました。今日の午前中は新作の彫り込み加飾をやっていました。午後から新作の土台となる厚板材を切断して、全体の広がりと大きさを確かめました。厚板材は全て切断できたわけではありませんが、大まかな雰囲気を把握することが出来ました。新作は円形が土台になります。そこに陶彫による直方体を複数配置する予定です。私には数年前に作った「発掘~環景~」という円形の作品がありますが、大きな円形を使うのは今回で2回目になります。厚板材の円形に直方体を入れる穴を複数空けます。これは「発掘~環景~」よりさらに前に作った「構築~起源~」の発想で、土台の床下からカタチが立ち上がってくるように仕掛けます。この新作は陶彫部品を古代出土品のように作るので「発掘シリーズ」として分類しますが、もうひとつ円形を使う作品を考えていて、円盤を中空で支える構造にしようと思っています。これは「構築~内包~」や「構築~解放~」の発展形です。これは分類すれば「構築シリーズ」です。同じ円形を使っても来年発表する作品は「発掘シリーズ」と「構築シリーズ」をそれぞれ1点ずつ作ろうとしているのです。今年から来年にかけて制作方法は陶彫と木彫が半分ずつになるのかなぁと思っています。現在、陶彫制作を先行しているのは、陶彫には乾燥させる時間が必要だったり、最後に焼成があったりするためで、自分の頑張りだけではどうにもならないものがあるのです。そこへいくと木彫は自分次第で何とかなると思っています。「構築シリーズ」となる木彫作品はまだ始まってもいません。頭の中にイメージがあるだけですが、木材だけは準備しておこうと思っています。

四連休3日目 10点目の陶彫成形

四連休3日目になりました。今日は朝から工房に篭って、いつものように制作三昧でした。昨日タタラを準備したので、今日はそれらを使って10点目の陶彫成形を行ないました。気温が涼しくなってきたので、夕方3時まで作業を続けました。昨日、東村山市立中央公民館に行って師匠にお会いし、その作品展を見て刺激をもらって帰ってきました。真鍮直付けによる具象を追及する池田宗弘先生の世界と、陶彫部品を集合させ架空都市を構築する私の世界は、まるで異なっていますが、制作姿勢に関することは池田先生に学ぶことが多く、今後も素材に真摯に向き合っていく姿勢を持ち続けていきたいと思っています。常に作品に全力投球していくことが私のやり方で、一気呵成に作れないところは師匠と同じかもしれません。制作の途中で視点を変えると、次のステージになるであろう世界がやってくるのも同じで、それ故に池田先生も私も同一素材で何十年もやっていけるところが似ているなぁと思っています。先生が人のやっていない真鍮直付けを始めたことに関連して、私の陶彫もあまり人がやっていない技法で、自らのイメージを具現化するために修得した方法なのです。私の場合は最後の工程に焼成があります。人の手が入らない領域ですが、この擬似錬金術があるために陶彫は一層面白くなります。陶彫成形も彫り込み加飾も仕上げも化粧掛けも全て焼成の成功を祈願してやっているようなものです。ということで今日の陶彫成形は10点目に入りました。10点目は中くらいの大きさで、背丈が高い部品です。今日はいつものように美大受験生が2人工房にやってきていました。普段はそれぞれ高校に通っているので、この四連休はゆっくりできて楽しそうでした。夕方、彼女たちを自宅の近くまで車で送り届けました。

四連休2日目 東村山市立中央公民館へ

四連休2日目になりました。以前から計画していたことですが、今日は家内と車で東京にある東村山市立中央公民館へ出かけました。同館の1階会場で、私の師匠である彫刻家池田宗弘先生が個展を開催していて、午後2時からギャラリートークが予定されていたため、その時間帯に合わせて横浜の自宅を出たのでした。そうは言っても私は自らの創作活動の制作工程があって、今日のノルマを果たさないわけにはいかず、早朝5時半に工房に行って土練りと数枚のタタラを作りました。午前10時までに自宅に戻り、そこから車で出かけましたが、東名高速や府中街道で渋滞に巻き込まれて、東村山市に到着したのは午後1時半になっていました。片道2時間半、横浜から見れば東村山は遠方にあり、往復で5時間も私は車を運転していたことになりました。今年は東村山市立中央公民館の開館40周年に当たるそうで、文化・芸術シンポジウムも開催されていました。コロナの感染症で亡くなったコメディアン志村けんさんが東村山を有名にしたこともあり、初めて訪れた東村山は一目で暮らしやすそうな街だなぁと感じました。池田先生は今年81歳で、背筋がピンと伸びて元気溌溂な姿が見られて、私たちは安心しました。何と言っても先生は私たちの結婚式の仲人でもあるのです。ギャラリートークでは先生の若い頃の話があって、私はいつぞや聞いた話かもしれませんでしたが、改めて興味を持ちました。当時は24時間を8時間ずつ3つに分け、アルバイト、創作活動、生活に必要な時間に決めてやっていたそうで、そんな不安定な状態を「不安定のなかの安定」という作品に昇華したこと、それがサーカス・シリーズになり、また制作中に視点を変えることで、別のシリーズに発展したことなどを話してくれました。素材についても粘土で塑造をすることから出発して、金属を使うことで実際の量感を削り、隙間を空けられたことや、一場面の風景として造形が出来たことなど、真鍮直付けよる現在の作品に至る過程が印象に残りました。会場には数十人の鑑賞者がいて、ギャラリートークは盛況でした。彫刻は大小8点、スペインのロマネスク教会の扉のレリーフを描いたデッサンが数多く壁に掛けられていて、まさに池田宗弘ワールドが広がっていました。私は久しぶりに先生の作品に接し、刺激をもらいました。今日はここまで来て良かったと思いました。

四連休初日 彫り込み加飾の一日

今日から四連休が始まりました。創作活動に邁進するつもりですが、あんなに辛かった酷暑もなくなり、朝晩は凌ぎ易くなったため身体に疲労が出ているらしく、気力が今ひとつ保てません。それでも今日は朝8時に工房に出かけました。この四連休では新作の陶彫部品をもうひとつ作ろうと考えていて、それまでに彫り込み加飾が出来ていない数点の陶彫部品を早く仕上げてしまおうと思っていたのです。彫り込み加飾は制作工程では一番時間がかかります。成形が、立体として立ち上げる彫刻的な作業とすれば、彫り込み加飾は工芸的な作業です。彫り込み加飾は、文字通り陶土の表面に彫り込みを入れて文様を浮かび上がらせる作業で、土練りや仕上げの作業からすれば、成形の次に面白い作業です。彫り込み加飾を施すことで、自らの世界観が現れてくると言っても過言ではありません。私は陶土に粗い土を使っているため、緻密な加飾は出来ませんが、それでも2ミリ程度の彫り込みは可能です。ぼそぼそした陶土をヘラで処理しながら、コツコツとした作業を進めていきます。土練りのような腕や足腰を使う作業ではなく、身体を動かさない分、彫り込み加飾は蓄積された疲労が出易くなるのではないかと思っています。今日は午後3時までの7時間を只管彫り込み加飾に費やしました。ずっと座っていたため、うーんと伸びをして工房を後にしましたが、一日中彫り込み加飾だけをやっていると精神的に辛くなると改めて思いました。工芸家の方々の集中力は凄いものだなぁと感じます。夕方は家内と買い物に出かけ、職場で使うマスクなどを大量に買ってきました。フェイス・シールドも買ってみました。家内は植物の土などを買っていましたが、毎年個展に知り合いの呉服屋さんから大きな蘭の花が届きます。個展の後、自宅に飾っていますが、もう一度花を咲かせようと家内は奮闘しているのです。一昨年頂いた蘭の花が今年は咲いたので、目下研究をしている最中です。

横浜の「バンクシー展」

横浜駅に隣接するアソビルで開催されているバンクシーの全貌を示す展覧会は「バンクシー展 天才か反逆者か」というタイトルがつけられています。路上に描かれたバンクシー作品はすぐ消されてしまうだけに、世界中のコレクターから作品を収集しなければ成り立たなかった展覧会ではないかと思います。一口で言えばバンクシーの世界は、ストリート・ギャングから派生したならず者のアートと言っても過言ではありません。現代の抱える矛盾や問題を挑発的に発信するアートは、常に物議を醸し出し、バンクシー自身も謎に包まれているアーティストという存在を示しています。展覧会に出品された作品はじっくり鑑賞するものではなく、瞬時にプロテストを理解するもので、そうしたあらゆる場面での主張がバンクシーの世界の醍醐味と言えるでしょう。図録から引用します。「メッセージを発信するなかで、彼はサルやネズミ、警官、イギリス王族の人々といったキャラクターを繰り返し使用し、ステンシル(孔版画)の技法を用いてこれらを描いていく。そもそもこの方法を使うようになったのは、すばやく制作でき、警察に見つからないようにとの理由からであった。」という解説がある通り、バンクシーは風刺の効いた一撃をアートを媒体にして行っていました。バンクシーの言葉が図録にありました。「私にとって、グラフィティとは驚きだ。これに対して、ほかのアートは間違いなくどれも一歩遅れている。グラフィティの世界以外でアート活動しているとしたら、それは低いレベルでやっているということだ。ほかのアートは得るべきものが少ないし、意味も力もあまりない。」反抗的な動きをするアーティストは、一昔前から比べれば少なくなっているように思いますが、そんななかで活躍するバンクシーは評価に値すると私は考えています。アートは社会矛盾への発信という役割が確かにありますが、敢えて言えばそれだけではありません。即興的なグラフィック・アートばかりをバンクシーは言葉に取り上げていますが、そこは議論のあるところでしょう。いずれにしても世界的に話題性のあるアーティストがどんな世界観を持っているのか、一見する必要があると思います。

虎ノ門の「近代日本画の華」展

東京港区虎ノ門にある大倉集古館へこの歳になって初めて足を踏み入れました。若い頃から美術館巡りをしているにも関わらず、大倉集古館には行かなかったのが不思議なくらいです。調べてみると大倉集古館は日本で最初の私立美術館で、その独特な東洋的外観は建築家伊東忠太によるものです。内装は空想上の動物たちのレリーフのついた柱などがあって不思議な雰囲気があります。今回の展覧会は1930年にイタリアのローマで開催された日本美術展に出品された日本画の秀作を集めたもので、見応えとしては充分ありました。目を留めた作品としては竹内栖鳳の「蹴合」があります。二羽の軍鶏が戦う闘鶏の一場面を描いたものですが、体毛が逆立ち、目で相手を威嚇している様子は迫力満点でした。「これらの羽毛は、筆の穂にたっぷりと水分を含ませ、その穂先に絵具を吸わせて、筆をねかせて引くと、色彩のグラデーションが生まれる。これは円山・四条派の伝統的な〈付け立て〉と呼ばれる技法だ。」と解説がありました。次に印象に残ったのは河合玉堂の「高嶺の雲」です。一緒に行った家内が、屏風に広がった山脈の遠近感に感動していました。「何と壮大な空間であろうか。左隻に主峰ひとつ描かず、雲海のみで画面をもたせている。それはひとえに、右隻の主峰が力強く峻厳に描かれているからである。」解説の通りで、離れて本作を見ると空間の解釈の凄さがよく分かります。その他並んだ作品はどれも緻密で、表現に深さを感じさせるものばかりで、イタリアで日本画をアピールすることに文化国家の命運をかけていたのではないかと思いました。最後にこの巨匠を取り上げないわけにはいきません。その人は日本美術展代表を務めた横山大観で、当時の写真にはローマ展会場で羽織袴を身に着けて挨拶をしている大観の様子がモノクロ写真に写されていました。横山大観は「夜桜」という大作を出品していました。「大観は日本画の良さをイタリア人に示すため、琳派の要素を強く押し出そうとしたのだろう。~略~制作にあたり、大観は上野公園の桜を写生し、何度かの大幅な書き直しを経て一気呵成に本作を仕上げたという。」確かに「夜桜」を見ると派手な表現が目につき、いかにも外国人好みに合いそうな作風になっています。それでも高水準を保っているところは、さすが大観だなぁと思いました。

汐留の「和巧絶佳」展

東京新橋にあるパナソニック汐留美術館で開催されている「和巧絶佳」展に行ってきました。「和巧絶佳」とは何か、図録から引用すると「日本の伝統文化の価値を問い直す『和』の美、手わざの極致に挑む『巧』の美、素材の美の可能性を探る『絶佳』を組み合わせた言葉」だそうです。若い世代の12人の工芸家が出品している「和巧絶佳」展は見応えがあって、その精緻な技に思わず惹き込まれました。まず工芸とはどんな分野なのか、これも図録より引用します。「工芸とは、西洋的な意味での美術という領域から除外され、その周縁に位置づけられた種々雑多な造形表現が寄せ集められて形成された、いわば”寄り合い所帯”のようなジャンルということになる。~略~工業生産の規格化と量産化が進み、素材そのものの存在感が希薄な均質化された工業製品に囲まれた環境に慣れきってしまった現代の私たちにとって、手仕事の跡や素材感をそのまま表面にとどめた工芸の存在感は比類ないものといえる。~略~脱工業化社会のなかで手仕事に取り組む工芸家は、物質の表現者として人間の物質への欲望を喚起すると同時に、その代弁者として人間の物質への欲望を問いただすという背反する二つの役割を同時に担うようになったのであり、工芸には、人間の物質への欲望が両義的に映し出されているということができるだろう。」(木田拓也著)工芸は用途のある器を作るという概念が私にはありましたが、工業化時代から脱工業化時代を経て、人には手間暇をかけた手仕事への渇望があり、作品を手元に置いて美を享受したい欲求が、優れた工芸を生み出していることを理解しました。本展でも12人が12人ともその道で追求してきた成果が表れて、どれをとっても信じ難い表現と技巧が印象に残りました。私の好みで言えば、池田晃将氏の螺鈿を駆使した漆作品に度肝を抜かれました。小さいながら建築的な要素もあり、時間を忘れて見入ってしまうほどでした。もうひとつは鉄を使用した坂井直樹氏の作品で、錆と侘が幾何的な構成の中で凛とした佇まいを示していて、白壁に映えて美しいと感じました。まだまだ他の作品を取り上げればキリがなくなるのですが、「和巧絶佳」展ほど実物を見ることに価値がある展覧会はないと言えます。デジタルでは伝えられないものがそこにありました。