週末 第2ステーション制作

新作の陶彫作品は、屏風と床の双方を使って表現するもので、そこに陶彫部品が数多く設置される集合彫刻です。先月から床置きになる陶彫部品を作っていて、蒲鉾型の部品を連結させて網のように床を這っていくイメージを私は持っています。その這っていく根茎のような部品の中に、中心となる集合体が2箇所あります。それを私はステーションと呼ぶことにしました。一つ目の第1ステーションは4個の陶彫部品で構成しています。既に4個とも成形と彫り込み加飾を終えて、乾燥を待っている最中です。先日から第2ステーションを作り始めていますが、第2ステーションは10個の陶彫部品で構成する予定です。第1ステーションよりやや低めに設定しており、部品のサイズも小さめです。今日は朝から工房に篭り、第2ステーションの2個目の陶彫部品の成形を行いました。成形は陶土を立体にしていくので、私にとって最高に楽しい作業で無我夢中になって取り組んでしまう工程ですが、迫り来る台風の影響なのか今日は湿度が高く、いつもより汗が噴出してきました。シャツと頭に巻いた手ぬぐいを2回替え、それでも滴る汗を止めることが出来ませんでした。今日は朝から若いスタッフが2人来ていて、それぞれの課題に取り組んでいましたが、各人の体調を考えて昼ごろには近隣にあるファミリーレストランに涼を取りに行きました。9月に入ってもこの暑さには辟易しています。陶土の乾燥が早いため表面があっという間に硬くなり、彫り込み加飾がやり難くなります。加飾が終わらなければ、濡らした布を作品にかけて、さらにビニールで包まないと、次の週末までいい具合に陶土を保つことが出来ません。他の素材に比べると陶彫制作は陶土の管理が大変です。制作工程の最後に焼成があるため、陶土の乾燥具合を常にコントロールしなければならないのです。木彫や石彫を扱う作家は多いのに陶彫を扱う作家が少ないのは、こうした陶土の管理に問題があるのではないかと思うところです。ただし、最後に窯に入れて上手く焼きあがった時の喜びは格別で、陶彫は鎧を身につけた戦士のようになって私の手許に戻ってくるのです。それが味わいたくて、面倒な工程を粛々とやっているようなものです。今日は夕方4時に工房を後にして、スタッフを車で送りました。秋の涼しさが待ち遠しいこの頃です。

週末 六本木・銀座・上野を渡り歩く

今日は東京の博物館、美術館、画廊を回ろうと決めていました。後輩の彫刻家が二科展出品、同僚の画家がグループ展参加、その他見たい展覧会があって、二科展とグループ展の日程が合うのが今日しかなかったのでした。とは言え陶彫制作をしないわけにもいかず、朝8時に工房に出かけました。明日の成形準備のために大き目のタタラを4枚、陶土を掌で叩いて作りました。9時過ぎに自宅に戻り、汗になったシャツを着替えて、東京に出かけました。まず向ったのは六本木の国立新美術館。ここで二科展が開催されていて、私は後輩の彫刻家から招待状を頂いていました。彼の作品は合板を重ねた積層を利用した立体作品で、今年の新作は2m以上もある直方体を基本としていましたが、寧ろ曲面で構成された多面体と言える流動感のある柱でした。極めて彫刻的な造形で、シンプルにして豊かな空間を創出していました。昨年までの彼は工芸的な要素が目立つ作品を作っていましたが、今年は吹っ切れたような立体になっていて、彫刻として訴えてくるものがありました。今後の彼の活躍に期待したいと思っています。次に向ったのは銀座です。日本美術家連盟画廊で開催されていたグループ展に、私と同じ二足の草鞋生活を送る同僚が絵画を出品していました。青と白を使った抽象絵画ですが、描写行為のない平面作品は、絵画と言うより平面を媒体にした空間作品と、私は思っていました。とりわけ新作は絵の具を垂らしたり、滴らせたりしていて、彼は何か別の方向を探っているようでした。昨年まで次第に簡潔になっていく画面を見ていて、この先はどうなってしまうのだろうと思っていましたが、模索を繰り返すうちに、彼は新しい世界を開拓したのかなぁと感じました。次に向ったのは上野でした。全て地下鉄銀座線の途中下車の旅で、最後の上野に到着した時はクタクタに疲れていました。まず東京国立博物館本館へ。先日は平成館の「三国志」展を見たばかりでしたが、再びトーハクに戻って来ました。今日見たのは「奈良大和四寺のみほとけ」展。日本の仏像に接するのは久しぶりで、7月に見た魂漲る石川雲蝶の木彫群とも異なる世界は、奈良時代や鎌倉時代に奉納安置された仏像ゆえに、静かな佇まいが空間を支配していました。「奈良大和四寺のみほとけ」展に関しては後日改めて詳しい感想を書きたいと思います。最後に訪れた東京芸術大学美術館の「円山応挙から近代京都画壇へ」展は、かなり混雑していました。というのは芸大が大学祭(芸祭)をやっている最中で、模擬店やら出し物を見にくる人の往来が激しく、その影響もあったのかもしれません。日本画家円山応挙は写実に長けた人で、その流れを汲む画家も、それぞれが確かな描写力があって、西洋技法が日本画に巧みに取り入れられているところが面白いと感じました。「円山応挙から近代京都画壇へ」展も詳しい感想は後日に改めます。今日のNOTE(ブログ)のタイトルを普通に東京の展覧会巡りにしようと思っていたのですが、展覧会の場所がアートが集まる三大地域ということもあって、敢えてこのタイトルにしました。

「モディリアーニ」第2章のまとめ

「モディリアーニ 夢を守りつづけたボヘミアン」(ジューン・ローズ著 宮下規久朗・橋本啓子訳 西村書店)の第2章「旅からの霊感」のまとめを行ないます。第1章でモディリアーニは、スペイン系ユダヤ人としてイタリアの裕福な家庭に生まれたこと、病弱で生死の境を彷徨い、その都度母親のエウジェニアの献身的な看病を受けたこと、その折に読書や夢想に耽って芸術家としての下地が作られたこと等、モディリアーニの幼少期から少年期に到る生育歴が綴られていました。第2章ではイタリア各地を旅するモディリアーニが描かれていますが、まだ母親の保護下にあって、着実に画家への道を歩み始めていたのはよく分かりました。私が注目したところはモディリアーニが画家になる前に彫刻家を志していたことがあって、その箇所も引用したいと思います。まずは前章の確認のような文章を引用します。「エウジェニアは彼を甘やかし、不安定きわまりない将来に生きる望みを抱かせようとした。彼女は彼が健康になってくれさえすればよかったのである。~略~エウジェニアが驚いたのは、彼は普段移り気で落ち着きがない子だったのに、ギリシャやローマの美しい彫像に感嘆しながら何時間でもじっと立ち尽くすことであった。」モディリアーニはオーストリアに登山に行く予定もあったようですが、結局都市から離れることはありませんでした。「生涯を通じて彼に最良の作品を生む霊感を与えたのは都市の喧騒であった。彼は健康と自信を回復するにつれ、芸術家として感性と、療養による制約やエウジェニアの息苦しいほどの献身的態度との相剋が明瞭になってきた。」ここで彫刻制作についての文章がありました。「彼は暑い夏にリヴォルノに帰り、彫刻家になるという野望を大胆にも実行に移そうと努力をした。~略~彼は有名な大理石の石切り場カラーラから5マイル下がったところにある小さな美しい街ピエトラサンタに宿をとり、三点の素朴な彫刻、二点は頭部で一点は胴体、を制作した。~略~石のほこりは彼の喉を害して咳をさせ、また制作はきつくて退屈であったが、こうした人生の早い時期にのみと槌を使って制作したために、モディリアーニは素材を尊重し、石を用いる芸術家だけでなく職人にも敬意を抱くようになったのである。」モディリアーニの数少ない彫刻は私に感動を齎せてくれました。アフリカの民族彫刻に見られるようなプリミティヴな力が宿っていると感じたからです。パリに旅立つ前のモディリアーニの外見を描いた一文がありました。第3章に入る前にこれを引用いたします。「(画家兼文筆家)ソッフィーナはモディリアーニの『優美な容貌と優雅な外見』に感銘を受け、少ししか食べず、ワインを水で割り、『偉大なる平静心』を持つ優しく行儀のよい少年としてこの画家を記憶している。後半生のモディリアーニは、苦悩に満ち、取り乱した男として登場するが、これは初期の彼は穏やかで落ち着いた若者というイメージと興味深い対照をなしている。」

「モディリアーニ」第1章のまとめ

先月の終わりから「モディリアーニ 夢を守りつづけたボヘミアン」(ジューン・ローズ著 宮下規久朗・橋本啓子訳 西村書店)を読み始めています。第1章は「家族の絆」というタイトルがつけられていて、モディリアーニの生誕から美術への道に進むようになった契機や青年時代の印象が書かれていました。文中からモディリアーニの成育環境を調べていきます。「彼の両親は二人とも、古い家系のスペイン系ユダヤ人であった。彼がパリで会うことになるマルク・シャガールやシャイム・スーティンはともにユダヤ人で東欧の窮迫化した寒村の出身だが、彼らと違ってモディリアーニはゲットーの生活と無縁であった。彼が生まれたのは特権的な家であり、彼はイタリアでは反ユダヤ主義に接したことはなかった。」さらに両親の結婚について触れた部分を書き出します。「1872年1月エウジェニア・ガルシンとフラミーニオ・モディリアーニはリヴォルノの中心にある壮麗なバロック様式の教会で結婚し、エウジェニアは後にすべての子供たちが生まれることになるローマ通りにある広いヴィラ(別荘)の一部に移り住んだ。~略~アメデオ・クレメンテ・モディリアーニは1884年7月12日に生まれた。アメデオという名前は『神に愛された者』という意味だが、この赤子は最悪の時期にかろうじて生まれてきたのであった。~略~エウジェニアは金策に奔走していた。それというのも、いつしかモディリアーニ家の商売は経営が傾き、1884年には国中が不況となり、モディリアーニ家は破産した。」モディリアーニは学齢期を迎え、病弱な体質ゆえに母エウジェニアの手を煩わすことが頻繁にありました。「彼はほとんどこの世離れした美しい容貌とぱりっと整えられた優美な衣裳によってほかの生徒から抜きん出ていた。~略~1895年、11歳になった夏に彼は肋膜炎を悪化させた。~略~その間にアメデオは読書と夢想に耽り、それはエウジェニアを戸惑わせ、興味を引くほどになった。『この子の人格はまだ固まっていないので、私はなんと考えればよいのかわからない。甘えん坊のように振る舞っているが、知性を欠いてはいない。この蛹の中に何が潜んでいるのか、待っていて見ることにしよう。ことによると芸術家だろうか』」母エウジェニアの予言が次第に現実味を帯びてきます。「14歳になったばかりのアメデオは絵の勉強を喜んだが、この家族は不運につきまとわれていた。美術学校が始まるとすぐ彼は重い腸チフスにかかった。これは当時は不治の病とされていた。数週間で重態となり、1か月すると意識朦朧となった。伝説によると、このときアメデオは画家になりたいという熱意を表明したということである。」母エウジェニアの献身的な看病によって一命を取り留めたアメデオは、美術への道を歩んでいくことになるのです。第2章ではイタリア各地を旅して、モディリアーニはいよいよ画家としてスタートしていくことになります。

9月RECORDは「連繋の風景」

「れんけい」という漢字表記は「連携」を一般的に用いますが、敢えて「連繋」にしたのは繋がりをRECORDで表現したい意図があるからです。専門家集団で構成されている私の職場でも、常に連繋を意識して組織的な動きをしています。お互いが補い合えるというメリットがあるため、日々連繋する場面が多くあります。今月に入って仕事が本格化した今、私の頭にあるのは職場の連繋ばかりで、他の言葉を思いつかなかったというのが本音です。職場で行われている連繋の場面を、私は造形的に形や色彩を用いて象徴的にRECORDにしていこうと思っています。RECORDになった作品は抽象化していたり、別のモチーフを利用していたりしますが、テーマとして掲げているのは、自分の身の回りにあることが多く、動機としては日常生活から発生しているのです。そうでなければ、日々RECORDを作ることは出来ません。RECORDは一日1点ずつ作っていて、もう10年以上続く長期的規模の作品ですが、アーカイブを見ていると、その時どんな思いで作った作品なのかが思い出されてきます。身近なテーマを象徴的に表現している証拠かなぁと思います。週末ごとにやっている陶彫制作は完全なるイメージ世界の産物ですが、RECORDは抽象化や象徴化された日常風景だと言えます。現在は下書きが先行するRECORDですが、過去の下書きに仕上げを施す際は、その時の気持ちまでも振り返りながら作業をしているのです。そうならないように一刻も早く山積みされた下書きを仕上げて、通常のRECORD制作に戻したいと願っています。

9月の制作目標を考えていたら…

9月の制作目標を立ててみました。屏風と床置きの双方で見せる新作を現在作っています。先月の制作目標に屏風になる厚板のことについて触れていますが、今月は厚板を加工するところまでいけるでしょうか。床置きになる陶彫部品が4個で構成される第1のステーションに続く、10個で構成される第2のステーションを現在作っていますが、これだけでも今月いっぱいかかりそうです。あるいは第2ステーションは今月だけでは終わらないかもしれません。でも頭の片隅では屏風の下書きをやってみたいと思っていて、幸い三連休が2回あるので、陶彫制作の傍らで下書きくらいは出来るかなぁと思っているのですが、どうでしょうか。今月は見たい展覧会もあるので、制作時間を削って東京に出かけようと思っています。鑑賞を含めてあれもこれも欲張り過ぎですが、芸術の秋になるとアートで心が高揚します。涼しくなればウィークディの夜も工房に通って陶彫部品の彫り込み加飾は出来るかなぁと思うところです。ただし、下書きの山積みが解消されないRECORDをどうするか、思い切って週末の一日をRECORDの山積み解消に使ってみるか、これも気になるところです。何かに絞ってやっていかないと、結局何も解消できずに1ヶ月が過ぎていくことになってしまいます。優先順位をつければ、まず第2ステーションの完成、次に屏風の下書き、次にRECORDの山積み解消。ついでに鑑賞と読書。毎月変わり映えがしませんが、これでいこうと思っています。実はこんな制作目標を仕事からの帰り道に考えていました。今晩は雷鳴が轟き、夜空に稲妻が光っていました。横浜市で停電している地域があると情報が流れていましたが、自宅に帰ってみると我が家は停電真っ最中で、家内は蝋燭を灯して待っていました。え?停電なの?東日本大震災の時も計画停電に当たると思っていた我が家は、停電もせず、何も問題なく過ごせていましたが、今日に限って停電なのかと少々焦りました。電気がないと何も出来ない現代人の悲しさで、夕食は車で近くのファミリーレストランに行きました。同じ横浜市旭区内でも停電していない地域があったのでした。9時半ごろに電気が復旧しました。このNOTE(ブログ)が書けるのも電気のおかげです。文明の有難さを感じつつ、頭の中は即刻、今月の制作目標に戻ってしまいました。

映画「風をつかまえた少年」雑感

映画「風をつかまえた少年」を昨日観てきました。本作の舞台になったアフリカのマラウイという国を私は知りませんでした。21世紀になった今日まで開発途上にあったこの国の、映画で描き出されたリアルな状況を知って、唖然としたのは私だけではないでしょう。撮影はマラウイの農村を使ったそうで、乾燥した土壌が強風に舞い上がる場面も、まさにマラウイの気候風土そのもので、洪水と干ばつを繰り返す状況に言葉を失いました。図録にあった国の説明を引用いたします。「マラウイの都市部では電気を使う家庭も多いが、農村部の電化率は現在も4%に留まる。調理には木を伐採して薪を利用するのが一般的で、夜には灯油ランプやろうそくなどを使用することもあるが、基本的には暗くなったら就寝する家庭が多い。乾電池を使用するラジオ以外の家電製品は農村部ではなかなかお目にかかる機会もない。このような食糧・教育・電化事情がある中で、学校を中退せざるを得なかった少年が、風力発電に取り組み、食糧増産を目指すということが、どれだけ切実な課題だったのか、そしてどれだけ画期的なことであったかがお分かりになるかと思う。」(草苅康子著)父親役のベテラン俳優が監督や脚本も手掛け、息子役の主人公は一般公募から選ばれた少年で、その自然な家族の演技に心酔しました。主人公になったウィリアム・カムクワンバ氏の原作が本作の基になっていますが、氏のインタビューで「完成した映画を観てとても感激した。でも心境は複雑で、というのも僕と家族がくぐりぬけなければならなかった辛い体験を再度思い起こすことになったから。」とありました。それだけ映画はリアルな現状を伝えていると私は判断しました。最後に解説を担当している池上彰氏の言語についての一文を引用いたします。「現実のマラウイではチェワ語と英語が、まるでちゃんぽんのように話されています。映画でも、その点は忠実に再現され、登場人物たちは、英語とチェワ語で会話しています。観客にわかるように英語を使っているのではないのです。」現地出身の俳優ならともかく、そうでない人は言語を覚えるのは大変だったろうなぁと思いました。

9月最初の週末に…

9月最初の週末になって、今日は新作の床置きになる10個の陶彫部品で構成するステーションの1個目の成形を行いました。昼前に家内と映画を観に出かけ、映画館から帰ってきてから、再度工房に行って制作の続きを行いました。映画鑑賞は通常ならレイトショーに行くところですが、観たい映画が11時過ぎに始まることを知って、陶彫制作の合間に横浜のミニシアターに出かけたのでした。観た映画は「風をつかまえた少年」というイギリス・マラウイ合作による映画で、実話を元に作られていました。主人公ウィリアム・カムクワンバ氏は、現在も農業や教育に携わっている人で、2013年のタイム誌「世界を変える30人」にも選出されています。アフリカ南東部に位置するマラウイ共和国は、旱魃による被害でトウモロコシの収穫が出来ず、貧困に喘いでいたところをカムクワンバ少年の知恵で風力発電を起こし、農産物に水を与える快挙を起こしました。それも2001年のことですから、本当に最近のことだったようです。これは無学な父親を説得して、息子を学校に通わせた母親の隠れた存在が描かれていて、その故に学校で知識を得た少年の行動によって、村々が救われたと解釈できます。教育の大切さを考える機会になった映画という評価を私は持ちました。学校教育に携わる者は一度は観た方がいいかもしれません。詳しい感想は後日改めます。今日は「映画の日」でもあり、また人気のある映画だったようで、上映間近にはチケットが完売していました。私たちは早めに出かけたので、チケットが買えてラッキーでした。午後2時に工房に戻ってきて、陶彫制作を再開しました。取り組み始めた2つ目のステーションは背丈のやや低めの作品で構成されますが、背丈の高低に関わらず、手間暇は同じようにかかっていて、これを10個も作るのは先が長いなぁと思いました。9月いっぱいはこれにかかりっきりになってしまいそうです。9月の制作目標は改めて考えていこうと思います。

週末 8月を振り返って…

週末になり、朝から工房に出かけ、陶彫制作に没頭していましたが、今日が8月の最終日なので、制作や鑑賞が充実していた今月を振り返ってみたいと思います。今月はお盆休みがあったので、職場の仕事を少なくしていて、その分創作活動をしたり、どこかへ鑑賞に出かけるのは絶好の機会になっていました。私は夏季休暇を利用して兵庫県や徳島県に出かけました。その前にまず、今月の陶彫制作のことについて書きます。新作は屏風と床で空間構成する作品ですが、床置きの陶彫部品4点が一塊になる作品を作りました。成形と彫り込み加飾を終えて、現在は4個とも乾燥を待っている状態です。この一塊を私はステーションと呼んでいます。今日は次のステーションについて計画を立てました。次のステーションは10個の陶彫部品で一塊になる予定ですが、背丈を低く設定することにしました。床に広がる大きな蓮の葉のようになるイメージです。ステーションからステーションへ根を這わす予定ですが、これは茎と言った方がいいかもしれません。RECORDは頑張ったつもりですが、下書きの山積み解消は出来ていません。これが今月の反省材料ですが、陶彫制作に関しては及第点かなぁと思っています。鑑賞は充実していました。まず、兵庫県の姫路城、そして徳島県の大塚国際美術館は特筆に価するほど強烈な印象を持ちました。その都度NOTE(ブログ)に感想をまとめているので、参照戴ければ幸いです。その他美術展では「三国志展」(東京国立博物館)、「ギュスターヴ・モロー展」(あべのハルカス美術館)、「北斎展」(そごう美術館)に行きました。映画では「田園の守り人たち」(岩波ホール)、「天気の子」(TOHOシネマズららぽーと横浜)、「ヒューマン・フロー」(シネマジャック&ベティ)に行きました。展覧会3つ、映画3本は1ヶ月としたら多い方で、内容も良かったと振り返っています。読書はヨーロッパ文化を扱った書籍を読み終えて、現在は画家モディリアーニの伝記を読んでいます。来月は職場の仕事に本腰を入れなければなりませんが、創作活動や鑑賞は今月並みに続けられたらいいなぁと願っていますが、果たしてどうでしょうか。

「モディリアーニ」を読み始める

「モディリアーニ 夢を守りつづけたボヘミアン」(ジューン・ローズ著 宮下規久朗・橋本啓子訳 西村書店)を読み始めています。ユダヤ系イタリア人の画家アメデオ・モディリアーニは、首が極端に長く、目には瞳を描いていない独特な女性像をテーマに、象徴的な絵画を描いてきた画家で、20世紀初頭のパリで興ったエコール・ド・パリの代表的な人物です。多量に飲酒し、薬物への依存、不摂生で荒廃した生活を続け、享年35歳でパリに散ったことでも有名です。没後、日本でも展覧会が開催され、数多くの絵画が日本の美術館に収納されています。私も幾度となくモディリアーニの絵画を見てきました。最初は彫刻家志望だったモディリアーニは元々病弱で、力仕事や粉塵に耐えられず、彫刻家は諦めたようですが、画家としては夭折したにも関わらず、現在は近代美術史に名を連ねる人物になっています。ただし、私はモディリアーニ本人の成育歴や画歴を知らず、エコール・ド・パリというグループの活躍でしか認識がありません。前にキスリングの展覧会を見に行った折、モディリアーニについても調べてみたくなったのでした。以前どこかの企画展で、私はモディリアーニの彫刻を見ています。その時は単純化された頭部が美しいと感じました。彫刻家ブランクーシとも交流があったようで、抽象化したカーヴィングにはアフリカ民族美術に見られるような生命感溢れるプリミティヴな魅力がありました。この時代の簡潔化した彫刻は、今でも私に刺激を与えてくれています。モディリアーニの絵画は、この時作っていた彫刻より発想した形態にあるのではないかと思っています。ピカソもモディリアーニも愛したアフリカの民族美術。実は私も大好きで、アフリカの木彫の仮面を集めています。そんなモディリアーニの画歴も知りたくなって、本書を読むことにしました。通勤の友には格好の書籍です。楽しみながらモディリアーニの破天荒な生涯を紐解いていきたいと思います。

陶板による「快楽の園」雑感

20代の頃、ウィーンに暮らしていた私は、鉄道を乗り換えてスペインの首都マドリードまで出かけていき、プラド美術館に立ち寄ったことがありました。その時にヒエロニムス・ボスの代表作「快楽の園」を見たはずですが、覚えていないのです。ボスの絵画は、私が当時在籍していたウィーン美術アカデミーの併設美術館にもあって、学校の工房を抜け出して頻繁に見ていたので、プラド美術館の有名な作品を見逃すはずはないと思っているのですが、どうしたものか記憶にありません。もう一度ヨーロッパに行ける機会があれば、ぜひ見たい作品のひとつですが、先日出かけた大塚国際美術館で、陶板による「快楽の園」がありました。これにはちょっと感動しました。「快楽の園」は、中央画面と表裏に描かれた両翼からなり、閉じたときは「天地創造」、開くと左が「エデンの園」、右が「地獄」、そして中央が「快楽の園」になっています。大塚国際美術館ではこの三連祭壇画が自動開閉していて、暫し眺めながら佇んでしまいました。内容としては左から右へ画面を移行すると、人間が堕落に向かっていく過程があって、快楽を貪った結果として地獄に堕ちていく様子が描かれていると、私は解釈しています。資料には「ありえない異種配合と転倒の戯画」や「倒錯した性の含めて、あらゆる種類の官能の快楽が戯画的に描かれている」と解説にありました。そこに私は面白みを感じているのです。「快楽の園」は、当時のネーデルランドに流行した神秘主義の世界観ではないかと推察する説もあり、この時代にしてはあまりに幻想的で空想的な捉えに、現代の眼から見ると新鮮な驚きがあるのです。描かれている摩訶不思議な生物は、西欧的なモンスターの始源かもしれず、現代ではゲームに登場するキャラクターに近いと感じます。いずれにしてもプラド美術館を再訪して、どうしても見たいと思っていた「快楽の園」が、複製品とは言え、思わぬところで見られたことがラッキーでした。

陶板による複製絵画の意義について

夏季休暇を利用して徳島県にある大塚国際美術館に出かけ、大塚グループによる大掛かりな陶板による複製品に接してきました。西洋絵画を環境展示、系統展示、テーマ展示と分けて美術史に残る作品を全て網羅している美術館の全容は、特筆に値すると思いました。数時間で古代から現代まで高水準を誇る美術品を見て回るのは結構辛いと感じましたが、それでも緻密な複製品を前にして、オリジナルと相違が分からないほど技巧的には完成していて、寧ろ絵画的内容に関する感動さえ齎せてくれました。これなら時間の推移や環境風土によって失われていくオリジナルを、陶板に転写することで保存可能となります。そんな同館の取り組みは、世界に類のない素晴らしさではないかと私は感じました。そもそも私たちが美術品を鑑賞できるようになるまでに、人間の歴史にはどんな変遷があったのか、同館で購入してきた資料に興味深い記述がありました。同館で監修に当たった学者の文章です。少々長いのですが、引用いたします。「信仰にかかわる奉納品はタブロー画のようなもち運び可能なものではあっても、その目的と機能を維持するためには納められたところから動かすことのできないものだったのである。このような状況はローマ時代になっても、またキリスト教の時代になっても神殿や教会堂に納められた彫刻・絵画に関する限り変わることはなかった。~略~ヘレニズム時代に入るとギリシャ世界は大きく拡大し、東方との交易などによって活発な経済活動が行われるようになる。人々の生活水準は以前と比べるなら格段に向上し、王侯貴族だけでなく富裕な一般市民も自分たちの住宅を美術品で装飾することが流行した。~略~このような一般市民の需要に応えるために美術工房では複製品が大量に製作されるようになったのであり、そのような現象のなかで複製技術も向上していった。~略~美術品の動産化は、美術品が置かれていた環境のコンテクストから脱却させることであり、美術品の有する造形価値が美術品評価のおもな基準として浮上するようになる。このような状況は18世紀末に勃発するフランス市民革命と無縁ではない。自由、平等、友愛の実現を目指した市民革命は、社会と市民の基本的権利を明確にしており、それは地域や民族がもつ歴史コンテクストの上位にあるものと認識された。それゆえに近代世界においてひろく認知され普及したのである。美術品がその造形価値によってもっぱら評価されるようになった文化状況と、基本的人権が認められるようになった社会状況との関連性を如実に示しているのがルーヴル美術館の一般公開である。」(青柳正規著)複製絵画の意義を歴史を絡めた大きな視点から述べています。同館の環境展示は動産化不可能な壁画に関しても、陶板により複製品を作っていて、心底驚くと同時に貴重な記録であることは疑う余地もなく、ただただこれを複製した人々の努力に敬意を表する次第です。

姫路城に見る城郭石垣について

今月出かけた兵庫県の姫路城で、その美しさもさることながら、私が注目したのは城郭の石垣でした。これは昔行った九州の熊本城で、石垣の反りの美しさに溜息が出たことを思い出しましたが、姫路城の石垣も多様な相貌を見せてくれていて、美しさの余り暫し疲労を忘れました。若い頃から建築や土木に興味があった私は、父が造園業という生育環境にもその要因があったのかもしれません。姫路城の思い出に城郭石垣についての資料を、彼の地で購入してきました。そこには城郭石垣は接着材料を使用しない空積みで、法(ノリ)という傾斜と反(ソリ)というカーブが特徴と書かれていました。石垣の構成としては表面から順に築石(ツキイシ)、裏込(ウラゴメ)、盛土で構成され、姫路城は小丘陵を削って石垣を築いているため、盛土だけでなく岩盤を利用している箇所もあるそうです。石垣の隅角部分も気になりました。これは長方形の石材を長短交互に組み合わせて強度を高めており、これを算木(サンキ)積みと呼ぶそうです。石垣の分類としては、石材の加工度から自然石を使う野面(ノヅラ)積み、粗加工を施した割り石の打込みハギ、鑿などで整形加工した切込みハギの3種類がありますが、姫路城はそのいずれも見ることが出来て、まさに石積みの博覧会のようです。資料には石垣の歴史に触れた部分がありました。弥生時代の墳丘墓や古墳の石室など、石積み技術の歴史は古いのですが、城郭に用いられるのは7世紀以後で、姫路城に見られる近世城郭の石垣は、織田信長から豊臣秀吉へ続く「織豊系(ショクホウケイ)城郭」の石垣技術が全国へ広まったものだそうで、ここにも石垣技術の博覧会があって鑑賞者を楽しませてくれました。関が原合戦後には、石材が自然石から加工石材へと変化し、高くなる石垣に合わせて傾斜も急になり、反りの発生と算木積みの発達が進んだのでした。城郭石垣を鑑賞の切り口にして眺める各地の城も面白いのではないかと、私はこの時思いました。石垣に使用する石材、城の建築に使用する木材、屋根の瓦や漆喰に使用する土、どれも日本の風土が齎せてくれる素材ばかりです。そこに最高の職人技があって完成する城は、私たちの文化の誇りとするものではないかと考えます。その城の中でも白鷺に喩えられる姫路城を、今夏鑑賞できて良かったと思いました。

映画「ヒューマン・フロー」雑感

現代社会の問題をいきなり突き付けられたような刺激的なドキュメンタリー映画を観ました。タイトルは「ヒューマン・フロー 大地漂流」。現代美術家であり社会評論にも通じた中国人アイ・ウェイウェイの監督したもので、地球規模で難民を扱っている壮大なものでした。貧困・戦争・宗教・環境などで増え続ける難民たち。昨年は6850万人に上り、増々深刻化していますが、難民の受け入れを拒む国も増えているのです。本作の導入では難民たちが辿り着いたギリシャの海岸から始まり、流離うシリア難民、ガザに封鎖されるパレスチナ人、ロヒンギャの流入が止まらないバングラデシュ、ドイツの空港跡を使った難民施設や、広大な土地に広がる難民テントの群れ、アメリカとメキシコの国境地帯など、ドローンによる空撮やスマホによるリアルな映像が本作のほとんどを占めていて、それだけでも人々が生きていく切羽詰った日常が切り取られていました。図録にこんな文章がありました。「アンデルセン(編集者)は、人間として最も基本的といえる、生きることについて、そして家族への愛情に焦点を当てたと話す。『こういった映画は、とても簡単に感傷的なものになってしまう。映画のなかで、難民たちを被害者としてカメラに収めることだけは避けたかった。私とアイ(監督)は、そのような安っぽい同情を越えて、同じ人間として彼らを認識してもらいたかったのです。人々が作りだす大きな流れを、歴史の一部、そして世界の一部として映し出すのと同時に、《どんな世界を求めるのか》と問いかけてきます。これはとても感動的なことです。』」監督をしたアイ・ウェイウェイの言葉から拾ってみます。「私は生まれて間もない頃に、父が反共産党として国を追放されました。家族全員で人里離れた場所へ強制的に送られ、すべてを諦めねばなりませんでした。私は人間に対する最悪の仕打ちである、差別、虐待を見て育ったのです。~略~難民たちが私たちとなんら変わらない人々であるということを知ってもらうために、努力しなければいけないと感じています。難民はテロリストではなく、そういう考えがテロリスト的なのです。彼らは普通の人間に過ぎず、痛み、喜び、安心感や正義感は私たちのものと全く変わりません。」国を追われたアイ・ウェイウェイだからこそ難民に着目し、撮影できた作品とも言えると私は思いました。私たち日本人も外国籍の人々と接する機会が増えてきました。観光客と違い、生活者である彼らとは、風習や文化の違いによる衝突も多少ありますが、お互いが心地よい関係になれるように努力することは必要だと感じています。漂流した先で漸く辿り着いた日本に愛着を持ってくれたら、地域住民としてこれほど嬉しいことはありません。

週末 陶彫加飾&お礼状宛名印刷

今日は朝から工房に篭りました。昨日の午後作業するはずだった成形の最終的な詰めを朝のうちにやりました。陶彫成形の内側から紐状にした陶土を貼りつけて補強をした後、表側から板で叩いて形を整えます。形は立体として納得できるようにあらゆる方向から叩いて自分のイメージに近づけていきます。彫刻的な工程としてはこれが一番楽しい作業なのです。私はイメージをデッサンせず、いきなり彫塑として捉えていく方法を取っています。平面デッサンをすると描写に夢中になってしまい、立体的な捉えが私には今ひとつピンとこないのです。形が納得できたら、表面に彫り込み加飾を施していきます。これは陶土を掻き出しベラで彫っていく工程で、言わばレリーフですが、立体的な捉えというよりは平面性が強いと感じています。全体の形を作っている時のように周囲を回りながら作ることはせず、作品の面から面へ移動しながら彫り込んでいきます。これは我慢を強いる作業で、粘り強く取り組んでいきます。昼ごろになって工房の気温が上昇したので、休憩を兼ねて近隣のスポーツ施設に出かけて水泳をしてきました。1時間程度で工房に帰ってきて、作業を再開しました。夕方4時になると頭がクラクラしてきたので、今日の作業は終了にしました。酷暑の中で7時間、現在の気候を考えるとこれが限界かなぁと思っています。この季節は乾燥が早いので、陶彫部品に水を打ってビニールをかけて陶土の乾燥が緩やかになるように配慮しています。夜は7月個展のお礼状に宛名印刷をしました。芳名帳を見ていると、ギャラリーせいほうが案内状を送った人たちは住所や氏名が判断できず、申し訳ないことですが、私の知り合いだけにお礼状を送ることにしました。このNOTE(ブログ)を読んでいらっしゃる方で、お礼状が届かなかった方がいましたら、御容赦いただけると幸いです。早いものでギャラリーせいほうの個展から1ヶ月以上が過ぎました。今日も精を出して新作に取り込んでいましたが、創作活動が未来永劫続けられるとしたら、こんなに幸せなことはないなぁと思っています。また、来年もよろしくお願いいたします。

週末 陶彫成形の後、映画館へ…

週末になりました。今月は夏季休暇を取ったので鑑賞が充実していますが、今日も陶彫制作の後で横浜のミニシアターに出かけました。朝8時に工房に出かけ、予め準備しておいたタタラを使って、4個目の陶彫成形を行ないました。昼頃、自宅に戻ったら母親がいる介護施設から電話があって、母が転倒して顔が腫れているとのことで、家内も私も急遽午後の予定を空けて介護施設に向いました。近くの病院が見てくれる手筈になっていると施設の職員が言うので、母を車椅子に乗せて病院に向いました。CTスキャン等やっていただいて骨には異常なしと医者に判断されて、ホッと胸を撫でおろしました。90代の母は何があっても不思議ではないと思っていたので、これは想定内ではあったのですが、心穏やかでなくなったのは確かでした。午後は工房に行って明日の作業の準備をして、今日は陶彫制作を終えることにしました。本来なら夕方まで作業をしようと思っていたのですが、出鼻を挫かれた感じになってしまいました。家内も午後の演奏活動を休みました。家内は明日も演奏活動があるので、自宅でゆっくり休んでいたいと言っていました。そこで私一人で常連のミニシアターに出かけることにしました。観たかった映画は「ヒューマン・フロー 大地漂流」で、現代美術家であり社会運動家としても知られる中国人アイ・ウェイウェイが監督をしています。テーマは世界中の難民が置かれている現状を浮き彫りにする刺激的なドキュメンタリーでした。私たち日本人は難民の困難な状況に直面することなく、普通のことを普通に出来る平和な日常を過ごしています。これがどんなに貴重なことか、戦火を避けて母国を捨てざるを得ない多くの難民の映像を見ていて、改めて感じた次第です。多くの庶民は、どの民族であっても家族と共に平和に暮らしたいのです。宗教や文化の違いはあっても平和に対する願いは一緒です。「これは”難民の危機”ではなく、”人類の危機”なのだ。この映画が人間性、社会の真意を理解するのに役立つことを願う。」ウェイウェイ監督の言葉が全編を通して重く圧し掛かりました。ウェイウェイ監督自身も反共産党として中国を追われている立場です。ドキュメンタリーはありのままの現実を描き出しますが、あくまでも映像なので、耐え難いような体験も映像を通してしか語ることは出来ません。それでも世界各地で起こっている事実に眼を向けることは出来るはずだと私は感じました。そんなことを思いながら2時間20分の映像を目を凝らして観ていました。詳しい感想は後日改めます。

「螺旋の文化史」&読後感

「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)の第五部「螺旋の文化史」についてのまとめを行います。この第五部が本書の最後の部分になり、全体のまとめにもなっているので、読後感も合わせて書いていきます。最後は宗教と愛の表現でヨーロッパの形を締め括っています。まず、聖性の形として教会の塔を扱っているところに留意しました。「ヨーロッパでも教会の鐘塔などはまっすぐな造形が多く、ただ、屋根を急勾配にしてさらに尖塔をつけている。そのまっすぐな塔を昇ってゆくのに螺旋階段がある。樹木や柱に蛇や蔦が絡まるのが本来の自然の形である。そして柱は下が太く、上へゆくと細くなる。日本では法隆寺の五重塔でも下の階がそれほど違わない。そして中に階段はない。ヨーロッパではまっすぐな塔をつくって、その中に螺旋を隠した。内部で螺旋が回っていく円筒である。そとからは内部の回転運動は見えない。」そこから迷宮や渦巻き模様に発展し、次のような文章が続きます。「鉄の手すりや、格子、門扉などに渦巻きが配されているのは、ヨーロッパではごく普通だが、日本ではそれほど普通ではない。ヨーロッパの模様なのである。渦巻きの唐草模様は十二世紀フランスのロマネスク教会でも鉄格子などにおおいに使われた。クストゥージュの教会やリスボン大聖堂の鉄格子に見られる。もしかしたらアラビアの唐草模様の影響かもしれない。」確かにヨーロッパではあらゆる場所で凝った渦巻き装飾を多く見かけます。彫刻を学んだ私にしてみれば、立体的に捉えた装飾に瀟洒な空間を感じるのです。勿論彫刻の概念はヨーロッパ発祥ですが…。最後に愛について書かれた部分を取上げます。「ヨーロッパの墓地にゆくと、亡き妻をしのぶのか、夫への愛情を断ち切れないのか、墓石に上に置かれた抱擁像で、かたく接吻をかわしているカップルが描かれているのを目にすることがある。口づけがもっとも確かな愛情の印なのだ。~略~男女の愛情や、人間同士のスキンシップを大事にする文化のせいかもしれない。」20代の頃、ヨーロッパで5年間暮らしていた私がついに馴染めなかった習慣が、こうした友人同士で交わすスキンシップでした。日本人なら誤解をしてしまいそうな身体の擦り合せ方が、人との距離感を失わせてしまうのでした。だからと言って若かった私は、通っていた美術学校でとても解放的になれず、寧ろ内なる世界に閉じ篭りそうになっていました。そんな異文化でのギクシャクした生活体験を、本書を読み進んでいくうちに思い出してしまいました。帰国してから漸く私はヨーロッパを受け入れたように感じています。その結果として私なりの彫刻作品が生まれました。私に創作の扉を開いてくれたのが、他ならぬヨーロッパの形だったと今でも思っています。

「技術の中の形」について

「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)の第四部「技術の中の形」についてのまとめを行います。まず、冒頭の文章を引用いたします。「技術の基本は車であり、ヨーロッパはすでに述べたとおり、基本的に車両文化である。しかしその車輪も単に定位置で回転するだけではなく、プロペラであれば空へ舞い上がり、工作機械であれば複雑な8の字を描きながらネジや歯車をつくっていく。」何かモノを作るなら回転させることに注目したヨーロッパ人の発明は、他の文明より先んじて発達した要因になりました。「(ネジとしての螺旋は)より少ない力で圧迫力を加えて、ものを接着しているのである。叩き込むかわりにねじ込んでいるが、これは逆に回せばはずれるので、叩き込んだ場合ははずすには壊す以外にないのに比べればずっとましである。」ヨーロッパではネジの他にバネの発明もありました。「バネの機能はショックの緩衡か、ドアの自動開閉、物体の発射などだろう。」こうした道具類を駆使して運搬のために車や船や飛行機を発明した人々は、やがて時刻や長さを測ることにも拘り、時間や空間の概念を見つけていきました。それは哲学であり、数学であり、古代から近代に到るまで人類史を牽引する文化や伝統を作ることになりました。「ローマ人にとって『時間』とは円い文字盤の上でくるくると回転する針の動きだった。以来、二千年のあいだ、ヨーロッパ人はそのような円環型の時間認識を持っていた。~略~はかることは、デジタルでは数値化することであり、アナログでは円盤状の針の角度であらわすことである。長さのようにはじめから数値化されて認識されるものはともかく、速さ、あるいは圧力、さらに強さであっても、そのままでは数値であらわされえないものもヨーロッパでは度量衡に準じて計測し、数値であらわしたのである。」この進歩こそが現代の私たちの生活を作っている基盤だと言えるでしょう。現代社会ではヨーロッパはEU諸国として、世界のひとつの地域になっていますが、人類史を紐解けば、文明発達において多大な貢献をしたことになります。私がやっている造形美術でも、つい最近まで先輩たちが挙ってヨーロッパに出かけ、その文化を摂取してきていたのでした。日本美術の概念はヨーロッパなしには語れないほどです。本書を読むと改めてヨーロッパの存在の大きさに気づかされます。

横浜の「北斎展」

横浜のそごう美術館で「北斎展」が開催されています。私は外会議で関内に行った昨日の夕方、「北斎展」を見てきました。関内ホールの帰り道になる横浜駅に美術館があるというのは大変都合が良く、ちょっと得をした気分になります。そごう美術館はデパート併設の美術館で、「北斎展」は児童生徒の夏休みを当て込んで企画されたものだろうと思いました。子ども目線で捉えた展示方法で、国際的に認められた浮世絵師葛飾北斎の代表作が並べられていました。絵の内容では、どこに注目したらいいのか、またどのように浮世絵は作られたものなのか、極めて分かりやすい子ども向けの解説は、疲れた大人の頭にも清涼な風を吹き込ませてくれました。私は有名な「富嶽三十六景」もさることながら、モノクロの「富嶽百景」に注目しました。画想や構図の面白さに暫し時間を忘れました。「鳥越の不二」に出てくる幾何学的な球体は何でしょうか。幕府の天文観測所浅草司天台という解説がありましたが、屋敷の屋上に巨大な渾天儀が設けられていたことが他の資料で判明しています。「富嶽百景」の解説書によると「『富嶽百景』は、この『霊峰不二』という画題一点を軸として、自然の風物とその周辺で生きとし生ける人々の営みを巧みに交え、ありとあらゆる富士山の諸相を北斎の全精力を傾注して描いています。単なる風景としての『不二』を表現するばかりでなく、北斎自身が捉えた独特のアングルでその魅力を描き切っています。芸術的に描かれた富士山の図像百科事典と言ってもよいでしょう。」(版元 芸艸堂しるす)と書かれていました。仕事の帰り道に何気なく立ち寄った「北斎展」でしたが、とても良質な作品に触れた感触が残り、いい気分になりました。

モローを取り囲む2人の女性

フランスの象徴派画家ギュスターヴ・モローは、19世紀末に72歳で没しましたが、70歳前後にパリにある自宅を個人美術館にする準備を始めていました。モローは65歳で国立美術学校の教授職に就いたようですが、私の先入観ではモローは室内に一人佇んで絵画制作に没頭した孤高の画家としてイメージしていました。生い立ちを追ううちに、モローはイタリアに旅行したり、また2人の女性が重要なポジションにいたことが分かりました。一人は母親で、モローは献身的な愛情を注がれていたようです。もう一人は内縁の妻とでも言っていいのでしょうか、モローに27年間寄り添った女性がいたようです。デッサンを教えたことでその女性と知り合い、彼女はやがてモローの最大の理解者になったようです。図録から2人の女性たちのことを綴った箇所を引用いたします。「モローは母へ親愛の表現をしきりに繰り返し、異国にいる自分にとって母との文通が言いようのない幸福の源であると、また、愛され過ぎて、芸術への情熱にとらわれた自分が十分応えられず苦しいと述べている。~略~返信で母は排他的なまでのわが子への愛情を再度強調した。また、息子について『彼の健康、幸せ、満足以外に何の興味もありません』とも書いた。このやりとりは、娘の死による女親の悲しみを慰める重責を負った一子と、母の激情的な愛の苦しみを浮き彫りにしている。」モローの妹はモロー1歳の時に亡くなっているので、まさに母の愛情はモローだけに注がれ、母から精神的にも経済的にも援助を受けていたようです。親子はモローが幼い頃から思春期に至るまで母子一体となっていて、モロー自身は母親の元を決して離れようとしなかったと図録にありました。12歳で入学した寄宿制中学校では同年代の子たちとの交流に苦しんだとも書いてありました。とは言えモローはさまざまな恋愛もして、ついに33歳で生涯を共にする女性アレクサンドリーヌ・デュルーと知り合ったのでした。モローは彼女の可愛いカリカチュア(漫画)を描いているので、彼女のことを相当愛しく想っていたことは間違いないでしょう。「母没後2年の1886年1月10日、自分が重病または瀕死に陥った場合の指示として、モローはアレクサンドリーヌ宛てに二つのメモをしたためた。27年間連れ添った伴侶である彼女の看病以外受けないこと、また、母の死後、苦悩の日々に彼女が限りない献身を尽くしたことを述べている。」(引用は全てマリー=セシル・フォレスト著)彼女に看取られるはずが、モロー64歳の時にアレクサンドリーヌは54歳で亡くなってしまいました。母親と伴侶、この2人に先立たれたにも関わらず、献身的に支えられてもいた画家の人生。私は幸福な人生だったのではないかと思っていますが、どうでしょうか。

大阪天王寺の「ギュスターヴ・モロー展」

先日の夏季休暇で訪れた大阪の天王寺。東京で見落としてしまった「ギュスターヴ・モロー展」が天王寺のあべのハルカス美術館で開催されていることを知り、早速行ってきました。フランスの象徴派画家ギュスターヴ・モローは神話や宗教をテーマに独特な個性を持って活躍した人で、それは旧態依然とした古典主義とは異なった世界観ではないかと私は解釈しています。モローの油彩表現では線描が際立つものが少なからずあります。一般的には線描は下塗りの上に細部を描き込んだもので、そこに彩色していくのが前提ですが、モローは線描をそのまま残し、しかも下塗りと線描との間にイメージの乖離があるのです。そこには建築装飾としてロマネスク美術の文様が主に描き込まれています。これは敢えて視覚的効果を狙ったものであろうと思います。モローの代表作にサロメの連作があり、その中でも本展に出品されていた「出現」に興味が湧きました。「《出現》の特異性は、何よりもサロメが裸体であること、そしてヨハネの首の幻視を見ていることにある。」と図録にありました。またサロメの裸体に不思議な文様が線描されていて、神秘性が増していました。「聖遺物の匣は聖遺物の隠喩として、そしてサロメのコスチュームはサロメの隠喩として機能するのである。~略~サロメを取り巻く建築空間もまた、衣装と同じくサロメの容器として、サロメの『神秘的』性格の比喩になっている可能性である。」この絵画に線描されたものは、とりわけ私に宗教性を感じさせましたが、図録によればそれは聖遺物の匣で、モローが聖遺物の匣を選んだ動機は何だったのか、これは風土の異なるところに生まれ育った私には皆目分からなかったのです。匣の中に収められた聖遺物は当然見ることは出来ないことは私にも分かりますが、豪華に装飾された外部によって暗示される秘めたるモノが、サロメが登場する絵画の舞台装置に必要と思ったからでしょうか。「モローが残した重層化した画面は、技法的には1880年頃の水彩画における線と色彩の乖離効果に基づいていると考えられるが、そこにコスチュームを通して人物の性格を表わそうとする意味論的方法と、様々なイメージ・ソースを線描で断片化し自由に組み合わせてヴェールのような装飾の線描を作り上げる制作方法とが組み合わさった結果でもあると考えられる。」(引用は全て喜多崎親著)うーん、自由でコラージュ的な扱いもあったのか、と思えばモローの世界はもう少し気軽に解釈できるのかなぁと思った次第です。私にはモローの人間性にも関心があって、パリのど真ん中で引き篭もっていた孤高の画家という先入観があります。そこに2人の女性が関わっていたという下世話な噂を、今回きちんと解明したいと思っています。別稿を起こします。

週末 3個目の陶彫成形

今日も相変わらず暑い工房でしたが、昨日準備したタタラを使って、3個目の陶彫成形に励みました。暑さに慣れてきたとは言え、額から汗が滴り落ち、シャツはびっしょりになりました。どこまで作業を続けるか考えた挙句、昼過ぎに近隣のスポーツ施設に行って水泳をすることで作業を終えようと思いました。彫り込み加飾は別日に設定することにして、今日は成形が終われば作業終了としたのでした。新作は彫り込み加飾に特徴があって、角張った箇所がないように作っています。ところどころに穿つ穴も大きくならず、彫り込んだ文様の中に同化するようにしています。先月の個展で発表した「発掘~曲景~」が新作のヒントになりました。その時の彫り込み加飾を全体に広げてみようと思ったのでした。新作は屏風と床置きの双方の空間を使う大きな作品です。その全てに同じようなパターンの彫り込み加飾を施す予定でいます。屏風に使用する厚板も同じようなパターンを彫っていきます。集合住宅のように見えるか、またはそんな住居が廃墟になったように見えるか、ともかく都市化された情景を、私は陶彫と木彫で表現しようとしているのです。今日作った3個目の陶彫成形は床置きの一部になります。これは4個でひとつのステーションを形成します。そのステーションを2ブロック作る予定です。まだまだ先が長いのですが、コツコツ作るのが私の得意とする方法なので、焦らず休まず頑張っていこうと思っています。今月中には4個で構成するステーションが出来るかなぁと期待しています。同時に厚板を6枚購入して、屏風の下書きを進めたいとも思っています。あれもこれも欲張ると気持ちが上滑りして心を込めた作品が出来ません。じっくりやっていく姿勢は崩さずにいこうと思っています。ただし、この時期のイメージ先行は、新作導入としては良い傾向です。暑さ対策で自分の創作欲求を抑えながら、ゴールを見極めていきたいと思っているのです。

週末 陶彫制作&地域会合

週末になりました。TV報道で気温が体温並みに上昇すると知って、工房に行こうかどうしようか躊躇していました。今日は職場のある地域で、昼ごろに公会堂を使って会合を持つため、工房での制作は午前中の早い時間帯にやることにしました。朝8時に工房に行ったら、窓から風が入ってきて、いつものように蒸し暑く感じることはありませんでした。陶土の塊を掌で叩いて、座布団大のタタラを5枚作りました。明日はこれを使って陶彫成形に入ります。新作の大きな陶彫部品の3個目に取り掛かるつもりです。地域に出かける直前まで作業をしていたら、いつものように汗だくになって自宅に戻りました。シャワーを浴びて着替えをしました。休日でも地域会合が予定されていて、職務的な立場として私は出勤していきます。予め分かっている会合なら、陶彫制作を調整していくのですが、長く集中することは出来ないため、それなりの制作工程を組んでいきます。成形をするための準備であれば、午前中だけで終わらせることが出来ると判断しました。実は明日も地域会合があるのですが、明日は夕方から予定されているので、長く成形に携わることが出来ると思っています。陶彫制作にはさまざまな工程があり、どれも長い時間を必要とするものではありません。陶土の乾燥具合によって、一日置いた方が良い場合があります。それを計算して休日出勤に合わせていくのです。それは出勤だけではなく、工房の気温上昇との兼ね合いもあります。危険な温度に達するようであれば、それを考慮して制作工程に組み込みます。陶彫制作は一気呵成に出来ない辛さはありますが、仕事や環境要因によって工程を分けていくことが可能なのです。今日は地域会合から帰ってきたら、日頃の疲れが出ていたため、休息を取ることにしました。自分の性分だろうと思いますが、夏季休暇を取得してもゆっくり休むことはせず、鑑賞と制作に明け暮れる生活が続いています。のんびり過ごすことが苦手なのかもしれません。その分、一日のうちで休憩を取る時間を設けています。まだお盆の時期なので、仕事に追われることがありません。明日も創作活動に精を出してしまいそうですが、休憩時間は取りたいと考えています。

上野の「三国志」展

東京上野の国立博物館で中国の歴史を扱った「三国志」展が開催されています。中国史に疎い私でも日本の漫画や人形劇になった三国志は知っていましたが、リアルな部分はよくわからず、この際きちんと調べてみようと先日、この企画展に行ってみました。三国志に登場する魏・蜀・呉の三国争覇の時代は、184年の黄巾の乱から280年の西晋王朝による統一までの僅か百年ほどの群雄割拠の時代だったことを知り、この時に有名な「孫子兵法」などが作られ、武器の開発も活発だったこともあって、現代からすれば魅力的でダイナミックな時代だったと言えそうです。図録には「三国志には多彩な人物が登場し、さまざまな局面に対応しながら時代を生き抜くさまが活写されている。人間味あふれる三国志の物語は、根源的に若年層の嗜好に応え得る要素を含んでいるのである。」とありました。その多彩な人物を挙げれば「蜀の地で皇帝の座につくことを宣言した劉備は、そのなかで自身は前漢の中山靖王劉勝に連なる家柄であるとした。天下を治めるべきは漢の劉氏であって、魏の曹氏や呉の孫氏には天下を治める道理がないことを表明したのである。」それでも「蜀は魏に滅ぼされ、魏と呉は西晋によって平定された。」という確かな歴史が物語っています。前日した兵法で言えば「孫権の父である孫堅は、戦国時代の孫武を祖とすると史書は記す。『孫子兵法』の作者である。曹操もその注釈をしたことで知られる『孫子兵法』は武将たちの必携の書であった。」(引用は全て市元塁著)三国志は「語り多く物少なし」と言われる時代だそうですが、それでも展示されていたものは貴重で重要な文化財ではないかと思いました。私は三国志に入る前の時代である後漢の墓に副葬品として埋葬された土製彩色による穀倉楼の構造が面白く、こんな高層楼閣が立つほど豊かな土地もあったんだなぁと思いました。邸宅のミニチュアもあって楽しめました。横浜の中華街に「関帝廟」がありますが、関帝とは神格化された関羽のことで、劉備に仕えた英雄として「一万人の兵に匹敵する」と言われたようです。本展にはほぼ等身大と思われる関羽像が出品されていましたが、武将らしく力の漲った像でした。これを契機に中国の歴史を紐解くのも面白いと思いましたが、歴史の厚みやスケールの大きさに圧倒されて、自分の残り僅かな人生を考えると、下手に中国史は齧らない方が良いと思いました。何と言っても三国志の時代は、我が国で言えば弥生時代から古墳時代前期に当たります。四大文明から取り残された島国の人間からすれば、途方もない世界観を持っているわけです。今回の「三国志」展は、その一端を垣間見た程度なのかもしれません。

夏季休暇⑤ 5日間の休暇を振り返る

今日はどこかへ出かけることはしないで、今年の夏季休暇を振り返る一日にしました。7月末に2日間の夏季休暇を取りました。ここでは新潟県魚沼市を訪れて、江戸時代の彫工石川雲蝶のダイナミックな木彫に触れました。「越後のミケランジェロ」と呼ばれた木彫家の作品は、現在も寺院で大切に保管されていました。翌日は「大地の芸術祭」常設作品である清津峡渓谷トンネルに行き、自然の景観を生かした現代アートを堪能して来ました。8月に入って3日間の夏季休暇を取りました。初日は兵庫県姫路に出かけ、世界文化遺産である姫路城を見て歩きました。夕方は大阪にあるあべのハルカス美術館で開催されている「ギュスターヴ・モロー展」に出かけました。翌日は徳島県鳴門市にある大塚国際美術館に行き、陶板による名作の数々を見て回りました。「越後のミケランジェロ」ならぬ本物のミケランジェロの「天地創造」の陶による再現があって、システィーナ礼拝堂を模した環境展示と相俟って、圧倒的な迫力を感じました。昨晩遅くに横浜の自宅に帰ってきましたが、今回の夏季休暇は美術と建築を徹底的に味わい尽くすものだったなぁと振り返っています。陶による名作の数々は、たとえオリジナルでなくても精巧に出来たものであれば、芸術家の息吹を感じさせることを体験してきました。西洋美術史に刻印された作品は、いずれも芸術家が命を削って表現したものばかりで、人間が生きて刻んできた魂を、静かで力強く感じさせるものがありました。一堂に名作を見渡して感じたことは、私たち人間の内面に宿る豊かさだったように思います。石川雲蝶然り、ギュスターヴ・モロー然り、建築で言えば姫路城を作った名もない職人集団然り、清津峡渓谷トンネルにアートを設置した芸術家然りで、それぞれが命懸けで取り組んだモノだったことが後世になって伝わってきています。作者はいなくなっても生きた証として後世に残っていくものが、こうした芸術なのでしょうか。しかも後世の人の心を揺さぶる感動は、何処から湧いてくるのでしょうか。そんなことを考えされられた夏季休暇だったと思いながら、午後になって久しぶりに工房に行きました。私も精魂込めて陶彫制作をやっていますが、手前味噌ながら今まで見てきた名作に負けていないぞと思いました。微力を積み上げていけば、きっと人を惹きつけられるモノができると信じることにしました。今回の夏季休暇では創作意欲だけは人一倍もらえた気がしています。

夏季休暇④ 大塚国際美術館へ

今日は新大阪駅前から出る日帰りバスツアーに参加しました。横浜の自宅からネットで申し込んでいたのでしたが、徳島県鳴門市にある陶板名画を集めた大塚国際美術館を堪能するツアーで、一度行って見たいと思っていたのでした。この美術館を知った契機は、大晦日の紅白歌合戦で米津玄師が中継で歌っていたことで知りました。私ばかりではなく、こうした影響もあったと思われるのが美術館の混雑ぶりで、バスを仕立てて大勢の観光客が訪れていました。展示されている作品の内容は驚くものばかりで、目を見張りました。ただし、これは全て陶板による複製作品でオリジナルではありません。それでも古代壁画から世界26カ国に及ぶ190余りの美術館が所蔵する西洋名画1000余点を原寸大で再現した超絶技巧に感銘を受けました。大塚グループ内の大塚オーミ陶業株式会社の特殊技術を駆使して臨んだ世界最高峰の陶によるテクニックが施され、それだけでも多くの鑑賞者を魅了してやまないだろうと思われます。美術館に入ると最初の部屋にあったのは、巨大なシスティーナ礼拝堂天井画と壁画で、ミケランジェロによる「天地創造」でした。これは環境そのものを展示する臨場感溢れる再現で、その空間と表現に圧倒されました。とりわけ古代遺跡や教会等の壁画が部屋ごとに作られて、どれも空間展示が成されていました。古代から中世になると系統展示に変わり、ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」やダ・ヴィンチの「最後の晩餐」(修復前と修復後の対面による展示)や「モナ・リザ」、レンブランドの「夜警」やフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を初めとする美術史に残る名作の数々が展示されていました。印象派ではルノアールやゴッホ等、近代ではクリムトやムンク等、現代ではピカソの「ゲルニカ」もありました。昨日見に行った「モロー展」にあった「一角獣」の陶板もあり、オリジナルとの区別がつかない驚きも実際に経験しました。テーマ展示も企画されていて、時代を超えたテーマが贅沢な作品と共に並んでいました。勿論全て陶板なので、触ることも撮影することも可能でした。大塚国際美術館については資料書籍を購入してきたので、改めて別稿を起こします。午前11時に入館し、午後4時まで通算5時間を同館で過ごしましたが、教科書に載っている名画を矢継ぎ早に見せられて、感覚が変になりかけたところで、非現実から現実世界の大阪にバスで戻って来ました。帰り際は台風10号の接近で鳴門海峡は荒れていました。雨風が強くなり始めた頃で、台風に追われるように新大阪から新横浜に新幹線で帰ってきました。自宅に帰ったのは午前零時少し前でしたが、関東は台風の影響が少ないなぁと思いました。

夏季休暇③ 姫路城&大阪の美術館へ

5日間の夏季休暇のうち、先月末に2日間の夏季休暇を取得し、残った3日間を今日から取得します。今日は朝早く東海道新幹線に乗って姫路にやってきました。私は20数年前に職場の旅行で姫路城を見に来たことがあります。まだ修復前だったのですが、それでも美しい景観だったのを覚えています。家内はまだ姫路城を見たことがないと言うので、私たちは白鷺城と称され、威風堂々とした威厳のある姫路城を久しぶりに訪れたのでした。台風10号の接近にも関わらず、今日は入道雲がぽっかり浮かんだ夏空で、汗が滴り落ちる炎暑の中、螺旋式縄張りの城郭を歩き回りました。天守閣に辿り着くまでには迷路のような道があり、また城内は幾つもの急勾配な階段があって、私たちが高齢になって足に自信がなくなったら登れるものではないと思いました。この木造の階段しかないという状況は、姫路城が建て替えることがなく現在まで残されていて、他の大きな城のように近代的な鉄筋が入っていたり、エレベーターが設置されていないことが保存状態を示す証拠になっているのです。内部には鉄砲狭間や石落としが各所に作られていて、美しい景観だけではなく、要塞としての機能も充分備えていることにも驚きました。永祿四年以降さまざまな時代の武将たちが入れ替わり住みついた名城を、今日は隅々まで歩いて堪能しましたが、建築的にはもう少し書いてみたいこともあり、別稿を起こそうかと思っています。夕方になり、新幹線でホテルのある新大阪までやってきました。大阪の天王寺にあるあべのハルカス美術館で「ギュスターヴ・モロー展」を開催していることをネットで知り、早速行ってみました。「ギュスターヴ・モロー展」は東京汐留のミュージアムで開催されていたのを見落として残念と思っていたので、これはラッキーでした。フランスの象徴主義の第一人者であったモローは、聖書や神話をテーマに多くの絵画を残した画家です。私はモローの人間性にも興味があって、その独特な世界観と相俟って魅力を感じてしまう一人です。展覧会の詳しい感想は後日改めたいと思います。展覧会場を出た後、地下鉄御堂筋線でなんばまでやってきました。道頓堀は大変な賑わいで、レストランを探すのに苦労しましたが、法善寺横丁から少し路地を入ったところで古い串揚げの店を見つけて夕食にしました。今日は真昼間に姫路城を歩き回った疲れが出て、ホテルではぐったりしてしまいました。

夏の三連休の成果

山の日を含む三連休が今日で終わりました。3日間とも工房に通い、陶彫制作に精を出しました。新作の床置きの大きな陶彫部品2個を作りました。酷暑のせいで工房に長く留まることができず、午前2時間、午後2時間という作業時間でしたが、集中はしました。室内温度が高いためか陶土の乾燥が早く、水に濡らした雑巾で表面を覆いながら、彫り込み加飾を行ないました。一旦彫り込みをしたところを、暫くして再度手を入れようとすると、既に硬くなり始めていて難儀をしました。この時期は、毎年汗が額から噴出し、シャツもびっしょりになってしまいます。汗が出たほうが動き易くなるようで、自分が結構気温に対して丈夫なのを認識しています。若い頃は毎日こんなに汗をかいて大丈夫なのだろうかと思っていましたが、病気になることもなく、蒸し暑い作業場で元気に過ごしていました。そんな経験があるおかげか、真夏は作品がどんどん進むという観念に、自分は今も支配されていて、加齢にも関わらず、私は工房で制作に打ち込んでしまうのです。厳しい環境で魂を籠めた創作活動をするというのは、若い頃の精神論でしかないと思っているのも確かです。ただし、こうした状況が実のところ私は好きなのではないかと思っている次第です。酷暑の中で陶土と格闘した感覚を作業終了時に持てるのは、まだ自分が体力的にもいけると信じているのだろうと思っています。夕方になって自宅の食卓で作っているRECORDは、さすがに疲労が隠せず、遅々として進まないことがあります。目標としてはRECORDもどんどん進めたいと考えていたので、これは誤算でした。一度陶彫制作を休んで、朝から晩までRECORDをやっていたならば、下書きだけの山積みになった中途半端なRECORDは全て解消するかなぁと思っています。ともかく夏の三連休は、陶彫制作に関してそれなりの成果があったと評価しています。明日から3日間は夏季休暇を取ります。職場の休庁期間が残り3日間あるので、夏季休暇を取ろうと決めていました。夏季休暇は前半2日間で、新潟県に石川雲蝶の欄間を初めとする凄まじい彫刻の数々を見に行きました。後半3日間は関西方面に出かけます。美術や建築が私の興味の対象なので、世界遺産の姫路城や四国にある大塚国際美術館を見てこようと思っているのです。

8月RECORDは「遊戯の風景」

三連休の中日です。「山の日」が日曜日と重なったため、明日は振り替え休日になります。今日も朝から蒸し暑い工房に篭って陶彫制作を行なっていました。若いスタッフも工房に来ていました。昨日決めた制作目標通り、大きな陶彫部品の2個目となる彫り込み加飾をやっていました。夕方3時には作業を終えて、スタッフを車で送りました。自宅に帰って、早めの時間帯からRECORDをやっています。過去の作品の彩色や仕上げを以前のイメージを思い出しながら進めていますが、今日の分のRECORDをまずやってから、山積みされた過去の作品に取り組んでいるのです。8月のRECORDは「遊戯の風景」というテーマでやっています。何か遊んでいるような戯れているようなモノの情景を描きたいと思っていたので、こんなテーマにしました。6月のRECORDをやっていた時に、絵の具をRECORD用紙に滲み込ませてから、そこから導き出されるイメージをカタチにしていました。それまでは下書きをしてから絵の具を塗っていましたが、何もない白紙の上に絵の具を垂らしていく行為が楽しくて、今月も絵の具を優先にすることにしたのでした。私はついカタチに本腰が入ってしまう傾向があって、色彩は付加要素の扱いになっていました。でも絵画においてはカタチと色彩の比重は同じはずで、色彩の可能性を広げていくことは自分にとって必要ではないかと思い始めているのです。高校生の頃にデザインの勉強を始めましたが、自分の色彩感覚に絶望していました。その頃の平面構成の課題は最悪でした。工業デザインから思い切って彫刻に専攻を変えたのは、色彩コンプレックスがあったせいだと自分では思っていましたが、RECORDを作り始めて、漸く色彩の面白さに気づいたのでした。色彩に関してはカンディンスキーの理論も頭を過ぎりました。そんな色彩の冒険をやってみたくて、今月はテーマを「遊戯の風景」にしたのです。日々コツコツと頑張って作っていこうと思っています。

夏の三連休の具体的目標

職場は今日から始まる三連休を含めて休庁期間にしてあり、全職員が年休を取得し易い環境を作っています。私もこの休庁期間に夏季休暇の残りの3日間を取ろうと決めています。仕事にはオンとオフが必要ですが、創作活動は公務員の仕事がオフの時にオンに切り替えるのです。公務員と彫刻家の二足の草鞋生活は、そのいずれも仕事と考えればずっとオン状態が続くわけですが、仕事の質が違うので何とかやっていけるのです。さて、今日から始まる三連休ですが、具体的な目標を設定することにしました。新作の陶彫制作では屏風と床を使って陶彫部品を配置していくのですが、床に配置する陶彫部品に大きめな作品を数点作ろうと決めていて、やや手間のかかるそれら部品をこの三連休で作ることにしました。連続して休める機会がないと、中心をなす作品群は作れないのです。当初は屏風の全体構成も考えていました。どっちつかずになるよりは、それは別の機会にやるとして、今回の三連休は陶彫制作だけに集中しようと決めました。いつもなら朝9時から始めて夕方の4時までの7時間を作業に当てています。梅雨明けした後の気温の上昇を考えると、7時間の作業には無理があると判断しました。午前2時間、午後2時間が適当なのかなぁと思っています。工房は空調がないので、蒸し風呂のような暑さに見舞われ、熱中症を心配する事態になりかねません。昼食は近くのファミリーレストランに駆け込み、涼を取りながら休憩することにしました。若いスタッフが来ているので、昼食時の話し相手にはちょうどいいのです。工房に長く留まれない分、早めに帰宅し、自宅でRECORDの過去の作品の仕上げを行なうことにしました。RECORDも日々制作していて、下書きが数週間分も山積みされている状態です。この三連休で何とかなるものではありませんが、少しでも解消できればと思っています。

映画「天気の子」雑感

昨日のNOTE(ブログ)に続いて再び映画の感想を述べさせていただきます。岩波ホールで観た「田園の守り人たち」とはまるで異なる映画を、横浜の鴨居にあるエンターティメント系の映画館に観に行きました。どちらもレイトショーでしたが、「天気の子」はそれでもかなり観客が入っていました。新海誠監督によるアニメ映画と言えば「君の名は。」で、あの大ヒットの後でどんな作品をやろうとしたのか、注目していた人は多いのではないかと思っています。観終った印象としては「君の名は。」とは違う世界観を描いていたこと、前作とは異なる冒険を忍ばせていて、現代の風潮を切り取って描いていたこと、など上映中にも関わらず、さまざまな考えが私の頭を駆け巡りました。少年と少女の出会いがあるのは前作と同じですが、「天気の子」はお互い貧乏であり、都会の片隅で保護者不在のまま暮らしていて、生活スタイルが社会的にも不安な要素満載であることが挙げられます。これは少なくとも現在の貧困家庭の状況を描いているように感じました。少女が天気を操るという荒唐無稽な能力は、新海ワールドの最骨頂である細密な風景描写によって、その美しさ故の説得力を持ち、都会の雑踏から空に広がる積乱雲の彼方へ、私たちを連れて行ってくれるのです。この描写なくして、この世界観は生まれなかったと私は思いました。そぼ降る雨の表現には目を見張るものがあり、また雨に煙る都会の高層ビルのシルエットが美しいと感じたのは私だけではないでしょう。その都会を上空から俯瞰する画像に一条の光が射す場面は、この映画の見所のひとつです。人の心理は天気によって左右されることをよく物語っている場面ではないかと思いました。最近ではゲリラ豪雨によって甚大な被害が齎されることがニュースになっています。環境問題が国際レベルで話題になる時勢です。人が日常生活を送る上で自然環境に与える影響は、今となっては測り知れないものがありますが、私の含めて日常の快適な暮らしぶりを、だからと言って改めることをしていません。こんな時代を生きる私たちは、今後どうなってしまうのか、天候が狂っていると分かっていながら、受け入れていくしかないのかぁと感じるこの頃ですが、新海監督が図録の中でこんなことを述べています。「そこから思いついたのが、主人公である少年が『天気なんて、狂ったままでいいんだ!』と叫ぶ話だったんです。そのセリフが、企画書の最初の柱になりました。やりたかったのは、少年が自分自身で狂った世界を選び取る話。別の言い方をすれば、調和を取り戻す物語はやめようと思ったんです。」人の創作する物語は最後に調和が成され、平和を謳歌して終わるのが定番ですが、現実はそんなことはなく、大きな課題を抱えたまま時代が移り変わっていくものです。現代を生きるストレス社会の中では、物語の中だけでもハッピーエンドにして現実逃避をしたい観客も多いのはないかと察しますが、観終った後、すっきりした感覚がないなぁと思っていたら、近くの観客が「誰も幸せにならないんだよね」と呟いていたのが印象的でした。