京都散策

仕事で1年に1度は京都を訪れます。その度にちょいと仕事を離れて、古都散策を決め込むのですが、今年は寺社ではなく岡崎公園の近代美術館に行って見ました。お目当ての「フンデルトワッサー展」は会期が終わっていて、がっかりしました。祇園の何必館も常設展しかやっておらず、今回は美術的な興味にやや欠けた散策でした。仕方なく鍵善で美味しい和菓子を買い、松葉でにしんそばを食べて帰ってきました。松葉では私の前に座っていた2人の初老の紳士の話し声が聞こえてきました。どうやら日本画家のようで、京都画壇のあれこれを話していました。京都弁の風情に少々辛辣さが加わり、しばし耳を傾けてしまいました。本来自由であるはずの芸術にも流派や縦横の社会があって息苦しさを覚えたひとときでした。

個展の記事より

昨日送られてきた美術系の小冊子に先日の個展評が出ていました。「古代遺跡の発掘品を思わせる凹凸状の版文が、強力な表現性を感じさせ、目を引きつける。絵画的平面性と幾何学的立体性を兼ね備え、物としての意味は不明だが、訴えてくる力は、鉄製品のように重く強い。」とありました。身に余る言葉をいただきました。意味は自分の中だけに存在するもので、他者の理解を求めていません。ただ、感じ取っていただければと思っているので、この言葉には本当に勇気づけられております。

イサムノグチ展

地元の横浜で「イサムノグチ展」をやっているので見に行きました。このところ展覧会づいていて、フットワークも軽くなっています。イサムノグチはかなり昔から展覧会があると出かけるので、今回は旧知の作品もいっぱいありました。かつて香川県牟礼の庭園美術館にも行き、そこのオープンスペースの居心地の良さに羨望を抱いたことを思い出します。私はイサムノグチから「場の彫刻」とか「庭園の空間概念」を教えてもらいました。今回の出品作品で私が初めて見たのは舞台装置でした。装置と言っても、ほとんどオブジェであり、そこにダンスが繰り広げられる映像を興味深く見ました。

雛形から実寸へ

昨日から雛形を実寸大で作り始めました。実は雛形も途中なのですが、材料が届いたので、堪えきれずに厚板の切断を始めました。作品の下絵は実寸で書きます。それを厚板に転写していきます。構成要素が多い立体作品なので、最初は立体を作っている気がしません。パーツを組み合わせて初めて立体になるのです。新作は建築現場のようなイメージです。住居の骨組みのようなものを考えていて、昔は建前で棟上した屋根から餅を捲いた風習がありました。地方ではまだやっているかもしれません。人が長く暮らす家だからこそ家内安全を願う政事を行うのだと思います。住居にはそんな思い入れがあって造形表現を試みているのです。

E.バルラハ展

ウィーンにいた時、そこの美術館にE.バルラハの刀を振りかざした人体彫刻がありました。最初はK.コルビッツが作ったものだと誤解していました。あまりにもコルビッツの素描や版画と似ていたのです。人物を簡潔で骨太に表し、ルネサンス的写実とは異なる具象表現は、ちょうど20代にウィーンで暮らしていた自分の心にどっしりと棲みついてしまったのでした。それはドイツ表現主義に傾倒していく契機になりました。コルビッツの闘争的な社会性、バルラハの劇的な象徴性は、当時の自分のぎくしゃくした気持ちに直に訴えかけてきました。早速出かけたバルラハ展はかなり見ごたえのあるものでした。木彫は円空のような素朴さと宗教性をもち、木版画は神を題材にしながら人間的なドラマが感じられて興味深いものでした。ただ自分が初めてバルラハの作品を見たのが寒々とした冬のウィーンであり、そうした環境もあってかバルラハの鋭く単純化された形態に、厳寒のヨーロッパが思い出されて、いま日本の春爛漫の中で見るバルラハとはやや違う印象がありました。

益子・笠間へ

昨日、益子の陶器市、笠間の陶炎祭に行ってきました。どちらも毎年混雑しますが、昨日は天気に恵まれたこともあって大変な賑わいでした。どちらも若手の作家の作品に注目して、作風の移り変わりや日頃の成果を期待して見ています。笠間には旧友の佐藤和美さんがいて、佐藤陶房はいつもお客さんがいました。自分がやっている仕事と益子・笠間の作家の方々の作る作品の用途的な違いはあっても、同じ陶には変わりなく、いつもいい刺激をもらっています。和美さんの一見ボソっとした器に、実は細かな計算があって、それが多くのお客さんを引き寄せているのだということを改めて知りました。

ギャラリーに「鳥瞰」アップ

個展に出品した「鳥瞰」はレリーフによる屏風です。天空を飛ぶ鳥の目で見た世界を表そうとしたもので、全体はごちゃごちゃした構成になっています。ひとつひとつは抽象形態ですが、集合体になると具象的な景観になるようにしたつもりです。世界遺産になっている中世の街並やら敷石しか残存しない遺跡などを下地にしています。とくに旧市街の入り組んだ路地を上から見るとその無計画さが面白くて飽くことなく見入ってしまいます。そんな興味から「鳥瞰」は生まれました。

陶炎祭

茨城県笠間でこの時期に「陶炎祭」が始まり、私は連休の1日をつかって毎年必ず訪れます。栃木県益子でも陶器市があり、そちらもたくさんの観光客に混じって出かけます。器の魅力にあふれた店がいっぱい出て、とくに作家が出している店は小さなギャラリーといった趣があります。私は使い勝手の良さより、つい土肌の面白さに魅せられてしまいます。素朴でモダンな壺に活けられた何気ない樹木の青葉。蔵を改装した瀟洒な店に都会的なグッズ。今年はどんな出会いがあるのか、今からワクワクしています。

コトバとカタチ

もうすぐHPのGALLERYに新しい作品が登場します。とは言っても先日の個展に出品した作品をアレンジしたものですが、これはカメラマンとのコラボレーションから生まれる世界で、自分にはとても刺激的です。それを受けて、自分はコトバをひねり出しています。コトバは何かを説明できる記号ですが、自分が作り出すカタチと同じように創造的な記号として扱えないものかと考えています。ひとつのコトバには脳裏に焼きついたイメージがあり、また知識として蓄えているコトバもあります。カタチにも経験の中から生まれる何かのイメージを思い起こさせるものがあります。そうしたイメージをコトバとカタチ双方から追いかけてみたいと考えているわけです。

陶から木へ

気候が暖かくなると新作に取りかかります。年間バイオリズムがあるようで、私はこの季節から作業を始めるのが常です。プランはずっと前から頭にあって、ようやく具現化するわけです。陶による作品を長い間やってきましたが、昨年あたりから木材で制作しています。陶との組み合わせで板材や柱材を使ってきた経緯がありますが、今は木組みが楽しくなっています。まずは模型で試作しています。ある意味この時が一番楽しいかもしれません。

個展の会期終了

4月8日で個展が終わりました。芳名録をみると、この1週間で150名のご記名がありました。その中には、私に最初の彫刻の手ほどきをしてくださった池田宗弘先生や、美術関係の出版社の方々、評論家の方々のお名前がありました。もっと空間を練り上げ、単純化と深さが欲しいという厳しいご意見をいただきました。来年4月に再び「ギャラリーせいほう」で個展を行う予定です。さらにゆたかな世界に展開していきたいと思っています。

個展最終日にむけて

8日(土)で個展が終わります。私は最終日には午前11時から午後6時半まで画廊におります。今回の個展では「発掘」シリーズのレリーフを中心とする作品を出品しています。油彩を施した砂マチエールを土台にして、陶によるカタチが現れようとするところを表しています。この作品では、地下に埋もれた部分は屏風の裏側であり、床の下であるわけです。次に発表する機会があれば、地下の埋没された造形をやってみたいと思っています。8日には、ぜひ多くの人にご高覧いただきたくあらためてご案内申し上げる次第です。

個展のオープニング

「ギャラリーせいほう」での個展が始まりました。オープニングパーテイには大勢の方々に来ていただきました。オーストリアで活躍されている彫刻家中島修さま、紀行作家みやこうせいさま、哲学者の量義治さま、声楽家の下野昇さま、その他さまざまな立場の方から貴重なご意見、ご感想をいただきました。これは大変な励みになります。本当にありがとうございました。

初めてのノートです。

はじめまして。陶や木を素材にして作品を作っている相原裕です。ホームページに作品や作品制作にまつわるコトバを掲載してまいります。こういう方法で日頃考えていることや感じていることを表現すること、また工房にコモって実材をこね回したりしていること、両方とも自分にとっては楽しく心地よい世界です。今後ともよろしくお願いします。