週末 梱包用木箱作り準備

昨日の夜に関西出張から帰ってきました。2泊3日の出張で疲労も溜まっているだろうと予想していましたが、思っていた通り、午前中は身体が動かず自宅でボンヤリしていました。とりあえず工房に行きましたが、先日の図録撮影をしたままの状態になっていた空間を、梱包作業が出来るように少しずつ配置を換えました。今日から個展搬入用の梱包用木箱作りと決めていました。懇意にしている業者が本格的な木箱のモデルを作っておいてくれたので、その構造を確かめました。午後になってその業者に連絡を入れ、電動釘打機を見に連れて行ってもらいました。手ごろな中古の電動タッカーがあったのでその場で購入しました。その足で業者が懇意にしている材木店にも行きました。残念ながら店は午前中で閉まっていましたが、材木店の場所は分かりました。次は私一人で出かけて、板材を購入してこようと思っています。材料や道具をどこで手に入れるのか、これは彫刻をやっている者にとっては重要なことです。今までは日曜大工センターで購入していた梱包材でしたが、専門店のほうが何かと相談に乗ってくれるのではないかと思います。例年木箱作りに時間がかかっていましたが、材料や道具類、さらに協力してくれる業者がいれば、時間短縮も可能ではないかと思いました。今日は何か作業をしたわけではなく、道具を揃えたところで終わりにしました。夕方は家内と亡き義母の法事用の品々を注文するためデパートに出かけました。関西出張の疲労を紛らわせるためにいろいろな用事を済ませながら一日を過ごしました。明日は朝から工房で作業を行ないます。

雨降りの関西出張最終日

関西に来て3日目です。今日は一昨日や昨日と打って変わって、朝から大雨に見舞われました。関西出張が今日で終わります。荷物を宅配便で横浜に送り、身軽になって夕方まで町の散策をしました。昨晩は近江牛を振舞われ、その美味しさに舌鼓を打ちました。またここは米の産地で、白米の美味しさも忘れられません。近隣県出身の職員の一人が「毬まんじゅう」なる和菓子を買って、私にもご馳走してくれました。上品な餡が入った餅ですが、周りを餅米で覆った雰囲気は栗の毬(いが)に似ているので、名付けられたようです。人里離れたところで現在も伝統的な日野椀作りをやっている工房にもお邪魔しました。伝統野菜で言えば「日野菜」があり、3分の1ほどが紅くなっている細いカブで、私たちが泊まった宿舎の朝食に漬物にして出していただいていました。そもそも農業体験を主なプログラムに組んでいた今回の関西滞在ですが、私の興味は専ら現地の食事や文化に集中してしまいました。滋賀県にいても琵琶湖を見ないで帰る今回の関西出張は、やはり観光ではなく研修の色合いが強いものだという感想を持ちました。私たちの職場以外にも横浜市には多くの同種の職場がありますが、ここは風変わりな研修をしているなぁと思いました。私は数十年この職種にいて、今回は始めて経験したものばかりでした。ここはこうした方がいいのかなというアイデアも今回の経験から出てきました。今年は私が転勤したばかりなので、昨年度練り上げた計画で進めた研修でしたが、来年度はもう少し自分のカラーを出していきたいと思っています。昨年を知らないので比較することは出来ませんが、安全安心で実り多い研修だったと言えば今回は成功だったのではないかと思っています。

近江商人の古里へ

関西出張2日目になりました。出張したメンバーには滋賀県に滞在している期間にさまざまな体験活動が組まれていましたが、私はこの日野町で案内された近江商人の記念館に興味が湧きました。近江商人は江戸等に出張販売に出かけ、各地に出店していたらしく、一人の商人が数多く経営している様は、まさに現在のチェーン店やフランチャイズの起源となったようです。酒、醤油、味噌などの醸造業の他に雑貨や質屋も兼営していたようで、多角的経営が成されていました。日野の名産では日野椀や漢方医薬の販売がありました。とりわけ「萬病感應丸」は日野を代表する薬で、小さな薬となれば荷が軽く、持ち歩きに便利で利益も大きかったために日野の近江商人は莫大な富を築いたようです。商人はその富の多くを地域社会に還元したため、日野町には16基の曳山があり、多額の寄付があったことが分かりました。「萬病感應丸」は現在も販売しているので、私は試しに小さい袋を買ってみました。日野の人たちは今でも愛用していると聞いたので、私の疲労回復に効けばいいなぁと思っています。日野町は小さい町ながら古くからの伝統伝承が受け継がれ、豊かな文化が根付いている町だなぁと思いました。駅舎も最近リニューアルされたようですが、古い情緒はそのまま残されているように思いました。この町は映画の撮影にも使われているようで、そのスポットにも案内されました。確かに時代劇や明治時代の風景が残る場所もあって、広大な土地に田畑が広がる風景は、横浜では見られなくなったなぁと思いました。今日も天候に恵まれ、青空に爽やかな風が吹いていました。

関西出張2泊3日

職場が変わっても私たちの職種は1年間に1回は2泊3日の出張があります。今の職場でも前職場と同じような時期に関西方面への出張がありました。ただし、職場によって滞在する県が違い、今の職場は滋賀県に連泊することが昨年度より決まっていたようです。初日は京都に行きました。そこで一日を過ごすことになっていて、他の職員と私は別々の行動をとることにしました。私は京都には毎年訪れているため、仕事の合間を縫って博物館や美術館に立ち寄ることにしているのです。何か不測の事態が生じれば、すぐ駆けつける状況であっても、京都に行ったら観たいと思っていた展覧会を2つ巡ってきました。ひとつは細見美術館で開催中の「若冲と祈りの美」展で、江戸時代の絵師伊藤若冲の作品に久しぶりに接することが出来ました。細見美術館は伊藤若冲のコレクションが有名で、ギャラリーショップには伊藤若冲のコーナーがあります。そこでつい伊藤若冲の評論集やら「奇想の画家」を著した辻惟雄氏の面白そうな書籍を購入してしまいました。展覧会の詳しい感想は後日改めます。次に向かったのが京都国立博物館でした。ここで開催中の「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」展で、踊念仏を唱えた一遍上人の日本各地への遍歴を絵巻物にした一遍聖絵が圧巻でした。一遍聖絵を見ていると、師匠の池田宗弘先生がスペイン巡礼路を記した作品が思い浮かびました。一遍聖絵は細密で時代の民俗も表現されていて、その中に自分も入ってしまえるような幻想が頭を過ぎりました。見終わった後、漸く現実に戻って京都駅に向いました。この展覧会も詳しい感想は後日改めます。京都は天候に恵まれ、蒸し暑い一日でした。相変わらず外国人観光客が多く目立ちました。毎年横浜からここにやってくると、まさに国際的な観光都市になった古都として、いろいろなところに外国人向けの便宜を図る工夫があって、観光立国を目指す意気込みが感じられます。お土産も日本情緒を盛り込んだ洒落たものが多くなったと感じました。横浜の職場に残って仕事をしている副管理職や事務職にお土産を購入して京都を後にしました。

6月RECORDは「浸潤の風景」

「浸潤」というのは、あまりいい意味では使われないコトバです。「肺浸潤」という病名があり、それは結核菌におかされた肺の一部の炎症が広がっていく疾患です。浸潤の単純な意味では次第にしみ込んで広がることを指しますが、それは液体に限らず、思想などの場合にも使われるコトバでもあります。水彩絵具が紙にしみ込んでいく状況を、絵画的な発想ではその効果を利用して何かを表現することは屡々あります。面白いなぁと思ったのは、5月17日にアップしたNOTE(ブログ)にある彫刻家若林奮の絵具に対する考え方です。「若林は絵具やインクを紙にしみこませ、『紙の厚さを彩色する』ことを試みる。」(江尻潔著)という発想は、明らかに画家のそれではなく、彫刻家の浸潤に関する捉えです。私自身は自作を考えると、彫刻的な要素と絵画的な要素が混在しているため、その双方に理解を示していますが、若林奮流の考え方に妙に納得してしまうことがあります。絵具を幻想化の表現として使うものではなく、あくまで実材として扱うと、浸潤という効果が平面ではなく、空間を伴う立体として立ち現れてくるように感じます。今月のRECORDに選んだテーマである「浸潤の風景」には梅雨の季節を迎える気分もあり、水に覆われた世界とそれが浸透していく状態をどう表現しようかという意思も働いています。滲ませたり、しみ込ませたり、線描写というより絵具中心の画面になりそうです。今月もRECORDを頑張っていきたいと思っています。

6月の制作目標

そろそろ梅雨入りになりそうな鬱陶しい日々ですが、昨日は曇り空の下で図録用の撮影が無事終わって良かったと安堵しています。今月の制作目標は次なる彫刻を作っていくことですが、新しいイメージは既に私の頭の中にあって、まず1点目の陶彫部品を作るところから始めたいと思っています。展示方法は屏風と床を考えていますが、今までの作品と違うところは床部分に多くの陶彫部品を置くところです。過去の屏風作品は屏風そのものに力を入れていましたが、新作は屏風から湧きだした生命体が床を這って出てくるイメージです。もう少しイメージがまとまったら、NOTE(ブログ)でお知らせします。今月は制作と同時に「発掘~双景~」と「発掘~曲景~」それに「陶紋」5点の梱包をしなければなりません。東京銀座のギャラリーせいほうでの個展が来月の海の日から開催することになっているので、その前日の搬入までには梱包を終わらせなければならず、週末を数えるとそんなに余裕がないことが分かってきました。今回から梱包の木箱は先日業者に教えていただいた頑丈なものにする予定です。今月困難を感じているのはRECORDです。雑な下書きばかりが溜まってしまって、どんな作品に仕上げたかったのか、完成イメージを忘れてしまっているRECORDもあります。当初のイメージと完成がズレてしまうこともありますが、自分の不甲斐なさ故に仕方がないと思っています。少しでもそれを解消するために頑張ろうと思います。鑑賞は先月我慢した分、今月は美術館等に出かけたいと思います。読書はヨーロッパに纏わる文化論を引き続き読んでいきます。

週末 図録用撮影日

今日は日曜日ですが、横浜では開港記念日の祝日でもありました。天気は曇りで、ときより晴れ間が覗いていました。図録用の作品撮影には暑くもなく寒くもない、作業をするのに最適な日だったと思いました。朝9時に学生2人が工房にやってきました。彼女たちには野外工房の車の轍跡を消すために、コンクリート床に水を撒いてデッキブラシで擦ってもらいました。10時に多摩美大の助手2人が来てくれました。それから後輩の彫刻家がやってきて、まず「発掘~双景~」の陶彫部品を野外に持ち出しました。10時半ごろにカメラマン2人がやって来ました。家内と私を加えると、陶彫作品の移動や組み立て人数は7人、撮影のカメラマン2人の総勢9人で、今日の撮影イベントを過ごすことになりました。撮影は野外から始まり、「発掘~双景~」と「発掘~曲景~」の2点を組立てました。組立て途中にスタッフと私の作業現場を撮影しました。これは図録の最初の頁に使うもので、毎年恒例になっているものです。次に工房室内の作業台を片隅に移動し、空間を大きく開けて、そこに野外で展示した作品を移動してきました。野外と室内、2回の分解と組み立てを繰り返すので、この時ばかりは複数のスタッフが必要なのです。「陶紋」5点は流れる水を背景に撮影をしてもらいました。私としては今日来てくれたスタッフたちに感謝したいと思います。私の作品は一人ではどうにもならない組立作業があり、運搬も一人では厳しい面があります。毎年のことですが、スタッフの支援は本当に有難いのです。撮影後の作業台等の現状復帰作業もスムーズに出来ました。私は個人的には作品が完成した安堵感が広がり、同時に何とも言えない疲労感に襲われました。これは毎年同じですが、今年は転勤があった故か、とりわけ疲労が例年より厳しいと感じています。夕方スタッフを車で送り、自宅に帰ってきたらソファに倒れるように横になり、そのまま眠ってしまいました。力仕事は若いスタッフに任せていたのに、どういうわけか私もクタクタになって身体の節々が痛くなっていました。おそらく精神的な面が疲労の大半を占めているのだろうと思っています。ともかく今日は無事撮影が終わって良かったと思っています。個展のイメージが見えてきました。

週末 6月になって…

いよいよ明日が図録撮影日になりました。今日は6月に入っての最初の週末ですが、明日の準備のために早朝6時過ぎに工房に行きました。早い時間帯に作業をもってきたのは、9時半から12時までの2時間半、職場のある地域で防災会議が組まれていて、そこに出席するために、早朝の1時間程度の作業をやったのでした。「発掘~曲景~」のテーブルに陶彫部品設置のためドリルで穴を開けました。ボルトナットを使って陶彫部品をテーブルに接着させるのです。8時に工房から帰宅して作業着から仕事用のスーツに着替え、地域の会議に出席してきました。お昼過ぎに自宅に帰った後、また作業着になり、再び工房にやってきました。午後は「発掘~双景~」の陶彫部品が窯に入っているため、窯を開けて最終部品の確認をしました。焼成は何とか成功し、これで全ての完成した陶彫部品が出揃いました。追加で焼成した陶彫部品に印と番号を貼り付けて、そこの部分だけ組み立ててみました。これで明日の撮影は何とかなりそうです。午後の作業時間は4時間でしたが、工房の床や野外の車の轍跡は、明日スタッフと共に清掃を行なう予定です。夕方、再び職場のある地域での懇親会が組まれていたため、また仕事用のスーツに着替え直して出かけました。今日は午前中と夕方に地域会合があったため、工房と職場を出たり入ったりしました。二足の草鞋生活の多忙な一面が垣間見えましたが、自分で選んだ道なので、こればかりは仕方ありません。今日はあっという間に過ぎた一日でした。今日は6月の最初の日なので本来なら今月の制作目標を考えるところですが、今日はそんな余裕がありませんでした。明日の図録用撮影が終わったら、制作目標を考えようと思っています。6月はほとんど搬入用の梱包で過ぎてしまいそうですが、次なるイメージが湧いてきているので、梱包と併行して来年の新作に取り掛かれるといいなぁと思っています。

令和になった5月を振り返って

今月1日から令和元年がスタートしました。アメリカのトランプ大統領が令和初の国賓として天皇陛下を訪ねて来られました。私は新しい職場に徐々に慣れてきましたが、外会議が多くて落ち着かない日々を送っています。落ち着かなかったのは職場だけではなく創作活動も同じでした。工房のロフト拡張工事があって、今月の制作工程がしっかり進められるのかどうか内心焦っていました。今は何とかなりそうなので安堵していますが、図録撮影日が目前に迫っているので予断は許せません。それでは今日は今月の最終日なので制作を振り返ってみようと思います。まず新作の状況ですが、「発掘~双景~」と「発掘~曲景~」と「陶紋」5点、これが個展に出す作品です。そのうち窯内にある陶彫部品が2点あるので、新作は完全に出来上がったことにはなっていない現状があります。ですが、作品を完成近くまでもってくるのに今月は無我夢中で取り組んだことは確かです。新作は撮影日に初めて組み立てるので、そこまでは心配の種が尽きないのです。それでも創作活動は頑張っていたのではないかと自分なりに評価しています。鑑賞では美術展に行った日は皆無でしたが、音楽鑑賞では叔父のコンサートに行きました。親戚に声楽家がいることは幸せなことだなぁと改めて思います。映画鑑賞は「キングダム」(TOHOシネマズららぽーと)と「グリーンブック」(シネマジャック&ベティ)を観に行きました。美術の展覧会にしても映画にしても、さらに行きたいものはあったのに、陶彫による新作に邁進してしまったのは、図録撮影を控えているためでした。今月は職場で体育的なイベントがあったり、新旧職場や自分が関わった団体の歓送迎会が複数あったり、各種総会も多く、日々慌しく過ごしていました。その分、RECORDが犠牲になってしまいました。下書きばかりが先行している現状を何とかしなければならないと毎晩思っているのですが、加齢とは思いたくない蓄積疲労と睡魔に勝てずにいます。読書では「日本流」を読み終えて「ヨーロッパの形」に移行しました。日本から西欧へ私の大好きな文化論は止め処も尽きず、まだまだ楽しめそうです。

「ヨーロッパの形」を読み始める

先日まで読んでいた「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の後は、真逆に位置する西欧の文化史に触れたくなって、「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)を読み始めました。私は1980年から5年間ヨーロッパに住んでいました。彼の地の美術アカデミーに通っていましたが、旧市街を彷徨い歩くことが好きで、学校よりも散策によってヨーロッパを体感することが、今も印象強く心に残っています。ヨーロッパの旧市街は階段が多いなぁと当時感じていて、年老いた人が杖を支えに階段を登っていく姿をよく見かけました。街の景観としては、平面的に広がる日本の農村風景より、石材で構築されたヨーロッパの立体的な風景の方に私は惹かれていて、これはないものねだりの異文化憧憬なのだろうと思っています。本書のはじめの言葉を引用いたします。「なぜ螺旋階段なのかといえば、まっすぐな梯子ではどこかに支えがなければ立たないが、螺旋階段で、それも螺旋の半径がおおきいものであれば支えがなくともそれだけで立つのである。先のほうは雲間に消えているが、ぐるぐる回っていればそのうち天につく。ネジの原理である。日本に種子島銃が渡来したとき、さっそくそれを分解して模倣しようとして、一番苦労したのがはじめて見るネジというものだったという話は有名だし、咸臨丸のころでさえ、アメリカに渡った使節たちが荒物屋でネジを買ってきたという話もある。」成程、西欧の文化史は螺旋から始まると言ってもいいかもしれません。螺旋文様は私が大好きな形のひとつです。植物の生長に限らず、人間の筋肉のつき方も螺旋になっていると、彫刻を学び始めた頃に学校で教わりました。立体は直に立っているより捻ることで構造は強くなる、そんな立体感覚を持ったのもその頃でした。今回はそんな自分の興味関心を受け止めてくれそうな書籍に出会うことが出来ました。通勤の友として楽しんで読んでいきたいと思います。

「日本流」読後感

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)を読み終えました。著者松岡正剛氏はネット上の「千夜千冊」で知りました。「千夜千冊」は、所謂書籍のナビゲーションのことで、これを眺めていると氏の幅広い教養だけでなく、内容を語る視点のユニークさに特筆すべきものがあると思います。本書「日本流」もその路線を辿っていて、日本人としての「あるある」を浮かび上がらせていましたが、我が国の文化継承に一石投じているように思われます。あとがきから引用すると「読みすすむうちに何が見えてくるかという点については、最初は多様な一対の文様を追うように進み、そこでいったん失われたものに思いをいたし、ついではしだいに日本の文化の奥に眠る『スサビの動向』を浮上させるという曲想にした。~略~主題や引用のしかたや言葉づかいについては、いろいろな輻湊関係が丹念にくみこまれている。できればデュアルでポリリズムな音楽を聞くように読んでもらえるとありがたい。」とありました。私も多様な日本流について自分なりに思いを馳せ、祖父が宮大工、父が造園業という職人家庭に育った自分だからこそ思いつくことがあるのかもしれないという考えに至りました。本書の解説から文章を拾います。「『日本流』とはあくまで『日本の流儀』のことで、その現れは多様であふれんばかりだ。『日本流』とは、歴史上と今日とに現実に存在する、多様さに対応する言葉として初めて『発明』された表現であり、新たな視点なのだ。~略~本書に通っている隠れたテーマは、その、『質』である。日本らしさが重要ならば、ただそれだけのことなのだが、実は問題は質なのだと、本書は隅々で言っている。~略~『キワ』という言葉も本書の柱である。感覚をハシやキワにもっていって、ツメてゆく感覚である。その果てに『スサビ』があり、寂しさもある。寂しさや切なさの無い遊びは『ツマらない』のだ。」(田中優子著)

「日本は歌う 間と型から流れてくる」について

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の第七章は「日本は歌う 間と型から流れてくる」について取り上げています。本書「日本流」はこれが最後の章になります。著者が最後に取り上げたのが「間」と「型」です。私たちは普段よく「間がぬけた」とか「間にあわせる」という「間」を入れた会話をしていますが、この「間」とは何か、説明が難しい感覚的な言葉に思えます。「日本の伝統芸能はその大半が『間の芸能』です。能はまさしくその典型だとは思いますが、舞踊・狂言・歌舞伎はもとより、雅楽から常盤津にいたるまで、民謡から小唄にいたるまで、いずれも『間』が勝負になっている。」さらに説明が難しいものを取り上げるとすれば「加うるに伝統芸能や伝統工芸の多くは口伝です。武芸や武道というものもたいていは体得か、口伝です。~略~ようするに秘伝や口伝という様式には、われわれが説明しようとしても説明できない何かが宿っているように思えるのにもかかわらず、それが取り出せないのです。」とありました。「そもそも『間』とか『型』というものは盗むしかないようなもので、そして、それを盗んでみないかぎりは、そこには『過去からの伝承』が生きていることは当の芸能者にもわからないのです。~略~芸がつくられていくきわみに『間』があって、その『芸の間』あるいは『間の芸』が日本の芸能そのものの到達点なんだということです。」この言い回しは日本人なら納得がいきますが、外国人には曖昧模糊としたものに映るのではないでしょうか。「秘伝や口伝。『間』とか『型』。つまりは記憶の文化。これらは日本文化を象徴しているにはちがいないにもかかわらず、また、われわれはそのことを舞台の所作や三味線の手や、文楽の頭の動きや茶碗の深みにはっきり認めているにもかかわらず、いっこうにその姿を明確にあらわさないことによってしか、われわれをゆさぶってくれないもののようです。」では何故このような文化が生まれてきたのでしょうか。「日本にはいつ地震がくるかわからないし、いつ台風や大雪がくるかわからない。日本史の大半は早魃と飢餓の歴史です。~略~しかも資源にはかなり限界がある。季節も変化する。これが不安定でなくて、何でしょう。こういう国では一事が万事です。~略~そこには二つの工夫が生まれます。ひとつは万やむをえず諦めるという観念を維持しようという立場です。これは有為転変を見つめる無常観というものになります。~略~もうひとつは講や座や組や連などといった、小さなネットワークで経済や文化を組み立てるという工夫です。~略~いずれも不安定を宿命と見ているところは同じです。」日本という国の姿、環境から考えて、こんなことが述べられていました。最後に著者が本書の最初に登場した歌について振り返っています。「私がこんなことを書きのこすのは、冒頭にも示したように、西条八十の『かなりや』が、本書の心の一端を歌ってくれているように思っていたからです。~略~日本には歌を忘れてほしくない、後ろの山に捨てるのも、月夜の海に浮かべるのもまだ早い。しかし、そのように歌うことがかえって日本に必要なものを創発させるかもしれない、そういうことでした。」

新作印のデザインと彫り

陶彫部品を組み合わせる集合彫刻には、私は新作ごとに新しい印を貼り付けています。これは多くの部品から成り立つ故の工夫ですが、陶彫部品ひとつひとつの隠れた場所に印を貼り、番号をつけておきます。その番号に従って順序良く組み立てると、集合彫刻が出来上がるというわけです。私の作品は私一人では組み立てられない代物であり、多くの協力者が必要です。スタッフがいないと何も出来ないというのは、助っ人からすれば迷惑な話ですが、大きな彫刻にはそうしたことが多々あります。彫刻家は孤高などと言っていられない事情があって、普段から同僚や後輩や教え子を大切にしていないと協力は得られないのです。陶彫部品に貼り付ける印は、毎年新しくデザインして彫っていきます。作品は分解して保存しておくので、新作の印は部品同士が混ざらないための工夫です。印は柔らかい高麗石に彫りますが、書道家ではないので、篆刻に拘ることはなく自由気儘にデザインをしています。まるで文字を変形させた抽象絵画のような塩梅です。「発掘~双景~」の印は氏名を直線的に構成し直し、ほとんど文字が読めないところまで抽象化してしまいました。「発掘~曲景~」は苗字のみアルファベットで構成したデザインにしました。和紙を小さく切って印を押し、番号を付けて貼るのを、さて、いつにしようか考えています。少なくとも図録撮影日に組み立てるので、そこまでには印を貼っておかなければなりません。今晩の工房は焼成があって使えないため、自宅で印を彫ることに精を出していました。明日は工房が使えるので、陶彫部品の修整を加えながら印貼りをしていこうかと思っています。

週末 図録撮影日前の週末

来週末の6月2日(日)が図録撮影日です。その日に工房スタッフを集めているので、何とか6月2日を新作完成のゴールにしたいところです。もちろん完成するはずと踏んでいますが、心配なことは焼成です。とくに追加して制作した2個の陶彫部品がしっかり乾燥しているのかどうか、そこだけが気がかりなのです。5月にしては30度超えの猛暑日が続いていますが、陶彫部品の乾燥には効果的です。熱中症など身体に悪影響を及ぼす猛暑ですが、私の新作には恵みの高温です。今日はその新たに作った2個の仕上げと化粧掛けを施しました。今日の窯入れは「陶紋」5点と「発掘~曲景~」の2点の合計7点でした。これは大分前に乾燥していたので、まず大丈夫だろうと思っています。水曜日に最後の2点の窯入れをしますが、これが上手くいけば新作の陶彫部品は全て揃います。これは天に祈るばかりですが、焼成の合間を縫って、夜の工房に出かけ、陶彫部品の組立てに必要な細かな仕事が残っているので、それもやらなければなりません。ひとつは陶彫部品ひとつひとつに番号を貼ることです。これは新しく印を彫り、和紙に押して番号を振り、それを陶彫部品の見えない箇所に貼り付けていくのです。罅割れがあるかどうかの確認も必要です。修整剤をつかって皹は埋めていきます。ウィークディの夜は撮影日まで休めないだろうと覚悟を決めています。月曜日と水曜日は焼成が始まるため工房は使えず、その他の日は全て夜の工房に通います。6月1日(土)は職場の地域行事があって出勤する予定なのです。そこが二足の草鞋生活の厳しいところですが、撮影日の前日にやろうとしていた仕事を今週のウィークディの夜に振り替えているのです。何故か辛さは感じません。完成に向かう意志が克っているのかなぁと思っています。こんな時に次作のイメージが降って湧いてくるのが不思議です。私の場合は感極まると新しいイメージが朧気に見えてきます。真夏のような蒸し暑い工房内で頭が朦朧としていて、それでも慎重に窯入れをしてる最中に新作イメージがやってきました。これはある意味では現実逃避なのかなぁと疑いつつ、いつもそうしてやってくるイメージを毎年具現化してきました。まだ創作活動を続けていろと芸術の神々に言われているような気になって嬉しさも込み上げてきます。次作に繋げられるように今週は頑張ろうと思っています。

週末 昇降機調整&陶彫仕上げ

やっと週末になりました。今週は職場外での会議が多かった上に、昨日は野外の体育的イベントを開催し、夜はその成功を祝って打ち上げもやっていました。先週は体調が思わしくない状態でしたが、今週になって体調は回復しつつあり、それでも疲労は相変わらずで、どこかで一日休みたいところを、この週末が図録撮影前最後の週末のため、身体に鞭打って工房にやってきたのでした。この2日間でやるべきことを考えました。今日はとりあえず乾燥した陶彫部品に仕上げや化粧掛けを施し、窯入れの準備をすることです。明日は出来上がっている陶彫部品に修整をすること、これが2日間の大きな仕事です。窯入れは週2回に分けて行なうので、今日行う仕上げや化粧掛けの個数も多くなります。今日は小品「陶紋」5点を含めて7点の仕上げを行ないました。今日も真夏を思わせる暑さで、空調のない工房内は大変な気温上昇に見舞われました。昼過ぎに暑さと疲労のためか身体が動かなくなり、自宅に戻って30分程度休むことにしました。昨日の体育的イベントでも全体で20分程度休憩を入れたので、自分自身にもそのような休憩時間を与えたのでした。午後2時過ぎにまた工房に戻って作業を続行しました。朝の時間帯では昇降機の設置業者が3人ほど来ていて、最後の調整をしていました。そのうちの一人が元梱包業者だったらしく補強材の入った正式な作り方を教えてくれました。私が例年用意している木箱では弱いと言うのです。確かにその通りで、積み上げた時に下敷きになった木箱が潰れそうになるのを防ぐために補強材入りの木箱を用意したいと思っています。図録撮影以降、また業者に連絡を取って、業者が懇意にしている材木店に連れて行ってもらい、梱包の方法を改めて聞いてこようと思っています。

職場の体育的イベント実施日

私と同じ職種の人が、このNOTE(ブログ)をよく読んでくださっているので、職場の体育的イベントとは何のことか、分かっていただいているとは思いますが、情報の拡散を恐れて、私が退職するまでは種明かしはしないつもりでいます。4月より新しい職場に異動してきても、私たちの職種の文化はどこに行っても変わるものではなく、現在の職場でも同じような文化行事が組まれていました。その体育的イベントは野外で実施するものなので、一番の心配事は熱中症でした。マスコミで報道されているような事態になっては、せっかく楽しいイベントも台無しになってしまうので、多めの休憩を取りながら、今日は炎天下のもとで決行いたしました。午後になって風が出てきたので、何とか一日のプログラムを最後まで終わらせることが出来ました。こうしたイベントを経験する度に職場が身近になります。若手職員の一人が早朝3時過ぎに出勤して、黒板アートをやっていました。専門は美術ではないのによくやるなぁと感心しましたが、黒板アート(黒板ジャック)は私の母校の学生たちが始めた「恋するムサビプロジェクト」が発端になって、全国に広まった活動です。この職場に来て、そんな取り組みがあったとは思いも寄らず、ちょっとびっくりしました。ともかく今日は何事もなく体育的イベントが終了出来て良かったと思いました。これは職員の結束が生んだ成果だと思っています。こうしたイベントは年間に何回かありますが、普段は専門職に就いている全職員が専門を超えて連携し、組織として力を発揮するもので、今日は私にとって新しい職場である現在の職場で、職員がどのくらい協力体系が作れているかを判断することも出来ました。現在の職場は昨年度まで勤務していた職場にも匹敵するほど優秀なところが目立ちました。管理職としてこれほど有難いことはありません。私にとっても実り多い一日だったと振り返っています。

「日本と遊ぶ わざ・さび・あはせ」について

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の第六章は「日本と遊ぶ わざ・さび・あはせ」について取り上げています。冒頭に永井荷風の遊び癖が登場します。「荷風には、名状しがたい『遊び心』というものがあります。私はそこが好きです。一見すると、破綻にむかっているようでそれほどでもなく、むしろキワやハシだけを遊んでいる。そんな感じがします。」という一文で、荷風の遊びは真似のできる代物ではないことが分かります。遊びにもいろいろなものがあり、狩野享吉やら九鬼周造の考え方や生き方を参照しながら、彼らの生き方そのものが「いき」な遊びに精通していることが述べられていました。そこで遊びの定義なるものを語っている箇所に興味を持ちました。「どう見ても日本の遊びには二つのものがあるということです。ひとつは歌垣や田楽や風流や法楽のような、あるいはバサラや歌舞伎のようなスペクタクルで”騒がしくなる遊び”です。もうひとつは詩歌管弦の遊びや茶の湯や生け花のような小さくて”静かな遊び”です。」そこから「スサビ」という語句が派生して、遊びの体系を作っていきます。「古代語のスサビは『荒び』とも『遊び』とも綴る言葉で、このどちらかの意味をたどるかで、スサビの感覚もちがってきます。~略~スサビの系譜からはいくつかの重要な遊びのスタイルが生まれます。なかでも目立ったスサビが『スキ』というものです。スキはいまではもっぱら『数寄』とか『数奇』とか綴りますが、もともとは『好き』のことで、何かが好きになること、とりわけ男女のあいだの『好きぐあい』をさしています。~略~スサビの系譜からもうひとつ出てきたもの、それは和事のスサビともいうべきもので、ワビ・サビの『サビ』に代表されます。」こうした展開を進めていくとサビの感覚は軌道を転回して、次なる語句「ワビ」が登場するのです。「ワビは文字通り『侘び』です。すなわち『侘びる』ことである。まさに貧相や粗相をお詫びすることなのです。」ワビは茶の湯で頻繁に使われるようになります。たとえば「村田珠光が試みたことは、それまでは中国渡来の唐物などの道具を持っていなければろくな茶数寄ができないと思われていたところへ、たとえ名品や一品の一物一品も持たなくても、なんとか手持ちの道具を心を尽くして用意すれば、そこに新たな茶の心が生じるはず」というものでした。最後に「アワセ」についてこんな一文を引用しました。「古代ギリシャや古代ローマも格闘技はさかんだったし、レスリングなどは個人の勝負なのですが、どちらかといえば、観衆や応援者が熱狂するためのものだったのです。したがってスタジアムもいきおい巨大になっていく。これに対して、日本のアワセはあくまでポータブルサイズを重んじています。将棋や囲碁などの盤上遊戯から茶道や香道などの室内遊戯まで、まことに小さめの遊びが発達し、しかも精緻をきわめてきているのです。」今日はここまでにします。

工房ロフト拡張工事完成

今日は職場に出勤せず、私たちの職種の「全日本」と銘打った総会が東京の代々木であり、そちらに参加してきました。朝から東京に出勤することになって、通勤ラッシュを久しぶりに経験しました。それでも北海道から沖縄県までの管理職が一堂に集まる総会では、横浜の管理職は電車やバスで移動してきているので、贅沢を言ってはいけないと思いました。東京が地元に近いのは有難いなぁとつくづく思いました。総会が終わって夕方帰宅したところ、工房に大勢の職人さんたちがいました。私は夜の工房に行って、陶彫部品に仕上げや化粧掛けを施して、そのまま窯入れをしようと思っていたのですが、鉄工業者から工房のロフト拡張工事が今日終わったことを告げられました。昇降機も設置されていて、地上階からロフトまでスイッチひとつで上下するリフトに満足を覚えました。昇降機設置でちょっとしたトラブルがありました。リフトが上下する際、蛍光灯に当たってしまうので、蛍光灯の位置をずらすことになったのです。実はこれがなかなか大変でした。私は陶彫部品に仕上げをしながら、工事の一部始終を見ていて、その大変さに職人さんたちの苦労を感じ取っていました。今日は夏のような気温だったので、ロフトはサウナのような蒸し暑さでした。夏場はロフトでの作業は無理があると思いました。逆に地上階はロフト用に天井を張ったので、若干涼しいような体感がありました。ロフト拡張工事が完成したことで、今まで陶彫部品を詰めた木箱が山積みされて、手狭になっていた倉庫スペースに余裕が生まれると思っています。気温の関係でロフトの整理は冬にしようと思います。ともあれロフトが出来上がったのは嬉しいことで、私にとっては今年のビッグニュースです。新作の窯入れはあと3回必要で、今晩と来週月曜日、水曜日に焼成を予定しています。図録撮影にはギリギリで間に合う予定ですが、最後の工程は窯内に鎮座する炎神任せなので、心配の種は尽きません。

「日本に祭る おもかげの国・うつろいの国」について

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の第五章は「日本に祭る おもかげの国・うつろいの国」について取上げています。古田織部と山片蟠桃の生い立ちやその業績から始まる随想の中で、自分はとりわけ古田織部の縄文的変形と言うべきか、歪みをもって美とする破格で大胆な造形に興味が湧きました。花道家中川幸夫の作り出す世界にも触れ、生け花を喩えにして「死と再生」にテーマが移りました。そこで漸く祭りが登場してきます。「世界中のどこの民族も部族もお祭りが好きで、祭りがなければその民族や部族の文化はなかったともいえるほどなのですが、その祭りに、さてどのような意図や組織が動いているかということになると、これは風土・地域・民族・部族・時代・食生活などによってかなり異なってきます。いったい文化を見るには、基層文化と表層文化によって見方のちがいをもったほうがいいと思います。基層文化というのは伝承性がかなり高いもので、その地域や民族にとって気がつかないほど底辺の習俗になっているものです。一方の表層文化は時代性が強いもので、たとえば正倉院の宝物に象徴される天平文化はシルクロードを通った文物が時代の表層を突破して強烈に焼きついたものですが、それは海外の文化が時の支配層などによって積極的に表層文化としてとりいれられ、定着したと考えられる。~略~私はこの基層と表層の文化のちがいを生物学の用語を借りて、『ジェノタイプの文化』と『フェノタイプの文化』というふうに見ています。ジェノタイプは遺伝型、フェノタイプは表現型のことです。」著者は分かり易く文化をタイプ別に分類して述べた後、日本の祭りに論考が及びます。「日本の祭りの根底を眺めていくと、そこにはいろいろな特色がありますが、その大きな共通性のひとつに『擬死再生』という考え方が出てくるのです。擬死再生というのは民俗学用語で、いったん当事者の『からだ』を死んでみせたことにして、それをあらためて再生させるという儀式の仕方のことをいいます。つまり仮の死をつくる。そうして再生させる。むろん実際に死なせるというわけではなく、そういうふうな祭りかたをするわけです。」これはエジプト神話のイシス性と著者は呼んでいて世界中に流布しているため、こうした考え方は至る処に存在すると言えます。最後に日本の民俗学へ話が及び、「ハレ」「ケ」「ケガレ」「キヨメ」という語句に拘る部分が出てきます。「ハレは『晴』で非日常性のことを、ケは『褻』で日常性をさします。~略~ケには枯れたり汚れたりしてしまうことがおこります。これをケガレといって、漢字では「穢」の字をあてる。そこでこのケガレを払拭し、元に戻すことにする。これがキヨメ(浄)とかハライ(祓)です。」さらにヒという語句が出てきます。「ヒは『霊』と綴って、ヒと読みます。このヒがウツワ(空)の中にひそんでいて、それがあるときウツツ(現)となって出てくる。それを『産霊』ともいいます。~略~ヒは結ばれることによって、そこに何かがぴったり定着する。~略~日本は何だって結ぶ。結びすぎるくらいに結びます。だいたい相撲の最後が『結びの一番』ですし、小結があれば、大きな横綱を締める結びもある。さらに結納もムスビですし、結婚もムスビです。息子や娘という呼び方も、もともとはムス・コ(結びによって生まれた彦)であり、ムス・メ(結びによって生まれた姫)でした。こうしたムスビは、日本に来た海外人を驚かせた『髷を結う』というところにも象徴されました。」些か引用が長くなりました。

「日本へ移す 見立てとアナロジー」について

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の第四章は「日本へ移す 見立てとアナロジー」について述べられています。日本は「見立て」の文化と言われますが、そもそも「見立て」とは何でしょうか。著者がさまざまな例題を挙げて説明していますが、「見立ては、『喩』あるいは『比喩』の作用のひとつです。」という一文がありました。欧米の美学や修辞学で言えば、メタファー(隠喩)、メトニミー(換愈)、シネクドキ(提喩)であるとも説明されていました。著者が示す例示の中で、私の興味関心は庭園と茶の湯、浮世絵に注目しました。「あらためて庭園における見立ての話になりますが、日本の庭園では、なにより枯山水が石組だけなのに、それが水や川や海の見立てになっていることに驚きます。石庭ではこうした見立てを総称して、しばしば九山八海とよぶ。~略~そのほか庭づくりでは水と石が見立ての対象になる。水ならば荒磯や州浜や布引が、石ならば三尊石・鶴亀石・補陀落石・須弥山石・座禅石・十六羅漢石などが欠かせません。これらは山や河原で本物の石を見立て、そこから運んだものでした。このような水や石の見立ては、これがさらに転じて、『州浜』『千鳥』『落雁』『吹き寄せ』『松襲』『雪餅』『月の雫』といった和菓子の見立てにつながります。」へぇ、と思わず頷いてしまうものばかりですが、茶の湯でも同じような見立てが罷り通っています。「茶の湯に使う茶碗の『銘』のほとんども、見立てで名付けられていたものでした。~略~茶の湯では釜も茶杓も水指もみんな銘がついている。やはり『立てる』の意識のせいかと思われます。」陶彫をやっている私は釉薬を使いませんが、釉薬の窯内での流れ方を見て、偶然出来た模様にどこかの風景に重ね合わせて、銘つまりタイトルをつけたくなる作者の心境はよく分かります。唯一無二のものがそこにあるからです。最後に浮世絵で一世を風靡した葛飾北斎に触れた箇所がありましたので、引用いたします。「北斎は本書に登場する日本人のなかでも、図抜けて多様性に富んだ人で、自分の画号だけでも三十以上はもっていた。だいたい『富嶽三十六景』にして、格別の見立ての能力がなければ、あんなにひとつの富士山を描き分けられるものじゃありません。加えて北斎の漫画の数々こそはまさに見立て絵の独壇場です。そこには『それが何に見えるか』というようななまやさしい視点だけではなくて、『何がどのように見えてほしいのか』という注文の予想までもが、ことごとく先取りされている。~略~北斎は六歳にして『物の形状を写すの癖ありて』と自分で癒しがたいほどのアナロジー癖を書いているほどの画狂人でした。」

週末 新作の陶彫全て出揃う

最近体調が優れない毎日が続いています。工房がロフト拡張工事によって、作業スペースが限られてしまっているのが、原因のひとつかもしれません。今日も鉄工業者は工房に姿を見せませんでした。鉄材や板材を切断する騒音の中で、創作活動は出来ないのではないかと、途中経過を見に行った家内が言っていました。鉄工業者は個人経営で、今まで週末も休まず作業をしていましたが、ここにきて私に配慮してくれているのかなぁと思っています。ロフト拡張工事は完成間近で、何時ごろ終わるのだろうか、実は気を揉んでいるところです。新作の陶彫も完成間近です。ただし、陶彫は最後に焼成があるため、もうひとつ山を越えなければなりません。体調が優れない中、今日は多少無理をして2個の陶彫部品の成形と彫り込み加飾を終わらせました。今日は美大生が自らの課題をやりに工房に来ていました。私は彼女に背中を押されるように頑張ったのは確かですが、彼女も相当頑張ったようで、夕方になって彼女を車で送るときは2人ともヘトヘトになっていました。今日作った2個の陶彫部品で全て新作が出揃ったことになります。その次は乾燥を待って、仕上げや化粧掛けを施して窯入れになります。さて、6月初旬までに出来上がるかどうか、毎年のことですが、これは賭けみたいなものです。完成への緊張を伴う綱渡りは今回も経験することになりました。今まで余裕を持って作品が完成したことがないので、この状況には慣れてはますが、思いを巡らすと冷や汗が出てきます。今回は焼成で失敗できないのが気にかかるところです。陶彫制作は、私の彫刻家人生のほとんどを占めていますが、技法に溺れずに今までやってこれたのは、熱心に作った作品を最後に窯に入れて焼成する工程があるためで、今も窯内で割れる要因が分からない場合があります。そもそも器などを作る陶芸では考えられないような無理な形態を作っているので、割れや皹はあって当然と肯定すべきでしょうが、口惜しくて仕方がない時もあります。最近は達観していますが、若い頃は布団を被って寝てしまうことが度々ありました。今回も大きな陶彫部品を2個潰しています。工房の裏にはハンマーで叩き割った陶彫の破片が山積みされています。ところが、ここ2週間の締め切りの迫った状況での失敗は許されません。天に祈るのみです。来週が撮影前最後の週末になります。

週末 「発掘~双景~」大詰め

週末になり、朝から工房に篭りました。ロフト拡張工事が進み、天井に昇降機が取り付けられていました。昇降機は天井を移動できるようにレーンがありました。1階からロフトに荷物を上げ、さらにロフト内を移動して、荷物を降ろすようになっているのです。ロフトの床はほとんど出来上がっていて、ロフトの重さを太い鉄柱で補強する仕事がまだ残されているようです。作業中はかなりの騒音を発するため、今日は私に遠慮したのか、鉄工業者は来ていませんでした。家内がウィークディの昼間に工房を見に行ったところ、鉄や厚板を切断する音が厳しくて、その場をすぐ立ち去ったそうです。ともかく今日は静かな中で陶彫の作業が出来ました。「発掘~曲景~」の陶彫部品は全て出来上がって、今は乾燥を待っています。「発掘~双景~」の調整の陶彫部品が2つ足りないことが分かって、今日早速土練りをしてタタラを準備しました。2つの陶彫部品はそれほど大きなものではないので、明日一気に2個作ります。今週は体調が思わしくなく、胃腸の具合が変でした。4月に職場を転勤して、漸く少し慣れてきたところで、気が緩んだのでしょうか。自分なりに無意識に気を張っていたようにも思うし、工房ではロフト拡張工事が始まっていて、創作活動も落ち着かない状態だったので、いろいろな面で不安定な気分が続いてしまったようです。職場では、職種は今までと変わらず、またキャリアもあるので何とかなっているし、また陶彫制作も長年やってきているので、制作に迷いは生じていません。それなのにこんなに自分は弱かったのかなぁとつい思ってしまいます。暫くすれば気持ちは落ち着くとは思いますが、来月初旬の図録撮影までの道のりが、自分にとっては厳しいなぁと感じています。これは毎年のことですが、今年ばかりは多少勝手が違うので、変化についていけないのかもしれません。それでも明日は陶彫成形を行ないます。陶彫は成形や彫り込み加飾を施した後、乾燥させる必要があり、また焼成もあるので、早めに作っておかないと撮影に間に合わなくなることもあるのです。明日も頑張ろうと思います。

若林奮「犬」による彫刻

平塚市美術館で開催中の「彫刻とデッサン展」に出品している彫刻家のうち、私の興味関心が高い2人目は若林奮先生です。この人も大学の教壇に立っていましたが、当時から若林先生の説明が難解すぎて、学生の私は到底近づくことが出来ないと思っていました。若林先生の展覧会には全て足を運ぶものの、今も作品に内包される思索が分かっているとは言えません。この人は何がしたかったんだろうと思いを巡らすことが屡々あります。今回の展示作品も全て理解できたわけではないのですが、何故か不思議な魅力があって、惹きつけられてしまうのです。本展には作家の飼い犬をモチーフにした彫刻やデッサンが数多く出品されていました。「泳ぐ犬」や「雰囲気」など、私はいろいろな美術館で展示されてきた同じ作品を見てきました。独特な彫刻観がこの作家の特徴であることは間違いありません。「自分の家で飼っていた犬を観察しながら、その犬に見せる彫刻をつくることを計画し、最終的には彫刻が自分と犬の間にあり、それぞれに向いた半面が、自分と犬に所属していると考えるようになった。」というのが図録に掲載されていた作者の一文です。犬に見せる彫刻、これはまたどのようなモノなのでしょうか。またデッサンにおいても、先生は独特な感覚をもって制作されていたようです。「『表現法や形式は絵画のふりをしているようなものも、ほとんど物質の話の中に収まるもののように思える。あるいは彫刻の一つの形状ー薄い彫刻ーと言うんでしょうか。…そういうところに多分入れてよいんではないかと自分では思っています。』奥行きのある、物質性の強い彫刻の対極に、奥行きのない、物質性のほとんどない薄い彫刻としてドローイングを位置づけている。~略~若林は絵具やインクを紙にしみこませ、『紙の厚さを彩色する』ことを試みる。」(江尻潔著)デッサンも薄い彫刻とした発想に、普段から物質を相手にしている私も頷いてしまうのですが、世の中に平面は存在しないという存在の原則論に立てば、これも納得してしまう論理ではあります。

保田春彦「壁」による彫刻

平塚市美術館で開催中の「彫刻とデッサン展」に出品している彫刻家の中で、私が大学在学中から憧れていた作家が2人もいることが分かり、平塚まで車を飛ばして作品を見に行きました。一人は保田春彦先生で、当時は大学で教壇に立っていましたが、私が直接教わることはありませんでした。今なら気軽に研究室を訪ねていくものを、保田先生は雲の上の存在で、顔を合わせることさえ躊躇しました。長く住まれたイタリアの街の構築的な要素をイメージして、硬質な抽象空間を作り上げている先生の彫刻作品は、人を拒絶するような緊張感があります。会場には「壁に沿うかたち」と「弧の交わる壁」という鉄による壁をテーマとした2作品と、そのエスキースとも言えるデッサンが展示されていました。図録には「彫刻が絵画と異なる点を挙げるとすれば、とくに石のような素材を考えた場合、その表現に必要な絶対的な時間量と、肉体を伴う労働力の、かけはなれた差異ではなかろうか。仮に、”一気呵成”などという無責任な言葉で、タブローを前にする画家の表現行為を形容出来たとしても、石を前にした労働を表す辞句とは到底なりえないという意味である。」(著作「造形の視座」から引用)とありました。先生の寡黙で重い言葉が聞こえてきそうな一文だなぁと思いながら読みました。先生のデッサンはほとんど設計図と形容した方がいいようなもので、鉄や石をカットする割合や寸法、角度がメモされています。形態を研ぎ澄ましていく過程が描かれているような箇所もあり、これも先生らしいなぁと思いました。私もNOTE(ブログ)で自作に触れて、一気呵成には出来ないと標榜してきましたが、別に保田春彦流の発想を真似たわけではなく、本当に彫刻制作は時間がかかるのです。展覧会前にさっと作り上げてしまう画家を羨ましく思うと同時に、労働の蓄積などと言って、己の制作姿勢を肯定しなければ、彫刻家は精神的にやっていけないのかもしれないと思った次第です。

平塚の「彫刻とデッサン展」

先日、平塚市美術館で開催中の「彫刻とデッサン展」を見てきました。「空間に線を引く」と題され、著名な日本人彫刻家が集められた本展は、私にとって重要な展覧会であり、必ず見に行こうと決めていたのでした。まだ自分は彫刻を専門にしようと考えていなかった高校時代に、美術科教諭から美術準備室でデッサンの手ほどきを受け、美術の専門家への第一歩を踏み出したのでしたが、目の前の対象を写し取るデッサンはなかなか難しく、それまで楽しかったはずの美術が、一気に困難克服のための修行になった気がしました。当時は木炭紙に木炭で石膏像を描いていましたが、高校の帰りがけに予備校に通いだすと、描写用具が木炭から鉛筆に変わりました。大学で彫刻を学び始めた頃に、H・ムアの防空壕に避難した人々を描いたデッサンや、A・ジャコメッティの針金のようになった人物デッサンを知って衝撃を受けました。画家の描くデッサンと彫刻家のそれとは何かか違うと私は感じていて、まさに「空間に線を引く」デッサンに関心が移っていきました。図録の中にロダンにおける彫刻の捉えが出てきます。「視覚で捉えることのできる表面ではなく、その内側の動勢にこそ彫刻の本質があるとしたロダンの言葉は、それまでの視覚優位であった彫刻論とは明らかに異なるものであった。」というもので、さらにドイツ人哲学者J・G・ヘルダーによるこんな言葉が続きます。「絵画と彫刻の違いを、『彫刻は真実であり、絵画は夢である。彫刻はまったく呈示する表現であり、絵画は物語る魔法である』」というヘルダーによる触覚論は、視覚を五感の上位におく当時の美術の考え方に異を唱えたものだったようです。そこで実際のデッサンを基に、こんな一文が綴ってありました。「無数の線の集積から確かに実在する存在が立ち上がり、それを取りまく不可視の空間が現前としている。~略~一本々々の線が作者の手となり対象を触知し、手探りで平面上に現前させる。そこには容易に気づき得ない対象と空間構造の緊密な関係が生まれている。」(引用は全て土方明司著)自分が注目する個々の彫刻家の作品には後日改めて触れたいと思います。

荘司福「刻」について

92歳の長寿を全うした日本画家荘司福。その絵画世界の変遷を、今回の展覧会「荘司福・荘司喜和子展」(平塚市美術館)でじっくり見ることが出来ました。私は若い頃に描いた人物画や仏教に取材した絵画よりも、最晩年に描いた一連の風景画が大好きです。とりわけ1980年代終わりから90年代にかけて制作された風景画は、簡潔な構図でありながら、深い精神性を湛えていて、見る者に何かを感じさせる空白が残されています。それ故、暫し絵画の前で佇んでしまうのです。空白は有在の無であり、余裕の産物であると私は解釈しています。生涯を終えるまでに、こんな世界感が獲得出来たらいいなぁという羨望もあって、私が惹きつけられる要因だろうと思っています。その風景画群の中でひとつを選ぶとすれば、1985年制作の大作「刻」です。図録の解説には「一乗谷の朝倉氏居館跡に取材。朝倉氏は戦国時代に一乗谷を中心に越前を支配した戦国大名だが、16世紀後半に織田信長に滅ぼされた。」とありました。この作品に対する作者のコメントもありましたので、掲載しておきます。「幾百年もの年月をそのところに存在して、刻の流れの中の興亡も戦乱も又多くの人々の生きざまもいろいろなものの中に在った石の群、今は白日のもと深閑としてそこに在る。石以外は何もない白い空間の中に、多くのものが重なりあって充満している虚の空間、石を見てそんな空間を描いてみました。」(「三彩」457号より)虚の空間とは何もないのではなく、描かれた対象よりも雄弁に語る空間ではないかと私は思っています。描かれている苔むした石を見て、そこに過ぎた時間の蓄積を感じ取り、幾多の人々の往来を感じ取るのは、石が置かれた場所の空気を鑑賞者が感じ取れるからだと私は考えます。時間の沈殿の中に諸行無常を思い起こさせる世界が私は好きです。

平塚の「荘司福・荘司喜和子展」

先日、平塚市美術館で開催中の「荘司福・荘司喜和子展」に行ってきました。日本画家荘司福は92歳まで生き、日本画の世界では重鎮であったことを私も知っていました。晩年の風景画をどこかで見て、その端正で奥深い世界に感銘を受けたことが思い出されます。同じ日本画家荘司喜和子は、今回の展覧会で私は初めて知りました。新たな時代の抽象化した日本画の世界に真摯に取り組んだ精神性に驚きました。2人は姑と嫁の関係であったようで、荘司喜和子は惜しまれて39歳の若さで逝去しています。2人の間には表現こそ異なりましたが、写生を通じて何かを掴むという共通した認識があったことが伺えて、見ていた私は複雑な心境になりました。図録によると「荘司福は自分の作品は自分の肖像画であると言う。それは荘司福が描こうとしたのは、客観的な風景などではなく、彼女が感じた哲学的な風景であり、それは彼女の本質を伝えるものだからだと思う。荘司福は日本画家には、否日本人には珍らしく哲学的瞑想をし、それを絵画化する人なのであった。」(草薙奈津子著)とありました。一方で荘司喜和子はこんな風に述べられています。「喜和子が、写生の段階で目に見える光景を面的にとらえ、自然の様相をシンプルな形態に還元していること、その上で、ひとつひとつの形態に加除修正を加え、自在に組み合わせて画面に配置している様子が見て取れる。~略~また、写生的な描写によって対象の本質を表そうとする油彩画とは異なり、日本画は、入念な写生を繰り返すことで対象をシンプルな線と形態に還元し、その核心に迫ろうとするものである。不要な部分を省き、簡潔な形態把握を行うという点で、モチーフを抽象化しやすい傾向を内包していると言えるだろう。~略~写生を突き詰めて形態を獲得する福とは異なり、喜和子は、モチーフと相対したときから対象を色と形で捉え、そこから抽出した色と形態を組み合わせて作品を制作している。」(家田奈穂著)2人の画家の間にはどんな会話があったのか、単なる姑と嫁の関係ではないものがあったのでしょうか。そんな気配を感じさせる展覧会でした。

週末 窯入れ準備&「曲景」テーブル塗装継続

いつもなら日曜日は元気回復して制作に突き進むのですが、今日は疲労が残っていました。水曜日、金曜日、土曜日と歓送迎会が続き、出来るなら今日一日休みたいと思っていました。来月早々にある図録撮影を考えると、今日の制作ノルマをやらないわけにはいかず、重い身体に鞭打って朝から工房に篭りました。幸い美大生スタッフがやってきてくれたので、彼女に背中を押されるように陶彫部品の仕上げを始めました。明日は鉄工業者に窯入れがあって電気が使えない旨を伝えてあって、業者に休んでもらっているのです。ロフト拡張工事も佳境を迎えていて、業者の完成も目の前に迫っているので、一気にやってしまいたいところでしょう。ともかく今日は陶彫部品の仕上げと化粧掛けは午前中にやりました。大きな部品を2体、窯に入れました。午後は昨日からやっている「発掘~曲景~」のテーブル塗装の続きをやりました。基本となる色彩は昨日のうちに砂マチエールに滲み込ませてありました。油絵の具なので完全には乾いていませんが、それでも次の色彩を上から滴らせて、色彩効果を確かめました。今日は夕方までに4種類の色彩を滴らせたり、飛ばしたりして、その交わり具合を見ながら、当初のイメージに近づけました。「発掘~曲景~」は旧作より明るい色彩を用いていて、ややポップな感じを出そうとしています。接合する陶彫部品はいつものように鉄錆色になりますが、曲面を多用した形態になっているので、今までの作品とは趣が変わるのではないかと思っています。スタッフを一人工房において、私は近隣のスポーツ施設に水泳に行ってきました。自分では疲れていると思っていたはずが、割合楽に泳げたので肉体は疲れていないんだなぁと思いました。飲み会は精神的な疲れなのかもしれません。夕方窯のスイッチを入れて、工房を閉めました。スタッフを車で送り届けて、今日の工程は終了しました。

週末 「陶紋」加飾&「曲景」テーブル塗装

大型連休が過ぎ、漸くまた週末がやってきました。朝早く工房に行くと、ロフトの拡張工事が進み、計画したところまで鉄骨の梁が設置してありました。工房の3分の2はロフトになる計画で、ロフトにも蛍光灯を設置して、倉庫部分も明るくする予定です。今日は電気業者が来て、複数の蛍光灯を取り付けていました。昇降機はまだこれから設置する予定で、あと1週間くらいでロフト拡張工事が完成する見込みです。私は工事のため手狭になった作業空間で、大型連休中に成形を終えた「陶紋」5点の彫り込み加飾をやりました。ウィークディの夜に作業するつもりになっていましたが、関係団体での歓送迎会が水曜日と金曜日にあったため、なかなか工房に来られず、結局彫り込み加飾は週末の作業になってしまいました。ウィークディの仕事も外会議が多くて疲れた1週間でした。今日はそんなことで調子が出ない一日でしたが、午後は「発掘~曲景~」のテーブル部分の塗装を行ないました。連休中に砂マチエールを施しておいたところ、硬化剤がしっかり固まっていました。そこに油を多めに溶いた油絵の具を滲み込ませていく作業をやりました。1回目の塗装は基本となる色彩を全体に塗る作業です。次に別の色彩を無造作に散らせていきます。そのアクションペィンティングを何度か繰り返して、自分が求めるイメージに近づけていくのです。今日は基本となる色彩を施してひとまず作業を終わりました。明日続きをやろうと考えています。明後日の月曜日は窯での焼成を予定しているので、鉄工業者や電気業者は工事を休んでいただく旨を伝えました。そこで明日はテーブル部分の塗装継続と、窯入れのため陶彫部品に仕上げを施す作業を行います。今晩もある団体の歓送迎会が組まれていて、夜の街に出かけます。予定が密集している時期で、心身ともに疲れるなぁと感じています。

5月RECORDは「叢雲の風景」

今月のRECORDのテーマを決めました。RECORDは一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っていく総称で、文字通りのRECORD(記録)になっています。今年は「~の風景」というタイトルをつけていますが、今までのRECORDも風景描写をしている作品が多いので、風景という文字がタイトルに加わっても画面に大きな変化はありません。主題が明瞭になっただけの話です。今月のテーマを「叢雲の風景」としたのは、2019年の1月に「かすむ」というタイトルで作っていたRECORDを思い出し、霧や霞の中で風景が見えにくい状況をさらに続けたいなぁと考えたからです。当時のテーマ設定の内容を振り返ると、不安定で先が見えない国際情勢にも触れていました。現在でもそこは変わらない状況ですが、今回は発想を古代日本にも向けていて、霞む風景を「叢雲」というコトバで表しています。これは熱田神宮に伝わる三種の神器である「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)に由来しています。日本神話において、スサノオが出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に、大蛇の体内から見つかった神剣が「天叢雲剣」で、ヤマタノオロチの頭上にはいつも雲がかかっていたので、こう称されているのだそうです。今回は日本神話を描こうとは思っていませんが、発想のひとつとして神話を借りることはあるかもしれません。日本神話を突き詰めていくとなかなか面白そうですが、学術的探究は今はやりません。今月も一日1点完成を自分に課して頑張っていきたいと思います。

佐倉の「ジョセフ・コーネル」展

大型連休を利用して千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館に「ジョセフ・コーネル コラージュ&モンタージュ」展を見に行ってきました。DIC川村記念美術館にはアメリカの造形作家ジョセフ・コーネルの作品コレクションがあって常設展示されています。コーネルの世界に惹かれている私は、別の展覧会の時にもコーネルの作品を必ず見ていました。私はコーネル関連の書籍はほとんど読んでいるので、それだけで作家を身近に感じてしまうのです。私はアメリカに行ったこともなく、生前のご本人にお会いしたこともないのにも関わらず、コーネルが家族と共に住んだ自宅兼用ガレージで箱の作品を制作している姿を勝手に思い浮かべていました。コーネルの作る箱は内部に既存のモノが配置されていて、詩的な情緒もさることながら、作家の謎めいた思索を紐解いていきたい願望に駆られます。一見分かり難い世界を前にして、あれこれ自分なりに解釈するのが密かな私の楽しみになっているのです。飛び立つ鳥を封じ込める鳥籠や過ぎた時間を瞬時に切り取ったようなホテルの片隅に、そのミニチュアを作った作家の思いが交差しているように感じています。今回の展覧会ではコラージュ&モンタージュという創作技法がタイトルにありました。コラージュとは、仏語で糊付けという意味があり、雑誌の切り抜き等の素材を組み合わせる技法のことで、シュルリアリストの常套手段です。平面に斬新な並置を試みて非現実的な世界を作り出します。またモンタージュとは、映画用語で視点の異なる複数のカットを組み合わせる技法です。コーネルは映画が好きだったらしく、映画フィルムの断片をコラージュした作品がありました。映像作家の協力を得て、実験映画も作っていました。私はコーネルによる映像を今回初めて観ました。映像も含めて50点が展示された空間に接して、横浜から車を飛ばしてわざわざ千葉県佐倉まで来た甲斐があったなぁと思いました。