今年度最後の儀式的イベント

このNOTE(ブログ)では私の職種を明らかにしていませんが、秋にあった祝祭的イベントが新聞報道されたため、職種が新聞に掲載されてしまいました。このNOTE(ブログ)を同業者の方も読んでいただいていることも聞いています。それでも拡散を怖れて、敢えて職種を伏せておこうと思っています。今日は、今年度最後の儀礼的イベントがありました。イベントでは、専門職である全職員が、専門の枠を外れて、協力し合う場面が多くありました。そのおかげで今日は厳粛なイベントができたと私は思っています。集団で行う式典は、全員で襟を正して気持ちを揃えていくものであると私は考えます。そこに個性の主張は要りません。私は彫刻家として個性の発露を何よりも大切にする者ですが、式典に関してはまるで異なる見解を持っています。式典によって集団社会の中で、個人でもケジメをつけるべきです。個性的であろうとする場面と、そうでない場面を使い分けていくのが円滑な人生だろうと私は思います。今日の儀式を済ませて、明日は創作に立ち向かう週末を迎えます。明日は個性を追求する自分だけの時間を過ごします。今晩は立派な式典を成功させた全職員を労いました。今年度もあと僅かになりました。

アートの捉えについて

「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)は、美学者の立場からアートを論じようとしている書籍です。アートという現代を席巻している新しい概念を、私自身は積極的には使っていません。理由として、自分の中でアートに対する明確な考えが定まっていないからです。現在読んでいる「アートと美学」は、アートを知るための手がかりになればと思っています。アートは単なる芸術の外来語ではなさそうで、従来の芸術に新しい概念を齎せています。美術の枠では収まりきれなくなった思考表現が、アートとして括られていると考えられます。現代社会に対応する価値観を有する表現がアートというわけです。自分の名刺を作るときに、私には芸術家以外の立場として公務員管理職としての立場があって、こちらの方は社会的な名称が定着しているため、何の疑いもなく名刺を作ることができました。芸術家としては少々困りました。アーティストと呼ばれることに私は躊躇します。アーティストは結局何をする人なの?という曖昧さと気恥ずかしさがあって、私は彫刻家を名乗ることにしました。表現が彫刻だけに限らなければ造形作家、こちらの方がしっくりいきます。社会的な地位を持っているもうひとつの職業を表す名刺と造形作家の名刺、2種類の名刺を今も使い分けていますが、それでも造形作家の方が如何わしい印象を与えます。ましてやアーティストなど私には名乗れるはずがありません。怪しい活動家ともペテン師とも揶揄されそうです。これはアーティストというものが、あまりに多義多様にわたる職業を含むからではないかと思っているからです。もうひとつはカタカナ職業が嫌いという私の趣向にも原因があります。アートも同じで、ボーダーレスな表現を自分なりに咀嚼できない頑固者なのかもしれないと自分を分析しているところです。彫刻家ですよね、と人から言われると私は素直に頷きますが、アーティストですよね、と言われると、いいえ違いますと即座に否定してしまう私は気難しいのでしょうか。

「学問と美学」について

現在、通勤時間帯に読んでいる「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)の第一章では「学問と美学」について考察しています。私は幾度となくNOTE(ブログ)に書いていますが、哲学に興味関心があります。このNOTE(ブログ)にも最近読んだニーチェ、ショーペンハウワー、ハイデガーの著作の感想を掲載していますが、本書に出てくるヘーゲルについて私は僅かに齧っただけなのです。文章を引用すると「『精神的なものが、感覚的な形となって現れる』という彼(ヘーゲル)の定義は、美学が芸術に与えた最上のものの一つである。ヘーゲルは恐るべき慧眼の士であった。『芸術』の観念に最も相応しい形式は、文芸でも音楽でもなく造形芸術であり、就中、彫刻である、これがヘーゲルの芸術哲学の核心だった。」とありました。ヘーゲルはギリシャ彫刻をイメージしていたようですが、こんなふうに語られてしまっては、私としてはヘーゲルの著作に挑むしかないかなぁと思いました。西欧の学問の源は何からきているのか、文章を探ってみると「西欧哲学の標榜する神、具体的には、ギリシャの神々とキリスト教の神である。多神教か一神教か、それが『神学theology』を違ったものにした。神への見方が異なると、当然、神を範に仰いで人間を見る、その見方にも違いが表れる。ギリシャ哲学とキリスト教神学とは、互いに別のものだった。~略~ギリシャ哲学とキリスト教神学、この異質な二つのものがグレコ・ローマン的文化の支柱である。西欧の諸学問、それがグレコ・ローマン文化を継承しつつ発展させたものである以上、諸学問が『神学』から完全に離脱することは不可能である。そして離脱できない範囲で、すべからく諸学問は人間探究の一環をなしている。」西欧哲学は神学ありきの学問として始まったにせよ、近代になって神を蔑ろにするニーチェの思想が登場し、その後に何か変化が生じたのでしょうか、実はこんな文章もありました。「近代合理主義もしかし、神学と訣別できるものではなかった。哲学として最も信頼できる学問形態は『神学』だったし、これ以上の学問が存在した例もなかった。新しい学問、合理主義的思潮、それは決して『無から』生じた訳ではない。学問的な伝統あってこそのことなのである。神学と訣別できるかのような学問は、自ら学の体裁さえ覚束ないことを認めねばならなかっただろう。それが西欧の学問、というものである。」うーん、言われてみればおっしゃる通り。西欧的な神の存在は日本人には分かり難いところもあり、神の否定に走ったニーチェも西欧哲学の枠内にいることは確かです。否定をしなければならなかったのは、その存在を認めているからこそなのだと認識しました。

「フォルム」について

職場に持ち込んで休憩時間に読んでいる「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の中で、カンディンスキーが唱えるフォルムについての考察がありました。「〈内部〉にもとづくこうした決定が根源的であること、その決定は絶対的な必然性にしたがって行われること、この〈内的必然性〉は、それに従属しているフォルムにとって自由を意味すること、この〈必然性〉は『純粋芸術』としての芸術一般の自由をあきらかにしていること、以上がことが少なくともひとつの事態を説明してくれる。つまり、あらゆる真正な作品から出てくる必然性の印象そのものということであり、それとは逆の偶然性ということであり、極言すれば平凡な絵画の特徴になっている根拠の欠如ということである。」フォルムの概念とは何か、内的必然性を秘めたフォルムには自由で真正なものが宿るとでも言っているのでしょうか。同じ趣旨で言い方を変えた箇所を探すと、「フォルムは、自己が表現すべき使命を有する当の抽象的な内容によって決定されており、内容によるフォルムのこうした決定とは、あらゆる真正な絵画が依拠すべきであり、現に初めから依拠してもいる〈内的必然性〉の原則なのである。」というカンディンスキーの主張は、今読むと定説になっていると感じるところですが、改めてフォルムについての考えを再度見直してみる機会と捉えてもいいかなぁと思います。何でもありきの現代アートの世界で、そうした動きを最初に唱えた「芸術における精神的なもの」、カンディンスキーの芸術の提唱は、混沌とした現代にあっても新鮮さを失っていないと感じるのは私だけでしょうか。

映画「長江 愛の詩」雑感

朦朧とした水蒸気が立ち昇る大河長江。文学青年だった主人公が父より受け継いだ古い小さな貨物船の船長になり、違法の運搬を引き受けて、長江を上流に遡っていく物語を中心に据え、そこに時空を超えたエピソードが展開するのが、映画「長江 愛の詩」でした。ミステリアスな女性が行く先々で登場し、主人公と愛を紡ぐ場面がありました。彼女の存在は何なのか、現代中国の経済発展の証とも言える三峡ダムの場面では、彼女との再会を果たすことはありませんでした。彼女は実在の人物ではなく、何かを象徴する存在なのかなぁと映画を観ているうちに気づきました。鄙びた港に停泊する主人公の貨物船。その中での老いた機関士や若い船員との現実的なやり取りや河口から見える風景を垣間見ていると、映画は現代中国の発展やら洪水で荒廃した村落を描いていて、実にリアルな印象を与えます。それでも主人公が船底から発見した亡父の地図や詩集によって、詩情的な幻想に誘われてしまうのです。映画の後半に長江の源流を旅する主人公がいて、まさに現実と幻想が織りなす世界観が、この映画の主張するところではないかと思いました。パンフレットから引用した文章を掲載します。「霊魂への意識や仏教、修行のモチーフの一方で、三峡ダム、河の汚染、河口の都市の様変わりが、富という現代中国の新たな宗教を指し示す。取り残される農村と洪水の生々しい惨禍。幻想的かつ詩的イメージとリアルな現実。相反するそうした要素がアン(女性)とガオ(主人公)のラブストーリーを複雑にねじれさせるのか?」(川口敦子著)煙る長江に見え隠れする迷宮じみた現実と幻想、錆色した現代と紫色めいた山水、瑞々しい自然の後にやってくる高層ビルの立ち並ぶ人工の空間。大河には対峙する世界が広がっていて、人と人のドラマより、寧ろ雄大な景観に圧倒されました。

週末 焦らず休まず陶彫制作

日曜日はほぼ一日陶彫制作をやっています。土曜日はウィークディの疲労が残っているため、美術館や映画館に出かけることが多いのですが、制作工程を考えると、日曜日は朝9時から夕方4時くらいまで工房に篭っています。陶彫部品を寄せ集めて集合彫刻にするため、焦らず休まずコツコツと作り続けるのが私の流儀です。一気呵成には出来ないのが私のやっている集合彫刻で、これは自分の生活スタイルに合っていると自覚しています。その日の意欲のあるなしに関わらず、同じ時間帯に工房に行って、制作サイクルの中で作業をしています。職人のような動きが、作品を着実に推し進める原動力になっています。そのつど陶土に埋没して、緊張感の中でやっていますが、制作サイクルから大きく逸脱することはありません。幾度かNOTE(ブログ)に書いている労働の蓄積というのがぴったりくるコトバです。陶彫は土練りから始まって、タタラ、成形、彫り込み加飾、乾燥、仕上げ、化粧掛け、焼成という段取りがあるため、工程ごとに作業が異なります。ひとつの陶彫部品に一日中関わることはしません。複数の陶彫部品を同時に進めていて、次から次へと段階別の作業に追われているのです。大きな厚めのタタラを立ち上げる工程もあるので、陶土がどの程度乾燥しているのかを見極める必要もあります。彫り込み加飾も陶土の表面が乾燥しすぎると、掻き出しベラが使えなくなります。といって柔らかすぎると幾何抽象の彫り込みが出来ません。陶土の乾燥具合を確かめながら制作をしていきます。焦らず休まず、と念仏のように唱えながら陶彫制作をやっていますが、実際のところ陶土が自分に休みを与えてくれないというのが本当のところです。今日も朝から夕方まで制作三昧でした。来週また頑張ります。

週末 定番化しつつある土曜名画座

やっと週末になりました。気温が上がって春爛漫な雰囲気の中、朝から工房に篭りました。私は花粉症でクシャミがよく出ます。若い頃に比べれば、花粉症は楽になった気がしていますが、加齢で身体の各所が緩んできているために、花粉症に敏感ではなくなったのではないかと思っています。工房の周囲は相変わらず花々が咲き誇っていて美しいと思います。今日は彫り込み加飾と、明日の成形に備えて大きなタタラを6枚作りました。やはり土曜日はモチベーションが上がらず、今ひとつ制作に気合が入りません。そこで、夕方になっていよいよ定番化しつつある映画鑑賞に行きました。今日は家内が同伴してくれました。土曜日の夜は横浜の中心街にあるミニシアターへ行くというコースは、これはもう土曜名画座と称しても良いくらいの習慣になっていると思っています。今日観た映画は「長江 愛の詩」でした。中国の大河である長江の絶景をカメラに収めた映像が美しいという評判を聞いていたので、楽しみに出かけたのでしたが、映画の内容は私が考えていたものと少々違いました。ミニシアターにしては50人以上の観客がいましたが、私と似た世代の高齢者が多く、きっと私と同じように巨大な観光資源を背景に愛の逃避行が展開するのかなぁと思っていた人も多かったのではないかと思いました。確かに映像は美しいと感じましたが、グレートーンの渋みの効いたもので、現実と虚構が交錯する謎の多い展開がありました。精神性に軸を置いた物語構成は、過去と現在を包括する野心作とも言えますが、単純には楽しめない要素が満載でした。詳しい感想は後日改めます。土曜名画座があったために、今日は充実した一日でした。

3月RECORDは「囲」

西欧を初めとする都市形成の歴史には、城壁によって他国の侵入を防いだことがあり、その囲まれた空間の中で人々は暮らしていました。都市の近代化にともなって古い壁を壊し、そこに道路を整備したため、旧市街と新市街が明快に分かれている都市もあります。農耕部落が広がって発展した日本の都市とは、明らかに異なる西欧の都市構造は、人々の思考にまで影響を及ぼしていると私は考えています。日本人は平面で物事を考え、西欧人は立体で物事を考えるというのが、20代の頃に西欧で暮らした私の雑駁な実感です。私が生涯をかけた彫刻表現は西欧に端を発したもので、生育文化の相違に折り合いをつけるのが、私には今も困難を感じるところでもあります。若い頃に暮らした西欧での学校生活を思い出すと、講義では思考を構築し、また論考を説明し易く限定していたように思えてなりませんでした。囲まれていた城壁のせいかなぁと私は常々感じていました。長い前置きになりましたが、今月のRECORDのテーマを「囲」にしました。このテーマを思いついた時に、西欧の都市が頭を過ぎったのでした。もちろん西欧の都市そのものを絵にするつもりはありません。RECORDは一日1点ずつ作り上げていく小さな平面作品の総称で、文字通り日々の記録(RECORD)です。西欧の都市構造がイメージの始まりとしても、1ヶ月のうちにはさまざまなイメージの膨らみが出てきます。今年は画面に一定パターンを決めて、RECORDを制作しています。毎晩、夕食後の食卓で鉛筆を走らせているRECORDが、下書きのまま山積されていくことがないように、その日のうちに仕上げまでやっていきたいと願っています。食卓には今も2週間くらいのRECORDの下書きが残っています。早くこれを何とかしなければと思いつつ、時間ばかりが過ぎていく現状です。今月も頑張ります。

3月初めに春一番

昨晩、横浜では雨風で大荒れな天候になりました。深夜は暴風をともなった雨の打ちつける音で度々目が覚めました。どうやら春一番だそうで、明け方になって雨が上がると気温はぐんぐん高くなりました。今日から3月です。年度末を迎え、私は職場の来年度人事を考える時期になりました。毎年やってくる人事は、私にはうまくいったためしがありませんが、1年間を見据えて適材適所を考えながら、一所懸命作っていきたいと思っています。また出会いと別れの季節でもあり、悲喜こもごもの瞬間がやってきます。梅、桜、桃と季節を追って花々がリレーしていくのも春の楽しみです。冬には枯草色だった工房周辺の畑が俄かに色彩を帯びてきて、春の訪れを告げるようです。さて、今月の制作目標ですが、陶彫部品を全て終わらせたいと願っています。ちょっと無理かなぁと思いますが、無理を承知で頑張ってみるつもりです。年度末に少しばかり休暇が取れそうで、その時を利用してテーブル彫刻の柱の部分に挑む予定です。大きめのテーブル彫刻は陶板を接合した柱にします。小さめのテーブル彫刻の柱は、木彫をして表面を炙って炭化させます。スタッフたちの予定が合えば、テーブル部分の砂マチエールをやりたいと思っていますが、欲張り過ぎでしょうか。RECORDは山積みされた過去の作品を少しでも仕上げつつ、今月も一日1点の制作を継続していきます。夕食後に自宅の食卓で取り組むRECORDは習慣になっていて、飼い猫トラ吉を排除しながら集中しています。早く元通りのRECORDのペースにしたいと思っています。鑑賞は先月ほど頻繁に美術館や映画館に行かれませんが、興味の赴くままにやっていきます。読書は美学とアートについての論考を楽しみながら読んでいきます。

展覧会や映画館に足繁く通った2月

今日で2月が終わります。今月を振り返ると、今までになく鑑賞が充実していたと思っています。まず、展覧会では「仁和寺と御室派のみほとけ」展(東京国立博物館)、「ブリューゲル展」(東京都美術館)、「谷川俊太郎展」(東京オペラシティ アートギャラリー)、「今右衛門の色鍋島」展(そごう美術館)、「石内都 肌理と写真」展(横浜美術館)の5つに行きました。映画では「日曜日の散歩者」「ロープ 戦場の生命線」「謎の画家ヒエロニムス・ボス」(以上がシネマジャック&ベティ)、「クボ 二本の弦の秘密」(横浜ニューテアトル)の4本を観に行きました。これは1ヵ月の鑑賞としては今までの最大数でしたが、公務員管理職との二足の草鞋生活のため何とか時間をやり繰りして鑑賞を楽しんだ結果です。陶彫制作に関しては小さめのテーブル彫刻に吊り下げる陶彫部品2点を作りました。現在は彫り込み加飾も終わって、乾燥を待っているところです。さらに今月は陶彫成形が2点終わっていて、鑑賞で時間を取られた割には頑張ったのではないかと自負しています。RECORDは相変わらず苦しい制作状況が続いています。今月も多くの下書きを残したまま月を越えてしまいそうで、食卓に彩色を待つRECORDが山積しています。読書は北方ヨーロッパの芸術家を扱った書籍を立て続けに読みました。現在は美学者の著作を読んでいますが、これには興味津々です。今月は寒い日が多く、工房で凍えそうになりながら毎週末は制作に明け暮れました。制作工程を鑑みると決して余裕のある状況ではありませんが、今月の制作は及第点をつけたいと思います。

「アートと美学」を読み始める

「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)を読み始めました。以前、「芸術の摂理」や「聖別の芸術」(どちらも淡交社)を読んだ時に、その著者の一人であった美学者米澤有恒氏の評論が気に入りました。本書は米澤氏が出されている書籍と分かって、すぐに購入しました。米澤氏の文章は決して平易ではないと思いますが、私には論法が分かり易く、何故か理解のツボに嵌るのです。加えて美学とは何ぞや?という私の基本的な疑問に答えてくれているので、重宝する書籍だろうと考えます。「まえがき」で米澤氏が言う通り、言い古された「芸術」とか「美術」に代わって、最近は「アート」という言葉をよく耳にします。外来語に訳されただけの話ではなさそうで、「芸術」と「アート」では概念にズレが生じているようです。アートというと、私は包括的で広範多岐にわたる芸術現象をイメージします。本書の「始まりの章」から文章を拾ってみます。「『コンセプトconcept』という言葉がある。アートの広がりにつれて、よく耳にするようになった。『概念conception』から派生した言葉である。~略~この言葉を美学は知らなかった。類似と思しい言葉を探すと、美学には『主題』、『テーマ』、と呼ぶものがあった。だが少し違うようなのである。主題やテーマは芸術に『外から』与えられたものだったが、コンセプトは芸術の『内側』のものであるらしい。」そんなアートを美学がどのように扱うのか、こんな一文もありました。「芸術の意味付けが変わると美学の対応も変わる。とするなら、芸術がアートに変わってきた以上、美学も芸術への対応を変えて当然である…と、そう単純にいくものでもあるまい。~略~コンセプチュアルになったアートに対してなら、やはり本来コンセプチュアルであった美学がコンセプチュアルに対応するのがよいのではないか。ここですでに『コンセプチュアル』という言葉の意味がこんがらがってきている。」面白くなりそうな気配のする書籍だなぁと思いました。通勤の友として楽しみます。

「絵の証言」読後感

「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)を読み終えました。本書に取り上げられていた23人の芸術家の中から8人をホームページのNOTE(ブログ)にアップしました。23人の芸術家のうち日本では比較的知名度が定着している芸術家がいる一方で、私も知らなかった人もいました。生前のご本人を見たことがあるのはルードルフ・ハウズナーだけです。と言ってもウィーンの学校の廊下ですれ違っただけで、声もかけられなかったのでした。23人に対して言えば、全員が国際的な名声を得ていないだけで、いずれの芸術家もその時代の代弁者であることに変わりはありません。その時代を知り、そこで追求した造形的主張や表現の在り方を考える上で、本書は私にとって大変有意義な書籍となりました。日本の書店は美術専門書があまり売れないことがあって、棚の片隅に追いやられ、書籍そのものが無くなってしまう傾向にあります。東京の大きな書店に行った折に、あれもこれも仕入れてきますが、私などは僅少の読書家だろうと思います。その中でも北方ヨーロッパの近代美術に関する書籍は貴重です。自分が若い頃に生活した彼の地の空気感を知っているだけに、本書は北方ヨーロッパの曇り空が垂れ込める鬱陶しい季節とともに、不安定な時代背景に苦しんで孤軍奮闘していた芸術家を思い起こさせます。文化の違いこそあれ、それは日本でも同じだったのではないかと考えています。

週末 梅満開の工房にて

朝から工房に出かけ、窓のカーテンを開けると、満開の梅の花が眼に飛び込んできました。工房に来ていた多摩美の助手2人も暫し梅の花に見惚れていました。梅の木は亡父が畑の境に列を作って植えておいたもので、当時父は造園業を営んでいたので梅の木は売り物でした。このところすっかり幹が太くなって、毎年見事な花を咲かせるのです。しかも1本ではなく植えた当時のままなので、まさに工房には梅並木があると言っても過言ではなく、これをを鑑賞するのは壮観です。野鳥が時々やってきていました。梅の花は日本画の題材になるなぁと思いつつ、私を含めて工房には日本画を専攻する者が一人もいず、ただ私たちは眺めているだけでした。工房は亡父の植木畑に建っているので、これから木々に花が咲き乱れ、柑橘類が実ります。私はまだ周囲の環境を愛でる余裕が無く、工房の中でひたすら陶土に挑むだけですが、温かくなったら野外工房に椅子を持ち出して休憩するのもいいなぁと思います。今日は大きな陶彫成形をやりました。助手2人もそれぞれの課題に夢中で取り組んでいました。3人でゾーン状態、心理学で言うフローに入っていたようで、気がつくと夕方になっていました。集中力はどのくらい持続するものなのでしょうか。朝から夕方までとはいかないにしても、工房ではかなり長く集中力が持続しているような気がします。一緒に作業している者がいるため、これも心理学で言う社会的促進が働くのかもしれません。ふと我に返ると、半端のない疲労に襲われます。手の水分も脂分も陶土に取られてガサガサです。精神的には充たされますが、身体がしんどくて自宅のソファに倒れこんでしまいます。また来週頑張ります。

週末 惜別記事を読む

やっと週末になって、陶彫制作に没頭できる機会がやってきました。朝から工房に篭って、乾燥した陶彫部品の数々に仕上げを施し、化粧掛けを行いました。もっと詳しい制作状況をNOTE(ブログ)に書こうと思って、夕方自宅に戻ってきたら、朝日新聞の夕刊に掲載されていた惜別記事に目が留まりました。先日も新聞で彫刻家保田春彦先生の訃報を知って、NOTE(ブログ)に書きましたが、今日の記事は写真がありました。大学で制作中の保田先生の画像でしたが、40年前に私が垣間見た先生の姿を思い出しました。金属による鋭利な抽象彫刻を作っているところに、私は惹かれてしまいます。さっきまで私も工房で制作をしてきたので、制作中の空気が伝わってくるのです。新聞記事から気になった箇所を拾ってみます。「遺跡や建築を思わせる、思索的で緊張感漂う金属の抽象的な彫刻で、高い評価を得た。」これは保田先生の一貫した作品の概略です。「歯にきぬ着せぬ指導で、表現の核心が分かるまで手を動かすなと教えた。」これは教え子でもあった鈴木久雄教授の弁で「高踏的な暴君」ではあるけれど「人間的」とも言っています。保田先生に親しい鈴木先生も、自分と同じような感覚を持っていたのかと思いました。私が保田先生に近づけなかったのはこんな理由があったんだよなぁと改めて思ったのでした。「イタリア出身の妻シルビアさんを亡くし、70歳代に作風が一変。叙情的な白い家形の木彫や膨大な数の裸婦デッサンを残した。」これはここ最近の新作を、世田谷美術館や南天子画廊で拝見していたので、よくわかります。制作に厳しかった保田先生も心境の変化が訪れたんだなぁと思っていました。最後に美術評論家酒井忠康氏のこんなコトバがありました。「元々ギリシャ以来の伝統を背負い、人体を基本にした人。晩年は青春に戻ったのではないか。純粋で不器用で、ニコニコなんてできなかったが、寂しがりやだった。」気難しい保田先生の風貌が甦りました。

「道化帽のさまざまな光景」ルードルフ・ハウズナー

「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)の23人の芸術家のうち最後に取り上げたいのはウィーン幻想派の旗手ルードルフ・ハウズナーです。私が20代の頃、ウィーン美術アカデミーに在籍していた時期がありました。当時アカデミーにはハウズナー教室があって、何人もの日本人が学んでいました。廊下でハウズナー教授とすれ違ったこともありました。教授はきちんとネクタイをされていて、とても画家には見えない風情でした。自画像を「アダム」と称し、そこに精神分析学を持ち込んだハウズナーの表現は、フロイトを生んだ古都ウィーンの空気に合致していたように感じました。ハウズナーには「アダム」の他に「道化帽」のシリーズがあって、文中にこんな一文があります。「アダムが活動的、荒い力、本源性、連続的な優位タイプを、要するに闘いを具現化していますが、それに対して道化帽は瞑想的な、抑鬱性の、メランコリックな感情細やかな、感じやすい、感情移入力のある他の一面を表現しています。」これはハウズナー自らが語った言葉です。道化帽を冠った人物像は、内面的な感情を秘めている表現になっているわけで、精神分析的な解釈を何か具体的な対象物を使って、自らの内面を語らせているとも言えます。本文からさらに引用いたします。「ハウズナーは、絵筆とパレットを手にして画架のところに立ち、鏡のなかを見、『わたしは自分の顔を眺めた』と言い、『そしてそのなかに世界を見た』。さらに『わたしが世界に関して知り、自分を知る一切のものを、絵を描くときに知ったのだ』と。それは彼にとって、絵画とは『グノーシス派の規律』であり、自己認識を創造することが、同時に人生の克服のためのひとつの手段であり、道化帽も、そのひとつの手段としての姿なのだ。」グノーシス派とは、初期キリスト教の異端とも捉えられた思想で、消滅の憂き目にも遭っています。それは旧約聖書の神と新約聖書の神を区別する特徴があるからです。一度途絶えた思想は20世紀に入って再び興り、オカルティズム思想にも影響を及ぼしているようです。ウィーン幻想派の思想背景にこんなものが潜んでいたことを私は知りませんでした。

横浜の「石内都 肌理と写真」展

昨日、横浜美術館の円形フォーラムで会議がありました。美術館学芸員から企画展の案内があったので、会議終了後、「石内都 肌理と写真」展に立ち寄りました。写真展を見たのは久しぶりで、私は2016年に東京都写真美術館で開催された「杉本博司ロストヒューマン展」を見た以来です。作家の経歴を見ると、石内都氏は美大で染織を学んでいることで、写真の技術偏重にならない表現が、柔軟な思考を齎せているように思えました。作品を見ていると痕跡、記憶、喪失、遺品などというコトバが浮かびました。写真は、そこに人が生きて生活した記憶を残せる媒体として、時間や存在を際立たせることが可能です。あらゆるモノは周囲の状況を纏って、私たちの身近に存在していたんだなぁと思い起こさせるのです。図録の中にある横浜美術館館長の一文を引用いたします。「技術重視へのこだわりが弱い写真への距離感は、三脚を用いず手持ちの35ミリカメラで自然光のもとで撮る石内の撮影方法にも表れているが、被写体との関係性を構築する個人的で親密かつ真摯な対峙の仕方は石内独特のものである。」(逢坂恵理子著)作家自身の言葉も図録に掲載されていたので引用いたします。「今日も又、ひとつの喪失がおとずれた。私をとりまく日常から少なからず人が消えていく。身体を伴って生きることは大変なことのように思える。身体から規制される様々な価値と違和との折り合いをどのようにつけていくのか。いずれカタチ有るものは無くなる。その当事者として残された私は、あるであろう今日の続きの為にも、身体のゆくえをさぐりながら限りある時間を超えて撮り続けていきたい。」

映画「クボ 二本の弦の秘密」雑感

先日、家内の希望で観に行った映画「クボ 二本の弦の秘密」は、日本マニアのアメリカ人スタッフが作り上げたストップモーション・アニメで、膨大な時間と手間をかけて、繊細かつ大胆な映画に仕上がっていました。スタジオ・ライカのこうした技術は世界最高峰らしく、人物や妖怪の動き、荒れ狂う大海や竹林、村落や民衆に至るまで美しさに溢れた映像を作り出していました。人形のポーズや表情を少しずつ変え、1秒に24回のシャッターを切る根気強さから生み出された流麗な動きは、実写には見られないモノ作りに対する気概が感じられました。主人公クボは三味線によって折り紙に命を与える才能を持つ独眼の少年で、村ではそんな大道芸をやって人気を博していました。侍だった父の話や月の帝として君臨する祖父の話を母から聞かされて、亡き父の声が聞きたくて灯篭流しに出かけたクボが、悪霊になった叔母や祖父によって事件に巻き込まれ、伝説の刀や鎧や兜を手に入れるため、母親代わりのサルや剽軽な武士クワガタと旅に出ることになります。クボの眼を狙う月の帝やその他魑魅魍魎と闘う中で、クボが三味線に意味のある2本の弦を張る場面があります。それは両親の支えがクボに強い心を与えるというものでした。監督は様々な場面で日本の古き情緒を盛り込んでいました。葛飾北斎の「神奈川冲浪裏」の大波や、歌川国芳の「相馬の古内裏」の巨大な骸骨を髣髴とさせる化け物などが登場し、ストーリーより美術的なイメージが先行しているのではないかと思わせる場面も数多くありました。監督は黒澤明や宮崎駿を参考にしているとパンフレットにもありました。観終わった後、よくぞここまで作ったなぁというのが私の本音です。家内も感嘆していて、上映最終日を気にしていたので、本作を三味線仲間に見せたいと思っていたのかもしれません。

映画「謎の天才画家ヒエロニムス・ボス」雑感

若い頃、ウィーンに居を構え、そこから夜行列車に乗り継いでスペインのマドリッドにあるプラド美術館に行ったことがあります。プラド美術館にはヒエロニムス・ボスの「快楽の園」があったはずですが、何ということか、私は記憶に留めていません。私がヒエロニムス・ボスの絵画を意識するようになったのは、ウィーン美術アカデミーに隣接する美術館に「最後の審判」があったからでした。アカデミーとは扉ひとつで出入りできたので、度々見に行き、不思議な世界を堪能しました。中世に描かれ、人間の罪を露にしたような表現には謎が多くて、それについて何か解説が欲しいと思って、旧市街にある美術書専門店で分厚いボスの画集を購入しました。結局ドイツ語の解説はまったく読まずに、今も自宅の書棚に眠っています。当時流行っていたウィーン幻想絵画にもボスの影響があると私は見ています。描かれた異形を見ると、つい誘惑されてしまう謎解き、宗教を含めた思想世界の迷宮に紛れ込んでしまった自分の心が映し出され、映画「謎の天才画家ヒエロニムス・ボス」を観に来ている人は、そんな思いを携えているのではないかと私には思えました。映画は「快楽の園」を巡って、様々な登場人物たちが感想を述べ、謎は解明されることなく幕を閉じました。監督のインタビューの中で「芸術家の使命は謎を深めることにあります。哲学者のミシェル・オンフレ氏が劇中で示唆するように、芸術が持つのは、衝撃とカタルシスを通して、人間の魂に優れたものを受け入れさせる力だけです。」とありました。謎は謎のままの方がいいのかもしれません。最後にボスの絵画の解説を付け加えておきます。「ボス絵画の多くの場合、人間の愚行ゆえの罪が、怪奇で悪魔的な異形のイメージで描き出されている。終末が迫り、地獄の業罰と罪の悔い改めがさかんに説教され、人々の恐怖心を煽っていたこの時代、ボス風作品は大いに人気を集め、権力者たちがコレクターになった。それはキリスト教社会が抱える矛盾や不条理を映す鏡だったと言えよう。」(小池寿子著)

映画「ロープ 戦場の生命線」雑感

先日、常連になっている横浜のミニシアターに映画「ロープ 戦場の生命線」を家内と観に行きました。これは戦争を扱った映画ですが、1995年という現代に生きているNGO国際援助活動家の物語で、内戦や紛争が絶えない地域で、彼らが命の危険に晒されながらも、社会的不条理や矛盾と闘っている状況を描き出していました。単一民族が大半を占める日本にいると理解しがたい状況ですが、若い頃に数年欧州にいた自分は、バルカン半島が抱える民族問題に僅かばかり触れたことがありました。物語は、村の井戸に死体が投げ込まれ、水の汚染を防ぐため、彼らが死体を引き揚げるところから始まります。ロープが切れて、替えのロープを探し回ることで物語が展開していきます。地雷の恐怖、闇の商売などNGOを取り巻く状況は、決して予断を許すものではなく、国連のPKO部隊の管理下にありながらも、武装解除が徹底できていない緊張状態に、彼らは喘いでいるのでした。そんな中でも彼らは冗談を飛ばし合い、役人の命令に縛られない自由で濃密な人間関係が描かれていました。映画の舞台は村落破壊が齎す、埃に塗れた世界があって、そのリアルな場所に私たちを運び込んでくれます。撮影隊はどのようにしてこんな環境をカメラに収められたのでしょうか。アラノア監督は過去に紛争地域で援助活動家と一緒に仕事をしていて、各地でドキュメンタリーを撮影していたことがあったようです。映画の撮影は、容易に足を踏み込めない山間部で行っていて、スタッフやキャストは肉体的にも過酷な条件で仕事をしていたとパンフレットにありました。主人公を演じたベルチオ・デル・トロが秀逸で、何気ない仕草に存在感がありました。現在も紛争が続く地域があり、映画であったエピソードが語る現状が至る所にあって、今も改善されないままなのではないかと察してしまいます。

週末 土練り&映画鑑賞

今日も朝から工房に籠りました。昨日に引き続き、多摩美術大学の助手2人がやってきて、それぞれの課題に取り組んでいました。助手のうち1人は私と同じ彫刻家で、木板を積層にして造形する若手作家です。工房には私の関係者がやってきますが、私と同じ業種の人を受け入れたのは初めてです。他につき合いの古い後輩の彫刻家はいますが、彼は制作場所を確保しているので、ここで制作することはありません。今後はどうなるのか分かりませんが、工房が賑わってくれることを私は歓迎しています。私は恒例の土練りを行っていました。土練機が新しくなって使い易くなっています。土練機は量産性のない電化製品ですが、製造会社ではちょっとした工夫をして改善していることは確かです。夕方、工房から帰ってから家内と映画に行きました。昨日に引き続き、私は連夜で映画鑑賞をしています。今日行った映画は家内が前から希望していたもので、三味線が物語の中心になっている「クボ 二本の弦の秘密」でした。映画館は常連にしているミニシアターではなく、そこから少し離れた場所にあるミニシアターで、横浜伊勢佐木町の海鮮食堂の地下にありました。「クボ 二本の弦の秘密」は古き日本の世界をアメリカのアニメーション会社が制作したストップモーションアニメでした。三味線の音色で折り紙に命を与える不思議な力を持つ少年クボが主人公で、日本の古い風習やら情緒が盛りこまれたストーリー展開になっていました。日本のことが大好きなアメリカ人制作スタッフが、手間と時間を精一杯かけて作り上げた楽しい世界観が表現されていました。日本人から見ると可笑しな箇所も満載ですが、それ以上に制作に対するエネルギーを感じました。家内は三味線の運指が合っているとか、アニメの細かいところに感心していました。詳しい感想は後日に回します。

週末 加飾&映画鑑賞

今日は朝から工房に行きました。若いスタッフ、と言っても現在は多摩美術大学で助手を勤めるアーティストの男女2人が、それぞれの課題をやりに工房に来ていました。私も彼らに負けないように陶彫制作を頑張りました。先週成形をした大きめな陶彫に彫り込み加飾を施していました。彫り込み加飾はほぼ一日がかりでした。工房の窓から見える梅の花が咲き始め、青空に映えていました。春はそこまでやってきていることを実感していました。平昌オリンピックではフィギュアスケートで羽生選手が金メダルを取ったとラジオが伝えていました。2月も半ばの週末になり、新作の制作工程が気になっているところですが、無理も出来ないので、今は進行中の制作を焦らず休まずやっていくだけです。家内が風邪を引き、演奏活動を休んでいます。私も注意しなければと思いつつ、夕方は一人で映画に行ってしまいました。常連のミニシアターで「謎の天才画家ヒエロニムス・ボス」を観ました。先日、東京上野に「ブリューゲル展」見に行った折、ピーテル・ブリューゲル1世の関連でヒエロニムス・ボスの絵画が見たくなり、ちょうど横浜のミニシアターでこんな映画をやっていたので、ラッキーと思いました。ヒエロニムス・ボスは中世のネーデルランドで活躍した画家で、人物像の詳細や生年月日も不明です。謎の多い奇怪な絵画を描いていて、まさにシュルレアリズムの先駆けのようです。ミニシアターはかなり混んでいて、ヒエロニムス・ボスの謎解きをこの映画に託す人が多かったのかなぁと思いました。私のその一人でしたが、百人百通りの解釈があって、インタビューで綴った90分間は面白かったと思いました。詳しい感想は後日に回します。

初台の「谷川俊太郎展」

画家や造形作家が詩人とコラボレーションした展覧会は何度か見たことがありますが、一人の詩人による美術館での個展は、私は初めて見たように思います。詩人がどのような展示を行うのか興味津々で、先日、東京初台にある東京オペラシティアートギャラリーに行ってきました。日本では一番有名な詩人の展覧会だけのことはあって、会場は思っていたより混んでいました。コトバを脳裏に刻んで、非日常に浸りたいと考えているのは私だけではないようでした。事実、大きな白い部屋の壁に書かれた一篇の詩を読みながら、頭の中でイメージした世界に一人で浮揚している時は、私の周囲から全てのモノが消え失せていました。コトバはイメージを喚起させるので、絵画や彫刻あるいは音楽や演劇等と同じ精神性をもったものと言えます。私が彫刻をイメージする源泉には詩が存在していると思っています。高校1年生の時、国語の教科書にあった詩に惹きつけられ、なんとなく詩人になりたいと思った当時を振り返ると、まだ本格的に美術の勉強を始める前に、私には詩があったのでした。その印象で一番強かったのが谷川俊太郎氏のひらがなによる不思議な響きの詩でした。「かみさまとしずかなはなしをした」というフレーズを15歳の時から50年近く経った今も覚えていて、そこから私の造形イメージが育まれていったのかもしれません。展覧会で気に留まった詩の断片を書いてみます。「言葉どもに揉まれながら暮らしてきましたから どちらかと言うと無言を好みます」「いのちは死ぬのをいやがって いのちはわけの分からぬことをわめき いのちは決して除かれることはない」「いつもとかわらぬゆうぐれである あしたが なんのやくにもたたぬような」…うーん、これくらいにしておきますが、言葉にはそれぞれ前後があります。断片だけ拾い上げてもイメージは薄れるのかもしれませんが、それでもコトバの力を私は感じます。

上野の「ブリューゲル展」

先日、東京国立博物館に行った折に、近くにある東京都美術館に足を延ばし、同館で開催中の「ブリューゲル展」を見てきました。ブリューゲルと言えば、私は若い頃滞在していたウィーンの美術史美術館で見ていた、民衆をパノラマにして描いた幾つもの大作を思い出します。美術館のコレクションの中で、ブリューゲルの作品群のある部屋が一番好きで、何度も訪れては飽くことなくブリューゲルの世界に親しんでいました。今回展示されていた「鳥罠」は、ウィーンで見た「雪中の狩人」を連想させるし、「野外での婚礼の踊り」は、やはり有名な「農家の婚礼」や「農民の踊り」を彷彿とさせます。また、ブリューゲル1世は同じフランドルの画家ヒエロニムス・ボスに通じる世界観があり、私が魅了されてしまう要因にもなっています。図録にもこんな箇所がありました。「ピーテル1世は聖俗の対立や信仰と迷信の闘争を効果的に喚起するボスの幻想的な絵画にあまりにも魅了されたので、『第二のボス』と定義されるほど同じ様式で絵画や版画を制作した。~略~ピーテル2世はとりわけ人々を非難する表現はせず、いわゆる質素な生活に注目し、むしろ寛大な眼差しを向け、不器用で無邪気な、そしてそれゆえ真に人間的な日常を共有した。~略~ヤン2世の弟アンブロシウス・ブリューゲル、そして息子のヤン・ピーテル・ブリューゲルは寓意画や静物画を制作し続け、人々はそれらを直ちに『ブリューゲルの様式』と結びつけた。」(セルジオ・ガッディ著)子孫3世代にわたるブリューゲル一族の展覧会は、ローマやパリでも開催されたようで、鑑賞者を惹きつける要素が満載です。その分野は宗教画、風景画、風俗画、寓意画、静物画など多岐にわたっていて、それぞれの技量には眼を見張るほどで、思わず引き込まれてしまいます。私個人としてはピーテル1世の、ボスに見紛う作品が大好きで、ブリューゲル様式の出発点となった初期作品群に惹かれます。とくに版画は幻想に満ちていて、その創造力に驚いています。こんな世界観が好まれた時代とは、どんな時代だったのでしょう。イメージ力は現代と変わらないのではないかとさえ思ってしまいます。

上野の「仁和寺と御室派のみほとけ」展

先日、東京上野の国立博物館平成館で開催中の「仁和寺と御室派のみほとけ」展を見てきました。副題が「天平と真言密教の名宝」となっていて、本展は、京都の仁和寺を総本山とする御室派全国約790寺から精選された名宝を集めた展覧会なのです。私が訪れた時期は、見所の一つになっている葛井寺の千手観音菩薩坐像はまだ展示されていませんでしたが、仁和寺創建の本尊である阿弥陀如来坐像および両脇侍立像をじっくり見ることができて満足を覚えました。驚いたのは仁和寺観音堂が館内に再現されていたことでした。これは仁和寺の大修理事業完了による記念展だそうで、まるで伽藍の中にいるような錯覚を持ったのは私だけではないはずです。仁和寺は、宇多天皇即位時の西暦888年に完成した真言密教の寺院です。真言宗とは、空海により中国から齎された密教の教えで、本展に両界曼荼羅も展示されていました。図録によると、阿弥陀如来坐像および両脇侍立像に関わる部分として「現在、仁和寺が真言宗寺院であることや、中尊の阿弥陀如来像が密教的な性格をもつ定印を結ぶことから、本像が密教修法の本尊として造られたとする見解が強いようである。」(皿井舞著)とありました。私が個人的に展示品の中から造形として好きになったのは「馬頭観音菩薩坐像」でした。福井県の中山寺から出品された菩薩像で、解説によると「品よくまとまった忿怒相や脇面の面長な顔形などは、たしかに運慶次世代の慶派の作風に通じるものがある。」とありました。運慶フアンの私としては頷けるものがありました。

横浜の「今右衛門の色鍋島」展

先日、4つの展覧会を一度に回って、最後のそごう美術館閉館間近に飛び込んだのが「今右衛門の色鍋島」展でした。あと30分もすれば閉館する時だったので、鑑賞者は疎らで、じっくり見るには最高のシチュエーションでした。時間を気にしていたのは最初だけで、そのうち歴代に亘る今泉今右衛門の世界に、時間を忘れて惹きつけられてしまいました。伝統は革新をもって守られ、その継承がさらに深い世界を創り上げることを、改めて確認した次第です。明治時代に藩の保護を失った鍋島藩窯は、庇護者なき道を行かねばならず、それでも怯むことなく進んだ十代目、十一代目が生産体制を作り直し、十二代目のモダンな技量で鍋島焼は新しいスタイルを考案しました。十三代目は釉下の素地を薄墨色に染める型破りなことをして、枯淡で幽玄な世界を創出しました。図録に「十三代が『吹墨』や『薄墨』を色鍋島の世界に持ち込むことで、陰翳という新たな装飾の地平を拓いた功績は大きい。」(荒川正明著)とありました。現在活躍中の十四代目は「墨はじき」によって、さらに洗練された意匠になり、まさに煌めく光の世界を捉えた大皿は、見る者を圧倒しています。図録の最後に、十四代目の学生時代のことに触れて「大学の教授陣には、戦後の日本を代表する現代彫刻家・若林奮らがおり、抽象彫刻、現代美術へと傾倒するのに時間がかからなかった。」(マルテル坂本牧子著)とありました。え?そうなの、私と同じ学校で学んでいたのか…と思っていたら親近感が湧きました。人間国宝という、私が逆立ちしても手の届かないところまで到達した十四代今泉今右衛門ですが、同じ学校で同じ地平を見ていた時期もあった彼に、将来の陶芸界を背負って頑張ってほしいと心から願っています。

三連休 制作&夜は映画鑑賞

三連休の最終日です。昨日に引き続き、工房で制作に明け暮れました。小さめのテーブル彫刻の陶彫部品と、大きいテーブル彫刻の床置きの2段目となる陶彫部品を併行して作っていました。朝9時から夕方4時までの7時間、これが毎週定番になっている制作時間で、その中で集中する時間帯があります。集中する時間帯は無我夢中で作業をしているため、時間があっという間に過ぎていき、気づくと夕方になっているのです。今日は床置きの2段目となる陶彫部品を作っている時に時間を忘れ、さらに小さめのテーブル彫刻の陶彫部品の彫り込み加飾の時に、もう一度集中する時間がやってきました。こうしている時は不思議と疲労を感じることがなく、手先の陶土しか目に入っていないのです。これで三連休の制作目標はほぼ達成できましたが、陶彫は仕上げや化粧掛け、乾燥と焼成があるため、心配はまだまだ続きます。とりあえず今日のところは夕方4時に作業を終えました。夜になって家内を誘って映画鑑賞に行くことにしました。常連になっている横浜のミニシアターで「ロープ 戦場の生命線」を観てきました。レイトショーだったので観客が少なかったのですが、映画の内容はとても興味深く、今も内戦や紛争が続く世界各地に派遣されている国際援助活動家たちの奮闘を描いていました。スペイン映画ではあるけれど、舞台になったバルカン半島には複数民族がいて、国籍を超えた人道支援がいかなるものか、国連軍に頼りながら活動するNGOの葛藤が伝わりました。詳しい感想は後日改めます。

三連休で目指すもの

今日は建国記念日でした。何をもって建国とするのか、国によって異なるそうですが、日本の建国はかなり古い捉えをしていて、古事記や日本書紀に由来しているようです。そこに登場する初代天皇である神武天皇の即位日というのが建国記念日の根拠だそうで、旧暦を新暦に換算すると2月11日になるそうです。ふぅん、そうなのか。私はどんな祭日であれ、勤務を要しない日を歓迎する人なので、もうひとつの精神生活に属する仕事を、今日は喜んで行いました。昨日は午前中だけ制作に充てたので、制作はやや遅れ気味です。三連休で目指すものは小さめのテーブル彫刻に吊り下げる陶彫部品の成形と彫り込み加飾の完成です。さらに大きなテーブル彫刻の床に置く陶彫部品の2段目に取り掛かれることが出来ればラッキーというところですが、それはどこまで迫れるかわかりません。今日は朝から工房に篭りました。工房の梅の花がちらほら咲いてきました。寒さが多少緩んできたような気配がしました。土練りをしたり、タタラを準備したり、彫り込み加飾をやったりして一日を過ごしましたが、今日は工房に通ってきている若いスタッフの作品運搬日になっていて、彼女は巨大な作品を分解して、畳大のダンボール箱に収納していました。午後、搬入業者がワンボックスカーでやってきて、作品は作者より先に愛知県に行ってしまいました。彼女は今夜の深夜バスで愛知県に向うようです。工房のかなりの部分を彼女の作品が占めていたので、ようやく現状復帰をして通常な制作場所に戻しました。彼女の作品も、私と同じテーブル彫刻の形態をとっていて、なんと大きさは4畳半にもなります。ただし、板上に絹糸を散らせた作品なので、私よりはるかに軽量です。私の古代出土品のような重量級の作品とは、対極にある世界を創造しているのが彼女の仕事ではないかと思っています。夕方まで作業をして、私は自宅に戻りましたが、疲労で毎週のようにソファに倒れこんでしまう有様です。今回は三連休なので明日も制作三昧です。頑張ろうと思います。

三連休 AM加飾 PM博物館・美術館へ

明日が建国記念日、明後日がその振替休日になっているため。今日から三連休になります。この三連休は制作三昧といきたいところですが、土曜日はウィークディの仕事の疲れが残っていて、今ひとつ制作に意欲が持てません。今日も先日成形を終わらせた作品に彫り込み加飾を施していましたが、次の工程に進むことができずにモチベーションが下がっていました。それならばいっそのこと午後は美術館巡りをしようと決め込んで、家内を誘ってみました。家内も演奏活動がなかったため、美術館へ一緒に行ってくれることになりました。昼ごろ、横浜の自宅を出て、まず東京上野の国立博物館に向いました。同平成館で開催されている「仁和寺と御室派のみほとけ」展を見てきました。副題に「天平と真言密教の名宝」とあって、見応えのある仁和寺観音堂の再現や阿弥陀如来坐像および両脇侍立像があって、心が満たされました。次に向ったのは東京都美術館でした。これは当初予定していなかった美術展でしたが、私が突如「ブリューゲル展」が見たくなり、無理やり予定に入れたのでした。仏像とはまるで異なる西洋絵画で、ブリューゲル一族三代に亘る絵画の変遷が掴めました。東京国立博物館と東京都美術館が近くにあることも手伝って「ついでだから…」という私の説得を家内が受け入れてくれました。親子孫がそれぞれ挑んだ絵画表現が一堂に会して見られたのは学芸員の企画力かなぁと思いました。次に向ったのは新宿の初台にある東京オペラシティアートギャラリーでした。「谷川俊太郎展」を見たかったのでしたが、詩人の個展がどんなものであるのか、コトバの持つ力を信じている自分は、心に届いてくるコトバを期待していました。期待通り、真っ白な空間に記されたコトバは、私に潤いを齎せてくれました。最後に向ったのは横浜そごう美術館で開催している「今右衛門の色鍋島」展でした。昔、九州の有田に行って今泉今右衛門窯の色鍋島を見たことを思い出しました。緻密な絵柄が代々受け継がれて変化していく様子が分かって、とても楽しい展覧会になっていました。今日は午後から4つの展覧会を見て回ったことになります。そごう美術館は19時過ぎの閉館間近に飛び込みました。私一人で美術館巡りをした時は、4つの展覧会を回ることもありました。今回は家内がよく付き合ってくれたなぁと思いました。美術館巡りが終わった時にレストランでゆっくり夕食を取りましたが、行程の途中では時間の関係で休憩を取らずに移動していました。「印象がゴチャ混ぜになった」と家内は言っていましたが、申し訳ないことをしたと思っています。加齢のせいか、足が痛くなり、最寄り駅から自宅までタクシーに乗りました。充実という言葉がぴったりの一日でした。それぞれの展覧会の詳しい感想は後日改めて別々にNOTE(ブログ)に書いていきます。

メタフィジックスについて

私がやっている彫刻は物質的な創作活動ではありますが、それら素材を用いて作る出すのは精神世界に所属するものです。そうした己の内面を問いかけることが、周囲を見渡すと日常生活の中では少なくなってきているように思います。私はたまたま創作活動をしているので、メタフィジックスは必要不可欠な要素ですが、多くの人たちにとっては、敢えて自分の内面に向き合わなくても物質的・経済的な生活に困ることはありません。表向きは精神生活なんてどうでもいいことで、日常何かによって満たされていれば、前向きで建設的な自分を保てると思っています。ですからここではメタフィジックスの重要度を問うことはしません。自分の中で重要と考えているとしか言いようがないメタフィジックスの何たるかを整理したいと思っているのです。哲学史を紐解けば、古代の哲学者ソクラテスの「汝自身を知れ」という言葉から端を発し、アリストテレスが提唱した形而上学(メタフィジックス)によって、その考え方が定着しました。私たちは唯物論では片づけられない何かに縋って生きている場合も多く見かけます。宗教もその一つですし、私が生涯を賭けている芸術もまた然りです。実体のあるものを対象とする科学が罷り通る世の中で、一部の学者や宗教家、芸術家にしか注目されなかったメタフィジックスが、癒しを求める現代の人々の中で、新たなビジネスとして復活している兆しがあります。スピリチュアルという言葉に興味を寄せる人々がいることも事実です。自分が生きていく意味や意義を求めたいなら、物質だけでは満たされないものがあり、そのために自分探しを始める人がいます。私は彫刻表現を通して自分探しをしてきました。今後、メタフィジックスがさらに注視される世の中になるのではないかと思っています。

「ゼロ時間」アンゼルム・キーファー

ドイツの画家アンゼルム・キーファーに興味を抱いたのは、1998年に箱根の彫刻の森美術館で開催された「アンゼルム・キーファー展」を見たことに端を発します。ナチスの負の歴史を直視し、ナチス式敬礼の写真を展示して物議を醸した芸術家は、その後もナチズムを白日に晒す作品を作り続けました。彫刻の森美術館では藁や炭化された木材、またコールタールで塗りこめた巨大な作品が壁を覆っていて、その素材感に圧倒されたのを今も覚えています。その時は題名に気を留めていなかったのですが、キーファーは主題や意味を尊重する芸術家であることを後になって知り、その意図を汲むべきだったと後悔しています。キーファーの作品には聖書や神話、さらにユダヤ教の神秘思想とも言うべきカバラ哲学も創作動機に入ってきていて、それを知るには芸術家個人の経験としての背景があるのだろうと察します。現在読んでいる「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)の23人の芸術家のなかに、キーファーに関する章があり、キーファー自身の言葉が掲載されていました。全文引用いたします。「天使の非難。ドイツにおけるゼロ時間?だが、そのとき、すばらしい空〈から〉の空間を、つまり開始の場所を創造した慈悲深い天使はいなかった。なぜなら空〈から〉の空間はふさがれ、やがて使い古された事物と言葉で満たされたからだ…。廃墟は素早く取り除かれ、打ち砕いたコンクリートは廃棄処分された。沈黙の廃墟は、天使の空〈から〉の空間ではない。瓦礫は単に終わりではなく、開始でもある。いわゆるゼロ時間は、実際には決して存在しなかった。瓦礫は、絶え間なきメタボリズムが光を放つ頂点の植物の開花のように、再生の開始なのだ。そしてふたたびふさぐものを、空〈から〉の空間から長く押しだすことができればできるほど、鏡に映った像のように未来と共に進む過去を、より完全に、そしてより集中的に協調することができるのである。時間ゼロは存在しない。空〈から〉は、常にその正反対のものを自己の内部にもたらすのだ。」

「精神的苦闘」ユーロ・レヴィン

私は20代の頃、5年間もウィーンに滞在していたにも関わらず、戦争の傷跡には目もくれず、ひたすらアートの動向ばかりに注目していました。美術館に展示されている現代芸術作品の中にはホロコーストが及ぼした深い影響が見られるものがありましたが、そこに拘るつもりはなかったのでした。陸続きのポーランドにあるアウシュヴィツに足を踏み入れることなく、私は帰国の途につきました。その後、横浜市の公務員になり、職業として第二次大戦の歴史的事実を捉えることが必須であり、内外の現代史に視野を広げるにあたって、日本のアジア侵略や欧州を巻き込んだナチスの惨状も学習することになりました。今思えば、あの時どうして関心を持たなかったのか、自問自答を繰り返すばかりです。「絵の証言」(佃堅輔著 西田書店)に取り上げられている23人の芸術家のなかに、アウシュヴィツの収容所で命を落とした画家がいました。ユーロ・レヴィンという画家は私には未知の画家でした。文中より引用すれば「レヴィンはヨブという旧約聖書の人物を、運命に打ちのめされ、倒れ込んだ男と解釈したが、身体のポーズのなかに、人間の精神的な力と弱さが混ざっている。頭部は、抵抗も服従も明らかにしていまい。だが、人間の尊厳を得ようとする努力を、絶望的な状況のなかで明らかにしているだろう。~略~ヨブが聖書において象徴化する神の正義を、激しい精神的苦闘において、根本的に問うのだ。正しい人がなぜ苦しまねばならないのか、人に善と見えることが、神には悪なのか、人にも悪に見えることが神には善なのか、と。」というレヴィンの作品を解説した箇所があります。レヴィンは排斥、軽蔑、搾取され、苦悩する人々に目を向け、それら社会的コンテキストを激情的に表現した画家でした。第二次大戦という惨劇の中で、多くの芸術家の命が奪われてしまったことは疑いようのない事実です。元来、芸術は生命を謳い、人間の価値を問う媒体です。民族同化と真っ向から対峙する媒体です。そんなことを改めて感じさせてくれた画家ユーロ・レヴィンの生涯でした。