「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」第65節~第68節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第1章「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」の中の第65節から第68節までのまとめを行います。この第68節で第1章「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」が終了します。今回は第1章のまとめとしての展開があり、第2章へ続く流れが記されていました。まず心理学主義に関する引用です。「明証化されるべき各対象性の種類がーあるいはすべての種類までも、ヒューム哲学の場合のように心理学化される。なぜならそれらの種類は自明のとおり、意識によって構成されるのであり、したがって経験によるか、もしくは経験と絡み合った他の意識の仕方によって、それら自身の存在意味を主観性の中で、主観性のために構築されるからである。それらの種概念が《心理学化される》ということは、それら諸概念の対象的意味を、すなわち独自の本質をもつ諸対象の種概念としての意味を無視して、主観的な諸体験を、すなわち内在的で心理学的な時間性の中にある各与件を、優位に置くことである。」また純粋論理学から心理学主義の越境についても述べられていました。「批判と優勢な見解一般との意味に含まれているのは〈学問と理性批判とを区別して、学問には独自の権利をもつ独自の現存在を認め、そして理性批判はどの学問にも関係する一層高次の新たな種類の学問ではあるが、しかし他の諸学の正当な固有の存在を妨げはしない〉とする理解である。したがって何よりもまず分析的論理学について言えば、この論理学は元来〈すべての理性的認識が前提する絶対的な規範〉と認められている。」最後にこんな論考を引用して第1章を終了いたします。「学問の真実性が、論理学の諸原理によって意識された規範化に基づく真実性でありうる場合、したがってわれわれがすでに序論で主張しながら、その後あらためて実際に基礎づけねばならなかったように、論理学は他の諸学と並ぶ独自の一学科であるだけでなく同時に、あらゆる可能な学問一般としての方法の基礎でもある。」今回はここまでにします。

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