週末 梱包に明け暮れる

週末になりました。集合彫刻を分解したカタチでそれぞれ梱包するのは、かなり手間がかかる作業ですが、個展に向けて安全な搬入・搬出と、作品を倉庫に保管をするためには仕方のないことだと割り切っています。梱包は創作活動のような面白みはありません。他の彫刻家はどうしているのかなぁと思いつつ、ひとつずつ柱陶をエアキャップで覆ってシートに包みます。台座や柱陶はシートに包みますが、陶彫部品は木箱を作って入れています。そろそろ木箱を準備しなければならず、夕方は板材を買いに専門店に行きました。梱包をしている時は、創作をしている時以上に店に出かけて、材料の追加購入があります。今日は運搬業者との打ち合わせもありました。あれこれやっているうちに時間が流れていきます。梱包作業は、創作活動のような精神の高揚がないため漫然と時間を過ごしているので、早く新しい作品に取り組みたいと思っています。新作を併行してやってしまうと、梱包は遅々として進まない状況に陥るので、梱包が3分の2以上終わったところで、新作に手を出そうと思っています。前まで同時に作っていた「発掘~宙景~」のもうひとつの作品が傍に置いてあって、気になって仕方がありません。今日来ていた若いスタッフは自らの作品のための実験を繰り返していて、私は遠くから羨ましいそうに見ていました。新作に早く取り組みたいという思いを堪えて、明日も梱包作業の続きです。

映画「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」雑感

仕事から帰った夜の時間帯にミニシアターに出かけ、「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」を観て来ました。これは家内が希望した映画で、家内は胡弓奏者としてこの映画が主張する伝統継承についての確認をしたかったようでした。家内は「私がやろうとしているのは間違っていない」と何度も感想を洩らしていました。世界的なチェロ奏者として知られるヨーヨー・マは幼い頃から才能を発揮し、クラシック界では神童と呼ばれるようになりました。彼が高いモチベーションを保つため、世界の民族楽器を集めてアンサンブルを行ったのが、シルクロード・プロジェクトでした。実験的だったプロジェクトは高次元で融合されるようになり、映画では終始その響きが流れていて、その豊かな楽想に魅了されました。社会情勢が微妙なアジアや中東の音楽家たちは、伝統楽器の巧者になっても後進を指導することは叶わず、幾多の試練を乗り越えて、プロジェクトに参加していました。準主役のケイハン・カルホールはイラン出身の伝統弦楽器奏者、同じく中国出身のウー・マンは女流の中国琵琶奏者、クラリネット奏者のキナン・アズメはシリア出身、女流バグパイプ奏者のクリスティーナ・パトはスペインのガリシア出身、その他にも多彩な音楽家たちが自国の文化とともに取り上げられていました。伝統はそのままでは廃れる一方で、常に新しいコラボレーションを探り、融和と対峙を繰り返しながら、現代の民衆に合った多彩な表現を手中におさめなければなりません。これがこの映画が求めている伝統継承の姿だろうと思います。音楽の意義を問う場面が随所にあり、それは私がやっている造形美術にも通じる要素で、自分は何のために創作活動を行っているのか、この映画を観てその根幹を問いただすことになりました。家内も私も有意義な時間を過ごせたと思っています。

アンフォルメルとヴォルスの関係

先日、DIC川村記念美術館で開催されていた「ヴォルス展」に行き、ヴォルスが生きた時代に興った美術の潮流に思いを馳せる機会を持ちました。それはアンフォルメルという一連の動きで、仏語で非定型な芸術という意味です。代表される芸術家はデュビュッフェやフォートリエ、マチュー等でフランスを起点に活動しましたが、アメリカでもポロックに代表されるアクション・ペインティングが始まりました。第二次大戦後の都市破壊が夥しい混沌とした社会情勢の中で、アンフォルメルは戦争による不条理を経験した人々が、自己の存在や実存を探る動きでもありました。そうであるならヴォルスが産み落とした痛々しい作品の数々は、まさにアンフォルメルそのものであったように思います。図録によると「ヴォルスの作品こそが『アンフォルメル絵画』の最深の地平にまで到達していると仮定するなら、『アンフォルメル絵画』とは、ひたすら『感覚』によってだけ人間の崩壊を追求しようとした、不可能に挑んだ偉大な、しかし必敗を運命づけられた試みのことではないだろうか。」(千葉成夫解説)とありました。私が40年前に読んだ「見えない彫刻」(飯田善国著 小沢書店)にはこう記されています。「ヴォルスは戦後美術の出発点である。近代的自我の泥沼の中の格闘から彼は自我を解放した。彼はヨーロッパ二千年の文化の崩壊をその眼で確かに見たのである。『虚無』を媒介にして彼は自我の袋小路から超越の世界へ一歩踏み出して死んだ。彼は『零』の意識そのものである。そこから戦後の美術家たちは出発した。~略~ヴォルスが表現した空間は『虚無の深淵に漂っている意識の宇宙』とでもいうよりほかいいようのない怖ろしい悪魔の世界であったが、そこでは近代的自我は粉々に砕け散って暗黒の宇宙にさながらきれぎれに飛び散る星雲の細片のように見えるが、仔細に見ると粉々に砕け散った自我の微小な細片を一つの中心に収斂する重力が存在しているのであって、これを超自我と名付けてよいかもしれない。」(飯田善国著)些か難しい言い回しもありますが、ヴォルスの現代絵画史での立ち位置がわかる論評ではないかと思います。

千葉佐倉の「ヴォルス展」

DIC川村記念美術館は、千葉県佐倉市の森の中にあって中世の城を彷彿とさせる美しい景観を持つ美術館です。ここでは私の感覚を擽る企画展が時々あって、橫浜から遠い美術館でもよく出かけます。箱の造形作家コーネルや、黒い家具のような彫刻を作ったニーヴェルスンの展覧会は、この美術館で見ることが出来ました。今回の「ヴォルス展」も同様で、自分にとっては長い間、謎に包まれた画家の全貌を知ることが出来た展覧会でした。先日のNOTE(ブログ)で書いた通り、20代初めに私はまず評論でヴォルスを知りました。絵画を見ることがその後になってしまったので、先入観を払拭することが出来なかった画家でしたが、今回まとまった作品を見て、漸く自分なりのヴォルス・ワールドを捉え直すことが出来ました。ドイツの裕福な家庭に育ったヴォルスは、音楽や学問に長けていたようですが、父亡き後は家を離れ、フランスに渡り、どこまでも彷徨を続けていました。第二次大戦が勃発して、収容所生活を送る羽目になったヴォルスでしたが、15歳年上のフランス国籍を持つ女性と結婚したことで釈放され、写真で稼ぎながら内面を吐露した絵画も始めていました。睡眠を取らず、酒に溺れ、自暴自棄とも思える生活の果てに腐りかけた馬肉で食中毒を起こして38歳で他界、これがヴォルスの人生でした。図録によると「本当は、たぶん、自身の内面に向かってしか彷徨できなくなった彼が絵画に捉われてしまった、ということなのだ。~略~そう考えなければ、そこから死までわずか12年あまりの、作品数からいってもそのなかみからいっても濃密な、濃密というよりあまりにも集中的で、没我的で、見方によっては自己滅却的ないし自己放棄的な制作のありようをうまく理解することができない。」(千葉成夫解説)とあります。まさに作品は危険な要素を孕んだ切迫感のあるものばかりで、このNOTE(ブログ)では語り尽くせないため、また機会を改めてヴォルスの世界観を探りたいと思います。

映画「ローマ法王になる日まで」雑感

私が常連になっている橫浜のミニシアターには夜の時間帯に上映するレイトショーがあって、仕事から帰ってから映画を楽しむことが出来るのです。今回観た映画は「ローマ法王になる日まで」という実在の人物を扱った映画でした。これは単なる立身出世のドキュメンタリーではなく、制作スタッフが法王の若かりし頃の行動を現地で丹念に調べ上げた探求の成果であろうと思いました。監督のインタビューに「多くの素材をもとにした解釈」「現実と架空のあり得る要素のミックス」という言葉があります。また人々の中には法王を「仮面を被った保守主義者」や「見た目ほど革新的な人物ではない」という評もあって、法王の人物像に迫るのに大変な苦労を伴ったことが垣間見れます。第266代ローマ法王フランシスコは、アルゼンチン出身の異色の人で、彼ベルゴリオが軍事政権の中で司祭として不当な仕打ちを受けたり、貧困と寄り添う状況が、映画では危機感をもって迫ってきます。時に政府に苦言を呈し、立ち退き住民と市との交渉役をしたり、現実と架空が入り交じる映画ではあるけれども、ベルゴリオの憤りはリアルに伝わってきました。映画のパンフレットから言葉を引用いたします。「本作は、いかにも英雄として彼を描き出すことはしない。自分の無力さに打ちのめされ、時に信条に反して仲間を説得し、怒りに震えて嗚咽を漏らすベルゴリオの姿や息遣いを、等身大の人間としてリアルに映し出す。それによって我々は、遠い国の過去の出来事としてではなく、非常にエモーショナルに彼が生きた時代を追体験させられることになる。」

横須賀の「デンマーク・デザイン展」

横須賀美術館は海に面した美しい景観をもつ美術館です。今まで何回か訪れた中で、今回の展覧会は美術館の美しい雰囲気をそのまま投影したような洒落た内容で、若い女性スタッフを連れた私は、ちょっといい気分で「デンマーク・デザイン展」を見ることが出来ました。デンマークのデザインは個性を強烈に出すものはなく、全てが洗練され、使い勝手が良さそうなモノが並んでいました。室内全体を統一したトータル・デザインがスタンダードな形で生活の中に馴染んでいるような印象を受けました。枠に囚われない現代アートの展覧会を見てきた者の眼には物足りなく感じられがちですが、じっくり鑑賞するとデンマーク人のデザイン性の高さが分かります。図録によると「大きなものから小さなものまで、デンマークには優れたデザインが数世紀にわたって浸透しています。それはデンマーク・デザインの特質であり、そしてそれこそが社会を支える力を育んできたのです。こうした視点に立てば、デンマーク・デザインは福祉国家の物理的な等価物といえます。」(アネ=ルイーセ・ソマ解説)とありました。また「古くから無駄を省いたプロテスタントの農耕文化であったデンマークでは、単純さの追求と素材の最適な活用は自然なことでした。デンマークが巨万の富によって特徴づけられることは決してありません。そして単純さと合理的な素材の適用は、インターナショナル・スタイルの特徴であるミニマリズムにうまく合致しました。」(クレスチャン・ホルムステズ・オーレスン解説)とある通り、デンマークは合理的でシンプルな魅力に溢れたモノを昔から作り出してきたと言えそうです。

週末 梱包作業&美術館鑑賞

今日は梅雨らしい鬱々とした天気でした。午前中は昨日から続いている作品の梱包作業をやっていました。今日は若いスタッフが2人朝から来ていて、それぞれ制作に励んでいましたが、10時半頃スタッフ2人と家内を連れて、千葉県佐倉市にある美術館に行くことにしました。車で走ること1時間半、首都高速と東関東自動車道、京葉道路を使って、目指すDIC川村記念美術館に到着しました。まず美術館内の洒落たレストランで昼食をしました。私以外は女性ばかりなので、今回は充分なランチタイムを取ってから企画展を見ることにしました。私がどうしても見たかったのは「ヴォルス展」で、彼女たちにとっては初めて耳にした芸術家でした。私もヴォルスのまとまった作品を見たのは初めてで、学生時代から現在に至るまで少ない機会を捉えて見てきた謎の作家の全貌に触れて、心より感銘を受けました。ヴォルスは私が彫刻を学んでいた20代初めに知り得たドイツの芸術家で、当時バイトで貯めた金銭でやっと購入できた書籍「見えない彫刻」(飯田善国著 小沢書店)によりヴォルスという名前を記憶したのでした。初めに飯田善国氏の評論による先入観から出発した私のヴォルス観でしたが、その後滞在したヨーロッパで小さな作品に触れる機会があり、その独特な世界を味わうことが出来ました。帰国後も企画展でヴォルスの作品に偶然出会うことがありました。その震えるような心象と痛々しく感じられる非対象の絵画は、どうして生まれたのか今まで考えたこともなく、ヴォルスは私の心に細々と生き続けてきました。その生い立ちや背景が今回の展覧会で漸く分かりました。詳しい感想や雑感は後日に回します。夕方は雨になってDIC川村記念美術館の美しい庭園を散策することが出来なかったのが残念でしたが、スタッフたちは美術館コレクションにあったアメリカの現代アートにも満足したらしく、楽しいお喋りをしながら美術館を後にしました。因みに東京方面に向かう高速道路が渋滞し、帰途は3時間以上もかかってしまいました。

週末 梱包作業&図録打ち合わせ

週末になりました。今日は朝から工房に篭って作品の梱包作業に精を出しました。シートの内側にエアキャップを貼り、柱陶の作品を包み込む作業でした。途中でシートや養生テープが足りなくなって、店に追加購入に出かけました。梱包は創作活動とは違い、とても退屈な作業ですが、搬入や搬出だけではなく倉庫で保管するためには必要な作業なのです。創作が佳境を迎えた時のような高揚感はありません。職人の如く坦々と仕事をしています。明日も継続です。今日は夜8時に自宅にカメラマン2人がやってきました。先日撮影した作品の写真が出来たので、多数の写真の中から図録用に選定するためにやってきたのでした。私は勘に頼っているので、写真の選定は昔から早い方です。迷っていると判らなくなるので直感を信じるようにしています。今年もいい図録が出来そうで嬉しく思いました。集合彫刻を作っている私は、図録を作品紹介の大切なアイテムにしています。理由は彫刻を組立てることが容易でないため、図録でしか作品を見せられないからです。昨年から野外で撮影することが増えていて、全体写真も部分写真も全て野外の陽光が影響しています。今年の撮影日は素晴らしい天気だったので、作品が美しい陰影を作っていました。写真を見ていると撮影した日のあれこれを思い出し、手伝ってくれたスタッフの皆さんに、心でもう一度手を合わせて感謝してしまいます。何しろ「発掘~宙景~」の陶彫部品の重量や「発掘~座景~」のテーブルの支えが心配だったので、無事に作品が組立てられた時は、ホッと胸を撫で下ろした次第でした。案内状が刷り上がったら東京銀座のギャラリーせいほうに1000枚持参する予定です。

東京駅の「アドルフ・ヴェルフリ展」

東京駅内にあるステーションギャラリーは面白い企画展が多く、今まで私は幾度となく足を運びました。とりわけ2階の煉瓦壁に掛けられた作品の数々は、独特な雰囲気を纏って鑑賞する者に心地よさを与えてくれます。金曜日は遅くまで開館しているので仕事帰りに立ち寄ることが出来て、勤め人にとって有り難い配慮です。今日見に行った「アドルフ・ヴェルフリ展」は精神疾患を患ったスイス人画家の日本初の個展でした。画面全体に埋め尽くされた不思議な記号や文様、ほとんどパターン化されていると言ってよいほど執拗に繰り返される絵画は、どう見ても狂気を感じさせるものがありました。作者は31歳の時に精神科病院に収容されて、そこから66歳で没するまで延々と病院で絵画を描いていたようです。展覧会の副題は「二萬五千頁の王国」。その膨大な量はアール・ブリュットの絵画では括りきれない存在感がありました。ヴェルフリは1864年に7人兄弟の末っ子として生まれ、貧困家庭であったため里子に出されますが、なかなかの問題児であったようです。少女に対する性的暴行未遂で投獄され、その後に統合失調症という診断によって精神科病院に送られますが、そこでも暴力行為があって独房に入ったりしています。その頃漸く絵を描き始めていて、もしもヴェルフリに絵画表現がなかったら悲惨な人生が待っていたことでしょう。彼にとって創作活動は魂の救済だったのでしょうか。彼は連作を試み、「揺りかごから墓場まで」「地理と代数の書」「聖アドルフ巨大創造物」というテーマで、それぞれ多量な絵画や文章、作曲による作品が残されています。25.000ページの王国という、架空の世界を思い描いたヴェルフリは、確かに常軌を逸した芸術家であったと思いました。自分の辛い過去を自分の物語で作り変えて、創造の世界で遊ぶことは私も大好きです。それは常人にとっては現実逃避なのかもしれませんが、私も架空都市を彫刻しているので、ヴェルフリに通じる世界観を持っているのかもしれないと勝手に思い込んでいます。

葉山の「砂澤ビッキ展」

先日、神奈川県立近代美術館葉山で開催されている「砂澤ビッキ展」に行ってきました。副題に「木魂を彫る」とあって、生前巨木に挑んだアイヌ人彫刻家の痕跡を辿ることが出来る優れた展覧会でした。私は導入の部屋にあった「神の舌」と、海が見える部屋にあった「風に聴く」という大作2点に心を奪われました。「神の舌」は巨木全体に刻まれた彫跡が、作者の身体感覚を惹起させて圧倒的な存在感を放っていました。「風に聴く」は水平になった舟形の巨木に4点の立木が独特な空間を演出していて、これが何を象徴するものか考えさせられました。美術館が海辺にあり、大きな窓から眺められる景色と相まって、「風に聴く」は風を待つ船出のようにイメージされたのは私だけではないはずです。図録から気になったコトバを引用いたします。「(砂澤ビッキは)当初、渋澤龍彦周辺のシュルレアリスムへの傾倒を共有していたと思われるが、木彫に本格的に取り組む頃から、徐々に動物に触発されたバイオモルフィック(生命形態的)なかたちへの探求が本格的に開始されたと考えられる。~略~おのれの生活の原点を見つめ、幼い記憶を蘇らせ、自分自身の身体と動物たちを含む生命体のからだを作品の中で同調させる道筋を、より自由で大胆な木彫表現を駆使して探り始めたのだ。」(水沢勉解説)彫刻家砂澤ビッキは独学で彫刻表現を学び、希有な存在になった人でした。それは自身の生育歴とも関係し、北海道の広大な自然を背景に現代彫刻界の新世代を担った人でもありました。

映画「ムーンライト」雑感

先日、橫浜市中区にあるミニシアターで米映画「ムーンライト」を観てきました。この映画はアカデミー賞授賞式の際に作品賞を間違えられたエピソードがあり、賞レースで心躍る完成度の高いミュージカルに競り勝った映画です。映画を観た感想は「ラ・ラ・ランド」の対極とも思える内容に、賞はどちらが取ってもおかしくないのではないかと思いました。「ムーンライト」の場面設定は困窮した家庭と麻薬によって引き裂かれた母と息子、その息子を取り囲むいじめ集団が描かれていて、この上なく悲惨な環境がありましたが、それを超越する愛と美しい映像と情感のある音楽によって人間味溢れる傑作になっていました。主人公シャロンは小学校時代、仲間からいじめられていて、駆け込んだ廃墟でファンに助けられます。それが契機となりファンと同居している恋人のテレサがシャロンの心の拠り所となりましたが、ファンは麻薬のディーラーで、シャロンの母親にも麻薬売買を仄めかされていました。高校に入ったシャロンは相変わらず、いじめを受けていましたが、テレサに諭されたり、親友のケヴィンとの親密な関係で自分を保てていました。シャロンは同性愛者でもあったのでした。ところが親友が絡んだ事件を起こしたところで場面は一転します。大人になったシャロンはファンのような麻薬のディーラーとなって、筋骨逞しい男になっていました。久しぶりにケヴィンから連絡があり、2人は再会しますが、別の人生を歩んできた2人にもう一度訪れた親密な状況…。シャロンのアイデンティティを探し求める旅がこの映画の大きなテーマであろうと思います。黒い肌は月の光でブルーに輝くという詩情が、視覚的要素を伴い、深く印象に刻まれました。

京都の「戦後ドイツの映画ポスター」展

先日、京都国立近代美術館で見た「戦後ドイツの映画ポスター」展は、時代背景を考える上で興味をそそる企画でした。第二次世界大戦後、ドイツは東西に分断されました。1990年に統一されるまで、ドイツの映画は東西の社会体制の影響を受け、それぞれ独自の展開を余儀なくされました。私は1980年代にオーストリアにいましたが、西ドイツに出かけた折にギュンター・グラスの「ブリキの太鼓」(フォルカー・シュレンドルフ監督)を観て、ドイツ映画には内省的で表現主義的な要素があって大変気に入りました。戦前公開された「メトロポリス」(フリッツ・ラング監督)も再上映で観て、自分に衝撃を与えた作品でした。この時代に美しいアンドロイドを出現させている未来的な発想と技巧に驚きました。それら斬新な感性がポスターにも反映されているように思えました。東西に分断されたドイツの映画事情はどうだったのか、図録から文章を拾ってみます。「そもそも映画は自由に越境し移動していくものであり、一国内の映画史記述には収まらない。しかも敗戦とともにゼロから出発するわけでもなく、過去の時代との連続性の中にある。~略~1960年代は東西ドイツ間での大きな断絶の始まりである。まず1961年ベルリンの壁建設に象徴される東西ドイツ間の国境封鎖は、人的・文化的交流のとりあえずの終焉を意味した。~略~物理的および精神的な壁に分断されたとはいえ、東西ドイツそれぞれに1960年代の政治の季節、1970年代のポップ文化の台頭を体験し、ある種の世界的同時性の中で生きていたことはやはり紛れもない事実だろう。このような時代と空間を縦横に結び合うダイナミックな視野によって、国境や壁を越えて様々な影響関係を見出すことができるのは戦後の東西ドイツにおいても例外ではない。」(渋谷哲也解説)とある通り、東西ドイツのポスターを眺めても質的に変わるものは感じられず、独自の道を歩みながら、それぞれが新しい視覚表現を目指したことが今回の展覧会から感じられました。

京都の「杉浦非水展」

先日の関西出張の折に何とか時間をやり繰りして、京都の岡崎にある細見美術館に出かけました。同館で開催していた「杉浦非水展」に興味が湧き、デザイン分野がまだ定着していない時代に、三越の広報担当として活躍した画家の足跡を辿ることが出来ました。まさにアール・ヌーボーの時代で、杉浦は西欧から資料を入手し、総合百貨店を目指していた三越の経営戦略に合うデザインを提供したのでした。当時のモダンな服装や装飾を身につけた女性が、流麗なポスターとして描かれていて、現代の眼で見ても大変美しい作品です。こうした作品の礎はどこにあったのか、図録の文中から探すと「ひと足早く産業発展によって社会階層の変化が起きていた19世紀末のウィーンでは、『時代にその芸術をー芸術にその自由を』の主張のもと、旧弊なアカデミズムの支配から抜け出た『分離派』芸術家たちが新しい表現を生み出していた。」(伊藤伸子解説)とあり、杉浦は分離派の手法を取り入れたことを語っています。またデザインの仕事では「注目すべきは、当時一般的ではなかった更紗を用いた装本やニッケル箔や漆の活用など、見た目の美しさではなく、素材や技法を視野に入れたデザインを強く主張している」(前村文博解説)という一文が示す通り、杉浦は装丁デザインでも力量を発揮しています。それでは杉浦の図案の基本となったものは何だったのか、こんな杉浦自身の言葉も図録にはありました。「非水は図案作りにおいて終生『自然から学ぶ』態度を崩さず、『自然を離れて、自己を表現する何者をも、持たぬことは、当然であると思う』『図案は自然の教導から出発して個性の匂いに立脚しなければならぬ』と語っている。」(伊藤伸子解説)

週末 梱包開始&美術館散策

今日から個展のための梱包作業に入ります。まず「発掘~座景~」の4枚の台座をシートに包みました。シートの内側にはエアキャップをガムテープで貼り付けています。台座に施した砂マチエールが痛まないように作品が触れる表面には必ずエアキャップをつけているのです。工房での午前中の作業は、「発掘~座景~」の4枚の台座をシートに包んで終わりました。まだ先日の出張の疲れがあって、遅々として作業が進まなかったので、午後は車で美術館に行くことにしました。図録撮影まで後回しにしていた美術館散策を始めました。若いスタッフが来ていたので一緒に連れて行きました。行った先は神奈川県立近代美術館葉山で開催中の「砂澤ビッキ展」でした。横浜横須賀道路を南下し、逗子インターから逗葉道路を経由して同美術館に到着しました。彫刻家砂澤ビッキが亡くなって30年近く経ちましたが、アイヌ民族の血を引く独特な形態感をもつ逞しい木彫家は、今も光を放っているように思えました。彫り跡を残した有機的な物体は、その存在だけで周囲を圧倒するパワーを持っていました。詳しい感想は次の機会に改めます。次に向かったのは横須賀美術館でした。神奈川県立近代美術館葉山も横須賀美術館も海に面した素晴らしいロケーションがあって、多くの家族連れが来館していました。スタッフとカフェで休憩したいと思っても、どちらの店も人でいっぱいでした。横須賀美術館で開催していたのは「デンマーク・デザイン」展で、北欧のシャープなデザインを堪能することが出来ました。砂澤ビッキの土臭い世界とは真逆の洗練された世界に接しました。同じ木材を扱ってもアイヌの彫刻とデンマークの椅子では、まるで異なる世界が出現して、木材の放つ多様な表現の幅に面白さを感じました。「デンマーク・デザイン」展も詳しい感想は後日に回します。今日は久しぶりの美術館散策を入れたので充実した一日を過ごしました。

週末 梱包準備&映画鑑賞

やはり昨日思っていた通り、今日は3日間の関西出張の疲労が取れず、午前中は自宅で休んでいました。昨日京都のホテルから送った荷物が今朝届きました。衣類の他に京都の美術館で購入した書籍も入っていました。美術館近くにある書店にはアート関係の書籍が多く、短時間でも楽しい散策になったことを思い出しました。もしも京都に住んだなら、自分はこの界隈をウロウロするのかぁと想像しています。午後は作品の梱包材を買いに店に行きました。エアキャップやらシートを購入しましたが、足りないような気がしています。実際の梱包は明日から行います。梱包材を仕入れる店は、横浜のみなとみらい地区にあります。昨日まで古都の京都や奈良に行っていて、今日はみなとみらいにいる自分は、飛鳥や平安時代の木造建築から一気に現代の高層ビルまでタイムトリップをしている錯覚に陥ります。自分が住んでいる日本は歴史的にも凄い国だなぁと妙なところで感心してしまいます。夕方は工房で作業をする気になれず、そのまま横浜の中区にあるミニシアターへ出かけました。今回のアカデミー賞作品賞に輝いた「ムーンライト」が上映されているので観て来ました。「ムーンライト」は黒人しか登場せず、舞台はマイアミの貧困家庭、しかも麻薬中毒や同性愛を描いている映画と知っていたので、かなり暗いテーマだろうと思っていました。ところが美しい映像や物語を終始貫いている愛について考えされられた不思議な雰囲気と魅力を兼ね備えていた映画でした。詳しい感想は後日改めたいと思います。

関西出張③ 夏のような暑さの中で…

関西出張も3日目を迎え、今日は横浜へ帰ります。今日は奈良公園にいました。茹だるような暑さになり、鹿も木陰で休んでいました。大仏殿や二月堂は過去何回も来ていますが、久しぶりに来てみると何度も情緒に浸れる場所だなぁと思いました。京都や奈良は外国人観光客が多く、案内板も英語や中国語、韓国語が併記されていました。平成19年から我が国では観光立国推進基本法が施行され、外国人観光客を積極的に受けています。奈良公園はアジア諸国や欧米各国から来た多くの人で賑わっていました。修学旅行で来ている多くの中学生が、外国人たちと英語でやり取りしている光景を見るにつけ、今まさに国際化が進んでいる微笑ましい場面もありました。異国文化とのトラブルも聞かれますが、いずれ解消の糸口を見つけられるのではないかと思っています。3日間に及んだ関西方面への出張も無事終わり、夕方5時には横浜へ戻ってきました。横浜も夏のような暑さがあって、梅雨はどこにいってしまったのかと思いました。明日は通常通りの週末で、作品の梱包が待っています。きっと明日は疲労が残って動けないのではないかと思っています。

関西出張② 仕事の合間の散策

私が関西方面に行くことは滅多になく、現在の職場では1年1回しかありません。しかも3日間とも余裕のない仕事の行程なので、なかなか休憩時間を見つけるのは困難ですが、それでも何とか1時間程度は自由時間を確保しました。今日は京都にいました。昨年も行った細見美術館と京都国立近代美術館を見て回ることが出来ました。美術館が点在する平安神宮のエリアにやってくると、今年も京都にやってきたなぁとテンションが上がります。天気は曇り空でしたが、散策にはちょうどいい気候でした。細見美術館では「杉浦非水展」をやっていました。副題に「モダンデザインの先駆者」とありましたが、西欧で19世紀末に興った反アカデミズムの「ウィーン分離派」が杉浦非水の画業に影響を与え、杉浦は我が国初のグラフィックデザイナーとなったのでした。展覧会の詳細は後日にしますが、洒落た細見美術館の雰囲気と相俟って、杉浦非水ワールドが際立つ展示で魅了されました。次に京都国立近代美術館に立ち寄りました。「技を極める」というタイトルのジュエリーの展覧会をやっていました。私はジュエリーの展覧会はほとんど見ません。宝飾品に興味がないのです。それでもせっかく京都まで来たのだからという思いで、フランスと日本の両国の技を堪能させていただきました。その中で興味を持ったのは、陶や金属で動植物を模した日本の工芸による超絶技巧の数々でした。展示品の中に工芸家安藤緑山が作った牙彫による果物があり、高齢の女性が「これは東京中村屋で制作していたロクザンのことよ」と同伴の女性に説明していたのを耳にし、傍らで聞いていられなくなった私は「それは荻原碌山で、この安藤緑山とは別人です。差し出がましいことを言って申し分けありません。」とつい口を挟んでしまいました。次に私が向かったのは同館の上階で開催していた「戦後ドイツの映画ポスター」展でした。嘗て横浜で見たポーランドのポスターを髣髴とさせる表現があり、単純なタッチに強さを感じさせるものがありました。詳細な感想は後日に回します。僅かな時間を使って散策した京都の美術館でしたが、自分にはホッとできるひと時でした。

関西出張① 「奇想の系譜」読み始める

今日から関西方面へ2泊3日で出張します。行きの新幹線に中で読む書籍をどれにしようか思案していました。普段鞄に携帯しているのは「聖別の芸術」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)です。私には大変面白い評論で、時間をかけてとつおいつ読んでいるのですが、出張には軽量な文庫本がいいと思っていたので、別の書籍を探していました。自分が読もうと思って既に購入してあった文庫本の中から、今回は「奇想の系譜」(辻 惟雄著 筑摩書房)を読み始めました。本書の初版は1970年というから今を遡ること47年前になります。著者がまだ30歳代の気鋭の著作だったわけです。確かに日本美術史の中で埋もれていた傍流とも異端とも言われる画家の中に、現代に通じる斬新さを発見した本書は「眼から鱗」的な発想だったと思います。本書の中に「そして『奇想』とは『エキセントリックの度合の多少にかかわらず、因襲の殻を打ち破る、自由で斬新な発想』であることに思い至る。これは貴重な発見だった。このように考える時、雪村、永徳、宗達、光琳、白隠、大雅、玉堂、米山人、写楽といった、近世絵画の動向に大きな影響を与えた画家たちがいずれもこの系譜に含まれてくることに気づいた。」(服部幸雄解説)という一文があります。そうなれば「奇想」はまさに日本美術史の主流にもなり得るわけで、展覧会があれば私たちが大挙して訪れる伊藤若冲や歌川国芳も当時は埋没していた画家だったと言えるのです。毒々しさや卑俗さが古典的な気取りの殻を打ち破り、生き生きとした活力を伝えている「奇想」の画家たちは、本書のお陰で現代を生きる私たちの心を刺激する存在になっています。その着眼点を知ることは次世代へ繋がる橋渡しにもなろうかと思います。新幹線に揺られる僅かな時間に「奇想の系譜」に思いを馳せることは贅沢な時間とも思えます。

6月RECORDは「まざる」

6月のRECORDのテーマを考えたときに、多くの同質なモノの中に異質なモノが混ざるイメージがありました。それは人種であったり、障害の有無であったり、さらに目に見えぬ複雑な状況も考えられます。起源から遡って純粋を守っている民族は皆無です。他民族の血がどこかで混ざり、それでも環境がある程度影響して、長い期間に亘って混血がなかった民族は存在します。私たち日本人は島国という閉鎖的な環境があるので、その類いかもしれず、言葉で説明しなくても気分の共有が図れるのはその証拠と言えます。しかし世界がグローバル化している昨今、さらに時代の流れである個性化や孤立化が、日本人特有の気分の共有に微妙な影響を与えていることもあります。それでも長期的視野で民族間の「まざる」流れは続いていくでしょう。「まざる」前に摩擦が生じることは多々あります。それが戦争や紛争に繋がる恐れは常に存在します。民族は文化や宗教を纏って「まざる」ことを断固拒否することが少なくないからです。私たちが白に見えているモノが、他民族によっては黒に見えると主張されたことが暫しあります。と言うのも若い頃、私は海外で暮らしていて他国人と触れ合う度、俄に信じ難かったことが、今世界中で起きているように思えるからです。「まざる」というテーマを大きく捉え過ぎましたが、今月はこのテーマで頑張っていこうと思います。

撮影後の安堵感

月曜日から仕事が始まるので、本来なら今日のモチベーションは下がるはずですが、昨日の図録用撮影が何とか無事に終わって、今朝からストレスが脱けたようで心が軽くなっていました。昨晩は肉体的にも精神的にも疲労していて、今日はひょっとして出勤出来ないのではないかと心配しましたが、起床は不思議なほど爽快でした。個展はまだ1ヶ月先だと言うのに、この安堵感は何でしょうか。「発掘~宙景~」の組立てに、昨日までかなり精神的圧迫感を感じていたのでしょうか。スタッフたちの力にこれほど助けられたと思ったことはありませんでした。心強い味方がいてくれることに今も感謝です。まだこれからの作業では梱包があるし、搬入計画や搬出後の保管場所に至るまで、やるべきことはいっぱいあります。例年撮影後も週末は休めず、次から次へと作業をしています。今年も同様ですが、撮影までの道のりが大変だったために、梱包作業は緩く感じられるのではないかと思っているのです。来週から梱包作業に入ります。加えて手狭になった保管用倉庫を工夫しなければ、今年の新作が入りません。ロフトに上げられるモノは全てロフトに上げようと思っています。また一人でコツコツやっていこうと思っています。この時期からもう来年に向けた制作を始めようと思っています。幸い「発掘~宙景~」をA・B両方同時に作っていたので、もうひとつの作品が途中で放置してあり、それを継続すれば新しいテーブル彫刻が誕生します。現在の「発掘~宙景~」の完成する間近になって、もうひとつのイメージが降ってきました。昨日の撮影の興奮が冷めやらぬうちから、もう来年の新作に頭が飛んでしまっています。これも撮影後の安堵感あればこそイメージできるものかもしれません。

週末 図録用撮影日

いよいよ新作の図録用撮影日になりました。昨日深夜までやっていた準備が万全でないことに今朝5時に寝床で気づき、眠気が吹き飛びました。早朝の工房に出かけ、細かな陶彫部品に追加の印を貼り、ボルトナットの点検や作業台の片付けを行いました。スタッフを迎えに出たのが8時、車やバイクで来るスタッフもいて、全員が9時半には揃いました。家内と私を加えると総勢7人、そこにカメラマン2人が加わって、10時には野外での撮影が始まりました。「発掘~宙景~」を全員で組立てようとした時は、私は珍しく緊張しました。果たして陶彫部品の重量にテーブルが耐えられるかどうか、柱陶がグラつくのではないかと心配しましたが、逆に重量があるためテーブルは安定しました。私は安堵して、漸く完成された「発掘~宙景~」を眺めることが出来ました。ほとんどイメージ通りの出来栄えでした。「発掘~座景~」も補助柱のおかげで難なく組立てが終わりました。太陽の陽射しを受けて、新作2点は野外で面白い影を落としていました。図録だけでなく案内状の写真やポートレイトも撮影しました。昼食は例年通りピザの宅配を取りました。皆でピザを頬張ると個展が近づいた気分になります。所謂これは条件反射で、今年も多くのスタッフに囲まれて、図録撮影が出来て良かったと思いました。午後は工房の室内で新作2点を組立て直して撮影をしました。撮影が終わるとカメラマンやスタッフは三々五々解散していきました。撮影日はイベントのようなもので工房の年中行事になりつつあります。今日頑張ってくれた優秀なスタッフたちに感謝です。

週末 撮影前の追加制作

明日は図録用の撮影日になっています。「発掘~座景~」と「発掘~宙景~」、「陶紋」5点が今年の個展に出品する作品で、明日の撮影を予定している作品全てです。今朝7時に窯を開けて「発掘~宙景~」に吊るす3段目の陶彫部品6点、小品である「陶紋」5点の焼成が出来ているのを確認しました。朝食の時に、家内から「発掘~座景~」は柱陶だけではテーブルがたわむのではないかと指摘されました。家内は目覚めの時に頭を過ぎることが妙に鋭くて、私は一目置いているのです。確かに刳り貫いた穴が多い畳大のテーブルに、陶彫部品が数多く置かれるとたわむこともあるかなぁと思いました。補助的な柱が必要かもしれないと思い立ち、朝から木材店に出かけ、角材を仕入れてきました。柱陶と同じ長さに切断し、先端を細くするために木彫しました。追加した柱は12本になりました。柱陶と似た色彩を施してテーブルに接合するだけで6時間もかかりました。夜になっても作業は終わらず、「発掘~宙景~」の陶彫部品に印貼りをしたのは夜10時を回っていました。これで何とか撮影には間に合いそうですが、完璧ではありません。やり残したことはありますが、撮影では問題なく済みそうなので、明日は臨機応変するしか方法がありません。今日は疲れ知らずな一日になりましたが、撮影の後で大変な疲労に襲われるのではないかと危惧しています。スタッフは皆頼れる人たちなので、そこが救いです。明日を無事に乗り切りたいと心から願っています。

開港記念日は制作の日

横浜の公的機関は今日が開港記念日として公務を減らしているところが多いようです。私の職場も横浜市の組織に入るので開港を祝う日を特別な日として設定していますが、私たち職員は通常勤務です。ただし、年休を取りやすい環境になるので、ほとんどの職員は休みを取っているのです。私も例外ではなく、図録の撮影が迫っているため一日休みを頂きました。今日は朝から工房に篭りました。午前中は「発掘~座景~」の陶彫部品や柱陶、台座に番号を付けた印を貼りました。これで陶彫部品の配置場所が確定しました。「発掘~座景~」の台座は畳4枚分の広さになります。そこに陶彫による架空都市を作っています。考えてみれば今日初めて台座と陶彫部品を組み合わせたので、全体像が漸く見られたことになります。この台座は16本の柱陶で支える構造になりますが、完成された「発掘~座景~」は撮影日に初めて披露することになるのです。午後は「発掘~宙景~」のテーブルの上に乗せる板材の加工をやっていました。「発掘~宙景~」はテーブルの下に陶彫部品を吊り下げる構造になります。それはボルトナットで接合し、その金具で重い陶彫を支えるのです。テーブルの上には夥しい数のボルトが突き出るので、それを覆うための板材加工が必要なのです。明日は板材に塗装を施します。これで「発掘~宙景~」も漸く完成し、撮影日に披露します。「発掘~宙景~」の印貼りは明日です。「発掘~宙景~」は、まだ陶彫部品の一部が窯に入っていて、明日にならないと窯から出すことが出来ないのです。明日で全て撮影に準備が整うはずですが、忘れていることもあるかもしれず、もう一度確認しようと思っています。

6月をどう過ごすのか…

6月になりました。目先の目標は図録用の撮影が成功するように祈るだけです。撮影日は6月4日(日)です。天気予報では曇ったり晴れたりで、何とか野外での撮影も出来そうです。明日、横浜は開港記念日、明後日は土曜日なので、丸2日を新作の組立ての確認に使えます。最後の窯も明日には蓋を開けられそうです。スタッフも数人が来てくれる予定になっていて、準備は万全と思っていますが、それでも不安なのはどうしてなのか、新作の構造上の問題が心を悩ませているせいです。今日は図録のレイアウトを考えました。サイズも頁も例年通りで代わり映えのしないデザインですが、新作が毎年異なるので、図録の見応えは充分だと思っています。今日の昼頃、ギャラリーせいほうに電話をして日程の確認をしました。まず案内状が完成したらギャラリーに届けに行きます。撮影が終われば、新作は梱包作業に入ります。今年は翌年の作品もある程度作っているのですが、それは来月の個展終了時から再開しようと思っています。今月は、先月見たかった展覧会を今月に回しているので、展覧会巡りをしようと思っています。これが楽しみで仕方ないのです。散策に飢えている感じです。仕事では関西方面に2泊3日の出張がありますが、これは仕事なので自由にはなりません。何かがあれば管理職として責任問題に発展する可能性もあるので、落ち着かない3日間になります。何もなければ仏像や庭園でもゆっくり眺めていたい気分です。公務員管理職としての仕事も、彫刻家としての仕事も、自分の人生を豊かに彩り、成功すれば至上の喜びを与えてくれるものです。ただひとつひとつが気楽ではないことは確かで、散々苦心した暁に勝ち取る勲章のようなものです。鑑賞はそんな気持ちを充填するものですが、読書にも同じ役割があると思っています。RECORDは小さくても創作行為なので、彫刻家としての仕事の一端を担うものです。今月こそバランスよく仕事をしていきたいと思っています。

5月の成果を自己評価

5月の最終日になりました。来月初めにある図録の撮影日を新作の完成ゴールとして、今月は週末だけでなくウィークディの夜間制作も頑張ってきました。今晩最後の窯入れをしたので、まだ作品が完全に出来上がったわけではありませんが、それなりの成果を上げることは出来たと自負しています。組立てに関する不安は今だに払拭できず、こればかりは実際に撮影の時にスタッフと組立ててみないとわかりません。とりわけ「発掘~宙景~」のテーブルにかかる陶彫部品の重量が心配です。毎年、撮影日に初めて集合彫刻を組立てるので、撮影が無事終わるまで心身ともに落ち着かない日々を送っているのです。ただし、撮影時に一度組立てるために個展搬入と展示は、その方法がわかっていて精神的にはとても楽になります。ともあれ制作工程は計画通りにいきました。「発掘~宙景~」を当初2点作っていたところを1点に絞込み、高さを低く調整したことの変更を除けば、5月は満足の出来る創作活動だったと言えます。相変わらず陶彫制作の犠牲になっているのがRECORDです。一日1点のノルマは下書きだけになっていて、自宅の食卓には1か月分くらいの作品が彩色と仕上げを待っている状態です。就寝前に下書きを作るのがやっとで、毎晩睡魔と闘っています。ウィークディの夜間に工房に通うことがなくなれば、過去の作品にも着手できるのではないかと思います。鑑賞は美術館に行く時間的余裕がなく、見たい展覧会は後回しにしています。来月の撮影が終わったら、見たい展覧会を順次見てこようと思っています。映画は「わたしはダニエル・ブレイク」を横浜のミニシアターで観てきました。主張のハッキリした質の高い映画だったと思いました。書籍は「聖別の芸術」を読んでいますが、現代造形作家の作品を美学に絡めた面白い論考があって、じっくり楽しんでいます。これは自分の好きな分野です。来月は図録用の撮影日があって、その後に梱包作業があります。職場では2泊3日で関西方面に出張します。来月も頑張りたいと思っています。

落款印の彫りが完成

私は新作を始めるとその新作につける新しい印を彫ります。美術館や画廊でよく見かける書や絵画に押してある落款を自作しているのです。現在まで作った全ての作品にそれぞれ異なった印があります。印は陶彫に直接捺印できないので、小さな和紙に印を押します。印の上から番号を書き込み、それを陶彫部品ひとつずつの見えない部分に貼っていきます。番号をつける理由として、私の作品は部品が集まってカタチを形成する集合彫刻のため、組み合わせが分かるように順番に番号をつけているのです。それと同時に部品同士が混ざらないように印をそれぞれの作品で変えているのです。印には落款としての作者を明示する役割と、組み立てに必要な順番を示す役割があります。今回も「発掘~座景~」と「発掘~宙景~」の2つの作品に新しいデザインの印を彫りました。NOTE(ブログ)に幾度となく書いていますが、私の印は抽象絵画のような構成で、文字もよく印に使われる篆字ではありません。アルファベットあり、独自に変形した漢字ありで、何にも囚われず自由気儘にやっています。小品である「陶紋」は旧作から通し番号をつけているため、印も統一しています。今日、2つの落款印が完成し、和紙に押印しました。私が創作した落款印は、かなりの数になりました。この印だけで展覧会が出来そうです。ただ残念なことに、どの作品にどの印をつけたかファイルしていないのです。確かめるのには一つずつ梱包を解かないと分かりません。印は工房の棚にある木箱に並べて入れてあります。退職して時間が出来たら、これを整理したいと考えています。

早朝の窯の温度確認

早寝早起きは、若い頃から得意ではないと感じていた自分でしたが、最近は早寝早起きが習慣になっています。これは健康志向がそうさせているわけではないのです。早寝早起きは、きっと加齢のせいだと思っています。公務員になった30年前から辛い思いで早起きをして出勤していましたが、目覚まし時計が鳴る前に起きることはありませんでした。学生時代までは母に起こされ、社会人になってからは家内に起こされてきた自分でしたが、今は私が先に起きて朝食の催促をしています。高齢者の仲間入りだねと人生の先輩から言われました。このところ眼が覚めてしまうと気になることは陶彫制作のことばかりです。今朝も5時に工房に出かけ、窯の温度を見てきました。ブレーカーは落ちていないか、温度は順調に上昇しているか、他の作品の乾燥具合はどのくらい進んだのか、急きたてられるように工房内をウロウロ歩き回ってしまうのは、自分としては人に見せたくないみっともない姿ですが、個展出品作品が完成に向かって終盤に差し掛かっている状況からすれば、ゆったり構えていられないのが正直な気持ちです。ここで焼成が失敗すると6月4日に撮影が出来ません。綱渡りの状態は毎年やってきますが、次こそきちんと計画を立てて余裕を持って完成を迎えたいものだと思っています。

週末 制作ラストスパート

制作ラストスパートという表題をつけても、朝から晩まで執拗にひとつの制作に打ち込んでいたわけではありません。現在は新作の創作行為は既に終わっていて、集合彫刻としての組立てに関わる諸々の仕事で時間がかかっているのです。「発掘~宙景~」の柱陶に取り組んでいたら、ワッシャーが足りないのに気がつきました。テーブルの上部に飛び出るボルトの一部を隠すための木材も必要になって、作業途中で専門店に買いに走りました。店から戻ってきて再び作業に入りましたが、夜になって窯入れの時間がやってきたので、作業はそこで中断しました。陶彫という技法は長時間を同じ創作行為に費やすことはありません。成形では陶土の柔らかさによって放置をしなければならないことがあり、次から次へと仕事を変えながら、段階を追って制作が進んでいくのです。絵画のように同じ画面をずっと眺めながら筆を入れる作業とは異なり、作品の前でじっくり腰を据えることはないのです。制作に纏わる手順や方法が多様化していて、塗料や接合具を確認することは必須ですが、計画通りにいかないことが多く、ラストスパートでは右往左往してしまうことが毎回あります。店と工房の行き来が激しくなるのは完成に近づいた証拠とも言えます。窯入れは来週の途中でもう一度行います。それで撮影日に間に合わせる算段になっています。とまれ、ここでもう一度作品を組立てた場合の最終確認をしたいと思っています。幸い横浜は6月2日(金)が開港記念日になっていて、その日の仕事は減ることが判っています。私たちは勤務を要する日ですが、年休を取りやすい条件が揃っているので、休みをいただいて最終確認をする予定です。いよいよ完成が見えてきました。

週末 「発掘~宙景~」テーブルの組立て

今月最後の週末になりました。陶彫部品は焼成を2回やれば全て揃うことになりましたが、不測の事態も考えられるので予断は許せません。窯入れは何があるか分からないので精神的な圧迫を受けます。でもそれが面白いところでもあるのです。今日は「発掘~宙景~」テーブルの組立てを行いました。午前中は職場関係の仕事があり、工房に行けませんでした。その分を6時前の早朝に工房に行って、テーブル組立ての準備を行いました。午後になって工房に帰ってくると、久しぶりに若いスタッフが来ていました。大学院を修了したばかりの彼女は、千葉の市原や越後妻有の芸術祭のアシスタントをやってきたのでした。テーブルの組立てを手伝ってくれましたが、柱を立てるところが上手くいかず、どうしようか迷ってしまいました。彼女が4時に帰った後、作業台に柱を固定して、もう一度チャレンジすることにしました。スタッフがいなくなってしまったので、一人では何にも出来ず、私は自宅に戻っていました。家内が東京の演奏会場から帰ってきたので、テーブル組立てをお願いしました。今から工房に行って手伝うと言ってくれたので、夜の11時に家内と2人でテーブルを組立てました。2回目の組立ては何とか出来上がりました。これで「発掘~宙景~」の全貌が見えてきました。テーブルの下に吊り下げる陶彫部品の重量が気になりますが、私がテーブルに乗ってもビクともしないので、重さに耐えられるだろうと思いました。明日は「発掘~宙景~」の4本の柱に陶板を貼り付けて、陶柱にしていきたいと思います。今日は早朝から深夜まで骨の折れる作業があって心身ともに疲れました。明日は気持ちを新たにして頑張りたいと思います。

人形作家の講演会

人形作家与勇輝氏は、子どものちょっとした仕草を捉えた愛らしい人形作りで知られた人です。作家本人特有の屈託のない語りに会場が沸きました。本人の弁から、あと2ヶ月経ったら80歳という台詞が出てきて驚きました。頭と手を駆使する工芸家は、いつまでも歳をとらないのかもしれません。今日は、職場関係の専門家の集まりが川崎市民ミュージアムの映像ホールであり、私は会計監査役で総会に呼ばれていましたが、本会議より与勇輝氏の講演会が楽しみでした。与勇輝氏の作品はテレビ番組や河口湖にある個人美術館で見たことがありました。ノスタルジックな雰囲気を持つ子どものポーズと情景、それはどういう工程を経て完成するのか、ステージに設えた画面から、その様子が伺えました。粘土で頭部を作り、石膏で雌型にして張りぼてを作る工程は、分かっていても興味津々でした。服は古生地で自ら作り、メイクを施していました。このメイクによって人形の人格が決まると言っていました。人形に表情が現れると、人形が作者を鬩ぎ立て、無我夢中で作ってしまうようです。人形に作らされてしまうと言った方が適切かもしれません。数十年も作っているベテラン作家と言えども、人形一体作り上げると心身ともにガクっとくるそうで、今まで一度も楽に作れたことはないと言っていました。精魂傾けた作品だからこそ、人の心を虜にするパワーを持って私たちに迫ってくるとも言えるのです。人形は自分に似るとも仰っていました。作品は自分の分身だから、人形でなくても自分に似るのは当然だと私は思っています。翻って自作の「発掘シリーズ」は私そのものです。私も自分自身の内面世界に嫌気がさすこともありますが、与勇輝氏の「嫌ならやめればいい。」と断言したコトバに共感しました。好きでやっていることに苦しむことはない、嫌ならやめればいい、その通りです。明日の制作を頑張ろうと思った今日の講演会でした。

「聖別の哲学」について

現在読んでいる「聖別の芸術」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)の冒頭部分に米澤有恒氏による「聖別の哲学」の記載がありました。これは「聖別とは何か」を哲学的見地から論じたもので、具体例としてキリスト教を絡めていますが、主張は特定宗教に限らず人間が元来有する精神的な業を、偉大な哲学者の著作を礎にしながら、近代以降に人々が陥った世俗化に警鐘を鳴らすものとして私は理解しました。まず、カントの唱えた「趣味」の概念に心動かされました。「趣味」は個人の主観反映なのに、その普遍性や社会性を考査するカントの美学とは如何ほどのものか理解に苦しむところでした。私が親しんだニーチェやハイデガーも論拠を助ける部分で登場していて、頷ける箇所も数多くありました。19世紀以降登場した清濁併せもった芸術至上主義にも興味が湧きました。気に留めた文章をいくつか引用いたします。「福音書と黙示録が一つになって『聖書』ができ上がっているように、人間の善と悪の美を等しく実現することにおいて、芸術が芸術である。このように、芸術は人間のすべてを『人間的なもの』として明るみに出す力を持っているから、人間を全体として聖別する資格を有するのだろう。そして芸術にそのような能力や資格を認めることこそ、理性の寛容さ、合理主義の合理主義たる所以である。」「これまで『聖なるもの』と呼んだり神と呼んできたものは、決して特定の宗教神のことではない。人間が畏怖の念を以て臨まねばならない一切のもののことである。~略~私たちは『聖なるもの』を自然現象ばかりでなく、人為にも求めたい。人間が偉大と仰ぐものは、おのずから神気を帯びていると思うからである。」「今日、芸術は人間業としてすっかり世俗化してしまい、聖なるものと何の繋がりもないように見える。もしそうだとしたら、偉大な芸術が生まれないからである。偉大な芸術とは何か。聖なるものによって聖別されうる芸術である。聖なるもの、この非合理なものは人知図り難い水準で人間の勲しを嘉し、愛でて聖別してくれる。」