Archives for the Month of 10月, 2013

「モローとルオー」展の雑感

先日、東京汐留ミュージアムで開催中の「モローとルオー」の展覧会に行ってきました。フランスの画家ギュスターヴ・モローは、自分がオーストリアにいた頃に知った画家でした。もうかれこれ30年前になりますが、私は80年から85年ま […]

「ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命」を読み始める

「ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命」(水戸芸術館現代美術センター編 フィルムアート社)を読み始めました。本書は2009年に水戸芸術館現代美術センターで企画された展覧会の図録で、先日書店で購入したものです。購入した理由は本 […]

「ボイスから始まる」読後感

「ボイスから始まる」(菅原教夫著 五柳書院)を読み終えました。ヨーゼフ・ボイスの生涯に亘る活動を要領よくまとめられている本書は、自分にとってボイスというカリスマを知る良い契機となりました。遅ればせながら自分もボイスの存在 […]

振幅の大きい存在

今読んでいる「ボイスから始まる」(菅原教夫著 五柳書院)には興味が惹きつけられる箇所がたくさんあります。抜粋すると「ヒトラーとボイスには確かに似ている面がある。前者は第一次大戦がもたらしたドイツの荒廃から現れ、後者は第二 […]

週末の展覧会巡り Ⅱ

今日も昨日に続き、美術館に出かけました。今日は朝5時に起床、家内と自家用車で一路栃木県へ向かいました。目指したのは足利市立美術館で開催中の「石田徹也展-ノート、夢のしるし」。31歳で夭折した画家石田徹也は、画集を通して知 […]

週末の展覧会巡り

今週末は2日間とも展覧会を巡ります。秋は見たい展覧会が目白押しなので、制作を中断して出かける予定を立てました。今日は東京汐留ミュージアムで開催中の「モローとルオー」展、それから工房に出入りしている美大生の個展に行ってきま […]

地を這うカタチ「発掘~増殖~」

地を這うカタチとして制作を続けている新作に「発掘~増殖~」という題名をつけました。無限に広がっていく植物的な生命体が脳裏にあって、当初は画廊空間全体に蔓延らせるイメージがありました。大地を這うように広がるのは無計画な都市 […]

ボイスを巡る理論

「ボイスから始まる」(菅原教夫著 五柳書院)を読んで最初に出会うのは第二次大戦中のユダヤ人大量殺戮で、戦後ドイツ人芸術家が負った宿命の記述です。「想像されるのは、ボイスにとってドイツが背負うホロコーストの罪は余りにも重く […]

写真集「証言と遺言」

先日、横浜新聞博物館で開催されていた「福島菊次郎展」に行ってきました。原爆投下後のヒロシマの一家族を被写体にして、当時の凄まじい生活を抉り出した世界は特筆に値します。視覚に訴える報道写真は、インパクトがあって思わず惹きつ […]

風景の変貌

通勤に使うバス停留所の近くに大きな旧家がありました。立派な石垣と太い樹木に囲まれた屋敷で、そこには自分と同じ歳の少年がいて、幼い頃よく遊んでいました。少年と書いた訳は、子供の頃に彼は事故で他界していたからです。私たちは悪 […]

「ボイスから始まる」を読み始める

「ボイスから始まる」(菅原教夫著 五柳書院)を読み始めました。先日まで読んでいた「ヨーゼフ・ボイスの足型」に続くボイス論です。ドイツ人芸術家ヨーゼフ・ボイスに関わる書籍は専門的な書店を探しても少なくて、ブームが去ったかの […]

週末制作 陶土に追われる

陶土に追われるとはどういうことか、毎週末の制作で実感していて、今日も例外ではなかったので今日はこの話題にしました。陶彫はもちろん陶芸の場合も同じですが、土の乾燥による制作工程の順序があります。陶土が柔らかい時は菊練りを行 […]

週末 制作&報道写真展

今週末はとくに職場に行くこともなく、丸2日間を制作に使えます。制作三昧になるのは久しぶりで、朝から創作モードになっていました。以前NOTE(ブログ)に書きましたが、制作サイクルを再度点検し、この2日間を上手に回していきた […]

「ヨーゼフ・ボイスの足型」読後感

「社会彫刻というのが、今日のテーマです。社会彫刻ということに関して、ボイスは『拡大された芸術観念』ということを言うわけなんですけれども、どうしても『芸術概念』という言葉を使うもんで惑わされてしまって、僕たちは芸術というも […]

竹橋の「竹内栖鳳展」

東の横山大観・西の竹内栖鳳と称せられる2大巨匠のうち、自分は横山大観に比べると竹内栖鳳の画風を今までよく知らずにいて、今回の展覧会でようやくその全貌が分かった次第です。展覧会最終日の午後、会場であった東京国立近代美術館は […]

渋谷の「レオナール・フジタ 藤田嗣治展」

藤田嗣治(レオナール・フジタ)の画業は何回かNOTE(ブログ)で取り上げていますが、東京渋谷にあるBunkamuraザ・ミュージアムで開催されていた「レオナール・フジタ 藤田嗣治展」に先日行ってきました。乳白色の肌をもつ […]

「少年殉教者・聖マテオ小兵衛」

先日、東京六本木にある新国立美術館で開催していた自由美術展に出かけました。自由美術展は師匠池田宗弘先生が会員として出品されている美術団体で、毎年招待券をいただいています。今年の夏に長野県麻績の池田先生の工房兼住居であるエ […]

三連休 仕事と美術鑑賞

三連休の最終日ですが、午前中は止むに止まれぬ仕事が入っていました。結局、三連休はいずれも職場関係の仕事が半日程度あって制作がままならない状況でした。今日の午後は工房には行かず、東京の美術館を家内と見てきました。今日は東京 […]

週末の読書 「足型の石膏取り」

「コーヒーを飲んだあと、いよいよ石膏の流し込みを始める。中庭は四方を囲まれているわりには、不思議に涼しい風が時おり吹き抜けるが、この夏の異常な暑さで頭がクラクラするほどだった。日陰で石膏を水に溶かし、三回に分けて木箱に流 […]

三連休の微妙な制作時間

この三連休とも職場関係の仕事があって制作時間が微妙です。工房では少なくても3時間以上制作をしなければ作品が先に進みません。早朝や夕方の時間を使って時間を確保したいと思っています。往生際の悪い自分は休日に職場の仕事があるか […]

読書に夢中になって慌てた日

通勤時間帯に読んでいる「ヨーゼフ・ボイスの足型」(若江漢字 酒井忠康共著 みすず書房)に夢中になっていたところ、降りる駅のアナウンスが流れて、ドキっとしたことがありました。読書はその中に自分が入り込んでしまうと、周囲が見 […]

10月RECORDは「塔」

新作「発掘~層塔~」を作り始めているせいか、いつも塔のイメージが脳裏を過ります。「発掘~層塔~」のイメージは固まっていますが、塔には様々な形態があり、また造形的刺激を受ける建造物も多いのです。塔は見上げると天に近い崇高な […]

「発掘~層塔~」制作に向けて

塔のイメージが頭を過ったのは今年初めの頃でした。まだ「発掘~地殻~」の制作が佳境に入っていて木材に鑿を振っていた時でした。こんな時にどうして別の作品のことが頭に浮かぶのか自分でも理解できませんが、ひとつ作品を完成させ、順 […]

私の中のヨーゼフ・ボイス

現代美術を考える上で、自分の中では知名度ばかりが独り歩きをしていて、作品に込める哲学やその具現化等の実態を知らない巨匠のひとりがドイツ人芸術家ヨーゼフ・ボイスです。私が渡欧した1980年当時はドイツのデュッセルドルフ芸術 […]

「ヨーゼフ・ボイスの足型」を読み始める

ドイツの現代芸術家であった故ヨーゼフ・ボイス関連の書籍を読むのは初めてです。自分の中での巨匠との関わりは別の機会に書きますが、実績を知りたい芸術家のひとりであったので、「ヨーゼフ・ボイスの足型」(若江漢字 酒井忠康共著 […]

週末 制作サイクル遂行

来週の三連休に仕事が入っているため、今週末は出来る限り、新作の陶彫制作を進めていこうと思っていました。先週のウィークディの夜も工房に通っていて、夜にも関わらずタタラや成形をやっていました。これは制作サイクルの辻褄合わせで […]

週末 陶土600kg届く

現在制作中の塔をテーマにした彫刻作品は、150個を超える陶彫部品を予定していて、現状の陶土ではとても足りないので、先週栃木県益子町にある明智鉱業に連絡して、陶土600kgの購入を決めました。自分は陶土を単身で使わず、複数 […]

「枯山水」読後感

家業が造園業であったにも関わらず、自分は造園関係の書籍を読んだことがありませんでした。学生の頃、造園の仕事が好きになれなくて、造園を学問として扱うことを避けてきたように思います。実際は自然石を据え付け、植木を配置して、時 […]

4つの庭園における時代変遷

亡父が造園業を営んでいたおかげで、私は空間造形としての日本庭園に関心があります。現在読んでいる「枯山水」(重森三鈴著 中央公論新社)は時代背景に沿った庭園史がまとめられているので改めて庭園を見直す契機になります。自分の関 […]

象徴主義としての枯山水

「~冒頭略~象徴主義が、自然主義の上に加えられていることは、日本庭園における根本概念であると共に、あくまでも、自然を尊重し、又は自然を基本としつつも、更に、より美しい自然へ、より崇高なる自然へ、より理想的な自然へといった […]

休日出勤多い10月に…

10月になりました。月日が経つのは早いなぁと思います。週末ごとの制作サイクルを先月計画したばかりですが、今月は休日出勤が多くて、早くも制作サイクルに黄信号が点りそうです。職場と地域が協働するイベントが多く、その合間で制作 […]