週末 新作は直方体が基本

今日は朝から工房に篭りました。新作の3点目の陶彫部品の成形を行ないました。現在は床から立つ直方体を作っています。比較的大きめな直方体を立ち上げましたが、今後は大小さまざまな直方体を考えています。大きめな直方体は2段目も作ろうと思っています。積み木のように陶彫部品を積んでいく予定です。高層ビルが並び立つ状況がイメージにあります。その土台となるものは厚板材を加工して作るつもりです。厚板材は昨日、建材店で購入してきましたが、そのうち追加購入もあります。新作の出発点としては、まだまだ先が見えず、今のところは陶彫部品をひとつずつ作りながら、これでいいのかどうか確認しているところです。頭の中に設計図はあっても、彫刻は素材感を伴うので実体として目に見えるリアルがないと判断が出来ません。アナログの極めつけの世界とでも言いましょうか。私が存在とは何かを問う哲学に惹かれるのはこんなところにあるのかもしれません。今まで曲面を有する陶彫部品を作り続けてきましたが、直方体も面白いなぁと思うようになりました。曲面形態は動物的であったり、植物的な動きが出て、全体として有機的な生命体を印象づけました。今回は直方体が基本となるので、今までのような動きは表現できません。陶の醍醐味は曲面にあると今までの私は考えていたので、これはちょっとした挑戦になるのです。直方体なら金属でも制作可能です。それを敢えて陶で表すのにはそれなりの理由があります。それは定規で引くハードエッジな線や面ではなく、あくまでも人の手によって作り上げる、真っ直ぐな線や平たい面から得られる微妙な歪みや緊張感なのです。人の手が及ばない焼成がある陶彫を使って、何も幾何形体を作ることはないのではないかと思われるところですが、私は彫刻を魂の産物と捉えている古風な作り手なので、人の手で何とかモノにしたいと思っているのです。今日は梅雨明けの夏空が広がり、工房は蒸し風呂のような暑さになりました。毎週来ている美大受験生もいました。夕方、暑さに耐えた彼女を車で家まで送っていきました。

週末 8月になって…

週末になりました。今日から8月です。梅雨明けが遅れ、先月末までぐずついた天気が続いていました。8月は5日間の夏季休暇が取得できます。7日あたりから翌週にかけて夏季休暇を取ろうと思っています。毎年アジア各地や国内に旅行に行っていましたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で今年は旅行に行きません。その代わり美術館等へ日帰りで出かけたいと思っています。今月は新作になる陶彫を只管作ること、その陶彫部品を設置する土台も試しに作ってみることを彫刻制作では目標に掲げたいと思っています。さらに今月に限って彫刻制作より重きを置いているのはRECORD制作です。今月は下書きの山積み解消を目標にします。今までになく制作が遅れているため、これを放置できない状態になってしまいました。今年は色彩をテーマにしているので、アクリルガッシュの不足が心配ですが、画材店に行った折に多めに仕入れてこようと思っています。RECORDは一日の勤務が終了し、夕食の後で制作するのが習慣になっていますが、今月は昼間に制作時間を取ります。夏季休暇も利用します。もうひとつ、久しぶりに書店に行って書籍を購入したいと思っています。今取り組んでいる書籍があるので、新しい書籍は買ってすぐ読めるわけではありませんが、自宅リフォームの際に大きな書棚を設えてくれたので、そこに空いた棚があり、こんな書籍があったらいいなぁと希望しているのです。今日は新作のための厚板材を購入してきました。横浜そごう美術館で今日から始まっている「スーパークローン文化財展」にも足を運びました。この詳しい感想は後日改めます。夕方工房に行って、明日の陶彫成形のためにタタラを数枚準備してきました。8月になって、初っ端からいろいろ出かけてしまい、愈々気分を入れ替えることにしました。今月も頑張っていこうと思っています。

社会情勢とともに7月を振り返る

7月の最後の日になり、今月を振り返ってみたいと思います。タイトルに社会情勢としたのは、新型コロナウイルス感染拡大が続いており、首都圏では感染者が増え続けている状況で、東京を除外した「Go Toキャンペーン」のトラベル事業が始まり、不安と隣り合わせの1ヶ月だったことで、こうしたタイトルを思いついたのでした。今月は私の個展開催もありました。来廊者数は例年の3分の1程度で、それでもよく東京銀座に足を運んでくださったと感謝しています。私にとって個展開催は創作活動上のターニングポイントであることは間違いありません。造形思索は継続しているものの、ここで作品制作の本腰が新作に移っていきます。今月は美術館等へは行かず、残念ながら鑑賞は出来ていません。そろそろ美術館へ行きたいという思いは募っています。来月こそは充分感染症の自己防衛をして美術館へ行こうと思っています。一日1点ずつ作っているRECORDは相変わらず厳しい状態で、下書きの山積みが増えてきています。来月は夏季休暇はあっても旅行に出る予定がないので、RECORD制作に集中しようかなぁと考えています。RECORDは小さい平面作品ながら陶彫による集合彫刻に匹敵する作品群で、10年以上も一日も休まず作り続けている表現媒体です。夕食後にRECORDに立ち向かうと睡魔に襲われ、下書きが終わると瞼が落ちてしまうのです。このNOTE(ブログ)とRECORDという夜の仕事はなかなか苦しいものになっていて、加齢のせいとは思いたくないのですが、以前に比べると確実に気力が萎えているのが分かります。それでもRECORDを止めようとは思っていません。読書では彫刻家イサム・ノグチの生涯を描いた書籍と、論理学に関する難解な書籍を交互に読んでいます。これは来月も継続です。とくにフッサールによる論理学の書籍は、その世界に入り込まないと理解力が覚束ないのです。自宅で気持ちが緩んでいる時には到底読めるものではありません。これは職場に出てきた時に読むようにしようと思っています。来月も頑張ろうと思います。

個展の感想より抜粋

今年の個展に来られた方に感想を綴ったお手紙をいただきました。彼は横浜に住まわれている文筆家の方で、高齢にも関わらず毎年私の個展に来ていただいています。私が在廊していない時に来られたようで、お話が出来なかったのが残念ですが、作家野間宏に関する書籍を出版されていて、美術に対する審美眼もお持ちではないかと思っています。お手紙のの一部を抜粋させていただきます。「『発掘~聚景~』がテーマとありましたが、造語とは言え、その意が十分通じます。元になる集合体こそ、貴方が求める生の実態、有り様、更に言えば生きる、生産する自負とでも言えましょうか。…物体は壁から…そこに収斂…の説明が的確な案内になっています。」後半の文章は図録掲載のNOTE(ブログ)から拾っていただいたようで、身に余る言葉が連なっており、何か恥かしいような気もします。「発掘~聚景~」の中で、生の実態を見取っていただけたことに感謝申し上げます。「発掘~聚景~」は廃墟を模していますが、相反する生命の蘇生が隠れたテーマです。廃墟の世界を描いたヨーロッパの画家では、ドイツロマン主義絵画の巨匠フリードリッヒや牢獄シリーズで有名なイタリアの銅版画家ピラネージがいます。彼らの圧倒される世界観は、滅びゆく建造物の中に生命の萌芽も感じさせてくれます。惨憺たる風景を私たちはそのまま受け取ることをしません。この世界の終末の果て、その先に何かがあるような微細な光を感じさせてくれるのです。私はショーペンハウアーの唱えた厭世主義には違和感を抱きつつ、廃墟を見ると幾星霜にも及ぶ悲劇を受け入れていく自分がいます。私は戦災を実態として知らず、国を追われたこともなく、自分の周りで廃墟化が進んだことがないので、簡単に悲劇を受け入れると言っているのかもしれません。そこに一条の光が差すと言ってもそれはイメージに過ぎないと言われれば返す言葉もありませんが、創作活動はどの程度リアルを伴う必要があるのかどうか、議論が出来そうなところです。

「命題論的分析論としての形式論理学」第12~13節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もありました。漸く今日から本論に入ります。本論は第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」、第二篇「形式論理学と超越論的論理学」から成り立っています。本書のタイトルは第二篇から取っているので、ここが結論になるのだろうと思います。第一篇はAとBに分かれ、Aは第一章から第三章、Bは第四章と第五章から成り立っています。ここでは第一章「命題論的分析論としての形式論理学」の第12~13節についてまとめますが、節については通し番号になっていて「予備的な諸考察」から続いています。第12節で語られる純粋な判断形式とは何か、冒頭の文章を引用いたします。「われわれの一般的な解説によって予め理解されたことは、〈体系的に論述された論理学の歴史上最初の部分として成立したのはアリストテレスの分析論であり、これが理論的な形成物〔=主に諸命題〕についての論理学の最初の試みであった〉ということである。」さらに「事象的な事柄を示す言葉(述語)の代わりに、代数学の文字記号を採用したのである。」第13章は判断の純粋形式論になり、そこでの変形または操作の概念が登場してきます。「記述を体系的に一貫して純粋に遂行すれば、独特の一つの教科が明確に区分されたであろう。この教科は『論理学研究』で初めて定義され、意味の純粋形式論(もしくは純粋論理学的文法)と呼ばれたのである。」基本的諸形式とそれらの変形について書かれた箇所を引用します。「可能な諸判断一般をそれらの形式について分類しようとすれば、《基本的な諸形式》が、と言うよりはむしろ、それら基本形式の完結したシステムが明らかになり、そしてさらに、これらの基本形式から、独自の本質法則性によって、つねに新たな、しかもしだいに多くの異なる諸形式が、そして最後に、考えうるすべての判断形式全般のシステムが、それら諸形式の無限に多くの異なる諸形態と次々に区別される諸形態との中で順次構築されうる、ということである。」次に操作の概念に論考が及びます。「それは〈複数の形式から或る一つの形式を作る操作の各形態化には、それぞれの法則があり、そしてその法則は本来の各操作の場合には、新たに作られたものもまた同じ操作で処理されうる〉ということである。したがって操作の各法則は反復の法則を内包しているのである。」まとめというより、おそらく著者が主張したい箇所の引用だけになってしまいましたが、一文一文をじっくり確認していくと、まとめとして短文にすることは私には不可能で、節ごとに気になった箇所の引用で御容赦願いたいと思っています。職場で時間を決めて読み込んでいくのが精一杯な論文です。

意欲を保つために…

新型コロナウイルス感染拡大が続き、今年度当初は在宅勤務や各種行事の中止があって、先が見えない状態がありました。現在、職場は通常を取り戻しつつありますが、先が見えない状態は変わりません。感染症防止を行いつつ、経済活動を回していくのは、なかなか困難です。私個人で言えば、職場があり、組織があり、そこには同じ悩みを抱える職員集団がいるので、社会と繋がっている感覚は常に持っています。逆に個人経営や個人事業を興している人たちは社会情勢によって厳しい立場に立たされることになり、先行きの不安から事業が破綻してしまうことがあろうかと思います。身近なことで言えば、家内の演奏活動はストップしたままです。邦楽器演奏者の中には高齢な方々もいらして、その方たちの意欲が削がれているのではないかと家内は心配しています。年齢的なことも関係あるかなぁと考えるのは、60代の私も創作意欲の持続にやや不安を感じているからです。私は葛飾北斎のように老いても旺盛な意欲に支えられた活動をやりたいと願っていて、この意欲を保つために何をやったらよいだろうと考えるようになりました。先日まで開催していた個展ですが、鑑賞者は少なかったものの、これは意欲を保つためには効果的だったと言ってもよいと思います。コロナ渦の中で、よくぞギャラリーが開催してくれたものだと今でも思っています。イベントを単なるイベントとして考えていると、祭りの後の空虚感や脱力感がやってきます。意欲がそこでダウンすることもあります。これは祭りではなく、創作活動の一時的な報告会なんだと考えると、その先の展開もあるかなぁと思っています。私はひとつの作品を作り終える前に、新作を並行してスタートさせます。これが意欲を保つ私なりの秘訣です。常に作り続けていること、常に考え続けていること、これが日常化していることが私にとってベストなのだろうと思っています。

イサム・ノグチ 結婚と原爆慰霊碑

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第32章「山口淑子」と第33章「北鎌倉」のまとめを行います。「おそらくノグチと山口が親近感を抱いたのは、おたがいのなかに潜在する悲しみを見分けたことと関係があったのだろう。どちらもが美貌と才能、成功に恵まれていたにもかかわらず、異なるふたつの文化のあいだで引き裂かれていた。」女優山口淑子は中国の満州で育ち、中国人の養女となり、日本帝国主義支援の女優・歌手としてデビューしていました。日米混血の彫刻家と日中で活躍する女優の結婚は、当時話題になっていたようです。北大路魯山人との出会いで、北鎌倉にある住居を2人のために魯山人が気前よく使わせたのも話題でした。「日本人の花嫁とともに隠れ家、しかも日本的な儀式の隠れ家をつくることでノグチは自分自身をひとつの場所に結びつけた。『ぼくは歓びと活力に満たされた』。」ところが2人の結婚は長く続きませんでした。「ノグチと山口はとても愛しあってはいたが、問題もあった。ふたりの生活様式はノグチが選んだ。『こんな、全く見知らなかった異質の世界に身を置いて』と山口は書いている。『私はそのすべてを吸収しようと努力しました』。どちらもが激しい性格で頑固だった。そして文化の違いもあった。山口の目からみればノグチはまったくのアメリカ人だった。」ノグチの制作に関してはリーダーズダイジェスト社の庭園を手がけたり、原爆投下による復興中の広島での橋の欄干のデザインの依頼を受けたりしていました。「11月末、ノグチは橋の欄干工事の進捗状況を見るために丹下健三と広島にいった。ノグチ、丹下、広島市長はノグチが原爆犠牲者の慰霊碑をデザインする可能性について話し合った。」ところが、これはノグチの国籍等の問題で実現には至りませんでした。「ノグチは慰霊碑の不採用を『日本におけるぼくのもっとも不愉快な経験』と呼んでいる。最終的に委員会は丹下が慰霊碑をデザインすることに固執し、丹下は原爆記念日に間に合うようにデザインを1週間で仕上げなければならなかった。」また時代背景も変わっていき、ノグチの日本での立ち位置も微妙になってきました。「ノグチはもはや西洋の文化に飢えた日本にモダニズムの知らせをもたらす先触れの鳩ではなかった。~略~この反米感情を考えれば、日本芸術界とノグチの関係が変化したのも驚くことではない。ノグチはもはや魅力的な新来者ではなかった。」

週末 日常を取り戻す

昨日で個展が終了し、今日から通常の制作に入ることにしました。イベント終了の翌日は複雑な心境になります。一日ゆっくり休みたいと思うのですが、私の流儀はそうではなく、最新作の制作を何が何でも続けていくのが自分のやり方です。個展の疲労は確かに残っていますが、自分の中でイベント終了感は持たないようにしているのです。祭りの後の脱力感は危険な状態で、ここで創作活動を止めるわけにはいきません。けじめをつけることは敢えてやらないのです。今日は毎週通ってきている美大受験生がデッサンをやりに工房に来ました。この来訪者がいることは大歓迎で、緩んだ私の心を引き締めるのに役立ってくれています。私は最新作の陶彫部品を作るために土練りをやっていました。最新作は2点ほど陶彫部品が出来上がり、乾燥を待っている状態です。全体構想はほぼ出来上がっていますが、エスキースを描くことはしません。床を4メートル四方使うため、ギャラリーせいほうの床を見積もってきました。最新作は床を這う作品になり、高さはありませんが、大きな面積を有する作品です。広大な丘陵をイメージしていますが、どうなるのでしょうか。また一歩ずつ焦らず休まずコツコツと作っていく所存です。日常を取り戻すことは、次なる目標に向けて動き出すことで、モチベーションを保つことが出来ます。私としては個展があろうがなかろうが、高いモチベーションを維持しつつ造形思索を深めていくことが、自分には最良のことだろうと思っています。梅雨がまだ続いていて、今日は梅雨明けのような青空が覗いたと思ったら、どしゃ降りの雨になって、不安定な天候でした。ちょっと早めに作業を切り上げて、デッサンに励む高校生を車で送りました。

15回目の個展最終日&搬出

新型コロナウイルス感染拡大が毎日マスコミで報じられる中で、今回の個展開催が決定し、今日はその最終日になりました。感染者の数が高止まりしているにも関わらず、経済を回していかないと日本全体がダウンしてしまう事情を考えると、以前のような緊急事態宣言は出さないかなぁと思っていて、そんな社会情勢の中での個展は忘れられない記憶の一場面になるかもしれません。最終日には旧友の鎌倉彫の職人さんが来てくださったり、出版関係の方や作家の方々も見に来てくれて有難いと感じました。例年なら梅雨明けがあり、夏空が広がっていたはずなのに、今日も時より雨が降って、個展開催中はずっと曇り空だったように思います。重く垂れ込めた空、コロナ渦の影響で東京銀座の大通りも人が疎ら、そんな鬱陶しい状況も今年は特別だった感じがします。搬出作業は、搬入の時に手伝ってくれたスタッフが集合してくれました。もう15回目の個展となれば、搬出作業は慣れていて手際よく進みました。運送業者が預かっていてくれた梱包用木箱20箱、板材用ビニールシート数枚に、陶彫部品やら板材がどんどん包み込まれていって、1時間程度でギャラリーの空間はすっかり片付いてしまいました。個展は名誉なことで嬉しい反面、私にとってはじっと自分の作品と対峙しなければならない時間があって、辛いと感じることもあるのです。非日常空間は精神的に疲れることもあります。作品が全て梱包されてしまったことでホッとする瞬間があります。漸く1年1回のイベントが終わったと思えた時に、胸を撫で下ろすことが出来るのです。梱包された作品群はトラックに積まれて、横浜の工房に向かいました。手伝ってくれたスタッフたちも車2台に乗って、首都高速を一路工房に向かいました。工房の1階に積み下ろし、今日の作業は終了しました。ロフトに上げるのは冬に時期にしようと思っています。手伝ってくれた人たちに夕食を振舞って、今回の個展振り返りを行ないました。

「スポーツの日」も個展会場へ…

昨日の「海の日」に引き続き、今日は「スポーツの日」になっていて、日曜日まで含めると4連休になります。新型コロナウイルス感染が縮小していたら、「Go Toキャンペーン」のトラベル事業で観光が盛り上がっていたはずだったのですが、コロナ渦はなかなか思う通りにはなってくれず、観光地にとっても目論みが外れてしまった事業になりました。本来なら東京オリンピック・パラリンピックの開催セレモニーが行なわれる日だっただけに、これも残念で仕方がありません。昨年の個展で、オリパラ開催日程と個展が重なるので、交通規制が行なわれて作品の搬入搬出は大丈夫かと心配していましたが、取らぬ狸の皮算用だったようです。さて、私は今日の「スポーツの日」も個展会場へ行っていました。今日は誰も来ないと思っていましたが、見に来ていただけた方々がいて大変嬉しく思いました。まず懇意にしているカメラマン2人が会場内の雰囲気を撮影に来ました。これはホームページとお礼状に使う画像になります。横浜からも仕事仲間が来てくれました。毎年見に来てくれる人たちとは会話が弾みました。少し前まで工房に出入りしていた若いアーティストも来ました。彼女が仕事を転々とする中で、心の支えとして創作活動を再開しようとする意志に、私の個展が一石を投じられるならこれほど嬉しいことはありません。1年間頑張ってきた私の表現世界が鑑賞者の心に何かを齎せてくれるなら、これは本望というしかありません。今回の個展開催が危ぶまれる中で私が考えたのは、個展は決してゴールではなく、自分が表現しようとしている世界の発展途上における報告会であるということです。人が見ようが見まいが自分の造形思索を続けていくこと、個展は当然コミュニケーションの場ではあるけれど、それは自分の方向付けを確認するものであることを、今回は自覚しました。仕事の分野の異なる人も見に来ました。川崎で菓子店を営んでいる旧友ですが、自分が彼と海外で一緒に過ごしたことで、自分を振り返る良い機会だったと思っています。自分が歩いてきた道に無駄はないと改めて思いました。明日は個展の最終日です。

「海の日」は個展会場へ…

やっと休日になり、自分の個展会場に足を運ぶことができました。個展は既に始まっていますが、私には今日が初日と言う感覚がありました。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、個展にはほとんど人が来ないだろうと思っていましたが、芳名帳を見ると例年通りの人たちが訪れていることが分かりました。こんな時でもわざわざ個展に足を運んでくださる方々に感謝申し上げたいと思います。私の作品評を書いてくださる美術評論家や文筆家、旧友や先輩の名前を見つけ、お会いしたかったなぁとつくづく思いました。東京銀座は例年のような観光客がおらず、店舗は営業していても往来する人々はまばらです。毎日東京の感染者数が発表されて、今日は300人を超えていました。東京を除外する形で「Go Toキャンペーン」のトラベル事業が始まっていても、一方で外出自粛が呼びかけられていて、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものだとマスコミが言っていました。今日は家内も一緒でしたが、家内の友達や従兄弟たちがギャラリーを訪ねてくれました。ギャラリーの前にあった老舗のレストラン「天國」が移転して、ギャラリーの裏通りに新しい店を出したので、家内は友達とそこでランチを楽しんでいました。横浜から自宅の近所に住む人がギャラリーに現れました。また瀬谷区役所に勤める行政の人もやってきました。その人は肩書きではなく、個人で美術を楽しんでいて、毎年私の個展に足を運んでくれる人なのです。今日はそんなこともあって午前11時から午後6時半までの開催時間があっという間に過ぎていきました。やはり今年も個展をやってよかったと改めて実感しました。作品はギャラリーで値段を付けて売っているものですが、私には旧交を温めるもうひとつの目的があって、そのコミュニケーションために作品を頑張って作っているようなものかなぁと思っています。明日もギャラリーにおります。

陶彫のはじまり

私は20代終わりで海外生活を切り上げて、日本に帰ってきました。海外でイメージを醸成した立体的な世界観を、30代初めになって陶のブロックを組み合わせることで表現できると考えていて、実際にそれが具現化されたのは30代半ばになってからでした。その頃から古代遺跡が出土した状況を陶で作ってみようと心に決めていたのです。それは都市空間のある広大な風景を切り取ったものになり、まさに場を創出させる集合彫刻になりました。考えが陶という素材に至ったのはウィーンで見た日本の陶磁器の美しさに起因しています。日本で日常触れる陶芸は生活の至る所にあって、海外に行くまでその美しさに気づかなかった素材でした。陶芸を学ぶために茨木県笠間に移住した陶芸家の友人を訪ね、陶芸技法を教わり、その後は独学で学びました。陶彫という分野は京都の走泥社から始まった所以を書籍を通して知りましたが、古代から伝わる縄文土器や埴輪、土偶も陶彫であると言っても差し支えないと私は思っています。中国には秦始皇帝陵にある兵馬俑があり、世界に類を見ない素晴らしい陶彫が存在しています。イサム・ノグチも1950年に三越で開催した作品展に数多くの陶彫作品を展示しています。ノグチも埴輪に想を得たらしく、陶彫による自由闊達な作風が見て取れます。陶芸と同じところは陶彫も内部を空洞にしているところで、焼成が上手くいくようにしてあるのです。陶芸と違うところは無理な形態を作ってしまうところがあって、陶彫はよく罅割れが生じます。そうした眼で兵馬俑を見ると、古代中国人の技巧の凄さに圧倒されます。陶彫は内容にしても技術にしても、まだまだ私は足元にも及ばないと感じていて、イメージを練り上げながら、技術も磨かなければならないと思っています。彫刻は職人的な素材技法の取得を兼ねながら、それに溺れないような造形を生み出さなければならないのです。彫刻をやっていると人生が短いと感じるのは私だけでしょうか。

イサム・ノグチ 日本での活躍

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第30章「新萬來舎」と第31章「三越デパート『イサム・ノグチ作品展』」のまとめを行います。「東京にもどったノグチは、日本ではじめてとなるデザインの仕事、戦災で被害をこうむった慶應大学にまもなく建てられる研究棟の教職員ホールのデザインを委嘱された。~略~ノグチは新萬來舎が英雄を称揚する記念碑となるのを望まなかった。むしろ休息の場、戦争の傷が癒される場所、そして父の詩に表現された『美の理想』を観想する場所としたかった。」慶應大学の新築工事に伴って現在は新萬來舎の全貌がなくなってしまいましたが、トータルデザインをしたノグチの痕跡はそのまま新校舎に残されているようです。「工芸指導所では、禅の用語で『無』または『空』を意味する『無』と題された高さ7.5フィートの彫刻の等身大模型も制作した。これはその後、石で彫刻され、新萬來舎外の庭園に設置された。」この大きな作品を制作中のノグチの写真が残っています。ノグチは三越デパートでの作品展のために瀬戸の陶磁器研究所に行き、テラコッタを20点ほど制作しています。「三越のノグチ展は谷口(吉郎)が会場をデザインし、1950年8月18日に開幕した。陶器の彫刻、剣持(勇)の工芸指導所で制作した家具数点、ノグチと谷口の共同制作による新萬來舎の平面図と模型、陶器の壺もあった。ノグチはアートと手工芸のあいだに差はないという日本的な考え方に共鳴していたので、壺も彫刻作品とみなすことができる。」ノグチの陶による作品は埴輪から想を得ていたようでした。これは別稿で改めたいと思います。「丹下健三は記している。『戦後、芸術の不毛の時機に、芸術にかわき切った日本にとって、彼の来日は大きなうるおいと刺激を与えてくれた。彼はここで、いつものように…変貌をとげて、禅の世界に入っていった。そこで彼は日本人以上に日本の真髄をえがき出すことができた。しかしそれは日本のものというよりは、世界に属し、そして彼自身のものなのであった。』」

個展の初日を迎え…

今日から東京銀座のギャラリーせいほうにおいて、私の15回目の個展が始まっています。例年なら初日は必ずギャラリーに行って、私は鑑賞に来てくださる方々を迎えていました。ちょうど海の日が月曜日にあり、職場の勤務を要しない日だったので都合がよかったのですが、今回は勝手が違います。海の日は木曜日、スポーツの日が金曜日にあるため、会期中の後半はギャラリーにいることが出来るのですが、初日はギャラリーにお任せする日になってしまい、申し訳ないなぁと思っています。これは東京オリンピック・パラリンピックの予定があったため、こうした措置が取られたのでしょう。新型コロナウイルス感染拡大を受けて、今回の個展は鑑賞者が少ないだろうと見積もっています。不要不急の用事以外東京には近づかないことをマスコミ等で言っているためで、昨日の銀座も例年より人が少なかったように思います。それでも個展を継続して開催する意義があると、私は再三NOTE(ブログ)で言ってきました。個展をやらせてもらえる以上、毎年全力投球の作品を持ってきています。それでも新作の課題は見えていて、完成作品に充分満足をすることが出来ません。それは失敗とは言えず、ほぼイメージ通りなのですが、自分が求めているものに対し、新作がその結果を網羅しているとは言えないのです。不満で不安定な気持ちになるからこそ、新しい作品に立ち向かう力が湧いてくると言えるでしょう。思索は留まることはないと私は考えていて、その具現化もそうした思索に伴って発展していくものだと思っています。私の場合、突飛なアイディアは生じません。自分が現行の作品を進めていく中で、順を追ってアイディアが出てきます。個展での発表はその途中経過を報告するもので、おそらく結果ではないと思っています。今回の個展も継続する思索を一部切り取ったものを作品として発表したに過ぎないと考えています。充分にコロナ渦の自己防衛をした上で、ご高覧いただければ幸いです。

週末 15回目の搬入作業

明日からの個展開催に備えて、今日は朝から横浜の工房と東京銀座のギャラリーせいほうを往復しました。業者との約束が朝10時だったのですが、早くも9時半ごろにはトラックが工房にやってきました。業者は毎年やっていただいている男性2人で、積み込みに慣れた人たちでした。こちら側のスタッフは6名で、若い世代の男性木彫家2名、女性デザイナー1名、美大受験生1名、それに家内と私で、車2台に乗って業者が運転するトラックを追いかけました。保土ヶ谷バイパスから首都高速に乗って、東京の汐留で降り、銀座8丁目に向かいました。新型コロナウイルス感染拡大のためか、休日でも高速道路を走る車は思っていたより少なく、全線を通してスムーズに走ることが出来ました。トラックがギャラリーせいほうに横付けされて、梱包用木箱やシートで包んだ板材を降ろしました。業者が帰った後、私たち6人でさっそく屏風を組み立て、陶彫部品を番号に従って、それぞれ置いていきました。「発掘~聚景~」は意外に早く設置を終えました。「発掘~突景~」もテーブルを組み立て、すぐに設置を終えました。早く済んだのは2人の木彫家の手伝いが大きかったと思っています。照明の当て方もほとんど2人に任せていました。こういう人たちが手伝ってくれるのは心強い限りです。展示が終わると私はホッと胸を撫で下ろしました。毎年のこととは言え、毎回作品が異なるので、ギャラリーの白い空間の中で見る新作は、自分にとってどうなんだろうと気がかりで仕方がなかったのでした。今回は15年目の個展で、15回目の搬入作業になりました。展示が終わると、私の中では個展が終了した気分になります。決して満足は覚えられないのが毎年の常で、今年もやや不安定な気持ちになったのは確かです。そこを解消しようとして次作に取り組んでいると言ってもよいと思います。来年はさらに頑張るぞと思った次第です。

週末 図録持参でギャラリーへ

個展の搬入日が明日に迫り、今日はその最終準備とギャラリーせいほうとの事前打ち合わせに東京銀座まで出かけて来ました。今日は家内と車で行きました。例年なら私がリュックサックに図録を100冊ほど入れて担いで行っていたのですが、新型コロナウイルスの感染拡大が高止まりして、「Go Toキャンペーン」のトラベル事業が東京を除外する動きがあるため、私としては公共交通機関を使うのを避けて、車で行くことにしたのでした。明日は数人のスタッフが手伝ってくれるので、明日の昼食をどうしようか考えました。例年、銀座の老舗のレストランに出かけていたのですが、テイクアウトが出来るレストランを探して、弁当を予約してきました。明日はスタッフを乗せて車で出かけ、昼食はギャラリーせいほうの中でとろうと思っています。ギャラリーせいほうは東京銀座の一等地にある画廊にしては広いスペースがあり、ソーシャル・ディスタンスは近隣レストラン以上に確保できるのです。ギャラリーせいほうは彫刻専門と謳っているだけあって、場所は1階にあり搬入搬出が楽に出来ます。いろいろな面を考えたら私にとって最高のギャラリーだと言ってもいいと思っています。今回、たとえ鑑賞者が少なくても、私は休むことなく自分の世界を見つめ続けていたい意向を再確認し、中断することなく個展が開催できることが幸いと考えるようにしました。私の自己満足を満たすだけなのかもしれませんが、私自身の意欲を途切れさせないためにも、彫刻を媒体とする思索と表現活動は続けていきたいのです。私の作品は観る人にサービスを提供しない彫刻だなぁとつくづく思います。明日の搬入は頑張りたいと思います。

イサム・ノグチ 各国の旅から日本へ

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第28章「ボーリンゲン基金調査旅行」と第29章「先触れの鳩」のまとめを行います。ノグチは創作活動の停滞を打破するため、助成金を得て旅に出ることを決めました。「1940年代後半のノグチの著述は実存の不安に満ちていた。ノグチは空虚を、混沌を、意味の喪失を語った。~略~力を見つけるために、ノグチには彫刻の意味を革新する道を探求する必要があった。」さて、ヨーロッパを皮切りにノグチは各国に旅立ちました。「パリではブランクーシを訪ね、かつての師は恨みがましくなったと感じ、その理由はおそらく戦争中あまりにも孤立していたためだろうと考えた。~略~イタリアでは、つねにアートと生活の結びつきを探求しながら大型彫刻のモニュメントや建築を研究した。」その後、ノグチはギリシャ、エジプトを経てインドに到着しました。「ノグチはインドと恋に落ち、何度も再訪した。目にしたものの多くがそののちの作品に明らかに影響をあたえている。たとえばジャイプールやデリーにある18世紀建造の天文台の日時計、円形の井戸、ドーム、球体、螺旋階段はノグチの彫刻庭園にふたたび登場する。」そして日本へ向かいます。「1931年の日本滞在時には、増大する国粋主義と軍国主義のせいで自分は招かれざる者だと感じた。今回、温かく迎えられたのは驚きだった。~略~日本到着後、東京の大新聞『毎日新聞』が主催する現代アーティストによる『連合展』を見る。ノグチは日本の伝統家屋には合わないであろう西洋風の巨大なキャンバスを嫌った。」ノグチの通訳には画家でもあった長谷川三郎が同伴しました。ノグチと長谷川は議論をしながら仲を深めていきました。「ふたりは近代の西洋美術、日本の現代美術対古美術、禅、茶道、日本文学、アートと生活の関係について語りあった。どちらもが日本の古い文化に敬意を抱いており、どちらもが茶道、生花、日本庭園や日本家屋に具現されているような『全く生活と芸術との互の融合一致』(長谷川)を信じていた。~略~京都到着後、ノグチと長谷川が最初に見学したのは、17世紀の優美な桂離宮、慎ましやかだが美しく均整のとれた建物で、日本でもっともみごとに設計された庭のひとつを見おろす。離宮そのものについてノグチは、離宮はその『理想的な簡潔さ』のなかで自分を『より完璧な世界』に運ぶ啓示だったと書いた。」

イサム・ノグチ 父と親友の死

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第26章「1946-48年」と第27章「袋小路」のまとめを行います。1946-48年の間にノグチは舞台装置のデザインを多くやっていました。そうした中で私が最も関心を寄せるテーブル彫刻が誕生しました。「『テーブル彫刻』と呼ぶ彫刻も制作した。《夜の国》の原点としてうかがえるのは、表面に丸く穴が穿たれてゲーム盤のように見えるジャコメッティの大理石板《ノーモア・プレイ》(1931-32)である。《夜の国》の暗色に輝く大理石の表面は、円形の穴と小山、妊娠をあらわす突き出す突起物によって、シュルレアリスムの荒涼とした夢の風景を連想させる。」さらに1947年にノグチが制作した「火星から見える彫刻」は父野口米次郎の死と関係しているようです。「おそらくは父親の死によってかきたてられた無常観と人間の死すべき運命への思いが、ノグチが1947年に制作したある彫刻作品のデザインに象徴的にあらわれている。」次の章ではノグチがスランプに陥った状況が描かれていました。「1948年と49年には、おそらく彫刻の新しいアイディアを考え出す意欲が湧かなかったためか思索にふけり、アートについてかなりの量の著述をした。その多くがアートの機能と社会におけるアーティストの地位に焦点を絞っていた。」加えて「ノグチをさらに惨めな気持ちにしたのは、1948年7月のアーシル・ゴーキーの自殺である。」とありました。親友ゴーキーは癌になり、鬱に襲われ、結婚生活も躓いたようです。ノグチにとっては辛い時期を過ぎ、やがて個展の開催に漕ぎつけます。概ね好評だった個展にもこんな評が寄せられていました。「ノグチ彫刻に対するグリーンバーグの反応は、のちの鑑賞者たちの多くが見せる反応を典型的にあらわしている。彼らはノグチ作品のなかに、典型的にアメリカ的と考えられはじめていた攻撃性と反撃性、身体的な直接性が欠けているのを惜しんだ。」攻撃性と反撃性が欠如した立体、これが日本で体得した庭園文化を初めとする自然観を生かした美意識に導かれ、やがてノグチ独自の世界へ発展していくのだろうと私は思っています。

15冊目の図録が届いた日

私は個展の度に、同じサイズ、同じ頁数の図録を用意しています。そのために懇意にしているカメラマンに図録用の撮影をお願いしてきたのでした。今年が15回目の個展なので、図録は15冊目になります。毎年1000部印刷していますが、今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、個展に来られる人は少ないだろうと思っています。図録の内容は毎年変わり、作品によってはデジタル化した方が映える作品もあります。彫刻は立体なので光と影が微妙に影響し、とりわけ野外撮影は天候にも左右されます。幸運なことに雨が降って撮影が出来なかったことは、今まで一度もありませんでした。晴天か曇り空で撮影が行われたことを天に感謝したいと思います。今回の図録ですが、私としては今までにない色彩感のある出来栄えではないかと思っています。「発掘~聚景~」の屏風を、水色や桃色、薄紫の色彩を多用したことで明るい雰囲気を醸し出しました。私は暗い色調が好きなので、これはかなりの冒険でした。私としては苦手な色彩克服もあったのでしたが、自分の表現が広がったように感じています。図録では野外撮影と室内撮影を対比していますが、ギャラリーせいほうの白い空間で見る作品は、また違う雰囲気を纏います。そこが立体の面白いところでもあるのです。今日の夜に今年の図録1000部がカメラマンによって自宅に届きました。明日職場で職員に配ろうと思います。土曜日にギャラリーせいほうに3分の1程度を持参いたします。図録はカメラマンと彫刻家による協働作品だろうと私は思っています。決してアナログ作品の解説ではありません。アナログとデジタルが両輪で噛み合って、初めて作品の世界観が現れてくるのです。

イサム・ノグチ スラブ彫刻とインド女性

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第24章「岩とあいだの空間」と第25章「タラ」のまとめを行います。ノグチの残した一連の彫刻の中で、スラブ彫刻があります。それは大理石加工場が閉鎖され、建物の外壁に使った大量のスラブが安価で手に入ったことで、それらを宙吊りにして構成し、ノグチは重力のバランスをとるユニークな立体作品を作り上げたのでした。「ノグチの彫刻の多くは人体に似た形態をしているが、感情という点では攻撃的というよりは瞑想的である。ノグチは表現主義者ではなかった。静寂と不動性、いまこの場にある意味、あるいは強烈に個人的な意味よりも時を超越する意味を好んだ。」とあり、さらに代表作である「クーロス」についてこんな説明がありました。「《クーロス》は実体と空隙のあいだ、垂直と水平のあいだ、具象と抽象のあいだで完璧にバランスをとることで、力強いと同時に詩的、壮麗であると同時に華奢であることに成功している。」何か東洋的な美意識がノグチに働いているように感じるのは私だけでしょうか。次の章でノグチの私生活についての記述があり、この頃のノグチはインド人女性と恋に落ちていたようです。女性の名はタラと言い、両親がインド独立闘争に深く関与していたのでした。「ノグチが結婚を申し込んだとき、タラは拒否した。ひとつには年齢差があった。だが、ノグチのボヘミアン的なライフスタイルは魅力的であっても、あまりにも違いすぎていた。」タラはインドへ帰国を決意し、やがて二人は離れ離れになり、タラは別の男性と結婚することになりました。「アン・マッタがチリからノグチに送った手紙は希望を与えるものだった。だがアンの手紙と違って、タラの手紙からは、タラがノグチの妻となるためにアメリカにもどることはけっしてないのは明らかだった。」

「予備的な諸考察」第9節~第11節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もあります。今回は「予備的な諸考察」の全11節のうち第9節~第11節のまとめを行います。第9節の冒頭で「論理学のどの事項にもある二面性は、われわれの最初の諸解説ですでに明らかなとおり、客観的と主観的のこの両面を同等に扱うことを意味してはいない。」とありました。これは実証的諸学について言っているわけで「実証的な諸科学はもっぱら理論の段階で、すなわち、ひたすら認識の分野を主題にする方向で形成される理論の段階で成果を挙げている。」と説明がありました。第10節ではそうした中での心理学のことが述べられていました。「実証的な諸学が、唯一のテーマである純粋な客観という理念を満足させるために、諸事象を経験し思惟する作用に伴うたんに主観的な事柄に属するものとは一切絶縁するとしても、やはりそれら諸学自身の圏内で〈諸主観についての独特な実証科学〉が登場する。それが人間と動物についての科学、すなわち〈人間と動物における心理的な事柄、主観的な特徴を主題にする心理学〉である。」第11節ではさらにabcという小題がつけられていて、aでは客観的・理論的な思惟の形成物を目標とする論理学について考察されていました。「すでに最初の論理学が知識と学問について独自の詳察をした際にも主に、客観的で理論的な諸形態に拘泥しすぎて、最初もその後も長らく、そのテーマを完全に意識して明確に〈純粋な判断と認識の形成物に限定すること〉に考え及ばなかったが、実はこれらのことこそやはり論理学研究本来の分野であった。」bでは洞察についての主観的反省が述べられていました。「洞察して獲得された《真実》《帰結》《無矛盾な事柄》は判断の形成物そのものについての特性および述語として、客観の側に現れるのであるから、意味の純粋論理学によって扱われる形式的な諸理論のテーマだ、ということである。」cはその結論です。「論理学がその発達過程全体をとおして最近まで(すなわち超越論的哲学の諸動機が論理学にラジカルな影響を与えていなかった間)、その重要な主題の領野を理論の分野に、つまり多様な判断の形成物と認識の形成物の分野に、もたねばならなかった理由と、外面的には非常に目立つ〈主観の思惟行為の主題化〉がそれにもかかわらず、まったく二次的な性格しかもたなかった理由を理解するであろう。」本論に入る前段階としての「予備的な諸考察」はここまでにいたします。次回から本論に入ります。

週末 梱包完了して安堵感

私の彫刻作品が陶彫という技法を使っているために、個展の搬入搬出や保存に結構気遣ってきました。焼き物は割れ易いということがあって、木割で補強した丈夫な木箱にエアキャップで包んだ陶彫部品をひとつずつ収めているのです。陶彫である以上、梱包に時間がかかるのは仕方がないと思っています。例年この時期は梱包に明け暮れています。今日やっと梱包が完了しました。昼過ぎに搬入業者が荷物の状態を見に来ました。昨年よりやや少なめの木箱の量を見て、来週搬入のトラックの大きさや作業員のことなどを見積もっていました。毎年お願いしている業者なので、私は安心して任せられるのです。梱包材で包んだ板材や木箱に収めた陶彫部品の他に、電動工具や接着剤などを準備して工具箱に入れて、それも持って行きます。後はどのくらいスタッフが集められるのか、私の方でそれぞれに連絡をしなければなりません。実はこの梱包作業が完了して、私は漸く安堵感を持ちました。それでも毎年やっている個展というイベントは、開催までに何があるのか分からず、慣れというものは存在しません。毎年のように何かしら問題が生じることあるのですが、もともと非日常空間を作るための苦労なので、内心は楽しくて面白くて、つい夢中になってしまうのです。人は生活を豊かにする媒体に痺れてしまうものなのかもしれません。これに生活がかかっていると思うと世知辛くなってしまうのです。もちろんギャラリー関係者は生活がかかっているものですが、私にとっては自分の思索を具現化し、理想の空間を創出するための手段なので、生活とは関係ないところに立っていられるのです。私が建てた工房も非日常です。そこに通ってくる美大受験生も大きな捉えの中では特殊な世界で生きていると思っています。今日は朝から毎週来ている高校生がいました。蒸し暑い工房の中でデッサンに励んでいました。彼女を代車で送りながら、ディーラーに立ち寄り、車検の済んだ光岡ビュートを取ってきました。来週はビュートに5人乗って東京銀座に向かいます。

週末 個展開催と感染拡大の狭間で…

週末になりました。新型コロナウイルス感染拡大が再び東京で増加しています。野球場にも観客が入れるようになり、急減した消費を喚起する「Go Toキャンペーン」のトラベル事業を今月22日から開始すると、政府が言っていました。経済活動を回していかないと、日本全体に多大な影響を及ぼしかねないという判断なのでしょうが、感染を恐れているのは私だけではないはずです。そんな中で東京銀座で私の個展開催があります。美術館や画廊は通常通りの日程を取り戻し始めましたが、果たして鑑賞者がどのくらい来てくれるのでしょうか。個展開催と感染拡大の狭間で、私は心底悩んでいます。それでも今日は平静を保ちつつ、梱包用木箱の追加製作に明け暮れました。梱包用木箱の製作には慣れてきました。板材が足りなくなって、建材店に車を飛ばしました。夕方には追加の梱包用木箱が出来上がり、明日は残りの陶彫部品の梱包をしていきます。おそらくこれで全部が収まるのではないかと見積もっていますが、果たしてどうでしょうか。今年ほど搬入準備をしていこうとする気持ちに迷いが生まれているのは初めてです。準備が整ったとしても、その先の個展開催に関して、どのように考えたらよいのか分からないのです。そんなことに気を回さず粛々と準備をしておけば良いとは思いますが…。個展は展示が中心なので、コンサートや演劇とは違い、飛沫の影響は少ないと思っています。ただ場所が銀座の真ん中というのが、厳しいかなぁと思っています。

イサム・ノグチ 彫刻と舞台装置

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第22章「アンへの手紙」と第23章「ノグチとマーサ・グレアム、情熱的なコラボレーター」のまとめを行います。第22章では前章から続いているアン・クラークとの情熱的な愛がさらに加速していく過程を描いています。「結婚がノグチのテーマになり、アンを呼びもどすための策をたえず考え、自分はアンが双子の面倒を見るのを手伝えると言って説き伏せようとした。」また、作品制作では「1944年から45年にかけてのノグチの彫刻のいくつか、たとえば官能的な《ヌードル》や《タイム・ロック》はアンに対するノグチの愛情を反映しているようにみえる。」アンは南米チリにいて「アンは、ふたりでともに人生をつくりあげていくことのむずかしさを認めていた。それは『計画と労働と犠牲』を要求するだろう。」と考えていたようです。そんな折、ノグチに成功を齎せた表現活動がありました。第23章で描かれているマーサ・グレアムとの協働です。「アン宛の手紙では舞台をデザインするのは金を稼ぐためだと言ってはいたが、彫刻として機能し、ダンサーの動きの一部となる舞台装置の制作に夢中になっていたのは明らかだ。~略~舞台装置は主として着色した木製のオブジェで構成され、1944年に制作を開始したバイモルフィックな穴の開いたスラブ彫刻にきわめてよく似ている。これらのオブジェは明らかにミロやイヴ・タンギーのシュルレアリスム絵画、そしてミロに想を得たゴーキーの一部の作品に見られるフリーフォームから着想を得ていた。」舞踏家グレアムとの関係に触れた文章を引用します。「30年以上にわたるノグチとグレアムのコラボレーションは、ほかに類のない創造の対話だった。アーティストとして、そして人間として、ふたりはおたがいを理解し、尊敬し、深く愛し合った。情熱的なコラボレーターではあったが、愛人関係はなかった。~略~京都で訪れた庭園や寺院に対するノグチの愛は、ノグチによるダンスの舞台装置の切り詰めたフォルムを性格づけた。日本の遊歩式庭園とノグチの舞台装置のどちらにとっても重要な要素は、空間を通過する肉体による経験である。」

歯の治療&車検

職場から年休をいただいて、自分の用事を済ませてきました。ひとつは歯の治療です。身体を酷使するとぼんやりと左上の奥歯が痛くなっていました。治療済の歯だったので、これはどうしたものだろうと思いました。とりわけ週末の創作活動の後は、ウィークディ以上に歯が痛みました。新型コロナウイルス感染拡大の影響で歯科医院に行くのが憚れましたが、そんなことも言っていられないので、万全の対策をして行ってきました。歯の噛み合わせが悪いのかもしれないため、そこの部分に治療を施し、暫く様子を見ることにしました。ついでに歯のメンテナンスもしてもらいました。歯のレントゲンを見ると、私は差し歯等の治療した歯がいっぱいあって、決して歯が丈夫とは言えないのですが、その都度治療に行って何とか現状を保っている状態です。歯は大事にしたいなぁと実感しました。今日は車検もあって、愛用している車をディーラーに預けてきました。私が乗っている光岡自動車は他社製のベースカーというものに光岡製の車体を乗せているので、車検はベースカーである日産で行っています。私はメカニックには疎くて、性能は一般的な普通レベルで充分なのですが、外観には気を使います。美術を専門とするためなのか、私にとってスタイルが大事なのです。とりわけクラシカルな雰囲気が好きで、前にPTクルーザーから光岡ビュートに乗り換えました。因みにビュートは2台目になります。洒落っ気たっぷりな車ですが、彫刻の板材を運ぶときは不便さを感じます。洗車を怠るとちょっと気恥ずかしくもなります。目立つ外観なので奇麗にしておかなければならないかなぁと思っているこの頃です。

7月RECORDは「朱」

今年のRECORDは色彩をテーマにしています。一日1点ずつポストカード大の平面作品をRECORD(記録)と称して作っていますが、一日で作品が完成せず、下書きだけで終わってしまう日が多くあります。下書きには色彩がありませんので、下書きばかり先行している現状は危機的状況です。それでも今月のRECORDが既に始まっていて、今月は「朱」に決めています。4月のRECORDで「紅」を取り上げましたが、赤系列の色彩としては2度目です。今回も日本の色彩用語の中から色彩を選んでいます。西洋の色相環とは異なり、日本には情緒のある微妙な色彩があって楽しいなぁと思っています。若い頃の自分は色彩表現が苦手で、デザイン分野に進学することを諦めました。色彩が楽しいと感じたのは、20代後半に滞欧生活があったからと言えます。ヨーロッパの人たちの色彩に対する感覚は、なかなか優れていて、色彩の取り合わせが大胆かつ繊細だなぁと思いました。ヨーロッパは1年間を通じて鬱陶しい曇り空の日が多く、建物もグレートーンでしたが、その中で目に染みるような鮮やかな色彩があると、単調な風景の中でハッと驚くような刺激をもらいました。たとえばそれはファッションであったり、グラフックデザインであったりしましたが、それは原色ではなく何か少量が混色している色彩で、その取り合わせによって色彩が輝くような効果を齎しているのです。日本の味わいある色彩に触れたのもヨーロッパでの経験で、海外の人の眼を通して日本には素晴らしい色彩文化があると再認識をしました。「朱」はそうした色彩のひとつです。他の色彩と組み合わせることによって朱色が強調されるようなRECORDを目指します。

「予備的な諸考察」第5節~第8節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もありました。今回は「予備的な諸考察」の全11節のうち第5節~第8節のまとめを行います。この書籍は少しずつしか噛砕くことが出来ず、そのつど抽出した文章を載せて留めることが私に出来るまとめとしての限界ですが、諸学問に内在する論理学の在り方をさまざまな論考で述べていて、聞き慣れない語句に戸惑うこともあります。まずアプリオリですが、先天性の概念とでも訳すのでしょうか。「原理的な学問論としての論理学は《純粋で》《アプリオリな》各種の一般論を明示しようとする。~略~この論理学は既存のいわゆる諸学、すなわち学という名で諸事実になった文化の諸形態を経験的に追跡して、それらについて経験的な諸類型を抽出しようとするのではない。そうでなく、論理学にとっては範例的な批判の出発点を与えるだけの事実性とのあらゆる結びつきから解放されて、純粋に理論的な関心のあらゆる働きの中で漠然と念頭に浮かぶ、いろいろな目的理念を完全に明確にしようとするのである。」論理学の形成的性格に関する文章で、偶然的なアプリオリという概念が登場します。「主観性一般が、非常に多様な諸内容の中で引き続きわれわれが明証的に獲得する本質形式で考えうるのは、われわれが自分自身の具体的な主観性を直観によって開示し、そしてその主観性の現実を具体的な主観性一般の諸可能性へ自由に転換することによって、われわれの眼差しを、その際に観取される不変的要素へ、すなわち本質必然的な要素へ向けることによってのみである。」また「論理学が抜群の規範的機能をもつことは自明である。~略~論理学は規範的になり、実践的になる。見方を適宜変更すれば、論理学は規範的ー技術論的な学問に転換されうる。」とありました。また論理学の二面性について、こんな文章も拾っておきます。「どの場合にも問題になるのは理性の諸能作であり、しかも〔一方では〕能作する諸活動と各習性であり、そして他方では、それらの活動と習性によって能作〔つまり作成〕される不変の諸成果という、この二重の意味での理性の諸能作である。」今日はここまでにします。

「予備的な諸考察」第1節~第4節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もありました。今回は「予備的な諸考察」の全11節のうち第1節~第4節のまとめを行います。まとめと言っても重厚な考察を簡単にまとめることが出来ず、気になった文章を抽出することでまとめに変えたいと思っています。まず冒頭でロゴスをいくつかの語義の中から論述という語で表すことにしたという文章がありました。「ロゴスがもつ論述という意味によれば、われわれは主に、主張する思惟作用へ、通常の語義での判断する思惟作用へ、というよりはむしろ思想としての諸判断へ導かれるであろう。」次の節ではイデア性が登場します。このイデア性の特徴として「言語はいわゆる精神世界の、あるいは文化世界のいろいろな対象の客観性を保持しているのであって、たんに物理的な自然のそれを保持しているのではない。」さらに「論理学者にとって言語は当面まずそのイデア性の面だけが、つまり〈現実の実在化や可能な実在化とは対照的な、同一の文法上の語〉や〈同一の文法的な文および文の連関〉だけが問題になる、ということである。」第4節では意味指示機能をなしうる思惟作用のことをこのように論述されていました。「この最も一般的な《思惟作用》の範囲を本質的に限定する問題、つまり範例的な諸直観から本質を一般化してえられる本質類を明示すべき範囲限定の問題、しかもこの《思惟作用》のすべての特殊形態にとって類的に諸表現が形成され、そしてそれらに対してそれぞれ特殊な思惟作用が意味付与するであろうということが、洞察しうるような範囲限定の問題である。」今日はここまでにしますが、通常の生活では聞き慣れない語彙が頻繁に出てくる本書は、内容には入り込むまでに時間を要します。そもそもこれはどういうことかという基本に立ち返って考えてみる必要があるわけで、そこを困難と感じるか否かで、本書に対する取り組む姿勢が変わってくると思っています。

週末 工房スタッフの若返り

昨晩、案内状の宛名印刷をしていました。案内状が届かない人にはホームページの扉にある画像を利用して欲しいと伝えましたが、表の画像には開催時間が載っていませんでした。AM11:00~PM6:30です。因みに開催期間のうち連休があります。海の日、スポーツの日、週末である土曜日が3連休になりますが、この3日間は私がギャラリーにおります。案内状の裏には「ご来廊の際にはマスク着用をお願いいたします。」という文面を載せました。開館した美術館の多くは入場制限がありますが、ギャラリーは来廊者が少ないため、自由にお越しになれます。加えてギャラリーせいほうは広い面積があって、ソーシャル・ディスタンスは充分に取れます。ぜひ、お越しいただければと思っています。今日は朝から工房に篭りました。昨日に続いて梱包作業の追い込みをやっていました。追加購入した木材で木箱を作るべく準備をしていました。今日は工房に若い世代のスタッフが2人来ていました。一人は美大受験を考えてデッサンをしている子で、毎週必ずやってきます。静物デッサンのガラスの質感を出すため、かなり苦労をしていました。デッサンは伸び悩む時があり、思うように上手くいかないことがあります。それは私のような実材を使う彫刻表現でも同じです。創作活動は木箱作りのような定番の作業とは違い、自分の感覚との鬩ぎ合いです。それは苦しくて面白いので、つい魅力に取り憑かれてしまうのです。もう一人は詩やエッセイを書いている文学少女です。彼女も何時間も座ってノートに書き続けられる性格です。前にもNOTE(ブログ)に書きましたが、最近は10代の高校生たちが工房にやってきています。工房スタッフの若返りと言ってもよいと思います。通い始めた工房スタッフには昔から共通する特徴があります。比較的孤独に強く、あまり社交を好まない人たちで、人と群れることが苦手です。見た目は地味な子たちですが、自分の表現内容を深めることが大好きで、興味関心のあることには人一倍食らいつきがいいようです。ある意味ではオタクなのかもしれません。工房という空間が自分の内面に向かうことに相応しい場所なので、毎回通ってきているのでしょう。私も彼女たちがいると社会的促進があって仕事が進むので歓迎しています。

週末 案内状の宛名印刷

週末になりました。個展開催まで残すところ2週間になり、朝から工房に篭って陶彫部品を木箱に詰める作業をやっていました。梱包は既に作ってあった10箱が詰め終わり、これからさらに10箱程度を用意しなければならないかなぁと思います。今回は屏風を使った新作なので、例年より陶彫部品が小振りで、木箱も少なくて済むのではないかと感じています。さすがに今日は創作活動は出来ずに、朝から夕方まで木割が補強として入った木箱作りと、その詰め込みに費やしました。こうした作品保存のための仕事は大切です。とくに私の場合は集合彫刻なので、分解して保存しなければならず、そのために結構時間をかけています。どの木箱にどの陶彫部品が入っているのか、外側に明示しておくのです。搬入搬出は複数の人たちによって行なわれるので、誰でも分かるようにしておく必要があります。創作活動に比べれば退屈な作業ですが、こればかりは仕方ありません。夜になって自宅で個展の案内状の宛名印刷をしました。先日、ギャラリーせいほうに案内状を1000枚届けに行ってきました。ギャラリーから案内状を送る人と、私や家内が個人的に送る人がいて、私たちの手許には500枚あります。宛名印刷も一晩では終わらず、明日の夜も宛名印刷を行なう予定です。料金別納郵便として来週の月曜日には郵便局から出します。案内状が届かない人のためにホームページの扉に案内状の画像を載せています。そこで日程や時間を確認していただければ幸いです。このところ新型コロナウイルス感染が首都圏で増えています。以前のような緊急事態宣言はないと思いますが、果たして個展に足を運んでいただける方が何人いるでしょうか。私も個展開催中のギャラリー待機では、マスクをして完全防備で臨むつもりです。

イサム・ノグチ 収容所から自由へ

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第20章「ポストン」と第21章「マクドゥガル・アレー」のまとめを行います。日系人であったノグチはポストンにある収容所に志願して入りました。「ノグチには第五区第七号A室が割りあてられた。独身者用の区域だったが、他の独身者とは異なり、角部屋の一室をひとりだけで使えた。ノグチはレクリエーション&アートセンター建設のための日干し煉瓦づくり監督を任された。だが、ノグチのポストン・プロジェクトはほとんど実現されなかった。~略~ノグチはコリアーに、自分のプロジェクトのための材料の不足、技能をもつ人材の不足、いまだに立ち退き者のための新聞がないという事実を知らせ、文句を言ってすまないと謝った。」収容所内の管理局との間に窮屈さを感じ、またノグチを取りまく環境は良いとは言えず、ノグチは出所要請を出しました。「軍はようやく1942年11月2日にノグチのポストン出所を許可した。」次の章では1949年までノグチが暮らした街角マクドゥガル・アレーでの制作について書いてありました。「自由になって最初の夏、ノグチは石を彫った。『収容所から出てきたあと、最初の作品は《レダ》だった』。官能的で柔らかな曲線を描くアラバスターの《レダ》は、形態の着想をアルプに得ている。~略~1943年から44年にかけてノグチはバイオモルフィックなマグネサイトの彫刻シリーズを制作し、内側に明かりをともした。」この頃、ノグチはロベルト・マッタの妻アン・マッタ・クラークとロマンスがあったようです。「ノグチとアンの友人たちの何人もが、アンはノグチがほんとうに愛した数少ない女性のひとりだと証言する。~略~友人たちはアンがノグチの孤高に惹かれ、その献身に感謝はしていても愛していなかったと言う。」