3月RECORDは「萌芽の風景」

植物の芽が息吹き出すテーマは、今までも幾度となく扱ってきました。今回のテーマは「風景」というコトバをつけることで、以前作ったものとは違う意識を持ってイメージ出来るのかなぁと思っています。RECORDは毎日1点ずつ作っているので、季節感に左右されるところが大きいのですが、通勤途中で眺めている満開の紅白の梅を見て、萌芽というコトバが浮かびました。そのうち桜の開花がやってきます。古木に花が咲き乱れている情景は、何と美しいことかとつくづく感じています。年度末の多忙時期になっても、まだ自分には花を愛でる心の余裕があることが嬉しいと思っています。植物は人の鑑賞に関わらず、生命の循環として花を咲かせているため、通常気づかない場所に楚々と咲いていたりします。そんな情景を見るにつけ、つい感情移入してしまうのは、自分の詩心が成せる業だろうなぁと思っています。そんな些細な動機であっても、RECORDのテーマは象徴性に傾いたり、抽象性を追求してしまうことがあるので、当初のイメージを離れてしまうことがあります。それでも今月は「萌芽の風景」というテーマでやっていきます。毎日1点ずつ作っていくことがRECORDのスタンスですが、3月は下書きだけになってしまっていて、まだ1点も仕上がっていません。鉛筆でざっくり描いた下書きが食卓に積み上がっていくのを見ているのは辛いものがあります。RECORDはそんな強迫観念がいつも付き纏っていますが、日によってはガンガン進む意欲的な日もあって、感情にムラがあることを私は認めざるを得ません。

「フォルムと色の統一性に関する困難さ」について

「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)は、実際のカンディンスキーの作品を思い浮かべながら読むと、理解が容易になります。本書は現象学的な視点で書かれた部分も多く、本来は基礎的なものでも論理を積み重ねるうちに、難解な箇所が散見され、理解に苦しむ展開もありますが、基本的にはカンディンスキーが提唱した理論に立ち返る場面があるので、本書の主張するところは何とか読み解けます。本章の「フォルムと色の統一性に関する困難さ」についてもカンディンスキーが提唱したコンポジションの概念が頭にあれば、本章の言わんとするところが分かります。まず描くとは何かという問いかけが冒頭に出てきました。「描くとは、ある色によってあるフォルムをおおいつくすことである。両者が理論的に同じ基調色に結びついているときでさえも、両者を重ねあわせることは、その基調色をかなり変化させるし、それをめだたせ強調して、新たな音色を生み出す。芸術が創造的なのは、そこのところである。」さらにフォルムと色の統一性に関する理論が続きます。最終的にはコンポジションに辿り着くわけですが、それは次章に譲るとして、本章はこんな一文で締め括られていました。「われわれが専念していたのは、諸要素を、より正確には諸要素がもともとの組み合わせー点/基礎平面、直線/曲線、黄/三角形、青/円などーの中で形成している複合的・客観的・情念的な諸統一性をひとつひとつ考察することであったのだから、そうした分析が一体となって構築する有機的な全体性であり絵画そのものにほかならない有機的な全体性であるコンポジションに、まだ向かいあっていたわけではない。」と書かれていました。この文章はコンポジションへの導入と解釈してもいいのでしょうか。この流れでいくと、次章はコンポジションの概念に触れていくようです。

映画「小さな独裁者」雑感

昨晩、常連になっている横浜のミニシアターにドイツ、フランス、ポーランド合作の映画「小さな独裁者」を観に行きました。これはドイツ人兵士ヴァリー・ヘロルトの実話に基づいた物語で、図録によると「1945年4月、敗色濃厚のドイツでは戦いに疲弊した兵士たちによる軍規違反が相次いでいた。部隊を脱走して無人地帯をさまよう兵士ヘロルトは、道ばたに打ち捨てられた軍用車両の中で軍服を発見。それを身にまとって大尉に成りすました彼は、ヒトラー総統の命令と称する架空の任務をでっち上げるなど言葉巧みな嘘を重ね、道中出会った兵士たちを次々と服従させていく。かくして”ヘロルト親衛隊”のリーダーとなった若き脱走兵は、強大な権力の快楽に酔いしれるかのように傲慢な振る舞いをエスカレートさせ、ついにはおぞましい大量殺人へと暴走し始める…。」とありました。映画で描き出されるのはヘロルトと彼に従う人物たちの思惑が生み出す共犯関係の中で、権力に対する決して単純ではない関係性が、この映画の大きな主張にもなっているところかなぁと思いました。巧妙な嘘を重ねていくヘロルトにドキドキしながら映画に見入っていた私は、途中から彼に感情移入が出来なくなってしまいました。例え発端は偽りの事象でも、イデオロギーに突き動かされることが失われると、私の心は一気に自身のバランスを取り戻し、映画の後半にある傍若無人な振る舞いと享楽がどんなものであるのかを理解するに至りました。尋常ならざる権力とは何か、思想統制を図りつつあるのであれば、やがて他者の人権を蔑ろにした画一的な社会へ舵をとることも現代社会ではあり得ます。そんな危険な世相をこの映画では訴えているのではないかと感じた次第です。

週末 3月の制作&映画鑑賞

今日は朝から雨が降っていました。春は雨が降るたび木々が芽吹き、工房周辺の植木畑にも自然の彩を添えていきます。三寒四温とはよく言ったもので、昨日までの暖かさは長く続かず、今日は暖房がなくてはいられないほど寒い一日になりました。朝から工房で制作三昧でしたが、真冬の寒さと異なり、早春の寒さも結構身体に応えるものがあって、ストーブの傍を離れられなくなります。新作の陶彫部品は全体計画で言うと95%が終わっていて、残り3個が出来れば完成になります。今日はそのうち2個の成形を行いました。彫り込み加飾は次回ですが、順調にいけば来週で終わります。ただし何度も言っているように陶彫は焼成が済んで漸く終了となるので、しっかり出来上がるのは今月末になるでしょう。今日も午前9時から午後4時までの7時間を工房で過ごしました。昨日と違い7時間が短く感じたのは、昨日のような疲労が少なかったおかげかもしれません。夕方は家内を誘って、常連になっている横浜のミニシアターに出かけました。今月は美術館よりも映画館に多く行くようになるかなぁと思っています。今晩観た映画はドイツ、フランス、ポーランド合作の「小さな独裁者」で、全編ドイツ語による映画でした。若い脱走兵が逃亡途中で、ナチス将校の軍服を発見し、それを纏ったことで将校として誤解され、そのまま特殊部隊のリーダーとして成り上がっていく物語でした。巧妙な嘘を重ね、総統からの指令だと偽り続け、やがて脱走兵収容所で残虐な処刑を行いました。ここにはナチスの戦争映画に登場するユダヤ人が出てきません。同国人たちが殺しあう場面ばかりなのです。軍服がもつ威厳と揺れ動く心理状態の狭間で、本作は主人公の不可思議な輪郭をそのまま観客に委ねているように感じました。何が彼を尋常ならざるところに追い詰めていくのか、そのストレスを紛らわせる享楽も描いていて、これは戦争映画というより人間の心理描写を中心に据えた映画ではないかと思いました。仮面は時に本物より本物らしく振舞わせる装置となって、アイデンティティーを操る結果になるとも考えられます。詳しい感想は後日改めさせていただきます。

3月最初の週末

春めいた気候になり、工房での制作もやり易くなりました。今日はウィークディの疲れが残るものの、新作の完成を目指して朝9時から夕方4時間まで通常の7時間を工房で過ごしました。だいぶ暖かくなってきましたが、それでも朝のうちはストーブを焚いていました。作業の内容としては大きめなタタラを数枚用意したり、乾燥した陶彫部品に仕上げや化粧掛けを施したりして、相変わらずの制作工程でしたが、何よりも工房内の空気が柔らかく、解放された気分にさせてくれました。新作はいよいよ大詰めになり、今月は組立作業に入ろうかと思っています。そのためのボルトナットや修整剤が必要になってきます。新作のタイトルも考えなければなりません。併行してやや小さめのテーブル彫刻を作っていこうと考えています。テーブルには砂マチエールを貼り付けて、接合する陶彫部品との調和を図っていくのが私の常套手段です。テーブルの柱になる木彫をしなければならず、こうして仕事を羅列していくと、やるべきことがいっぱいあって、気分的に焦りを感じます。今月はどこまで出来るでしょうか。陶彫による集合彫刻は、部分を作っている時には焦りはありませんが、全体構成を考えるような段階になると、あれもこれもやらねばならない仕事が見えてきて、ゆっくりしている暇はないなぁと思ってしまいます。例年のことなので格別驚くことではありませんが、これからが大変な時期になると予想できます。職場は職場で年度末を迎えて気忙しくなり、工房は工房で創作活動が佳境を迎えて一気に熱を帯びてきます。今月最初の週末で、先を見通し、まず何からやるべきか、ひとつずつ足元を固めていくようにしたいと思っています。明日は成形を頑張ろうと思います。

多忙が懸念される3月に…

多忙が懸念される3月になりました。何といっても年度末です。ウィークディの仕事は今年度のまとめとして、全職員と面接をして、来年度人事の素案を考えなければならず、気忙しさはピークに達します。仕事に対する思いは人それぞれで、適材適所を見定めながら、まずは働きやすく個人の能力が最大限に発揮できる職場を目指していくつもりです。創作活動は組織ではなく、私個人が進めるものですが、自分で活動時間を決め、仕事の段取りを決めています。出来るだけシステマティックに制作が出来るといいなぁと思っています。さしずめ今月は大きな新作の完成を目標にしています。やや小さめのテーブル彫刻も始めたいと思っています。今月の後半に年度末休業が取れる機会があるのですが、仕事が立て込むため休みが取れるかどうか微妙なところです。鑑賞も制作工程の間隙をぬって美術館や映画館に足を運びたいと思っています。昨年は一日年休を取得して埼玉県川越に遊びに行きました。今年はそんな余裕があるのでしょうか。一番心配なのは一日1点ずつ制作をしているRECORDで、ウィークディの仕事や週末の陶彫制作に精気を奪われて、下書きだけの山積みが一向に減りません。遅い時間帯にRECORDを作るため食卓に向かっていると睡魔が襲ってきます。このNOTE(ブログ)を書く時間も眠気との闘いです。「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」とあるのは清少納言の枕草子の冒頭のコトバですが、この季節はコトバ通りぼんやりとしたパステルカラーの空気感の中で、いつまでも眠気がとれないイメージがあります。うつらうつらした中で読書もやっていきたいと思います。

2月を振り返って…

2月は28日間しかない短い1ヵ月で、今日が最終日です。2月の後半は朝夕寒さが緩んで凌ぎやすくなりました。毎朝の起床や出勤が気温上昇に伴って楽になり、その分私は花粉症に悩まされています。朝起きると鼻がむず痒いのが気になりますが、ひと頃前より花粉症は緩和してきました。これは加齢によって身体の全器官が緩んできたのかなぁと些か自嘲的に思っています。さて、2月を振り返ってみると、新作の陶彫制作を頑張っていたにもかかわらず、陶彫部品が全て完成しなかった点が残念でした。やや小さめのテーブル彫刻には手もつけられずにいて、欲張った制作目標は自分の首を絞めることにもなると実感しました。それでも来月もやはり上向きの制作目標になってしまいそうなのは否めません。鑑賞は充実していました。美術展では「顔真卿」展(東京国立博物館)、「奇想の系譜展」(東京都美術館)、「河鍋暁斎」展(サントリー美術館)、「竹内浩一の世界」展(郷さくら美術館)の4つ、映画鑑賞では「ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪」、「私は、マリア・カラス」(全てシネマジャック&ベティ)で2本ともドキュメンタリー映画でした。週末は母の用事で税理士や不動産会社の人が自宅に来たりしていましたが、それでもこれだけ鑑賞の機会を持てたのは良かったのかなぁと振り返っています。RECORDは山積みされた下書きの解消にはならず、毎晩苦しんでいます。読書は美術評論家の現代彫刻に関する随想を読み始めました。通勤の友として気楽に楽しく読んでいます。もう一冊、職場にカンディンスキーに纏わる抽象絵画論が置いてあって、これにも時折目を通しています。まずまずの2月の成果だったと思っていますが、満足できなかった部分は来月で何とかしたいと考えています。

暁斎「惺々狂斎画帖」連作について

先日に見に行ったサントリー美術館で開催中の「河鍋暁斎」展では、狩野派絵師として研鑽を積んだ暁斎の珠玉の名品も数多く出品されていましたが、私の関心はやはり戯画にあって、現代のアニメのような劇的な動きのある画帖が、心から楽しいと感じました。表題の「惺々狂斎画帖」は、(一)から(三)まであって、その小さな世界に魅了されました。図録の解説によると、これは日本橋の小間物問屋の主人のために暁斎が描いた肉筆画の連作で、大蛇や化猫が登場する場面が何とも可笑しくて、奇想天外な物語を想像してしまうのです。これは暁斎の描く他の俯瞰図にも言えますが、さまざまなポーズをとる人物が、時に劇画的で極端な仕草をしているために、絵の主題を強く印象づける効果を生んでいると、私は認識しています。図録によると小間物問屋がつぶれた時に、そこに暁斎の絵が200枚もあったそうで、良い値で捌けたと書いてありました。また、江戸情緒あふれる画題は、「江戸名所図絵」に登場する武蔵の地名の由来や浅草寺草創にまつわる伝説や梅若伝説、秋色桜の話、飛鳥山の花見など庶民の遊びを、暁斎らしい工夫を加えて描いていると解説にありました。河鍋暁斎は日本よりも海外で有名になった画家ですが、成程こういう画題であれば、外国人が絵を競って手に入れたのもよく分かります。現代の私たちもグローバルな視点を持つに至ったので、暁斎ワールドが本当に面白いと感じるのです。今では世界に発信するほどになった優秀な日本のアニメですが、その根源には暁斎の世界があるのではないかと私は思っています。北斎漫画にも暁斎の世界と同じ感覚を持ちました。その時代の絵師の片鱗に触れて、自分の創作活動を鼓舞したいと考えているところです。

六本木の「河鍋暁斎」展

先日、六本木にあるサントリー美術館で開催中の「河鍋暁斎」展に行ってきました。副題に「その手に描けぬものなし」とあって、河鍋暁斎の画力の凄まじさを改めて認識しました。江戸から明治の激動の時期を絵師として生きた河鍋暁斎は、幽霊やら魑魅魍魎が登場する戯画ばかり描いていると、当初私は捉えていましたが、今までの暁斎の展覧会を見るにつけ、本格的な狩野派絵師であることを再確認した経緯があります。しかも「その手に描けぬものなし」という実力を見て、北斎に匹敵するのではないかと思ったほどでした。今回の展覧会では初めて見る作品があって、その場を離れ難い鑑賞になりました。図録には弟子であった建築家コンドルの文章がありました。「(暁斎は)忍耐強く自然を観察し、また古人の作で価値あるものをことごとく敬虔な態度で模写した人であったが、その作品にはつねに独創性と天稟の才が横溢していた…彼はその独立不羈の性格と何でも描ける多才な技量により、免状ばかりで精神を伝えぬ一流派の束縛を長く免れることができた…彼は自ら構成した活気溢れる絵画の世界を一絵師として孤独に生き、古き巨匠の偉大なる魂を友としたが、今やその霊と相接しているのである。」(池田芙美著のコンドル訳文抜粋)暁斎は鍛錬を重ねた絵師だったようで、展示されていた画帖にその跡が見られました。暁斎の曾孫が書いた文章も図録にあったので引用いたします。「本展には、河鍋家に伝わった画帖や画巻を初めて出品した。私が幼い頃から目にしていたもので、暁斎が懐に入れて日々持ち歩き、興味深い古画や意匠を見つけるたびに描き留めたと思われる私の好きな縮図帳や縮図画巻である。それらを見て育った私にとっては、暁斎とは常に学習し、研鑽し、努力を惜しまぬ絵師に思えた。小山正太郎も暁斎を『一本熱い奴をつけて来れば、何でも描いて遣る。と、大胡坐をかきながら座敷の真中に陣取った所などは、実に威風辺りを払うのが概であった。併し酒気の醒めた時は、極めて細心な所があって、故人の粉本などの随分細かいものを写したりして居た。(後略)』と、粉本を緻密に熱心に学習したと述べている。」(河鍋楠美著)暁斎の画帖に関しては別稿を改めたいと思います。

上野の「奇想の系譜展」

先日、東京の4つの美術展を巡った時、私が一番身近に感じた展覧会は、東京都美術館で開催中の「奇想の系譜展」でした。嘗て読んだ美術史家辻惟雄氏による著作「奇想の系譜」は、日本美術史に斬新な視点を与え、それによって江戸絵画が抜群に面白くなったことで、現在の「日本美術ブーム」を作り出したと私は思っています。最近の伊藤若冲の人気ぶりは大変なもので、都美術館の前で長蛇の列になって何時間も待った記憶が甦ります。その著作に登場する画家たちの作品を集めた展覧会となれば、私は必見と決めていました。図録によると今回取り上げた画家は8人になると書かれていました。「岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳ー六人の画家をとりあげたこの『奇想の系譜』は、以後の江戸時代絵画史研究、日本美術史研究に対して、決定的な影響を与えた。そして、本展はこの六人に加えて、近年とみにその再評価の機運が著しい白隠慧鶴、鈴木其一の二人を加えて企画したものである。」という日本画家8人衆は、私が中高の美術科の授業で習った覚えがない画家たちで、社会人になってから漸く知り得た摩訶不思議な世界観をもつ画家たちでした。大学生になった時には、私の頭の中は欧米からやってきた前衛運動が中心で、我が国の美術を振り返ることもなく過ごしていました。象徴主義や抽象絵画は西欧の専売特許ではなく、まさに足元にありと思ったほど我が国の奇想の画家たちは、私に豊かなイメージを与えてくれました。縄文土器の時もそうですが、誰かが新しい視点を与えてくれると、見過ごしていたものが現代に甦り、ハッとすることが多くあります。図録にこんな箇所もありました。「結論めいたことを言えば、『奇想の系譜』という本は”時限爆弾”だったのだと思う。辻氏が導火線に火をつけた1970年代から、それに注目する若い研究者たちが地道な調査を続けることによって、その火を絶やさぬようにしっかりと受け継いでいった。そして21世紀に至って、ようやく導火線から爆弾本体に火が届いて、現在の『若冲ブーム』『江戸絵画ブーム』『日本美術ブーム』が現出したのだと思う。」(引用は全て山下裕二著)これから爆破が連鎖し、次から次へと面白い世界観を有する作品が登場してくることを切に願っています。 

週末 今月最後の制作日

今日は朝から工房に行って制作三昧になりました。気温が少しずつ緩んできて作業がやりやすくなりました。2月の週末が今日で終わります。大きな新作は若干の陶彫部品が間に合わず、完成は来月に持ち越しになりました。午前9時から午後4時までの7時間が週末の定番の制作時間です。焦らず、休まずというコトバを念仏のように唱えて作業を続けていますが、ひと頃前に比べると集中力が長続きしません。小刻みに集中して作業を継続している感じがしています。何年やっても巧みに作れないのは、自分が不器用のせいですが、それが効を奏し、彫刻に彫刻たる魂が宿ると学生時代に師匠に言われたことがあります。陶彫制作も20年以上もやっていて、なかなか思うようなカタチにならなくて困ってしまう時があります。彫刻におけるイメージの優位は自分にとって都合の良いものなのです。これが技巧を必要とする工芸ならば、自分は立ち行かなくなります。今日の陶彫成形もやや変形していたので苦労しました。ひょっとして割れるかもしれないという陶特有の強迫観念があって、心安らかな制作は今までも皆無です。今日も乾燥していた陶彫部品に仕上げをして化粧掛けを施して窯に入れました。焼成はいつも祈るような気持ちになります。人の手が及ばない世界は、面白いとは思うけれども、反面落ち着かない心の状態になります。今回は随分窯を使っているなぁと思えるのは、請求される電気代で分かります。昨年以上に電気代がかかっているのです。ひとつひとつの陶彫部品が大きいせいかもしれず、新作はせいぜい2個しか窯に入らないのです。今日の夕方窯に入れると水曜日に窯の蓋を開けられます。日常の風景になっていますが、毎朝出勤前に温度を確認しています。電気代を払う時にあまりにも多額なためコンビニの店員に驚かれることもあります。

週末 母の不動産管理&陶彫制作

2月最後の週末になりました。新作の大きな陶彫作品は、数個の陶彫部品を作り上げれば完成が見えてきますが、どうやら今月中に完成は無理なようで、来月に持ち越しになります。その他の制作途中にあるテーブル彫刻も来月から始めようと思っています。とは言え、来月は年度末を迎えてウィークディの仕事が立て込むのが予想されるため、創作活動がどの程度まで進むのか不安です。今週も自分が担当する横浜市のある部署の会計処理をしたり、書類の整理が始まっていて、今年度のまとめをしている最中なのです。私は再任用管理職なので、その都度まとめをして次の管理職に速やかに引継ぎが出来るように準備しているのです。そういう意味で3月は多忙を極めます。来年度人事もいよいよ始まり、職場では出会いと別れが待っています。職場の詳しいことはここでは書けませんが、管理職を何年やっていても、この時期はシンドいなぁと思っています。今日の午前中は工房に行かず、母の所有している不動産の管理会社の人が自宅にやって来ました。2年に一度の更新で、私が母の代理を務めました。母が全部私に任せてくれているので、私が代筆して書類を作成しました。土曜日はウィークディの仕事の疲れがあって陶彫制作が捗らないので、ちょうどいい骨休めになりました。午後は工房に出かけました。工房の建っている植木畑には、さまざまな花が咲いていて、春が確実にやってきている気配を感じます。自宅から数分のところにある工房ですが、植木畑の中を歩いていると木々の息吹を感じ、気持ちも制作に向かう気構えが出来て、この移動の数分は私にとって貴重な時間です。自宅から少し離れた場所に仕事場を持っている幸せを噛み締めながら、毎週末に歩いています。午後から4時間程度の作業でしたが、40キロの土練りを行い、大きなタタラを数枚作りました。明日の成形の準備です。明日は朝から工房に篭ろうと思っています。

彫刻家父子の往復書簡を思い出す

現在、通勤時間に読んでいる「ある日の彫刻家」(酒井忠康著 未知谷刊)に、彫刻家保田龍門・春彦による父子の往復書簡の章が出てきて、嘗て羨望の眼差しで読んだ「往復書簡」を思い出しました。私は武蔵野美術大学出版局に問い合わせをして、同書をここから郵送してもらったのでしたが、自分の職場に置いておいて、仕事の合間を縫って読んでいたのでした。これはどのような書簡なのか、本書から引用すると、「一人の若き青年が、明治以来、何世紀にもわたって引きずってきた『西洋コンプレックス』の呪縛に対して、いかにその呪縛に苦しみ、そして悩み、跳ね返そうと努力したかを具体的な体験を介して、この書簡は語っている。同時にそれは、いわゆる『洋行者』とよばれてきた日本人の父子二代にわたる貴重で珍しい記録にもなっている。」とありました。保田春彦先生に直接指導を受けたことがなかった私は、大学で先生にすれ違う度に身が引き締まる空気を感じ取っていました。私は雲の上の人という感覚を保田先生に感じていましたが、この書簡では私自身が滞欧生活で体験した悩みと同じような悩みを、保田先生が持っていたことに半ば驚きつつ、また父の保田龍門によって精神的な支援があったことは羨ましい一言に尽きるなぁと思っています。本書ではこんな箇所もありました。「わたし(著者)はいわゆる世間的な通用を価値の秤とする考えに傾かない保田さんが、妥協を許すかゆるさないかの生活の現実に直面して、思案に暮れ、同時にそれは作家としての自分の立ち位置を確認する作業ともなっていたのではないかと思った。」作家(彫刻家)として生涯を全うしたいと考える上で、食べていかなければならない現実に触れ、思索を含めた芸術活動を進めるためにはどうしたらよいのか、どこで折り合いを付けるのか、この道を選んだ人は全員が直面する課題です。私も已むを得ない状況の中、横浜市の公務員になり、二足の草鞋生活がスタートしました。彫刻家保田龍門・春彦による往復書簡は、そんな世知辛い問題も垣間見せる一方で、崇高な文学作品のようにも思えます。現在は父子とも他界し、貴重な書簡だけが残されていますが、さまざまな美術館に所蔵されている保田先生の作品を見ながら、書簡の内容を思い出すと、作家が作品にかけた思いに浸れて感慨一入になります。繰り返し述べさせていただきますが、彫刻家父子の往復書簡に対し、私には羨望しかないことを断っておきます。

HPに18’RECORD1月~3月をアップ

RECORDは一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っている総称を言い、文字通り自分にとっては日々創作しているRECORD(記録)なのです。2007年から毎日欠かさず制作していて、11年目を迎えています。私はコツコツ継続していくのが得意ですが、当初こんなに長く続くとは思いもせず、そうであれば生涯を賭けてRECORDをやっていこうと決めている次第です。陶彫制作と違い、体力を要しないので自分が老境に差しかかっても出来るのではないか、現在の母の年齢(90代)までやれれば、1万点以上の作品が手元に残るはずと思って、ここはひとつ頑張ってみようと思っているところです。RECORDが始まった2007年に、1年間分を額装して横浜の市民ギャラリーに展示したことがありました。額装があまりにも大変だったので、それ以降はホームページで発表しています。カメラマンが1年間分を一日かけて撮影し、画像を随時アップしていきますが、そこにコトバを添えています。コトバを紡ぐのは学生時代からの自分の憧れで、どんなに拙くても試みたいと考えている表現方法なのです。今回2018年の1月から3月までのRECORDをホームページにアップしました。2018年は月毎にパターンを配置した画面にしていました。1年前の懐かしい作品を振り返っています。私のホームページに入るのは左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉にRECORDの表示が出てきますので、そこをクリックすれば今回アップした画像を見ることが出来ます。ご高覧くだされば幸いです。

映画「私は、マリア・カラス」雑感

音楽史に永遠に名を残した不世出のソプラノ歌手マリア・カラス。私は20代でウィーンに住み、国立歌劇場へ足繁く通い、また親戚にテノール歌手がいるという稀有な環境によってオペラの世界が比較的身近でしたが、マリア・カラスの歌姫伝説は当時からよく知っていました。自分がやや遅れた世代だったために、生の歌声を聴いたことがないのが残念でなりません。自分がウィーンにいた1980年代にはカラスは既に他界していました。そんなカラスの生涯を扱ったドキュメンタリーが上映されていることを知って、早速横浜のミニシアターに家内と行きました。一昨晩は勤務終了後のレイトショーでスター街道を歩いた歌姫のドキュメントを堪能しました。噂ばかり先行していたカラスの生きざまを、本人の音声によって初めて実態を知り、稀有な才能を背負った大歌手でも不安や焦燥に慄いている場面に、身近な存在として親しみが湧きました。それでもカラスの人生はオペラそのもののようで、喝采と醜聞に明け暮れていたようです。図録にこんな箇所がありました。「オペラは、悲劇で綴る哲学。オペラ歌手として、人間の悲哀をこそ情感たっぷりに歌いあげる天賦の才能を与えられた女は、単純な、あっけらかんとした人生を生きることは許されなかった。~略~まさしく社交界の花形でありながら、純粋な愛に生きた椿姫のようでもあり、禁断の恋に落ちつつも、恋人の裏切りにあう巫女ノルマのようでもあり、また愛する人をけなげに待ち続けるも、夫と思っていた人が、他の女性と結婚していた事実に苦しみもがく蝶々夫人のようでもある。」(齋藤薫著)一緒に行った家内は、カラスの眼力が凄かったと感想を漏らしていましたが、カラスの容姿も舞台に映え、演技力もなかなかで、もう少し長く生きていれば女優としても頂点に登りつめていたかもしれません。享年53歳、短命だったと思っているのは私だけではないはずです。

中目黒の「竹内浩一の世界」展

先日、4つの博物館や美術館を巡った日がありました。その日の最後に辿り着いたのが、郷さくら美術館で開催中の「竹内浩一の世界」展でした。東京中目黒にある同美術館に、私は初めてお邪魔しました。郷さくら美術館は、桜の名所である目黒川のほとりに2012年に開館した美術館で、桜をテーマにした日本画を収集しているようで、2階の常設展示室には、桜を初めとする自然豊かで穏やかな画風の絵画が多く展示されていました。ここはちょっとした癒しの空間になっているように感じました。絵画を鑑賞するのには手ごろな大きさの空間だなぁと思いながら、作品を見て回りました。京都画壇で活躍する日本画家竹内浩一氏の作品は1階と3階に分かれて展示してありました。資料によると竹内氏は現在77歳で、独学で日本画を学んだ人のようです。全5作の連作からなる「鳥獣戯画」シリーズを中心とした展覧会でしたが、写実的に丁寧に描かれた数々の動物たちを取り巻く世界は、その繊細な筆致をもって微妙な空気をも表現していて、清涼な雰囲気に溢れていました。私は日本画壇に疎いので、今回初めて目にした作品群でしたが、竹内氏はとても人気のある画家らしく大勢の鑑賞者が訪れていました。作家の書いた言葉によれば、30代半ばで台北故宮博物院で見た水墨画や花鳥画に触発されて、もう一度本質を問い直し、「自然の息づきを捉え自らの生命を感じられるように努めた。」とありました。写実はモノを写すだけではないと悟るのは至高を求めんとする画家の一途な思いではないかと私も思います。そうした思いで描かれた連作に、多くの鑑賞者は惹きつけられるのだろうと思います。

上野の「顔真卿」展

先日、東京上野にある東京国立博物館で開催中の「顔真卿」展に行ってきました。この展覧会の売りである「祭姪文稿」を見るために70分の待ち時間があり、私は多くの鑑賞者の狭間からこの作品を垣間見てきました。途中乱れた筆跡や書き直した部分があって、中国の歴史に疎い自分にはこの作品の価値を理解できずにいましたが、図録を読んで漸くこの作品の持つ重要さが分かりました。鑑賞者は中国から来た人たちが多くいて、この「祭姪文稿」を見るためにわざわざ日本にやってきたことを、この時になって知りました。私は今まで書展をしっかり見たことがありません。どうしても造形美術に目が移ってしまうのです。台北の故宮博物院を訪れた時も、書の展示は見飛ばしていました。今回は殷時代の甲骨文から始まり、秦の始皇帝が確立した篆書、その篆書を簡略化した隷書、さらに草書、行書と進み、現在でも標準になっている楷書と、それぞれの時代の書体の変遷が見られて興味を持ちました。それでは顔真卿とはいかなる人物なのか、活躍したのは唐の時代で、図録には「王朝の危急存亡に身を挺して奮闘し、終生にわたって皇帝の権威を護持するために尽力した」とありました。生まれは現在の山東省で、顔家は代々名家であり、学問を重んじていたようです。顔真卿が生きた唐の時代は「栄華を極めた王朝が一転して衰退に向かう時代」だったようで、それでも顔真卿は安史の乱で唐軍の勝利に貢献しました。ただし、「朝廷の腐敗や統治者の矛盾は唐軍の戦機を奪い」と図録にあるように顔真卿の人生は紆余曲折を繰り返し、左遷も余儀なくされたようです。ここで顔真卿の書について図録から拾います。「顔真卿はあえて隷書や篆書に見られる復古的な筆法を八世紀後半の楷書に盛り込み、『顔法』と呼ばれる特異な筆法を創出したのである。血なまぐさい安史の乱での体験、権謀術数が渦巻く朝廷での政争と、度重なる地方での左遷を経て、顔真卿の楷書は民間に行われていた書法をも取り込みながら、成熟の色合いを濃くしていく。」さら話題の「祭姪文稿」とはどんなものなのか、図録の解説を引用いたします。「祭姪文稿は、五十歳の顔真卿が、安史の乱で非業の死をとげた若き顔孝明を悼んだ祭文の草稿である。書き出しの数行は冷静を保っているが、書き進むにつれて感情が昂って行はうねり、各所に現れる訂正の痕跡が生々しい。この二百三十五文字の祭文で、顔真卿はあるいは文字を誤って訂正し、あるいは脱字をした箇所が、十六にも及んでいる。」(図録引用は全て富田淳氏の文章)

週末 遅れを取り戻すために…

昨日は東京の博物館や美術館を巡っていたため、制作時間が充分に取れず、今日はその分制作三昧を決め込みました。遅れを取り戻すため時間を延長し、朝9時から夕方5時までほとんど休憩を取らずに作業をしていました。成形1点、彫り込み加飾2点というのが今日の成果です。さらにもう1点彫り込み加飾が出来れば、予め決めておいた制作工程に追いつけたのですが、集中が保てず今日の作業は終わりにしました。最初の頃は余裕があったはずなのに、今月も半分を過ぎて、そろそろ制作に焦りが出てきました。陶彫は一気呵成に出来ないために、一日でやれる仕事の範囲が決まっているのです。逸る気持ちを抑えて、これを何とかしようと思案中です。もう少し暖かくなれば、ウィークディの夜に工房に通うことも出来るかなぁと思っています。焼成を暫くの間やらなければ、照明を使えるので夜の制作も可能です。今月の週末はあと2日間を残すだけで、根の陶彫部品はこれから4個を作らねばならず、時間に追われる制作工程は厳しくなりそうです。やや小さめのテーブル彫刻はまだ始まってもいないので、これは来月にまわそうと決めました。ウィークディの仕事も骨が折れる場面がありますが、システムがきちんと稼動している分、気持ちは楽に保てます。危機管理さえ意識していれば何とかなると考えています。週末の仕事も独自でシステムを作っているつもりでも、私一人のものなので、容易に箍が外れてしまい、焦ってしまう結果になるのです。組織と個人の違いが如実に表れてしまうことを、私は思い知らされていますが、こればかりはどうにもなりません。創作活動にはそれなりに厳しいスケジュール管理があるのです。ウィークディの仕事で余力が残っていれば、夜の工房に行きたいと思います。

週末 過密な鑑賞スケジュール

やっと週末を迎えました。年度末が近づきウィークディの仕事が少しずつ多忙になってくると、週末が楽しみでなりません。今月に入って美術展に行っていないので、今日は行きたい展覧会をチェックして、丸一日かけて東京の博物館や美術館を巡って来ました。合計4つの展覧会、しかも内容の濃いものばかりでした。家内は今後の演奏活動に備えて人混みに出ることは避けたいと言っていたので、今日は私一人で出かけて来ました。過密な鑑賞スケジュールでしたが、気分的には充実した一日を過ごしました。ただし、新作の制作工程があるので、大きなタタラを複数枚作るという最低のノルマをこなす必要があり、朝7時に工房に出かけました。東京へ向けて自宅を出たのは朝8時半になりました。東京上野の東京国立博物館に到着したのは開館時間をやや過ぎたところでしたが、既に平成館の外にまで長蛇の列が出来ていました。開催していたのは「顔真卿」展で、私は実のところ書展をまともに見たことがなかったのでした。「祭姪文稿」に話題が集中しているため、ひと目見ようと出かけたのでしたが、並んでいる鑑賞者のほとんどが中国から来た人々で、「祭姪文稿」が中国の書の変遷史の中で重要な位置を占めていることがよく分かりました。これは台北故宮博物院の所蔵品ですが、なかなか見ることが出来ない作品であること、書体が途中乱れている箇所があるのは感情が迸った痕跡であることも理解できました。「祭姪文稿」を見るまでに70分間じっと並んで待っていたのでした。次に向ったのは東京都美術館で開催中の「奇想の系譜展」。これはNOTE(ブログ)に書いた記憶がありますが、美術史家辻惟雄氏が著した書籍に由来するものです。1970年に書かれた書籍が今も読み継がれ、伊藤若冲ブームの火付け役となりました。日本美術の中に埋もれていた斬新な発想による不可思議な世界、これには私も忽ち魅了され、江戸絵画の虜になったのでした。次に向ったのが奇想の画家と同じ系列の河鍋暁斎の展覧会でした。東京六本木のサントリー美術館で開催されていた「河鍋暁斎」展も、魑魅魍魎が繰り出す非日常の世界があって、思わず引き込まれてしまいました。ここまで巡ってきて、日本絵画の表現の濃さに気分的な疲労を覚えてしまいました。私が若い頃好きだった北欧のボッシュやブリューゲル、ウィーンの幻想絵画を彷彿とさせる表現が、自分が生まれた日本にもあって、しかも身近なことで嬉しくもあり、世界に誇れるのではないかと実感しています。最後に現代日本画の展覧会を見ました。今まで見てきた展覧会と対極にあるかのような美しく清涼な画風でしたが、毒気に当てられてしまった自分にはやや物足りなさを感じました。最後に辿り着いたのは東京中目黒にある郷さくら美術館で開催されていた「竹内浩一の世界」展で、作家が会場にいたため、館内は大変な混みようで、多くの鑑賞者が優美で肌理の細かい表現を堪能していました。最後になって品の良いデザートで料理を終えたような気がして、ほっとした今日の鑑賞スケジュールでした。それぞれの展覧会の詳しい感想は後日改めます。

存在を消去する彫刻

先日、夢の中でイエス・キリストの磔刑像が現われたという文章をNOTE(ブログ)に書きました。学生時代に人体塑造を作っていた私が、現在は象徴化された風景を切り取ったような陶彫作品を作るようになっています。人体塑造から離れてかなりの月日が流れていますが、私の中で人体塑造に対する思いがどこかにあって、それがイエス・キリストの磔刑像に繋がっているのではないかと思い至りました。イエス・キリストの磔刑像の様相は、宗教において人間の罪を背負って十字架に磔られた姿が、やがて復活し、人々の罪が神によって許される教えを示したものですが、宗教性のない私は、単純に朽ち果てていく人体像を表現したものだという認識があります。この存在していたものが無くなっていく過程が、私には印象強く残ってしまっているのです。決して不在ではなく、嘗て存在していたものが徐々に無くなっていく過程、そこにあったものが時間をかけて腐り朽ち果てていくことが、一層空間におけるそのものの存在を示しているように思えるのです。さらに、もう一度夢を見る機会があって、それはどこまでも続く壁に沿って歩いている人体が見えました。その先にもう一人の人が歩いているのですが、その人の量感が無くなっていて、さらにその先を歩いている人は、ほとんど骸骨であり、さらに先の人は身体の部分でしかカタチを保っていない状態でした。磔刑像の時に感じた具象彫刻への思いとは少し違う夢に、目覚めた時はこれは具象とか抽象とかのことではなく、存在そのものが自分の中で何かを問いかけているように感じました。精神分析の創始者であるフロイトが言うように夢は欲望充足であるならば、存在を消去する彫刻が私の思索の中で始まりつつあるのかもしれません。

不安定な心に創作が宿る

「不安定な心に創作が宿る」という表題を考えた契機は、ウィークデイの仕事にあります。不安定と言うような大袈裟なものではありませんが、ちょっとした心配事によってコトバが浮かんでくることがありました。彫刻やRECORDも、心のバランスを欠いた時に異様な緊張感に支配され、自分の代表作と言える作品が生み出されることがあります。全てが満たされた状態では、何かを訴える作品は生まれないのかもしれません。とりわけコトバは意思を伝達する手段でもあり、感情を吐露する表現として使われることがあるので、なおさら不安定な心の状態に敏感に反応するものだろうと思っています。詩人はそうした心の動きを捉え、言語表現にまで高めていける人たちを言うのだと考えます。さまざまな感情の襞を、肌理の細かいコトバ選びによって、人の心に入ってくる作品にまとめあげること、また異質なコトバとコトバをぶつけることで新しい世界を創出させることが詩人の本領だろうと思っています。不安定な心に創作の魂が宿ることが多いと改めて思いますが、過度な不安定な心では何もできなくなってしまうのではないかと一方で考えていて、傍から安定しているように見られていても、心の中では不安要素が渦巻いている状態が、創作活動にはいいのかもしれません。と言ったら、多くの人が不安を抱えているので、決して創作の魂が宿るのは特殊な状態ではないのではないかと思うのです。そのアンバランスを何とかしたいと望み、心の安定を得るために創作の道に邁進すること、それこそ自分が今までやってきたことかもしれません。

工房周辺の植木畑について

自宅から道を挟んで植木畑が広がっています。父は造園業を生業にしていて、市場のセリで購入してきた植木を一時この畑で保管していたのでした。父が亡くなった後、私がこの畑を相続しましたが、この畑に農業用倉庫を建てました。それから10年が経過して、農業用倉庫は工房に様変わりし、今ではすっかり創作活動の拠点として、制作や作品の保管等に活用しています。工房周辺の植木畑は暫く放置していたままでしたが、遠縁にあたる植木職人が1年に何回か植木の手入れや草刈りをしてくれていました。維持する費用のこともあって、今回はかなり大掛かりな手入れをお願いしました。植木の枝を大量に払ったり、枯れ木は伐採して、植木をどれも小さくまとめてくれました。これで当分の間は手をかける必要はないと思いました。工房で窯入れが始まると、私は出勤前に工房に立ち寄り、焼成温度を確認しています。今朝、工房に行ってみたら周辺の植木がさっぱりとして気持ちのいい空間になっていました。昨日パッカー車を入れたらしく、切り落とした枝や草も全てなくなっていました。一体何回パッカー車が往復したのか、かかった費用のことも気になっていますが、仕方のないことだと認識しています。工房のロフト拡張工事もそろそろ始まります。私が公務員管理職として仕事をしているうちに、今後発生する工事は全てやってしまおうと思っていて、退職後は余計なことは考えずに、創作活動に邁進できる環境にしたいと考えているのです。

時間刻みの生活について

芸術家は自由な時間の中からインスピレーションを得て、それを具現化する仕事だという認識が、私は学生時代からありました。亡父は造園業、祖父も先代も大工の棟梁という職人家庭に育った自分は、自ら決めた時間で仕事をすることが当たり前な環境だったのですが、何故か私が選んだ職業は公務員でした。ウィークディは勤務時間が決められていて、内容も全体の奉仕者と謳われているため、自分自身の能力を最大限発揮する仕事内容は少ないと感じています。50代で管理職になりましたが、自分が経験したキャリアで仕事をしていることが多く、何か判断を迫られても、大きな間違いはないと思っています。判断が危うい時は、仲間に相談して無難な舵取りをしつつ、それでも職場の活性化のために創意工夫はしています。自分ための仕事は週末に限られていて、そこでは自由を謳歌していると言いたいところですが、創作活動においてもウィークディの仕事の時間管理の影響が大きく、時間刻みの生活になっているのは否めません。それでインスピレーションが得られるのかという疑問も湧きますが、それは時間の問題ではなく、心の問題であろうと私は思っています。確かに創作世界に集中すると時間の観念から解放され、心身ともよく分からない状態になってしまいますが、集中が醒めると再び現実世界に戻ってきます。それを時間刻みの生活の中で私はやっているのです。二足の草鞋生活を送っているうちに創作世界と現実世界を素早く行き来できるようになったことが、私にとって救いでした。これは訓練の賜物だろうと私は思っています。ウィークディの仕事には退職があり、そのうち時間刻みの生活を見直す機会が訪れるのではないかと思います。長い間、二足の草鞋生活を送ってきた私には、何の制約のない自由な時間がイメージ出来ませんが、その時が何度目かの人生の転機になるだろうことは分かっています。

三連休 根の陶彫部品の焼成開始

三連休の最終日です。今日は昨日に比べて冷え込みが厳しく、工房での作業は辛いものがありました。制作ノルマは完全に達成できたとは言えず、彫り込み加飾は別日に設定しようと思います。あと2時間やろうと思えば出来たのですが、身体が冷えて動きが緩慢になってきたので、夕方3時に工房を後にしました。冷え込みによる身体の負担は、後になって影響が出てきます。これを警戒して今日は少し早めに終わりました。自宅で休んでいると胃腸の具合が悪くなったので、う~ん、大丈夫かなぁと思いつつ、ゆっくり風呂に浸かっているうちに回復しました。私の場合、身体の冷えには風呂が最適です。制作工程では、完全ではないにしても一応ノルマはやりました。大きな新作は、2つの塔が床を根のように這っていく陶彫部品によって連結されていく構成になっていて、今日は根の陶彫部品を2個窯に入れました。根の陶彫部品は過去に作ったものよりやや大きめで、窯には上段と下段にひとつずつしか入りませんでした。根の前後に凸面と凹面があって、それが連結の部分になります。現在の計算では15個くらい作れば、全て完成となるのですが、実際に作品を床に置いてみないと分かりません。陶彫は計算通りにいかないこともあるので、余裕を見て終わりたいのですが、毎年締め切り間際になってしまいます。根の陶彫部品の焼成が始まったところで、三連休が終わりましたが、制作では充分に成果を上げたのではないかと自負しています。三連休は寒さとの闘いで、初日に雪も降りました。工房に篭っていると体調を悪くするので、健康に気を留めていたつもりが今日になって少々体調を崩しました。明日から職場での仕事が待っていますが、職場は気温管理をしているので、この三連休のような過酷な状況の中で作業をすることはないと思います。

三連休 大きな新作が佳境

昨日はいろいろな用事があって、制作時間が充分確保できず、その分を今日はやや長めの制作時間を取って、制作工程の辻褄を合わせました。午前9時から午後5時までの8時間、工房に篭っていました。昨日降った雪は積もるほどにはならず、今日は若干暖かかったので、雪の景色はどこかへ消えてしまいました。工房の窓から梅が咲いているのが見えます。春が待ち遠しいこの頃です。暖かいと言っても工房内の寒さは相変わらずで、小さなストーブで手を温めながら、陶土に対応しています。2つの塔が隣接する大きな新作では、塔にあたる陶彫部品の焼成が全て終わりました。陶彫部品33個で形成する2つの塔です。多少修整を必要とする部品もありますが、それは追々やっていきます。現在は2つの塔を床で繋ぐ陶彫部品を作っています。樹木の根のように這っていくので根の陶彫部品と呼んでいますが、成形と彫り込み加飾が既に7個終わっていて、乾燥を待っている状態です。大きな新作が佳境を迎えたと言ってもいい状況だろうと思います。陶彫による集合彫刻は20年以上もやっていて慣れているとは言え、新作の様相がその都度異なるので、いつまでたっても気楽に制作できず、常に全力でやっています。その大きな部分を占めるのが焼成です。窯入れをしなければ完成しない陶彫は、他の素材に比べて制御の難しい表現方法で、最後の最後で作者の手を離れて、窯内にいる炎神に全てを託すのが、技法の上で難しいところであり、また面白いところでもあります。これがあるからこそ、陶土を均一に練らなければならないし、一定の厚みのある成形をしなければならないのです。タタラはそのための準備です。陶土を紐にして裏側補強したり、彫り込み加飾を施すのは、それぞれの陶彫部品を補填したり、変化を齎せたりするためです。彫刻作品としてカタチを考案する際に、こうした制約があったり、手間が掛かるのは最終的に作品を高温度で焼成するためなのです。学生の頃、人体塑造をやっていた時期を経て、私はずっと陶彫に関わってきました。20年以上も飽きずに作業しているにも関わらず、まだ陶彫制作の至らなさや可能性を信じている自分がいます。先日のNOTE(ブログ)に創作活動は始まったばかりのような気がしていると書きました。本当にその通りで、日々創作が新鮮な感覚を生み出しているのが私自身には驚きでもあるのです。

三連休 母の税務&制作のための雑用

今日から三連休が始まりました。毎年この時期になると懇意にしている税理士を自宅に呼んでいます。母が所有する不動産の税務管理をお願いしているためで、我が家には年間を通じて母の書類がいろいろ送られてきて、それを家内が保存しているのです。母は実家があるにもかかわらず、ほとんど介護施設で過ごしています。母が所有する不動産の利益は、母が入居してる介護施設に支払われていて、母は誰の助けも借りず自前で施設に入っているのです。母は90歳を超えて益々元気で、私には嬉しい限りですが、1年に1回は税理士にお世話になる機会があります。私も作品が飛ぶように売れて、将来は税理士にお世話になりたいものです。税理士は朝10時に自宅にやって来ました。その用事を済ませて、私は昼頃になって工房に行きました。今日は朝から雪が舞っていて、横浜でもうっすら雪が積もっていました。こんな日の工房は身が凍るような寒さで、掌で陶土を叩いて大きなタタラを作っている時も、身体は一向に温かくならず、ストーブの傍にいる時間が増えました。今日はウィークディ明けの土曜日ということもあって、疲労で身体が思うように動かず、残りの作業をどうしようか思案していました。そこで思いついたのが日用雑貨店にブロックサンダーを買いに行くことでした。多少の雪でも車は大丈夫そうだったので、急遽出かけることにしたのでした。以前みなとみらい地区にあった日用雑貨店が店じまいをして、同じメーカーのブロックサンダーが手に入らず困っていました。他店で売られていたものはやや異なった形状で、作業がやり難かったのです。ネットで調べたところ、みなとみらいにあった日用雑貨店の支店が東京町田市鶴川にあるのを知って、1時間くらいかけてそこに行ってみました。果たしてブロックサンダーはそこにありました。棚にあるモノを全部買い占めて帰宅しました。これが無くなったらまた鶴川店に来ようと思っています。制作のための雑用でしたが、道具は作業の上では重要です。明日は制作に励もうと思います。

長寿に憧れる思い

今朝、職場に届いていた新聞各紙が日本画家堀文子氏の訃報を告げる記事を掲載していました。堀文子氏は享年100歳。長い間創作活動に邁進出来て、私自身は羨ましいと感じています。新聞記事を読むと、堀氏は創画会結成に参加したり、絵本も手掛け、国際的な賞を取ったりしていたようです。70歳間近になってイタリアにアトリエを構えたり、メキシコ遺跡やヒマラヤ山麓などを旅していて、その旺盛な好奇心や止めども尽きない創作意欲に頭が下がります。日本画もそうですが、私がやっている彫刻も技術の習得に時間がかかる表現媒体です。そのせいか私は60代になってもつい最近彫刻を始めたばかりの気持ちになっていて、なかなか満足できる作品が作れず、自分の数十年に及ぶキャリアを否定したくなるのです。自分は長く彫刻をやっている気がしないのは、創作活動が自分を振り返る余裕を与えてくれないからかもしれません。過去に作ったモノは気に入らないモノばかり、これから始める彫刻で何度目かのスタートをするというのが本音です。常にリセットしてしまう私の癖を考えると、堀氏のように長く創作活動に携われる幸せに憧れるのです。創作活動の中でもとりわけ時間のかかる彫刻を始めたばかりに、人生は何て短いのだろうと感じる日々です。人生100年時代がやってきたと言われる昨今ですが、本当に100年という時間が与えられるならば、私はあと40年近く創作活動に関われることになります。新しく始めようと思っている版画や墨絵、鉄の造形、楽器の演奏、世界遺産を巡る旅など、私は陶彫制作に勤しみながら、次から次へチャレンジしてみたくなるのです。長寿に憧れる思い、加齢とともにその思いは益々募るばかりです。

「ある日の彫刻家」を読み始める

「ある日の彫刻家」(酒井忠康著 未知谷刊)を読み始めました。本書は副題に「それぞれの時」とあって、美術評論家酒井忠康氏がそれぞれの時代や場面で関わられた造形作家に対し、その思いを綴られた随筆集になっています。現代の日本を代表する具象彫刻家佐藤忠良、既に故人になってしまった巨匠のインタビューは、この稀有な彫刻家の性格や人生を浮き彫りにする極めて興味深いものでした。私は20代の頃、学校で人体塑造を学んでいた時には、佐藤忠良、船越保武、柳原義達という3人の巨匠がまだ存命で、日本人が作り出す具象彫刻の在り方はこういうものかと思っていました。ただ、自分は具象表現になかなか自己を見い出せず、塑造による空間デッサンが上手になっても、人体に自己表現を突き詰められない力不足を感じていました。本書の中には、そんな自分が塑造を作る一方で、当時その独特な造形世界を構築していた保田春彦、若林奮先生たちに関わる随筆が載せられていて、興味関心が尽きません。本書は彫刻以外の分野で活躍する方々の仕事を紹介していて、これにも興味を感じるところです。現代彫刻は私にとって生涯を賭けるほど刺激的な分野になってしまっています。日本美術史の中では特異な光を放つ分野かなぁと自分勝手に思っていますが、どうでしょうか。通勤の友として本書を楽しみながら読んでいきたいと思います。

2月RECORDは「梱包の風景」

今年のRECORDは「風景シリーズ」を始めています。今までのRECORDにも風景が再三登場してきましたが、改めて風景を取り上げることで、新しい可能性に挑みたいと思っているのです。今月は「梱包の風景」にしましたが、ブルガリア生まれでアメリカで活躍する芸術家クリストの作品を思い浮かべる人も多いのではないかと思います。クリストの作品は言うなれば「風景の梱包」です。歴史的建造物や海に点在する島などを巨大シートで覆い隠すプロジェクトは、度肝を抜く迫力で風景の非日常化を図ったものでした。シートで覆い隠すことで今まで見慣れたものが、日常を離れ、巨大なオブジェになる瞬間に、私たちは用途を暫し忘れて、驚きを隠せなくなってしまうのです。クリストはドローイングや版画でそのアイディアを表現しています。私もそれに近いことをRECORDでやろうとしています。もちろんクリストのように実際に作ることは不可能ですが、梱包に対する不可思議な魅力に贖えない自分がいます。彫刻家若林奮も自らの造形を鉄や鉛で覆い隠すことをやっていました。梱包された内部に何が潜んでいるのか、見えない作品を詮索する面白さ、梱包された外皮に対する印象や美的価値転換など、梱包そのものを芸術として思索するとさまざまな考えが出てきます。今月は「梱包の風景」をテーマに1ヵ月間頑張ってみたいと思います。

「フォルムと色」について

先月末にフッサールが提唱した現象学における現代的な解釈を論じた日本人著者による書籍を読み終えたばかりですが、もう一冊フランスの現象学者が著したカンディンスキー論を同時に読んでいて、こちらの方はまだ読破しておらず、ここでひとつの単元である「フォルムと色」のまとめを行います。現在、とつおいつ読んでいるのは「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)で、改めて私自身でカンディンスキーを通して抽象絵画の見直しを図っているのです。単元の冒頭で「外面的には、色とフォルムは互いに無関係であるように見える。」という問いかけがあり、それに対する答えとしての論理が展開していきます。「もし形象表現的なフォルムと色とが要素であるとすれば、両者が外部の様相においてどんな相違を示そうとも、両者は共通の本質を、おのれの基調色をもつ。基調色は等質であり、それはデカルト的な意味で、主観的な生の、心の形態である。」これは何を意味しているのか、カンディンスキーが述べている「芸術は、感性に働きかけるものであるがゆえに、それは、また、感性を通してしか、働きかけることができないのだ。」という言葉に示されているように、感性の前ではあらゆるものが要素として、外部や内部の様相を伴って存在していることになります。そうした視点で芸術を見ていくと、フォルムや色は究極的に一つの基調色であると言えるのです。さらにそれらの統一性に関する文章もあり、まとめとして引用させていただきます。「この世界の情動的な統一性に関するこうした重要な規範は、そうすると多様性の統一性への単純化につながることになるのだが、後者のために前者を消去するという意味では少しもなく、逆に両者を持続させ共存させるという意味なのである。こうした持続は存在しているのだが、実際には単純化として現われている。つまり、多様性があり得るのは、それの根底にあってそれをまとめあげている統一性の中だけ、統一性にによってだけである。」

映画「ペギー・グッゲンハイム」雑感

先日、常連になっている横浜のミニシアターに行って「ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪」を観てきました。伯父にあたるソロモンが経営するアメリカのグッゲンハイム美術館やイタリアにあるペギーの収集品を展示した邸宅美術館は、世界的によく知られた存在ですが、私はまだ行ったことがありません。図録によると「20世紀を代表するアートコレクションをたった一人で築き上げ、華麗な恋愛遍歴とともに、多くの伝説を生んだ女性の痛快な一生。」とあって、ペギー・グッゲンハイムの生涯は波乱万丈なものだったのかなぁと思い至っています。この映画で私自身が楽しかったのは、現代美術を綺羅星の如く彩った芸術家たちが、ペギーと関係を持ったり、生活の援助を受けたりしていたことで、かなり身近に感じられたことでした。デュシャンを師と仰ぎ、イケメンなエルンストと結婚し、ポロックを発掘し、その他大勢の芸術家たちを擁護したペギーでしたが、ミューズと呼ぶには余りにも骨太な女性だったようです。最後にヴリーランド監督のインタビューから引用いたします。「ペギーは19世紀にニューヨークに移住したドイツ・バイエルン州の伝統的なユダヤ人家庭で育ちました。彼らの暮らしぶりはロックフェラー家のようでした。ペギーは若い頃から、自分の周りに余りに多くの『しきたり』があると感じていて、それを破ってしまいたいと思っていました。~略~実際、彼女は恵まれた環境の中にいましたが、出会う多くのアーティストたちを援助したことは驚くべきことです。それは彼女でしか成し得なかったことでした。ペギーは自らの願望をかなえるため、一歩先の世界を常に考えていたように思えます。そして、アートこそが彼女の人生を動かす純然たる動機だったのです。」