霊学と人智学について

霊学も人智学も聞きなれない学問なので、現在読んでいる「シュタイナーの思想と生涯」(A.Pシェパード著 中村正明訳 青土社)の中に、この学問に関連した箇所を見つけ出し引用することにしました。まず、シュタイナーの自伝から霊視が確認された子供時代のことを抜き出します。「シュタイナー自身が語るところによると、早くも八歳のときから、触るなどの物理的接触ができないという意味で物質界の現実とは異なる現実に、気がついていたという。だが、その現実は物質界の現実とは異なると言っても、いつも変わらぬ完全に客観的な仕方ではっきりと霊視されたので、本物であって幻影ではないという確信が得られた。」次に神智学協会に所属することになったシュタイナーの講演を聞いたフランスの権威シュレーによる感想がありました。「霊界の出来事や現実を描写しているとき、シュタイナーはそれについて何でも知っているように見えた。シュタイナーは描写していたのではなく、この未知の領域の対象や情景を実際に見ていたのであり、ほかの人々にもそれらが見えるようにし、その結果、宇宙的な現象が現実のものだと思えるようにしたのである。シュタイナーの話を聞いていると、その霊視の現実性を疑うことはできなくなる。シュタイナーの霊視能力の届く範囲たるや想像を絶するほどである。」さらに人智学協会を創設したシュタイナーの人智学に関する箇所を抜いてみました。「『知恵』という言葉は常に神の知恵を意味しており、『人智学』という言葉は、人間の真の本質と宇宙にたいする人間の関係を認識してはじめてこの知恵が得られる、ということを示している。さらにこういう意味もある。今までは神の知恵は神の世界そのものによって人間に与えられていたのだが、今では人間自身が、神の恩寵を受けながら、自分を真に理解することによって、地上で生まれた自分の思考を高次の神的知恵に変容させなければならない、というのである。」これだけの抜粋では不十分ですが、本書全体を通して霊学と人智学が網羅されていて、全て読み込まないとわからないというのが今の感想です。

「石田徹也 創作ノート 夢のしるし」

ちょいと前になりますが、栃木県の足利美術館に表記の展覧会を見に行きました。創作ノートを掲載した図録を購入してきて、今も折に触れて眺めています。石田徹也は夭折の画家でしたが、どうも腑に落ちないのが31歳の若さで命を落とすことになった踏切事故で、本当に単純な事故だったのかどうかということです。石田徹也は精神を病んでいたようで、踏切事故にはそうした要因もあったのではないかと疑ってしまいます。ともかく石田徹也の世界は強烈なペシミズムに貫かれた具象絵画で、それも現代社会に潜む画一化された功利主義を暴くものです。主となる登場人物は全て自分です。企業戦士の虚無が描かれていますが、履歴からその社会的立場に立ったことが一度もないことがわかっています。むしろ組織的人間を想像で扱ったおかげで管理社会を冷静で透徹した目で描き切れたのではないかとも思います。自分のように組織と個人活動を行ったり来たりするような二足の草鞋人間では、社会を突き放して視ることができません。シュミレーションされた石田自身は次第に擬人化、合体化を繰り返し、笑いやナンセンスの世界にも触手を伸ばしていきます。残された膨大な創作ノートはアイデアやコトバが満載してあって、いろいろな箇所で目が留まります。絵を描き続けて、アイデアを絞って、また絵に没頭して散った31歳の画家。特異な存在はいつまで輝き続けるのか、一時の時代世相か、それとも永遠か、画家の存在の位置が自分にはまだ見えません。

「シュタイナーの思想と生涯」読み始める

「シュタイナーの思想と生涯」(A.Pシェパード著 中村正明訳 青土社)を読み始めました。私がルドルフ・シュタイナーを知ったのは学生時代で、最初は曲線を多用した独特な建築ゲーテアヌム(正確には第2ゲーテアヌムでシュタイナー自ら設計した建築物)によって印象づけられましたが、シュタイナーは哲学者であり、教育家であり、シュタイナー教育創立者として日本でもよく知られる存在になりました。その時の自分は彫塑的な建築物を図版で見るだけで、これといったシュタイナー理論を読むことはありませんでした。シュタイナーの生涯の中で重要な意味を持つ人智学という今まで聞いたことのない学問を知ろうと思ったのはつい最近のことです。ヨーゼフ・ボイスに関する書籍を読んだことが契機になりました。本書の目次に霊学というこれも聞きなれない学問があります。シュタイナー自身が著したものを読む前に解説書から入ろうと思ったのは、今まで自分が学んでこなかった学問に対する畏れがあるためです。これで興味が湧けばシュタイナーの著作を読もうと思います。まずは概観を掴むところから始めます。通勤の友は相変わらずドイツ系の哲学者です。

「悲劇の誕生」読後感

「悲劇の誕生」(ニーチェ著 秋山英夫訳 岩波書店)を全て読んだところで、ニーチェとはどんな人物だったのか、ニーチェにとって哲学とは何だったのかと知りたいと思うようになりました。「悲劇の誕生」は体系的な学問と言うより、むしろ散文を読んでいるような感覚を持つのは私だけでしょうか。自由記述的で魅力的な言い回しは、天性なのか、敢えて豊富な知識の中から掻い摘んで個性的な表現をしているのか定かでないところが散見されます。面白さで言ったらこれほど面白い哲学的読み物はないと思います。これが学問としての文献学的体裁を作っているものではないと、他書からの情報にありましたが、自分も同じ感想を持ちました。ただ、全てがニーチェ流解釈で進んでいく本書は比類ないものであることは疑う余地はありません。本書が出版された当時、学者達からは黙殺され、また相当な批判を浴びたことは自分も頷けるようになりました。ただ、ニーチェの問題提起力は物凄いパワーがあって自分も惹きこまれてしまいました。今流行りの暴露本のようにも思えてきます。これが24歳の処女作であれば、晩年の「ツラトゥストラはかく語りき」はどんな内容なのか、これもいずれ読んでみたいと思っています。ニーチェは継続して読むことは避けようと思います。放射するパワーを自分の中で一旦保留して仕切り直しをしたいと思います。

11‘RECORD4月アップ

RECORDはポストカード大の平面作品を一日1点ずつ作っていく文字通りRECORD(記録)の総称です。オリジナル作品の展示発表は、2008年に旧横浜市教育文化センター1階の市民ギャラリーにおいて、1年間分を12枚のパネルにしてお見せしたことがあります。展示準備の作業はなかなか大変でしたが、それからオリジナル作品の発表の機会に恵まれず、以後はカメラマンが1点ずつまとめて撮影し、デジタル画像としてホームページにアップしているのです。オリジナル作品は2ヶ月分をまとめて保存用ケースに入れて工房の棚に仕舞い込んでいます。ケース毎に乾燥材を入れているので、乾燥材を交換する時に過去の作品を確認しています。〇年〇月〇日制作の作品が見たいと思っても探すのに手間がかかります。デジタル画像がホームページで見られるのは大変便利で、言うなれば24時間ウェヴギャラリーで発表していることになります。今回2011年の4月に制作したRECORDをホームページにアップしました。ご高覧頂ければ幸いです。なお、ホームページにはこのNOTEの左上にある本サイトをクリックしていただければ入れます。

週末 制作&焼成サイクル始動

今日は制作三昧の一日でした。昨日の制作サイクルの遅れがあって、何とか挽回しようと頑張りました。今年初めての窯入れを先週行い、上手く焼成できていたので安心しました。それならば今までの制作サイクルに焼成サイクルを合致させて、土練から焼成までの全工程を一連の流れに組み込もうと思います。問題は窯入れをしてしまうと電力の関係で、焼成中は照明その他の電気が使えなくなることです。日曜日の夜に窯入れをすると、次の窯入れは水曜日になり、結局ウィークディは工房での作業は出来ません。今までは二束の草鞋生活の利点を生かした工程でしたが、昨年と今年は陶彫部品の制作量が違っているので、これで間に合うかどうか心配になります。でも、全工程が流れるようにサイクル化しようとすると、これが最善というしかありません。昨年や一昨年のようなやり直しがなければ、部品数が多くても何とかなりそうですが、創作活動である以上何があるかわかりません。その時はその時で無理して対処するだろうことはわかっています。そこに爆発するような意欲や緊張が生まれることも事実です。今のうちはともかく計画通りに進めていき、作品全体の視点は予感の中に仕舞い込んでおこうと思っています。

週末は結婚式参列

今日は職場の若い男性が結婚式を挙げ、職場を代表して数人で挙式に参列しました。川崎駅前のモダンなイタリア料理店で披露宴があり、楽しいひと時を堪能しました。人と人の縁は偶然もあって不思議なものだと感じました。職場には若い世代の人たちが増え、久しぶりに喜ばしい席に招かれたことを嬉しく思います。最近は挙式をせず、入籍を済ませるだけの人が増えていますが、自分は周囲に認めてもらうために挙式はした方がいいと思っています。結婚式は自分たちのためでなく周囲の人たちのためにするんだと、自分の結婚式の際に言ってくれた人がいました。その通りだと思っています。私は今日の予定を結婚式の他に制作も入れていましたが、夕方自宅に帰ってくると、些か疲れて工房に行くのが億劫になりました。それでも夜になって工房に行って2時間ほど制作をしてきました。明日は朝から制作三昧を決め込んでいます。

悲劇の誕生から死、そして再生

「悲劇の誕生から死、そして再生」という表題を掲げましたが、現在読んでいる「悲劇の誕生」(ニーチェ著 秋山英夫訳 岩波書店)にこんな文章があります。「ギリシャ悲劇の発生史は、ギリシャ人の悲劇的芸術作品が実際に音楽の精髄から生まれ出たことを、はっきりわれわれに語っているのである。またそう考え始めて、合唱団の根源の意味、まことに驚嘆すべきその意味も正しくつかめたことになると、われわれは思うのである。」という箇所は悲劇の誕生を要約しています。続く文章でソクラテスの芸術に対する対蹠的関係があって悲劇が死を迎える箇所を描いています。「われわれが当面する問題は、その対抗作用によって悲劇を滅ぼしたあの力が、いつの時代でも、悲劇ならびに悲劇的世界観が芸術的にふたたびめざめることを防げるほどの強さを持っているかどうかということだ。古代の悲劇は、知識ならびに科学の楽天主義に対する弁証法的衝動によって、その軌道から押し出されてしまったのであるが、われわれはこの事実から、理論的世界観と悲劇的世界観が永遠に戦うものであるという結論を引き出すことができよう。」さらにその先に続く文章では芸術の再生となるドイツ音楽や哲学について書かれています。「ドイツ音楽こそ、あらゆるわれわれの文化のただ中で、唯一に純粋清浄な、しかも浄化するはたらきをもった火の精だからだ。~略~われわれがこんにち文化・教養・文明と呼ぶすべてのものは、いつかこの誤ることのない審判者ディオニュソスの前に立たねばならないだろう。~略~同じ源泉から流れ出たドイツ哲学の精神に、どういうことができたかを思い出してみよう。科学的ソクラテス主義の満足した存在のよろこびを、カントとショーペンハウアーはその限界を指摘することで否定したのである。またこの指摘によって、われわれがまさに概念的に把握されたディオニュソス的知恵と呼びうるような見方、倫理的問題や芸術に対する無限に深く無限にまじめな見方がみちびき入れられたのである。」ギリシャ文化からドイツに飛躍して、ドイツ音楽の優越性を表明している箇所です。思想史として見れば甚だ偏った見方とも言えますが、問題提示の大家であったニーチェをよく表しているところでもあります。

鑑賞についての覚書

洋の東西を問わず優れた芸術品を集めた展覧会は、マスコミの情報もあって大変な人気となり、入場制限がかけられる時があります。20代から美術に関わっている者としては嬉しい限りです。鑑賞されている方々から漏れた言葉を聞いていると、かなり専門的な知識がある人もいて驚かされますが、小さな子どもに説明している親御さんの語りかけには微笑ましさがあります。若い男女が、学校の美術の授業で習った絵だと呟いていたのを聞いて、学校教育の重要さを思わずにはいられません。自分にとって美術鑑賞とは創作への糧であり、散策を楽しむ機会です。さらに言えば創作活動には思索と実践があって、鑑賞が思索の窓口になり、それが制作という実践に繋がります。自分にとって鑑賞と読書は思索の肥しとして大切なものなのです。作品を鑑賞し、そこで何かを感じ取る、難解なものであれば背後にある哲学を捉え、作品の意図するところを考察する、そんな鑑賞の方法を自分に課しています。歴史で認められた比較的平易なものであれば、その表現の深さを味わい、現在進行中の美術の価値観を問うものであれば、その論拠としているものを知る、時に書籍を参考にする場合もあります。そんな思いをもって自分は画廊や美術館に出かけています。

ギリシャ悲劇の起源

「ギリシャ悲劇の起源という問題は、まことに迷路と呼ばざるをえないほど複雑怪奇をきわめている。」「悲劇が悲劇の合唱団から発生したものであること、もともと悲劇は合唱団にすぎなかった~略~」「ギリシャ人はこの合唱団のために、架空の自然状態をあらわす吊り桟敷を設け、その上にこれまた架空の自然の生きものを置いた。悲劇はこういう基礎の上に生いたったものであり、それだけの理由からでもすでに始めから、現実といちいち対照するわずらわしさをまぬかれていることはいうまでもない。」「どんなにかすかな苦悩にも、どんなに重い苦悩にも無類の感受性を持っていた深遠なギリシャ人、その切れるようなまなざしで、いわゆる世界史の恐ろしい破壊活動と自然の残虐性のただ中に目をそそいで、仏陀的な意志の否定にあこがれる危険にさらされていたギリシャ人は、その合唱団によって慰めを得たのである。彼らを救ったのは芸術だ。そして芸術によって自分のために彼らを救ったのは…生なのだ。」現在読んでいる「悲劇の誕生」(ニーチェ著 秋山英夫訳 岩波書店)で、気に留めた箇所を羅列しましたが、続くソフォクレスやアイスキュロス、エウリピデス、ソクラテス等々が悲劇芸術を主題として取り巻いていく本書前半は、一筋縄ではいかない読解を求められつつ、ニーチェの独断的とも思える破天荒な面白さに時が経つのを忘れます。いったいニーチェとはいかなる人物なのか、興味は尽きません。

アポロン的夢幻とディオニュソス的陶酔

「悲劇の誕生」(ニーチェ著 秋山英夫訳 岩波書店)の巻頭で古代ギリシャから借用し、芸術の発展を分析するにあたって、ニーチェはアポロン的夢幻とディオニュソス的陶酔という2分化を提唱しています。文中の言葉を引用すれば、アポロン的夢幻とは「われわれはすべて夢の中を生みだすことにかけては完全な芸術家といえるが、この夢の世界の美しい仮象が、あらゆる造形美術の前提であり、それどころか、のちに見るように、文学の重要な一半である演劇の前提でもある。」それに対しディオニュソス的陶酔とは「ディオニュソス的なものは陶酔の類推によって、われわれにきわめて身近なものとなる。原始的な人間や民族のすべてが賛歌のなかで語っている麻酔的飲料の影響によって、あるいは全自然を歓喜でみたす力強い春の訪れに際して、あのディオニュソス的興奮は目ざめる。」とあります。言わばコスモスとカオスであるアポロン的とディオニュソス的と称する相対定義は、かつて読んだO・シュペングラー著「西洋の没落」に頻繁に出てくるアポロン的魂とファウスト的魂の基盤になった定義であろうと思われます。シュペングラーはニーチェからの影響があり、文化・文明史もこうした相対定義で論じられると図り、さらに東方的なマギ的魂を付け加えています。アポロン的とディオニュソス的分析を自分は大変興味深く感じていて、芸術を考えていく上で、この定義に従った思考を自分の中に留めたいと思っています。甚だ西欧的な論証ですが、自分の教育基盤がここにあるので、自分としては分かりやすい捉えが出来るのです。この双方が綿密に絡み合って芸術が培われていく過程に思いを馳せているところです。

11月RECORDは「脚」

一日1点ずつ作品を作っていくRECORDは、文字通りRECORD「記録」していくものですが、葉書大の小さな平面作品とは言え、時間的な面でも気持ちの面でも制作に対し厳しい時が結構あります。それでも曲りなりに苦慮して続けてきました。成長と後退、緊張と緩慢を繰り返し、自分としては上昇する螺旋のように作品が深まっていくことを期待したいのですが、果たしてどうなのか見当がつきません。それでも継続の意思は固いので、今月も既にやっているところです。今月のテーマを「脚」にしました。大地に立つための生命体の脚、または構築物を支えるための脚。今月もイメージを捻り出していこうと思います。

週末 窯入れ開始

今日は日曜日なのに職場関係の公式な出張がありました。午後の出張であったため、午前中は工房に行って制作を行いました。午前中は成形を主に行い、午後の出張から帰った夕方に、乾燥した陶彫部品にヤスリをかけて細部を整理し、化粧掛けを施しました。およそ1年ぶりの仕上げ作業でした。化粧土や道具等の確認をしながら作業したので、1週間2回の窯入れをしていく焼成サイクルに乗せられず、とりあえず最初の1点目だけに留めました。水曜日に窯出しをする予定ですが、窯も1年ぶりなので、焼成具合がどうなるのか一抹の不安もあります。途中で停電にならないのを祈るばかりです。この最終工程である焼成をして、初めて陶彫と呼べる立体作品になります。焼成は自分の手の届かない工程なので、面白さ半分、辛さ半分といったところでしょうか。制作サイクルに窯入れを含む仕上げ作業を入れるのは、時間的に厳しいとは思いますが、実際に仕上げ作業を始めてみると、この焼成があってこそ自分が極める世界になりうるのだということを改めて思い返します。いよいよ始まった窯入れですが、慣れているようで慣れていない最終工程に心の昂ぶりを覚えます。

週末 仕上げの時間の確保

今日は朝から夕方まで工房に篭って制作していました。土練、タタラ、成形、彫り込み加飾を繰り返す制作サイクルの中で、いつから仕上げ工程である化粧掛けや窯入れに入るかを考えながら制作を進めていました。問題は時間の確保です。乾燥した陶彫にヤスリをかけて整ったカタチに仕上げて、そこに化粧掛けを行うためには、まとまった時間が必要です。そろそろ窯入れをやっていかなければなりません。陶彫は窯で焼成して、ようやく完成するからです。今のままでは新作は何一つ出来上がっていないことになります。陶彫は焼成トラブルも考えられるので、早めに焼成をしたいと思っています。焼成には3日間ほど要するので、ウィークディが相応しいのです。月曜日に窯入れして水曜日に出し、そのまま次の作品を窯入れして、金曜日に出すというのが、いわば焼成サイクルです。二束の草鞋生活のため、ウィークディは工房に行けないので窯に任せておくということを昨年もやっていました。昼間、別の仕事に埋没していた方が窯の中が気にならなくてすむのです。現行の制作サイクルに焼成サイクルを組み入れるのは時間的に困難です。制作サイクルを見直さねばならず、日曜日の午後を仕上げ工程にして、その夜に窯に入れておこうと決めました。2日間の制作サイクルを半日削って仕上げ工程を行なくてはならず、かなり厳しい状況になりますが、これは仕方ありません。明日から実行したいと思います。

「悲劇の誕生」を読み始める

「悲劇の誕生」(ニーチェ著 秋山英夫訳 岩波書店)を読み始めました。哲学者フリードリッヒ・ニーチェは1844年にライプティヒ近郊の村に生まれました。当時はドイツという国ではなくプロイセン王国でした。大学で古典文献学を修めたニーチェは、若くしてバーゼル大学の教授に迎えられますが、24歳で上梓した「悲劇の誕生」が波紋を呼びます。これは古典文献手法を用いず、主観的で学問としての厳密さを欠いているとして当時は散々酷評されたようです。これを読み始めて思ったことは「悲劇の誕生」を書く契機となったショーペンハウワーによる「意志と表象としての世界」をまず読まなければならないと感じたことです。「悲劇の誕生」は、たとえばボイスだったりシュペングラーだったり、他書からの引用があって読み始めましたが、この世界にどんどん深入りしてしまいそうな自分を発見し、ニーチェが「生の無垢」を求めるために「永遠回帰」の思想に到達する過程に、とことん自分は付き合ってしまうかもしれないと感じてしまいました。ニーチェと音楽家リヒャルト・ワーグナーの親密な関係はよく知られていますが、ワーグナーがバイロイト祝祭劇場を立ち上げ、「ニーベルングの指環」を上演すると、ニーチェはそのワーグナーを取り巻くブルジョア社会の卑俗さに失望し、上演途中で退席したようです。その後、ワーグナーと袂を分かつようになります。そんなニーチェが55年の生涯を賭け、常に更新し続けた思想に浸れば浸るほど、哲学的思惟に強からぬ自分は翻弄されるだろうことはよくわかっています。それでもニーチェに暫し付き合おうと決めました。今回の通勤の友は若干手強いかなぁと思っています。

「ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命」読後感

「ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命」(水戸芸術館現代美術センター編 フィルムアート社)を読み終えました。ヨーゼフ・ボイス関連の3冊の書籍を読んで、自分も一応ボイスの目指していた「社会彫刻」や「拡張された芸術概念」等について知ることが出来ました。社会を芸術によって変革しようとする試みの理想とするところはよくわかります。それはひとり一人の心の問題としている考え方もわかります。でも自分はミヒャエル・エンデとの対談による考え方の相違に注目しました。「ふたりの相違は『芸術』概念にも顕著である。ボイスが『芸術』概念は人間の営み全般に拡張できると語るのに対して、エンデはあくまで特定の形式をもった『芸術』に固執する。~略~エンデの『芸術』概念は、ボイスのそれに比較すれば一見旧弊である。しかし、伝統的な『芸術』概念を一蹴し、誰もが社会形成に向かうべきだとするボイスの主張は、エンデにはおそらく高圧的に聞こえたであろう。エンデは『なんでも共通分母にそろえたがる』『ドイツ的傾向』を批判しつつ、遠まわしにボイスの主張を非難する。あらゆる人を同じ目標に向かわせる権利など、誰にもない。」自分はエンデの主張に同意します。ボイスの功績の大きさを認めつつ、3冊の書籍から浮かび上がるボイスの思想には、前書籍にあったようなヴァーグナーやヒトラーに比較し得るような体質があるように思えます。これをドイツ的と言い切っていいものかどうかわかりませんが、カリスマであったことだけは間違いなさそうです。次なる通勤の友はニーチェにします。

新しいLandscape&RecordをHPにアップ

このNOTE(ブログ)を含むホームページは、自分にとって造形作品を発信する上で重要なアイテムです。24時間ウェブギャラリーを公開しているので、端末機があればどこでもいつでも見ることが出来ます。ホームページでは野外に立体作品を置いて撮影したLandscape(風景)があって、陶彫による「球体都市」を数点アップしています。そこに新しく「陶紋」を加えました。不思議な空気の中に存在する作品は、表面に施した紋様が画像処理によって強調されています。これは自分のアナログ作品を媒体にしたカメラマンの手によるデジタル作品と呼びたい世界です。作品は出来上がった時点から作者の手を離れ、自らを主張し始めますが、まさにカメラマンの手に委ねられた主張が、完成時とは違う世界を構築していて、自分がハッとさせられる瞬間があります。Landscapeはさまざまな可能性を秘めていると思っているので、今後もどんどん展開していきたい世界です。ホームページには風景があれば記録もあります。Record(記録)は一日1点ずつ作っていく小さな平面作品で、毎年毎月テーマを決めてやっています。ホームページに今回2011年3月分をアップしました。新しくアップしたLandscape&Recordをご覧いただければ幸いです。ホームページには左上にある本サイトをクリックしていただければ入れます。よろしくお願いいたします。

ボイスとウォーホル

アンディ・ウォーホルは米国が生んだポップアートのスターで、量産という概念をアートに持ち込んだ芸術家です。「ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命」(水戸芸術館現代美術センター編 フィルムアート社)を読んでいて、ボイスとウォーホルが比較されている箇所があります。別の筆者によるマルセル・デュシャンとの関係もあって、ボイスの位置づけに興味が湧いてきます。「ネオ・ダダやフルクサスが、『レディメイド』作品などによって既成の芸術概念を解体することに力を入れたマルセル・デュシャンの影響を強く受け、『反芸術』路線に拘る傾向があったのに対し、ボイス自身はしだいにデュシャン的なものから距離を取り、ルドルフ・シュタイナーの人智学や、シラーの美的教育論、ノヴァーリスのロマン主義的・魔術的世界観などの影響を背景に、むしろ、人間の内にある創造性を発展させる芸術の社会的役割を強調し、『芸術』概念を拡張するという考え方を追求するようになった。」(仲正昌樹著)「ボイスとウォーホルは、戦後美術を語る時にしばしば対比的に語られる。アメリカの消費社会の表層をひたすら反復しつづけたウォーホルと、ゲルマン的な神話の起源をどこまでも遡行してみせるボイスの作品は、一見すると対極的に感じられるのも無理はない。~略~なによりも異なるのは、ウォーホルが商業や欲望、消費といった領域を核としながら、人間主体よりも機械に傾倒していたのに対し、ボイスは労働や意志、生産という概念に基礎をおき、マルクスのように歴史の主体としての『プロレタリア』と、自らの『ボヘミアン』としての立場を重ね合わせようとしていた点である。」(毛利嘉孝著)ボイスとウォーホルは面識はあったようですが、生前お互いの関係を作る機会はなく、現代美術界の2大巨匠として君臨しています。

三連休 細切れの制作時間

三連休最終日です。この三連休は職場の親睦旅行があったり、美大の芸祭に出かけたりして制作時間がまとまって取れませんでした。今日も細切れの制作時間になりましたが、思いのほか制作は進みました。思えば二束の草鞋生活は、長い制作時間が取れないことを前提にスタートしたので、細切れであっても気持ちの転換は慣れているのです。朝7時から9時まで2時間工房にいて、自宅に朝食をとりに戻り、10時から12時まで2時間制作。午後は自宅でちょっと休んで12時過ぎから3時過ぎまで3時間制作。家内と買い物に行って、夕食を済ませ、夜は6時から8時まで制作。工房に4回出入りして制作時間はトータルで9時間でした。おまけに陶彫は陶土が乾くまで放置する時間が必要なため、今日の4回の出入りはちょうど良かったのではないかと思いました。これで何とか制作サイクルに工程を乗せることができました。手のひらが多少ガサガサになっています。これから寒くなるとますます手のひらに負担がかかります。ウィークディの夜にも制作したいと思いつつ、すっかり日が落ちた道を自宅に帰ってきました。

芸祭訪問&制作の一日

知り合いにウィークディは国家公務員として衆議院会館に勤めていて、美大の夜間部に通う子がいます。彼女は高校卒業と共に大変な競争率を勝ち抜いて国家公務員になりました。夢を諦められなかった彼女は、理解ある上司の元で勤務の振り替えをしてもらって、一昨年の週末は美大を受験するために相原工房に通っていました。現在は美大油画科2年生。今日は芸祭(学園祭)があって、学内コンクールに初出品と聞いて、さっそく東京の上野毛まで足を運びました。実際に会ってみると彼女はデッサンや色彩のことで悩んでいました。自分自身と向かい合い、これからの方向を探り、未だ成功感がないと言っていたけれど、今はそれでいいのではないかと助言しました。自己表現という長い道のりを歩みだしたばかり、おまけに自分と同じ二束の草鞋、そんな頑張り屋さんに拍手を送りたいと思いました。自分もこうしてはいられないと思い立ち、午後は工房に篭って制作をしました。初めに決めていた制作サイクルが遅れ気味なので、明日にかけて頑張りたいと思います。

箱根彫刻の森での「洪易」展

昨日の勤務時間終了時間から、職場全体で親睦を兼ねた一泊旅行をしてきました。箱根湯本で泊まり、今日は彫刻の森美術館で散策を楽しみました。ちょうど台湾の造形作家「洪易(ホンイ)」の個展を開催中で、自分は機会があれば見に来るつもりだったので好都合でした。洪易はまだ若い世代の作家です。動物を抽象化したカラフルでユーモラスなオブジェを作る作家ですが、その質量ともに大変なもので、エネルギッシュな創作活動に感動しました。磨き上げられた曲面に施した色彩豊かな文様は、サブカルチャー的で、しかもアジア的で、生命感溢れる幻想世界が広がっていました。室内では中央に舞台を作り、夥しいオブジェ群が鑑賞者を迎えてくれました。その明るさ、面白さは筆舌に尽くしたいほどです。壁面も巨大な平面作品がありました。洪易の名から易しく(理解しやすい)洪水のようにやってくる世界を思いつきました。楽しい一日を過ごせたことを感謝したいと思います。今日は三連休の初日ですが、疲労のため工房には行けず、制作は明日以降に持ち越します。

11月から焼成開始

11月になりました。少し前から自分はネクタイを着用して出勤しています。画家石田徹也の世界からすれば、自分もネクタイをした窮屈そうなサラリーマンよろしく毎朝決まった勤務に縛られている日常を生きています。それでも実際の職場では、さまざまなことが起こり、アクティヴに関わる事態もあり、無味乾燥な日常では決してありません。これだけで充分と思う人もいるでしょうが、自分には創作活動があり、週末はまるで別人になって制作サイクルの中で奮闘しています。今月は先月よりどのくらい制作を進められるのか、あまりにも多い新作の陶彫部品を作ることに焦りも出てきました。「発掘~増殖~」の成形乾燥が、いい具合になっているので、今月から化粧掛けや仕上げを行い、窯入れをしていきます。いよいよ焼成開始です。土練、タタラと紐、成形、彫り込み加飾、仕上げという制作サイクルに、化粧掛け、焼成が加わります。焼成はウィークディの夜に行う予定です。今月も頑張ろうと思います。

「モローとルオー」展の雑感

先日、東京汐留ミュージアムで開催中の「モローとルオー」の展覧会に行ってきました。フランスの画家ギュスターヴ・モローは、自分がオーストリアにいた頃に知った画家でした。もうかれこれ30年前になりますが、私は80年から85年までウィーンの美術アカデミーに在学していました。ウィーン幻想派と呼ばれる画家が活躍していた時代で、その幻想派の描く世界とモローの世界が類似していたことがあって、初めは親近感をもちましたが、煌めく装飾性に西欧のキリスト教文化や神話を見て取って、自分の体質と違うものを感じていました。モローは19世紀末に活躍した画家です。当時流行っていた印象派とは異なる世界観をもっていました。パリの国立美術学校の教壇に立っていた時に、弟子となるジョルジュ・ルオーと出会い、関係を深めていきます。ルオーは20世紀を代表する宗教画家になりましたが、モローの精神を受け継ぎました。モローに師事していた頃の初期の絵画から、ルオーは主題に対する生真面目な姿勢を貫いていたことは、今回の展覧会で知ることができました。そうした宗教と絵画に対する敬虔な気持ちが絵画の精神性を高め、ルオー独特の朴訥な中に深遠なる雰囲気を漂わす世界が出来上がってきたのだろうと自分は考えています。

「ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命」を読み始める

「ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命」(水戸芸術館現代美術センター編 フィルムアート社)を読み始めました。本書は2009年に水戸芸術館現代美術センターで企画された展覧会の図録で、先日書店で購入したものです。購入した理由は本書の中に「ヨーゼフ・ボイス関連用語集」が収められていたからです。参考資料として50音順で並べられたボイスを巡る概念は、ボイス理解に大変役に立ちます。本書の主たるところでは、さまざまな分野で活躍する人がボイスとの関わりを述べています。そうした多角的な視点からボイスを浮かび上がらせることが本書のねらいであり、水戸芸術館現代美術センターで開催された展覧会を思い起こさせるものと思います。自分は同展も西武美術館で行ったアクションも見ていなかったので、本書に頼ってボイスの活動に思いを馳せるしかありません。加えて自分が今後読みたい書籍にニーチェとシュタイナーがあります。ボイスから端を発し、それら思想体系に触れてみたいと思っています。ボイス理解のために読むのではなく、ボイスから離れて、自分の思索上の興味関心から読もうと思っています。また、通勤の友が出来たので楽しみたいと思います。

「ボイスから始まる」読後感

「ボイスから始まる」(菅原教夫著 五柳書院)を読み終えました。ヨーゼフ・ボイスの生涯に亘る活動を要領よくまとめられている本書は、自分にとってボイスというカリスマを知る良い契機となりました。遅ればせながら自分もボイスの存在の大きさをようやく認識しました。「美術家として出発したボイスは、やがて社会彫刻の名の下に社会の改革を唱えるようになった。けれどもそれ以前の制作から、彼にはシュナイダーの霊学に根ざしたメシアの思想が兆していた。僕にはボイスのような巨人の思想をひとつにまとめる意図はさらさらない。むしろそれぞれを開放状態にしておきたい。けれども、ボイスは社会改革のなかにメシア思想を見、メシア思想のなかに社会改革を見ていたとだけは言っておきたい。二つはボイスという人間の、それぞれ心臓であり、肺なのであり、いずれが欠けてもボイスという統一体は存在しえないはずだ。」「社会彫刻を実践するうえで、ボイスは狭い意味での芸術を投げ捨てた。そして『全ての人間は芸術家である』という意味での芸術、すなわち『拡張された芸術概念』を唱えた。けれども、彼は芸術固有の直感、本能の働きこそが、理性主義の世界の陥穽を脱し、人間性を高めるうえで最高の武器となることを他方で強調した。『芸術』の放棄と『芸術』への固執ー。ここには矛盾ではなくして、二つの意味が働く場の違いを見るべきである。」以上2つの引用は、ボイスのボイスたる所以をまとめた箇所です。自分にとって今ひとつしっくりしないのは、ボイスが影響を受けたシュタイナーやニーチェの思想を自分自身よく知らないことです。近いうちにこうした思想をも読み込んでいきたいと考えています。まだ、ヨーゼフ・ボイスに関わり続けていこうと思っています。次の読書もボイス関連の書籍を選びました。

振幅の大きい存在

今読んでいる「ボイスから始まる」(菅原教夫著 五柳書院)には興味が惹きつけられる箇所がたくさんあります。抜粋すると「ヒトラーとボイスには確かに似ている面がある。前者は第一次大戦がもたらしたドイツの荒廃から現れ、後者は第二次大戦の焦土から立ち上がり、社会を導こうとした。その意味で、いずれもがドイツのカリスマであり、ドイツは常にカリスマを求めてやまない国家である。現代美術がやらなければならないのは、むしろこうしたカリスマへの盲目的信仰に対する批判でなければならないのに、といったボイスに対する批判もそこから出てくるのだが、しかし二人の間には決定的な違いがある。すなわちヒトラーは社会を〈冷やす〉邪悪な父であり、反対にボイスはこれを〈温める〉優しい父である。」「ボイスが主張する社会は、自由で民主的な社会主義の国である。それは西側の資本主義とも、東側の社会主義とも異なり、むしろその間に第三の道を求めていく点で、社会民主主義の理念に近いと言えたかもしれない。」「文化の土台を形作る宗教がキリスト教か、それとも仏教かの問題は、シュタイナーを通じて人智学を知り、宗派を超えた霊性の復活こそを最重要視するボイスには、何の障害にもならなかった。彼はとにかく西洋の文明が物事の分析に終始してきたと批判する。」以上3つの文章を書き出しましたが、いずれもヨーゼフ・ボイスの存在感の大きさを示すもので、一貫性のある内容ではありません。むしろ一貫性をもって語れないところがボイスだなぁと思います。それほどボイスの活動が多義に亘っていた証拠で、極めて振幅が大きい存在に対し、どういう捉え方をしたらいいのか考えているところです。こんな文章もありました。「ボイスを書くことの難しさというか、とまどいは、一つのテーマに絞って書こうとしても、関連するテーマがどんどん芽吹いて枝分かれし、その引力に引っ張られて叙述がさまざまな方向に向かい、全体が混沌としてくることだ。それだけボイスの世界は網目状に方々に通じているということだろう。」

週末の展覧会巡り Ⅱ

今日も昨日に続き、美術館に出かけました。今日は朝5時に起床、家内と自家用車で一路栃木県へ向かいました。目指したのは足利市立美術館で開催中の「石田徹也展-ノート、夢のしるし」。31歳で夭折した画家石田徹也は、画集を通して知っていました。オリジナルの作品に触れるのは今回が初めてでした。親近感を抱いたのは自分と同じ大学を出ていたためでしたが、彼は卒業後10年もしないうちに踏切事故で亡くなったのでした。描いた世界は日常の中に潜む不条理を伴ったトラウマとも社会的抑圧とも取れるものです。一度見たら忘れられなくなる世界です。詳しい感想は別の機会を持ちますが、絵画のインパクトの強さに自分が吸い取られていくのを感じました。足利市街には朝8時頃到着したので、足利市立美術館が開くまでの間、足利学校を見て回りました。泉水庭園が美しく、また再現された昔を物語る建造物の中で、ゆったりした時間を過ごしました。その後、美術館で2時間ほど過ごし、帰りがけに栗田美術館にも立ち寄りました。伊万里や鍋島の秀作を並べた美術館でしたが、その敷地の広大さに驚きました。木立のある庭園が美しく、ここでもゆったりと過ごすことができました。今日は充実した一日を足利で過ごし、夕方になって横浜に帰ってきました。台風一過で天候に恵まれ、また久しぶりのドライブで満足しました。

週末の展覧会巡り

今週末は2日間とも展覧会を巡ります。秋は見たい展覧会が目白押しなので、制作を中断して出かける予定を立てました。今日は東京汐留ミュージアムで開催中の「モローとルオー」展、それから工房に出入りしている美大生の個展に行ってきました。制作も休むわけにはいかないので、朝7時から10時半まで集中して制作しました。陶彫部品を数多く作らなければならない状況はよくわかっているくせに、展覧会に行く予定を入れてしまうのは、どういうわけか自分でもよくわかりませんが、敢えて苦しい状況を作って自分を追い込んでいるのかもしれません。余裕のある中で緊張感に溢れた作品は出来ないと思っているところが自分にはあるのです。汐留ミュージアムは企画が良いので、企業が経営する美術館としてはよく出かける美術館のひとつです。「モローとルオー」展も楽しく見ました。ギュスターヴ・モローとジョルジュ・ルオーは師弟関係にあって、ともに影響し合いながら生きた象徴主義の画家です。詳しい感想は機会を改めますが、色彩豊かな画面に魅了されました。それから浅草橋に向かい、同地の倉庫ギャラリーで個展を開催している美大生に会って来ました。工芸工業デザイン学科でテキスタイルを学んでいる彼女は、板染めという技法を駆使して、滲みが生んだ不思議で美しい世界を作り上げていました。20歳そこそこの若さで完成度の高い作品を創りあげた実力に驚きました。これからの展開が楽しみです。明日は栃木県に行って、待望の展覧会を見てくる予定です。

地を這うカタチ「発掘~増殖~」

地を這うカタチとして制作を続けている新作に「発掘~増殖~」という題名をつけました。無限に広がっていく植物的な生命体が脳裏にあって、当初は画廊空間全体に蔓延らせるイメージがありました。大地を這うように広がるのは無計画な都市形態にも通じて、その動きを強調するため曲面を用いた有機形態にしました。無限に増殖して大地を蝕んでいくような動的な雰囲気を鑑賞者側が感じ取ってくれれば「発掘~増殖~」の意図が伝わったことになります。どこまでも広がっていく作品を陶彫で作るためには連結した集合体で表さざるをえません。これは私の常套手段で複数部品を繋げて広げていきます。前作でも都市とも昆虫ともつかないカタチを作り、そのカタチを木彫で作った疑似大地に埋没させました。かつて繁栄を極めた都市国家が没落し、遺構として現存している風景がイメージの基盤にあるので、自分は黒褐色になる陶彫に出土品のような素材感が漂うのを楽しんでいます。この陶彫を用いて、さらに様々な展開が可能と考えているところです。

ボイスを巡る理論

「ボイスから始まる」(菅原教夫著 五柳書院)を読んで最初に出会うのは第二次大戦中のユダヤ人大量殺戮で、戦後ドイツ人芸術家が負った宿命の記述です。「想像されるのは、ボイスにとってドイツが背負うホロコーストの罪は余りにも重く、これをどう贖い、傷をいかに癒すかに苦慮し続けたことだ。」と要約された文章にある通り、第一章「アウシュヴィッツは描けない」の中で、ボイスの表現活動においてホロコーストの観点を拭えないことが、アメリカの批評家から指摘されている箇所があります。次の章では抜粋にやや飛躍がありますが、「『ドイツ的』なヨーゼフ・ボイスは、このワーグナー、ニーチェの栄光の流れに位置しようとするだろう。この点においても、自らをワーグナーに似ているとする指摘はボイスにとって悪くはないのである。となれば、彼を余りに『ドイツ的』とするフルクサスやアメリカの批評との対立は、古代ギリシャ対古代アレキサンドリア・ローマの構図、現代風に置き換えればドイツ、ヨーロッパ対アメリカのそれにもたとえられるかもしれない。」とあります。これはどういうことかと言えば、ニーチェによって提唱された「芸術の発展はアポロン的とディオニュソス的なものの二重性」という定義があり、簡単に言えば表象や視覚芸術(アポロン的)と陶酔や音楽(ディオニュソス的)という相反する二重性が芸術には欠かせないとしているのです。その二重性を総合したのが音楽家ワーグナーであり、ボイスも造形美術分野で、その使用する物質が変化したり流動したりするため、ワーグナーと同じ世界観をもつのではないかと論じています。それを総じて「ドイツ的」と言っていて、古代ギリシャに通じる概念であり、古代ギリシャの対抗として古代アレキサンドリア・ローマの概念を持ち出しています。ボイスを巡る理論では、哲学としての史観をもって文化発祥まで遡らないと捉えられない壮大なスケールになってしまいます。ニーチェの視点は、以前読んだシュペングラーにも通じていて、自分の関心も高く、楽しみながら読んでいるところです。

写真集「証言と遺言」

先日、横浜新聞博物館で開催されていた「福島菊次郎展」に行ってきました。原爆投下後のヒロシマの一家族を被写体にして、当時の凄まじい生活を抉り出した世界は特筆に値します。視覚に訴える報道写真は、インパクトがあって思わず惹きつけられます。紛れもない真実を映し出した時代の証言、これが展覧会を見た第一印象です。展示されている数多い写真はモノクロばかりで、それだけに強烈な表現となっていました。色彩がない方がストレートに伝わるように思えます。展覧会場にはヒロシマの被爆者中村さんの記録の他に、東大闘争やあさま山荘事件や三里塚等の記録が並び、まさに福島菊次郎に与えられたスローガン「一枚の写真が国家を動かすこともある」とは言い得ていると実感しました。表題の写真集に掲載され、また展覧会でも掲示された文章があり、自分の心に沁みた箇所を書き出します。「ある日、日頃無口な中村さんが、『あんたに頼みがある、聞いてくれんか』と畳に両手をついて泣きながら言った。『ピカにやられてこのザマじゃ、口惜しうて死んでも死に切れん、あんた、わしの仇をとってくれんか』。予想もしない言葉に驚き『どうして仇をとればいいのですか』と聞いた。『わしの写真を撮って皆に見てもろうてくれ。ピカに遭うた者がどんなに苦しんでいるか分かってもろうたら成仏できる。頼みます』と僕の手を握った。『分かりました』と答えた。しかしこの家に写真を撮りにきてもう1年も過ぎたのに、極貧の生活にどうしてもカメラが向けられなかった僕は『本当に写してもいいのですか』と聞き返した。『遠慮はいらん、何でもみんな写して世界中の人に見てもろうてくださいや』その日から僕は中村さんの病苦と一家の極貧生活を憑かれたように写し始めた。日英語版の僕の最初の写真集が出版されたのを見て、中村さんは65歳で亡くなったが、僕は撮影のストレスで精神病院に入院した。プロの写真家になったのは退院後である。」福島菊次郎さんは現在92歳の現役です。