窯入れと窯出し

一週間のうち2回に分けて焼成を行わなければ、「発掘~層塔~」は5月の完成に間に合いません。日曜日の夕方に窯入れし、水曜日に窯出し、窯の中を入れ替えて2回目の焼成を始め、土曜日に窯出しをするサイクルで行っていますが、昨日は職場絡みの夜の会合があって、帰宅が遅くなり、つい夜の工房へ行くのを忘れていました。夜中の12時頃に気づいて、早急に工房に出かけ、窯の中の作品を入れ替えました。ついうっかり窯入れを忘れてしまうと、完成に間に合わなくなる制作工程は、なかなか厳しいものがあると思い知らされました。窯が休む間もなく稼働していることで、窯入れと窯出しに何の祈念も感じなくなっています。今までは炎の神に祈り、焼成の成功を喜びましたが、今はその感慨も次第に薄れてきています。上手く焼成出来て当たり前と考えていると、今にしっぺ返しを食らうことになるのではないかとも思っています。いかなる時も慎重に対処したいと考えるようにしました。焼成があってこその陶彫の醍醐味になるので、日々窯に感謝したいと思います。

イメージを育てる

新たなイメージはどこからやってくるのでしょうか。現在の作品制作が佳境に入った時に、うまくいったり、悩んだりしている状況の中で、ふと湧いてくる現行とはまるで異なるイメージがあります。現行の作品に集中しているにも関わらず、浮気でもするように新たなイメージは心を捉えて離れないのです。以前なら慌てて心のイメージを紙に描き留めていましたが、今はそんなことはしていません。忘れてしまうようなイメージなら、忘れてもいいと考えています。忘れられないイメージは紙に描き留めなくても、しっかり頭の中に刻まれてしまいます。そんなイメージを何度も思い返して、具現化するためにいよいよ動き出すことになります。そんな中でイメージに修正を加えながら頭の中でイメージを育てていきます。ふと湧いたイメージ、どこか天上から降りたつイメージ、それは最終的なカタチではなく、あまりにも漠然としているイメージです。それは何ものなのか、意志を介入せずにやってくるモノとでも言ったらいいのか、哲学的な論拠に従えば、そこから自己意志をもって作品の意図を考え、ギャラリーの具体的な空間を見据え、発表形態を決める作業に移るのです。イメージを育てるのは、そんな過程の中にあって、徐々に明快なカタチに変貌させていくものと考えます。

永遠で根源的な力

「自然や人生から直接に汲み出された純正な作品のみが、自然や人生そのものと同様に、永遠に若く、つねに根源的な力をそなえているのである。なぜなら純正な作品は時代に属しているのではなく、人類に属しているのである。また、それだからこそこれらの作品は、自分自身の時代に迎合することをいさぎよしとせず、時代からは熱っぽい受け取られ方はされないけれど、時代が道を踏み外していることをそのつど間接的に、そして消極的に明らかにしているので、後になって人は不承不承に、その真価を認めざるを得なくなるのである。それでいて、これら純正な作品は古臭くなるということもなく、はるか後の世になってもいぜんとして新鮮で、いくたびもくりかえし人の心に新しく訴えかけるものをもっている。そうなった暁には、もう無視されたり、誤認されたりする危険にはそれ以上さらされないだろう。」という文面に注目しました。「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)第三巻の芸術を論じた箇所です。この芸術論はやがて到来する20世紀の革新的な美術にも通用するものと思いました。ショーペンハウワーが生きた19世紀には、まだピカソもカンディンスキーもクレーも存在せず、シュルレアリスムも抽象もなかった時代でした。それならば現代に生きる自分はどうなのか、前述にある通り自然や人生から直接に汲み出された純正な作品を、自分が作れているのかどうか、現在工房で作っている作品が、永遠で根源的な力が持てるものでありたいと願うばかりです。

夢で見た負の空間

もう一度人生をやり直せるなら、自分はどうなっているのか、こんな夢を幾度となく見ています。やはり彫刻をやっている夢の中の自分がいるので、現在やっている彫刻表現に、自分は満足しているのかもしれません。若い自分は大学で人体塑造をやっています。これも自分が歩み始めた頃と同じです。ただ、違っていたのは最終表現でした。通常、粘土で人体を作った後、石膏取りをします。粘土の上を石膏で覆って雌型を作り、そこに剥離剤を塗って、同じ石膏を流し込み、雌型を割るのです。そうすることで粘土で作った塑造は石膏に置き換えられることになり、粘土よりは保存がきくのです。夢で見た塑造は雌型をそのまま使って、雌型の裏側にある凹んだ人体を、言わば負の空間として作品に生かしていました。厚手の直方体の中に雌型になった凹んだ人体が食い込んでいます。この夢は次作として展開するイメージとは違います。夢は夢のままなのです。自分が現実に目指す世界観とは異なるのです。実際の次作のイメージは夢ではなく、現行の制作途中で何となく湧きあがってきたり、天上から降ってきたりするのが、自分にはよくあってそれが契機になって新たな制作に入っていくのです。夢はもう一度創作人生をやり直すとしたら、別の表現に立ち向かう自分が見えていると考えます。石膏で作った負の人体を、夢の中では鉄にも置き換えています。雌型は熱した鉄を叩いて凹ませています。こんな具体的で疲労を伴う夢があるでしょうか。普段から彫刻にどっぷり浸かっているからこそ見る夢なのでしょうか。時間ができたら、夢の具現化を一度やってみたいとも思います。不思議な心理状態を今日はNOTE(ブログ)に書きました。

自分の原点を探る

今日は母校の卒業制作展に行ってきました。相原工房に出入りしている若いスタッフの一人が、母校の工芸工業デザイン学科にいてテキスタイルを学んでいます。そのスタッフが卒業制作展に渾身の作品を出品しているので、それを見に行くことを目的としていましたが、母校は自分が創作活動をスタートする契機になった場所でもあるのです。それまで受験用のデッサンをやっていたとしても、ほとんどの学生が本来の意味で創作を考え始めるのは専門の大学からと言っても過言ではありません。20代前半だった自分は、彫刻の魅力に取り憑かれて、立体表現を将来続けていくことを誓ったのでした。師匠に恵まれ、環境に恵まれて過ごした4年間は、自分にとって珠玉の時間だったわけで、それがあったればこそ30数年間彫刻を続けられてきたのです。二束の草鞋生活も残すところ僅かとなり、彫刻一本の生活が目の前にきています。そんな中で自分の原点を探り、あの頃の誓いをもう一度確認したかったのです。時代は変わり、学生たちの表現が拡大し、設備も充実して、羨ましく思う反面、この中で何人の学生がアートにずっと携わっていけるのだろうと思っています。若いスタッフのテキスタイルの作品は、当時の私の人体塑造より遥かに優秀で、いつでも世に出せる表現力をもっていました。彼女だけでなく、多くの学生作品に優れた力を感じさせるものがありました。また意欲が空回りしていたり、迷走する作品も見受けられましたが、それは私と同じで、曲がりなりにも継続をすれば何とかなるような作品でした。感慨一入、創作への思いはどこまで続くのか、社会人として生活していても、この4年間で培った思いだけは絶やさずいて欲しいと願う一日でした。

週末 焼成サイクルの充実

「発掘~層塔~」の陶彫部品の成形が4分の1程度出来上がって乾燥させている最中です。ここでウィークディの一週間を焼成に充てていこうと思っています。二束の草鞋生活でウィークディは公務員としての仕事があり、工房に通えないことを利用して、窯で乾燥した作品を焼成する期間にしています。工房の電力の関係があり、窯入れをしてしまうと他の電気が使えなくなってしまうので、好都合なのです。そこで考えた焼成サイクルは一週間に2回の窯入れをすることです。そうすることでずっと窯に作品が入ったままになります。週末の日曜日の午後に2回分の仕上げをして化粧土をかけ、その夜に1回目の窯入れ、水曜日の夜に窯出しをして、作品を入れ換えて、2回目の窯入れ、土曜日に窯出しをして、また日曜日の夜に窯入れをしていくサイクルです。前に考えた制作サイクルは、今後焼成サイクルを基に展開していこうと思っています。今日は朝から工房に篭って、今までの乾燥が進んだ作品に仕上げや化粧掛けをしました。今後焼成サイクルを充実させていきたいと考えます。

「崇高」を導くドラマ仕立て

森羅万象に対する視点や認識を新たに思索・提案し、理路整然と説き伏せるものが哲学書であると私は思っています。「感性」「悟性」「表象」「意志」等は偉大な哲学者たちの選び抜いたコトバの一部で、それに纏わる論考を自分は学び取っています。現在読んでいる「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)でも例外なくさまざまな事象を取り上げて、その思索が述べられています。ただ、哲学とは趣が異なる奔放な文章に出会って、まるでドラマを見るような昂ぶりを感じたのでNOTE(ブログ)に書き留めました。本書第三巻の芸術に関する箇所で「崇高」とは何かを解いています。「崇高の印象がさらにいっそう強まるのは、われわれが昂然と相争う自然力の大規模な戦いを目の前にしたときであって、~略~落下する奔流の轟然たる音にかき消されて自分の声も聞こえなくなってしまうような場合である。あるいは、嵐のさか巻く広漠たる大洋のほとりに立ちつくす場合もそうであろう。山なす高波が上下し、切り立つ岸の断崖に猛然と当たっては砕け、空高くその飛沫をあげ、風雨は咆哮し、海は怒号し、黒雲から稲妻が閃光し、そしてとどろく雷鳴は嵐も海をものみこんでしまう。このようなとき、平静不動な心をもって光景を眺めるものの内部では、意識の二重性が最高度の明瞭さに達しているといえよう。彼は一方では、自分を個体として感じる。この自然力からの打撃をほんのわずか受けただけでも打ち砕かれてしまいかねなく危い意志の現象として、自分を感じる。つまり彼は自分を、強力な自然を向うに回しては、いかんとも頼りなく、独立性のない、偶然に翻弄される存在、怪異巨大な自然の勢力に直面すればたちまちにして消え失せてしまうであろう無にひとしい存在であると感じるのである。だがそのとき、彼は同時にまた、自分を永遠の、平静な認識主観とも感じているのである。この認識主観こそが、客観の条件であり、まさしくこの全世界の担い手であるといってよい。凄絶をきわめた自然のかの戦闘といえども、認識主観からみれば、単におのれの表象であるにすぎまい。認識主観そのものは、いっさいの意欲、いっさいの困窮から解放されているし、またそれらとは無関係であって、平然としてイデアを把握するのである。これが崇高というものの全き印象である。」

11‘RECORD7月アップ

2年以上前のRECORDになりますが、2011年7月分を私のホームページにアップしたのでお知らせします。RECORDとは毎日ポストカード大の平面作品を作る総称で、彫刻作品と併せて続けています。彫刻作品は週末に工房で制作し、RECORDは毎晩自宅で制作しています。ほとんど休みなく次から次へとイメージを出し、鉛筆で下書きをしています。彩色はまとめて行いますが、それもウィークディの夜に作業していることが増えてきました。週末の夜は疲れてRECORDに手が出せないことがあるのです。好きな音楽を聴きながら食卓で作業している時は、楽しいと感じる日もあり、イメージ通りにならずイラついている日もあります。何はともあれこの小さな作品を継続してきました。カメラマンがまとめて撮影し、1ヶ月ずつホームページにアップしているのです。振り返ると作っていた当時の気分が思い起こされてきます。ご高覧いただければ幸いです。なお、私のホームページはこのNOTEの左上にある本サイトのアドレスをクリックしていただければ入れます。

天使について

今月のRECORDのテーマにした「天使」とは何か、キリスト教美術に疎い自分は一般的な画像の印象しか頭になく、天使の存在そのものを捉えておく必要があると思いました。事典を見てみると、天使とはユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通して登場し、神々と人間の中間に位置する霊的存在で、伝令や使いの者としての役割があるようです。とりわけキリスト教の天使は、人間より優れた知恵と能力をもちつつ肉体をもたない霊で、さらに面白いと自分が感じたのは、堕落した天使が悪魔になるところです。神に善きものとして造られた天使は、神に逆らって地獄に堕ち、人間に悪を薦めるようになったというのです。言わば天使と悪魔は紙一重、同じ霊的存在がジキルとハイドよろしく正反対に変貌するのは、いかにも西欧的ドラマ性を感じさせるものです。天使にも階級があることを知って、人間社会をそのまま投影した感覚をもちました。その中に登場するセラフィム(熾天使)、ケルビム(智天使)、オファニム(座天使)と呼ばれる天使とは何か、想像すると興味が尽きなくなります。天使の図像学を学んでみたくなるのです。無垢な童子や美しい女性、優しい男性が天使となって絵画等に登場するのはルネサンス以降のようです。それ以前は多数の眼と翼をもつ奇怪な存在として描かれている天使、さらに古くは肉体をもたなかった時代もあって、私たちの文化との接点も模索したくなってしまいます。

「芸術・天才性」に纏わる論考

「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)第三巻を読み始めると、芸術についての論考が出てきます。「芸術が再現してみせてくれるのは、純粋な観照を通じて把握せられるところの永遠のイデア、世界のいっさいの現象の中の本質的なもの、持続的なものである。芸術がイデアを再現していく場合の素材に応じて、それは造形芸術であったり、詩文芸であったり、音楽であったりするのであろう。が、芸術のただ一つの起源は、イデアの認識である。そして芸術のただ一つの目標は、この認識の伝達ということに他ならない。」さらに続いて天才の天才たる所以が意志を絡めて論考されています。「天才性とは、純粋に直観的に振舞い直観に自己没入する能力のこと、がんらいが意志への奉仕のためにのみ存在する認識に対し、この奉仕をさせないようにする能力のことである。これはすなわち自己の関心、自己の意欲、自己の目的をすっかり無視して、つまり自己の一身をしばしの間まったく放棄し、それによって純粋に認識する主観、明晰な世界の眼となって残る能力のことである。しかもこれは束の間のことであってはいけない。よく練られた技巧で、とらえたものを再現し、『揺らぐ現象の中にただようものを、永続する思想によってしっかり繋ぎとめる』(ゲーテ『ファウスト』より)のに必要なだけ永続的で、またそれだけの思慮を伴っていなくてはならない。」本書を読み始めて、漸くこの芸術に纏わるところになって面白さを感じるようになりました。

三連休 精一杯の制作

今日で三連休が終わります。制作に精一杯頑張った三連休だったと思っています。思えば昨年は大雪が降りました。成人の日に晴れ着の若者たちを襲った大雪は、夜になっても降り続け、翌朝の通勤が辛かったことを思い出します。数日後に自宅から出た坂道で転倒し、背中を打った苦い記憶があります。凍結した道に足が取られたのでした。昨年のこの頃の制作は「発掘~地殻~」の木彫部分がうまくいかず、計画を変えようかとも思っていました。それに比べて今年の三連休は、今のところ迷いは生じていません。もちろん陶彫部品の量の多さに辟易していることはありますが、まだ全体が見通せないので、悩みはもう少し後からやってくるのかもしれません。この3日間は朝から夕方まで陶土をひたすら見つめ続けて、土練りやタタラ、成形、仕上げ、化粧掛けを休む間もなくやっていました。今晩窯入れをして三連休の制作は小休止としました。以前のNOTE(ブログ)にも書きましたが、制作に楽しいことはなく、むしろ自己を追い詰める苦しさが伴います。それでも気持ちのどこかで楽しいと感じているのかもしれず、何かに憑かれたように創作に向かってしまうのです。苦しい中で何かが吹っ切れると、時間や空間のない不思議な世界が現れてきます。素材との対話が始まる瞬間で、若い頃のような強引さはなくなって、今は抑制の効いた良い気分で素材を巧く扱えるようになった気がしています。雁字搦めになる前に一呼吸おいて冷静になれるのです。逸る気持ちを鎮めて、敢えて坦々とした姿勢に変えていきます。力むと意欲が空回りして、良い結果は残せません。ふとリラックスした瞬間に創作の糸口を見出し、スラスラと意図する世界観が伸びていくこともあるのです。満足感が得られるのはこんな場面です。来週末も継続です。

立体の在り方を決める成形

三連休の中日にあたる今日は成形を主に行いました。陶彫の成形では、タタラや紐作りで均一の厚みにした陶土を立ち上げていきます。陶芸のようにロクロを回してカタチを立ち上げることはしませんが、便宜上ロクロを利用することもあります。これは彫刻の塑造と同一であって、言わば立体の在り方を決めていくのです。塑造は心棒に粘土をつけて、中心から膨らませてカタチを決めていきますが、陶彫の成形は窯で焼成するため、立体の内部を無垢にはできず、刳り抜いた状態になっているのです。作り方の違いはどうであれ、どちらも立体を作ることには変わりありません。これは陶彫にあっては唯一彫刻制作に近い作業なので、興味が沸くところではあります。そんなわけで今日の作業は神経を使いながら、自分の思い通りのカタチにしていく工程でした。面白い反面、疲れもあって、大きな成形を2点行って今日の作業に幕を引きました。予定ではこの後、土錬機を回すはずでしたが、もう気持ちがついていかず、明日に持ち越しになりました。自分がやっているのは陶彫という技法を用いた彫刻であるため、どんな立体を作るのかを一番に考えます。立体の在り方が重要なのです。陶彫は彫り込み加飾をしたり、仕上げをして化粧掛けをしたり、焼成もやっていきますが、基本は成形でどんな立体にしていくのかが作品を左右するものと考えています。今日は僅か2点の成形でしたが、朝から夕方まで休みなく作業をしました。明日は土錬機を回して土練りを行い、次の成形に備えます。

三連休 制作サイクルを取り戻す

今日から三連休となり、まとまった制作時間が確保出来るのはこの三連休しかありません。ともかく制作サイクルを取り戻して、3日間は「発掘~層塔~」の陶彫部品の制作に明け暮れる計画を立てています。今日は朝から工房に篭り、土練り、タタラ、乾燥した成形作品の仕上げ、化粧掛けを時間を惜しんで取り組みました。次から次へと休む間もなく作業したので、本当に疲れました。快い疲れではありますが、身体の節々が痛んでいます。明日はさらに身体に負担のかかる作業が続きます。創作活動は元来楽しいものですが、制作の場面において楽しいと思ったことはなく、悩んで苦しんで身体を駆使していることが多いと思います。労働なら気持ちを入れない事務的な作業もたまにはありますが、制作はそうはいかず、思い切り気持ちを入れて作業をしています。ただ、佳境に入ると時間も空間もなくなり、陶土を見つめることだけの不思議な関係が出来上がるのは、作ろうとしているものが精神世界からやってくるものなんだと自覚しているせいかもしれません。現在読んでいる哲学書で言えば、それは万物に存在する意志ではなく、直接視覚が捉え、意志を介在せずに語りかけるモノとしか言いようのない認識です。それは楽しいとか面白いと感じるレベルではありません。今日も夕方になって、そんな不思議な感覚に囚われました。その後に言いようのない満足感がやってくるので、これは精神の成せる業だろうと思っています。苦しみの末に見える何か得体の知れないもの。それに憑かれて制作をやっていると考えます。明日も続行です。

「意志と表象としての世界」第三巻を読み始める

「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)第三巻を読み始めました。第三巻は「表象としての世界の第二考察」という副題がついています。「根拠の原理に依存しない表象、すなわちプラトンのイデア、芸術の客観」というのが第三巻に論述されている内容のようです。プラトンのイデアとは何か、第二巻にも登場した偉大な哲学者プラトンとカント、そして自分にとって楽しみな芸術に纏わる論考、それらをまとめた第三巻はどんな深化が望めるのだろうと思っていますが、読解は生易しいものではないと感じています。「われわれにとっては、意志とは物自体であり、イデアとは一定の段階におけるこの意志の直接の客体性にあたるのである。とすれば、カントの物自体とプラトンのイデア -これがプラトンにとって唯一の真の存在であるー 西洋の二人のもっとも偉大な哲学者のとなえるこれら二つの大きく曖昧な逆説は、もちろんまったく同一ではないにせよ、やはりきわめて互いに縁の深いものがあって、ただその異なるところといえば、たった一つの規定によってであるということが分かってくるのである。」という箇所を第三巻からさっそく引用しましたが、そもそもプラトンのイデアとは何かを知る必要があると思いました。イデアとは姿や形を意味していますが、辞書によれば、心の目(魂の目)によって洞察される純粋な形、つまりものごとの原型のことを言っているようです。天上の世界で魂が見ていたイデアを、人間となって現実界に降り立ち、かつて天上で認識していたイデアを想起するものとも書かれていました。いずれもイデアとは魂レベルの純粋形態であるのは分かりました。通勤の友は、ますます難しくなり、通勤電車で揺られながらイデアに親しむ時が暫らく続きそうです。

起床が辛いけど朝型人間です。

私が起床する5時半はまだ夜明け前で、カーテンを開けると外は真っ暗です。この時季の起床は例年辛くて、寝床から出たくない気持ちを強い意志を持って遮り、5分ごとに鳴る目覚まし時計に怯えています。6時前に朝食をとり、それから出勤ですが、周囲はまだ闇に包まれています。出勤途中に工房に立ち寄り、窯の温度を確認します。バスの停留所まで歩き、6時24分のバスに乗ります。夜が白々と明けてくるのはバスに揺られている時間帯です。職場での仕事は午前中が勝負かなぁと自分は思っています。接客やら業者対応があっても、書類は朝のうちにまとめていくような習慣をつけています。昼過ぎに行う事務的な仕事では誤記が多くなってしまう傾向が自分にはあります。自分は朝型人間だと思っています。長年の公務員としての仕事がそうさせたのかもしれませんが、週末の制作も午前中にピークがあります。ただし制作は夕方にもピークを迎えますが、やはり朝の仕事の方が創作する形態に緊張感があるような気がしてなりません。でも、これは自分の体内時間ではないような気もします。定年になって制作一本になるとどうなるのか、現在のように朝型人間を続けられるのか、出来るなら長年の習慣を継続させたいと願っています。朝型人間を自分では結構気に入っているのです。

「意志と表象としての世界」第二巻の読後感

「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)第二巻を読み終えました。「意志」に関するさまざまな論考をまとめ上げるには、あまりに膨大でどうしたらよいかわからないと思っていたところ、第二巻最終章に適切なまとめがありましたので引用いたします。「われわれが生きかつ存在しているこの世界は、その全本質のうえからみてどこまでも意志であり、そして同時に、どこまでも表象である。この表象は、表象である以上はすでになんらかの形式を、つまり客観と主観とを前提とし、したがって相対的である。客観と主観というこの形式と、根拠の原理が表現している、この形式に従属したすべての形式とを取り除いてしまったあかつきに、さらにあとに何が残るかをわれわれは問うてみるなら、これは表象とはまったく種類を異にしたものであって、意志以外のなにものでもあり得ず、それゆえこれこそ本来の物自体である。」「実際、いっさいの目標がないということ、いっさいの限界がないということは、意志そのものの本質に属している。意志は終わるところを知らぬ努力である。」「努力や願望を実現することは、意欲の最終の目標であるようにいつでもわれわれは信じこまされているが、努力や願望はいったん達成されてしまうと、はじめの努力や願望とはもはや似ても似つかぬものに見えてくるため、間もなく忘れ去られ、古着のようにぬぎ捨てられ、実際にはいつでも、公然とではないにしても、あれは一時の錯覚であったとして脇へよけられてしまうものである。まだなにか願望すべきもの、努力すべきものが残っている間は十分に幸福でいられる。願望から満足へ、そして満足から新しい願望へという移り変りがすみやかに進む場合を幸福と称し、ゆっくり進む場合を苦悩と称するが、願望すべきものがまだ残っている間は、この休むことのない移り変りの、自由に動く余地が保たれ、停滞に陥らずにすむ。しかし移り変りが停滞すると、この停滞は生命を硬化させる怖ろしい退屈、特定の対象をもたない気の抜けた憧憬、死にたい思いにさせるほどのもの憂さとなってあらわれるのである。」以上3点の引用文をもって第二巻のまとめに代えさせていただきます。

なぜ猫族から好かれるのか?

私は朝6時に家を出て、帰りはかなり遅くなる時があります。ウィークディは仕事の関係で時間の拘束を受けるのは仕方がないことです。野良猫を拾って育ててきたトラ吉は、大きな猫になり、現在の体重は7キロを超えています。家の中を猛ダッシュで走り回るため、贅肉はなく精悍な身体つきをしています。トラ吉の世話は家内がやっていますが、自分が帰るとどこからともなく現われて、自分の脚に絡んできます。自分はほとんどトラ吉に会うことのない生活で、しかもまるで世話をしない自分にトラ吉が擦り寄ってくるのは不思議です。何十年も前に実家で飼っていたタマも同じでした。自分はタマに年中悪戯をしていて、そのうち猫族の罰があたると思っていました。でもタマは自分を見れば恐る恐る擦り寄ってくるのでした。健気というかタマもトラ吉も、自分が引っ叩いたり、ぶん回したりしているのにも関わらず近づいてきて、何かあれば自分から逃走する姿勢でいます。なぜ猫族から自分は好かれるのか、家内が不思議がっています。悪戯はしても餌を一度もあげたことのない自分です。猫は本能に忠実で気儘な素性があると聞いていますが、本当に気儘なのか、痛い思いをするかもしれないのに接近してくる勇気と好奇心があると思えば、決して気儘ではないように感じてしまいます。

「意志」に纏わる論考

「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)第二巻は「意志」がテーマになっています。気に留まった箇所を引用しますが、全体としてのテーマに沿った重要な部分かどうかは自分では判断できません。「意志の現象のうちの若干数は、その客観化の低位の段階、つまり無機的な領域においては、たがいに葛藤し合い、因果性に導かれつつ、それぞれが目前の物質を占領しようとすることがあるのである。この闘争から、一つのより高位のイデアの現象が立ち現れ、今まであった不完全なイデアをことごとく圧倒してしまう。しかし、高位のイデアは自分のうちに今までの不完全なイデアの類似物をとりこむことによって、今までのイデアの本質を従属的な仕方で存立させておく。こうした事態が起こるのは、ほかでもない、イデアはいろいろあっても現象する意思は一つであること、および意志はだんだんと高度の客観化をめざして努力するものだということからのみ理解できることである。」イデアとはプラトンの定義したものです。引用を続けます。「いかなる意志現象も、人間という有機体のなかに現れる意志現象もやはり、多くの物理的・化学的な諸力と持続的な闘争をつづけている。物理的・化学的な諸力は、低位のイデアであるから、物質に対し先行権利を有しているのである。人が重力に打ち勝ってしばらくのあいだ持ち上げたままにしておく腕が、やがて下がってくるのは、この闘争がつづいているためである。快適な健康感とは、自己意識をもつ有機体のイデアが、体液を根源的に支配している物理的・化学的な諸法則に打ち勝った表現であるが、このような健康感が、たびたび途切れてしまうというのも、右(ブログでは上)の闘争が行われているためである。快適な健康感は途切れるだけでなく、大小の差はあれ、ある種の不快感につねにつきまとわれるのが本来の姿だといっていいが、それも例の物理的・化学的諸力からの抵抗に由来する。この事実だけでも、われわれの生の植物的な部分は、かすかな苦悩とたえることなく結びついているのだといえる。消化があらゆる動物的な機能を低下させるのもこの同じ理由による。同化作用によって化学的な自然の諸力に打ち勝つために、消化は生命の全力を傾注することを要求するからである。そのためにまた、一般に肉体的な生の煩わしさが生じ、睡眠の必要性が生じ、かつさいごに死の必然性が訪れるのである。」

休庁期間 制作の振り返り

今日で休庁期間が終わりました。9日間あった休庁期間のうち7日間を制作に充てました。元旦とその翌日は工房に行けなかったのですが、残りの7日間は全て工房に足を運びました。制作は思い通りには進まず焦りが多少あります。それでも精一杯頑張った満足感もあります。成形としては6点を作り上げました。仕上げと化粧掛けも6点できて、そのうち大小混ぜて4点を窯に入れました。また今晩から焼成をスタートさせます。今晩が今年初めての窯入れです。今年夏に発表する「陶紋」4点も先月焼成が終わっています。順調のようでいても長年の勘で何かトラブルがあるのではないかと不安を募らせています。作者はそんなものかもしれません。来週末は三連休になりますが、昨年は成人の日に大雪が降り、その日「発掘~地殻~」の木彫部分がイメージ通りにいかず、投げ出したい気持ちになっていました。大雪だったので記憶に残っているのです。それから我慢を重ねて解決の糸口を掴み、イメージを立て直した思い出があります。当時のNOTE(ブログ)には失敗とは書けず、部分的な手直しとしていますが、厳しい局面を経験したのは事実です。今年は陶彫部品の量に圧倒されていますが、どんな課題が潜んでいるのか、3分の2程度が出来上がった時に、難しい状況に陥るような気がしてなりません。要らぬ心配かもしれませんが、制作はデリケートであることに間違いはありません。明日から公務が始まります。制作三昧から頭を冷やして仕事に臨みます。

横浜の「下村観山展」

今日は朝から工房に篭って制作三昧でした。少しずつ調子も上がり、休庁期間の残り2日間を有効に過ごしたいと思っています。夕方まで作業を精一杯行い、その後は家内と車で地元の横浜美術館に出かけました。現在「下村観山展」を開催していて、前から見たいと思っていたのでした。下村観山は晩年、横浜の実業家原三渓の知遇を得て、横浜本牧に移り住んだことは知っていましたが、観山ワールドの全貌を知らずにいたので、今回の大回顧展は楽しみでした。東京国立近代美術館で「木の間の秋」を見たことがあって、その描写に眼が吸い寄せられた記憶があります。「古格を愛し、温雅で内省的、謹厳淳朴な生き方を選んだ画家」と図録の解説にある下村観山は、革新を求めつつ復古的傾向を示す画風で知られるようになったようです。自分の感想で言えば、画題がどうであれ、描画の緻密さ確かさは眼を見張るものがあると思いました。ヨーロッパ留学時代に模写したラファエロやダ・ヴィンチにも水彩模写とは思えない完成度があります。古画が念頭にありつつも西洋の陰影法をもって描き出される新しい日本画の境地に今後どう向き合うのか、実はその答えを見つけるには、享年57歳で没した下村観山は早すぎた生涯と言えるのではないでしょうか。夭逝でもなく長寿でもなかった下村観山ですが、抱えた課題に答えを出すのには57歳では短かったように自分には思えるのです。最後に自分が印象に残った作品を挙げます。いずれも大作が多いのですが、「元禄美人図」(双方とも)「小倉山」「鵜図」「手向」「老松白藤図」です。家内は「四眠」を挙げていました。龍が熟睡している様子が何ともいえないと言っています。

2014年 制作再開

例年であれば1月2日に制作を再開していましたが、昨日は母の代わりに菩提寺に出かけたり、妹夫婦と会食したり、年賀状の追加を印刷して、あれこれ雑用が立て込みました。昨日は工房に行くのを諦めて身体を休めました。今日は家内の親類が集まりがあって東京新宿まで出かけましたが、その前の朝7時から工房に篭って制作を始めました。今年初めての制作は土練でした。2種類の陶土を20キロずつ土錬機で混ぜ合わせ、小分けにして菊練りをしました。早朝の工房は手が悴むほど寒くて、ストーヴひとつではとても厳しくて腰が引けそうでした。何度も菊練りをするうち身体が温まってきましたが、正月の2日間を朝寝坊をして過ごしたために朝の辛さが身に沁みていたのです。今日のところは土練だけにして明日から本格的に制作を始めようと思います。休庁期間も残すところあと2日間となり、やはり思った通りに制作が進まないので焦ってはいますが、身体を酷使すると昨年暮れのように体調不良にもなりかねないと考えて、今日はこのくらいにしました。それにしても休日の時の経つのは何て早いんだろうと思います。制作の期待をかけていた休庁期間もこんなもので終わってしまうのかと余りにもあっけない結果に肩を落としています。もうまとまった休みは取れないので、いよいよ5月初めまでの週末の日数を計算していかなければなりません。5月初めの図録撮影が間に合うかどうか、ここからが時間との勝負になります。毎年のことですが、1月に辛苦を舐め、2月は耐えて、3月に見通しが立てるようになるというのが定番です。今回はその通りにいくのかどうか、神のみぞ知る制作工程に祈るような気持ちで迎えた2014年の制作再開の日でした。

1月RECORD「芽生え萌えたつ天使たち」

今年のRECORDの年間テーマとして文章を作成し、そこから立ち現れるイメージを扱うことにしました。自分にとっては難しい方法ですが、今までの緩慢さを打破するための手段として考えました。具象・抽象・象徴・幻想全てを網羅していこうと思います。自分の立体作品におけるイメージにコトバはありません。タイトルは制作工程の中で考えるのです。RECORDを始める前は、どの作品であれコトバから派生する要素を具現化したことはありません。自分にとってRECORDは言わば挑戦だったわけで、初めにコトバありきで出発しました。ホームページにアップする時も月毎のテーマをもとにしたコトバを添えています。テーマがあっても作品がコトバを説明したり、挿絵的にならないようにRECORDでは注意を払いました。そんな歩みを続けてきたRECORDですが、敢えてここでコトバによる束縛を強いる1年間を想定しました。今月は「芽生え萌えたつ天使たち」。20代の頃に旅した南欧の明るい日差しがイメージの基盤にあります。大理石に刻まれた猛々しい神々。鈴なりに実ったオリーヴ。ワインの醸造所にあった壊れかけた天使の看板。自分の生育暦にない異文化が人々の祈りの姿を通して強烈に印象づけられた瞬間。そんな思いを巡らせて、詩を綴るように絵が描けたらいいなぁと願っています。まず、初めの一歩は生まれたばかりの天使からやっていきます。

2014年の抱負

2014年になりました。今日だけは工房に行かずに過ごしました。例年通りの元旦で、朝は母の実家で雑煮を食べました。昼には家内と東京赤坂に初詣に出かけ、家内安全、身体堅固、芸道精進の祈祷をしてもらいました。最近は例年通りに過ごせる正月を有り難いと思えるようになりました。母が高齢で介護のケアを受けているからです。来年も例年通りに出来るのかどうか、願わくば自分も含めて家族が何事もなく健康であって欲しいと思うばかりです。創作活動の目標は「発掘~層塔~」の完成と成功に尽きます。作品を構成する陶彫部品は成形すら未だ3分の1に満たない状況で、焼成された部品は10分の1に過ぎません。例年5月連休に予定している図録撮影を考えると、いよいよ焦りが出てきます。明日は母の実家に妹夫婦がやってきますが、自分は正月の挨拶の間隙を縫って、制作を進めようと思っています。毎年そんなわけで正月気分に浸れない自分がいますが、夜になって衛星中継された「ウィーンニューイヤーコンサート」をテレビで見ていたら、気分が落ち着きました。自分がウィーンにいたのは80年から85年ですから、かれこれ30年が経とうとしていますが、当時の記憶は鮮明に残っています。ウィーンの音楽を聴いて正月気分になるなんて日本人としては奇妙ですが、20代の頃に感性に訴えてきた異文化は、自分に言い知れない影響を齎せたのでした。さて、2014年に望むことは、自分を含めた家族並びに周囲の方々の健康と平穏です。創作で言えば「発掘~層塔~」の完成と個展の成功、次なる作品への大いなる期待です。今年が良い1年でありますように…。そのための精進や努力を惜しまないでいこうと思います。

2013年 HPによる総括

2013年の大晦日を迎えました。今年はどんな1年間だったろうと振り返ってみると、自分にとって幸福と思える素敵な1年間だったと思っています。まず、自分を含めて家族が健康に過ごせたこと、周囲に大きな事故や事件がなく、公務員としての仕事や彫刻家としての創作に邁進できたことが挙げられます。仕事上の悩みや創作上の憤りはありましたが、それは活動的だったからこそ有り得た前向きな迷いと言えるものです。立体作品で言えば、夏に発表した「発掘~地殻~」は1月の大雪が降った日に、木彫がうまくいかず放り投げたい気持ちになっていたのでした。その日、胡弓と三味線を持って駅で立ち往生していた家内を歩いて迎えに行きました。その冬ざれた風景を見ているうちに心が吹っ切れて,再び木彫に向き合いました。その後は多少の紆余曲折はありましたが、春までに何とか「発掘~地殻~」はまとまったカタチになりました。その快調さに触発されたのか、突如新作のイメージが湧きました。現在格闘している「発掘~層塔~」です。「発掘~層塔~」も楽に完成させてくれない要素を持っています。大晦日の今日も悩みを抱えつつ6時間ほど作業して工房を後にしました。RECORDは今年も余裕はなく、日によっては何もイメージできない苦しい時がありました。今年の読書は後半に進むほど難解なものに挑み、現在はショーペンハウワーの哲学書を鞄に携帯しています。2年前に亡くなった叔父がカント哲学者だっただけに、漸く自分も哲学の楽しさを知ることが出来ました。今年は美術展だけはマメに行ったのではないかと思います。さて、最後にホームページのNOTE(ブログ)ですが、拙い自分の文章につきあっていただいた皆様に心から感謝申し上げます。身勝手な芸術や学術等の自分流の解釈に反論をお持ちの方もきっといらっしゃることだろうと思います。懲りずにまた来年もよろしくお願いいたします。工房の窯の神にお供えをして今年の幕引きをします。来年が皆さんにとって良い年でありますように…。

師事と私淑について

自分が彫刻家として活動を始めるに至った経緯を振り返って見ると、数人の彫刻家の存在を忘れるわけにはいきません。大学に入って実際に指導を仰いだのが池田宗弘先生で、今も長野県の住居兼工房に伺っています。精神的にも技能的にも手を取って指導していただき、絆としては一番深いものがあります。学生時代、池田先生の個展を手伝い、それが縁になってギャラリーせいほうでの自分の個展開催が実現したと言っても過言ではありません。精神的な師匠としては故中島修さんです。自分の滞欧中の憧れであり、オーバーエスタライヒ州のお住いにお伺いした際、幾度となく助言をしていただきました。同じギャラリーせいほうで個展をやれることを喜んでいた最中に帰らぬ人となりました。海外では助言をいただいたK・プランテル、F・フンデルトワッサー諸氏がいますが、師事というより私淑に近いかなぁと思っています。私淑では大学時代に共通彫塑研究室にいた保田春彦先生と若林奮先生がいます。人体塑造から抽象に展開した自分の作品を鑑みると、私淑していた保田先生や若林先生の作品に自分が近づいていると思っています。当時の自分は人体塑造の取り組みに精一杯で、抽象に向かうコンセプトが構築されておらず、漠然と2人の抽象作品に魅了されていたと考えています。あるいは自分の抽象に向かう契機はこんなところに隠れていたのかもしれません。今年の暮れに故若林先生が個展を開催され、保田先生が書籍を発行されました。私淑した2人にさらに近づけた気がしました。

11‘RECORD6月アップ

RECORDは文字通り記録する意味で、毎日作っている作品の総称を言います。RECORDの大きさはポストカード大で描画用にペン、色鉛筆、アクリルガッシュ、時にコラージュを使用しています。作品がまとまってくるとカメラマンが撮影に来て、ホームページにアップする準備を行います。自分は月々のテーマをタイトルにしたコトバを添えます。そうした事情もあって、タイムリーなアップは出来ませんが、2年ほど遅れてアップをしています。今回は2011年の6月分をアップしました。ホームページで過去のRECORDを確認することが自分は結構あります。この時はこんな作品を作っていたのか、さらに展開するためにはどうしょうかと思いを巡らせる時があります。そういう意味でホームページにRECORDを掲載しているのは自分にとって意義があるのです。話は変わりますが、2013年11月は「脚」というテーマでやっていました。11月1日のRECORDに馬の脚をペンで描きました。来年の干支を描いて年賀状にしようと思ったのです。今朝自分で撮影し、プリンター内で構成加工を施しました。購入していたお年玉つき年賀葉書200枚に印刷しました。撮影も印刷も素人だなぁと思いつつ、手作り感に溢れたものになっていると自画自賛しています。すると途中でインクがなくなり、仕方なく横浜駅まで足を伸ばしました。2013年のRECORDのアップはまだ先になりそうですが、新しくアップした2011年の6月のRECORDをご覧いただければ幸いです。なお、私のホームページにはこのNOTE(ブログ)の左上にある本サイトのアドレスをクリックすれば入れます。

12/28~1/6休庁期間について

昨日が官庁御用納めの日でした。明けて1月6日が官庁御用始めになるので、今日から9日間は休庁期間になります。この期間だけはゆっくり休めるので、公務員で良かったと思います。9日間のうちに大晦日があり元旦があります。大晦日の夜から元旦にかけて毎年母の実家で過ごしています。今年も同じように過ごせる幸せを噛み締めています。母は高齢なので、例年通りに何事もなく元気に過ごせることが嬉しいと感じます。暮れの大掃除は家内に任せきりで申し訳なく思っています。自分は空いた時間を全て制作に費やしているのです。この期間で新作の目途を立てようとしています。工房に籠り、じっと自己を見つめて、逸る自分の気持ちを抑え、イメージの原点を探ります。時間を忘れ、自作に対峙し、または対話する時にこそ心の満足が得られると思っています。破壊衝動も創作意欲さえもぐっと堪えて、作品から生じる声に耳を傾けます。自分は何者であり、何がしたいのか、この休庁期間で自分の心と向き合っていくつもりです。貴重な9日間です。有効に大切に過ごしたいと思います。

「若林奮 仕事場の人 展」

10年前に逝去した彫刻家若林奮は、今も立体やドローイングで自分を魅了し続けています。先日行った多摩美術大学美術館での「若林奮 仕事場の人 展」は生涯の中で仕事場を移動する毎に制作内容が展開していった様子が伝わりました。どんな芸術家であれ制作現場という環境と制作内容が無縁ではない証拠です。自分が若林先生を大学構内で見かけた時期は小金井に仕事場を持っていた頃で、鉄を加工した代表作を作り出していた時代かなぁと思っています。当時の友人が若林先生の仕事場の近くに下宿していて、若林先生が日々朝から晩まで仕事場に籠って制作していると話していました。大学に顔を見せる時以外は、全て制作に時間を充てている若林先生を凄いと感じた瞬間でした。若林ワールドは独特で難解とも思える思索が潜んでいますが、個展に足繫く通ううちに意図するところが少しずつ伝わってきました。作品はどれも鑑賞者のために作っているのではなく、思索の自己確認のために作っているように思えました。全て制作に時間を充てていることを凄いと前述しましたが、若林先生にとってはそれは自然なことで、展示を意識することなく空間や物質に対峙して自分を深めていくことが日常なのだと思いました。自分も工房で陶彫と向かい合っていると、全てのことを忘れ、作品が空間の中に存在するモノとして意識し始めて、次第に感覚が研ぎ澄まされていくのを感じます。やがてじっとして動けなくなる時間が立ち現れてきます。作品の意図さえもどこかへ消えて、自分が作品と同化するような瞬間があります。工程も計画もなくなって自分の行為した痕跡だけが眼の前にある不思議な時です。自分の嫌な感覚や認めたくない意識が現れて衝動的に眼の前のモノを破壊したくなる時です。はっと我に戻ると、あれは何だったのか、果たして狂気かと思ったりしますが、自己に向き合うとはこんなことなのかもしれません。若林先生の作品を見ていると、そうした自分への問いかけが始まります。それらを全部含めて自分を魅了し続けている若林ワールドと言えそうです。

「保田龍門・保田春彦 往復書簡 1958-1965」

「保田龍門・保田春彦 往復書簡 1958-1965」(武蔵野美術大学出版局)が刊行されることを知って、早速申し込みをしたところ、本書が届きました。自分が大学生の頃、保田春彦先生が同大の教壇に立っていました。自分は池田宗弘先生の下で彫刻を学んでおりましたが、直接保田先生に指導を受けたことがありませんでした。返す返すも残念でなりません。今なら話を伺いに行くところを、当時は保田先生を近づき難い存在と捉えていて、遠くで眺めているだけでした。この頃読んでいた明治時代の日本の彫刻を推進した荻原守衛や中原悌二郎に関する書籍に、保田先生の父上である保田龍門のことが書かれていて、これも自分が保田先生に近づけない原因のひとつだったと述懐しています。雲の上の人に近づくには自分はあまりに彫刻のことが出来なさすぎると感じていたのでした。一度だけ大学内にある工房の扉が開いていて保田先生の制作現場を見たことがあります。加工された厚い鉄板に磨きをかけている場面でした。この時ばかりは町工場の親父さんのような服装をしていて親近感を持ちました。ただ作品の無言の迫力とぎりぎりまで整えられた造形には、鑑賞者を拒むような張りつめた空気が漂っていました。ここまで辿りつくまでに、保田先生にはどんな造形遍歴があったのか、常々知りたいと思っていたのでした。本書は自分の若い頃からの疑問に応えてくれる貴重な書籍です。じっくり読んでいきたいと思っています。

クリスマスに思い出すこと

街がイルミネーションで煌びやかになる季節です。職場が横浜市西区にあり、その西区には横浜駅やみなとみらい地区があるため、この時期は大勢の観光客で賑わっています。職場を一歩出ると街は浮かれ気味で、仕事を終えて帰路を急ぐ身には街の雰囲気が些か馴染めません。さて、今日はクリスマスですが、自分にとって忘れられない思い出があります。幸い海外で数年に亘って経験することができたクリスマスですが、オーストリアのウィーンでは市庁舎前の広場に大きなツリーがあって、その周辺にクリスマスグッズを売る店が立ち並び、香料の効いた温かいワインを飲んだ思い出があります。この時期売り出されるシュトーレンという干した果実や穀物の多く入ったパンが大好物になりました。ステファンス大聖堂では静かな祈りを捧げている場面にも遭遇しました。ルーマニアとロシアの国境近くの小さな村で過ごしたクリスマスも忘れられません。木造りの教会で歌われる讃美歌、村人の民族衣装、子どもたちが各家々を歩いて扉の外で歌うコリンダ、全てが宗教に精神の支えを感じずにはいられなかった瞬間でした。雪深い山村で過ごしたクリスマスにヨーロッパの原点を見る思いでした。家々の室内を彩る絨毯とクリスマス用の飾りつけ、手作りのご馳走、象徴化・抽象化された家の柱の彫り込みに悪魔を払うカタチとしての伝統を垣間見て、ルーマニア出身の現代彫刻の父ブランクーシを重ねて見ていました。あれから30年が経とうとしています。オーストリアやルーマニアではどんなクリスマスを迎えているのか、もう一度彼の地を訪れたい願望があります。寒さ対策を万全にして。

「意志と表象としての世界」第二巻を読み始める

「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)第二巻は「意志としての世界」という表題がついています。「自分の身体は他の表象とはまったく別の、ぜんぜん種類の異なった仕方で意識されてくるのであって、これが意志という言葉で表されるものである。」第二巻を読み進んでいくと、ショーペンハウワーが定義する意志という言葉は、通常慣習として使用している意味とやや違うように思います。「直接的にはただわれわれの表象の中に存在するにすぎない物体界に、われわれの知っている最大の実在性を与えようというのであれば、各人にとって自分の身体がそなえている実在性を物体界に与えることになるであろう。身体こそ各人にとってもっとも実在的なものだからである。ところが、われわれがこの身体の実在性とその活動とを分析してみると、身体がわれわれの表象であるという一点を除けば、われわれが身体において出会うのは、意志以外のなにものでもない。」意志という言葉が表示された箇所を引用しましたが、今後読み解いていく上で、意志の広義な捉えをしていきたいと考えています。「われわれは動物をその全生活、体形、器官組織においても、その行動におけると同様に、意志の現場であると認めているが、以上の叙述に従うなら、われわれは動物だけをそのように認めることに立ち止まっていないで、われわれに直接的に与えられた事物の本質自体に関するこの認識を、植物にも移して考えてみることにしよう。植物の全運動は刺戟に基づいておこなわれるのである。植物と動物のとの本質的な相違をなす唯一のものは、植物には認識がないこと、認識によって制約された動機に基づく運動がないことだからである。『われわれの』表象に対し植物として、単なる植物的な機能として、盲目的にはたらく力として現象するところのものを、われわれはその本質それ自体からみて、意志とみなし、これはわれわれ人間の現象の基礎をなすもの、われわれの行動にも、われわれの身体の全存在にもすでに現われているものと同一だと認めるであろう。」通勤の友はなかなか手強いなぁと感じます。