RECORD6月のテーマ

一日1点ずつポストカード大に切断した厚手のケント紙に作品を描いて4年目になります。描写や幾何抽象や自動記述に至るまで、その時その時の状況で作品の表現は右へ左へ揺れています。作品は5日間をシリーズにして展開する方法を採っていますが、それでも気分によって作品が変わってきます。気に入ったものがある一方で、頑張った割にはうまくいかなった作品もあります。最近は月毎にベースになる画面を決めてやっています。6月は6つの同じ正方形を画面いっぱいに配置して、そこに造形要素を加えていくことにしました。色彩は淡いイメージです。梅雨の湿った陽気が淡い色彩に合うと思います。カタチは湿ったイメージではありませんが、気候も作品の展開に影響すると感じ始めています。今月のRECORDこそ頑張りたいと毎月思っている次第です。

宿泊研修の最終日

職場とは異なる環境の中で過ごした3日間はとても貴重でした。研修に参加した全員で樹海や洞窟といった非日常空間を共有できた喜びがありました。都会に住む私たちは、常に自然に畏怖の念を抱きながら、また自然と触れ合う機会を持ちながら生活していくべきと考えます。我が国では3月に大震災に見舞われ、多くの尊い命が奪われました。これは自然がもつ脅威です。私たちの想定を超える自然の力と、どう向き合っていくのかが未来に課せられた大きな課題です。自然を開発し、また自然の生態系を破壊しながら、人間の利便性を追及した結果として、私たちは大きな犠牲を払ったのではないかと私は考えます。人間の奢りとも考えられる行為に自然が牙をむいたようにも感じられます。私たちはこれから自然の刻む悠久な時に耳を傾け、多くの動植物と共存していく方策を探るべきです。効率や打算ではなく、多少の回り道をしても地球が営む自然の生態系にダメージを与えず暮らしていけたらと思いました。研修の最終日にそんな思いに駆られました。

樹海を歩いて感じたこと

昨日から山梨県に2泊3日の県外出張にきています。今日は樹海の中を歩き、観光化されていない洞窟に入りました。富士山の噴火によって流れ出した溶岩の上に僅かな土が積もって生まれた樹海。鬱蒼とした木々の間を歩いていると雄大な自然の懐に抱かれた気分になります。巨木が大地に幾重にも張り巡らせた根が美しく、迷路のような景観を描いています。節くれだった部分とスラリと伸びた部分のバランスに絶妙な美を感じます。巨木に巻きついた蔓にも美しさを感じます。共生と繁殖による占有。命を全うして倒れた巨木が土化して、そこに新しい芽が育つ場面はさらに美しい景観です。人為的な造形は何ともちっぽけなものなんだろうと感じた一日でした。

週末から県外出張

例年この時期は2泊3日の県外出張があります。山梨県の富士山の麓にある宿泊施設を借りて研修を行うのです。週末に当たったため土日の制作はなしです。土日の代休が火曜日と水曜日にあるのですが、ウィークディは仕事が滞るため自分は完全に代休は取れません。ただし、休みは取れなくても環境の良いところで研修をすることは楽しく、得るものもあって有意義です。明日ホールアースのガイドさんと出かける樹海散策は、自然環境を考える絶好の機会です。木を彫る者にとって、樹海で見る木々は造形的な示唆を与えてくれるし、木のもつ生命力を感じ取れる場でもあるのです。この3日間を楽しんで過ごせればと考えます。

「シュルレアリスムと絵画」読後感

やっと「シュルレアリスムと絵画」(A・ブルトン著 人文書院)を読み終えました。随分長い間鞄に入れて持ち歩いていました。以前、A・ブルトンの「魔術的芸術」を読んで、芸術史全体を解釈しなおす壮大な論文に魅了されました。今回も同じ昂揚した気分があります。本書の解題に次のような一文があります。「~略~それは、シュルレアリスムという大規模な文学・芸術運動に加わった多くの画家たちや、その前後あるいは周辺にあった多くの画家たちの作品を、当の運動の指揮者・体現者として愛しつつ語り、鮮烈な言葉で称えつつ位置づけているからだけではない。現代社会とのかかわりにおいて芸術家の真の生き方を探りながら、またときには美術史・文化史をさかのぼって新しい『眼』で過去を読みかえながら、二十世紀芸術そのものの方向を明らかにしている書物だからである。~略~」単なる作品の解説や批評だけでなく、作品のもつ新しい価値や昂揚感を詩的イメージとして構築しなおしているところがブルトンたるところで、一文一文拘りをもって読まなければならなくなります。理由はその背後に潜むブルトン流の詩的世界が、対象とする作品と共生しながら、読者である自分の感性に謎めいた何かを投げ込んでくるからです。評論と言うより独特な文学作品として接したほうがよさそうな、そんな読後感を持ちました。

横浜について考える

今日は開港記念日です。横浜は一昨年「Y150」という開港150周年のイベントを行いました。今年は開港152年になります。自分は生まれも育ちも横浜です。自分には都会育ちという印象はなく、横浜も内陸に入れば田畑の広がる農村地帯がありました。今でこそ住宅地に開発されてしまいましたが、小学校へは田んぼの畦道を歩いて通っていました。確かに繁華街と言えば伊勢佐木町や元町や中華街で両親に連れられて行った記憶はあります。幼稚園や小学校の遠足でマリンタワーや氷川丸、埠頭の方にも行きました。山下公園や野毛山動物園でお弁当を食べた記憶もあります。明治時代に西洋文明が入ってきたハイカラな横浜ですが、自分が両親に連れられて歩いた繁華街は、まだ大戦の傷跡が残り、負傷した兵士が茣蓙の上で往来の人に何かを訴え懇願していた姿がありました。日の出町や野毛の裏道には怪しい気配が漂っていました。ジャズも流れていて、無国籍で多用な価値観が渾然一体となった都会の姿がありました。幼い頃は都会的な雰囲気に怖さを感じていましたが、今の自分が横浜市に雇われていて自分の郷里をアピールする立場にいることは、ある意味では生まれ育ったこの土地で足元を固めた生活が送れているということではないかと思います。

6月は梅雨と共に…

6月になりました。梅雨に入っているせいか曇り空と気温の変化で今日も体調は優れません。今月は7月個展に出品する「構築~楼閣~」の梱包作業があります。「構築~解放~」は既に梱包してあるので、今回の梱包作業は気楽です。新作屏風は全体を考えながらの作業になります。従来の作り方から言えば、全体の大まかなイメージのもとで部分を作っていくのですが、新作は常に全体を考えながら進めていくので精神的にはきつい作業です。RECORDは今月のベースとなる幾何形体を考え始めました。今月は宿泊を伴う県外出張があり、休日出勤もあって週末の制作時間が充分に取れない1ヶ月です。NOTEのアーカイブを読むと、毎年この時季は体調が万全ではないことがわかりました。それでも意欲的に制作に取り組んでいるのは、夏に向かってイメージを広げたいと熱望しているためかもしれません。今月は体調を気にしながら、例年以上に新作が自分の創作生活の頂点を目指すものにしたいと考えます。今月も頑張ります。

5月を振り返って…

今日で5月が終わります。ゴールデンウィークがあって笠間・益子に出かけたり、また図録撮影があったり、来年の個展に向けて新作をスタートさせたりして結構盛りだくさんの1ヶ月でした。振り返ってみると、今月はいい面も悪い面もありました。制作には自分なりに頑張った評価をしてもいいかなと思いました。反面、後半は体調を崩しがちで今も風邪気味の状態が続いています。気候の変化も関係しているとは思いますが、意欲が高まっているのに身体がついていかない状況です。読書は短い通勤時間のためか1冊の本を読み切ることができず、相変わらずA・ブルトン著「シュルレアリスムと絵画」を読んでいて、それはそれで牛歩のペースで内容を堪能しています。RECORDは小さな正方形を並べたベースに、思いがけず様々な展開が出来て良かったと思っています。来月はどうなるのでしょう。自分のヴァイオリズムは春先は結構良好で、夏に向けて創作世界を広げていけるのですが、今年も期待を込めて来月に作品を繋げたいと思っています。

野外への憧れ

数日前のNOTEに「野外撮影の醍醐味」という一文をアップしました。図録撮影日に今回は野外工房での撮影を選んだのですが、その時の印象が強く太陽による陰影が作品に彩りを添えて、これも作品全体の表現として計算に入れる契機になりました。大地から上に向かって構成する作品(構築シリーズ)と大地に凹みを作って閉ざされた空間を提示する作品(発掘シリーズ)は、当然野外に発表ステージを移すことは充分ありうると思います。むしろ今までどうして野外を考えなかったのか不思議なくらいです。2年前、新潟県の越後妻有トリエンナーレを見に出かけた時に、棚田や草原に作品が点在されている様子を眺め、自分だったらこうしたいああしたいと考えを巡らせたことがありました。野外に進出する作品を念頭に入れて今後は制作に励みたいと思っています。

週末 低気圧のせい?

今日も制作三昧といきたいところでしたが、何故か疲れが出て作業が今一歩捗らず、新作の部分制作を中断して、しばらく進行具合を眺めてしまいました。じっと見て考えることも必要と思い、今日は手を休めていました。工房に来ていた若い世代の子たちも身体がだるそうで、どんよりとした空気が立ち込めていました。一人の子がこれは低気圧のせいではないかと言っていました。確かに外は雨が急激に降ったり止んだりしていました。体調が優れないのは天候の影響もあるのかもしれません。今日は早めに作業を切り上げることにしました。

週末 工房の風景より

今日は制作三昧の一日でした。横浜が梅雨入りして朝から雨が降っていました。工房の周囲は亡父の残した植木畑なので、この時季はさまざまな花が咲き誇っています。ひときわアジサイが美しくこの時季らしい風物です。立ち木の下に雑草がかなり増えてきました。しばらく放っておくと歩く道が雑草でわからなくなります。自分は時間がないので、知り合いに頼んで草刈をしていただくことになりますが、今草を刈ると今年中にもう一回草刈をやることになり、1年一回の予算を立てている関係で今はじっと我慢です。作業は新作の板材加工で先週と変わりません。ボランティアの子が同じ美大出身の友達を連れてきて、平面作品の共同制作を始めていました。どうやら2人展を企画していて来年に向けて準備をしているようです。若い世代の子たちに工房を使ってもらうことは、雰囲気に活気が出て歓迎です。明日も芸術家の卵たちがやってきます。自分も頑張らねばと思っているところです。

NOTE(ブログ)投稿1800通

ホームページをアップしてから、ほとんど毎日書いているNOTE。よく話題が尽きないねと人から言われたこともありましたが、昼間は公務員として仕事をしている自分が、彫刻家になれるひと時と思ってNOTEを書いているので、話題には事欠きません。ただ、さすがに彫刻のことばかり書いてはいられないので、昼間の仕事のことやら普段読んでいる本のことやら親戚や身近な人のことも書いてしまいます。今までで1800通。今日は1801通目になりますが、カウントが提示されるので、あぁこんなに書いているんだと思うばかりです。毎日の積み重ねは凄いものです。RECORDはカウントを止めてしまったので、現在何点目なのか厳密にはわかりません。計算も億劫でやっていません。1200点を超えたかなという感覚だけです。これも毎日の積み重ねがあるので、蓄積された表現だけでも夥しい数になります。NOTEもRECORDも振り返ることなく、遠い先のことまで考えることなく、ひたすら足元を見てやってきました。これからも継続の力を信じてやっていこうと思います。

受容と発表

美術館に行って美術作品をいくら鑑賞しても、自己表現に結びつきません。批評はできても創作はできないのです。どんなに自分の感性を刺激するものがそこにあったとしても、それを自己表現に置き換えることは困難です。現在自己表現を行っている過程にあれば話は別ですが、他者の作品の受容だけでは自分の作品を作れるものではありません。毎日1点ずつ作品化しているRECORDは常に発表のためのトレーニングをしているので、イメージは比較的容易に捉えることが可能です。週末にやっている彫刻も制作スパンが長いだけで、基本はRECORDと同じです。ホームページにアップする際にオマケのように添えるコトバは、そういう意味で厳しいものがあります。詩を読むことが自分の詩的イメージの構築に結びつかないので、自分にとってコトバの発表は容易ではありません。コトバもRECORDのように毎日作っていればいいのでしょうが、どうも言語は自分には構えがあってカタチや色彩のように気楽にはいかないのです。

野外撮影の醍醐味

図録の打ち合わせにカメラマンが自宅に来ました。自分は公務員なので打ち合わせ時間は常に夜になってしまいます。図録の細かなところを打ち合わせをして今年の見せ場を作りました。今年は何と言っても野外で「構築~解放~」を撮影したことです。青空、新緑、眩い光、くっきりとした陰影等々野外撮影の魅力に溢れた画像が出来た時は、正直言って胸がワクワクする喜びに包まれました。野外には色彩が充満しています。彫刻の素材感が引き立つ場所です。図録の1ページ目を飾る画像ですが、これをDMにも使うことにしました。「陶紋」という小品も野外で撮影しました。これは砂利の上に置いた小品7つを撮影したもので、自然の中に存在する幾何形体が面白い味を出しています。野外撮影には、こちらの考える以上の効果があると思いました。それならば今後作品をさまざまな景色の中で撮影できたらいいなぁとカメラマンと話をして打ち合わせを終わりました。野外撮影の発想は膨らむばかりです。

仕事帰りに工房へ…

図録の細かなところをチェックするために、仕事を早めに終えて工房へ…と朝から考えていましたが、今日も仕事がなかなか終わらず、結局午後9時を回ってから工房に行きました。夜の工房は物音ひとつせず、明かりに照らされた作品が浮き彫りのようになって、それはそれで独特な雰囲気を醸しだしていました。そこで作品のサイズを測ったり、図録校正刷を見比べたりして時間を過ごしました。今の時季は制作するのにはちょうどよい気温で時間的な余裕があれば、ずっとこのまま作業をやっていたい誘惑に駆られます。ついでにRECORDの彩色を行って工房を後にしました。毎日もう少し早く退勤できれば、仕事帰りに工房に寄れるのに…と思いつつ、毎日充実した一日を過ごしている有難さを感じています。

図録校正刷が届いた日

今日は土曜出勤の代休でしたが、管理職出張があったため午後から出勤しました。午前中は工房に行って、わずかな時間を惜しんで新作屏風の制作に励みました。日頃の疲労があって作業に多少遅れが出ましたが、それでも週末のノルマを果たしました。出張先から夜は懇親会に流れ、ようやく自宅に辿り着いたら、図録の校正刷が届いていました。なんだかホッしました。図録のレイアウトはすっきりと収まっていて、デジタル画像の面白さを感じました。図録は毎年作るものなので遊びの要素を加えています。今年は野外工房と室内工房の見開きページを作り、表紙のパターンによるデザイン化を試み、ポートレイトにも工夫を凝らしました。自分が書いたラフスケッチがこのような画像になるとは、ちょっとした驚きです。つき合いの長いカメラマンとアートディレクターだからこそ出来る妙味に富んだ図録です。明日細かいところをもう一度確認したいと思います。

週末 悠々制作日

昨日が出勤日だったので、今日は待ちに待った制作三昧の一日でした。美大生たちもやってきて、工房では密度の濃い時間が流れました。今日は新作屏風の板材を加工する作業をしました。新作屏風では「断層」のイメージが付き纏っていて、イメージどおりになっていけば、「断層」というタイトルにしようかと思っています。畳サイズの直方体の中に凹む空間を作っていて、陶彫による突起が現れるようにしたいと考えています。全体の工程のうち現在は100分の5パーセントしか出来ていない現状で、まだ何がなにやらわからないのですが、イメージを探りながら作るこの時期が楽しいと言えば楽しいのかもしれません。午前中は天気が良く工房内は暑くなってきましたが、午後から雲が立ち込め天気予報通り雨が降ってきました。傘のない美大生たちを家まで車で送り届けて今日の作業を終えました。

週末 通常出勤日

1年間のうちに何回かは休日出勤があります。施設を他団体が使用する理由で自分だけが出勤する時もありますが、今日は職場全体での出勤日になりました。勤務時間も通常通り。月曜日は代休ですが、自分は出張があって月曜日も出勤になります。この役職になって思うことは休める日が減ったことです。週末は制作をしていたいと常々思っていますが、こればかりは自分で選んだ役職なので仕方ありません。それにしても今日は真夏日になって、職場が暑いせいか仕事が緩慢になってしまいました。節電をやっていると、この夏はどうなってしまうのか、熱中症対策を含めて考えていかなければなりません。

美的価値の転換

今まで稚拙と思われた表現が説得力のある評論により、ある日突如として生命力の溢れる豊かな表現と認識されることは、現在までの美術史を見ると起こりうる事件です。幾世紀にも亘って民衆に支持されてきた美的価値が転換期を迎える時は、その反発たるや筆舌に尽くし難いものがあります。印象派が登場した時代や頽廃芸術と烙印を押された表現主義、また破壊と創造を繰り返してきた20世紀の美術界を見ると、現在まで美的価値の転換が次々に起こってきています。何が新しい表現なのか、何が前衛と呼ばれるものなのか現在では見えにくくなっているようにも思えます。映像、建築、環境等の大掛かりな表現が現在の国際的な規模の展覧会を賑わせているようですが、全体の価値を揺るがすような事件には至っていないようにも思えます。ファッション化する文化は、その表面性や虚飾で新しい価値基準を持とうとしているかのようにも思えます。芸術運動というモノはもう旧世代のモノなのでしょうか。自分も工房に籠もって美術情報とは一線を引きながら自分の世界に没頭していますが、こうした個々の引篭もりがいろいろな意味で現代を象徴しているのかもしれません。

実材としての土

20世紀の近代美術が写実から心象へ、その表現が求めるモノが変化していったのは近現代美術史を紐解けばよくわかります。モンドリアンの抽象絵画も写実を純化した結果見いだされた表現です。自分は学生時代は大学のカリキュラムに従い具象表現をやっていました。彫塑によって立体把握が容易に理解できる方法だからです。現代を生きる者として、さまざまな表現が当時も美術館やギャラリーで試みられていたのは知っていましたが、自分は習作という名の下で旧態依然とした表現を敢えてやっていたのでした。習作的なモノから解放されたのはいつ頃だったのか、よく覚えていませんが、自分の場合は徐々に抽象表現に接近したわけではなく、何となくカタチと遊んでいるうちに自分のやりたいことが見つかったように思います。でも塑造から離れることはなく、常に具象的なイメージを残したままモデルを写し取る表現から脱皮していきました。その時、土という実材を初めて意識しました。モデルを写し取る素材としてではなく、土そのものを捉える表現に移行して、土による抽象化が芽生えたのかもしれません。

満月に誘われて

帰宅途中に夜空を見上げたら、見事な満月が出ていました。昼間の慌しい日常をふと忘れさせてくれる大自然の演出です。夜空にポッカリ浮かんだ月は周囲をたちまち幻想世界に導きます。肌寒さが残る空気が立ち込めて、春の宵は郷愁を誘います。こんな気分をRECORDにしたいと思い立ち、帰宅後に懐中電灯をもって工房のある畑道に出かけました。鬱蒼とした木々は黒ずんだ物体となって道を塞いでいて、これもまた詩情があるなぁと妙に感慨深くなってしまいました。夜の工房は生暖かい空気があって、昼間の締め切っていた状況を物語っていました。RECORDは今までの分も含めて彩色しました。絵の具を散らせて淡い画面を作りました。気候としては今が制作にはちょうどいいのです。週末だけではもったいない気がしています。と言っても毎晩工房に来られるわけではありませんが、満月に誘われて今晩は工房で過ごすことになりました。

心と労働の蓄積

抽象形態をベースにした今年のRECORD。今月は小さな正方形が並ぶ画面に造形を加えています。当初は単調な画面にモチベーションが保てず結構苦しむのではないかと思いましたが、不思議なことに飽きることなく展開し続けています。要素が少ないほうが展開しやすいのかもしれません。葉書大のサイズの厚紙に毎日1点ずつ作品を作り上げて、かれこれ4年目になり、作品の数は1200点を超えています。毎晩の習慣とは凄いもので、RECORDが滞ると気になって仕方がないのです。日によってRECORDの質が多少変わります。それを避けるために5日間で展開するパターンを作り上げたのですが、やはり日によって気分が乗らない時もあります。下書きだけで終わる日もあります。彩色は週末にまとめてやっていますが、下書きだけで終わった日やペン入れまで出来た日を振り返ると、一週間の気持ちの変化が見て取れます。心と労働の蓄積。RECORDを一言で表せば、これに尽きると思います。

疲労と意欲の混在

「疲れているように見える」と家内に言われ、このところ体調を気にしています。公務員の仕事の影響ではありません。管理職として書類作成やら提出等は毎年やっていることなので、最近は負担を感じることがなくなりました。季節の変わり目か、あるいは心に引っかかるものと言えば創作活動のことで疲労を覚えるのかもしれません。新作の方向性を変えたことで、新たなイメージを想起し、それに伴う作業工程を考えつつ制作を進めているせいだと思います。「発掘~鳥瞰~」や「構築~起源~」を作り上げた時に、例年とは異なる精神的・肉体的な負担を感じました。いずれも方向性を変えていくことになった作品です。新作は再び発掘シリーズに戻すので、今まさに曲がり角に差し掛かっているように自覚しています。家内に「気分が乗っているようにも見える」とも言われました。同じ方向で展開する作品とは異なり、自分の中で、手探りをして何かを得ようとしている気持ちの表れではないかと思います。疲労と意欲の混在。プラス思考になったり、マイナス思考になったり、心や手が揺れ動きながら新作の生みの苦しさを体感しています。

週末 内なる空間に向かって

今日も工房で新作屏風の制作です。屏風は直方体6個を三双として構成するものです。今日はまず1つ目の直方体に取り掛かりました。直方体の内部構造をイメージしながら木材で作り始めました。いわゆるボックスアートです。直方体の内なる空間に配置する彫刻で、閉塞感のある造形です。今年の7月に個展で発表する作品は「構築~解放~」と名付けていて、文字通り開放(解放)的な空間を演出します。今作ろうとしている来年の作品は、正反対の空間を有する内向きな作品です。三双を閉じてしまえば単なる直方体にしか見えない作品です。制作という労働の蓄積を隠す行為は、逆説的にイメージを掻きたてると考えます。想像で空間を補う彫刻。その一部が見えている造形の破片。ですが、決して表層だけを作っているわけでなく、全体を作って覆い隠す行為は、鑑賞者にその意図を委ねることになります。そんなことに思いをめぐらせながら制作に励んだ一日でした。

週末 新作屏風の制作開始

まだタイトルを決めていないので、新作屏風としておきます。今日から新作屏風の制作を始めます。まず円形に刳り貫く部分の作業から入ることにしました。円形刳り貫きは木彫で行う部分です。そこは砂を貼り付けていくので木目は出ません。陶彫部分も時間差で始めたいと思います。三双屏風で1点の大きさがほぼ一畳分の縦置きです。つまりそれが6点あるわけです。今日は長い作業工程の第一歩です。頭の中にしかイメージされていない新作屏風。雛型を作るかどうか思案中です。本来なら雛型で試してから作業に入るところですが、時間がないのでぶっつけ本番でやり始めて、迷いが生じたら雛型を用意する方法をとります。期待に胸膨らませて、初めの一歩を踏み出しました。

「鳥瞰」発展形 明日から…

2012年の個展に向けて明日から制作を開始します。大地に埋め込まれた陶彫の破片。擂り鉢型の劇場に出現する空間を遮る装置。崩れかけた大きな球体の一部。生物的な動きをもって大地を這う都市の地下構造。それらを立体屏風に仕立てていきます。立体構造と平面的広がりの双方から凝縮した世界を作り出したいと考えます。昨年と今年の構築シリーズは木彫の柱を構成した外へ広がる構造体で、軽みのある空間を演出する意図があります。一転して来年の発掘シリーズは箱の中に押し込めた重厚な空間を演出したいと思っているのです。塊として捉える集合彫刻です。あわせて平面作品としての屏風も同時に制作していくつもりです。立体作品と向かい合って、この平面屏風を展示しようと意図しているため、立体のもつ実在感に負けないような作品にしようと思っています。

図録レイアウトの打ち合わせ

先日、7月個展のために作品の撮影を行いました。今回も個展にあわせて図録を作る予定です。図録も6冊目になります。今まで同じサイズ、同じページ数でやってきました。そのフォームを今回も踏襲しています。ただし、少しずつレイアウトを変えて毎回特徴を出そうとしています。今回の特徴は野外での撮影です。幸い好天に恵まれたので、真っ青な空の下で作品の影が美しく落ちている写真が撮れました。ポートレイトも作品を解体する際に野外で撮影したもので、私の周りには若い女性アシスタントたちの姿が写っています。夜、カメラマンが数十枚の画像を携えて自宅にやってきて、相談をしながら画像を選び、図録の大まかな構成が決まってきました。こうした作業は楽しくて時間が経つのを忘れます。そこから次へのイメージ・ステップがあるのです。「木・陶による構築シリーズ・Ⅱ」と名付けた図録は、来月中旬には完成する運びです。

オブジェの意義

通勤中の電車内でA・ブルトンの「シュルレアリスムと絵画」を、とつおいつ読んでいます。同書にオブジェに纏わる箇所があり、オブジェの意義を考えました。オブジェというコトバがいつ頃から使われだしたのか記憶は定かではありませんが、日本美術史に出てくる彫刻(彫塑)というコトバに比べれば、新しい時代が生んだコトバであることに異論はないと思います。自分はおそらく学生時代にM・デュシャンのレディメイドの作品を通じて、オブジェというコトバを知ったように思います。「~略~必要性からではなく、むしろ習慣から人間が用いている事物によって感覚世界が侵略されつつあるいま、それに対抗しうる防御手段をなんとしても強化しなければならない。ここでも他のどこでも、慣用という気ちがいじみた獣を追い立てることである。そのための手段は存在する。~略~詩人たち、芸術家たちは、相異なる二つのイメージの接近によって想像力のうちにつくられるあの『力の場』のさなか、学者たちと出会う。二つのイメージのこの接近の機能が彼らに、一般には限界となっているオブジェの明白な生命の重視というレヴェルを、さらにこえて高まることをゆるすのである。~略~」(A・ブルトン)事物の持つ価値を転換させ、新しい価値を創造することを芸術と科学双方で連携して試みること、これがオブジェの意義であると自分も考えます。

気温上昇に備えて

今月から6月にかけて気温の変化に身体がついていけないことがあります。自分は比較的元気で、滅多に体調を崩さない方ですが、それでも気分が乗らない一日があります。疲れているのかわからない時は、大抵気温の変化による外的な要因が多いと思います。自分は精神的に病むことは今のところありません。作品を煮詰めていく時に精神的に厳しい時がやってきますが、週末を越すと別の仕事が待っているので、精神的な深みに嵌ることはありません。次の週末は再び仕切り直しになるからです。ただし気温の変化は気分にも変化を齎せ、二束の草鞋双方の仕事にダメージを与えることがあるのです。夏に向かい気温上昇に備えていきたいと思うこの頃ですが、具体的にはどうしたらよいのかわかりません。睡眠と適度な運動かなぁと思っています。確かに近隣のスポーツクラブに行って汗を流した後は爽快感があります。週末を精一杯制作にあてるために体調は万全にしておきたいものです。

RECORD5月のテーマ

抽象形態のパターンをベースにしている今年のRECORD。一日1点制作のペースは崩さずに継続しています。今月は小さな正方形が並んだ画面をベースにやっています。縦横に同じ正方形が並んでいるだけで自分は意欲が沸きます。今年の個展に出品することになった「陶紋」の基本は正方形で、かつてRECORDの立体化を図ろうとしたのが「陶紋」を作る契機になっているのです。一日1点の陶彫は時間的な制約があって現在は保留にしています。いずれ時間が出来た時は立体RECOEDを試みようと考えていますが、その前に平面作品としてイメージを貯蓄しておこうと思っています。それが今月のテーマです。もっと自由にやれるRECORDですが、どうも陶彫から離れられない癖があって、その手枷足枷が自分を追い詰めてしまう結果にもなることも自覚しています。

図録の撮影日

今日は好天に恵まれた一日でした。いつも仕事を一緒にやっている御馴染みのカメラマンが来て、7月の個展用図録の写真撮影を行いました。昨年より1週間遅い日取りになりましたが、自分としては充分に準備する時間があって、好都合でした。最近工房に出入りするようになったアーティストの卵たち3名が手伝いに来てくれて、カメラマン到着前に野外工房に「構築~解放~」の組み立てと設置をしてくれました。持つべき者は有能なアシスタントだとこの時ばかりは思いました。室内では「構築~楼閣~」、加えて先程野外に設置して撮影を終えた「構築~解放~」を室内に移動しての撮影となりました。その後、小品「陶紋」の撮影と続き、ほぼ丸一日かけて撮影終了。今日は真夏日になり、暑い工房内で体力を消耗させながら作品の解体と梱包を行いました。3人の若い力に感謝です。個展搬入前に作品の確認を行える機会として、この写真撮影は大切なイベントなのです。いよいよ今年も個展に向けての準備が出来てきた実感があります。