風景の変貌

通勤に使うバス停留所の近くに大きな旧家がありました。立派な石垣と太い樹木に囲まれた屋敷で、そこには自分と同じ歳の少年がいて、幼い頃よく遊んでいました。少年と書いた訳は、子供の頃に彼は事故で他界していたからです。私たちは悪戯好きで、彼の屋敷の裏山に廃材で棲家を作り、忍者ごっこをやった思い出があります。最近大きな屋敷に住む人がいなくなったと聞いていましたが、先日大きな樹木が切り倒され、屋敷も無くなっていました。こんなに広かったのかと改めて整地された土地を眺めて思いました。自分が幼かった頃は、このあたりは田畑が続き、家も疎らで、雑木林が点在していました。道は舗装がなく、たまに通るオート三輪が砂埃を舞い上げていました。牛にひかれた荷車も通っていきました。横浜市のベッドタウン化した現在の環境を考えると、信じられないくらい風景が変貌を遂げています。自分の記憶が更新されて、昔の道幅や田畑の尺度が掴めません。少なくても樹齢100年以上の樹木は残せなかったものか懐古に耽る自分は、ただ眼前で変貌していく風景を眺めているだけです。

「ボイスから始まる」を読み始める

「ボイスから始まる」(菅原教夫著 五柳書院)を読み始めました。先日まで読んでいた「ヨーゼフ・ボイスの足型」に続くボイス論です。ドイツ人芸術家ヨーゼフ・ボイスに関わる書籍は専門的な書店を探しても少なくて、ブームが去ったかのような印象を持ちますが、ボイスが提唱した社会彫刻の概念は、現代社会にあっても生きていると自分は考えます。僅かに書店で購入できるボイス関連の書籍を手に取って、自分の中でのボイス論の構築を試みたいと思い、今回は本書を読むことにしました。著者は読売新聞社に勤めるジャーナリストです。目次をみるとボイスの理念を充分に伝える項目が並んでいるので、これ幸いと通勤の友にすることにしました。やっと最近になって自分もボイス像を紐解いた感が拭えず、改めて日本で見られるボイス作品に触れてみたいと思っています。確か山梨県清里に行った折、現代美術を扱う洒落た美術館があって、そこにボイスの作品があったと記憶しています。20代の滞欧中に見たボイスの作品もそうでしたが、室内いっぱいに広がる工事現場のような作品に面喰った思いがあって、難解そうな謎解きを避けてきたのです。ボイスの理念を知って、再度ボイス・ワールドに接してみたいと思っています。

週末制作 陶土に追われる

陶土に追われるとはどういうことか、毎週末の制作で実感していて、今日も例外ではなかったので今日はこの話題にしました。陶彫はもちろん陶芸の場合も同じですが、土の乾燥による制作工程の順序があります。陶土が柔らかい時は菊練りを行い、タタラにしたり紐状にして成形を行います。大きな成形の場合は多少陶土が硬くなっていた方が、立体に立ち上げた時に歪まないですみます。さらに乾燥させて成形がしっかりした時に、表面に彫り込み加飾を行います。自分の場合はさらに乾燥が進んだ時に、表面の修整を行い、幾何形体の鋭利な面を出します。さらに乾燥が進むと、ヤスリをかけて表面を磨きます。ヤスリ掛けで出た陶土の粉は、実はドベを作る際に利用しているのです。焼成まで時間をかけて表面処理を行うため、陶土の乾燥具合を見て、次の工程に進むかどうかの判断をします。つまり一旦土錬機にかけて陶土を作り、成形を始めてしまうと、時間との勝負になる訳です。自分の気分で制作を止めたりすることが出来ません。どんなに疲れていても陶土の乾燥具合で制作をやらなくてはならない時があるのです。公務員との二足の草鞋生活の中で、こうした自分を追い込まざるを得ない状況はメリットでもあるし、同時にデメリットでもあります。陶土に追われるとは、自分の事情ではなく、素材の事情により制作が進んでいくことを言っています。今日は朝7時から夕方5時まで、陶土に追われながら過ごしました。一日の集中力が保てなくなるまでやりました。また次回、頑張りたいと思います。

週末 制作&報道写真展

今週末はとくに職場に行くこともなく、丸2日間を制作に使えます。制作三昧になるのは久しぶりで、朝から創作モードになっていました。以前NOTE(ブログ)に書きましたが、制作サイクルを再度点検し、この2日間を上手に回していきたいと思っています。今日は横浜の日本大通にある横浜新聞博物館で開催中の「福島菊次郎展」に行く予定にしていたので、午前中は集中して制作し、成形2点と土練をやりました。明日はタタラや次の成形、彫り込み加飾まで順序良く進めていこうと思っています。「福島菊次郎展」を見に行った理由は、前に師匠の池田宗弘先生から勧められていたのでした。福島菊次郎は92歳の現役で、戦後の日本が抱えてきた負の歴史と言うべき大きな事件の数々を被写体にしてきた報道カメラマンです。展示されていた広島の原爆を初めとする多くの激動のモノクロ画像を顧みて、忘れかけた過去に思いを馳せました。詳しい感想は機会を改めますが、会場には年配の方が多く見受けられました。池田先生は福島氏と面識があるらしく、作品やポートレイトを撮っていただいたと言っていました。

「ヨーゼフ・ボイスの足型」読後感

「社会彫刻というのが、今日のテーマです。社会彫刻ということに関して、ボイスは『拡大された芸術観念』ということを言うわけなんですけれども、どうしても『芸術概念』という言葉を使うもんで惑わされてしまって、僕たちは芸術というものが、モダニズムの芸術から何か違った形に概念が拡大されたんだと解釈してしまうんです。そうではなくて、ベクトルが全部正反対で出来上がっているんです。社会の全活動を、芸術゙創造性゙として捉えているわけです。今僕たちがここで話し合っていることが即、社会彫刻に参加しているんだということです。~略~ボイスは二十一世紀の人類に必要なのは、環境を破壊することのない、人間を含む生物に対して善となるような共同活動を、今の芸術家が提案していく時なのだと訴えているといえます。ボイスの生涯は、軍事的な東西の対決に人類が血道を上げているうちに、全人類の基盤である地球そのものが、緑地の破壊によって崩壊してしまうことを警告しつつ、行動を通して少しずつ社会改革を推し進めた生涯だったといえるでしょう。」(若江漢字著部分)「あらゆる作家の創意は、いずれも芸術史の大いなる風土に発生した種子の一つなのです。それぞれ固有の生成をなす。だからボイスの創意や構想の一端をつきとめることはできても、あなたの(若江氏の)作品をそれに従わせることはできないのだから…。」(酒井忠康著部分)2人の共著による「ヨーゼフ・ボイスの足型」を読み終えました。2人が言わんとする箇所を選び、ボイスの存在について考えさせられました。さらにボイスのことを知りたくなったので、関連する書籍を探してみようと思っています。

竹橋の「竹内栖鳳展」

東の横山大観・西の竹内栖鳳と称せられる2大巨匠のうち、自分は横山大観に比べると竹内栖鳳の画風を今までよく知らずにいて、今回の展覧会でようやくその全貌が分かった次第です。展覧会最終日の午後、会場であった東京国立近代美術館は大変混雑していて、竹内栖鳳の人気の高さを伺うことができました。様々な流派を取り込んだ技法は「鵺派」と揶揄されていたようですが、その各流派を取り込んだ驚くべき実力は、観る者に感銘を与えていました。私も例外なく描写力や構成力に圧倒されました。ライオンや象、鹿、狐、狸、猫、雀に至るまで動物の描写は特筆に値する表現力をもち、その風貌や動勢、毛の質感さえ見事な筆致を見せていました。西洋画の陰影を取り込んだ作品は、当時の日本画壇で驚かれたのではないかと推察しています。とりわけローマやベニスの構築的な建築描写と日本画的な樹木の描写が相まって統一されていたのが印象に残りました。作品によっては下書きの展示があって、動物の配置や動静に鉛筆で描いたり消したりした跡が、作者の生々しい苦心を伝えていて、自分もその時の気分や意欲や襲ってくる衝動を作者に重ねて感じてしまいました。模索を続け、決定に至る道筋が見えてきて、竹内栖鳳と言えども創作の悩みには自分と通じるものがあると知って、巨匠がとても身近に感じました。

渋谷の「レオナール・フジタ 藤田嗣治展」

藤田嗣治(レオナール・フジタ)の画業は何回かNOTE(ブログ)で取り上げていますが、東京渋谷にあるBunkamuraザ・ミュージアムで開催されていた「レオナール・フジタ 藤田嗣治展」に先日行ってきました。乳白色の肌をもつ裸婦の絵画を見ると、西洋画に東洋的な微妙で細密な表現を入れたフジタ特有の世界が広がって、当時のパリ画壇で人気を博した要因がよく伝わってきます。今回の展覧会で面白かったのが子どもをテーマとする作品群で、とくに「小さな職人たち」と称するタイル状のシリーズは、楽しく且つ下町風情の溢れる素敵な作品だと感じました。絵画のモティーフにしたい職業の数々、貧しいけれど懸命に働く人々を、子どもが演じる楽しさがありますが、実際に当時は年齢のいかない子どもが働いている場面もあったのかもしれません。もうひとつはフジタのアトリエにあった建築模型で、アトリエの室内を丹念に作り上げた楽しい立体作品です。小さな白い壁と石段や台所が西洋的情緒を醸し出していました。写真家土門拳等によるフジタの生活を写した写真も楽しめました。ともかく楽しさ満載の展覧会で、週末に相応しい時間を過ごすことができました。

「少年殉教者・聖マテオ小兵衛」

先日、東京六本木にある新国立美術館で開催していた自由美術展に出かけました。自由美術展は師匠池田宗弘先生が会員として出品されている美術団体で、毎年招待券をいただいています。今年の夏に長野県麻績の池田先生の工房兼住居であるエルミタに家内と行って、制作途中の作品を見せていただきました。その時は、先生の得意とする真鍮直付けの作品が置いてあり、これが完成すれば自由美術展に出品すると言っていましたが、同展に出品されていたのは長崎聖人像15体のうちの1点でした。長崎県の教会に依頼されている15聖人像は完成期限が迫っていて、これもなかなか日程的に厳しいと感じていたところ、同展には「少年殉教者・聖マテオ小兵衛」が出品されていました。ブロンズで鋳造された具象作品の表情が、亡くなられた先生の奥様に多少似ていると思いました。穏やかで美しい顔と両手を合わせた祈りの姿勢は、美術館の野外展示場の中で、清楚な雰囲気を醸し出していました。

三連休 仕事と美術鑑賞

三連休の最終日ですが、午前中は止むに止まれぬ仕事が入っていました。結局、三連休はいずれも職場関係の仕事が半日程度あって制作がままならない状況でした。今日の午後は工房には行かず、東京の美術館を家内と見てきました。今日は東京竹橋の国立近代美術館で開催していた「竹内栖鳳展」に行きました。開催日程が今日までなので急遽行くことにしたのでした。東の大観、西の栖鳳という言われる日本画の巨匠が、横浜と東京でそれぞれ展覧会をやっているので、まずは西の横綱である竹内栖鳳の世界を味わってきました。国立近代美術館は大変混雑していて、入場券を求める列が続いていましたが、入場規制はありませんでした。館内では人垣の隙間から絵画を見ていました。ただ、写実表現の凄さに打たれて、混雑が気にならなくなっていました。詳細な感想は機会を改めますが、細密で迫力のある描写に心が揺さぶられました。この三連休は仕事をしながら、芸術に触れた3日間でしたが、振り返ればかなり充実をしていたと思っています。創作活動では密度の濃い時間を過ごしました。時間制限がある分、気持ちが入り込んでいたのではないかと考えています。

週末の読書 「足型の石膏取り」

「コーヒーを飲んだあと、いよいよ石膏の流し込みを始める。中庭は四方を囲まれているわりには、不思議に涼しい風が時おり吹き抜けるが、この夏の異常な暑さで頭がクラクラするほどだった。日陰で石膏を水に溶かし、三回に分けて木箱に流し込む。それから用意した50ペニヒ硬貨を記念に石膏の中で沈める。この硬貨にはオークを植樹する女性の姿が彫られていて、ボイスは今も七千本のオークの植樹の実行中であり、私がこの貨幣を使用する意味を了解したのだろう、ニヤッと笑ってうなずいている。ボイスは私の用意したクリームを足に塗り、『いつでも足を入れるときがきたら言ってくれ』と私に言う。基礎となる石膏層が少し固まったところへ足を入れてもらう。ボイスは細心の注意を払って片足ずつそっと入れる。自分の作品でも作るように、すこぶる慎重な態度である。石膏内に足の位置が決まると、ボイスは完成までの一時間強の間、石膏の柔らかさで、足を宙に浮かせ気味の姿勢を強いられながら一度も足を動かさなかった。ある猛暑の中での忍耐強さには感心させられた。~略~」現在読んでいる「ヨーゼフ・ボイスの足型」(若江漢字 酒井忠康共著 みすず書房)の石膏取りの作業をしている箇所を抜きました。自分も学生時代は人体塑造を保存するため石膏取りをよく行っていました。今でも石膏は好きな素材のひとつです。そんなこともあって、ついこの箇所に注目してしまいました。今日は三連休の中日ですが、職場での仕事を片づけながら本を読んでいます。

三連休の微妙な制作時間

この三連休とも職場関係の仕事があって制作時間が微妙です。工房では少なくても3時間以上制作をしなければ作品が先に進みません。早朝や夕方の時間を使って時間を確保したいと思っています。往生際の悪い自分は休日に職場の仕事があるからといって制作をきっぱり諦めることができません。自分にとって制作は活力剤にもなっていて、工房に足を踏み入れただけで別世界へ誘われてしまうのです。それは幸せなひと時です。今日は朝7時に工房に行き、正午まで制作をしていました。午後は職場に行って仕事を済ませ、空いた夕方の時間で東京の美術館に出かけました。師匠の池田宗弘先生が出品している自由美術展は六本木の国立新美術館、藤田嗣治(レオナール・フジタ)の展覧会は渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム。2つの展覧会を僅かな時間で駆け巡りました。詳しい感想は機会を改めます。ジュンク堂書店にも立ち寄り、美術関係の書籍も買ってきました。ともあれ三連休初日は制作をして、公務もやって、美術館巡りもして充実させました。明日も職場に出かけますが、空いた時間を制作に充てたいと思っています。

読書に夢中になって慌てた日

通勤時間帯に読んでいる「ヨーゼフ・ボイスの足型」(若江漢字 酒井忠康共著 みすず書房)に夢中になっていたところ、降りる駅のアナウンスが流れて、ドキっとしたことがありました。読書はその中に自分が入り込んでしまうと、周囲が見えなくなり、突如耳を掠めるアナウンスに慌てることが多々あります。朝の通勤で自分は敢えて各駅停車を選び、ゆっくり座って読書を楽しんでいます。逆に帰りは混んで座れないため急行に乗って一刻も早く帰宅することにしています。帰途、立ったまま吊革につかまって読書の世界に耽ることは少なく、周囲が見えなくなるのは朝の出勤時に限られるのです。夢中になっていた箇所は、ヨーゼフ・ボイスが西武美術館の個展のために来日し、搬入・展示をしている場面で、館内の空間を見据えながら、作品を置いている状況が描写されていて、自分がギャラリーせいほうで作品を並べている状況に似て、ついボイスと自分を重ねてしまったのでした。ボイスの作品は置かれる場所も作品のうちとしているところがあって、その思いを巡らせていると、ボイスの言わんとしているところが見えてくるのではないか、そんな気持ちになっていました。危うく駅を乗り過ごすところでしたが、20分程度の乗車時間が一瞬の如く過ぎていきました。

10月RECORDは「塔」

新作「発掘~層塔~」を作り始めているせいか、いつも塔のイメージが脳裏を過ります。「発掘~層塔~」のイメージは固まっていますが、塔には様々な形態があり、また造形的刺激を受ける建造物も多いのです。塔は見上げると天に近い崇高な雰囲気や、頂上に登れば周囲を俯瞰できることがあって、軍事的必要性や宗教的意図もあったと思います。西欧で暮らしていた若い頃に、どの街にも広場があり、広場に面したところに寺院や教会の塔が建っていることが、街を散策する上での目印にしていました。街の周囲を囲む堅牢な石壁と中央に位置する塔のある都市構造が、たとえそれが幾多の戦争により必然としての戦時体制を物語っていたとしても、日本人の自分には美しい都市景観として眼に映りました。そんな訳で今月のRECORDのテーマを「塔」にしました。世界に残る様々な塔建築をイメージの基盤に据えて、さらに幻想を膨らませ、日々小さな作品をやっていきたいと思います。

「発掘~層塔~」制作に向けて

塔のイメージが頭を過ったのは今年初めの頃でした。まだ「発掘~地殻~」の制作が佳境に入っていて木材に鑿を振っていた時でした。こんな時にどうして別の作品のことが頭に浮かぶのか自分でも理解できませんが、ひとつ作品を完成させ、順序良く次作に取りかかることは今まで一度もなく、現行の制作に苦しみながら模索を続けている時に、突如新たなイメージが降ってきて、急き立てられるように新作への導入が始まってしまいます。私はいつもイメージを先行させるため、今まで培った技法が役に立たない場合があります。曖昧なイメージを具現化するために何をするか、構造体をどの素材を使って作るのか、基盤にするものはあっても前作と表現方法が変わるので、毎回新しい課題に挑むことになります。新作は円錐構造を持つ陶彫集合体をどう作るのか考えました。題名にした層塔とは三重塔や五重塔のような仏塔を総称するものですが、作品に宗教的意図はありません。旧約聖書にあるバベルの塔には驕りを諭す寓話がありますが、「発掘~層塔~」には虚構都市という末路を見据えて、残骸として存在するモノに社会性を込めていて、受け手がそこで何かを感じ取っていただければ幸いと思っています。鑑賞者の解釈に作品を委ねることで、いろいろな感想をいただけることが作者冥利につきると考えているのです。

私の中のヨーゼフ・ボイス

現代美術を考える上で、自分の中では知名度ばかりが独り歩きをしていて、作品に込める哲学やその具現化等の実態を知らない巨匠のひとりがドイツ人芸術家ヨーゼフ・ボイスです。私が渡欧した1980年当時はドイツのデュッセルドルフ芸術アカデミーの学内にボイスが主催する自由国際大学がありましたが、ドイツ語に疎かった自分は同大に入ってもボイスの理論を理解できないのではないかと思い、旧態依然とした西欧臭の残るオーストリアに留まることにしたのでした。当時は前衛を体感するというより、日本人である自分の存在を外側から問いたいと考えていて、敢えて保守的な国を選びました。国際的な活躍の場を求めることを渡欧目的とはしていなかった当時の自分は、西欧発信の現代美術には眼を瞑っていました。それでも時として現代の芸術情勢を知りたくなって、前衛的な作品を扱う画廊に立ち寄ることもありました。ボイスの作品は厚手のフェルトが置かれた空間があったり、チョークで書かれたドイツ語の黒板があったりして、それらが何を意味しているのか理解できず、ボイス自身が行うパフォーマンスを見なければ、自分の中のボイス観が始まらないと思っていたのでした。今回読み始めたボイスに関する書籍「ヨーゼフ・ボイスの足型」(若江漢字 酒井忠康共著 みすず書房)は、自分にとって初めてのボイス論です。ボイスが世を去ってから知る芸術哲学、遅ればせながらボイスの存在を心に刻みたいと思っています。

「ヨーゼフ・ボイスの足型」を読み始める

ドイツの現代芸術家であった故ヨーゼフ・ボイス関連の書籍を読むのは初めてです。自分の中での巨匠との関わりは別の機会に書きますが、実績を知りたい芸術家のひとりであったので、「ヨーゼフ・ボイスの足型」(若江漢字 酒井忠康共著 みすず書房)を購入して読むことにしました。本書はヨーゼフ・ボイスの足型を石膏で取ったことに大きな意義があり、そのエピソードが語られています。仏教伝来の国々には仏足があり、米国ではハリウッドスターの手形があって、有名人の身体の一部を後世に残す行為は各国にあります。社会活動家でもあったボイスの足型は面白い発想だと思いました。本書のボイスのプロフィールによると、ボイスは1921年生まれで1986年に没しています。享年65歳。「戦時中、搭乗した飛行機がロシア軍の迎撃により墜落し重傷を負った経験を元に、脂肪やフェルトを用いた前衛的な作品を制作する。~以下略~」とあり、前衛思想の中に個人的体験としての素材選択があると思われます。妙に人間臭い面が感じられるカリスマの生涯とエピソードを楽しみながら読んでいきたいと思います。

週末 制作サイクル遂行

来週の三連休に仕事が入っているため、今週末は出来る限り、新作の陶彫制作を進めていこうと思っていました。先週のウィークディの夜も工房に通っていて、夜にも関わらずタタラや成形をやっていました。これは制作サイクルの辻褄合わせで、三連休に時間が取れない分をウィークディや今週末でやろうとしているのです。なかなか厳しい措置ですが、意欲が打ち克っているので、今のところは何とかやっていけそうです。今日もギリギリまで頑張っていました。彫刻は精神の産物だとつくづく思うのは、制作時間が長くなると肉体より頭脳がつらくなることです。頭の中がまわらなくなるのです。ただ身体だけを動かしている労働より、頭の中でイメージを辿りつつ制作する方が疲れます。それは作業全般に亘って神経を使うためで、フォルムに緊張感が出たり、逆に緩慢になったりするのは精神の成せる業ではないかと思うのです。緊張感や集中力を伴うと自分は歯を食いしばる癖があって、顎が疲れているのに気づくことがあります。8時間を超えると身体の疲れが顕著です。そこを突破するためには心の修練が必要なのかもしれません。短期決戦では作れない彫刻は、一気呵成に行うことが出来ず、緊張感や集中力を維持していく必要があるので、心の持ちようが出来不出来を決めると思います。ミケランジェロがどの芸術よりも彫刻表現を優位と見なしていたと、ある書籍で読んだことがありましたが、わかるような気がします。ひとまず今日は朝から始めた陶彫制作を8時間を超えた夕方6時に止めることにしました。秋の日は釣瓶落としで工房の周囲は真っ暗になっていました。

週末 陶土600kg届く

現在制作中の塔をテーマにした彫刻作品は、150個を超える陶彫部品を予定していて、現状の陶土ではとても足りないので、先週栃木県益子町にある明智鉱業に連絡して、陶土600kgの購入を決めました。自分は陶土を単身で使わず、複数の陶土の割合を決めて土練機にかけます。「発掘シリーズ」の陶土は、土練機で混ぜて菊練りを行い、さらにビニールで包んで暫らく置いて、それから成形に使うことになります。今日は種類の異なる陶土600kgが益子町から届きました。これで思う存分陶土が使えます。陶土が充分にあると安心できます。古代の出土品のように焼き上がる「発掘シリーズ」の陶彫は、この土練りされた陶土があればこその作品で、別の陶土ではコンセプトが変わってしまいます。もう20年以上もこの陶土と付き合ってきました。今日も朝から夕方5時まで制作に明け暮れました。明日も続行です。

「枯山水」読後感

家業が造園業であったにも関わらず、自分は造園関係の書籍を読んだことがありませんでした。学生の頃、造園の仕事が好きになれなくて、造園を学問として扱うことを避けてきたように思います。実際は自然石を据え付け、植木を配置して、時に池泉の施工に父や職人とともに関わっていたのですが、それを生涯の仕事としてやっていく自信がもてなかったのでした。自然石や植木は自分の思い通りにならず、また造園会社という組織を動かすことも自分には躊躇われました。巡り合せは不思議なもので、土を焼き、木を彫り、空間にそれらを配置した彫刻を作るようになって、ようやく庭園に興味関心が出てきました。「枯山水」(重森三鈴著 中央公論新社)を読み終えて初めに感じたことは庭園と自分の繋がりです。本書では平安時代から現代にいたる日本庭園の造形変遷を扱っていて、宗教や絵画の影響、そして現代の課題まで、枯山水を多義に亘って説いています。とりわけ室町時代に興った象徴主義的庭園は特筆に値すると思いました。まとまった箇所を引用すると「慈照寺の白砂檀から、竜安寺の枯山水に発展し、それが大仙院の枯山水となって躍進し、更に退蔵院の枯山水において日本化した」とあります。最後に作庭家であった著者自身による創作論が展開されている箇所があるので、これをもってまとめにしたいと思います。「私は、時によっては陶器ばかりの枯山水を作ったり、土だけの築山を設けたり、白砂だけの地紋を作ったり、切石による彫刻的なデザインによる石組を作ったり、刈込のみによる特殊なデザインの庭としたり、庭木の手入法を全然変化させて、庭木のみの庭としたり、敷石のみによる色彩的又は地紋の変化を見せる庭としたりなどして、従来に見られなかった枯山水を作ることが可能だと信じている。~略~そのいずれであるにしても、庭園である限り、特に枯山水の場合は枯山水としての創作であり、本質的な意味での枯山水でなければならない。」著者の自由闊達で筋の通った庭園論をさらに深めたい欲求に駆られました。

4つの庭園における時代変遷

亡父が造園業を営んでいたおかげで、私は空間造形としての日本庭園に関心があります。現在読んでいる「枯山水」(重森三鈴著 中央公論新社)は時代背景に沿った庭園史がまとめられているので改めて庭園を見直す契機になります。自分の関心が高いのは後期式枯山水であることが分かり、さらに本書では慈照寺(銀閣)、竜安寺、大仙院、退蔵院の4つの庭園を比較検討し、時代変遷を辿るとともに絵画からの影響や構成の変化に関する論考に自分の興味は尽きません。注目した箇所をピックアップします。「(慈照寺は)銀沙灘や、向月台は、禅的象徴主義の表現として、ようやく枯山水への本格化に向かって、歩み寄りつつあったことが考えられ、この白砂檀は波心の表現なのである。かような空白の芸術としての白砂檀が現われると、今度は、この同じ前庭への白砂敷の場所が、やはり一方では空白感を盛りつつ、一方ではこれを海洋風景として、やや具体化する動向をたどりつつ、枯山水へ向かって一大発展を遂げたものが竜安寺の庭園である。~略~竜安寺の場合では、白砂敷の前庭から、やっと一段発展したまでの意味で、そこには、十五石が配置されたのみで、まだ一木一草を植えるまでには至っていないのである。この場合では、まだ絵画的な、たとえば水墨画的な意図としての、山水画的庭園などは考えられていなかったのであって、ようやく、枯山水としての独立した、又は確立したばかりの庭園として構成されたことが考えられるのである。~略~(大仙院は)全庭の構成が石組本位であることと、しかもこれらの石材料が、青石系統のものであることである。全庭を石組本位として構成したことは、いうまでもなく水墨山水画的表現に、もっとも必要があったからであり、特に馬夏風な山水画の再現を庭園構成の上から希望するとすれば、やはり石組本位とするのほかはない。~略~(退蔵院の)枯山水は、あくまでも水墨画的であっても、それが日本画としての狩野派のごとき、やや鈍重な表現をもっている。石材料も青石系のもののほかに、花崗岩的なものも相当豊富に用いられていて、これを大仙院の庭園と比較する時、やや時代のくだっているものを表現しているのみでなく、宋元山水画などに見る雄勁さが失われていて、どことなく親しみのある、円満な表現とされている。」

象徴主義としての枯山水

「~冒頭略~象徴主義が、自然主義の上に加えられていることは、日本庭園における根本概念であると共に、あくまでも、自然を尊重し、又は自然を基本としつつも、更に、より美しい自然へ、より崇高なる自然へ、より理想的な自然へといったように、より高度性を追及してやまぬものがあったと考えることができるのである。~略~後期式の枯山水にあっては、白砂を敷いて、これを海水としての表現とし、石を立てることによって、枯滝を表現するなど、あくまでも象徴主義がとられて行った~以下略~」と「枯山水」(重森三鈴著 中央公論新社)の文中にあるように庭園が室町時代になると空間芸術として変貌してきた様子が語られています。海原や山脈という風景を別の素材をもって表現する、そこに象徴化が生まれ、鑑賞者がその小さな庭園空間に想像力を働かせて、大いなる心象風景として楽しむというのは、まさに現代の造形美術と通じています。象徴化はアートへの第一歩で、単なる写実を超えて、美とは何かを問う哲学が構築されると自分は考えています。

休日出勤多い10月に…

10月になりました。月日が経つのは早いなぁと思います。週末ごとの制作サイクルを先月計画したばかりですが、今月は休日出勤が多くて、早くも制作サイクルに黄信号が点りそうです。職場と地域が協働するイベントが多く、その合間で制作をすることになりますが、集中した制作を心がけていきます。ウィークディの夜の制作は出来るのか、これは自分の気持ち次第です。秋が深まって創作活動には最適な季節になるので今が頑張りどころです。制作目標としては、現在新作の塔のことで頭がいっぱいなので、塔の陶彫部品を出来るだけ作っていくしかありません。塔の構造体は十数個の板材パーツに分かれています。そのうち成形が終わっているのがひとつだけという状況です。ひとつの板材パーツには5個から6個の陶彫部品を接合します。最初のひとつに時間がかかってしまいましたが、段取りが分かってくればペースアップも可能です。間に合うかどうか先のことを考えると焦りますが、毎年ハードルを上げているので厳しい状況に慣れていると言っても過言ではありません。常軌を逸してしまうのは自分にとっては想定内なのです。

2020東京オリンピックに思うこと

今日で9月が終わります。今月のトップ記事は7日に決まった2020年東京オリンピック開催決定でしょう。思えば1964年の東京オリンピックは、自分はまだ子供で、煌びやかだった開催式や東洋の魔女と呼ばれた女子バレーボールの決勝をテレビで見ていました。こんなことは一生に一度しかないと祖父や父が言っていたのを思い出しました。祖父も父も亡くなりましたが、東京オリンピックは再度やってきます。7年後には自分は公務員を退職し、自由な身になっていると思います。オリンピックを競技場で実際に見たいなぁと家内と話しています。その時どんなスター選手が登場しているのでしょうか。東京は周辺も含めて都市環境が生まれ変わっているのでしょうか。自分はどんな生活を送っているのでしょうか。彫刻で自分が思うような表現が出来ているのでしょうか。7年後はすぐにやってきます。人生目標を立てるのに都合の良い期間です。オリンピックまでに自分はこうなっていたいという実現可能目標を掲げてやっていこうと決めました。

週末 RECORD撮影日

例年5月に個展用の図録撮影がありますが、陶彫作品だけでなく、自分にはRECORDと称するポストカード大の平面作品があります。毎晩自宅で作っている小さな作品ですが、塵も積もればの感があって作品点数はかなりの量になっています。今日は懇意にしているカメラマンがやってきて、RECORDの撮影になりました。まとめて撮影し、ホームページにアップしていきます。同じ創作活動でも彫刻制作とRECORD制作は、作品に向かう気持ちが異なります。彫刻は制作スパンが長く、陶土や木材との対話を楽しみながら、制作工程を横目で見つつ、年間を通して作っていくものです。RECORDは一日で作ります。原則的には構想から下書き、彩色、仕上げまでを2時間程度でやります。彩色は週末にまとめることもあり、仕上げが前後することもありますが、基本は一日1点ずつ作っていくものです。彫刻一年、RECORD一日、これが今のところ自分の創作活動の全てです。RECORD撮影でデジタルデータとして残していただき、ホームページで見られるようにしているのは自分にとっても先行きを考えるうえで有効です。彫刻だけでなく、RECORDも過去のオリジナル作品を見るために保管箱を探さなくてはならないので、ホームページの気軽さを思わないではいられません。

週末 陶彫の頑張りどころ

朝夕めっきり涼しくなり、ようやく秋がやってきました。制作には絶好の季節到来で、ここが頑張りどころです。前回NOTE(ブログ)に書いた制作サイクルは順調に滑り出し、昨晩タタラにしておいた陶土10枚を使って、今朝から成形に入りました。塔の新作は彫り込み加飾に時間がかかるため、陶土の乾燥を見ながら成形し、そこに水を吹きかけてビニールで梱包しておきます。陶板を表面は柔らかく内部はやや乾燥気味にしておく必要があるのです。梅雨の季節はその兼ね合いが上手くいきますが、空気が乾燥してくる秋は油断できません。工房では個展搬入が間近に迫っている若いスタッフが朝から制作をしていたので、自分も負けじと気持ちを高めながら、朝から夜まで制作に励みました。若いスタッフの出入りは、自作の手伝いだけではなく、各自それぞれが制作をすることで社会的促進が生まれることが大きいと思っています。言わば美大の工房と同じ空気が流れているような錯覚をもてるのが良いなぁと思っています。明日も制作続行です。制作サイクルで言えば、明日は次回の土練までやってしまう予定です。

工房に潜む魔力

ウィークディの夜の制作は気分的にはシンドいものがあります。仕事から帰って、くつろぎたい気分になっているところで工房に出かけるのは精神的には大変です。夕食後になって工房に行こうかどうしようか迷うところですが、思い切って工房に足を踏み入れてしまうと、作品の磁力に引っ張られるように制作に没頭してしまうのです。夜の工房は周囲が暗く、照明の光は時に集中力を高めます。成形のようなアクティブな行為には向きませんが、細かい彫り込み加飾には最適な環境です。工房には創作魔が潜んでいて、自分に乗り移っているのではないかと疑うことさえあります。身体はヘトヘトだし、おまけに自宅に戻ってからRECORDやNOTE(ブログ)を書かなければならないので、工房の夜の制作は長く続きませんが、意欲が萎えず集中して制作が出来るのはどういうことでしょうか。毎晩は無理ですが、身体が保つなら可能な限り工房に行って、工房に潜む魔力の虜になりたいと思っています。

前期式枯山水と後期式枯山水

日本庭園を鑑賞する時、自分は全ての枯山水を同一視していましたが、「枯山水」(重森三鈴著 中央公論新社)を読んでいるうちに枯山水の歴史に触れ、時代とともに枯山水の形式が移り変わってきたことを知りました。前期式枯山水は平安時代、後期式枯山水は鎌倉時代から室町時代に至っており、自分の美意識に刺激を与える枯山水は室町時代末期に作庭されたものが多いことに気付かされました。本書の文中では「前期式枯山水は~略~池や遺水に直接関係のない石組本位の庭が指されていて、いわば独立した庭園ではなく、まだ池泉庭園や、遺水の庭園が全盛を極めていた時代において~略~(池泉に直接関係のない場所に)築山などが軽く作られた場合」のことを前期式と定義しています。「石庭に興味がもたれ、それが墨画としての山水画に影響され、又はそれが禅宗教義にも、武家好みにも投じるところから、水を全然用いない庭園が出現し、石を主題として、これに白砂などを敷き詰め、枯れた庭という意味から、白砂を水に見立てて、仮の庭とする結果」が後期式となります。有名な竜安寺石庭は後期式枯山水という訳で、模擬風景を創作したところに、現代における場の彫刻や空間造形に通じる概念があるとも考えられます。自分の亡父が造園を生業にしていただけに庭園に関する興味は尽きません。

2013‘個展の論評より

7月に開催したギャラリーせいほうでの個展に、ビジョン企画の新報で主筆を務める美術評論家の瀧梯三さんにお会いして、示唆に富む話をお伺いました。直弧紋を研究し始めたのも瀧さんの助言が契機になりました。その展覧会誌に個展の批評が掲載されたので紹介します。「陶彫。『発掘シリーズⅤ』。大作は厚板六曲屏風と分厚い壁の残骸のようなオブジェ。小品は箱型の形に様々な文様を刻す。どれもが古代遺跡の出土品を模した黒褐色の異様さを備える。虚構ではあるが、迫る力は尋常ではない。」毎回短文を書いていただいていますが、今年は写真も載せていただきました。最後にあった「迫る力は尋常ではない」という一文に勇気をもらいました。今後も尋常ではない迫力ある作品を作っていきたいと思っています。そうでなければ個展の際に、知人友人にわざわざ足を運んでいただいて申し訳ないと思います。非日常的で非現実的な世界が、心に潤いを齎せ、また活力を与えてくれると私は思っていて、それが作品を通した作り手と受け手のコミュニケーションだろうと考えています。

「枯山水」を読み始める

「枯山水」(重森三鈴著 中央公論新社)を読み始めました。先月来、縄文文化に関する書籍を読み漁っていますが、古代日本文化の視点を変えずに、次なるテーマとして庭園を選びました。枯山水の歴史からすれば、縄文より時代は移り変わって平安や室町になりますが、その芸術性を考えるのは、場の彫刻を模索する自分にとっ大変勉強になると思っています。著者である作庭家重森三鈴は過去何回かNOTE(ブログ)に取り上げていますが、自分が最も関心を寄せる空間造形作家です。京都の重森三玲庭園美術館や東福寺の庭園を見に行って、その現代的感性に魅せられました。重森三玲庭園美術館では親族の方が案内してくださり、重森三玲を身近に感じることができました。本書の冒頭に「~前文略~枯山水は、東山時代から、必然的な時代の要求によって、本格的に出現したのであった。応仁の乱後の経済的無力、風俗習慣等の一大変化、禅宗の発展などが、その基本であった。そこに簡素化と、単純化と、したがって空間の処理とが創意された。そこに従来の池庭とは全く異質な庭園が出現したのであった。~略~新しく創作された枯山水は、従来の庭園と比較して、奇想天外な作品として誕生し、創意にあふれた永遠のモダンが内在的に発展したのであった。」とあるように枯山水は、恰も前衛芸術の如く出現し、愛好家を魅了して現在に至っているのです。通勤電車の中で枯山水に思いを馳せながら楽しんで読んでいきたいと思います。

三連休 陶彫制作サイクル

三連休の最終日です。この三連休は新作に向けてコツコツと作業を積み重ねてきました。朝から気力が尽きる夕方まで作業をやってきましたが、思ったようには制作は進まず、今後の制作工程上の困難な道のりが浮かび上がりました。新作は陶彫だけで木彫はありません。ただし、陶彫部品の量が半端ではなく、これを乗り切るには制作サイクルを作ろうと思っています。週末の制作を充実させるために、土練、タタラ、成形、加飾、仕上げ、化粧掛け、窯入れという制作サイクルのどの工程を週末に組み入れるかを考えたのです。仕上げ、化粧掛け、窯入れは放置しておいても問題なし、陶土の乾燥に絡むタタラ、成形、加飾の作業を週末に集中して行うことにしました。週末の最後に必ず土練を行い、次の週末に備えることにして、週末に入る前夜にタタラを作ってビニール梱包をしておくのが理想です。そうすれば土曜日に成形、日曜日午前中に加飾が出来ます。日曜日の午後に土練をやって、次の週末を迎えるというシナリオですが、そんなに簡単にいかないとは思っています。それでも基本的には制作サイクルを作って当分乗り切っていこうと決めました。仕上げ以降は冬場になって行う予定です。それまでに多く作品を加飾まで終わらせているのが目標です。

三連休 粘り強く 根気よく…

三連休の中日に当たる今日は、朝から夕方まで工房で陶彫成形と彫り込み加飾の作業に追われました。彫り込み加飾は制作工程の中では楽しい作業です。彫り込みでは渦巻状の紋様や矩形の繰り返しを自分は多用していますが、成形された面に施して立体を強調する役目を負います。自分の作品は具体的な対象を持たない抽象性の強い作風ですが、簡素な抽象作品とは異なり、表面に施した彫り込みが重要です。そうした彫り込み加飾は、立体構造体の表面に付加するだけのものではなく主題を表すこともあります。自分は立体とレリーフが咬み合う造形を目指しているのです。立体にするための成形もなかなか大変ですが、彫り込み加飾は粘り強さと根気が要ります。これが作品の出来不出来に作用してくるので、今年も集中力をもって取り組みたいと思っています。しつこく拘ることはどんなにやっても無駄ではありません。淡泊であってはならないと自分に言い聞かせ、本腰を入れていきたいと思っています。今日は塔の構造を持つ新作の陶彫部品の成形と加飾を行いました。150以上作らなければならない部品の数点を作っただけですが、6時間程度かかりました。慣れれば時間短縮もあるでしょうが、これはなかなか大変です。明日も継続です。