ダダに関すること

ドイツ人画家ジョージ・グロッスの生涯を論じた書物を読んでいると、ダダイズムについて自分の知識の乏しさが浮かび上がります。ダダイズムは既成の芸術を壊した運動としか自分は理解していませんでしたが、それを言うなら印象派でも表現主義でも既成に囚われない芸術概念を作り上げたところは同じです。ダダイズムは反芸術とも微妙に異なることもグロッスの書物から知りました。ダダイズムは政治色が強く反戦主義を掲げ、ダダイストたちは共産党にも入党しています。どんな時代でも現実を見据えた芸術運動が生まれていますが、ダダイズムはまさに大きな戦争の狭間に生まれた辛辣な社会風刺をテーマにしたものであると言えます。ダダイズムは長く続く芸術運動ではなかったようですが、その目的とするところを考えればそれも頷けます。歴史的に長く支持されたシュルレアリスムの源泉がここにあったように感じます。

爪に付着している絵の具

先週末「発掘~混在~」の制作で砂マチエールに油絵の具を染み込ませた際、絵の具が手に付着しました。工房を出るときには、ブラシクリーナーを使って手を洗ったのですが、爪のところに付着した絵の具が残ってしまい、今だ汚れが取れません。職場で女性職員から指摘されて恥ずかしい思いをしながら、これは油絵の具です、と弁解しました。カッコいいですねぇ、絵を描いていらっしゃるのですか、と問われて、週末には作品を作っています、と答えました。スーツを着ているのに職人のような手で出勤している自分は、他人からどう見えているのでしょうか。陶土を扱っている時は手がガサガサになり、木材を扱っている時は手が棘で傷だらけ、砂マチエールを扱っている時は手がベトベト、そして油絵の具を扱っている時は少量の絵の具が付着したまま、それら全てが自作の制作工程で起こる困ったことです。おまけにスタッフを巻き込んで作る作品とはどんなものなのか、スタッフは若い女性が多いので申し訳ないと胸中で思いながら手伝ってもらっている次第です。

木質の否定

木材は美しい素材です。木目の美しさに惚れ惚れすることがありますが、自分の造形は木目が邪魔になります。工芸品として木目を最大に生かしたものは身近に置きたいと思うほど木材好きな自分が、自作では木質を否定しています。自然が生んだものを敢えて突き放し、素材を変容させ、木材らしくないものにしてしまうのです。木材には個性があります。石材も同じですが、木らしさ石らしさは日本的な美意識の中で大切にされてきました。自分の造形における素材は無個性でありたいと考えているのです。木目や石目を読み取って造形する作家が多い中で、自分は否定的な立場を取っています。木らしさを捨てて木で表現する、土らしさを捨てて土で表現する、そうした行為に走る自分の思索を巧く言い表せませんが、素材に頼らず自立できる強固な造形を目指していることだけは確かです。

4月RECORDは「飛翔」

4月のRECORDのテーマは「飛翔」にしました。年度が変わり、新しい出会いがある4月に相応しいテーマを探していたところ、鳥が羽ばたく様子を見て「飛翔」がいいと思いました。空中を何かが飛ぶテーマを自分は今までに扱ったことがなく、宙に颯爽と舞う表現を突き詰めていければと考えます。でも翼は飛行機にしろ鳥にしろ美しいと感じます。翼のバリエーションを描くのも楽しいし、また飛翔する想像上の生命体を描くのもいいなぁと思っています。大地にどっしり根ざす作品が多いなかで、重力を感じさせない表現にも関心を持って取り組みたいと思います。これを立体表現に出来ればいいのですが…。今月は楽しみながらRECORDを作っていきます。

週末 「混在」油絵の具塗装

昨日は油性塗料によって塗装をしました。引き続き今日はスタッフに手伝ってもらいながら油絵の具による塗装に切り替えました。砂マチエールに油絵の具を染み込ませる方法は久しぶりです。今日は半分程度しか終わりませんでしたが、来週末には油絵の具による下塗りを完成させてドリッピングを行いたいと思っています。油絵の具は硬化するのに時間がかかります。油絵の具が乾くまでの時間を使って、新作「発掘~場~」の土台作りに入る計画でいます。「発掘~場~」は5月の連休中に制作が終われば、何とか図録撮影に間に合うのではないかと考えます。来週末は休日出勤が一日予定されているのが苦しいところですが、新しい年度が始まったばかりなので仕方がないのです。今月はウィークディも週末も密度の濃い時間を過ごしています。身体に気遣いながら頑張りたいと思います。

週末 「混在」油性塗装へ

今日は朝から工房に篭って「発掘~混在~」の塗装に入りました。砂マチエールをつけた箇所以外のところには油絵の具ではなく油性塗料を施すことにしました。この塗料を施すところは隠れて見えないところになります。カビ等防止のために行う作業ですが、素材が木材なので全てを塗料で覆うようにします。ディスプレイや舞台美術のように人目に触れるところだけ造形するのではなく、彫刻は全てを作品として考えるものと自分は認識しています。目に見えなくなるものも見えるところと同じようにしているのです。ましてや今回の作品は埋没して見えなくなっている空間がかなりあって、それがテーマのひとつになっているのです。今日は朝から夕方まで黒い油性塗料を使って塗装をしていました。手についた塗料が取れません。明日は砂マチエールの部分に油絵の具を染み込ませていく作業に移ります。これからは彫刻的な仕事ではなく絵画的な仕事になります。

長かった一週間

4月当初の一週間。ウィークディは長かったなぁと感じました。慣れない職場での挨拶やら書類の作成、加えて新年度を迎えるイベント等で些か疲れました。明日は工房に行って制作三昧を決めています。この制作も大変ですが、今週の新しい人間関係に比べれば気が楽になります。この一週間は創作のことを考える余裕がなかったと思います。RECORDも思うように進まず、唯一通勤電車の中で読む本だけが心の支えでした。頁を捲れば、忽ち異国の町に自分を連れて行ってくれるところが書物の凄いところです。今クタクタになりながらNOTE(ブログ)を書いています。目下、読書と睡眠が一番の幸せです。今晩は短文にて失礼いたします。

新しい職場でのイベント

4月は出会いや別れの季節です。今日は出会いの日でした。4月から赴任した職場で大きなイベントがありました。自分は縁の下で職員を支える立場ですが、イベントは支障なく済みました。昨年度まで勤めていた大きな職場でも今年度転勤した小さな職場でも、スタッフの動きは素晴らしく全てが滞りなく過ぎていきました。疲労は残りましたが、日一日と新しい職場に慣れていきます。数ヶ月も経てば気楽に仕事ができるのかなぁと思っています。午後になって自分は出張がありましたが、横浜駅に近い職場なので、どこに行くにも大変便利でとても助かっています。明日は前の職場に戻って離任の挨拶をいたします。明日は別れの日になります。

「ジョージ・グロッスーベルリン・ダダイストの軌跡ー」

「ジョージ・グロッスーベルリン・ダダイストの軌跡ー」(宇佐美幸彦著 関西大学出版部)を読み始めました。グロッスは風刺的な絵画表現をもって20世紀初頭のドイツやアメリカで活躍した人です。自分はゲオルゲ・グロッスと覚えていましたが、正確にはジョージ・グロッスだそうで、そこには政治的な意味合いがあると本書は述べています。グロッスの社会を痛烈に批判した絵画を、自分は幾度となく見ています。前に読んでいたアウグスト・マッケと同じく、自分はグロッスの画業は知っていても人生を知らずにいました。この際、グロッスの人となりを知って、その時代背景や社会状況も同時に学びたいと考えました。自分はドイツ表現主義が登場した20世紀初頭に文化的な魅力を感じる一人です。大きな戦争があって、ナチスによって退廃芸術の烙印を押された表現主義。今回はジョージ・グロッスを通して、その時代に迫りたいと思います。

「色彩の詩人アウグスト・マッケ」読後感

「色彩の詩人アウグスト・マッケ」(佐藤洋子著 中央公論事業出版)を読み終えました。ドイツ表現主義の画家としては最も若くして世を去った画家です。27歳の戦死は衝撃的です。同じ「青騎士」で活躍した画家フランツ・マルケによる哀悼の辞を引用します。「幾多の勇者のなかでも一発の弾丸が一人のかけがえのない人間に命中した。かれの死をもって一つの民族の文化は、その手を切断され、その眼は盲にされた。この残酷な戦争は、どれほど多くの恐ろしい毀損をわれわれの未来の文化にもたらすことだろうか。~略~かれとともに仕事をしたわれわれ、かれの友人たち、われわれは知っていた、この天賦の才ある人間が、どれほど密かな未来を自らのうちに持っていたかを。~以下略~」マルケはマッケのあまりにも早すぎた死を悼み、未来への期待が失なわれたことを嘆いています。また、筆者の言葉を引用すると「制作約十年の夭折のため、その作品世界は、これまで『未完の画家』、『若きマッケ』という評価がなされてきた。人生は断絶されたが、作品は未熟ではない。不条理を超えた訴求力をもって、一世紀を貫いて放ち続ける輝きをもって、作品は今日に受け継がれている。」という言葉で、若くして完成したマッケの作品を讃えています。たかだか十年の制作で遺された作品が現代まで伝えられている事実を考えると、アウグスト・マッケは確かに天賦の才に恵まれた画家であったと私も思います。

新しい職場に出勤した日

新しい職場は、自宅から少しばかり遠くなりましたが、読書にはちょうどいい通勤時間が確保できてよかったと思います。ただ、職場では何がどこにあるのか、書類の棚に目をやっても皆目わからず、それでも提出の迫った書類の在り処を見つけて何とか作成に漕ぎ着けた次第です。今日は職場周辺の地域への挨拶も済ませました。規模の小さな職場になりましたが、慣れない環境に戸惑うことが多くて些か疲れました。職場から横浜駅西口に歩いていける距離なので、勤務時間終了とともに新しい職場の人と横浜駅周辺にある焼き鳥屋に寄りました。なんとも便利な場所に職場があるもので、それだけがラッキーなところです。警備の解錠や施錠もわかって気が楽になりました。毎日少しずつ慣れていくと思います。今日が一番緊張した日かもしれません。

新年度を迎えて

4月になりました。私は新しい職場に転勤が決まりました。明日からの出勤になります。制作のほうは砂マチエールが完了して、次の段階である塗装に入りました。工房スタッフと家内が手伝ってくれたので何とか計画通りに進みました。砂の硬化剤と油性絵の具で手がひどい状態になりました。塗装は来週末に継続です。さて、4月の制作目標ですが、当然「発掘~混在~」の完成です。それだけではなく「発掘~場~」も完成しなければ図録撮影に間に合わなくなります。年度が変わっても制作工程の苦しさからは逃れられません。新しい職場でひとつの書類を作るのにも右往左往することが予想されるし、新しい人間関係でもストレスを抱えることは覚悟していますが、制作はそれに輪をかけて厳しくなるなぁと思っています。今月は公務員と彫刻家の二足の草鞋双方に勝負をかける時かもしれません。制作は来月の図録撮影まで持ち応えれば、ようやく一息入れられるのではないかと思います。職場のほうは明日から始まってみないとなんとも言えません。RECORDもテーマを決めます。4月に相応しいテーマを考えます。門出を祝えるようなイメージにしたいと思います。

週末 3月の最終日

年度末の最終日を迎えました。朝から工房へ行き、砂マチエールの継続作業を行いました。幸いスタッフが手伝いに来てくれたので、なんとか今週末に砂マチエール終了のめどが立ちそうです。4月から新しい職場に異動になって、週末がしっかり取れるのかどうかわかりません。4月の週末から塗装作業には入れれば、5月初旬の撮影には間に合いそうです。今週末の2日間はレンタカーを使っています。車を修理に出しているので、スタッフの送り迎えや買い物に車が必要なのです。夕方、RECORDの彩色仕上げが終わって今月分が完了しました。明日から4月です。気持ちも新たにして頑張りたいと思います。

市の辞令交付式

今日は横浜市公務員管理職の辞令交付式がありました。私は異動が内定し、現在の大規模な職場から小規模な職場へ移ります。自宅からやや遠くなるものの、私鉄一本で通えるので条件としてはいいのかなぁと思っています。転勤の決まった職場から歩いて10分程度で横浜駅西口に行けます。便利と言えば便利です。辞令交付式では先輩として自分を導いてくれた人が定年を迎えていたり、新たに管理職に昇任した人にも知り合いがいて、ほんの2時間で気持ちが切りかわりました。現在の職場に戻って片付けを行いました。持ち帰る荷物がいっぱいあって、車を修理に出していることを悔やみました。明日からの週末は制作に没頭して、4月からの新しい職場に向けて気持ちをリセットしていきたいと思います。

日々の楽しみ 蓄積される楽しみ

何をしてる時が自分は楽しいのか自問自答することがあります。刹那的な楽しみを見出せない自分は、敢えて苦行を強いている修行僧のようなものです。その目的とするものは宗教ではなく芸術ですが、それなら芸術はそんなに楽しいのかと言うと回答に迷います。自宅の食卓でRECORDをせっせと作っている自分を見て、家内が「もっと遊んだほうがいい」と忠告してくれます。RECORDも仕事のうち、と思うと四六時中仕事をしている自分がいます。「あなたにとって作ることは何?」と聞かれて、「睡眠や食事と同じ。」と思わず答えてしまいました。週末の彫刻制作だけでなく、日々のRECORD制作は「ちょっと創作」を具現化したもので、身近で気楽な遊戯です。ただし、自分と向き合い、思い悩むことが多く、睡眠や食事と同じレベルではないことはわかっています。それでもそうした行為によって生み出されたモノが一定の満足を与えてくれることもあるのです。日々の楽しみ、されど苦しみを伴い、蓄積される楽しみ、されど振り返ると微妙な結果もあり、で身近で気楽な遊戯を今日も繰り返しています。

猫の手も借りたい

職場では年度末の多忙な仕事に追われています。捨てずに残しておいた書類でも一気にシュレッダーにかけて机上や棚の整理をしています。同時に送信や送付をしなければならない書類も数々あり、仕分けに一苦労です。誰も彼もが整理をやっているので、今の職場はゴミの山です。パソコンのデータも整理をしています。業者の名刺も捨てるものと残すものに分けました。猫の手も借りたいと言うのはこのことを言うのでしょうか。自宅に帰れば本物の猫が私に絡んできます。猫のトラ吉は私にパンチを食らわせたりするのです。そんな猫の手を借りなければならない例えは、究極の多忙感を表しているのでしょう。今の自分の状況がそれです。でもトラ吉は気儘な極楽トンボなので、私の胸のうちなど理解できるはずもありません。猫パンチが私の気分転換になる程度です。

仕事と制作に没頭した日

職場では朝から年度末の会計監査。最終資料を確認するため、始発のバスに乗って6時過ぎに職場に着きました。パソコンで何度も書類データを確認しました。午前中は会計のことで右往左往して、あっという間に時間が過ぎました。監査が終わって一休みする間もなく次の業務へ。午後2時過ぎに疲労が増してきたので、今日は早めに引き上げました。いまだ仕事山積。でも身体を壊してはならないので3時過ぎに帰宅しましたが、自宅ではRECORDのことが気にかかって、結局工房に出かけてRECORDの彩色を行いました。身体に鞭を打つというコトバがこれほど身にしみた日はありません。早朝から日が暮れるまで気持ちを張り詰めていました。何かに没頭できるのは幸せなことですが、巻ききったゼンマイをいつか戻さなくてはならないと思います。ぐったりと休める日をどこかで設定したいと思います。

車を修理に出した日

先日、自宅の近くの細い道で対向車を避けるためバックした折、雑木林の立ち木に車の後方横をぶつけてしまいました。ミツオカ・ビュートはとても気に入っている車で、後方が凹んでしまった車体を見るたびに残念で仕方がありませんでした。今日は職場を早めに切り上げて、日産ディーラーに車を持っていきました。修理にかかる費用や日数を覚悟して、もと通りになる日を楽しみに待つことにしました。自分は一度はどこかで車をぶつけてしまうようで、前に乗っていたクライスラー・PTクルーザーもそういうことがありました。仕事に疲れている時に事故に会います。今回は来年度の人事構成で頭がいっぱいになっていた日でした。夜になって疲労を抱えながらぼんやり運転していた時に事故が起こりました。幸い相手の車や人を巻き込まなかったことが救いです。普段は公共交通機関を使って通勤しているので、車がなくても大丈夫ですが、やはり不便を感じる時もあります。日頃の無理がどこかに出てくるのかもしれないとつくづく思いました。

週末 砂マチエール終わらず…

今日は朝から工房に篭って砂マチエールの作業をやっていました。前回からの継続で、今日こそ砂マチエールを終わらせると思っていましたが、なかなかどうして手間がかかり、来週末に持ち越しになりました。来週末は月末と月初めを跨ぐことになり、制作工程の遅れが心配です。砂に染み込ませる油絵の具が乾くのに数週間かかることを考えれば、来月始めには油絵の具での塗装工程に入らねばなりません。年度末の時期ゆえに週末以外には時間がとれず、完成までは綱渡りのような状態が続きます。今年は厳しいなぁと思ったところで、例年厳しい状態を潜り抜けてきたので、これは慣れています。疲労が蓄積しないように気をつけようと思います。毎年こんな思いをして作品を作っているのかと改めて思い起こし、二束の草鞋を履く生活の逃れようのない多忙感と疲労感に襲われている今の自分がいます。

架空都市を作る

自分の作品は古代遺跡からイメージを導き出すことが多く、ちょうど都市の雛型のようなフォルムになります。インカ帝国のマチュピチュに関する展覧会が東京上野で開催されていて、それを見たことが契機になって、自分の20代の記憶と混ざり合い、次作のイメージがぼんやりと出てきました。現在制作中の「発掘~混在~」や、これから実際に作っていく「発掘~場~」のさらに向こうに位置する作品は、木彫された内部に陶彫部品が組み込まれるものです。木彫は大地を表し、陶彫が都市を形成する作品は、現在進行している作品と何ら技法的には変わるものではありません。でも自分の中では現在のものより発展した作品になっています。作品を作る傍から次なるイメージがいくつも同時に湧き出てくるのは決して珍しいことではありません。架空都市を作ることで自分の作品は一貫したテーマをもっていますが、何か刺激があってイメージが具体化することは歓迎です。最近は海外にも行かず、自分は若い頃の記憶と足を運んだ展覧会でイメージを捻り出しています。今のところそれでも良しとしていますが、いずれ近い将来に遺跡を訪ね歩く旅をしたいと切望しています。

仕事が山積する年度末

3月も後半になり、いよいよ仕事が山積してきました。やってもやっても終わらない仕事で辟易しています。ケジメをつけようとしても自分が思っていたようにはいかないのです。明日は週末ですが、出勤して仕事をやります。仕事は次から次へ湧き出てきます。管理職は職員全体のためにする仕事がほとんどで、自分の仕事は置き去りになっています。自分の身辺整理もしたいのですが、なかなか時間が取れません。ただ、日曜日だけは工房で砂マチエールをやりたいので、時間を空けようと考えています。制作も切羽詰った状況で、二束の草鞋双方が困難なところに差し掛かっていると感じます。今月をどう乗り切るか、残り1週間をどう過ごすのか、到達するイメージを描きながら、ひたすら仕事と制作を遂行するより他に方法がありません。

「瀧口修造の詩的実験1927~1937」

現在、通勤時間帯ではドイツ表現主義の画家アウグスト・マッケに関する書物を読んでいます。自宅の食卓には「瀧口修造の詩的実験1927~1937」(思潮社)がいつも置いてあって、毎晩適当な頁をめくっては何となく読んでいます。相変わらず読書好きな癖は抜けませんが、RECORDの下書きをやりながら、瀧口修造のコトバに戯れるのが今のストレス解消法です。詩人で美術評論家であった瀧口修造は、自分が尊敬してやまない人です。瀧口修造全集13巻が自宅の書棚に眠っています。以前は1巻から読み始めていましたが、途中で長い休憩を入れているうちに中断してしまいました。自分の読書好きな癖とそれを中断する癖は昔から変わりません。暫くしたら再読を始めるかもしれませんが…これも癖のひとつかもしれません。「瀧口修造の詩的実験1927~1937」は単独の詩集を出さなかった詩人の処女詩集にあたるものです。詩集の中に世界的な芸術家の名前が表題についた詩があります。それは作品の解説などではなく瀧口が創作したコトバで綴られています。芸術家の作品とコトバの関係を考えてみるのはとても楽しくて、お互いが対峙する世界観が垣間見えてきます。RECORDがその日の気分に左右されるように、コトバもその日の気分で眼に留まる箇所が違います。コトバから導かれるイメージも違ってきます。面白いものだなぁと思いながら、今晩もRECORDのエスキースを鉛筆で描いては消しながら、瀧口ワールドに酔いしれています。

画家アウグスト・マッケ

以前読んでいた「クレーの日記」に登場し、クレーと一緒にチュニジアへ旅行した画家アウグスト・マッケ。ドイツ表現主義の画家の中では第一次大戦によって命を落とした夭折の画家として知られています。煌く色彩と豊かな詩情。夭折の画家に見られる精神性の高さ。自分はアウグスト・マッケの人生に関して詳細を知らなかったので、「色彩の詩人アウグスト・マッケ」(佐藤洋子著 中央公論事業出版)を購入し、改めてマッケ・ワールドを堪能したいと思いました。マッケは1887年ドイツに生まれ、1914年戦地であったフランスのシャンパーニュ地方の村で亡くなりました。享年27歳。第一次大戦がなければ、マッケは画家として充実した人生を全うできたのではないかと思うと心苦しい限りです。それでも短い人生の中で画家として美しい作品が残せたことは不幸中の幸いだったと言えます。これから通勤時間帯でマッケの人生と画業に読書を通して浸っていきたいと思います。

懐かしい顔ぶれに会う

今日は春分の日で朝から工房に篭りました。砂マチエールの作業が先週末から続いているのです。今日は若いスタッフは来ず、家内と私で一日中砂マチエールと格闘していました。家内が手先が器用で随分助かりました。作業は同じ姿勢で続けているので、首から背中、腰から腿にかけて厳しくなり、夕方4時には終えることにしました。それでも6時間以上も同じ姿勢を保っていたことになります。砂マチエールの作業は山場を越しました。もう一日あれば何とかなりそうな気がしています。自宅へ辿り着くと疲れて少しばかり眠ってしまいましたが、今夜は15年前に勤めていた職場関係の人たちに会うことになっていたので、気を取り直して横浜駅に向かいました。会場に入れば懐かしい顔ばかり。お互いの現状やら当時のエピソードを話すうちにあっという間に2時間が過ぎました。今夜は元気をもらった気がしました。皆と再開を願って会場を後にしました。公務員という仕事を続けているからこそ昔の仲間に会って楽しいひと時が持てることを身にしみて感じた夜でした。

「クレーの日記」の読後感

通勤時間帯しか読書ができないので、一冊の書物を読み終えるのに相当時間がかかります。やっと「クレーの日記」(P・クレー著 南原実訳 新潮社)を読み終えたので感想を述べようと思います。クレーが39歳の時に除隊する寸前で「クレーの日記」は終わっています。第一次大戦が始まり、クレーが徴兵され、その生活ぶりを日記から窺い知ることができます。飛行機の輸送する任務にあたったり、会計の帳簿をつけていたりするクレーがそこにいて、彼を取り巻く後方部隊の様子が日記からよくわかります。戦争の動向がどうであれ、クレーは時間を見つけては絵や版画を作り、その精神的な記述も多く残されています。戦争という異常な事態にも関わらず、社会的集団的な鼓舞もなく、クレーはあくまでも個人として内面で起こる創造的な仕事に埋没しているようです。決して自己を見失わないでいることのしたたかさを感じ取ることができます。クレーが体験した兵士としての手枷足枷とは比べものにならないにしても、自分が公務員として勤務している状況の中、時間を見つけては創作活動をしているところに何か共感できるものがあって、妙なところで自分は勇気をもらいました。10代から30代後半までのクレーの生き様を、日記は生き生きと映し出していて、今回はとても楽しく読むことが出来ました。

週末 砂まみれの一日

昨日から「混在」に砂マチエールをつける作業をやっています。今日はスタッフ2人と家内と私の4人で朝9時から作業を始めました。終了は午後4時。砂マチエールがつけられた箇所は全体の3分の1程度でした。時間がかかるのは承知ですが、5月初旬の図録撮影までに間に合うかどうか…。ともかく今日は砂まみれの一日でした。硬化剤が手につくとベタベタして落ちません。油絵の具用洗浄剤で手をふいて何とかベタベタ感はなくなったように思います。臭いが工房内に漂っていましたが、これは仕方ないことです。幸い寒さが緩んできたので、時折窓を開けました。明後日の休日に継続します。ただし、スタッフが来られないので家内と私で砂マチエールを行います。作業台の上に作品を乗せてやっていますが、それでも背中や肩や腰に負担がかかります。私の作品は手間のかかる工程が多く、おまけに搬入搬出も一人で出来ないやっかいな代物です。たまに木彫や石彫のような単純作業が羨ましくなることがありますが、それはそれで作業の厳しさは変わるものではないと思います。まぁ、自分の作品はスタッフが手伝ってくれるだけいいのかもしれません。今日は疲れました。4人で夕方外食をして今日の作業を労いました。明後日また頑張ります。

週末 砂マチエール開始

雨の土曜日です。今日は朝から工房に行って「混在」の砂マチエールの準備をしました。ちょうど畳大の作業台が6つあったので、スタッフに手伝ってもらいながら作業台を等間隔に並べ、6つの箱をそれぞれの作業台に置きました。硬化剤をストーブで温め、柔らかくなったところで砂と混ぜ合わせ、表層部分に塗りこんでいきました。やはり相当時間がかかります。明日はさらに人手があるので、今日より順調に進むことを期待します。砂マチエールをやりながら、いつから砂を作品に持ち込むようになったのかを思い出していました。確か陶彫制作以前のことで、油絵用のキャンバスに工場にある古い機械の一部のようなものをモチーフとした象徴的な絵画を描き始めた頃だったように思います。錆びた鉄を表現するために油絵の具に砂を混ぜたのが、砂とのつきあいの始まりでした。当時は陶をやりたくても窯などの設備がなく、仕方なく平面に陶で作りたいイメージを描き留めたのでした。陶彫が出来るようになって、砂マチエールと陶彫が相性のいい組み合わせだと感じるようになり、10数年前にようやく「発掘~鳥瞰~」が完成しました。それからずっと砂マチエールは自分の重要な表現技法のひとつです。明日も続行です。どこまでやれるかわかりませんが、頑張りたいと思います。

いよいよ砂マチエールへ

「発掘~混在~」の木彫表層が出来上がり、いよいよ砂マチエールをつけていく作業に移ります。明日からの2日間でどのくらい出来るのか見当がつきませんが、工房スタッフの手を借りて作業を進めていく予定です。砂マチエールは造形的な制作ではありません。効果を狙った工芸的な作業です。砂に硬化剤を混ぜてヘラで塗りこめていく工程をスタッフに教えながら、そこに油絵の具を滲みこませていきます。乾くのに時間がかかることを考えると、早めに作業を進めたいところですが、如何せん砂マチエールを扱うのが初めてのスタッフたちなので、巧くいくかどうかわかりません。それでも手伝ってくれるのは有難いと思います。一人ではどうにもならない作品なので、自分にとってはスタッフは大切な存在です。明日から頑張ろうと思います。

図録撮影に向けて

夜8時に工房でカメラマンと7月個展の図録について打ち合わせを持ちました。砂丘で「陶紋」5点を撮影してもらうためにカメラマンに作品を預けました。これは図録へ掲載をするためで、作品をただ撮影してもらうだけでなく、その映像美が遺憾なく発揮できる表現領域までお願いしている次第です。自分はこの懇意にしているカメラマンのセンスがとても気に入っていて、全てお任せです。そのほうが作品のもつ世界が広がり、自分にない視点を与えてくれるからです。今回の図録は遊びの要素をふんだんに入れるつもりです。相原工房の野外と室内での撮影では、集合彫刻の分解と組み立てを撮影してもらう予定でいます。ドキュメントとしての写真が好きなので、ポートレイトも動きのある写真をお願いしようと思います。今回は発掘シリーズの「混在」「場」「住居」「棟」の4点と「陶紋」5点をギャラリーせいほうに展示しようと考えていますが、現在完成しているのは「住居」「棟」の2点と「陶紋」5点だけです。残りは図録撮影をする5月のゴールデンウィークまでに完成をしなければなりません。いよいよ図録撮影に向けて予断を許さない状況になってきました。

竹橋の「ジャクソン・ポロック展」

先日、東京竹橋にある国立近代美術館に「ジャクソン・ポロック展」を見に行ってきました。ジャクソン・ポロックと言えば、アメリカ現代美術を代表する画家で、絵の具を撒き散らすアクションペインティングはあまりにも有名です。初めはアクションペインティングばかり展示されている会場を想像して、これを見たところで何になろうと思っていました。ところがポロックの修行時代から見ていくと、ピカソやミロそれにメキシコ絵画の影響があって、いわゆる近代絵画を学んで現在のオートマチィズムに至った個人史がよくわかりました。中でもピカソの影響が強かったらしく、ピカソを彷彿とさせる作品が残されています。やがてポーリング(流し込み)やドリッピング(滴り)が画面を覆い、完全に対象の無い作品が生まれていくのです。当時の批評は散々だったようですが、グッゲンハイムの目に留まったことで一躍アメリカ現代絵画の寵児になったことがわかりました。改めてポロックの絵画を見て感じたことは、ポーリング(流し込み)やドリッピング(滴り)に秩序があり、全体のバランスをとりながら計算ずくで制作をしているのではないかと思ったことです。自分も自作で砂マチエールの上にドリッピングを行います。これは全体のバランスを見ながら絵の具を滴らせる場所を考えています。要するに描く行為ではないデッサンが存在するのです。ジャクソン・ポロックの絵画は、紛れもなく絵画芸術であることを認識させてくれた展覧会でした。

上野の「インカ帝国展」

先日、表記の展覧会を見に東京上野の国立科学博物館へ行ってきました。雨が降る土曜日の午前中、しかも開催初日でしたが、大勢の鑑賞者がいました。アンデス文明史上最大の国家「インカ帝国」は、どんな文明や文化を持っていたのか興味が尽きず、この展覧会には必ず行こうと決めていました。文字や鉄や車輪すらなかったインカ帝国は、一方で堅牢な石造建築を残しています。中でもマチュピチュは自分にとって憧れの建造物なのです。つづら織に見られる独特な図像や色彩も眼を引きます。周辺の民族を支配したインカ帝国は、視覚的なシンボリズムとして統制のきいた幾何学的な文様を、多民族から成り立つ職人に作らせていたとする見方もあります。確かに造形的に見てもわかりやすく美しいと感じます。今回の展示では数体のミイラがきていました。保存状態がよく人体の姿勢にも眼が奪われました。発見された墓地では布で包まれていたようで、ミイラそのものにも加工された跡がありました。展示の最後に3Dによるマチュピチュの映像がありました。空から自在に旋回して地上に近づくカメラは、遺跡の全貌を眺めまわし、私たちを鳥のように軽やかにさせてくれます。15分の映像でしたが、自分は2回見てしまいました。仕事から解放された週末に相応しいひと時でした。