甲斐生楠音「横櫛」について

先日、見に行った東京国立近代美術館の「あやしい絵展」では、日本美術史に大きく取上げられている有名な画家がいる一方で、マニアックな画家も多く、私が思わず足を止めた作品を描き上げた画家も、私には名に覚えのない画家でした。表現に強烈なインパクトを放っている画風を知って、甲斐生楠音は大正時代に活躍した人であることが分かりました。同じ画家による「横櫛」という題名のついた作品が2点あり、いずれも美しく化粧した女性の妖艶さが際立っていて、ゾクっとしました。女性が笑みを浮かべている風貌は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」の影響があるらしく、白粉の下の皮膚の温かさも感じさせていました。さらに「横櫛」2点に続く「春宵(花びら)」は、女性の風貌が強烈過ぎて、グロテスクな恐ろしさも感じました。また未完の大作「畜生塚」は20人近くが登場する女性群像で、完成したらこれも強烈な光を放つ作品になっただろうと予想しました。「横櫛」を初めとする作品群は西洋美術からの影響が強く、それ以前の京都画壇がもつ円山応挙を代表とする写生派の伝統と融合させていたように思えます。時代が移り変わるに伴い、甲斐生楠音の陰影のつけ方は明らかに西洋絵画そのもので、その肉感の捉え方でレオナルド・ダ・ヴィンチを参考にしたことがよく分かります。図録にこんな文章がありました。「人物の写実的な描写をとおして、人間の肉体の生々しさ、退廃的雰囲気をともなう官能性が感じられる。それだけでなく、白粉を厚く塗った肌の質感、着衣の下の体の量感を執拗なまでに描写する姿勢は、幕末から明治のパートで取り上げた過剰な『リアリズム』を想起させる。ただ幕末期と異なる点は、甲斐生らが、本物らしさを追求するのではなく、美しい装いの下に隠された人間味、人の心の計り知れない奥深さをひたすらに探ろうとしたことである。」(中村麗子著)当時も西洋絵画に影響を受けながら、日本では風土に根ざした画風の独自性を、それぞれの画家が追求していたと思われます。本展では、企画展の特殊性からラファエル前派のロセッテイ、世紀末芸術のビアズリー、アール・ヌーヴォーのミュシャに出品が限られていましたが、絵画から図案、挿絵印刷に至るまで西洋で興った近代芸術運動を日本人画家たちが逞しく咀嚼しながら、日本にあった表現の確立に努めていた様子がよく理解できました。

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