「第三章 明王-忿怒の形相で迷い苦しむ人々を救済する」について

「仏像図解新書」(石井亜矢子著 小学館新書)の中で如来や菩薩に次いで登場するのが明王です。「如来は真理そのもの、菩薩とはその真理を衆生に説いて救済する仏。そして明王とは、菩薩でさえ真理を導くことができなかった者を教化する存在であると、密教では説く。~略~明王に課せられた役割は、如来と菩薩の救いの手から漏れた煩悩や魔障の一切を調伏すること。~略~如来の命を全うするためには、強制的にでも従わせなくてはならない。そのため忿怒相という怒りの形相をとるのが最大の特徴である。」代表的な明王(群)は5つあり、ひとつずつ取り上げていきます。まず不動明王。「『動かざる者』という名をもつ不動明王は、密教の教主である大日如来が、衆生教化のために変身した最高位の明王である。」次に五大明王。これは明王の群像で、私は京都の東寺で幾度か見ています。「不動は大日、降三世は阿閦、軍荼利は宝生、大威徳は阿弥陀、金剛夜叉は不空成就の五智如来の化身。この強力な集団は鎮護国家などの公的な修法の本尊となっていたが、やがて調伏や怨霊退散から安産まで、幅広い願いが託されるようになった。」次は孔雀明王。「明王のなかでただひとり、忿怒の形相ではなく、菩薩の慈悲相をみせるのが孔雀明王である。~略~毒蛇を食べる孔雀を神格化したとされ、その成立は明王のなかでもっとも古い。」次に愛染明王。「煩悩のなかでも断ち切るのが難しい愛欲ですら、浄化できるということを教える仏が、愛染明王である。~略~真っ赤な体躯と忿怒の形相、逆立つ髪に獅子頭をつけた冠をのせるのが特徴。」最後は太元帥明王。「林に住み、子供を食い殺すインドの悪鬼が、仏教の強化によって夜叉となり、明王にまで格上げされた尊格。~略~荒々しい出目をもつ明王だが、怨敵を調伏し国を護る本尊として、日本では九世紀から尊ばれていた。」以上が代表的な明王ですが、群像が登場したことから仏の安置形式にも触れておきたいと思います。「仏像は、単独で安置される独尊を基本とするが、実際には複数で祀られることのほうが多い。~略~寺院でみられるもっとも多い安置形式は、三尊像である。釈迦・阿弥陀・薬師の三如来が同格で並ぶものもあるがこちらも作例は少なく、ほとんどは中尊の両脇に格下の二尊が侍る形式となっている。」仏像はもちろん祈りの対象で、寺院によっては曼荼羅図を意図して複数の仏像を配置していますが、私は宗教より美術作品として仏像を鑑賞する傾向があって、仏像が乱立する空間は、まさに場の彫刻というべきか、それぞれの造形が空間の中で響きあって緊張関係を作り出すところに魅力を感じてしまいます。私は手を合わせることはなく、眼と肌感覚で造形間の張り詰めた空気を味わっているのです。そうした鑑賞方法もあると私は自己満足していて、それを満たすために寺院に足を運んでいると言っても過言ではありません。第四章は天です。

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