「第一章 如来-真理を悟った無上の仏さま」について

現在読んでいる「仏像図解新書」(石井亜矢子著 小学館新書)の最初に登場するのは如来です。「如来という言葉には、『修業を完成した者』という意味がある。サンスクリット語の原語を直訳すると、『真実から来た者』、厳しい修業を積んで悟りを開いた、仏の称号のなかでも最高のものだ。釈迦のことを仏陀とよぶが、もともと仏陀という言葉は、釈迦だけでなく真理を悟った者すべてを指すものものだった。広い意味での仏陀の呼び方のひとつが如来。~略~如来の特徴のひとつに、装身具の類は一切身につけないということがある。必要最小限のいたって簡素な姿をするのが如来であり、これは出家したときにすべてを捨てた釈迦の姿に由来しているという。」次に本書では代表的な如来を挙げています。まず釈迦如来。「如来グループの筆頭であるばかりでなく、すべての仏像の原点が、釈迦如来である。」2つめは薬師如来。「仏像では、病気平癒や延命を願ってつくられたものが圧倒的に多い。」3つめは阿弥陀如来。「この世で幸福が望めないなら、せめてあの世では極楽へ。そんな祈りを込めて、平安貴族たちは争うように阿弥陀像を造立した。」4つめは弥勒如来。「弥勒は、釈迦が入滅した56億7千万年ののち、仏法が廃れている末法の世に、兜卒天から地上に降り立つという。釈迦に次いで如来となったのが、この弥勒。」5つめは毘盧遮那如来。「釈迦が説いた教え、仏法そのものがかたちとなってあらわれた尊格が毘盧遮那如来である。」奈良にある東大寺の大仏は正式名を盧舎那仏というので、このグループに入ります。6つめが大日如来。「密教世界の中心に存在する最高の仏、絶対的な存在が大日如来である。」以上が代表的な如来ですが、仏が備える尊い特徴として三十二相があり、意思をあらわす手指の形として仏の印相、または手印と呼ばれるものがあります。私が寺院を訪れて注目するのが光背で、仏の背後に据え、尊さを視覚化していて、精緻な透彫りが見事なものが数多くあります。火炎のデザインなど私が自作に応用しているものもあります。仏の座り方も注目に値するもので、結跏趺座(けっかふぎ)というものがもっとも安定した座り方のようです。座法ではありませんが、横臥という横たわった釈迦の姿があって、それは入滅した時の釈迦の姿で、涅槃というすべての束縛から解脱した境地に至ったことを意味するものだそうです。普段眼にしているもののきちんと学んだことがなかった仏像の知識ですが、次回は菩薩のことを学んでいこうと思っています。

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