イサム・ノグチ 様式の変遷とプリシラ

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第36章「変化したヴィジョン」と第37章「プリシラ」のまとめを行います。1958年に米国に戻ったノグチは新たな表現方法を模索しました。「アルミニウムを折り、穴を開けることでノグチは奥行き感と量感を創出した。この方法は、1940年代のスラブ彫刻、そして折り紙と多くの共通点をもつ。それはまるで、禅寺の庭で半ば地面に埋められ、重力に縛りつけられた岩とは正反対の様式の探求を、ノグチが選んだかのようだった。」また一方で大理石を彫る仕事にも取組み、「変化したヴィジョンに、ぼくはいかにすばやく適応することか。これは触覚的価値の完全に感情的な領域だった。」と自ら語っています。「アルミ彫刻で軽さを探求したことをきっかけとして、ノグチはバルサ材でも仕事をした。~略~バルサ材彫刻最大の《犠牲者》は戦争で破壊された人間の姿をあらわす。ノグチはこの作品について『悲劇は重さの緊張、絡み合う四肢によって暗示される』と書いた。」この時期ノグチは重要なパートナーと出会っていました。「歳月が経つにつれてノグチとプリシラは深い友情を育んでいった。忠誠と相互理解という意味では一種の結婚ともいえる協力関係だった。もっともどちらも実際の結婚は望まなかった。~略~大きな活力、臨機応変の才、組織能力で、プリシラはノグチにとって計り知れない助けとなった。」プリシラの支援を得て、ノグチには大きな仕事が舞い込んできます。「『テキサス彫刻』という名で知られるようになるこのプロジェクトには、ノグチが大きな手間をかけて運び出した灰緑色の花崗岩から彫られた大型の作品二点が含まれる。ノグチはこの二対を一種の門、そして『エネルギー(金はエネルギーだ)の象徴』とみなした。抽象ではあるが、人体を連想させる。二体はプリミティヴなトーテムのように銀行の煉瓦敷きの前庭を見張る。」さらにノグチの活躍は続いていきます。

回遊(遊歩)式庭園について

「ノグチと佐野藤右衛門の最大の闘いは低木をめぐるものだった。佐野は伝統的な『見え隠れ』の考え方に従った。遊歩式庭園の一部は隠され、それから来園者が移動すると姿をあらわす。佐野は庭園の石のいくつかが隠れるような形で低木を配置した。『ぼくの彫刻になにをするんだ』とノグチは視界をさえぎる低木の一本を蹴飛ばしながら怒鳴った。」この一文は「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)より、ユネスコ庭園を造った時の彫刻家イサム・ノグチと日本からやってきた造園家佐野藤右衛門の葛藤を描いています。彫刻と造園、この2つの分野には鑑賞に対する相違があると私も感じています。私の亡父は造園業を営んでいて、数々の庭園を造っていました。私の学生時代は亡父の手伝いに費やされ、造園の考え方を叩きこまれましたが、学校で学んでいた彫刻との圧倒的な違いは、その見え方にありました。彫刻は、西洋の考え方を体現する立体造形で、形態そのものを明快に見せる芸術です。日本庭園には、その代表として回遊(遊歩)式庭園があり、それは歩きながら見え方が変わる風情を楽しむもので、樹木に隠れた池や石などを視点を変えながら味わうのです。それは彫刻と言うより絵画的な要素も含む空間演出ではないかと思うところですが、そこでは全体の構築性はそれほど重要ではなく、寧ろ俄かに差し込む光や影といった刹那を楽しむ要素もあるのです。回遊(遊歩)式庭園は、室町時代の禅寺により造園され、江戸時代には大名に好まれたようで、日本各地に点在しています。私が訪れた回遊(遊歩)式庭園は、兼六園(金沢)、栗林公園(香川)、足立美術館(島根)の他、京都には桂離宮、金閣寺(鹿苑寺)、慈照寺、天龍寺、西芳寺、二条城などがあって、どれも回遊する楽しさを満喫しました。パリのユネスコ庭園にも行きましたが、残念なことがひとつありました。日本庭園は定期的に手入れをしないとその美しさを保てないのです。見え隠れする造形は、それを維持するために放置できない宿命があり、それが証拠に足立美術館の庭園には日常的に職人が入っています。完成された美は、いつまでも完成されない施工によって完璧な美が保たれているのです。

週末 5点目の陶彫成形

今日は酷暑から解放されて凌ぎ易い一日になりました。久しぶりに朝から午後まで工房で過ごし、新作の5点目になる陶彫成形を行ないました。陶彫の制作工程の中で、成形こそが唯一立体を作り上げる工程で、彫刻的に言えば一番面白い作業です。現在作っている新作は単なる直方体に過ぎませんが、それでも立体が立ち上がることに喜びを感じます。新作は今までの作品に比べると、禁欲的な箱型が多く、形態の自由度が少ないと感じます。曲面を排除しているせいで、最近見に行った「きたれ、バウハウス」展のバウハウス・デザインに似た傾向の造形になっているなぁと思います。ただし、あくまでも私が作っているのは彫刻であって日用品ではありません。バウハウスのように日常生活に簡潔なデザインを取り入れて、当時の時代を先取りした様式を私が試しているわけではありません。他の素材ではなく最終コントロールが難しい焼成が必要になる陶土を使って幾何的な直方体を作るのは、素材有効性を無視した困難な道を行くようなものですが、そこに創作物としての緊張度が増すように私は考えているのです。今日も陶土で平らな面を立ち上げ、出来るだけ歪まないような手作業を施しました。今日は酷暑ではなかったのですが、精神的な働きのせいで汗が流れてシャツをびっしょりにしました。今日は久しぶりに10代のスタッフが3人、工房に顔を出しました。2人が美大受験生、1人は文学系の高校生で、それぞれの課題を黙々とやっていました。工房に関わりのある子たちは、昔からおしゃべりではなく、工房で過ごす数時間を自己を見つめて何かしらの表現をしています。現在出入りしている子たちも例外ではありません。そんな私は若いスタッフに気分的に助けられています。暗黙で私の背中を押してくれているように感じるからです。自己表現は実のところ大変なエネルギーを必要としています。満足も得られますが、地道な努力ばかりで、成果を得るのには時間もかかります。それでも美術が好きで彼女たちは集まってくると言っても過言ではありません。また来週末に頑張る予定です。

週末 土練り&RECORD制作

週末になりました。今週から職場での仕事が始まっていて、漸く1週間が経った気分で、今週は長く感じました。職場では職種に関係する論文を書かなければならず、締め切りの金曜日にやっと間に合わせたことが、今週を振り返ると苦しかったなぁと思っています。このNOTE(ブログ)のように思いついたまま気楽に書けるといいのですが、仕事となるとそういうわけにはいきません。序論から本論に繋がるところはどうだったのだろう、まとめとしての考察は月並みなものになってしまったなぁと、自分の役職としての浅はかな思考に嫌悪感さえ覚えます。やっと週末になり、創作活動に頭を切り替えて、新作の陶彫に取り組みました。新作は5点目の陶彫制作に入ることになり、今日はその土練りを行ないました。土練りと明日の成形のためのタタラ作りは、慣れているとはいえ、単純な肉体労働で骨が折れます。炎暑はちょっと落ち着いた感じがありますが、それでも午前中だけで汗が滴り、自宅から持参した水分はカラになりました。午後1時まで頑張って工房にいましたが、今日の最低ラインのノルマを達したところで工房を後にしました。まだまだ夏の暑さは半端ないなぁと感じています。午後は自宅で少々休んでからRECORDの追い込み制作に精を出しました。このところ休日は午前中に陶彫制作を工房でやって、午後からは自宅でRECORD制作をやっています。アクリルガッシュは色別に分けないで大きな箱にバラバラにして入れていますが、足りない色彩が出てきたり、面相筆の機能が落ちたりしていて、毎日やっているといろいろなところに支障が出てきます。RECORDに使う厚紙ボードもうっかりしていると足りなくなります。塵も積もればの諺通り、毎日の実践習慣は大したものだなぁと思わざるを得ません。明日は工房で陶彫成形に励みます。

ヴァシリー・カンディンスキーの授業

先日見に行った東京ステーション・ギャラリーで開催中の「きたれ、バウハウス」展では、バウハウスの教壇に立っていたロシア人画家ヴァシリー・カンディンスキーに関する資料が展示されていました。昨日は同じ立場にいたパウル・クレーについて書きましたが、カンディンスキーも自身の作品の他に、彼に師事した学生作品も展示されていました。カンディンスキーは「芸術における精神的なもの」を著した抽象絵画の旗手として、20世紀の前衛美術を牽引したことでも知られています。図録からカンディンスキーの授業に関する箇所を引用いたします。「カンディンスキーは、形態では点ー線ー面の分析から、色彩ではその基本要素である寒ー暖(青ー黄)、明ー暗(白ー黒)の対比から講義を進めた。また彼独自の観点から形態と色彩を結びつける見解を示して、大きな反響を巻き起こした。『分析的デッサン』は、正確に対象を見ることと構成的に絵をまとめることを目的として行われた。教室の一角に無造作に積み上げた机や椅子、ハンガーや箒、あるいは自転車などの混沌とした物のかたまりの中から、いくつかの単純な基本的形態と、カンディンスキーがいうところの『緊張』(シュパヌングSpannung)という造形関係を見いだし、全体の構造を理解し表現する。それは全体の簡単なデッサンから始まって、いくつかの段階を経て、緊張関係の抽出へと至る。それはまるで抽象画のプロセスである。学生の習作を見ると、この授業がバウハウス初期のヴァイマール時代から始まって、彼の授業の中核として行なわれ続けていたこと、そして表現に工夫がなされてきたことがわかる。」理論家であったカンディンスキーは、自らが論考した抽象への過程を、造形の基礎教育を補完する役割として学生に対して実践していたことが明らかになっています。学生が試みた分析的デッサンは、大まかなアウトラインを描いた後、定規やコンパスを使いながらアウトラインを取捨選択し、制作過程が一目で分かるような習作になっていました。当時、バウハウスに留学していた日本人学生も、この授業を日本に紹介していて、日本の造形教育の中にも取り込まれていたようです。

パウル・クレーの授業

先日見に行った東京ステーション・ギャラリーで開催中の「きたれ、バウハウス」展では、バウハウスの教壇に立っていたドイツ人画家パウル・クレーの作品の他に、クレーに師事した学生たちの作品もあり、大いに興味を持ちました。図録によるとクレーが授業を担当したのは1921年に着任し、1931年に退職するまでの10年間だったようです。図録からパウル・クレーの授業についての箇所を引用いたします。「パウル・クレーは、イッテン(後にはアルバース)の予備課程を終えた学生を対象に、造形論の講義をおこない、形態と色彩について教えた。彼は、生来の几帳面な性格から、膨大な量の講義ノートを残しており、それによって授業の詳細を知ることができる。週1回の授業があり、講義の週とそれについての演習の週が交互にあった。みずから『形式的手段とのおつきあい』と呼ぶ彼の授業は、造形を『運動』と『成長』という観点から説明する独特なもので、線から面、空間そして構造から運動(螺旋や矢印)へと講義は進んだ。クレーにかかると線は意志をもって走り、あるときは逡巡し、形は生物学的に、そして数学的に解析される。数式が多用されるが、これまでに学生が習ってきた数学とはまったく異なる世界が広がる。色彩についても振り子と螺旋という2つの運動から説明した。必要があれば両手にチョークをもち、2本の線や文字を同時に書きながら説明することもあったという。毎回の講義の終わりに出される演習の課題もまたユニークだった。」図版を見ると、学生作品はいずれも製図の書き始めのようで、禁欲的な線と面が丁寧に画面に書き込まれています。旧態依然とした芸術アカデミーのデッサンから始める造形活動とは、まるで異なるアプローチで造形教育を捉えていたことが分かります。教育者としてのクレーはどうだったのか、私には推し量ることは出来ませんが、存在感のあったクレーのもとで学ぶことは、それなりの覚悟はあったのではないかと信じたくもなります。クレー自身の絵画は技巧的にも理論的にも模倣が出来ないと私は思っています。

復元された建築家の邸宅

夏季休暇を利用して東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」に行き、野外展示されていた建造物の中に復元された建築家前川國男邸があったので見てきました。前川邸は木造のモダンな佇まいで、板壁の素材感に私の感性が擽られました。第二次世界大戦があった当時にも関わらず、よくぞこんな資材が手に入ったなぁと思わせるほどの完成度で、日本を代表する建築家宅に相応しい風格を感じさせてくれました。「江戸東京たてもの園」のギャラリーショップで「前川國男邸復元工事報告書」を見つけたので購入してきました。報告書の中の概説から引用いたします。「昭和17年頃は戦時体制下で、建築資材の入手が困難であったり、または使用を制限されている時期であった。~略~1973年(昭和46)に前川國男邸は解体され、軽井沢にあった父の代に建てた別荘に運ばれ、部材として保存された。~略~1994年(平成6)七月頃、前川國男邸が部材として軽井沢の別荘に保存されていることを知った東京都江戸東京博物館野外収蔵委員会委員である藤森照信氏より江戸東京たてもの園の収蔵建造物としてどうかという連絡があった。」(早川典子著)これが前川國男邸が復元保存された経緯です。前川國男は東大で建築を学んだ後、フランスでル・コルビュジエに師事しています。その影響が読み取れる座談会が報告書に記載されていました。「戦前の段階ですと、バウハウスのデザインを継いだ人たちが日本でも主流だったんです。~略~要するにバウハウスのデザインの非常に禁欲的で、当時の言葉で言いますと、箱とガラスのような非常に禁欲的なデザインをやっていたわけです。むしろその中では~略~コルビュジエの影響を受けた人たちというのはむしろ少数派であったわけです。むしろその少数派が戦後に、日本の場合、世界的に見ると非常に特異な例ですけれども、主流になっていった。おそらくその大きな力になったのが前川さんだと思います。」(藤森照信談)座談会では前川國男邸から話の端を発し、戦後日本の建築界の流れまで盛り込まれていて、大変興味のある内容になっていました。

東京駅の「きたれ、バウハウス」展

先日、東京駅にあるステーション・ギャラリーで開催中の「きたれ、バウハウス」展に行ってきました。バウハウスとはドイツ語で「建築の館」という意味です。1919年に建築家ヴァルター・グロピウスによって設立された造形学校で、旧来の芸術のアカデミーとは一線を画する教育方針を採っていました。その革新的な学校もナチスの弾圧を受けて1933年に閉鎖に追い込まれました。活動したのは僅か14年間でしたが、アートとデザインの領域に大きな足跡を残しています。今となっては現代美術を牽引した魅力的な教授陣、残された講義メモや学生の作品に、現在も続くデザイン教育の源泉を見る思いがしたのは私だけではないはずです。図録には多くの論考が寄せられて、バウハウスに関する多方面にわたる研究が掲載されていました。その中でまず「バウハウス宣言」の一部を引用いたします。「建築・彫刻そして絵画のすべてが一つの形態のうちに存在するようになる未来の新しい建設(Bau)を、われらもろともに意欲し、考えだし、創出しようではないか。」(V・グロピウス)とあるようにバウハウスは全造形的領域を建設(建築)に統合する理念を打ち出していました。初期のバウハウスで教壇に立ったヨハネス・イッテンは、私の学生時代に彼の著作である「色彩論」が大学の講義で必要になり、当時購入した書籍が今も自宅の書棚に眠っています。「グロピウスがバウハウスに招聘したマイスターのうち、美術教育の経験者はイッテンのみだった。ウィーンで既に成果をあげていた彼は生徒を伴ってヴァイマールに移ってきたのだ。最初期のバウハウスでのイッテンは、教師が揃うまで予備課程および多くの工房を担当し、大きな影響力を持っていた。イッテンは予備課程の目的として次の3点を挙げた。1.先入観や既成概念から解き放って学生の想像力を解放させること。2.さまざまな材料を扱い、次の工房教育における専攻の選択を容易にすること。3.形態や色彩に関する基礎的な知識を身につけること。~略~1921年に着任したパウル・クレー、翌1922年に着任したヴァシリー・カンディンスキーが予備課程を補う形で形態・色彩の授業を行い、オスカー・シュレンマーのヌードデッサンの授業も必須とされた。」(杣田佳穂著)バウハウスの新しさはまさにこうした予備課程(基礎課程)にあったのではないかと思います。ここでは図録の論考の一部しか紹介できませんが、作品と理念を同時に見ていくことがバウハウスを正確に捉えることができると私は思っています。

横浜の「深堀隆介 金魚愛四季」展

先日、横浜駅に隣接するデパートそごう8階の催し物会場でやっていた「深堀隆介 金魚愛四季(きんぎょいとしき)」展を見てきました。本物そっくりに描かれた金魚の群れを見ていると、夏の風情に相応しく清涼感に満たされていて、また多くの鑑賞者も詰めかけて、老若男女が金魚の作品群を楽しんでいました。さまざまな器に透明樹脂を流して、その上にアクリル絵の具で金魚の部分を描いていき、また上から透明樹脂でさらに覆うことを繰り返して、何層にもわたって金魚の全貌を完成させていました。そうして表現された金魚は、水の中を泳いでいるような錯覚に陥り、まさに超絶技巧の産物であることが分かりました。展覧会には額装された絵画や屏風絵もあり、金魚をモチーフにさまざまな実験を試みた作品も並んでいました。図録に画家のコトバが掲載されていたので、一部を引用いたします。「モネは睡蓮の絵が特に有名ですが、モネは睡蓮という植物を描きたかったわけではないと思います。その証拠に彼は睡蓮の品種にこだわってはいません。彼は睡蓮を画面上の水面の位置を示すために利用することで、絵画を光学的に解釈し、絵画を科学に変えてみせました。そこには西洋的な物質主義的な考え方があると、僕には思えるのです。~略~僕の描く金魚は、モネの睡蓮と同じような関係にあります。品種が重要なのではなく、『金魚』という存在が重要なのです。僕の描く金魚は、自分であり、また人間そのものの隠喩として考えています。僕にとって樹脂作品の水面より下は霊的世界を暗示しています。描かれた金魚や藻など、水面より下の世界は絵画だけれども魂の宿る世界だと信じて描いています。これは東洋的アニミズムだと思います。」(深堀隆介著)金魚というテーマと表現方法を見つけたことで、画家自身は「金魚救い」と呼んでいますが、その気持ちは私にもよく分かります。発展性のあるテーマだけに、試行を繰り返して、さらに世界が広がっていければ楽しいだろうと思っています。強烈な夏の暑さの中で、一服の清涼剤のような展覧会でした。

週末 RECORD追い上げに本腰

今日も朝から気温が上昇し、静岡県では40度を越す気温が記録されました。空調のない工房での陶彫制作は、どのくらい体調が保てるのか、実際に朝から工房に篭っていましたが、2時間程度で切り上げることにしました。大型扇風機を回していても温風をかき回しているだけで、涼しくはなりませんでした。カチカチに凍らせたペットボトルの水が忽ち溶けて、あっという間に水分補給でカラになりました。新作陶彫の4点目にあたる彫り込み加飾をやっていると汗が噴き出て、シャツが汗を含んで絞れるほどになりました。今日は若いスタッフは誰も来ていません。2時間経過して工房にいることは無理と判断して自宅に戻ることにしました。自宅で昼食を済ませ、午後はRECORDの追い上げに時間を費やすことにしました。週末に彫刻ができないのは残念ですが、こればかりは仕方がありません。夏季休暇中も長く工房に留まった日は少なく、炎暑のせいで制作工程は遅れ気味です。その分、RECORDは遅れを取り戻そうと追い上げに本腰を入れることにしました。下書きの山積みは徐々に減ってきましたが、それでもまだ1ヶ月以上も下書きのまま残されていて、アクリルガッシュで彩色し、ペンで仕上げる日々が続いています。一日1点制作をノルマにしているRECORDは、1点1点が容易く完成できず、絵の具を垂らしてみたり、滲ませてみたり、その時の色彩イメージを思い出し、工夫を凝らせています。下書きを見ると、写実表現があったり、象徴的表現があったり、平面的な幾何抽象もあり、その時試みようとしていた多様性に、自分の節操の無さも感じつつ、我ながら振り幅の大きさに驚いています。あの時はこんなことを考えていたんだっけ、と思いながら筆を動かしていました。どんな表現であれ、ここまでRECORDをやっていると自分の個性や癖が見えてきて、気に入らない作品もあります。また下書きではたいした作品にはならないだろうと思っていたものが彩色すると輝いて見える作品があり、不思議な気持ちにさせられます。今日は夜まで頑張っていたRECORD制作ですが、まだ下書きの解消にはなりません。それでもかなり山積みは小さくなりました。明日から職場に復帰して本格的に仕事が始まりますが、帰宅後のRECORDは手を抜かず頑張っていきたいと思っています。

週末 陶彫制作&横浜の展覧会

週末になりましたが、昨日まで夏季休暇を取っていて、休暇中から陶彫制作を継続してやっています。今日も身体がおかしくなりそうなほど気温が上がり、この体感は体温に近づいていると思いました。工房は野外とほとんど変わらない室温になっているので、じっとしていても汗が流れ、シャツがびっしょりになります。まして創作活動は精神性を伴うため、あれこれ考えながら陶土に向き合っていると、汗が噴出してきます。今日も工房にいる時間は、4時間が限度と判断しました。これでは新作の土台を施工するまではいかないなぁと思っていました。彫り込み加飾をした箇所も見る見る乾いていくので、後で仕上げをするためにも水を打ってビニールで保護しておかなければなりませんでした。昼過ぎには工房を後にして自宅に戻ってきました。エアコンの効いた自宅に戻ると、ホッと溜息が出ました。これでは若いスタッフを呼ぶことは出来ないと思い、明日は来ないように連絡を入れました。午後は自宅の食卓でRECORDの追い込みに精を出していましたが、横浜のデパートで金魚の画家が展覧会を開いているのを思い出し、家内を誘ってみました。夕方、横浜そごうには暑さを避けて車で行き、8階催し物会場で開催している「深堀隆介」展を見てきました。本展には「金魚愛四季(きんぎょいとしき)」と洒落た題名がつけられていて、多くの鑑賞者が訪れていました。さまざまな器に透明樹脂を流し込み、そこにアクリル絵の具で一層ずつ丹念に金魚を描きこんでいました。透明樹脂の厚みで金魚が立体的に見えていました。描き方の巧みさで言えば、これはまさに超絶技巧の域に達していて、海外で評価されている理由が分かりました。詳しい感想は後日改めますが、この世界は一般的に受け入れられる要素はたっぷりあるように思えました。工房での陶彫制作は明日も継続の予定ですが、どのくらい進めることができるのかは気温次第です。毎日汗をかきすぎていて、夜はクタクタになっています。

夏季休暇最終日 新盆&陶彫加飾

5日間あった夏季休暇が今日で終わります。工房で新作の陶彫制作に邁進しつつ、「江戸東京たてもの園」に建築家前川國男邸を見に行き、別日に東京ステーションギャラリーの「きたれ、バウハウス」展、池袋の「自由学園明日館」を見に行きました。今年はコロナ渦の影響で旅行に出なかったものの、建築の見学三昧で過ごした夏季休暇でした。また人体に害を及ぼすような高温の日々が続き、工房での制作に支障が出ました。工房にいられる時間としてはせいぜい4時間が限界で、陶彫制作をやっていると、身体中から汗が噴き出てきました。そのため半日をRECORDの追い上げ制作に充てました。RECORDはエアコンの効いた自宅の食卓で制作が出来るので、午前中は工房、午後は自宅という制作スケジュールを組みました。さて、4月に母が亡くなったので、今年は新盆になります。昨日は家内が居間に「精霊棚」を設えました。私は制作の合間に竹を切り取ってきました。小さな机に竹の小枝を立てて結界を作り、供物とともに位牌を置きました。生花も買ってきました。朝10時に菩提寺の住職が新盆法要のためにやってきてお経を唱えました。昼頃には妹夫婦と姪が供養にきました。家内の作った「精霊棚」は簡素ながらよくまとまった立派なもので、大学の空間演出デザイン科で舞台美術を学んだ彼女は、こうした設えが好きなのかもしれません。家内は浄土宗の「精霊棚」をネットで調べて、その謂れを理解していましたが、何より亡くなった母から伝え聞いていたやり方で用意したようです。生前の姑と嫁の関係が垣間見られた思いでしたが、「精霊棚」は明後日の日曜日まで居間に置いておくようです。昨晩遅くやっと「精霊棚」を作り終えた家内の耳に密かにカタッと音がしたそうで、いよいよ先祖が来ているのかなぁと思っています。私は宗教はイメージだと思っているのですが、知識では理解が出来ない何かが存在していることを信じてみたいのです。午後は気温上昇にもへこたれず、工房に行って新作陶彫の彫り込み加飾をやっていました。そろそろ新作の土台の設計施工に手をつけたいのですが、暑さのため作業時間が短くて、彫り込み加飾をやるだけで精一杯です。明日から週末に入ります。引き続き頑張っていきます。

池袋の「自由学園明日館」

昨日、東京池袋に「自由学園明日館」を見に行ってきました。「自由学園明日館」はテレビで紹介されていて、一度行って見たいと思っていたのでした。池袋駅から歩いて数分という立地に驚きましたが、創立された1921年当時は武蔵野の雑木林が残っていたようで、現在のような高層ビルに囲まれている環境ではなかったのでした。創立者は新聞記者だった羽生吉一とその妻もと子で、とくにもと子は「婦人之友」を創刊した人として知られ、子女教育の重要性に着目して本校を設立しています。夫妻は伝手を頼って帝国ホテル建設中のフランク・ロイド・ライトを訪ね、女学校校舎の設計を依頼したのでした。写真集から言葉を引用します。「美の規範としての左右対称というのは、万人を納得させる手易くて効果のある手法。多くの権威を誇示する建物に用いられてきたが、明日館はそうした威圧感がない。それは、中心性を強調しない左右対称の造形にまとめたことにある。~略~畳を基準尺度として展開する和風の建築は、ライトに深い感銘を与えた。6帖の間、8帖の間などと広さのみ規制されたそれぞれの部屋は、いわば無目的的であり、しかし多目的的である。使い勝手は使い手が決める。2つの部屋の境界となっている襖や障子を取り払えば、さらに大きい空間が確保できる。そうしたフレキシブルな空間に魅せられたライトは、ホール、食堂、厨房を隣接させ、層状に重ねて、ドラマチックな空間を醸成した。」(谷川正己著)和風の空間を西洋建築に取り入れて、全体的にすっきりまとめた印象があるのは、こんな理由によるものかもしれません。日本では架構式工法が一般的ですが、ライトは西洋の組積式工法で建築を作り上げていました。「自由学園明日館」の屋根蓋も築かれた壁全体で支える方法だったことも写真集にありました。当時は安価な材料で作られていたこともあって、自由学園が久留米市に移動してしまうと、明日館は忘れ去られた存在になり、材料が朽ちた状況でした。1997年に国指定の重要文化財になると修復工事が始まり、2002年に当時の麗姿が蘇ったようです。併設されている講堂も見てきましたが、ここではコンサートや講演会が開かれていたり、結婚式の予約も受け付けていました。施設を有効利用しながら保存をしていく動態保存というカタチをとって、現在は運営されているようです。

建築に纏わる東京散策

今日は夏季休暇を取得して、前から計画していた東京の展覧会等の散策に出かけました。先日も夏季休暇を使って「江戸東京たてもの園」に行ったばかりですが、今日も建築に纏わる散策になりました。例年なら夏季休暇をまとめて取得して旅行に出ていますが、コロナ渦の影響で今年は旅行には行かず、近隣を回って楽しんでいるのです。展覧会は東京ステーションギャラリーで開催している「きたれ、バウハウス」展を見てきました。今回は予約制なので自宅近くのコンビニで入場券を2枚購入しました。「きたれ、バウハウス」展は、100年前にドイツに設立された画期的な造形教育を行なったバウハウスの全貌を紹介するもので、私は40年前の滞欧中にバウハウスの資料を集めていました。ドイツ語による分厚い書籍は、今となっては読むことが出来ず、和訳のある書籍をあれこれ買って、バウハウスの教育について多少齧っていました。このNOTE(ブログ)に頻繁に登場するP・クレーやW・カンディンスキーが教壇に立っていた学校だったので、私は当時から興味津々だったのです。バウハウスはバウ(建築)とハウス(家、館)という意味で「すべての造形活動の最終目標は建築である。」(創始者グロピウスの言葉)とある通り、それまでの美術教育とは違う視点でのカリキュラムが組まれていました。詳しい感想は後日改めますが、家内は美大デザイン科出身なので、展示されていたバウハウスの学生たちの課題に、辛かった自分の学生時代を重ねていたようです。日本のデザイン教育にもその影響があった証でしょう。次に私たちが向かったのは池袋にある自由学園明日館で、重要文化財として保護されている学校施設です。設計は巨匠フランク・ロイド・ライトで、その弟子の遠藤新が受け継いで1921年に女学校として設立されました。ライト独特な「草原様式」と呼ばれる平たい校舎と中央に切妻屋根をもつ中央棟ホールが特徴的で、その空間のセンスにただ驚くばかりでした。自由学園明日館の詳しい感想も後日に回したいと思います。池袋駅からそんなに離れていない場所に、こんな建造物があったこともびっくりでした。せっかく池袋まで出てきたので、ジュンク堂書店に立ち寄り、美術関連の書籍を数冊購入してきました。中世イタリアの宗教画家ピエロ・デッラ・フランチェスカの書籍、フランス後期印象派ポール・ゴーギャンの彫刻に注目した研究書など、多少価格は張っても前から読みたいと思っていた書籍だったので、ちょっと楽しみになりました。今日はバウハウスの展覧会とフランク・ロイド・ライト設計による学校建築を見て回り、まさに建築に纏わる東京散策に終始した一日で、私にとっては幸せな時間でした。

イサム・ノグチ 離婚とユネスコ庭園

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第34章「ぼくの慰めはいつも彫刻」と第35章「ユネスコ」のまとめを行います。「1955年という年はほかにもさまざまなプロジェクトが実現せず、ノグチはそれを自分の個人的な難局ーノグチと山口(淑子)は離婚届を提出したーのせいにした。それは円満な離婚だったーどちらもが、じぶんたちの生活がそれぞれを別な方向に導いたという点で同意していた。」お互い世界的な名声のある彫刻家と女優ならば、すれ違いや自己主張の強さで一般人のような結婚は望めなかったのでしょう。このあたりはノグチの仕事も上手くいっていなかったようで、数々の空間デザインが雛形制作だけで終わっていました。そんな中でパリに新築されるユネスコ本部のパティオのデザインの依頼がノグチにやってきます。ノグチはパリに視察に行って、その隣の一段低くなった広いスペースに日本庭園を作ることを考えついたのでした。石や植木を日本に求めて、日本からの経済的支援を取りつけ、造園家重森三玲を紹介されます。重森三玲とともに選んだ石を日本から輸送していきますが、フランスの現地では作業員が大理石の彫像は扱えるが、でこぼこの地面の上に設置する庭石が扱えないことが分かったようです。「ユネスコ庭園にもどったノグチを多くの厄介事が待っていた。ユネスコの予算の問題から遅れが生じ、その春、重森が送りこんできた職人たちとの仕事はひと筋縄ではいかなかった。職人たちは伝統的な庭師として修業をし、ノグチの借り物のフォルム、日本の造園規則の変更などに賛成しなかった。しょっちゅう言い争いがあった。職人たちは予定より1ヶ月早く帰国してしまった。~略~10月、重森はさらにすばらしい信任状をもつとさえいえる職人を送りこんできた。三十歳の佐野藤右衛門は、1955年に京都府からノグチを手伝うよう依頼されたときにノグチに出会っていた。~略~腹を立てて帰ってしまったふたりの日本人庭師と同様に佐野は伝統主義者であり、庭園は近代彫刻であるというノグチの信念に同意しなかった。石の配置から水の流れ方、『蓬莱山』の形態まですべてが争いの的になった。~略~ノグチは石を設計図どおりにおくことにこだわった。佐野はより直感的なアプローチを信じ、『紙の上の計画はけっしてうまくいかない』と言った。~略~たとえユネスコ庭園の精神が日本からきたとしても、コンポジションはノグチ自身のものだ。そこには『個人的な工夫』があり、したがって真の日本庭園というよりは『ちょっと日本的な庭園』だった。」造園と彫刻、この根本的な相違は決して小さいものではないと私は実感しています。亡父が造園業を営んでいた私だからこそ気づいたこともあります。私は20代後半で渡欧後すぐにパリのユネスコ庭園を見に行きました。私自身いろいろ思うところもあり、これは稿を改めたいと思います。

三連休 最終日は彫り込み加飾

三連休の最終日で、今日は「山の日」になります。今日も熱中症警戒アラートが発令されるほど温度が上昇し、工房内は茹だるような暑さがありました。私は新作3点目の陶彫部品と4点目の陶彫部品に彫り込み加飾を施す予定でいました。彫り込み加飾は制作工程の中で一番時間がかかります。彫り込みする箇所をひとつずつ丹念に削り取っていくので、作業としては地味で、コツコツした姿勢が求められます。言わば私の得意分野ですが、工房内の気温の高い中での作業としては、身体に負担がかかります。私は昔から汗かきで、頭を覆っている手ぬぐいやシャツが忽ちびっしょりになってしまうのです。汗をかくと不思議と身体が動くようになり作業は進みますが、後で疲労が残って身体がおかしくなります。どこかで時間を決めて作業を切り上げないと長く続かないこともよく分かっています。そんなこともあって彫り込み加飾は今日だけでは終わらず、引き続き夏季休暇中もやっていくことにしました。乾燥を避けるため、陶彫部品の作業をしない面はビニールで覆って、彫り込みがやり易い状態を保つことにしました。今日は若いスタッフが2人来ていましたが、昨日とは違うメンバーでした。昨日から平面構成を始めた高校生は引き続き、工房にやってきました。もう一人は美大生でグラフィックデザインを学んでいる子です。4年生になった彼女は卒業制作のプランを練りに工房にやってきたのでした。美大はリモート授業になっていて、慣れないせいか調子が出ないと彼女は言っていました。私がお世話した子たちが今年4年生になって卒業を迎えます。それぞれの美大に卒業制作展を見に行きたいと思っていますが、卒業制作展は開催されるのでしょうか。明日は仕事で外会議があります。明後日から夏季休暇に入ります。

三連休 4点目の陶彫成形

三連休の中日です。今日も朝から気温が上昇し、工房は茹だるような暑さに見舞われました。私は昨日用意した座布団大のタタラ数枚を使って、新作の4点目になる陶彫部品を立ち上げました。4点目の陶彫部品は、乾燥を待っている大き目の陶彫部品の二段目にあたるもので、底辺は僅かに小さく、高さは50センチほどになるノッポな形態をしています。制作工程では成形が一番彫刻的で面白いと感じていて、立体が立ち上がると私自身はワクワクしてしまいます。三連休の最終日である明日は、3点目と4点目の彫り込み加飾をやらなければならず、土台の寸法取りと切断は、三連休後の夏季休暇で行なうことにしました。工房室内の温度が高いせいで、陶土の表面が早く乾燥してしまうため、時々水を打ちながら作業をしました。陶彫制作は陶土の乾燥具合が関係するので、作り手の都合で休憩が入れられません。成形が始まれば休みなく作業を継続しなければならず、息切れする時もあります。今日は美大受験生が一人増え、2人の若い子たちが工房にやってきました。一人は前からデッサンに通ってきている子で、今日から平面構成をやらせることにしました。面相筆で平塗りを試しながら、アクリルガッシュの使い方を教えました。私の頃はポスターカラーだったのですが、外部のアトリエではアクリルガッシュを使うところが増えているようです。今日から加わったもう一人は鉛筆デッサンを始めました。私も高校生の頃は、大学で工業デザインを専攻したいと考えていて、デザイン科のための静物デッサンや平面構成や立体構成をやっていました。最終的には彫刻を専攻したにも関わらず、デザイン科入試のことを多少齧っているので、彼女たちの指導支援が可能なのです。思わぬところで私の転科が役立っています。それより工房の暑さに耐えて作業している彼女たちの健康状態を気遣ってしまいました。外部のアトリエならエアコンが効いているのに、工房は最悪な環境で申し訳ないと思っています。午後2時まで作業をやって彼女たちを車で送り届けました。夕方、自宅の食卓に置く布を選びに家内と横浜中華街に車を走らせました。食卓に置く布が古くなったので、夏らしいものに替えようと家内と相談していたのでした。中華街にあるチャイハネというアジア雑貨を扱っている店で、手ごろな布を見つけました。夕食にするため大きな豚マンも買ってきました。コロナ渦の影響で休日にも関わらず、人の混雑はありませんでした。陶彫制作は明日も継続です。

三連休 蒸し暑い工房にて

今日から山の日を含む三連休になります。三連休は陶彫制作に終始する予定ですが、新作の土台部分も考えたいなぁと思っています。私は早朝に工房にやってきて、座布団大のタタラを掌で叩いて数枚用意しました。これは明日の成形で使います。早朝から制作を始めたのは今日の昼間の気温上昇を考えたもので、熱中症警戒アラートが出されたら、工房にどのくらいいられるのか分からなかったため、早めに工房に出かけたのでした。今日は若いスタッフが10時過ぎに工房にやってきました。彼女は文学を志す人で、エアコンの効いた自宅よりも工房を選ぶのは、工房の方が集中力が増すせいかもしれません。私も新作の彫り込み加飾を始めましたが、集中はしてもシャツに汗が滲み、短時間で作業を終わらせなければならないかなぁと思いました。2人で昼食を取った後、1時間は制作をしていましたが、午後1時過ぎには工房を後にしました。蒸し暑い工房で我慢をすることは止め、若いスタッフを車で送りました。まだ陶彫制作が切羽詰った状況ではなく、健康に気遣ったためにこうした処置を取りました。その後、私はエアコンのある自宅でRECORDの彩色に追われていました。今月はRECORDの遅れを取り戻すことを目標に掲げています。下書きが山積みされた状況はまだ解消できていませんが、日々少しずつ進めていきたいと思っています。午前中は陶彫制作、午後はRECORD制作をやっていて、結局今日は充実した一日だったと振り返っています。自宅にいると気持ちが緩んで休憩を求めてしまいますが、そこを踏み留まって頑張れることが出来るかどうかが私の課題です。制作を始めてしまうと何のことはないのですが、制作を始めるまでが自分との闘いです。弱い自分に鞭打って創作に向かう気構えを作ることが大事で、そのちょっとした努力の積み重ねが大きな成果を生むのです。

東京小金井市の「江戸東京たてもの園」散策

今日から飛び石で夏季休暇の5日間を取得することにしました。今年の夏季休暇は例年のような旅行は控えています。新型コロナウイルスの感染拡大が今も猛威をふるっているため、地方へ出かけることは止めました。まして海外などあり得ない話です。夏季休暇初日の今日は、東京小金井市にある「江戸東京たてもの園」に行ってきました。以前、家内が友達と出かけて楽しかったと言っていたので、家内を案内役にして車で出かけました。私は建築が好きなので、きっと私が気に入るだろうと家内は言っていましたが、まさにその通り、暑さを忘れて移築された有形文化財である建造物群を楽しみました。暑さを忘れてと書いたのは、今日熱中症警戒アラートが東京都で発令されていて、野外を歩く際には水分補給などの注意が必要でした。場内アナウンスも熱中症や三蜜を避けるように注意喚起を呼びかけていました。ただ週末ごとに工房で汗を流している私には、今日の暑さはあまり身体に応えず、寧ろ気軽に場内を歩き回っていました。豪農であっただろう藁葺きの母屋は、川崎にある民家園でよく見かける構造になっていました。ここでは明治の頃に建てられた西洋風の間取りを取り入れた家屋に興味が湧きました。商店や大衆風呂がある一角も面白いなぁと思いました。その中でもとりわけ興味関心があったのは、建築家前川國男邸でした。外観は切妻屋根の和風に見えますが、左右対称の極めてシンプルな構造になっていて、内部は吹き抜けの居間が中央にあり、そのモダンさに憧れにも似た気持ちになりました。当時の建築の記録が残っていて一冊にまとめられているので、早速購入してきました。その報告書を基に改めて感想を述べたいと思います。ともかく暑い日だったので、昼食はエアコンの効いたデ・ラランデ邸1階にあった喫茶室に寄りました。そこでカレーライスとデザートを注文しました。私は今年初めてのカキ氷を食べましたが、氷がフワフワしていて美味しいと感じました。家内はカキ氷の中にアイスコーヒーを入れる洒落たデザートを食べていました。インスタ栄えのする食事に舌鼓を打って、充実した一日を過ごしました。明日は工房で陶彫制作を頑張ろうと思います。

8月RECOERDは「苔」

今年のRECORDの年間テーマは色彩です。西洋の色相環に代表される基本的な12色の他に、日本には和色大辞典があって情緒のある色彩名が並んでいます。アクリルガッシュにはそうした日本の色彩名がついた絵の具のシリーズがあって、画材店に行くと目移りがします。アクリルガッシュを入れた私の収集箱には、徐々に日本の色彩が増えてきて、それを眺めているだけでも幸せを感じます。8月のRECRDのテーマを「苔色」にしました。苔は京都の寺院の庭園で大切扱われているコケ類(コケるい)や蘚苔類(せんたいるい)、蘚苔植物(せんたいしょくぶつ)の総称を言うようです。湿気の多いところを岩石面を覆うように苔は生え、寺院の庭園一面に広がる苔は美しい景観を齎せてくれます。「苔むす」という言葉は悠久の時間を示すもので、国歌「君が代」の歌詞にも登場しています。そんな微妙な色彩を扱うには、周囲の状況も描かねばならないと思っています。実際の苔を見ると同時に、日本画に表現された古木や岩に存在を示す苔にも注目していきたいと思っています。苔を描くことで風景が幾星霜にもわたって続いてきた自然のありさまを表現しているのでしょうか。日本には潤いのある自然があり、苔むした石に私たちは情緒を感じてきました。苔の暗く翳った色彩は、まさに日本の色彩と言えます。

私にとって創るとは…

つくるという漢字表記は3種類あります、作る、造る、創るの3種類ですが、このNOTE(ブログ)で私が言いたい主旨なら、創るという漢字が一番相応しいと思っています。創るは創造行為を示すものだからです。私は週末には工房で彫刻をやっていて、ウィークデイの夜には自宅でRECORDと称する小さい平面作品をやっています。昼間は横浜市の公務員として働いていて、人々によって構成される組織を動かしています。ここでは人と人との繋がりが極めて重要で、コミュニケーションで業務が成立していると言っても過言ではありません。仕事の性質上テレワークが出来難く、コロナ渦の緊急事態宣言が解除されてからは全員が出勤してきています。こうした職場なのでコロナ渦の影響は決して小さいものではありませんでした。現在も判断に迷う場面が多々あります。ところが私の創作活動はこれとは真逆で、コロナ渦の影響は全くありません。人との繋がりが極めて薄く、普段から孤立無縁な状態で作業をしているからです。せいぜい1年に1回開催している個展で、人とコミュニケーションをとるくらいです。創作活動全体から言えば90%以上は、一人で引き篭もり状態です。夏になって漸く創作活動の結果を携えて東京銀座に出かけているので、これが残りの10%だろうと思っています。私にとって創るとは何なのか、一人でイメージを起こし、一人でイメージを具現化し、作品にまとめ上げる行為は一体何なのか、今夏はコロナ渦の影響で個展に来る人が少なく、そんな中で考えたことは、持続する造形思索があれば、それで良しとした自分の思考回路です。それはどんなところから発想したものだろうと改めて思い返しているのです。創作活動に意味を見出そうとすれば、現代の社会情勢やらアートの歴史を達観すると、自分がこんなことをやっている意味があるのかどうか、分からなくなってしまいそうで、一種の虚無感に襲われることもあります。そこは敢えて考えず、自分が面白いと感じたから創るだけなんだと自分を言い聞かせているのも確かです。私にとって創るとは、とどのつまりは自己満足なのかもしれません。

RECORD追い込み

一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っている総称をRECORD(記録)と言っています。2007年2月から一日も欠かさず毎日制作していて、今年で13年目を迎えます。陶彫による集合彫刻を作り出したのは、30年以上前になりますが、今やRECORDも彫刻に匹敵するくらいの表現媒体になっています。私が50歳になった時に、彫刻とは異なる世界を創ってみたいと思って始めたのでしたが、試しに暫く続けてみようかなぁと思っているうちに、今まで継続してしまったというのが実感です。最近は生涯の友として意欲が萎えるまでやっていこうとしていて、止めるに止められない意地か見栄のようなものがあって、気持ちが突き動かされるのです。毎日のことなので、もっと気楽なデザインでもいいのではないかと思うこともありますが、下書きを描いているうちに自分の気楽さが許せなくなり、どんどん構成を追求してしまうのが私の癖です。私はなんと生真面目で生き辛さを持った人間なのだろうとホトホト自己嫌悪に陥っていますが、夜になると睡魔が襲ってきて、構成の追求がままならない状況です。下書きで一日のやるべきことが事切れてしまい、完成まで達することが出来ないのが悩みです。加えて自宅のリフォーム工事がRECORDの仕事場を奪ってしまっていた時期があって、下書きだけが今も山積みされているのです。この夏はRECORDの下書きを仕上げまで持っていこうという目標を立てました。今月に入ってからRECORDの追い込みに拍車をかけています。昼間の仕事が少なくなる夏の時期だからこそ可能な制作目標です。夕方から彩色をしたり、仕上げのペンを入れたりと夕食前に時間を惜しんで制作しています。下書きがあるので土台からイメージする必要がありません。この時期にどのくらい解消できるのか分かりませんが、頑張っていきたいと思っています。

横浜の「スーパークローン文化財展」

横浜駅に隣接するそごう美術館で「スーパークローン文化財展」が開催されています。これは東京藝術大学で開発された高精度な文化財再現技術で、スーパークローン文化財と呼んでいるのは、最先端のデジタル技術に、人の手わざや感性を取り入れた伝統的な模写技術を駆使しているからです。スーパークローンとしてオリジナルを超越し、新しい価値をそこに創ることは、単なる模写と違い、文化を継承する手段としては最高のものを提供してくれるだろうと察しています。展覧会に並べられた文化財再現作品は、成程素晴らしいものばかりで、丹念な調査を基に緻密に模写された造形に感動を覚えました。テロリストによって破壊されたバーミヤン東大仏の壁画の復元など、シルクロード文化財の再現作品の数々の展示がありました。さらに私が関心を持ったのは、法隆寺釈迦三尊像の再現でした。法隆寺の中で見るお馴染みのアルカイックスマイルの仏像でしたが、再現された像がそごう美術館にありました。ビデオにその鋳造の場面が映し出されていて、職人による工程を見ていると暫し時間を忘れてしまいました。法隆寺金堂壁画の消損前の縮小再現作品では、その神々しい図柄に我を忘れました。囲いのあった高句麗の「四神図」の展示で、家内はゾクっとしたと言っていましたが、一人ずつ入る小部屋の内部は「朱雀」「玄武」「白虎」「青龍」が四方それぞれの石壁に描かれている状況を、まさにクローンとして再現されていて、私も不思議な感覚を持ちました。昨年訪れた大塚国際美術館のタイル画による名作再現にも驚かされましたが、今後はこうしたスーパークローン文化財の需要はますます高まっていくと考えられます。人類が残した貴重な文化財が、時空を超えて私たちの眼の前に現れる体験は、幸福な瞬間と言えるでしょう。

週末 新作は直方体が基本

今日は朝から工房に篭りました。新作の3点目の陶彫部品の成形を行ないました。現在は床から立つ直方体を作っています。比較的大きめな直方体を立ち上げましたが、今後は大小さまざまな直方体を考えています。大きめな直方体は2段目も作ろうと思っています。積み木のように陶彫部品を積んでいく予定です。高層ビルが並び立つ状況がイメージにあります。その土台となるものは厚板材を加工して作るつもりです。厚板材は昨日、建材店で購入してきましたが、そのうち追加購入もあります。新作の出発点としては、まだまだ先が見えず、今のところは陶彫部品をひとつずつ作りながら、これでいいのかどうか確認しているところです。頭の中に設計図はあっても、彫刻は素材感を伴うので実体として目に見えるリアルがないと判断が出来ません。アナログの極めつけの世界とでも言いましょうか。私が存在とは何かを問う哲学に惹かれるのはこんなところにあるのかもしれません。今まで曲面を有する陶彫部品を作り続けてきましたが、直方体も面白いなぁと思うようになりました。曲面形態は動物的であったり、植物的な動きが出て、全体として有機的な生命体を印象づけました。今回は直方体が基本となるので、今までのような動きは表現できません。陶の醍醐味は曲面にあると今までの私は考えていたので、これはちょっとした挑戦になるのです。直方体なら金属でも制作可能です。それを敢えて陶で表すのにはそれなりの理由があります。それは定規で引くハードエッジな線や面ではなく、あくまでも人の手によって作り上げる、真っ直ぐな線や平たい面から得られる微妙な歪みや緊張感なのです。人の手が及ばない焼成がある陶彫を使って、何も幾何形体を作ることはないのではないかと思われるところですが、私は彫刻を魂の産物と捉えている古風な作り手なので、人の手で何とかモノにしたいと思っているのです。今日は梅雨明けの夏空が広がり、工房は蒸し風呂のような暑さになりました。毎週来ている美大受験生もいました。夕方、暑さに耐えた彼女を車で家まで送っていきました。

週末 8月になって…

週末になりました。今日から8月です。梅雨明けが遅れ、先月末までぐずついた天気が続いていました。8月は5日間の夏季休暇が取得できます。7日あたりから翌週にかけて夏季休暇を取ろうと思っています。毎年アジア各地や国内に旅行に行っていましたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で今年は旅行に行きません。その代わり美術館等へ日帰りで出かけたいと思っています。今月は新作になる陶彫を只管作ること、その陶彫部品を設置する土台も試しに作ってみることを彫刻制作では目標に掲げたいと思っています。さらに今月に限って彫刻制作より重きを置いているのはRECORD制作です。今月は下書きの山積み解消を目標にします。今までになく制作が遅れているため、これを放置できない状態になってしまいました。今年は色彩をテーマにしているので、アクリルガッシュの不足が心配ですが、画材店に行った折に多めに仕入れてこようと思っています。RECORDは一日の勤務が終了し、夕食の後で制作するのが習慣になっていますが、今月は昼間に制作時間を取ります。夏季休暇も利用します。もうひとつ、久しぶりに書店に行って書籍を購入したいと思っています。今取り組んでいる書籍があるので、新しい書籍は買ってすぐ読めるわけではありませんが、自宅リフォームの際に大きな書棚を設えてくれたので、そこに空いた棚があり、こんな書籍があったらいいなぁと希望しているのです。今日は新作のための厚板材を購入してきました。横浜そごう美術館で今日から始まっている「スーパークローン文化財展」にも足を運びました。この詳しい感想は後日改めます。夕方工房に行って、明日の陶彫成形のためにタタラを数枚準備してきました。8月になって、初っ端からいろいろ出かけてしまい、愈々気分を入れ替えることにしました。今月も頑張っていこうと思っています。

社会情勢とともに7月を振り返る

7月の最後の日になり、今月を振り返ってみたいと思います。タイトルに社会情勢としたのは、新型コロナウイルス感染拡大が続いており、首都圏では感染者が増え続けている状況で、東京を除外した「Go Toキャンペーン」のトラベル事業が始まり、不安と隣り合わせの1ヶ月だったことで、こうしたタイトルを思いついたのでした。今月は私の個展開催もありました。来廊者数は例年の3分の1程度で、それでもよく東京銀座に足を運んでくださったと感謝しています。私にとって個展開催は創作活動上のターニングポイントであることは間違いありません。造形思索は継続しているものの、ここで作品制作の本腰が新作に移っていきます。今月は美術館等へは行かず、残念ながら鑑賞は出来ていません。そろそろ美術館へ行きたいという思いは募っています。来月こそは充分感染症の自己防衛をして美術館へ行こうと思っています。一日1点ずつ作っているRECORDは相変わらず厳しい状態で、下書きの山積みが増えてきています。来月は夏季休暇はあっても旅行に出る予定がないので、RECORD制作に集中しようかなぁと考えています。RECORDは小さい平面作品ながら陶彫による集合彫刻に匹敵する作品群で、10年以上も一日も休まず作り続けている表現媒体です。夕食後にRECORDに立ち向かうと睡魔に襲われ、下書きが終わると瞼が落ちてしまうのです。このNOTE(ブログ)とRECORDという夜の仕事はなかなか苦しいものになっていて、加齢のせいとは思いたくないのですが、以前に比べると確実に気力が萎えているのが分かります。それでもRECORDを止めようとは思っていません。読書では彫刻家イサム・ノグチの生涯を描いた書籍と、論理学に関する難解な書籍を交互に読んでいます。これは来月も継続です。とくにフッサールによる論理学の書籍は、その世界に入り込まないと理解力が覚束ないのです。自宅で気持ちが緩んでいる時には到底読めるものではありません。これは職場に出てきた時に読むようにしようと思っています。来月も頑張ろうと思います。

個展の感想より抜粋

今年の個展に来られた方に感想を綴ったお手紙をいただきました。彼は横浜に住まわれている文筆家の方で、高齢にも関わらず毎年私の個展に来ていただいています。私が在廊していない時に来られたようで、お話が出来なかったのが残念ですが、作家野間宏に関する書籍を出版されていて、美術に対する審美眼もお持ちではないかと思っています。お手紙のの一部を抜粋させていただきます。「『発掘~聚景~』がテーマとありましたが、造語とは言え、その意が十分通じます。元になる集合体こそ、貴方が求める生の実態、有り様、更に言えば生きる、生産する自負とでも言えましょうか。…物体は壁から…そこに収斂…の説明が的確な案内になっています。」後半の文章は図録掲載のNOTE(ブログ)から拾っていただいたようで、身に余る言葉が連なっており、何か恥かしいような気もします。「発掘~聚景~」の中で、生の実態を見取っていただけたことに感謝申し上げます。「発掘~聚景~」は廃墟を模していますが、相反する生命の蘇生が隠れたテーマです。廃墟の世界を描いたヨーロッパの画家では、ドイツロマン主義絵画の巨匠フリードリッヒや牢獄シリーズで有名なイタリアの銅版画家ピラネージがいます。彼らの圧倒される世界観は、滅びゆく建造物の中に生命の萌芽も感じさせてくれます。惨憺たる風景を私たちはそのまま受け取ることをしません。この世界の終末の果て、その先に何かがあるような微細な光を感じさせてくれるのです。私はショーペンハウアーの唱えた厭世主義には違和感を抱きつつ、廃墟を見ると幾星霜にも及ぶ悲劇を受け入れていく自分がいます。私は戦災を実態として知らず、国を追われたこともなく、自分の周りで廃墟化が進んだことがないので、簡単に悲劇を受け入れると言っているのかもしれません。そこに一条の光が差すと言ってもそれはイメージに過ぎないと言われれば返す言葉もありませんが、創作活動はどの程度リアルを伴う必要があるのかどうか、議論が出来そうなところです。

「命題論的分析論としての形式論理学」第12~13節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もありました。漸く今日から本論に入ります。本論は第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」、第二篇「形式論理学と超越論的論理学」から成り立っています。本書のタイトルは第二篇から取っているので、ここが結論になるのだろうと思います。第一篇はAとBに分かれ、Aは第一章から第三章、Bは第四章と第五章から成り立っています。ここでは第一章「命題論的分析論としての形式論理学」の第12~13節についてまとめますが、節については通し番号になっていて「予備的な諸考察」から続いています。第12節で語られる純粋な判断形式とは何か、冒頭の文章を引用いたします。「われわれの一般的な解説によって予め理解されたことは、〈体系的に論述された論理学の歴史上最初の部分として成立したのはアリストテレスの分析論であり、これが理論的な形成物〔=主に諸命題〕についての論理学の最初の試みであった〉ということである。」さらに「事象的な事柄を示す言葉(述語)の代わりに、代数学の文字記号を採用したのである。」第13章は判断の純粋形式論になり、そこでの変形または操作の概念が登場してきます。「記述を体系的に一貫して純粋に遂行すれば、独特の一つの教科が明確に区分されたであろう。この教科は『論理学研究』で初めて定義され、意味の純粋形式論(もしくは純粋論理学的文法)と呼ばれたのである。」基本的諸形式とそれらの変形について書かれた箇所を引用します。「可能な諸判断一般をそれらの形式について分類しようとすれば、《基本的な諸形式》が、と言うよりはむしろ、それら基本形式の完結したシステムが明らかになり、そしてさらに、これらの基本形式から、独自の本質法則性によって、つねに新たな、しかもしだいに多くの異なる諸形式が、そして最後に、考えうるすべての判断形式全般のシステムが、それら諸形式の無限に多くの異なる諸形態と次々に区別される諸形態との中で順次構築されうる、ということである。」次に操作の概念に論考が及びます。「それは〈複数の形式から或る一つの形式を作る操作の各形態化には、それぞれの法則があり、そしてその法則は本来の各操作の場合には、新たに作られたものもまた同じ操作で処理されうる〉ということである。したがって操作の各法則は反復の法則を内包しているのである。」まとめというより、おそらく著者が主張したい箇所の引用だけになってしまいましたが、一文一文をじっくり確認していくと、まとめとして短文にすることは私には不可能で、節ごとに気になった箇所の引用で御容赦願いたいと思っています。職場で時間を決めて読み込んでいくのが精一杯な論文です。

意欲を保つために…

新型コロナウイルス感染拡大が続き、今年度当初は在宅勤務や各種行事の中止があって、先が見えない状態がありました。現在、職場は通常を取り戻しつつありますが、先が見えない状態は変わりません。感染症防止を行いつつ、経済活動を回していくのは、なかなか困難です。私個人で言えば、職場があり、組織があり、そこには同じ悩みを抱える職員集団がいるので、社会と繋がっている感覚は常に持っています。逆に個人経営や個人事業を興している人たちは社会情勢によって厳しい立場に立たされることになり、先行きの不安から事業が破綻してしまうことがあろうかと思います。身近なことで言えば、家内の演奏活動はストップしたままです。邦楽器演奏者の中には高齢な方々もいらして、その方たちの意欲が削がれているのではないかと家内は心配しています。年齢的なことも関係あるかなぁと考えるのは、60代の私も創作意欲の持続にやや不安を感じているからです。私は葛飾北斎のように老いても旺盛な意欲に支えられた活動をやりたいと願っていて、この意欲を保つために何をやったらよいだろうと考えるようになりました。先日まで開催していた個展ですが、鑑賞者は少なかったものの、これは意欲を保つためには効果的だったと言ってもよいと思います。コロナ渦の中で、よくぞギャラリーが開催してくれたものだと今でも思っています。イベントを単なるイベントとして考えていると、祭りの後の空虚感や脱力感がやってきます。意欲がそこでダウンすることもあります。これは祭りではなく、創作活動の一時的な報告会なんだと考えると、その先の展開もあるかなぁと思っています。私はひとつの作品を作り終える前に、新作を並行してスタートさせます。これが意欲を保つ私なりの秘訣です。常に作り続けていること、常に考え続けていること、これが日常化していることが私にとってベストなのだろうと思っています。

イサム・ノグチ 結婚と原爆慰霊碑

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第32章「山口淑子」と第33章「北鎌倉」のまとめを行います。「おそらくノグチと山口が親近感を抱いたのは、おたがいのなかに潜在する悲しみを見分けたことと関係があったのだろう。どちらもが美貌と才能、成功に恵まれていたにもかかわらず、異なるふたつの文化のあいだで引き裂かれていた。」女優山口淑子は中国の満州で育ち、中国人の養女となり、日本帝国主義支援の女優・歌手としてデビューしていました。日米混血の彫刻家と日中で活躍する女優の結婚は、当時話題になっていたようです。北大路魯山人との出会いで、北鎌倉にある住居を2人のために魯山人が気前よく使わせたのも話題でした。「日本人の花嫁とともに隠れ家、しかも日本的な儀式の隠れ家をつくることでノグチは自分自身をひとつの場所に結びつけた。『ぼくは歓びと活力に満たされた』。」ところが2人の結婚は長く続きませんでした。「ノグチと山口はとても愛しあってはいたが、問題もあった。ふたりの生活様式はノグチが選んだ。『こんな、全く見知らなかった異質の世界に身を置いて』と山口は書いている。『私はそのすべてを吸収しようと努力しました』。どちらもが激しい性格で頑固だった。そして文化の違いもあった。山口の目からみればノグチはまったくのアメリカ人だった。」ノグチの制作に関してはリーダーズダイジェスト社の庭園を手がけたり、原爆投下による復興中の広島での橋の欄干のデザインの依頼を受けたりしていました。「11月末、ノグチは橋の欄干工事の進捗状況を見るために丹下健三と広島にいった。ノグチ、丹下、広島市長はノグチが原爆犠牲者の慰霊碑をデザインする可能性について話し合った。」ところが、これはノグチの国籍等の問題で実現には至りませんでした。「ノグチは慰霊碑の不採用を『日本におけるぼくのもっとも不愉快な経験』と呼んでいる。最終的に委員会は丹下が慰霊碑をデザインすることに固執し、丹下は原爆記念日に間に合うようにデザインを1週間で仕上げなければならなかった。」また時代背景も変わっていき、ノグチの日本での立ち位置も微妙になってきました。「ノグチはもはや西洋の文化に飢えた日本にモダニズムの知らせをもたらす先触れの鳩ではなかった。~略~この反米感情を考えれば、日本芸術界とノグチの関係が変化したのも驚くことではない。ノグチはもはや魅力的な新来者ではなかった。」

週末 日常を取り戻す

昨日で個展が終了し、今日から通常の制作に入ることにしました。イベント終了の翌日は複雑な心境になります。一日ゆっくり休みたいと思うのですが、私の流儀はそうではなく、最新作の制作を何が何でも続けていくのが自分のやり方です。個展の疲労は確かに残っていますが、自分の中でイベント終了感は持たないようにしているのです。祭りの後の脱力感は危険な状態で、ここで創作活動を止めるわけにはいきません。けじめをつけることは敢えてやらないのです。今日は毎週通ってきている美大受験生がデッサンをやりに工房に来ました。この来訪者がいることは大歓迎で、緩んだ私の心を引き締めるのに役立ってくれています。私は最新作の陶彫部品を作るために土練りをやっていました。最新作は2点ほど陶彫部品が出来上がり、乾燥を待っている状態です。全体構想はほぼ出来上がっていますが、エスキースを描くことはしません。床を4メートル四方使うため、ギャラリーせいほうの床を見積もってきました。最新作は床を這う作品になり、高さはありませんが、大きな面積を有する作品です。広大な丘陵をイメージしていますが、どうなるのでしょうか。また一歩ずつ焦らず休まずコツコツと作っていく所存です。日常を取り戻すことは、次なる目標に向けて動き出すことで、モチベーションを保つことが出来ます。私としては個展があろうがなかろうが、高いモチベーションを維持しつつ造形思索を深めていくことが、自分には最良のことだろうと思っています。梅雨がまだ続いていて、今日は梅雨明けのような青空が覗いたと思ったら、どしゃ降りの雨になって、不安定な天候でした。ちょっと早めに作業を切り上げて、デッサンに励む高校生を車で送りました。