「アヴィランドのアトリエとの関係」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第2章 最初の陶器(1886秋~1887初頭)」に入り、今回は「2 アヴィランドのアトリエとの関係」をまとめます。アヴィランド兄弟は芸術陶磁器のためのアトリエを構えて窯を設置しました。陶芸家シャプレはそこの窯を譲り受け、ゴーギャンもそこで作陶をしていました。シャプレと協力関係にあった彫刻家はゴーギャンだけではなく、ダルーやロダンの名も挙げられていました。本書を読んでいくと、どうやらシャプレとゴーギャンの協力関係は長くは続かなかったようですが、こんな文章もありました。「この作品〔植木箱〕においては各々の側面に、シャプレとゴーギャンの出会いのきっかけとなった木彫レリーフ《化粧》と絵画《羊飼いの少女》のモティーフが、かつてシャプレが編み出し、オートゥイユのアトリエで盛んに用いられていたバルボティーヌ技法で絵画的に描かれている。これらはゴーギャンが絵画と彫刻、陶器を総合的に捉え、モティーフを一つの媒体から他の媒体へと自由に移すことを行った最初の試みとして注目される。絵画や彫刻から切り取られ、切り離されて、他の作品と組み合わされて植木箱の両側面の装飾モティーフとして表されるとき、各々のモティーフは植木箱という一つのオブジェの中でまた新たな意味を醸し出すのである。~略~また、自然主義主題におけるミレーの『落ち穂拾い』のポーズの借用も指摘できるであろう。ゴーギャンは1888~89年頃、デッサンや油彩画の中でしばしば腰をかがめるポーズを用いており、ミレーに対する賞賛の言葉も残しているが、《ブルターニュの農婦と鵞鳥を配した壺》はその最も早い作例である。」ゴーギャンの作陶した作品が図版として本書に出ていますが、器としての機能よりも創作的な細工が優先されていて、不思議なモノになっています。商品としては売れなかっただろうし、そうかといってゴーギャンの芸術が今のように尊重されていなかったようにも思います。次の章ではジャポニズムを初めとするさまざまな装飾が登場し、印象派の隆盛にもゴーギャンは関わりをもっていくのですが、日本の斬新な伝統様式がフランス美術界を席巻した当時の様子が、ゴーギャンの視点を持って描かれていくのではないかと期待しています。

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