週末 6月を振り返って…

週末ですが、今日が6月の最終日になります。朝から梱包をやっていましたが、板材が僅かに足りなくなることが分かり、午前中に大手の大工センターに行き、べニア板のカットを注文してきました。ついでに梱包材も購入してきて「発掘~曲景~」のテーブルと柱の梱包を行いました。追加の梱包用木箱はウィークディの夜に作る予定です。夜になって自宅のパソコンで案内状の宛名印刷を行いました。案内状はギャラリーと自宅の双方で郵送することになっていて、今晩やり残した宛名印刷は後日に回します。今日は工房と店を行き来して気忙しい一日でした。今月を振り返ると6月2日に図録用の撮影を行った後、週末毎に梱包用木箱作りと収納、テーブル等の梱包をやっていました。撮影日に補填を考えていた木彫柱も追加制作をしました。梱包はまだ終わらず、来月に持ち越しになります。来年の新作は陶彫部品を1点作れただけで今月が終わってしまいました。美術鑑賞は関西出張の折に「一遍上人と時宗の名宝」展(京都国立博物館)と「若冲と祈りの美」展(細見美術館)を見てきました。東京では「クリムト展」(東京都美術館)と「キスリング展」(東京都庭園美術館)へ行きました。映画鑑賞では「心と体と」(シネマジャック&ベティ)を観てきました。鑑賞は充実していたのかなぁと思っています。RECORDは相変わらず厳しい制作状況が続いています。来月の個展開催の頃になれば、気持ちに多少ゆとりが生じるのではないかと期待していて、積み重なった下書きのRECORDの山を解消したいと思っています。読書はヨーロッパの文化史に関する書籍を楽しみながら読んでいます。読書をしている時が心休まるひと時かもしれません。

週末 梱包用木箱に収納開始

やっと週末になりました。今日は朝から工房に籠って、梱包用木箱に陶彫部品を収納してみました。どうやら梱包用木箱が足りないことが判明し、補強木材を、先日木材の寸法を測ってカットをお願いした木材専門店に注文に行きました。ベニア板はまだあるので、明日はそれを使って、追加の梱包用木箱を作ることにしました。梱包もなかなか骨の折れる作業です。大きな陶彫部品は1箱に1点ずつしか入れることが出来ません。今回の新作で1箱に1点しか入らない陶彫部品は11点あります。それは一番下になる土台の陶彫部品です。2段目と3段目に積む陶彫部品は、2点ずつ箱に入れることが出来そうです。それだけでも22箱必要です。「発掘~双景~」は根の陶彫部品もあり、一体どのくらいの箱が必要なのか見当がつきません。ひとつずつ陶彫部品をエアキャップで包み、梱包用木箱に入れるだけで、かなり身体に負担がかかりました。明日は筋肉痛かなぁと思いつつ、今日は朝9時から夕方6時まで作業をしていました。梅雨本番の天候で、時折強い雨が降っていました。工房は亡父が残してくれた植木畑にあるため、新緑の木々が美しく雨に映えていました。気温は涼しく、おかげで動き易かったので、作業としては捗りました。でも久しぶりに汗がシャツを濡らしました。夜になって自宅でRECORDを仕上げていると、昼間の作業のせいか身体に痛みがありました。明日も継続です。

映画「心と体と」雑感

最近観た映画を振り返ってみると、常連のミニシアターではハンガリー映画をよく観ているなぁと思っています。映画に登場する人物の情感の描き方にハンガリー独特なものを感じるのは私だけでしょうか。昨晩観に行ったハンガリー映画「心と体と」もその感覚の独特さ故に評価が分かれるところですが、私には妙に印象強く残った映画だったと思い返しています。筋立ては単純で、言うなれば冴えない中年男性と若く美しい女性のラブストーリーです。ストーリーよりディテールにこの映画の魅力があって、舞台が食肉処理場だったり、恋愛に発展する2人の性格が際立つ特徴を持っていたり、肌理の細かい心理描写に私は惹きつけられたのではないかと思っています。食肉処理場は飼育されている牛が次々に処理される場面がある反面、人の食事場面も多く、命を頂いて生活を営む人々の日常がさりげなく描かれていました。そこにやってきた若い女性職員は周囲と馴染めず、上司で片手が不自由な中年男性が彼女に気をかけていきます。そんな中で食肉処理場で事件があり、警察の捜査の中で職員全員がカウンセリングを受けることになりました。そこで若い女性と中年男性が別々の生活の中で、毎晩同じ夢を見ていることを知るのでした。それは森を彷徨う雄雌の鹿の夢でした。生きることに不器用な2人に突如起こった摩訶不思議な出来事。それを契機に急速に接近する2人。色恋沙汰を卒業し独身を楽しんでいた男性と、並外れた記憶力と潔癖性という特性を持つ女性。穢れなき透明感を持つ女性が初めて経験する他人との触れ合い。人と人との情感が交差する場面に、この映画の醍醐味があったような気がしています。人によって処理される牛と、森を駆ける自由な鹿。職場の他愛無い職員の会話と、そこから孤立し情感に乏しい女性。環境が用意されていなければ絶対にあり得ないラブストーリーなど、何気ない比較対象が内容に深みを齎す効果を生んでいるようにも思えました。

リバイバル映画を楽しむ

観たい映画が上映されていても、時間が合わず上映を逃してしまうことが結構あります。私はウィークディの昼間は公務員をやっているので、レイトショーでなければ、映画館に足を運べないのです。年休を取得すればいいものを、仕事の都合上、計画した通りに休めないこともあります。そういう意味ではリバイバル上映は有難いなぁと思っていて、多少無理をしても観に行こうと決めていました。映画館や美術館、読書は多忙な仕事の間隙をぬわなければ、時間を割くことが出来ないので、自分に投資する時間として貴重なものなのです。仕事ばかりしていると、ふと我に返った時に自分をまるで見つめていないことに気づき、何のために生きているのか、どんな楽しみが人生にあるのか、分からなくなることもあります。自分自身を豊かに保つためには、感動する心を忘れてはならないと思い、そのためにも感性に働きかける映画や演劇、音楽や美術を鑑賞する機会を増やそうと思っています。今晩は仕事帰りに常連のミニシアターに出かけました。映画館に行く途中で演奏帰りの家内と待ち合わせて、一緒にレイトショーに出かけました。リバイバル上映をされていたのはハンガリー映画「心と体と」で、年齢も境遇も違う男女が奇しくも同じ夢を見ていたことで、不思議なラブストーリーが始まる内容でした。私はリアルな世界に潜在する非現実な世界が面白く感じられましたが、家内は描写のタッチが今ひとつピンとこなかったようで、夫婦で反応が分かれました。これも鑑賞にはありがちで、鑑賞そのものの面白さはそんなところにあると思っています。創作活動では共感も受容も人によって異なることが多々あります。感性に働きかける芸術媒体である以上、評価が分かれることは仕方がないことです。たった一週間のリバイバル上映ですが、ハンガリー映画「心と体と」の詳しい感想は後日改めます。

シリーズ化した図録のレイアウト

今晩、懇意にしているカメラマン2人が、図録作成に向けた全体のレイアウトをもって自宅にやってきました。私の個展用の図録は14冊目になりますが、今まで全て同じサイズ、同じページ数、似たようなレイアウトで作っています。私はシリーズ化(連作)が大好きで、その蓄積を楽しんでいる傾向があります。そうなると毎年作っている図録のデザインに変化が乏しいことがあって、それは充分承知しています。図録には集合彫刻の全体を示す記録という意味合いもあるため、これでいいと判断しています。「発掘シリーズ」は11冊、「発掘から構築へ」1冊、「構築シリーズ」2冊という今までの冊子を見ると、少ないレイアウトの変化であっても、私は写真の効果には注文をつけていて、光を取り込めとか、空気を感じさせるようにとか、面倒なことをカメラマンに言っているなぁと思っています。逆にカメラマンからの提案もあり、これは異なる媒体による彫刻家とカメラマンの連携したアート作品ではないかと思うところです。今回は出来るだけリアルな画像を要求し、それにカメラマンが応えてくれています。図録は作品の一つだと私は認識しています。個展に来られた方々の手元に置いていただける唯一の自作なのです。デジタルな作品と立体的な彫刻とは明らかに捉えが違うので、同じ土俵では語れませんが、作品が内包するコンセプトは伝わるのではないかと思うところです。

「壮大な芸術」について

職場の私の部屋に置いてある書籍を長い期間にわたって、折に触れて読んでいます。通勤に携帯している書籍とは違い、やや難解なものです。「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)は、カンディンスキーの著書「芸術における精神的なもの」を拠り所にして、芸術の本質に迫る内容です。今回の「壮大な芸術」の章では、絵画表現に限らず、あらゆる芸術媒体が、例え外見に相違はあっても主観的な実在性をもつという考え方であれば、似通った均質なものになるのではないかと主張しています。「〈壮大な芸術〉という考えは、たぶんヴァーグナーのオペラがカンディンスキーに示唆したものである。感性の全領域を盛りこんだ総合芸術作品という雄大な構想は、芸術が人間にもたらす表現形式を増やし深く究めることにもっぱら心を砕いていた芸術家を魅了せずにはおかなかった。ところで、まさしく個人の生にとって芸術がもつ意味をめぐるこうした欲求があったからこそ、ヴァーグナーに対する若き日の賛美へカンディンスキーはたち戻り、彼に手きびしい批判を向けることになったのだった。~略~抽象がめざしている総合は、実際、内的な総合でしかあり得ないだろうし、オペラやクラシック・バレーがそれを生み出すことはない。~略~具体的なだけの芸術はいかなる創造的な能力ももたないだろうし、芸術ではあるまい。~略~カンディンスキーが夢みたのは、絵画、彫刻、音楽、詩、ダンスを包摂し、建築も関与した『抽象の舞台総合芸術』となっているような劇である。~略~カンディンスキーの抽象が直接にとり扱っているのは、情動的な基調色であり、これを規定し、あきらかにし、磨きあげ、積み重ね、組み合わせ、基調色の経緯、つまり彼の抽象がもっぱら目を向けている基調色の秘められた変貌を見きわめ誘い出さなければならない。」些か長い引用になりましたが、あらゆる芸術媒体が抽象の中で総合化されているものを、カンディンスキーは当時から考えていたようです。

振替を利用して案内状持参

先日の関西出張の折に超過勤務時間が発生し、その振替を今日の午後に取ることにしました。昨日、工房に案内状が1500枚届いたので、早速今日の午後の時間を使って、東京銀座のギャラリーせいほうに案内状1000枚を届けました。改めてウィークディの昼間に銀座に出かけていくと、職場がある横浜の校外と、東京の一大商業地である銀座のもつ環境の違いが浮き彫りにされて、不思議な心境になりました。公務員と彫刻家という二足の草鞋生活は、こんなところにも心理的な影響を齎せているんだなぁと思います。華々しい都会の装い、そこで働く多くの人たち、観光客も含めて往来する人々を見ていると、また夏の個展がやってくるんだと実感しました。ギャラリーせいほうの田中さんが笑顔で迎えてくれました。「もう14回目なんだね。あっという間だった。」と仰っていました。私はせっかく振替を使って東京に出てきたのだから、どこかの美術館に立ち寄っていこうと思い、月曜日でも開館している美術館を探しました。パナソニック汐留ミュージアムでやっていた「ギュスターヴ・モロー展」は昨日で終了していて残念な思いに駆られました。象徴主義の画家モローは大好きな画家の一人でした。それならば東京都庭園美術館の「キスリング展」はどうだろうとネットを検索すると、開催中であることが判明し、目黒に向かいました。エコール・ド・パリの画家キスリングも好きな画家で、ユダヤ系ポーランド人だったキスリングは独特な哀愁を帯びた肖像画で、一躍エコール・ド・パリを代表する画家になったのでした。エコール・ド・パリとは、1920年代にフランスのパリに集った外国人芸術家たちの集団を指しています。NOTE(ブログ)に幾度となく取上げた藤田嗣治もそこに所属していました。改めてキスリングの油彩画を見て、古典的な雰囲気の中に、滑らかな画肌と単純化したフォルム、時折虚無感が漂う世界に忽ち私は魅了されてしまいました。キスリングがとりわけ親しかったのはイタリア出身の画家モディリアーニだったようで、描かれた人物の輪郭を見ると、2人の画家が影響しあって形態の単純化を求めていた姿勢が垣間見れて、私は楽しさとともに彫刻的な捉えをそこに感じていました。「キスリング展」の詳しい感想は後日に改めます。今日は久しぶりにギャラリーせいほうに行って田中さんに会ったり、東京都庭園美術館に行って「キスリング展」を見てきたので充実した時間を過ごすことが出来ました。

週末 個展案内状が届いた日

今日は朝から工房に篭って、梱包用木箱作りに励んでいました。今日は若いスタッフが工房に来ていました。私は若い頃には詩に関心があって、その昔話を若いスタッフに聞かせていました。50年前に購入して書棚で埃を被っていた古い詩集を工房に持ってきて、若いスタッフに貸したりしていました。創作活動ではない作業をやっていると、つい気持ちが緩んでしまい、若いスタッフと話し込んでしまうこともありました。昼ごろになって久しぶりに近隣のスポーツ施設に水泳をやりに行きました。スポーツ施設から工房に帰ってきたら、懇意にしている女性カメラマンが個展の案内状を1500枚持ってきてくれました。今回の案内状の画像は「発掘~双景~」の正面を画面いっぱいに入れた構図で、素材感に溢れています。私はがっちりした構図が好きなので、かなり気に入りました。案内状1000枚は早速ギャラリーせいほうに届けなければならず、明日ギャラリーに連絡をしようと思っています。いよいよ個展が迫ってきたなぁと感じ始めています。個展も14回目になりますが、こればかりは慣れで開催できるわけではなく、毎回当然ながら新作を出品しているので、ギャラリーせいほうでどんな空間を獲得出来るのか、内心はドキドキしているのです。個展は一年1度の個人的イベントで、成功も失敗も全て私のせいになります。ここが組織を持つ職場との大きな違いです。梱包用木箱作りも含めて、新作の微調整も必要です。搬入まで頑張って間に合わせたいと思っています。

週末 梱包用木箱作りに拍車

週末になりました。今週のウィークディは仕事帰りに工房によく立ち寄り、梱包用木箱の板材補強をやっていました。創作活動でもないのに毎晩工房にやってきたのは最近では珍しいなぁと思っていました。板に木材を電動タッカーで打ちつける前に木工ボンドで貼っておくと便利なので、それをこまめにやっていたのでした。今日はそんな下準備もあったので梱包用木箱作りに拍車がかかりました。今日は9箱完成しました。明日もそのくらい出来上がるかなぁと思っていて、そろそろ陶彫部品の梱包を実際に始めていこうと思っています。エアキャップは若干足りないかもしれません。懇意にしている元梱包業者が昼ごろ顔を出してくれました。困ったことがあったらいつでも連絡をくれと言ってくれていて、本当に有難い限りです。梱包用木箱は作り始めると、どんどん進むように思えます。創作活動と異なるのは作業に気疲れがないことで、やや退屈ではあるけれども、私は木工が好きなのでそれなりに楽しんでやれているところかなぁと思っています。一応今週末と来週末くらいで梱包用木箱を作り終えたいと思っていて、来月に入ったら新作を少しでも進めたいと考えています。やはり創作活動をやっていないと心が晴れていきません。自分を追い詰めていくのは厳しい反面、何とも言えない満足が得られます。新たなイメージの具現化は私に生きる喜びを齎せてくれます。既成の作品の修整や梱包用木箱作りにはその喜びがありません。そのためにも梱包用木箱作りが急がれるところです。

「形の文化史」について

通勤中に読んでいる「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)の第一部「形の文化史」のまとめを行います。冒頭に「スクリュー、プロペラに至る渦巻きがヨーロッパの機械文明の基本で、そこからヨーロッパ文化を支配する形が形成された。」とありました。まさにギリシャ・ローマから始まる建造物を見ると円形や渦巻きを基盤とした変遷が分かります。「一般にギリシャの神殿の美は列柱の微妙なふくらみ、エンタシスにあるとされ、東大寺の柱にもその影響が見られるという。そして円柱の太さ、高さ、間隔などの比例にヨーロッパの古典的な美があるとされていたが、それにならってつくられたローマの古典様式の教会のファサードはどちらかというと単調である。その単調な円柱の列のかわりに、ベルリーニはダイナミックなひねりを柱に加え、『ソロモン柱』にした。ギリシャ・ローマの古典様式ではなく、イスラエルの古典様式と称するものをもってきたところに、彼の意気込みがあるのだろう。まっすぐな円柱がギリシャの古典美なら、キリスト教古代の美は螺旋だと言いたいのである。」また劇場や議会にも円形が登場します。「人が集まって町をつくり、市場をつくり、さらには議会を構成したとするなら、アゴラがそれであり、古代劇場であり、コロッシウムであろう。ギリシャ、ローマの古代劇場、競技場、あるいは集会場はいずれもアンフィシアター、すなわち円形の階段教室の形をとっており、円形の舞台、演説場、競技場をすり鉢形の座席が同心円状に取り巻いているのである。これは現在の欧州議会やフランスやドイツの国会も同じである。」私は若い頃、ヨーロッパで学生生活を送っていたので、確かにすり鉢形の教室が身近だったと思い返しています。さて、ヨーロッパとはどこからどこまでを言うのでしょうか。EU加盟国だけなのでしょうか。「神話や言語、文字などの文化はメソポタミアやシリア、フェニキアからヨーロッパに広まった。これとキリスト教に代表されるヘブライ文化をも現在のヨーロッパの根幹であるとするなら、広義のヨーロッパはインドからオリエントをへて、地中海の北岸へ至っているのである。」それではヨーロッパ文化とは究極何を指すのでしょうか。「ヨーロッパにいかなる文化があったのかといえば、まさに科学技術であり、ルネサンスの三大発明などすべて中国から伝わったとされるものの、それを産業に応用したのはヨーロッパだった。」論考はさらに音楽や美術、文芸などの細かい箇所に触れ、さらに文化そのもののシステムまで及んでいましたが、今日はこのくらいにしておきます。

毎晩工房で板材補強

このところ仕事から帰ってくると、1時間程度工房に足を運んでいます。創作活動ではなく梱包用木箱を作っているのです。木箱の板材に補強用の木材を木工ボンドや電動タッカーで貼り付けています。頑丈な木箱にするための手段ですが、意外に時間がかかっていて、そのために毎晩工房に通っているのです。創作活動とは違い、造形に関わる内面を見つめることはありませんが、単純作業でも骨が折れるなぁと思っています。そうは言っても私は大工仕事が嫌いではありません。祖父が宮大工だったことが影響しているのか、木工は苦もなくやっています。絵を描くより寧ろ木工の方がいいなぁと思っているくらいです。梱包用木箱から話題は離れますが、前に古材を使ってデザイン性に富んだ家具を作っている夢を見たことがあります。線路の枕木のような腐りかけた木材の再生として、魔訶不思議な形をしたテーブルと椅子を私は作っていました。夢から醒めた後、暫しぼんやりと考え込んでしまいました。実は自分はそういうことをやりたかったのではないかと思い込んでしまいました。前にキリストの磔刑像を木彫している夢を見たこともありました。木材と面と向かっていると、不思議な感覚に取り込まれることも自分にはよくあります。これは毎晩工房に通って板材の補強をしているせいかもしれません。

クリムト「ユディトⅠ」について

東京都美術館で開催されている「クリムト展」。先日からこの展覧会に纏わることをNOTE(ブログ)に書いていますが、作品に触れることが少ないなぁと思っています。今日は来日した代表作「ユディトⅠ」について書いていきます。ユディトとは誰か、旧約聖書外典の一場面に登場する若き未亡人がユディトです。彼女はアッシリア軍の包囲を解くため、軍の陣地に向かい、夜陰に乗じて司令官ホロフェルネスを誘惑して酔いつぶし、眠っている彼の首を剣で切り落としました。ユディトは目的のためにはどんな手段を厭わない女性の強さの象徴になっていますが、「ユディトⅠ」は胸元を露わにした官能的な女性として描かれていて、その表情は恍惚としています。現代ではこうしたエロチシズムは普通に罷り通っていますが、当時はどうだったのでしょうか。画面構成は金を多用した装飾性の強いもので、ウィーン分離派の代表的な作品となり、旧態依然としたウィーン画壇に対するクリムトの挑戦ともなったと言われています。図録から引用します。「絵画における金は、中世のキリスト教の宗教画において多用されたが、ルネサンス期以降は遠近法を用いて三次元空間を表現することが主流となり、長きにわたり忘れ去られていた。クリムトはこれを逆手にとり、当時は否定的に捉えられていた手法を新たな表現として打ち出したのであった。~略~エジプト美術やビザンティン美術からの影響、あるいは日本美術からの影響があった。~略~ラヴェンナの聖堂における金のモザイクの輝きが彼に決定的な影響を与え、その繊細な芸術に華麗さとゆるぎない荘厳さが加わったとしている。~略~油彩画になじみのない素材の扱いは容易でなかったようで、金箔を定着するのに時間がかかり、展覧会の出品が遅れたとも考えられている。裸体に近い姿に金をまとい、エキゾティックな文様を背に立ちあらわれるユディトは、匂い立つような官能性を放ち、見る者を圧倒する。」(小林明子著)「ユディトⅠ」は今回来日した作品の中でも、最もクリムトらしい黄金様式を示す代表作であることに違いありません。

クリムトの葛藤

「無造作な髪、伸びたひげ、よれた仕事着ー。東京都美術館で来月10日まで開催中のクリムト展を見て、何より意外だったのは、画家本人の肖像写真だ。金色を大胆にあしらった妖艶な女性像との落差にとまどった。『外見は無頓着。生涯独身でしたが、女性関係は多方面にわたったようです。』と担当の小林明子学芸員。超のつく有名画家の工房には、裕福な貴婦人や若い女性モデルが幾人も出入りした。隠し子騒動は十数件にのぼるという。」と記載があったのは6月16日付の朝日新聞「天声人語」でした。グスタフ・クリムトとはどんな人物だったのか、写真を見ると冴えない中年男性が写っていて、これがあの絢爛たる絵画を描いた作者なんだと思うと、私はちょっぴり嬉しくなりました。創作活動の上で作者は黒子でいいと私は思っていて、外見と内面は違うものと世間に知らしめたい意向が私にもあるからです。そんなクリムトにも女性関係以外でさまざまな葛藤があったことが図録にありました。「『いろいろなことに思いをめぐらすと、私がずっと恐れていたこと、すなわち脳の病気で亡くなった父、精神病院に入院した母、数年前に気が狂ってしまった姉に起きたことが自分に起こらないか心配しています。おそらくその最初の兆候が私に出始めている…』。クリムトの『肉欲』と『放蕩』そして『不節制』という一面は、彼に非摘出子をもたらしただけでなく新たな心配の種となった。」(マークス・フェリンガー著)クリムトが内心抱えていた血族に関する不安や焦燥、それがどう創作活動に影響していたのか、こればかりは作者のみが知る葛藤ですが、クリムトが生殖から死に至るまでの生命を象徴的に表現している絵画を見ると、生命の円環に関して少なからず関心を持っていた様子が伺えます。それが精神面での追い詰められた状態だったのかどうか洞察の域を出ませんが、精神のバランスを欠いたときに作者は究極の表現に達することが出来ると私は信じているところがあり、クリムトもきっとそうだったに違いないと勝手に思い込んでいるのです。今回来日していた有名な絵画「女の三世代」を見ていると、幼子、若い女性、老女が並列して描かれていて、生命の円環を西洋伝統に則った比喩によって明快に表現されていました。これを描いたときのクリムトの心情は如何ばかりか、私は暫しこの絵画の前で立ちすくんでいました。

上野の「クリムト展」

先週の金曜日、開館延長を利用して仕事帰りに東京上野の東京都美術館に「クリムト展」を見に行きました。本展は「ウィーンと日本 1900」という副題がつけられていて、クリムト没後100年、日本オーストリア友好150周年を記念しての本格的な「クリムト展」とあって、美術館は大変賑わっていました。グスタフ・クリムトは私にとって馴染み深い画家です。1980年から5年間、私はウィーンの国立美術アカデミーに在籍していて、クリムトの世界に日常から浸っていました。日本から来た客のお供をして、よくベルベデーレ宮殿にも足を運び、展示されていたクリムトの絵画を隅々まで堪能していたのでした。私自身も黄金様式と称されているクリムトの流麗で象徴的な作品が大好きだったので、積極的に観光客を案内していました。今回、日本で見たクリムトの絵画は、私にもう一度ウィーン世紀末に集った芸術家を思い起こさせるのに十分な説得力がありました。クリムトは古典絵画から画業を出発させています。図録から引用します。「クリムトは歴史画家を養成する古典的な美術教育を受け、最初は伝統的な描き方で作品を制作していた。~略~クリムトの画業初期の寓意画は、ありふれた手本にならったものだった。それでも、象徴的に表現するという寓意画への取り組みから得られた刺激は、クリムト作品のさらなる展開にとって計り知れないほど重要であった。~略~クリムトの画業における転機は、まぎれもなく1897年のウィーン分離派の設立である。~略~生命の生物学的ー身体的な起源、愛と性欲の神秘、様々な対立と争い、老いと死を迎える人間の衰退、これらすべてをクリムトは絵画の中で象徴的に扱ったのである。」(マークス・フェリンガー著)確かにクリムトのデッサンや色彩の扱い方はアカデミックな技法を使い、分離派以前は室内を飾る壁画で神話的テーマの絵を描いていたことが認められます。しかもその技能たるや非常に優れていて、若い頃に既にアカデミズムを極めたと言っても過言ではありません。ウィーン分離派は革新的だったことには違いないと私も感じますが、これは古典を完全に否定するものではなく、古典の上に新しい価値観を植えつけたものではないかと思いました。その後に登場する前衛芸術とは一線を画していて、ウィーン分離派は古典を継承しながら新しいカタチを模索していたようです。ユーゲントスティールと呼ばれた当時の形式は、今も新鮮さを保っていると私は考えています。クリムトの人間性や個々の作品に関する記述は後日改めます。

週末 梱包用木箱作り開始

今日は朝から工房に篭りました。10代の若いスタッフがやってきて、自分の課題に向き合っていました。彼女は工房に出入りするスタッフでは一番若く、将来に対してあらゆる可能性を秘めています。工房のスタッフも若返りをして、私としては楽しい限りです。今日からいよいよ梱包用の木箱作りを始めました。元梱包業者に教わった通りに頑丈な木箱を作ってみましたが、制作方法に慣れていないせいか、苦心する箇所もありました。今まで作ってきた木箱より手間がかかるのは分かっていましたが、結構大変な思いをして、初めの1個を作りました。これを20個以上作るとなると、どのくらい時間がかかるのだろうと思いを巡らせてしまいました。創作活動とは違い、制作手順に慣れればペースは早くなるのではないかと思います。先日、木材店から補強用の木材を大量に購入してきたので、木材はたっぷりありましたが、板材が無くなってしまいました。夕方になってスタッフを車で送った後、板材を購入しに日用大工センターに向いました。先日から付き合いが始まった木材店は、日曜日が定休なので仕方なく今まで利用してきた店舗に出向いたのでした。梱包にこんなに時間をかける彫刻家はいるのだろうか、車を走らせながらそんな考えが私の頭を過ぎりました。身体が動くうちは、自分一人で梱包もやっていこうとすぐに考えを改めました。私は図録用の撮影や個展の搬入・搬出以外は人を頼まず、何とか一人でやってきています。大きな彫刻作品は人の協力なしには展示すら出来ませんが、創作活動や梱包作業は自分だけでやっていこうと決めているのです。梱包作業は退屈な仕事のため1時間くらいは新しい陶彫制作に関わっていきたいと思っていて、今日も夕方の1時間は陶土に触れていました。新作に関わるだけでホッとしている自分がいます。

週末 義母の13回忌

週末になりました。前から予定していた義母の13回忌を今日行ないました。家内の母は多くの兄弟姉妹と一緒に、戦前の時代に奄美大島から本土にやってきました。兄弟姉妹の中には哲学者や考古学者や音楽家がいて、学問や芸術で身を立てた人ばかりだったので、私は家内と結婚する時に親戚を回った折、彫刻家を志望する私に親戚全員が理解を示してくれました。私は職人家庭に育っていたので、学術文化の香りのする環境に憧れを持ったこともありました。義母は13年前に86歳で他界しました。その頃、私の拙い芸術に対する思索を聞いてくれた親戚の面々も、現在は年老いて、この13回忌が最後かもしれないと思いました。義母の兄弟姉妹の中で、カント哲学者であった叔父が亡くなった時は、私にもショックがありました。叔父ともっと話がしたかった、私は未だカント哲学の裾野にも到達していない、そんな残念な思いに駆られたこともありました。学問で身を立てようとした兄弟姉妹を義母は経済的に支えていたらしく、そうした環境で家内は育ったのでした。家内は中国考古学を専攻している叔父にとくに懐いていたようで、80代後半に差し掛かった叔父を、家内はいつも気遣っていました。家内の両親の墓地は、横浜の古い地域である久保山墓地にあります。久保山の日蓮宗の寺で法要をした後、横浜中華街に場所を移して、親戚縁者で会食をしました。この機会を大切にしたいと私は思いました。私がまだ彫刻家にも公務員にもなっていない頃、夢に生きていた私に対し、理解を示してくれ、また支援をしていただいた家内の親戚の厚意を私は忘れることが出来ません。手前味噌ですが、今日は良い一日だったと思っています。

勤務終了後に上野の美術館へ…

横浜市瀬谷区の職場に転勤してきて、前職場に比べて外会議が多いなぁと感じています。出張というほど遠方に行くわけではなく、区役所の会議室を使って区内のさまざまなことについて話し合いを持っているのです。今日も午後から区役所に行きました。勤務時間終了までそこで会議を行っていて、その後は帰路につく予定でしたが、今日は金曜日なので遅くまで開館している東京の美術館を目指して、横浜から上野まで出かけていきました。東京都美術館で開催している「クリムト展」は必ず見に行こうと決めていました。私は20代の頃、ウィーンに住んでいました。当地の国立美術アカデミーに在籍していましたが、グスタフ・クリムトを中心とするウィーン世紀末芸術は、ウィーン観光の売りになっていて、多くの観光客がクリムトの世界を味わうために、ベルベデーレ宮殿併設の美術館を訪れていました。私も幾度となくクリムトの絵に接してきました。私がウィーンに滞在していた最初の頃は分離派会館(別称セセッション)が工事中で、クリムトの壁画が見られませんでしたが、帰国間近になってリニューアル工事が完成し、金色の球体(別称金のキャベツ)を頭上にのせた独特な建物を見ることが出来ました。その時に修復を終えた「ベートーヴェン・フリーズ」も観ました。いつも買い物で訪れたナッシュマルクト(市場)の傍にあった分離派会館とオットー・ワーグナーのデザインしたアパートが、ウィーンの生活の一場面として今も思い出されます。今回の展覧会では「ベートーヴェン・フリーズ」の実物大複製が展示してあったので驚きました。私はいつ頃、ウィーン世紀末の芸術家たちを知ったのか、もちろんウィーンに行く前から知っていましたが、最初の記憶が定かではありません。おそらく学生時代に愛読した「見えない彫刻」(飯田善國著 小沢書店)に掲載があったクリムト、シーレ、ココシュカに関する評論で知ったものではないかと思っています。「クリムト展」は開館時間延長日にも関わらず、入場規制が行なわれるほど混雑していました。鑑賞者は圧倒的に女性が多く、クリムトの瀟洒な雰囲気が女性に人気なのかなぁと思ったりしました。クリムトは日本美術を取り入れていて、金色を多用したり、和装の文様のような幾何的な平面構成があったりして、その絵柄は明らかに日本のそれと類似していると感じました。平面文様と写実性のある人物描写が相俟っているところがクリムトの特徴で、強いて言えばこのような象徴性が全面に出ている絵画は、日本人が好む要素が満載しているんじゃないかと思いました。詳しい感想は後日改めます。

木材の注文

工房のロフト拡張工事に来ていた元梱包業者に教えていただいた本格的な梱包用木箱。これを作るために小割80本×3の240本を、これも元梱包業者に教えていただいた木材専門店に注文に行きました。勤務中の外会議がある途中に木材店に立ち寄り、木材の切断をお願いしてきました。次の週末は梱包用木箱を作りたいので、木材は土曜日の早朝に取りに行くことにしました。大手の店舗なら開店時間が決まっているところを、個人の店は私の要望を聞いてくれるので有難いなぁと思いました。とりあえず週末に10箱作る予定ですが、作品の数を考えると10箱では足りません。20箱くらいは必要かなぁと見積もっています。ともかく週末に可能な限り木箱を作ってみようと考えています。こうした木材を注文に行ったり、道具を揃えたりするのは、創作には直接関係ないのですが、作品を保管するためには大切なことで、手間暇がかかっても仕方がないと思っています。自分の工房を使って彫刻をやっているといろいろな業者や店舗との付き合いが増えてきます。たとえば陶土を購入するなら栃木県益子の問屋さん、木材調達は前述の木材店さん、窯のメンテナンスは懇意にしている窯の業者さん、ロフト拡張工事の鉄工業者さん、もちろん彫刻制作に欠かせない多くのスタッフや撮影していただいているカメラマンやアートディレクター、その他電気工事やら植木畑の枝の刈込や草刈りなど、さまざまな職種の方々に私は支えられているなぁと感じています。木材を注文しに店に向かう途中で、ふと業者さんたちの顔が浮かびました。いろいろな助言をいただきながら仕事が進められる幸せを感じています。

14冊目の図録作成に向けて

先日、個展のための図録用の撮影を行いました。毎年多くのスタッフに手伝っていただいて、集合彫刻の組み立てやら分解、そして周囲の片づけや掃除をしています。もう14回目となると撮影は恒例行事のようになっていて、撮影する順番も決まっているのです。その日に撮影した画像を私が選び、その後はカメラマンに編集作業に入っていただきます。何故私は毎年かなり手間のかかる図録を作っているのか、これは自作が組み立てに労力を要する集合彫刻だからです。作品は分解して木箱に詰めて工房の倉庫で保管します。作品を見るためには多くのスタッフの手を借りなければ全体像を提示することが出来ません。そのため作品完成を示す画像が必要なのです。今晩は撮影に立ち会った2人のカメラマンが自宅にやってきて、撮影した多くの画像を見せてくれました。私は自ら作成した図録のレイアウトに従って画像を選びました。画像を通して、初めて私は光や影の立体的効果を知ることになり、アナログな彫刻制作とは違うデジタルな表現に改めて感動を覚えました。毎年のことなのに、自分の作品であって自分の作品ではないデジタルな不思議さに再三驚かされてしまいます。私は映像表現が好きです。映画館に足繁く通うのも、そうした映像好きな私の趣味の反映です。図録を楽しみたい気分も映像好きであるが故のものではないかと思っています。今回の図録の写真はフラットなものにして欲しいとカメラマンに要求しました。今まで光と影を強調したり、周囲の空気までを表現して欲しいと言ってきましたが、今回は真逆で、隅々までクリアな画像が欲しかったのでした。そうしたことがあるため新作の図録は、今までと趣が変わっています。14冊目の図録作成に向けて、カメラマンとの協働作業が始まると言えるのです。

京都の「若冲と祈りの美」展

先日行った京都での展覧会の詳しい感想を、昨日のNOTE(ブログ)に引き続いて述べたいと思います。毎年京都に行く度に、私は岡崎公園にある細見美術館を訪れています。細見美術館のコレクションが素晴らしいこともありますが、企画展もなかなか面白くて、つい足を運んでしまうのです。細見美術館の扉の演出も気に入っていて、奥まった所に格納された秘作を見に行く雰囲気があります。室内は照明をやや落としていて、作品の持つ静寂さを際立たせています。「若冲と祈りの美」展は美術館のコレクションである伊藤若冲の絵画と仏教美術の数々で構成されていました。私は久しぶりに若冲の世界に浸れた喜びがありました。スピード感のある墨が颯爽と冴えわたる「鶏図押絵貼屏風」六曲一双は、京都まで来た甲斐があったと私に思わせてくれました。若冲の精密な描写や流麗な色彩に、私は常々惹かれるところですが、無地にさっと描いた水墨画もその抑揚と筆さばきに驚かされています。若冲は庭で鶏を飼い、日々デッサンをしていたと資料で読んだことがあります。鶏の姿態が完全に把握できていたからこそ到達できた水墨画であろうと思いました。解説によると「背景を一切描かず、墨の濃淡とユーモラスな表情は躍動感に富んでいる。一方特に雌鶏には似通った姿も見られ、最晩年の若冲画は形式化が進んでいたこともうかがえる。」とありました。署名には八十二歳画とあり、その年齢を信じれば老いてなお凄まじい表現力を持っていたことになります。若冲は還暦以降、改元の度に一歳加算したという説もあるので、これは1・2年遡る作品である説が有力ですが、それでもこの筆の気迫は常軌を逸しているのではないかと思いました。今回のNOTE(ブログ)は若冲の作品が中心になってしまいましたが、仏教美術の作品の数々も併せて展示されていました。美術品として視点で宗教美術を見ると、祈りの対象から離れて作者が表現しようとした意図が見えてきます。そんな鑑賞もあっていいのではないかと私は思っていて、美術館に限らず寺社に行った時も手を合わせることなく、寧ろ眼で思考するようにしているのです。宗教美術には表現力に富んだ素晴らしい作品があって、心を満足させる瞬間があることを付け加えておきます。

京都の「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」展

先日、関西出張の折に京都国立博物館で開催されている「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」展を見てきました。まず時宗(じしゅう)とは何か、鎌倉時代に全国を遊行し念仏札を配り続けた一遍上人が開祖となる仏教の宗派です。一遍は浄土門系の念仏僧で、本展に出品されている「一遍聖絵」の中心的な僧として、私の頭の片隅にもありました。図録に「一遍聖絵」の記載がありましたので引用いたします。「宗祖一遍の生涯を、阿弥陀仏の光明(智慧や慈愛)を讃えた十二の名である十二光仏と、『仏説無量寿経』『正宗分』に説かれる弥陀の四十八願(十却の昔、法蔵菩薩は優れた仏国土を作り上げる為に立てた四十八種の願いを成就させ、阿弥陀仏となり『西方極楽浄土』を作り上げたこと)にちなみ、全十二巻四十八段で構成される。」(遠山元浩著)とあり、十二巻ある絵巻物にも謂れがあることを知りました。ともかく「一遍聖絵」は圧巻でした。絵師は色鮮やかな大和絵様式を基に水墨画の技法を取り入れていますが、作者とされている法眼円伊は今も謎に包まれた絵師だそうです。開祖にはどんな機会が訪れて、宗教に覚醒するのか、私が興味を感じるのはそんな場面です。図録にあった一遍の不思議な体験を拾ってみます。「目を閉じてうとうとしている所に御殿の御戸が押し開いて、白髪なる山臥の長頭巾をかけた権現が現れ、一遍の前に歩みよって言う。『融通念仏すすむる聖、いかに念仏をばあしくすすめらるるぞ。御房のすすめによりて一切衆はじめて往生すべきにあらず、阿弥陀仏の十却正覚に一切衆生の往生は南無阿弥陀仏と決定するところ也。信不信をえらばず、浄不浄をきらはずその札をくばるべし』と。後に目を開いて見ると、十二三ばかりなる童子百人ほどがやって来て、手をささげて『その念仏をうけむ』と言って札を受け取り南無阿弥陀仏と唱えていづ方ともなく去った。」(有賀祥隆著)本展の出品作は、美術的な見方も出来ますが、時宗のことを齧ってみると、かなり面白くなることが分かりました。因みに私の菩提寺も浄土宗で、法事には南無阿弥陀仏を唱えているため身近に感じた展覧会でした。

週末 新しい陶彫制作へ向けて

関西出張の疲労が多少回復してきました。今日は朝から若いスタッフが2人来て、工房でそれぞれの課題に向き合っていました。私は電動タッカーを手に入れたものの板材をまだ購入していないため、梱包用の木箱作りは来週に持ち越しになりました。そこで今日の作業では、以前からイメージしていた来年に向けての新作への第一歩を踏み出すことにしました。2020年の新作です。まず集合彫刻の最初の陶彫部品を作っていくのですが、新作と言えどもコンセプトは現在の作品の延長上にあり、それを踏まえて新たな方法を試していくのです。新作は既存の彫刻作品で定番になった根の陶彫の発展形です。基本は蒲鉾型の成形ですが、いろいろなバリエーションを考えています。そのうちのひとつを今日試してみました。何とかこれでいけそうかなぁと思っています。若い女性スタッフ2人が工房に来てくれているのも私には心の支えになっています。疲労を言い訳にして制作から逃避してしまうところを、2人がいることで、私はぐっと我慢して陶彫に向き合えるからです。2人にとっても工房は作業をやるには適した環境なので、お互いの利害関係が一致しているとも言えます。7月予定の個展用作品の梱包と新作の準備、これが今月の大きな仕事ですが、今年の作品がほぼ出来上がっているので、だいぶ気が楽になっています。新作の滑り出しもまずまずかなと思っています。

週末 梱包用木箱作り準備

昨日の夜に関西出張から帰ってきました。2泊3日の出張で疲労も溜まっているだろうと予想していましたが、思っていた通り、午前中は身体が動かず自宅でボンヤリしていました。とりあえず工房に行きましたが、先日の図録撮影をしたままの状態になっていた空間を、梱包作業が出来るように少しずつ配置を換えました。今日から個展搬入用の梱包用木箱作りと決めていました。懇意にしている業者が本格的な木箱のモデルを作っておいてくれたので、その構造を確かめました。午後になってその業者に連絡を入れ、電動釘打機を見に連れて行ってもらいました。手ごろな中古の電動タッカーがあったのでその場で購入しました。その足で業者が懇意にしている材木店にも行きました。残念ながら店は午前中で閉まっていましたが、材木店の場所は分かりました。次は私一人で出かけて、板材を購入してこようと思っています。材料や道具をどこで手に入れるのか、これは彫刻をやっている者にとっては重要なことです。今までは日曜大工センターで購入していた梱包材でしたが、専門店のほうが何かと相談に乗ってくれるのではないかと思います。例年木箱作りに時間がかかっていましたが、材料や道具類、さらに協力してくれる業者がいれば、時間短縮も可能ではないかと思いました。今日は何か作業をしたわけではなく、道具を揃えたところで終わりにしました。夕方は家内と亡き義母の法事用の品々を注文するためデパートに出かけました。関西出張の疲労を紛らわせるためにいろいろな用事を済ませながら一日を過ごしました。明日は朝から工房で作業を行ないます。

雨降りの関西出張最終日

関西に来て3日目です。今日は一昨日や昨日と打って変わって、朝から大雨に見舞われました。関西出張が今日で終わります。荷物を宅配便で横浜に送り、身軽になって夕方まで町の散策をしました。昨晩は近江牛を振舞われ、その美味しさに舌鼓を打ちました。またここは米の産地で、白米の美味しさも忘れられません。近隣県出身の職員の一人が「毬まんじゅう」なる和菓子を買って、私にもご馳走してくれました。上品な餡が入った餅ですが、周りを餅米で覆った雰囲気は栗の毬(いが)に似ているので、名付けられたようです。人里離れたところで現在も伝統的な日野椀作りをやっている工房にもお邪魔しました。伝統野菜で言えば「日野菜」があり、3分の1ほどが紅くなっている細いカブで、私たちが泊まった宿舎の朝食に漬物にして出していただいていました。そもそも農業体験を主なプログラムに組んでいた今回の関西滞在ですが、私の興味は専ら現地の食事や文化に集中してしまいました。滋賀県にいても琵琶湖を見ないで帰る今回の関西出張は、やはり観光ではなく研修の色合いが強いものだという感想を持ちました。私たちの職場以外にも横浜市には多くの同種の職場がありますが、ここは風変わりな研修をしているなぁと思いました。私は数十年この職種にいて、今回は始めて経験したものばかりでした。ここはこうした方がいいのかなというアイデアも今回の経験から出てきました。今年は私が転勤したばかりなので、昨年度練り上げた計画で進めた研修でしたが、来年度はもう少し自分のカラーを出していきたいと思っています。昨年を知らないので比較することは出来ませんが、安全安心で実り多い研修だったと言えば今回は成功だったのではないかと思っています。

近江商人の古里へ

関西出張2日目になりました。出張したメンバーには滋賀県に滞在している期間にさまざまな体験活動が組まれていましたが、私はこの日野町で案内された近江商人の記念館に興味が湧きました。近江商人は江戸等に出張販売に出かけ、各地に出店していたらしく、一人の商人が数多く経営している様は、まさに現在のチェーン店やフランチャイズの起源となったようです。酒、醤油、味噌などの醸造業の他に雑貨や質屋も兼営していたようで、多角的経営が成されていました。日野の名産では日野椀や漢方医薬の販売がありました。とりわけ「萬病感應丸」は日野を代表する薬で、小さな薬となれば荷が軽く、持ち歩きに便利で利益も大きかったために日野の近江商人は莫大な富を築いたようです。商人はその富の多くを地域社会に還元したため、日野町には16基の曳山があり、多額の寄付があったことが分かりました。「萬病感應丸」は現在も販売しているので、私は試しに小さい袋を買ってみました。日野の人たちは今でも愛用していると聞いたので、私の疲労回復に効けばいいなぁと思っています。日野町は小さい町ながら古くからの伝統伝承が受け継がれ、豊かな文化が根付いている町だなぁと思いました。駅舎も最近リニューアルされたようですが、古い情緒はそのまま残されているように思いました。この町は映画の撮影にも使われているようで、そのスポットにも案内されました。確かに時代劇や明治時代の風景が残る場所もあって、広大な土地に田畑が広がる風景は、横浜では見られなくなったなぁと思いました。今日も天候に恵まれ、青空に爽やかな風が吹いていました。

関西出張2泊3日

職場が変わっても私たちの職種は1年間に1回は2泊3日の出張があります。今の職場でも前職場と同じような時期に関西方面への出張がありました。ただし、職場によって滞在する県が違い、今の職場は滋賀県に連泊することが昨年度より決まっていたようです。初日は京都に行きました。そこで一日を過ごすことになっていて、他の職員と私は別々の行動をとることにしました。私は京都には毎年訪れているため、仕事の合間を縫って博物館や美術館に立ち寄ることにしているのです。何か不測の事態が生じれば、すぐ駆けつける状況であっても、京都に行ったら観たいと思っていた展覧会を2つ巡ってきました。ひとつは細見美術館で開催中の「若冲と祈りの美」展で、江戸時代の絵師伊藤若冲の作品に久しぶりに接することが出来ました。細見美術館は伊藤若冲のコレクションが有名で、ギャラリーショップには伊藤若冲のコーナーがあります。そこでつい伊藤若冲の評論集やら「奇想の画家」を著した辻惟雄氏の面白そうな書籍を購入してしまいました。展覧会の詳しい感想は後日改めます。次に向かったのが京都国立博物館でした。ここで開催中の「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」展で、踊念仏を唱えた一遍上人の日本各地への遍歴を絵巻物にした一遍聖絵が圧巻でした。一遍聖絵を見ていると、師匠の池田宗弘先生がスペイン巡礼路を記した作品が思い浮かびました。一遍聖絵は細密で時代の民俗も表現されていて、その中に自分も入ってしまえるような幻想が頭を過ぎりました。見終わった後、漸く現実に戻って京都駅に向いました。この展覧会も詳しい感想は後日改めます。京都は天候に恵まれ、蒸し暑い一日でした。相変わらず外国人観光客が多く目立ちました。毎年横浜からここにやってくると、まさに国際的な観光都市になった古都として、いろいろなところに外国人向けの便宜を図る工夫があって、観光立国を目指す意気込みが感じられます。お土産も日本情緒を盛り込んだ洒落たものが多くなったと感じました。横浜の職場に残って仕事をしている副管理職や事務職にお土産を購入して京都を後にしました。

6月RECORDは「浸潤の風景」

「浸潤」というのは、あまりいい意味では使われないコトバです。「肺浸潤」という病名があり、それは結核菌におかされた肺の一部の炎症が広がっていく疾患です。浸潤の単純な意味では次第にしみ込んで広がることを指しますが、それは液体に限らず、思想などの場合にも使われるコトバでもあります。水彩絵具が紙にしみ込んでいく状況を、絵画的な発想ではその効果を利用して何かを表現することは屡々あります。面白いなぁと思ったのは、5月17日にアップしたNOTE(ブログ)にある彫刻家若林奮の絵具に対する考え方です。「若林は絵具やインクを紙にしみこませ、『紙の厚さを彩色する』ことを試みる。」(江尻潔著)という発想は、明らかに画家のそれではなく、彫刻家の浸潤に関する捉えです。私自身は自作を考えると、彫刻的な要素と絵画的な要素が混在しているため、その双方に理解を示していますが、若林奮流の考え方に妙に納得してしまうことがあります。絵具を幻想化の表現として使うものではなく、あくまで実材として扱うと、浸潤という効果が平面ではなく、空間を伴う立体として立ち現れてくるように感じます。今月のRECORDに選んだテーマである「浸潤の風景」には梅雨の季節を迎える気分もあり、水に覆われた世界とそれが浸透していく状態をどう表現しようかという意思も働いています。滲ませたり、しみ込ませたり、線描写というより絵具中心の画面になりそうです。今月もRECORDを頑張っていきたいと思っています。

6月の制作目標

そろそろ梅雨入りになりそうな鬱陶しい日々ですが、昨日は曇り空の下で図録用の撮影が無事終わって良かったと安堵しています。今月の制作目標は次なる彫刻を作っていくことですが、新しいイメージは既に私の頭の中にあって、まず1点目の陶彫部品を作るところから始めたいと思っています。展示方法は屏風と床を考えていますが、今までの作品と違うところは床部分に多くの陶彫部品を置くところです。過去の屏風作品は屏風そのものに力を入れていましたが、新作は屏風から湧きだした生命体が床を這って出てくるイメージです。もう少しイメージがまとまったら、NOTE(ブログ)でお知らせします。今月は制作と同時に「発掘~双景~」と「発掘~曲景~」それに「陶紋」5点の梱包をしなければなりません。東京銀座のギャラリーせいほうでの個展が来月の海の日から開催することになっているので、その前日の搬入までには梱包を終わらせなければならず、週末を数えるとそんなに余裕がないことが分かってきました。今回から梱包の木箱は先日業者に教えていただいた頑丈なものにする予定です。今月困難を感じているのはRECORDです。雑な下書きばかりが溜まってしまって、どんな作品に仕上げたかったのか、完成イメージを忘れてしまっているRECORDもあります。当初のイメージと完成がズレてしまうこともありますが、自分の不甲斐なさ故に仕方がないと思っています。少しでもそれを解消するために頑張ろうと思います。鑑賞は先月我慢した分、今月は美術館等に出かけたいと思います。読書はヨーロッパに纏わる文化論を引き続き読んでいきます。

週末 図録用撮影日

今日は日曜日ですが、横浜では開港記念日の祝日でもありました。天気は曇りで、ときより晴れ間が覗いていました。図録用の作品撮影には暑くもなく寒くもない、作業をするのに最適な日だったと思いました。朝9時に学生2人が工房にやってきました。彼女たちには野外工房の車の轍跡を消すために、コンクリート床に水を撒いてデッキブラシで擦ってもらいました。10時に多摩美大の助手2人が来てくれました。それから後輩の彫刻家がやってきて、まず「発掘~双景~」の陶彫部品を野外に持ち出しました。10時半ごろにカメラマン2人がやって来ました。家内と私を加えると、陶彫作品の移動や組み立て人数は7人、撮影のカメラマン2人の総勢9人で、今日の撮影イベントを過ごすことになりました。撮影は野外から始まり、「発掘~双景~」と「発掘~曲景~」の2点を組立てました。組立て途中にスタッフと私の作業現場を撮影しました。これは図録の最初の頁に使うもので、毎年恒例になっているものです。次に工房室内の作業台を片隅に移動し、空間を大きく開けて、そこに野外で展示した作品を移動してきました。野外と室内、2回の分解と組み立てを繰り返すので、この時ばかりは複数のスタッフが必要なのです。「陶紋」5点は流れる水を背景に撮影をしてもらいました。私としては今日来てくれたスタッフたちに感謝したいと思います。私の作品は一人ではどうにもならない組立作業があり、運搬も一人では厳しい面があります。毎年のことですが、スタッフの支援は本当に有難いのです。撮影後の作業台等の現状復帰作業もスムーズに出来ました。私は個人的には作品が完成した安堵感が広がり、同時に何とも言えない疲労感に襲われました。これは毎年同じですが、今年は転勤があった故か、とりわけ疲労が例年より厳しいと感じています。夕方スタッフを車で送り、自宅に帰ってきたらソファに倒れるように横になり、そのまま眠ってしまいました。力仕事は若いスタッフに任せていたのに、どういうわけか私もクタクタになって身体の節々が痛くなっていました。おそらく精神的な面が疲労の大半を占めているのだろうと思っています。ともかく今日は無事撮影が終わって良かったと思っています。個展のイメージが見えてきました。

週末 6月になって…

いよいよ明日が図録撮影日になりました。今日は6月に入っての最初の週末ですが、明日の準備のために早朝6時過ぎに工房に行きました。早い時間帯に作業をもってきたのは、9時半から12時までの2時間半、職場のある地域で防災会議が組まれていて、そこに出席するために、早朝の1時間程度の作業をやったのでした。「発掘~曲景~」のテーブルに陶彫部品設置のためドリルで穴を開けました。ボルトナットを使って陶彫部品をテーブルに接着させるのです。8時に工房から帰宅して作業着から仕事用のスーツに着替え、地域の会議に出席してきました。お昼過ぎに自宅に帰った後、また作業着になり、再び工房にやってきました。午後は「発掘~双景~」の陶彫部品が窯に入っているため、窯を開けて最終部品の確認をしました。焼成は何とか成功し、これで全ての完成した陶彫部品が出揃いました。追加で焼成した陶彫部品に印と番号を貼り付けて、そこの部分だけ組み立ててみました。これで明日の撮影は何とかなりそうです。午後の作業時間は4時間でしたが、工房の床や野外の車の轍跡は、明日スタッフと共に清掃を行なう予定です。夕方、再び職場のある地域での懇親会が組まれていたため、また仕事用のスーツに着替え直して出かけました。今日は午前中と夕方に地域会合があったため、工房と職場を出たり入ったりしました。二足の草鞋生活の多忙な一面が垣間見えましたが、自分で選んだ道なので、こればかりは仕方ありません。今日はあっという間に過ぎた一日でした。今日は6月の最初の日なので本来なら今月の制作目標を考えるところですが、今日はそんな余裕がありませんでした。明日の図録用撮影が終わったら、制作目標を考えようと思っています。6月はほとんど搬入用の梱包で過ぎてしまいそうですが、次なるイメージが湧いてきているので、梱包と併行して来年の新作に取り掛かれるといいなぁと思っています。

令和になった5月を振り返って

今月1日から令和元年がスタートしました。アメリカのトランプ大統領が令和初の国賓として天皇陛下を訪ねて来られました。私は新しい職場に徐々に慣れてきましたが、外会議が多くて落ち着かない日々を送っています。落ち着かなかったのは職場だけではなく創作活動も同じでした。工房のロフト拡張工事があって、今月の制作工程がしっかり進められるのかどうか内心焦っていました。今は何とかなりそうなので安堵していますが、図録撮影日が目前に迫っているので予断は許せません。それでは今日は今月の最終日なので制作を振り返ってみようと思います。まず新作の状況ですが、「発掘~双景~」と「発掘~曲景~」と「陶紋」5点、これが個展に出す作品です。そのうち窯内にある陶彫部品が2点あるので、新作は完全に出来上がったことにはなっていない現状があります。ですが、作品を完成近くまでもってくるのに今月は無我夢中で取り組んだことは確かです。新作は撮影日に初めて組み立てるので、そこまでは心配の種が尽きないのです。それでも創作活動は頑張っていたのではないかと自分なりに評価しています。鑑賞では美術展に行った日は皆無でしたが、音楽鑑賞では叔父のコンサートに行きました。親戚に声楽家がいることは幸せなことだなぁと改めて思います。映画鑑賞は「キングダム」(TOHOシネマズららぽーと)と「グリーンブック」(シネマジャック&ベティ)を観に行きました。美術の展覧会にしても映画にしても、さらに行きたいものはあったのに、陶彫による新作に邁進してしまったのは、図録撮影を控えているためでした。今月は職場で体育的なイベントがあったり、新旧職場や自分が関わった団体の歓送迎会が複数あったり、各種総会も多く、日々慌しく過ごしていました。その分、RECORDが犠牲になってしまいました。下書きばかりが先行している現状を何とかしなければならないと毎晩思っているのですが、加齢とは思いたくない蓄積疲労と睡魔に勝てずにいます。読書では「日本流」を読み終えて「ヨーロッパの形」に移行しました。日本から西欧へ私の大好きな文化論は止め処も尽きず、まだまだ楽しめそうです。