「壮大な芸術」について

職場の私の部屋に置いてある書籍を長い期間にわたって、折に触れて読んでいます。通勤に携帯している書籍とは違い、やや難解なものです。「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)は、カンディンスキーの著書「芸術における精神的なもの」を拠り所にして、芸術の本質に迫る内容です。今回の「壮大な芸術」の章では、絵画表現に限らず、あらゆる芸術媒体が、例え外見に相違はあっても主観的な実在性をもつという考え方であれば、似通った均質なものになるのではないかと主張しています。「〈壮大な芸術〉という考えは、たぶんヴァーグナーのオペラがカンディンスキーに示唆したものである。感性の全領域を盛りこんだ総合芸術作品という雄大な構想は、芸術が人間にもたらす表現形式を増やし深く究めることにもっぱら心を砕いていた芸術家を魅了せずにはおかなかった。ところで、まさしく個人の生にとって芸術がもつ意味をめぐるこうした欲求があったからこそ、ヴァーグナーに対する若き日の賛美へカンディンスキーはたち戻り、彼に手きびしい批判を向けることになったのだった。~略~抽象がめざしている総合は、実際、内的な総合でしかあり得ないだろうし、オペラやクラシック・バレーがそれを生み出すことはない。~略~具体的なだけの芸術はいかなる創造的な能力ももたないだろうし、芸術ではあるまい。~略~カンディンスキーが夢みたのは、絵画、彫刻、音楽、詩、ダンスを包摂し、建築も関与した『抽象の舞台総合芸術』となっているような劇である。~略~カンディンスキーの抽象が直接にとり扱っているのは、情動的な基調色であり、これを規定し、あきらかにし、磨きあげ、積み重ね、組み合わせ、基調色の経緯、つまり彼の抽象がもっぱら目を向けている基調色の秘められた変貌を見きわめ誘い出さなければならない。」些か長い引用になりましたが、あらゆる芸術媒体が抽象の中で総合化されているものを、カンディンスキーは当時から考えていたようです。

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