京都の「若冲と祈りの美」展
2019年 6月 11日 火曜日
先日行った京都での展覧会の詳しい感想を、昨日のNOTE(ブログ)に引き続いて述べたいと思います。毎年京都に行く度に、私は岡崎公園にある細見美術館を訪れています。細見美術館のコレクションが素晴らしいこともありますが、企画展もなかなか面白くて、つい足を運んでしまうのです。細見美術館の扉の演出も気に入っていて、奥まった所に格納された秘作を見に行く雰囲気があります。室内は照明をやや落としていて、作品の持つ静寂さを際立たせています。「若冲と祈りの美」展は美術館のコレクションである伊藤若冲の絵画と仏教美術の数々で構成されていました。私は久しぶりに若冲の世界に浸れた喜びがありました。スピード感のある墨が颯爽と冴えわたる「鶏図押絵貼屏風」六曲一双は、京都まで来た甲斐があったと私に思わせてくれました。若冲の精密な描写や流麗な色彩に、私は常々惹かれるところですが、無地にさっと描いた水墨画もその抑揚と筆さばきに驚かされています。若冲は庭で鶏を飼い、日々デッサンをしていたと資料で読んだことがあります。鶏の姿態が完全に把握できていたからこそ到達できた水墨画であろうと思いました。解説によると「背景を一切描かず、墨の濃淡とユーモラスな表情は躍動感に富んでいる。一方特に雌鶏には似通った姿も見られ、最晩年の若冲画は形式化が進んでいたこともうかがえる。」とありました。署名には八十二歳画とあり、その年齢を信じれば老いてなお凄まじい表現力を持っていたことになります。若冲は還暦以降、改元の度に一歳加算したという説もあるので、これは1・2年遡る作品である説が有力ですが、それでもこの筆の気迫は常軌を逸しているのではないかと思いました。今回のNOTE(ブログ)は若冲の作品が中心になってしまいましたが、仏教美術の作品の数々も併せて展示されていました。美術品として視点で宗教美術を見ると、祈りの対象から離れて作者が表現しようとした意図が見えてきます。そんな鑑賞もあっていいのではないかと私は思っていて、美術館に限らず寺社に行った時も手を合わせることなく、寧ろ眼で思考するようにしているのです。宗教美術には表現力に富んだ素晴らしい作品があって、心を満足させる瞬間があることを付け加えておきます。