上野の「クリムト展」

先週の金曜日、開館延長を利用して仕事帰りに東京上野の東京都美術館に「クリムト展」を見に行きました。本展は「ウィーンと日本 1900」という副題がつけられていて、クリムト没後100年、日本オーストリア友好150周年を記念しての本格的な「クリムト展」とあって、美術館は大変賑わっていました。グスタフ・クリムトは私にとって馴染み深い画家です。1980年から5年間、私はウィーンの国立美術アカデミーに在籍していて、クリムトの世界に日常から浸っていました。日本から来た客のお供をして、よくベルベデーレ宮殿にも足を運び、展示されていたクリムトの絵画を隅々まで堪能していたのでした。私自身も黄金様式と称されているクリムトの流麗で象徴的な作品が大好きだったので、積極的に観光客を案内していました。今回、日本で見たクリムトの絵画は、私にもう一度ウィーン世紀末に集った芸術家を思い起こさせるのに十分な説得力がありました。クリムトは古典絵画から画業を出発させています。図録から引用します。「クリムトは歴史画家を養成する古典的な美術教育を受け、最初は伝統的な描き方で作品を制作していた。~略~クリムトの画業初期の寓意画は、ありふれた手本にならったものだった。それでも、象徴的に表現するという寓意画への取り組みから得られた刺激は、クリムト作品のさらなる展開にとって計り知れないほど重要であった。~略~クリムトの画業における転機は、まぎれもなく1897年のウィーン分離派の設立である。~略~生命の生物学的ー身体的な起源、愛と性欲の神秘、様々な対立と争い、老いと死を迎える人間の衰退、これらすべてをクリムトは絵画の中で象徴的に扱ったのである。」(マークス・フェリンガー著)確かにクリムトのデッサンや色彩の扱い方はアカデミックな技法を使い、分離派以前は室内を飾る壁画で神話的テーマの絵を描いていたことが認められます。しかもその技能たるや非常に優れていて、若い頃に既にアカデミズムを極めたと言っても過言ではありません。ウィーン分離派は革新的だったことには違いないと私も感じますが、これは古典を完全に否定するものではなく、古典の上に新しい価値観を植えつけたものではないかと思いました。その後に登場する前衛芸術とは一線を画していて、ウィーン分離派は古典を継承しながら新しいカタチを模索していたようです。ユーゲントスティールと呼ばれた当時の形式は、今も新鮮さを保っていると私は考えています。クリムトの人間性や個々の作品に関する記述は後日改めます。

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