「ヨーロッパの形」を読み始める

先日まで読んでいた「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の後は、真逆に位置する西欧の文化史に触れたくなって、「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)を読み始めました。私は1980年から5年間ヨーロッパに住んでいました。彼の地の美術アカデミーに通っていましたが、旧市街を彷徨い歩くことが好きで、学校よりも散策によってヨーロッパを体感することが、今も印象強く心に残っています。ヨーロッパの旧市街は階段が多いなぁと当時感じていて、年老いた人が杖を支えに階段を登っていく姿をよく見かけました。街の景観としては、平面的に広がる日本の農村風景より、石材で構築されたヨーロッパの立体的な風景の方に私は惹かれていて、これはないものねだりの異文化憧憬なのだろうと思っています。本書のはじめの言葉を引用いたします。「なぜ螺旋階段なのかといえば、まっすぐな梯子ではどこかに支えがなければ立たないが、螺旋階段で、それも螺旋の半径がおおきいものであれば支えがなくともそれだけで立つのである。先のほうは雲間に消えているが、ぐるぐる回っていればそのうち天につく。ネジの原理である。日本に種子島銃が渡来したとき、さっそくそれを分解して模倣しようとして、一番苦労したのがはじめて見るネジというものだったという話は有名だし、咸臨丸のころでさえ、アメリカに渡った使節たちが荒物屋でネジを買ってきたという話もある。」成程、西欧の文化史は螺旋から始まると言ってもいいかもしれません。螺旋文様は私が大好きな形のひとつです。植物の生長に限らず、人間の筋肉のつき方も螺旋になっていると、彫刻を学び始めた頃に学校で教わりました。立体は直に立っているより捻ることで構造は強くなる、そんな立体感覚を持ったのもその頃でした。今回はそんな自分の興味関心を受け止めてくれそうな書籍に出会うことが出来ました。通勤の友として楽しんで読んでいきたいと思います。

「日本流」読後感

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)を読み終えました。著者松岡正剛氏はネット上の「千夜千冊」で知りました。「千夜千冊」は、所謂書籍のナビゲーションのことで、これを眺めていると氏の幅広い教養だけでなく、内容を語る視点のユニークさに特筆すべきものがあると思います。本書「日本流」もその路線を辿っていて、日本人としての「あるある」を浮かび上がらせていましたが、我が国の文化継承に一石投じているように思われます。あとがきから引用すると「読みすすむうちに何が見えてくるかという点については、最初は多様な一対の文様を追うように進み、そこでいったん失われたものに思いをいたし、ついではしだいに日本の文化の奥に眠る『スサビの動向』を浮上させるという曲想にした。~略~主題や引用のしかたや言葉づかいについては、いろいろな輻湊関係が丹念にくみこまれている。できればデュアルでポリリズムな音楽を聞くように読んでもらえるとありがたい。」とありました。私も多様な日本流について自分なりに思いを馳せ、祖父が宮大工、父が造園業という職人家庭に育った自分だからこそ思いつくことがあるのかもしれないという考えに至りました。本書の解説から文章を拾います。「『日本流』とはあくまで『日本の流儀』のことで、その現れは多様であふれんばかりだ。『日本流』とは、歴史上と今日とに現実に存在する、多様さに対応する言葉として初めて『発明』された表現であり、新たな視点なのだ。~略~本書に通っている隠れたテーマは、その、『質』である。日本らしさが重要ならば、ただそれだけのことなのだが、実は問題は質なのだと、本書は隅々で言っている。~略~『キワ』という言葉も本書の柱である。感覚をハシやキワにもっていって、ツメてゆく感覚である。その果てに『スサビ』があり、寂しさもある。寂しさや切なさの無い遊びは『ツマらない』のだ。」(田中優子著)

「日本は歌う 間と型から流れてくる」について

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の第七章は「日本は歌う 間と型から流れてくる」について取り上げています。本書「日本流」はこれが最後の章になります。著者が最後に取り上げたのが「間」と「型」です。私たちは普段よく「間がぬけた」とか「間にあわせる」という「間」を入れた会話をしていますが、この「間」とは何か、説明が難しい感覚的な言葉に思えます。「日本の伝統芸能はその大半が『間の芸能』です。能はまさしくその典型だとは思いますが、舞踊・狂言・歌舞伎はもとより、雅楽から常盤津にいたるまで、民謡から小唄にいたるまで、いずれも『間』が勝負になっている。」さらに説明が難しいものを取り上げるとすれば「加うるに伝統芸能や伝統工芸の多くは口伝です。武芸や武道というものもたいていは体得か、口伝です。~略~ようするに秘伝や口伝という様式には、われわれが説明しようとしても説明できない何かが宿っているように思えるのにもかかわらず、それが取り出せないのです。」とありました。「そもそも『間』とか『型』というものは盗むしかないようなもので、そして、それを盗んでみないかぎりは、そこには『過去からの伝承』が生きていることは当の芸能者にもわからないのです。~略~芸がつくられていくきわみに『間』があって、その『芸の間』あるいは『間の芸』が日本の芸能そのものの到達点なんだということです。」この言い回しは日本人なら納得がいきますが、外国人には曖昧模糊としたものに映るのではないでしょうか。「秘伝や口伝。『間』とか『型』。つまりは記憶の文化。これらは日本文化を象徴しているにはちがいないにもかかわらず、また、われわれはそのことを舞台の所作や三味線の手や、文楽の頭の動きや茶碗の深みにはっきり認めているにもかかわらず、いっこうにその姿を明確にあらわさないことによってしか、われわれをゆさぶってくれないもののようです。」では何故このような文化が生まれてきたのでしょうか。「日本にはいつ地震がくるかわからないし、いつ台風や大雪がくるかわからない。日本史の大半は早魃と飢餓の歴史です。~略~しかも資源にはかなり限界がある。季節も変化する。これが不安定でなくて、何でしょう。こういう国では一事が万事です。~略~そこには二つの工夫が生まれます。ひとつは万やむをえず諦めるという観念を維持しようという立場です。これは有為転変を見つめる無常観というものになります。~略~もうひとつは講や座や組や連などといった、小さなネットワークで経済や文化を組み立てるという工夫です。~略~いずれも不安定を宿命と見ているところは同じです。」日本という国の姿、環境から考えて、こんなことが述べられていました。最後に著者が本書の最初に登場した歌について振り返っています。「私がこんなことを書きのこすのは、冒頭にも示したように、西条八十の『かなりや』が、本書の心の一端を歌ってくれているように思っていたからです。~略~日本には歌を忘れてほしくない、後ろの山に捨てるのも、月夜の海に浮かべるのもまだ早い。しかし、そのように歌うことがかえって日本に必要なものを創発させるかもしれない、そういうことでした。」

新作印のデザインと彫り

陶彫部品を組み合わせる集合彫刻には、私は新作ごとに新しい印を貼り付けています。これは多くの部品から成り立つ故の工夫ですが、陶彫部品ひとつひとつの隠れた場所に印を貼り、番号をつけておきます。その番号に従って順序良く組み立てると、集合彫刻が出来上がるというわけです。私の作品は私一人では組み立てられない代物であり、多くの協力者が必要です。スタッフがいないと何も出来ないというのは、助っ人からすれば迷惑な話ですが、大きな彫刻にはそうしたことが多々あります。彫刻家は孤高などと言っていられない事情があって、普段から同僚や後輩や教え子を大切にしていないと協力は得られないのです。陶彫部品に貼り付ける印は、毎年新しくデザインして彫っていきます。作品は分解して保存しておくので、新作の印は部品同士が混ざらないための工夫です。印は柔らかい高麗石に彫りますが、書道家ではないので、篆刻に拘ることはなく自由気儘にデザインをしています。まるで文字を変形させた抽象絵画のような塩梅です。「発掘~双景~」の印は氏名を直線的に構成し直し、ほとんど文字が読めないところまで抽象化してしまいました。「発掘~曲景~」は苗字のみアルファベットで構成したデザインにしました。和紙を小さく切って印を押し、番号を付けて貼るのを、さて、いつにしようか考えています。少なくとも図録撮影日に組み立てるので、そこまでには印を貼っておかなければなりません。今晩の工房は焼成があって使えないため、自宅で印を彫ることに精を出していました。明日は工房が使えるので、陶彫部品の修整を加えながら印貼りをしていこうかと思っています。

週末 図録撮影日前の週末

来週末の6月2日(日)が図録撮影日です。その日に工房スタッフを集めているので、何とか6月2日を新作完成のゴールにしたいところです。もちろん完成するはずと踏んでいますが、心配なことは焼成です。とくに追加して制作した2個の陶彫部品がしっかり乾燥しているのかどうか、そこだけが気がかりなのです。5月にしては30度超えの猛暑日が続いていますが、陶彫部品の乾燥には効果的です。熱中症など身体に悪影響を及ぼす猛暑ですが、私の新作には恵みの高温です。今日はその新たに作った2個の仕上げと化粧掛けを施しました。今日の窯入れは「陶紋」5点と「発掘~曲景~」の2点の合計7点でした。これは大分前に乾燥していたので、まず大丈夫だろうと思っています。水曜日に最後の2点の窯入れをしますが、これが上手くいけば新作の陶彫部品は全て揃います。これは天に祈るばかりですが、焼成の合間を縫って、夜の工房に出かけ、陶彫部品の組立てに必要な細かな仕事が残っているので、それもやらなければなりません。ひとつは陶彫部品ひとつひとつに番号を貼ることです。これは新しく印を彫り、和紙に押して番号を振り、それを陶彫部品の見えない箇所に貼り付けていくのです。罅割れがあるかどうかの確認も必要です。修整剤をつかって皹は埋めていきます。ウィークディの夜は撮影日まで休めないだろうと覚悟を決めています。月曜日と水曜日は焼成が始まるため工房は使えず、その他の日は全て夜の工房に通います。6月1日(土)は職場の地域行事があって出勤する予定なのです。そこが二足の草鞋生活の厳しいところですが、撮影日の前日にやろうとしていた仕事を今週のウィークディの夜に振り替えているのです。何故か辛さは感じません。完成に向かう意志が克っているのかなぁと思っています。こんな時に次作のイメージが降って湧いてくるのが不思議です。私の場合は感極まると新しいイメージが朧気に見えてきます。真夏のような蒸し暑い工房内で頭が朦朧としていて、それでも慎重に窯入れをしてる最中に新作イメージがやってきました。これはある意味では現実逃避なのかなぁと疑いつつ、いつもそうしてやってくるイメージを毎年具現化してきました。まだ創作活動を続けていろと芸術の神々に言われているような気になって嬉しさも込み上げてきます。次作に繋げられるように今週は頑張ろうと思っています。

週末 昇降機調整&陶彫仕上げ

やっと週末になりました。今週は職場外での会議が多かった上に、昨日は野外の体育的イベントを開催し、夜はその成功を祝って打ち上げもやっていました。先週は体調が思わしくない状態でしたが、今週になって体調は回復しつつあり、それでも疲労は相変わらずで、どこかで一日休みたいところを、この週末が図録撮影前最後の週末のため、身体に鞭打って工房にやってきたのでした。この2日間でやるべきことを考えました。今日はとりあえず乾燥した陶彫部品に仕上げや化粧掛けを施し、窯入れの準備をすることです。明日は出来上がっている陶彫部品に修整をすること、これが2日間の大きな仕事です。窯入れは週2回に分けて行なうので、今日行う仕上げや化粧掛けの個数も多くなります。今日は小品「陶紋」5点を含めて7点の仕上げを行ないました。今日も真夏を思わせる暑さで、空調のない工房内は大変な気温上昇に見舞われました。昼過ぎに暑さと疲労のためか身体が動かなくなり、自宅に戻って30分程度休むことにしました。昨日の体育的イベントでも全体で20分程度休憩を入れたので、自分自身にもそのような休憩時間を与えたのでした。午後2時過ぎにまた工房に戻って作業を続行しました。朝の時間帯では昇降機の設置業者が3人ほど来ていて、最後の調整をしていました。そのうちの一人が元梱包業者だったらしく補強材の入った正式な作り方を教えてくれました。私が例年用意している木箱では弱いと言うのです。確かにその通りで、積み上げた時に下敷きになった木箱が潰れそうになるのを防ぐために補強材入りの木箱を用意したいと思っています。図録撮影以降、また業者に連絡を取って、業者が懇意にしている材木店に連れて行ってもらい、梱包の方法を改めて聞いてこようと思っています。

職場の体育的イベント実施日

私と同じ職種の人が、このNOTE(ブログ)をよく読んでくださっているので、職場の体育的イベントとは何のことか、分かっていただいているとは思いますが、情報の拡散を恐れて、私が退職するまでは種明かしはしないつもりでいます。4月より新しい職場に異動してきても、私たちの職種の文化はどこに行っても変わるものではなく、現在の職場でも同じような文化行事が組まれていました。その体育的イベントは野外で実施するものなので、一番の心配事は熱中症でした。マスコミで報道されているような事態になっては、せっかく楽しいイベントも台無しになってしまうので、多めの休憩を取りながら、今日は炎天下のもとで決行いたしました。午後になって風が出てきたので、何とか一日のプログラムを最後まで終わらせることが出来ました。こうしたイベントを経験する度に職場が身近になります。若手職員の一人が早朝3時過ぎに出勤して、黒板アートをやっていました。専門は美術ではないのによくやるなぁと感心しましたが、黒板アート(黒板ジャック)は私の母校の学生たちが始めた「恋するムサビプロジェクト」が発端になって、全国に広まった活動です。この職場に来て、そんな取り組みがあったとは思いも寄らず、ちょっとびっくりしました。ともかく今日は何事もなく体育的イベントが終了出来て良かったと思いました。これは職員の結束が生んだ成果だと思っています。こうしたイベントは年間に何回かありますが、普段は専門職に就いている全職員が専門を超えて連携し、組織として力を発揮するもので、今日は私にとって新しい職場である現在の職場で、職員がどのくらい協力体系が作れているかを判断することも出来ました。現在の職場は昨年度まで勤務していた職場にも匹敵するほど優秀なところが目立ちました。管理職としてこれほど有難いことはありません。私にとっても実り多い一日だったと振り返っています。

「日本と遊ぶ わざ・さび・あはせ」について

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の第六章は「日本と遊ぶ わざ・さび・あはせ」について取り上げています。冒頭に永井荷風の遊び癖が登場します。「荷風には、名状しがたい『遊び心』というものがあります。私はそこが好きです。一見すると、破綻にむかっているようでそれほどでもなく、むしろキワやハシだけを遊んでいる。そんな感じがします。」という一文で、荷風の遊びは真似のできる代物ではないことが分かります。遊びにもいろいろなものがあり、狩野享吉やら九鬼周造の考え方や生き方を参照しながら、彼らの生き方そのものが「いき」な遊びに精通していることが述べられていました。そこで遊びの定義なるものを語っている箇所に興味を持ちました。「どう見ても日本の遊びには二つのものがあるということです。ひとつは歌垣や田楽や風流や法楽のような、あるいはバサラや歌舞伎のようなスペクタクルで”騒がしくなる遊び”です。もうひとつは詩歌管弦の遊びや茶の湯や生け花のような小さくて”静かな遊び”です。」そこから「スサビ」という語句が派生して、遊びの体系を作っていきます。「古代語のスサビは『荒び』とも『遊び』とも綴る言葉で、このどちらかの意味をたどるかで、スサビの感覚もちがってきます。~略~スサビの系譜からはいくつかの重要な遊びのスタイルが生まれます。なかでも目立ったスサビが『スキ』というものです。スキはいまではもっぱら『数寄』とか『数奇』とか綴りますが、もともとは『好き』のことで、何かが好きになること、とりわけ男女のあいだの『好きぐあい』をさしています。~略~スサビの系譜からもうひとつ出てきたもの、それは和事のスサビともいうべきもので、ワビ・サビの『サビ』に代表されます。」こうした展開を進めていくとサビの感覚は軌道を転回して、次なる語句「ワビ」が登場するのです。「ワビは文字通り『侘び』です。すなわち『侘びる』ことである。まさに貧相や粗相をお詫びすることなのです。」ワビは茶の湯で頻繁に使われるようになります。たとえば「村田珠光が試みたことは、それまでは中国渡来の唐物などの道具を持っていなければろくな茶数寄ができないと思われていたところへ、たとえ名品や一品の一物一品も持たなくても、なんとか手持ちの道具を心を尽くして用意すれば、そこに新たな茶の心が生じるはず」というものでした。最後に「アワセ」についてこんな一文を引用しました。「古代ギリシャや古代ローマも格闘技はさかんだったし、レスリングなどは個人の勝負なのですが、どちらかといえば、観衆や応援者が熱狂するためのものだったのです。したがってスタジアムもいきおい巨大になっていく。これに対して、日本のアワセはあくまでポータブルサイズを重んじています。将棋や囲碁などの盤上遊戯から茶道や香道などの室内遊戯まで、まことに小さめの遊びが発達し、しかも精緻をきわめてきているのです。」今日はここまでにします。

工房ロフト拡張工事完成

今日は職場に出勤せず、私たちの職種の「全日本」と銘打った総会が東京の代々木であり、そちらに参加してきました。朝から東京に出勤することになって、通勤ラッシュを久しぶりに経験しました。それでも北海道から沖縄県までの管理職が一堂に集まる総会では、横浜の管理職は電車やバスで移動してきているので、贅沢を言ってはいけないと思いました。東京が地元に近いのは有難いなぁとつくづく思いました。総会が終わって夕方帰宅したところ、工房に大勢の職人さんたちがいました。私は夜の工房に行って、陶彫部品に仕上げや化粧掛けを施して、そのまま窯入れをしようと思っていたのですが、鉄工業者から工房のロフト拡張工事が今日終わったことを告げられました。昇降機も設置されていて、地上階からロフトまでスイッチひとつで上下するリフトに満足を覚えました。昇降機設置でちょっとしたトラブルがありました。リフトが上下する際、蛍光灯に当たってしまうので、蛍光灯の位置をずらすことになったのです。実はこれがなかなか大変でした。私は陶彫部品に仕上げをしながら、工事の一部始終を見ていて、その大変さに職人さんたちの苦労を感じ取っていました。今日は夏のような気温だったので、ロフトはサウナのような蒸し暑さでした。夏場はロフトでの作業は無理があると思いました。逆に地上階はロフト用に天井を張ったので、若干涼しいような体感がありました。ロフト拡張工事が完成したことで、今まで陶彫部品を詰めた木箱が山積みされて、手狭になっていた倉庫スペースに余裕が生まれると思っています。気温の関係でロフトの整理は冬にしようと思います。ともあれロフトが出来上がったのは嬉しいことで、私にとっては今年のビッグニュースです。新作の窯入れはあと3回必要で、今晩と来週月曜日、水曜日に焼成を予定しています。図録撮影にはギリギリで間に合う予定ですが、最後の工程は窯内に鎮座する炎神任せなので、心配の種は尽きません。

「日本に祭る おもかげの国・うつろいの国」について

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の第五章は「日本に祭る おもかげの国・うつろいの国」について取上げています。古田織部と山片蟠桃の生い立ちやその業績から始まる随想の中で、自分はとりわけ古田織部の縄文的変形と言うべきか、歪みをもって美とする破格で大胆な造形に興味が湧きました。花道家中川幸夫の作り出す世界にも触れ、生け花を喩えにして「死と再生」にテーマが移りました。そこで漸く祭りが登場してきます。「世界中のどこの民族も部族もお祭りが好きで、祭りがなければその民族や部族の文化はなかったともいえるほどなのですが、その祭りに、さてどのような意図や組織が動いているかということになると、これは風土・地域・民族・部族・時代・食生活などによってかなり異なってきます。いったい文化を見るには、基層文化と表層文化によって見方のちがいをもったほうがいいと思います。基層文化というのは伝承性がかなり高いもので、その地域や民族にとって気がつかないほど底辺の習俗になっているものです。一方の表層文化は時代性が強いもので、たとえば正倉院の宝物に象徴される天平文化はシルクロードを通った文物が時代の表層を突破して強烈に焼きついたものですが、それは海外の文化が時の支配層などによって積極的に表層文化としてとりいれられ、定着したと考えられる。~略~私はこの基層と表層の文化のちがいを生物学の用語を借りて、『ジェノタイプの文化』と『フェノタイプの文化』というふうに見ています。ジェノタイプは遺伝型、フェノタイプは表現型のことです。」著者は分かり易く文化をタイプ別に分類して述べた後、日本の祭りに論考が及びます。「日本の祭りの根底を眺めていくと、そこにはいろいろな特色がありますが、その大きな共通性のひとつに『擬死再生』という考え方が出てくるのです。擬死再生というのは民俗学用語で、いったん当事者の『からだ』を死んでみせたことにして、それをあらためて再生させるという儀式の仕方のことをいいます。つまり仮の死をつくる。そうして再生させる。むろん実際に死なせるというわけではなく、そういうふうな祭りかたをするわけです。」これはエジプト神話のイシス性と著者は呼んでいて世界中に流布しているため、こうした考え方は至る処に存在すると言えます。最後に日本の民俗学へ話が及び、「ハレ」「ケ」「ケガレ」「キヨメ」という語句に拘る部分が出てきます。「ハレは『晴』で非日常性のことを、ケは『褻』で日常性をさします。~略~ケには枯れたり汚れたりしてしまうことがおこります。これをケガレといって、漢字では「穢」の字をあてる。そこでこのケガレを払拭し、元に戻すことにする。これがキヨメ(浄)とかハライ(祓)です。」さらにヒという語句が出てきます。「ヒは『霊』と綴って、ヒと読みます。このヒがウツワ(空)の中にひそんでいて、それがあるときウツツ(現)となって出てくる。それを『産霊』ともいいます。~略~ヒは結ばれることによって、そこに何かがぴったり定着する。~略~日本は何だって結ぶ。結びすぎるくらいに結びます。だいたい相撲の最後が『結びの一番』ですし、小結があれば、大きな横綱を締める結びもある。さらに結納もムスビですし、結婚もムスビです。息子や娘という呼び方も、もともとはムス・コ(結びによって生まれた彦)であり、ムス・メ(結びによって生まれた姫)でした。こうしたムスビは、日本に来た海外人を驚かせた『髷を結う』というところにも象徴されました。」些か引用が長くなりました。

「日本へ移す 見立てとアナロジー」について

「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の第四章は「日本へ移す 見立てとアナロジー」について述べられています。日本は「見立て」の文化と言われますが、そもそも「見立て」とは何でしょうか。著者がさまざまな例題を挙げて説明していますが、「見立ては、『喩』あるいは『比喩』の作用のひとつです。」という一文がありました。欧米の美学や修辞学で言えば、メタファー(隠喩)、メトニミー(換愈)、シネクドキ(提喩)であるとも説明されていました。著者が示す例示の中で、私の興味関心は庭園と茶の湯、浮世絵に注目しました。「あらためて庭園における見立ての話になりますが、日本の庭園では、なにより枯山水が石組だけなのに、それが水や川や海の見立てになっていることに驚きます。石庭ではこうした見立てを総称して、しばしば九山八海とよぶ。~略~そのほか庭づくりでは水と石が見立ての対象になる。水ならば荒磯や州浜や布引が、石ならば三尊石・鶴亀石・補陀落石・須弥山石・座禅石・十六羅漢石などが欠かせません。これらは山や河原で本物の石を見立て、そこから運んだものでした。このような水や石の見立ては、これがさらに転じて、『州浜』『千鳥』『落雁』『吹き寄せ』『松襲』『雪餅』『月の雫』といった和菓子の見立てにつながります。」へぇ、と思わず頷いてしまうものばかりですが、茶の湯でも同じような見立てが罷り通っています。「茶の湯に使う茶碗の『銘』のほとんども、見立てで名付けられていたものでした。~略~茶の湯では釜も茶杓も水指もみんな銘がついている。やはり『立てる』の意識のせいかと思われます。」陶彫をやっている私は釉薬を使いませんが、釉薬の窯内での流れ方を見て、偶然出来た模様にどこかの風景に重ね合わせて、銘つまりタイトルをつけたくなる作者の心境はよく分かります。唯一無二のものがそこにあるからです。最後に浮世絵で一世を風靡した葛飾北斎に触れた箇所がありましたので、引用いたします。「北斎は本書に登場する日本人のなかでも、図抜けて多様性に富んだ人で、自分の画号だけでも三十以上はもっていた。だいたい『富嶽三十六景』にして、格別の見立ての能力がなければ、あんなにひとつの富士山を描き分けられるものじゃありません。加えて北斎の漫画の数々こそはまさに見立て絵の独壇場です。そこには『それが何に見えるか』というようななまやさしい視点だけではなくて、『何がどのように見えてほしいのか』という注文の予想までもが、ことごとく先取りされている。~略~北斎は六歳にして『物の形状を写すの癖ありて』と自分で癒しがたいほどのアナロジー癖を書いているほどの画狂人でした。」

週末 新作の陶彫全て出揃う

最近体調が優れない毎日が続いています。工房がロフト拡張工事によって、作業スペースが限られてしまっているのが、原因のひとつかもしれません。今日も鉄工業者は工房に姿を見せませんでした。鉄材や板材を切断する騒音の中で、創作活動は出来ないのではないかと、途中経過を見に行った家内が言っていました。鉄工業者は個人経営で、今まで週末も休まず作業をしていましたが、ここにきて私に配慮してくれているのかなぁと思っています。ロフト拡張工事は完成間近で、何時ごろ終わるのだろうか、実は気を揉んでいるところです。新作の陶彫も完成間近です。ただし、陶彫は最後に焼成があるため、もうひとつ山を越えなければなりません。体調が優れない中、今日は多少無理をして2個の陶彫部品の成形と彫り込み加飾を終わらせました。今日は美大生が自らの課題をやりに工房に来ていました。私は彼女に背中を押されるように頑張ったのは確かですが、彼女も相当頑張ったようで、夕方になって彼女を車で送るときは2人ともヘトヘトになっていました。今日作った2個の陶彫部品で全て新作が出揃ったことになります。その次は乾燥を待って、仕上げや化粧掛けを施して窯入れになります。さて、6月初旬までに出来上がるかどうか、毎年のことですが、これは賭けみたいなものです。完成への緊張を伴う綱渡りは今回も経験することになりました。今まで余裕を持って作品が完成したことがないので、この状況には慣れてはますが、思いを巡らすと冷や汗が出てきます。今回は焼成で失敗できないのが気にかかるところです。陶彫制作は、私の彫刻家人生のほとんどを占めていますが、技法に溺れずに今までやってこれたのは、熱心に作った作品を最後に窯に入れて焼成する工程があるためで、今も窯内で割れる要因が分からない場合があります。そもそも器などを作る陶芸では考えられないような無理な形態を作っているので、割れや皹はあって当然と肯定すべきでしょうが、口惜しくて仕方がない時もあります。最近は達観していますが、若い頃は布団を被って寝てしまうことが度々ありました。今回も大きな陶彫部品を2個潰しています。工房の裏にはハンマーで叩き割った陶彫の破片が山積みされています。ところが、ここ2週間の締め切りの迫った状況での失敗は許されません。天に祈るのみです。来週が撮影前最後の週末になります。

週末 「発掘~双景~」大詰め

週末になり、朝から工房に篭りました。ロフト拡張工事が進み、天井に昇降機が取り付けられていました。昇降機は天井を移動できるようにレーンがありました。1階からロフトに荷物を上げ、さらにロフト内を移動して、荷物を降ろすようになっているのです。ロフトの床はほとんど出来上がっていて、ロフトの重さを太い鉄柱で補強する仕事がまだ残されているようです。作業中はかなりの騒音を発するため、今日は私に遠慮したのか、鉄工業者は来ていませんでした。家内がウィークディの昼間に工房を見に行ったところ、鉄や厚板を切断する音が厳しくて、その場をすぐ立ち去ったそうです。ともかく今日は静かな中で陶彫の作業が出来ました。「発掘~曲景~」の陶彫部品は全て出来上がって、今は乾燥を待っています。「発掘~双景~」の調整の陶彫部品が2つ足りないことが分かって、今日早速土練りをしてタタラを準備しました。2つの陶彫部品はそれほど大きなものではないので、明日一気に2個作ります。今週は体調が思わしくなく、胃腸の具合が変でした。4月に職場を転勤して、漸く少し慣れてきたところで、気が緩んだのでしょうか。自分なりに無意識に気を張っていたようにも思うし、工房ではロフト拡張工事が始まっていて、創作活動も落ち着かない状態だったので、いろいろな面で不安定な気分が続いてしまったようです。職場では、職種は今までと変わらず、またキャリアもあるので何とかなっているし、また陶彫制作も長年やってきているので、制作に迷いは生じていません。それなのにこんなに自分は弱かったのかなぁとつい思ってしまいます。暫くすれば気持ちは落ち着くとは思いますが、来月初旬の図録撮影までの道のりが、自分にとっては厳しいなぁと感じています。これは毎年のことですが、今年ばかりは多少勝手が違うので、変化についていけないのかもしれません。それでも明日は陶彫成形を行ないます。陶彫は成形や彫り込み加飾を施した後、乾燥させる必要があり、また焼成もあるので、早めに作っておかないと撮影に間に合わなくなることもあるのです。明日も頑張ろうと思います。

若林奮「犬」による彫刻

平塚市美術館で開催中の「彫刻とデッサン展」に出品している彫刻家のうち、私の興味関心が高い2人目は若林奮先生です。この人も大学の教壇に立っていましたが、当時から若林先生の説明が難解すぎて、学生の私は到底近づくことが出来ないと思っていました。若林先生の展覧会には全て足を運ぶものの、今も作品に内包される思索が分かっているとは言えません。この人は何がしたかったんだろうと思いを巡らすことが屡々あります。今回の展示作品も全て理解できたわけではないのですが、何故か不思議な魅力があって、惹きつけられてしまうのです。本展には作家の飼い犬をモチーフにした彫刻やデッサンが数多く出品されていました。「泳ぐ犬」や「雰囲気」など、私はいろいろな美術館で展示されてきた同じ作品を見てきました。独特な彫刻観がこの作家の特徴であることは間違いありません。「自分の家で飼っていた犬を観察しながら、その犬に見せる彫刻をつくることを計画し、最終的には彫刻が自分と犬の間にあり、それぞれに向いた半面が、自分と犬に所属していると考えるようになった。」というのが図録に掲載されていた作者の一文です。犬に見せる彫刻、これはまたどのようなモノなのでしょうか。またデッサンにおいても、先生は独特な感覚をもって制作されていたようです。「『表現法や形式は絵画のふりをしているようなものも、ほとんど物質の話の中に収まるもののように思える。あるいは彫刻の一つの形状ー薄い彫刻ーと言うんでしょうか。…そういうところに多分入れてよいんではないかと自分では思っています。』奥行きのある、物質性の強い彫刻の対極に、奥行きのない、物質性のほとんどない薄い彫刻としてドローイングを位置づけている。~略~若林は絵具やインクを紙にしみこませ、『紙の厚さを彩色する』ことを試みる。」(江尻潔著)デッサンも薄い彫刻とした発想に、普段から物質を相手にしている私も頷いてしまうのですが、世の中に平面は存在しないという存在の原則論に立てば、これも納得してしまう論理ではあります。

保田春彦「壁」による彫刻

平塚市美術館で開催中の「彫刻とデッサン展」に出品している彫刻家の中で、私が大学在学中から憧れていた作家が2人もいることが分かり、平塚まで車を飛ばして作品を見に行きました。一人は保田春彦先生で、当時は大学で教壇に立っていましたが、私が直接教わることはありませんでした。今なら気軽に研究室を訪ねていくものを、保田先生は雲の上の存在で、顔を合わせることさえ躊躇しました。長く住まれたイタリアの街の構築的な要素をイメージして、硬質な抽象空間を作り上げている先生の彫刻作品は、人を拒絶するような緊張感があります。会場には「壁に沿うかたち」と「弧の交わる壁」という鉄による壁をテーマとした2作品と、そのエスキースとも言えるデッサンが展示されていました。図録には「彫刻が絵画と異なる点を挙げるとすれば、とくに石のような素材を考えた場合、その表現に必要な絶対的な時間量と、肉体を伴う労働力の、かけはなれた差異ではなかろうか。仮に、”一気呵成”などという無責任な言葉で、タブローを前にする画家の表現行為を形容出来たとしても、石を前にした労働を表す辞句とは到底なりえないという意味である。」(著作「造形の視座」から引用)とありました。先生の寡黙で重い言葉が聞こえてきそうな一文だなぁと思いながら読みました。先生のデッサンはほとんど設計図と形容した方がいいようなもので、鉄や石をカットする割合や寸法、角度がメモされています。形態を研ぎ澄ましていく過程が描かれているような箇所もあり、これも先生らしいなぁと思いました。私もNOTE(ブログ)で自作に触れて、一気呵成には出来ないと標榜してきましたが、別に保田春彦流の発想を真似たわけではなく、本当に彫刻制作は時間がかかるのです。展覧会前にさっと作り上げてしまう画家を羨ましく思うと同時に、労働の蓄積などと言って、己の制作姿勢を肯定しなければ、彫刻家は精神的にやっていけないのかもしれないと思った次第です。

平塚の「彫刻とデッサン展」

先日、平塚市美術館で開催中の「彫刻とデッサン展」を見てきました。「空間に線を引く」と題され、著名な日本人彫刻家が集められた本展は、私にとって重要な展覧会であり、必ず見に行こうと決めていたのでした。まだ自分は彫刻を専門にしようと考えていなかった高校時代に、美術科教諭から美術準備室でデッサンの手ほどきを受け、美術の専門家への第一歩を踏み出したのでしたが、目の前の対象を写し取るデッサンはなかなか難しく、それまで楽しかったはずの美術が、一気に困難克服のための修行になった気がしました。当時は木炭紙に木炭で石膏像を描いていましたが、高校の帰りがけに予備校に通いだすと、描写用具が木炭から鉛筆に変わりました。大学で彫刻を学び始めた頃に、H・ムアの防空壕に避難した人々を描いたデッサンや、A・ジャコメッティの針金のようになった人物デッサンを知って衝撃を受けました。画家の描くデッサンと彫刻家のそれとは何かか違うと私は感じていて、まさに「空間に線を引く」デッサンに関心が移っていきました。図録の中にロダンにおける彫刻の捉えが出てきます。「視覚で捉えることのできる表面ではなく、その内側の動勢にこそ彫刻の本質があるとしたロダンの言葉は、それまでの視覚優位であった彫刻論とは明らかに異なるものであった。」というもので、さらにドイツ人哲学者J・G・ヘルダーによるこんな言葉が続きます。「絵画と彫刻の違いを、『彫刻は真実であり、絵画は夢である。彫刻はまったく呈示する表現であり、絵画は物語る魔法である』」というヘルダーによる触覚論は、視覚を五感の上位におく当時の美術の考え方に異を唱えたものだったようです。そこで実際のデッサンを基に、こんな一文が綴ってありました。「無数の線の集積から確かに実在する存在が立ち上がり、それを取りまく不可視の空間が現前としている。~略~一本々々の線が作者の手となり対象を触知し、手探りで平面上に現前させる。そこには容易に気づき得ない対象と空間構造の緊密な関係が生まれている。」(引用は全て土方明司著)自分が注目する個々の彫刻家の作品には後日改めて触れたいと思います。

荘司福「刻」について

92歳の長寿を全うした日本画家荘司福。その絵画世界の変遷を、今回の展覧会「荘司福・荘司喜和子展」(平塚市美術館)でじっくり見ることが出来ました。私は若い頃に描いた人物画や仏教に取材した絵画よりも、最晩年に描いた一連の風景画が大好きです。とりわけ1980年代終わりから90年代にかけて制作された風景画は、簡潔な構図でありながら、深い精神性を湛えていて、見る者に何かを感じさせる空白が残されています。それ故、暫し絵画の前で佇んでしまうのです。空白は有在の無であり、余裕の産物であると私は解釈しています。生涯を終えるまでに、こんな世界感が獲得出来たらいいなぁという羨望もあって、私が惹きつけられる要因だろうと思っています。その風景画群の中でひとつを選ぶとすれば、1985年制作の大作「刻」です。図録の解説には「一乗谷の朝倉氏居館跡に取材。朝倉氏は戦国時代に一乗谷を中心に越前を支配した戦国大名だが、16世紀後半に織田信長に滅ぼされた。」とありました。この作品に対する作者のコメントもありましたので、掲載しておきます。「幾百年もの年月をそのところに存在して、刻の流れの中の興亡も戦乱も又多くの人々の生きざまもいろいろなものの中に在った石の群、今は白日のもと深閑としてそこに在る。石以外は何もない白い空間の中に、多くのものが重なりあって充満している虚の空間、石を見てそんな空間を描いてみました。」(「三彩」457号より)虚の空間とは何もないのではなく、描かれた対象よりも雄弁に語る空間ではないかと私は思っています。描かれている苔むした石を見て、そこに過ぎた時間の蓄積を感じ取り、幾多の人々の往来を感じ取るのは、石が置かれた場所の空気を鑑賞者が感じ取れるからだと私は考えます。時間の沈殿の中に諸行無常を思い起こさせる世界が私は好きです。

平塚の「荘司福・荘司喜和子展」

先日、平塚市美術館で開催中の「荘司福・荘司喜和子展」に行ってきました。日本画家荘司福は92歳まで生き、日本画の世界では重鎮であったことを私も知っていました。晩年の風景画をどこかで見て、その端正で奥深い世界に感銘を受けたことが思い出されます。同じ日本画家荘司喜和子は、今回の展覧会で私は初めて知りました。新たな時代の抽象化した日本画の世界に真摯に取り組んだ精神性に驚きました。2人は姑と嫁の関係であったようで、荘司喜和子は惜しまれて39歳の若さで逝去しています。2人の間には表現こそ異なりましたが、写生を通じて何かを掴むという共通した認識があったことが伺えて、見ていた私は複雑な心境になりました。図録によると「荘司福は自分の作品は自分の肖像画であると言う。それは荘司福が描こうとしたのは、客観的な風景などではなく、彼女が感じた哲学的な風景であり、それは彼女の本質を伝えるものだからだと思う。荘司福は日本画家には、否日本人には珍らしく哲学的瞑想をし、それを絵画化する人なのであった。」(草薙奈津子著)とありました。一方で荘司喜和子はこんな風に述べられています。「喜和子が、写生の段階で目に見える光景を面的にとらえ、自然の様相をシンプルな形態に還元していること、その上で、ひとつひとつの形態に加除修正を加え、自在に組み合わせて画面に配置している様子が見て取れる。~略~また、写生的な描写によって対象の本質を表そうとする油彩画とは異なり、日本画は、入念な写生を繰り返すことで対象をシンプルな線と形態に還元し、その核心に迫ろうとするものである。不要な部分を省き、簡潔な形態把握を行うという点で、モチーフを抽象化しやすい傾向を内包していると言えるだろう。~略~写生を突き詰めて形態を獲得する福とは異なり、喜和子は、モチーフと相対したときから対象を色と形で捉え、そこから抽出した色と形態を組み合わせて作品を制作している。」(家田奈穂著)2人の画家の間にはどんな会話があったのか、単なる姑と嫁の関係ではないものがあったのでしょうか。そんな気配を感じさせる展覧会でした。

週末 窯入れ準備&「曲景」テーブル塗装継続

いつもなら日曜日は元気回復して制作に突き進むのですが、今日は疲労が残っていました。水曜日、金曜日、土曜日と歓送迎会が続き、出来るなら今日一日休みたいと思っていました。来月早々にある図録撮影を考えると、今日の制作ノルマをやらないわけにはいかず、重い身体に鞭打って朝から工房に篭りました。幸い美大生スタッフがやってきてくれたので、彼女に背中を押されるように陶彫部品の仕上げを始めました。明日は鉄工業者に窯入れがあって電気が使えない旨を伝えてあって、業者に休んでもらっているのです。ロフト拡張工事も佳境を迎えていて、業者の完成も目の前に迫っているので、一気にやってしまいたいところでしょう。ともかく今日は陶彫部品の仕上げと化粧掛けは午前中にやりました。大きな部品を2体、窯に入れました。午後は昨日からやっている「発掘~曲景~」のテーブル塗装の続きをやりました。基本となる色彩は昨日のうちに砂マチエールに滲み込ませてありました。油絵の具なので完全には乾いていませんが、それでも次の色彩を上から滴らせて、色彩効果を確かめました。今日は夕方までに4種類の色彩を滴らせたり、飛ばしたりして、その交わり具合を見ながら、当初のイメージに近づけました。「発掘~曲景~」は旧作より明るい色彩を用いていて、ややポップな感じを出そうとしています。接合する陶彫部品はいつものように鉄錆色になりますが、曲面を多用した形態になっているので、今までの作品とは趣が変わるのではないかと思っています。スタッフを一人工房において、私は近隣のスポーツ施設に水泳に行ってきました。自分では疲れていると思っていたはずが、割合楽に泳げたので肉体は疲れていないんだなぁと思いました。飲み会は精神的な疲れなのかもしれません。夕方窯のスイッチを入れて、工房を閉めました。スタッフを車で送り届けて、今日の工程は終了しました。

週末 「陶紋」加飾&「曲景」テーブル塗装

大型連休が過ぎ、漸くまた週末がやってきました。朝早く工房に行くと、ロフトの拡張工事が進み、計画したところまで鉄骨の梁が設置してありました。工房の3分の2はロフトになる計画で、ロフトにも蛍光灯を設置して、倉庫部分も明るくする予定です。今日は電気業者が来て、複数の蛍光灯を取り付けていました。昇降機はまだこれから設置する予定で、あと1週間くらいでロフト拡張工事が完成する見込みです。私は工事のため手狭になった作業空間で、大型連休中に成形を終えた「陶紋」5点の彫り込み加飾をやりました。ウィークディの夜に作業するつもりになっていましたが、関係団体での歓送迎会が水曜日と金曜日にあったため、なかなか工房に来られず、結局彫り込み加飾は週末の作業になってしまいました。ウィークディの仕事も外会議が多くて疲れた1週間でした。今日はそんなことで調子が出ない一日でしたが、午後は「発掘~曲景~」のテーブル部分の塗装を行ないました。連休中に砂マチエールを施しておいたところ、硬化剤がしっかり固まっていました。そこに油を多めに溶いた油絵の具を滲み込ませていく作業をやりました。1回目の塗装は基本となる色彩を全体に塗る作業です。次に別の色彩を無造作に散らせていきます。そのアクションペィンティングを何度か繰り返して、自分が求めるイメージに近づけていくのです。今日は基本となる色彩を施してひとまず作業を終わりました。明日続きをやろうと考えています。明後日の月曜日は窯での焼成を予定しているので、鉄工業者や電気業者は工事を休んでいただく旨を伝えました。そこで明日はテーブル部分の塗装継続と、窯入れのため陶彫部品に仕上げを施す作業を行います。今晩もある団体の歓送迎会が組まれていて、夜の街に出かけます。予定が密集している時期で、心身ともに疲れるなぁと感じています。

5月RECORDは「叢雲の風景」

今月のRECORDのテーマを決めました。RECORDは一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っていく総称で、文字通りのRECORD(記録)になっています。今年は「~の風景」というタイトルをつけていますが、今までのRECORDも風景描写をしている作品が多いので、風景という文字がタイトルに加わっても画面に大きな変化はありません。主題が明瞭になっただけの話です。今月のテーマを「叢雲の風景」としたのは、2019年の1月に「かすむ」というタイトルで作っていたRECORDを思い出し、霧や霞の中で風景が見えにくい状況をさらに続けたいなぁと考えたからです。当時のテーマ設定の内容を振り返ると、不安定で先が見えない国際情勢にも触れていました。現在でもそこは変わらない状況ですが、今回は発想を古代日本にも向けていて、霞む風景を「叢雲」というコトバで表しています。これは熱田神宮に伝わる三種の神器である「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)に由来しています。日本神話において、スサノオが出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に、大蛇の体内から見つかった神剣が「天叢雲剣」で、ヤマタノオロチの頭上にはいつも雲がかかっていたので、こう称されているのだそうです。今回は日本神話を描こうとは思っていませんが、発想のひとつとして神話を借りることはあるかもしれません。日本神話を突き詰めていくとなかなか面白そうですが、学術的探究は今はやりません。今月も一日1点完成を自分に課して頑張っていきたいと思います。

佐倉の「ジョセフ・コーネル」展

大型連休を利用して千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館に「ジョセフ・コーネル コラージュ&モンタージュ」展を見に行ってきました。DIC川村記念美術館にはアメリカの造形作家ジョセフ・コーネルの作品コレクションがあって常設展示されています。コーネルの世界に惹かれている私は、別の展覧会の時にもコーネルの作品を必ず見ていました。私はコーネル関連の書籍はほとんど読んでいるので、それだけで作家を身近に感じてしまうのです。私はアメリカに行ったこともなく、生前のご本人にお会いしたこともないのにも関わらず、コーネルが家族と共に住んだ自宅兼用ガレージで箱の作品を制作している姿を勝手に思い浮かべていました。コーネルの作る箱は内部に既存のモノが配置されていて、詩的な情緒もさることながら、作家の謎めいた思索を紐解いていきたい願望に駆られます。一見分かり難い世界を前にして、あれこれ自分なりに解釈するのが密かな私の楽しみになっているのです。飛び立つ鳥を封じ込める鳥籠や過ぎた時間を瞬時に切り取ったようなホテルの片隅に、そのミニチュアを作った作家の思いが交差しているように感じています。今回の展覧会ではコラージュ&モンタージュという創作技法がタイトルにありました。コラージュとは、仏語で糊付けという意味があり、雑誌の切り抜き等の素材を組み合わせる技法のことで、シュルリアリストの常套手段です。平面に斬新な並置を試みて非現実的な世界を作り出します。またモンタージュとは、映画用語で視点の異なる複数のカットを組み合わせる技法です。コーネルは映画が好きだったらしく、映画フィルムの断片をコラージュした作品がありました。映像作家の協力を得て、実験映画も作っていました。私はコーネルによる映像を今回初めて観ました。映像も含めて50点が展示された空間に接して、横浜から車を飛ばしてわざわざ千葉県佐倉まで来た甲斐があったなぁと思いました。

映画「グリーンブック」雑感

昨日のNOTE(ブログ)に続き、今回も映画の話題です。大型連休中に観た映画で、常連の横浜のミニシアターにおいて連日チケットが完売していた映画がありました。私も最初に行った日は観られず、翌日に漸く観ることが出来た映画で、観終わった後で、この作品が今年度のアカデミー作品賞に輝いた理由が分かりました。映画のタイトルは「グリーンブック」。「グリーンブック」とは1960年代のアメリカ南部を旅行する黒人必携のガイドブックのことで、黒人に対する人種差別が合法的に行われていた時代に登場した書籍です。映画は実在した人物の実話を基に描いていて、黒人天才ピアニストであったドナルド・ウォルブリッジ・シャーリーは18歳でボストン・ポップス・オーケストラでデビューし、音楽、心理学、典礼芸術の博士号を取得していました。もう一人のイタリア系アメリカ人トニー・バレロンガはナイトクラブに用心棒として勤める、腕っぷしが強くハッタリもきく人物でした。このピアニストと雇われ運転手が差別の色濃い南部へコンサートツアーに出かけるロード・ムービーが「グリーンブック」の中核となる物語です。図録には「ヤクザなトニーは当時の白人労働者階級らしく、黒人に対する偏見に満ちている。ヨーロッパの洗練を身につけたドンは黒人のソウル・フードであるフライド・チキンも食べたことがない。この水と油の2人の珍道中が楽しくおかしい。」(町山智浩著)とありました。やがてトニーはドンの音楽に惹かれ、ドンはトニーの問題解決力を頼りにする親密な関係を築いていきました。映画全編を通して人種差別という大きな社会問題が浮き彫りになっていくように、映画では演出されていましたが、この作品がアカデミー作品賞を取ったり、大勢の観客が押しかけるのは、この差別というテーマが現代も問題として残っていることを意味しているのではないかと私は考えます。「現在、トランプ政権によって人種間の分断が進み、ヘイトクライムや、警官による黒人への暴力事件が増加している。『グリーンブック』が描く、人種を超えた相互理解の大切さは今も変わらない。映画の最後に、本物のトニーとドンの生涯変わらぬ友情の証を見たとき、人はあふれる涙をおさえることができないだろう。」(町山智浩著)と図録は結んでいました。まさにその通りだと私も感じます。

映画「キングダム」雑感

大型連休を利用してエンターティメント系の映画館に出かけ、映画「キングダム」を観てきました。工房に来ていた美大生は「漫画を原作にした実写版映画は、結構コケることが多いんですよ。」と言っていましたが、「キングダム」はなかなかどうしてクオリティの高い作品に仕上がっていると私は感じました。映画を観るまであまり期待をしていなかったのは事実ですが、広大な中国でのロケや兵士や騎馬による大規模な編成など、漫画の世界観を余すところなく描き切っていて、ハリウッド映画に見られるような鬼気迫る凄まじいアクションも盛り込まれていました。物語は中国の紀元前にあった春秋戦国時代で、7つの強国が犇めいていた背景があり、やがて秦が中華統一を果たすまでの経緯を描いています。主人公は戦災孤児だった進と秦の始皇帝になる政で、この2人の立身出世が物語の中核を成しています。原作者で漫画家の原秦久氏は、中国の歴史書「史記」を基に、史実とフィクションのバランスをうまく取りながら物語を作っていることが伺えて、始皇帝研究の学者からのメッセージも図録に掲載されていました。映画の中心は政の弟が反乱を起こし、王宮を我がものにしていたことに対し、進や政たちが王宮奪還を成し遂げるまでを描いていました。50数巻が既刊されている漫画からすれば、まだ導入部分といったところですが、今後続編はあるのでしょうか。それぞれの俳優が肉体改造をして、力の籠った演技をしていたので、ぜひこの壮大な歴史絵巻をこのまま続けてほしいと願っています。日本のアクション映画の水準を測り見るような思いを持ったのは私だけではないはずです。

連休⑩ 「陶紋」5点の制作開始

大型連休は今日が最終日です。10連休は新天皇の即位があって実現したもので、私は陶彫制作や美術や音楽鑑賞、さらに映画鑑賞に日々充実した休日を過ごすことが出来ました。工房のロフト拡張工事も始まりました。2人の鉄工業者が今日も朝早くから工房に入っていて、鉄骨による天井の補強をやっていました。美大に通う若いスタッフも朝から来ていて、イラストレーションの課題に取り組んでいました。私は若いスタッフとともに夕方5時まで陶彫制作をやっていました。8時間も制作に集中したのは久しぶりでした。10連休の目標としていた制作が、やや遅れ気味だったところを昨日と今日で達成した感じがして、疲労困憊の中で満足を覚えました。若いスタッフや鉄工業者に背中を押されるように作業に励んでいたことが良かったのだろうと思います。今日は「陶彫」シリーズの成形5点と、そのうちの2点は彫り込み加飾を終わらせました。「陶紋」シリーズは毎年数点ずつ個展に出している小品で、最初の作品からずっと通し番号をつけています。今年の個展には47番から51番の「陶紋」を出品する予定です。残り3点の彫り込み加飾は、可能ならウィークディの夜の制作にしたいと考えています。陶彫作品は成形や彫り込み加飾が終わっても乾燥を待たなければならず、さらにヤスリで仕上げて化粧掛けを施すのです。それから漸く焼成になります。その時間を考慮すると、出来るだけ早めに彫り込み加飾を終わらせ、乾燥させたいと思っているのです。週末は砂マチエールを施したテーブルに油絵の具を染み込ませたり、「発掘~双景~」の陶彫部品の連結のための調整として、もうひとつは陶彫部品を作らねばならないと考えていて、「陶紋」の彫り込み加飾はウィークディの仕事から帰った夜の時間帯にやらざるを得ないのかなぁと思っています。いずれにせよ今年も例年の通り時間に追われていることは確かです。10連休あったとしても、決して予断を許さない制作工程に唖然としてしまいますが、これは毎年作品のハードルを上げているせいかもしれません。例年頑張り甲斐があるなぁと感じています。

連休⑨ 工房ロフト拡張工事始まる

今日から工房のロフト拡張工事が始まりました。朝9時から鉄工業者が来て、ロフト部分の鉄骨の補強を行なっていました。まず現在の鉄骨に、さらに追加して新たな鉄骨を連結するための補強金具を据え付けていきました。業者が2人がかりで朝から夕方まで作業していました。これから毎日工房に鉄工業者が入る予定です。実は新作の制作も佳境を迎えていて、補強金具を据え付ける現場を避けて、私もあちらこちらに移動しながら懸命に作業をしていました。ロフト拡張工事中に窯入れを予定していて、その日は電気が使えない旨を業者に伝えてありますが、私の場合はウィークディは公務員管理職の仕事があるので、週末明けの月曜日がノー電気ディになるのかなぁと思っています。業者が作業している現場から作品は全て移動しているため、工房の隅にぎっしり置いてあり、些か窮屈ですが、こればかりは仕方ありません。私は昨日から取り組んでいる砂マチエールの作業を午前中に終え、硬化剤が固まるのを待つばかりになりました。油絵の具を染み込ませる作業は来週にしようと思います。午後になり「陶紋」シリーズの制作に入りました。陶土を掌で叩いてタタラを数枚準備しました。明日は「陶紋」を5点成形をしようと思っています。「陶紋」シリーズは小品で、個展では売れ筋の作品のつもりで作っていますが、ここ最近はあまり売れません。それでも毎年5点は作るようにしています。「陶紋」シリーズはサイズが小さいだけで、手間は大きな陶彫作品と変わりません。ただ、ウィークディの夜の制作に「陶紋」は適していると思っていて、彫り込み加飾は夜でもいいかなぁと考えています。今日は若いスタッフが久しぶりに工房に現れました。大学の課題があって工房を使わせてほしいと言うので、今日と明日は美大生がやってきていますが、ほとんど工事現場と化した工房でデザインの課題をやっている彼女は、提出期限が相当切羽詰ってきているんだろうと思いました。私も切羽詰ってきているので、明日も継続です。

連休⑧ 砂マチエール作業開始

大型連休も8日目になり、残すところ後3日になりました。今日は工房のロフト拡張工事が入るはずだったのですが、業者の都合で明日から工事が入ることになりました。連休が終わってウィークディの勤務が始まっても工事は続けるそうで、工房のスペアキーを鉄工業者に貸すことにしました。今日は朝9時から夕方4時まで、通常の週末と同じ時間帯での制作になりました。先日来、途中で終わった彫り込み加飾を早々に完成させ、今日のメイン作業は「発掘~曲景~」のテーブルに砂マチエールを施す工程に入りました。砂マチエールは、デビュー作「発掘~鳥瞰~」の時から私が好んで使っている技法で、かれこれ20年以上もやっています。最初は油絵の具に砂を混ぜて使っていましたが、絵の具が大量に必要になるため、これを何とかしたいと考えたのが現在の方法です。絵の具を塗る前に、硬化剤で支持体に砂を貼り付けていきます。砂は出来るだけ薄く塗り込んでいきますが、左官業者と違って均一に塗ることはしません。そこは絵画作品のように厚みに変化を持たせます。塗る面積が広い場合は工房スタッフを呼びますが、今回は小さなテーブルなので私一人で充分です。彫り込んだ木彫の穴に砂を貼り付けていくのは、ちょっとした技術が要りますが、慣れてくると苦もなくやれる作業です。砂マチエールの作業は今日と明日で終えられるかなぁと思っています。砂が固まると、次に油絵の具を塗っていきますが、塗るというより染み込ませるといった方が相応しい按配です。油絵の具は溶き油を多めにして砂に馴染ませていきます。さらにドリッピングをやったり、霧状に吹きかけたりして、陶彫の表面との調和を図ります。陶彫と同じ素材感を出そうとすると面白味に欠けるので、やや対峙した色彩にしてみたり、また同系色を入れてみたりして実験を繰り返します。これはまさに彫刻ではなく絵画です。今日と明日は絵画を制作している意識で過ごそうと思います。明日も継続です。

連休⑦ 作品移動&映画鑑賞.その2

連休の7日目になります。今日は朝8時から工房に篭りました。明日からロフトの拡張工事が始まるため、工事現場の下にある陶彫部品を安全な場所に移動しなければならず、昨日の彫り込み加飾が残っているにも関わらず、まず作品の運搬から始めることにしました。この作業があったおかげで、新作「発掘~双景~」の大まかな構成を行なうことが出来ました。まだボルトナットで陶彫部品を繋ぐことはしませんでしたが、土台となる陶彫部品に2段目の陶彫部品を積み上げて全体の様子を眺めました。ほぼイメージ通りだったので、ちょっぴり安心しました。次に旧作で梱包をしていない陶彫部品が数多く作業場に放置してあり、それらを別の場所に移動しました。今日は気温が上がり、額に汗が出てきました。頭に被った手ぬぐいは汗びっしょりでした。何とか午後2時頃までに工房の整理は終わりました。結局、今日は制作が出来ず、彫り込み加飾は明日に回すことにしました。夕方は家内と連日になる映画鑑賞に出かけました。昨日チケットを購入しておいた映画「グリーンブック」を今晩漸く観ることが出来ました。横浜のミニシアターは今日も満席で、当日券はありませんでした。アメリカ映画「グリーンブック」は米アカデミー作品賞に輝いた作品で、私はどうしても観たかった映画なのでした。横暴で無教養なイタリア系用心棒が、孤高の天才黒人ピアニストの運転手として雇われる物語で、人種差別が色濃く残る1960年代に行なったコンサートツアーを描いていました。これは実話を基に制作されていて、初めは自分の流儀を譲らず、衝突ばかりしていた2人が、やがてお互いを信頼しあえる仲になり、黒人ピアニストは人との関わりを求め始め、運転手は差別や偏見を自ら正そうとする姿勢が生まれます。タイトルの「グリーンブック」とは黒人旅行者を対象としたガイドブックで、黒人が利用できる宿や店、日没後の外出禁止令などの情報が掲載されているものでした。この冊子はとりわけアメリカ南部で重宝されたようです。主人公(運転手)に、ピアニストの契約レコード会社からこの冊子を渡され、2人のツアーが始まっていきます。詳しい感想は後日改めますが、昨日と今日で充実した2日間を過ごしました。

連休⑥ 陶彫制作&映画鑑賞.その1

連休が後半に入り6日目になりました。まさに連休ど真ん中です。今日は昨日と同じく早朝7時に工房に出かけました。夕方は家内と映画に行く約束があったため、朝早くから陶彫制作を始めたのでした。昨日までテーブル彫刻「発掘~曲景~」に設置する2個の陶彫成形が終わっているので、今日は彫り込み加飾を行ないました。彫り込み加飾は、立体になった面に凹凸を彫り込んでいく作業ですが、これが陶彫全体の雰囲気を決めてしまいます。この微妙な凹凸に覆われた世界が、立体造形の方向性をより強く主張するからです。しかも彫り込み加飾は時間がかかります。彫刻というより工芸的な作業だと自分では思っています。作品の前に座り込んで何時間も手元の掻き出しヘラを見つめ続けているのです。まさに労働の蓄積であり、几帳面な性格でなければ出来ないかもしれません。午後2時までこの作業をやっていて、完全に仕上がることはなく、制作は明日に持ち越しになりましたが、ここで常連にしているミニシアターに家内と出かけることにしました。車で横浜市中区にあるミニシアターに到着すると、映画館前は人で溢れていました。今日観たかった映画「グリーンブック」は既に満席で、チケットは完売になっていました。今までこのミニシアターに通っていて、今日みたいなことは初めてでした。明日の上映分のチケットはまだあると窓口で言われたので、明日のチケットを買って帰ることにしました。うーん、これからどうしよう、すっかり映画を観る気になっていたので、別の映画館で何か面白そうなものはないかスマートホンで探しました。お?これを観ようかと迷った挙句、家内と突如決めた映画がありました。これはエンターティメント系の映画で漫画が原作の「キングダム」でした。都筑区鴨居にある映画館に行くために車を飛ばしました。やれやれと思いながら、原作になった漫画は折に触れて読んでいたので、粗方ストーリーは分かっていました。これは秦の始皇帝の中華統一までを描く壮大なストーリーで、若き始皇帝である政と、戦災孤児から将軍にのし上がっていく信の生き様を中心に描いたものです。実は漫画の実写版という映画は、私には始めてだったのですが、紀元前の中国春秋時代を現地ロケやCGを使いつつ、巨大なスケールを巧妙に表現していてとても楽しめる映画になっていました。明日は本年度アカデミー作品賞に輝いた「グリーンブック」を観に行きます。連日映画館に通うことになりますが、連休なので特別かなぁと思っています。今日のNOTE(ブログ)のタイトルに「その1」と加えたのはそのためです。2本観たところで詳しい感想を別の機会に書きたいと思います。

連休⑤ 令和は音楽会でスタート

今日から令和元年がスタートしました。連休は5日目になります。今日は叔父による音楽会が開催される日で、その時間を空けるため、私は早朝7時に工房に出かけ、自宅を出る11時までの4時間、必死になって陶彫成形をやっていました。彫り込み加飾は明日に回すことにして、昨日準備したタタラが硬くならないうちに、今日中に立体作品に立ち上げたのでした。紐作りで裏側補強もやりました。これでテーブル彫刻「発掘~曲景~」のテーブル上に設置する陶彫部品が出揃ったことになりました。いつもなら彫り込み加飾を施す時間を含めて一日7時間の作業ですが、今日は成形だけを端折ってやりました。午前11時に家内と自宅を出て、東京郊外の鶴川にある和光大学ポプリホールに向いました。「福成紀美子&下野昇ジョイフル コンサート」が午後1時半から開演し、テノール歌手として長年オペラやコンサートで歌ってきた叔父の歌声をじっくり聴く機会を持ちました。叔父は現在83歳で、これはもう親戚の自慢話になってしまいますが、今も衰えぬ声量に圧倒されたことは事実です。観客の中に同い年の人もいるはずですが、舞台で見せる叔父の若々しい存在感はどこからきているのでしょうか。コンサートの第一部は「マイ・フェア・レディ」のハイライトをソプラノの福成さんと台詞を交えて巧妙に歌い合い、第二部でそれぞれが本格的な歌唱を披露し、第三部では軽快なオペレッタを合唱する構成になっていました。第二部最初の歌で、叔父が力みすぎて音を外した箇所がありましたが、すぐに修整して臨んだところは、さすがベテランだなぁと感心しました。こうしたアンサンブルは昨年に続いて2回目ですが、叔父の年齢を考えると、毎年開催できるのか心配するところです。親戚縁者の打ち上げで、叔父には興奮冷めやらぬ勢いがありました。意欲が年齢を凌駕する有様を見ていて、私の創作活動もかくあるべきと実感した次第です。久しぶりに元気をもらえたひと時でした。明日は夕方、家内と映画に行く約束をしています。陶彫制作はまた今日のように前倒しになります。明日も頑張ろうと思います。

連休④ 平成時代の幕引き

連休4日目ですが、今日が4月最終日となり、また天皇の退位により平成時代の幕引きとなる一日でした。私は昭和の時代に生まれて学生時代を過ごしました。大学で彫刻という表現に出合い、創作の世界を求めて海外で5年間暮らしました。帰国後、横浜市の公務員になり、彫刻制作との二足の草鞋生活をスタートさせました。社会人になって間もなく昭和の時代が終わり、平成の時代が始まりました。私の彫刻は、陶彫によって架空都市を表現するひとつの世界観を獲得し、平成時代の30年間の後半は毎年のように東京銀座で個展を企画していただきました。私にとって平成時代は作品を世に問う時代だったと思い返しています。個展作家として過去13回も個展をやりましたが、今まで嘗て一度も作品に満足できず、今も理想を追って作り続けている次第です。令和の時代になってもそこは変わることはないでしょう。ただし、令和2年に私は再任用満了を迎え、公務員管理職を退職し、いよいよ彫刻一本になります。2年後になりますが、ここで私の方向転換がやってくると信じています。これからどんな時代を迎えるのか、半ば楽しみでもあります。さて、今日で4月が終わるので、いつものように今月を振り返って見たいと思います。今月に職場が転勤になり、慌しい毎日を送っていますが、創作活動はテーブル彫刻「発掘~曲景~」を作り始めました。これはまだ完成しませんが、連休中に何とかしようと思っているところです。展覧会には「東寺展」(東京国立博物館)、「ジョセフ・コーネル コラージュ&モンタージュ」展(DIC川村記念美術館)、「空間に線を引く 彫刻とデッサン展」、「荘司福・荘司喜和子展」(平塚市美術館)へ出かけました。映画鑑賞では「あなたはまだ帰ってこない」(シネマジャック&ベティ)に行きました。多忙だった仕事の合間を縫って、よくぞ行ったものだと自分なりに評価しています。RECORDは相変わらず厳しい状況が続いています。言い訳になりますが、転勤の不安定さがRECORDに影響を及ぼしているのです。これは何とか手を打たなければなりません。RECORDを始めて10年以上が経っています。その間に転勤もありました。それでも何とかやってきたので、今回もクリアできると信じています。読書は敢えて難解な書籍を避けて、分かり易く面白いものを選びました。そのためか読書をしている時は気分が安定しているように感じています。「日本流」は私にとって癒しでもあり、刺激剤でもあります。令和がスタートする来月も頑張っていきたいと思っています。