対極 放射するカタチ

作品をイメージする時、相反する一対のカタチが脳裏を掠めます。尊敬する石彫家の中島修さんも作品は同じものを2つずつ作ると言っていたのを思い出します。2つが相対することで、2つの作品以上の空間的な効果が現れることがあります。中島さんの石の幾何形体が2つ並ぶと、まったく同じ形体とはいえ、空間が大きく広がって見えます。自分も「構築〜包囲〜」を作っていた時に、同じ構成要素をもつ作品がその対極としてイメージされました。囲むカタチの反対側に、放射するカタチがあってもいいと思ったのです。次作はそんな具合に決めました。何かを作ると、その発展として次の作品が生まれてきます。その繰り返しがあって制作が続いていきます。先日のブログに書いた通り、イメージができたら間髪を入れずに作り始めること。そんな自制心を働かせて、雛型作りに精を出しています。

「構築〜包囲〜」の反省

昨日終了したグループ展に出品した「構築〜包囲〜」は囲むカタチを表そうとしたものです。昨年からブログに折に触れて製作途中の状況を書いてきました。その際、作品仮題を「囲むカタチ」としていました。つまり外から内へ何かを取り込むように構成した作品を想定していたのです。展覧会に来られた方々から、かなり好感を持たれましたが、柱が30本林立している景観に関した感想ばかりで、全体としての構成要素はなかなか理解してもらえませんでした。内なる空虚を包囲したイメージをきちんと伝えられていないのに気がついて、これが課題として残りました。柱の角度かもしれません。とくに中心にある短めの柱は力学的な構造上あの角度にしなければならず、美術的な計算はありませんでした。その中途半端な角度が天空の中心に向かう緊張感を演出できなかったと思います。ちょっとした手直しで済むことではないので、これを次作に生かして、来年は緊張感のある空間を創出したいと願うばかりです。

「構築〜包囲〜」搬出作業

今日はグループ展の搬出日でした。作品を解体して梱包し、倉庫に運搬しました。「この作品は設置も撤収も一人じゃ出来ない。いろいろな人の手を煩わせているので、みんなに感謝。」と家内が言っていました。その通りです。去年の個展の時も、搬出した作品を積んだトラックが銀座のネオンの中に消えていったのを見て、家内は働いてくれた人たちに心の中で感謝をしたそうです。自分は作品の置き所ばかり考えていて、作品が自宅に届いたらどこに保存しようかと迷っていたものです。ようやく周囲の人たちの恩がわかってきて、恥ずかしい思いです。大掛かりなインスタレーションをイメージしてしまう自分は、手伝ってくれる人たちを大切にしなくてはならないと思いました。

鎌倉彫の彫師さん

大切な友人に鎌倉彫の彫師をやっている安斉文隆さんがいます。自分がウィーンから帰国してまもなく、ドイツ語を忘れないために在日ドイツ人学校(横浜市都築区にあるドイツ学園)の夜間クラスに通っていた時期があります。安斉さんはその時に知り合った人です。安斉さんは鎌倉彫の技術を伝えに、またドイツの木彫技術を学びに行く目的でドイツ語を学んでいたのでした。それを度々実現させ、多くの写真をもって私のところに現れました。鎌倉の山水堂で1級技能士として仕事をしている安斉さんですが、彫りへの思い入れが強く、また技術には目を見張るものがあります。今日は横浜のグループ展に来ていただいたので、鑿の研ぎ方や扱い方を伝授していただきました。自分の作品は安斉さんのように緻密さも流麗さもない粗雑なものですが、自分の襟を正すためにも、こうした人が自分には必要なのです。ブログをご覧になっている方で、お時間があれば、ぜひ鎌倉駅近くの山水堂にお出かけください。安斉作品の彫りの美しさを堪能してください。

展覧会雑感

土曜日の横浜市民ギャラリーは大変混雑していて、3階の児童生徒作品展に見に来た親子連れが、ついでに我々のグループ展をのぞいてくれます。例年小さい子どもたちの反応を窺うようになりました。子どもたちは本能に忠実で社交辞令も遠慮もないからです。私の作品は入り口にあって広告塔のような役割をしています。すごいと言って入ってくる子どもたちが多ければ、今回の作品は成功と思っています。難解な評論より、はるかにわかりやすい基準です。美術的なるモノを問う作品というより、まず理屈抜きで楽しく感性に入ってくるモノ。美術っていいなと思えるのは、ここから始まると思うのです。今日は自分の母親と妹の家族がやって来ました。お祝いをいただきました。母親は現代美術のことをよく理解せずに応援してくれます。これが親だと思います。小さな子どもを連れた家族を見ながら、そんなことをぼんやり考えていた一日でした。

一通の手紙より

展覧会に来られた恩師から手紙をいただきました。以前紹介した彫刻家の恩師ではありませんが、自分にとって大切な方です。そのまま引用させていただきます。「発掘シリーズによって人間の原点を模索し、いよいよ人間性の構築への取り組みですね。愛情、失意、信頼、裏切り等、不条理な包囲網を打ち破り、何が求められるか期待しています。」文筆業をされていて、横浜にまつわる文士をテーマにした本を出版されている笠原実先生です。大変有難い言葉をいただいて痛み入ります。自分が何気なくイメージしていたメッセージを端的な言葉にしていただきました。陶彫から木彫に移行したのは単に技術的な移行ではなく、作品の意味合いまでも移行したわけです。ただし陶彫でやり残したものはまだあって、発掘シリーズは継続します。構築シリーズと併せて、振り子のように同時進行していくつもりです。

2月 新作の第一歩

2月になりました。今年は暖冬で、きりきりした寒さはありません。先日作品の搬入が終わり、次に残った課題に向かって新作のエスキースに入りました。今回の作品は木彫部分に彫り跡を残して塗装せずにおいたので、軽やかな印象を受けるという感想を見に来られた人から聞いたので、こういう印象を大切にしながら、自作の雛型作りを始めました。別の仕事をしている関係で制作ばかりやっていられない自分はどうしたら制作を続けられるか、常日頃から考えていました。その結果、効果的な手段を思いついたのです。それは作品が出来上がって展覧会に搬入した途端、間髪をいれずに次作を作ること。ひとつ作品が終わって、ホッとしてしまうとそのまま作品を作れなくなります。一息つくのは制作の合間にしておけば必ず作品を完成させることができると思います。今日はその第一歩です。

作品の写真撮影

毎回撮影をお願いしているカメラマンに、サクレ展出品中の「構築〜包囲〜」の撮影をしていただきました。昨日ギャラリーに撮影許可申請を出し、今日の夕方、2人のカメラマンの到着を待っていました。昨年図録を作ったのですが、2人ともその時からのお付き合いになります。以前は自分で写真を撮っていました。やはりプロの腕は違うとつくづく知らされた1年でした。このHPに使ってある写真はすべてこの人たちによるものです。なにしろ組み立てられた立体作品は、分解して倉庫に入ると容易に取り出せなくなります。写真だけが作品の様子を伝える手段なのです。今回の作品は、彫り跡を意図的に残したり、砂のマチエールをつけたりしましたが、これが写真という媒体を通すとどんな表現に変わるのだろうと興味津々です。またそんなことも頭にあって、今回のような表現にしたと言っても過言ではありません。

「構築〜包囲〜」搬入作業

「構築〜包囲〜」は直径5メートルあるテーブルを30本の柱で支える構造なので一人では設置できません。運搬業者が運びこんできたものを、今日は大学生たちが設置を手伝ってくれました。教え子の美大生や心理学を学んでいる甥もいて、番号を合わせながら組み立てていく作業でした。こういう場面で気持ちよく手伝ってくれる子たちを自分は大切にしています。搬入終了後の打ち上げで、つい気のおけない助手たちに、自分は心情を吐露してしまいます。さて、搬入が始まる時の自分の心理状態はどうなのか、自分では冷静を装いつつ、汗が額から流れています。精神が高揚する証拠です。納得と迷いと反省が一気にやってきます。次の課題がこの時に露呈し、何とも言えない気持ちになります。だからこそ次に期待するのかなと思います。継続を誓う一日です。

グループ展インフォメーション

このところ制作の仕上げや作品の梱包や案内状の発送などをブログに書いていて、肝心なことを書き忘れていたのに気がつきました。ブログは知り合いの人ばかりが見ているわけではないので、グループ展のインフォメーションを書かなければならないと思いました。グループ展の名称は「サクレ展」。場所は横浜市教育文化センター1F市民ギャラリー。JR関内駅前。会期は1月31日(水)から2月5日(月)まで。会期中無休。10時から18時、最終日は16時まで。よろしかったら是非見に来てください。土日は会場にいるようにします。去年の「ギャラリーせいほう」の個展で使った図録も会場に置くつもりです。無料で配布いたします。ご意見やご感想をいただけたら幸いです。

作品の梱包作業

グループ展のための作品梱包作業に追われた一日を過ごしました。集合彫刻なので、柱が大小30本、厚板が大小14枚あって、搬入当日に組み立てる予定です。このため柱や厚板にそれぞれエアキャップを巻き、シートで覆って番号を記します。この作業が簡単にはいかないのです。量が多いというのは思いのほかシンドいものです。丸一日がかりでした。まるで引越し荷物のように置かれた作品の部品。梱包なんてどうでもいいと昔は思っていましたが、運搬だけではなく展覧会後も保存することを考えれば、これは半端なことでは済みません。有名な陶芸家は自作を収める箱作りにも腕利きの職人を頼むと聞きます。自分はそこまでやれませんが、ひとつひとつ丁寧に梱包して、少なくても破損がないようにしなければなりません。今、「構築〜包囲〜」はクリストの作品のようになって、明後日会場に運ばれるのを待っています。

展覧会の案内状

横浜のグループ展の搬入が近づいています。手許に事務局から案内状が届きました。発送したり手渡しするのはこれからです。作品制作とは別にちょいと面倒くさい仕事です。個展の時は案内状を凝ったりしますが、グループ展の時は何でもいいやと思ってしまいます。でも受け取る方は、今年はどんなものが出来たのかと好奇心をそそる人がいるかもしれません。そういう人がいて欲しいと願いつつ、グループ全体の雰囲気しか伝えられない案内状を送ることになります。自分の作品に関する一文を添えるといいかもしれないと思っています。今まで時間がある時は自作を撮影して、それをグループ展であっても事務局を通さずに独自のもので送っていました。今年はそれが出来ませんでした。でも作品は精一杯やったつもりです。完全に納得できるものを作るにはまだまだ時間が必要ですが、課題が残るからこそ続けていけるのだろうとも思います。

ギュンター・ドメニクの銀行

かつて住んでいたウィーン10区のアパートから歩いて5分程度のファボリーテン通りに、エイリアンの棲家のようなメタリックな建物が出来ました。オットー・ワーグナーのような前世紀の建築群との調和を図った建築家がいる一方で、この建物を設計したギュンター・ドメニクは周囲とはまるで調和しない建築家のようでした。よくぞウィーン市民が受け入れたものだと思うくらい異様な雰囲気を放つ建物は、虫の甲羅のような有機的な外観をもった銀行でした。この銀行には自分の口座があったので頻繁に訪れました。個人的にはワーグナーみたいに好きになれなかったのですが、面白さは充分伝わりました。こんな建築があってもいいのではないかと客としては肯定しています。テーマパークにあってもおかしくない内部空間でも真面目に銀行業務が行われていました。こんな空間で働くのはどういう気持ちなんだろうと要らぬことまで考えてしまう銀行でした。

A・レームデンの風景

再びウィーン幻想派の話です。自分がいた頃の美術アカデミーにはハウズナーの他に、A・レームデンがクラスを持っていました。同じ幻想派でもハウズナーとはテーマが異なり、戦争体験を基にした風景を描いていました。学んでいる学生もレームデンばりの作品を描いていて、なかなかの信奉者がいるようでした。レームデンの風景画は地表が見えていたり、粉塵が舞っていたりして、ただならぬ気配を感じさせるものです。最近の報道でイラクの爆弾テロが街の中であって、黒煙が立ち昇っていく様子をテレビで見ました。ふいにレームデンの風景画が頭に甦ってきて、こうしたリアルな風景をあのように象徴的に表現したんだなと思いました。レームデンの色彩は日本画を思わせるような淡さがあって、悲惨な風景を悲惨な状態で描いていません。そこが幻想派の面目躍如たるところかと思います。

キムチ納豆の朝ごはん

ある健康情報番組が納豆を取り上げ、しかも情報が捏造だったことが新聞で報道されています。確かに店頭から納豆が消えました。自分はこの番組が放映されるずっと前から納豆を食べていて、それが習慣になっているので、納豆が消えている今は大変迷惑しています。健康ブームというわけではなく納豆好きなのです。今の職種に就いた頃、水戸の偕楽園近くの納豆専門店で食べた納豆料理が美味しくてファンになったのでした。最近は好きなキムチと生卵を納豆にトッピングして朝ごはんに食べています。これがなかなか美味しいのです。だからといって、どこがどう変わったという実感はありません。きっと自分と同じ嗜好を持っている人がいて、その人も迷惑しているんだろうなとつくづく感じています。

石田徹也遺作集

昨日行った「有元利夫展」の出口のところで、「石田徹也遺作集」を見つけて買い求めました。有元利夫は38歳、石田徹也は31歳で夭折した画家です。石田徹也を知ったのはNHK新日曜美術館でした。TVを見ていて、かなり衝撃を受けました。画集が欲しいと思っていたので、この冊子を見つけた時は咄嗟にレジに走ってしまいました。石田徹也の画風は、有元利夫の西洋風な気品溢れるものとはまるで異なり、現代日本の闇の部分を象徴するようなテーマで描かれています。社会を独特な視点で捉え、無表情な自分を登場させて、社会と個人の関わりを表現しています。描かれた本人の目はどこを見ているのか判然としない、それでいて雄弁な表現力はもの凄いものがあって、一度絵を見ると忘れられない魅力を秘めています。なんの理屈もなく心に入ってくる絵です。本当に短かった生涯でしたが、心身を削って描いていたのかと思えるような気分になってしまいます。

有元利夫展

夭折した画家の中でも有元利夫は大好きな画家の一人です。数年前、茨城県つくば美術館に回顧展を観に行きました。今日たまたま横浜駅を通ったら、そごう美術館の「有元利夫展」の看板が目に付いて、また観てきました。同じ作品を場所を変え何度観たことか。でも何度観ても有元利夫は新鮮です。故意に古くした画面は、一度描いたキャンバスをもみくちゃにして絵の具を落としたり、岩絵の具を使ってみたり、まるで中世の宗教画のような剥がれた色合いと気品があって素敵です。とくに描かれた女性より画面の背景が気になるのは自分だけでしょうか。赤茶けたイタリアの住居の壁のような風合い、濃いグリーンの西洋臭さ。アルルカンの衣裳も机も雲もすべて西洋の雰囲気たっぷりで、でもくどいことはなく、やはり日本人の感性に合った作品だなと感じています。

「彫刻の投影」を読んで

暇を見つけては活字を目で追っています。気まぐれ読書家なので、一冊の本を読むのに長い時間がかかってしまいます。同時に何冊も読んでいて、どこまで読んだかわからなくなっていることもあります。「彫刻の投影」という書物はどこかの美術館のショップで購入したものです。下田治というアメリカ在住だった彫刻家が著したもので、海外で暮らす画家や彫刻家の裏側を書いていて、同じ海外に暮らした者として大変興味深く読んでしまいました。自分がいたヨーロッパとは違う環境に驚いたり、保守的ではないところが羨ましかったりしました。下田さんはもう亡くなられているようで、いわば遺稿として出版されたようです。

立体作品の多面性

あと10日で、新作「構築〜包囲〜」を横浜市民ギャラリーに搬入しなければなりません。油絵の具を乾かす関係で、厚板に試みている塗装はそろそろ終わりです。やや薄赤の画面になっています。これでいいかなと思いつつ、翌日になると気に入らなくなり、一向に終わることが出来ません。搬入があるという理由で終わらせるのが例年の慣習みたいになっています。厚板の画面はテーブルの上になるのですが、下になる面も見えてしまうので、下にも簡単な塗装をすることにしました。そこが平面作品との違いで、どこから見てもいいように作るのが立体作品の醍醐味です。簡単な塗装と言えども色味を合わせて、下から覗いても作品として成り立つようにしています。いわゆる立体作品の多面性というもので、平面画面の裏側も作らねばなりません。この週末は裏側の処理に追われています。

R・ハウズナーの顔

ウィーン幻想派の話です。ウィーン美術アカデミーに学んでいた20数年前に、ハウズナーを1度だけお見受けしたことがあります。ハウズナーはウィーン幻想派の画家の中でも最年長でリーダー的役割をしていました。画風が自分の顔を主なテーマにした具象画なので、アケデミーで会った時もすぐ本人だとわかりました。私は画家が描くものは、それが風景だろうが抽象だろうがすべて自画像だという持論があります。さしずめ自分が作っている抽象彫刻は自刻像だと思っています。ハウズナーの表現する世界は狭義な意味での自画像ではなく、顔をテーマにした謎解きといってもいいくらいバリエーションに富んだ意味を持つ自画像です。画面は顔をベースに分割されて、そこに自分が関わりをもった様々な事象が描きこまれています。自己分析的で、本人にしかわからない情景があって、自分が歩んできた過去を謎めいて表しています。シュールレアリズムとは異なった世界を感じさせてくれます。

臨終の時を考える

家内の叔母が亡くなって通夜に行ってきました。昨年は父を失っているので不幸が続いています。父も叔母も80歳を超える年齢なので、これも仕方がないことです。祖父母の代では何でもなかったことが親の代ともなると、自分の行く末を考えてしまいます。人に必ず訪れる臨終の時。この時の自分をイメージすることは難しいのですが、限りある人生をどう生きたらいいのか、こんな日にちょっと考えてみたくなるのです。満足して生きたら思い残すことなく死を迎えられるのか。往生際の悪い自分はそう簡単にはいかないと思いますが、とにかく満足できればそれに越したことはありません。何に対して満足?自分に対してかな。いわゆる自己満足。自己満足が人や社会に役立つものもあれば、まったくの自己満足で何の役に立たないものもあります。政治経済で活躍しているなら多少なりとも自己満足が人々を喜ばすことがあるでしょう。芸術や文化ならどうか。これは微妙です。人には粗大ゴミにしか見えないものを作り続けている彫刻家。う〜ん、いづれ価値をわかってもらえると信じながら今日も制作。でも臨終の時、好きなことだけやれた満足感はきっとあると思います。

E・フックスの銅版画

ウィーン幻想派の画家の中で、ウィーンの街中のギャラリーに作品があるのがE・フックスの銅版画です。フックスは煌びやかな油彩画を多く描いていますが、モノクロの銅版画にも力量のある画家だと思います。フックスの宗教性や神話性のある世界は、たとえばフックス好みのビーナスや王や兵士が独特な装飾で彩られて、その描写力に舌を捲きます。全体としては寓話的な世界ですが、細部のリアリテイには目を見張るものがあります。銅版画は量産ができるものなので、かなりたくさん出回っていて、ギャラリーだけでなく書店にも飾られていて、手彩色をしたものからカラー刷りをしたものまで様々な試みをして市販されています。フックスはユダヤ系の画家で、同じウィーンで活躍していたフンデルトワッサーもユダヤ系。フンデルトワッサーも様々な作品を作って市販していました。どうもユダヤ系芸術家は芸術の道に長けているばかりではなく商売熱心でもあるようです。

ウィーン幻想派との関わり

ウィーン美術アカデミーに学んでいた当時、同校にハウズナー教室とレームデン教室があって、とくにハウズナー教室には毎年のように邦人画家が聴講生としてやってきて制作をしていました。もうかれこれ30年も前になるのでしょうか、東京のデパートにある美術館でウィーン幻想派の絵画展があって、話題になったことがありました。自分は当時そうした絵画に興味はなく観に行ってはいませんでした。幻想派に注目するようになったのはウィーンに来てからでしたが、ウィーン行きが決まった時に、大学の図書館に行って幻想派の画家のことを調べました。古典的傾向をもつ具象絵画で、宗教的な神話であったり、自画像を分解して自分の生い立ちを封じ込めてみたり、戯画のようであったりして、その装飾性に何か特徴があるような気がしました。日本の空気の中ではなかなか理解できなかったものが、ウィーンの空気を吸うことで理解できたように思いました。

レンブラントの光と闇

自分の目で確かめてこそ本当の名画鑑賞だと昨日のブログに書いて思い出したことがあります。いつぞやオランダ絵画がどこかの美術館に来ていて、たまたま観た時に、名画と言われる絵はやはり名画なんだと妙に納得してしまったことがありました。それはレンブラントの肖像画で、レンブラントの作品としてはよく図録などで見かけるものでした。その絵は他の絵画とは違っていました。何が?って何だろうと考えてみるのですが、これという決め手はありません。どの絵も色彩の落ち着き、構図、どれをとっても申し分のない絵画に囲まれて、レンブラントは何かが違っているのです。光なのか闇なのか。技巧ではありません。でも鮮明な画面。光は光らしく闇は闇らしく人物を浮き彫りにしている手ごたえのようなもの。よく説明できませんが、これが名画だと感じ入ってしまった一瞬でした。

名画との出会い

学校の美術科の教科書には古今東西の名画が載っています。それがどうして名画なのか、どこが名画たる所以なのかをずっと前から考えています。人が認めたから名画?それなら自分はどうなのか?自分も成程これは凄いと感じたことがあれば名画なのか。自分の歩んできた人生で、確かに美術館で遭遇した作品に感銘を受けたことはあります。それもほんの僅かなもので、残りの多くの作品は教科書や雑誌、TVなどの情報操作により、これが名画だと頭の中にすり込まれているだけなのかもしれません。自分の目で確かめないと信じられない、というのが本当の意味での名画鑑賞だろうと思います。それなら人が認める認めないに関わらず、自分にとっての名画もきっとあるはず。まだ大学に入って間もない頃は、友人と美術館やギャラリーに出かけて、人と自分の感じ取るところが違うなと思っていました。今はそれも良しとしている自分がいます。名画との出会いは自分の美的価値観の発見でもあります。

ジグゾーパズル的ブリューゲル

ウィーン美術史美術館にはブリューゲルだけの部屋があって、代表作がたくさん観られます。そんなことも知らずにウィーンに行き、この農民画家に出会った時は、息を呑むほど驚いて、ただひたすら見入ってしまいました。秋の枯葉色した画面は、自分がどんな絵を描いてもその色になってしまう、いわば「自己色」と勝手に呼んでいる色彩で、それだけでも忽ちブリューゲルに参ってしまったのでした。描かれている内容も楽しくてなりませんでした。当時の風俗が丹念に描き込まれ、博物館のごとく、いやオモチャ箱をひっくり返したような画面構成で、ずっと観ていても飽きないのでした。きっとジグゾーパズルになっているに違いないとギャラリーショップに行ったのですが、当時はそんな洒落たグッズはありませんでした。でも自分の中ではブリューゲルほどジグゾーパズルにふさわしい画家はいないと思っています。ギャラリーショップが充実している昨今は何でもないことですが、当時からこの作家にはこんな商品があってもいいのかな等と自分の中で勝手に考えて楽しんでいたのでした。

P・ブリューゲルの世界

みやこうせいさんの写真を久しぶりに見て、ウィーン美術史美術館にあったP・ブリューゲルの絵画世界が現存しているかのような印象を持ちました。自分もかつてみやさんと一緒にそこにいたのですが、現在生活している日本社会とは遥かに離れたヨーロッパの風俗や文化を感じずにはいられません。過去自分は素晴らしい色彩に囲まれた世界で人々と交わり、土地の馳走でもてなされたのが信じられなくなっています。P・ブリューゲルの色彩は何ともいえない渋みが合わさり、全体としては鮮やかな印象を受けますが、ルーマニアの村々もそんな色彩が生きているのです。かつてはヨーロッパ全体でこんな農耕世界が存在し、いずれ戦さのために壁が作られ、教会・寺院を中心とする町が築かれたのかと雑駁な歴史を考えてしまいます。P・ブリューゲルについては後日ブログにしたいと思いますが、そんな絵画のような世界が、写真という媒体を通して今も存在することが証明されて、嬉しく思っています。

みやこうせいさんの写真展

東京表参道のピンポイントギャラリーで、詩人のまどみちおさんと紀行作家みやこうせいさんの2人展が開かれています。みやさんはヨーロッパ各国を旅して、素朴な風習が残る場所を写真や文章にしています。自分もかつてルーマニアやギリシャ、旧ユーゴスラビアの取材に同行させていただいたことがあります。今回の展覧会では、まどさんの新作詩にみやさんの写真がコラボレーションされたものが展示されていました。詩や写真の内容の面白さもさることながら、まどさんもみやさんも手書きの原稿用紙を展示していて、その書体の崩し方の楽しさに魅かれました。みやさんの写真は相変わらず光が美しく、撮影された風景や人物にある種のドラマを感じさせてくれます。カメラマンの仕事というより、文章を操るエッセイストが捉えた一瞬と思えます。そこがみやさんの独自な世界なのかもしれません。

ウィーン分離派と邦人建築家

ウィーン分離派は、自分にとってどのようなものかを考えてみると、予備知識もないままウィーンに住んで初めて知った革新的な芸術運動で、その美的なるものに感動を覚えたのが分離派でした。現代は芸術の捉え方、表現方法も多様化して、美的なるものの存在が問われるような前衛がありますが、それから考えればウィーン分離派は古典的な美しさが確かに存在していると言ってもよいと思います。当時、日本にも分離派は紹介されて、とくに村野藤吾や吉田五十八、堀口捨己といった日本の近代建築を代表する人々が影響を受けているとは、帰国するまでまったく知りませんでした。日本の建築界においてウィーン分離派はどのような受け入れられ方をしたのか興味は尽きません。自分の印象としては、分離派は完全には前衛になりえないところがあって、過去の遺産を否定していないと思うのです。むしろ過去の様式を当時の生活様式に合うようにアレンジしているように感じます。邦人建築家も日本の古い家屋を生活スタイルに合わせたカタチにアレンジしてみせたのではないでしょうか。

立体作品の絵画的要素

自作の「構築〜包囲〜」は厚板に砂を硬化剤で貼りつけ終わり、いよいよ次の段階に入りました。この砂の面に油絵の具を染み込ませていく作業です。これは油絵の具を均一に塗る作業ではなく、色彩を調整しながら最初に思い描いたイメージに近づけていきます。自然に風化して色が変色したような壁を作る作業です。最終的には立体作品になるのですが、現段階では絵画的な仕事です。「発掘」シリーズでも陶彫を設置する台座(あるいは作品の一部)に砂と油絵の具による壁を表現しました。砂の微妙な凹凸面に染み込んだ絵の具がマット状になる効果が大変気に入っていて、絵の具の塗り方も考えます。アクションペインテイングをやってみたり、霧吹き状に絵の具を散らしてグラデーションを作ったりします。いつ終わるとも知れない作業が続き、平面上での実験を繰り返しています。立体と平面の両方から作り上げる作品ですが、見極めが難しいところです。

オルブリッヒのセセッション館

昨年のブログに、ウィーン美術アカデミーの窓から、鉄製の植物を模った球体のオブジェをのせた不思議な建物が見えていたと書きました。このブログでウィーン分離派のことにも触れたと思いますが、この分離派の中心的な活動の場であったセセッション館は、オットー・ワーグナーの弟子ヨゼフ・マリア・オルブリッヒの作品でした。自分がウィーンに行った当時は改装のためセセッション館は閉鎖されていました。分離派にもオルブリッヒにも予備知識がなかった自分は、この不思議な建物に興味津々でした。まもなくセセッション館の壁面を飾るクリムトの大作「ベートーベン・フリーズ」の修復が終わって、内部を見ることができました。アールヌーボー様式とはいえ簡素な空間で、ギャラリーとしてはなかなか優れた空間ではないかと思いました。当時はクルムトやシーレ、ワーグナーらが集い、革新的な展覧会があったことを思いながらセセッション館内を巡ったことを思い出します。