早稲田小劇場

小劇場が盛り上がりを見せていた頃、赤テントや黒テントだけではなく早稲田小劇場にも足を運びました。まだ本拠地が早稲田にあった頃の小劇場です。鈴木忠志の演出、白石加代子主演の芝居はとてつもなく面白く、あっという間に時間が過ぎました。白石加代子のおどろおどろしい声が圧倒的な存在感を持っていました。本拠地が富山県に移ってから早稲田小劇場とは縁がなくなってしまいましたが、あの小さなアトリエで観た公演が今も印象にのこっています。別役実という劇作家もこの時知りました。別役実の童話にも興味を持ちました。乾いた情念を感じさせる独特な世界で、あっさり書かれたような詩的情景が、自分の心の片隅に棲みついてしまいました。

渋谷の天井桟敷

寺山修司という詩人を知ったのは大学時代です。高校の時から詩を折に触れて読んでいた自分は、特異な世界を持つこの詩人を敬遠していたところがありました。初めは前衛演劇から興味を持ちました。当時の渋谷に奇怪な装飾が施された演劇実験室天井桟敷の建物がありました。大学1年生の時に天井桟敷を訪ねました。家出を勧めてみたり、街で演劇によるパフォーマンスをしていた寺山修司の存在は社会現象までなって、いろいろな人々が天井桟敷に出入りしていたようでした。最近になって青森にある寺山修司記念館を訪ね、前衛とも思えた寺山世界が、郷土と切り離せないものであることが実感できました。それにしても渋谷にあった天井桟敷が今も印象に残っています。あのサーカス小屋のような建物はどこにいってしまったのでしょうか。

赤テントに通った日々

大学生の頃、何となく怪しい雰囲気に誘われて、新宿花園神社に忽然と現れた赤テントに通いました。初めて観た時から、唐十郎率いる状況劇場で繰り広げられるドラマに魅了されていました。矢継ぎ早に発せられる台詞と不条理な展開。何かやりきれない当時の気持ちにピッタリきていました。あの頃は李礼仙や根津甚八、小林薫などが出演していました。テントの中に敷かれたムシロにぎゅうぎゅう詰めで座り、レトロな音響と大振りな演技で摩訶不思議な世界に引き込まれていきました。劇の途中でテントがめくられ、新宿のリアルな風景が現れると、劇と現実の境がなくなって妙な気分になったことを覚えています。状況劇場は夢の島や大久保でテントを立て、その度に大学の工房から出かけていきました。大学では石膏の臭いが衣服にしみ込み、テントに入ると舞台の臭いがそこに加わっていました。

螺旋の造形

螺旋状に上昇するカタチには成長していくイメージがあります。植物が螺旋を描いてねじれながら空に向かっていく有様は、自然界の強靭な力を感じさせます。昨日は螺旋階段をのぼっていく詩の一節が頭に浮かんだのでブログに書きましたが、螺旋階段をひたすらのぼるイメージは、つい自分の人生観に結びつけて考えることが多くなります。螺旋の形状を造形要素として作品に取り入れたいと思うこの頃です。すでに建築の柱になっていたり、オブジェにも使われる要素なので決して新しいものではありません。自分が作品の中で表したいのはどんな螺旋なのか、いろいろ試作をしてみようと計画をしています。

螺旋階段をのぼる

螺旋階段をのぼる・石壁にかこまれた・暗い・けわしい・石の階段をのぼる・小さなランプをぶら下げながら。自分が高校時代に慣れ親しんだ詩人黒田三郎の詩の一節です。何故かこの詩が情景として頭に残り、何かに向かってコツコツ始めたときに、いつもこの情景が現れます。どうしてこの詩と出会ったのか定かではありません。書店で立ち読みしたのか、どこかの雑誌に載っていたのか今では思い出せませんが、当時買った詩集が今も手許にあります。自分は決して文学青年ではなく勉強もろくにしない学生でしたが、詩の一節が印象に残ることが多く、そうした詩集を買い求めました。詩集は捨てられず書棚の中に埃とともに眠っています。詩は短いコトバなのに不思議な力をもっているもので、たまに埃をふいて字面を追いたくなったりします。

材料買出しの楽しみ

作品に使う材料を買出しに行くのはとても楽しくてウキウキします。店を回るうち作品と直接関係ないものまでチェックします。そういえばあの店にこんなものがあったっけと思い出すのがよいのです。陶土は栃木県益子に、木材は東京の新木場へ出かけますが、今日は近隣の店で絵の具を買いました。土や木などの作品になる素材は実際のモノを見て、作品のイメージを捉えることがあります。石は唯一無二なので、それが作品を大きく左右するとも言えます。木は自分は銘木を使うことはありませんが、作家によっては木も作品を左右することがあると思います。いずれにせよ作品にする楽しみがあってのことです。

師が走る12月

広場の模型作りの課題に取り組んでいる美大生から、材料の相談をメールで受けました。一緒に考えようと答えました。自分の制作以外で頭をめぐらせることは楽しみのひとつです。その美大生には自分が持っている様々な資料を与えます。こうしてひとつずつ吸収していくんだ、自分の引き出しをたくさん持っていくんだと若い世代の勉強ぶりを見て思います。自分も生涯勉強しなくてはならないと思うこの頃です。自分にも池田宗弘と中島修という師匠がいて、疾風の如く走る師匠を追いかけています。自分の後から追いかけてくる教え子たちがいます。慌しい師走になって、師が走るのは忙しい季節だからではなく、師から次世代へ受け継がれるレースをしているように思えます。こんなことを考えているうちに今年最後の1ヶ月になってしまいました。

色彩を考える

たとえば奈良の金剛力士像は巨大な木彫ですが、彩色されていたようで所々色が残っています。完成当時は華麗な色彩が施されていたことでしょう。自分の作品では木彫の部分は色をつけません。自然な木目が美しいので、そのまま残すつもりです。ただし横たえる厚板には砂を硬化剤で貼り付け、油絵の具を染込ませる予定です。さて、今回はどんな色にしようか思案しています。初めの企画には色彩計画があるのですが、実際のサイズにしてみると、これでいいのか迷うところです。今までは黒っぽい色彩にしました。陶彫が錆びた鉄のような色をしていたので、それに合わせた色を作りました。木肌に合わせた色は今までと同じというわけにはいきません。木肌を目立たせて共存できる色彩。画家と異なる色彩選びがこれから始まります。

草月会館の「天国」

重森三玲の庭園に劣らず、自分が最も好きな庭園空間は東京の草月会館にあります。玄関前にすっきりと立つ黒味影石、それに続く入り口吹き抜けのロビーには大小の自然石を配置した室内庭園が広がっています。「天国」と題されたイサム・ノグチの作品です。石の床で四段階に分けられ、それぞれを階段でつなぎ、最上階から下まで人工の川を作り、水が流れています。最上階にはつくばいが置いてありました。仕切られた空間に現れた雄大な世界に毎回見るたびに刺激を受けています。自然のままの石と加工された石を巧みに組み入れた秀作だと思います。

重森三玲の空間感覚

先月、「重森三玲の庭」展を見てきましたが、自然石を立てたり横にしたりして構成する庭園のデザインが、時々ふっと湧いて脳裏をよぎると楽しい気持ちになります。自然にある石、自然にある樹木、自然にある水を取り込んで空間を作るのが庭園です。自分のように木を彫ったりせず、自然の状態で見せる空間の感覚を持ちたいと常々思っています。隅から隅まで作ってしまう自分の表現がいつかパターン化して退屈になるのを予感しています。中島修さんの石彫でも石を割ったままの状態と磨きこんだ幾何形体を対比して見せた作品がありました。作庭家が自然を自身の大きな作為の中に取り込んで、ありのままのカタチをまとめ上げていく力は素晴らしいと感じます。重森三玲の個展図録を眺めながら、自分の作品を振り返ってみたひと時でした。

4月の個展に向けて

先日「ギャラリーせいほう」に行って、来年4月2日(月)からの個展の確認を画廊主としてきました。2月初めの横浜市民ギャラリーに出す作品は現在進行中の「構築〜包囲〜」。4月に出す作品はここ数年で作った作品を選んで、改めて構成し直して発表しようと考えています。作品がもつコンセプトをはっきりと打ち出せる大作2点、小品10点くらいが妥当かなと思います。画廊もリニューアルして綺麗になりました。作品の選定は図録作成のために行う写真撮影にも影響します。現在作っている木彫作品と併行して選定を進めなければなりません。師走を前にして慌しい日々です。

木彫の荒彫りから仕上げへ

自作の「構築〜包囲〜」に組み合わせる柱30本の荒彫りが出来ました。さて、どこまでこの彫り跡を残すか、サクッとした感じが木彫の心地よさと思うので、ここが考えどころです。先日中島さんの個展に行って完璧に磨き上げられた石彫作品が脳裏に焼きついてしまっているので、自分は中島さんとは違う表現スタイルなんだと自分に言い聞かせながら作業をしています。どだい石と木は素材の持つ雰囲気が異なるので、木のもつ柔らかさやフワリとした感じが出るようにしようと思っています。自分の作品の多くは砂マチエールに油絵の具を染込ませていく要素を加えるので絵画性が出てきます。これが陶や木と出会って世界を創っていくので、これからは完成予想を立てながら、初めのイメージを思い描いて作業をしていくつもりです。

加藤正展によせて

昨日の中島さんの個展に続き、もう一人大学の先輩が銀座で個展をしています。加藤さんは中島さんや池田先生のような師匠としての存在ではなく、年齢も近いので、むしろ気が通じ合った先輩といったところでしょうか。自分のウィーン滞在中にやはり彼の地に住んで、工芸美大のフッター教室で学んでいました。加藤さんはエッチング技法を駆使した心象風景を得意としていて、とくに樹木の表現は秀逸しています。自分も何点か所望してコレクションに加えました。最近はますます磨きがかかり、ビュランのような緻密さが出てきました。かと思えば水流のようなカタチの定まらない表現に挑戦していて、この方向も表現を広げる有効な手段だと思います。立ち止まることのない意欲に見習うところが多い人です。

中島修展によせて

自分が4月に個展をした銀座の「ギャラリーせいほう」で、中島さんが個展を開催しています。自分が滞欧中にお世話になった中島さんは大学の先輩にあたり、当時彫刻の手ほどきをしてくださった池田宗弘先生と同期です。池田先生は真鍮を素材にした詩的な風景を作っている、いわば具象。一方中島さんは黒御影石や大理石を素材に鋭利で簡潔な幾何形体を作っている抽象作家です。この2人が自分にとって圧倒的な影響力をもっている対極の師匠です。久しぶりに中島さんのまとまった作品を見て、カタチが白い空間の中にスクっと立つ緊張感に感動してしまいました。ギャラリーが広く見える、空気が張り詰めている、でも妙に心地よい空間。自分の個展の時、池田先生は中島さんの作品が頭にあったからこそ、お前はもっとカタチを削ぎ落として空間を練り上げろ、と自分に言ったのではないかと思い起こしました。この命がけで常軌を逸した仕事をしている人を自分は乗り越えられるだろうか、静かに緻密な位相空間を鬼気迫るように創出する師匠の前で、身震いした一日でした。

陶壁の無作為を装う作為

風雨にさらされた土壁の美しさを昨日のブログに書きました。これが自分の造形要素として取り入れられないかを以前から考え始め、実際に陶板を使って自然がもたらせた風合いを出そうと苦心したことがあります。いかに嫌味なく自然に見せるか。あらかじめ風化した状態を作る試みです。すでに亡くなった人で有元利夫さんという画家がいます。油絵やテンペラを古く見せるため絵を描き終えた後、木枠から画布をはずし、もみくちゃにして絵の具を所々剥がして作品を完成させたそうです。陶で風化した状態を作って壁にしたら、剥がれ落ちた絵の具と同じ効果が得られるのではないかと思います。西洋絵画でも修復前は消えゆく美があって、表現された内容とは別の面白さがあります。もちろん修復しなければ名画は失われてしまうのですが。

土壁の表情

昨日の落ち葉のカタチに続いて、自然が作り出すもので注目してしまうのは壁です。本来壁は人が作ったものですが、雨にうたれ風にふかれるうちに崩れたり朽ち果てたりしていきます。その過程に大変美しく見える時があります。とくに土壁は剥がれ落ちた部分であったり、ヒビであったり、蔦が絡まったりして、人の手が及ばないところで美しい世界を見せてくれます。横浜ではなかなか見られない伝統的な土壁が、地方に行くとよく見られることがあるので、地方に行った時は必ず街をうろつくことにしています。とくに奈良の東大寺戒壇院に行く途中の土壁は何とも言えない美しさです。また、板塀も美しいものです。愛知県常滑の黒く塗られた板塀が、陶芸登り窯のレンガの煙突と絶妙なコントラストを作っていて、美しい風景のひとつだと思います。

落ち葉のカタチ

仕事に追われていると、なかなか周囲が見えず心に余裕が持てません。ましてや車で職場まで通勤しているとなおさらです。職場でもコンピュータに向かっていたりして、外の空気や光を感じることなく日々が過ぎてしまいます。このブログに20年以上も前に暮らしたウィーンのことや当時よく観ていたオペラのことなどをつい書いてしまうのは、今の状況に満足出来ず心がバランスを取ろうとしているのかもしれません。そんなことを考えながら車を止めた折、ふと足元を見たら落ち葉が所々にあって、そのカタチの美しさにハッとしました。褐色になった数十枚の落ち葉が駐車場に模様を描いていました。まさに場を創出するオブジェのようで、木々と風で出来た作品でした。

ジンギスカン料理

羊の肉は苦手です、と言うか苦手になってしまいました。かなり昔ウィーンの住宅を引き払った時に、エーゲ海沿岸に展開したギリシャ遺跡を見に3ヶ月余りトルコやギリシャを旅したことがあります。そのトルコで食傷するくらい羊肉を食べ、完全に辟易してしまったからです。臭いがするだけでジンギスカン料理は手が出なくなりました。ところが昨日能楽堂からの帰りになぜか和食ではなく、ジンギスカン料理を食べました。不思議なことに美味しく食べられました。トラウマは消えたのでしょうか。昨日は教え子と一緒で気兼ねが要らなかったおかげでしょうか。教え子の初々しい職場体験を聞いて自分も楽しかったので、羊肉なんて気にならなかったのかもしれません。食事の相手に感謝の夕べでした。

能楽堂でのワークショップ

オペラの話題が続いたので今日の午後体験したことを書きます。職場の近くに久良岐能舞台があります。もともとは東京芸大にあった能舞台をある人が譲り受け、さらに横浜市に寄贈されたものだそうで、舞台正面の松の絵は日本画家の平福百穂が描いたものです。大変情緒のある建物で、周囲は久良岐公園に続く庭園が作られ、紅葉した木々が素敵でした。今日は狂言のワークショップが行われ、普段では出来ない体験をしてきました。能や狂言と言うとなかなか取っ付き難く敬遠しがちでしたが、日本の文化としては誇れる美意識を持っていることを改めて認識しました。

シュナイダーシームセンの舞台

ギュンター.シュナイダーシームセンは様々なオペラの舞台デザインを手がけた人です。具象的な作風でしたが、スケールが大きく遠近法を巧みに用いた迫力ある舞台でした。カラヤン指揮による壮大なオペラにシュナイダーシームセンの舞台が度々使われていました。オペラを歌手や指揮者ではなく舞台美術として見ることも興味深い観賞方法だと思います。たとえば舞台美術の手法として、イタリアのベルデイやプッチーニは具象傾向が多く、ドイツのワーグナーは抽象傾向が多く見られました。シュナイダーシ−ムセンもR.シュトラウスの「サロメ」やワーグナーの「リング」などは抽象的な舞台を手がけていました。舞台美術家の中には完全に抽象に走る人がいて、オブジェを置いたり、照明だけで舞台を作ったりしていましたが、シュナイダーシームセンは古典的であっても観客が楽しめる舞台を常に心がけているように感じました。

オペラ盛況の中で

ウィーン国立歌劇場の立ち見席で何度もオペラを観るうち、歌唱の巧みさがわかってきました。観客は正直なもので、実力派歌手が出演するオペラは立ち見席の窓口に長い列ができました。歌劇場を一回り以上の長蛇の列が取り囲んでいる日もありました。ロシアのバレエ団が客演した時も凄い混雑で、人の頭の間からやっと見える程度で我慢せざるを得ませんでした。有名指揮者が振る時も盛況でした。カラヤンとかバーンスタインとか既に亡くなった巨匠たちですが、生前ウィーンに来てタクトを振る時がありました。もう必死になって聴きにいった思い出があります。今は昔のこととは思いますが、その時聴いた音楽は鮮烈に耳に残っているから不思議です。

ワイル「三文オペラ」

初冬の季節になると情緒豊かなウィーンの街並みが寒々と夕暮れていく情景が目に浮かびます。オペラが上演されるのは国立歌劇場ばかりではなく、フォルクスオパーやもっと小さな劇場でも雰囲気に応じた演目がかかります。「三文オペラ」は小さな劇場がとても合っていて、その情緒のある歌や曲の数々は珠玉のものばかりです。まさに夕暮れていく街並みそのものを表現しているようです。手回しオルガンの音色が何とも素敵で、見終わった後は口ずさみながらウィーンの下宿に帰ったことが思い出されます。

ムソルグスキー「ボリス.ゴドノフ」

まるでロシアのリアリズム絵画を見ているような舞台。群集の合唱に圧倒され、クレムリン宮殿の豪華な広間の隅々にもリアルを追求した大道具や小道具が置かれ、まさにロシアの歴史に遭遇しているような錯覚に陥ります。オペラ「ボリス.ゴドノフ」は長いオペラにも関わらず、民謡風な力強い旋律があったり、皇帝ボリスの心理描写があったりして、飽きることがありませんでした。スケールの大きなドラマをよくぞオペラにまとめたものだと思いました。まさに暗い色彩にあふれた写実の世界。この独特なオペラが大好きになって、それから何回もウィーン国立歌劇場の立ち見に通いました。立って見てるのはなかなかつらい長丁場でしたが、歴史のスペクタクルに引き込まれて思わず我を忘れて観ていました。

ビゼー「カルメン」

有名な曲が散りばめられた「カルメン」はオペラ入門としては最高のものだと思います。胸躍るシーンがあると思えば、切ない叙情的なシーンや怪しい人々の楽しく痛快なシーンもあって娯楽に徹した優れたオペラです。いつ観てもあっという間に劇が終わってしまいます。スペインの風土、人々の気性まで表現できています。ビゼーはフランス人なのでフランスオペラであることに変わりなく、それでもスペインを感じさせる雰囲気が凄いところです。自分は劇中で歌われる「ハバネラ」が大好きです。

オペラ初体験.Rシュトラウス

ウィーンで初めて観たオペラはR.シュトラウスの「エレクトラ」でした。下調べもせず、音楽留学生から立ち見席のことを聞いて、まず飛び込んだ劇場でやっていた演目が「エレクトラ」。真っ暗な舞台。登場人物も少なく、内容もよくわからず、旋律もおよそメロデイのつかめない短いオペラ。ただオケの響きはもの凄くドラマチックな要素だけは感じ取ることはできました。これはつらいと思ったので、しばらくオペラから遠のいてしまいました。次に人に誘われて出かけたのがベルデイやプッチーニのオペラでした。これは楽しくて、オペラとはこんなにいいものかと思い直しました。そんなことでオペラに慣れ親しんだ時に、再び「エレクトラ」を観たら今度は不思議な感動を覚えました。音響が新鮮でした。不協和音の何とも言えない心理を表した響き。やっと理解できる感覚を持ったのかなと思いつつ、初めてオペラを観た頃のことを思い出していました。

モーツアルト「魔笛」

音楽評論を読むとこの「魔笛」の筋書きには、当時モーツアルトが関わった秘密結社なる存在もあるのですが、そんなことを気にせずに観た「魔笛」は音楽や舞台装置、衣裳のデザインがとても楽しく、おそらく5年間のウィーン滞在生活のうち最も多く観たオペラだと思います。スターツオパー(国立歌劇場)の他にフォルクスオパーという歌劇場があって、「魔笛」は両方の演目に入っていました。出演者も演出も違っていたので観比べて楽しむことができました。パパゲーノの軽やかな姿や夜の女王のアリアが魅力的でした。いろいろ解釈が成り立つ内容ですが、ファンタジーのようでいて哲学的でもあり、娯楽と教義が音楽によって不思議な関係を保っているように感じていました。旋律の弾むようなコロコロとした心地よさ?にモーツアルトの凄さを体感していました。

作業場に来るゲスト

心理学でいう社会的促進で、時々誰かと一緒に場所を共有して制作するのは活性化していいものです。カフェや図書館で勉強すると集中力が上がる現象と同じです。周囲に人がいた方が、一人で何かをするより効率よく仕事ができるのです。自分の作業しているところにも時々ゲストがやってきます。毎週来ているのは美大で空間デザインを専攻している学生です。また時々姿をあらわす学生は情報デザインというIT関連の新しい分野を専攻しています。彼女たちはそれぞれ課題を携えてやってきます。流行の服をまとい、携帯をいじったり、イヤホンで音楽を聴きながら作業しているのですが、今も昔も変わらないのはテーマに対して苦しむ姿です。私自身も経験しているからこそ理解できる不可解な悩み。自分が何なのかまだ見つからない時期。彼女たちを見ていると私自身も当時に戻るようなちょっぴりシンドい気持ちにもなります。自分の制作の原点がこの時代から始まっていると言えます。自分を大切にしたいからこそ己を知って悩む貴重な時間です。頑張れ、美大生。

ウィーン国立歌劇場

ウィーンに住んでクラシック音楽に接しないのは愚の骨頂のような気がしてコンサートにはよく出かけました。幸い立ち見(というか立ち聴き)があって安い料金で一流の音楽が堪能出来ました。爪に火をともす生活をしている留学生には随分助かりました。ウィーンの旧市街を囲む城壁の跡に環状道路が作られ、そのリング(環状道路)に沿ってスターツオパー(国立歌劇場)がありました。美術アカデミーから近く、また目抜き通りであるケルントナー通りがあったため、まさにそこが繁華街でした。スターツオパーはパルテレ(1階)、バルコン(中階)、ガラリエ(最上階)に立ち見があって、夕方から立ち見専用の入り口に並び、開場と同時に走っていき、立ち見席の柵に自分のハンカチを縛りつけ、開演まで外で食事を取ったりして過ごしました。当時は毎晩のように出かけていたので、一端の音楽評論家の如くオペラについて話が出来るほどでした。

クラシック音楽の都

美術的興味からウィーンに暮らし始めたのですが、ここが世界的に有名な音楽の都であることはよく知っていました。美術留学生は一握り、ところが音楽留学生は音大に行くと、ここは日本じゃないかと思えるほどたくさんいました。観光ガイドをアルバイトでやっていたことがあるので、ブルグガルテンのモーツアルト像やらシュタットパルクのシュトラウス像、中央墓地に眠る大音楽家たちのところへよく観光客を連れて行きました。大晦日近くなると日本の旅行社からの依頼でムジークフェアラインの座席取得にホール横に何時間も並んだものです。クラシック音楽とはこんなにいいものかと日本から来た観光客を横目で見ながら、自分は立ち見でコンサート会場に行きました。音の響きがいかに美しいかを知るのにはたいして時間はかかりませんでした。日本から来たばかりの頃はよくわからなかったのですが、何度か聴くうち、音に心が吸い込まれていく錯覚に陥りました。これが音楽なのかと改めて知った次第です。

クラシック音楽との出会い

音楽家の家系か、親が特別な趣味を持っていない限り、クラシック音楽が身近にあることはありません。職人家庭に育った私は歌謡曲や浪花節の方が身近でした。妹が音大に進んだのですが、それでもクラシック音楽を身近に感じたことはありません。小学校で習う唱歌、または中学校で音楽観賞の時間に聴く音楽がクラシック音楽との出会いになるのでしょうか。でもそれは音楽を楽しむうちに入っていないような聴き方でした。その頃に音楽的な習い事でもしていれば、もっと違うクラシックを味わったのでしょうが、せいぜい音楽の教科書に載っていたベートーベンのポートレートに落書きをした程度の思い出しかありません。実際に心からクラシック音楽に出会ったのは海外、つまり住み始めたウィーンでのことでした。

ピュアな朝の時間

昨日、制作のバイオリズムについてのブログを書き終えた時、ふと新聞に目がとまりました。「朝型のヒト増加中」(朝日新聞)という記事です。「朝が注目されている(略)朝をどのように過ごすか(略)成熟社会の一個人にとって大きな関心事(略)家族が起きる前が唯一の自由時間(略)朝を一日がスタートさせるための神聖でピュアな時間ととらえる人が増えてきた」と記事を追ううちにだんだん嬉しくなってきました。自分も数日前から職場に早く行って、仕事が始まる前に仕事場に入り、制作をしているのです。6時に起床し、6時半に家を出ると7時には職場に到着。それから8時までの1時間がピュアな時間帯です。木と対話しながら彫る行為は、まさに神聖な時間だと思います。8時半に仕事が始まるので残り30分で身支度を整え(ネクタイ等)打ち合わせに向かいます。これが日課になりつつあります。