P・ブリューゲルの世界

みやこうせいさんの写真を久しぶりに見て、ウィーン美術史美術館にあったP・ブリューゲルの絵画世界が現存しているかのような印象を持ちました。自分もかつてみやさんと一緒にそこにいたのですが、現在生活している日本社会とは遥かに離れたヨーロッパの風俗や文化を感じずにはいられません。過去自分は素晴らしい色彩に囲まれた世界で人々と交わり、土地の馳走でもてなされたのが信じられなくなっています。P・ブリューゲルの色彩は何ともいえない渋みが合わさり、全体としては鮮やかな印象を受けますが、ルーマニアの村々もそんな色彩が生きているのです。かつてはヨーロッパ全体でこんな農耕世界が存在し、いずれ戦さのために壁が作られ、教会・寺院を中心とする町が築かれたのかと雑駁な歴史を考えてしまいます。P・ブリューゲルについては後日ブログにしたいと思いますが、そんな絵画のような世界が、写真という媒体を通して今も存在することが証明されて、嬉しく思っています。

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