ウィーン幻想派との関わり

ウィーン美術アカデミーに学んでいた当時、同校にハウズナー教室とレームデン教室があって、とくにハウズナー教室には毎年のように邦人画家が聴講生としてやってきて制作をしていました。もうかれこれ30年も前になるのでしょうか、東京のデパートにある美術館でウィーン幻想派の絵画展があって、話題になったことがありました。自分は当時そうした絵画に興味はなく観に行ってはいませんでした。幻想派に注目するようになったのはウィーンに来てからでしたが、ウィーン行きが決まった時に、大学の図書館に行って幻想派の画家のことを調べました。古典的傾向をもつ具象絵画で、宗教的な神話であったり、自画像を分解して自分の生い立ちを封じ込めてみたり、戯画のようであったりして、その装飾性に何か特徴があるような気がしました。日本の空気の中ではなかなか理解できなかったものが、ウィーンの空気を吸うことで理解できたように思いました。

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