「中空の彫刻」再読開始

昨日まで集中して「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)を読んでいました。本書は私が現職のうちに、職場の私の部屋でなければ読み解くことができないと思っていたのでした。職場の私の部屋は、職員が打合せを行う場所からやや隔離されたところにあって、哲学系の書籍を読み込むのには静かで相応しい場所でした。今日から「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の読書を再開しました。以前までに「第一部 19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」を読み終えていたので、今回から「第二部 ゴーギャンの立体作品」に入ります。今日は「第1章 初期の彫刻(1877~1885)」のうちの「1 彫刻との出会い」をまとめます。「フランスの彫刻界の伝統においては、美術学校で奨励されていたように、彫刻家は粘土や蝋で原型のみを作り、石の彫り出しやブロンズの鋳造はそれぞれの技術者に委託するのが慣習であり、国立美術学校に彫りの実践の授業が開設されるのは1883年を待たなければならなかったことを思い起こしておきたい。こうした動きとともに、ブイヨのように、下彫り工から彫刻家に『昇進』する者も増えていた。このような状況も、大芸術と小芸術の間のヒエラルキーが緩和されたことを反映していると考えられる。当然ゴーギャンの意識の中にはこのような区別はなく、それ故に生活苦に晒され始める1885年、ブイヨに『下彫り工』の仕事を求めたりしたのである。」ゴーギャンの彫刻家としての出発は、ジュール・ブイヨの影響なくして成り立たなかったことが分かります。またもう一人のジャン=ポール・オーベの陶磁器装飾技術に負うところも多かったように思います。「オーベの装飾芸術に対する感性は、それを刷新しようとする彼に意欲とともに、やはりこの分野に鋭敏な感性をもっていたゴーギャンに大きな刻印を残したに違いない。」ゴーギャンが彫刻家として歩む契機になった2人の芸術家。今後が楽しみになる展開ですが、彫刻の概念が近代から現代に移っていく時代背景もあって、本書は私にとっては面白くなりそうな内容になっています。

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