映画「ビューティフル・ディ」雑感

自分の個展準備に追われていたことで鑑賞に飢えていた私は、個展を終えた後、何か強烈な表現が味わいたくなって、常連にしている横浜のミニシアターに向かいました。イギリス映画「ビューティフル・ディ」は、そんな自分の気分に充分応えてくれる内容でした。主人公ジョーは行方不明者の捜索を請け負うプロで、人身売買された少女たちを救ってきました。その報酬で年老いた母親と質素に暮らしていましたが、時折フラッシュ映像でジョーの記憶が甦ります。父親からの虐待や、海兵隊員として派遣された戦場、壮絶な犯罪現場などがトラウマとなり、彼は常に死に取り憑かれているのでした。州上院議員の十代の娘の救出依頼を受けたジョーは、鮮やかに建物内部に潜入し、少女ニーナを救い出しますが、彼女はあらゆる感情が欠落していたのでした。また娘を返すため父親の議員に会う筈が、彼は投身自殺をしてしまったことを報道で知りました。その後、すぐに彼は警官に襲われて、ニーナは連れ去られます。依頼人も殺されていました。何の罪のないジョーの母親さえ殺されていて、彼は大きな犯罪に巻き込まれているのを知るのでした。ニーナは父親が出世のために州知事に貢がせたことが事実として分かってきました。ニーナをもう一度救い出すために、ジョーは州知事の屋敷に潜入しましたが、そこに至るまでに、ジョーが母親の遺体を湖に沈める場面があり、自らも入水自殺するつもりでいたのでした。しかし湖底へ沈む最中に、ニーナの幻影を見たジョーは死の淵から引き返してきました。身寄りのなくなったジョーとニーナ。この世の地獄から生還したような明るい場面でさえ、ジョーは自殺願望に翻弄されながら佇むカフェで、ニーナが言い放ちます。「今日はビューティフル・ディ」。これが映画のストーリーですが、原題は「You Were Never Really Here」(お前はまったく存在していなかった)。本作はあらゆる場面で強烈な印象を残す映画で、カンヌ映画祭で主演男優賞と脚本賞に輝いたのも頷けるなぁと思いました。

「夏休み」気分になって…

今年の個展が終わり、私の気分としては「夏休み」になりつつあります。「夏休み」というのはとても響きの良いコトバだなぁと思っています。小学校、中学校、高校と夏休みを経験し、私もそれぞれ思い出を残してきています。大学はアルバイトに明け暮れたので、汗水流して働いた思い出しかありませんが、それはそれで楽しかったと振り返っています。社会人になると、学生時代のようにまとまった夏休みは取れません。夏季休暇5日間が定番ですが、年休を使えばもう少し長く休むことは可能です。政府の提唱する「働き方改革」によって、私の職場でも長い休暇が取れるような配慮をしています。私はこのところ夏になるとアジアへ旅行していましたが、今年は海外には行きません。カンボジア、タイ、インドネシア、台湾と続いた海外旅行も今年は国内旅行に切り替えました。今日は通常の出勤日でしたが、夏休み気分を導入するために勤務が終わった後、横浜のミニシアターに映画を観に行きました。イギリス映画「ビューティフル・ディ」は、カンヌ映画祭で主演男優賞、脚本賞の2冠を達成した映画で、殺しも厭わない冷徹な人捜しのプロが主人公でした。売春組織に拉致された少女ニーナの救出劇が発端となり、裏社会に立ち向かっていく孤独な主人公をホアキン・フェニックスが熱演していました。詳しい感想は後日改めます。夏休み気分は、まず鑑賞からと私は思っていて、今日はそれに相応しい一日になりました。

週末 工房の整理

昨日、個展の作品が工房に搬出されてきました。作品を梱包した木箱は、かなりの場所を占めていて、工房の制作スペースにせり出て来ました。先週、その場所を確保するために資料棚を2台移動しましたが、その資料棚の整理をまだしていなかったので、今日行いました。実は個展の後だったので、私はかなり疲れていて、今日は休むべきだったかなぁとも思いましたが、若いスタッフが大学の課題をやりに工房に来ていて、彼女に合わせて私も頑張ってしまいました。朝10時から夕方3時くらいまで蒸し暑い工房にいました。新作は床面の下書きが出来ていて、陶彫部品のひとつでも成形しておこうと思っているのですが、なかなか新作へ取り組めずにいました。何となくヤル気が出なかったのは疲労のせいかもしれません。それにしても工房内の温度は何もしていないのに汗が滴る按配でした。若いスタッフは大丈夫かなぁと時々声をかけました。彼女に言わせれば、エアコンの効いている自宅の部屋よりも、条件の悪い工房の方が集中力が高まるそうです。確かに工房は作業をやるしかない環境なので、気温はどうであれ、集中して課題に取り組むことが出来るのだろうと思います。今日は少し作業をやって小休憩して、再び作業をやる繰り返しでした。新作は来週末から始めようと思っています。

週末 個展最終日&搬出

今日は画廊開館の午前11時から、ギャラリーせいほうにいました。今年の個展最終日となった今日は多くの方々に来廊していただきました。職場関係の方々や家内の演奏家仲間、美術系の出版社、他の画廊のオーナー、友人の版画家や陶芸家など、来ていただいた方は多方面にわたっていました。連日の猛暑のなか、本当に有難うござました。また、個展開催中のウィークディは私が職場に出勤していたため、お会いできなかった方も多くいました。わざわざ東京銀座まで来ていただいたのに大変失礼致しました。深くお詫び申し上げます。大作となった「発掘~根景~」にはさまざまなご意見ご感想をいただきました。手紙をいただいた文筆家もいました。追々紹介していきたいと思います。画廊閉館間近になって、搬出のために若いスタッフが集まって来ました。後輩の彫刻家や美大の助手、美大生など7名、それに運送業者2名を加えて、夕方6時半より作品の解体と梱包を始めました。私の作品は私一人ではどうにもならない集合彫刻です。相原工房に出入りしているアーティストに手伝ってもらわないと組み立ても解体も出来ないのです。梱包用木箱に詰めたり、テーブルや柱をビニールシートで覆ったり、とにかく人の手がかかります。解体を始めて1時間半、東京銀座を出発して横浜の工房までの移動が1時間くらい、夜9時には工房に作品を完全に収納することが出来ました。内心ホッとしました。今年も個展を無事に終えることが出来たことへの安堵でした。手伝ってくれた多くの方々と夕食をともにしました。また、来年も引き続き個展開催予定です。来年は14回目の個展になります。既に新作の取り組みは始まっています。明日から頭を切り替えていきます。

「能動的認識行為の現象学」②

「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)の第一章「能動的認識行為の現象学」では、「明証」についての考察があります。フッサールは「明証」に指標を与えることを批判しています。論理としては昨日の続きとなりますが、「何をもって明証とするのか、また、その構造や権限、機能をどうとらえるかについてはさまざまな可能性があり、フッサール自身の考えにも時期による変化がある。」と述べられていて、フッサールの大著「イデーン」の中で、明証の指標説を批判する理論を展開しています。「『イデーン』においてフッサールが批判するのは明証の『指標説』だ。指標説とは、明証的所与を真理の反映とみなし、明証を真理の『基準』とみなす考え方である。~略~フッサールによると指標説は誤りである。第一に、明証的所与が前後の体験と独立に成立することはありえない。第二に、何かが明証的に与えられたからといって、それが最終決定的に真となるわけではない。」とありました。次に、フッサールの著した「論理学研究」から引用された「意味志向(意義付与作用)と「意味充実(意義充実作用)という語彙を用いて「直観」についての説明がありました。「単に対象が与えられるだけではなく、意味志向が描いていたのと同じ仕方でそのものが与えられ、意味志向が『充実』されるのが『直観』である。~略~直観は決して、単純に何かを『見ること』『受け入れること』ではない。命題形式や論理形式にしたがう思考を『論理的思考』というが、直観は通常、論理的思考と対比され、論理的思考が複雑な構造をもつのに対して、直観は単純なものとされる。~略~ところがフッサールの考えでは、直観的に与えられるもの(充実する意味)と非直観的表象(志向された意味)は、内容や構成に関しては同一で、違うのは与えられ方だけだ。」とありました。そこにモノがあるという認識について「明証」や「直観」について考察を進めていくフッサールの現象学では、聞き慣れない語彙が多用されていますが、よくよく読み解けば、私たちが日頃知覚しているあらゆることに目を向けて、その存在を疑い、そこに真理を見ようとしていることが分かります。今日はここまでにしたいと思います。

「能動的認識行為の現象学」①

「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)は第一章から第十二章からなる論文で、どこを捲っても難解な表現が目につきます。本書が下敷きにしているはユダヤ系オーストリア人のエトムント・フッサールの思索です。フッサールは初め数学の研究者であったのが、そののち現象学を提唱することになった哲学者で、「存在と時間」の大著で知られるハイデガーは、大学でフッサールの助手を務めていたようです。ハイデガーとは学問の方向性の相違から、その後袂を分かつことになるのですが、自分が退官した大学にハイデガーを推薦する等、フッサールはなかなかの人徳者だったのかなぁと想像しています。そのフッサールの現代的解釈を著した本書は、現象学の考え方を知る上で有意義な箇所が散見されます。比較的分かり易い箇所を引用いたします。「同じひとつのモノであっても、見る者の立ち位置や照明の加減、障害物の有無などによって見え方、眺望が異なるという、こうした現象をパースペクティブ(眺望)現象とよぶ。フッサールは、同一のものがさまざまに現れるその仕方を『現出』『射映』とよんだ。~略~モノを直接観察して現れと比べることはできなくても、『決定的証拠』があればいいという考えもありうる。あるいは逆に、われわれには『現れ』しか見えないのだから、それ以上のなにかを想定する必要はないという考え方もありうる。それに対して、フッサールがとったやり方は、多様な現れが構造化される仕方を分析することだった。~略~だがそうはいっても、多様な現れが構造化されるとは具体的にいかなることなのだろう。実在実験において決定的な役割を果たす現れをフッサールは『明証』とよぶ。」今日はここまでにしたいと思います。次は明証の相対性について書いていきます。

長寿の芸術家2人を惜しむ

今朝、職場に届いていた新聞によって、版画家・彫刻家の浜田知明氏と石彫家の流政之氏が亡くなったことを知りました。お会いしたことはなかったのですが、2人とも展覧会があれば必ず見に行っていた注目の芸術家でした。浜田知明氏は100歳で他界されたようですが、戦争を題材にした銅版画の連作で知られた人でした。社会風刺や不条理を描くことで象徴化されたきわどい世界観をもち、版画に留まらず、その表現を彫刻にも広げていました。暗いテーマでありながら、どこかユーモラスで、罪を罰しても、人間そのものの生きる力を肯定的に描いていたように感じています。この作家は人間が好きなんだなぁと自分が勝手に思っていたのは、あながち間違いではなかったような気がしています。流政之氏は95歳で他界されました。香川県庵治にあるナガレスタジオに行ってみたいと思いつつ、解放していない個人工房に押し掛けることは失礼だろうと遠慮しました。流政之氏は各地にモニュメントを残した憧れの彫刻家でしたが、石彫の手が切れるような緊張したフォルムに魅力を感じてもいました。流という姓もサムライという海外で命名されたアダナも、どこまでもカッコ良すぎる人だったなぁと思っています。生前お会いしたかった彫刻家の一人でした。浜田知明氏と流政之氏のご冥福をお祈りいたします。

現象学とは何か?

先日から現象学に関する書籍を読み始めています。そもそも現象学とは何を対象にした学問なのでしょうか。「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)によれば「伝統的哲学用語で言えば、現象学であつかうのは『認識論』と『存在論』だ。認識論は、われわれが見たり考えたりしたことが錯覚や思い込みではなく、認識もしくは正しい知識の名に値するのはいかにしてかという問題をあつかい、存在論は、何かがそこに〈ある〉とはいかなることかを問題にする。」とありました。目の前に存在するモノがどんな見え方をし、その「現れ」に対し、構造的な「明証」を考えていくのが、些か短絡的ではあるけれども、現象学の学問としての存在理由だろうと思いました。彫刻家ジャコメッティがモデルに対し、自分の視線から垂直に測る奥行を表現しようとして、対象が針金のように細くなっていったことを、モデルを務めた日本人哲学者が書き残した書籍より知ることが出来ました。モデルの「現れ」に対し、ジャコメッティなりの解釈を行った結果が作品として現存していますが、芸術と異なり、学問は経験として見える表層ではなく、経験に内属した視点によって、モノの構造を分析し、実在を解明するもので、その思考は空間をテーマにする自分にとって大変有益だろうと思っています。ただし、久しぶりに接する哲学書に、私は再度慣れなければ先を読み進めることが出来ず、通常の生活用語とは違う語彙の解釈に、ちょっと面食らっています。あぁ、これが哲学だなぁと思いつつ、現象学の大家フッサールにいつになったら辿り着けるのだろうと、険しい岸壁をもつ大きな山を見上げているところです。

2018個展のオープニング

創作活動1年間の総まとめになる個展が今日から始まりました。東京銀座8丁目にあるギャラリーせいほうの田中さんとも長いつき合いになりました。ギャラリーせいほうは、私がまだ学生だった頃、師匠の池田宗弘先生の個展を手伝っていた時に初めてお邪魔した画廊で、当時は展示スペースが2つに分かれていました。現在は大きなスペースがひとつあるだけのシンプルな間取りになっています。今年発表した「発掘~根景~」は今までになく大きな空間を使う作品ですが、ギャラリーせいほうに持ってくると、すんなり収まってしまうのです。そのくらいギャラリーせいほうは広い展示空間を持っています。今日は朝11時の開廊とともに私はギャラリーにやってきましたが、来客第一号は相原工房の周囲の植木を管理してくれている親戚の人でした。次に姪一家がやってきました。横浜市の管理職仲間や前の職場の同僚、大学時代同期の彫刻家、毎回来ていただいている美術評論家瀧悌三氏、ウィーン時代からの画家で友人のサイトユフジ氏、行政の方やパテシエ、多摩美大の助手2人などさまざまな人に来廊していただき、心より感謝申し上げます。今日は酷暑で外に出るだけで大変な日だったにも関わらず、わざわざ足を運んでいただいて本当に有難うございました。懇意にしているカメラマン2人による撮影も行いました。初日にしては有意義な時間を過ごせたと私は感じています。個展開催の目的は、作品を展示販売するだけではなく、現在から過去に遡って、多くの人たちと旧交を温める絶好の機会ではないかと思っています。改まって会うことは出来ないにしても、個展会場なら気楽に再会出来るのです。今日は濃密な時間を過ごすことが出来て、初日にして心が充足しました。

週末 13回目の個展搬入と展示

東京銀座のギャラリーせいほうでの個展も今年で13回目になります。作品は常に新作なので、13回も個展をやっていても慣れることはありません。集合彫刻なので組み立てが上手くいくかどうか、展示作業が始まっても不安は抜けません。大きなテーブルが組立てられて、ようやく不安が減っていきます。今日は朝8時半に運搬業者が工房にやってきました。実際にトラックに乗っていく人は2人なのに、さらに2人が積み込みの手伝いに来ていました。こちらのスタッフは私を含めて6人でした。トラックを運転する2人と工房スタッフ6人の総勢8人で、ギャラリーせいほうにやってきました。到着した時間は午前10時。木箱から陶彫部品を全て取り出し、木箱を初め梱包材は業者の倉庫に預かってもらうことにしているのです。懇意にしている業者なので便宜を図ってくれるのです。スタッフ6人で大きなテーブルの組み立てから始めましたが、さっそく困難な問題に直面し、仕切り直しを考えました。スタッフの一人の機転でその問題は何とか解決し、その後は比較的にスムーズに運びました。途中でスタッフを連れて昼食に出かけました。例年使っているのは銀座ライオンです。新しいレストランが増える中で、銀座ライオンの古色蒼然とした店内の雰囲気と、昔からの味を守っている姿勢が大好きで、私はそこで定番のステーキを頬張るのです。若いスタッフたちも満足しているようで、この会食があって、やっと今年の個展が始まる実感がしてくるのです。展示準備は午後3時前に終えることが出来ました。頑張ってくれたスタッフに感謝です。スタッフの力があってこそ、可能になる展示だなぁと改めて思っています。仕上げの照明までスタッフ任せにしている私ですが、スタッフは全員が若いアーティストたちなので、自ら考えて動くことが定着しています。そんな助けがあって毎年実現できている個展です。明日は13回目のオープニング。私は朝からずっと個展会場にいる予定です。

週末 個展搬入前の準備

今日は酷暑でした。朝早く工房に行ったところ、既に気温は高くなっていて、作業の時間をどうしようか決めかねていました。今日やるべきことをやったら引き上げようと思いました。今日やるべきことは、個展終了時に返却されてくる作品をどこに置くべきか、その場所を確保することでした。先週からその場所を決めていて、今日は資料棚2台の移動と、過去の個展で作った図録の余り分の置き場所を決めることでした。過去の図録はロフトに上げることにしました。ダンボール数個に詰めてロフトに上がると、そこの気温は体温以上ではないかと思われるくらい熱気を孕んでいました。そこでダンボールの整理をすることは無理だなぁと判断して、ロフトの床の上に置くだけにしました。ロフトも荷物が増えて、結構狭くなってきていて身動きが取れない状態です。ロフトの整理は気候が涼しくなってきたらやろうと決めました。資料棚は工房の制作スペースに運びました。スチール棚にキャスターをつけていたので、比較的にスムーズに運べました。移動をし易くするために棚から資料を取り出して作業台に一時的に置きました。これを棚に戻すのは別日にしようと思います。先週はその場所に板材が捨ててあって、ジグゾーで小さく切断し、ゴミとして地域のゴミ集積所に運びました。今日は資料棚と過去の図録を移動して、そこに大きな空間を確保しました。これで搬出後の作品収納は何とかなりそうです。汗が噴出していてシャツを3枚替えました。汗が出ると身体は動き易くなり、水分を多めに取っているので熱中症を防ぐことは出来ますが、汗で身体が消耗して疲労が溜まります。明日の搬入本番に備えて、早めに引き上げることにしました。工房を出たのは午後3時。朝8時から作業しているので、結局いつも通り7時間は工房にいたことになりました。明日のことが気がかりなのか、大した疲労感も無く、夕方は自宅でゆっくり過ごしました。明日の搬入と展示が自分にとって、1年間の総まとめになるのです。楽しむ気持ちになれればいいのですが、毎年複雑な思いが交差しています。

「経験の構造」を読み始める

「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)を読み始めました。現象学の存在を知ったのは最近のことで、ハイデガーの大著「存在と時間」を読んでいた時に、登場してきた哲学のひとつが現象学でした。本書の前書きに現象学とは「モノとヒトの隙間に、ひとが思うよりはるかに精緻に分節化された空間があり、活動主体を巻き込む力が働いていることを示す。」とありました。また、「現象学の手法を正しく用いることによって身体やアート、政治などの問題に関して重大な洞察がえられる。」ともありました。この中に出てくるアートという語彙に敏感に反応してしまった私ですが、現象学にアートとの関係性を見取るのは、あながち間違いではなさそうです。私は何の準備もなく、いきなり大著に挑んでしまう悪癖が、若い頃からあり、挫折を繰り返してきました。ニーチェ然り、ハイデガー然り。この歳になると、大著を読んでいる途中で放棄しそうになる前に、平易な解説書を手に取り、そこから気持ちを持ちなおすことにしています。昔のように簡単に玉砕しないぞと思っているからです。それならば初めから手引きのような書籍を読んでみようと思った次第ですが、本書は決して平易ではなく、フッサールの思索を解釈する上で、かなり重厚な論理を展開しているような塩梅です。でも、面白そうです。フッサールの本陣に辿り着く前に、ここから攻めてみるのも良いかもしれません。果たして通勤の友として軽い気持ちで読めるかどうか、微妙なところですが…。

「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」読後感

「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」(新見隆著 武蔵野美術大学出版局)を読み終えました。イサム・ノグチはNOTE(ブログ)に度々登場する私の大好きな巨匠です。本書で取り上げられている香川県牟礼にあるイサム・ノグチ庭園美術館全体を俯瞰した記述や、東京青山の草月会館にある石舞台のような空間作品「天国」の考察は、何となく私が感じていることに確かな輪郭を与えてくれました。北海道のモエレ沼公園や米ニューヨークのノグチ財団の美術館に私はまだ行ったことがなく、想像で補うしかありませんが、それでもノグチ・ワールドの雰囲気は伝わってきました。ノグチの分野横断的な仕事を本書では次のように述べています。「抜群に造形力のある天才だから、さまざまなジャンルに、あれだけ跳梁跋扈した。何でもかでも、ノグチ流にねじ伏せてしまう。自家薬籠中ものに、さらりとしてしまう。苦労の手垢さえ、見せない。その人が、さらに手に入れたかたちにこだわらず、次に進むのに、拘泥せずに捨てようとするのだから、またすごい。行為を自然に投げ返す作業はつねにノグチの胸中にあった、礎だった。晩年の石彫を、『時間』の造形であると解釈する人は多いし、それに賛同する者でもあるのだが、自然とのキャッチボールという感触が私には強い。もっと簡単に、ノグチは、ひとつところにとどまること、流れや動きの停滞を、徹底的に嫌った。生涯においても、ものづくりにおいても。風こそが、ノグチの生涯と作品の、豊かな謎を解く鍵だ。そう、近頃とみに感じられる。」イサム・ノグチの作品は何とも言えない色艶があり、風のような爽やかさを感じさせ、しかも孤独です。そんな私が予てから持っていた印象に、本書は豊かな裏づけをしてくれました。

図録が届いた日

今年の個展用の図録が届きました。今年13回目の個展のため、図録も13冊目になります。私は東京銀座のギャラリーせいほうで49歳の時から個展をやらせていただいているので、あれから13年が経ち、現在62歳になりました。よくもまぁ、この歳まで大病もせず、個展を継続できたなぁと思うと同時に、目標とするところは切りのいい20回目かなぁと思っています。創作活動は人生の幕引きまでやりたいのが私の願望です。贅沢な図録を毎回作る理由は、幾度となくNOTE(ブログ)に書いていますが、私の作品が集合彫刻なので、個展開催中しか作品の全貌が見せられないためです。個展が終われば分解して収納してしまうので、図録の画像だけが作品を示せる唯一の方法なのです。写真に収めておくことは、自作が面倒な彫刻形態である以上、絶対に必要なことです。もうひとつ、図録は写真のもつ光陰の美しさが表れてきます。野外で撮影するのも外光が降り注ぐ効果を最大限に生かしたいからです。彫刻は野外に置くことで、彫刻の彫刻たる存在が示せるものだと私は考えています。ただし、恒久的に野外に置くことは木彫には不向きです。そこで少なくても図録撮影の時だけは野外に置いて、彫刻の存在を確かめてみたいのです。図録も出来上がり、後は本番の搬入を待つばかり。いよいよ個展が迫ってきました。

「抽象的なフォルム」について

現在、職場で時折読んでいる「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)は、フランスの著名な現象学者がカンディンスキーの抽象絵画理論考察を試みた著作です。本書は決して平易な文章ではなく、私がこれから挑もうとしている現象学とは何かという伏線にもなっていて、少しずつ考察を読み解きながら、カンディンスキーが提唱した「目に見えないもの」が絶対的主観性の内在性からくるもので、そこに抽象的なフォルムに辿り着く行程が、浮き彫りにされているのに気づきます。今日の表題になっている「抽象的なフォルムー要素の理論」から引用すると、「『点・線・面』の冒頭で、カンディンスキーは、分析とは『芸術を解剖する』ことを意図した分析であると見なし死の同義語であるとするような主張に反駁を行っている。こうした分析は逆に生を意味するのであり、そのことは、分析とは(このことばにフッサールが与えた現象学的な意味で)、ものの本質に、目下の場合は純粋な絵画的要素にわれわれを連れ戻す本質的な分析であるということから来ている。ところで、絵画的要素の本質とは、まさしく抽象的内容、この要素が表現したいと思っている目に見えない生なのである。」とありました。また、「あらゆる絵画の内容が抽象ということばの表わす根本的な内在性であるとき、内部で絵画の内容の表現がなされるフォルムそれ自体がこうした意味で抽象的であるとき、生がおのれの〈住まい〉である〈目に見えないもの〉の次元でそのエッセンスを惜しみなく与えていなかったとすれば、いかなる絵画一般、いかなる芸術一般もあり得ないだろう。」と述べられていました。写実絵画であろうと抽象絵画であろうと、あらゆる絵画は抽象的フォルムに包摂されるというのが、著者の主張なのだろうと思います。

疲労気味の週明け

昨日は工房内の作品保管場所として、木っ端が積んであった場所を整理するため、朝から夕方まで木っ端をジグゾーで切り刻んでいました。ゴミ袋にして10袋以上が出来上がり、地域のゴミ集積場に持っていきました。保管場所ではまだまだやるべきことがありますが、昨日は木材の切断で一日が終わってしまいました。こういう時にこそ必要なスタッフが来て欲しかったのですが、自分一人でコツコツと地道に木っ端の処理をしていました。そのせいか今朝から筋肉痛がしています。とくに足腰に痛みがあるのが気がかりです。ウィークディの仕事はデスクワークが多いので、身体は少しずつ回復に向かうのではないかと思います。二足の草鞋生活では、ウィークディの仕事は神経を使い、週末の仕事は身体を使うので、不思議なバランスがあって助かっているところです。疲労がなかなか抜けないのは加齢のせいかもしれませんが、一日を完全にオフに出来ない辛さは結構応えます。幸いこの時期は職場としての大きなプロジェクトがなく、落ち着いた1週間になるだろうと予想しています。私の職場環境は常に危機管理と隣り合わせですが、今週くらいは平穏に過ごしたいと願っています。

週末 作品保管場所の確保

今月の個展が終了したら、現在搬入を待っている現行作品が戻ってきます。売れるかもしれないと淡い期待もあるのですが、大きな彫刻が売れることは滅多になく、そのまま梱包用木箱に入って手元に返ってくると考えた方がよさそうです。今日は昨日と同じように新作の床に接する陶彫部品の下書きをやっていました。その下書きを全て決定したところで、搬出された場合の作品置き場を考えました。相原工房の半分は作品収納庫になっていますが、そろそろ保管場所がなくなってきていて、現行作品をどこに置こうか考えていかなければなりません。軽い木彫の柱やテーブルはロフトに上げようかとも思っています。梱包用木箱は重量があるので、1階に置かざるを得ないのですが、さて、梱包用木箱27個分の場所が取れるかどうか難しいところです。板材や柱材の木っ端が捨ててある場所があり、そこを整理することにしました。木っ端をジグゾーで小さく切り刻んで、ごみ用のビニール袋に入れ、完全に処分することにしました。木っ端は何かに使えるかもしれないと思って取っておいたのですが、保管場所の確保のためには仕方ないと判断しました。そこにあったその他の荷物はロフトに上げようと思っています。そこにはまた制作に必要な資料書棚がありますが、これも移動しようと思っています。そうすれば保管場所の確保は可能です。今日は木っ端の切断で一日が終わってしまいました。昼ごろには運送業者を呼んで、搬入の打ち合わせをしました。夕方には職場近くで地域行事があったため、昨日に引き続いて出勤しました。あとは搬入前の土曜日が残された整理の時間です。頑張りたいと思います。

週末 併行して新作開始

7月の個展用の梱包が完了し、来年の新作に向けて第一歩を踏み出しました。7月の個展準備のために、まだやるべき仕事があるにも関わらず、今日から新作に取り掛かることにしました。モチベーションを保つためには新しい創作活動を組み込んでいかなければならないと判断したためです。新作は「発掘~根景~」の発展形です。もうテーブルは作りませんが、山々が連なるイメージがあるのです。今日のところは床に置かれる陶彫部分の全体図のうち半分を決めました。新作に取り掛かったことで気分は高揚しましたが、何せ土曜日はウィークディの疲れが残っていて、身体が思うように動かず、少し作業をしてはちょいちょい休憩を取っていました。亡父の植木畑を管理してくれている遠縁にあたる人が、工房周辺の草刈りをしていました。今年は気温が高くなるのが早かったため草が伸び過ぎて、工房への小道を塞いでいたのでした。今週末は職場での地域行事に参加するため、夕方になって職場に出勤しました。仕事中も新作のことが頭から離れない状態になってしまいました。早く新作に取り掛かりたくて仕方がなかったのが正直な思いで、実際に陶彫成形に入るのは個展終了後になりそうです。次から次へとイメージが湧いてくるのは有り難いと実感しています。

草月プラザの「天国」

「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」(新見隆著 武蔵野美術大学出版局)の中に、草月プラザに設置された場の彫刻とも言うべき「天国」の解説がありました。「青山、草月会館のロビーのデザインである『天国』は、出発点が、逆にあからさまな意味で花を生けるための舞台装置でありながら、終着点として、時間の庭を実現し得た、ノグチの傑作として数えられるものだ。~略~逆に造形的な機能という意味で言えば、いくつかの花を生ける可能性をじゅうぶんに残した、建物の二辺に寄せた、石による、階段状のテラスがあるだけなのだ。そして、巧みにつながったり、離れたり、隠れたりしながら流れ去る水があるだけだ。晩年の石彫と同じような、割りだした、掘りだした、石の肌そのままと、機械ですぱっと切って磨いた断面、そしていくぶんかは、斧で人間が斫った鑿跡、その三つの肌合いの絶妙な調合、コラージュがあるだけだ。」敢えて空間の状況だけを伝える文章を掲載しましたが、いろいろな意味で「天国」は特筆に値する作品であるのは間違いありません。私は学生時代に完成したばかりの「天国」を見て衝撃を受けました。その頃、私は学校で人体塑造をやっていて、自分の彫刻をどういう方向にもっていくべきか悩んでいました。「天国」は、自分が海外に旅立つ前の鬱積した気分を晴らしてくれた唯一の空間だったかもしれないと、今になって思っています。1985年に私はヨーロッパを引き揚げてきて、都市遺構をパノマラとして表現する考えに至っていました。そこで再度「天国」を見に出かけました。場の彫刻としての捉えこそ、自分が目指す彫刻の在り方だと確認できた瞬間でした。亡父が生業としていた造園業とも合致したのも、こうしたイサム・ノグチの仕事が引き金になっていることを実感しています。

7月RECORDは「伸」

今月のRECORDのテーマを「伸」にしました。若竹が伸びる、木々が伸びる、身長が伸びる、爪や髭が伸びる、「伸」には成長の過程にあって、生命力を謳歌するイメージがあります。まさに盛夏に向かって、工房周辺の草が伸びていく景色を見て思いついたコトバです。今年は梅雨明け宣言が例年より早く、もう夏の気分がしています。そうした気分を表すコトバが「伸」ではないかと思っています。今年のRECORDは何かしらのパターンを画面構成に持ち込んでいます。先端が若干細くなった柱を3本描き、そこに伸びていく対象を加えることを思いつきました。上昇していくイメージは、嘗てRECORDで何回か試みていますが、爽やかな季節を表すのに都合のよいパターンではないかと思うのです。最近また悪癖が出て、RECORDが停滞気味です。個展開催に纏わるさまざまな仕事、たとえば作品の梱包や案内状の印刷投函が一段落すれば、下書きだけが先行しているRECORDを仕上げる時間的な余裕も生まれるのではないかと思います。もちろん、現在進行形のRECORDを途中で放棄する気持ちにはなれません。何とか継続したいと願っています。

七夕飾りで心に潤いを…

職場で笹に願い事を吊るす七夕飾りを作ろうという動きがありました。七夕は節句のひとつで、元来は中国の行事であったものが、奈良時代に我が国へ伝わったようです。七夕を調べてみると、中国には乞巧奠(きこうでん)という風習があり、それは織女の手芸上達を願う祭であり、江戸時代になって、手習いごとの願掛けに代わり、笹に願い事を吊るすという方法が定着してきたのでした。近代になると神事との関連が薄れ、商店街の集客や観光客を狙って、日本各地で絢爛豪華な七夕飾りが見られるようになりました。また、七夕で必ず登場する織姫と彦星の物語があります。旧暦の7月7日に天の川を挟んで輝く星が、琴座のベガと鷲座のアルタイルです。琴座のベガを織姫、鷲座のアルタイルは農夫の彦星とし、中国の故事では1年に1回だけ7月7日の夜に織姫と彦星が天の川を渡って逢うことができるとされています。そのラブロマンスを巡って、今風の歌やドラマが生まれています。七夕飾りは心に潤いを齎すものとして、私も職場に協力することにしました。相原工房にある竹林の中から手ごろな笹を選んで、職員と職場に運びました。職場の皆さんはどんな願い事を託すのでしょうか。私は今年だけで言えば創作活動の切り替えが無事に出来たことを、夜空の星に感謝する所存ですが、欲張れば長生きをしてずっと創作活動に関わっていたいのです。まだ北斎翁の心境にはなれませんが、100歳まで生きていられれば、あと40年も創作活動が出来ることになります。100歳の彫刻家、いい響きですね。

2018個展案内状の宛名印刷

個展の案内状は毎年1500枚を印刷しています。そのうち1000枚を先月末に東京銀座のギャラりーせいほうに届けました。残った500枚の宛名印刷を自宅のプリンターを使って行いました。今年の案内状は「発掘~根景~」のテーブル部分を大きく撮影した画像を使いました。案内状は、洒落たデザインをいつも心がけていますが、最近は代表作品を正面から野外でガッツリ撮影したものにしています。野外を選ぶのは光と影の具合が美しいと思うからです。今年も下から見上げた「発掘~根景~」の中心部が画面全体を占めたものになっています。個展も今年で13回目、案内状も13点あって、全部並べるとその年ごとに工夫があって面白いなぁと自負しています。過去の案内状はホームページのExhibitionを開けると見ることが可能です。動画になっていますので、その年をクリックすると大きく映し出されます。案内状は、カメラマンのセンスによるところが大きいのですが、さまざまな場所で撮影した画像が掲載されています。これはまさに彫刻家とカメラマンの共同作業なのです。案内状が届かない方々には、このホームページの扉に画像をアップする予定です。ご高覧いただければ幸いです。

7月の制作目標

1年は1月元旦から始まり、12月31日の大晦日で締めくくります。職場では年度切り替えのため、4月1日から始まり、翌年の3月31日で締めくくります。私の創作活動における暦は、今月が1年間の締めくくりになります。1年間を通して制作した陶彫作品を東京銀座のギャラリーせいほうで発表するのが7月なのです。そのため、例年7月は個展の後から新しい作品に取り掛かるというのが恒例になっていて、来年の作品構想に向けてステップアップを図る1ヵ月になるのです。次作のイメージは既に固まっているので、いつから作り出そうか思案中です。とりあえず、今月の制作目標は次作の陶彫部品をひとつ作ってみるという試行を開始します。実際、個展終了後が1年間の内で一番余裕が持てる期間なのです。鑑賞も美術館や映画館等に出かけられる機会が増えるだろうと思います。夏季休暇は8月に取る予定なので、今月ゆっくり休むことは出来ませんが、余裕が生まれた分、RECORDに反映していけたらと思っています。読書はそろそろ難解な哲学書に挑もうと思っているところです。今年は現象学の読破を狙っていますが、果たして出来るでしょうか。今月は創作活動の1年間の締めくくりに相応しい充実した1ヵ月にしたいと思っています。

週末 7月を迎えて…

7月になりました。今日は日曜日だったため、朝から工房に篭って昨日の続きをやっていました。個展準備のための作品の梱包作業は終盤を迎え、何とか先が見えてきました。エアキャップが僅かばかり足りなくなり、昨日に引き続き、店に駆け込みました。準備とはこんなものかもしれません。来週末やることは、個展が終わって搬出された作品の夥しい数の木箱を、工房内のどこに置くか、その場所の確保です。木材の木っ端が散らばっている場所を片付けて、そこに置こうか検討しています。今日も夏空が広がり、工房内は茹だるような暑さになりました。7月初めだというのに先が思いやられそうです。窓を開け、扇風機を回して過ごしました。身体が夏の暑さについていけないのか、汗がシャツを濡らすのが久しぶりなのか、どうも私は本調子が出ない按配で、夕方まで気力が保てませんでした。7月は私にとって最重要な1ヶ月になるというのに、体調が優れないのは困りものです。最重要な1ヶ月というのは毎年この時期に個展を控えているからです。東京銀座のギャラリーせいほうでの個展も今年で13回目になります。よくぞ13回目まで健康を害することなく続けられたものです。それでも意欲は年々高まっていて、今年の新作にも満足をしていないのが現状で、それがあるうちは継続していくだろうと思います。そもそも果たして生涯のうち一度でも自分が満足できる創作活動が出来るのだろうか、自分が求める先を追って右往左往しているうちに終焉を迎えてしまうのではないか、それが自分が現段階で見通している我が一生です。江戸の絵師葛飾北斎とは比べものになりませんが、北斎も道半ばで倒れてしまった巨匠でした。暑い工房の中で、そんなことをぼんやり考えていました。7月の制作目標については近々書いていきたいと思います。

週末 6月を振り返って…

6月最後の週末になりました。今日は朝から工房に篭って、個展搬入準備として作品の梱包作業に追われました。梱包用木箱を作る板材が不足し、午後は板材を追加購入してきました。梱包はあと僅かで終了です。今日は6月最後の日なので、今月を振り返ってみたいと思います。今月は新作が終わり、3日(日)に図録用の写真撮影が行われました。その中で「発掘~根景~」のテーブル組み立てを心配しましたが、何とか無事に出来上がってホっと胸を撫で下ろしました。多くのスタッフに関わっていただきました。その後の週末は、作品の梱包作業に明け暮れています。来年の新作のイメージは既にありますが、今月はその一歩が踏み出せず、これは来月に持ち越しになります。梱包作業と併行して新作の制作に入りたかったのですが、「発掘~根景~」の陶彫部品が多すぎて、梱包ばかりで新作の時間が取れませんでした。今月の鑑賞はバランスよく充実したものになりました。まず美術展ですが、「柚木沙弥郎の染色」展(日本民芸館)、「ヌード展」(横浜美術館)に行きました。映画鑑賞では、「ウィンストン・チャーチル」、「フジコ・ヘミングの時間」(いずれもシネマジャック&ベティ)の2本、音楽鑑賞では「加藤登紀子コンサート」(横須賀芸術劇場)に行きました。音楽鑑賞は久しぶりでしたが、往年の歌姫のコンサートでは気分が高揚しました。今も毎晩自宅の食卓でRECORDを描きながら、コンサートの時に購入した加藤登紀子のCDを聴いています。そのRECORDはやや停滞気味です。下書き先行の悪癖が出ています。下書きの積まれた山が高くならないうちに何とかしようと思います。読書は彫刻家イサム・ノグチの庭に関する書籍を読み始めました。NOTE(ブログ)には度々イサム・ノグチが登場しますが、ここでもう一度ノグチの特異な空間解釈を把握しておきたいと考えています。今月は工房に出入りしていた若いスタッフの結婚式もありました。生活が変わっても創作活動が継続できることを祈っています。職場では若手チームの研修会のために、私がシチューを作りました。若い人材は私にとって宝です。私に応援できることは何でもやっていこうと思っています。昨日、梅雨明け宣言がありました。観測史上初めての早期梅雨明けだそうです。いよいよ暑い夏がやってきました。昨日工房で作業していたスタッフが扇風機を出してきました。再び灼熱の工房が還ってきます。

インテリアの影響を考える

室内装飾や家具等の意匠のことをインテリアデザインと言います。今回NOTE(ブログ)で取り上げるのは、一般的なインテリアデザインのことではなく、現在読んでいる「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」(新見隆著 武蔵野美術大学出版局)に出てくるイサム・ノグチによる室内装飾の考え方を扱います。文中から日米双方にあったイサム・ノグチの住居のあり方を取り上げてみます。「ニューヨークと牟礼、戦後アメリカの、自動車修理倉庫の二階と、江戸後期の讃岐の屋敷町、丸亀の豪商の居宅の屋根裏部屋。その歴史背景や性格は、まったく異なるものだ。あっけらかんとして明るい、ニューヨークの埃っぽい板の間と、木材が黒光りする古い住宅の香りと、磨き込まれ大切に使われてきた空間の柔らかさをもった『イサム家』の二階、屋根に開けた小窓から一条の光が差し込む、ほの暗い隠れ家の小さな洞穴のような場所、というきわめて対照的な、空間のコントラストもある。ただ、そこに共通する、住み手の醸しだす空気や気配は、見事な徹底で、そして見事な潔癖で、まったく同じ趣を醸しだしている。~略~空虚や虚しい、というのではない。むしろ、ほの温かく、すっきりともしていて、優れた茶室のもつ、適度な緊張感と親密性がない交ぜになったような感じがあり、清すがしくもある。言葉で敢えて言えば、『豊かな空虚』と言えるだろうが、そう簡単なものではない。」私はニューヨークの住居を知りませんが、香川県牟礼には行ったことがあって、「イサム家」の生活臭のしない、重厚で美しい空間が印象に残っています。そこは民芸運動を展開した人たちの自宅兼工房と似た雰囲気があって、私はそうした住居に憧れている一人です。ウィーンで出会った石彫家カール・プラントルの自宅に伺ったことがありますが、この人にしてこのインテリアなのか、と思うほど作品のイメージが室内装飾にも定着していました。師匠の池田宗弘先生の麻績にある「エルミタ」もまた然りです。インテリアは作品の表現に影響を与えると私は考えていて、どんな空間の中で生活しているのか、彫刻家として拘るところでもあります。

彫刻の概念について

彫刻の概念は、明治時代以降に西洋から齎されたもので、欧米型の教育システムで育った私は、義務教育で図工・美術科を学び始めた時から、西洋風の立体概念が学習の対象でした。高校、大学時代を通して西洋彫刻に憧れた私は、日本の仏像や陶磁器にあまり興味がなく、20代前半はヨーロッパの現代彫刻の展覧会があると嬉々として出かけていました。ウィーンの美術アカデミーに在学していた頃に、日本人としてのパーソナリティを意識し始めました。その頃、ウィーンで日本の陶磁器を扱った展覧会があり、その時初めて焼き物の魅力に憑かれてしまったのでした。ざっくりした民芸調の大皿や壺に懐かしい親しみを感じ、土の焼き締めに大らかな造形を見取ったのでした。それが作品の素材に陶を使おうと思った第一歩でした。彫塑を石膏に代えるのではなく、土そのままを焼いて保存する方法が自分には最適と思い至りました。それでも自分に浸透している彫刻の概念で、あらゆる陶磁器を見ていたことに変わりはありません。志向が具象から抽象に移り、ルーマニアで現代彫刻の父であるブランクーシの作品発想の原風景を見た時も、彫刻の概念が形態移行の判断材料になっていました。最近まとまって作品を見る機会があった運慶の仏像でも、そこに彫刻の概念を見ていました。日本の伝統が見直され、博物館や美術館で伝統美を求めた大掛かりな展覧会が企画されていますが、明治時代以降の学校教育で培われた美術の概念を無視することは不可能だろうと思います。私たちは西欧人の視点で、日本美術の良さを味わっているのではないかと思うこの頃です。

NOTEから見えてくること

NOTE(ブログ)は、2006年3月16日から書き始めています。NOTE(ブログ)を始めて数か月は時々アップする状況でしたが、その年の後半から毎日書くようになり、10年以上にわたって就寝前の時間帯にパソコンに向かう習慣が定着しました。今日を加えると4389日分のNOTE(ブログ)をホームページにアップしています。日記としてその日の記録を残したものは、全体を見ると意外に少なく、週末の陶彫の制作状況を書いたものがほとんどを占めています。アーカイブを読むと、その時の焦りや憤りが甦ってきます。創作活動は強烈なインパクトがあるのだろうと振り返っています。陶彫だけではなく、RECORDのこともその日の気分がよく伝わります。普段は苦しんだことなど忘れているのに、NOTE(ブログ)には苦悩が刻まれていて、自分の足跡がよく掴めます。鑑賞では、美術展や映画やその他のことで詳しい感想を載せていますが、そのためか印象が鮮明になっているのが嬉しい限りです。こうした鑑賞した展覧会や演目の選択でも自分の嗜好が現れていて、自分の求めようとする何かが浮き彫りになっています。創作活動や鑑賞を通して、私は自分探しをしているのだろうと思います。若い頃に滞在した欧州のウィーンや当時旅した東欧やエーゲ海沿岸、最近になって夏に旅しているアジア各国も、自分を探しに出かけていると言っても過言ではありません。ここ10年で読んだ書籍にしても自分探しという意味では同じと考えています。その記憶や記録をNOTE(ブログ)に残すことが出来るのは幸福なことだなぁと思っているところです。

イサム・ノグチの陶彫について

「(イサム・ノグチの)五〇年代の陶器彫刻群は、はるかにそのイメージや題材も広がりは大きい。だが、系譜から言うと、シュルレアリスムの有機性と、縄文やら弥生やらのアルカイック・インスピレーションがふたつの柱であるのは変わりないが、土の質感がはるかに活き活きしているのは、第一級の職人や材料が勢ぞろいした魯山人のアトリエや、備前の金重陶陽の窯場で仕事ができた、陶芸的環境のためであるのは、言うまでもない。」これは現在読んでいる「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」(新見隆著 武蔵野美術大学出版局)の中に出てくる陶彫に関する文章です。陶彫の創始者として八木一夫ら走泥社の活躍が挙げられますが、その契機となったのがイサム・ノグチの陶彫でした。イサム・ノグチと同世代の美術評論家瀧口修造は、有史前の日本の埴輪や土器に関して、それらが現代を生きる芸術文化に大きな意味を与えている自論を唱えていました。それをそのままイサム・ノグチ論として読み替えられるのではないかと著者は指摘しています。文中から拾うと「瀧口は縄文、弥生、古墳という『世界で最も古い土器文化』の美を『生きる必要に迫られたときにつくりだす緊張した形のユニフォーミティ(一様性)』としながら、それを『地域を越えた形態感覚』と見る。用途も、ものとしての分類も不可能な、『未分化の造形』である。絵画、彫刻、工芸といった美術史的な分類ももう、無効なのである。『緊張した形の結晶』である縄文土器は、『実用の容器をこのような比類のない精神のモニュメント(記念物)にまで高めることができた』もの、古墳前期の鍬形石の『モニュメンタルな緊張した抽象性』、縄文土器の『非合理な造形性』、弥生土器の『静かな空間のなかの遊戯精神の現れ』、『手の初発的なういういしさ』、『機能的な形態感覚』、そして縄文土器の『呪術の世界にもたくまざるユーモア』。そしてさらに、それらは究極的には、『むしろ人間に対する巨大な他者を対象としていたのではないか』と問う。」とありました。『』は瀧口修造の語彙をそのまま借用したらしく、ノグチの陶彫を切り口に、瀧口流の大きな捉えと考察に、私は興味が尽きません。

イメージ力を保つために…

昨日、筋肉を保つために…というNOTE(ブログ)を書いていて、ふと思ったことは身体の筋肉だけではなく、頭脳でも持続力を保たなければならないのではないか、それを保つために何が必要なのか考えました。頭脳を使うことは、職場で言うところの課題解決力、それは問題が生じた時の組織的行動力や情報共有力、普段から身に付けておきたいコミュニケーション力や人との気遣いも含まれると考えています。創作活動ではどうかというと、やはり新しいイメージをキャッチできる力でしょうか。それは突如として湧いてくるものではなく、現行作品の制作に苦しんでいる時にイメージが降ってきたりするものです。それは体力を保つためのトレーニングにも似ていると感じています。日々新しい作品を作らなければならないRECORDはその最たるもので、イメージ・トレーニングには有効です。最近になって筋肉の衰えを感じ始めている私は、イメージ力はまだ保てているのではないかと自負しています。新作の彫刻も年々ハードルを上げて、クオリティをいかに高めるかを追求しています。その意欲があるうちはまだまだ大丈夫と自分に言い聞かせています。よく散歩で工房にやってくる年齢が一回り上の先輩が、最近意欲がなくなったと嘆いていますが、自分の頭脳の持続力はどうなんでしょうか。70代、80代でも彫刻に挑み続けられるのでしょうか。師匠の池田宗弘先生を見ていると、自分はまだこれからが勝負だと決意を新たに出来ます。確かに創作活動では60代で漸くスタートラインに立てたように思えるのです。葛飾北斎の画業を仰ぎ見て、意欲を奮い立たせている私がいます。

週末 筋肉を保つために…

週末ごとに陶彫制作に取り組み、その陶彫部品を集めて大きな集合彫刻を作っています。今は7月の個展に向けて陶彫部品ひとつずつをエアキャップで包んで箱詰めをしています。梱包作業は来週まで続きそうです。昼間作業に精を出している時は、あまり気にしていませんが、朝晩気を抜いている時は、手足の筋肉が緩んで力が入らないのです。昔はそうではなかったので、加齢のせいなのかどうかわかりませんが、ヨレヨレする時があるのです。疲労感もあります。毎週日曜日に近隣のスポーツ施設に水泳に出かけますが、五十肩を患ってから腕が回し難くなったのは確かです。現在五十肩は完治していますが、腕が上がり難いのです。水泳で言えば、水中での身体のラインが作れないため、身体の中心がブレます。水流と言うか水の体感によって、身体が伸びきれていないのがわかります。今後泳ぐ距離を少しずつ増やしていこうと考えていて、それで何とか筋肉を保てないものか、大真面目に考えています。足腰は丈夫な方なので、駅では出来るだけ階段を使おうか、歩けるところは歩いていこうか、いろいろなところで筋肉を使う場面を持とうと思っています。職場ではデスクワークが多いので、週末くらいは身体を使っていきたいのです。幸い彫刻制作は肉体労働なので、額に汗して頑張る場面が多いのですが、スポーツとは違うので、筋肉をバランスよく使うことはしていません。今日はそんなことを考えながら梱包作業に取り組みました。来週末も継続です。