週末 個展準備が着々と…

先日の夜、カメラマンが自宅にやってきて、印刷が終わった個展の案内状を届けてくれました。昨日、職場外であった会議の後、ギャラリーせいほうに立ち寄り、案内状1000枚を届けました。個展準備が着々と進んでいます。例年個展は同じようなスケジュールでありながら、毎年異なる新作のため、心配の種は尽きません。とりわけ「発掘~根景~」のテーブル部分の設置は大丈夫なのか、撮影の時のように柱を4本しっかり立てられるのか、そこが一番の課題です。今日は朝から工房に行って、梱包用の木箱を作っていました。木箱は20個近くになりましたが、陶彫部品を全て入れることは不可能です。でもどうにか木箱の数は確定しそうです。そろそろ気になっているのはこの作品の収納場所です。それは追々考えていくとして、まだ不足している材料があるのです。夕方、日曜大工センターに出かけてエアキャップを追加購入してきました。それにしても個展の搬入前ですが、精神的な疲労感が出てきてしまいました。でも創作活動に対する疲労はありません。新しいイメージが湧いてきて、現在も自分を虜にしていますが、目前の作業に対する疲労感は、どうにもならないなぁと思っています。それはRECORDも同じです。最初のイメージはあれど、仕上げが後回しになってしまう悪癖が出ています。これを何とかしなければなりません。

魯山人とノグチの共通性

現在読んでいる「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」(新見隆著 武蔵野美術大学出版局)の中に北大路魯山人とイサム・ノグチを比較して論じている章があって、興味関心を持ちました。昔、この2人の芸術家を扱った展覧会があって、どうやら筆者はその関係者であったらしいのです。北大路魯山人とイサム・ノグチ、この2人に共通するものは諸芸術を総合した美意識を持っていたことで、さまざまな分野において優れた業績を残しています。本文から拾うと「モダニズムもアヴァンギャルドも、へったくれもない。生で裸の人間の世界があり、とりつくろった芸術の言い訳など許されない、生きることへの真摯さがそこにはある。たしかに魯山人は、モダンだ。作陶のほとんどを古陶磁の写しに終始したことも、前衛の創造性など鼻にもかけない、逆説的なモダニティーと言える。~略~かたちは、心のあり方いがいのものではない。さもしさと温かさ、傲慢と小心、そして野放図と繊細。これらはじつは相反する性癖でなく、磨かれた真の個性のなかでは、稀有なかたちで共存するものだということが、魯山人を見るとわかってくる。」という箇所は、北大路魯山人の創作へ向かう姿勢を描いています。それに続く文章で「じつはこれらの感性は、まったくノグチその人にもぴったりとあてはまるものなのである。ともに根なし草だが、それは強靭な根なし草であって、あらゆるものにこだわりがなく、屈託もないが、孤独で自由だ。」とあります。生い立ちからくる自由な精神、これが時代を経ても新鮮な感動を私たちに齎すものなのでしょうか。

映画「フジコ・ヘミングの時間」雑感

横浜のミニシアターにはレイトショーがあって、仕事帰りに立ち寄れる時間のため、映画を容易に楽しめることが出来るので重宝しています。独特な音楽観を持つピアニストのフジコ・ヘミングは、以前テレビで紹介されていて興味がありました。映画は世界を飛び回る80代のピアニストの私生活を描き出し、その自然体が存分に発揮された映像でした。フジコ・ヘミングは60代でデビューを果たしました。その裏には苦難に満ちた特殊な事情があり、その全てが演奏活動に表れているように私には感じられました。父親がスェーデン籍のデザイナーであったこと、母親がベルリンに留学していたピアニストであったこと、フジコが留学を希望する時に、それまで無国籍であった事実を知ったこと、難民パスポートで母と同じベルリンに留学できたこと、30代の時にデビュー間近で左耳の聴覚を失う事故があったこと等、人生途中で夢を諦めていたとしても仕方がない状況の中で、フジコ・ヘミングは現在の国際的に活躍する舞台を築いたのでした。住居好き、動物好き、演奏にミスは多いけれど、魂を籠めた演奏は聴く人たちを魅了する、そんな彼女の思いや日常が描かれていて、映画の中では楽しい一面もありました。それでも、優れた芸術活動には一体何が大切なのかを映画は見事に抉り出し、私たちはそこに感銘を受けました。一緒に行った家内は邦楽器の演奏家なので、フジコ・ヘミングの生き方や演奏にはいろいろな思いが交差するらしく、感心するところと厳しい音楽評が入り混じった感想を述べていました。難聴を抱えるフジコは、オーケストラとの共演が難しい場面があり、演奏を開始するタイミングが掴めないところが映し出されていました。リサイタルならまだしも、そこが難しいところかなぁと感じました。私は80代の今も活躍するフジコ・ヘミングの姿に感心しました。私も晩年になるに従い、活躍の場が広がるといいなぁと願っています。引退など考える暇もなく、制作に埋没したい気持ちで一杯です。

横浜の「ヌード展」

私の地元である横浜美術館は、企画が優れている美術館のひとつだと予てより思っていました。今回も例外ではなく、人体のヌードに焦点を当てた企画に私は興味津々でした。この企画展は数か国を巡回する大規模なもので、英テート・コレクション所蔵の中でも屈指の作品が展示されていました。ヌードは西洋美術を語る上で重要な位置を与えられていて、また時代によっては論争を呼んだテーマでもあります。図録の中にこんな一文がありました。「既存のヌードの規範を再検証した《オリンピア》が与えた衝撃は、フランスでは、エドガー・ドガやピエール・ボナールが現代生活における女性の寝室の情景を描いた作品にも見られ、裸はアカデミックなヌードで表現するブルジョアの伝統ではなく、現代性や前衛を含意する価値体系となった。」(エマ・チェンバーズ著)「裸とヌード」という2つの表現概念が、古典的理想の前時代から現代に移行する上で根本的な変化を起こし、新たな創作への領域を切り開いて、現代に通じているようです。嘗てはポルノと見なされた裸体が、現代アートとして重要な主題のひとつになっているのは、私たち市民全体の価値転換が成せるものだろうと思います。私が本展で注目したのはやはりロダンの大理石による大作《接吻》でした。一室に単独で置かれた大作はエロティックでもあり、また絡んだ男女の美しさは見ている者を圧倒する迫力がありました。「ロダンは、拡大制作の際に付けられる星とり器の測定の痕跡である無数の小さな穴など作業の痕を残すことを好んだとされる。というのも、原型を忠実に拡大することは、時に彫刻本来のもつムーブメントを失うことがあると感じたロダンは、拡大のプロセスで幾度もの詳細な修正を行い、大型の像を完成に導いた。《接吻》に残された無数の痕跡もまた、身体の肉付けがいささか貧弱であると感じたロダンが、意識的に残したものと考えられている。」(長谷川珠緒著)彫刻制作においてロダンが実践した事情を知って、私は嬉しくなりました。塑造で作ったものをそのまま実材に移す時に、彫刻家は誰もが戸惑うことがあるのです。巨匠と言えども例外ではなかったことに、私は微笑んでいます。

東京駒場の「柚木沙弥郎の染色」展

90歳を超えても現役で活躍する染色家柚木沙弥郎。先日、NHK番組の日曜美術館で紹介されていて、その制作風景を見た私は創作意欲が刺激されました。自由闊達で好奇心の塊のような作家は、床に敷いた大きな平面に抽象形態を描き、型紙を作っていました。映像には日本民藝館での個展の状況も流れていて、その雰囲気がとても良かったので、実際に行ってみようと家内と話していたのでした。民芸運動を牽引した柳宗悦の思想と、染色家であった芹沢銈介に弟子入りして技法を習得した柚木沙弥郎は、生命感のある模様と鮮明な色彩に溢れた作品を多く手がけていて、実物に出会えるのを楽しみにしていました。期待通りの生き生きしたデザインの布が壁に掛けられていたり、机上のガラスケースに収まっていて、生活の中で潤いを齎す造形が美しいと感じました。「模様は直観で捕らえられた本質的なもの」と言う柳宗悦の言葉通りの創作活動を展開した柚木沙弥郎は、無駄を取り去った模様のデザインと、遊びの要素が入り込んだデザインの要素が共存しているように思えました。日本民藝館に行った日が休日だったため、同館は鑑賞者で混雑していました。今まで何回も訪れた日本民藝館でしたが、こんなに混んでいることはなかったように思いました。柚木沙弥郎の世界が誰にも分かり易く、美しかったために多くの人を惹きつけているのだろうと思いました。とりわけ私は同館収蔵品の民族的な仮面と、柚木沙弥郎の布を併設展示した空間が好きでした。まさにプリミティヴの饗宴、ともに放射する光に私は時がたつのを暫し忘れました。

横須賀の「加藤登紀子コンサート」雑感

先日、横須賀芸術劇場で開催された「加藤登紀子コンサート 花はどこへ行った」へ行ってきました。往年の歌姫は現在74歳。会場を埋め尽くす観客も高齢者ばかりで、かく言う私も62歳です。今朝、大阪で大きな地震があったことを思うと、震災等の有事に見舞われた時に、私を含むこの大勢の人たちは速やかに避難できるのか、些か心配されるコンサートでした。彼女の歌うシャンソンやロシア民謡は、美声である必要はなく、寧ろ人生を積み重ねた深みが、声に表れていれば充分聴き応えのあるものになると、コンサートの最中に思いました。歌の魂はニーチェの言うディオニソス的情念であり、私の心に突き刺さる主張を持って迫ってくるのでした。数多い演目の中で私が注目したのは「今日は帰れない」というポーランドの歌でした。私が持っているアルバム「愛はすべてを赦す」に収録されている一曲で、ナチスと戦ったパルチザンのことを悲哀を籠めて歌ったものでした。パルチザンとは占領軍への抵抗運動を指す言葉です。その他にも有名な「リリー・マルレーン」も歌っていました。ドイツの大女優マレーネ・ディートリヒによって世界中に知れ渡った歌で、戦場で敵味方なく兵士に一時の癒しを齎せたエピソードは余りにも有名です。フランスのシャンソン歌手エディット・ピアフの歌も日本語歌詞で披露されていました。この時に初めて聴いて心に沁みたのは「遠い祖国」という中国ハルピンのことを歌ったものでした。加藤登紀子は大陸生まれで引揚者であったこと、帰国後に一家はロシア料理店を営んでいたこと等、ご自身の波乱に富んだ半生をも話されていて、この一曲に籠められた思いがよく伝わってきました。歌手や演奏家は、作り手であるなしに関わらず、自分の人生に重ね合わせて、その深みや主張を表現する者であらねばならないと、コンサートの幕が下りて私は強く感じました。私にとっては非日常の機会ではありましたが、心が充足する素晴らしいひと時が持てました。今も現役で活躍される往年の歌姫に感謝いたします。

週末 梱包&美術館巡り

梱包作業のリフレッシュのために適度に鑑賞の機会を入れています。今日も昨日に続き、午後は鑑賞を入れました。今朝は7時から工房に篭り、梱包用木箱に陶彫部品を収め始めました。作った木箱は9個。カットしたベニヤ板がなくなったので、これ以上木箱が作れず、ひとまず9個の梱包をやったのでした。全体の陶彫部品の3分の1くらいが木箱に収まりました。う~ん、木箱は20個では足りないかもしれません。来週のウィークディの仕事帰りに材木店に行って、ベニヤ板をカットしてもらおうと思っています。昼ごろになって、家内を誘って美術館巡りに出かけました。初めに行ったのは東京駒場の日本民藝館。私は久しぶりにここを訪れました。瀟洒な住宅街の中に、日本らしい蔵作りの民藝館がありました。ここは展示空間が素敵です。民藝運動を牽引した柳宗悦や河井寛次郎、濱田庄司らが求めたさまざまな民芸品が、蔵作りのモダンな展示室に置かれていて、気分が解放されます。今回はNHK番組で紹介された染色家の個展が開催されていたので鑑賞に訪れたのでした。「柚木沙弥郎の染色」展は、動物や植物の象徴化されたパターンから斬新な幾何抽象まで、布に染め上げた作品の色彩が美しく、とりわけ私が惹かれたのはアフリカやアジアの仮面と一緒に展示された布が、何とも不思議な調和を醸し出していたことでした。休日だったため、日本民藝館は混雑していて、図録も売れ切れていたことが残念でしたが、それでも感覚が刺激される瞬間が何度もありました。詳しい感想は後日改めます。次に向ったのは横浜美術館でした。横浜は地元なので、自宅近くに戻ってきたわけですが、「ヌード展」を開催していて、これは必ず見ようと思っていました。イギリスのテート・コレクション所蔵作品のうち、人体のヌードばかりを集めた企画で、なかなか面白いテーマだなぁと思いました。ロダン等の力作も多く、見応えもありました。これも詳しい感想は後日改めます。今週末は自作の梱包作業と鑑賞を組み合わせて、充実した時間を過ごしました。

週末 梱包&往年の歌姫のコンサート

週末になって朝から工房に籠って梱包作業をやっていました。「発掘~角景~」のテーブルや柱の梱包が終わり、ウィークディの連夜やっていた木箱作りに着手しました。そろそろ木箱が揃ってきたので、明日くらいから木箱に陶彫部品を収めてみようかなと思っています。あとどのくらい木箱が必要なのか確かめたいと思っているのです。午後2時になって梱包作業を中断しました。夕方、歌手のコンサートを予約していたので、横須賀芸術劇場へ向いました。往年の歌姫と呼んでいいものか、彼女は私が子どもの頃から憧れていた歌手の一人でした。公演は「加藤登紀子コンサート 花はどこへ行った」。家内は胡弓の演奏会があったので、コンサートには私一人で出かけました。歌手加藤登紀子は、当時流行していたアイドルとは一線を画していて、数々の歌の意味合いがわかったのは、私が大学生になってからでした。政治や人権を主題にしたものや、歴史上の背景を纏った歌詞が、若かった私を刺激しました。私より世代が一回り上の人たちは大学紛争を体験し、美術界でもダダイズムが席巻していたのでした。時代に遅れてやってきた私は、アングラ劇に熱中したり、ミニシアターに通いながら、閉塞感のある社会に中途半端に嘆く日々を送っていました。和製フォークソングも自分を吐露する上で共感を覚えた媒体でした。歌手加藤登紀子はそんな捉えの中で存在感を放っていました。私は大学を終え、ヨーロッパの美術学校に出かけました。そこで出会った東欧の共産主義体制に生きる人々や、自由を求めた学生運動とその弾圧を知って、自分の成育歴にはなかった空気を感じたのでした。加藤登紀子の歌には、あの頃自分が肌で感じたヨーロッパの匂いが漂っています。彼女が歌っているロシア民謡は、私がルーマニアの片田舎から鉄条網越しに垣間見たウクライナの風景を思い出すのです。日本に育った私にとって身近ではなかったはずの環境、5年間の滞欧生活によって脳裏にすり込まれた冷戦時代の暗い記憶、それらが音楽によって呼び覚まされるようです。現在は情緒として懐かしくもありますが、20代の当時は暗中模索の中で生きていました。コンサートの詳しい感想は後日改めます。

次なるイメージへ…

次なる新作のイメージは、現行の作品が佳境を迎えている最中に出てきます。私の場合は上空から降ってくるような感覚です。陶彫による集合彫刻は、相変わらず30年も前に旅した地中海沿岸の古代都市の遺跡が原点になっていますが、印象が鮮明だった初期の作品と照らし合わせてみると、イメージが少しずつ変わってきています。廃墟となった都市をイメージしていることに変わりはありませんが、自分の中で積み重ねてきたカタチと、初期イメージとの間でズレが生じていることも確かです。次なる新作のイメージは今までの作品を発展させたもので、「発掘~層塔~」や「発掘~群塔~」の範疇に入るかもしれません。つまり、再び塔を作ろうとしているのです。先月「発掘~根景~」を作っている途中で、床から立ち上がっていく陶彫部品が出来つつあった時に、床置きの高く積んだ景観を主題にした作品がボンヤリと降ってきて、しかも複数の塔が根で繋がっていく状態をイメージしていました。そこにコトバによる思索はなく、カタチそのものが現れてきていたのです。今までも自作に纏わるコトバは後追いです。私は思索することが大好きですが、思索からカタチを導き出す作家ではないと自覚しています。まずはカタチありきなので、浮かんだイメージをすぐに具現化したい欲求に駆られます。自分の胸中に少しの間イメージを寝かせることもしますが、紙にエスキースはしません。場合によっては雛形を作ることもありますが、個々の部品の角度を求めたり、全体構造に工夫が必要な時にだけ雛形を作っています。次なる新作は現行作品の梱包が終わり次第、取り掛かろうと思っています。

毎晩やっている梱包用木箱作り

新作の撮影が終われば、多少なり時間的な余裕が生まれるだろうと期待していました。しかしながら、今年の作品は部品が多く、梱包は大変ではないかと思っていました。予想は的中し、陶彫部品を収めるための梱包用木箱をいったい幾つ作ればいいのか、見当がつきません。週末だけではやりきれないことが判明し、毎晩工房に通い、木箱作りを始めています。仕事から帰って、工房に行って木箱を作り、自宅に戻ってRECORDを制作、就寝前にパソコンに向かってNOTE(ブログ)を書く、こんな生活が続いています。昼間の仕事も決して楽ではなく、神経を使う場面も多くあるので、新作が完成した今でも骨が折れる仕事が待っています。現実逃避と言われようが、美術館や映画館に行きたいと常々願っていて、今後ストレスを溜めない方法を探らなければなりません。一難去ってまた一難といった塩梅です。素材が陶であるため、木箱は破損から守る目的で作っています。木箱用の板をどのくらいの厚みにするのか、今までもずっと考えてきて、陶彫部品が中に入ってもそれほど重くなく、外部の衝撃に耐えられる厚さがいいと思っています。木箱には釘を使います。その釘もどのくらいのサイズがいいのか、いろいろ試してきました。最後にガムテープで木箱全体を補強します。現在まで培った経験で木箱の大きさ、板の厚みを決めています。木箱はどんなに重くても2人で持ち上げられること、多少歪んでも壊れないこと、保存のために木箱を積み重ねて置くことがあるので、ある程度は頑丈にしておくこと、こんなことを考えながら作っています。ウィークディの夜は、RECORD制作やNOTE(ブログ)もあるので、木箱は1個ずつ作っています。週末にはまとめて作ろうと思います。

「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」読み始める

「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」(新見隆著 武蔵野美術大学出版局)を読み始めました。イサム・ノグチは日系アメリカ人の彫刻家で、現代美術に大きな業績を残し、NOTE(ブログ)にも度々登場する巨匠です。先月末に関西に出張した折、私は松尾大社で重森三玲が作った庭園を見ました。古来から継承される日本庭園に現代的解釈を加えた重森三玲の世界観は、忽ち私を魅了し、そこの空間から離れ難くなりました。その時、ふと私の脳裏を過ったのはイサム・ノグチの彫刻群が置かれたストーンサークルでした。イサム・ノグチも庭園を設計しています。その「庭の芸術」の観点からイサム・ノグチの作品全般を論じている本書は、重森三玲の世界に通じ、実際に庭園に触れたことが契機になって読んでみようと思ったのでした。私は亡父が造園業を営んでいたおかげで、庭園に対する興味関心がありましたが、私にとって造園は複雑な分野でした。彫刻に目覚めた学生時代から造園を意識するようになりました。しかしながら、それ以前は家業を手伝うことに反発があり、野外での肉体労働を嫌々やっていました。庭石の据え方、植木の刈込み、植木の移動、芝の手入れ、その全てに父の指示を受け、複数の職人との協働作業を行っていました。庭園が完成した時は、多少なり労苦が報われた感覚を持ちましたが、そこに芸術的視野を持つことができずに、悶々としていました。私の彫刻が、場を空間演出するようになって、初めて亡父が求めていた造園の概念との一致を果たすことができたのでした。そこに重森三玲とイサム・ノグチが登場し、私の関心は一気に「庭の芸術」に傾きました。本書では、庭は「ノグチの考える、自然とか、彼の独特な風景論を解く、鍵のように思われたからだ。」とあって、西欧の彫刻概念とは異なる何かがノグチに空間志向を与えたのではないか、また自然と遊離した文明が喪失したものを、ノグチが感じ取り、庭に向かわせたのではないか、「優れた芸術家に必須の霊感が、ノグチにそう予感させ、何かを促したに違いない。」とありました。これだけでも本書は面白さを感じさせる書籍です。通勤の友として楽しみながら読んでいこうと思います。

6月RECORDは「重」

今年のRECORDは、画面全体に文様パターンを持ち込んでいます。6月は同じ大きさの円が6つ並ぶ画面を設定しました。その円内にモノが重なっている状態をイメージして、円のデザインと融合するような作品を目指しています。何かを重ねていく行為として、私には薄紙を一枚ずつ重ねていくイメージがあります。陶彫による集合彫刻を作る上でも、労働の蓄積というか、一気呵成に出来ない行為を、私は重んじていて、そうした行為によって成し遂げられる成果を、他者に鑑賞してもらいたいという欲求があるのです。これは私の感覚的なもので、労苦をひとつずつ重ねていくものでなければ表現行為として納得できないのです。個人的で勝手な思い込みにすぎませんが、これは自分の生真面目な性格によるものと考えています。このRECORDにしても毎晩時間を決めて制作しています。時に気分が乗らず、下書きだけで済ます日もありますが、それでも10年以上も日々欠かさず制作している状況を鑑みると、私には労働の蓄積を行っていくことが、実は苦痛ではないのではないかと感じているところがあります。日々自己表現を重ねる行為、これがまさにRECORDで、今月のテーマである「重」を体現しているとも言えます。今月も頑張っていきたいと思います。

「アートと美学」読後感

「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)は私にとって大変刺激的で面白い書籍でした。論文の細部に至るまで、自分の中に否応なく入ってきて、今までの自分の思考力を試されるような体験をしました。自己思考力は、かつて自分が親しんだ哲学書のボリュームによって力量を測ることが可能かもしれませんが、残念ながら私の思考力は覚束ないものばかりで、著者の言わんとしていることは理解できるものの、資料としている哲学そのものを知らないことが多くありました。哲学の祖であるソクラテスやプラトン、哲学の体系を成したカント、美学の創始者バウムガルテン、芸術哲学のヘーゲル、私には学問へ向かう基礎がないことを改めて自省しました。その中で著者はハイデッガーに拘り、あとがきにこんな一文を寄せていました。「皆目分からないのに、呪縛されたようにこの大著を手放すことができなくなってしまったのである。以降、私がやってきたことは今日まで、何とか少しでも『存在と時間』を理解したい、その一言に尽きるように思う。」これを読んだ時に、基礎学問の乏しい私は思わず膝を叩くほど嬉しくなってしまいました。ハイデッガー著「存在と時間」に私も噛りついたことがあったからです。内容は理解し難いことだらけ、でも何故か魅了されてしまう、重層な思考の襞に入り込めず、諦めることもできず、ずっと深みに嵌って思索を続けたい欲求に駆られてしまう、そんな不可思議な気持ち、これが私が素直に感じる「存在と時間」です。NOTE(ブログ)の2014年7月30日の読み始めから11月27日の読後感まで、「存在と時間」の細切れになった感想を載せていますが、私の力不足で主旨を踏まえたまとめにはなっていません。私には「存在と時間」の深層を理解できず、概案さえ掴めなかったのでした。そんなこともあって、私は勝手ながら「アートと美学」に親近感を覚えたのではないかと思っています。もう一度繰り返しますが、本書は私にとって大変刺激的で面白い書籍でした。

週末 梱包の開始

今日は朝から工房に行って、7月にある個展のために新作の梱包を始めました。まず「発掘~根景~」の大きなテーブルの梱包から開始することにしました。大きめのビニールシートにエアキャップを貼り、テーブルの表面をエアキャップに接着するように置きました。シートで全体を包んでガムテープで固定しました。次にやったのは「発掘~根景~」の柱陶でした。柱陶は高さが220cmあり、四方に陶板を接着してあるので、かなり重量があります。作業台2台を縦に並べ直し、テーブルと同じようにビニールシートにエアキャップを貼りました。ただし、陶板のレリーフを保護するためにエアキャップは二重にしました。柱陶は4本あり、これを全て梱包したら、昼過ぎになっていました。今日は久しぶりに近隣のスポーツ施設に出かけ、午後1時くらいまで水泳をしてきました。梱包作業は面白みがなく、鑑賞やスポーツと組み合わせなければ、なかなか持続できないのです。そこが創作活動との違いです。午後は木箱作りに入りました。何個作れば全て収まるのか、やってみないとわかりません。差し詰め20個くらい作ってみようと思っています。これは来週末も継続です。「陶紋」は過去の作品からの通し番号でやっているので、印章も過去の作品と同じものを使っています。以前に作っておいた印を押し、43番から46番までの番号を書き込んで、それぞれの作品に貼りました。梱包作業でも時間はあっという間に過ぎていきました。そこは創作活動と同じです。今後週末は梱包作業ばかりです。実のところ、次作のイメージが天から降ってきていて、新しい作品に取り組みたいのですが、梱包を後回しには出来ません。この時期は何年も同じようなスケジュールで作業をしています。定番化するのは自分には歓迎すべきことですが、綱渡りのような緊張感がない分、退屈な作業ばかりで時が過ぎていきます。

週末 若いスタッフの結婚式

相原工房に出入りしている若いアーティストを、私はスタッフと称しています。折に触れ、私の作品の手伝いをしてくれますが、助手ではないのでアシスタントとは呼べません。彼らは通常、相原工房で自らの作品を制作しているのです。美術系の学校を出ても制作場所が確保されず、創作活動を諦めてしまう人が多い現状があります。私も若い頃これに悩んだ一人でした。相原工房は貸し工房ではありません。私と関わりがある若いアーティストに無償で提供しているのです。彼らはまだ20代で、アートの世界のスタートラインに立ったばかりです。週末になると、溌溂として表現活動をやっていますが、プライベートではさまざまなことがあるようで、今回の結婚式もそのひとつです。創作活動を継続していく難しさはいろいろなところに潜んでいて、制作場所だけではなく、生活環境が変わることで、創作活動以外の人生の価値観を見出す人も少なくありません。創作活動には社会的なニーズがないので、来る者拒まず去る者追わず、というところでしょうか。私が参加する披露宴は午後1時からだったので、午前中は工房に行きました。梱包に必要な材料がかなり不足していて、まずはガムテープやエアキャップ等を大量に購入してこなければ、梱包を始められないことが判明しました。昼前に新横浜駅に隣接するホテルに出かけ、若いスタッフの結婚披露宴に出て来ました。彼女は終始微笑んでいて幸せそうでした。私は乾杯の発声で簡単な挨拶をしましたが、若いスタッフに心より祝福を申し上げたいと思います。私は結婚式を行うのに賛成派で、式は本人たちのためだけではなく、周囲に認めてもらうものと考えているからです。今日の式はなかなか立派なものでしたが、私は豪華さを求める必要を感じません。身の丈にあった心の篭った挙式であれば、自ずと祝福したい気持ちが湧いてくるものです。これからの二人の末永い幸せを祈っております。夕方、自宅に帰ってから梱包材を購入しに雑貨店に出かけました。披露宴の後は、何かをする気分になれないだろうと思っていましたが、まさにその通りで、買い物くらいがちょうどよいと感じました。

「結びの章」について

先日、読み終えた「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)には最後に「結びの章」があります。著者は美学者であり、その視点から現代の芸術やアートを一貫して考察してきました。その全体のまとめが本章です。冒頭に「芸術に自明なことは何一つない、このことが自明になったというアドルノの言葉は、今日の芸術にとってだけでなく、むしろ美学、芸術哲学にとって衝撃的だった。」と書かれていました。横行する芸術やアートという不可解なものを、哲学を基盤にして語ってきた本書は、絡んだ芸術の謎を紐解くように追求してきましたが、「結びの章」では謎は謎として残されていて、今後のアートの展開を見ていくことになりそうです。「デュシャンの暴挙が、おそらく無意識に種を蒔いた芸術の『トテゴリー』、自己審問と実験、半世紀を経て実際に芽吹いてみると、芸術のトテゴリーはすべてを芸術にし、すべてを芸術でなくしてしまった。~略~だがそれを哲学的問題として見るアドルノにとって、芸術のこのような状況に関する『試論』自体が『何を試みようとしているのか』、それが先決的問題になる。アドルノより三十年余り早く、ヘーゲルの芸術哲学に言及して、ハイデッガーはこんな風にいっていた、『ヘーゲルの芸術過去説に何らかの決着を付けるのは、まだまだ先になるだろう』、芸術哲学の当面の『課題は芸術の謎を見ることである』、と。ハイデッガーにとって、そしてアドルノにとって当代の『芸術』は芸術哲学=美学の問題であり、哲学そのものの問題であった。だから両者ともに《芸術過去説》に明快な対応ができないのである。明快な対応ができる、それが『哲学すること』、ハイデッガーに即していえば、『思索すること』の放棄になりはしないか、と恐れるからだろう。」デュシャン以後の芸術またはアートはどこへ向かうのか、そこに哲学はどう関わっていくのか、幸福な時代は終焉したと誰かが言っていたコトバをふと思い出しましたが、現代に生きて現代彫刻をやり続ける私にとって、多種多様な価値観の中で、出口の見えない迷路を歩いているような気分になります。

映画「ウィンストン・チャーチル」雑感

先日の夜、仕事から帰って夕食を済ませた後、急な思いつきで映画「ウィンストン・チャーチル」に行ってきました。第90回アカデミー賞の主演男優賞とメイクアップ&ヘアスタイリング賞の2冠に輝き、しかもメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞したのは日本人の辻一弘氏。だからというわけではなく、時代背景に興味関心があった私は、これを是非見たいと願っていたのでした。失策を繰り返し、政界の嫌われ者になっていたチャーチルが「国難だから損な役割を押し付けられたものだ」という台詞がある通り、ナチスの脅威に曝されていた1940年5月にイギリスの首相に就任、そこからチャーチルの苦悩が始まります。初の演説で「私が差し出せるのは、血と労苦と涙、そして汗だけだ。」という台詞が印象的でした。さらに「人類の歴史のなかで、国民が血を流して戦った国家は、たとえ負けても必ず蘇っているが、血を流さないで降服した国家は歴史上から消滅している。」というチャーチルの主張が示す通り、側近から宥和政策を提案されても一蹴し、徹底抗戦を議会や国民に呼びかけるのでした。それには多大な犠牲も伴いました。チャーチルは全6巻からなる回顧録「第二次世界大戦」を1948年に出版し、ノーベル文学賞を獲得しています。ただここに書かれていないドイツとの交渉が模索されていた事実は、1970代になって公開された戦時内閣の閣議記録によって、人々が知るところとなりました。映画で描かれていたチャーチルの苦悩は、こうした資料が基になっているのでしょう。映画ではチャーチルが突如地下鉄に乗って、そこにいた人々の声に耳を傾ける場面がありました。これはフィクションですが、最後の閣議でのチャーチルの演説に説得力を与える演出として、つい身を乗り出してしまうほど面白い効果がありました。辻一弘氏のメイクは俳優をまるで別人に変えていて、しかも自然に肌の下の筋肉が動いて、チャーチルその人になっていました。顔面に接近した撮影もあったにもかかわらず、私はその技量に驚きを隠せませんでした。

勤務終了後、夜の名画座へ

昨夜、常連になっている横浜の中心街にあるミニシアターに行ってきました。レイトショーは夜9時から始まったため、自宅に帰ったのが午前0時前でした。時間的に昨日のNOTE(ブログ)にアップできなかったので、本日これを書いています。日常の仕事で鬱積した気分を和らげるため、非日常の世界に浸るのが、私のストレス解消法です。週末は彫刻を作り、ウィークディの夜はRECORDを作っているのもそのためです。美術館や映画館に出かけるのも非日常の世界がそこにあるからです。時に現実逃避とも受け取られがちですが、そうでなくても精神のバランスをとるため、私には必要なことなのです。昨夜は私が急遽決めた映画鑑賞だったので、家内は同伴せず私一人で出かけました。観た映画は「ウィンストン・チャーチル」。第90回アカデミー賞の主演男優賞とメイクアップ&ヘアスタイリング賞の2冠に輝いたことで一躍脚光を浴びた映画です。日本で話題になったのは、メイクアップ&ヘアスタイリング賞に日本人の辻一弘氏が選ばれたことでした。チャーチルの風貌に似せるためのテクニックは素晴らしく、主演したゲイリー・オールドマンもチャーチルその人になりきっているように感じました。映画のテンポも歯切れよく、国家存亡の危機に直面している切迫した状況が伝わってきました。ヒットラーと和平交渉か徹底抗戦か、一歩間違えばナチスの支配下に置かれる瀕死の祖国。私たち観客は歴史上の結末を知っているだけに、チャーチルが支持する徹底抗戦に、当然のように軍配を上げていますが、実際に当時はどうだったのか、混乱渦巻く政治に緊迫感溢れる濃密な時間が過ぎていったことでしょう。そんな時代に連れて行ってもらった非日常の世界に、暫し時が経つのを忘れました。映画の詳しい感想は後日改めます。

「トテゴリー」について

先日、読み終えた「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)の第五章では「トテゴリー」について考察しています。トテゴリーとは何か、章の扉に「ロゴスの見直し、西欧的文化伝統そのものの見直し、それをトテゴリーと呼ぶ」とありました。何かしっくりいかないので、本書の中を探ってみると、理性の自己検証に入らない感覚的なもの、たとえば神話の世界、神々による「宣り」が、雑駁に捉えればトテゴリーというわけです。トテゴリーの対比としてはカテゴリーがあり、範疇と訳されています。文中より「事物を人間の理解可能な範囲へ持って来ること、すなわち事物を『概念』へ変換すること、これがカテゴリーの役割である。~略~人間は生得的に『感覚する』能力と、『思考する』能力を持っている。思考する能力を《純粋悟性概念》といい、純粋悟性の機能はカテゴリーを介して発揮される。その意味で、カテゴリーは純粋悟性の『概念』なのである。」とありました。カテゴリーの説明によって、対比概念であるトテゴリーの意味が浮かび上がってきます。そうした論理の展開の中で、本書では現代芸術におけるトテゴリーを語っている部分があります。この引用を持って、本章のまとめにしたいと思っています。「思えば、ダダイストのデュシャンが『芸術は制度』にすぎぬことを発き、しかもこの『発き』の企てそのものを『芸術作品』に仕立てようとして以来、芸術は一方で建設的であり、また一方では破壊的であった。建設と破壊、それが芸術が『自己立法』の名の下にするトテゴリーであった。芸術のトテゴリー、一面で反省と実験である。しかし、それは『芸術』に与えられた制度的特権をもって、とことん自分を揶揄し曝しものにすることでもあった。自分を『茶にする』、『自分でおどけてみせる』ことまで、芸術のトテゴリーの課題にしたのである。哲学のトテゴリーには、思いも及ばぬ所である。」

6月の目標は作品梱包

昨日、図録用の撮影が終わり、分解された陶彫部品があちらこちらに置かれた工房の室内は、さながら儚き夢の跡のような塩梅で、この夥しい数の陶彫部品を、7月の個展搬入のために、それぞれ梱包していくのが今月の目標になりそうです。創作活動とは異なり、梱包の作業は退屈です。しかし、これは重要な作業であることも確かです。彫刻作品は収納に幅を取り、大変厄介な代物ですが、きちんと保存管理をしておかないと作品は徐々に失われていきます。私は陶彫部品を複数入れられる木箱を自分で作っています。木箱には作品名と陶彫部品の番号を書き込んでいます。同じ木箱が倉庫に山のように積まれているため、その整理もしなくてはなりません。新作をどこに置くか、軽いものならロフトに上げますが、陶彫部品の木箱は重量があるため、1階倉庫を使うことになるでしょう。最近は木箱が増えてきて収納が厳しくなってきました。個展も今回で13回目になるので、作品の保存管理を今後どうしようか思案中です。私の場合、工房を作業部分と倉庫部分に分けていて、収納だけのために倉庫を借りている同業者に比べると幸運と言えます。そんな環境で制作できる幸せを噛み締めながら、それでも倉庫部分の拡張を今後考えていく必要がありそうです。今月は美術館や映画館にも積極的に出かけ、鑑賞を充実させたいと思っています。今月も週末全てを使えない状況ですが、鑑賞や読書を楽しみつつ、作品梱包を進めていきます。RECORDは僅かばかりの遅れがあって、今のうちに遅れを取り戻そうと考えています。今月はRECORDが唯一の創作活動になります。この小さな平面世界を大切にしていきたいと思っています。

週末 炎天下の撮影日

いよいよ新作の撮影日がやってきました。私は朝7時に工房に出かけ、昨日準備しておいた作品を構成するそれぞれの部品を点検しました。私の作品は陶彫部品を組み合わせる集合彫刻です。全体を組み立てるのは、図録用撮影日の今日が最初なのです。緊張と不安が交差する圧迫感に苛まれ、朝から落ち着いていられない精神状態でした。9時半になるとスタッフが続々と工房に来てくれました。自作と言えども自分一人では組み立てられない私の作品は、スタッフがいないとどうにもならない作品なのです。10時にカメラマン2人が到着し、「発掘~根景~」と「発掘~角景~」の部品を野外工房に運びました。まず、「発掘~根景~」の組み立てから始めました。4本の柱にそれぞれ女性スタッフが齧りつき、その上に男性スタッフがテーブルを設置しました。テーブルと柱は補強金具で留めて、陶彫部品をひとつずつ吊り下げる作業に移りました。吊り下げが終わった後、床置きの陶彫部品を設置しました。部品を上部に積んでいって、吊り下げた部品の内部に床置き部品の上部が入るようにしました。最後に床を伸びていく根にあたる陶彫部品を設置して、「発掘~根景~」は出来上がりました。これに比べると「発掘~角景~」は簡単に組み立てが終わりました。野外工房での撮影は、スタッフが作品設置している姿を撮ったものや、それぞれの全体像や部分の接写もあり、昼過ぎまでやっていました。今日は真夏を思わせる炎天下で、野外での作品の陰影がハッキリ出ていました。新緑も美しく、眩い光が溢れていました。私はスタッフの熱中症を心配しました。昼食は毎年やっているピザ店からのデリバリーで、飲み物や菓子は昨夜用意したものでした。工房には小さな冷蔵庫があるので、水分は冷やしていました。午後は野外設置した作品を、一旦分解し、工房内に持ち込んで、再び組み立てる作業がありました。室内でカメラマンは照明を使うので、作品の印象が変わります。スタッフも私も疲れが多少出ていましたが、よく頑張ったなぁと思いました。何とか夕方4時までに撮影も終了し、安堵感が広がりました。ずっと私を圧迫していた緊張の糸が緩み、一気に疲労感に襲われました。ひとまず撮影は成功、自作がイメージ通りだったことに私は満足を覚えました。よくやってくれたスタッフの皆さんに感謝申し上げます。最後は皆さんの力によって私の作品は完成できたと思っています。本当に有難うございました。

週末 撮影の準備に明け暮れる

6月最初の週末を迎えました。明日を図録用撮影日にしているため、今日はその準備に奔走しました。毎回のことでどんなに準備万端と思っていても小さなミスはあるものです。早速陶彫作品の組み立てに使う金具の寸法が違っていて、その僅かなことで日用品店に出かけました。まだ何か不測の事態が起きることも想定して、今日は一日中落ち着かない気持ちでいました。「発掘~根景~」の柱に陶板を貼り付ける作業がまだ残っていて、かなりの時間を費やしました。柱陶は大変な重量になり、作業台から壁に移動するにも一人で奮闘していました。時計を確認すると夜9時を回っていました。今日の頑張りがきっと明日に幸運を齎すと私は信じていて、撮影日の前日は例年早朝から夜遅い時間まで、工房に篭っていることがあります。今年も例外ではなく、長い時間をあれこれ気を回しながら、細かな箇所を点検していました。創作作品の産みの苦しさと言うべきか、今までやってきたことが全て結果として、明日で試されるのです。私の作品は個展搬入がゴールではなく、図録用撮影がある明日がゴールなのです。組み立ててみて初めて気づくこともあります。明日の組み立てがイメージ通りになることを祈りつつ、万が一明日の組み立てが不可能となった時は、図録や案内状の印刷が間に合わないことにもなりかねません。完成までの綱渡りは今日が最後です。そんなことを考え出すと、工房を離れられず、今なら不足するものがあっても、まだ間に合うと思ってしまいます。身体が動かなくなって、やっと自宅に戻りました。明日も早朝に工房に出かけていって、再度確認をしたいと思います。

5月のまとめと6月に向けて

6月になりました。昨日まで関西に行っていた関係で、5月のまとめが出来ていません。まず、先月を振り返ってみることから書き始めます。5月は陶彫制作に精一杯取り組んでいました。5月は連休があり、制作日が多く取れたことが幸いして、「発掘~根景~」の柱陶制作から始まり、同作品のテーブル部分の塗装、「発掘~角景~」の柱の木彫、テーブル部分の刳り貫き作業と砂マチエール、「陶紋」4点の制作、印章の準備など、数え上げればかなり多くの作業をやっていたことになります。ウィークディの夜も頻繁に工房に通いました。陶彫部品は全て完成して、あとは組み立てるだけになっています。図録用の撮影が済むまでは心配の種はつきませんが、1ヶ月の創作活動とすれば疲れた身体に鞭を打って頑張れたように思っています。精神がフロー状態になることを度々経験しました。昼間の仕事も、休日出勤があったり、野外イベントがあったり、関西へ2泊3日の出張があったりして多忙でした。美術鑑賞では「ジョルジュ・ブラック展」(パナソニック汐留ミュージアム)、「プラド美術館展」(国立西洋美術館)、「エリオット・アーウィット展」(何必館・京都現代美術館)の3つ、映画鑑賞では「北斎」、「馬を放つ」(どちらもシネマジャック&ベティ)の2本、その他に京都の松尾大社の庭園や東寺の仏像を鑑賞してきました。 5月は鑑賞もよく出かけていたと自負しています。夜の工房に通っていた影響で、RECORDが多少滞っていますが、まだ下書きの山積みはそれほどでもないので、すぐ挽回できると思っています。鞄に携帯していたアートと美学に関する書籍は読み終わりました。京都へ行く新幹線の中で最後の章を読んでいました。まとめは来月早々NOTE(ブログ)にアップいたします。さて、6月ですが、図録用撮影が頭から離れず、先々のことが考えられない状態です。6月3日が過ぎれば、その先のことが計画できるだろうと思っています。6月の目標を立てるのは3日以降にします。

関西出張③ 松尾大社「曲水の庭」

作庭家重森三玲は幾たびかNOTE(ブログ)に登場していて、私が関心を寄せる作家の一人です。亡父が造園業をやっていて、そこで育った自分の生育歴と重森三玲の仕事が重なっているのかもしれません。私は自然石の組み方を亡父に教わったことがあり、小さな個人庭園の飛び石を職人さんたちと協力して施工したこともありました。学生時代に自分がバイトでやっていた中途半端な職人紛いの仕事とは違い、重森三玲の庭園はスケールと空間の解釈に圧倒的な迫力があって、古来から伝わる庭園の知識の上に成り立つ現代の庭園のあり方を示しているのではないかと考えています。以前東福寺を訪れた時、あまりにも現代的な石庭が眼前に広がっていて驚いた記憶が今も甦ります。今日は初めて嵐山の松尾大社に行き、重森三玲が作った幾つかの庭園を見る機会を得ました。「上古の庭」「曲水の庭」「蓬莱の庭」そこに即興的に作られた庭を加えると4つの庭園が松尾大社にありました。「蓬莱の庭」は三玲の遺作となり、長男が三玲の遺志を継いで完成させたようです。私が心から楽しんだのは「曲水の庭」でした。奈良時代にあった曲水式庭園を範として作られたようで、うねるような水の流れ、サツキの大きな刈り込みが緑泥方岩と相俟って、人工的な美しさを感じました。高い木々が一切ないことも上部に開放感があって、私の視点に叶っていました。それは場を演出する彫刻群を見ているようで、イサムノグチのストーンサークルに通じる造形感覚を、そこに見取りました。自然石と自然石との間に、見えない糸が張り巡らされていると想像すると、全体の構成が緩急を極めていて、空間美の説得力があると思いました。また来る機会があるでしょうか。庭園内をウロウロ歩きながら、再訪を誓いました。

関西出張② 「エリオット・アーウィット展」

京都にある何必館・京都現代美術館で開催していた 「エリオット・アーウィット展」を見てきました。エリオット・アーウィットは1928年パリで生まれた写真家で、戦禍を逃れてアメリカに渡り、フォトジャーナリストとして有名になりました。25歳の若さで写真家集団マグナムの一員となり、高い評価を得たようです。J・F・ケネディ大統領や、キューバの革命家チェ・ゲバラ、女優マリリン・モンローなど、20世紀を代表する著名人を多く撮影していました。でも私が関心を持ったのは、何気ない日常の瞬間です。子供たちや散歩する犬に向けられたカメラにドキッとするような場面がありました。銃弾が当たった車のガラス窓の向こうに少年の顔があり、蜘蛛の巣状に罅割れたガラス越しに少年の右目が隠れていたり、荷台にバゲットを2本積んだ自転車に乗った父と子が同じベレー帽を被っていたり、社会的な揶揄とユーモアに溢れたエリオット・アーウィットの世界観は、祇園界隈の雑踏を暫し忘れさせてくれました。写真は時にモノクロの方が主張がはっきりと感じられるのではないかと思うことがあります。モノクロでも充分色彩を感じさせるものが写真にはあります。寧ろ余計な説明がない分、力強く訴えてくるのです。写真は一瞬を捉えていく技巧で、刹那な時間を永遠に閉じ込めてしまう表現です。誰にも出来るようでいて、誰にも出来ない表現でもあります。美しさを追求したものもあれば、社会的告発を主題にしたものまで多様です。エリオット・アーウィットの世界観は単なる記録とは違い、人間や動物が一瞬見せる表情を捉えて逃がしません。そこに面白さを感じるのが写真展の醍醐味です。

関西出張① 仕事の狭間を使って…

私たちの職種は1年間に1回は宿泊を伴う出張があります。横浜市に100以上ある職場の内、京都府や奈良県に行くケースが多く、私の職場では今日から大阪、京都、奈良を回る2泊3日の出張がありました。私は全体の責任職として同行しましたが、仕事の実務は職員が行っているため、私には多少の時間的余裕が出来ます。その時間を利用して、例年社寺を回ったり、美術館に立ち寄ったりしています。今回の関西出張では、京都の松尾大社、東寺、それと何必館に行こうと思っていました。松尾大社は作庭家重森三玲の庭園があり、まだ実際の庭園を見たことがなかったので、機会があったら幸いと考えていました。東福寺にある重森三玲の庭園は幾度となく訪れていて、その度に石が点在する空間に刺激を受けていました。彫刻は場を創出する芸術なので、庭園に近い存在であろうと思っています。禅寺の古い庭園も学ぶべき空間がありますが、現代に通じる重森三玲の庭園は自分にとって身近です。東寺は立体曼荼羅というべき仏像が林立する空間があり、ここにも魅力を感じています。密教や曼荼羅に私は疎いので、これから勉強したい分野なのです。何必館は現代美術を扱う美術館で、祇園の近くにあります。北大路魯山人のコレクションで知られる美術館で、その5階に小さな室内庭園があり、私は過去度々訪れて、ここを眺めては心を潤してきました。仕事での緊急対応がなければ、京都の祇園界隈は散策にはとても良い場所だと思っています。因みに店舗と喫茶を併設している鍵善良房は私のお気に入りの和菓子店で、喫茶ではくずきりを注文します。そんな関西出張を楽しみたいと思っています。

映画「馬を放つ」雑感

恐縮ながら私はキルギス共和国がどこにあるのかさえ知りませんでした。映画「馬を放つ」に出てきたキルギスの風景は自然が美しく、連なる山々や広大な草原を見ているだけで心が癒されました。登場した人々の雰囲気は、20代の頃旅したトルコの内陸で遭遇した村人たちに似ていて、宗教が心の支えになっていると感じました。物語は”ケンタウロス”と呼ばれている寡黙な男と言葉が話せない妻と5歳の息子の慎ましい生活を中心に進んでいきます。「かつて、向かうところ敵なしだったキルギスの騎馬戦士。強さの秘密は戦士を乗せた馬。馬に翼を与えたのは馬の守護神、カムバルアタだ。」という台詞を父は息子に伝えています。この通称ケンタウロスは、馬を疾駆させたいという制御不能な衝動があり、馬主の高価な競走馬を夜な夜な厩舎から逃がしていました。馬泥棒に間違えられた別の男の策略で、ケンタウロスは捕まり、罪を問われますが、ここでケンタウロスは夢に出てきた馬に関わる民族伝承を語ります。神話的な妄想は現実社会では受け入れられるはずもなく、村人から厩舎での労働とメッカ巡礼を義務付けられ、ケンタウロスは釈放されますが、妻と息子は家を去ってしまっていました。世界がグローバル化しているのはキルギスも例外ではなく、市場経済が優先される中で、民族のルーツを探る純粋な主人公がとる奇怪に見える突飛な行動が、この映画の主張したかった主旨ではないかと思います。市民社会の中でアウトロー化してしまう主人公。ギリシャ神話の中で人頭馬身であったケンタウロスという異名をもらい、疾走する馬に跨って、恍惚とした表情を浮かべる主人公を通して、私たちが忘れてしまった自己のルーツ。それを私の場合は創作活動を通して探しているのではないかと思った次第です。

週末 印を貼りながら陶彫部品点検

図録用の作品撮影日が来週の日曜日に迫りました。現在窯に入っている作品の焼成が終われば、全て作品が出揃います。今日は「発掘~角景~」のテーブルに施した砂マチエールに滲み込ませた油絵の具の乾き具合や、「発掘~根景~」のテーブルから吊り下がる陶彫部品や床置きになる陶彫部品のチェックを行いました。先日彫った印章を和紙に押し、番号をつけました。陶彫部品一つひとつに印を貼り、修整が出来ているか確認しました。「発掘~根景~」はかなり大きなサイズになることを実感しました。この組み立てに結構苦労するのではないかと思います。来週は数人のスタッフに声をかけていますが、全員が来てくれることを期待しています。組み立てには最低6人は必要だからです。長梯子がもうひとつ必要かもしれません。購入に行く時間があるでしょうか。来週は2泊3日で関西方面に出張があって、公務も創作に劣らぬ大変な仕事が待っているのです。既に感極まっている状態ですが、次の土曜日に行う作業を書き出してみました。制作工程上は何とかなる計画ですが、こればかりは不測の事態もあり得るので、もう一度計画を練り直してみようと思います。今日は朝8時から夕方5時過ぎまで休憩を取らずに頑張っていましたが、安心は出来ず、頭の中ではいろいろな想定を考えています。時間が足りないのは承知の上で、来週の関西出張が仕事とは別の意味で心を穏やかにしてくれるではないかと思ったりしています。創作の魔物に憑かれていると、日を追うごとに自分を追い込んでしまって心身が駄目になるのではないかと懸念するからです。関西出張も責任職として同行するので、心は決して休まらないのですが、現在の制作から少々距離をおくので、あるいはホッとする瞬間もあるだろうと期待しています。今日の夕方になって覚醒からふと潮目が変わり、疲労に襲われました。我に返って自宅のソファに倒れこんでしまいました。家内が演奏活動の帰りに買ってきた横浜名物しゅうまい弁当が美味しく感じられました。頭に血が上っている時は空腹感もないままなので、やっと創作の魔物から解放されたのだと思いました。

週末 最後の窯入れ準備&土曜名画座

週末になりました。今日は職場関係の仕事が午前中にありました。制作の追い込みで陶彫一辺倒という日にはならなかったのですが、それでも時間を作って、新作最後の窯入れの準備を行いました。陶彫は一気呵成に出来上がるものではなく、時間をかけても仕上がりに近づくものではありません。成形と彫り込み加飾には時間をかけますが、その後の乾燥や仕上げや化粧掛けには「待ち」時間があるのです。その分、完成までの制作工程を予め考えておく必要があります。私は「待ち」時間を利用して美術館や映画館に出かけるのです。たとえ図録撮影日が迫っていても、油絵の具を乾かす時間やら焼成時間は「待ち」時間になり、こればかりは自分ではどうにもならない工程なのです。今日は職場関係の用事が済んでから、窯入れの準備のためにあれこれ細かい作業を行いました。夕方は「待ち」時間がやってきたので、恒例の土曜名画座に出かけました。家内が演奏活動があったので、今晩は私一人で横浜のミニシアターに行きました。観た映画は「馬を放つ」というキルギス共和国が舞台となった物語でした。中央アジアの天山山脈の麓に広がる山岳と草原の国キルギス。遊牧文化を基礎として、民族カラーが色濃く残る国柄で、生活に宗教も反映され、私は広大な風景の中に展開する日常とも非日常ともとれる物語に夢中になりました。私には未知な世界で、キルギスは日本で得られる情報の少ない国のひとつではないでしょうか。少し前に岩波ホールで上映されていた映画で、横浜のミニシアターにもやってくるかなぁと思って待っていたのでした。映画は「馬は人間の翼である」というキルギスの諺を中心に据えた、神話的なユートピアを求め続けた主人公の悲劇を描いていました。詳しい感想は後日改めますが、美しい風景を眺めるだけでも心が潤ったように感じました。

2点の印章を彫る

私は予てより印章が持つ小宇宙に惹かれています。日本画や書を見る時に必ず印章にも注目しています。画家が創作する印章はとりわけ面白くて、小さな場面に個性が溢れんばかりです。単純だからこそ奥が深いのかもしれません。私も印章を作品証明とともに芸術作品として捉えていて、楽しみながら小宇宙に遊ぼうと思っています。昨年、台湾の故宮博物院を訪ねた時に、作品に押された印章に目が留まりました。その時は印章の歴史を学びたいなぁと考えていましたが、いまだにその勉強をしていません。古くは中国の戦国時代から秦の時代にかけて印章がカタチを成したようで、歴史を紐解くと面白いだろうなぁと思っています。しかしながら私の作る印章は、歴史的蓄積やルール無視のアートそのものです。自分の氏名を分解して、画面全体に線が縦横に走る抽象絵画にしてしまっています。まさに印章は版画です。文字の周囲を彫る陽刻と文字を彫る陰刻、そのどちらも採用していますが、最近は陽刻が増えています。これは自分の好みの問題で、陽刻がすっきり見えて自分の趣向に合っていると思っているからです。今晩から2つの印章を彫り始めました。1年1回のことですが、印床に印材を設え、印刀を振るうのは久しぶりでワクワクします。一晩でひとつずつ彫り上げていけば、来週末の図録撮影には間に合うかなぁと思っています。その時には若いスタッフが数人集まるので、組立てを分かり易くしておく必要があります。そうした便宜性と自分の楽しみを両立させるのが印章なのです。

2018年版 印章のデザイン

毎年、印用の石材に自分の氏名を彫っています。今年は2点作る予定です。どうして新しい印章を作り続けているのか、私がずっと取り組んでいる陶彫による集合彫刻にその理由があります。今年は7月の個展で発表する集合彫刻は2点あり、その部品一つひとつに押印した和紙を貼っているのです。陶で作った作品にはサインをせず、印章を付けた和紙で作品の証明をしています。多くの部品を集めて構成する集合彫刻なので、印章付きの和紙には番号を書き入れています。番号を順番に合わせていけば、集合彫刻が組み立てられるようにしてあるのです。集合彫刻は部品をばらして別々の箱に入れて保存します。あらゆる陶彫部品を箱詰めして倉庫に保管していますが、作品が新旧混乱しないようにそれぞれ異なる印章をつけているのです。そのため、新作に貼り付ける印章は毎年新しいものを彫る必要があります。今回は新作の「発掘~根景~」と「発掘~角景~」の2点が新たに作る印章なのです。「陶紋」はシリーズとして、続き番号で制作しているので、印章も同じものを使っています。以前から私は印章のデザインはかなり自由にしていて、印章は小さな抽象絵画としてイメージしています。今までも本格的な篆書を彫ることはありませんでした。縛りは自分の氏名があれば充分で、字を崩すことを楽しみながらやっているのです。そろそろ印章を作らなければならない時期がきました。