魔物が棲む夜の工房

幾度かNOTE(ブログ)に書いていますが、ウィークディの夜に工房に行くことが結構あります。仕事から帰ってから、疲れた身体に鞭打って工房に行きますが、夕食や風呂に入る前に出かけます。夕食等取ってしまうと、気分的に彫刻制作をするのは厳しいなぁと思っています。根拠はありませんが、満腹感は創作活動と反比例するのではないかと思うところです。であるならば、工房は仕事から帰って即出かけるのがベストです。工房は不思議な空間で、私は魔物が棲んでいるのではないかと常々感じています。その魔物は創作活動では歓迎すべき守護神です。工房に行って制作途中の作品を見ると、忽ち疲労感から解放され、意欲が湧きたち、何かに憑かれたように手が動きます。これは工房のどこかに不思議なパワーが隠されていて、自分を作業に集中させるのだと信じています。自宅なら気持ちが緩み、身体中が怠くなり、全てのヤル気が失せてしまうのに、どうして工房はそうならないのか、自分を甘やかすものが何もないためか、こればかりは不思議でなりません。自宅は身体を休めるところ、工房は創作活動をするところだと脳にインプットされているのかもしれません。自宅の食卓で作っているRECORDが苦しいのはそのためかもしれず、でも埃っぽくザックリした空間の工房でRECORDをやるのは、何となく落ち着かないのです。工房は彫刻というアクティヴな表現に向いている空間で、スポーティな魔物が憑く場所なのです。

「根景」と「角景」のテーブル塗装

今日はウィークディですが、私は仕事帰りに用事を済ませて、夕方工房に立ち寄りました。週末だけでは時間が足りず、先週も小品「陶紋」の彫り込み加飾を毎晩やっていたのでした。「発掘~角景~」のテーブルに施した砂マチエールがそろそろ固まってきたので、油絵の具を沁みこませる作業に移りました。「発掘~根景~」のテーブルも同じように油絵の具を塗りました。油絵の具は毎年不足するため、昨日の仕事帰りに横浜駅にある画材店で大きなチューブを数点購入してきました。溶き油は一斗缶で買ってあります。これは油絵の具で絵を描くというより、塗装作業に近い作業です。油絵の具は最も高級な塗料と言えます。作品となれば発色も気になるところなので、建築用塗料ではなく、油絵の具を贅沢に使っているわけです。基本となる色彩でテーブルを覆った後、別の色彩でドリッピングを行います。これは所謂アクションペインティングです。複雑に絡み合う色彩表現をしたいと考えて、陶の地肌に近づけようとしているのです。テーブル塗装は作品の最終的な効果を左右する重要な作業なので、ドリッピングは下地の色彩と混ざらないように多少時間をおくことにしました。次の週末までに何層もかける油絵の具が乾いてくれると有り難いのですが…。明日また確認したいと思っています。

映画「北斎」雑感

先日観に行った映画の正式タイトルは「大英博物館プレゼンツ 北斎」と言います。江戸時代の絵師葛飾北斎の大掛かりな展覧会「Hokusai:Beyond the Great Wave」が、2017年5月から8月にかけてイギリスの大英博物館で開催され、それが契機となって、この映画が作られました。イギリス人スタッフが捉えた展覧会の舞台裏や、北斎絵画の学術的な検証、北斎の人生を読み解く考察など、北斎ファン(というよりオタク)を満足させるに足る充実した内容になっていました。私たち日本人にとって浮世絵は海外に比べれば身近です。私は幼い頃に、お茶漬けの袋についてきた浮世絵カードを集めていました。あれは広重だったっけと思い出していますが、絵そのものにはたいして気も留めていませんでした。ヨーロッパの印象派の画家が浮世絵を模写していることを知って、浮世絵の凄さを理解しました。西洋絵画から見れば、線の卓抜さ、面取りの大胆さ、色彩の微妙な美しさは注目に値する表現だったわけです。とりわけ北斎の奇抜さが群を抜いていて、まさに奇想の画家の代表格に相応しい画業だったと考えられます。映画の中で、北斎は6歳から絵の手習いを始め、死の床につくまで一日たりとも絵筆を握らない日はなかったという台詞がありました。晩年になるほど表現が冴えわたる北斎は、90歳代になっても寿命があと何十年あれば自分は一端の画家になれると言っていたそうです。イギリスの芸術家D・ホックニーは「偉大な芸術家は年を重ねるごとに進化する」と北斎を評価していましたが、私も見習うべきは北斎の創作への貪欲な姿勢だと常々思っています。僭越ながら私もRECORDをやっているので、毎日絵筆を握っています。ついでながら陶彫に関しては、私も長生きをしなければ、自分の求めるものが出来ないと実感しています。そういう意味で映画「北斎」はイギリス人の素晴らしい視点と考察によって、私に生きる勇気をくれた映画だったと言っても過言ではありません。

週末 「根景」柱の木彫

今日は朝8時半から夕方5時半まで、通常より長い制作時間を取りました。図録用撮影日が近づいているため、身体に鞭打って制作を頑張っていました。今日の作業内容は「発掘~根景~」の4本柱の先端の木彫でした。「発掘~根景~」の4本柱は陶板を貼り付けていく方法を考えていますが、先端部分は木彫で少しずつ細くしていこうと思ったのでした。床から80cmは陶板がありません。そこに鑿の彫り跡をつけてみました。昨年発表した「発掘~宙景~」も同じ表現方法でやっています。今年の新作は昨年に比べ、柱が高いのですが、その分彫り跡が多くなり、時間がかかりました。午後になって、柱陶になる陶板8枚と小品2点の仕上げと化粧掛けを行ってから、窯入れをしました。窯入れをもう1回やれば個展の作品は全て出揃います。今月終わりにある関西出張までに焼成は終わらせたいものです。昨日は「発掘~角景~」のテーブル部分に砂マチエールを施しましたが、硬化剤が固まるまでにもう少し時間がかかりそうです。「発掘~根景~」も「発掘~角景~」も完成までもう一息ですが、ここからが長い長い一息になり、気持ちの中では焦りと厳しさが交差します。緊張感が途切れないのは良いことだと思っていますが、シンドさを人一倍感じています。こんな時の息抜きは、遅い時間帯にちょこっと行ける映画館かなぁ、映画を観ていると辛い創作活動を忘れられるかなぁ、それとも映像に刺激を受けて息抜きにならないこともありうるなぁ等と、作業中の休憩時間に現実逃避とも思えることをぼんやり考えていました。しかしながら今晩は、映画館ではなくホームセンターに車を走らせ、接合用ボルトナットを大量に購入してきました。そろそろ全体を組立てることを考えなければなりません。

週末 砂マチエール&映画鑑賞

週末になりました。6月3日(日)に予定している図録用写真撮影から遡ると、週末がやってくるのは僅かしかありません。作品を完成するまでの制作工程を考えながら、週末の時間を大切にしていこうと思っています。今日は朝8時から夕方4時まで工房に篭りました。「発掘~角景~」のテーブルになる厚板に砂マチエールを施しました。これは木材の材質感を変容させ、陶彫との調和を図る目的があります。硬化剤で砂を貼り付けて、それが固まったら油絵絵の具を滲み込ませていくのです。今日は一日がかりでテーブル全体に砂を貼って終わりました。陶彫部品を接合する時のボルトがテーブルに出てしまう箇所も隠す工夫をしました。硬化剤が威力を発揮するまで数日間かかるので、油絵の具による塗装はウィークディの夜になるかなぁと思っています。明日は「発掘~根景~」のテーブル部分の細工に取り掛かろうと思っています。「発掘~根景~」には砂マチエールは使用しません。油絵の具の塗装だけです。「発掘~根景~」はテーブルの上部が見えないことと、砂でテーブルが重くなることを懸念して塗装だけにしようと思っています。夕方、工房の作業を終えてから、定例になった土曜名画座に家内を誘って行くことにしました。横浜の中心地にあるミニシアターは、自家用車で行って外食をして帰って来るので身体的負担は軽いのです。気楽に映画鑑賞できるので最近は毎週のように出かけています。今晩観た映画は大英博物館が製作した「北斎」でした。葛飾北斎の大きな展覧会が大英博物館で開催されたのが契機になって、イギリス人スタッフによって映画「北斎」が作られたのでした。北斎ワールドをドキュメンタリーとしてイギリス人学者やアーティストが考察したもので、改めて北斎の魅力を西洋人感覚で発掘していました。北斎オタクが西洋人にかなりいることがわかって、しかもその考察力に思わず頷いてしまうことがありました。日本にいると当たり前になっている北斎の絵画ですが、自然事象や人物の象徴化や線描の巧みさに、私も再三見入ってしまうほどでした。葛飾北斎は世界屈指の偉大な芸術家であることは間違いありません。映画の詳しい感想は後日改めます。

野外イベントがあった日

私の同業者は、今日のイベントが何なのか、察しがついていると思いますが、拡散を怖れて私は職種を言わないようにしています。今日、私の職場では1年1回の野外イベントがありました。このイベントは天候に左右されるものですが、今日は晴天に恵まれた一日になって、難なくすべてのプログラムを行うことが出来ました。私たちは普段は専門ごとに分かれて仕事をしています。言わば専門職集団ですが、職場全体で行うイベントは、専門の垣根を越えて、それぞれが連携し合ってイベントを盛り上げていきます。私たちの職種は自己判断や決断が要求されるもので、イベントでも指示を待つことなく全員が自ら考えて行動しています。もちろん指示系統はしっかりしていますが、細かい部分は臨機応変して対応しているのです。朝早くから夜の反省会まで、本当にお疲れさまと私は立場のある者として、全職員を労いたいと思いました。こうしたイベントは若手職員の人材育成に役立つもので、人とコミュニケーションを図ることで、職場としての組織連携が強いモノになり、若手職員のスキルが向上すると常日頃から感じています。私の職場は手前味噌ながら、若手職員が前向きで人一倍頑張る環境があります。若手職員がお互い切磋琢磨することもあり、それが職場全体に良い影響を与えているのです。小さな問題は多々あっても、私は監督者として職員全体には及第点をつけています。それがあるからこそ自分が思い切り創作活動が出来ると思っているのです。来週からは部署ごとに宿泊を伴う出張が続きます。私も含めて職員の健康維持を願うばかりです。

小品と言えども…

毎晩、仕事帰りに工房に行って、小品4点の彫り込み加飾をやっています。前にNOTE(ブログ)に書籍からの引用を載せましたが、そこに書かれていた通り、陶彫は陶磁器ではなくオブジェ概念に狙いをつけた芸術作品なのです。作品のサイズに関わらず、小品も芸術作品です。ただ、以前に作品を購入してくれた方が、陶彫の内部にランプを仕込んで、ランプシェードとして楽しんでいました。現在作っている小品は内側に水漏れしない器を置けば、花器として楽しむことも可能です。東京銀座のギャラリーせいほうは、彫刻専門の画廊のため工芸品を扱っていません。小品はあくまでも彫刻として販売していますが、購入した人の工夫次第でどのようにしても構わないと私は考えています。花器は花を鑑賞の主たるモノとして、器は花の盛り立て役に甘んじる傾向がありますが、私の小品は彫刻作品として意識していて、花のことなどは考えていないので、そこは悪しからずと言うところでしょうか。私は小品と言えども、大きな作品に匹敵するイメージを持って作品にしていて、まさにオブジェ概念そのものです。題名は「陶紋」にしていて、今まで発表してきた小品と同じ題名にしています。通し番号をつけているので、新作は43番~46番までの作品になります。今晩で小品の彫り込み加飾を終えました。後は乾燥を待つばかり、そして撮影に間に合うように焼成をしていきます。

「ダダイズムと哲学」について

現在、通勤時間帯に読んでいる「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)の第四章では「ダダイズムと哲学」について考察しています。ダダイズムと哲学、これを結びつける論理を、本書はさまざまな検証の中から導いていますが、一言でまとめるのは至難の業で、私には到底できません。しかし面白い着眼点に溢れた論考が、私を虜にしてしまうことだけは事実です。まとめにはなりませんが、気になった文章を引用しようと思います。まずダダイズムについて、その意図するところを挙げます。「オブジェ概念を借りてダダイストは、『芸術作品』といえども、実体は『単なる物』にすぎないことを発き出した。裏を返すと、単なる物でも『芸術作品』になりうる、といいたかったのである。~略~オブジェ概念が作品の水準、制作物の水準で『芸術作品』か『物』かの区別を無化したとすれば、デュシャンの具体的なオブジェは、芸術という制度そのものの無化であった。無化、これは否定ではない。否定なら裏に肯定がある。~略~それに比べると、無化は揶揄の極みといってよかろうか。」理論を端折りますが、ダダイストたちの発想した概念は、理性の言葉、理性的に意味のある言葉を安気に使うことができないことに至ってしまいます。「言葉と理性の分離、それは危険である。西欧的な文化伝統の瓦壊の危機である。誰かの表現を借りると、『西洋の没落』の危険に晒されたのである。」私が嘗て愛読したシュペングラーが出てきました。さらに理論を飛ばします。哲学史を覗く中で、そもそも学問の源泉が神学だったことを考えると、ダダイズムが跋扈する近代の状況を鑑み、神と人との在り方を哲学から改めて考え直すことを試みています。「神から人間への主役の交代である。しかし、きちんとした題本があってのロゴスの禅譲ではなかった。だから、この間の人間理性の煩悶や葛藤は、当時の哲学界の混乱や当惑振りに窺うことができる。この事態をどう合理的に解決すべきか。合理的解決、それは従来の理性の伝統を必要充分な仕方で継承しつつ、なお、人間理性の可能な根拠付けを当の人間理性の中に求めるという、大難事を理性に負わせることだった。哲学的には、この問題の解決は十八世紀後半、カントまで待たねばならなかった。」このNOTE(ブログ)の文面だけでは何のことかわからないと思います。読まれている方々には甚だ失礼ですが、今回は自分なりのメモとして記述させていただきました。

陶磁器から芸術作品へ

「『走泥社』を結成した若手の陶芸作家たちは、陶磁器を芸術作品にした。画期的なことだった。彼らは精緻な陶芸品を作る卓越した技術の持ち主だった。彼らの作品、実用を旨とする美術品、工芸品が『帝展』や『日展』に入選してきたのは当然のことだった。その彼らがその誇るべき技術を揮って、まるで実用性のない陶芸品を作ったのである。何ともパラドキシカルな、悪戯ともおふざけ半分ともいえるような制作物であった。しかしこの無用の陶芸品、『もの』、オブジェとしか呼びようのない代物が『芸術作品』になったのである。オブジェ概念のお陰を蒙ったといって、過言ではない。いやいや、若い作家たちはむしろ、オブジェ概念に狙いを付けていたのだった。今日、走泥社の開いた新しい造形の道の上に、陶芸は次々と意欲的な作品の道標を築いて進んでいる。陶芸は旧来のジャンルよりも活発に、そして縦横に制作を続けている。マチエール、マニエールともに、陶芸はまだまだ可能性を持っているように見える。伝統的な技術として、陶芸が多くの制約を負っていることは確かだけれども、先に『保守』に関して触れたように、制約の中にこそ可能性が埋もれているとしたものである。」長い引用になりましたが、今読んでいる「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)の中に、私としては注目すべき内容が出てきたので、その部分を全文載せました。私の創作の立脚点はここにあります。もちろん「走泥社」だけではなく、イサムノグチやピカソ、ミロの自由奔放な陶芸に私は触発されていますが、「走泥社」の八木一夫の影響は計り知れません。私は決して精緻な技法を身に付けているわけではないのですが、陶彫の可能性をどこまでも信じて制作をしている一人です。

代休 小品4点の制作

今日は休日出勤日の代休です。そうは言っても私は東京の某施設に行く用事があったため、丸一日は休めず、陶彫の制作をどうしようかと思案していました。7月の個展のために、隙がないくらい制作工程を組んでしまっていて、この日も数時間の制作をやらざるを得ない状況でした。今日は陶彫による小品を数点作る予定で、陶土の準備は出来ていました。東京出張の前後に工房に行って作業をするしかないと決め、まず朝5時に工房に出かけました。5時から8時までの3時間、小品の成形の作業に充てました。東京から帰ってから、夜の3時間を成形した小品の彫り込み加飾に充てました。無理な制作時間ですが、こればかりは仕方ありません。神経が覚醒しているためか疲労は感じず、ひたすら計画を全うすることだけを考えていました。それより小品をどうするか、以前からあったイメージに近づけることが出来るのか、手を動かしながら思考していました。朝の3時間で4点の成形を終わらせましたが、それからどんな作品に発展させたいのか、東京の施設にいてもイメージが頭から離れず、仕事は上の空でした。夕方、工房に戻ってから平面的なイメージを陶土に描いてみました。櫛ヘラを使って線が交差する効果を確かめました。嘗て人体塑造をやっていた時に、引っかき傷のようなマチエールを粘土の表面に作った記憶が甦りました。これは立体表現ではありません。一般的に考えれば線や点は平面表現です。陶彫はそのどちらも効果を確かめられる稀有な素材かもしれず、小品4点にはこのような平面性を持ち込むことにしました。私は陶土の表面の指跡をヤスリで消し去り、錆鉄のような効果を狙ってきましたが、今回作っている小品は、傷跡や細かな穴を線や点に見立てて、今までのような滑らかな面を変えています。化粧土も従来のものより、彩度を高くしてみようと思っています。10年以上前にギャラリーせいほうで、最初に発表した「発掘~鳥瞰~」は明るい色彩の化粧土を使っていました。まだレリーフの域を出なかった頃の作品です。小品では当時の化粧土に近いものを使ってみようかと思っているのです。小品の彫り込み加飾は、ウィークディの夜にも工房に行って、作業を継続するつもりです。

週末 「角景」テーブル刳り貫き作業

週末になって「発掘~角景~」の最終段階の作業を行うことになりました。「発掘~角景~」はテーブル彫刻です。テーブル部分に細工をする予定になっていて、刳り貫き部分を作るのです。テーブルの下には陶彫部品が吊り下がりますが、テーブル上部は凹凸を作ります。厚板にドリルで穴を空けて、そこからジグゾーで有機的なカタチを刳り貫いていきます。通常なら一日がかりのところを懸命に頑張って、作業は半日で終わらせました。テーブル上部は湖水が点在するイメージ、または棚田のような風景が思い浮かんでいて、その地下に都市が眠っているのです。視点の上下をテーブルにして表現するのは、私の常套手段です。「角景」という題名が示す通り、作品の主体は吊り下がった陶彫部品にありますが、テーブル上部や柱の造形も、全体の構成要素となるために重要な部分なのです。陶彫部品は既に出来上がっていますが、それを際立たせるために最終段階としてテーブルの表面や柱の木彫をやっているとも言えます。刳り貫き作業は、風景をイメージしながら進められるので楽しい作業です。刳り貫いた厚板は砂マチエールで覆い、油絵の具を滲み込ませていくつもりです。砂マチエールは来週施します。午後は小品のための陶土を用意しなければならず、土錬機を回しました。今回の小品は平面性の強い作品にしようと決めています。小品は4点作るつもりです。陶土の表面を削ったり、線描したりして、今までとは異なる効果を狙ってみようと思っています。小品は明日制作したいと思っていますが、用事があるため制作時間を捻出しなければなりません。このところ焦っていて、気持ちが休まることがありません。

平成30年度初の休日出勤

今年度になって個人的に休日出勤することはありましたが、職場として組織的な休日出勤日を設定したのは今日が初めてです。組織的な休日出勤日を設定したとなれば、代休が必要になります。今日の代休は明後日の月曜日です。私は月曜日に他の施設を見学に行くことが決まっているので、しっかり休みを取ることは出来ませんが、代休日は朝や夕方の時間を工夫して、工房には行きたいと思っています。個展用に小品を数点作らなければならず、制作日はここしかありません。今日も通常勤務時間で帰りたかったところですが、夜は歓送迎会が組まれていたので、通常より長く仕事に関わった一日でした。私が公務員になった頃は、週休2日制が始まっていなかったので、土曜日は通常の勤務日でした。私が初任だった南区にある職場では、土曜日になると職員で誘い合って、昼食時は近くのラーメン店に出かけていました。次に異動した神奈川区の職場では、激辛ラーメン店に出かけ、激辛具合を職員で競い合っていました。自分を含め、周囲にいた先輩職員も当時は若かったなぁという記憶があります。現在は政府が勧める「働き方改革」があるため、昔のように土曜日が勤務日として復活することはないと思いますが、週休2日制にすっかり慣れてしまった現状では、土曜日まで仕事をしている今週は長いなぁと感じます。明日は工房に行って、精一杯制作をやらなければなりません。

ベラスケス「バリェーカスの少年」について

東京上野にある東京国立西洋美術館で開催されている「プラド美術館展」で、最も呼び声の高い芸術家はベラスケスです。ベラスケスは写実主義絵画の巨匠ですが、描かれた人物の風貌や静物の質感には、目を見張るような表現力を感じました。肖像画の前で時間を忘れるほど佇んだことはレンブラントの絵画を見た時以来かなぁと思っています。一連の肖像画の中で、その特異性で際立ったのが矮人を描いた作品でした。ベラスケスの「バリェーカスの少年」より前に「矮人の肖像」と題名のついたファン・バン・デル・アメンの作品がありました。王侯や貴族が、矮人を身近に置く習慣は古代東洋から始まり、ペルシャ、エジプトを経てギリシャ、ローマ帝国に伝わったようです。彼らを召使いとして仕えさせる動機は、彼らに不完全性や愚かさを見取り、逆に貴族たちは自らの完成性を認識し、その慈愛と寛容を示したのでした。現代では差別的とも捉えられる動機ですが、ベラスケスが生きた時代ではその慣習が定着していました。ベラスケスが描いた「バリェーカスの少年」は、医学的見解では脳水症を患った少年だったようですが、ベラスケスはその障害をことさら強調することもなく、画家の視点もモデルと同じ目線に置かれているため、対象の奇異な雰囲気は感じられません。ありのままの少年を描いているので、前述した「矮人の肖像」と比べると、暫し眺めていないとモデルが矮人なのかどうかがわからないほどです。そうした自然な状態を感じさせてくれる描写表現にベラスケスのベラスケスたるところがあると思うのです。どんな作品であれ、自然の摂理を感じる作品は忘れられない印象を残すと私は思っています。美術史に名を遺した芸術家の作品には、こうした要素があると私は常々確信しています。

上野の「プラド美術館展」

ゴールデンウィーク中の東京上野の賑わいは大変なもので、家内と私はそんな混雑を避けて、夕方の時間帯に東京国立西洋美術館に行ってきました。開催していたのは「プラド美術館展」。副題に「ベラスケスと絵画の栄光」とあり、今回来日したプラド美術館所蔵作品の目玉は、セビリア出身の巨匠ベラスケスの絵画7点でした。もちろんベラスケスだけではなく、ティツィアーノやルーベンスも含まれていて、スペイン並びにヨーロッパ全土の最高峰の芸術作品に触れることが出来ました。20代の頃、私はスペインの首都マドリードを訪れ、プラド美術館に足を運びました。質量とも圧倒的な芸術品の数々に、見て回った多くの作品を咀嚼できず、安宿で呆然とした記憶があります。寧ろ日本の企画展の方が、作品をじっくり味わえるのではないかと思ったほどです。ベラスケスの絵画群は、改めて写実主義の中にあるリアリティを私に感じさせてくれました。図録にこんな一文がありました。「ベラスケス芸術を純粋にスペイン絵画史の文脈において眺めると、その作品の図像学的な特異性にすぐ気づく。同時代のスペインでは、画家の多くが基本的に宗教画を手がけ、一部が静物画を専門としていた。それに対してベラスケスは、後半生の25年、信仰のための絵画を一度も描かず、宮廷肖像画に特化した。そして、ほかのスペイン人画家よりも頻繁に、非常に独創的な神話画や風俗画、風景画を制作した。肖像画についてさえ、矮人や道化の肖像のような割合に珍しい分野を決然と掘り下げたのである。~略~ベラスケスはほかのヨーロッパの宮廷と異なる基準に従って宮廷肖像画を制作したり、身近にあったティツィアーノやルーベンスの作品よりもはるかに色彩への傾倒を推し進めたり、絶えず古典主義に挑戦して独特な主題表現の方法を試したりした。」(ハビエル・ポルトゥス著 豊田唯訳)ベラスケスの個々の作品については別稿を起こします。

汐留の「ジョルジュ・ブラック展」

東京汐留にあるパナソニック汐留ミュージアムは、私にとって感度の高い企画展をやっていることが多く、交通の利便さもあってよく出かける美術館のひとつです。今回の「ジョルジュ・ブラック展」も絶対に見に行こうと決めていました。キュビズムの巨匠ジョルジュ・ブラックはピカソとともに20世紀絵画に革新を起こしたフランスの画家です。描こうとする立体的な対象物を、平面上に分割して再構成をするという手法は、発表当時は議論の的となりました。ピカソは既に知られている通り、キュビズム後も表現方法が次々に変わり、その都度大きな足跡を残しましたが、ブラックはキュビズムに留まり、この手法の論理的な帰結に至りました。ブラックの晩年期には「メタモルフォーシス」と名づけられた絵画以外の素材によって、三次元の半立体の作品を制作し、高い完成度を持つジュエリーや陶器、彫刻が生まれました。今回は「メタモルフォーシス」の日本初の本格的な展覧会のため、私は内心ワクワクしながら、汐留に出かけました。一度平面作品で確かめた構成を、実材を使って作り変える試みは、単なる置き換えとは異なる効果を齎せ、対象物の輪郭の追求が際立っていました。私の個人的な感想としては、ブラックはあくまでも平面性を追求した画家であり、彫刻家ではなかったと僭越ながら思ってしまいました。ブラックの彫刻作品は平面の延長上にあって、たとえばキュビズム彫刻を代表するオシップ・ザッキンとは空間の捉えが違うと感じました。ただし、「メタモルフォーシス」は美しい作品群であることに変わりなく、色彩や構成の楽しさや面白さが私の印象に残りました。ブラックはルーブル美術館での個展も叶い、幸せな生涯を送ったようです。前衛画家にしては数少ない恵まれた人生だったのではないかと思います。

映画「シェイプ オブ ウォーター」雑感

昨年の第90回米アカデミー賞作品賞に輝いた映画「シェイプ オブ ウォーター」を横浜のミニシアターで観ました。これは半魚人が登場するモンスター映画です。モンスター映画がアカデミー賞作品賞を受賞したのは史上初だそうで、そこには現代に通じる様々な要素が散見されているのが受賞に至った理由ではないかと私は感じています。まず時代を米ソ冷戦が過熱化していた1962年にしてありました。捕獲された両棲人間を軍事利用するアメリカ軍、その施設を統括する神経質で邪悪な軍人。まず私が着目したのは当時の強いアメリカを象徴するような軍人とその家庭環境でした。時代設定の62年、まだ幼かった私は海外番組の影響で、アメリカの豊かさを羨望の眼差しで見ていました。軍人の家庭は裕福さを物語っていました。当時は人種差別もあり、アメリカは難しい問題が山積していたにも関わらず、白人優位の社会階層が幅をきかせていました。現在のトランプ政権に当時を彷彿させる気配を感じてしまうのですが、これは映画からの深読みでしょうか。そこに持ち込まれたモンスター。軍人に拷問されるモンスターは神々しい姿にも感じられ、モンスターと交流が始まる言葉が発せない女性とのやり取りは、不思議な美しさを漂わせていました。半魚人のデザインや造形にも、私は目が奪われました。アスリートのような筋肉と魚類系の眼の動き、感情を表すエラに、水陸両棲ならどんな生態系になるのか、創造と試行を繰り返したであろう現代版半魚人の姿に惚れ惚れしました。ラストシーンで、愛で結ばれた女性の亡骸を抱いて、海に落ちていく半魚人、そして海中で蘇生する女性の首にエラが一瞬出来上がっていた数秒の場面が、私には印象的でした。作品賞に輝いた理由はまだまだありますが、グロテスクな世界は人間側にあって、迫害されるモンスターは殉教者のように感じられたのも理由の一つでしょう。最後にデル・トロ監督の言葉を引用します。「僕はモンスターの侍者で、伝道師だ。」

映画「ザ スクエア」雑感

先日、常連になっている横浜のミニシアターに「ザ スクエア」を観に行ってきました。現代美術を扱っている映画というだけで、私は映画館に出かけましたが、内容は人間性の本質に迫る風刺の効いた辛辣なものでした。床に正方形を描いただけの作品が”ザ スクエア”で、枠内では全ての人に平等な権利と義務が与えられるという約束になっていて、この中にいる人が困っていたら、誰であれ手助けをしなければならないというものです。映画ではそうした自らが支持するモラルと、実際に自分が起こす行動との間に差が生じ、葛藤していく場面が描かれていました。現代美術館のキュレーターである特権意識の高い主人公が、”ザ スクエア”を準備する段階で、通勤中に財布と携帯電話を盗まれ、犯人が居住しているビルを探し出し、脅迫めいた手紙を配ります。”ザ スクエア 思いやりの聖域”を扱う美術館の仕事と、犯人捜索のために他人を思いやることがない脅迫文。同時進行して”ザ スクエア”を広報するためPR会社の若手社員が、炎上商法を思いつき、事態はとんでもない方向へいってしまい、やがて主人公は社会的地位を追われることになっていくのです。個人主義と共助の関係、集団的無関心と信頼との関係、寛容な社会とはどのようなものか、メディアの影響力とはどんなものか、この映画は日本人からすれば福祉が発達したスェーデンの現実的な社会を描いていたことも、私には衝撃的でした。映画は私たち観客をも刺激し、こんな場面に遭遇したら、あなたならどうしますか、と問われているように感じました。理想を掲げながら、欲望のために現実から目を背ける自分の闇の部分が暴かれているようで、映画全編にわたって居心地の悪さも感じました。そんな感想を持つことで、私たちはまんまと監督の術中に嵌ってしまっているのかもしれません。社会心理学で言うところの「傍観者効果」や、メディアによる過激な発信を好んでしまう私たちの集団的心理を浮き彫りにした本作は、まさに観客挑発型の映画と言えるでしょう。

GW⑦ 連休の最終日

今年は飛び石連休のゴールデンウィークになりましたが、合計すると7日間の連休がありました。今日が最終日でした。予め一日7時間の作業を考えていて、7日間続ければ49時間になりますが、実際は昨日も今日も7時間を大きく超えてしまったために50時間以上の作業時間になりました。連休の制作目標も大きく変えました。「発掘~根景~」のテーブルの脚に接合する陶板がまだ不足していて、この柱陶を作るために時間を割いたのでした。柱陶の成形と彫り込み加飾が全て終わってから、残り2日で当初の制作目標であった「発掘~角景~」のテーブル制作に取り掛かりました。完成に3日間かかると見積もっていた通り、完成にはもう一日必要です。今日は朝7時から夕方4時まで木彫に取り組んで、何とか「発掘~角景~」のテーブルの脚の部分を完成させました。残りの作業は来週末に回します。ついでに「発掘~根景~」の乾燥した陶彫部品に、仕上げと化粧掛けを施して窯入れもしました。この7日間は陶彫や木彫に真摯に取り組んできました。なかなか計画通りにはいかなかったものの、自分なりには精神的にも肉体的にもこれ以上は無理かなぁと思えるほどの毎日でした。とりわけ精神的な圧迫感を振り払うために映画鑑賞2本、美術観賞2つを夜の時間帯に入れました。肉体的な疲労はあっても、心が元気なら何とか頑張れるものだなぁと思いました。ゴールデンウィークが過ぎても、新作が完成したわけではないので、さらに造形を追及する姿勢は今月も継続です。ウィークディの仕事帰りの夜の時間帯も、工房に行くことになるのかもしれません。新作完成まであと僅か、でもこの僅かになった全体構成を判断する時間が最も長く感じるものなのです。今まで非日常の世界に浸っていましたが、明日から公務の仕事が待っています。通常勤務です。気持ちを入れ替えなければなりません。社会人の多くが明日からの仕事に複雑な思いを持っていることでしょう。

GW⑥ 「発掘~角景~」脚の木彫

ゴールデンウィーク6日目になりました。今日から「発掘~角景~」のテーブルの制作に入りました。まずはテーブルを支える4本の脚ですが、柱状の木材を彫ることにしました。テーブルの柱に陶板を接合する「発掘~根景~」とは雰囲気を変え、「発掘~角景~」の陶彫部品はテーブルの下に吊り下がるだけで、他に陶彫は使わないことにしました。木彫は本当に久しぶりでした。今年は陶彫ばかりやっていたので、木彫技法は新鮮でしたが、土練りで使う筋力と木彫で使う筋力が異なり、今日一日で結構疲れました。まず鑿を研ぎました。鑿を木槌で打つ感覚を取り戻しました。チェンソー等の電動工具も使いました。作り出すと木屑だらけになることを再認識しました。陶彫はモデリングで、木彫はカービングです。彫刻技法で言えば正反対のものを併用しているわけですが、これは従来やってきた自分なりの方法なので、取り立てて違和感はありませんでした。陶彫で作った部品は抽象形態なので、木彫も抽象形態を彫ることにしました。当初から持っているイメージは菱形が連なる柱です。現代彫刻の父ブランクーシの「無限柱」が頭を過ぎりますが、私の場合はルーマニアの片田舎で遭遇した木造民家の柱の方がイメージが強く、当時は魔除けに使われた民俗的な造形に心を奪われました。ブランクーシはルーマニア出身なので、あるいは彼もそうしたルーマニアの民俗的装飾から抽象彫刻を発想したのかもしれません。私は過去にも木彫で菱形のパターンは彫ったことがあります。その時もそうでしたが、今回も彫り跡を残すことにしました。私は木材の素材感が好きなので、鑿の跡は意図的に残しています。陶彫を錆びた鉄のようにするため、指の痕跡を残さないこととは対照的です。木材でも厚板は砂マチエールで覆うことが多く、これは木材である痕跡を消しています。素材の扱いに私なりの理屈があるわけではないのですが、説明のしようのない自己感覚なのでしょうか。今日の作業時間は定番になった7時間ではなく、8時間以上を木彫に費やしました。明日も木彫を継続しますが、明日は早朝から作業を始めないと「発掘~角景~」脚の木彫が終わらないような気がしています。ちょっと焦りだしました。

GW⑤ 柱陶制作&美術館散策

ゴールデンウィーク5日目を迎えました。「発掘~根景~」の柱陶制作が残り8枚となり、今日はこれを完成すべく早朝から工房に出かけました。夕方、家内と東京の美術館へ行く約束になっていたので、その分制作時間を前倒し、午前7時半には工房にいました。夕方楽しみが待っていると思うと、作業は一段と集中するようで、午後2時過ぎには8枚の柱陶の彫り込みは出来上がっていました。成形と加飾の終わった柱陶の、次の工程として乾燥を待つことがありますが、幸い気温が高めの日々が続いていて、1週間もすれば窯入れが可能ではないかと思います。これで個展の準備として陶彫制作をするのは小品のみとなりました。明日から当初制作目標を立てていた「発掘~角景~」のテーブルに取り掛かります。久しぶりにテーブルの脚の部分の木彫を行います。予定通り午後3時過ぎには、家内と自宅を出て東京に向いました。金曜日の国立美術館は開館時間が延長しているので、混雑を避けるために今日のこの時間帯を選んだのでした。予定していた美術館は2つありました。まず東京新橋にある汐留ミュージアム。ここは企業が経営する美術館で、延長時間がないため先に訪れました。開催していた展覧会は「ジョルジュ・ブラック展」。ブラックは、よく知られたキュビズムの巨匠ですが、ジュエリー、彫刻、陶磁器といった絵画以外の作品を集めた展覧会で、企画の面白さに惹かれました。ブラックがこんな作品も作っていたのかという意外性がありました。詳しい感想は後日改めたいと思います。次に行ったのが東京上野の国立西洋美術館で開催中の「プラド美術館展」。案の定、上野は大変混雑していたようで、とくに動物園の方から家族連れが駅に向ってくる光景が目に飛び込んできました。パンダの人気は留まるところを知らず、今日も初夏を思わせる好天気だったので動物園の散策にはちょうど良かったのではないかと思いました。国立西洋美術館の方はまずまずの混み具合で、来日したプラド美術館の所蔵作品を落ち着いて見ることが出来ました。その中でも目玉は数点のベラスケスでしたが、ブリューゲルやルーベンスも見られて満足しました。私は20代の頃にオーストリアに滞在していて、その時にスペインのマドリッドを訪れています。プラド美術館にも行っていますが、微かな印象しかなくて、もう一度訪れたいと願っていました。日本で所蔵作品の一部が見られたのは幸運でしたが、自分が求める作品は美術館が国外に貸し出すことはないと思うので、必ず再訪したいと考えています。今回の展覧会の感想は、後日改めます。今日は早朝から充実した一日を過ごしました。

GW④ 柱陶について

今年は暦の関係で飛び石連休になりましたが、ゴールデンウィーク後半が始まりました。ゴールデンウィーク前半の続きで、今日も柱陶に時間を費やしました。柱陶とは陶板で四方を覆った柱のことで、柱の素材は木です。陶彫だけで柱が作れれば最高ですが、陶は歪んだり、罅割れたりするので、柱の芯には木材を使っているのです。1本の柱の四方に縦に3枚ずつ、合計で12枚の陶板を接着していきます。テーブルの柱は4本あるので、48枚の陶板が必要ですが、以前作った分があり、新たに作るのは残り16枚です。これは今日と明日で作り上げようと思っています。一日のノルマは8枚、厚めのタタラを用意し、そこに彫り込みを施して、ヘラで丁寧に仕上げていきます。乾燥したらヤスリで指跡を消し、化粧掛けを行います。焼成は他の陶彫部品と一緒に窯入れする予定です。陶彫で大きな立体が技術的に作れなかった若い頃は、陶彫の彫り込みをよくやっていました。その頃の自分はレリーフの造形作家としてやっていこうと思っていました。現在は立体にした陶彫部品に彫り込み加飾をやっていますが、柱陶を作っていると若い頃を思い出します。ゴールデンウィーク中の制作時間は一日7時間と決めています。今日まで4日間の休日がありましたが、全て7時間ずつ作業をしています。今日も朝9時から夕方4時まで、じっくり作業をしていました。7時間で柱陶の8枚は何とか作り上げました。予定では明日で柱陶は作り終わることになりますが、明日は夕方、家内と東京に出かけて展覧会を見てくるつもりです。金曜日は遅い時間帯まで美術館が開館しているので、ゴールデンウィーク真っ最中に鑑賞を入れようと思っています。明日は早い時間に工房に出かけていって、新たな柱陶8枚を作り上げようと考えています。制作がもう一息のところまできました。

5月RECORDは「隙」

「隙」は隙間という単純な意味から、不和であったり、油断することであったり、マイナスイメージを連想するコトバです。RECORDは視覚的な構成要素に置き換えるので、心理的な表現を追求することに、たとえば文学や音楽に比べると限界があるように感じてしまいます。今回のRECORDとしては、単純な隙間という意味合いで捉えていきたいと思っています。今年は画面に幾何学的なパターンを持ち込んでいるので、なおさら心情を描くのは厳しいかもしれません。今までも表現が装飾的すぎる嫌いはありました。テーマが深層的なほど、内容に切り込んでいくのは難しいと思っています。言い訳にもなりますが、一日1点を完成させるというノルマは、じっくり考えることに不向きです。瞬時に頭を過るイメージを捕まえて視覚化することがRECORDの醍醐味であろうと思っています。あたかもスポーツのように継続するトレーニングで、造形作品を生み出していくのがRECORDなのです。ただし、自分が許せる一定水準を保つために、1点ずつに丁寧な描き込みをやっています。そこに手間がかかり、多忙な時に仕上げを後回しにしてしまう傾向が自分にはあります。もっと気楽に描ければいいのでしょうが、私は生真面目な性格で、適当な匙加減が出来ません。遊びがないため、洒落た遊戯的な世界観に憧れますが、それをRECORDに持ち込んでも、自分には納得できる作品が作れないのです。イラスト風のRECORDを試みたことが過去にありましたが、自分の作品ではないように感じています。今月は自分らしいRECORDを作っていきます。

薫風の5月になって…

今日から5月が始まります。このところ初夏を思わせる気候が続いていて、まさに薫風の5月といった雰囲気です。今月は新作である陶彫作品の完成を目指します。来月早々に図録用の写真撮影があるため、今月は焦りと緊張に苛まれる1ヵ月になりそうです。私はこうした緊張感が結構好きで、精神的に追い込まれることで、自分の中に眠っている集中力を呼び覚まそうとしているのです。ウィークディは私には公務員管理職としての仕事がありますが、週末の創作活動はあたかも勤務をしているように、決まった時間内で制作をすることを好んでいます。最終段階で勤務時間のような定型を外すことが、作品完成へ向かう筋道だと私は思っています。何故なら、それは私が作るものが創作、つまり精神の産物だからです。通常の精神状態では作品に魂は宿りません。根拠のある説明は出来ませんが、経験上、作品に何かを吹き込むために常軌を逸しなければならぬことが多々あるのです。今月はまさにそうした1ヵ月ですが、仕事で宿泊を伴う県外出張もあって、いろいろな意味で多忙を極める時期だなぁと思っています。それでも美術館や映画館に鑑賞に行くつもりです。RECORDも調子が良いので、継続して頑張りたいと思っています。読書もアートと美学に関する興味津々の書籍のため、楽しみながらじっくり読んでいきます。何とか持久力を保てるように身体を気遣いながらやっていこうと考えています。

GW③ 4月を振り返る

ゴールデンウィーク3日目です。この三連休の後、2日間仕事で出勤し、また4連休があります。今日で前半のゴールデンウィークが終わりました。当初の制作目標ではこの三連休で「発掘~角景~」を完成させるはずでしたが、「発掘~根景~」の柱陶が出来ていないのに気づき、優先順位を変えました。昨日から今日にかけて集中して柱陶の制作を行っていました。柱陶は今まで作ったものを差し引くと、不足分28個を作らねばならないことが判明しました。昨日と今日で12個を作ったので、残り16個になりました。ゴールデンウィーク中に何とかしようと思っています。今日は2晩続いた映画にも行かず、朝からずっと陶彫制作に時間を費やしました。制作に集中していると時間は瞬く間に過ぎていきます。今が頑張り時と自分で覚悟を決めていて、陶土と自分の手を見つめ続けました。ふと気づけば今日が4月の最終日。初夏を思わせる気候になり、作業中は汗が滴っていました。今月は「発掘~根景~」と「発掘~角景~」の制作が佳境を迎え、週末は毎回工房に篭っていました。焦る気持ちは来月も続くでしょう。一日1点ずつ葉書大の平面作品を自宅で制作しているRECORDも充実していました。その日のRECORDはその日のうちに、という初心に返って、この小さな創作活動に邁進しました。鑑賞も充実していました。美術の展覧会では「名作誕生」展(東京国立博物館)、「百花繚乱列島」展(千葉市美術館)、「横山大観展」(東京国立近代美術館)、その他に公募団体の展覧会にも足を伸ばしました。映画鑑賞では「ぼくの名前はズッキーニ」、「女は二度決断する」、「ザ スクエア」(以上がシネマジャック&ベティ)、「シェイプ オブ ウォーター」(横浜ニューテアトル)と続きました。展覧会4つ、映画4本は1ヶ月分としては充分な成果かなぁと思っています。読書はゆっくりなペースで美学者が著した書籍を読んでいます。職場は新しい人事のもとで船出をしました。まだ今後のことは何とも言えませんが、職場が落ち着いて新年度を迎えられたからこそ、私が創作活動や鑑賞に没頭できたのではないかと思っています。そういう意味で全職員に感謝したいと思います。

GW② 柱陶制作と連夜の映画鑑賞

ゴールデンウィーク2日目になりました。今日も朝から工房に篭りました。「発掘~根景~」のやり残した陶彫部品のうち、テーブルの4本の柱に接着する陶板、つまり柱陶がほとんど出来ていないことに気づきました。柱陶は、レリーフ状の小さなブロックを1本の柱につき12枚貼り付けていきます。これは大きな陶彫部品ではないため、軽く考えていましたが、いざ作り出してみると、なかなか大変な作業であることを思い出しました。昨年制作した「発掘~宙景~」と同じ方法で柱陶を作っていく予定ですが、同じ大きさの長方形ブロックに、全て異なるデザインのレリーフを彫り込んでいくのは、結構難しい作業であることを改めて感じました。陶彫部品は成形と加飾の後、乾燥させる時間があるので、早めに作っておかなければなりません。ゴールデンウィークは柱陶制作を中心にやっていくことを念頭に入れました。今日の制作目標は、柱陶の成形と加飾8点と考えましたが、夕方4時までには終わらず、明日に持ち越しになりました。明日はさらに柱陶制作数を増やしていきます。午前9時から夕方4時までの7時間、これがゴールデンウィーク期間中の制作時間と決めています。その日の気分で制作時間を変えると、ゴールデンウィーク7日間の持久力が持たないのです。日々の勤務のように創作活動をやっていくのが、自分にとって最善の方法です。今日も夕方になって家内を誘って映画を観てきました。今日は常連にしているミニシアターではなく、そこから少し離れた伊勢佐木町にあるミニシアターに行きました。いつものように車で出かけ、映画館近くの駐車場に車を留めました。伊勢佐木町は居酒屋が多いところなので、海鮮の居酒屋に入り、夕食を済ませました。車を使っているため、私は飲酒をせず、家内だけがビールを煽っていました。今晩観た映画は、第90回アカデミー賞作品賞に輝いた「シェイプ・オブ・ウォーター」でした。米ソ冷戦下の時代、米軍の研究施設に連れてこられた謎の生物。子どもの頃に声を失った清掃係の女性と謎の生物との出会い。そして種族を超えた愛の物語。最近のアカデミー賞受賞作品は、商業的な成功を考えたものではなく、表現志向が強い映像が選ばれる傾向にあるようです。「シェイプ・オブ・ウォーター」も半魚人というモンスターが登場していたとしても、単なる伽噺ではなく、国家間の冷戦を優位にするための実験材料であったり、異種族との心の交流が描かれていて、内容としては現代そのものの側面を見せているのではないかと感じました。詳しい感想は後日に回しますが、昨晩に引き続き、内容的に濃い映画を連日観ているなぁと振り返っています。ゴールデンウィークは充実しているねぇと家内が帰宅中に言っていました。

GW① 日々の制作目標と土曜名画座

ゴールデンウィークが始まりました。今日はその第一日目ですが、いつもの土曜日と同じで、ウィークディの疲労を引きずりながらの制作になりました。朝9時から夕方4時まで工房に篭り、「発掘~根景~」のやり残している陶彫部品に取り組みました。ゴールデンウィークだからと言って大きな制作目標を設定すると精神的に追い込まれるので、日々小さな制作目標を考え、実行することにしました。一日7時間くらい作業すると、この程度制作が進むという見通しが立つので、その日々の蓄積を信じて只管作ることにしました。「発掘~根景~」の床置き部分3段目の彫り込み加飾と、既に乾燥が進んでいる部分の仕上げと化粧掛け。そして40kgの土練り。7時間の作業ではこの内容になり、何とかゴールデンウィーク初日の制作目標は達成しました。夕方は家内を誘って、このところ恒例になっている映画鑑賞に出かけました。横浜の中心部にあるミニシアターには毎週土曜日に行っています。交通手段は自家用車を使い、映画館の近くの駐車場に留めて、レストランで夕食を済ませ、映画を観た後、車で帰宅というのが定番のコースです。移動の負担が軽く、またレイトショーなので、一日の制作時間を削ることなく、映画を楽しめるので習慣化しているのです。ミニシアターで上映される映画は単純に楽しめるものばかりではなく、社会問題を浮き彫りにしたり、一般的でないテーマを扱っているものが多く、映画を娯楽として考えるより、主張をもった映像媒体と考えた方が適切な場合があります。今晩観た「ザ スクエア」もそのひとつでした。内容を一言で言えば、個人主義が徹底した無関心な社会が齎す影響を描いていて、居心地の悪さ、辛辣なユーモアや皮肉が映画の趣旨になっていました。人間同士の絆が希薄になったヨーロッパ社会を垣間見ていて、思い起こしたのは東日本大震災の犠牲によって取り戻した私たちの絆でした。日本人も欧米人同様、他人に無関心になりがちですが、自然災害の危機感を抱えている以上、私たちはいざという時は人に手を差し伸べることを常日頃からイメージしているのです。映画の詳しい感想は後日に回します。ゴールデンウィークは、初日からしてなかなか充実した滑り出しになりました。

GWをどう過ごすか?

明日からゴールデンウィークが始まります。私たちの職種は暦通りの休みしか取れませんので、ゴールデンウィーク前半が三連休、後半が四連休になります。今年のゴールデンウィークは、6月初めに予定されている図録用撮影に向けて制作一辺倒にする予定です。まずは「発掘~角景~」の完成を目指します。「発掘~角景~」の陶彫部品は既に終わっています。テーブルになる厚板と柱の木彫を今後どう進めていこうか思案しています。「発掘~根景~」は僅かばかり陶彫部品のやり残しがあります。これもゴールデンウィークで何とかしたいと考えています。もう少し欲張ると毎年個展に出している小品も、このゴールデンウィークで何とかならないかなぁと思っています。毎日7時間くらい制作に集中したとして、7日間あれば49時間作業が可能です。気持ちが途切れなければ、かなり作品は進むのではないかと思っていますが、どうでしょうか。創作活動はウィークディの仕事より疲労が嵩んでしまうことがあります。公務員管理職は仕事から帰っても、身体が動かなくなるほど疲労困憊することはありません。精神的ストレスはあっても、肉体的な疲れはないのです。そこへいくと彫刻は大変な表現媒体で、素材との格闘、重力への挑戦、制約の中の葛藤に日々翻弄されてしまいます。絵画やデザイン分野に比べて、彫刻家が少ないのも頷けます。今まで彫刻を作り続けていて、ゴールデンウィークをゆっくり休むことはありませんでした。休んでも陶芸の里に行くか、美術館に鑑賞に行くか、結局創作活動に関係するものばかりでした。それが自分の性分と思えばそれまでですが…。ゴールデンウィークは制作に頑張ろうと思います。

「芸術とイズム」について

現在、通勤時間帯に読んでいる「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)の第三章では「芸術とイズム」について考察しています。筆者の理論は多義にわたり、歴史的考察を踏まえた厚みを持っているので、章ごとのまとめは私にとって困難です。気になった箇所に線を引き、そこを取り上げて、まとめにしたいと思います。「イズム、実践や理論を貫く主義主張のことである。芸術の場合、芸術家のイズムは作品となって現れる。制作はイズムの実践、作品はイズムの宣揚、プロパガンダになっている。アートになって『イズム』が希薄化したとすると、作家に確たる主張がなくなったか、あるいは逆に、個人的な主張が余りにも多様化して、全体を一個の芸術的主張と総括できないかのいずれかだろう。」確かに最近ではイズムという言葉は使われなくなったなぁと思いました。「職人の技術は『良い作品』を作ることで評価される。良い作品とは他でもない、パトロンの要望に合致する作品、しかしてパトロンのイズムが表現され、イズムのプロパガンダたりうる作品である。~略~『様式』は必ずしも職人個人のものではなく、畢竟、パトロンのためのものだった。またそうであるから、個人のスタイルが時代のスタイルでもありえた。~略~それに比べて『アート起業』の方は、意図がはっきりしていて分かり易い。『アート』を商品にして、一儲け企むのである。そのとき、イズムはかえって邪魔になりそうである。パトロンはいないし、もう彼らのために制作することはできない。となれば、アートの相手は大衆、不特定多数の人間である。」一時代前の芸術と現在罷り通っているアートとの相違には、こんなこともあるのかと思いました。ではイズムが希薄になった契機はいつ頃だったのか、印象派の時代から探っています。「プラトンに始まり、キリスト教と融合して培われていったアカデミズムの伝統の中で、一貫して、『感覚』には低い位置しか認められてこなかった。『主観的な感覚印象をなぞる』ような印象派の作品が正しく理解されず、真っ当に評価されなかったのも道理である。」さらに時代は進んで現代に近くなってきました。「ダダイズムは芸術の解放運動であった。あらゆる権威や制度から芸術を解き放つ、そしてもし芸術が何らかの形で制度的になったり、権威的であったりすれば、そんな芸術からも芸術を解放する、それが眼目だった。」これでは第三章のまとめには到底なりません。大意の論点を絞る力は私にはありませんが、次の章に繋げたいと思います。   

横山大観「生々流転」

東京国立近代美術館で開催されている「横山大観展」の目玉は大作「生々流転」です。私は「生々流転」に描かれている水墨が織りなす自然のドラマが見たくて、東京竹橋までやってきたのでした。「葉末に結ぶ一滴の水が、後から後からと集まつて、瀬となり淵となり、大河となり湖水となり、最後に海に入つて、龍巻となつて天に上る。それが人生であらうかと思つて、『生々流転』を画いた」と横山大観は述べています。海に入って龍巻になった大気は、やがて陸地に雲となって戻り、雨を降らせ、また葉末に結ぶ一滴の水になることを考えれば、水の循環は永遠に続く自然界の営みと言えます。大観の畢生の作と誰もが認める「生々流転」は、常軌を逸した長さである40メートルを超える壮大な絵巻で、私は全貌を見たのは初めてでした。本作と併せて「生々流転」の「小下絵画帳」がありました。私はまずこれに興味が湧きました。山脈と木々が鉛筆によって立体的に描写されていて、濃淡の表し方は西洋画法の塊としての解釈がありました。それに比べ、本作の「生々流転」では岩山が整理され、墨による片ぼかしやデザイン化された波の表現に、引き締まった抽象化を感じました。小さく点在する人物は、どこかとぼけた漫画風で、クスッと笑えるような風情でした。後半、大海の情景で波だけが4メートルも続く画面があります。これから始まる大自然の渦巻くドラマに導くために敢えて退屈な場面を用意したのでしょうか。図録では「待ち」という言葉を使っていましたが、私はベートーヴェンの第九の合唱に入る前の「待ち」の演奏に見立てていました。図録にこんな一文がありました。「発表当時から『大観氏は東洋が伝統の精髄を掴み、又それを根本思想なる老荘哲学に反映せしめるのである』という見方がなされていた。大観は師の岡倉の影響を受けて老荘的世界観を内に育んでいたから、たとえば『上善は水の如し』というような老子の思想を反映して、《生々流転》の主題に水を選んだのだろうと指摘されている。」(鶴見香織著)

竹橋の「横山大観展」

先日、東京竹橋にある東京国立近代美術館で開催中の「横山大観展」に行ってきました。横山大観は、我が国の近代画壇では抜群の知名度を誇る日本画家ですが、経歴を辿ると決してアカデミズムの本流を歩んできたわけではなく、寧ろ在野で存在感を示した巨匠でした。本展は生誕150年の記念展として企画されたもので、青年期から晩年に至る大観の画業をまとめて見ることのできる貴重な機会と言えます。大観は東京美術学校1期生で、岡倉天心の薫陶を受け、また奇抜な発想で人を驚かすのが好きだったようで、なかなか魅力的な人ではなかったかと思われます。今更何を言っているのかと思われますが、青年期の絵画を見て、私は改めて大観の卓抜した描写力に驚きました。晩年になって表現が象徴化していった時も、並行してモチーフを入念に描写していた作品がありました。対象をどのように表すか、大観が一貫した研究を行っていたことを示す資料作品を見て、私は背筋が伸びました。図録にあった文章を拾ってみます。「明治期の朦朧体の試みの中で、大観は大気や光を通して見た対象の描写に関心を寄せていた。対象の描写に対する意識は、明治期と手法は違えども、大正期においてもこのように一貫して大観の中に存在し続けたといえよう。~略~若い世代が新たな表現を模索する中で、大観は『只独り東亜の芸術、力ありてこそ新しき日本建設の先駆となる事、此こそ再び世界に闊歩するのを堅く信じ』、日本画の復興に務めようとした。」(中村麗子著)また私が興味を持った箇所に画家の比較論があります。「竹内栖鳳はリアリステックであり(中略)横山大観はアイデアリスチックであり(中略)それは栖鳳が純粋京都人として、商人の子として生れ活きた境涯と、四条円山派の現実的写実主義の芸術教育に影響せられた結果に因して居る時、横山大観はあの勤王尚武の精神の熾んであった水戸藩士の子として生まれ、橋本雅邦や岡倉覚三等の東洋的理想主義に薫陶され、影響された結果に因している」(豊田豊著)嘗て竹内栖鳳の大きな展覧会を東京国立近代美術館で見ました。現在、同美術館で横山大観の大きな展覧会をやっていて、東西巨匠の因縁を感じています。画風は違えども画面から発せられるオーラは甲乙つけ難い迫力を持っています。横山大観の個々の作品については別稿を起こすことにしました。

映画「女は二度決断する」雑感

先日、横浜の中心街にあるミニシアターに「女は二度決断する」を家内と観に行きました。ドイツのハンブルグを舞台に、主人公は生粋のドイツ人女性、夫はトルコ系移民、そこに生まれた一人息子。麻薬に手を染めて服役していた夫でしたが、息子が生まれてから、真面目に働くようになり、幸せな家庭を築いていました。ある日、夫の事務所の前で爆発があり、一瞬にして夫と息子を失ってしまった主人公。在住外国人を狙った人種差別主義のテロであることが判明し、容疑者が逮捕され、そこから裁判が始まりました。裁判では被害者の人種や前科をあげつらい、思うような結果の出ない法廷に、主人公はいらだちます。そこで主人公が最終的に下した決断、これがこの物語の趣旨になるところでした。法の裁きに不満だった主人公がとった行動は、「目には目を 歯には歯を」というハンムラビ法典を彷彿とさせる復讐劇でした。主人公も品行方正とは言えない環境、それでも無差別に行われた極右グループのネオナチによるテロ行為。容疑者は若い男女2人でした。男の父親は息子がヒトラー信奉者であることを法廷で告げました。父親の勇気のある行動に一瞬ホッとしましたが、それも束の間、証拠不十分という判決に憤りを覚えました。現代社会が直面している課題を、本作が炙り出しているような感覚を持ったのは私だけではないはずです。愛する者をすべて失ったら、自分はどうするだろうと私も考えました。自分には守るべきものが何もないと思った時に、どんな行動に出るだろうか、絶望の果てに何が見えてくるのか、映画の疑似体験で得るものは必ずしもハッピーエンドではありません。法律という規制に感情は収まり切れるのか、そんな究極の状況をイメージし、そこから自分なりの決着の仕方を導き出すよう促すのも映画の役割なのかもしれません。