「能動的認識行為の現象学」①

「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)は第一章から第十二章からなる論文で、どこを捲っても難解な表現が目につきます。本書が下敷きにしているはユダヤ系オーストリア人のエトムント・フッサールの思索です。フッサールは初め数学の研究者であったのが、そののち現象学を提唱することになった哲学者で、「存在と時間」の大著で知られるハイデガーは、大学でフッサールの助手を務めていたようです。ハイデガーとは学問の方向性の相違から、その後袂を分かつことになるのですが、自分が退官した大学にハイデガーを推薦する等、フッサールはなかなかの人徳者だったのかなぁと想像しています。そのフッサールの現代的解釈を著した本書は、現象学の考え方を知る上で有意義な箇所が散見されます。比較的分かり易い箇所を引用いたします。「同じひとつのモノであっても、見る者の立ち位置や照明の加減、障害物の有無などによって見え方、眺望が異なるという、こうした現象をパースペクティブ(眺望)現象とよぶ。フッサールは、同一のものがさまざまに現れるその仕方を『現出』『射映』とよんだ。~略~モノを直接観察して現れと比べることはできなくても、『決定的証拠』があればいいという考えもありうる。あるいは逆に、われわれには『現れ』しか見えないのだから、それ以上のなにかを想定する必要はないという考え方もありうる。それに対して、フッサールがとったやり方は、多様な現れが構造化される仕方を分析することだった。~略~だがそうはいっても、多様な現れが構造化されるとは具体的にいかなることなのだろう。実在実験において決定的な役割を果たす現れをフッサールは『明証』とよぶ。」今日はここまでにしたいと思います。次は明証の相対性について書いていきます。

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