イサム・ノグチ 「あかり」と牟礼
2020年 9月 11日 金曜日
「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第42章「小麦そのもの」と第43章「赤い立方体、黒い太陽」のまとめを行います。いよいよノグチが晩年に差し掛かり、私が最も影響を受けた代表作品が登場してきます。1960年代半ばには彫り跡を残し、磨いた面や加工した面を織り交ぜて充実した空間を有する石彫群が生まれました。同時に和紙と竹による「あかり」が登場しました。「《あかり》は、アートは日常生活の役に立つ一部となりうるというノグチの考え方を完璧に表現する。~略~ノグチがたえずデザインをしなおしたことが、店にとっては《あかり》を売りにくくした。ノグチはランタンを非対称にすることでコピーをほとんど不可能にし、ときには竹の助材を取り去った。~略~ノグチが《あかり》に感情的に執着したのは、一説によれば子ども時代の父親の記憶と関係があるという。ノグチが月を見るまで寝ないと言い張ったとき、父親は障子の反対側に明かりをおいた。~『日本というバックグランドは、ぼくに簡素なものに対する感性をあたえた。それはぼくに、より少ないものでより多くをおこなうこと、そして自然をそのディテールすべてのなかで認識することを教えた。たとえば小麦が加工されたら、麦粒には似ていない。小麦を味わいたかったら、パンは食べない。ぼくの彫刻は小麦そのものなんだ。』」次の章ではマリーン・ミッドランド銀行の広場に設置された金属による巨大な赤い立方体に関することから始まり、やがて石彫による「黒い太陽」が登場します。「歳月を重ねるにつれて、ノグチはしだいに日本に多産する花崗岩と玄武岩を彫るというむずかしい仕事に惹かれていった。~略~和泉は讃岐岩、それから地元の庵治石から円盤の切り出しにとりかかった。一年後、四国にもどったノグチは感心した。1968年以降、和泉正敏はノグチの生活と仕事にかけがえのない存在となる。間もなくノグチも牟礼の和泉家の所有地にアトリエを構え、和泉の協力を得て、これ以降の作品のほとんどをそこで制作することになる。そのなかでも最大のひとつはシアトル美術館の《黒い太陽》である。~略~たしかに《黒い太陽》は動きに満ちる。永遠の静止を内包しているように見えてなお、光が変化するにつれて花崗岩のへこみとでっぱりのおかげで輪は転がるように見え、それが彫刻に瞬間性をあたえている。」私が複数回訪れたイサム・ノグチ庭園美術館設立の起源がここにありました。