彫刻における台座の意味

「地面が庭園の一部であるのと同じように、床を彫刻の一部である場所、あるいは平面と考えた。~略~ノグチは、日本では地面に据えられた岩は『下にある原始の塊体から突き出す突起を表現している』と言った。庭園の構成要素は、鑑賞者の想像のなかで大地の下で結合される。」という一文は、「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)の中でイサム・ノグチより提唱された彫刻の在り方に関するものです。彫刻の台座を取っ払い、彫刻が置かれた地面を表現の一部にする考え方に、私は大いなる共感を覚えました。また原始の塊体から突き出す突起を表現しているという発想も、まさに私自身の陶彫による集合彫刻に通じていて、この時代にイサム・ノグチが既に思考していた彫刻の概念に感じ入ってしまいました。彫刻にとって台座とはどんな意味を持つのでしょうか。絵画における額縁と同じで、芸術品は美術館で鑑賞するものという前時代的な概念があるために台座を用意していると言えるでしょう。私も人体を塑造している時は台座も作っていました。その頃の彫刻は生活とは切り離した表現であったのですが、彫刻が建築を初めとする環境造形に進出してから、彫刻的世界が生活の中に取り込まれていったように思っています。造園家だった亡父が造営していた庭園の考え方に彫刻が歩み寄ったと私はふと思いつき、私自身も立体概念が変わっていきました。まさにイサム・ノグチ的空間転換だったと思い返しています。私の「発掘シリーズ」は大地から突き出した造形物をイメージしていて、本書にある通り、鑑賞者の想像のなかで大地の下で結合される要素があります。ただし、現代彫刻における台座は不要なのかというと、そうではありません。台座の上の彫刻を鑑賞するための台座ではなく、台座そのものも表現の一部になっているケースもあるからです。たとえばジャコメッティの針金のような人体は台座が重要な表現になっています。台座を表現の一部にした作品は、台座まで鑑賞の対象になります。芸術品の展示方法は時代を反映していると改めて感じてしまうこの頃です。

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