イサム・ノグチ 自伝と遊び場

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第40章「自伝に向かって」と第41章「形態と機能の入門書」のまとめを行います。自伝を出版することになったノグチは筆者ジョン・ベッカーとの間にトラブルに見舞われますが、その前に彫刻の空間概念に関する興味ある個所がありました。「(ローマの)アカデミー滞在中にノグチは床を台座として使う彫刻の制作を始めた。地面が庭園の一部であるのと同じように、床を彫刻の一部である場所、あるいは平面と考えた。~略~ノグチは、日本では地面に据えられた岩は『下にある原始の塊体から突き出す突起を表現している』と言った。庭園の構成要素は、鑑賞者の想像のなかで大地の下で結合される。」私自身の彫刻観とも相通じる概念がここに出てきました。話を自伝に戻します。自伝出版に関するトラブルは、ノグチが自伝に手を入れて筆者との誤解を正そうとし、また印税の分配でも揉めて、結局プリシラによって仲介されたことが分かりました。決着するまで紆余曲折あったわけです。「本は一人称で書かれ、自分が言うのではない言い方で自分が考えていないことを言われるのは不可能です。」次章「形態と機能の入門書」では、ノグチが拘った遊び場に関する記述がありました。「自伝では遊び場をつくるには子どものように考えなければならないと述べている。『ぼくは遊び場を形態と機能の入門書と考えたい。単純で神秘的、そして想像力をかきたてる。したがって教育的でもある。』」このプロジェクトは建築家ルイス・カーンとの協働であってもなかなか実現せず、ノグチを苛立たせました。「ジェイコブスは、ノグチは最近日本で《子どもの国》と呼ばれる遊び場を完成したのに、自分の祖国では遊び場設計者としては『名誉のない預言者』であると指摘した。~略~コラボレーションについてカーン自身は楽観的な見方をしていた。『私は建築の言葉では語らなかった。ノグチは彫刻の言葉では語らなかった。私たちのどちらもが建物を地形の輪郭の一部としてとらえていた。しかも独立した輪郭ではなく、絡みあい、漂ったりしている輪郭の相互作用として。そしてそれは、建築を主張するものでも、彫刻を主張するものでもないことを願っていた』。」横浜にある「子どもの国」はノグチ設計による遊び場だったことを改めて認識しました。

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