横浜の「大・開港展」

今年我が街横浜は開港150周年を迎えています。先日幕を閉じた「Y150」の観客動員数をめぐっては賛否両論があって、今後の始末を考えるべきでしょうが、横浜の開港が150周年を迎えていることには変わりなく、ここは横浜市民として素直に喜ぶべきと思っています。現在、横浜美術館では表題の展覧会が開催されているので見てきました。江戸時代から幕末の動乱期、そして明治時代の優れた工芸品が中心となった展示内容で、その技巧たるや目を見張るものがありました。当時、ヨーロッパの万国博覧会でこれを見た海外の人々が驚いたことをどこかで読んだことがありますが、今の自分でさえ精緻な造形に脱帽してしまいます。油絵はこの頃西洋から入ってきて丹念にその技法を学んでいる様子が、絵を見るとよく伝わります。光や陰影を捉えて、線ではなく量感として表す西洋技法を、日本人特有の生真面目さで描いています。やはり当時は絵画や彫刻といえども芸術より職人の域で仕事をしていたので、芸術という概念がなかったのか、または育っていなかったと考えるべきでしょうか。あれこれ先祖が辿った道を探っていくうちに、幕府が鎖国を解いて、横浜が開港し、堰を切ったように西洋文化がなだれ込んできた当時の混乱した事情が少しわかったような気がしました。

収納木箱の準備

前に実家の車庫にあって風雨に晒されていた「発掘〜円墳〜」と「発掘〜地下遺構〜」を、今夏大汗をかいて倉庫(工房)に持ってきたことは、いつぞやのブログに書きました。さらに梱包してあったダンボールを全て処分しました。作品は剥き出しのまま工房に放置していますが、陶彫のパーツはやはり梱包しておいた方が無難と考えて、今日は木箱を作ることにしました。「発掘〜遺構〜」は全て木箱にして積んであります。「円墳」も「地下遺構」もそれに習って、合板でとりあえず600mm×450mmで高さ450mmの直方体の箱を15個準備しました。それで済む量ではありませんが、まず似たサイズのパーツから梱包していこうと決めました。今日のところはそんなことを工房でやりましたが、木箱を作るのに時間がかかって15個全ては終わりませんでした。彫刻の制作も進めていかなくてはなりませんが、同時に工房の整理として旧作の保護も必要なのです。これは自分が懸念していることのひとつです。旧作はまだ別の倉庫に保管してあって、出来るなら年内に全ての旧作を工房に収納したいと考えています。そのための梱包材を新たに作ることも頭に入れておかなければなりません。現在の2つの作品を早く収納できる状態にして、次の旧作の運搬に移りたいと思います。

週末のひとりごと

週末で時間があるというのに制作は思うように進まず、ボランティアの子が土錬機を動かしている間中、自分はウロウロしてしまいました。RECORDをやってみたもののやはり乗らず、結局木彫の仕上げ彫りは出来ませんでした。10月も半ばになり工房内が涼しかったせいか疲れが出たのかもしれません。それでも工房内で過ごす時間は珠玉の時間です。FMラジオから流れる音楽を聴きながら、ぼんやりしているのもいいものです。公務員を退職したら、ずっとこういうふうに過ごすのかなと思っていますが、まだ実感は沸きません。ずっと工房にいるのなら、長椅子があった方がいいかな、作品棚はもっと必要かな、書棚もあった方がいいかな、簡単な料理ができるようにすればもっといいかな、などなど頭の中で想像が膨らみ、ひとりごとを呟きました。でも場所は農業用倉庫として建てたものなので、とてもカッコいい空間にはなりません。なんだか中途半端に過ごした時間が嫌になって、夕方近隣のスポーツクラブへ行って、ひたすら泳いできました。緩んだ気持ちを吹っ切って明日の制作に臨みたいと思います。            Yutaka Aihara.com

芸術家宅を訪ねる随想

「瀧口修造全集1」に収められている「ヨーロッパ紀行」の中に、ダリを訪ねた時の随想が載っています。アトリエの中の描写やダリの人柄に、ほんの少しばかり親近感が持てるような気になります。スペインの海辺のアトリエは理想的な環境だろうと思いつつ、大きなカンバスが立てかけてある部屋の様子から言えば、日々制作に励む日常が垣間見えます。「見えない彫刻」の著者飯田善國も同書の中で、ココシュカを訪ねた時の随想を載せています。ダリやココシュカのように美術史に名を刻んだ巨匠を訪ねた時の印象は、一生忘れない思い出でしょうし、何かに留めておきたい気持ちが湧くのではないかと思います。自分もウィーン国立美術アカデミーに在籍していた20代に、同校でマイスタークラスを持っていた画家フンデルトワッサーに会って話をしたことがあるのです。内容はよく覚えていませんが、「色彩が欲しい」と私の版画作品を見て言っていたことだけは記憶にあります。もっとゆっくり話せばよかったと今では後悔していますが、当時自分はまだ20代で、会えただけで有頂天になってしまったようです。それだけに芸術家の自宅やアトリエを訪ねた随想を見つけると、ともかく読んでみて、自分なりにあれこれイメージしてしまうのです。

蓄積という安心を得る

自分が制作に没頭できるのは週末だけです。それこそ週末は朝から晩まで作業に打ち込んでいます。ウイークディは横浜市公務員という身分なので、制作に没頭はできません。その代わり、僅かの時間でも制作を続けるという自分に課したノルマがあって、小さな平面作品を毎日作っています。このブログも同じです。心が浮き足立って楽しい時もあれば、仕事に疲れて制作なんてやっている場合じゃない時もあります。それでもそこだけは自分に厳しく、制作が乗ろうが乗るまいが継続あるのみです。一日のうち多少でも創作活動に関われば、ずっと先になって後悔することはないと思うからです。以前のブログにも書いた記憶がありますが、これは塵も積もれば山になる例え通り、蓄積していく創作活動です。蓄積によって心の平穏を保ち、安心を得ることにも繋がっていきます。この塵のような蓄積はRECORDというタイトルでホームページにアップしているので、発表する場所があります。不特定多数の人に見られるという意識が、自分にとって大変プラスです。毎日作って、インターネットに乗せる、この方法により塵のひとつひとつが意味のある塵になっていくと思っています。                Yutaka Aihara.com

ひらがなの詩

ホームページを持つようになって、アップした画像の合間にコトバを書いています。学生の頃から詩が大好きで、自宅の書棚には今も学生時代に集めた詩集が眠っています。埃を叩いて、たまに頁をめくって、今の気持ちに合ったコトバを探します。書店の立ち読みでも同じで、コトバが気持ちに寄り添ってくると、つい購入したくなります。学生時代のバイト代のいくらかはそれに費やしています。ひらがなだけで書かれた詩集にコトバの面白さを感じる時があります。ひらがなや漢字やカタカナが共存している日本語に慣れた眼には、ひらがなだけのコトバが飛び込んできて、意味が瞬時に掴めないもどかしい面白さがあるのです。ひらがなだけで辿る日本語は不思議な感覚に襲われます。じっくりと、そしてフワフワと、心に直に響くように入ってくるのです。「ひとりでるすばんをしていたひるま きゅうにはだかになりたくなった あたまからふくをぬいで したぎもぬいでぱんてぃもぬいで くつしたもぬいだ よるおふろにはいるときとぜんぜんちがう すごくむねがどきどきして…」(「はだか」谷川俊太郎)幼くて乾いたエロティシズムを感じる詩です。自分は今やひらがなの持つ不思議な魅力に憑かれつつあります。

「起源」HPギャラリーにアップ

今年の7月の個展に発表した「構築〜起源〜」がホームページのギャラリー・ページにアップしました。ちょっとフランスあたりの白黒映画のような、またはアンティックショップで売っているような写真に仕上げてあります。抽象形態でまとめた彫刻作品が、詩情を醸し出しているミスマッチが何とも愉快です。これがヨーロッパの街角で人物や背景を捉えた写真であれば、ごく普通の写真になってしまいますが、被写体が抽象彫刻というのが面白いのです。ずっと自分の作品を撮り続けているカメラマンの遊び心によるもので、毎回こんな演出を考えてくれています。自分のホームページにあるギャラリー・ページは、作品を作る自分と、それを演出するスタッフ(カメラマンやHPアートディレクター)の協働によるもので、自分としては大歓迎なのです。自分は彫刻を見る一方的な眼しか持てず、そこに映像という別な眼が加わることで、自分の気づかない世界を知ることができるからです。これは自分にとって大変幸運なことで、彫刻家とカメラマンのコラボレーションをいつもホームページ上でやっていることになり、日々の制作とは別の世界が生まれていると言っても過言ではありません。なお、自分のホームページはこの文章の最後にあるアドレスをクリックしていただけると入れます。ホームページに入ったらGALLERYのページをクリックしてください。ご高覧いただけると幸いです。                  Yutaka Aihara.com

「瓦礫A」荒彫り終了

昨年のブログを読むと、「起源」の柱の彫りの進み具合のことをよく書いています。ブログはもちろん万人に公開しているものですが、自分の制作工程のメモとして活用していて、現在の作品の進み具合をリアルタイムで報告しています。今日は土曜出勤の代休で、朝から工房に籠もって作業をしていました。自分には幸福な時間帯です。「構築〜瓦礫〜A」の柱8本の荒彫りが今日終わりました。まだ仕上げをしていないので、木彫が終わったわけではありませんが、木片を気持ちよく削いでいく仕事は終了です。荒彫りは健康的な作業でバンバン仕事が進みます。カタチが大雑把に出てくるのも気持ちがいいものです。逆に仕上げは造形的な面白さが半減しますが、木目の美しさや優美な感じを味わえるのが一興だと思います。次回から仕上げに入ります。同時に陶彫も進めなくてはなりません。新作は木彫部分よりも陶彫部分の方にウエイトがかかっているのですから…。

秋晴れの週末

農業用倉庫として建てた工房ですが、住居機能はないにしても、最近は使い勝手がよくなりました。空調がないため、今夏は蒸し風呂のような暑さの中で、引越し作業や整理を行いました。整理はまだ完全ではありませんが、作業はやり易くなっています。今日は秋晴れの一日で、湿気が少なくて、工房では気持ちのいい時間を過ごすことができました。杉の柱の荒彫りを進めましたが、真夏のように汗が吹き出ることもなく、坦々と鑿を振るっていました。この自分と向き合う時間が、自分にとって一番幸福な時間です。貴重な週末のかけがえのない時間。自分の内部にあるカタチを「発掘」し、「構築」していく作業。今日も次から次へと休むことなく作り続けました。ふと、作業中に自分は立ち止まりたくないのかもしれないと思いました。ずっとイメージを追い求めていたい、さらに変われるものなら変わりたい、昨日の自分を脱皮したい、そんな欲求があって、ひたすら作り続けているのだと思っています。                           Yutaka Aihara.com

休日出勤の一日

今日は週末で、本来なら杉柱の荒彫りをやっているはずですが、休日出勤になりました。職場でも仕事を抱えている人が個人的に休日仕事をやりに来ることはよくあることですが、組織的に休日出勤する日はそう多くありません。代わりに職場全体で月曜日休むことにしました。週末がずれたカタチになります。自分は制作が出来れば、どこで休んでもいいのです。休日出勤のメリットは通勤電車が空いていること、本庁から電子メールが一通も来ないこと、電話も少ないことです。仕事はいつものように多くの書類処理があって、始まれば土曜日という感じがしませんでした。でもやはり土曜日まで働くというのは、一週間がとても長く感じます。前は土曜日も働いていたのに、週休2日制になったために、その習慣が身についてしまったようです。労働時間で身についた習慣と言うのは、身体のバイオリズムまで変えてしまうようです。週末になると作品を作りたくなるというバイオリズムもあるのかもしれません。

市松模様の展開

今月のRECORDは市松模様を基本に、そこに他の要素を持ち込んで作品にしています。ちょうどチェス盤の上に様々な駒を置いていくような按配です。ブログで度々繰り返して書いていますが、RECORDとは一日1点ずつ作品を制作し、その蓄積としての行為を総称したものです。大きさはポストカード大で、主に平面作品でやっていますが、かつてはレリーフのようになっている作品も作っていました。市松模様で印象的なものは京都桂離宮の青と白の襖です。現代的な感覚が日本家屋の中にあって、かえって新鮮でした。RECORDの展開も何か新しい要素が欲しいと常日頃から思っているのですが、今のところ薄っぺらなイメージしか浮かびません。もう少し別の視点があればと思索しています。RECORDの今シーズンも残すところあと3ヶ月となりました。今シーズンはパターン化したフォルムの繰り返しをやってきましたが、そろそろ方向転換がしたくなっています。

「聖地チベット」展

今月12日「体育の日」の休日を利用して、東京上野公園にある3つの美術館(博物館)を見て周りました。3つ目に訪れた上野の森美術館では「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」展が開催されていました。ここに入場して、まず思ったことは若い観客が多いということです。チベット仏教の仏像や曼荼羅を熱心に見入る若い男女がよく目につきました。アジアの国々を旅したい思いなのか、また旅をしてきて、その思いを振り返っているのか、十一面千手千眼観音菩薩像や男女2対が一体化した父母仏立像やタンカ(チベット軸装仏画)をじっくりと眺めていました。自分もチベット人の美的感覚はひとまず置いて、その仏教美術の手の込んだ凄まじさに思わず見入ってしまいました。これは日本の仏像にも言えることですが、仏教の法典やその思想を折りあれば勉強したい欲求に駆られます。それらを学んだ上でチベットに行って、仏教美術が生まれている環境を体感したいと思いました。造形美術はその根幹に哲学を有しています。その哲学が純粋に美的価値を求めているのか、また宗教としての哲学を持っているのかで造形の在り様が変わってきます。それは洋の東西、古代から現代に至るまで全てに関わってくるものです。作品がどんな思想を表しているのかを探り、そうしたモノが出現する土壌を考えることは異文化理解に欠かせないことだと思います。

「皇室の名宝」展

一昨日の上野の美術館(博物館)巡りの2館目。東京国立博物館で開催されている「皇室の名宝」展に行ってきました。駆け回った3館のうち一番混雑していたのが、この「皇室の名宝」展でした。展示されているのは有名な作品ばかり。皇室の所蔵ではありますが、これは日本の名宝であり、どの作品にも見られる迫力ある表現は、日本人として誇りを感じました。写真図版でよく見る狩野永徳の「唐獅子図屏風」は、バランスの取れた構図に加え、筆致も的確で勢いがあり、鬣の渦巻く獅子の風貌は、しっかりとした骨格の上に風格のある表情が生まれていて気持ちよさを感じました。伊藤若冲の連作は鶏や花々が精緻な技法をもって描かれていて、とくに羽根の幾重にも重なる表現には浮き出てくるような空間が感じられ、その内容と技法は充実期を迎えた画家を物語っているように思えました。こういう大作ばかりが並ぶシリーズを見ていると、こちらまでウキウキしてきます。画家がこれでもかと自身の可能性を試しているようで、たとえばスポーツによって鍛えこまれた筋肉を作品がもっているように自分には感じられるのです。変な例えですが、自分はいつもこんなふうに感じています。「皇室の名宝」展を見ていたら、純和風の幕の内弁当が食べたくなりました。ちょうどお昼時だったせいかもしれませんが…。                          Yutaka Aihara.com

「古代ローマ帝国の遺産」展

本来なら公立美術館(博物館)の定休日は月曜日なのですが、昨日は「体育の日」だったので、美術館は営業をしておりました。そこで、東京上野にある3つの美術館(博物館)に足を運び、上野で体験できる世界一周美術の旅に出かけました。欧州代表は「古代ローマ帝国の遺産」展で西洋美術館、日本は「皇室の名宝」展で国立博物館、アジア代表は「聖地チベット」展で上野の森美術館。以前のブログにも書きましたが、一日3館までが美術鑑賞としては限界なので、昨日はこの3つの展覧会を満喫してきました。今日はまずイタリア美術を取り上げます。ヴェスヴィオ火山の噴火によってポンペイ等の街が灰に埋まって、それ故現在まで克明なカタチで遺産が残されたのは歴史の皮肉というべきか、ともあれ民家に残された壁画や装身具を、我々は目の当りに見ることができるわけです。とくに「庭園の風景」と題された壁画は、まるでA・ルソーの油彩画のような芳しい色彩美に溢れ、美術館の長椅子に座って、じっと眺めていると、葡萄の蔓が絡まる豊かな庭園が想像できました。ギリシャ彫刻のある柱にも新鮮さを感じました。かなり前に自分は5年間の滞欧生活を経験しているのですが、その時は何てことのなかった西洋の美が、今こうして日本で見ると不思議な魅力に輝いて見えます。ワインとパスタが恋しくなったひと時でした。                Yutaka Aihara.com

中国伝統楽器の夕べ

三連休最終日は制作を休んで、午前中は東京上野の美術館3館を駆け回り、午後は中国の伝統楽器の演奏会に出かけました。家内の知人で胡弓仲間の人が中国伝統楽器を独奏するというので、横浜の神奈川県民ホール(小ホール)に行き、二胡や板胡、高胡、二泉琴の音色にしばし時間を忘れました。最後にミニコンサートをした師匠の陳臻さんの演奏が大変素晴らしく、これを聴くことができて良かったと思える夕べになりました。家内のやってる胡弓と中国の伝統楽器はかなり異質なモノで、たとえば二胡はピアノと合奏していました。胡弓は三味線と合奏するので、二胡の方が音色としては西洋楽器に近いのかもしれません。また自由さもあるように思えます。陳臻さんの演奏した「三門峡暢想曲」は、フィナーレを飾るのに相応しい大作で、音色の緩急が胸中に染み入りました。ご本人の言う「日本と中国の懸け橋となるように…」という意図が演奏を通じてよくわかりました。自分のやっている造形美術もそうですが、音楽にも国境はないとつくづく感じます。    Yutaka Aihara.com

工房に籠もり放し

三連休2日目。今日はボランティアの助っ人が来ないので、工房には自分ひとりです。朝6時半に工房に行って、昨日のうちに原形モデルが出来ている陶彫土台の石膏取りを行いました。9時に自宅から電話があって朝食に一旦帰り、また工房へ。次に木彫の荒彫り。杉の柱8本のうち今日まで荒彫りが終わっているのが4本。今日は2本彫って残りを2本としました。そんなことをしているうちに気づいたら夕方になっていました。それからRECORDの制作。一日一枚のペースで作っているRECORDですが、彩色や落款を押すのをまとめてやってるので、それから2時間作業をしました。そろそろ眼がつらくなって、今日はここまでにしようと筆をおいたのが午後5時過ぎ。結果、朝から10時間以上も工房に籠もって作業していることになりました。昼食をとるのも忘れていました。週末の貴重な時間をフルに使ってノルマを果たすことに集中して、制作を楽しむ余裕やあれこれ考える暇もなく今日が過ぎていきました。充実していたという思いはありますが…。   Yutaka Aihara.com

木彫・陶彫 2つの工程

今日から三連休で工房に籠もって制作三昧の予定です。木彫は荒彫りを進めています。陶彫は石膏型を作ってから成形する作業に移ります。木彫は鋸を挽き、鑿を振るって大まかにカタチを彫り上げていきます。今日もボランティアの子が来て、石膏型の原形モデルを作ってくれました。自分が木彫、ボランティアの子が陶彫の基礎部分をやっているわけです。木彫と陶彫の作業を同じ空間で同時にやるのは初めてのことです。つまり、この木彫と陶彫が組み合わさり「構築〜瓦礫〜A」になるのです。木材の香りと石膏の匂い。何とも心地いい雰囲気です。こうした制作の現場に立ち込める匂いや音やその他諸々のことと自分はずっと付き合ってきました。考えてみれば彫刻を学び始めた学生時代と同じことを今でもやっているのです。初志貫徹。これは幸せなことかもしれません。20歳代に願ったことが、人生の輪郭として実現できているのですが、ただし中身については未だ実現できず、つまり求める彫刻が未だにできていないのです。だからこそ制作が継続していけるのだと今は考えるようにしています。                   Yutaka Aihara.com

芸術家の生きざま

瀧口修造著「幻想画家論」に出てくる芸術家は、幻想的な作風を確立した人ばかりなので、その生きざまも常軌を逸しているようです。昨日ブログに書いたピエロ・ディ・コジモは「かれは人間よりも動物に近い生活をしていた…決して室内を掃除させず、食事も飢じいときにとる…葡萄はのび放題で、地を這うままにうちすてて置いた…しばしば動物や植物などの畸形のものを見に出かけ…病人が唾を吐きかけたしみだらけの壁を立ちどまって凝視しながら、そこに騎馬戦争の場面や見たこともない幻想的な都市が見え…かれはゆで卵を常食のようにして…50も煮て置いて、籠のなかから一つずつ取り出して食べる…」といった生活ぶりが、常人ではない偏狭ぶりをよく表しています。また、ゴーギャンは「散歩しているところを…水兵と大喧嘩になり踝を砕かれた…パリで最後の夜、影のように寄り添ってきた街の女から有毒の接吻をうけた…くじいた足は僕を極度にくるしめ、二つの傷は口を開けたまま医者も閉じる術を知らない(於タヒチ)…パリの最後の夜にうけた梅毒に加えて、湿疹は脚の半分を侵し、夜も眠れなかった。」という記述があります。そんな生活のあれこれが作品と共に印象に残って、それでも芸術を求めて生きた彼らは、凄まじい孤独と戦った生涯と言えるでしょう。  Yutaka Aihara.com

ピエロ・ディ・コジモ

ピエロ・ディ・コジモ。実は最近知りえた画家です。学生時代ばかりではなく、滞欧時代を通してもピエロ・ディ・コジモについて意識したことはありませんでした。ウィーンで暮らしていた頃に、フィレンツェを訪れていて、ピエロ・ディ・コジモの絵画にどこかで出会っているはずですが、数多いイタリア絵画に圧倒され、さらに旅の疲れも加わって、見逃してしまっているのです。当時在籍していたウィーン国立美術アカデミーの併設美術館で出会ったボッスにも当時の自分は無知でしたが、やはり生活の場で出会ったボッスと、旅先で出会ったはずのピエロ・ディ・コジモとの間には、自分の中に占める存在が違ってきていました。ピエロ・ディ・コジモは、A・ブルトン著「魔術的芸術」の中で大きく紙面を割いていて、さらに今読んでいる瀧口修造著「幻想絵画論」でもルネサンス期の特異な画家として取り上げられています。現代のシュルレアリスムにも通じる摩訶不思議な怪物が登場するピエロ・ディ・コジモの本物の絵画を、きちんと見てみたいと願っています。フィレンツェで生まれ、彼の地で活動していたにも関わらず、権力者であったメディチ家とは疎遠であったことが、ピエロ・ディ・コジモをいち早く発見出来なかった所以でしょう。自分の滞欧時代にルネサンスの巨匠たちの作品はじっくりと鑑賞していて、いまだに印象強く思い出されます。次にイタリアに行く機会があるとすれば、ピエロ・ディ・コジモをじっくり見たいと思っています。                           Yutaka Aihara.com

幻想画家論

ボッス、グリューネウァルト、ピエロ・ディ・コジモ、ラ・トゥール、ルドン、ゴーギャン、アンソール、ムンク、スーティン、クレー、エルンスト、デュシャン…「瀧口修造全集1」に収められている幻想画家論で取り上げている芸術家です。今夏読んでいたA・ブルトン著「魔術的芸術」と重なる芸術家が多いのは、瀧口修造が同じシュルレアリスム論者としてブルトンと似た趣向があるのかもしれません。自分も上記の芸術家は大好きで、展覧会があれば必ず見に出かけています。自分は学生時代にゴーギャン、ムンク、クレー、エルンスト、デュシャンに心酔していました。上記の他の芸術家は滞欧時代に知りました。とくにボッスは、当時自分が在籍していたウィーン国立美術アカデミーの併設美術館が所蔵していて、いきなりボッスの絵画に遭遇して、病にかかったようにその不思議な世界の虜になってしまいました。ボッス・ワールドのもつ謎の解明は、帰国してから日本語で書かれた論文によって知ることができました。それでもオーストリアで原書を買って帰り、そのまま自宅の書棚に埋もれたままにしてあります。「瀧口修造全集1」の幻想画家論を読んでいると、そうした幻想絵画との出会いが思い出されてきます。20代の鬱々とした滞欧生活の中で、自分の心の襞に入り込んできた幻想絵画は、鬱積した青春の匂いがします。

「瀧口修造全集」を紐解く

先日読んだ「老人力」(筑摩書房)から一転して「瀧口修造全集1」(みすず書房)を紐解きました。軽妙洒脱な「老人力」と、幾重にも重なった深い洞察に裏づけされた瀧口修造の論文集。あまりにも違う世界を描いても、それを読んでいる自分には不思議と違和感はありません。「老人力」の赤瀬川氏は前衛芸術を体現した人で、その運動の仲間に瀧口氏の薫陶を受けた人がいたりするためかもしれません。あるいは赤瀬川氏と瀧口氏の接点がどこかにあるようにも思えます。瀧口修造は美術評論家であり、詩人であり、シュルレアリスムの理論(翻訳も含めて)を提唱した我が国の第一人者です。自らもアート制作を試みています。J・ミロやA・ブルトン等の交流もありました。これほど魅力的な仕事をした人がいるでしょうか、もう少し世代が近ければ自分は何としても瀧口修造に会いにいったと思います。夏に読むはずだった著作集を手に入れて、ようやく自分は瀧口修造の全貌に触れようとしています。しばらくは重い書籍を抱えて通勤電車に揺られる日々が続きます。瀧口修造が語る芸術家の作品を頭に描いて、その論考に触れるのは自分にとって大変幸せな時間です。

「老人力」を読む

「老人力ときて、あとがきとなると、何だかもう遺書みたいだけど、そうではない。ふつうにあとがきである。」書店で立ち読みをして、まず目についたのは本書のあとがきでした。思わず吹き出して、即購入。「〜力」という最近流行っているコトバは、この赤瀬川原平著「老人力」が発端らしいのです。赤瀬川氏は大学の先輩にあたる人で、世代はだいぶ違うのですが、前衛美術集団「ハイレッドセンター」で活躍したことは美術雑誌等で知っていました。自分の学生時代は、こうした前衛集団はいろいろ理論武装していて過激なパフォーマンスがあったりして、近づき難い存在でした。アートをやって逮捕されたりするのは、自分にはついていけない世界でした。当時自分が関心をもったアングラ演劇集団も似たところがあったのですが…。そのうち赤瀬川氏はテレビに出てコメントをするようになって、親しみやすく、あるがままの人柄が滲み出ている感じがしました。そこにこの「老人力」。ともかく面白い本でした。あっという間に読んでしまいました。自分もそんなことを考える歳かなぁと思いつつ、力が空回りしてしまう若年時代を振り返り、なるほど老人力は老人でなくても感受したい力だと思うようになりました。これは生きるツボのようなもので、力まずに豊かに自分を表現できる術を学ばせてくれました。                       Yutaka Aihara.com

石膏の型を作る

昨日練った陶土はたたら(板状)にして、少し乾燥させて土に強度が出始めたところで、立体構成のように立ち上げていきます。土台になる面が平面であれば、すぐにでも成形を始めるのですが、今回の新作は土台が彎曲しています。そこで土台にする型が必要になります。この型は石膏で作ります。粘土で原型を作り、石膏をかけて原形の雌型を取るのです。学生の頃は塑造で人体を作っていたので、その粘土の原形から石膏に変える方法を幾度かやっています。これを石膏型取りと言って、石膏の雌型をいくつかのパーツに分けて取るのです。理由は原形が複雑なため、原形の粘土が雌型からうまく外れてくれないからです。パーツに分けるのにあらかじめ切り金(真鍮の薄板)を原形に差し込んで、そこから石膏型が分かれるようにするのです。でも陶彫の型はそんなに複雑な原形ではないので、単純な石膏型取りになります。慣れ親しんだ石膏を初めて工房に持ち込んでの作業です。石膏を水で溶き始めると、学生時代に悩んでいた塑造が目に浮かびます。当時は粘土から石膏に変えた作品が気に入らず、直彫りで何度か鑿を振るい、結局は失敗と認めた作品が数多くありました。そんなことを思いながら石膏の型を作りました。                               Yutaka Aihara.com

土錬機・菊練り

今日はボランティアの子が工房を訪ねてくれました。美大でグラフィックデザインを勉強した子ですが、陶芸に関心があって手伝いに来たのです。まず二つの陶土の割合を決めて土錬機にかけることを教えました。それぞれの土を計量器で量り、少しずつ土錬機に入れて、完全に混ざったら菊練りをしてビニール袋に密閉するという作業です。「発掘シリーズ」の土の質感はこんな工程で得られるという話もしました。町の陶芸教室ではこんなことは教わらなかったと言って、土練りに新鮮な驚きと戸惑いがあったようでした。自分の土をアレンジして作る作業は、何度もテストピースを作って試行錯誤して得られるものなのです。ましてやそれに釉薬が加われば、その実験たるものは大変なものになります。陶芸家はそうしたメモを持っていて、轆轤を挽く作品の用途、大きさ等によって使い分けているのです。自分は焼き締めのオブジェなので、そこまでのテストはしませんが、大きな作品で強度を保つための工夫は必要です。今日初めて土に触れたボランティアの子は、やはり菊練りまではいきませんでした。こうしたことは習うより慣れろと言われます。まったくその通りで、土のこなしにかかる両手の力と角度の入れ具合は、見て覚えて体感するしかないと思います。陶芸には人を魅了する力がありますが、楽しいことと同時に技能的・職人的に耐えなければならない仕事もあることも忘れてはいけないと思います。              Yutaka Aihara.com

7月個展批評より

ビジョン企画出版の小冊子に7月個展の批評が載っていました。「従来の遺跡出土品みたいなのから、四角錘を縦に繋げた木の柱状の構築物に発展している。変化が始まったということ。」短文でしたが、陶彫で作っていた「発掘シリーズ」から変化していることを取り上げてくれています。さらなる変化に来年、再来年は挑むつもりですが、自分には揺り戻しがあって、振り子のように「発掘」と「構築」を行きつ戻りつするのではないかという予感があります。スパイラルのように自分が求めたい世界が深まっていくことが、自分にとって一番いい方法と考えているからです。どんどん無造作に展開して異質な世界に入っていくことは自分の性格上ありえないのではないかと思います。自分には壊そうとしても壊しきれないものがあるのではないか、それでも余計なモノはどんどん省かれて、より深い造形世界を手に入れられると信じてやみません。決して器用ではない自分がしっかり構えて作る世界は、外に向かって多様に広がるものではなく、自分の内面に向って掘り下げていくものだと思っています。                    Yutaka Aihara.com

10月の目標設定

10月になって、クールビズから一変してネクタイ着用で職場に出勤しています。月初めはいつも目標を定めて創作活動に励む心構えでいます。計画倒れになることも多いのですが、それでも1ヶ月くらいの目標設定が自分にはちょうどいいところです。1ヶ月のうちに週末が4回きて、それでどこまで制作が進むのか、今懸念される新作はどうなるのか、いくつかのハードルをクリアして何とかカタチにすることが出来るのか、さしずめ今月の目標はこんなところで、新作「構築〜瓦礫〜A」を少しでも具体化することを考えています。具体的には杉の柱の荒彫りを終えることです。併行して陶彫の成形を多少でも作っておくことです。新作は木彫と陶彫の組み合わせで成り立つ作品ですが、陶彫の割合が多いので、木彫に時間をかけていると間に合わなくなる恐れがあります。とか言っても窯の試運転をするまでは、陶彫がどうなってしまうのかわからない不安がつき纏っています。空気が澄んで紅葉が美しくなる季節です。そんな中で精一杯制作をやっていきたいと思っています。Yutaka Aihara.com

RECORD8.9月分アップ

昨年この時期に作ったRECORDの8月分と9月分がホームページにアップしています。RECORDという作品はポストカード大の平面作品で、一日1点ずつ制作しているのです。いわば毎日の記録(RECORD)です。このブログと同じで継続することに意義のある行為です。片手間でやっているようでいて、これがなかなか厳しい時があります。5日を単位として繰り返す方法を試みてから気が楽になりました。ただし、画面上の実験を思いついても時間的に無理が生じたり、何も思いつかない日があったりで、作意の繰り返しに流れてしまうことがあります。そこに公務員をやりながら作り続ける難しさがあると実感しています。最後につけるコトバはもっと苦しくて、自然に気づくあれこれを素直なコトバにすることは至難の業です。もともと自分は感性に響くコトバを持っていないのかもしれません。それでも詩(のようなモノ)を作りたくて厚顔無恥にも、この世界に足を踏み入れようとしてしまうのです。言い訳がましいことはともかく、自分のホームページに入るのには、この文章の最後にあるアドレスをクリックすれば入れます。ご高覧いただければ幸いです。                    Yutaka Aihara.com

「土器の始まりと造形」展

一昨日、都立美術館、都現代美術館を見て歩き、最後に池袋に行きました。美術館のハシゴも3館までが限界だなぁと思うようになりました。学生の頃はさらに画廊を10軒ほど走るように回り、家に帰るか倒れるかという鑑賞姿勢を誇ったものでしたが、家内の不平を聞くこともあって、せいぜい展覧会は一日3つまでにしたのです。人で賑わうサンシャインシティ内の雑踏から、古代オリエント博物館に行くと、あまりの静寂にホッとため息がでました。階下のキャラクターグッズで溢れるところから、悠久の時を刻んだ古代の器たちのいるところに来て、何故か身体から一気に疲れがでました。眠気も出ました。もちろん退屈だったのではなく、心が解きほぐされたような気分でした。考古学的な興味ではなく、シンプルな美しさに打たれたのです。とりわけ日本の縄文土器はやはり世界の土器の中で見ても面白く感じました。アンデスの土器の文様も楽しく、人や動物を模った壺は日常品というより饗宴の場で使ったものではないかと思いました。           Yutaka Aihara.com

東京の「伊藤公象展」

昨日、上野の「トリノ・エジプト展」を見た後、地下鉄で清澄白河駅まで行き、表題の展覧会を見てきました。あえて「東京の…」としたのは5月3日に茨城県笠間の陶炎祭に行き、その会場があった芸術の森公園で「伊藤公象展」を見ているからです。その時購入した図録には東京でも開催される予定があったので、どうしようかと迷っていました。知人から招待状をいただいたので、それならば行こうかということになりました。迷った理由は、普通の陶芸作品ならもう一度見に行くことはしないと思うのですが、伊藤公象の世界は、作品が置かれる環境によって作品の感じ方が違うのです。どんな空間を与えられているか、屋内なのか屋外なのか、いわば場を創出する装置のような作品群なので、異なる美術館であれば異なる世界が生まれるわけです。実際に見て笠間と東京は印象が異なりました。笠間は土に馴染んだ環境ゆえか自然なままの土に見え、東京は張巡らされたコンクリートの中にあって異質な別世界が忽然と現れたような印象でした。同じ土で焼成したものでも、まるで違う印象に奇妙な面白さを感じました。           Yutaka Aihara.com

「トリノ・エジプト展」にて

先日出かけた「海のエジプト展」に続き、今回は陸のエジプト発掘品で構成された「トリノ・エジプト展」を見てきました。海の場合と異なり、石碑の彩色や木製の棺等がしっかり残っていて、細部まで鑑賞できました。自分は石像に興味を持ち、家内は装飾品に興味があるので、展覧会では一緒に見て回れません。ただ、お互い一致しているのは展示品全てにわたって、考古学的な興味ではなく、美的な基準でもって展示鑑賞に没頭していることです。だから音声ガイドを使ったことはないし、順番に見て歩くこともしません。何かを感じ取れば、そこを動かないし、考古学的に重要であっても美的に馴染まなければ流してしまいます。少々厄介な鑑賞者であろうと思いますが、古代の職人が彫ったエジプト独特な立体形式には、いつも魅かれるものがあって、つい行きつ戻りつしてしまうのです。ヒエログリフも迷路のような造形物として見ると、美的なイメージが広がります。こうした展覧会を見ていると一度エジプト本国に行って、広大な野外で見たら、これら象徴的な形態がどんなふうに見えるのだろうと考えます。イタリアのトリノも行きたいのですが、まずエジプトに行って、エジプトの空気の中で巨大な造形物を味わいたいと思っています。 Yutaka Aihara.com

途切れ途切れの制作

週末になると工房に入り、制作に没頭したいところですが、他の用事もあって、午前中2時間、午後2時間の途切れ途切れの制作になりました。自宅の近くに倉庫(工房)を建てたのが便利である一方、作業をほったらかしにして出かけられるので、これはどうしたものかと考えてしまいます。ボランティアの学生が来ると、彼らがいる間は自分もずっと工房にいて制作に没頭できるので、以前のように彼らを呼ぼうと思っています。彼らは工房の手伝いもしてくれますが、彼ら自身の制作や大学の課題をやっていることが多いのです。でも、それでお互いを縛ることになって、結果としてみればお互い仕事が進むのです。心理学で言うところの社会的促進というものです。自分ひとりで何かをするよりは人目につくところでやる方が能率が上がるというわけです。今日は途切れ途切れではありましたが、木彫をやりました。8本の柱のうち、3本目の荒彫りに入りました。「構築〜瓦礫〜A」の制作工程で言えば、まだ入り口です。余裕と思っていても、時間は案外待ってくれず、大抵つらい思いをする羽目になります。もっとやらなければと思いつつ、野暮な用事に右往左往していた一日でした。               Yutaka Aihara.com