縄文土器 民族の生命力

表題は岡本太郎著「日本の伝統」の中に収められている縄文土器を扱った章です。今夏新潟県の十日町市博物館に行き、国宝「火焔型土器」を見て、自分もかつて岡本太郎の文章に啓発されて、縄文土器の美しさに気づいたひとりとして、もう一度「日本の伝統」を読み返してみたくなったのです。「彼らはきわめて厳格な宗教儀式なしには猟ができないと考えていますが、それはけっしてたんに功利的な理由ではありません。〜略〜矛盾にたいしてとられる、せっぱつまった厳粛な営みにほかならないのです。そこに不安と危機があります。強烈な矛盾に引きさかれ、それに堪え、克服する人間の強靭な表情を縄文土器ほどゆたかに誇り、しめしている芸術を私は知りません。」といった文章はどれもテーマに対してまっすぐに語られていて、気持ちよさがあります。まるで縄文人が自作を語っているようであり、文章によって縄文文化が構築されていくようです。なるほど若い頃の自分に沁みてきたエッセイだなと改めて思った次第です。

「魔術的芸術」ふたたび見出された…

A・ブルトン「魔術的芸術」の最終章に辿り着きました。今夏ずっと本書を読んでいたわけではなく、いろいろ浮気もしましたが、これはなかなか手強い書物であったという印象は拭えません。最終章は「ふたたび見出された魔術 シュルレアリスム」で、ブルトンの世界観が面目躍如とした章です。本書で、シュルレアリスムは「人間精神の全面的な建てなおし」と述べ、「心の領域の深みにおける内観と、宇宙および情念の激動への狂おしい参加とを一体化させるような『王道』」と説いています。デュシャン、クリンガー、デ・キリコ等を流暢に論じていて、「魔術的芸術」がふたたびシュルレアリスムによって継承され、「精神の無条件の解放」を結びの言葉にしています。読み終えてみると、本書は最終章で語られていたシュルレアリスムの視点・思考が、即ち「魔術的芸術」の根幹を成すものではないかと思ってしまうほど、最終章で述べられていることにすべてが向っていたとも思えるのです。通念の美術史を別の角度から論じた本書は、歴史の継承が論証によって影にも日向にもなりうることを示しています。書店で偶然見つけた本書には、自分の興味関心がある図版が多く掲載されていたので、つい購入して読むことになったのですが、本書をじっくり読み解きながら、今夏は素敵な時間を過ごせたことに感謝せねばなりません。またこんな本と出会えればと願っています。

「アフリカの美」展にて

現在、MOA美術館で「アフリカの美〜ピカソ、モディリアーニたちを魅了した造形〜」という企画展が開かれていて、これは自分の興味関心のある分野なので、休日の高速道路の混雑にも関わらず、熱海まで出かけていって見てきました。かつてニューヨーク近代美術館で「20世紀美術におけるプリミティヴィズム展」があって、それに関する分厚い書籍(図録)を、自分が滞欧していた国で手に入れて持っています。その書籍はドイツ語で書かれています。(翻訳はキツいので図版だけ見ていました…)今回の「アフリカの美」展は、ピカソを初めとするヨーロッパの巨匠との作品をアフリカ民族の仮面や布と並列して、確かにその相似性を打ち出した展覧会ではありますが、それだけに留まっていない印象を持ちました。アフリカでそれらのモノが美術ではなく、儀礼や日常生活の中から生み出されてきたモノであることを捉え、さらに現代アフリカの「美術」も総括する内容になっています。いわば西洋一辺倒な考え方(ヨーロッパの芸術家がアフリカから着想を得た当時の思想)から、一歩抜け出し、アフリカ側の美術も網羅した展覧会になっていると思いました。 Yutaka Aihara.com

「魔術的芸術」二つの大いなる…

A・ブルトン「魔術的芸術」もあと少しで終わりです。先日出かけた「ゴーギャン展」に纏わる章に差し掛かりました。「二つの大いなる綜合」という副題がついた章です。二つというのはギュスターヴ・モローとポール・ゴーガン(ゴーギャン)の二人の画家を指します。「魔術的芸術」で取り上げる芸術家はいずれも特徴があって、この二人の画家を見てみると、なるほどと頷けるものがあります。モローは神話の探求に専念し、魔術的な「眼」をもつ画家として語られ、今までの頽廃主義的な評価に厳しい論評を加えています。ゴーガンの作品もいたるところに魔術が存在すると書いていて、批評家のいう原始主義に対して批判的です。両巨匠とも「魔術的芸術」の観点からすれば、美術史の中で重要な役割があっていいはずと思えてきます。「ゴーガンの絵画はヒューマニズムなどではなく、タブローの物質的諸要素そのものから出発する神話の探求である。」という箇所が印象に残りました。  Yutaka Aihara.com

「パウル・クレー 東洋への夢」

表題の展覧会は、静岡県立美術館で開催されているもので、知人からチケットをいただいたので行ってきました。クレーはたびたびブログに書いている画家で、この巨匠に関する興味はずっと尽きません。自分は20代前半で初めてミュンヘンに行き、レンバッハギャラリーで見たクレーの版画や素描に刺激を受けて以来、ずっとクレーの展覧会があると出かけていました。今回の企画は、日本や中国の美術に対するクレーの影響が、どんなカタチで表れているかという視点で、主に素描を中心とした展示内容になっていました。やはりクレーは面白いと改めて思いました。サクっと描いた線や思い惑う線がクレーの心理描写そのもので、落書きのような紙片がクレーの内面を雄弁に物語っていました。北斎漫画のポーズを模した小作品に、自分は何かを瞬間的に感じ取って、当時クレーの身近で起こっていた出来事等に思いを馳せました。晩年迷いの無い線や面が強靭な画面を作り上げても、カタチや色彩の詩人でありつづけたクレーの詩魂を感じずにはいられませんでした。

疲労感と充実感と…

この夏は例年の夏より疲れていると感じることがあります。職場にいる時の立場のせいか、たまに休みを取れば新潟県や群馬県や長野県を渡り歩いているせいか、倉庫を建設して作業場として整備を急いでいるせいか、原因はよくわかりません。例年も夏の暑さと戦い、土練りや木に鑿を振るう毎日を過ごしているのですが、今年は定番化した夏の習慣とは少し違うので、やはり疲れているのかもしれません。早く倉庫での作業に明け暮れたいと思っていても、気ばかり焦って物事進まずといったところです。先日の作品引越しの疲れがまだ残っているらしく、今ひとつヤル気が出ないのです。明日もう一日休みをもらって…と思っているのですが、ブラブラ出来ない性分なので、静岡県に行ってしまうことになりそうです。それでも作業が習慣化した生活を夢見て、今月が終わるまでには何とかしたいと考えています。     Yutaka Aihara.com

軽量棚搬入で環境作り

亡父が残してくれた植木畑に倉庫を建てて、作業場の確保に全力を注いでいます。今日はスティール製1800×900×600の軽量棚が10台搬入されてきました。その組み立てに汗を流しましたが、今日だけでは終わるものではありません。出来上がった棚に収納箱を入れると少し室内の雰囲気が変わりました。どんな環境の中で作品のイメージが生まれ、また具現化していくのか、作家にとっては大切なことです。昨日伺った長野県の池田宗弘宅は、ドン・キホーテに現代の風刺を語らせ、またキリスト教に纏わる群像を真鍮直付けという技法で数多く制作する作家に相応しくスペインの修道院を模した工房です。塀に囲まれた中庭(野外)で溶接等の金属加工が出来るようにしてあります。蔦の絡まる壁に置いた真鍮の立体作品が、池田先生の美意識を物語っているように思います。では自分はどうなのか。自分が建設した場所は、まるで工場のような無味乾燥な空間です。外には緑が溢れていますが、室内は鉄骨等建築素材丸出しのオープンスペースになっています。でもこの合理性が自分には合っていると思っています。自分はこうでなくては作品のイメージが出てこないのです。軽量棚に道具や工具を整理して、早く作業を始めたいと思う今日この頃です。                     Yutaka Aihara.com

「池田宗弘が見た善光寺街道」

表題の展覧会は、長野県東筑摩郡朝日村にある朝日美術館で開催されています。彫刻家池田宗弘は自分にとっては師匠で、彼から彫刻のノウハウを教わり、今もお付合いをしていただいている人です。毎年夏に東筑摩郡麻績村にある池田先生のアトリエを訪ねるのが習慣になっています。今年は池田先生の住んでおられる周辺地域の旧道を先生自身が調べられて、絵地図としてまとめられた作品を、同地の美術館で発表することになったようです。先生曰く「スペインの巡礼地と同様に、日本中にその名は知られていた信仰の古道、廃れた善光寺参りの道、利用されなくなった状況に初めて気がついた。しかし意識して見ると古い民家もあり、歩き道は美しい風景の中に続く。その道と村々には驚く程沢山の石造文化財が地元の生活の中で大切にされ日々の習慣や年中行事の伝承に深く関わり続けていた。」といった動機で、この途方も無い調査を始められたようです。作品はまだ未完とおっしゃっていましたが、ざっと見るだけで1時間はかかる量が展示されておりました。美術館を出た後、先生宅にお邪魔して時間を忘れるほどお喋りをしてきました。相変わらず先生のお元気な様子を拝見して、ほっとしています。

「魔術的芸術」混沌への…

A・ブルトンの「魔術的芸術」を読み進み、ついに表現主義の時代に到達しました。昨年夏のブログに表現主義について多くの文章を掲載していることもあって、「魔術的芸術」における「混沌への誘い 表現主義から表意文字へ」の章は大変興味深く読むことができました。マルクの色彩を帯びた幻覚的な動物たちのモチーフ、ムンクの人間の苦悩を描き出す精神性、そして多く紙面を割いているのはカンディンスキーで、「魔術的芸術」の論点からカンディンスキーを知ることになりました。昨年夏に読んだカンディンスキーに纏わる評論や「点・線・面」などの自論に加えて、ブルトンの「カンディンスキーは世界の再創造の中心に一気に飛びこんでゆき、『抽象』の問題を提出すると同時に解決してしまう。(中略)カンディンスキーの作品は、『カオスの通過』のリズミックな、また、象徴どころではない紋章的な解決を提示している」という文面を通して、抽象化を進めた芸術の開拓者の並々ならぬ業績を感じずにはいられませんでした。             Yutaka Aihara.com

体力消耗の一日

今日はレンタルトラックで、朝から夕方まで実家と新築した倉庫を何往復かしました。実家の車庫に置いてある「発掘〜円墳〜」「発掘〜地下遺構〜」「発掘〜遺構〜」の3作品を倉庫に移すためです。この3作品はいづれもテーブル彫刻で集合体で作られています。そのため数々のパーツが箱に入っています。「発掘〜遺構〜」は木箱に入っていたので問題はなかったのですが、残り2点の作品はダンボール箱だったため、形がやや崩れ、また屋根つきの車庫といえども雨の影響もあって、何箱かは作りかえる必要を感じました。とにかくトラックに箱を積んで実家と倉庫の往復を繰り返すことはとても大変でした。今日に限って手伝う人がいなくて、おまけに炎暑に見舞われ、体力を消耗しました。汗が滴るシャツを何枚も替え、ミネラルウォーターをがぶがぶ飲みながら、立体作品は元気じゃないと出来ないなぁとつくづく思いました。もう一回トラックを借りて、別の倉庫から新築した倉庫へ作品を持ってこなければなりません。それはまた次回。もう少し涼しくなってからやりたいと思います。                      Yutaka Aihara.com

「魔術的芸術」大いなるあやかし…

A・ブルトンの「魔術的芸術」を読んでいます。「大いなるあやかし」という章に差し掛かり、「眼の錯覚の不思議とその限界」と副題がついています。いわゆる「だまし絵」を含めた視覚を惑わす絵画世界の論証です。ウッチェロはシュルレアリスムの先駆者と言われている画家で、「情熱と想像力と、もっとも厳密な数学とがまざりあった」画面で、特異な世界観にかなり紙面を割いています。続いてヴァン・エイクの引用もありますが、何と言ってもアルチンボイドの肖像画が登場し、「不思議な肖像の数々を制作するにあたって用いている寓話的要素の選択と配置が、ほとんど秘教的な配置の結果であるとする証言が存在する」といった論証が続いています。A・ブルトンはシュルレアリスムの思想家であることを考えれば、こうした世界に多角的にスポットライトをあてて検証することは当然であると思えます。   Yutaka Aihara.com

「ゴーギャン展」を見る

東京国立近代美術館に出かけたのは久しぶりです。皇居の周りを走る人たちを横目で追いつつ夜美術館に入りました。金曜の夜は遅くまで開館しているので、きっと混雑は免れると思っていたのですが、まだたくさんの人がいて熱心に見ていました。「ゴーギャン展」は代表作が来ていて、大いに満足しました。実はゴーギャンは昔から大好きなのです。今読んでいるA・ブルトンの「魔術的芸術」で、かなり紙面を割いてゴーギャンを論評していました。論評にざっと目を通したのですが(それは後述)、今回は実際に自分の目で確認したゴーギャンの世界について述べたいと思います。誤解を恐れずに言うなら、ゴーギャンの絵画で、最初に目に飛び込んでくるのは、独特な色彩で大きく分割された画面構成です。平塗りのようでいて不思議な立体空間を感じさせる色面。風景や人物の輪郭そのものが立体を予感させるような骨太で繊細な平面。画面上のひとつひとつが独立しているようなコラージュ化したモチーフ。そこに光を利用した立体感とも違う象徴とも表現主義とも言える世界を自分は感じ取ってしまうのです。この不思議な感じを持ち続けたまま美術館を後にしました。まだ考えが及ばないところですが、これは追々考えていきたいと思っています。                 Yutaka Aihara.com

「魔術的芸術」伝説的メッセージ…

A・ブルトンの「魔術的芸術」を読み進んで、ついに近代の時代に入ってきました。「伝説的メッセージの継承」という章はルネサンスから始まりますが、ここでは有名なダ・ヴィンチではなく、コージモを取り上げています。「汚物にまみれた壁に、彼はこの世のもっとも美しいもの、馬や戦い、すばらしい都市や壮大な風景を読み取っていた。」とコージモ絵画を語っています。次にカロンという政治的アレゴリーや壮麗な祭儀を描いた画家に不安な想像力を見出しています。そこからアングルにいたるまで通念としての美術史にはほとんど登場しない画家が続いています。「魔術的芸術」という視点で美術史を見直す時、最近になって発見された画家も含めて、近代的思考による合理化(ルネサンス等)と相容れない要素があって、人間が創造的行為のために何を受け入れてきたかを浮き彫りにする結果になっています。  Yutaka Aihara.com

「魔術的芸術」遠まわりの…

A・ブルトンの「魔術的芸術」を今夏じっくり読んでいます。表題の「遠まわりの魔術」というのは本書の中で中世の芸術活動を扱った章です。ビザンティンの宗教的厳格さからの解放によって、悪魔のテーマを画家たちが挙って取り上げる時代背景があり、デューラーやグリューネヴァルト、さらにボードレールの言葉に「ひとりの人間の知性が、どうしてこれほどの悪魔的なものや驚異をふくみ、これほど恐るべき不条理を生み、描写しえたのだろうか。」と言わしめたブリューゲルの活躍が記載されています。後半はボスの諺に基づいた宗教絵画、とりわけ信仰主義と反抗精神とが奇妙なかたちで結びついた芸術家のことが論じられています。ボスの代表的な絵画における様々な論証が、ボス・ワールドの魅惑に憑かれた自分にはたまらなく楽しくて、この「遠まわりの魔術」の章だけでも充分と思わせるだけの知識が詰まっていると感じました。「ボスは、理にかなったカタルシスによってではないにしても、少なくても、<善>と<悪>とが大きく発展したかたちで融和している作品の完成によって、自分が『救われている』と考えているように思われる。」という箇所に大きく頷いてしまいました。

HPに2009個展がアップ

7月に開催した東京銀座のギャラリーせいほうでの個展の様子をホームページにアップしました。「発掘〜赤壁〜」と「構築〜起源〜」の彫刻2点を中心に、小品の「球体都市」数点を加えた構成になっていて、ギャラリー内の配置がよくわかる画像です。今回は明るく爽やかな会場風景になっていて、これはもうカメラマンのアレンジに尽きると思っています。ホームページの中のEXHIBITIONをクリックすると、最初の個展から今回の4回目の個展までスライドして見られるようになっています。自分にとっては、それぞれの個展に思いがあって、あの時はこうだったなぁと振り返りながら見ています。ホームページの中のGALLERYやOTHERにアップされた作品は、かなり演出されていて、それはそれで面白いのですが、EXHIBITIONの中の作品は、当然ながら自然なままの状態を見ることができます。ぜひ、一度ご覧になってください。ホームページにはこの文章の最後にあるアドレスをクリックしていただけると入ることが出来ます。よろしくお願いします。                            Yutaka Aihara.com

奄美からサンシンが届いた日

昨年の3月26日から28日まで、家内の先祖の墓参りを兼ねて、奄美大島に行きました。嘉徳の青い海は今でも記憶に留まり、片時も忘れることがありません。その奄美で実はサンシン(三味線)を買っていました。本物のニシキヘビの皮を使ったサンシン作りを、名瀬に住む沖島さんに依頼していました。凝り性の職人かなと思ったのですが、あれから1年半が経ち、今日やっと奄美からサンシンが届きました。奄美出身の家内の叔父は「待たせるのは島時間のせいだよ」と言っていましたが、それでも数ヶ月前に叔父は心配してくれて、わざわざ沖島さんの店を訪ねてくれました。先月は自分の作品専属カメラマンの衣笠さんも奄美の友人と店を訪ねてくれました。そんなこともあって、やっと念願のサンシンが遥々遠方からやってきたのです。自分は1年半という儲けがあるのかどうかわからない制作方法に唖然としていましたが、家内は文句も言わず、ひたすら待っていたのでした。やはり家内には奄美の血が流れているのか、諦めず根気よく気長にやっていく力が備わっているようです。ともかく立派なサンシンが手許に届きました。三味線、胡弓、サンシンと和楽器が揃い、家内の演奏活動にも拍車がかかりそうです。

工業用扇風機と収納箱

倉庫での作業に汗を流しています。窓を開けて網戸にしていると、微かに風が通りますが、じっと作業台に向っていると、Tシャツに汗が滲んで、そのうち腹も背中もびっしょりになります。額からも汗が流れ、作品の上に落ちることもあります。陶土、木材、アクリルガッシュ等の素材を使うのは、たとえ汗が作品の上に落ちても問題がないからと言えます。そこで午後は扇風機や必要なものを買いに行くことにしました。工業用扇風機は2台、道具や材料を入れる収納箱はとりあえず10個買ってきました。収納箱は再来週搬入される軽量棚に仕分けして収納するために必要と思ったのです。ここは住居でも画室でもないので、雰囲気作りはどうあっても倉庫のままですが、必要なものをすぐ取り出せる工夫はしたいと思っています。あとは涼しくなるのを待って本格的な制作をしたいと考えています。

倉庫での環境作り

自宅の裏に植木畑があって、その一角に倉庫を建てました。先日は陶芸窯が入り、陶彫の作業が出来るようになったのですが、まだ環境に慣れず、制作がなかなか手につきません。あくまでも倉庫建築なので、空調設備はなく、風通しはいいものの、やはり住居空間みたいなわけにはいきません。コンクリートの床も壁もハードな印象を受けます。軽量棚を10台購入する予定で、そこに道具や工具を保管しようと思っています。作業机は2台確保しました。RECORDの8月分はそこでやっています。少しでも倉庫に長くいて、作業が出来る環境作りをしなければなりません。工事用の扇風機も必要かなと思いました。今月は何とか作業が始められるといいなと思っています。明日も倉庫で環境作りを行います。                Yutaka Aihara.com

国宝 火焔型土器

一昨日と昨日は夏季休暇を取り、新潟県と群馬県に行ってきました。越後妻有アート・トリエンナーレと群馬の埴輪展を見るのが目的でしたが、新潟県が縄文土器を数多く出土している地域であること、とりわけ十日町市博物館にある火焔型土器を見てみたいと思ったのも今回の新潟行きにはありました。トリエンナーレを巡っている途中で、十日町市博物館を訪れて、念願であった国宝火焔型土器に会うことができました。写真で見慣れた土器ですが、その波打つ装飾の迫力に圧倒されました。日本は平安時代あたりから瀟洒で雅な芸術を生んできましたが、さらに遡る時代にこんなに逞しく生命感に溢れた造形があったとは驚きです。自然の中から誘発されたカタチをこんなふうに象徴化させたイメージは、いったいどこからやってきたのでしょう。炎がこんなふうに見えた(解釈した)のは、自分たちの先祖の中に美意識が芽生えていたと考えてもいいのでしょうか。これを芸術と扱ったのは岡本太郎でしたが、その日本再発見に感謝です。「波打つ装飾」と前述しましたが、装飾と書くにはあまりにも動きがありすぎ、装い飾るモノからかけ離れた魂が宿っているようにも思えました。

「国宝武人ハニワ 群馬へ帰る!」

表題は群馬県立歴史博物館の開館30周年記念展として企画されたものです。知り合いの学芸員の杉山秀宏さんからご招待をいただき、さっそく訪れました。杉山さんの案内で、埴輪には地域性があることの説明を受けました。それは巧妙で高い技術力をもっていた地域や、逆に埴輪を埋葬する習慣がなかった地域があること、それは産出する土の影響があること、古代でも交易が行われて埴輪がそれぞれの地域に出回っていたことなど、興味深い話ばかりでした。確かによくみると工人によって細工に功拙が見られ、当博物館がある群馬県は秀でた技術をもっていると思いました。近畿出土の埴輪は巧みで優れているものの、カタチがまとまりすぎているように思います。高い文化を誇っていた証拠ですが、美術的に見ると群馬や新潟あたりの人間臭さの残る埴輪が楽しく思えてきます。武人埴輪というのは、東京の博物館に長くあり、映画「大魔神」のモデルになった埴輪だそうで、なるほどどこかで見たような風貌は特撮映画によるものかと納得しました。       Yutaka Aihara.com

越後妻有アート・トリエンナーレ

3年に1回開催する展覧会をトリエンナーレと言います。横浜トリエンナーレは地元で有名です。新潟県の越後妻有アート・トリエンナーレは長く続いている企画展で、出品者も作品点数もかなりの多さを誇っています。田園や廃墟になった学校や民家に、アートを置いて空間を変えていく試みは、ずい分前から注目してきました。今夏は越後妻有アート・トリエンナーレを訪れてみようと計画していて、今日ようやく実現しました。十日町に着いて案内所に飛び込んで説明を聞いたら、とても一日で周りきれるものではなく、とりあえず作品が集まっている3ヶ所を周ることにしました。十日町の交流館「キナーレ」を見て、次に松代「能舞台」、さらにナカゴグリーンパークへ。途中に廃校になった小学校を展示会場とした「福武ハウス」と「絵本と木の実の美術館」に立ち寄りました。「能舞台」では、よく知られたイリヤ&エミリア・カバコフの「棚田」という作品があり、小学校全体を使った「絵本と木の実の美術館」では、絵本作家田島征三による彩色流木アートが環境を取り囲むようにあって、見応えがありました。ナカゴグリーンパークでは、ジェームス・タレルの「光の館」の規模に圧倒されました。とにかく広大すぎて見当がつかず、1回目のトリエンナーレから常設してある作品を含めると200点以上作品がある状態でした。見学移動に時間がかかるものの、途中の田園風景が美しく、それはそれで楽しめる趣向になっていました。

定期健康診断日

横浜市公務員として、勤め始めてからずっと1年1回の定期健康診断があります。若い頃はなんということもない健康診断でしたが、最近はメタボに悩み、血糖値もやや高めと診断を受けました。それからというもの、この健康診断が自己抑制になり、健康診断日が近づくにつれ、今年はどうなんだろうと思うようになりました。自分は定年後も長く作品の制作をしたいし、彫刻を極めたいと考えていて、ようやく健康に気を使うようになりました。近隣にあるスポーツクラブに通っているのも健康のため、朝食に必ず納豆を食べるのも健康のため(これは好みもあって一石二鳥)、自家用車を使わず(これは今年の4月から)駅の階段はエレベーターを使わないのも健康のためです。ただし管理職はデスクワークが多く、着実に体重が増えているのも事実です。陶彫(土練り)、木彫(鑿)、スイミング、ウォーキング…これ以上何をすればよいのか、今日が1年1回の定期健康診断の日です。     Yutaka Aihara.com

記念すべき築窯の日

先月は自分にとって記念すべき倉庫建設がありました。今日はその倉庫に窯がやってきて設置をいたしました。窯は前開き、容量12kWの電気窯で、炉内は600×600×750(mm)です。ちょっと驚いたのが制御盤で、前に使っていたものより小さくて軽量になり、扱いも簡単になっていました。還元が出来る装置もありました。新しいものはいいなぁと思いました。陶芸の焼成の面白さでいけば究極のところ登り窯に尽きると思います。薪の火の通りを見ながら温度を上げていく醍醐味と、窯出しでわかる釉薬の流れや緋色の面白さは意外性があってハマッてしまいます。ただし自分にとって陶は彫刻の素材の一部なのです。釉掛けをせず、焼き締めだけでカタチを極めます。それなら手間のかからない電気窯で充分だと思うようになりました。横浜の真ん中で薪を焚くには少々無理なところもあるという理由もあります。ともかく倉庫建設に続いて、今日が自分にとっては記念すべき築窯の日になりました。Yutaka Aihara.com

RECORDは「縦縞」

一日1枚ずつ葉書大の平面作品を作っているRECORD。一昨年から始めているので1000点を超える量になっています。3年目の今年は毎月パターンを決めて、その中で展開できるようにしています。8月のパターンは「縦縞」にしました。5ミリ幅の縦縞を基本構成として、縞が織り成す造形で毎日遊ぼうと思っています。イギリス人女流画家ブリジット・ライリーのタブローのようですが、RECORDは画面が小さいので、様々な実験も可能です。スプライト(縞模様)は清々しい印象を与えます。昔訪れたイタリアのベネチアの海岸には、白地に紺のスプライトのパラソルがいっぱいあって、洒落た風景を演出していました。スプライトはカタチの面に沿って角度がついていると、カタチの輪郭が見えなくても、そのカタチを連想することができます。人間の心理に働きかけるスプライトは、今まで多くの絵画やデザインに取り入れられてきました。自分もこの機会にスプライトを使った造形をしてみようと思います。

夏真っ盛りの8月

横浜は梅雨明けしていますが、今年はまだ梅雨明けしない地域が多く、またゲリラ豪雨があって、不安定な天気が続いています。もう8月と思っているものの夏の気分はあまりしないので、せめてタイトルだけでも夏真っ盛りとつけて、夏気分を自分なりに作っていこうと思います。さしずめ8月の目標ですが、倉庫の引越しと整備、作業場の確保が最重要課題です。先月出来なかった制作も推し進めたいと思っています。今月は新しい窯がやってきます。空調設備のない倉庫での窯の試運転は、ちょっと出来ないかもしれませんが、成形はやっておこうと思います。「壁」の連作や新たに考案している構築シリーズもそろそろ始めたいし、まず板材や柱材、陶土を買い付けに行かなくてはなりません。来年7月の個展に向けて、今月からスタートを切るつもりです。                            Yutaka Aihara.com

7月末に考えたこと

今月の総括として個展の開催がありました。初めて木彫作品をギャラリーせいほうに持って行きました。4回目の個展でしたが、懐かしい方々に来ていただき、またご感想ご批評もいただきました。真摯に受け止めていきたいと思います。次に亡父の残してくれた植木畑に倉庫を建て、その引渡しがありました。床はコンクリート打ちっぱなし、内装が無く鉄骨はむき出しですが、収納と作業ができるところを確保して、これからはここで制作をしていきたいと思っています。屋外でも作業できるようにしたいと願っていますが、それは追々考えていきます。いくつかの陶彫作品を倉庫に運び入れたいと思っています。レイアウトを考えるのが楽しみのひとつになっています。新作の雛型は思うように進まず、これは来月の目標にします。ともかく刺激的な7月でした。明日から8月。自分には夏休みはありませんが、週末を大切に使い、制作の充実を図りたいと思います。

「魔術的芸術」古代諸文化の…

A・ブルトン著による「魔術的芸術」の中で、エジプト、メソポタミアを古代諸文化として取り上げています。思惟作用の目覚めとして、ナイルの谷から外に眼を向けなかったエジプト文明と、外の砂漠地帯に挑んでいったメソポタミアの部族を比較しながら、古代説話の隆盛を論じる中で「ギルガメッシュ叙事詩」を取り上げています。この最古の叙事詩は西洋文学の「地獄くだり」の原型として魔術的な性格をもっていると自分は雑駁にまとめてみました。クレタ文明からローマに続く過程では息苦しい形式様式を呼び寄せ、むしろ魔術的芸術としては積極的な評価をしていないようです。ケルト文化になると象徴や装飾性に触れて、通念としての美術史に現れていなかった諸民族の文化やそれを育んできた背景を論じていて、自分は興味を覚えました。

「魔術的芸術」有史以前の…

A・ブルトン著による「魔術的芸術」は、通念としての美術史の新たな解釈として、今興味を持って読み込んでいるところです。本書は概論の後、時代別に論じられているものの有史以前の芸術のところでゴーガンやカンディンスキー等の近代の作品を引っ張り出して、今日の未開芸術として掲載しています。加えて有史以前の時代に残されている造形における人々の精神風土を考察し、たとえば「恐怖の上に基礎づけられたあらゆる感情はこれ以後、いつまでも人間の心と精神とを支配することになったのである。」というビュフォンの引用やシャーマニズムの広範囲な影響による地域性を鑑みるくだりは、著者の豊かな知識の上に立つ洞察を感じ取ることが出来ます。前から自分の興味の対象であったイースター島やストーンヘンジの巨石文明にも触れて、その意図するところを論じているところが、個人的には面白く読むことができました。

同僚の夭逝を惜しむ

横浜市公務員として、同じ部署で共に助け合いながら働いていた同僚が先日他界し、今日通夜を迎えました。享年44歳。惜しまれる夭逝にたくさんの人が弔問に訪れました。彼の仕事は芯の通ったもので、また周囲にも気を使うことも多く、その実力の評価は横浜市屈指と言えました。横浜市は大変な逸材を失ったものです。彼が年下でありながら、自分は彼に頼ることが多く、以前はよく連絡を取り合うこともありました。彼は人間臭いところがあって、朝まで飲んでいることがあったと聞いています。今思うと無理をしていたように感じています。寿命とは決められているものなのでしょうか。才能に溢れた人に夭折が多いのは、ちょっと考えすぎでしょうか。彼は将来を嘱望されていただけに、また身近で付き合っていた時は、本当に人間味に溢れた人だっただけに惜しまれてなりません。

「ルネ・ラリック展」

東京銀座での個展開催中に東京の美術館を巡りました。先週のことですが、国立新美術館で「ルネ・ラリック展」を見てきました。ちょうど「野村仁展」をやっていたので、現代美術家の個展の後にラリックを見ることになりました。「ルネ・ラリック展」の観客の年齢層が高く、いかにも宝飾に関心のある方々が熱心に鑑賞していました。ラリック芸術の魅力は、万人が納得できるような美しさにあります。とくに線や面で区切られた構成が心地よく、虫や植物のフォルムがこれ以上考えられないギリギリまでデザインされ、斬新さと美的完全さを兼ね備えたモノになっています。アール・デコの時代に建築装飾まで進出し、優美な作品を数多く残したラリック。芸術と産業を融和させ、時代の花形だったラリック。とくに初期の頃の装飾品に深い精神性を感じることができました。                  Yutaka Aihara.com

倉庫に道具・用具運搬

建設の終わった倉庫をどう活用するのかを今日から考えます。まず、今まで実家や自宅にあった道具や用具の運搬を始めました。そこには昨晩、東京銀座から戻ってきた作品も置いてあります。細かなモノは自家用車で、大きなモノはトラックを借りて運搬しようと計画しています。さしずめ倉庫の中に作業場を確保して、作りかけの作品を保管するつもりです。朝早く大きな作業台が2つ、業者によって運搬されてきました。陶芸に使うコンプレッサーや土錬機、電動ろくろも運び込みました。倉庫のある植木畑は爽やかな風が吹いて気持ちのいい空気に包まれています。まず、コンプレッサーを試運転して見ました。とりあえずRECORDをその作業場で作って見ます。制作をしながら収納のレイアウトを考え、徐々に整備していこうと思います。 Yutaka Aihara.com