成人の日に思うこと

三連休の最終日は成人の日でした。外はかなり寒く曇っていましたが、教え子たちは式典に出かけたはずです。自分の時の成人の日はどんな過ごし方をしたのか覚えていません。着飾って出かけた記憶がありません。彫刻をやっていたのかも…。周囲から大人といわれても実感がなく、突然成長するものでもないと思っていたことは覚えています。ただ今日という日は大人を自覚をする契機になればよいと思います。大人って何だろうと考えるのもよいと思います。自分にとって大人とは社会を意識することでした。社会の中で生きていくこと、自分が中心ではなく他者の存在を認めることが即ち大人でした。自分にとって大人とは何かを自分のコトバで自分に言い聞かせることだと思います。他人の受け売りでは当事者意識は芽生えません。ただし、自分はこの歳になって逆に「コドモゴコロ」を忘れずにいたいと考えています。すべてを先入観や固定観念で見てしまいがちな大人ですが、そこのところだけは新鮮な視点をもつべきかなと思います。              Yutaka Aihara.com

久しぶりの菊練り

陶彫ランプシェードを作るために今日は久しぶりに土に触れました。まず2種類の土を割合を決めて混ぜあわせて菊練りをしました。最近は木を彫ることが多くて陶芸をする時間が減りました。でも土を練っていると陶芸の面白さが湧き上がってきて、まだまだ作りたいものが溢れてくるような感じでした。彫刻に陶土を利用することは彫刻がもつ塊からカタチを解放して、軽さを与えることにあります。たたら状にした陶土を立ち上げ、立体化することで中身ががらんどうになり、実際の重量はかなり軽くなります。そんな陶彫が大好きですが、自分がブレンドした土を焼くと錆鉄のような重量感が生まれます。でもこれは重量感であって重量ではありません。そこが面白いところです。鉄ではなく鉄のように見える陶土。この錯覚を得るために土練りをした一日でした。                          Yutaka Aihara.com

制作真っ最中の朝時間

今日から三連休になり朝から作品を制作しました。今日は「RECORD」の今日の分と額装からまず始めました。外は曇って肌寒い日でしたが、制作に入った午前中の時間帯は何とも気持ちがよく、これからしばらく自分のために時間が自由に使えると思うと嬉しくなりました。作品はさほど進むことはなく、何時間もやっているのにこんなものかと思ったほどですが、まだ2日あるので今日は焦ることはありませんでした。ただ制作を始めると新鮮な感覚を取り戻すことがいいと感じています。アクリルガッシュの色彩が妙に美しく見えたり、切り取った木材のカタチにちょっぴり感動したりするのは幸せなことだと思いました。日常の中にある美の要素。朝のちょっとした時間帯にそんなことを発見した一日でした。               Yutaka Aihara.com

陶彫ランプシェード継続

今日は作業場に行き、木材ではなく土を練る準備をしました。明日から三連休になり、「構築〜解放〜」の仕上げやら「RECORD」の最終的な額装をやらなければならないのですが、そんな忙しい中でさらに次のイメージに取りかかろうとしています。ひとつ終わって次のものを作り始めるのではなく、今作っている作品が終わる前に、併行して次の作品をスタートさせるつもりです。まず昨年の夏に作った陶彫ランプシェード。これをシリーズ化して展開した作品を生み出そうとしています。住居が連なるイメージで作った作品が2点、壁を照らす作品が1点あるのですが、これをさらに広げていこうと思います。明かりが入った陶彫は思いのほか美しく大変気に入っています。自分の作品に取り入れる要素としては最高の演出効果をもたらせてくれると信じています。                         Yutaka Aihara.com

新しい印を考える

「RECORD」が今月31日で終了し、来月1日から次の「RECORD」がスタートします。それに伴い、また落款を作ろうと思っています。自分は立体作品にも落款をつけています。作品が集合体なので、それぞれの部品に落款が必要なのです。「RECORD」の印は立体作品より小さめのものになります。365点(次は366点)いずれの作品にも押印するので、結構大切なものです。今回は陰刻でいこうかと思っています。今までは陽刻が多いので、彫る部分を変えて見たほうが新鮮になると考えました。次の「RECORD」は画面をやや変形させてみようとしているので、印も邪魔にならない程度のものをイメージしています。             Yutaka Aihara.com

大きめのマッサージ機

公務に創作活動、夜は時折スポーツクラブへ行っていて身体を休める余裕がありません。そんなことに原因があるのか、自分はマッサージが大好きなのです。保養施設に行くことは時間的に無理なので、たまに家内にマッサージをお願いしています。でも大抵は自宅にあるマッサージ機を使って疲れを和らげます。「リアルプロ G2」という大きめのマッサージ機を2年ほど前に購入しました。場所をとるのでリビングが狭くなって嫌だと思っていたのですが、マッサージ機が運送されてくるなり日課になるほど使うようになりました。このマッサージ機にかかっている時のうつらうつらとした気分は最高です。些細な楽しみがないとやっていられないと思う日があります。自分の好きな創作活動やスポーツをやっていてもそう思うのです。仕事一筋というのは自分の性に合わないのかもしれません。

ドイツ映画「メトロポリス」

フリッツ・ラング監督の残した近未来映画で、現在でもレンタルビデオショップにあります。昨日のブログに書いた「カリガリ博士の箱」と同じドイツ表現主義を代表する映像作品です。20数年前に滞在したウィーンの映画館で初めて「メトロポリス」を見ました。「カリガリ博士の箱」も「メトロポリス」も無声映画でしたが、見た当時は説明の字幕が全て理解できず、映像でしかストーリーを捉えることができませんでした。それでも地上に住む資本家と地下で働く労働階級の矛盾を描いたものであることはよくわかりました。とくにこの映画のもつ映像の美しさ、ビジュアルデザインは自分の心に響きました。都市空間や工場の歯車に至るまで現在自分が制作している陶彫「発掘シリーズ」に通じるものがあります。機械的な美しいカタチをもつ女性ロボットの登場はとても印象的でした。資本主義VS共産主義ともとれるこの映画の主題は大きな波紋を呼んだと何かの本で読んだことがあります。

ドイツ映画「カリガリ博士の箱」

20数年前オーストリア滞在中に見た映画に「Das Kabinet des Dr.Caligari」(和訳:カリガリ博士の箱)があります。ドイツ表現主義の有名な映画で、渡欧前から見たかった映画のひとつでした。当時ウィーンの下宿には小さな白黒テレビがありました。自分が譲り受けたものでしたが、もう記憶が定かではありません。「カリガリ博士の箱」はこのテレビから流れたもので、表現主義の絵画を思わせる画面を食い入るように見ていました。ストーリーはドイツ語の力が乏しかった自分にはよくわからないところがありましたが、精神病院に入院中の青年が夢想した出来事としてカリガリ博士と相棒の夢遊病者が登場する場面が描かれていました。全編を通じて怪奇な感じにまとめてあり、遠近法を無視したギクシャクした背景が不思議な心理状態を表していました。日本ではマニアックな映画と捉えがちですが、映像表現の様々な実験が盛り込まれていて、現在にも通じるものがあるように思います。

アクションペインテイング

20世紀のアメリカでジャクソン・ポロックが登場し、キャンバスに絵の具を撒き散らすアクションペインテイングを行いました。美術が現代美術に生まれ変わった時代です。我が国ではアクションペインテイングが登場する前から茶陶に釉薬をかける「流しがけ」という手法がありました。自分はこうした茶陶に随分前から新しさを感じていました。現在テーブル彫刻を作っている自分はこの「流しがけ」ともアクションペインテイングともとれる手法を利用しています。砂マチエールの上から絵の具を撒き散らして平面に複雑な表情をつけていくのです。今日は作業場の床いっぱいに広げたテーブル部品に絵の具を気儘に散らせました。手も服も絵の具だらけです。飛び散った絵の具が作業場に広がり、何とも凄い状況になりました。作品としてまとめ上げる前の段階で破壊に近い状況を作り出すことが、最終的には大きなスケールに結びついていくと感じています。新作「構築〜解放〜」がいよいよ佳境に入りました。                            Yutaka Aihara.com

健康志向の世代

朝よくウオーキングやジョギングをしている人を見かけます。自分より上の世代(団塊の世代?)の人が多いように感じます。明らかに健康志向が定着しスポーツを楽しむ人が増えています。かく言う自分も近隣のスポーツクラブに出かけました。08年初泳ぎです。創作活動の疲労を言い訳にして、正月は何もせず過ごしていました。今日泳いでみて少し太ったかなと感じました。今年は身体をシメなければならないと思っています。昨年は多忙でも何とか時間をやりくりして週2・3回は夜間に水泳をしていました。これは今年も継続です。泳いだり身体を動かして感じるのは、自分の身体が今どうなっているのかを常に意識できることです。食事を少し控えようとか、睡眠をしっかりとろうとか考えることがいいことかなと思います。全ては創作活動を円滑に行うためです。長く生きて作品をたくさん作りたいという単純な願望のためにあれこれやっているわけです。自分は変わりばえのしない日常を送り、「RECORD」「ブログ」「スポーツ」など日々やるべきことを確実にこなしていくのがいいと信じてやっています。           Yutaka Aihara.com

「RECORD」額装の一日

この「RECORD」に関しては昨年より再三ブログに書いてきました。毎日作っているので、とりわけ話題のない時はブログに書きやすかったのです。「RECORD」はポストカード大の小さな平面作品ですが、初めの計画とは違い、結構つらい日もありました。こんなものくらい楽に出来ると高をくくっていたのが簡単にはいかず、時に発想に悩み、時間に追われ、それでも続けて何とかやってきました。今日は初めの一歩である2月1日より12月31日までの11ヶ月間の「RECORD」の額装を行いました。とくに半立体になった作品をパネルに留める作業は神経を使いました。額装で各作品を演出してみせることはせず、ただ並べただけの単純なものですが、今までの時間が凝縮していて、今月末で終了してしまうのはつまらないと感じました。予定では「RECORD」のセカンド・シーズンを計画しているので、改めて2月1日より始めようと思います。 Yutaka Aihara.com

08年・制作再開

昨年と同じタイトルをつけました。昨年の様子がブログでよくわかり、昨年も3日に制作を再開しています。昨年は砂を硬化剤で固めたところから始めていましたが、今年はさらにそこに油絵の具を塗りこんだところからスタートするので、やや今年の方が仕事が進んでいるようです。ただし「RECORD」が新たに始まっている分、搬入までの日程は厳しいものになると思います。実は今日まで休んでいた3日間は筋肉疲労でフラフラでした。今日になってようやく身体が元に戻った具合です。不自然な格好での作業によるものか、今までの創作・公務双方で休まず動いた結果なのかよくわかりませんが、気力だけで持たせていたことだけは確かです。昨日はヤル気に弾みをつけたくて横浜美術館に出かけました。ともあれ今日から作業再開。グループ展搬入まで1ヶ月を切っています。                  Yutaka Aihara.com

「ゴス」展・横浜美術館

正月休みを利用して、横浜美術館で開催中の「GOTH ゴス」展を見てきました。原宿や秋葉原でよく見かける「ゴス」ファッション。ロリータ系のものから死神をイメージしたものまであるのは知っていましたが、内外のアーテイストによる「ゴス」作品はいかがなものか興味津々でした。見応えは充分ありました。死や病、退廃したものを露骨に表現する「ゴス」は、美術館の説明パネルによるとヨーロッパのゴシック様式に語源があるようで、暗黒的な要素をもったものです。確かに腐敗したモノや身体を抉り出して見せる表現は、健全で建設的な思考の一方で、ちょっと覗いてみたくなる生理的な面をもっていると思います。そんな作品に接していると「いのち」とは何かという根源的な問いかけがあるようにも思います。美術館として、この企画はなかなか勇気のいるものではなかったかと察します。でも現在(現代ではなく)を切り取って示すことは大切なことだと考えます。昨年の森村泰昌展といい、今年のこの企画展といい、とても刺激的な企画が続いています。自分の住んでいる地元の美術館が頑張っていると感じた一日でした。     Yutaka Aihara.com

08年の創作ヴィジョン

2008年になりました。一昨年は父が、昨年は義母が他界したので、ここ2年間は喪に服した新年を迎えています。また先月30日まで制作していた「構築〜解放〜」がまだ完成していないので、気持ちが改まることがありませんが、ケジメとして今年の具体的な目標を考えてみたいと思います。まず立体では今月30日から始まる横浜のグループ展に出品する「構築〜解放〜」の完成、今年は4月ではなく7月に開催期間を移動した「ギャラリーせいほう」での個展に出品する「発掘シリーズ・3」の手直し、近くHPにアップして販売を始める陶彫ランプシェードのシリーズ化など、平面では昨年2月から始めている「RECORD」の今月末までの完成と「RECORD・2」の開始などが現在考えられる今年の目標です。昨年は仕事の幅を広げたので、今年はこれらの定着と表現上の進化・深化(そして真価)を求めていきたいと願っています。流れは自ずと出来てきて、そのつど悩み苦しむことになりますが、それも生きがいであり、自分をいつもリセットして心のクオリテイを高めていくことに他なりません。今年も昨年以上の成果をあげられるように頑張りたいと思います。

2007年HP・ブログのまとめ

昨年と同じタイトルをつけて今年を振り返ってみようと思います。昨年3月からHPを立ち上げ、現在も日課としてブログの書き込みをやっています。毎日が確認できること、知識や感想をまとめられること等ブログとして公表しながら、ほとんどこれは自分のためにやっているようなものですが、毎月四千件を超えるアクセスがあるのが信じられず、また有難いと思うこの頃です。今年は4月に「ギャラリーせいほう」で陶彫による「発掘シリーズ」の個展、また木彫による「構築シリーズ」をやっていて、これは毎年1月末に横浜市民ギャラリーで発表しています。今年は「発掘」「構築」両シリーズが同時展開する1年でした。加えて365点による連作「RECORD」を2月1日から始めていて、来年1月末で完結します。陶彫のランプシェードも夏に制作しました。HPも「RECORD」を加えて徐々に充実してきています。仕事の幅が広がるほど楽しさが増え、また時間的には追い詰められる状況もありますが、何とか元気にやってこられました。この稚拙なブログをお読みいただいている方々に感謝するとともに、皆様のご多幸をお祈りして今年を締めくくりたいと思います。来年もどうぞよろしくお願いいたします。Yutaka Aihara.com

今年も残すところ…

今年も残すところ2日となりました。作業場に流れるFMヨコハマから今年の締めくくりの音楽や言葉が聞かれます。砂マチエールが何とか終わり、今日は油絵の具で下塗りする作業に移りました。明日から3日間は作業をしないので油絵の具をしっかり乾かすつもりで、すべての板材に下塗りをしたのです。ずっとうつむいて7時間くらい作業をしていたので、顔が浮腫んでいると一緒に作業している教え子に指摘されました。かく言う彼女も鑿を振るい続けて腕や手がくたくたになっているようでした。「今年はここまでだね」と言って作業を終えました。正月休みにそれぞれ自宅で彼女は鑿を研ぎ、私は「RECORD」を作り続ける予定なのです。お互い体調を崩さないようにと確認しあって別れました。晦日から正月を迎える気分になかなかなれないのは今年に限ったことではありません。でも心の充実は何よりも代えがたいもので、今年を精一杯生きた実感があります。         Yutaka Aihara.com

休庁期間でも続く制作

昨年のブログを見ると制作三昧の休庁期間を過ごしている様子が窺えます。やはり昨年も同じかと相変わらずの自分にやれやれと思っています。昨年は作業場に自分ひとり、今年は教え子の美大生が卒業制作を持ち込んで一緒に制作しています。木で家具を作っている彼女は、可憐な乙女を返上して朝から夕方まで休まず鑿を振るっています。自分に似て何時間でも坦々と制作しています。自分は砂マチエールの作業に加えて、今年は「RECORD」の額装があって、昨年より辛い思いをしています。自分で作っておきながら「構築〜解放〜」の幅5メートルを超える大きさと「RECORD」の11ヶ月分の量には腰が引けてしまいそうです。同じ空間にいて、夢中になって制作している教え子の姿を見るにつけ、自分も鞭を打たざるを得ない状況が生まれています。これは神の試練かとも思えるほどです。        Yutaka Aihara.com

ドイツ工作連盟

以前から興味はあったもののなかなか身近に感じることができなかったものがドイツ工作連盟です。19世紀末にあったユーゲントステイールからさらに前進して、美術と産業が密接に結びついた組織。20世紀初頭にミュンヘンで作られた組織。参加している建築家や画家やデザイナーの仕事が書物等で紹介されるのを見て大変興味を感じました。当時大きな展覧会がケルンで開かれたのを知って、どんな作品が展示されたのか、どんなことが革新的な作風として話題になったのか調べてみたいと思いました。とくに工作連盟の指導的役割を担った建築家ブルーノ・タウトは日本でもよく知られた存在で、当時彼が試みた「ガラスの家」の資料写真をみて、現在では当たり前になっている素材が初めて多くの人の前に建築として登場した時の状況はいかがなものだったのか、そんなことを思い浮かべながら、いま自分の目前に広がる横浜みなとみらい地区のガラスを多用した高層建築を眺めています。

オペラ「モーゼとアロン」

A・シェーンベルクは無調音楽の先駆者として、20数年前に自分がウィーンに暮らしていた時から知ってはいました。ただ知ってはいましたが、その音楽に触れる機会は多くはなく、実際に聴いた時は驚いてしまいました。ジョン・ケージや武満徹といった現代音楽家のことを知っていたとしても、それらは知識として学んでいたのであって、その先駆的なシェーンベルクの音楽がウィーン歌劇場に響いた時に、初めて音楽も美術同様その脈々と続いたものが崩れ去り、新しい秩序が生まれていることを実感したのでした。それはオペラという形式で自分の前に現れました。しかも旧約聖書の出エジプト記による「モーゼとアロン」。音楽に旋律やリズムはあるものの心地よいものではなく、むしろ登場人物の心の葛藤を描くような緊密に構成されたもので、最後は朗読に近いものに聴こえました。年中ウィーンナーワルツが居酒屋などで聴ける街にあって、これは新鮮な音感と捉えることができ、初めて知識ではなく心の琴線に触れるものとして受け入れたのでした。     Yutaka Aihara.com

シェーンベルクの無調音楽

ドイツ表現主義は絵画の世界だけではなく、演劇や音楽や映像表現においてもありました。人の内面世界を描くのは何も絵画に限ったことではないし、ぎくしゃくした感情を表現しようとすれば、今までの方法では難しいと考えた結果が表現主義となったと思います。自分はウィーンに暮らした20数年前に、なかなか理解しにくい音楽に接することがありました。これはまさしく表現主義の音楽で、旋律やリズムが聴き取れず、不安定なまま音楽が終わってしまいました。シェーンベルクによる無調音楽というもので、初演当時は大変な物議を醸し出したものだそうです。ウィーンは音楽の都として中世から続く伝統を持っている都市です。そこに現れた新しい価値観による無調音楽なるものが、一般大衆に受け入れられようはずがありません。自分も表現主義の美術には関心があって即刻受け入れたにも関わらず、音楽に関しては初めに拒絶がありました。何度か聴いて理論もわかって、ようやく受け入れましたが、演奏中はかなりの緊張を強いられるのは今も変わりません。 Yutaka Aihara.com

疲れが溜まって…

今日は午前中に公務の方で出張がありました。午後は時間が空いたので作業場に行って、新作の砂貼りをしようと思ったのですが、どうやら疲れが溜まっていて今ひとつヤル気が出ません。そこで近くにある保養施設に出かけました。湯河原温泉を横浜の市街の施設に運搬して営業している人気スポットです。ゆっくり湯に浸かっていると身体の中から疲れがほぐれてきて、いい気分になりました。露天に木製の風呂桶があって湯はぬるめでした。そこに長く浸かって、ぼんやりとした時間を過ごしました。たまにはこんなところに来るのもいいもんだなと思いました。今日はクリスマスで街にはイルミメーションが輝いているというのに、それを楽しむ元気はなく、創作と公務でくたくたになった身体を労わった一日でした。             Yutaka Aihara.com

サンテイアゴ・デ・コンポステーラ

先日、長野に住む彫刻家池田宗弘先生から電話がありました。TBSの「世界遺産」という番組の監修を担当したから見て欲しいという内容でした。「世界遺産」は大好きな番組です。その池田宗弘監修による番組が昨夜放映されました。先生は自分が大学に入った時、最初に彫刻の手ほどきをしていただいた人で、今も教えを乞うている師匠です。自分がオーストリアで生活していた時に、池田先生はスペインに出かけ、番組で紹介されたサンテイアゴ・デ・コンポステーラを目指して巡礼路を歩きました。それをスケッチにまとめて出版しています。(巡礼の道絵巻・形文社)それからドン・キホーテのシリーズを制作。キリスト教をモチーフにした数々の彫刻を作っています。そんなことがこのテレビの仕事に結びついたのでしょうか。丁寧に描かれた旧市街や寺院内部は大変美しく、聖ヤコブの墓が発見されてからこの地がローマやエルサレムと並んでキリスト教三大聖地になった状況がよくわかりました。                             Yutaka Aihara.com

今年も砂マチエール

昨年のブログ(06.12.26〜27)を見るとテーブルの組み立てや砂マチエールのことを書いています。ちょうど1年前です。今年もやってきました。硬化剤の臭いや砂を混ぜ合わせる感覚。懐かしいというより職人仕事を思い出しながら粘りや塗る感覚を確かめると言う方が的確かもしれません。今年も今日からマチエールを細工しながら砂を貼っていきます。ある意味では絵画的な作業です。また坦々とした作業が続きます。時として立体にしたり平面にしたりして作品を作っていくので、この「構築〜解放〜」は彫刻というより空間造形という方がふさわしいように思います。またギャラリーの広さも念頭に入れているので、空間を演出するための装置とも言えます。今まで続いてきた柱の彫り込みとは違う平面的な楽しさを味わいつつ、また今年の暮れを迎えます。                            Yutaka Aihara.com

「構築〜解放〜」組み立て

柱34本が彫りあがったので、今日は来年のグループ展に出品する「構築〜解放〜」の組み立て作業をしました。全ての柱で何とかテーブルを支えることに成功し、少々安堵しました。うち1本の柱のホゾを少し直さなければならないことがわかりました。次はテーブルの砂貼りです。今日は準備だけして明日から作業することにします。組み立て作業は実際に木を彫ったり、マチエールをつけたりする作業よりつらいものがあります。作品の全貌がわかるからです。初めの計画はどうだったか、意図するものは表現できているか、やり残したことはないか等考えながら全体を見回していきます。記録写真を撮って解体。ここから最初のイメージを思い浮かべながら全体の印象を決定付けるテーブルの色彩計画を練っていきます。とりあえず明日…。

職場の忘年会

今年も残すところわずかとなり、職場では忘年会がありました。自分は創作活動とは別に、公務員として働いているわけですが、こうした同僚と過ごす宴会も楽しいものです。休庁期間を迎えるまで少しありますが、仕事の締めくくりをやって頭をリセットしていきたいと思っています。金曜日の夜は同じように忘年会をやっている人たちで溢れかえっていました。深夜の通勤電車はラッシュで、ほろ酔いの人たちを大勢乗せていました。かくいう私もそんな車中の一人でした。明日は休みたいけど、創作活動というもうひとつの仕事が待っています。展覧会搬入まで1ヶ月少々。何とか今の仕事も決着をつけたいところです。 Yutaka Aihara.com

成長する造形と色彩

美術の専門的な勉強を始めた頃、なかなか出来なかったデッサンの形の取り方や色彩と色彩を組み合わせて効果を出す方法などが、この年齢になると不思議に出来るようになります。しばらくデッサンをしていなかったり、色彩構成をする機会がなかったりしても、何かこうしたいと考えていると結構思うとおりに出来るものです。人はただぼ〜と歳をとることではなく、自分の興味関心のあることをしっかり頭脳が覚えていて、手を動かさなくても眼や頭で歳を重ねて学習しているのかもしれません。初心者の子どもと大人に陶芸を作らせると、器としてきちんと作れるのは大人の方です。独創性は別として、大人の方が器をたくさん見ていたり、触れていたりする結果なのだと思います。色彩が苦手だった自分が日々作っている「RECORD」の色彩が楽しくなってきました。加齢のせいでしょうか。昔もこんなふうに色彩を操りたかったと思いつつ、今は色彩と遊んでいます。          Yutaka Aihara.com

RECORDをHPにアップ

ブログに度々登場する「RECORD」をホームページにアップしました。タイトルがない時は365点の連作と言っていました。とりあえず2月と3月の2ヶ月分をお見せいたします。2月1日より始めているので、今回アップしたものは初期の作品です。この時はペンとアクリルガッシュを使って、人工的なイメージを描いています。時に悩んだり、迷ったり、まとめすぎて嫌気がさしたりしましたが、何とか毎日カタチにしています。これは現在も進行中です。たかが1年足らずで作風が変化して緻密になり、またカンデインスキーの如く非対象化していく過程があって自分でも驚きます。今後を楽しみにしてください。なお、ホームページにはブログの最後に掲載しているアドレスをクリックしていただけると入ることができます。        Yutaka Aihara.com

色彩への挑戦

いつぞやのブログで自分は色彩感覚が乏しくて、それで絵画やグラフィックデザインの道には進まなかったと書いた記憶があります。ともかく10代や20代の色感のまずさは身に沁みて感じていました。展覧会を見に行って、作品の持つ色彩の美しさを感じ取ることは当時から出来ていたにも関わらずです。それでも海外で暮らしたり、帰国後も制作を続けていく上で、やはり色彩を意識していたのは事実です。しかしながら海外でも日本でも思い切り色彩を使って作品を表現したことはありません。そこで今制作中の「RECORD」の中で、自分の色彩感覚がどうなっているのか、あえて挑戦することにしました。毎日平塗りによる色彩を組み合わせて小さな作品を作りだしています。2月から始めている「RECORD」ですが、色彩を全面に出しているのは初めてです。これで今月末までやってみようと思います。昔より色彩が洗練されてきているのではないかと感じつつ…。

冬ざれの公園で…

昼の時間帯に横浜市港南区の公園に立ち寄り、しばし時を忘れベンチにいました。読書をしていたら寒くなってしまいましたが、周囲の枯れた木々を見ながら、よい時間を過ごすことができました。読んでいる書物はドイツ表現主義に関するもので、この季節にぴったりです。横浜は晴れた日が多く、また乾燥していて散歩には最適です。また仕事の合間という時間帯が何か贅沢な感じがしました。このくらいの体感温度で過ごす公園は、昔住んだウィーンでよく散歩した公園を思い出します。当時は時間がいっぱいあって、何をしていいのかわからず情緒不安定でした。現在は時間に追われ、やりたいことが山ほどあるのに思うように出来ません。すべてが満たされた人生は未だやってきません。書物の文字を拾い読みながら、こんなことを考えていたひと時でした。                            Yutaka Aihara.com

Stollenの美味しさ実感

昨年のブログに「嗜好品ないものねだり」(06.8.5)という文章があります。海外から帰ってきた当時から、海外で食べていたものが懐かしくなり、それを求めている話です。その中でStollen(シュトレン)のことを書いています。シュトレンとはクリスマスの時期に売り出される木の実やドライフルーツの入ったパンのことで、白い粉砂糖がまぶしてあります。店によっては酒に漬けたフルーツが入っていたり、シナモンが入っていたりします。パンは固く、どっしりとした重みがあります。それを薄く切って食べます。今日は制作を早めに打ち切り、このシュトレンを買いに川崎市麻生区新百合ヶ丘にある「リリエンベルグ」というウィーン菓子専門店に出かけました。日本では高価なパンで、しかも中に入っている木の実やフルーツが厳選されていて、とても美味しいのです。海外ではもっとクセのある味がしたのですが、日本人パテイシエの力量には驚くばかりです。

あっという間に時間が過ぎて…

また週末がやってきて制作に集中しています。どうしてこんなに時間が経つのが早いのか、制作しているとあっという間に時間が過ぎていきます。ついこの前は汗をかきながら柱を彫っていたというのに、季節は夏から秋を経て冬に変わっています。ここまで一体どれだけの思考をし、作業をこなしてきたのだろうと振り返ると牛歩の如く進まない仕事ぶりに苛立つこともあります。この最終段階を迎える時が結構つらいのです。作品に意味を感じなくなったり、すべてを壊してやり直したくなったりします。「RECORD」も毎日まとめすぎる嫌いがあるのではないかと思いを巡らせています。坦々とした作業によって出来たものに退屈を覚えることもあります。気分転換をした方がいいかもしれないと思いつつ、完成まで余裕なく組まれたスケジュールを見ています。                          Yutaka Aihara.com