職場の結束力を感じた日

横浜市の公務員である自分にとって、仕事とは何かを考えさせられる一日でした。もちろん民間企業のような業績が営利に結びつくことはありません。ただ一日の与えられた仕事をこなしていくだけと思われがちな公務員ですが、それぞれの部署でチームとして結束してコトにあたり、臨機応変する場面は、ほとんど毎日と言っていいほどあります。職場にはいろいろな能力や考え方をもつ人が集まっています。適材適所に人を配置するのは管理職の役割ですが、それが有効に働いている時に、このチームにいられて良かったと思える瞬間がやってきます。60人近い専門家集団が働いている現在の職場は、それぞれが力を発揮できた時には素晴らしい成果が得られています。時に空回りがあったり、意見や感覚のくい違いが生じることがありますが、今日は大きなイベントを恙無くやってしまう結束力を感じ取れた一日でした。Yutaka Aihara.com

秋の深まりに…

連休明けで職場にいてもボンヤリ過ごしていました。仕事はいろいろあるのに手がつけられずに、それでも時間がどんどん経って、気がつけば勤務終了。どうも秋になって空気が乾燥してきて、気持ちが緩んでいるように感じています。休みになると木を彫ったり土を練ったりしたいと気力が湧いてくるのですが、その反動が公務にでているのかもしれません。昨年のブログに夜の眠気に勝てない自分のことを書いていますが、今年も同じです。こうしてブログを書いている間も、うつらうつらしてきて、思考がまとまらず、ましてやコトバを綴る作業は至難の業となっています。そろそろRECORDのアップに向けて、コトバを考えなければならず、気にはしていてもコトバは一向に出てこない状態です。言い訳がましくなるので、今日はこのくらいにして早めに眠ることにします。                   Yutaka Aihara.com

連休の終わりに…

シルバーウィークは今日で終わりです。今日は土を練るつもりでいましたが、どうやら連日の疲れが出て、陶彫の作業は出来ませんでした。ずっと工房にいたのに、捨てるダンボールの紐かけをやって、結局一日が過ぎてしまいました。工房の整備が済んでいるもののゴミの処理が出来ておらず、山積みされたダンボールやビニールをまとめました。これを明日から少しずつゴミの集積所に運ばなければなりません。ダンボールが取られ剥き出しになった「発掘〜円墳〜」と「発掘〜地下遺構〜」も早めに木箱を用意しなければなりません。創作活動以外のこうした労働も工房を気持ちよく使うためにやっているようなものです。昨日見てきた茨城県の佐藤陶房も夢の空間を確保するために、一生懸命陶房作りをやっていました。相原工房も夢の空間を確保するために、作品の整理をしているわけです。今日という日は無駄ではないと思いながら、気持ちの良い空間で創作出来る喜びを早く味わいたいと願っています。                            Yutaka Aihara.com

陶土購入 益子へ

連休後半は陶彫のために費やす時間を確保しています。今日は栃木県益子にある明智鉱業に陶土を買いに行きました。今まで郵送していただいていましたが、実際に店に行くのは久しぶりでした。自分は陶土を単身ではなく、複数の種類の陶土を混ぜて使います。それぞれの割合を決めて土錬機にかけ、最後は手で菊練りをします。焼き締めた時の色合いや強度を考えて自分特有の陶土を作っているのです。陶彫にはそれなりの下準備が必要です。明日からの成形に備えて、益子まで足を運んだのです。益子の明智鉱業に買出しに行くことを、茨城県に住む陶芸家佐藤和美さんに伝えたところ、自分も買出しがあるので、そこで落ち合おうということになりました。お互い必要な陶土を購入したところで、現在建築中の佐藤陶房を見に行きました。和美さん健太さん夫妻は自分自身で自宅兼用の陶房を作っているところでした。必要最小限のところは業者に任せ、あとはコツコツ自分たちの手作業で家を建てていました。より広く快適な仕事場を手に入れたいという切実な願望のために、夢に向って動き出した様子が伺えました。             Yutaka Aihara.com

「海のエジプト展」にて

連休の3日目は美術館に行きたいと思っていました。彼岸で墓参りを済ませ、みなとみらい地区に行きました。連休なので混雑は仕方ないと決めて、予てより見たいと思っていた「海のエジプト展」に足を運びました。案の定、大変な混雑ぶりでチケット売り場まで長蛇の列でした。入場しても人の群れで小品を見るのが難儀でした。海から引き揚げられた遺物は、それだけでドラマ性があり、海水に浸かって摩滅した石彫は、風化とは異なる雰囲気を漂わせていました。巨像3体が照明に輝き、その迫力に圧倒されました。花崗閃緑岩による王妃の像の襞のある衣が美しく、その肌理の細かい仕上げに見とれました。クレオパトラに関するものも興味が尽きません。美術とは違う考古学的な興味関心が湧いてきます。エジプトの海岸に眠る謎。古代の都市の解明は歴史のスケールの大きなロマンを感じさせるからこそ、これほど多くの人を惹きつけるのでしょう。                 Yutaka Aihara.com

相原工房の出発

亡父の残してくれた畑の一部に倉庫を建てたのは7月でしたが、いろいろ整備をして、やっと作業ができる空間を作りました。倉庫に収納する荷物はまだまだありますが、今日そこで木彫の第一歩を踏み出しました。前に使っていた作業場より快適です。建物の用途は倉庫ですが、気持ちの上では相原工房と思うようにしました。木彫作業と併行して、かつて実家の車庫から運んできた「発掘〜地下遺構〜」と「発掘〜円墳〜」を梱包していたダンボール箱が壊れていたので、ボランティアの子にお願いして、梱包を解いてダンボールを畳んでもらいました。近いうちに木箱を用意しようと思います。木彫の方は荒彫りを始めました。鋸を挽き、挽き目に合わせて鑿で木材を削っていきます。今日のところはまず2本。すべて荒彫りが終わったわけではありませんが、相原工房に立ちこめる快い空気に慌しい気持ちが消えて、今日はこれでよしとしました。明日は母と亡父の墓参りに行きますが、その前に相原工房に立ち寄って仕事をしていきたいと思っています。        Yutaka Aihara.com

連休初日の躓き

さて、今日から5連休。朝から身も心も作品制作体勢になっていました。杉の柱に下書きして、これから荒彫りを開始する時になって、今まで使っていた鋸を取り出しました。柱にあてて挽いてみたら、あれ?何かヘン、と思って鋸の刃を見たら、あまりにもひどい状態でした。手入れをしていなかったせいで、刃こぼれをしていて、これで力任せに挽いても、いい仕事はできません。自分は恥ずかしながら鋸の目立てができないのです。父が生きていた頃は、父のところに通ってきている職人さん達が昼休みに地べたに座って鋸の目立てをコツコツやっていました。自分がやると砥石が均一にかからず、かえって鋸を駄目にしてしまうので、やらせてもらえませんでした。仕方ない、新しい鋸を買ってくるしかないと思って店に出かけました。亡父は自分の道具を後生大事に使っていて、工具の刃が短くなり、握りも磨り減っていました。そんな父を見て育った自分は、自分で工具を駄目にすると不甲斐なさを感じてしまうのです。連休初日はそんな躓きをしました。明日こそ心機一転、木彫を頑張りたいと思います。                 Yutaka Aihara.com

5連休をどう過ごす

明日からシルバーウィークの5連休が始まります。この始まる…という期待が何ともいいのです。始まってしまうと、すぐ終わってしまいます。今日はウキウキの前日なので、5連休の作品制作計画を立てようと思います。まず2日間は「構築〜瓦礫〜A」の柱の荒彫り。すでに杉材を購入してあります。鑿を研いで精神統一して開始したいと思います。次の日は美術館鑑賞日。午前中は亡父の墓参りがあるので、夕方から近くの美術館に行こうと思っています。残り2日間は陶彫制作の予定です。まず、栃木県益子に陶土を買いに行って、土錬機で別々の陶土を練りこみ、常日頃使っている土にしていきます。次に菊練り、タタラ、そして成形。そこまでいくかどうかわかりませんが、5連休後半はとにかく陶彫をやろうと決めています。木彫(2日)美術館(1日)陶彫(2日)という計画です。ようやくワクワクしてきました。この5連休で制作の弾みをつけて、さらにその先へ進めていきたいと考えているのです。                          Yutaka Aihara.com

琴平電鉄「八栗駅」

香川県高松市に行ったのはかなり前のことですが、地方のローカル線で気に入っているのが琴平電鉄です。小さな電車に揺られながら、八栗駅で降り、そこから石材店の並ぶ路地を歩いて、牟礼のイサム・ノグチ庭園美術館に行きました。近くに庵治港があって、海岸線の向かいには石切り場のある山が迫り、凹凸のある風景が広がっていました。八栗駅はとても小さな駅でした。こんなところに世界的な彫刻家の住居と美術館があるのかと思われるほど閑散とした印象を受けました。墓石を扱う店が軒を並べているのを見て、なるほど石の町に来たんだなぁと納得しました。讃岐うどんを食べて、町の中を練り歩き、寄り道しながらイサム・ノグチ庭園美術館に辿り着いたことが思い出されます。庭園美術館の周囲も石材店が多く、庭園美術館がこうした町の中にあるのが、ちょっと驚きでした。自分の勝手な想像では広々とした丘の上に建っているものだと思い込んでいたからです。八栗駅に戻って、人気の無いホームで、庭園美術館内部の空間とこの駅のあまりにも違う環境に不思議な、それでいて気持ちの良いミスマッチを感じていました。   Yutaka Aihara.com

「流政之作品論集」

彫刻家流政之を知ったのは高校生の時でした。書店で立ち読みした美術手帳に彫刻写真が掲載されていて、若かった自分はカッコいいなぁと思ったように記憶しています。美大の彫刻科に入って彫刻を本格的にやり始めた頃、西武美術館で「流政之展」があって、自分が大学で学んでいるものと表現の土台が違うように感じて、それこそ表面を舐めるように見ていました。スパっと切ったような石彫は思い切りが良くて、石でこんなふうに作れたら気持ちいいだろうなぁと思えました。アートの世界では、ナガレ作品はいずれもカーヴィングという古く普遍的な概念を持っていて、自分も当時モデリングに拘っていたので、当時流行の現代美術よりずっと好きになっていました。その作品論集を書店で見つけて、読むことにしました。ずい分前にイサム・ノグチ庭園美術館を訪ねて、香川県の庵治まで出かけた時に、もう少し足を伸ばしてナガレスタジオを見ておくべきだったと思いました。面識の無い自分に会ってくれないにしても、外側からだけでもレンガ作りのスタジオを見ておけば、何かインスピレーションが湧いたかもしれないと思ったのです。そんなことをあれこれ思いながら、写真版の多い論文集を読み終えました。

闇の世界を描く漫画

今晩のNHKプロフェッショナルでは、漫画家井上雄彦の仕事を取り上げていました。自分はあまり漫画を読む方ではないのですが、唯一「バガボンド」や「リアル」を愛読しています。作者の仕事に対する熱情や真摯な姿勢が創作に表れているからこそドラマに惹き込まれ、さらに展開されるキャラクターの心理描写に同感してしまうのでしょう。とくに注目したのは闇を描くというテーマです。自分の内面を掘り下げ、素の自分自身と対面して、人間の持つ弱さを抉り出し、それによって照らし出される光の部分をも表現するという意図に、漫画という媒体を使った文学にも劣らぬ世界観を発見しました。絵がある以上、人の表情や動きにそうしたものを語らせなければならず、卓越した描写力に加え、作者自身の心の動きが投影されてしまう世界に凄みを感じてしまいました。漫画はサブカルチャーと言われているものの今や重要なポジションを与えられている分野です。仕事場で苦しむ作者を見ていて、仕事は違えど自分にも共通した部分を見て取って、ここにも共感を覚えたひと時でした。                         Yutaka Aihara.com

メジャー記録達成に思う

スポーツではオリンピックやワールドカップ等で心が高揚し、選手の輝く一瞬を感じ取って、自分も爽やかな気分になります。でも今日ほどの気分は今までにありません。米メジャーリーグでイチローが打ち立てた9年連続200本安打という途方も無い記録に感動を覚えたからです。自分は一生続けていくであろう創作活動でも一気呵成はなく、常日頃からコツコツ制作に励むことを信条にしてやってきました。一歩一歩が自分にとって大切なのです。休まず焦らず力まず、そして楽しみながら…これはその活動が本当に好きでなければできないことです。身体的にも精神的にも長く続けていくには紆余曲折があります。気力が萎えてしまうことがあるかもしれません。持続する力はどこから芽生えてくるのでしょうか。自分はいくつになっても不惑の歳がやってきませんが、諦めないで続けることの素晴らしさを、今日イチローが教えてくれたことは確かです。勇気をもらいました。

「構築〜瓦礫〜A」

倉庫の片づけが一段落し、ついにと言うべきか、ようやくと言うべきか、新作に取りかかることになりました。前のブログに書いた陶彫の瓦礫の山から突き出ている数本の柱。まず、杉材の柱を購入してきました。節や裂け目の多い間伐材です。「構築〜起源〜」で使った柱より、やや太いものを選び、長さを1500mmにしたので、がっしりした印象です。先端はかなり細くする予定です。題名を「構築〜瓦礫〜A」にしました。AがあるのだからBもあるのかと問われれば、その通りBもあります。構想の上ではAB一対になるのがいいのですが、表現の上からは「構築〜包囲〜」と「構築〜瓦礫〜A」が対応し、「構築〜解放〜」と「構築〜瓦礫〜B」が同じように対応する形態になります。来年の「構築シリーズ」では「包囲」と「瓦礫A」を発表し、再来年の「構築シリーズ・2」では「解放」と「瓦礫B」を発表するつもりでいます。ともかく例年よりかなり遅く新作のスタートを切りました。また適度に緊張が続く毎日になります。

写真の持つ遊戯性

自分の作品をずっと撮りつづけている2人のカメラマンが自宅に来ました。完成した倉庫を見せた後、いつものように楽しい会話になりました。彼らは今年の個展に出品した「構築〜起源〜」「発掘〜赤壁〜」の写真ファイルを届けに来てくれたのです。いつも写真をアレンジしてファイルにしていて、これは図録とは別の世界が広がっています。写真の持つ独特な陰影の世界が自分にとっては大変刺激的で、いつもながら写真の魔術に魅了されてしまいます。彫刻ではありえない自由な発想・構成があって、作品がデザイン化していく過程を見ることになると言っても過言ではありません。素材と格闘している自分には、ふいをつかれるような気分です。その演出の楽しさがいいのです。写真の持つ遊戯性と言うべきか、遊び心いっぱいの作品写真をもっと見たいと思ったひと時でした。                   Yutaka Aihara.com

作品が醸し出す多様性

何年か前に横浜市民ギャラリーに作品を並べていた時、ひとりの鑑賞者から「これはテロに対する抗議か?」と聞かれたことがあります。爆風で半分壊れたような陶彫による都市は、あるいはそんな捉え方ができるのかもしれません。9月11日になると、そんな一言が頭を掠めます。もちろん自分の作品は政治や社会性をテーマにして作っているわけではありません。ただし、発想はどうであれ、観る人がそう感じ取ってもらえるならそれで構わないと思います。自分が思いもよらなかったことを感想として言ってもらえる事があります。驚きとともに嬉しく感じることがあります。様々な解釈が可能な作品であればこそ、観る人が自由に想像してくれるのだと思っているからです。作品に説明の要素はいらないというのが自論です。それは抽象に限らず、やや具象傾向であっても、多様な解釈ができるものがいいと自分では思い込んでいるのです。嬉しいのは自分の作品に上手下手というテクニックに関する感想はなく、これはこんなものを表現したのではないかと同意を求められることです。そうだそうだと否定しないでいると、本当のところはどうなのさと詰め寄られます。作品が醸し出す多様性。これが自分の作品の命です。

「眠い」と「頑張らない」

去年の今頃は何をしていたのか、2008年のブログを開けてみると、眠さに誘われてどうしようもないようなことが書いてありました。さらに2007年のブログはどうか、ここにも頑張らないでやっていこうというようなことが書いてありました。最近は眠くて仕方がないので、過去のちょうど今頃はどんな思いでいたのか、ひょっとして果敢に創作に立ち向かっていたのではないか、そうなれば今の自分を叱咤して頑張らねば…と思っていたのですが、2年前も昨年も似たり寄ったりで拍子抜けしてしまいました。空気が澄んでくる秋はやはり眠くて、今ひとつ盛り上がれず、何だかホッとしたような気分です。ただし、ここ数年と今年が異なることは、未だにまだ思い切った作品が作れずにいることです。これは由々しき事態です。そうは言っても眠い時は眠いので、蕩けていく意識と葛藤しながら毎日を過ごしています。Yutaka Aihara.com

岡本太郎の本

岡本太郎著による本はシリーズ化したもので5冊あります。いずれもみすず書房から出版されています。自分の若い頃は、この芸術家のアヴァンギャルドな理論や行動が羨ましく思えて、また著作に影響されてきました。彼の造形作品にはあまり関心がなかったのですが、本はよく読みました。今夏、新潟県の十日町市美術館に行って縄文土器に触れた時、岡本太郎が書いた「縄文土器」論が無性に読みたくなって、久しぶりに再読しました。そのままその理論が収録されている「日本の伝統」も再読してしまいました。若い頃読んでいたにも関わらず、現在の自分の方が主張するところがよく伝わりました。琳派がとくに面白く感じました。「紅白梅図」や「燕子花図」は自分も同じ時代のものと比べると異質なものを感じていました。現代に通じる新しさがあるように思ったのです。岡本太郎流の理論には、現在でもかなり頷けるものがあります。でも、どうも彼の絵画や立体は自分にはしっくりきません。岡本太郎が若い時に描いた「痛ましき腕」という絵画作品は大好きなのですが…。そこには深い精神性があるように思えるのです。

争訟研修に参加して

横浜市公務員が申し込んで受けることの出来る研修の中に、管理職のための研修があります。管理職として必要な知識等を学ぶ機会は数多くありますが、今日は争訟に関する研修に参加してきました。弁護士から様々な判例が出されて、それらを概観しながら、裁判で留意すべきポイントは何かについて、具体的な事例を通して説明がなされました。損害賠償請求やらそこに至る損害の内容を詳しく聞きました。法律に疎い職種でありながら、立場上そんなことを言っていられない状況もあることを認識して、明日からの仕事に励もうと思います。横浜市は課題解決事業を開始して、専門家による支援チームがあります。活用する場面が無いのが一番ですが、万が一の時はこうした支援があることを覚えておこうと思います。             Yutaka Aihara.com

石ころ・流木・骨・貝殻…

自宅の小さなアトリエに、アフリカをはじめとする各地のお面や陶器があります。20代の頃から集めてきたものです。買ったものもあれば拾ってきたものもあります。やっと持ち上げられるくらいの大きな流木に、自分が白くペイントしてオブジェ化したものはリビングに置いてあります。拾ったものは実はたくさんあります。イギリス人彫刻家H・ムアの工房に石ころや骨が置いてあるのを写真で見て、自分も倉庫に持っていこうかと考えているのです。プラハの石畳の一部やギリシャで見つけた白骨化した狼の頭、ルーマニアで見つけた羊の角、沖縄や奄美大島で拾った珊瑚の残骸、その他いろいろな海岸で見つけた小さな石ころ。よく見ると穴が開いていたり、象形文字のような模様が入っていたりします。流木は波に洗われた流線型が奇麗です。ついついカタチの面白さに魅かれて拾ってしまったものばかりで、自分にとっては宝物です。どこかでカタチに出会う瞬間があり、それを見つけた時の喜びは天にも昇る心持です。アートの眼で世界を見れば、足元にさえ感動が転がっていると思うことがしばしばあります。             Yutaka Aihara.com

週末のひと時

週末は倉庫の片付けやら、近隣のスポーツクラブに水泳に行ったりしながら、あっけなく過ぎていきます。作品の構想を練りながら行動しているので、時間がいくらあっても足りないと感じます。RECORDの彩色とこのブログも欠かさずやっているので、ぼんやりと休んでいる状態ではありません。それでも朝のひと時は週末の余裕を感じることができます。朝食が美味しいと感じるのもそのためでしょう。朝、頭の中で今日一日の出来ることを考えるのが楽しいのです。今日は倉庫の中をこんなふうにアレンジしようとか、そろそろ素材を買ってこようとか、目前にある10数時間という未来が輝いているような気がします。たかが10数時間、されど10数時間です。結局考えていたほどのことは出来ませんが、でも開放感に浸れて過ごした週末は自分の元気のもとになっていると思っています。明日からまた公務。でも仕事があるからこそ週末が楽しいのでしょう。また来週末に期待します。   Yutaka Aihara.com

「瓦礫」陶彫の破片

新作では、殻を打ち破った樹木が上昇していく漠然としたイメージがあります。自分が調合している陶土が焼成で黒くなる影響もあるのでしょうが、作品全体のイメージは黒っぽい色彩で覆われています。陶彫は瓦礫の山となっていて、かつて作っていた都市空間が、カタチを成さなくなるまで破壊された情景が浮かんできているのです。そうしたイメージはどこから来るのでしょうか。この「瓦礫」を作るためには、どういう具合に陶彫の破片を配置してみようか、それとも無作為にやってみようか、頭の中でぐるぐるアイデアが浮かびますが、新作でわかっていることは、今までの作品にない提示方法を試みようとしていることです。樹木は「構築〜起源〜」で試したように炙って炭化させる計画です。数本になるか、さらに多くなるかわからないのですが、この樹木をどのように立てようか、陶彫の破片の中に柱を立てる陶彫のパーツを用意しようか、今後の課題として考えながら制作を進めていきます。

「安定感のある…」印象

7月の個展に知り合いの臨床心理士夫妻が見えて、彼らなりに感想を述べていただきました。ご主人は自分の職場で働いている人で、管理職の立場からすれば大変頼りにしているスタッフのひとりです。彼によって支えられている人はたくさんいます。奥様も臨床心理士で介護系、とくにアルツハイマーの患者をカウンセリングしているそうで、聞き上手のプロと言うべきか、寄り添う会話によって人生を活性化させる専門家だそうです。奥様と自分は初対面でした。カウンセラーという職種の人は、話しやすい空気感をもっていて、個展会場でも話は弾みました。(というより私がよく喋ってしまいました)後でご主人に個展の感想を聞いて、自分のことながら「へぇ」と思ってしまいました。奥様は、私と作品を見て「安定感のある…」と言われたそうです。管理職の立場としては嬉しい限りです。アーティストとしては…複雑です。確かに決めた時間にコツコツと作業している自分は安定した精神状態をもっています。それが作品に表れ、いい意味でも悪い意味でも安定感が作品に出てしまうようです。人の心を感じ取れる人は、作品でも何かを感じ取れるのかと改めて思った次第です。来年また夫妻を呼びます。自分の心の変化を毎年確認したいと思っているからです。              Yutaka Aihara.com

「構築シリーズ」に向けて

来年7月のスケジュールに入れていただいている「ギャラリーせいほう」での個展では、「構築シリーズ」をスタートする予定です。今まで「構築〜包囲〜」と「構築〜解放〜」に取り組んできましたが、「構築〜包囲〜」の発展したカタチをもう一度やってみたいと思っています。柱をピラミッドの骨格のように組み、その骨格が殻を破って突き出たイメージを思い描いているのです。殻には陶彫の破片を使います。陶彫は「発掘シリーズ」で使った技法です。陶土は過去の遺物、樹木は未来に向う素材として扱うことが自分の中で定着しつつありますが、それは大地にあって気象や環境によって質を変化させていくカタチをもたない土と、同じ状況であってもカタチを変化させていく木を、それぞれ自然にあるがままの素材に造形意図を入れて対峙させてみたいと思っているのです。どちらの素材も地球がもたらす恵みであることに変わりなく、それ自体でも美しい素材です。造形化する意味を考えながら、当初のイメージに制作を通して近づいていけたらと思っています。

RECORDは「三角形模様」

今年のRECORDはカタチの繰り返しによって、画面を構成しています。今月は同じ大きさの三角形を4つ配置して、それをベースに平面作品を作っていく予定です。三角形は好きな図形で、かつて陶彫でもピラミッドを作っています。とくにこれから陶彫や木彫で作る立体作品は、三角錐や円錐、四角錘など三角形を基にした作品と作ろうと考えています。上部で1点に結ぶ図形は内包する空間に魅力を感じてしまうのです。上昇しても出口を塞がれている状態では、パワーが再び下降してクルクル回り、それを繰り返しているうちに内包する空間にパワーが充満するように思えるのです。前に「構築〜包囲〜」を作りました。まだ展開できそうな状況を残したまま、「構築〜解放〜」に向ってしまったので、もう一度「構築〜包囲〜」に戻ってみようと思っています。上部で1点に結ぶ図形に拘るのはそのためです。とりあえず今月のRECORDで試します。                  Yutaka Aihara.com

9月にやるべきこと

9月になりました。先月は新築された倉庫に陶芸窯が入りました。職場で5日間の夏季休暇をいただき、新潟県のアート・トリエンナーレや群馬県の博物館、静岡県の美術館、そして長野県の池田宗弘先生宅に行ってきました。読書ではA・ブルトン「魔術的芸術」をじっくり読みました。ほぼ予定通りの8月だったように振り返っていますが、京都の渡辺さんに会えなかったことや瀧口修造の本を読めなかったこと、作品の雛型作りが思うように進まなかったことが悔やまれます。今月は作品制作(雛型を含めて)をやっていきたいと思います。8月のように時間が確保できませんが、それでも今月の半ばに5連休があって、このあたりで新作に向けて走り出したいと願っています。次作は木彫の柱と陶彫の断片を組み合わせた「構築シリーズ」を考えています。今月はやるべきことをしっかりやっていきたいと思います。

「フランス絵画の19世紀」展

今日まで表題の展覧会が地元の横浜美術館で開催されていました。退屈しそうだと思いつつ出かけてみたら、逆に新鮮な気分に浸れて良かったと思いました。アカデミズム。これはフランス印象派の少し前まで、サロン(フランスの展覧会場)で発表することを主体とした絵画を指して言います。自分が美術の世界に進もうと考えていた頃に習ったデッサンがまさにアカデミズムだと思っています。受験デッサンは、陰影を捉えて形を写実的に描くことを目的としていて、自分もその頃は人より巧みになりたいと日夜励んでいました。現代から見れば、活力の無い旧態依然とした世界ですが、逆に現代美術の混沌とした広がりを考えると、そんな生真面目で丁寧で浮いた表現が、或いは新鮮に見えても不思議ではありません。歴史画や神話を題材にした大げさな絵画は、やはり戴けないところもありますが、通念的な絵画たる絵画を見たような気がしました。手間のかかった筆致や色合いや細部の表現が、ある意味では芸術家が幸福だった時代を表しているようにも思えてきます。デッサンを習いかけの頃だったら、巧いなぁと溜息をついただろうにと思いながら会場を後にしました。                      Yutaka Aihara.com

選挙に行く…

自分は倉庫の整備・整理があり、家内は公会堂で胡弓の演奏があるため、衆議院および横浜市長選挙には朝一番で出かけました。私は20歳になってから、滞欧生活をしていた5年間を除いて、必ず選挙に行っています。普段から政局に関心があるわけではなく、支持する政党もないので、いわゆる無党派層なのです。マニフェストというコトバが一般化していない頃にも立候補者が掲げる誓約を読んで、政党に関係なく一票を投じていました。横浜市の公務員になった頃は、組合で推薦する人に投票するような運動がありましたが、自分はそれでも関係なく、自分がよかれと思う人に一票を入れていました。公務員の労働条件や日常生活に多少の不満はありますが、大きく社会を変革する必要を感じていないのが自分の現状です。ただし、今回は政権交代があるものと信じて、また政権が変わるとどうなるのかという思いもあって、特別な気持ちで選挙に出かけました。自分のような思いで選挙に出かける人は多いのではないかと思っています。               Yutaka Aihara.com

時間を惜しんで過ごす週末

待ち遠しかった週末も、実際は細々とした仕事をして忙殺されて過ぎていきます。時間が早く過ぎていくように感じるのは充実している証拠でしょうか。過ぎていく時間が惜しいと思いつつ、ウイークディーにはまた公務があるという意識があって、週末の凝縮した時間を過ごせるのだと思います。倉庫の整備・整理にはボランティア学生を使うわけにもいかず、自分ひとりで棚の中を確認しながら進めています。それにしても蒸し暑い空間です。朝晩涼しくなってきましたが、倉庫内は夏の熱気が籠もっています。窓を開け、工事用扇風機を回しているものの蒸し暑さは変わりません。汗を搾り、熱中症にならないように水分補給をしながら作業しています。体力維持のためにやっている水泳が、こんな陽気の中ではとても気持ちよく、今日は2回もスポーツクラブに顔を出してしまいました。               Yutaka Aihara.com

待ち遠しい週末

現在の仕事のせいか週末が待ち遠しくてなりません。公務員初任の頃も同じ気分でした。仕事に慣れ、また仕事が面白くなってから週末を心待ちにすることはなくなりましたが、現在の気持ちは初任の頃に戻っています。明日は8月最後の週末です。倉庫の整備・整理に追われることになりそうですが、それでも創作への希望を繋ぐために楽しんで作業ができると思います。そこは自分の終の棲家であり、夢を実現する空間であり、思索に思い悩む場所であるから、整備・整理は自分にとって大切なことだと思っているのです。朝からFMラジオを流し、額に汗しながら収納庫を組み立て、時にRECORDや雛型を作ることが現在の自分にとって大変な喜びなのです。そこでの大きな創作を思い描きながら毎日を生きていると言っても過言ではありません。作品のイメージが今や次々頭の中に去来するのが不思議な現象で、きっと自分の中に快い空間に対する渇望のようなものがあるのかもしれません。

ブログに纏わる雑感

ブログはホームページを開設してから、ほとんど日課として欠かさず書いています。過去の記録を読むと内容はまちまちで統一したものはありません。まず作品制作のあれこれについて。イメージの源泉を辿ってみたり、素材や技法のことや制作過程のこと、時に不安や焦りも交えて、よくもこんなことまで書いているなぁと思います。次に読んだ本の感想やそれによって得た知識や思索したことなど。浅はかな思考を露呈する結果になっても凹むことなく書いています。さらに旅行した先で見聞したことや展覧会の情報などを伝えることもあります。ブログは自分だけのメモではなく、ホームページ上でアップしているものなので、全世界に向けて公開していると言っても過言ではありません。にも関わらず自分のメモ的な内容も含まれていて、昨年の個展ではどの時期に案内を出したか、お礼状はどうだったかを見て確認しています。むしろ自分ではこれが便利なのです。3年以上も続けていると、前に書いたことがある内容も繰り返してしまう恐れがあります。でも振り返るのが面倒な時は、そのまま平然と済ましてしまうこともあります。今日はブログに纏わるあれこれを思いつくままに綴ってみました。

お礼状の郵送

個展に来ていただいた方々へお礼状を出すことにしました。芳名帳からピックアップして数十人の方々に郵送いたします。とくに今回のお礼状は自分から案内を送った方々に限らせていただいています。個展を開催する際に、案内状、図録、お礼状の3点は準備するようにしてきました。わざわざ東京の銀座まで足を運んでいただいたことに対する感謝です。個展開催も人に支えられていることは言うまでもありません。自分はお陰さまで毎年個展をやらせていただいています。自分を叱咤激励する意味でも気力・体力が続く限りやっていこうと思います。ギャラリーせいほうは、彫刻専門だけあって空間がたっぷりとれる広い画廊です。大作をひとつは作らないと空間が生きません。来年も「構築シリーズ」を作ろうと思っています。新築した仕事場での最初の作品になります。木彫と陶彫という二つの技法で再び挑むつもりです。来年もよろしくお願いいたします。                Yutaka Aihara.com