ピラネージの「牢獄」連作

町田市の国際版画美術館で開催されている「ピラネージ版画展」で、最も自分の心を捉えた作品は「空想の牢獄」として制作されたエッチングのシリーズです。ざっくり描かれた空間は、閉塞感はあるものの外からの光に照らされて石壁や階段、鎖や刑具が置かれている状況がわかります。連作はどれも錯綜する建築的要素が形作る空間、モノクロのコントラスト、舞台装置のような幻想的な雰囲気を持っていて、何か得体の知れない感動を呼び、自分はしばらくそこに立ち尽くしてしまいました。作品にのめり込むというのは久しぶりに味わう気分でした。自分が現在取り組んでいる架空都市に似た空気を感じたせいでしょうか。この連作が欲しい、手許に置きたいと感じたのも初めてでした。それより何かわからない、言いようのない空間に対するイメージをこの「牢獄」連作から授かった気がしています。むしろ心に留めている漠然としたイメージの方が自分には有難いのかもしれないと感じています。Yutaka Aihara.com

「ピラネージ版画展」へ…

東京都町田市にある国際版画美術館で現在「ピラネージ版画展」が開催されています。18世紀のイタリアで活躍した著名な版画家ピラネージは何かの図版で見ていましたが、内容を知ったのは谷川渥著「廃墟の美学」からです。以前この本に関するブログを書いた記憶がありますが、本で紹介されていたピラネージのオリジナルが見たいと思っていたところでした。公務の合間に急いで見た「ピラネージ版画展」でしたが、途中から目が離せなくなり、また最初の部屋に戻って初期から見直すほど気持ちが入ってしまいました。崩壊されたローマの遺跡の美しさ。透視図法で描かれた古代都市の景観の壮大さ。エッチングによる濃淡の遠近感。版画の中を目で散歩して、倒れた石柱に腰をかけて空を眺める空想に浸りながら、ピラネージ自身が奇想空想で描いた古代世界を堪能しました。現実にあったであろう在りし日のローマの姿と、崩れ去り草木が覆うローマの姿がともに印象に残り、人が構築したものの哀しさを感じることができました。

図形に縄が絡むイメージ

ポストカード大の平面作品RECORDの今月のテーマは「半円形」です。その半円形に縄が絡まっているイメージを、このところずっと追い続けています。抽象形態で始まった今年のシリーズですが、現在は具象傾向の強い作品になっています。縄や糸が絡むイメージの作品は、幻想絵画に多く見られますが、自分は彫刻的な模索として考えながらやっています。ひも状のものを物体にぎゅっと巻き付けたり緩めたりするのは作品に緊張感や抑揚を持たせやすし、さらに何か謎めいた意図も含めることができるので、表現としてはいい効果を生むのです。今まで幾何形体を見つめてきたので、そろそろ発想の揺り戻しがあって、具象に向っているのかもしれません。来年のテーマを考えつつ毎日毎日小さな紙を見つめています。            Yutaka Aihara.com

15cm四方の陶彫矩形

一辺15cmの正方形。陶土で作ったその矩形に少々高さをつけてみました。これを基本の形態にして4つほど作りました。あとで上部の正方形に加飾してレリーフ状にしようと思っています。これを毎日ひとつずつ作れれば、RECORDと同じ一年間365点になり、昨日のブログに書いた構想が具現化できるはずです。毎日陶土を練って、たたらにするのは時間的にも困難なので、週末に一週間分7つの基本形態を作り上げ、加飾だけ毎日のノルマにすれば何とかなると考えました。すべて15cmの正方形が上部につく高さがまちまちの矩形です。ギャラリーの床に散らせて置くと、それだけで「場の空間」が演出できると思います。とりあえず試作開始。まず実験として、今日たたらから基本形態に成形した4つの作品を作って焼き締めようと思います。

陶彫によるRECORDの構想

ポストカード大の平面作品を一日一枚ずつ作っているRECORDはもうすぐ2年が経とうとしています。昨年の12月頃作ったRECORDには半立体になった作品があります。平面に板や厚紙を貼り付けてレリーフ状にしたものです。この週末から考え始めた新たに展開するRECORDは完全な立体表現です。かつてブログに365点で構成される立体作品のイメージを書いた記憶がありますが、これが実現できるかどうか試作してみようと思っているのです。ただし、これを今までのようなRECORDにするかどうかは検討中です。自分の中には彫刻と併行して平面表現をやっていきたい欲求があるからです。とりあえず今日と明日は木彫をする傍ら、陶土で直方体を作り、まずひとつ陶彫作品を作ってみようと思います。どのくらい表現の可能性が考えられるのか、手間や時間はどうか、一日一点作るのであれば試作をしてみないと始められないと思います。                Yutaka Aihara.com

陶彫を初めて見た頃

20代の頃は大学の彫刻科に通っていて、粘土による具象作品を作っていました。いわゆる習作です。恩師の池田宗弘先生がギャラリーせいほうで個展をやっていて、そこで手伝いをしてギャラリーに通い始めました。そこで見た陶彫作品は辻晋堂、速水史朗。それに美術館で見たイサムノグチ。ずっと後になって八木一夫、藤田昭子。ウィーンに住んでいた頃に見たフンデルトワッサーの造形的な壺や皿。そんな作家たちに自分は何かを与えられたと思っています。土の質感が何ともいえず好きになり、素朴さとモダンが共存しているように感じられました。縄文土器や弥生土器を見に博物館によく出かけることもありました。土器は破損した部分も美しいと思うようになりました。日用品としての器が好きになったのは、さらに後になってからで、彫刻の素材から陶芸へと感受する幅が広がっていきました。陶彫はあれからずっと作り続けている自分にとっては最愛の表現技法です。         Yutaka Aihara.com

陶彫を始めた原点を探る

自分の個展の図録には粘土を石膏に変えて保存するのではなく、粘土のまま保存できる技法として陶彫を選んだという主旨を書いています。これは当時から本当に素直な気持ちでそう感じていました。でも陶彫というものを見たことがなければそんな発想には至りません。自分が現在個展をやらせていただいているギャラリーせいほうに、自分は20代の頃から通っていて、そこで陶彫作品に出会えたことが、陶彫という技法をやってみようとした契機になっています。大学の彫刻科で石膏型取りをしている時も粘土のまま硬化(石化)させられたらいいのにと思っていました。自分が通っていた大学には故井上武吉先生、故若林奮先生、保田春彦先生、それに直接の恩師池田宗弘先生と金属の素材を扱われている方がたくさん勤務されておりました。でも陶彫をやっている人はいなかったのです。振り返れば自分は大学ではなくギャラリーで見た陶彫作品の数々が制作の原点になっていると思います。

辻晋堂の彫刻

八木一夫のオブジェ焼に関する書物を読むと、そこにちょいちょい辻晋堂という名が出てきます。彫刻家辻晋堂は亡くなられて随分経ちますが、ギャラリーせいほうで個展をやっていた作家でした。自分は学生時代に個展にお邪魔して数々の作品を見ていましたが、ご本人にお会いできる機会はありませんでした。写真でしか見たことのない若かりし頃の木彫によるきりっとした具象作品。研ぎ澄まされた緊張感が漂うのを写真でも感じることができます。自分が目にした辻晋堂の作品は平面性が表に出た陶彫です。それは岩のような壁に穴のあいた扁平なフォルムで「拾得」とか「寒山」というタイトルがついたものでした。ギャラリーせいほうでの晩年の個展に出品されていたのは、ご本人曰く「粘土細工」と称していたもので、かつての木彫の頃の具象とは違う趣の作品でした。「彫刻を捨てた」無心の造形と見るべきか、でも気品を失わない造形が当時の自分にはとても印象的でした。

オブジェの定義

先日読み終えた美学出版「終わりきれない近代」の中でオブジェについて触れた文章があります。「オブジェというフランス語は、英語のオブジェクトに相当します。自分から見て前方に投げ出されたものというのが語源。だから、対象、客観、目的、目的語、そして物体という非常に重要な概念が、みんなこの一語で代表されます。〜略〜ところが、オブジェというごく普通のフランス語は、二十世紀の前半に特殊な造形手法を指す言葉としてフランスの美術界で用いられて以来、もともとのオブジェの語義とは少しずれたところで、翻訳不可能な概念を見につけてしまったのです。」(著・峯村敏明)自分も普段何となく使っているオブジェという言葉を思い返してみて、なるほど自分もそんな概念でオブジェを捉えていたのかなと感じました。でも、オブジェという現代美術界にしか通用しない言葉を、自分はあまり好みません。何でもオブジェで通用するというのが自分にはしっくりこないのです。やはり自分は「陶彫」という自分にとってわかりやすい言葉を使っていきたいと思います。

終わりきれない「近代」

表題は樋田豊郎・稲賀繁美編集による故陶芸家八木一夫に関する本です。八木一夫が中心になって活動した「走泥社」や当時オブジェ焼と呼ばれた機能を持たない陶磁器の作品を自分なりに理解してみようと思って、京都に行った際、この本を購入しました。工芸品として扱われていた陶磁器に、立体造形としての意識変革を加えた八木一夫の功績は、自分が大学で彫刻を始めた頃知りました。記念碑的な作品「ザムザ氏の散歩」は革新的な意味合いをもっていることを承知の上で、その愛らしさや軽妙なフォルムに目が奪われます。その他八木一夫の作品にはミロのような絵付けの壺があったり、イサムノグチのような造形があったりして、いずれも洒落た味付けがされていて、前衛という大げさなものを感じさせない、それでも前衛であるのには変わりない雰囲気をもっていると思います。この本を読み終えて、しばらくは自分の世界と照らして、本に書かれたことをヒントにして陶彫のことを考えてみたいと思っています。

今週末が終わり…

週末が来るたび作業に追われる生活が繰り返されています。心の充実は計り知れないものがありますが、身体の疲労が徐々にたまってきました。昨日今日と杉材を8本彫り、陶土をたたらにして成形し、RECORDも仕上げました。成形した陶土はそのまま家に持ち帰り、明日から夜の時間帯に加飾して仕上げます。明日から金曜までは公務があって、また週末に木彫、陶彫、RECORDの三つ巴の作業が待っています。例年この時期は制作が佳境に入るので、週末の時間は瞬く間に過ぎてしまいます。いつかは余裕ができると信じて10数年こうしてやってきました。暇な時間は一向にやってきませんが、昔に比べると失敗して後戻りすることは少なくなりました。こうしていた方が自分は頑張れるのだろうと思います。また来週末に仕事は持越しです。

尾形光琳の仕事

東京国立博物館で開催されている「大琳派展」は、自分にさまざまな課題を投げかけてきました。琳派は尾形光琳の「琳」の字をとっているので尾形光琳を中心とする流派であることがわかります。「琳派」は、その絢爛たる装飾性と意匠の面白さが自分にとっては印象的です。と言うか、ちょうど自分が現在やっている創作過程の心情に琳派が入り込んできたといったところでしょうか。尾形光琳の仕事で注目したのは「紅白梅図」や「燕子花図」のような評価が決まっているものではなく小袖等の光琳の意匠、または光琳風を模した図柄の多様性です。今でいうブランドもののように、光琳デザインの金字塔をうちたてた図柄だったようです。今でも雛形本を見ると当時流行の最先端のデザインがよくわかります。現在でも構図が新鮮に感じられ、自分の作品に空間や間の取り方等を取り入れられないか考えているところです。

本阿弥光悦の仕事

東京国立博物館で開催されている「大琳派展」で、本阿弥光悦の作品をじっくり味わう機会がありました。書家として知られる光悦ですが、陶芸や蒔絵硯箱等の作品を見るにつけ、光悦が今でいうアートデイレクターのような存在だったと思われます。絵師俵屋宗達を発掘したのも光悦でした。光悦の作品はどれも抜群のセンスをもち、とりわけ今回自分が注目したのは蒔絵による硯箱でした。素材の組み合わせや全体のカタチが斬新に感じました。器というよりオブジェのようで、これは現代でも通じる要素です。図録を読むと光悦は京都のはずれに芸術村(光悦村)を作り、さまざまな職人を集め、ものづくりに専念していたことが書かれていました。羨望を抱きつつ、光悦のものづくりにかけた人生を学んでみたい気がしています。

「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」

東京国立博物館で開催中の「大琳派展」に俵屋宗達下絵・本阿弥光悦筆による「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」が展示されていました。飛翔する鶴の群が金銀泥で描かれ、そこで繰り返し変化する鶴の姿が、自分にはアニメーションのようにも見えました。俵屋宗達の画面構成の新しさは現代にも通じるものがあると思います。そこに本阿弥光悦の三十六歌仙の和歌が配置され、その文字の抑揚が絵画と相まって、何とも美しい世界観が表れていると感じました。平面に表現された書と絵画でありながら、文字の並びに空間を意識させ、さらに背景にある鶴にも奥行きと広がりを感じとりました。本阿弥光悦という人は、ただならぬセンスを持っていて、筆を自在に扱い、さらに空間造形も捉えることができる天才だったように思えます。この2人の才能が交差する作品は一度観るとその場を離れがたい魅力がありました。

「風神雷神図屏風」を見比べる

俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一による「風神雷神図屏風」が並べて展示してあることは今までにないことだと思います。東京上野の国立博物館平成館で開催されている「大琳派展」は絢爛たる作品が並べられ、なかなか見応えのある企画です。「風神雷神図屏風」は楽しく奇怪なモチーフで、余白を大きく取った構成も含めて日本美術の中でも傑作のひとつと言えます。自分は俵屋宗達を見慣れているせいか、尾形光琳や酒井抱一は新しく生々しい感じをもちました。それでも卓抜した筆さばきや配置がそれぞれの風神雷神を際立たせているように思いました。鈴木其一は空間をたっぷりとった近代風の風神雷神に見えました。さらに現代の画家が描いたらどうなるのだろうと思いを巡らせながら、「大琳派展」をじっくり楽しんできました。

RECORD12月・1月がアップ

昨年12月と今年初めの1月のRECORDがホームページにアップしました。これで1年目のシーズンはすべてホームページに掲載したことになります。12月と1月は作品が半立体になっているのが特徴です。木材やステンレスを使った彫刻の雛型のような作品もあります。月ごとのコトバを最後につけていますが、詩人でもない自分がコトバを綴るのにいつも難儀しています。コトバが単なる作品の説明にならないように、造形作品とコトバが並列してひとつの目的に向っていければいいなと思っていますが、表現の貧しさ故なかなか達成感がもてません。それでも1年間、一日一枚ずつやってきましたので、その成果をご覧いただければ幸いです。なお、ホームページにはこの文章の最後にあるアドレスをクリックしていただければ入れます。よろしくお願いします。                         Yutaka Aihara.com

RECORDは「半円形」

ポストカード大の平面作品を一日一枚のペースで作っているRECORD。今月のテーマは「半円形」にしました。円はそれ自体で完結するカタチですが、円が半分にカットされたカタチはちょっと面白みがありそうです。半円形は曲線と直線が含まれていて、どことなくユーモラスなカタチです。安定感はあります。曲線が下向くと器のようであり、曲線が上向くと頭が出ているイメージです。まずはシンプルなところから始めてみようと思います。今シーズンのRECORDも残すところあと3ヶ月になりました。テーマもあと3回。そう考えると短い1年間だなと思います。2月始まりというのが何か中途半端なので、次のシーズンは来年1月から始めようと考えています。1月は今シーズン最後の1か月分と次のシーズンの始まりが重なる1ヶ月になりますが、頑張ってみようと思います。               Yutaka Aihara.com

新しい作業場の構想

建築会社の人と会うたびに、新しい作業場の建設構想が頭に浮かびます。それは亡父から相続した僅かな土地に倉庫を建てる計画です。作品の収納庫としての役割が大きいのですが、そこで制作ができればいいなと考えています。住居空間ではないので許可申請がどの程度必要なのか見当がつきません。現在の作業場は万力がついた作業台があるだけの簡素な場所ですが、それでも今日を含め毎週末はそこで木彫をやっています。鑿を木槌で叩く音ばかりではなく、電動工具も使用することがあるので、近隣に住宅があると騒音で迷惑をかける心配があって、作業場の場所選びには気を使います。そういう意味では亡父の残してくれた土地は植木畑なので作業場には最適と言えます。いつできるものやらわかりませんが、何とかしなければなりません。作品は貯まるばかりで、母がいる実家の車庫や物置にも陶彫が積んである始末です。夜、陶彫成形や仕上げをやっているアトリエは手狭で、工具だけでも倉庫に保管できればと考えています。                Yutaka Aihara.com

11月の制作目標

11月になりました。いよいよ寒くなって朝の起床がつらくなっています。今月の制作目標は現在取り組んでいる「構築〜起源〜」の柱をすべて彫り上げることです。あと30本程度彫らなければならないので厳しいスケジュールです。出来れば今月中に仕上げもしたいと考えています。柱の下半分をバーナーで炙って炭化させる予定です。上半分は彫りを整えていこうと思います。今日を含め週末はすべて木彫一本。夜は陶彫に励む予定です。そんな中でRECORDをどのように組み込んでいくか、公務も相変わらず多忙になる今月は時間の有効利用が決め手になりそうです。いつもいつも追われるように制作している状況ですが、かえって忙しい方が仕事が捗るように感じます。今月も体調を崩さないようにやっていこうと思います。

フェルメールの物語画

先日行った東京都立美術館で観たフェルメールの絵画のうち印象に残ったのは初期の絵画でした。比較的小さめの風俗画で知られるフェルメールは、初期の頃には宗教を題材にした大きめの物語画を描いているという意外な面がわかりました。「マルタとマリアの家のキリスト」は一見するとフェルメールに見えない雰囲気を持っていますが、よくよく見るとその光や人物の捉え方がやはりフェルメールであると言えます。イタリア的な雰囲気の絵画は、フェルメールの修行時代であったのでしょうか。それでも宗教的な題材にも関わらず、キリストを取り巻く家族の像のような親しみやすさが表れていて、その後の日常を描いた有名なフェルメールの絵画に通じるものがあると思いました。                            Yutaka Aihara.com

上野の「フェルメール展」へ

ウイークデーというのに都立美術館は大変な混みようで、人と人のすき間から名画を鑑賞する状況でした。フェルメールは日本人好みの画家なのでしょうか。先頃「牛乳をそそぐ女」が国立新美術館に来た時も人混みの中で鑑賞した記憶があります。自分もフェルメールは大好きなので、他人のことはどうこう言えませんが、先日「運河沿いのフェルメールの家」という小説を読んだばかりで、その本の中にデ・ホーホがフェルメールの良きライバルとして登場しています。そのデ・ホーホの絵も今回の展覧会に含まれているというので、これは見なくてはならないと思ったわけです。デルフトはまだ行ったことがありませんが、小さいながらも美しい佇まいの街という印象を持ちました。この上野の「フェルメール展」は世界に30数点しかないフェルメールの作品が7点もあったことが驚きでした。

職場の研修旅行

たしか昨年もこんな研修旅行のことをブログに書いた記憶があります。昨年も同じような時期であったように思います。自分が組織の一員として仕事をしている以上、自分は職場の親睦には進んで参加するようにしています。お互い気心を知ることが仕事をする上で、いい結果を生み出すからです。毎年4月に新しい仲間が転勤してきます。そういう人たちともうまくやっていきたいと常日頃から考えています。今回は一泊で三浦半島油壺に出かけてきました。現在の職場は穏やかな人たちが多くて、旅行もゆったりとマイペースで楽しむことができます。1年に1回くらいはこんな機会があってもいいかなと思いつつ仕事を離れ、創作活動からも離れてぼんやりした時間を過ごしました。                              Yutaka Aihara.com

「バベルの塔」印象記

先日のテレビ番組で流れたウィーン美術史美術館のブリューゲルの部屋。自分が20歳代で5年間暮らしたウィーンで印象深かったひとつが、このブリューゲルの部屋でした。その中でも「バベルの塔」が大好きで、この絵画は画面構成といい、表現力といい、自分の心を捉えて離さない魅力が詰まっています。大きな建造物が画面いっぱいに描かれ、その建造物が未完で、むしろ崩壊しているようにも見えるところがいいのです。シンメトリックに完成された塔であったら見飽きることもあるでしょう。それが建造途中なのか崩壊が始まっているのかわからないけれど、画面にこれ以上の配置は考えられないほど計算されつくした状態で描かれている塔は、いつまでも見ていられる魔力を秘めていて、聖書にある物語に人を誘致するに充分な説得力をもっていると言えます。「バベルの塔」は自分が現在作っている「発掘」シリーズの崩壊された都市に影響を与えた作品なのです。        Yutaka Aihara.com

企業派遣研修報告会

横浜市公務員で来年度から管理職になる予定者が、今夏民間企業に派遣されて職場体験をしてきた報告会が、中華街のホテルでありました。自分も7月のブログに書いたように、造園土木株式会社に派遣されて研修をしてきたので、会社の人と一緒に今日の報告会に参加しました。ずっと昔のような気がしていますが、会社の人と会うといろいろ仕事のことが思い出されてきて、あの時の職人さんたちとの交流が懐かしく感じます。職人は個性が強く、そういう人たちを組織として束ねていくのはなかなか難しいだろうと初めは思いましたが、温かい雰囲気の中で、いろいろ声掛けしていただいて、何とかやってこれたことが今にして思えば有難かったと思います。様々な職種で体験を積んできた仲間との情報交換もあって有意義なひと時を過ごせました。Yutaka Aihara.com

ウィーンの映像が流れて…

ウィーンの映像が流れていました。今晩のNHK「新日曜美術館」で取り上げていたウィーンが美の都たる所以。ハプスブルグ家が収集した多様な美術品。自分は1980年から85年の5年間をウィーンで暮らしていたので懐かしさと共にウィーン美術史美術館にある名作の数々を思い出していました。ブリューゲルの部屋は何度訪れたことか。ベルベデーレ宮殿のギャラリーにあるクリムトの作品を何度見たことか。でもまた見たくなるのです。それも日本ではなくて、ウィーンの空気の中で鑑賞するのがいいと思っています。今の仕事が一段落したらウィーン再訪を願っていますが、現状では難しいのです。定年になれば創作活動一本になるので暇ができるはずと思っていますが、これもどうなるものやら。やはり多忙でも時間を作らないと行けないのかもしれません。

陶彫制作進まず…

やはり夜に作業するのはしんどいと感じています。創作活動は楽しみではあるけれど、かなりパワーを使います。実際に陶土に触れてしまえば、それなりに制作を進め、時間が過ぎていくのですが、アトリエに入るのが億劫になる日があるのです。身体が休みモードになっていて、眠くて眠くて仕方ありません。今晩はやめておこうと思っても、陶土の乾燥のことが気になって制作をすんなり諦めることができません。どうしようか思案中です。あれもこれも手を出すのがいけないとわかっているのですが…。と思う瞬間に睡魔が襲ってきました。                          Yutaka Aihara.com

日本美術家連盟

3年ほど前に日本美術家連盟に加入しました。恩師池田宗弘先生の推挙によるもので、会員番号は9673です。もちろん彫刻部に所属しています。連盟は度々会報を送ってくれます。今回は会員証が新しくなりました。ユネスコによって1954年に創立された国際美術連盟の会員証と日本美術家連盟の会員証が表裏になっていて、ポートレイト入りです。以前の会員証に比べると重々しく格式があるような印象です。パスモと同じ革ケースに入れて携帯しています。この会員証で美術館が割引になるという話ですが、企画展には使えないので、ほとんど割り引いてもらったことがありません。でも所属していることで様々な情報を得ることができます。いつも会報は楽しみで、新たな技法や海外のニュースにとくに魅かれます。

カフェでちょい制作

以前のブログに書いた記憶がありますが、出張に出かけて会議の時間待ちをしている時に、カフェでちょい制作をすることがあります。ポストカード大の平面作品RECORDの用紙をいつも携帯していて、下書きをしたり、ペンを入れたりしているのです。これが気分転換に最高なのです。本を読むのもいい気分転換です。本は制作を喚起させるためのものと決めているので、どんな本でもよいというわけではありません。今読んでいるのは陶芸家八木一夫と彼が関わった走泥社に関するもので、オブジェ焼きと言われた前衛陶芸の本です。夏に京都に行った時に購入した本で、ずっと床に山積みしていた本の中から選んで鞄に入れてあるのです。久しぶりに陶彫をやっているので、走泥社の作家たちに自分の意欲を引き出してもらおうという魂胆です。今回はRECORDの制作に時間をつぎ込みました。仕事の合間のちょっぴり贅沢な時間でした。

深い居眠り

仕事帰りにスポーツクラブの駐車場に車を止め、ちょっと休むつもりでシートを倒してみたら、30分以上もぐっすり眠ってしまいました。あっという間の出来事のように思え、起きた時は時間の経過に驚きました。それから水泳をやりましたが、寝ぼけているので身体が水に馴染まず、調子が出るのに1時間ほどかかりました。最近はよく眠ります。夜の陶彫制作も睡魔との戦いと言っても過言ではありません。粘土ベラを持ったまま、ふと眠りそうになる自分がいます。うとうと眠るのはなんて気持ちがいいんだろうと思います。夜はぐっすり眠って、しかも朝の目覚めもきつくなりました。朝夕寒くなってきたからでしょうか。                     Yutaka Aihara.com

アトリエの片付け

自宅にある小さなアトリエは陶彫「球体都市」40数点や木彫「構築〜包囲〜」の一部がところ狭しと置かれていて、夜の陶彫制作に支障があります。今日は意を決して仕事から帰ってすぐにアトリエの隅にある畳んだダンボールや紙ゴミをまとめて玄関に出しました。明日は紙ゴミ回収日なのです。多少広くなったアトリエでまた制作再開です。アトリエは普段使わないと物置になってしまい、古新聞や雑誌が無造作に置かれている状態がしばらく続きました。これを契機にしっかりアトリエで制作できる雰囲気を作りたいと思います。週末に出かける仕事場と同じようにラジオを聴きながら、アトリエの照明の下で制作するのもいいものです。ただ、仕事の後だけに疲れが出て、せいぜい2時間しか制作が出来ません。それでも続けていれば何とかなると信じてやっています。                      Yutaka Aihara.com

矩形ベースに風を描く

現在やっているRECORDで、幾何形体(10月は平行四辺形)をベースにした画面を作り、そこに何かカタチを加えて、風を表現できないものか思案しています。靡いている状態が感じられたらいいのですが…。2月から毎日ポストカード大の平面作品RECORDを作っているのですが、今年は幾何形体を毎回画面に配置すると決めているので、なかなか自由が利かず、またその条件が勉強になると思って始めています。いつも図形ばかり睨んでいるせいか、自然現象を表現してみたくなるのです。今週は風、来週は雨といった具合に進められたいいかなと思います。              Yutaka Aihara.com