地域清掃に感謝する朝

私は朝6時半くらいに自宅近くの停留所からバスに乗って通勤しています。停留所の近辺は何の変哲もない町並みですが、高齢の婦人がビニール袋を持って、煙草の吸い殻や小さなゴミを掃除しているのに出会います。ほとんど毎朝やっているようです。誰に言われるわけではなく、一人で黙々とゴミ拾いをしている姿に、日本人特有の道徳観を見る思いがしています。昔に比べて日本の街はどこも清潔になりました。町内で置いているゴミ処理場がしっかり機能していることもあるのでしょうが、地域に住む人たちの無言の清掃活動が、日本の街の美しさを支えていると感じています。出勤時にそうした行動を見るととても清々しい気持になって、今日も一日頑張ろうという気分になるのです。逆に車を使うと、高速道路の入り口の脇に無残に捨てられている大量のゴミを見ます。ドライバーは自宅や自分の車内以外はゴミ捨て場と思っているのでしょうか。まだまだ意識が遅れている人がいるんだなぁと思います。文部科学省が道徳を教科化させるようですが、その効果は近い将来、目に見えるカタチで具現化してくるのでしょうか。毎朝清掃している高齢の人はそんな教育は受けていませんが、小さなことでも自ら考えてやっているのでしょう。因みに停留所や駅のホームに整然と並んでいる人々にも道徳観があるように思えます。日本を旅行している外国人からすれば信じられない光景だということをネットで読んだことがあります。特別に道徳と謳わなくても日頃からやっている行動に、私たち日本人は充分道徳観が発揮されているように思います。

新聞掲載の「スラヴ叙事詩」

昨日の神奈川新聞に、現在東京の国立新美術館で開催している「ミュシャ展」に出品されている「スラヴ叙事詩」についての記事が掲載されていました。かなり大きな誌面を割いていましたので、話題の重要度がこれによって分かります。作品を所蔵するチェコ以外では世界初公開ということに加えて、その巨大な連作が類を見ない表現であることが、私自身も実際の作品に触れて納得できました。1980年から5年間オーストリアに暮らしていた私は、近隣国であったハンガリーやルーマニア、当時のユーゴスラビアやチェコスロバキアにもよく出かけていきました。しかしながらチェコスロバキアで「スラヴ叙事詩」を見たことがなく、その存在さえも知りませんでした。当時も農村で繰り広げられる勇壮な伝統舞踊を見るにつけ、私はスラヴ民族に興味を持っていました。同行した紀行作家みやこうせい氏が東欧を転々とし、彼の地に多くいたジプシーを取材していたので、その独特な文化とスラヴ民族との関係に注目していました。今回「スラヴ叙事詩」を見て、強国に蹂躙されていたスラヴ民族の苦難の歴史を知りました。誌面にあった研究員の言葉を含めた箇所を引用いたします。「制作中の写真には、巨大なカンバスに向かうミュシャの姿がぽつんと写る。同館の本橋弥生主任研究員は『どの写真を見ても一人で制作している。助手などはおらず、一人で描き上げたようだ』と言う。完成したのは26年。チェコが独立を果たした10年後だった。『既に独立して10年がたち、ナショナリズムが強過ぎるという意見もあるなど、賛否両論が寄せられた』と本橋主任研究員。~以下略~」現在はチェコが誇る宝物となった「スラヴ叙事詩」。次に鑑賞する機会は本国チェコで出会えるのかなぁと思いつつ、混雑を極めている国立新美術館を後にしました。

疲労回復に安堵

毎週末になると、私は朝から工房に籠もって制作三昧になる生活ですが、とりわけ週末2日目にあたる日曜日の夜は、心身共に疲労に苛まれてしまいます。原因は制作だけではないと思っていますが、歯茎が浮いたような感じや胃腸の具合が悪くなるのはどんなものだろうと心配になります。夜はよく眠れるので危険な病気ではないと思いつつ、翌日は昨日の疲労が嘘だったように回復し、精神状態も良好になるのです。月曜日は仕事始めにあたるので、私だけではなく誰でもモチベーションは下がりますが、私はそんな気分とは別に心が軽快になっていることに不思議さを感じます。ストレス皆無といっても過言ではありません。これは創作活動の成せる業なのでしょうか。昨日NOTE(ブログ)に書いた「フロー」状態は、心身に相当な圧迫を与えるものではないかと察しています。これはスポーツ選手が言う所謂「ゾーン」で、彼らはきっとそれぞれ回復を図る手段を持っているはずです。私の場合はそれほど強烈なものではないにしても、日曜日の夜に陥る体調変化は「フロー」状態の揺り戻しのようなものではないかと考えています。デザイン業界に就職した仲間が、身を削って広告課題に取り組むとよく言っていたのを思い出します。身を削るとは「フロー」状態になることを意味しているのかなぁと思い返しています。ただし、私の場合と違って彼らはストレスを抱え込む「フロー」状態なのではないかと思うところです。

週末 彫り込み加飾の一日

朝から工房に篭りました。今日は中国籍のスタッフが工房にやってきました。たった一人で作業するのと、誰かがいる場合では、作業の雰囲気が変わります。休憩を取った時に喋る相手がいるのはいいなぁと感じます。彼女は来日して数年が経ち、日本語に堪能ですが、まだ日本語ではストレスがあると言います。私は20代の頃、ウィーンに数年いてドイツ語が全然上達しなかったため、彼女の外国語読解力は私に比べると奇跡に近いと思っていたので、意外な答えが返ってきて驚きました。日本人からしてみても日本語は難しいと思っているのに、完璧に近い語彙力を持っている彼女に羨ましささえ感じていたのでした。「もっと本を読まなくちゃ」と言ってる彼女は、日本語による精神分析の書籍を読もうとしているのです。読みたいのはフロイトの「夢判断」と聞いて、彼女の意欲に脱帽でした。この子なら今からでもドイツ語を学んで、ドイツ語の原書でもいいのではないかと思ったくらいです。今日は陶彫の成形をした作品に彫り込み加飾を施す作業に明け暮れました。彫り込み加飾は陶土の表面を掻き出しベラで彫り込みを入れて、木ベラで形を整える作業です。いわばレリーフを作っているのです。丸彫りと言われる360度の立体に浮き彫りをするのです。丸彫りと浮き彫りが調和するように細工していきます。結構時間がかかり、周囲が見えなくなって、眼は陶土とヘラ先しか追わなくなっていきます。私はこういう状態を素材との対話と称していて、あっという間に数時間が経過してしまいます。心理学で言う「フロー」状態というのは、このことなのでしょうか。この状態に入ると自分の肉体等諸々の事情を省みることはなく、作業は思うようにどんどん進みます。自分でコントロールして「フロー」に入れるものではなく、明確な目的意識とその時の体調によるものかなぁと思っています。昨日と今日は午後2、3時間くらい「フロー」状態がやってきました。ただし、作業を終えた後で大変な疲労に襲われて、瞬時に燃え尽き症候群になってしまうことがあります。復活はできるので症状は軽いものではないかと思っています。

週末 陶土を捏ね回す一日

週末になって朝から夕方まで陶彫制作に明け暮れました。今週はウィークディの夜は工房に通いました。夜の時間帯は「発掘~座景~」の追加陶彫部品の制作に費やしましたが、全て終わったわけではなく、今週末も継続して制作することになりました。新たに今日は「発掘~宙景A・B~」の陶彫部品の成形と彫り込み加飾もやりました。これで「発掘~宙景A・B~」のテーブル下に吊り下げる陶彫部品は、ほとんど終わって乾燥を待つばかりになりました。「発掘~座景~」の方は、今日も追加陶彫部品を作り続けていて、ほとんど一日中陶土を捏ね回していました。朝9時から夕方5時までの8時間をずっと陶土に触れていると掌が荒れてきます。気持ちに焦りがあるため作業中の疲れは感じなかったものの、なり振り構わない制作姿勢は長く続くものではないと思っていました。今日は若いスタッフは工房に来ていません。たった一人なので喋ることもなく休憩もないまま只管作業に打ち込んでいると、別の次元に入って素材との対話が始まります。周囲が見えなくなることがあり、そうした精神状態を自分は歓迎しますが、作業を終えたときの疲労感は大変なものがあります。今日も疲れました。明日も頑張ろうと思います。

異界への想像力に富む暁齋

東京渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「これぞ曉斎!」展では、動物や鍾馗、幽霊や魑魅魍魎に至る異界の生物が跋扈する様子が描かれています。それは新しい時代の辛辣な風刺であり、ユーモアであったように思えます。ただ、絵師河鍋暁齋の画力は写実にも富み、鴉を描いたシリーズでは、たった一筆で鴉の濡れ羽を表現している巧みさに驚きました。立体さえ感じる鴉の姿態は、暁齋が画力を高めるための習練だったのではないかと思いました。落款に彫られた「万国飛」とは、海外にまで鴉が飛んでいくことを作者は予感していたのでしょうか。動物を扱った数多い作品の中で、私は蛙のモチーフに注目しました。暁齋は3歳で蛙を写生したと伝えられていますが、高山寺の「鳥獣戯画」を彷彿とさせる描写に人間社会の雛型を見るようで、心から楽しめました。幽霊のモチーフでは亡妻の臨終時の写生を元にしたと言われています。「百鬼夜行図屏風」では現代の妖怪キャラクターを見るようで、科学や論理では解決できない日本の伝承文化を垣間見たように私には感じられました。「暁齋画談」にある一文を紹介します。「雷さまは太鼓を背負い、鬼は虎の皮の褌をしめているというのと同様、幽霊の姿も想像から出たものであるので、何を真とし何を虚とすべきかは分からない。それをいかにも恐ろしげに、きっとこんなだろうと思わせるように描くのが妙手上手と言うものであろう。」最後に図録にあった異界の作品について触れた部分を引用いたします。「異界を描く作品では、暁齋は先達の幽霊や化け物の作品を参考にしていると思われるが、しかしそっくりの模写ではなく、先立つ作品を参考にしながら、そこに原作者の『筆意』を感じ取り、場合によっては自らの写生も加味し、さらにそれを上回る想像力によってさまざまな図像が作られたのである。」(及川茂著)

渋谷の「これぞ暁齋!」展

東京渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「これぞ曉斎!」展に先日行ってきました。幕末から明治時代にかけて活躍した絵師河鍋暁齋の絵画は、海外の美術館に収集されている作品が多く、まとまった作品がなかなか見られないのです。今回の展覧会もイギリス在住のI・ゴールドマン氏が収集したコレクションによるものです。「なぜあえて暁齋を集めるのですか」という日本人研究者の問いかけに「暁齋は楽しいからですよ!」とゴールドマン氏は答えたようです。確かに暁齋の描く世界は、現代の私たちから見ても楽しさ満載です。鴉に代表される鳥獣戯画、鍾馗や鬼、幽霊等の想像の産物、美人画や春画まで、幅のある多彩な世界を舞台に饒舌に語りかけてくる暁齋ワールドに魅了される人が多いというのも頷けます。しかもその面白さは海外にまで普及し、外国人の暁齋マニアも大勢いるのではないかと思われます。私も暁齋の卓抜とした描写力とともに奇想の巧みさに取り憑かれてしまった一人です。一緒に行った家内は、木枠だけになった三味線を骸骨が弾いている絵に抱腹絶倒でした。私は春画コーナーに心の底から笑いが込みあげました。図録によると「性行為は薄暗くじめじめした世界ではない。明るくおおらかな笑いの世界である。儒教道徳や時の権力が抑え込むことで、性があたかも罪悪であるかのように扱われたのは、支配する側の論理である。」とありました。暁齋は新しく生まれた明治政府の高官を揶揄した風刺画を描いたことで捕らえられて、投獄されたようです。前科者河鍋暁齋は日本で最高の絵師であったという事実。現代なら政治と芸術の論争があってもおかしくないのですが、暁齋ワールドの斬新さに時代がついていけなかったと見るのは私だけでしょうか。奇想の画題についてはもう一度NOTE(ブログ)に書いてみたいと思っています。

荒木高子「聖書」シリーズについて

陶の造形作家荒木高子は2004年に82歳で逝去しています。独特な雰囲気を持つ陶の造形を、私はどこかの展覧会で観たことがあり、忘れられない印象があります。生前の作家にお会いしたことがなく、評論家の文章でしか知り得ないのですが、凄みのある作家だったのかなぁと察するばかりです。この作家を思い出したのは現在読んでいる「芸術の摂理」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)に「荒木高子 神は死んだ 聖書も朽ちたか」の章があって、作品の印象が再度蘇ってきたのでした。代表作「聖書」シリーズは聖書がボロボロになって頽廃し、砂のように崩れ去る状況であったり、石が埋め込まれている状況であったりして、寂寥感漂う衝撃作です。「聖書」シリーズは捲れた頁に文字が印刷されているので、これが辛うじて聖書であることが認識できる作品で、全て陶で作られています。宗教性や精神性も問う作品ですが、作家は華道未生流宗家に生まれ、家業の傍ら絵画の修練を経て、アメリカに渡って彫刻も学んでいます。宗家から勘当されてもなお造形を続け、40代になって漸く「聖書」シリーズに辿り着いたようです。キリスト教信者でもない作家が何故聖書をモチーフに選んだのか、聖書という人類史最高の書籍に見え隠れする民族が翻弄された歴史観なのか、そこは作家のみぞ知るところです。「芸術の摂理」には作家の制作工程が掲載されていました。陶彫をやっている自分には大変興味のあるところなので、ここを抜粋いたします。「聖書制作の手順は、初めにペーパー作りである。薄い透明ビニールシートに磁土を挟んで圧延棒で磁土紙をつくる。ページになるものである。磁土は薄い透明ビニールシートの間に挟まれたまま、真空状態であるから空気に触れることがなく、乾燥もしない。しなやかなままである。次に、厚紙のカバーコートに貼り付けておいた文字フィルムを水に漬けて剥がし、磁土を挟んだビニールシートの上へ貼付する。文字フィルムの裏には僅か樹脂糊が残っているのでビニールに膠着する。つまり、磁土紙を挟んだビニールシートの上に、文字フィルムが重なっているのである。シートと文字フィルムは窯の中の低温段階で溶けてやがて高温で気化してしまう。そして、その後の高温焼成で磁土紙自身が焼成されるというわけである。」(柴辻政彦著)

「スラヴ叙事詩」雑感

国立新美術館で開催中の「ミュシャ展」に「スラヴ叙事詩」全20点が来日しています。これはチェコ国外では初めてだそうで、私も「スラヴ叙事詩」を観たのはこれが最初でした。1980年から5年間ウィーンに暮らしていた私は、当時のチェコスロバキアには何度か出かけていました。あの頃は「スラヴ叙事詩」の存在を知ることもなく、共産圏の不自由なプラハで過ごしていましたが、ミュシャ(現地語ムハ)のポスターは知っていました。初めて出会った「スラヴ叙事詩」は、破格な大きさとクオリティの高さで圧倒する迫力をもっていました。鑑賞客がどれほど混雑していても、天井から床まである壮大な絵画にあっては、その鑑賞は充分に可能なものでした。これは1911年から26年に至る16年間で描かれた作品で、ミュシャ(ムハ)51歳から66歳に当たります。プラハ近郊のズビロフ城をアトリエにして、資金提供者はスラヴ文化後援者で米国人大富豪のチャールズ・R・クレインだったそうです。ミュシャ(ムハ)にすれば充実した後半生だったと言えます。図録より「スラヴ叙事詩」の歴史的価値が記された箇所を引用します。「『歴史的詩作』とも呼ばれる《スラヴ叙事詩》は、チェコ国民やスラヴ民族の精神への賛美、そしてヨーロッパ文化圏で複雑に絡み合う諸民族のルーツへの理解に呼びかけている。こうした事情にもあわせて、ムハは《スラヴ叙事詩》の各作品を、寓意、宗教、軍事、文化といった様々な側面に照らして、幾つかのグループに分類する。それゆえに、連作はチェコ国民だけでなく、ヨーロッパ全体の、ひいては全世界の人々に属するものであろう。その遺産は、世界文化の歴史を国民的・民族的に統一された全体としてとらえる、ヒューマンな考え方を持つあらゆる人間の関心を引き起こしており、世代を超えて広く訴えかける力がある。」(ヴラスタ・ツハーコヴァー著 美術史家・美術評論家)

六本木の「ミュシャ展」

現在、東京六本木の国立新美術館で開催中の「ミュシャ展」は、必ず見に行こうを決めていました。先日、週末で混雑している同展に行ってきました。目的は「スラブ叙事詩」を観ることでしたが、アルフォンス・ミュシャ(現地語でムハ)の力量を余すところなく発揮していた今回の展示内容は、嘗てみたミュシャのどの展覧会よりも満足を覚えました。ミュシャは1860年オーストリア領モラヴィア(現チェコ)で生まれ、パリに渡って時代の寵児として活躍した画家です。大女優サラ・ベルナールの流麗なポスターを描いたことで一躍有名になり、その後はアール・ヌーボーを代表する装飾画家になっていきました。今回の展覧会では「スラヴ叙事詩」以外でも極めて優れた作品が多く、幾何学的な装飾文様に植物を配置したミュシャ独特な様式を改めて見て、その構図の取り方に快さを感じました。その装飾性は超絶技巧と呼んでもいいように思えます。プラハ市民会館の内部壁画や切手から紙幣までのデザインを手がけるミュシャは、まさに国民的画家であり、人物描写は劇画的な要素もあるように私は感じました。ミュシャの人物像が現代のキャラクターデザインに繋がると感じたのは私だけでしょうか。19世紀末から20世紀初頭の激動の時代に華やかなデザイナーとして異国で地位を固め、2つの世界大戦の狭間でスラブ民族の歴史的遺産を表現する国民的画家となったミュシャ(ムハ)。私が訪れた1980年代のチェコスロバキアでは、「スラヴ叙事詩」を観る機会はありませんでした。その存在を知ったのは帰国後のことでした。近々NOTE(ブログ)に「スラヴ叙事詩」について書いてみたいと思います。

週末 「発掘~座景~」追加の陶彫部品

昨日タタラにしておいた陶土を使って、今日は朝から夕方5時まで制作に明け暮れました。昼食に10分程度休んで、8時間は続けて作業をしていました。図録用の撮影日が5月から6月初旬になりました。今までは5月の連休に撮影していました。最近は完成が間に合わず、5月と6月に分けて撮影をしていただいていましたが、6月でも図録印刷が間に合うので、それなら6月にまとめて撮影した方がよいと判断しました。今回で図録は12冊目になります。撮影が延期されても目標通り「発掘~座景~」を今月いっぱいで完成させたいと思っています。来月は「発掘~宙景A・B~」一本に絞り込んで制作したいからです。今日は「発掘~座景~」に追加する陶彫部品の成形をやりました。8時間やっても追加の陶彫部品は終わりませんでした。予定がずれ込んだ分をウィークディの夜間制作で補わなくてはなりません。いずれにせよ彫り込み加飾はこれからやっていくので、週末だけでは時間が足りないのです。なかなか新作のゴールは遠いなぁと思います。追加の陶彫部品は、テーブルに接合される柱のボルトを隠す役目があります。一枚のテーブル台座を4つの柱で支え、それが4枚あるので、全部で16個の陶彫部品が必要です。成形は12個出来ましたが、陶土が足りなくなってしまいました。夜の時間帯に土練機を回すか、それとも成形した12個の陶彫部品に彫り込み加飾を施すか、夜になって工房に行った時に決めたいと思います。週末は短いとつくづく感じます。あと1年間、こんな思いで過ごすことになりそうですが、頑張れるなら頑張っていきたいと思います。

週末 母の用事&美術館散策

やっと待ちに待った週末になりました。今日は予定がいっぱい詰まっていました。明日の陶彫成形に備えて、早朝から工房に出かけ、タタラを4枚用意してきました。タタラは厚さ1cm、大きさは座布団大になるように掌で叩いて伸ばすので、これだけでも充分時間がかかるのです。そのまま作業板にあるタタラにビニールをかけて放置しておくと翌日ちょうどよい硬さになっているのです。次に家内を和楽器演奏のため近くの公会堂に車で送り、私はその足で母がいる介護施設に行きました。例年家内が出席している介護施設の家族会に出席するためでした。家族会終了後にまた家内を公会堂に迎えに行きました。帰宅するとちょうど昼になっていましたが、午後は家内と東京の美術館に行こうと決めていたので、すぐ家を出ました。バスや電車を使って、最初に到着したのが上野の東京都美術館。私の職場に私と同じように創作活動をしながら公務員をやっている職員がいて、彼が「モダンアート展」に出品しているので観てきたのでした。彼の絵画をここ3年間見せていただいていますが、画面から次第にカタチが消え失せて何もない空間に支配されようとしています。でもこの空間は何もないのではなく、寧ろ饒舌に表現を語っているように私には思えます。最小の描写で最大の空間を得る世界は、まさに私が求める世界観です。簡潔で豊かな世界を掴もうとしている彼の奮闘に今後も期待したいと思います。次に向かったのが六本木の国立新美術館。「ミュシャ展」に行こうと決めていましたが、同時に開催していた「草間弥生展」にも鑑賞客が溢れ、入場券販売所では長蛇の列になっていました。「ミュシャ展」で観たかったのは「スラヴ叙事詩」の連作で、その大きさと質量に圧倒されました。女優のポスターにより仏パリで売れっ子画家になったミュシャは、象徴派を代表する画家になり、故郷のチェコに戻ってスラブ民族の原点を探すことになるのでした。その結果生まれた「スラヴ叙事詩」の連作が来日していると聞いて、これは必ず行かなくてはならないと思ったのでした。詳しい感想は後日に回します。次に向かったのは渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムの「これぞ曉斎!」展。江戸から明治にかけて活躍した絵師河鍋暁斎は奇想の画家として知られた人ですが、今回の展示は英国人コレクターのゴールドマンによって収集された作品だったので、日本で観られない作品が多く含まれていました。動物や鬼、妖怪や幽霊や達磨といった暁斎特有のキャラクターが跋扈する面白さ満載の展覧会で、鑑賞客の中からも笑いが漏れていました。これも詳しい感想は後日にしたいと思います。今日は3つの展覧会をぐるりと周ってきて、自分の創作活動に充分な刺激をもらいました。明日は工房で作業をする予定です。頑張っていこうと思います。

長かった1週間

職場では新年度の体制になって漸く1週間が過ぎようとしています。新しく転勤者が入ったので親睦を深める夜の会が、職場の職員と区内の管理職の2回あって今週は長かったと感じました。工房にはとうとう行けず、新作はまるで進みませんでした。創作活動は元気回復の魔力があるので、こういう時ほど陶土に触れるのがいいのですが、自宅に帰ると疲労に負けてしまい、工房には足が向きませんでした。RECORDも厳しいなぁと思います。今週だけが大変なんだと自分に言い聞かせて、来週に期待をかけたいと思います。職場内の分掌が動き始めたので、私は安心して夜はよく眠ることができるようになりました。これは今週良かったことです。大きな問題もなく始まった新体制に安堵感が広がり、それだけが唯一の救いです。創作活動はままならぬ状況なので、ここは刺激剤を投入して盛り上げたいと思います。刺激剤は美術館へ行くことです。アルフォンス・ミュシャや河鍋暁斎の展覧会が東京で開催されています。近々見てこようと思っています。制作は「発掘~座景~」完成に向けて次の週末から奮闘するつもりです。一難去ってまた一難ですが、創作活動の一難は望むところです。1週間が長かったと感じたのは創作活動が出来なかったことに原因があります。自分の中で無意識に公務員とのバランスをとっているのかもしれません。

朧気な次作のイメージ

陶彫部品を組み合わせて集合彫刻を作っている自分には、陶彫部品を点在させて場の空間を創出するイメージがつき纏います。集合があるなら拡散があってもいいのではないかと思うところです。次作のイメージは拡散による空間です。先日訪れた「イサムノグチ庭園美術館」で見た「石壁サークル」は、たとえ作者本人は個体を作っていたとしても、鑑賞する私は全体の宇宙観を感じていました。個体と個体が響き合う空間は刺激的で、心象風景を見ているようでした。亡父が施工していた日本庭園も拡散による空間解釈と言えます。石の置き方や植栽によって、疑似自然なる小宇宙が広がっていると思われます。私たち日本人はそこに情緒を感じたり、絶景を見て取ったりします。時に簡潔なる美も見ています。これは象徴化された世界で、私は庭園も広い意味での彫刻に含まれると思っています。次作のイメージは陶彫による庭園です。私は中学生の頃から亡父の手伝いをしていました。当時は嫌だった石や植木の運搬や設置は、ずっと私の頭に残ることになって、そののちに出会う彫刻と庭園が空間概念として結びついたのでした。それもイサムノグチの影響があったと言えます。日本人として見慣れた風景も日系アメリカ人彫刻家の眼を通すと新鮮な造形表現として脚光を浴び、またそれを知って庭園を再度見直すことになったのでした。まだイメージは朧気な状況に過ぎませんが、次第に具体的なものが見えてくるのではないかと思います。

29年度最初のイベント

私の職場では1年間に何回かイベントを開催しています。職場は専門職の集まりで、通常はそれぞれ専門を生かした仕事をしていますが、イベントの時は専門を越えた連携をして、組織の一員としてその役割を果たしています。今日が新体制による初めてのイベントでした。今日のイベントは儀礼的な要素が強く、私は式典の中で式辞を述べさせていただきました。没個性的な儀礼は集団の中では必要な要素だと私は考えています。全員がひとつの方向に向くことができるからです。こうしたイベントは、私たちの職種では1年間の出発に先駆けて、それに相応しい慣習になっています。これは創作活動の間逆に位置するものです。創作は個々それぞれの個性によって成される行為です。個人的創作から集団的行動に至る幅広い行為は、人間だからこそ可能な行為です。時と場所と場合を使い分けられるのは、理性が働くからこそ出来るものです。今日のイベントを見ながら、そんなことを感じていました。ともかく1年間がスタートしました。平穏無事な1年間になって欲しいことと、私の課題は超過勤務のあり方を見直すことです。全員がゆとりをもって過ごせる職場環境を目指したいと考えています。

4月RECORDは「つくる」

先月のRECORDは「こわす」というテーマでやっていました。破壊から創造という20世紀の巨匠ピカソの創造行為が有名ですが、芸術家に相応しいコトバでもあります。それに倣うなら「こわす」の後にくるのは「つくる」ことではないかと思ったのです。些か短絡的ではありますが、テーマは単純な方がいいのではないかと思った次第です。一日1点ずつを制作しているRECORDは、たとえ小さな平面作品でも、日々によって精神的な緩急があって、なかなか作品にならず厳しいときも多々あります。最近は下書きを終えると安心してしまって、その後の工程を後回しにする傾向があり、そこを戒めたいところですが、先月のやり残したRECORが自宅の食卓に山積してあって、今月のどこかの場面でやらなければならないと思っています。年度が変わった今月も時間的な余裕はありません。毎年無理してやってきたRECORDですが、夜になると睡魔に勝てない日々が続いております。「つくる」というテーマをしっかり見つめ直して、10年前に一日1点の小さな創作を始めた初心の意気込みをもう一度思い出そうと思っています。継続の力を信じて頑張っていく所存です。

光岡自動車ファンとして…

一昨日、横浜市都筑区にある光岡自動車の支店に行って来ました。私は光岡自動車の「ビュート」に乗っています。営業担当の話では、私の「ビュート」は二世代目にあたる車で、現在は三世代目が出ているということでした。「ビュート」を購入する前は、クライスラーの「PTクルーザー」に乗っていました。米国車は故障すると大変厄介なことになるので、国産車に乗り替えたのでしたが、燃費もよく小回りがきく「ビュート」は私の愛車になりました。私の拘りは車のメカニックではありません。走りを堪能しようとは思っていないからです。効率的で利便性の高いファミリーカーにも興味はなく、車は自分の創作活動を助長するものという考えで乗っているのです。そのため私の拘りは滅多に走っていない車であることと、自分のデザインポリシーに合ったその外見になります。「PTクルーザー」はクラシカルな外見で魅了されましたが、次に行き着いたのは「ビュート」でした。「ビュート」の下地になる車は日産「マーチ」で、言わば会社全体で公的な改造車にしているのが光岡自動車なのです。注文すると3ヶ月かかると営業担当が言っていました。富山県にしか工場がないので陸送代もかかるそうです。1点ずつ手仕事でボディを作るので時間がかかり、そのコンセプトを理解した上での発注です。一昨日契約を交わし、新車は6月の納品になると言われました。現在はダークグリーンの「ビュート」に乗っていますが、新車はワインレッドにしました。若い工房スタッフを乗せることが多いので、お洒落度が増していいんじゃないかと家内に言われました。

週末 今月の制作目標

4月当初は週末があって、公務員としての年度初めの仕事に先駆けて、彫刻家としての制作目標を述べたいと思います。今月は「発掘~座景~」の完成を目指したいと考えています。来月の連休に「発掘~座景~」だけでもカメラマンに撮影をしていただきたいと思っているからです。砂マチエールを施した台座の油絵の具による彩色、陶彫部品の追加、柱陶を実際の柱に接着するため、柱の先端の彫り込み等、仕上げまでに必要な工程はまだまだあります。それらをどうやったら今月中に終わらせることが出来るのか、頭を抱えるところです。週末だけでは無理な工程なので、ウィークディの夜も工房に通わなければなりません。昼間の仕事では年度当初の多忙な時期ですが、創作活動も負けず劣らず多忙を極めます。今日はそんな焦りを抱えたまま制作に没頭しました。一日の集中する時間は限られていて、夕方になると集中力が薄れてきます。今月は見たい展覧会もあって、週末の時間の使い方を工夫しなければなりません。どんな予定が入ろうとも週末は早朝から制作をしようと思います。私は夕方になるとモチベーションが下がります。それなら朝の時間帯が勝負だと自分に言い聞かせています。RECORDは相変わらず厳しい中での制作になることはわかっています。現在は一日1点というRECORDのノルマは、下書きだけになってしまっていて、彩色や仕上げを何時やるのか、これも頭を抱えるところです。RECORDは彩色や仕上げの描き込みで変わります。下書きはいかにも中途半端で完成と呼べません。読書も滞っています。今月から心機一転したいと思っています。

2年目の再任用管理職

平成29年度が始まりました。私は現在の職場に残留することになり、2年目の再任用管理職として業務を行います。今年度は職場の規模が多少大きくなり、職員が増えました。私たちは職員定数が決められていて、その中で分掌を割り当てていくのです。今日と明日は勤務を要しない週末なので、次の月曜日から新体制がスタートします。平穏な1年間になるといいなぁと願っています。働き始めた若い頃は、まさかこの年齢になるまで公務員をやっているとは思っていませんでした。退職したら何をしようか戸惑うことは私には最初からあり得ませんでした。まず彫刻家ありきで始まった公務員だったので、退職すれば彫刻家として創作活動に邁進するという人生計画がありました。今でもそれは変わっていません。退職後の人生を豊かにするために、退職の10年前から東京銀座のギャラリーせいほうと個展契約を結び、毎年全力で作品を作り続けることを私の目標としてきました。そのために二束の草鞋生活を少しの間だけ我慢しようと思っていたのでした。個展が始まる以前は、二束の草鞋生活もゆったりしたものでした。それが圧迫を強いる生活がこんなに長く続くとは思いもよらず、寧ろ現在ではその生活が通常になっている次第です。人間はその気になれば頑張れるものだなぁとつくづく思います。4月の制作目標は後日述べることにして、週末である今日は相変わらず陶彫制作に明け暮れました。創作活動には公務員のような節目はないので、身体が動く限り続けていくつもりです。夕方、家内と新車のショーウィンドゥを見に出かけました。もう1年間は仕事が続くので、自分への褒美に自家用車を買い換えようかと思っているのです。私は通勤に車は使いません。長く乗っていても故障箇所はありませんが、同じメーカーの新型にしたいなぁと常々思っているのです。車についての拘りは後日改めて書くつもりです。

28年度末を迎える

私たちの業種は、年度で人が入れ替わり、4月から新たな出発となります。新聞による人事発表があるので万人が知るところとなり、明日から新メンバーによる新体制で業務を行うのです。私は職場の組織作りを2週間ほど前から始めていました。欠員臨時任用の職員が揃わない中での組織作りでしたが、その時点で主だった部署は決められたので内々で作っていたのでした。人事の変更は最後の最後までやっていました。私はこうした人事を作るためにこの職場にいると言っても過言ではありません。そのくらい年間を通して人事が重い仕事であることは、どの管理職に聞いても異論はないと思います。私自身は再任用管理職として今年度やってきたのですが、さらにもう1年の継続となり、退職も異動もありませんでした。嘗て再任用維持継続のシステムがなかった時代は、別の仕事に就きながら第二の人生を送る人が多かったと思います。完全に退職する人もいて、悠々自適な生活を楽しんでいる人を知っています。ギャラリーと個展契約を結んでいる創作活動は、私にとって悠々自適と言えるのかどうか疑問ですが、傍から見れば趣味人に見えることは間違いありません。働き始めた若い頃は、定年退職して自由になれることが羨ましいと思っていましたが、いざ自分の番になると職場を手放したくない心理が働きます。また1年頑張っていこうと思っています。今月の振り返りを行うと、制作では「発掘~座景~」の台座裏面の修整や塗装を終えました。陶彫部品も可能な限り作りましたが、5月の撮影までに間に合うかどうかわかりません。RECORDは厳しいものがあって下書きしか終わっていない作品が山積しています。美術鑑賞は香川県高松に出かけて「イサムノグチ庭園美術館」と「ジョージナカシマ記念館」や高松市美術館等を見てきました。映画鑑賞は「エゴンシーレ 死と乙女」を観ました。読書はまるで進まず、来月はもっと本を読みたいと思っています。公務員との仕事の兼ね合いが厳しかった3月でしたが、来月も頑張っていきたいと思っています。

単体が集合する世界

朧気な全体像をイメージしながら、単体となる作品をひとつずつ作っていき、それらを集合させて、ひとつの作品にまとめる世界が私の得意とするものです。自分の資質もあるのでしょうが、昼間は公務員として働きながら、日々単体を制作する方法が自分に適した創作への道だったと言えます。まとまった時間は週末にしか取れず、週末にはそれなりの制作をやってきていて、毎日の制作は少ない時間で効果を生む方法が現行の集合彫刻だったのです。今は日々の制作はRECORDのみで、週末に陶彫制作が集中していますが、管理職になる前は毎日勤務時間終了後に陶彫制作をやっていました。日々の制作に対する労働の集積は、自分の習慣になり、さらに精神の安定が図られていました。アーティストによっては、一定期間をまとめて働いて収入を得た後、創作活動に入り、また働く方法をとっている人も少なくありません。自分は働きながら日々創作活動していく方法をとりました。どんな作品を作ろうとするのかで、アーティストの日常は変わります。私は日々単体を蓄積していく集合彫刻を考えていたので二足の草鞋生活を選びました。単体を集合させることで、架空都市をパノラマとして展開する作品が出来るようになりました。私は20代の頃、旅したエーゲ海で遭遇した遺跡の数々が造形イメージの根底にありますが、その後の二束の草鞋生活で、こうした集合彫刻が身についたといっても差し支えありません。集合彫刻は単体を接合するだけではありません。単体を拡散し点在させる方法もあります。「イサムノグチ庭園美術館」にある「石壁サークル」をひとつの作品と考えれば、単体同士が響きあう空間を創出させるのも集合彫刻と言えるかもしれません。可能性はまだまだ広がります。これが自分の世界にさらに伸びしろがあると思える瞬間なのです。

気分転換を図る必要性

年度末から年度初めに変わるこの時期は、私に限らず職場の職員全体がストレスを感じる時期でもあります。私たちの異動は新聞で発表されるので、職場周辺の人たちが知るところとなり、とりわけ管理職が異動となれば地域への挨拶回りもしていきます。私の職場では、今回は異動職員が少なくてストレスも最小と思われますが、存在感のある職員の異動があって、それを補う新体制にするための準備を進めているところです。そんな時期だからこそ、多忙に紛れたまま新年度に突入していくより、少しでも気分転換を図ってリセットするのが最適と私は考えています。今日は家事都合もあって私は年休を取りました。まだ新体制も揃わないところで休むのはどうかと思いましたが、思い切って私自ら気分転換を図ることにしました。用事は早めに済ませ、残りの時間は工房に籠もりました。週末やウィークディの夜に工房へ通ってはいますが、気分転換を図るための制作をしました。今月大学院を卒業したばかりの若いスタッフも工房に来ていました。彼女は就職はせず、アルバイトをしながら創作活動をしていくようで、今後の意欲維持に期待がかかります。工房という制作場所があるからこその進路選択だったのかなぁと思っているところです。私は相変わらずの陶彫の成形や彫り込み加飾に時間を費やしました。夕方、家内と買い物に出ました。古くなって多少壊れた箇所もある通勤鞄を新調しました。革靴も買いました。もう一年再任用管理職として登録があったので、ゴールが先に動いたことを喜ぶべきかどうか、微妙な気分で過ごしました。

帳尻合わせのRECORD

一日1点制作を課題にして始まった平面作品のRECORDですが、イメージを捻出して下書きを終わらせるのが一日の仕事になっていて、彩色や最終的な仕上げは後日に回していることが多いのです。結果、下書きばかりが先行して仕上がっていない作品が、自宅のテーブルに積んである状況になっています。今月はウィークディの仕事が山積し、RECORDまで手が回らないことがあって、自宅のテーブルには仕上げなければならない作品の山が徐々に高くなっています。若い頃は色彩に対する苦手意識があったものの、RECORDを始めてからは色彩を駆使することに前向きになりました。色彩効果の楽しみはここ10年ほど前から感じるようになりました。これはRECORDのおかげです。RECORDは彫刻と同じく心身とも制作が可能なうちは続けていきたいと思っています。ただし、公務員管理職との二足の草鞋生活の中で、時期によっては大変厳しい時もあり、無理を強いることも暫しあります。現在がその厳しさの頂点で、苦し紛れにRECOR制作の帳尻合わせをしている日々を送っています。ゆっくり時間を取りたい欲求はあるものの、本当の意味でゆっくりしたら、自分は何もしなくなってしまうのではないかと恐れていて、たとえ公務員を退職しても、ゆっくりするつもりは毛頭ありません。休めないのではなく、休まないのが自分の信条です。何とか帳尻合わせの現状を乗り越えていきたいと思っています。

書類整理と塗装作業

年度が今週で終わるため、昼間の仕事では書類整理に追われていました。私は書類の分類は嫌いな方ではありませんが、分類困難な書類が多く、ファイルの綴じ込みを抜本的にやり直さなければならないかなぁと思っています。こういう仕事は長くやっていると嫌気がさすため、午前中だけに限って書類整理をやりました。人事資料の種類が多く、どう分類していくのかは自分のセンスが問われそうで、管理職を次の人に明け渡すときに恥ずかしい思いをしないようにしたいと思います。書類整理は明日も明後日も続きそうです。既に提出した書類に不備があり、本部である事務所から連絡がありました。再度作りなおして提出しました。来年度人事で、あと一人だけ臨時任用の職員が足りず、本部からの連絡を待っていましたが、今日のところは紹介がありませんでした。来週から始まる来年度体制がきちんと全員揃ってスタートできるのか不安を抱えています。こればかりは自分ではどうすることも出来ません。今日は残業せずに帰宅しました。夜は工房に出かけました。午前中は雨が降って寒々した一日でしたが、夕方は晴れて暖かくなりました。春は三寒四温で身体が調整できずにシンドい思いをしますが、工房に来ると身体中に気合が満ちて、気候の変化は気にならなくなります。今晩の作業は「発掘~座景~」の台座裏の塗装でした。先日まで木工パテで修整をしていた箇所が漸く固まってきたので、防黴効果を狙って油性塗料を施したのでした。今晩一晩置けば塗料が乾くはずです。今日は昼に夜に作業一辺倒の一日でした。

今月最後の週末に…

3月もあと僅かとなりました。今日は最後の週末で、新作の制作に精を出しましたが、制作工程はなかなか苦しいものがあります。朝から工房に篭って作業をやっていましたが、今日は雨模様で冬が再来したような寒さがあって、さすがに気が滅入りました。夕方4時に寒くて仕方がなく作業を切り上げました。真冬とは違い、寒さも和らいでいるのに、今日は辛いものがありました。このところウィークディは来年度人事のことがあって、職員との面接やら年度末の片付け等で気持ちが優れず、夜の工房通いが出来ませんでした。RECORDも覚束ない状況で、ついに二速の草鞋生活も窮まった感があります。毎年こんな状態を何とか打破してきているので、取り立てて不安はありませんが、目の下に隈が出来ていると家内に指摘されました。気持ちが張り詰めているせいか疲労は感じません。先週になって来年度人事が見えてきて、漸く夜はしっかり眠れるようになりました。新作も見えてきているのですが、時間が足りないと焦るばかりです。人事のことはひとまず置いておいて、今月末は制作に頑張ろうと思っています。来週はウィークディの夜に工房に通います。そうしないと完成が間に合わなくなることが予想されるからです。この2週間ほど朝4時くらいに眼が覚めて、職場の人事のことばかり考えていましたが、昨晩は「発掘~宙景~」のことが気になり始めたようで、テーブルの高さをどうするのか、当初のイメージと修正されたイメージが交互に夢に出てきました。今は職場でも工房でも自分に休息を与えてくれません。それはこちらが望むところで、面と向かって闘いを挑もうとしています。今月終わりまで二束の草鞋生活を思い切り堪能しようと思います。

週末 陶土の再生

今日は職場に用事があって、ちょっと顔を出さなければならず、工房に一日中篭ることが出来ませんでした。限りある時間でやった作業は土練りでした。前に作っていた陶彫部品で、成形や彫り込み加飾が終わり、乾燥を待っていた作品が、乾燥が進む度に罅割れてきて補修が不可能になりました。焼成前だったので、これを砕いて細かくし、幾度となく水を打ちました。砕いた陶土を3つに分けてビニールで包んでいたところ、ちょうどよい柔らかさになったので、新しい陶土と一緒に土錬機に入れました。私の使う陶土は単身ではありません。分量を決めて種類の異なる陶土を混ぜ合わせます。そこに再生をした陶土も混ぜ合わせたのでした。土錬機では3回繰り返して全体の練り具合を調整します。最後は手で粗練りから菊練りまでやることを一つの工程として行います。手で陶土の具合を確かめるのは、私の習慣になっていて、陶土の中の空気を抜く役割もあります。陶土の再生は手間がかかる作業です。これは創作行為ではありませんが、陶彫で作品を作る以上は避けて通れない重要な作業なのです。陶彫は陶芸とは違い、無理なカタチを作るため、乾燥や焼成の収縮時に皹が入ることがよくあります。僅かな皹は焼成が終わった後、修整剤をつかって補強していましたが、最近では珍しいほどの酷い罅割れだったので、久しぶりに陶土の再生を試みたのでした。2度目に成形と彫り込み加飾をした作品は、今のところ皹はなく順調に乾燥が進んでいるようです。やり直しは最小限に止めたいものです。時間的な制約があって苦しい状況になるからです。明日は新たな陶彫部品の成形をやりたいと思っています。

彫刻が占める空間

ひとつの彫刻は周囲の空間をどのくらい変えられるのか、そこに彫刻が置かれるだけで空間が変容することがあるのか、こうした自問自答を常に携えて私は制作をしています。それは彫刻に限らず、茶室に飾られた一輪の花にも、日本古来の床の間にも通じていて、日常の中の非日常の在り方を考えるものです。非日常の空間は、あちらこちらに存在しています。生活に直接関係ないそうした空間に、私たちは時に癒され、また刺激を受けることがあります。彫刻の役割は人々の心をキャッチする非日常空間の創出にあると私は考えています。彫刻には作品によって占める空間のスケールが異なっていると思っています。それは彫刻のサイズの大小ではなく、彫刻が纏う空気感のようなものです。その作品をどういう場所で展示をするのが相応しいのか、作品がどんな意図で作られたモノなのかで、空間の在り様が変わってきます。また個体なのか、複数で見せるものなのか、単素材か、別の素材同士をコラボレーションしたものか、空間の印象は条件によっても変わってきます。私の理想とする彫刻は、最小の物質で最大の空間を獲得できるというもので、ポツンと置かれた彫刻によって広い空間が変容するなら、自分が意図したことが達成できると信じています。そうした試みに向かう創作途上に現行の作品があると言っても差し支えありません。理想の空間獲得に向かう作品は、単純にサイズを小さくすればよいというものではなく、あらゆる可能性を試行錯誤することによって成しえるものではないかと思うところです。

個を点在させる空間

「イサムノグチ庭園美術館」の野外工房とも言うべき「石壁サークル」は、開放的で豊かな空間が広がっています。個々の作品を作るために設置した石材が、ひとつずつ異なる主張をしているにも関わらず、個体同士が響きあい、見えない緊張の糸が張り巡らされている印象を受けるのです。その効果はイサムノグチが意図したものかどうかわかりません。ただ石材が雑然と置かれているわけではなく、個体同士がお互いを邪魔することなく、一定の距離を保って意図的に置かれているのではないかと推察できるところです。お互いが響きあうのは、こうした空間の取り方にあるのかもしれません。現代音楽家であった故武満徹が、音と音の間にある沈黙を作曲の表現に取り入れていましたが、こうした手法とどこか似ていると私は感じていて、「石壁サークル」に点在する石の作品は、作品と作品の間にある空気を感じるのがいいのではないかと勝手に解釈しています。彫刻は作品の周囲に広がる空気を作るものだという自論が私にはあります。それならば幾つかの個を点在させる空間が、究極の彫刻なのではないかと私は考えているのです。庭園や舞台や都市計画に至るまで、極論すれば全て彫刻だと思っています。「イサムノグチ庭園美術館」で気づいた究極の彫刻を、私も極めていきたいと思っています。

「イサムノグチ庭園美術館」再訪

「イサムノグチ庭園美術館」は、私にとって彫刻が置かれている空間の刺戟や、造形の素晴らしさを与えてくれるスピリットに富んだ美術館なのです。イサムノグチは彫刻だけではなく、さまざまな分野に創作活動を展開し、縦横断的な現代美術の礎を作った開拓者でした。私がそこで再認識したのは、やはり石彫が点在する張り詰めた空間です。完成や未完成も含めて点在する野外展示場は、生前イサムノグチがその場を巡りながら作品を彫っていたと言われています。命果てるまで続けられた制作は、自分にとって理想であり、緩やかな形状を描くその場所は「石壁サークル」と名づけられていて、生い茂る樹と土壁の蔵が絶妙な空間を形作っています。蔵は完成された作品が置かれた屋内展示場になっています。有名な「エナジー・ヴォイド」もここにありました。イサムノグチが生活していた「イサム家」にはテーブル彫刻が2点置かれていて、全体を俯瞰できる平面性の強いテーブル彫刻に、前回訪問した際に自分は魅了されてしまい、その影響から逃れられなくなりました。テーブル彫刻を自分も作るようになった要因がここにあるのです。「イサム家」の裏庭には竹林があって、そこにも石彫が2点置かれていました。家内はその空間が気に入ったらしく長い間見つめていました。美術館内の小高い山に登ると海が見えます。この風景をきっとイサムノグチも楽しんでいたはずだと思っています。「イサムノグチ庭園美術館」に、また来られてよかったと熟々思いました。

高松の「ジョージナカシマ記念館」

先日、香川県高松に行った折に米国籍の日系二世であるジョージナカシマの記念館に足を運びました。木工家具作家であるジョージナカシマの作品は、私が最近知ったもので、その独特で自然のフォルムを最大限に生かした家具に忽ち魅了されてしまいました。デザイン性は日本人離れしていますが、自然の形状を受け入れて木材の美しさを引き出す手法は、ジョージナカシマが日本人の気質を併せ持っていると思えてなりません。それは彫刻家イサムノグチにも通じる美意識で、生粋の日本人である自分は、日本の内なる簡素で静謐な美に気づかされてしまう結果になりました。ジョージナカシマは1905年にワシントンに生まれています。同地の大学を卒業し、建築学士の称号を受けた後、フランスやイギリスに留学し、前半生は建築家として、後半生は木工家具作家として活躍していました。日本には度々訪れていますが、高松には1964年に彫刻家流政之氏の薦めでやって来て、地元職人たちの「讃岐民具連」と交流したことにより、日本での本格的な制作が始まったようです。1990年に他界した後も米国ニューホープと高松の桜製作所で、ナカシマデザインの家具が作り続けられているのです。そんなジョージナカシマの記念館が「イサムノグチ庭園美術館」の近くにあると知って、早速訪れたのでした。展示されている家具はどれも彫刻的でシャープな切れを持っていました。喫茶コーナーにあるナカシマデザインの椅子に実際に腰掛けてみましたが、そこで20分のビデオを見ていても座り心地が大変良く、普段使いの日用性もある優れた家具であることがわかりました。英語版の厚い写真集が欲しくなり、その場で購入しました。そこには娘さんであるミラナカシマ氏のサインがありました。

三連休 最終日は制作三昧

三連休の最終日になりました。邦楽器の演奏がある家内を車で公会堂まで送った後、飼い猫のトラ吉を行きつけの動物病院内ペットホテルへ迎えに行きました。私たちは香川県高松に旅行していたのでトラ吉をペットホテルに預けたのでした。そんな用事を済ませてから工房に行きました。昨晩、タタラを用意していたので、今日は陶彫の成形作業をやりました。今日は暖かい日で、工房の開け放した窓から微かな風が入ってきました。気持ちの良い一日でしたが、旅行の疲れが抜けず、休憩をとりながら作業を続けました。前に皹の入った陶彫部品を壊し、ビニールに包んで水を打って放置していたのを、今日は小分けにして再度水を打ちました。元通りの陶土になるのはまだ時間がかかりそうです。化粧掛けや焼成前であれば陶彫部品は砕いて元の陶土に戻すことが可能です。水を度々打って柔らかくした後、粗練りや菊練りをして再生します。砕いた陶土を何回かビニールから取り出して粘りを確かめながら、軟度がちょうどいい状態になれば、新しい陶土と一緒に土錬機に入れます。手で練る前に機械で練っていくのです。私は素材を無駄にしないように再生に手間をかけます。役に立たないモノを作っている者のせめてもの配慮です。土は自然からの恵みにより授けられたモノで、それを炎に潜らせると石化し、日用品としての用途を持ちます。これは文明の曙期に人類が発明した画期的な方法で、生活を豊かにするアイテムだったのです。私の陶彫は、文化としての豊かさに貢献しているのではないかと勝手に思っています。制作方法は太古の昔から変わっていません。タタラや紐作りは縄文時代から存在しています。陶土に触れると活気が出てくるのは人類全体の遺伝子によるものかもしれないと、大袈裟なことも考えてしまいます。ウィークディは再び夜の工房に通う予定です。