三連休 職員の結婚式

三連休初日は喜ばしい一日となりました。私の職場で結婚式を迎える男性職員がいて、私が祝辞を述べさせていただくことになったのでした。彼は福島県出身で、3年前に横浜市の公務員採用試験に合格し、私の職場にやってきました。初任から有能な力を発揮し、今では職場全体を支える人材に育っています。彼がいなくては成り立たないイベントが数多くあります。結婚式場は福島県郡山市なので、私は首都高速や東北自動車道を使って、式場になっているホテルに向かいました。片道4時間という道のりでしたが、行程が苦にならなかったのは結婚のお祝いを一言伝えたい思いからでした。披露宴は盛大なもので、結婚式を簡略化する最近の傾向には珍しく、きちんとした立派なものになっていました。結婚式は当人たちのものではなく、周囲の関係者に結婚をしたことを伝えるものだと、嘗て私も言われたことがあります。日本の結婚式はその通りかもしれません。元同僚も含めて私の職場から3人が出席しました。その他の出席者は福島県の人が多かったように思います。結婚式を挙げた奥様も福島県出身で、奥様は福島県で就職し、彼は横浜に職場があります。よく言われる遠距離恋愛ではなくて、1年以上は珍しい遠距離婚になるのですが、週末だけ福島と横浜を往来する生活もまた一興かなぁと思っています。明日から彼は横浜で仕事が待っているため、横浜に戻ってきます。三連休はすっかり休めない職場の事情があって彼らには気の毒ですが、申し訳ない気持ちになりながら、私も2人の職場関係の人を連れて、高速道路を飛ばして横浜に戻ってきました。今日は行き帰りで8時間以上も車を運転していました。

何故奇想に惹かれるのか

私は創作活動を人生の中心に据えているためか、常識の範疇を超えたものに関心があります。一般的な非常識という意味ではなくて、人にとって不可視なもの、想像の世界に属するものに興味関心があるのです。そこをナンセンスと捉えるか、重要なポテンシャルと捉えるかで興味の対象は変わってきます。どうしてそうしたものに自分が惹かれるのか、考えてみると私は小さい頃から人智を超えたものに憧れてきた経緯があります。姿カタチの好き嫌いはあっても、不可思議な世界に親近感を覚えてきました。私が育った頃の自宅の周辺には、雑木林や田畑が広がっていて、夜ともなれば暗闇の支配する世界があちらこちらにありました。横浜と言えども、鎌倉時代に遡れば畠山重忠公の古戦場があって、茅が自生する野原に首塚が祀られていました。現在は万騎が原という地名になっていますが、幾万の騎馬が繰り広げたであろう戦さを伝える地名ではないかと思っています。50年以上前は、昼なお暗い木々の間に魑魅魍魎が潜んでいても不思議ではない雰囲気の中で、私たち子どもは小さな祠や神社で遊びに興じていました。現在、私が見つめる奇想の芸術作品は、どこか頭の中に刻印された記憶を呼び戻し、始源的な生命を燃え上がらせる効果があるように思えます。社会的な束縛からの解放もあるのかもしれません。私が作る彫刻作品も奇想の産物です。欧州からイメージを借りてきたにせよ、その根源は私の生育歴と密接に関わっているのではないか、黴臭い旧家の土間や米を保存しておく樽が記憶のどこかにあって、その印象を具現化したものではないかと思うのです。稲の刈り入れ時は、宮大工だった祖父も造園をやっていた父も仕事を休んで脱穀機を回していました。豊穣を祈るために稲荷に餅を捧げる風習が今も残っています。そこにはキツネの化身が棲んでいると祖母に教えられました。捨ててあった稲荷を先祖が拾って自宅の裏山に祀ったのだ、そのお陰で我が家は栄えたのだとも言っていました。妖怪が身辺にいるから自然な流れに逆らってはいけない、それは私に畏怖なるものを与えるに留まらず、芸術としての奇想にも影響を及ぼしたのではないかと述懐しています。

曾我蕭白を受け入れた頃

先日NOTE(ブログ)にマニエリスムのことについて書いた際、心に浮かんだ江戸時代の画家がいました。暫し忘却の彼方にあった画家曾我蕭白で、「奇想の系譜」(辻 惟雄著 筑摩書房)に登場していました。極めて異端と言える世界は、その激しさ故に一目で忘れられない印象を残します。若い頃の私は曾我蕭白を受け入れることが出来ませんでした。品性に乏しく極彩色の執拗さにも嫌悪感があって、当時好きだった円山応挙の対極にいる画家だろうと思っていました。代表作「群仙図屏風」は見れば見るほど奇怪な人物たちの群像ですが、何を倣ったものなのでしょうか。「奇想の系譜」から引用させていただくと、蕭白の他の絵を評して「グロテスクという点では、日本の水墨人物画史上類を絶しており、狂態邪学派と呼ばれた十六世紀の明の浙派の人物も、これにくらべればはるかにまともといわざるを得ない。」とあります。中国でもこれほど奇怪な画風は見当たらないと言っているのです。本書では北斎との共通点が述べられた箇所があって興味が湧きました。「蕭白と北斎とは、似通ったタイプの画家といえる。扱う画題に保守的と同時代的の違いはあっても、鉱物質とでもいうべき乾いた非情な想像力、鬼面人を驚かす見世物精神、怪奇な表現への偏執、アクの強い卑俗さ、その背後にある民衆的支持、といった点が共通しているのである。」確かに葛飾北斎にもマニエリスム的な強調があると言えます。ところで蕭白を自分が受け入れた時期はいつごろだったのか、思い出すことにしました。初めて蕭白の絵を見た若い頃から数十年の時を経て、ボストン美術館が所蔵する巨大な「雲龍図」を東京で見た時ではなかったかと述懐しています。私は齢を重ね、絵画趣向の変遷を経て、今では蕭白を面白いと感じるようになっています。均整の取れた同時代の絵画がどれも退屈に思えて、日本のマニエリスムとも言うべき特異な世界に覇気溢れるものを見出しているからではないか、自分の妖怪好きも手伝ってその面白さに漸く気づいたのだろうと分析しています。

母を連れて病院へ…

今日は午前中年休をいただいて、職場ではなく母親の用事を済ませてきました。母は90歳を超える年齢ですが、まだ元気に過ごしています。自立型の介護施設に入居していますが、時折実家に帰ると言い出すので、実家はそのままにしてあります。母は軽い認知症ですが、私と家内のことはわかっていて、私たちが介護施設を訪れると喜びます。いつもなら家内が母を病院に連れていくのですが、胡弓の演奏でひざを痛めているため、車椅子を押すことできず、急遽私が仕事を休んで母を病院に連れていくことにしたのでした。介護施設と病院は徒歩で行ける距離にあります。病院までの道のりを私は知らないので、家内が付き添ってくれました。母に聞いても認知症のため埒があかないので、今日は2人がかりで母をサポートしたのでした。病院までは車椅子をゆっくり押しても15分程度でとてもいい散歩コースだなぁと思いました。車椅子を押していると舗装道路の段差が気になりました。道路沿いにある家々の花壇や公園の木々が心地よく感じられました。自分も身体が動かなくなったら、ちょっとした自然の美しさや移ろいに気づくのでしょうか。野辺の花を愛でることもあるのでしょうか。その時の自己表現はどうなっているのでしょうか。RECORDは継続しているのでしょうか。母の年齢までRECORDをやっていれば、作品数は1万点を超えています。母を見ているとこの年齢まで自分も生きたいと願いつつ、彫刻は出来るのだろうかという心配もあります。「世の中がどんどん変わって面白いねぇ」と母が病院の待合室でテレビを見ながらポツンと呟きました。テレビでは国連の安保理決議の放映をしていました。

マニエリスムについて

先日、国立西洋美術館で見た「アルチンボルド展」は、自分にとっては懐かしい過去と出会うひと時でした。アルチンボルドはオーストリアのハプスブルグ家で活躍した画家で、ウィーン美術史美術館にはアルチンボルドの絵画が多数収められています。30数年前、私はウィーンで5年間暮らしていました。美術史美術館でアルチンボルドを見る機会も多く、まだ当時はウィーン幻想派の画家たちが活躍していたので、彼らの幻想の源にボスやブリューゲル、そしてアルチンボルドがいたことが明白に伝っていました。イタリアでのルネサンス以降、ダヴィンチやラファエロ、ミケランジェロの三大巨匠に追従し、その様式を模倣する動きがありました。それはルネサンスの調和の取れた表現やバロックの躍動する表現とも異なる特異な表現で、マニエリスムと呼ばれています。マニエリスムは、ヴァザーリによって「自然を凌駕する行動の芸術的手法」と定義づけられていますが、極端な強調や歪曲による表現が横行し、その生気の欠けた作品群は芸術の衰退を意味していました。マニエリスムが再び美術史に登場してくるのは、20世紀に入ってからで、シュルレアリストによって再び見いだされたのでした。マニエリスムの特異な表現は、現代の超現実主義に共通する要素を持っています。日本でも過去活躍した奇想の芸術家が、現代になって脚光を浴びているケースがあります。昨年の若冲の人気も今年のアルチンボルドの人気も現在に通じる美的価値観を持っていると言えるのではないでしょうか。

上野の「アルチンボルド展」

先日、金曜日の夜間開館時間に東京上野の国立西洋美術館で開催中の「アルチンボルド展」を見に行ってきました。日本人はだまし絵のような視覚的遊戯が好きなのか、夜にも関わらず美術館は大変な混雑振りでした。確かに現代からすれば16世紀に描かれた幻想的な絵画は、現代にも通用するような新しい価値観を有していて、とても面白いと感じました。人の頭部を花や果実、魚類、獣類や人工的な産物などの集合体で描いているジュゼッペ・アルチンボルドの独特な世界は、入念にリアリティを追求している反面、寄せ絵の驚嘆に値する観察に思わず引き込まれてしまう魅力を持っています。鑑賞者は異形を楽しむと同時に、その絵が描かれた背景を知りたくなるのです。図録を捲っていると時代に触れた箇所がいくつかありましたが、画家本人の事情に添った部分が気に留まりました。少々長くなりますが、引用します。「『四代元素』のシリーズは、1564年、マクシミリアン2世が神聖ローマ皇帝の座についた後に描かれたものであり、ハプスブルグ家の統治への寓意は一層明白になっている。それでもこれらの怪物のような肖像画が、皇帝の公的イメージを貶める戯画であるというように受け止められはしないか、アルチンボルドはおそらく自信がなかったのであろう、彼は学識者の文章で援護してもらおうと考えた。~略~それは中心的テーマが遊戯、言い換えれば『スケルツォ(冗談)』だったからであろうか。いずれにせよ、アルチンボルドの真面目な冗談がもつ真の意図は、新案の形式に寓意的内容あるいは大プリニウスをはじめとする古代の学識への言及を盛り込むことでも、一見ふざけたような表現に道徳的な含みを持たせることでもなく、むしろ人体の外形から、科学的探究の成果が正確に描写された細部へと、鑑賞者の注意を喚起し視線を導くことにあったと思われる。」これはまさに20世紀以降の芸術の考え方に近く、アルチンボルドがシュルレアリスムの画家たちに支持された理由が分かります。

週末 4個目の陶彫成形

新作のテーブル彫刻の床には6個の陶彫部品を円形にして置く予定です。その6個はかなり大きくて、窯に入る最大の大きさで作っています。部品が大きくなればなるほど、罅割れが心配になります。もともと陶芸の器と違い、陶彫は無理な形態をしているので、失敗は陶芸の比ではありません。慎重にやっても思わぬ箇所が割れてしまうことがあります。今日は朝から工房に篭って、6個中4個目になる陶彫部品の成形に明け暮れました。昨日用意したタタラを、予め決めておいた寸法でカットして、木材で押さえながら立てていきます。タタラは適度に乾燥していなければ垂直には立てられません。内側を紐状にした陶土で補強しながら組立てていくのです。タタラはまだ柔らかいので曲面も作れます。もう数時間タタラをそのまま放置すると完全に硬くなって曲面が作れなくなります。この度合いが微妙です。タタラ同士の接着にはドベを使います。ドベは陶土を水で溶いたもので、櫛ベラで傷つけた面と面にドベを塗って接着していきます。接着した内側は紐状の陶土で補強します。組立てた立体の上にさらにタタラを積むときは、下の立体が重量に耐えるだけ乾燥しているかどうかを確かめていきます。タタラの厚さも上にいけばいくほど若干薄くなっていくのが理想です。彫刻的な面白みはこの立体構造にあります。単純な構造ではありますが、僅かに波打つ斜面やそれを支える面構造の力学関係をここで堪能できるのです。陶彫全体の中でこれが一番面白い工程と私は思っています。その後に続く彫り込み加飾は絵画的な要素が強いと思っていて、成形に比べれば退屈な作業だと感じています。今日は成形が終わってビニールで包み、彫り込み加飾はウィークディの夜間制作に回しました。月曜日以降は夜に工房へ来られるでしょうか。仕事後の疲労度によりますが、先週は3日間来ました。今週はどうでしょうか。

週末 タタラと紐作りについて

週末になり、陶彫制作のために朝から工房に篭りました。真夏に比べると朝夕涼しくなりましたが、それでも日中は汗が滴るほど暑くなりました。今日の作業は土練りと陶彫成形のための準備に充てました。私の陶彫はひとつずつがかなり大きいものですが、基本は陶芸の技法と同じです。陶芸では手びねりで器を作るために、手回しロクロの上で紐状にした陶土を積み重ねていく方法を取りますが、これは主に円形の器を作るときに用います。四角い器を作るときは、陶土を平たい板にして、それを立ち上げていく方法を取ります。平たい板をタタラと言いますが、タタラを作るときは、陶土の塊の左右に木製のタタラ板を置いて、タタラ板の上を針金の糸で滑らしてカットするのが一般的です。私の陶彫は大きさはあっても、紐作りとタタラの混合によって制作していきます。タタラはタタラ板を使えるようなものではないので、塊を掌で叩いて薄く延ばしていきます。麺棒も使いますので、蕎麦打ちのような按配です。厚さは1cm程度にしています。成形後に5mmの彫り込みをするので、この厚さにしているのです。ビニールに包んで一晩放置すれば、ちょうどいい硬さになっています。ひとつ陶彫成形を作るのに、どのくらいのタタラが必要なのか予め計算しておきます。土錬機にかけて、さらに菊練りした陶土を、全部タタラにするわけにはいかないのです。タタラは構造的に弱いところがあって、場所によっては陶土を紐状にして補強をしなければならないからです。そのための陶土を残しておきます。陶芸と違い、陶彫は乾燥によって陶土が左右に引っ張られ、皹が出来ることがあります。陶彫はバランスよく乾燥が進む形態ではないので、そこを確かめながら紐作りで補うのです。それでも失敗はあります。初歩的なミスには口惜しい思いをしますが、最近はそれにも慣れてきて、昔のように落ち込んだりしなくなりました。今日は明日の成形に向けての準備に追われました。明日は4個目の陶彫成形作業です。

金曜日は勤務終了後に展覧会へ

今日は私用があって2時間ほど年休をいただきましたが、年休を取らなくても金曜日の夜は美術館の開館時間が延長されているため、仕事帰りに美術館に立ち寄ることが可能です。私用はあっという間に終わり、今日は家内と連絡を取って、東京の美術館に行くことにしました。後輩の彫刻家が毎年二科展に出品していて招待状をいただいているのです。二科展の会場は国立新美術館で、公募団体としては規模が大きく見応えのある作品もあって、私は毎年必ず見に行っています。後輩の彫刻家は抽象的な木彫作品を作っています。彼は技術面で優れていて、厚板を刳り貫いて有機的な文様が立体化された作品を作っています。今年は球体に取り組んでいました。球体は空洞になっていて、表面には彼らしい文様が刳り貫かれていました。相変わらず巧みな作り込みだなぁと思いました。技術が進むと軽ろやかな形態になり、重量を感じさせなくなります。その軽やかさは表現の売りになりますが、危険も孕んでいます。彫刻は技術面も重要ですが、造形に対する精神性が問われます。その度合いが工芸やデザインよりも強いのではないかと私は感じています。彫刻が人の心を打つのは技巧ではなく、もっと別の次元です。技巧に走りすぎると、表現として訴える力が萎えてくるのです。技巧を超えるインパクト、空間に置かれる立体構造物にどんな意味を持たせるのか、哲学を要する造形思考がそこにあります。そんなことを考えながら、彼の力作を見ていました。その後、六本木の国立新美術館から上野の国立西洋美術館に移動し、話題の「アルチンボルド展」を見ました。すでに延長開館時間になっていましたが、多くの人が来ていました。「アルチンボルド展」の詳しい感想は後日にしたいと思います。

「美術家の健康と安全」について

今年の7月に日本美術家連盟から「美術家の健康と安全」という冊子が送られてきました。これは造形美術の分野別ハンドブックで、画材や彫刻素材、溶剤や接着剤などが細かく記載されていて、とても便利です。とりわけ危険有害性物質や有機溶剤は、安全に扱うための注意があって、有り難いなぁと思いました。彫刻は素材によって有害物質があり、扱い方や対処法の記載が的確です。作家からの聞き取りがあるらしく、注意点に書かれたものは自分でわかっていても一読した方がいいなぁと思いました。自分が扱ったことがない素材に関する知識や道具の種類にも私は興味関心があるので、この素材を使うにはこんなことを心がけなければならないのかと頁を繰りながら思いました。他の分野ではとりわけ版画に注目しました。銅版画は私が新たに取り組みたい分野ですが、腐食液を使用するので、この扱いに留意しなければならないと思いました。市販されている他のハンドブックに見られない具体的な製版方法や使い終わった後の処理の方法まで書かれていて、作家の目線による注意喚起は大変役立つものと思います。ただし、作家以外の人には詳細すぎる部分もあるので、これはあくまでも作り手にだけ伝わるハンドブックなのだと理解しています。

9月RECORDは「のびる」

RECORDのテーマの内容として、今月の「のびる」は新しいものではありません。「のびる」は漢字で記すと、「伸びる」や「延びる」があり、実際に伸びてゆくものがあれば、延長されるものがあって、イメージの発展性はあるかなぁと思っています。このテーマを思いついた当初は、夏の夕暮れに見られる影法師のような画像が浮かんできました。夏に草木が生繁って伸びていく情景も浮かびました。春先の「のびる」とは違い、この時季の「のびる」は、次の段階で枯れていく情緒を醸し出して、光と影のコントラストに哀しみを見るような感覚があります。そんな情景を象徴化して描けるかどうかわかりませんが、挑んでみようと思っています。9月に入ってからの私は、夏の名残りを惜しむ間もなく、仕事に追われる日常ですが、多少でも余裕を持ちたい気分です。RECORDは一日1点制作に取り組む平面作品で、そもそもRECORD自体が余裕を与えてくれない媒体ですが、書類の忙殺を免れている現在は、職場でも頭の中で画像をイメージすることは可能かなぁと思っています。今月も日々頑張っていきたいと思います。

夜の工房制作に思うこと

先週末のNOTE(ブログ)に、ウィークディの夜に工房に行けるかどうかわからないという曖昧なことを書きましたが、今週は大きな陶彫成形に彫り込み加飾を行うべく工房に通っています。夜になると涼しくなって制作に向く気候になったことが要因ですが、仕事から帰ってくると既に疲れていて、工房に行こうかどうか迷うこともあります。工房に行ってしまうと、そこには魔物が棲んでいるので、疲れを忘れて制作に励んでしまい、NOTE(ブログ)やRECORD制作に支障が出ることもあります。ただし、確実に陶彫は進みます。夜の制作は就寝前に行うNOTE(ブログ)やRECORD制作のことを考えると、工房にいる時間は最大2時間かなぁと思っています。1時間を回ったくらいで引き上げるのがちょうど良くて、この程度なら他のことや翌日の勤務にも影響がないと考えています。毎晩1時間くらい継続して制作出来ることが理想です。習慣になればいいのですが、日によって超過勤務になり、遅く帰宅した時は無理かなぁと思っています。夜の1時間は、塵も積もればの諺通り、着実な進歩が見込まれるし、陶土の乾燥具合も確かめられるメリットがあります。とりわけ彫り込み加飾は、陶土の乾燥や軟度を気に留めて作業をするので、日々の制作がベストなのです。昨晩と今晩は工房で彫り込み加飾の作業をやりました。ここ2日間は職場を早めに切り上げているので、夜の工房制作が出来ました。

映画「少女ファニーと運命の旅」雑感

先日、横浜のミニシアターにフランス・ベルギー合作映画「少女ファニーと運命の旅」を観に行きました。この映画は別の映画を観た際に予告編が上映されていて、物語の輪郭が自分の好きな筋立ての作品であることを知って、必ず観ようと決めていたのでした。私が好む理由は、社会的に迫害を受けていた弱者が、未来に繋ぐべき闘争や脱出を試みる物語を、幾度となく映画で観ていて、そこに自分の人権感覚や生命謳歌に対する確信を持てるからです。ましてや子どもたちが主人公の作品は、絶対に裏切られることがありません。「少女ファニーと運命の旅」も期待通りの作品でした。1943年のフランスで支援組織に匿われていたユダヤ人の子どもたち。密告により施設を追われることになった子どもたちは、ナチスドイツ軍を避けながら、鉄道を乗り継ぎ、スイス国境まで逃走をしていくのです。そのリーダーを任されたのが13歳の少女ファニー。気丈に振る舞う小さな指揮官にも挫けそうな場面があったり、幼い子どもたちは遠足気分だったり、天真爛漫な集団は、やがて試練を乗り越えていくうちに強いチームとなり、固い絆で結ばれていきます。これは実話を基にしていて、当時の指揮官ファニーはまだ存命で、映画のインタビューに答えています。映画で描かれていない出来事は、という質問に対し「国境のフェンスを越える手前で、ドイツ兵を見つけて、木の陰に逃げ込んだ時のことでした。ジョルジョット(妹)の靴が脱げて『靴が…靴が…』と泣き始めたので、私は血が出るほど必死に、彼女の口を押えました。」とあります。鬼気迫る鮮明な記憶とともに、映画では実際の出来事をうまく反映しているとファニーさんは評価をしています。現在の国際情勢を考えると、「少女ファニーと運命の旅」は対岸の火事とは思えない状況があります。人類は嫌というほど戦争被害を経験してきたはずなのに、昨今のニュースで伝えられている隣国の国際社会への挑発を、私はまるで理解できません。私は戦争を知らない世代ですが、映画等の表現でその無残さを理解しています。近い将来、現状の国家同士の鍔迫り合いを告訴する表現活動が登場する日が来るのでしょうか。

週末 大きな陶彫成形

今日も涼しい一日でした。曇り空から晴天になりましたが、空気が蒸し暑い真夏のそれとは違ってきているように感じました。今日は朝から若いスタッフが2人来ていました。工房ではすっかりお馴染みになった2人で、一人は近々東京でのグループ展を控えている子で、思索的な作風の作品を手掛けています。もう一人は中国籍のアーティストで、細やかな波形が展開する大きな作品を作っています。彼女たちには台湾の國立故宮博物院に行った時の話を聞いてもらいました。スタッフは2人とも国際派なので、外国での体験談では結構盛り上がります。午後になって後輩の彫刻家が二科展の招待状を持参してきました。彼は木彫による抽象作品を作っていて、私が注目する若手作家です。若い人たちの頑張りに私は背中を押されます。老体鞭打ちというほどの年齢ではありませんが、私も気合を入れるようにしています。今日は昨日用意しておいたタタラを使って、大きな陶彫成形に明け暮れました。新作では大きな陶彫部品を全部で6点作ります。今日は3点目の成形を終えました。彫り込み加飾はまた後日です。ウィークディの夜に彫り込み加飾をやりたいと考えていますが、まだ焦る気持ちにならないので、夜の工房は望めそうにありません。可能ならやろうかなぁと思うくらいにしておきます。今月から職場の仕事も軌道に乗り始めます。まとまった休みが取れない中で、今月の目標である陶彫部品6点が達成したら良しと考えるのが妥当でしょう。

9月最初の週末に…

9月最初の週末になりました。昨日のNOTE(ブログ)で秋が待ち遠しいと書きましたが、朝晩すっかり涼しくなり、秋の気配が漂うようになりました。この気候なら創作活動に邁進できそうで、今日は朝から工房に篭りました。久しぶりに土錬機を動かしました。分解掃除が効いたのか土錬機は順調でした。新しい土に残土を多少混ぜて3時間ほど土練りを行いました。畳大のタタラを7枚作りました。掌で叩いて土を平たくしてビニールで覆いました。明日大きな成形を行う予定です。補強用に紐作りをするので、土を全てタタラにせず、10キロ程度残しておきました。大きな陶彫成形はたっぷり一日かかります。明日は成形に精を出そうと思っています。夕方、時間が出来たので家内を誘って映画に行きました。常連になっている横浜のミニシアターでフランス・ベルギー合作映画「少女ファニーと運命の旅」を観てきました。戦時中、ナチスドイツの迫害から身を守るため、ユダヤ人の子どもたちが鉄道を乗り継ぎ、草原を走ってスイス国境まで辿り着く物語です。これは実話を基にしています。少女ファニーのモデルになったファニー・ベン=アミさんは現在イスラエルに住んでいられます。私はこうした実話を基に、しかも未来へ繋がる物語が大好きです。そこに荒唐無稽な創意が入るのはいただけませんが、さもありなんという設定は説得力があって感動を呼びます。映画の詳しい感想は後日改めたいと思います。9月最初の週末である今日は充実した一日を送りました。

9月は陶彫一辺倒

9月になりました。秋の気配が待ち遠しいこの頃です。創作活動は涼しくなる秋が一番向いていると思っています。今月は先月の陶彫成形の遅れを取り戻したいと考えています。先月の目標だった大きい陶彫6点のうち出来上がった2点を引いて、残り4点は今月中に作りたいと思っています。工房は若いスタッフが出入りして活気があるので、私も彼女らに負けないように身体に鞭打って頑張っていきます。鑑賞は今月も東京で大きな展覧会が開催中ですので、ぜひ見に行きたいと考えています。ウィークディ金曜日の夜間開館時間が狙い目かなぁと思います。映画もミニシアター系で観たいものがあります。ただし、今月の3連休は職場の男性職員の結婚式があったり、地域行事が入っていたりして、3日間全てを制作に充てることが出来ません。RECORDは今のところ順調なのでペースが乱れないように頑張るつもりです。読書は低調が続いています。何とか盛り返したいと思っています。あれもこれもと欲張ると苦しい1ヵ月になってしまいそうですが、一番の目標としては陶彫一辺倒の1ヵ月にしたい、これが優先目標です。       

充実した8月を振り返る

8月の最終日を迎え、今月の制作状況や鑑賞したこと等を振り返りました。陶彫制作は残念ながら目標に達成せず、6点中2点しか出来ませんでしたが、テーブル彫刻の柱の木彫は8本彫り上がりました。というのは久しぶりに土錬機の分解掃除を行い、陶彫を暫し休んだせいで、制作が遅れたのでした。来月は遅れた陶彫制作を取り返したいと思っています。RECORDは順調な仕上がりをしています。現時点では一日1点制作という初心に帰って制作を進めていますが、一日1点が下書きだけにならないように今後も気を緩めずにやっていこうと思っています。鑑賞は充実していました。まず日本での美術展ですが、「ジャコメッティ展」(国立新美術館)「川端龍子展」(山種美術館)の2つ、台湾の國立故宮博物院では紙面に暇がないほど数多の美術品や工芸品に接してきました。古代遺産として第一級の作品ばかりで、一つひとつ驚嘆しながら鑑賞しました。これ以上の鑑賞は望めないのではないかと思うほどでした。國立故宮博物院で受けた印象はいずれ自分の中に取り入れていきたいと願っています。映画鑑賞では横浜のミニシアターへ「ブレンダンとケルズの秘密」と「ヒトラーへの285枚の葉書」を観に行きました。今月遅滞したのは読書でした。毎年夏になると読書に精を出す癖が私にはありますが、このところそれが薄れつつあります。夏季休暇を取得しても海外に出かけたり、制作に没頭して、読書に気が向かないのです。書籍から離れることは私にとって忌々しき事態です。来月の課題は読書です。ともあれ今月は充実した1ヵ月を送れたのではないかと思っています。

個展のお礼状について

毎年、東京銀座のギャラリーせいほうまで足を運んでいただいた方々にお礼状を出しています。懇意にしているカメラマンが個展会場に来て、ホームページ用の撮影とお礼状作成のための撮影してしてくれます。ギャラリーに展示された作品の一部を切り取った画像は、光と陰影が織りなす面白い風景になっていて、私も思わず見惚れてしまうほどです。画像は全てカメラマン任せにしている理由がここにあります。実制作者である私は、作品の虚を突かれたような視点を発見できません。他のアーティストの眼を通すことで、新たな発見ができるのです。私のホームページに掲載してある画像は全てカメラマンの作品です。ホームページは言わば協働で作っていて、そこが私にとってワンランク上の自己満足を得られる要因になっています。お礼状は芳名帳から氏名と住所を探して印刷をしています。知人で住所がわかる人なら芳名帳に氏名だけ書かれてあっても問題がないのですが、ギャラリーが招待した人の中には、氏名だけで住所のない方々も多くいらっしゃいます。その方々には失礼をお詫びいたします。わざわざ遠方より来られた方々に住所がわからず、お礼状が出せないのは心苦しい限りですが、このNOTE(ブログ)をもって感謝申し上げる次第です。個展の折は本当に有難うございました。

会えずに他界した叔父に…

先日、1通の封書が自宅に届きました。母宛の手紙でしたが、差出人は母方の甥にあたる人でした。母の弟、つまり私にとっては叔父ですが、7月末に病気で亡くなり、8月に先祖の墓に埋葬をしたという内容でした。NOTE(ブログ)は私の記録でもあるので、親戚が亡くなった場合には必ず書くようにしています。叔父は理由があって遠くで暮らしていました。叔父の子どもたちは叔父のことをよく知らず、遺骨だけ引き取ったようです。私は幼い頃から叔父によく遊んでもらっていた関係で、叔父とは親しい間柄でした。私が生まれたところは、横浜と言えども農村地帯で、周囲には田畑が広がっていました。母は東京蒲田で生まれていたので、母からすればよくぞこんな田舎に嫁いだものだと思っていました。母の実家は和菓子屋をやっていて、向かいには映画館があったというのですから、嫁ぎ先でのカルチャーショックは大きかったではないかと察します。母の実家は蒲田を引き上げて、横浜の中心(西区)にやってきていました。その頃の私は、横浜の街中で叔父と遊んでもらっていたのでした。舗装された道路が珍しかった時代で、道路にチョークで絵を描いて遊びました。母方の祖父に商店街にあるおもちゃ屋で電気仕掛けのロボットをねだったりしました。クリスマスにそのロボットが届いた時は、祖父はサンタクロースなんだと本気で信じていました。そんな思い出の中に叔父がいました。その叔父とは30年以上も疎遠になっていたので、叔父がどんな生涯を送ったのか、私にはわかりません。ただただ冥福を祈るだけですが、久保山にある先祖の墓に入れたことで、叔父は安らかに眠れているのではないかと思っています。

自己疑念に陥ること

スイスの彫刻家・画家であったジャコメッティは、自己疑念に陥って、それまで熱心に作っていた自分の作品を破壊する行為もあったようです。私も20代の頃は、自分の作品をよく壊していました。私の場合のそれは高尚な理想からくる破壊ではなく、稚拙な技能による自己嫌悪に他なりません。ジャコメッティのモデルを務めた哲学者矢内原伊作の著作の中に、ジャコメッティの創作へ向かう真摯な姿勢が描かれていて、若かった私は共感を覚えました。自己を確立したわけでもないのに、私は初めから自己疑念に陥ることがあって、とにかく人体塑造による空間デッサンをやっていれば、彫刻家として人並みに何とかなると信じていました。自己疑念に深く沈むと、危うい人生が待っているような気がして、深追いは止めようとさえ思っていました。もっと陽気に振る舞えれば気分が楽になるのになぁと、若い頃はいつも感じていました。救いとしては神経が自分が思うほど細くなく、心が病んでしまうことはありませんでした。それでも家内と付き合い始めた頃の私には悲壮感があったらしく、よくぞ家内が一緒にいてくれたものだと今でも思っています。私の自己疑念は、人生半ばで方向転換をしていったようで、自分の造形表現が確立されると、健康的な精神が宿ってしまったのではないかと振り返っています。それでも自分の造形表現に今も満足は得られませんが、不安定な精神状態からは解放されました。ジャコメッティの作品を見ると、自己疑念に陥った頃の自分を思い出すのです。

週末 目標に届かなかった陶彫成形

8月の週末が今日で終わります。今月の制作目標とした新作の陶彫部品6点の成形は終わりませんでした。6点の陶彫はテーブル彫刻の床に置く大きめの部品で、今月は成形が2点だけ終わりました。土錬機の不具合があり、分解掃除をしたり、モーターを休ませていた関係で、陶彫は諦めてテーブルの脚になる木彫をやっていました。木彫は8本終わりました。来年までにテーブル彫刻を大小4点作る予定です。そのうちのテーブル2点の脚を彫り上げたことになります。今月の週末の成果としてはまずまずかなぁと思っています。週末を全て制作に使えたわけではなかったので、それを考えれば頑張った方ではないかと思いました。というのも、台湾旅行があったり、美術館や映画にも行ったので、週末の過ごし方としては充実していました。今日は久しぶりにインドネシアから昨日帰ってきたスタッフが工房にやってきました。彼女はインドネシアでも制作をやっていて、来月には東京でグループ展が控えているため、さっそく出品する作品に取り組んでいました。昨日のNOTE(ブログ)にも書きましたが、私と関わりのある若いスタッフが工房を利用してくれることを私は歓迎しています。私自身も彼らから刺激をもらえるからです。今日やってきたスタッフは、数いるスタッフの中でも一番刺激的な子です。彼女は思索に富み、常に新たな技法を開発しています。スタッフ同士、または私とも切磋琢磨できれば本望です。私は今日の午前中は柱の木彫を行っていました。午後は土練りをしていたところ、先日土錬機の分解掃除をした際、ボルトナットが錆びていて、これを全て新しいものに換えようと思っていました。うっかりそれを忘れて土を練ってしまいましたが、途中で止めて、ボルトナットを買いに行きました。練りかけた土は水を打ってビニールで包みました。来週末までこの状態で過ごせないので、ウィークディの夜にボルトナットの交換と土練りに来ようと思っています。

週末 工房スタッフについて

週末になって久しぶりに工房に行きました。工房は私の個人的な仕事場で、他人には貸していません。前に依頼を受けたことがありましたが、お断りをさせていただきました。工房には週末に限らず、若いスタッフが出入りしています。スタッフと言う以上は私の作品を手伝ってくれることを条件としていますが、手伝いは年中あるわけではなく、スタッフは自らの制作に時間を費やしています。スタッフは私と関わりのある子たちばかりです。私と知り合ったことで創作の道に入った子を、工房でサポートするのが目的です。今日は今年の4月に大学に入学したばかりの子が初めて工房にやってきました。彼女が中学生の頃、進路で悩んでいた時に私がアドバイスしたことが契機になり、デザイナーの道を目指すことになったのでした。武蔵野美術大学で空間演出デザインを専攻する彼女は現在のところ、モードやイベントの演出がやりたいようです。業界の仕事はなかなか厳しいものがあると察しますが、自分の夢に向かって頑張って欲しいものです。もう一人、美大付属高校に通っている時から工房に出入りしている子もやってきました。この子はヴィジュアルデザインを専攻していて、将来はアニメーター志望です。これも厳しい仕事ですが、前向きな姿勢を見ると応援をしたくなります。2人はまだ18歳で、次世代の工房スタッフと言えそうです。私は新作のテーブル彫刻の脚の部分の木彫をやっていました。台湾から帰って久しぶりに鑿を握りました。明日も頑張ります。

ビーフシチュー・コミュニケーション

私は私物の寸胴鍋を職場に置いています。事あるごとに大鍋コミュニケーションと称して、職員に豚汁や鳥汁を振る舞っているのです。これは仕事上の人間関係の改善を図る経営戦略であり、料理を作って皆に食べてもらいたい私の趣味の押しつけでもあります。当然自腹で食材を買ってきますが、調理は職場の用務員室を使わせていただいています。通常の鍋料理は一日で野菜を切るところから完成までいきますが、今回のビーフシチューは前日からの仕込みが必要で、これは自宅で家内に手伝ってもらいました。玉ねぎや人参、セロリ、ニンニクなどを牛肉と一緒にカタチがなくなるまで煮込むため、昨日から数時間かけて鍋を火にかけていました。赤ワインもアルコールを飛ばすため早い時期に入れておきました。目安は40人分です。牛肉は完全に煮込んでカタチをなくしてしまうものと、ブロック肉の表面を炙ってカタチを残すものとに分けていて、ブロック肉は触感を楽しむために、シチューがある程度出来上がってきたら入れるようにしました。味付けは私なりに工夫をしていて、バターや香辛料を効かせた濃い目の味付けにしました。紙皿にシチューを入れた時にサワークリームを少々落として完成です。予めベーカリーに注文をしておいた手作りのパンを添えて、今日は40人に振る舞いました。やはり2つの職場が合同で食事を楽しむ時間は、大変楽しく即座に仲良くなっていきました。ビーフシチュー・コミュニケーションは大成功でした。どうやら昨夜から私は調理にずっと神経を使っていたようで、妙な疲れ方をしました。それでも職場関係が円滑にいくなら申し分がありません。

ジャコメッティに思うこと

先日、東京六本木の国立新美術館で開催されている「ジャコメッティ展」に行ってきて、その様子をNOTE(ブログ)に書きましたが、彫刻家・画家ジャコメッティの作品を観ると、私には語り尽くせないような思いが込み上げてきます。彫刻を学び始めた最初の頃は、ジャコメッティを理解できず、ヘンリー・ムアの豊かな量感に憧れていました。ジャコメッティを理解する契機になったのは、哲学者矢内原伊作の著書を読んだからでした。そこにはジャコメッティのモデルを務めた唯一の日本人だった矢内原伊作の詳細な報告があり、ジャコメッティの壮絶な創作活動が浮き彫りにされていて、私は多くの刺激を受けたのでした。図録にピカソと比較した一文が掲載されていて、これにも興味が湧きました。「ジャコメッティの生涯と風貌は20世紀の芸術界で時として反ピカソ的なものとして捉えられてきた。スペイン人のピカソは自己疑念に陥ることなどなかったし、作品の創造力は溢れ出ることベルトコンベアーの如くであった。スイス生まれのジャコメッティは反対に自己疑念に大いに苦しみ、前日に造ったものを破壊し、自分にとって永続性がないと見るや作品を打ち砕いた。ピカソの創造的なクレド(信条表明)が『私は探さない、私は見つける』であるのに対し、ジャコメッティの得意分野は創造的な破綻ということができるだろう。」またジャコメッティの創造行為に関する箇所にはこんな文もありました。「個々の作品は現実を顧慮した上で絶え間なく行われる認識行為の構成要素である。そしてその現実は、理解することはできずとも描写することはできる。~略~ジャコメッティの戦後の彫刻は特に『絵画的な視点』の表現として評価されるが、それはこのスイス人芸術家が彫刻を触覚的・彫塑的に把握せず、むしろより絵画的・視覚的に把握していたからである。その一方で彼は絵画作品においてはほとんど彫刻的と呼べるようなやり方で事物を層状に描写し、彫刻作品と同様、揺れ動いて定まらない状態を表現するに至っている。」(ピカソ美術館館長マルクス・ミュラー著)

旅行の疲労があっても…

台湾旅行から帰った翌日から職場に出勤し、溜め込んだ仕事に追われました。今日も一日中研究会が組まれていて、私の専門とする部会は鶴見公会堂で全体会を、午後は別の場所に移動して分科会を持ちました。私は専門部会の会長を仰せつかっていたため、全体会での挨拶や、それぞれのグループが研究を重ねてきた内容に耳を傾けていました。夜になって自宅に帰ると、胃腸がおかしくなり、また身体が重くなってしまいました。これは台湾旅行の疲労ではないかと思いました。加齢のせいか、疲労は翌日ではなく2日後に出てくるような気がしています。最近のNOTE(ブログ)に疲労のため度々休息を取っていることを載せていますが、今日はそうしたかったにも関わらず、若干無理をしてしまいました。夜になって家内と買い物にでました。職場で私が時々行っている大鍋コミニュケーションの食材を買いに出たのでした。今回の大鍋コミニュケーションは私の職場だけでなく、連携を図っている別の施設からも職員を招くので、倍以上作らなければならないのです。買い物途中の店内で私は足が重くて仕方なく、やっとの思いで自宅に辿り着きました。若い頃からの悪癖で、私はのんびり休んでいることと怠けていることを混同してしまう傾向があります。休むことに理由をつけたがる自分がいます。それは自己を納得させるためにやっていることで、他人にはどうでもよいことなのです。少しは自分を甘えさせたらどうかと家内に言われています。

東京広尾の「川端龍子展」

既に閉幕した展覧会の話題を取上げるのは恐縮ですが、台湾旅行があって展覧会の感想を取上げる機会を逸してしまいました。申し訳ありません。台湾旅行の前に東京広尾にある山種美術館に「川端龍子展」を見に行ってきました。天候が悪かったのにも関わらず、多くの鑑賞者で賑わっていました。川端龍子は人気のある日本画家です。会場芸術と異名を取るほど作品が大きく、また時事問題を画題に扱うことで、日本画には珍しいジャーナリズム絵画とも言われてきました。展覧会場には戦闘機に乗った自分を描いた巨大な「香炉峰」や「金閣炎上」がありました。川端龍子は20代で新聞や雑誌に挿絵を描いたことで、時事問題や社会の動向をいち早く画題に取り入れ、その独特な世界観を培ったようです。発表当時としては画壇の在野として地位を築いていたのでしょうか。画家集団の青龍社を立ち上げ、長年に亘って毎年のように作品を作ってきた経歴があり、エネルギッシュに大作に挑んでいた川端龍子の充実していた生涯が目に浮かびます。その中でも私は暗黒の中に身近な草花が浮かび上がる「草の実」に魅力を感じています。豪奢な雰囲気にも関わらず、どこにである草花が丹念に描かれた世界は、不思議なパワーを秘めていると思っています。私にとって何時間でも立ち尽くすことが出来る絵画が「草の実」なのです。図録の最初のページに愛犬を抱く川端龍子の近影がありました。クマと名づけられた小さな犬が可愛らしく、巨大な絵画を描く傍らでクマと遊ぶ川端龍子の姿を想像してみました。NOTE(ブログ)を書くためにパソコンに向かう私の足元に猫のトラ吉がじゃれついているように、何かホッとさせるものが作者近影にはありました。

台湾から帰って…

昨晩のうちに台湾の桃園国際空港を飛び立ち、機内で夜を過ごして、今朝漸く羽田空港に到着しました。自宅近くまで行くバスがまだ運行していなかったので、羽田空港のロビーで夜が明けるまで過ごすことになりました。行きも帰りも空港にいる時間が長く、安価な航空券を予約すればこうなるという行程を実感しました。20代の頃は普通だった行程が、60代の今となっては身体的に厳しいなぁと思いました。あの頃のようなエーゲ海沿岸や砂漠地帯の遺跡を巡る旅や、当時の東欧圏諸国をリュックサックを担いで周る旅は、今となっては若かりし頃の無謀な一幕としか言いようがありません。テロが勃発する現代にあっては、時代が違うと言えども、よくぞ無事に生きて帰ってこられたものだと思っています。昔のことは人生の勲章とは思いませんが、脳裏に刻まれた現地の人々の生活や街の空間認識が、自分は彫刻として結晶化させたのかもしれません。最近よく出かけている東南アジアの世界遺産も、彫刻制作の要素となっていると言っても差し支えありません。昔のように危険箇所には近づかない知恵が私にもついて、旅そのものが目的ではなく、旅で体験した何かが創作活動に有効に働くことが目的になっています。今回の台湾旅行も例年の遺跡ではなかったにせよ、國立故宮博物院では大いに刺激を受けました。形態感で言えば中国の歴代銅器が私を捉えて離さないのです。今月の鑑賞では第一級の作品群に触れたことになります。これを自分の中で咀嚼し、自己表現に取り込むのには相当な時間を要するでしょう。もう一度ここに来る予感がすると家内が言っていますが、うーん、それはどうかなぁ、世界にはまだまだ見たい遺跡や美術館や博物館が山ほどあるので、関心が次々に移ってしまいそうな気がしています。そんなことを考えながら夏季休暇の最終日を過ごしました。明日から仕事が始まります。二足の草鞋生活を軌道に乗せて、来年に向けて頑張っていこうと思っています。

台湾旅行③

台湾旅行3日目は、朝早くホテルに荷物を預けて、地下鉄に乗りました。台北の地下鉄は、色彩で分けられていて分かり易く便利で、しかも料金が安いのが魅力です。國立故宮博物院は士林駅で下車してからタクシーで向かいました。開館8時半を少し回ったところで入館しました。バッグは全てロッカーに預け、手ぶらで入館しますが、スマホやデジカメの持込は大丈夫でした。展示品によって撮影が許可されているようで、多くの鑑賞者が撮影をしていました。1階には「象牙透彫雲龍文套球」や東京上野の博物館にも来た「翠玉白菜」が展示されていました。清の時代の精緻な小品や家具にも眼を奪われました。「慈悲と知恵」と題された部屋には仏像が多数置かれていました。次に私は3階に上がりました。ここに展示されている殷の時代の青銅器に心が擽られて、その文様の面白さに時が経つのを忘れました。アイヌの文様にも似て、現代にも通用する斬新さを感じました。歴代の玉器も超絶技巧としか言いようのない優れた品々ばかりで、こうした技法に次第に眼が慣れてきました。例えば1点の作品に拘れば、あれこれ論じられるほど表現力に富んでいて、そんなレベルの作品が延々と置かれている状況を何と説明してよいのか、職人が命懸けで挑んだ結晶と言うべきか、これは全てが人類の共通遺産に違いないと私は深く頷いたのでした。2階は陶磁器と書画でしたが、これも高度なレベルにあって、明や唐の時代に描かれた作品が並んでいました。所蔵作品は60万点とも70万点とも言われていて、その一部を公開しているのに過ぎないのが國立故宮博物院の印象でした。所蔵作品は3ヶ月で一部衣替えをするそうで、全部を見るのに何年かかるのだろうと試算しました。鑑賞途中で出口に向かい、係員から腕に印を押されてレストランに行きました。レストランは庶民的で、どこの美術館や博物館でも変わらないメニューがありました。家内はサンドイッチ、私はチキンパスタを選び、タピオカミルクとモンブランケーキ2人分を注文しました。午後も頑張って見て回りましたが、足が疲れてきてベンチで休む回数が増えました。朝9時前から午後3時過ぎまで見たところで、眼や足が駄目になり、最後はギャラリーショップに行きました。店は書籍が充実していて、さすが漢字の国だなぁと思いました。空港までの時間や労力を計算して3時半くらいに國立故宮博物院を出ました。これで心は満足を覚えましたが、作品の分析や思考をしたくて仕方がありませんでした。購入した書籍は日本語があまりなく、謎が残る作品が多くて、後は感覚に頼るしかないのかと思っています。工房に出入りしている中国籍スタッフに聞くことも増えそうだと思いつつ、ホテルで預かってもらっていたキャリーバッグを転がしながら、新しく出来た鉄道で桃園国際空港に向かいました。

台湾旅行②

台湾に来て2日目になりました。日差しが少ない今夏の日本に比べると、台北市は晴れて蒸し暑い日が続いています。不慣れな街をどう巡るのか、これは観光ツアーに参加するのがベストと考えました。今日は市内観光ツアーを申し込み、観光バスを使って街中を見物することにしました。朝は行天宮という寺院に立ち寄り、総統府や中正紀念堂を周りました。台湾では蒋介石の巨大銅像があって、人々に敬意を払われている様子が伺えました。午後は國立故宮博物院に行きましたが、ここがツアーの悲しいところで鑑賞時間が限られ、國立故宮博物院見学を目的にしていた私は忽ち芸術の消化不良を起こしました。これはまずいと思って、明日は空港に行くまでの時間を全て費やして國立故宮博物院を見なくてはならないと決めました。それでも走るようにして見た工芸品の数々は強力な磁力を放って私に襲いかかってきました。これをじっくり鑑賞しなければ一生悔やまれると思ったので、今日のところは展示の構成を知る下見と考えることにしました。他のツアー客にとって鑑賞は1時間で充分と思っているかもしれませんが、私は何日でも國立故宮博物院に通える拘りがあるのです。観光ツアーは台湾茶を購入させるために、ツアー客を店に連れて行ったり、マッサージの効能を教えるために、体験を入れたりしていましたが、興味関心が偏っている私は、こんなことをするなら國立故宮博物院に少しでも長くいたいと考えていました。ホテルに帰って家内にそのことを話したら、家内も快く了解してくれました。家内も國立故宮博物院にあった装飾具に興味関心が移っていたのでした。夕食は2人で地下鉄に乗って、有名な鼎泰豐に小籠包を食べに行きました。鼎泰豐という店は多くの客で賑わっていましたが、思ったより早く店員に名前を呼ばれて、評判の小籠包を味わうことが出来ました。これは絶妙に美味しい小籠包で、安価でお薦めです。小粒な小籠包でしたが、一口で味わうには最適な大きさと言えます。台北の繁華街は遅くまで賑やかで、台湾の人は夜更かしの好きな民族なのかなぁと思いました。

台湾旅行①

毎年、私は夏季休暇をもらってアジア各国を旅行しています。仕事の関係で最大5日間しか休めませんが、東南アジアに点在する世界遺産を巡ることにしていました。今年は世界遺産ではなく、世界規模の博物館を見にいこうと決めていました。台湾旅行の目的は國立故宮博物院をしっかり見てくることです。初日は博物館ではなく、台湾らしい観光スポットに行くことにしました。格安の航空券のせいか、早朝のフライトだったため、昨晩のうちに私たち夫婦は羽田空港にやってきて、ロビーで仮眠をとりました。私たちはもう若くないとでも家内は言いたそうでしたが、昔から私に仕方なく同調してくれるところがあります。ところが飛行機が2時間も遅れ、台湾到着は昼ごろになりました。初日の台湾らしい観光スポットというのは、台北から少し離れた九份のことで、ジブリのアニメ「千と千尋の神隠し」のイメージに取り入れられた小さな町でした。民芸店が軒を連ねる階段坂の途中にある「阿妹茶酒館」が、アニメに登場するレトロな湯屋を髣髴とさせる建物になっていました。「阿妹茶酒館」は、洋の東西の折衷とも言うべき独特な景観に、赤い提灯が沢山掛かっていて情緒豊かな店構えでした。その脇には不思議な洞窟もありました。九份は、海が見渡せる沿岸に多くの建物が凝縮して建っているため、健脚でなければ観光できないスポットで、その狭い坂道に溢れるほどの観光客が訪れ、週末に近い今日は、先へ行くことも戻ることも出来ないほどの混雑振りでした。夕暮れ時の提灯が美しいとガイドブックにあるため、各国から夕方の時間帯に九份を目指して来るようで、路上では日中韓のコトバが飛び交っていました。夜になって九份を後にして、饒河夜市を訪れました。入口に慈祐宮という寺院があって、その煌びやかさに驚きました。夜市では雰囲気を見るだけで食べ歩きもせず、市街のホテルに戻ってきました。台湾の人々は全般的に親日であり、道で場所を尋ねても親切に教えてくれる人が多いと感じました。タクシーの料金も心配は要らないと思いました。明日は市内を観光しようと思います。

映画「ヒトラーへの285枚の葉書」雑感

先日、横浜のミニシアターに「ヒトラーへの285枚の葉書」を観に行きました。お盆の時期のためかミニシアターは観客がほぼ満席状態でした。自分は意識していなかったのに結果的には終戦記念日に相応しい映画を観たことになりました。「ヒトラーへの285枚の葉書」は実話に基づいた映画です。原作はドイツ人作家ハンス・ファラダで、ゲシュタポの記録文書を基にした「ベルリンに一人死す」に記されたハンペル夫妻の行動を映画化したものです。映画では原作にない周辺人物たちが登場していますが、戦時下におけるベルリンの市民生活を今に伝えるための工夫と解釈しました。時代は1940年、フランスに勝利したナチス政権で、戦況に沸き立つベルリンが舞台です。軍需工場で職工長をやっているクヴァンゲル(実話はハンペル)の元に一人息子の戦死を伝える手紙がやってきます。忽ち喪失感に打ちひしがれる夫妻、やがて夫はペンを手にしてカードに怒りのメッセージを書き始めます。政権を糾弾するメッセージを街のあちらこちらに置く夫妻、その数は285枚に上り、ゲシュタポの警部の捜査が始まります。大佐の圧力から誤認逮捕をしてしまい、追い詰められた警部がついに夫妻のところに現れるのでした。解放や自由という人間の尊厳を取り戻した夫妻が凛として刑場に向かうシーンで終わりますが、逮捕した警部もまた束になった葉書を前に自らの命を絶つラストがありました。平凡な労働者階級の夫婦がペンだけでナチス政権に抵抗した実話を知ると、ヒトラーに反感を持っていた人々が多く存在し、何らかのレジスタンスがあったと考える方が妥当でしょう。日本の近隣にも独裁国家がありますが、果たしてそこに生活する人々はどうなのか、現代にも通じる課題が突きつけられた映画だと思いました。