今日はギャラリーせいほうへ…

公務員の仕事が一段落したので、今日は年休をもらって東京銀座のギャラリーせいほうへ家内とやってきました。開館の午前11時にさっそく家内の友人たちが来てくれました。10人の来廊者の前で作品の解説をお願いされて、少々困りました。作品を見た人がそのまま何かを感じ取ってくれればいい、というのが抽象作品なので、作家が発したコトバが鑑賞の弊害になることもあります。そこを配慮しながら抽象にいたる動機を話させていただきました。「発掘」シリーズは自分が20代の頃、エーゲ海沿岸で遭遇した遺跡の数々が発想の発端になっています。西洋文化である彫刻概念を追いかけていた自分は、西洋文明の曙期の造形に接し、そこから自分の活路を見出したのでした。次に大手民間企業で長く働いていた方とも同じような話をする羽目になり、今日は現行の作品に至る思索を多少なりとも暴露することになったなぁと思いました。私の公務員の同業者も何人か来廊してくれました。病気を患い、夏以降の回復を願っている人や私と同じ再任用で頑張っている人がいて、私たちの業種はなかなか厳しい面があると改めて思いました。彫刻家の同業者も何人か来ていただきました。一日ギャラリーにいると、さまざまな人と会って刺激を受けたり、認識を改めたりして密度の濃い一日を過ごします。私が不在だった3日間にも多くの人が来ていて、その場を借りて失礼をお詫びするとともに、あぁこの人と話がしたかったと思うことがありました。毎年私の作品を見ていただいている文筆家の方々はそのうち何かしらのカタチで感想が届くのではないかと期待しているところです。その一人である紀行作家のみやこうせいさんは芳名帳に感想を書いていただきました。有難うございました。明日もギャラリーにおります。

職場の暑気払い

ネットによると「暑気払い(しょきばらい)とは、暑い夏に冷たい食べ物や体を冷やす効果のある食品、同じく体を冷やす効能のある漢方や薬などで、体に溜まった熱気を取り除こうとすること。『暑さをうち払う』という意味である。」という掲載がありました。梅雨明けが宣言され、毎日猛暑が続いています。私の職場では暑気払いを若い幹事が計画してくれました。4月から新しい体制で始まった平成29年度ですが、日常化してしまっている多忙な仕事や、時に困難な課題を職員全員で何とか解決してここまでやってきました。私たちは専門家集団で、個々違う仕事を抱えていますが、専門を超えたチームワークの良さが売りになっていて、そんな職員に支えられて私もここまでやってこられたと自覚しています。再任用管理職でもこの職場ならやっていけると感じさせるのが、職員集団が情報の共有やそれぞれが他分野の仕事をカバーする文化を築いているからです。今日の昼食で私は久しぶりに大鍋で鳥汁を作り、職員に提供しました。これはコミュニケーションを図る手段ですが、私から職員へのささやかな感謝の気持ちもありました。夜の暑気払いは、会話が弾んで楽しいひと時でした。私は現在の職場の人たちに余暇を有効に過ごすよう推進しています。現在は、多くの人たちの超過勤務によって支えられている安全安心な職場環境ですが、その良さを保ちつつ、多忙化解消に向けて施策を打ちたいと考えていて、それぞれが家庭を大切にして余暇を楽しむワーク&バランスを職場文化として定着させたいと思っています。暑気払いでは出来るだけ仕事の話はしないで、将来設計やら趣味の話が出来るように持ちかけました。

新車がやってきた日

私が現在乗っている光岡自動車は、富山県にしかない工場でハンドメイドによる車の生産をしている会社です。街であまり見かけない車体なのは、そんな会社のコンセプトがあるためで、購入から3ヶ月待たないと新車が手許に届きません。今まで乗っていたダークグリーンの「ビュート」も忘れた頃に連絡が来て、あぁ車を購入していたんだっけと思い返した記憶があります。NOTE(ブログ)のアーカイヴを見ると、今年の4月1日に横浜市都筑区にある光岡自動車の支店に出かけ、車を購入していました。それが今日手許にやってきました。実際は3ヶ月以上かかっているのですが、今日も以前と同じく、あぁ車を購入していたんだっけと思い返した次第です。私は通常の通勤に車を使っていないので、とりわけ不便を感じていないのと、早く新車に乗りたいという拘りもなかったので、のんびり待っていた感じです。新車は同じ「ビュート」で車体はワインレッドです。工房に来ている若い女性スタッフを駅まで送り迎えしているので、お洒落度を上げてみたのです。「ビュート」のベースカーは日産マーチです。今まで乗っていた「ビュート」は車内のデザインに凝っていなかったので、内装はマーチそのものでした。新車の「ビュート」は内装も凝って「ビュート」らしくしてみました。運転席は車体と同じワインレッドの木製にしました。現在再任用で働いている私は、いよいよこれが最後の自家用車かなぁという思いがあります。工芸品のような「ビュート」を大切に乗っていきたいと思っています。

個展開催中のもうひとつの仕事

昨日より東京銀座のギャラリーせいほうでの個展が始まり、初日には多くの関係者に来廊していただきました。有難うございました。今日から3日間は横浜市公務員管理職としての仕事が詰まっていて、私はギャラリーには行けません。残念ですが、二足の草鞋生活とはこういうもので、こればかりは仕方がないと思っています。彫刻家と公務員、この二つの世界を交互に行き来しながら私は30年以上もやってきました。彫刻家は自分ひとりの世界が基本で、自分の内面と対話して自らのカタチを探って創造していく世界です。自分を追い詰めていくこともありますが、それは他者にとってはどうでもよい世界で、社会的ニーズはありません。ただ創造した世界を具現化した時に、それを鑑賞していただいて、見た人の心に活力を与えることが出来れば本望と言えます。公務員としての仕事は、社会的ニーズに支えられ、業種ごとに組織を作っています。自分の内面を振り返ることはありませんが、組織を運営する上での各人の資質や能力が問われる世界です。組織を統括する私は、組織が有効に働くために施策を打ち出し、また部下の評価もやっていきます。自分の職場で適材適所に職員を配置しているか、それは自分の人事に関する自己評価もあります。人事を行うためにこの役職にいるという極論の人もいますが、私もその通りだと思っています。ある意味で職場は創造的な部分もあり、それが彫刻家としての能力と重なるかもしれないと思うこともあります。ですが、二つの仕事はまるで違います。私の中では矛盾することはなく、それぞれの仕事が私という人間を形成しているんだなぁと思うようにしています。人間は多面体で、その時や場所や場合によって表面に出す色合いが異なっているのです。私は長年にわたって二足の草鞋生活を営んでいるので、その使い分けが上手くなっていると自負しています。東京のギャラリーと横浜の職場、非日常と日常、個人と組織、時期によって二足の草鞋が噛み合わない時もありますが、個展開催中に思いを巡らした今日を振り返りました。

17’個展オープニング

今年の個展が始まりました。毎年夏の炎天下の中で個展が開幕しますが、今年も例外ではなく暑い一日でした。個展も12年目になると慣れが出てきますが、毎回来ていただく方々の顔ぶれが違うので、新鮮さはあります。午前11時の開幕と同時に現れたのは妹の家族総勢6人でした。家内が食事に誘って、全員で「天國」に行きました。ホームページ掲載用にカメラマンが来て、展示の様子を撮影してくれました。公務員の同業者や元職場の同僚も来てくれました。ウィーン時代からの友人も来廊し、昔話に花が咲きました。現在の職場で、私の片腕になってくれている副管理職が奥様と一緒に現れたときは驚きました。多忙な中で時間を作っていただけたことに感謝です。以前工房に通っていた女性スタッフが来て、結婚の報告もありました。嬉しそうな彼女を見ていると所帯を持った喜びが伝わってきました。横浜市の行政の方もお見えになりました。個人的に美術が好きそうで楽しんでいられる様子が伝わりました。個展という場所は、仕事を抜きにした関係が作れたり、長い間疎遠だった旧友ともう一度親交を温めあったり、初対面の人と知り合うことが出来る絶好の場所であり、また自分にとっては人と人との繋がりを確認できる機会でもあるのです。それだけに限らず、美術評論家や美術関連の出版社の幹部にもお会いでき、助言をいただける研鑽の場所でもあります。今日は、今年も個展が開催出来て良かったと思える一日を過ごしました。明日から木曜日までは職場の仕事が立て込んでいて、私はギャラリーに顔を出すことは出来ませんが、また金曜日と土曜日には午前中からギャラリーにおりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

17’個展搬入日

個展で発表する新作は、毎年図録用の撮影をしていて、その時に一度組立てています。集合彫刻を作り続けている私は、最終的な形態がどのようになるのか、多くの人の手を借りて確認するのです。理想的なことを言えば、撮影の時に組立てたメンバーがそのまま個展の搬入に来てくれれば、組立ての状況や方法がわかっているので、不安や心配はありませんが、スタッフの個人的な事情もあってなかなか理想通りにはいきません。今回も事故や怪我によってスタッフが2人来れないことがわかっていました。別の1人は仕事が入っていました。この子は大学の助手をやっているため、今日はオープンキャンパスがあって来られないことになっていました。頼ったのは今年美大に入ったばかりの子で、彼女は初めて搬入を手伝うことになりました。その子を含めて工房スタッフ2人、家内と私、それに毎年仕事を請け負ってくれる業者2人の合計6人で搬入作業をやりました。荷物をトラックに積み込んで工房を出たのが午前9時でした。首都高湾岸線を飛ばして東京銀座のギャラリーせいほうに到着したのが午前10時。梱包を外して「発掘~宙景~」のテーブルを組立て始めました。今回は業者2人には運送だけではなくテーブルの組立てにも参加してもらいました。昼食前に業者は帰り、残ったメンバー4人で「発掘~宙景~」の最終組立て、「発掘~座景~」の組立て、さらに台座を5個組立てて、そこに「陶紋」を置きました。最後に照明の位置を決めて、全て展示が終わったのが午後3時でした。搬入は毎年定番化していますが、作品が異なるので、それにかかる仕事量が変わってきます。今回スタッフが足りず、私はかなり疲れてしまいましたが、無事に展示作業が済んだことで、ホッと胸を撫で下ろしました。毎年昼食は銀座ライオン本店に行っています。みんなで卓を囲んでオムハヤシライスを頬張った時に、今年も個展が出来て良かったという感慨が込み上げてきました。

週末 個展搬入の事前点検

週末になりました。明日が個展搬入日になります。12回も東京銀座のギャラリーせいほうで個展をやっていると、今まで搬入の場面でいろいろなエピソードがありました。作品が集合彫刻なので、部品を繋ぐボルトナットが必要なのですが、工房に忘れてしまったことがありました。家内と私で工房に戻り、ボルトナットを持って再度ギャラリーに行きました。スタッフは全員帰していたので、家内と集合彫刻を組立ててヘトヘトになりました。また別の年の個展では、部品が足りず、梱包材を預かっていただいている運送業者の倉庫に出かけ、部品を見つけ出してきたこともありました。搬出の時に梱包で使用するガムテープが足りなくなり、銀座を走り回ったこともありました。お洒落で気品のある銀座では、ガムテープが手に入らず困ったことが思い出されます。さて、今回は失敗がないように準備万端にして搬入に臨みたいと思っています。実はスタッフの中で、怪我のため参加できない人がいます。既にエピソードがひとつ出来てしまっていますが、それを補う手立てを考えながら、明日の搬入を頑張ろうと思っています。梱包作品と一緒に運ぶ図録200冊、外掲示用ポスター、脚立2本、テーブル彫刻の脚の位置を示した大きなトレーシングペーパー、ボルトナット、インパクトドライバー、ガムテープ10個、芳名帳、各種工具など思いつくまま準備しました。明日、業者やスタッフが無事に揃ってくれれば何とかなると信じています。

自己表現の確立

大学で人体塑造を学んでいた頃は、立体の捉えを粘土でデッサンするように教わりました。回転台を回しながら量感が正確な位置にあるかどうか、そうした行為に夢中になっていた時期がありました。周囲の友人たちの中で誰が一番巧みに塑造を捉えているか、工房を見渡せば一目瞭然でした。それ故他者との競い合いがあって、学校で学ぶ意義があったと思っています。当時の彫刻研究室は多くを学ぶというより、深く追求する姿勢があったように思います。彫刻は制作スパンが長いので、現在でもそうかもしれませんが、技術ひとつとってみても4年間は短いなぁと感じました。基礎を学ぶだけで過ぎてしまった大学時代でしたが、自己表現なるものを確立するためには相当な時間が必要だと思っていました。私は不器用なので、時間も労力も人一倍かかると認識していましたが、予想通り、現在のスタイルになるまでは紆余曲折がありました。海外にいた頃、一旦彫刻的な捉えを止めて、作品を絵画に近づけていこうとした時期がありました。その頃はレリーフ化した塑造作品を多く作りました。石膏直付けで、ウィーンの旧市街を象徴化する試みをやっていました。今まで苦労してきた人体塑造は一体なんだったのだろうと思いましたが、今までの方法では自分を活性化できないことを悟って、彫刻の概念から外れる作品を作ろうとしたのでした。日本の大学時代に抽象化を試みたこともありましたが、今ひとつしっくりいかず、作ってもほとんど壊す結果になりました。今思い返せば、当時異文化の中で上手く発散できない気持ちの高まりが、抽象作品として結実したように思っています。単純に構成された立体にレリーフを施す、現在まで続く原型が誕生した瞬間でした。それでも自己表現の確立とまではいかず、都市そのものを造形化する現在のスタイルを見出すには、エーゲ海沿岸の遺跡に遭遇するまで待たなければなりませんでした。どこで自己表現が確立されるのか、何かの契機と偶然の出会いがあったのか、あるいは思索を追求する中で意図して行われる営みなのか、私には明確な答がありません。自己表現には流動的な部分があるからです。来週から12回目の個展が始まりますが、ずっとスタイルを変えないでやってこれた自己表現なるものを、今一度振り返って考えたいと思っています。

「池田宗弘展」における芸術と信仰

昨日、長野県麻績に住む彫刻家池田宗弘先生から、「池田宗弘展」の新聞批評の切り抜きが送られてきました。電話でも芸術と信仰について池田先生と長々と会話したことがあります。池田先生は私の大学時代の師匠で、人体塑造の基礎を教えていただきました。その頃はまさか先生と芸術や信仰について議論するとは思いもよらないことでした。「池田宗弘展」は長野県の朝日美術館で開催されていましたが、先月は私が自分の個展準備で多忙を極めていて、展覧会に行けずじまいで先生には失礼なことをしてしまいました。東京銀座のギャラリーせいほうの田中さんも展覧会には行けなかったと仰っていました。新聞記事によると今回の展覧会は、信仰をテーマにした先生の彫刻の集大成のような展覧会だったようで、時期がずれていれば必ず行っていたのにと思った次第です。池田先生は従来のキリスト教のテーマに加え、川崎大師に観音像のレリーフを制作されたようで、今では宗教を超えた信仰そのものをテーマにしています。信仰とは何か、実のところ私には難しい課題です。私は信仰の何たるかを知りません。そのため宗教の知識はあっても本当の信仰には至らないのです。人間はどこかで何かに縋りたい心を持っています。自己と向き合うと、耐えられぬほどの自分の脆弱さに気づき、それを補うために特定宗教の虜になったりするのではないでしょうか。芸術は私にとって精神安定剤のひとつですが、自己表現が自己都合ではなく、社会的な発言が可能になった環境を得た時に、己の考える芸術と信仰についての思索と実践が実を結ぶのではないかと、先生の意見を聞いて思うようになりました。私は自分の人生が急展開をしない限り、信仰をテーマにした作品は作れないだろうと思っています。一般的な信仰心を持っていても、それが今のところ自分の中心課題にならないからで、展覧会を通して先生から投げかけられたテーマを基に、自分の芸術にとっての主たる内容は何だろうかを考える契機にしたいのです。

17’図録の完成

やっと今年の図録が刷り上がってきました。職場には例年案内状と図録をセットにして配っているのですが、今年は案内状を先に配らせていただきました。今年度の図録も今まで通りの定番サイズにしてあります。同じサイズ、同じページ数の図録が過去を含めて12冊あります。毎年作品が異なるので、画像の雰囲気は違っていますが、撮影場所やレイアウトは同じです。今年の撮影は6月4日(日)の晴れ渡る空の下で行いました。以前の図録と画像処理を変えたのは、作品の切り取り加工をせずに、周囲の環境をそのまま使うことにしたことです。これは昨年からやっていることで、彫刻は作品そのものを明瞭に見せるより、光や陰影や空気までを取りこんだ風景全体で見せた方が、作品の存在感が増すと言う意見を取り入れたためです。その通りだと思いました。そうであるなら撮影日の天候が気になって仕方なかったのですが、幸運にも天候に恵まれたおかげで、今回の図録が完成できたと言えます。野外で設置準備をしている状況を撮影した見開きがあります。若いスタッフ総勢で動いていたことが記憶に甦り、今となっては楽しい一幕と感じます。いろいろな思いが交差する図録で、これが自分としてはひとつの区切りになります。個展に来ていただいた方に無料で配布しています。

体内時計の変化

周囲の高齢な方々を見ていると不眠症に悩んでいる人が結構います。60歳定年を過ぎても自分は再任用管理職として現役で仕事をしているため、定年前とまるで変わらない生活を送っています。まして30年も続いている彫刻家との二足の草鞋生活は、自分の年齢を忘れさせてくれる要素にもなっていて、創作活動に急き立てられる生活が日常化しています。そのため自分は不眠症に悩まされることが今までありません。寧ろ今はその逆で、夜になると眠くて仕方ないことが多いのです。誰にでも体内時計があって、睡眠時間と活動時間を自身が感知していると理解しています。体内時計は昼間浴びる太陽光線が影響しているとも言われています。10代終わりから20代初めの頃の自分は深夜に起きていることが多く、昼夜逆転の生活もありました。受験勉強しているとも言えない自分だけの時間で、正直なところは情緒不安を紛らわせるために創作の小宇宙に触れていたとも言えます。彫刻の専攻が始まると、夜は疲れて眠ることが多くなり、やがて社会人になって体内時計は標準に戻りました。それでも仕事から帰った夜の時間帯は、自分自身を取り戻せる貴重な時間でした。今も毎晩RECORDを描き、NOTE(ブログ)をやっているのはそのためです。最近はその貴重な時間さえ起きているのが辛くなり、睡魔と戦いながらRECORDやNOTE(ブログ)をやっている有り様です。明らかに体内時計が変化したと思っています。その代わり朝は目覚まし時計が鳴る前に起きてしまうことが多く、これは加齢によるものかなぁと根拠のないことを考えたりしています。若い頃は出来なかった早寝・早起き・朝ご飯を60代で漸く遂行している自分がいます。

何故奇想に惹かれるのか?

フランドルの画家ボスやブリューゲルの奇想天外な版画を、先日まで東京で開催していた「バベルの塔」展で見て、空想の産物を面白がる気質が自分にはあることを改めて認識しました。現在読んでいる「奇想の系譜」(辻 惟雄著 筑摩書房)に深く傾倒しているためか、奇想の独特なカタチやフォルムに惹かれてしまうのです。日本が世界に誇るアニメのキャラクターも、その発想の原点は東西の美術家が創造した魑魅魍魎であろうと思っています。自分が子どもの頃は、住んでいる地域にも闇が残っていました。雑木林は夜になると外灯もなく、何かが潜んでいても不思議ではない異様な雰囲気が漂っていました。狸や狐に人が化かさせることを本当に信じていました。人智を超えた創造物が身近にいること、それらに親近感を持っていること、霊界と交信できる手段があること、その他諸々の理解不能な出来事を、理解してはいけないものとして認識していることがたくさんありました。森林が開発されて宅地化が進み、空想の産物が美術やアニメの世界でしか出会えなくなった現在はどうなのか、パソコンの中の仮想現実に棲む魑魅魍魎しか身近にいなくなったため、自分は幼い頃の記憶を引っ張り出して、空想の産物を面白がっているのかもしれません。管理されている社会の中で閉塞感を覚える度に、もう一度出会いたい不思議な創造物。そこに生活の活性化を感じるのは自分だけではないはずです。奇想を扱った展覧会が盛況なのは、大自然が織り成す闇が、現代人に求められているのではないかとさえ思っています。

週末 次なる新作に向けて

昨日、個展出品用の梱包が終わり、今日から来年の新作へ向けて準備を始めました。私はひとつ作品が終わると、隙間を空けず次作に入ります。今までずっとそうしてきました。区切りがつくと心情的に休みたくなるものですが、そこを堪えて次作へ一歩踏み出してしまうのです。休みは制作途中で入れていきます。気持ちが乗ってきた時に、敢えて制作を休むのです。そうすればいくら休んでも必ず制作に気持ちが戻ります。社会的なニーズがなく、自分の意思ひとつでどうにでもなる世界、それがアートの世界なので、間髪をいれずに新作を作り、自分のモチベーションを保つのです。既に来年発表する新作のイメージは頭にあります。自分はエスキースを残しません。頭に仕舞っておいて、イメージが熟成するまで待つのです。さまざまなイメージが去来しますが、呆気なく消えてしまうものや、忘れてしまうものがあり、それらは具現化するまで辿り着けない淡いイメージだと言えます。そうした複数イメージの中から際立って強烈で忘れられないイメージが最終的に心に残るのです。さて、その強烈なイメージをどう具現化していくのか、今日はそこを考えました。工房内の温度が気になって土錬機の調子を見ないとマズイなぁと思いつつ、結局今日は思案しただけで一日が終わってしまいました。考え続けることは工房でなくても出来るので、明日以降もイメージの世界を彷徨います。職場の仕事との両立が暫く大変ですが、心の中は誰も見られないので、自分は上手く分けていこうと思っています。夕方は職場へちょっと顔を出し、自宅に戻ってからダイレクトメール(案内状)の宛名印刷の最終をやりました。個展まであと1週間なので、もう職場関係の人たちにもダイレクトメール(案内状)を送らなければなりません。今晩は160枚宛名印刷を行いました。

週末 梱包作業終了

17日(月・祝)から始まる個展に出品する作品の梱包が今日全て終わりました。明日は組立てに必要なビスやボルトナット、電動工具の確認チェックを行います。宛名印刷も残りは職場関係だけになりました。いろいろな意味で彫刻は大変な労力を伴い、搬入まで気が許せない状況なのです。今日は朝から真夏のような気温で、工房は茹だるような暑さに見舞われました。若いスタッフが自らの課題をやりに来ていましたが、昼食は2人で近くのファミリーレストランに避難しました。ファミレスにいると空調が効いているので、汗が消えてホッと出来るのです。明日も熱中症にならないように気をつけたいと思います。夜は職場関係の仕事があって出かけましたが、工房から夕方帰ってきたら、暫く身体が動かなくなりました。夜になって職場に出かけるのが辛かったのですが、職員分担があるので仕方なく出かけました。工房は断熱材や空調がないので、毎年蒸し暑くなります。汗を滴らせながら作業するのが、夏の風物になっています。大きな扇風機の他に、小さな冷蔵庫があって飲み物を冷やすことが出来ます。これは唯一の救いです。飲み物は多めに用意する必要があるなぁと思っています。明日は余裕が生まれそうなので、土錬機の調子をみようと思っています。ここ3週間ばかり土練りをしていません。おまけにこの暑さなので、土錬機を回して内部にこびりついた陶土を柔らかくしておかなければなりません。土練り用のプロペラが錆びつかないようにしたいと思います。

7月RECORDは「うかぶ」

何か得体の知れないモノが浮揚しているイメージが私にはあります。別に眼科疾病を伴う飛蚊症のことを言っているわけではありません。自分の造形イメージは長年関わってきた彫刻としてのイメージが主で、それは大地から立ち上がり、重量や量感のある物体のことです。RECORDにはそうしたイメージを描き留めているシリーズもありますが、重力から解き放たれ、モノが浮かんでいる状態を描きたくなる衝動が湧き上がることもあるのです。二次元世界はそういう意味では自由です。モノとモノが空間の中に点在している様子は、壮大な宇宙であったり、または顕微鏡で覗き込んだミクロの世界だったり、空想を冗長させる楽しいイメージです。今月のRECORDはそんなテーマで取り組んでいます。もうひとつ、今月こそ山積みされたRECORDの仕上げをやっていきます。一日1点制作のRECORDの初めの主旨が失われつつある現状を何とか変えたいのです。個展が終われば、多少ゆとりが持てるのではないかと思っています。7月から来月にかけて初心を取り戻すべく、RECORDに重みをつけて頑張りたいと思います。ポストカード大の小さな世界だからこそ可能な表現方法もあります。実験的な試みも出来るはずです。今まで皺寄せがあったRECORDが、今月は脚光を浴びるような集中した制作をやっていきます。

17’個展案内状の宛名印刷

個展開催まで2週間を切ったので、昨晩からダイレクトメール(案内状)の宛名印刷を始めています。住所の確認があって一晩だけでは印刷が終わりません。ダイレクトメール(案内状)はギャラリーせいほうに1000枚、私の手許に500枚あります。ギャラリーから美術関係者や関連出版社等に送られるはずで、私からは友人や知人に送っています。住所がわからなくなっている方々もいらっしゃいますので、このホームページをご覧になっていられたら、扉に情報をアップしていますので、よろしくお願いします。内容は「相原裕展 陶彫・『発掘』シリーズⅨ 2017年7月17日(月・祝)~22日(土)AM11:00~PM6:30 ギャラリーせいほう 〒104-0061東京都中央区銀座8-10-7」です。ギャラリーせいほうの最寄り駅は、JR新橋駅銀座口または地下鉄銀座線1番出口です。新橋駅から歩いて数分のところにあり、ビルの1階でガラス張りになったギャラリーなので、比較的分かりやすい画廊かなぁと思っています。銀座大通りの「天國」という老舗の天ぷら屋さんの裏です。12年間ずっと個展を開催していると、銀座も毎年のように風景が変わってきているのを実感しています。新しい商業施設「銀座シックス」が出来たり、ギャラリーの向かいにあった真珠店のビルがなくなっていたり、伝統的でお洒落な街ですら移り変わりの激しい世相を反映しているようです。外国人観光客は相変わらず多いと感じますが、買い物の種類が変わってきているのではないかと思っています。個展の開催時期は夏季休暇前になってしまいますが、一度東京銀座に足を運んでいただけたら幸いです。

ボスとブリューゲルについて

私が滞欧していた1980年代は、ウィーン幻想派の流行がやや下火になっていた頃でした。ウィーンの旧市街はゴシックやバロック時代の建造物が軒を並べていて、その装飾に富んだ建物の面構えは、異文化の中で彷徨う東洋人を圧迫するのに充分な迫力がありました。昼間は情緒がある街角でも、夜の帳が降りると建物はさながら怪物のような容貌に変化するのでした。そんな環境なら魑魅魍魎が入り込む余地がありそうで、幻想絵画が登場する素地があったように思います。ウィーンには美術史美術館があり、ブリューゲルのコレクションが有名です。ブリューゲルの絵画は宗教性より風俗性が目立っていて、農民生活の風習や諺も隠されていて、私は飽きることなく眺めていました。美術館に行くと、ブリューゲルの絵の中に入り込み、絵画空間を散歩することが当時の私の密かな趣味でした。その先達のボスも私が大好きな画家で、在籍していたウィーン国立美術アカデミーに隣接する付属美術館に「最後の審判」がありました。ボス(私にとって馴染みがあるのは独語のボッシュです。)は渡欧前に知識を仕入れていたわけではなかったので、美術館で初めて見たときは本当に驚きました。ウィーン幻想派と見違えるくらいでしたが、これが中世に描かれたことを知って興味津々になりました。スペインを旅行した時に、どうしてボスのコレクションに気を留めなかったのか悔やみました。東京では閉幕してしまった「バベルの塔」展にもボスの「放浪者(行商人)」と「聖クリストフォロス」の2点が来日していました。時代的には宗教画としての伝統が見て取れますが、それ以上にボスは奇妙な創意をつけ加えていて、ボス特有の怪物たちが跋扈する世界に、現代に通じる幻想世界を認めるのは私だけではないでしょう。幻想絵画を生み出したウィーンの美術館で見たボスとブリューゲル。あまりにも合致する環境の中で私が魅了されたのも自然だったのではないかと振り返っています。

上野の「バベルの塔」展

既に東京で展覧会が終わっている「バベルの塔」展をここで取り上げて大変恐縮ですが、展覧会の会期終了間近に慌てて見に行ったため、感想が後になったことをお許しください。これから「バベルの塔」展は大阪に巡回しますので、大阪に行った折にご覧いただく機会があれば幸いと存じます。自分は今回来日していたブリューゲルやボスの絵画には思い入れが強く、過去のNOTE(ブログ)にも幾度となく取り上げています。20代の頃、ウィーンにいた自分はウィーン美術史美術館で、今回来日していた「バベルの塔」より前に描かれた1563年制作「バベルの塔」を何度も見ていて、印象が目に焼き付いています。オランダのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館の1968年制作の作品はウィーンのそれより小さいながら極めて緻密に描かれていて、その超絶技巧に目を見張りました。とりわけ東京藝大による3DCGによる建築的解説は、非常に面白く、名画に一層の興味を湧かせる効果がありました。ウィーンの作品と今回来日したロッテルダムにある作品の比較が図録にありましたので引用いたします。「より広く親しまれているのは、1563年に制作されたウィーン美術史美術館の作品であり、画集で目にする機会も遥かに多い。それに比べてボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館の絵は、サイズが小さいうえに基本的にはウィーンの絵の『焼き直し』と捉えられているせいか、知名度の点では後塵を拝しているが、実際には創意を欠いた『縮小再生産』からは程遠い、独自の存在意義を備えた傑作である。大気と光の精妙な描写、明暗のグラデーション(諧調)の豊かさ、そして色彩の鮮やかさの各点において、このロッテルダムの絵は第1作を上回る出来栄えを誇っている。」(高橋達史解説)私はウィーンの絵よりも、さらに完成に近づいたバベルの塔をそこに見取り、さらに深みのある色彩により空間の幅が生まれているように感じました。構築性のあるものが好きな私には、ずっと見ていても見飽きない魅力がありました。

HPに17’個展案内状をアップ

先日、個展のダイレクトメール(案内状)の印刷が出来上がってきて、東京銀座のギャラリーせいほうに届けたところですが、ホームページにも案内状をアップすることにしました。私の手許に残っている案内状は僅かなので、多数の人に広報するために例年ホームページを使っています。今回の案内状の画像は野外で撮影した「発掘~宙景~」です。工房の前に野外制作が出来るようにコンクリートを敷き詰めた空間があります。陶以外の石材や金属を加工するために作った場所でもあるのですが、今のところ作業には使っていません。規模が違い過ぎますが、「イサムノグチ庭園美術館」で見た石壁サークルが野外工房の発想になっています。いずれ陶彫と石彫を組み合わせることはあるのでしょうか。もしそんな機会が訪れたら、野外工房に石を点在させて制作に励みたい意向が自分にはあります。案内状の撮影に話を戻しますが、この日は晴れて気持ちのいい陽気でした。新緑が美しかったので、案内状にはそんな風景も入ってきています。野外での撮影は光と影が織りなす美しさがあり、そこに空気感も感じられて作品が豊かな表情を見せるのです。案内状は個展のイメージアップに繋がるかなぁと密かな思いを抱いています。

週末 工房付近にいた陸亀騒動

新作の梱包が終盤を迎え、朝から工房に行こうとしたところ、工房のある植木畑に見慣れない物体が動いていました。長さは40cmもあろうかという陸亀でした。陸亀は工房への路を塞いでいて、私はちょっと驚きました。確か先週だったか、仕事から帰ってくると、家内が驚いたことがあったとその日の顛末を私に話して聞かせました。その日、自宅に隣接する小さな十字路に大きな亀がいて、郵便局員が知らせてくれたと言うのです。警察に連絡をした後、近所の人たちも出てきて、区の土木事務所にも連絡をしたようです。土木事務所の人が陸亀を引き取っていったそうですが、今回の陸亀はそれと同じものかどうかはわかりません。その時と同じ巡査がやってきて、前回とは違う陸亀かもしれないと言っていました。今日は日曜日なので土木事務所はやっていませんでした。警察が来るまで陸亀がぐんぐん移動してしまうので、私は畑にあった鉄柵を捥ぎ取って、陸亀の前を塞ぎました。陸亀をよく観察すると、小さな目が可愛らしくて気に入りましたが、拾った陸亀を飼うわけにはいかず、警察官が数人で捕獲してパトカーに乗せていきました。拾った猫のトラ吉の次が拾った亀のカメ吉では洒落になりません。ただし陸亀をそのまま放置しておくと路上に出て行く可能性もあり、陸亀の命が危険に曝されるので、警察に連絡をしたのでした。どこかの家で飼っていた陸亀が逃げ出したのではないかと思っていますが、近所迷惑なことです。この騒動があって工房での梱包作業のヤル気がなくなりました。来週末でも間に合うので、最終的な梱包は次回にしようと思います。今日は時間ができたので、家内と夏季休暇をどこに行こうか話し合いました。私は故宮博物院を見に台湾に行きたいと家内に言いました。たまにはこんな余裕の日があっても良いのではないかと思いました。

週末 7月個展開催と次のステップへ

7月になりました。今月は東京銀座のギャラリーせいほうで個展を開催いたします。毎年やっていて、今年で12回目の個展になります。これも例年のことですが、今月は来年に向けた最新作を始める第一歩となります。最新作のイメージは既にあります。今月は創作活動の次へ繋がるステップになる1ヶ月でもあるのです。次のステップとして、さらにテーブル彫刻を極めたいと思っています。最新作は大小のテーブル彫刻を複数作ろうと考えています。まだ朧気なイメージしかありませんが、思索がまとまれば制作を始めます。出来れば個展開催の前から最新作に入りたいと思っています。今日は個展に出品する「発掘~宙景~」の梱包が全て終わりました。陶彫用の木箱は7箱作りました。「発掘~座景~」は陶彫部品のひとつずつが小さいので、箱数は少なくて済むかなぁと思っています。これは明日やっていきます。ともかく今月は、彫刻の展開が今年の個展出品作から来年の出品作へバトンを引き継ぐ1ヶ月になるので、充実した時間を過ごしたいと願っています。展覧会も大きな美術展が開かれていて、鑑賞も充実させたいと思っています。RECORDは下書きだけで山積みになったものを何とかしたいと考えています。ほぼ3週間分はあるでしょうか。毎晩数日分ずつ彩色や仕上げをやっていけば追いつくのではないかと思います。読書も新しい書籍に挑みたいと考えています。毎年夏になると読書三昧になるのが学生時代からの習慣ですが、ここ数年はなかなか夏休み気分になれなくて、そのままの生活が続いています。夏季休暇はしっかり頂いているのですが、念願のアジア旅行に行ってしまうことが多くて、読書には時間が割けません。今年の夏こそ夏らしくしたいと思っています。

6月は鑑賞が充実

今日は6月の最終日です。今月を振り返ると4日に新作の写真撮影がありました。多くのスタッフが来てくれて、撮影は何とか無事に終えることが出来ました。その画像をもとに案内状を印刷し、先日図録の校正を済ませたところです。ギャラリーせいほうとの打ち合わせも行いました。週末はもっぱら新作の梱包作業に追われました。梱包は来月も続きます。今月は新作の完成まで封印した鑑賞を充実させた1ヶ月でもありました。今日も金曜日の延長開館時間を利用して東京上野の「バベルの塔」展に行ってきました。入館まで30分待ちという、以前の「若冲展」を髣髴とさせる混雑ぶりでした。内容に関する詳しい感想は後日に回します。その他にも京都の細見美術館の「杉浦非水展」や京都国立近代美術館の「戦後ドイツの映画ポスター展」とジュエリーを扱った展覧会、神奈川県立近代美術館葉山の「砂澤ビッキ展」、横須賀美術館の「デンマーク・デザイン展」、東京ステーション・ギャラリーの「アドルフ・ヴェルフリ展」、千葉のDIC川村美術館の「ヴォルス展」、今日行った東京都美術館の「バベルの塔」展と7つの展覧会を見て回りました。映画鑑賞ではアカデミー賞作品賞に輝いた「ムーンライト」、実存する人物を扱った「ローマ法王になる日まで」、民族楽器を通して国々の事情と伝統継承を扱った「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」の3本を、いずれも橫浜市中区のシネマジャック&ベティに観に行きました。1ヶ月で展覧会7つと映画3本は今までにない充実ぶりでした。新作が終わった安堵感と表現への渇望が、この展覧会や映画鑑賞に繋がっていると思っています。来月には個展開催と同時に来年に向けた最新作に取り組む予定で、制作と鑑賞の両輪をバランス良くやっていきたいと思っています。RECORDは下書きが山積みされているので、少しでも完成に到達するように取り組みたいと考えています。読書は2冊同時に読んでいますが、これは継続です。

「伊藤若冲論」幻想の博物誌

自分の鞄に携帯している書籍は「聖別の芸術」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)と「奇想の系譜」(辻 惟雄著 筑摩書房)で、その時の気分によって交互に読んでいます。今回は「奇想の系譜」に登場する江戸時代の絵師伊藤若冲を取り上げます。伊藤若冲は最近、東京都美術館で大きな展覧会があって、その混雑ぶりが話題になったほど私たちに定着している有名絵師ですが、私が学生だった40年前は今のような圧倒的な人気を誇ることはなく、ほとんど知られていなかったように記憶しています。伊藤若冲を広めたのは1970年に初版された本書でなかったかと想像しています。写生画としては円山応挙が有名ですが、若冲は写実の正確さより画面全体を構成する象徴的なフォルムに独特な感性があって、それが現代の鑑賞眼からすると斬新で面白い印象を与えるのではないかと推察しています。本書にこんな文章がありました。「『綵絵』の画面構成は、どれも共通した特色を持っている。それは一種の無重力的拡散の状態に置かれたといってよいような空間である。波状型曲線の組み合わせに還元された動物、植物、鉱物のさまざまなフォルムが、そのつかみどころのない空間のなかで、蠕動し浮遊する。それらのなかには『蓮池遊鮎図』の蓮のように、海底都市とか、火星の植物とかいったSF的な連想を喚び起こすものや、あるいは『老松白凰図』の鳳凰の尾羽の桃色のハート型の乱舞のように、それこそサイケデリックな幻覚を誘い出すものすらある。」(辻 惟雄著)あたかもシュルレアリスムを論じているような文章で、それが現在の若冲人気を裏付けている要素であろうと思っています。

12冊目の図録作成

今月4日に新作の写真撮影が終わり、17日に案内状や図録用の写真を選び、23日に案内状の印刷と図録のレイアウトが出来上がってきました。案内状1000枚はギャラリーせいほうに既に届けてあります。今日は図録の色校正を確認する打ち合わせがありました。先日のNOTE(ブログ)に東京銀座のギャラリーせいほうとの付き合いが12年になったと書きましたが、カメラマンとの付き合いも12年になったわけです。気心が知れた仲というのは、こういうことを言うのでしょうか。画像処理をカメラマン任せでやってもらっても、自分の好みに合う仕上がりになっています。私はずっと同じ大きさ、同じページ数で図録を作ってきました。当初図録のサイズを揃えることに拘るつもりはなかったのですが、同じシリーズの図録が12冊あれば、それなりに説得力をもつものになっていると感じます。よくぞこんな図録を12冊も作ってきたなぁと思っています。図録の最終ページにセルフポートレイトを掲載していますが、12年前に比べると自分の加齢を意識せざるを得ません。今後アップはやめておこうと思いました。私の気に入っているページは、野外工房にスタッフ総勢が出てきて、作品を組み立てている場面を撮影した見開きが好きです。それから室内工房で作品全体を撮影した見開きも気に入っています。図録は集合彫刻を作る者には重要なもので、解体して倉庫に仕舞いこんでしまうと作品を確認できるのは図録だけなのです。図録は自分とカメラマンが協働する作品のひとつです。図録の印刷は2週間を見積もっています。

「土谷武論」 閑寂のかたち

野外展示された彫刻家土谷武の颯爽と空間を切る作品を、折に触れて見てきました。鉄と石を組み合わせ、大きく空間を捉えた作品は、ハッと眼に焼きつく印象を私に与えました。生前の作家を40年も前に一度だけ自分が学んでいた大学でお見受けしました。その時は保田春彦先生に呼ばれてきた感じで、土谷先生は手持ち無沙汰に佇んでおられました。「シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田 遺作・遺稿」(世代工房刊)に保田先生の奥様への追悼文を土谷先生が書かれているのを発見して、保田先生とは公私にわたってお付き合いがあるんだなぁと思っていました。1998年の東京国立近代美術館であった「回顧展」で土谷先生の作品が大きく変貌を遂げていて驚きました。重い鉄を薄く伸ばし皺くちゃにして、まるで紙のようにフワッと置いているのを見て、これはどうやって作るんだろうと不思議に思っていました。その意図するところや制作状況を「聖別の芸術」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)に記されていたので、引用いたします。意図するところは「土谷は閑寂というような、たとえ誰かがよほどの感性を密かに自負していたとしても、聞こうとして聞けず、触れようとしても、見ようとしても、探そうとしても、空に空を切るように手応えとてない、だだっ広い宙空の、しかし現にある八百万の無のかたちを正視して、そのかたちを目に見える彫刻に響かせて我々の前に提出してくれる。」というもので、成程こういうことかと思いました。制作に関しては作者の言葉が掲載されていましたので、そのまま載せます。「私は鉄のトンネルの外側からバーナーで炙り、手伝ってくれる若い彫刻家たちがトンネルの内と外に分かれ、真赤になった鉄をハンマーで叩く側と当て金をもって支える側になる。もちろん耳栓をしてヘルメットをかぶり、作業用眼鏡、革手袋、作業服、安全靴で身を固め、内と外は適宜に交替し、休息も十分とりながらとはいえ、延々といつ終わるとも知れない仕事が続く。時には我慢の限界を超えることもあったかと思うが若い仲間たちはよくついてきてくれた。我々は力を尽くして得心のゆくまで、つまり、虫の領域の出現するまで真赤に炙って叩きに叩くのである。」凄まじい制作振りが伺える文章でした。

DM持参でギャラリーへ

個展のダイレクトメール(案内状)が先週金曜日に出来上がってきました。それを1000枚持参して東京銀座のギャラリーせいほうへ行ってきました。職場で半日年休をいただいて、久しぶりに銀座に出かけ、ギャラリーせいほうの田中さんに会ってきました。私は個展を毎年開催していて、今回で12回目の個展になります。田中さんとの付き合いも12年になりました。初めの頃は作品のストックもかなりあって、余裕のある中で個展を開催していましたが、毎年発表しているためストックがなくなり、今では自転車操業になって完成まで危ない綱渡りをしながら、何とか個展に間に合わせています。週末になると制作に鬼気迫るものがあり、精神的に自分を追い詰めていくのが当たり前になっています。「1年間かけて制作してきて、これが限界だ。」と個展中自分がつい言葉にしてしまう台詞ですが、これが本音であり、また雑念を取り除いてフロー状態に自分をもっていく快感でもあるのです。集中力にも緩急があることが12年もの長い間に極意がわかってきました。さほど緊張を伴わない労働の蓄積が暫く続いて、そこを生かすために最終的に緊迫した制作になっていくのです。図録撮影日の2ヶ月くらい前が緊張のピークです。実はその時は職場も年度末と年度当初の過渡期になって多忙を極めているのです。公務員と彫刻家の二束の草鞋生活が上手くいかないと感じるのは、この時だけです。それでも何とか乗り切れば、人間らしい生活を取り戻してきて、美術館や映画鑑賞を楽しむことができるのです。今日は搬入の打ち合わせもしてきました。今回が12回目となると搬入や搬出も慣れたもので、自分の作品のことをよく知ったスタッフたちが手伝ってくれるのが有り難いと感じます。いよいよ7月個展に向けて自覚が芽生えてきました。

週末 陶彫用木箱を作り始める

工房は朝からスタッフが2人来ていて活気がありました。中国籍のスタッフは日本の浴衣が欲しくて、家内が知り合いの呉服屋に彼女を連れて行き、浴衣選びをしたようです。気に入った浴衣を購入して、工房に帰ってきた彼女は上機嫌でした。彼女は呉服屋で浴衣を選んでいる最中も、中国の母親に画像を送って、母親にも意見を求めていたらしく、家内と中国の母親の趣向が一致したので、これにしたんだと私にも画像を見せてくれました。ネットで世界は狭くなったなぁと思いつつ、美人で細身の彼女には浴衣がよく似合っていました。工房では新作の梱包が進み、シートで覆う木彫部品の梱包は終了しました。残るは陶彫部品の梱包で、このために毎年木箱を用意しています。最初の頃は陶彫部品のサイズによって木箱の大きさを変えていましたが、板材に無駄が出るので、ここ数年は同じ大きさの木箱を作っています。木箱には複数個の陶彫部品を入れるようにしていますが、あまりひとつの箱に重量がかからないように調整しています。昨日購入してきた板材を組み立て、とりあえず3箱作りましたが、今回はどのくらいの木箱が必要なのか、陶彫部品を箱に収めながら作っていきたいと思っています。同時に個展搬出後、倉庫に新作が収まるかどうか考えていかなければなりません。売れないことを前提にしている自分が情けないのですが、倉庫はかなり狭くなってしまっていて、工夫しなければ収まりません。また来週末に考えていきます。

週末 梱包に明け暮れる

週末になりました。集合彫刻を分解したカタチでそれぞれ梱包するのは、かなり手間がかかる作業ですが、個展に向けて安全な搬入・搬出と、作品を倉庫に保管をするためには仕方のないことだと割り切っています。梱包は創作活動のような面白みはありません。他の彫刻家はどうしているのかなぁと思いつつ、ひとつずつ柱陶をエアキャップで覆ってシートに包みます。台座や柱陶はシートに包みますが、陶彫部品は木箱を作って入れています。そろそろ木箱を準備しなければならず、夕方は板材を買いに専門店に行きました。梱包をしている時は、創作をしている時以上に店に出かけて、材料の追加購入があります。今日は運搬業者との打ち合わせもありました。あれこれやっているうちに時間が流れていきます。梱包作業は、創作活動のような精神の高揚がないため漫然と時間を過ごしているので、早く新しい作品に取り組みたいと思っています。新作を併行してやってしまうと、梱包は遅々として進まない状況に陥るので、梱包が3分の2以上終わったところで、新作に手を出そうと思っています。前まで同時に作っていた「発掘~宙景~」のもうひとつの作品が傍に置いてあって、気になって仕方がありません。今日来ていた若いスタッフは自らの作品のための実験を繰り返していて、私は遠くから羨ましいそうに見ていました。新作に早く取り組みたいという思いを堪えて、明日も梱包作業の続きです。

映画「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」雑感

仕事から帰った夜の時間帯にミニシアターに出かけ、「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」を観て来ました。これは家内が希望した映画で、家内は胡弓奏者としてこの映画が主張する伝統継承についての確認をしたかったようでした。家内は「私がやろうとしているのは間違っていない」と何度も感想を洩らしていました。世界的なチェロ奏者として知られるヨーヨー・マは幼い頃から才能を発揮し、クラシック界では神童と呼ばれるようになりました。彼が高いモチベーションを保つため、世界の民族楽器を集めてアンサンブルを行ったのが、シルクロード・プロジェクトでした。実験的だったプロジェクトは高次元で融合されるようになり、映画では終始その響きが流れていて、その豊かな楽想に魅了されました。社会情勢が微妙なアジアや中東の音楽家たちは、伝統楽器の巧者になっても後進を指導することは叶わず、幾多の試練を乗り越えて、プロジェクトに参加していました。準主役のケイハン・カルホールはイラン出身の伝統弦楽器奏者、同じく中国出身のウー・マンは女流の中国琵琶奏者、クラリネット奏者のキナン・アズメはシリア出身、女流バグパイプ奏者のクリスティーナ・パトはスペインのガリシア出身、その他にも多彩な音楽家たちが自国の文化とともに取り上げられていました。伝統はそのままでは廃れる一方で、常に新しいコラボレーションを探り、融和と対峙を繰り返しながら、現代の民衆に合った多彩な表現を手中におさめなければなりません。これがこの映画が求めている伝統継承の姿だろうと思います。音楽の意義を問う場面が随所にあり、それは私がやっている造形美術にも通じる要素で、自分は何のために創作活動を行っているのか、この映画を観てその根幹を問いただすことになりました。家内も私も有意義な時間を過ごせたと思っています。

アンフォルメルとヴォルスの関係

先日、DIC川村記念美術館で開催されていた「ヴォルス展」に行き、ヴォルスが生きた時代に興った美術の潮流に思いを馳せる機会を持ちました。それはアンフォルメルという一連の動きで、仏語で非定型な芸術という意味です。代表される芸術家はデュビュッフェやフォートリエ、マチュー等でフランスを起点に活動しましたが、アメリカでもポロックに代表されるアクション・ペインティングが始まりました。第二次大戦後の都市破壊が夥しい混沌とした社会情勢の中で、アンフォルメルは戦争による不条理を経験した人々が、自己の存在や実存を探る動きでもありました。そうであるならヴォルスが産み落とした痛々しい作品の数々は、まさにアンフォルメルそのものであったように思います。図録によると「ヴォルスの作品こそが『アンフォルメル絵画』の最深の地平にまで到達していると仮定するなら、『アンフォルメル絵画』とは、ひたすら『感覚』によってだけ人間の崩壊を追求しようとした、不可能に挑んだ偉大な、しかし必敗を運命づけられた試みのことではないだろうか。」(千葉成夫解説)とありました。私が40年前に読んだ「見えない彫刻」(飯田善国著 小沢書店)にはこう記されています。「ヴォルスは戦後美術の出発点である。近代的自我の泥沼の中の格闘から彼は自我を解放した。彼はヨーロッパ二千年の文化の崩壊をその眼で確かに見たのである。『虚無』を媒介にして彼は自我の袋小路から超越の世界へ一歩踏み出して死んだ。彼は『零』の意識そのものである。そこから戦後の美術家たちは出発した。~略~ヴォルスが表現した空間は『虚無の深淵に漂っている意識の宇宙』とでもいうよりほかいいようのない怖ろしい悪魔の世界であったが、そこでは近代的自我は粉々に砕け散って暗黒の宇宙にさながらきれぎれに飛び散る星雲の細片のように見えるが、仔細に見ると粉々に砕け散った自我の微小な細片を一つの中心に収斂する重力が存在しているのであって、これを超自我と名付けてよいかもしれない。」(飯田善国著)些か難しい言い回しもありますが、ヴォルスの現代絵画史での立ち位置がわかる論評ではないかと思います。

千葉佐倉の「ヴォルス展」

DIC川村記念美術館は、千葉県佐倉市の森の中にあって中世の城を彷彿とさせる美しい景観を持つ美術館です。ここでは私の感覚を擽る企画展が時々あって、橫浜から遠い美術館でもよく出かけます。箱の造形作家コーネルや、黒い家具のような彫刻を作ったニーヴェルスンの展覧会は、この美術館で見ることが出来ました。今回の「ヴォルス展」も同様で、自分にとっては長い間、謎に包まれた画家の全貌を知ることが出来た展覧会でした。先日のNOTE(ブログ)で書いた通り、20代初めに私はまず評論でヴォルスを知りました。絵画を見ることがその後になってしまったので、先入観を払拭することが出来なかった画家でしたが、今回まとまった作品を見て、漸く自分なりのヴォルス・ワールドを捉え直すことが出来ました。ドイツの裕福な家庭に育ったヴォルスは、音楽や学問に長けていたようですが、父亡き後は家を離れ、フランスに渡り、どこまでも彷徨を続けていました。第二次大戦が勃発して、収容所生活を送る羽目になったヴォルスでしたが、15歳年上のフランス国籍を持つ女性と結婚したことで釈放され、写真で稼ぎながら内面を吐露した絵画も始めていました。睡眠を取らず、酒に溺れ、自暴自棄とも思える生活の果てに腐りかけた馬肉で食中毒を起こして38歳で他界、これがヴォルスの人生でした。図録によると「本当は、たぶん、自身の内面に向かってしか彷徨できなくなった彼が絵画に捉われてしまった、ということなのだ。~略~そう考えなければ、そこから死までわずか12年あまりの、作品数からいってもそのなかみからいっても濃密な、濃密というよりあまりにも集中的で、没我的で、見方によっては自己滅却的ないし自己放棄的な制作のありようをうまく理解することができない。」(千葉成夫解説)とあります。まさに作品は危険な要素を孕んだ切迫感のあるものばかりで、このNOTE(ブログ)では語り尽くせないため、また機会を改めてヴォルスの世界観を探りたいと思います。