「歩行」と「ユニット・オブジェ」

東京虎ノ門にある菊池寛実 智美術館で開催している「八木一夫と清水九兵衛 陶芸と彫刻のあいだで」展で、私は2人の巨匠のうちそれぞれ1点ずつの作品を選んで感想を述べたいと思います。まず八木一夫は「歩行」です。バランスが悪くて立たないのか、作品は壁に沿って置いてありました。「歩行」はいくつかのカタチを組み合わせたレリーフという按配です。自分が作り続けている「発掘シリーズ」に近い作風があって、とても親近感を持ちました。ただし、同作品は人体を抽象化するまでデフォルメしていて、有機的な彫り込みや突起物があって、ユーモラスな感じです。八木一夫の代表作「ザムザ氏の散歩」にも見られる傾向ですが、表情を持った陶彫が歩き出しそうな仕草をしています。あたかも幼児が立ち上がってヨチヨチ歩きをしたような印象です。抽象形態なのに、何かホッとするような温かさを感じるのは、陶芸という手作業から作り出されたものだからでしょうか。八木一夫の作品にはスペインの画家ミロのような奔放な線描が施してあるものがあって、心が解放される楽しさが漲っています。幾何抽象に近づいていても決して冷たくならない要素があるのです。清水九兵衛は対照的な作家です。私は最初に見たのがステンレスの彫刻だったためか、設計された造形という要素が強く、鋭利な抽象形態を頭に思い浮かべます。美術館に並べられた作品では「ユニット・オブジェ」に注目しました。八木一夫と同じ陶芸なのに、手作業を突き放していてシャープに土を扱おうとしています。「ユニット・オブジェ」には一輪挿という別のタイトルがつけられていて、それがなければ用途には気がつかない造形です。16個の展開があって、縦横に並べられていると、自分の集合彫刻と同じ雰囲気を醸し出していると思いました。同じ形態が少しずつカタチを変えているのを見るのは、私は感覚的に大好きで、時間を忘れて作品の前に佇んでしまいます。清水九兵衛は7代目六兵衛として陶芸界でも活躍されたようですが、私にはどうしても簡素で力強いステンレスを扱う彫刻家の方がしっくりするのです。最初の図版での出会いが衝撃的だったせいかもしれません。野外で空を映し出し、光に反射するシンプルな現代彫刻、私は10代でそれを見て、都市の中に置かれる彫刻の可能性を感じたのでした。当時はまさか自分が陶彫をやるとは思いもせずに、清水九兵衛の野外彫刻を眺めていました。

虎ノ門の「八木一夫と清水九兵衛」展

先日、東京虎ノ門にある菊池寛実 智美術館で開催している「八木一夫と清水九兵衛 陶芸と彫刻のあいだで」展に行ってきました。菊池寛実 智美術館は陶芸を専門にしているにも関わらず、私には馴染みのある美術館ではありませんでした。過去に1回くらいしか訪れたことがなく、昔の記憶を頼りに出かけてきました。大変贅沢な空間を持つ美術館という印象がありましたが、陶の世界では革新的とも言える巨匠2人の作品が点在する空間は、私自身が癒されるほど贅沢な空間と時間がありました。陶芸は生活上の用途があるため雑貨として発展してきましたが、縄文土器や桃山時代の茶器などを見ると、日本人は遊び心に溢れた造形物を作っていて、陶彫が登場する土壌は十分にあったと考えられます。そうした陶芸と彫刻とのあいだを行き来し、前衛の感覚を持ち込んだ2人の作家は、私には稀有な存在と映ります。図録にも気になる箇所がありました。「八木のオブジェ焼きは、器物からの展開であり、その基本な発想は、轆轤で成形して内側の空洞を作り上げながら形づくることである。八木自身、『新しいものと古典との結婚、これが私のねらいです、ピカソやクレーなどの近代絵画としぶい日本のロクロの味を作品の上で、どう調和させるかが私の仕事』と走泥社の結成からまもない頃に語っている。~略~一方、清水のデザイン的な思考は、戦前の10代の頃に学んだ建築やその後の鋳金で培われたものであり、それは設計図や原型を経て、計画したフォルムを実現させる行程をたどる。~略~次第に土を扱いづらいと感じるようになり、若い頃からの彫刻への思いも断ち難く、期待の陶芸家として活躍を続ける傍ら、彫刻への道を歩みだしてゆくのである。」(花里麻理著)もう40年以上も前に大学受験を控えた私が美術雑誌で見たのは、巨大なステンレスの翼が芝生の坂に置かれ、その爽やかな空間に快さを感じた清水九兵衛の彫刻でした。

練馬の「麻田浩展」

先日、自宅のある横浜から東京練馬まで出かけていき、練馬区美術館開催の「麻田浩 静謐なる楽園の廃墟」展を見てきました。画家の没後20年。私は10年前の夏に京都国立近代美術館で「麻田浩展」を見ていました。その時は没後10年と謳われていました。10ごとに回顧展をやっている画家は珍しいし、衰えない人気があるのだろうと思いました。実際、展示されていた数々の大作絵画には深い精神性を秘めた世界観が浮き彫りにされてくるようで、同じモチーフが繰り返し登場しても、飽くことのない不思議な魂が宿っているようでした。画面に散りばめられた具象的な事物は、雄弁な色彩による背景の前に融和や反発をもって配置され、私の心のどこかに眠っている闇に触れてきました。嘗て自分が想像したことがあるような、否、これは初めて見る世界かなぁと意識させるものがありました。図録の中でご子息が書いている一文に注目しました。「沁みを見つめ、キャンバスのこの部分にこういうモチーフを描いてみたいと沸いてくる心の声に従ってモチーフを描いていきます。さらにそのモチーフが描かれた画布の空いた部分に次はこんなモチーフを、という風に。このいわば、イメージの連想ゲームやしりとりのようなやり方、自動筆記的にも思える手法は、実は父が幼い頃から家庭でやっていた遊びの延長線上にあるものでした。~略~病弱であった父は幼い頃から、臥せている時に天井の杉の目を見ては色々な形を夢想したりする子どもでもありました。それと同じことを父は制作のなかで行なっていたことになります。本人は自身の制作をユング心理学派の箱庭療法になぞらえたりもしましたが、この手法の面白いところは、描き進めていくと絵が出来上がる、詩的に云えば、魂が宿るという瞬間がやってくるのです。」デカルコマニーや他の実験を繰り返すことで、感情の襞を表す下塗りを作り、そこに心の声に従う廃物や水滴を描きこんで魂を宿していた絵画。鑑賞者である私は10年ごとに歳を重ね、麻田ワールドをその年齢に相応しい角度で再三鑑賞することになるのかなぁと思ったひと時でした。

六本木の「狩野元信展」

昨日で閉幕した展覧会のことを書くのは躊躇されますが、期間ぎりぎりで飛び込んだ展覧会だったので、ご容赦願えればと思います。狩野派と言えば狩野永徳、そして狩野探幽が有名で、狩野元信は自分には未知の絵師でした。室町時代から400年に亘って天下画工の長として、画壇の頂点に君臨し続けた狩野派は、血縁関係の直系一族だったことが知られています。始祖であった父の正信が将軍足利家の御用絵師に取り立てられ、大きなプロジェクトを任されるに至り、2代目の元信に絵画表現を拡大発展させる土壌を提供したようです。公家や武士と何の所縁もない狩野派が、巨大なパトロンを得て脈々と続いたのは途方もない組織力があったわけで、その組織を築いたのが元信でした。孫の永徳やその孫の探幽といった後世に残る天才絵師に引き継がれていった狩野派の伝統は、元信によって始まったのでした。真・行・草といった「画体」の確立、漢画からやまと絵への幅広い表現拡張、「漢而兼倭」の考えが、元信が主宰する工房によって出来上がってきたと言えます。図録にも「水墨の屏風はひとりで描くのに対して、彩色の場合は絵所による集団制作が想定されていることが分かる。これを考え合わせれば、和を兼ねるようになった元信の制作形態が集団制作、つまり、工房制作であると考えられていた可能性は高い。」(並木誠士著)とありました。個人でも卓抜していた元信は、今回展示されていた「四季花鳥図」を見ても、後世の天才たちと遜色ない表現力を備えていると私は感じました。図録にもその箇所がありました。「『四季花鳥図』に登場する鳥たちの顔や羽を描き出す精緻な線と鮮やかな彩色、硬い岩の輪郭や皺を描出する力強い線、とくに瀧の場面において、目の前に迫ってくるかのような迫力ある松と、音まで聞こえてきそうな瀧の迷いのない線など、個々のモティーフの完成度の高さ、近景から水辺の方へと抜ける視線の誘導の巧みさ、部屋全体のバランスを考え、景物が配置された構図は、元信作品のなかでも群を抜いている。」(池田芙美著)

三連休 窯入れ&水中歩行

昨日は東京の美術館巡りを強行し、今日は些か疲れ気味でしたが、朝から工房に篭りました。今まで成形と彫り込み加飾をやってきた陶彫部品がそろそろ乾燥をしてきたので、今月から焼成を始める予定です。今日は部品のひとつにヤスリをかけて指跡を消していきました。工房の片隅に化粧がけのためのスペースを作り、先日混合した化粧土を降りかけました。窯入れのためにちょっとしたトラブルに見舞われましたが、大きな事態にはならず、そのまま陶彫部品を窯に入れました。今回作ってきた陶彫部品の大きさがいかに大変なことか、窯に入れる段階になって思い知りました。何とか部品のひとつは最終工程に辿り着いたのでした。窯出しは3日後です。また出勤前に窯の様子を見に工房に立ち寄る日々になります。これから週末ごとにヤスリがけ、化粧がけを繰り返し窯に入れていく工程が待っています。単純な作業のようでいて一番神経を使う作業です。今日の昼ごろに工房を抜け出して、久しぶりに近隣のスポーツ施設に顔を出しました。ずっと会費を払っているので、たまには身体を動かそうと思ったのでした。前はよく泳いでいましたが、五十肩を患ってスポーツから遠のいていました。五十肩は治っているのに、身体を動かさないと肩が固まってしまうようで、彫刻制作に支障が出るのではないかという心配があるのです。今日のところはプールに入って1時間ほど水中歩行をしてきました。隣のレーンで気持ち良さそうに泳いでいる人たちを羨ましく感じながら、まず歩行をしてきました。来週はビートバンを使ってキックをやってみようかと思っています。三連休最終日になって、3日間とも充実した時間が過ごせたなぁと振り返っています。

三連休 東京の美術館巡り

三連休の中日です。今日は朝から東京の美術館巡りを行いました。一昨日NOTE(ブログ)に美術鑑賞に対する思いを書きましたが、今日はその実践日でした。巡った展覧会は4つで、いずれも表現が異なる先人達の精神性を秘めた作品からは、苦闘や切磋琢磨が垣間見られ、あらゆる角度から私の心の琴線に触れてきて、今日は途轍もない力に翻弄されてしまいました。さすがに4つの大がかりな展覧会は、一度に見るべきではないかなぁと思い知った一日でした。今日は横浜から行きにくい場所にある美術館から始めました。最初は中村橋駅にある練馬区立美術館に行きました。最近では東横線が途中から副都心線に変わり、ひと頃前に比べれば乗り換えが楽になりました。スマートフォンの案内も役に立っていて、路線や道に迷うことがなくなりました。練馬区立美術館では「麻田浩 静謐なる楽園の廃墟」展が開催されていました。故麻田浩の画業は2007年8月28日に私が京都を訪れた際、京都国立近代美術館の個展で知りました。当時は没後10年と謳われていましたが、今回は没後20年になります。緻密に描かれた具象モティーフが紡ぐ幻想的で深遠な世界を10年越しに見て、改めてその迫力に圧倒されました。次に向ったのは溜池山王駅にある菊池寛実記念 智美術館でした。ここは外国大使館が多い場所なので、トランプ大統領来日に備えて、あちこちに警官が配置されていました。私も職務質問を受けてしまいました。菊池寛実記念 智美術館では「八木一夫と清水九兵衛展」を開催していて、陶芸の概念を器からオブジェに発展させた2人の巨匠のまとまった作品が一堂に会するとあって、私はこの2人展に絶対に行こうと決めていたのでした。陶彫はここから始まったと言っても過言ではなく、2人の革新者がいたからこそ今の自分の世界があると思っています。次に向ったのは六本木駅にあるサントリー美術館でした。10年前から東京ミッドタウンの中にサントリー美術館があって、ここに着いた時は多少疲労を感じましたが、狩野派を磐石にした狩野元信の画業を是非見てみたいという思いが強くて、疲労を忘れて食い入るように墨画著色や淡彩、また金地に描かれた花鳥風月を見ていました。「狩野氏終に元信を得るに至りて天下画工の長となる」という文面が示すように、まさに江戸時代の美術は狩野派が支配していたのでした。最後に向ったのは渋谷駅で、Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「オットー・ネーベル展」でした。画家オットー・ネーベルは日本では知名度がなく、私も初めて知った画家でしたが、クレーやカンディンスキーと同時代を生きたドイツ人で、彼らと交流しつつ、ナチスの迫害を怖れてスイスに亡命した事実を知って、その作品を見てみたくなったのでした。一見クレーの影響が色濃い作品と思われがちな作風ですが、絵の具のテクスチャが異なり、そこにネーベルの独自性があると思いました。今日巡った展覧会についての詳しい感想は後日に回します。ひとつずつ吐き出し口を求めて、NOTE(ブログ)にアップしていく予定です。

三連休 RECORD撮影日

三連休になりました。朝から制作のため工房に篭りました。今日はカメラマン2人がやってきて、RECORDの1年間分の撮影をする日になっていました。RECORDは毎日1点ずつポストカード大の平面作品を作っているもので、文字通りRECORD(記録)と称しているのです。もう10年も続いていて、陶彫制作に匹敵する自分のもうひとつの表現媒体です。RECORDの制作は仕事から帰った夜に限られていて、自宅の食卓が制作場所です。飼い猫のトラ吉が邪魔をすることがありますが、トラ吉を追い払いながら、毎晩制作をやっています。最初の頃はその日のうちに全て完成させていました。このところ下書きだけをその日に終わらせて、仕上げは余裕のある日に回してしまっています。余裕のある日は滅多に来ないため、下書きだけのRECORDが山積みされていくのを横目で見ているのです。精神的に追い詰められてくると、深夜に及んでも仕上げに取り掛かります。カメラマンが来て撮影をするというのが、自分にとって効果的な縛りになっていて、どうしても仕上げに取り掛からなければならない締め切りになるのです。撮影したRECORDはホームページに月毎にコトバを添えてアップします。現在ホームページは昨年の9月分までアップしています。その続きとなる昨年の10月分から今年の9月分まで撮影し、カメラマンが画像処理をしてくれてアップしていきます。撮影している最中に1年前からのRECORDを眺めていると、いろいろな思いが甦ります。この時期は思ったより楽に出来たなぁとか、アイディアに苦しんでいたなぁとか、作品の優劣よりも制作の裏事情の方がクローズアップしてしまいます。そのまま継続して自分が80歳になった時にRECORDは1万点を超えます。あと20年、毎晩コツコツとやっていく日常の蓄積がRECORDの本領です。一気呵成に出来ない時間を積み上げていく表現、これが自分の得意とするところと自負していますが、下書きだけが先行する現在の状況を見ていると、自分に自信が持てなくなっています。カメラマンの撮影が終わった後、今日は陶彫用の化粧掛けの土が不足してきたので数年分を作りました。私は化粧土も混合して作るのです。陶土そのものも土錬機で混合して作りますが、化粧土も単身ではないので、自分は結構手間暇かけているんだなぁと改めて感じました。

私の美術鑑賞について

明日から三連休になりますが、陶彫部品の仕上げと窯入れが制作のメインになると思っています。カメラマンが来てRECORDの1年間分の撮影も予定されています。美術館にも行きたいと思っていて、結構欲張りな三連休になります。美術館巡りは計画をしている今が一番楽しい時で、始まってみるとなかなか骨が折れる日になるかもしれません。今回は美術館へは自分一人で行くことになりそうで、家内やスタッフがいないと私は糸が切れた凧みたいになって常軌を逸することになるからです。次から次へ美術館を渡り歩くうちに、自分は別の世界に入ってしまい、疲れ知らずの人になります。全身が眼になって貪るように作品を鑑賞し、浮世離れした仮想世界に遊んでしまうのです。自宅に帰りつく頃には疲労で倒れそうになり、充満した感覚や思索の吐き出し口を探します。つまり、NOTE(ブログ)に展覧会の感想を毎回丹念にまとめているのは、自分の吐き出し口なのです。私なりの美術鑑賞は、まず美術館入口で冷静になるところから始まります。見たい展覧会は自分の中に知識を溜め込んでいる場合が多く、完全にフラットにはなれませんが、それでも先入観を持たないように努めます。音声ガイドは借りません。時に歴史的な背景などを語ってくれる利点はありますが、同時通訳はフラットな鑑賞の妨げになると信じているからです。作品は大きな構成だろうと構図だろうと、また微妙な細部だろうと気になるところしか見ていません。題名すら確認しないこともあります。コトバにするのは後追いになるので、誰かと一緒でもほとんど会話はしません。展覧会を見終わった後になって思索に耽ります。その参考にするのが図録です。学生時代は金銭がなかったので、図録を立ち読みして自分の雑記帳にメモしていました。今は図録が買えるし、NOTE(ブログ)があるので雑記帳は持たなくなりました。図録の文章はほとんど読みますが、主たる論旨を差し置いて、自分が気に留めた箇所に下線をつけます。それが枝葉であっても自分の創作活動との関係性で読んでいるため、自分の視点で捉えれば重要度が違うのです。NOTE(ブログ)にアップするのはそうした文章です。論評の筆者からすればズレた箇所であろうと思いますが、鑑賞にも論評の解釈にもルールはないので、私なりに図録を利用して勝手な持論を展開しているのです。

11月から窯入れ開始

11月になりました。NOTE(ブログ)のアーカイブを見ると、11月から陶彫制作で焼成に入っていくことが少なからずあります。そろそろ窯入れの季節かなぁと思っていますが、今年は土錬機の不具合で陶土の混合が出来ず、それによって成形や彫り込み加飾が滞ってしまっています。そんな現状を考えると、乾燥が進んだ作品を今月から順次窯に入れていくのがいいと考えています。それには焼成前に陶土にヤスリをかけて指の痕跡を消すことと、鉄赤の化粧掛けを施す作業があります。陶彫制作では焼成は最後の制作工程になります。私は器を作っているわけではないので、焼成されたものを使い勝手を考えて陶の表面を滑らかにする作業はありません。焼成は3日間ほど窯の中に作品を入れておかなければならず、週末に窯入れをすると電気の関係でウィークディの夜は制作が出来ません。今月はそんなことがあるので、山積みされたRECORDの解消に務められるのではないかと思っています。鑑賞は先月同様に充実させていきたいと思っています。秋は見たい展覧会が目白押しです。映画鑑賞もやっていきたいと思っています。今月は声楽家の叔父のリサイタルがあります。久しぶりに音楽に接することになりそうです。読書は故赤瀬川原平著による初期芸術論に引き続き親しみます。今月も頑張っていこうと思っています。

10月を振り返って…

10月最後の日になり、今月の制作状況や鑑賞のことなどを振り返ってみたいと思います。陶彫制作は、成形や彫り込み加飾が完成し乾燥を待っている作品が、今月は5個出来ました。当初は制作目標として8個の完成を目指していましたが、土錬機の不具合によって途中から陶土の混合が出来なくなり、それまで用意していた陶土を使って5個だけ作ったのでした。来月、新しい土錬機が信楽から搬送されてくるので、陶彫成形の続きはまたそこから始めようと思っています。鑑賞は充実していたと思っています。美術館開催の展覧会では「レオナルド・ダヴィンチ展」(そごう美術館)、「運慶展」(東京国立博物館)、「安藤忠雄展」(国立新美術館)、「戸谷成雄展」(武蔵野美術大学美術館)へ行ってきました。その他スタッフが出品していた「ポガティブ展」(多摩美術大学)や池田宗弘先生が出品していた「自由美術展」(国立新美術館)、女子美術大学や武蔵野美術大学の芸祭にも出かけました。映画では「セザンヌと過ごした時間」(シネマジャック&ベティ)を観てきました。職場では1年1回の職員旅行があって、週末が全て使えなかったことを考えると、この制作と鑑賞は頑張っていたと言ってもかまわないのではないかと思っています。その分、RECORDが厳しい状況です。下書きだけを日々作っていて、仕上げをしていない作品が食卓に積まれるようになってしまいました。前にも同じことがあって、やっと解消したにも関わらず、過去の反省が生かせない自分が情けないと思っています。読書も停滞しています。来月はRECORDと読書を何とかしたいと思います。

「戸谷成雄 現れる彫刻」展について

昨日、武蔵野美術大学美術館で開催している「戸谷成雄 現れる彫刻」展を見てきました。彫刻家戸谷成雄氏は同大の教壇に立っておられます。チェンソーで丸太に多角的に無数の切り込みを入れ、それを林立させた「森」シリーズを見て、私は廃墟の街のような雰囲気を感じました。そのまとまった作品群を見たのは2011年に静岡県にあるヴァンジ彫刻庭園美術館での個展でした。「洞窟の記憶」と題された作品を見て、虚の空間の衝撃が私を襲ったのでした。あれから数年が経ち、また戸谷ワールドに触れる機会がやってきました。同大美術館で私が注目した作品は「《境界から》Ⅴ」でした。壁の内外に設置された巨大な実と虚の関係、圧倒的な量塊の前で私自身は戸惑いを隠せませんでした。「《境界から》Ⅴ」は、そこに物質が存在する意味を自分なりに見つめなおした作品でした。図録によると「確かに『ある』と分かっているにもかかわらず見ることはできない何か、はっきりとした形は有していないけれども『ある』ことは確かなもの、そういうものの存在を、その『現れ』のただなかに捉えているのが戸谷の彫刻である、と考えてみたい。~略~ひとつは、実と虚の関係は、いつでもひっくり返りうる可能性をはらんでおり、人間の存在とは、そのふたつのせめぎ合いのうちにあるということである。そしてもうひとつは、実と虚とのあいだの境界にある『表面』の問題の重要性である。~略~彫刻を、内部構造から作られるのではなく、外部の表面から生まれると捉えるようになったとき、求心的な内部構造に代わって現れたのは、多中心的な表面であった。」(田中正之著)というもので、戸谷ワールドの理解をサポートしてくれる文章と思いました。実と虚の関係は、私も大変興味ある空間解釈で、戸谷ワールドの簡潔でストレートな力強さが私を戸惑わせた要因かなぁと思った次第です。

週末 久しぶりに美大の芸祭へ②

昨日に続き、相原工房のスタッフ仲間に加わった美大1年生の誘いで、今日も美大の芸祭にお邪魔しました。今日は東京の小平市にある武蔵野美術大学に行きました。私の他に多摩美術大学の助手2人と職場の人を連れて出かけました。武蔵野美術大学は私の母校で、ここも昨日同様久しぶりに美大に訪れたため、感慨一入になりました。40年前、ここで私は師匠の池田宗弘先生と出会い、共通彫塑にいらした保田春彦先生や若林奮先生の仕事を垣間見ながら、それまでは考えも及ばなかった遥かなる自分の人生の指針を思い浮かべていたと言っても過言ではありません。私はすっかり彫刻の魔物に憑かれてしまったわけで、当時の自分が悩み苦しんだ場所が今も残っているのです。それを再確認するために久しぶりに母校の芸祭にやってきたのでした。台風が近づいていたため今日は生憎の雨になりましたが、4人で相原工房から武蔵野美大へ向けて9時半ごろに出発しました。車で同大到着まで2時間はかかりました。現在、武蔵野美大美術館では「戸谷成雄 現れる彫刻」展を開催していて、木材をチェンソーで刻みつけた「森」シリーズの彫刻家によるスケールの大きい作品に圧倒されました。実材がそこに存在する意味を問う根源的な世界観に触れました。詳しい感想は後日改めたいと思います。訪ねたスタッフは芸祭の役員をやっていて、全て案内してもらうまではいきませんでしたが、専攻ごとの展示作品や小さな販売品はかなり充実していて楽しめました。彫刻棟の大きな作業場をじっくり見て、ここで彫刻を学んだ学生たちの卒業後を思わないではいられませんでした。いったいどのくらいの学生が彫刻を続けていかれるのでしょうか。整った設備、自由になる時間、凌ぎを削る仲間たち、理想的な創作環境のもとで4年間を過ごし、そのまま彫刻をきっぱり諦めることが出来るのでしょうか。私は創作に夢中になればなるほど精神状態が尋常でなくなり、そこから抜けられなくなったのでした。あれから40年が経ち、今も私は彫刻棟の片隅の出発点から少しばかり歩いたところにいるのです。40年もの間、私は何をしてきたのでしょうか。目の前にいる学生たちと、私はどのくらい距離があるのでしょうか。私なりに進化したところはどこにあるのでしょうか。それを感じるために今日はここにやってきたのです。もう一度私自身を捉え直し、明日からの再出発にしたいと考えました。

週末 久しぶりに美大の芸祭へ①

相原工房に出入りしているスタッフのうち、新しいメンバーとして加わったのが20歳前の2人の美大生です。2人とも美大の1年生になったばかりで、初めての学園祭(美大では芸祭と言います)を楽しみにしていて、私は彼女たちに芸祭に誘われました。私も久しぶりに芸祭に行ってみようと思って、今日は相模原にある女子美術大学に職場の人を2人連れて出かけました。女子大にオジさん一人で出かけるのはどうだろうと迷っていたら、女性職員が快く同行をしてくれたのでした。公私にわたって組織は有り難いなぁと思いました。久しぶりに出かけた芸祭は楽しくて時間が経つのを忘れました。学生たちの創作に対する真摯な姿が垣間見れたことや、これからの発展が楽しみな作品に出会えたことが、楽しかった要因です。女子美は総体的に日本画が優れていると思ったこと、モティーフに鶏と金魚が多かったこと、女子美に限らないと思いますがアニメの影響が色濃く出ている作品が目立ったことが感想として挙げられますが、何よりも学習環境の素晴らしさは絶品だと感じました。以前に美大の芸祭に行った時の感想をNOTE(ブログ)に書いたと記憶していますが、申し分のない素晴らしい施設、さらに切磋琢磨できる仲間がいる中で、4年間自分の好きなことをやっていて、やがて社会に出て翻弄される学生も少なからずいるのではないかと心配していますが、どうでしょうか。人生の中で天から与えられた貴重な時間を有効に使っていると考えている学生もいて、美大を出たら創作は止めると言い切る子も私の周辺にはいました。私自身は未練がましい性格なので、20歳の頃に人生を賭けようと決めた創作活動を60歳になってもなお続けている有様です。芸祭を案内してくれた若いスタッフは、まだ将来のことは何も考えられないと言っていて、18歳の溌溂とした彼女には精一杯美大での生活を楽しんで欲しいと願った次第です。今日は芸祭から早めに帰宅したので、工房に行って2時間ほど作業をしてきました。若い世代の伸びしろがある作品に接してくると、私も意欲が湧いてくるのです。オジさんもまだまだ頑張るぞと思った一日でした。

やっと金曜日…

私自身の進退を問うヒアリングがあったり、関係者との深夜に及ぶ相談があったり、来年度の職員との人事面談が始まったりして、今週はなかなか密度の濃い1週間を過ごしていました。やっと金曜日になったという実感がありますが、多少でも早く帰れる日があれば、今週は工房にも通いました。仕事を精一杯していた充実感はありますが、精神的な負担もあります。職場は多くの職員が私を支えてくれているので、どんなことがあっても私が挫けることはありません。組織は有り難いなぁと思っています。その組織を作るのは私で、お互いの人間関係が育まれていくことを考えれば、来年度に向けた人事面での仕事は大きな比重を占めていると言っても過言ではありません。現在、その第一歩が始まっているのです。一方、彫刻制作は私一人の仕事で、個展の搬入搬出時のスタッフの援護があっても、制作の基本は私だけです。昼間の仕事にない自由さと厳しさがここにはありますが、場面によっては昼間の仕事より苦しい時もあります。昼間の仕事をしていると自己に向き合う場面が少なく、常に職員のため、組織のためという考えで過ごしていることがほとんどです。それに対して彫刻は自己表現なので自分以外は眼中にありません。よくぞバランスが取れた日常を獲得したものだと今になって思っています。創作活動の楽しさは一言では言えず、魔物に憑かれたような感じがしています。自己と向き合っていると自分の良いところも嫌なところも全部曝されてしまうのです。自分の個性が発揮されるところを自分で探し出し、創作活動では得意分野で勝負をかけるようにしています。それが私の場合は陶彫による集合彫刻だと言えます。昼間の仕事でも私は無意識に職員の前で自分を曝していることもあると感じています。私の嫌な面も見ているだろうに、それでも職員は私についてきてくれるのが嬉しいし、私の頑張りに繋がっているのかなぁと思います。やっと金曜日…。疲れに任せて今日は取り留めのないことを書いてしまいました。ご容赦ください。

陶彫加飾とRECORD

今日のタイトルはウィークディの夜に制作をやっている2つの作品のことです。まず、陶彫加飾とは成形が終わった陶彫部品の表面に彫り込みを加えていくことで、陶彫部品が集合した時に、彫刻全体に微妙な視覚効果を与えるのです。古代の出土品には文様が彫り込まれていることが多く、それが文字であったり、何かを示す記号であったり、飾りであったりしています。私は現代都市の在り様を単純なパターンにして刻んでいるのです。発掘された出土品に似せた土質に、現代的な幾何文様を刻印し、文様の配列等に秩序をもたせています。基盤として作品には自由な発想がありますが、部分制作としては手枷足枷の退屈な作業を自分に課しているのです。その加飾作業は視野が狭くなっても可能なので、夜の時間帯に工房で集中してやっています。同時に自宅ではRECORDに取り組まなければならず、工房から自宅に戻って、食卓で小さな平面を取り出し、イメージを絞り出します。RECORD(記録)は文字通り、日々の記録をしていくもので、日記の代わりにポストカード大の平面作品を作っているのです。仕事から帰れば、自宅で夕食をとったり、風呂に入ったりしてのんびりとした時間を過ごし、翌日の英気を養うのが一般的ですが、私の最近の10年間は工房や自宅での制作に追われる日常を過ごしています。再任用管理職で2年目を迎え、二足の草鞋生活をここまで引っ張るとは思ってもみなかったというのが実感としてあります。それでも何とかやっていけるし、もう一年くらいはこの生活で大丈夫かなぁと思っているこの頃です。

神奈川新聞掲載の映像表現

本日付の神奈川新聞に、先日職場で行ったプロジェクション・マッピングがカラー写真とともに掲載されています。このNOTE(ブログ)では、私たちの職種を敢えて公表せずにやってきましたが、新聞の記事には私の氏名を含め、全てが明るみに出てしまっています。それでもなお、私はNOTE(ブログ)で職種は公表しないでやっていこうと思います。プロジェクション・マッピングは私自身が興味をもっている映像媒体で、職場に限らず、今後の自己表現の中で活用していきたいと思っているのです。私は彫刻というアナログな分野に固執していて、素材を伴う立体表現に生涯をかけて取り組んでいます。その一方で、ホームページをカメラマンと一緒に立ち上げた頃から、デジタルな画像や映像表現に面白みを感じるようになりました。その最たるものがプロジェクション・マッピングです。職場は大学の映像メディア研究室と連携していて、私は職場の代表として大学の教授にお会いする機会がありますが、自分の作品にこうした映像表現を取り入れたいために、管理職としてではなく個人でも研究室と繋がっていきたいと考えています。プロジェクション・マッピングは空間演出の可能性を広げ、実在の空間とは異質な世界を表現できます。演劇やショービジネスでは一般的になった技法ですが、まだまだ展開できる余地を十分残した表現媒体だと思っています。

昭和41年の「千円札裁判」

遅読というより、もう滞読と言ってもいいくらいの読書習慣になってしまった私ですが、「オブジェを持った無産者」(赤瀬川原平著 河出書房新社)を読んでいて、漸く著者が本書の主題にしていた「千円札裁判」の意見陳述に辿り着きました。裁判所に提出した本人記述の記録文書が、ここに全て掲載されていました。それは昭和41年8月10日の一審から昭和42年5月16日、昭和44年1月29日の上告趣意書に至る文書が、おそらく原文のままで読むことが出来るようになっています。著者である故赤瀬川原平氏が被告人となった事件「千円札裁判」は、通貨及証券模造取締法違反として裁判にかけられたもので、千円札の巨大な模型を作ったことで、当時は社会的に物議を醸し出したようです。巨大な模型は絵画の範疇に入る現代美術であると被告人は主張し、法や権力に対して果敢に芸術論を展開していた模様で、今でもこの文書に対して私は興味関心を持っています。紙幣に似せている作品は、偽札とは言わないまでも社会に混乱を齎すというのが法廷の論理ですが、被害者のいない事件は果たして犯罪となりうるのか、被告人が自問自答している箇所は、ブラックユーモアのように思えてなりません。文中から引用すると「私は芸術と科学とは、それを行う者の衝動或は欲求に於て非常に共通したものを見るのですが、決定的に違う事は、科学というものが矛盾の解決に向うのに対して、芸術は矛盾というものがあっても必ずしもそれの解決に向うものではないという事です。それでは法律、あるいは裁判とはどういうものでしょうか。芸術は常に矛盾を残し、解決を残していくあいまいなものであり、決定的な判断を下すものではないが、法律というものは、例えば『紙幣に紛らわしき外観を有するもの』という様なあいまいなことばに基いて、決定的な判断を下そうとするのであります。」といった具合で、芸術とは何かを説明する場面が多々あります。記録文書に面白みを感じるのは、これは日常生活の中で慣れ親しんだ事例や事物に対し、その価値を疑問視また刺激する現代芸術の考え方を説いているところがあって、デュシャンの便器(レディメイドによるオブジェ)を引き合いに出しながら、現在では当たり前になった考えをいち早く標榜しているのです。こんな一文もありました。「あるいは失礼ないい方かもしれませんが、この法廷のありのままをのべますと、検察庁の方々は職業としての報酬を受けながら現代芸術の講義を聞き、いわばわれわれ講師陣は手弁当で、身銭をきって講義を行なければならなかったのであります。」やれやれ、日本のシュルレアリスムは刺激的な出航をしましたが、これが欧米ならば後世の美術史に残る大変な事件になっていたのではないでしょうか。

HPのGalleryに「丘陵」をアップ

一昨年の個展で発表した「発掘~丘陵~」をホームページにアップしました。ホームページはカメラマンの画像表現に任せるところが大きく、自分との共同作業で作っているアイテムです。土を練って成形と加飾を行い、窯入れをして完成させる陶彫はアナログの極致です。電気窯の温度を制御するため電子機器が使われている以外は、全て手で作り上げる作品のため、縄文や弥生時代の出土品のような雰囲気を醸し出していこうと、私は意図的に考えているのです。そうした原始的な作品をデジタルの画像にして、その効果を最大限に生かしているのが、私のホームページです。幾度かNOTE(ブログ)で取上げているアナログとデジタルの違いを感じ取れるのが、こうしたホームページだろうと思います。立体作品は実在なるが故に、光と影が織り成す面白みがあるのです。写真に撮ってみると意外な視覚効果のある平面作品が生まれます。それを制作者である彫刻家ではなく、カメラマンに託すことで世界観が広がると私は考えています。「発掘~丘陵~」は木材で作った4体の土台に、40個の同じ形態をした陶彫部品を乗せた集合彫刻で、パノラマのように俯瞰できる景観を作り出しました。なだらかな丘陵を厚板で階段状にして、そこに砂マチエールを施し、陶彫部品との一体化を図りました。カメラマンはカメラを携えて、彫刻の中を散歩して「発掘~丘陵~」の光と影を捉えます。切り取った画像は、初めのイメージを超えて、別の作品のような感じを持ちます。また画像を眺めていると、制作当時のことを振り返る機会にもなります。筒型の陶彫部品は、寒々とした冬に一晩にひとつずつ作った記憶があるので、何年か前に私はウィークディの夜に工房に頻繁に通ってきていたのです。40個を作り終えた時にホッとした思い出が甦ります。「発掘~丘陵~」をアップするにあたり、私は毎晩坦々と陶彫部品を作っていた気持ちを、丘陵を歩く自分に見立ててコトバを綴りました。Galleryのページを見るには左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉が表示されますので、Galleryをクリックしていただければ、そのページに入れます。ご高覧いただければ幸いです。

週末 衆院選&陶彫成形

今日は衆議院選挙がありました。私は海外で暮らしていた数年間を除いて、ほとんど選挙には出かけています。両親は決して国政に興味があったとは思えないのですが、国民の務めとして選挙には行くべきだという真面目な姿勢があったため、20歳になった時から自分は両親と選挙に行っていました。若い頃、政治色の強い演劇や映画を頻繁に観ていたくせに、私は足元の国政には興味が持てず、両親と出かけた会場で何となく投票する人を決めていました。30代で公務員になり、50代で管理職になってから、私たちの職種に大きく関わる政党や立候補者の政策を確認するようになり、私の小さな一票が私たちの職種に有益なことを齎せてくれるように願うようになりました。そんなわけで今日は朝から選挙に行ってきました。現在、私は自分たちの職種ばかりの状況だけでなく、国際情勢や日本が置かれている立場にも関心があるのは、管理職としての自覚ではないかと思っています。選挙の後、工房に篭りました。台風が接近しているようで、時折強い雨風が工房の外壁に当たっていました。現在の土錬機で混合した陶土が今日でいよいよ最後になりました。先日から土錬機のモーターが壊れていて陶土が作れていません。新しい土錬機は来月搬送されてくることになっているので、今日作った5個目の「根」部分の陶彫部品で一旦成形を休みます。現在ある陶土は全て使い切りました。またいつものように彫り込み加飾は、ウィークディの夜に工房に通って作業をしようと思います。今後の制作目標が大きく変わりますが、こればかりは仕方ありません。次回から乾燥した大きな陶彫部品をヤスリで仕上げて、化粧掛けを施して窯に入れていこうと思います。新しい土錬機がやってきたら陶彫成形の続きを行うことにします。窯での焼成が始まると、電気の関係で暫し工房が使えなくなります。ウィークディにやってくるスタッフにも伝えておかなければなりません。土錬機のアクシデントはありましたが、制作工程は良い具合に進んでいます。来月は再来月との工程の差し替えをやって、今年は早い時期に窯入れを行うことになりそうです。

週末 職員旅行から帰って…

昨夜、職場ではイベント終了時から皆で慰安を兼ねて箱根に旅行に出かけました。私は家の用事があるため、自分の自家用車を使って箱根に向かいましたが、職員は大型ワンボックスカーに乗って行きました。湯に浸かったり、美味しい料理に舌鼓を打ったり、若手職員が仕込んできたレクリェーションをやって、全員で楽しく一夜を過ごしました。私たちは研修好きな職員が多いため、二次会はベテラン職員から若手職員に対する人材育成のような会になってしまいましたが、それでも和気あいあいとした雰囲気はありました。1年に一度はこういった機会があった方がよいと私は思っています。今日は箱根から帰ってきました。午後は工房で作業を行いましたが、早々に切り上げて、家内と買い物に出ました。実は2つある私の眼鏡のうちひとつが壊れてしまい、視力も最近衰えてきたので、新しい眼鏡を購入したいと前から思っていたのでした。私の行きつけの眼科は横浜駅にあるスカイビルです。そこで検眼をやってもらい、隣接された眼鏡店でフレームを選びました。私は二足の草鞋生活を送っているため、横浜市公務員としての顔と彫刻家としての顔を変えたいと思っていて、眼鏡はそのための重要なアイテムなのです。今回購入した眼鏡は彫刻家用です。ちょっと芸術家風に見えるお洒落なフレームにしました。形振り構わずやってきた二足の草鞋生活ですが、ちょっぴり眼鏡でカッコつけたいと思ったひと時でした。

イベントを盛り上げる映像

私の職場は年間に何回か、職場全体をあげて大きなイベントを企画しています。昨日と今日は連続してイベントを行いました。それが何のイベントなのか、同業者の中には察する方もいらっしゃいます。NOTE(ブログ)は拡散するので、具体的に職業を申し上げられないのが残念ですが、そのイベントの中で使った映像媒体がとても効果的なので、私はいろいろな場面で宣伝をしていて、このNOTE(ブログ)でも広報している次第です。映像媒体とはプロジェクション・マッピングのことです。横浜のみなとみらい地区にあるドッグヤード・ガーデンや東京ディズニーランドでも、建造物に映像を映し出して見事な演出を行っています。それを私の職場では、大きな室内を使って行っているのです。昨年は初めての試みだったため、成功するかどうかわからなかったので、近隣にしか知らせませんでした。今年は神奈川新聞社を呼んで取材を依頼しました。昨年は大学の映像研究室から借りた機材で行っていたプロジェクション・マッピングでしたが、今年は予算の中で強力なプロジェクターを購入し、昨年に続いて映像専攻の大学生にも手伝ってもらい、自分たちの手で作り上げたのでした。プロジェクション・マッピングはまだまだ可能性のある映像媒体だと私は思っています。演劇やショービジネスの中では一般的な方法になってきたプロジェクション・マッピングですが、私たちの職種ではなかなか浸透しない媒体です。イベントの達成感は充分あるので、試したいとお考えのある職場の方であれば連絡をください。と言っても同業者でなければ分からない連絡先なので、このNOTE(ブログ)を読んでいただいている多くの方々には失礼を申し上げますが、そのうちプロジェクション・マッピングを使った本職場のイベント状況が神奈川新聞に掲載されますので、そこで情報を仕入れていただければ幸いです。

「住吉の長屋」建築の原点

先日より「安藤忠雄展」について書いています。個展会場である東京六本木の国立新美術館には、実寸大の「光の教会」を初め、多くの巨大な展示が後半部分の空間を占めていて、まさに壮観な感じがします。ヨーロッパの古都では歴史的建造物をそのままにして、内部にコンクリートの壁で囲まれた空間を挿入して、現代美術館に再生したプロジェクトがありましたが、街の景観を残すコンセプトに、私は賛同いたします。豊かな自然を取り入れた建造物も、立地を生かす工夫が凝らされていて、未来の建築のあり方を見ているようで、その発想に驚いてしまいます。その原点は、安藤氏がまだ駆け出しの頃にデザインした、狭い路地に建つ長屋の再生ではなかったかと思います。図録の中にある本人の文章を引用します。「私の建築活動は、都市住宅の設計からスタートしました。そのひとつひとつの仕事に無我夢中で取り組み、試行錯誤する中で『徹底して単純な幾何形態の内に、複雑多様な空間のシーンを展開させる』あるいは『コンクリートという現代において最もありふれた素材をもって、どこにもないような個性的な空間をつくりだす』といった、今日に至るまでこだわり続けている、私なりの建築のテーマが見つかりました。その意味で、私にとって住宅こそが建築の原点です。」安藤氏は大阪の三軒長屋の中央の一軒をコンクリート打ち放しのコートハウスにしました。中庭があるため、雨天の日の部屋から部屋への移動には傘が必要となる住宅ですが、そこに住む人が多少の不便を抱えても、「住吉の長屋」に住みたいと思うのは空間の美しさ故でしょうか。建築家の個性に惚れぬいた人なら、それも可能でしょうが、生活雑貨に溢れた無秩序な生活ぶりになってしまう可能性がある人は、自分を律することの方が厳しいかもしれません。

「光の教会」室内にて

先日見に行った東京六本木の国立新美術館の「安藤忠雄展」。建築家の展覧会としては破格の規模で、作品をひとつずつ丁寧に見ていくと、どのくらいの時間がかかるのだろうと思わせる充実した内容でした。安藤氏が命がけで取り組んできた大小建築物の数々に思わず引き込まれて、安藤氏の人生そのものが魅力的に感じられたのは私だけではないはずです。私は高校時代に一時建築家を志しましたが、安藤氏が実践した「都市ゲリラ住居」は、私の発想になくそのパワーに脱帽しました。その頃の私は大学の建築科に入って、有名建築家の事務所に就職するという定番な人生選択を考えていたのでした。展覧会で度肝を抜かれた作品に、野外設置された実物の「光の教会」がありました。建築は図面があればどこでも実物を建てることが可能ということを改めて知った次第です。「光の教会」は最小の建築資材を使って、教会内部に最大の効果が得られる工夫が凝らされています。コンクリートの壁一面に十字の穴をあけて、そこから差し込む光によって厳粛な宗教空間が浮かび上がってくるのです。私は「光の教会」の室内に暫し留まって、その空気に触れ、光の十字架に手をかざしました。宗教観は別として、光の恩恵に私は崇高なる神とも言うべき何者かの存在を感じました。そんな演出をシンプルな構造体の中で体験できるのは、建築のもつ強さではなかろうかと思いました。それに関して安藤氏による図録の文章を拾ってみます。「私が試みるのが、徹底してモノを削ぎ落とした無地のキャンバスのような建築です。そこに光や風といった自然の断片が引き込まれるときに生まれる空気、その生命力に、人間の魂に訴える力を期待するのです。~略~私は想像力次第で逆境もチャンスとなり得ることを、その原動力はその建築を求めるクライアントとそれに応えるべく奮闘する施工者ー関わる人、皆の思いの強さにかかっているのだということを、改めて教えられました。」

六本木の「安藤忠雄展」

建築家の展覧会は、他の芸術分野に比べると図面や模型がほとんどを占めるため、空間的な面白みを感じないことが多いのですが、先日見に行った東京六本木の国立新美術館で開催している「安藤忠雄展」はまったく展示の様子が異なり、アナログで巨大な模型や鉛筆デッサンを思わせる壁画のような図面やデジタルな建築映像によって、思わず惹きこまれる展覧会になっていました。安藤氏本人が図録の中で書いていることが、そのまま建築家としての苦しかった歩みを物語っているように思えます。「最初の10年くらいは、まず設計の仕事が中々得られない、かろうじて見つかっても敷地も狭く、予算も乏しい…といった状況で、その逆境をいかに乗り越え、自分なりの思いを実現できるか、建築を職業としていくこと自体が挑戦でした。」ここではその一部の紹介に留めますが、独学で建築を学んだ安藤氏が、持ち前のバイタリティと優れた感覚で難題に挑戦していく姿勢は、人生観として見習うべきところが満載です。批評家からの文面の中にも安藤建築の独特なアプローチを見つけることが出来ます。「多種多様な意匠の引用をアイロニカルにコラージュしてみせる磯崎新流のポストモダニズムに対し、一切の無駄を省いたミニマルなコンクリート打ち放しの壁がハードボイルドな印象を与える安藤建築をモダニズムの延長としてとらえることもできるだろうが、都市への広がりをいったん切断するそのラディカルな姿勢ゆえにそれをポストモダンとみなすというのがここでの私の見方である。~以下略ですが、ベネッセアートサイト直島に話題が移行したところで、~建築家はそこで派手なデザインによって自己主張しようとはしていない。地形や眺望を見極めて最適な軸線群を選ぶ。それらに沿って、それ自体としてはシンプルな幾何学的形態の建築を自然に埋め込むように配置する。ただ、内部に眺望や光や風がうまく取り込めるようさまざまな工夫を凝らす。それによって、外延的にはさほど大きくなくとも内包的にきわめて豊かな空間が生み出されるのだ。」(浅田彰著)個々の展示物については機会を改めて書こうと思っています。

劇画「運慶」読後感

東京上野の国立博物館で開催されている「運慶展」のギャラリーショップで面白い書籍を売っていました。運慶を主人公にした劇画です。作者は劇画の創始者として第一線で活躍するさいとうたかを氏で、私は学生時代に「ゴルゴ13」を愛読していたので、さいとう流タッチには親しんでいました。運慶は写実を極めた仏像によって、日本美術史に確固たる地位を築いた仏師ですが、これを漫画ではなく劇画にしたというのが運慶らしさを出していて、その合致性と発想がいいなぁと思いました。運慶が生きた時代は平安時代から鎌倉時代で、もちろん当時の詳細な歴史の記述はなく、後世に残された資料だけで物語を紡いでいくため、フィクションが入り込む余地は充分あると思います。さいとう流のフィクション・ドラマは面白く展開し、傍若無人で自由闊達な運慶像を描き出していました。動の運慶に対峙するのは静の快慶で、精神性を極めた快慶もその存在感を示していました。劇画は展覧会を見たその日のうちに読み終えてしまい、その晩の夢枕にさいとう流タッチの運慶が現れ、一心不乱に木彫をやっていました。彫刻家はこうあるべきだという道を運慶が私に示したように錯覚し、私も何かが吹っ切れた感じがしました。劇画の解説にこんな一文がありました。「本作の作者、さいとうたかをもまた、新しい表現を模索していた。従来の『子どものマンガ』に満足せず、大人が読むにふさわしい新しい画とストーリーのありようを真摯に追求していたのである。その努力と研鑽の末に開発されたのが『劇画』であったことはいうまでもない。~略~全く新しい表現の確立と、社会への力強い定着。この意味で、さいとうたかをはまさにもう一人の運慶だったのである。」(本郷和人著)

週末 4個目の「根」陶彫成形

今日は朝から工房に篭りました。このところ急に寒くなって工房内は冬の訪れのような按配でした。昨日準備しておいたタタラを使って陶彫成形に取り組みました。現在作っている陶彫部品はテーブル彫刻の床に設置する部品のうち、四方に根を這わそうと思っていて、その根の部分を作っているのです。床に置く陶彫部品は6個あって、既に成形や彫り込み加飾を終えて乾燥を待っている状態です。その6個の陶彫部品のうち4個には根を伸ばすための連結部分があって、そこから4本の根が床を這っていきます。根も陶彫で作るため、根を繋いで長くしていきます。根は変形したカマボコ状の形態をしています。ひとつの部品の長さが60cmくらい、幅が40cmくらい、高さが30cmくらいで、数個繋げていくうちに、先端になるほどだんだん小さくしていくように作るつもりです。根を陶彫で作ったのは2013年発表の「発掘~地殻~」からです。これは屏風から根が床に張り出していくようにしました。2014年の「発掘~層塔~」や「発掘~増殖~」にもそれを応用しました。それらの過去の作品と昨年発表した「発掘~宙景~」のテーブル彫刻を、来年は合体させていこうとしているのです。根になるカマボコの陶彫は、曲面の屋根になる部分が難しく、焼成の関係で形態内部を空洞にしているため、外側を作っていると凹むことがあるのです。それを補うために内部から手を差し込んで内と外から陶土を押さえつけなければなりません。それをするために陶土板にちょっとした細工がしてあります。その作業で身体を思い切り捻るため、結構辛い時間を過ごすことになります。普通の矩形を作っていた方が身体への負担はありません。根は不自然な状態で作業を強いられる難物なのです。ともかく今日は4個目の根の成形が終わりました。今月はもうひとつくらい根の陶彫部品が作れそうです。週末はあと2回来ますが、職員旅行があったり、いろいろな用事があって全て制作に充てられないのが残念ですが、根の陶彫部品を連日作っていたら、腰が悪くなってしまうと思うのです。このくらいがちょうどいいかもしれません。

週末 陶彫制作続行

週末になりました。来年の5月に完成を目指している新作は、のんびり休日を楽しむ余裕を与えてくれず、休まず、焦らず、制作工程に則って作業を進めていくしか方法はありません。手間がかかることは承知で、陶彫部品による集合彫刻をやっているのです。毎週末に一所懸命取り組んでいるモノは、彫刻全体から見ればほんの一部に過ぎませんが、手を抜くことはできません。全体に緊張を漲らせるのは丹念に作り込んだ部分の集積なのです。ウィークディの勤務時間のように週末も時間を決めて制作をしています。気分に左右されることはありません。芸術家は気分次第という定説がありますが、一年を通して勤勉を貫く芸術家もいます。今日は工房に懐かしいスタッフがやってきました。数年前にここで油絵を描いていた人で、現在は結婚をして川崎市に住んでいます。結婚前はよく工房に通っていて、私の個展の搬入搬出を手伝ってくれていました。生活が落ち着いたので、また工房に絵を描きにくるようです。現在は旦那さんの会社の社宅にいるそうで、そこではなかなか絵は描けないのかもしれません。私は成形の終わった陶彫部品2体に彫り込み加飾を施していました。その後、先日練っておいた陶土をタタラにしました。明日はタタラを使って成形をやります。不具合のある土錬機を交換することに決め、新しい土錬機を滋賀県甲賀市信楽の会社に注文しました。土錬機は注文を受けてから製造するため、出来上がるまでに1ヶ月くらいかかると言われました。先日練った陶土を使い切ったら、制作目標である成形の個数を変えなければなりません。幸い乾燥の進んだ陶彫部品があるので、今年は先に窯入れをしていこうかと思っています。例年なら12月前後に窯入れをしていくのですが、こればかりは仕方ありません。夕方まで作業をして自宅に戻ってきました。ソファに横になったら起き上がれなくなりました。これも習慣ですが、身体の衰えを感じるようになったら嫌だなぁと思っているところです。

「八大童子立像」について

東京上野の国立博物館で開催されている「運慶展」には、圧倒的な量感に富む仏像が多く、会場を巡っていると私の全身が眼になって、舐めるように見つめてしまいます。理由として、自分の学生時代に力が及ばず、人体塑造に納得出来なかった理想の姿が運慶の仏像に認められるからです。力瘤が目立つ仏像の中で、比較的可愛らしい群像に目が留まりました。「八大童子立像」と題名にありましたが、運慶作と言われる童子6体が展示されていました。鑑賞者はその中でも「制多伽童子立像」に群がっていて、彼が一番愛嬌のある風貌をしているため、人気のほどが伺えました。6体の立像は童子というより青年の体躯をしているかなぁとも思いました。当時の運慶工房がどのくらいの実力を備えていたか、図録の解説から拾ってみます。「八大童子は着衣の彩色文様もひじょうに丁寧で、特にこの時代には截金で表すことの多い地紋様も細い筆で描く点に特色がある。こうした色彩について運慶の指示もあったはずだが、それを実現する力量をもった絵仏師が工房にいたことがわかる。玉眼、銅製装身具の製作も専門の工人がいたはずである。銅製装身具も運慶の像は独特で、厚く、文様に立体感がある。」(浅見龍介著)以上が工房の仕事ぶりを示すものですが、群像そのものについては「本群像は、『秘要法品』に説かれた図像を原則的になぞりながらも、張りのある肉付き、軽快な動作、微妙な表情が、じつにたくみに表現されている。人間の目を再現した玉眼の効果、ひるがえる裳裾や風をはらむ天衣の自然な動きが、まるで生きている童子であるかのような現実感をもたらしている。」とありました。まさにその通り、今にも動き出しそうで喋り出しそうな童子たち。「キモ可愛い!」という中高生の言葉を借りれば「ツヨ可愛い!」と言うべきか、強いキャラに惹かれてしまう鑑賞者も多いはず、と思ってしまった「八大童子立像」でした。 

「無著菩薩・世親菩薩像」について

東京上野の国立博物館で開催されている「運慶展」のほぼ中央の大きな部屋に「無著菩薩・世親菩薩像」があります。像の前に立つと惚れ惚れするような写実を極めた精神性が感じられて、まるで像が生きているような錯覚に陥ります。図録の解説によると「運慶が遥か昔のインドの高僧像をここまで写実的に造ることができたのはなぜだろうか。~略~眼窩、頬骨、顎などの骨格を把握した上で肉付けをしているので生きた人間のように見えるのである。世親は前頭部が盛り上がり、目の上、頬、顎に肉が付いている。何かを見つめる視線で、話し始めそうな口元である。無著は額に血管が浮き出て頬骨も目立ち、肉が少し落ちている。穏やかな目だが、黙して語らずという口元で包容力が感じられる。」とあります。まさに「無著菩薩・世親菩薩像」は目の前にモデルがいて木彫したのではないかと思わせます。身に纏った衣に大ぶりな襞が彫られていて、頭部の微細な写実に比べると大胆な印象です。これを見て咄嗟に私はロダンのバルザック像を思い起こしました。洋の東西も年代も異なるのに、「無著菩薩・世親菩薩像」とガウンを纏ったバルザック像とは比較の対象になりませんが、ロダンがバルザックその人を研究するうちに、衣の抽象化・象徴化を進めていき、そこに文豪の思索を語らせる新たな彫刻表現が誕生したことを思えば、「無著菩薩・世親菩薩像」の精神性も共通しているように思えてなりません。仏師であった運慶は、彫刻の概念がなかったはずですが、現代に生きる私がこの仏像を見て、近代彫刻の父であるロダンの作品に思いが飛んでしまうことが、運慶の抜群の表現力を物語っていると思うのです。

上野の「運慶展」

10代の終わり頃から西洋彫刻を学んでいた私が、仏像に興味関心を持ったのはいつ頃だったのか、今では思い出せませんが、その契機となったのが運慶だったことは覚えています。運慶の筋骨隆々とした木彫に西洋彫刻を重ねて見ていたというのが正直なところです。私にとって仏像は今も信仰の対象ではなく、彫刻として鑑賞すべき美術作品なのです。そうした自分の過去を再認識したのが、現在東京上野の国立博物館で開催中の「運慶展」です。運慶または運慶工房で作られた仏像は全部で31体あるという現在の見解だそうですが、そのうち22体が博物館に展示されているようで、まさに圧巻で迫力のある展示空間が広がっていました。運慶の仏像と言えば、写実的で動きがあって定型に拘らないというのが私の印象です。図録に仏師と彫刻家の違いが述べられている箇所があって、その認識に惹かれました。「仏像は彫刻の一種であるが、仏像の姿形は仏教の経典や儀軌の定めにより、制約がある。~略~仏師は、同時代の価値基準によって評価が決まる。これに対し、彫刻家の評価は、どのような独創的な活動をしたかによって決まる。~略~運慶は定型を繰り返すということがなかった。常に自分の独創的な像を造るという意識があったように思われる。日本の古典に学んで創り上げた面もあるが、写実の追求が感情、精神といった内面にまで及んでおり、極めて独創的である。」(浅見龍介著)この文章で言えば、運慶は優れた仏師であり、独創的な彫刻家でもあったわけです。自分が運慶を仏像理解の契機にした理由はこんなところにあるのかもしれません。展示は運慶の父であった康慶の仏像から始まり、運慶の初期から晩年に至る仏像と、運慶の子どもたちによる仏像がそれぞれ時代を追って部屋を与えられていました。どれも緊張した空間があって、甲乙つけがたい作品の数々でしたが、自分の好みで言えば、「無著菩薩・世親菩薩」の存在感が印象に残りました。「運慶展」についてはまた機会を改めて述べてみたいと思っています。

映画「セザンヌと過ごした時間」雑感

私は芸術家が苦悶するドラマが大好きで、史実を踏まえたフィクションであっても、その気分に浸ってしまう傾向があります。そんな意味でフランス映画「セザンヌと過ごした時間」は必ず観に行こうと決めていた映画でした。先日、常連になっている横浜のミニシアターに出かけ、文豪ゾラと近代絵画の父と呼ばれたセザンヌの友情と葛藤を描いた「セザンヌと過ごした時間」を堪能してきました。2人の芸術家の生い立ちは環境的に正反対であったため、その交流は単純な友情とは違う微妙な感情に支配されていました。トンプソン監督のインタビュー記事には「興味深いのは交差する運命です。貧乏人の息子が裕福なブルジョワとなって地位と名声を築き、裕福なブルジョワの息子が貧しく自由奔放な生活スタイルのせいで軽んじられる…。」とあり、「友情は愛以上に面倒なものなのです。なぜなら基準点もルールも厳密な定義もないからです。」と映画で描きたかった本題を語っています。図録の解説も同じように「セザンヌがプロヴァンス訛りむき出しで、ぎょっとするような卑語や罵り言葉を連発するのに対し、ゾラは上品な口調に良心的知識人の風格を漂わせる。そんな両者が、『会えば5分で喧嘩』というのも当然と思える。しかも喧嘩をすればするほど切っても切れない縁が深まってしまう、お互いのことが気になって仕方がない二人なのである。」(野崎歓著)とありました。実際に2人が交流していたことは事実で、映画にあったゾラの新作小説「制作」で、自分がモデルになったことで、セザンヌは憤慨して絶交したことは、当時の手紙によって示されています。それでもお互いを心から締め出すことは出来なかったようです。芸術家同士の友情は果たして可能か、成功者と落伍者に運命が分かれれば、友情に影を落とすことは間違いありません。この映画は反目しあう2人が両者とも後世に名を刻んでいることが前提にあるからこそ、波乱万丈でも安心して観られるのではないかと思った次第です。