Archives for posts tagged ‘ドイツ’

「存在と時間」におけるデカルト&カント批判

「デカルトは実体性に対する存在論な問いを総じて回避しているばかりではなく、彼が表立って強調しているのは、実体そのもの、言いかえれば、実体の実体性は、それ自身に即してそれ自身だけでは、あらかじめ近づくことのできないものだと […]

留学したばかりの頃…

「小さい自己中心的の主観で軽々と批判し去ることは十分謹んで、兎に角すばらしいものがワンサとあるのだから、それにかぶりついて行く事が一番大事だと思ふ。」(保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965 武蔵野美術大学出版局 […]

「存在と時間」における現象学

現象学とは、いかなる先入観、形而上的独断にも囚われずに存在者に接近する方法を示唆する哲学で、いろいろ調べていくと現象学で有名な哲学者フッサールの前段階で、ヘーゲルが弁証法的現象学を唱えていることがわかりました。フッサール […]

「存在と時間Ⅰ」起論動機

既に読み始めている「存在と時間Ⅰ」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)は、手応えのある哲学書であることは承知していましたが、実際に読んでみると、存在の意味を問う我々自身の存在をまず考察するところか […]

今夏はハイデガーに挑む

また哲学書読破に臨みます。今までニーチェやショーペンハウワーの代表作を読んできましたが、マルティン・ハイデガー著「存在と時間」を今夏から読み始めます。他界した叔父量義治はカント哲学者でした。自分はそのうちカントに辿り着き […]

ヒトラーの都市

都市に纏わる論考が続きますが、「視線とテクスト」(多木浩二著 青土社)の中に次々と自分の興味を掻き立てる箇所が出てくるのでご容赦願います。ヒトラーと言えば20世紀の独裁者として最大の禍根を残したことで有名です。そのヒトラ […]

「R・シュタイナー展 天使の国」

先日、東京外苑にあるワタリウム美術館で開催されている「R・シュタイナー展 天使の国」に行ってきました。神秘思想家とも呼ばれているルドルフ・シュタイナーはあらゆる分野に思想を広げ、その思想体系を人智学協会を設立することによ […]

「言語都市・ベルリン」読後感

「言語都市・ベルリン」(和田博文・真銅正宏・西村将洋・宮内淳子・和田佳子共著 藤原書店)を読み終えました。「1861ー1945」という副題が示す通り、本書は19世紀から20世紀の第二次世界大戦が終わるまでのドイツの首都ベ […]

興味深いベルリン滞在記

森鴎外、寺田寅彦、山田耕筰、小山内薫、村山知義、千田是也、和辻哲郎、山口青邨の8人が書籍や展覧会、音楽会等を通して自分が名前を記憶しているベルリン留学に纏わる人々です。「言語都市・ベルリン」(和田博文・真銅正宏・西村将洋 […]

「言語都市・ベルリン」を読み始める

「言語都市・ベルリン」(和田博文・真銅正宏・西村将洋・宮内淳子・和田佳子共著 藤原書店)を読み始めました。副題に1861ー1945とあるので、本書は第二次世界大戦を終えるまでのドイツ帝国の首都ベルリンの変遷と、そこに関わ […]

「夜と霧」読後感

「夜と霧」(ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子訳 みすず書房)を読み終えました。読み終えた時には心が震撼して何とも言えない感慨に包まれました。本書は万にひとつの奇跡で生き残ったユダヤ人精神医学者が、強制収容所の中 […]

「夜と霧」尊厳ある場面

「収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を断たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精 […]

「ツァラトストラかく語りき」読後感

「ツァラトストラかく語りき」(ニーチェ著 竹山道雄訳 新潮社)下巻を読み終えました。本書は上巻・下巻に分かれ、4部構成からなる大著です。ニーチェ晩年の思想が述べられていますが、ニーチェの生涯で精神を病んでから執筆活動をし […]

神の死に纏わる雑感

ニーチェが言う神の死を自分はどう捉えたらいいのでしょうか。宗教は人類が創造した偉大なる精神文化で、とりわけキリスト教は人間を超えた存在を神として畏怖しつつ、人が創った神を逆転の発想として、神によって人が創られたとしました […]

「神は死んだ」根拠について

哲学者ニーチェには、「神が死んだ」というあまりにも有名な言葉があります。ニーチェを読まずともニーチェが反キリスト教の立場を取っていたことは、高校生の頃から自分も知っていました。現在読んでいる「ツァラトストラかく語りき」( […]

「ツァラトストラかく語りき」永劫回帰の箇所

先に解説書を読んで、永劫(永遠)回帰がどんなものかを予め把握した上で、本著である「ツァラトストラかく語りき」(ニーチェ著 竹山道雄訳 新潮社)の中から、永劫(永遠)回帰が述べられている箇所を見つけ出しました。詩的な表現か […]

ルサンチマンに囚われていたニーチェ

自分の読書癖を反省すると、何の予備知識もなく無謀にもいきなり難解なホンモノに挑んでしまうことがあって、それで挫折することが多くありました。「ツァラトゥストラ」(西研著 NHK出版)という解説書には、ニーチェ理解に必要な知 […]

「ツァラトストラ」の解説書

「ツァラトストラかく語りき」(ニーチェ著 竹山道雄訳 新潮社)を読んでいますが、比喩が多く理解に苦しむ箇所が暫しあって、下巻の永劫回帰に至って、ついに解説書に頼ろうと思い立ちました。「意志と表象としての世界」(A・ショー […]

輪廻転生と永劫回帰

「ツァラトストラかく語りき」(ニーチェ著 竹山道雄訳 新潮社)下巻を読み始めて戸惑うところは、ニーチェ晩年の思想である永劫回帰です。自分には今ひとつ永劫回帰がわからないのです。永劫回帰は、輪廻転生の西欧的解釈と私は思って […]

「ツァラトストラかく語りき」下巻を読み始める

「ツァラトストラかく語りき」(ニーチェ著 竹山道雄訳 新潮社)下巻を読み始めました。ここで漸くニーチェ独特の永劫回帰の思想が著されることになります。永劫回帰とは何か。ネットで調べてみると「時間は無限であり、物質は有限であ […]

「ツァラトストラかく語りき」上巻の読後感

「ツァラトストラかく語りき」(ニーチェ著 竹山道雄訳 新潮社)上巻を読み終えました。道徳や宗教、学識等の既成の概念を次々壊していくツァラトストラは、ニーチェの哲学観そのものですが、ツァラトストラの語り口には文芸的要素もあ […]

形而上学神学の否定について

哲学者ニーチェは「神は死んだ」として神に替わる超人を作り出しました。「ツァラトストラかく語りき」(ニーチェ著 竹山道雄訳 新潮社)の「幸福の島」の章にこんな一文があります。「神とは、すべての正しきものを歪め、すべての直立 […]

週末 久しぶりの制作&美術館

今日は朝から工房に篭って制作三昧でした。成形を5点やりましたが、今週は夜に工房に出かけて彫り込み加飾を行う予定です。そのために窯入れを敢えてやりませんでした。電力の関係で窯に作品を入れて焼成を行うと、他の電気が使えなくな […]

神聖なる戦争の意味するところ

「よき理由は戦争をすら神聖ならしめる、と。しかし、われはいう、よき戦争はいかなる理由をも神聖ならしむる、と。戦争と勇気とは、隣人の愛よりも大事業を成就してきた。従来、災厄に陥った者を救い出したものは、なんじらの同情にあら […]

厭世主義否定の思考を示す

哲学者ニーチェは若い頃にショーペンハウワー著「意志と表層の世界」を読んで、厭世主義に貫かれた哲学に傾倒したことがあったようです。自分はニーチェ著「悲劇の誕生」を読んで、その源泉を探るべく「意志と表層の世界」を読んだわけで […]

駱駝→獅子→小児についての格言

「精神が駱駝となり、駱駝が獅子となり、かくて最後に獅子が小児となる」という格言は、現在読んでいる「ツァラトストラかく語りき」(ニーチェ著 竹山道雄訳 新潮社)にあったものです。駱駝の意味は向上する精神の第一段階は強靭なる […]

「ツァラトストラかく語りき」を読み始める

「ツァラトストラかく語りき」(ニーチェ著 竹山道雄訳 新潮社)上巻を読み始めました。「ツァラトストラかく語りき」はR・シュトラウスの交響詩が有名で、S・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」のプロローグに使われて […]

「意志と表象としての世界」読後感

ついに「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)を読み終えました。ショーペンハウワーは本書を再読をするように読者に呼びかけています。たしかに論理が込み入った難解極まりない箇所も随所に見 […]

「意志と表象としての世界」まとめの前に…(その2)

「美しいものに寄せる審美的な喜悦の大部分は、われわれが純粋観照の状態に入ったとき、その瞬間にはいっさいの意欲、すなわちいっさいの願望や心配を絶して、いわば自分自身から脱却し、われわれはもはやたえまない意欲のために認識する […]

「意志と表象としての世界」まとめの前に…

何週にもわたってずっと読み続けてきた「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)もそろそろ終盤に差し掛かり、ショーペンハウワーの思索が仏教思想に近づくような展開を見せています。「松岡正剛 […]

哲学から見た正義とは何か

「自発的な正義は『個体化の原理』をある程度まで突き破って見ているところにそのもっとも内的な根源があるが、しかるにこれに反し、不正な人間は『個体化の原理』にあくまでとらわれている。われわれの発見したことはこのことであった。 […]