Archives for posts tagged ‘ドイツ’

汐留の「アール・ヌーヴォーのガラス」展

東京では既に終わってしまった展覧会ですが、「アール・ヌーヴォーのガラス」展はなかなか見応えのある印象的な展覧会だったので、感想を述べたいと思います。パナソニック汐留ミュージアムは興味深い企画展が多く、企業が経営する美術館 […]

「夢の問題に関する科学的文献」後半部分

やはり大著を読むのには相当の時間がかかることを改めて自覚しました。常に鞄に携帯しているのに、読みたい気分にならない時が結構あります。この場合、読書はリラックスタイムではないと思った方がいいのかもしれません。「夢解釈」(フ […]

2015年はフロイトに挑む

ジークムント・フロイトはウィーンに関わりの深い20世紀最大の精神分析の権威です。私は1980年から5年間ウィーンに滞在していましたが、フロイトの業績に触れることなく過ごしていました。フロイトの存在は知っていました。あまり […]

「風景の無意識 C・Dフリードリッヒ論」読後感

「風景の無意識 C・Dフリードリッヒ論」(小林敏明著 作品社)を読み終えました。ドイツ・ロマン派の画家C・Dフリードリッヒの絵画を中心に据え、それを契機に哲学・文学・医学等のドイツ思想を横断的に論じた本書は、美術評論と言 […]

ハイデガーとフロイト

「風景の無意識 C・Dフリードリッヒ論」(小林敏明著 作品社)を読み始めて随分時間が経っていますが、ようやく終盤に差し掛かりました。本書はドイツのロマンティク絵画を代表するC・Dフリードリッヒに関する評論ですが、ドイツ思 […]

ゲーテの「色彩論」について

ドイツの文豪ゲーテの「色彩論」をきちんと読んだわけではありませんが、現在読んでいる「風景の無意識 C・Dフリードリッヒ論」(小林敏明著 作品社)にゲーテの「色彩論」が引用されていて注目しました。著者の解説を引用します。「 […]

ギュンター・グラス追悼

ドイツ人作家で画家のギュンター・グラスは、自分が滞欧中に知り得た巨匠です。直接ご本人にお会いする機会はありませんでしたが、作品としては映画「ブリキの太鼓」を観て、さらに自分の帰国後にエッチングによる版画展を西武美術館に見 […]

「風景の無意識」を読み始める

「風景の無意識 C・Dフリードリッヒ論」(小林敏明著 作品社)を読み始めました。ドイツ・ロマン派の画家フリードリッヒは、自分が大好きな巨匠の一人です。廃墟が風景画の主題に多く選ばれるところが気に入っていて、その暗く立ちこ […]

「シャトーブリアンからの手紙」鑑賞

時々ミニシアターに出かけ、大手の映画館で上映される機会のない名作を味わっています。先月も橫浜で「悪童日記」を観ました。「シャトーブリアンからの手紙」は橫浜では終わっていた作品ですが、川崎の新百合ヶ丘にあるアルテリオ映像館 […]

週末 制作&ミニシアター

やっと週末になり、朝から制作に没頭しました。新作の彫り込み加飾を3点行いました。手間暇のかかる彫り込み加飾を集中力をもって行っていたところ、頻繁に使用していた小さな掻き出しベラが壊れました。重宝していた道具だったので残念 […]

「存在と時間 」全編の読後感

「存在と時間 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)を読み終えました。夏から読み始めた大作でしたが、読書が通勤時間に限られていたこともあって、読破に数ヶ月もかかってしまいました。おまけ […]

存在論としての運命

現在読んでいる「存在と時間 Ⅲ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)に運命を存在論として捉える箇所があって興味を持ちました。2つの箇所を引用いたします。「決意性のうちにひそんでいて、先駆しつつ、 […]

存在論としての歴史性

「存在と時間 Ⅲ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)の後半部分に「歴史性」が登場してきます。「歴史性自身は、時間性から、しかも根源的には本来的な時間性から解明されるべきであるとすれば、この課題 […]

時間性と空間性の関係

現在読んでいる「存在と時間 Ⅲ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)に時間性と空間性に関する記述があります。「たとえ『時間性』という表現が、『空間と時間』と言うときに時間として了解されているもの […]

友人から贈られたSTOLLEN

STOLLEN(シュトレン)とはクリスマス限定の菓子パンでドイツのドレスデンが発祥と言われています。ドライフルーツがどっさり入って周りを砂糖で覆ったもので、保存の効く高カロリーのパンです。実は私の大好物で、毎年シュトレン […]

ボイス世界観の再考

先日見に行った「ヨーゼフ・ボイス展」が契機になり、改めてボイスの世界観を考えてみたいと思います。ボイスに関することは過去何回かNOTE(ブログ)にアップしていますので、今回は再考とさせていただきました。20世紀の美術史を […]

横須賀の「ヨーゼフ・ボイス展」

横須賀にあるカスヤの森現代美術館で「ヨーゼフ・ボイス展」が開催されていました。ボイスの作品は見てすぐ分かるものではありません。展示されていたモノは、自己表現するにあたってボイスが発想し、制作またはパフォーマンスの行為をし […]

「存在と時間 Ⅲ」を読み始める

「存在と時間 Ⅲ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)を読み始めました。「Ⅲ」に収録されている内容を見ると、「時間性と日常性」とか「時間性と歴史性」という章が眼に飛び込んできて、時間を巡る概念が […]

「存在と時間 Ⅱ」読後感

「存在と時間Ⅱ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)を読み終えました。第二篇はまだ「Ⅲ」に続きますが、ここでひとまずまとめておきたいと思います。「Ⅱ」の最後は良心に関する存在論としての分析になり […]

「存在と時間 Ⅱ」における死について

「存在と時間Ⅱ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)第二篇は時間性を論じています。時間となれば、やはり終焉という概念が入ってくることになり、存在論として死をどう扱うのかに論考が移っていきます。既 […]

「存在と時間」第二篇を読み始める

「存在と時間Ⅱ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)は、第一篇から始まり、途中から第二篇になりました。ここからは「存在と時間」の存在に時間を加えた論考が中心になるようです。文中で言えば「現存在の […]

「存在と時間」第一篇の読後感

「存在と時間 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)は、おそらく出版編集上の都合で「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」という3冊になっていると察しますが、内容は序論と全体を通して第1部しかありません。第1部に続く第 […]

「存在と時間 Ⅱ」に再び挑む

「アーレントとハイデガー」(エルジビェータ・エティンガー著 大島かおり訳 みすず書房)を読み終えた翌日から「存在と時間 Ⅱ」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)に再び挑んでいます。「存在と時間 Ⅱ […]

「アーレントとハイデガー」読後感

「アーレントとハイデガー」(エルジビェータ・エティンガー著 大島かおり訳 みすず書房)を読み終えました。本書は20世紀を代表する哲学者M・ハイデガーと彼に師事したH・アーレントに関する1920年代からアーレントが没する1 […]

「アーレントとハイデガー」愛について

「アーレントとハイデガー」(エルジビェータ・エティンガー著 大島かおり訳 みすず書房)を読み始めて中盤を過ぎました。大著「存在と時間」で知られる哲学者マルティン・ハイデガーは、マールブルグ大学の気鋭の哲学教授になったばか […]

人間臭いハイデガーの生涯

現在読んでいる「存在と時間」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)は途方もない難解さがあって、語彙ひとつひとつに思いを込めるハイデガーにゲルマン民族特有の理路整然とした構築性を見てとれます。そんな哲 […]

「種村李弘の眼 迷宮の美術家たち」展

先日、東京の西高島平にある板橋区立美術館に行き、表記の展覧会を見てきました。故人である種村季弘は、私が滞欧中に親しんだウィーン幻想絵画を取り挙げた文学者で、深層心理に働きかけをするドイツ・オーストリアの芸術家を日本に数多 […]

「存在と時間 Ⅱ」を読み始める

「存在と時間 Ⅰ」に続き「存在と時間 Ⅱ」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)を読み始めました。またハイデガーの抜本的で詳細な理論に親しみます。既成概念を覆すように根気強く展開される存在論は、読む […]

「存在と時間 Ⅰ」読後感

やっと「存在と時間Ⅰ」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)を読み終えました。新しい哲学書に挑むときは、まず頻出する独自解釈を課している語彙に慣れなければなりません。語彙に慣れてくると次第に論拠とす […]

ア・プリオリな空間存在

ア・プリオリとは先験的・先天的な経験に先立って与えられている認識や概念のことを言います。語源はラテン語で反語はア・ポステリオリです。「存在と時間Ⅰ」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)の中に空間を […]

若かりし頃の貧乏旅行

「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)を読んでいると保田先生が若かりし頃にフランスのパリから各地を経てスペインに赴く旅日記がありました。手持ちの金銭が少なく、食事や宿泊費用を切り詰めて […]