「神は死んだ」根拠について

哲学者ニーチェには、「神が死んだ」というあまりにも有名な言葉があります。ニーチェを読まずともニーチェが反キリスト教の立場を取っていたことは、高校生の頃から自分も知っていました。現在読んでいる「ツァラトストラかく語りき」(ニーチェ著 竹山道雄訳 新潮社)にその箇所があります。訳者の解説と共に抜粋します。「神は人間が十字架に磔せらるるを見て、人間への愛は人間の地獄となり、ついには人間の死となることに堪えなかった、と?」『解説:キリストが磔刑さられたことは、人間に憐憫同情・隣人愛を教えることが、結局は人間性を堕落せしめる所以であることを示す』「彼は、秘密に充ちて隠れたる神であった。まことに、息子を生むためすら、彼は蜜路を忍んで来たったのである。彼の信仰の門口には、姦淫がある。」『解説:キリスト教の神の観念には人間性の裏をゆく疚しげなるところがある』「愛する者とは、報酬と報復の彼岸に愛する者であるべきだ。」『解説:神は人間から反対給付を求めていた』「あまりにも大いなるおのれの憐憫の故に、窒息した。」『解説:ユダヤ教・原始キリスト教・中世の信仰には、なお強烈な意欲があったが、現代のキリスト教は無気力に堕して衰弱した』「彼は多義であった。」『解説:神が弱体化したのは、その性格と言葉が多義曖昧だったからである』「もしわれらの耳に泥があるならば、いざ、之を投げ入れたのはそも何人であるか?」『解説:人間のはい徳を創造したのも、神ではないか』以上の箇所に神を死に至らしめる言葉が散りばめられています。「神は死んだ」とニーチェが主張した根拠はまだありますが、本書の中で気に留めた箇所を挙げさせてもらいました。

関連する投稿

  • 「超越論的ー論理学的問題設定の諸疑問」第69節~70節について 「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 […]
  • 東京駅の「きたれ、バウハウス」展 先日、東京駅にあるステーション・ギャラリーで開催中の「きたれ、バウハウス」展に行ってきました。バウハウスとはドイツ語で「建築の館」という意味です。1919年に建築家ヴァルター・グロピウスによって設立 […]
  • 新聞掲載のフロイトの言葉より 昨日の朝日新聞にあった「折々のことば」(鷲田清一著)に興味関心のある記事が掲載されていました。全文書き出します。「百パーセントのアルコールがないように、百パーセントの真理というものはありませんね。ジ […]
  • 師匠の絵による「人生の選択」 昨日、長野県の山里に住む師匠の池田宗弘先生から一冊の絵本が送られてきました。「人生の選択 […]
  • 建築に纏わる東京散策 今日は夏季休暇を取得して、前から計画していた東京の展覧会等の散策に出かけました。先日も夏季休暇を使って「江戸東京たてもの園」に行ったばかりですが、今日も建築に纏わる散策になりました。例年なら夏季休暇 […]

Comments are closed.