「神は死んだ」根拠について
2014年 4月 14日 月曜日
哲学者ニーチェには、「神が死んだ」というあまりにも有名な言葉があります。ニーチェを読まずともニーチェが反キリスト教の立場を取っていたことは、高校生の頃から自分も知っていました。現在読んでいる「ツァラトストラかく語りき」(ニーチェ著 竹山道雄訳 新潮社)にその箇所があります。訳者の解説と共に抜粋します。「神は人間が十字架に磔せらるるを見て、人間への愛は人間の地獄となり、ついには人間の死となることに堪えなかった、と?」『解説:キリストが磔刑さられたことは、人間に憐憫同情・隣人愛を教えることが、結局は人間性を堕落せしめる所以であることを示す』「彼は、秘密に充ちて隠れたる神であった。まことに、息子を生むためすら、彼は蜜路を忍んで来たったのである。彼の信仰の門口には、姦淫がある。」『解説:キリスト教の神の観念には人間性の裏をゆく疚しげなるところがある』「愛する者とは、報酬と報復の彼岸に愛する者であるべきだ。」『解説:神は人間から反対給付を求めていた』「あまりにも大いなるおのれの憐憫の故に、窒息した。」『解説:ユダヤ教・原始キリスト教・中世の信仰には、なお強烈な意欲があったが、現代のキリスト教は無気力に堕して衰弱した』「彼は多義であった。」『解説:神が弱体化したのは、その性格と言葉が多義曖昧だったからである』「もしわれらの耳に泥があるならば、いざ、之を投げ入れたのはそも何人であるか?」『解説:人間のはい徳を創造したのも、神ではないか』以上の箇所に神を死に至らしめる言葉が散りばめられています。「神は死んだ」とニーチェが主張した根拠はまだありますが、本書の中で気に留めた箇所を挙げさせてもらいました。