「存在と時間Ⅰ」起論動機
2014年 8月 19日 火曜日
既に読み始めている「存在と時間Ⅰ」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)は、手応えのある哲学書であることは承知していましたが、実際に読んでみると、存在の意味を問う我々自身の存在をまず考察するところから始まっていて、存在そのものを根本から捉え直す論理に奥深く付き合わなければならないことで、まず語彙の意味するものと同時に既成概念が剥ぎ取られる面白さを感じます。「存在と時間」の起論動機はプラトンのこんな言葉から始まっています。「…トイウノハ、君タチガ『存在スル』トイウ言葉ヲ使ウトキ、イッタイ君タチハ何ヲ意味スルツモリナノカ、以前ニハソレヲワカッテイルト信ジテイタイノニ、イマデハ困惑ニオチイッテイルノダ。…」(プラトン著「ソフィステース」)それに続くハイデガーの言葉です。「いったいわれわれは『存在する』という言葉で何を意味するつもりなのか、この問いに対して、われわれは今日なんらかの答えをもっているのであろうか。断じて否。だからこそ、存在の意味への問いをあらためて設定することが、肝要なのである。」というのがハイデガーにして「存在と時間」を書かせた動機です。「存在」という概説としてわかっていても、究極的には何もわかっていないものを根本から問い直し、論考していくのが本書です。起論意図となる概観を述べた序論を現時点で読み終わり、今は現存在の学的解釈と時間の究明という枝葉的で詳細な論考に入っています。最後の頂まで辿り着けるのか些か不安を抱きながら、大きな山を見上げて麓あたりを一歩ずつ登っていく感覚です。
関連する投稿
- 「超越論的ー論理学的問題設定の諸疑問」第69節~70節について 「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 […]
- 東京駅の「きたれ、バウハウス」展 先日、東京駅にあるステーション・ギャラリーで開催中の「きたれ、バウハウス」展に行ってきました。バウハウスとはドイツ語で「建築の館」という意味です。1919年に建築家ヴァルター・グロピウスによって設立 […]
- 新聞掲載のフロイトの言葉より 昨日の朝日新聞にあった「折々のことば」(鷲田清一著)に興味関心のある記事が掲載されていました。全文書き出します。「百パーセントのアルコールがないように、百パーセントの真理というものはありませんね。ジ […]
- 師匠の絵による「人生の選択」 昨日、長野県の山里に住む師匠の池田宗弘先生から一冊の絵本が送られてきました。「人生の選択 […]
- 建築に纏わる東京散策 今日は夏季休暇を取得して、前から計画していた東京の展覧会等の散策に出かけました。先日も夏季休暇を使って「江戸東京たてもの園」に行ったばかりですが、今日も建築に纏わる散策になりました。例年なら夏季休暇 […]
Tags: ドイツ, 書籍
The entry '「存在と時間Ⅰ」起論動機' was posted
on 8月 19th, 2014
and last modified on 8月 21st, 2014 and is filed under note.
You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.
Both comments and pings are currently closed.